マルサス『経済学原理』初版における 現状分析につ...

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【論 説】 マルサス『経済学原理』初版における 現状分析について 横 山 照 樹   は じ め に マルサスは『経済学原理』 (以下『原理』と略称する)初版の序文の中でのように述べていた「この著作の特別の目的の 1 つはしばしば経験に照合しまた特定の現象の生起 に共同して働く一切の原因をできるだけ包括的に考察して実際的応用のための経 済学の一般的規則(the general rules)を提供することである」(1st ed., p.21すなわち『原理』の目的は「一般的規則」を提供することでありそれは「経 験に照合しまた特定の現象の生起に共同して働く一切の原因をできるだけ 包括的に考察」することによって得られるというのであるしたがってマル サスにとっては当時の「経験」や「特定の現象」をどのように分析するかがきわめて重要なことになってくるしかもマルサスが分析対象としていた のは「産業革命の進行とフランスの革命の影響という二つの革命によって規 定された『二重革命』の時代」 1それに続く「戦後不況期」 2という済の激動期だったのである1) 村岡健次・川北稔編(2003132 ページ2) 同上137 ページ41329

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銀行取付け防止策としての支払停止条項の有効性:厚生分析(小田勇一)

【論 説】

マルサス『経済学原理』初版における

現状分析について

横 山 照 樹  

は じ め に

 マルサスは『経済学原理』(以下『原理』と略称する)初版の序文の中で,次

のように述べていた.

   「この著作の特別の目的の 1つは,しばしば経験に照合し,また特定の現象の生起

に共同して働く一切の原因をできるだけ包括的に考察して,実際的応用のための経

済学の一般的規則(the general rules)を提供することである.」(1st ed., p.21)

 すなわち,『原理』の目的は「一般的規則」を提供することであり,それは「経

験に照合し,また特定の現象の生起に共同して働く一切の原因をできるだけ

包括的に考察」することによって得られるというのである.したがってマル

サスにとっては,当時の「経験」や「特定の現象」をどのように分析するかが,

きわめて重要なことになってくる.しかも,マルサスが分析対象としていた

のは,「産業革命の進行とフランスの革命の影響という二つの革命によって規

定された『二重革命』の時代」1)と,それに続く「戦後不況期」2)という,経

済の激動期だったのである.

1) 村岡健次・川北稔編(2003)132ページ.2) 同上,137ページ.

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第 60巻 第 4号

 筆者は以前,1798年に出版された『人口論』初版,1803年に出版された『人口論』

第 2版,1806年に出版された『人口論』第 3版,そして 1814,15年の穀物法

論争期のパンフレットを経て,1817年に出版された『人口論』第 5版までを分

析して,それぞれの時期において,マルサスが経済状況についてどのような認

識を持っているかを検討したことがあった 3).本稿の課題は,『原理』初版にお

いて,マルサスがどのような現状分析を行っているかを検討することである.

 マルサスは『原理』の序文の中で,最近の 20年ないし 30年の経済状況に

ついて,次のように言っている.

   「その上,最近の 20年ないし 30年は最も異常な事件の連続によって特徴づけられ

ている.そして,それらを取り扱っている科学の容認された諸原理を,それらがど

の程度まで確認し,または無効にするのかを知るために,それらを整理し吟味する

時間はまだほとんどなかったのである.」(1st ed., p.5)

   「経済学に属する問題に関する最近の 25年の大きな出来事を観察して,その学問

ですでになされたもので満足して座っていることは不可能である.」(1st ed., p.15)

 すなわち,ナポレオン戦争中およびその後の不況期という「最近の 20年な

いし 30年」,あるいは「最近の 25年」は,「異常な事件の連続」した時期であり,

「大きな出来事を観察」した時期であった.そして初版が出版された時期は,

それらの経験を「整理し吟味する時間はまだほとんどなかった」のではあるが,

マルサスとしては,これまでのスミスやリカードウの学問に「満足して座っ

ていることは不可能」であった.したがって『原理』では,最近の異常な経

験を分析することによって,スミスやリカードウに代わる新たな経済学を構

築することが,マルサスの課題であったのである.

 それでは「最近の20年ないし30年」,あるいは「最近の25年」の経済状況について,

『原理』初版ではどのように分析されていたのであろうか.それを,ナポレオン戦

3) 横山照樹(1998)を参照されたい.

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

争中の 1793年から 1814年まで,戦争の最後の年である 1814,15年,そして戦争

後の 1816年から 21年までの 3つの時期に分けて,検討することにしたい.

1 ナポレオン戦争期の経済状況について

 ナポレオン戦争中の経済状況について,マルサスがどのように考えていた

かを,農業生産の状態,商工業と外国貿易の状態,労働者の状態の順で検討

していくことにしたい.

1. 1 農業生産の状態について

 まず,ナポレオン戦争中の農業生産の状態について検討したい.マルサスは,

『原理』初版第 3章「土地の地代について」の第 3節「社会の普通の進歩にお

いて地代を引き上げる傾向のある諸原因について」の中で,次のような議論

を展開している4).すなわち,地代増大の第 4原因として,「どのような原因

から生じたのであれ,生産物の価格と生産費との間の差額を増加させるよう

な,農業生産物の価格の上昇」(1st ed., p.166)について議論したさいに,「1793

年から 1813年の終わりまでの 20年間」(1st ed., p.168)の農業の状態について,

次のように述べている.

   「1793年に始まった戦争以前のしばらくの間は,わが国の通常の消費を満たすため

に一定量の外国穀物を輸入するのが常であった.戦争は当然に,運賃,保険料など

の支出を増やすことによってこの供給の費用を増やし,そして,若干の不順な気候

とその後のフランス政府の勅令 5)とあいまって,需要を満たすのに必要な量の小麦

の輸入価格を,きわめて著しく上昇させた.」(1st ed., p.168)

 すなわち,戦争が始まる以前から,イギリスは外国から輸入される穀物に依

4) 『原理』初版第 3章第 3節における議論については,横山照樹(2005)32ページ以下の議論を参照されたい.

5) これは,1806年のナポレオンによる大陸封鎖令を指していると思われる.

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第 60巻 第 4号

存するようになっていたが,戦争の開始は,輸入費用の上昇などの要因によっ

て,輸入される穀物の価格を非常に上昇させることになったというのである.

それでは,このことが国内の農業生産に対してどのような影響を与えることに

なったのであろうか.この点について,マルサスは次のように言っている.

   「輸入穀物の価格のこの大きな上昇は,輸入が国内で栽培されるもののほんのわず

かな割合を占めるにすぎなかったけれども,必然的に同じ割合で全量を騰貴させ,

そして外国におけるわが国の穀物に対する大きな需要から生ずるだろうと思われる

のと同じ種類の刺激を国内農業に与えた.こうしている間に,拡大する戦争,増大

する商業,およびより多くの食物を生産する必要によって引き起こされた人手不足

は,強い刺激を受けたときには,いつでも手早い器用な人たちの発明とあいまって,

あらゆる産業部門に筋肉労働の著しい節約をもたらしたので,社会のさしせまった

欲求を満たすために耕作に引き入れられた新しい劣等地は,数年前のより富んだ土

地よりも,もっと少ない労働の費用で耕作されたのである.しかもなお,穀物価格は,

きわめて高い価格でのみ獲得できるごく少量の外国穀物が,現在の需要を満たすた

めに欲求されている限りは,必然的に高かった.戦争以前の価格と比べて,あると

きには,紙幣ではほとんど 3倍に,そして地金では 2倍以上に上昇したこの高い価

格とともに,労働が,またそれとともに,もちろん,利潤は下落しなかったのであ

るから,労働がその中に入っているすべての商品が,ほとんどそれと比例して上昇

しないということは,まったく不可能なことであった.」(1st ed., pp.168-169)

 すなわち,輸入穀物の価格の上昇は,国内で生産される穀物の価格を同じ

ように上昇させることになったというのである.しかもここにおけるマルサ

スの議論の特色は,「きわめて高い価格でのみ獲得できるごく少量の外国穀物

が現在の需要を満たすために欲求されている」ため,戦争の期間中,この高

い穀物価格が継続することになった,と主張していることである.したがって,

戦争中の穀物価格は,戦争という特殊要因によって穀物貿易が制限されてい

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

たために,国内の穀物生産費によっては規制されず,特殊な要因によって上

昇していた輸入穀物価格によって規制されることになった,というのである.

 そして戦争中には,「拡大する戦争,増大する商業」などの要因が「あらゆ

る産業部門に筋肉労働の著しい節約をもたらした」,すなわちすべての産業に

おける労働の生産性を上昇させたと,主張するのである.したがって農業部

門においても,穀物価格の上昇によって劣等地耕作が進展していくが,それ

と同時に労働生産性の上昇を伴っていたために,「耕作に引き入れられた新し

い劣等地は,数年前のより富んだ土地よりももっと少ない労働の費用で耕作

された」,すなわち,劣等地耕作の進展によって耕作面積が拡大し,穀物生産

量が増大していっても,同時に農業部門でも労働生産性の上昇が起こったの

で,生産費は減少していくことになったというのである.

 そして今の引用文の最後の箇所では,戦争中高い穀物価格が継続したが,

この間に賃金は上昇し利潤は下落しなかったので,労働によって生産される

すべての商品の価格は上昇していったと,述べられている.

 以上の議論に続けて,マルサスは次のように述べている.

   「1813年に耕作に引き入れられた最後の土地は,1790年に改良された最後の土地

よりも,これを耕作するのにより多くの労働を必要としなかったということは,利

子率および利潤率が,前の時期よりも後の時期の方がより高かったという周知の事

実によって,争う余地なく立証されている.しかしなお,利潤は,この間を地代の

上昇にとって極端に有利なものにしなかったほどには,高くはなかった.問題の期

間のこの上昇は,広く注目の的となった.そして不幸な事情が重なって,苛酷な,

そして悲惨な妨げがその後に起こったけれども6),しかし農業に対するこのような有

力な奨励の結果である大規模な潅漑と永続的改良は,新しい土地の創造と同じ作用

を演じたし,また一定量の穀物を生産する労働と困難とを増大することなしに,国

の真の富と人口とを増大させたのであった.」(1st ed., pp.169-170)

6) これは,1814年以降の農業不況を指していると思われる.

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第 60巻 第 4号

 マルサスによると,1790年に比べると 1813年の方が利潤率は高かったが,

これは 1790年よりも 1813年の方が農業における労働生産性が高いこと示し

ている.しかし,この間は穀物価格が高かったために,この高い利潤率は地

代の増大と両立することができたというのである.そしてこの高い利潤率と

増大した地代とは,土地に対する「大規模な潅漑と永続的改良」を可能にして,

「新しい土地の創造と同じ作用を演じ」,「国の真の富と人口とを増大」させる

ことになったというのである.

 そして同じ節の少し後の箇所では,次のように述べられている.

   「過去 20年間わが国で土地に用いられた資本の大きな追加分量のうち,はるかに

大きな部分が土地で生み出されたものであり,商工業からもたらされたものではな

いと考えられている.そして,そのように急速でかつ有利な蓄積の手段を与えたも

のは,疑いもなく,農業資本の高い利潤であり,それは農業方法の改良と,そして,

単にゆっくりとした農業者の資本の原料の比例的騰貴をともなうにすぎない価格の

不断の騰貴とによって,引き起こされたのである.」(1st ed., p.173)

 すなわちマルサスによると,過去 20年間農業に多くの資本が投下されてき

たが 7),それは商工業部門の資本が農業に投下されたのではなく,農業部門

で生み出された利潤が農業に投資されたものであるというのである.そして,

それを可能にしたのが,農業の改良と穀物価格の上昇とによってもたらされ

た,農業資本の高い利潤 8)であったというのである.

 さて,ナポレオン戦争期の農業の状態に関する,以上のマルサスの議論を

7) 第 5章「資本の利潤について」第 4節「リカードウ氏の利潤論に関する論評」の脚注で,マルサスは次のように言っている.「灌漑に,また農産物の運搬用の道路および運河に費やされた数100万ポンドの資本は,利潤を引き下げるというよりはむしろ引き上げる傾向を持った.」(1st ed., pp.330-331)なおこの脚注を含む前後のパラグラフは,第 2版では削除された.Cf., 2nd ed., p.237.

8) このことは,商工業の利潤率も同じように高かったことを意味している.なぜなら,資本の移動が自由で,利潤率が産業間で均等化することを考えた場合,これが可能であるためには,商工業の利潤率も高い必要があるからである.そうでないと,商工業部門から農業部門への資本の移動が起きるはずである.

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

まとめると,次のようなことになるのではないかと思われる.

 戦争中は輸入される外国穀物の価格が高かったために 9),また国内の穀物生産

量が増大しても外国穀物の輸入が必要であったために,国内の穀物価格も同じよ

うに高かった.それによって農業の利潤率は上昇し,また地代も増大した.その

結果,増大した利潤が農業に投資されて,劣等地耕作が進展していくことになる.

そして,それは当然,生産費を上昇させていくことになるはずであるが,マルサ

スは,現実の過程ではそのような生産費の上昇は起きなかったというのである.

 その理由として挙げられているのが,1つは戦争中の労働生産性の上昇であり,

もう 1つは増大した地代や高い利潤によって行われた灌漑等の土地の改良であ

る.この 2つの理由から,新たに耕作されることになった最劣等地の生産性は,

それ以前の優等地よりも高くなったのである10).そしてこのような生産性の上

昇は,地代と利潤率との一層の上昇を可能にし,それが農業部門に再投資され

ることになって,さらに農業生産が拡大していくことになったのである11).

9) 第 3章第 9節「穀物を輸入する諸国における,地主の利害と国家の利害との関係について」の脚注では,「1798年から 1814年にかけての穀物の高価格は,戦争と天候(the seasons)とによって引き起こされた」(1st ed., p.222)と述べて,自然の影響も重視していた.

10) 農業の改良について,第 5章第 3節「現実に働いている原因によって利潤が影響を受けることについて」では,次のように言われている.「第 1に,土地の一般的管理に関しても,また耕作に関連しまたはなんらかの方法で原生産物を市場にもたらすのをたやすくするような道具に関しても,この 20年の間進行しつつあった農業上の改良については,なんの疑いもありえない.」(1st ed., p.322)

   また第 4章「労働の賃金について」第 3節「労働に対する需要および人口の増大におもに影響を及ぼす諸原因について」では,耕作に馬が用いられるようになったことを重視して,次のように言っている.「わが国の農業においてさえ,もし馬という固定資本―これはその消費する生産物の分量からしてもっとも不利な種類の固定資本である―が使用されることがないとすれば,おそらく,現在穀物を産出している土地の大部分の耕作は放棄されるであろう.」(1st ed., p.263)

   なお,農業の改良を行ったのが,地主なのか農業資本家なのかという問題については,柳田芳伸(1998)19-20ページの議論を,また農業の機械化については,同書,55ページの議論を参照されたい.

11) マルサスの場合には地代増大の第 2原因によって,農業生産が拡大しても,生産過剰により穀物価格が低下することはなかった.第 3章第 3節で,次のように言われている.「そして分配が適当になされたときには,それ自らの需要を作り出す生活必需品の能力は,よりよい用具の採用と土地を管理する改良された方法との両者によって,次々に耕作に採用されていった,多くのそして偉大な改良にもかかわらず,労働と他の商品とを支配する穀物の交換価値が,どんなに少なく見積もっても,減少していないという明白な事実によって,十分に証明されている.」(1st ed., p.165)

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第 60巻 第 4号

 マルサスの議論によると,戦争中は農業生産が継続的に拡大していった時

期になるが,それを可能にした 1つの理由は,輸入穀物によって規制された

国内の高い穀物価格であり,もう 1つの理由は,この間の農業生産性の上昇

であったということになる.それが,高い利潤と高い地代との併存を可能に

したのである.

1. 2 商工業と外国貿易の状態について

 それでは,次にナポレオン戦争中の商工業と外国貿易の状態について,マ

ルサスがどのように述べていたかを検討することにしたい.

 マルサスは『原理』初版第 4章第 3節の中で,次のように言っていた.

   「改良された機械の採用以来,綿製品の総価値の増大は,莫大なものであると知ら

れている.そして綿業における労働需要が過去 40年間にきわめて著しく増大したこ

とは,一瞬といえども疑いえない.このことは実際,綿製造業が最も繁栄している

マンチェスター,グラスゴウ,その他の都市の人口が大いに増大したことによって,

十分に証明されている.

   同じような価値の増大は,同じ程度ではないけれども,わが国の金属製品

(hardware),羊毛,その他の製造業で起こっており,また固定資本の使用が増大した

にもかかわらず,労働に対する需要の増大をともなっていた.」(1st ed., pp.262-263)

 そして綿工業の発展については,第 7章「富の増進の直接的原因について」

の第 5節「富の継続的増大に対する一刺激と考えられる,労働を節約する発

明について」の中で,次のような議論が展開されていた.

   「労働を節約することによって,財貨を以前よりもはるかに安価な比率で市場にも

たらすであろう機械が発明される場合に,最も普通の結果は,商品がはるかにより

多くの人数の購買者の能力のおよぶ範囲内にもたらされることによって,新しい機

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

械で生産された財貨の総量の価値がそれ以前の価値を大きく越えるように,それに

対する需要が拡大することであって,そして労働の節約にもかかわらず,より少数

の人手ではなくより多くの人手が,その製造のために必要とされるのである.

   このような結果は,わが国の綿の機械(the cotton machinery)においてきわめて著

しく例証された.綿製品は安価であるため,その消費は国内でも国外でも大いに拡

大されたので,現在作っている綿製品と綿糸の全体の価値は,比較にならないくら

い以前の価値を越えている.一方で,過去 30年間のマンチェスター,グラスゴウな

どの都市の人口の急激な増大は,少数の一時的例外を除けば,機械の使用にもかか

わらず,綿製造業に関連のある労働に対する需要は非常に大きく増大していったこ

とを,十分に証明するものである.」(1st ed., pp.402-403)

 すなわち,綿工業においては機械の採用によって生産費が低下し,価格が

低下していったが,それは国内,国外における需要を増大させ,生産量の増

大が価格の低下を上回っていたために,全体としての販売額は増大していっ

たというのである12).そしてこのような生産量の増大は綿工業における雇用

労働者数を増大させ,マンチェスターなどの工業都市を生み出すことになっ

たというのである13).

 そして先の第 4章第 3節の引用文によると,機械の採用による生産の増大

は綿工業が最も顕著であったが,「金物,羊毛,その他の製造業」においても

12) また綿工業について同様なことは,第 7章第 8節「生産物の交換価値を増大する手段と考えられる,国内商業と国外商業とによって引き起こされる分配について」でも言われている.Cf.,1st ed., pp.456-457.なおホランダーは,綿工業における機械の効果について,次のように言っている.「綿工業においては,機械の効果は,費用価格を減少させ,そして,国内と国外との両方の需要の弾力性を考慮すると,支出される総収入を増加させ,そしてまた絶対的な雇用機会を拡大させることであった.」Cf., Hollander(1997)p.568.

13) ただしマルサスは,イギリスが穀物供給を外国穀物に依存するようになり,綿製品を輸出して穀物を輸入することには反対していた.マルサスは第 3章第 10節「土地の剰余生産物に関する概観」の中の脚注で,次のように言っている.「綿製品は絹製品以上にわが国の特有な生産物ではない.そしてもし,わが国の綿貿易の繁栄が,わが国住民のあるかなりの人数の食物を購買するのに必要となるならば,我々がかつて経験したよりもより大きな災厄が我々を見舞うであろうことを,私はおそれる.」(1st ed., p.236, note)ただしこの脚注は,第 2版では削除されることになる.Cf., 2nd ed., p.174.

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第 60巻 第 4号

機械の採用によって生産費が低下し,価格が低下することによって需要が増

大し,その結果,綿工業と「同じような価値の増大」が起こり,「労働に対す

る需要の増大」がもたらされたというのである.

 それではここでいう機械の採用とは,具体的には何を指しているのであろ

うか.マルサスは第 7章第 5節の中で,次のように言っている.

   「最近の戦争を行うに当たって,我々は我々の蒸気機関の強力な援助を受けたが,

この蒸気機関は,我々が莫大な量の外国の生産物と外国の労働とを支配することを

可能にした.しかし,もし我々がわが国の綿製品,毛織物および金属製品を輸出す

ることができなかったとするならば,蒸気機関の効力はどんなに弱められたことで

あろうか.」(1st ed., p.409)

 すなわち,戦争中に,「綿製品,毛織物および金属製品」を生産する産業では,

蒸気機関が採用されたことによって,生産費が低下するとともに生産量も増

大していった.その結果,これらの商品の輸出も増大することになり,イギ

リスは「莫大な量の外国の生産物と外国の労働とを支配する」ことが可能に

なったというのである14).

 したがってマルサスは,戦争中の蒸気機関の採用―そしてこれはイギリ

スにおける産業革命の進展を反映している―が,製造業の生産性を上昇さ

せ,生産費を低下させ,生産量を増大させ,輸出を増大させることになった

と考えているのであった.

 それでは,戦争中の外国貿易の拡大について,マルサスはどのように考えて

いるのであろうか.『原理』初版第 7章第 8節の中で,次のように述べられている.

   「わが国で,1793年から 1814年にかけて,国内および国外の労働か地金かで測っ

14) 柳田氏は,マルサスが機械化を「偶然的な諸事情」として受け取っていたように思われると述べられている.柳田芳伸(1998)157ページ,を参照.

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

た生産物の交換価値の全体が毎年著しく増大したことは,ほとんど疑いえない.こ

の価値ならびに富の増大において,ほとんど反対意見なしに,わが国の外国貿易の

拡大が最も強力な要因であると考えられている.」(1st ed., p.459)

 すなわち,ナポレオン戦争中の経済発展の原因として,外国貿易の拡大が

最も重視されていたことになる.そして,他の箇所でマルサスは,ナポレオ

ン戦争終了後は「平和がわが国の通商に対する制限の多くを取り除いた」(1st

ed., p.496)時期であったのに対して,ナポレオン戦争中は「わが国の通商に普

通以上の制限」(ibid.)があった時期であるにもかかわらず,そのような輸出

の増大が実現されたと述べている15).したがって,戦争中の生産性の増大は,

通商上の制限があるにもかかわらず,輸出の増大を可能にさせたことになる.

 これまで,戦争中の農業,商工業と貿易の状態について,マルサスがどのよ

うに見ていたかを検討してきたが,特徴的であったのは,どの場合にも生産性

の上昇が重視されていたということである16).そして,それによってもたらさ

れたイギリス経済の繁栄が,戦争の遂行を可能にしたとマルサスは考えていた.

 『原理』初版の第 7章第 10節「1815年以来の労働階級の困窮への,前の諸

原理のあるものの適用,ならびに概観」の中で,「そのような戦争から平和へ

の移行によって引き起こされた,消費と需要の一般的減少」(1st ed., p.499)が

当時の不況の原因であると述べた箇所で,次のように述べられている.

15) ホランダーは,マルサスによるナポレオン戦争中の経済発展の原因について説明の内で,外国貿易の伸びを重視している.Cf., Hollander(1997)p.588.なお,ホランダーは,それ以外の原因として,財産の分配が変化して中流階級の大きな集団が形成されたこと,そして政府の借り入れによる戦時金融,を挙げている.Cf., Hollander(1997)pp.590-591.また,ナポレオン戦争中のイギリスの貿易構造とマルサスの貿易論については,柳田芳伸(1998)第 6章,を参照されたい.

16) マルサスは第 7章第 6節「富の継続的増大を保証するために,生産力と分配手段とを結合する必要について」の中で,次のように言っている.「私はすでに,農業および製造業の両者における労働の節約と熟練の増大とは,一国をして,利潤の減少をもたらすことなしにその耕作をより劣等地にまで押しすすめることを可能にし,そしてその製造品に対する市場を広汎に拡張することを可能にすることによって,全体の交換価値を増大させる傾向を持っているに違いないことを,示したのである.そして,この国において,それらが,過去 30年または 40年間に起こった国富の価値の急速な,そして驚くべき増大の主な源泉であったに違いないことについて,疑うことはできない.」(1st ed., p.422)

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第 60巻 第 4号

   ナポレオン戦争後の「平和がこうも著しく困窮と結びついているようにみえる時

期がかつて起こったということは,きわめて不幸な事情であると私は考えざるをえ

ない.しかし対照(the contrast)がこのように著しいのは,今度の戦争にともなう

きわめて特殊な事情によるものであることを,常に想い起こさねばならない.アメ

リカとの戦争や以前の戦争においては,これときわめて違っていた.そして,もし

その努力を支持する同じ能力なしに,すなわち,世界の商業の大部分の支配力と,

かつて知られたことのないほど急速で成功した機械の使用の進歩とがないのに,同

じ努力が企てられたとすれば,我々は戦争の中止のさいに最も心のやすらぎを感ず

る状態にあったであろう.ヒュームおよびアダム・スミスが,国債が当時の額以上

にわずかでも増大すればおそらく破産を招くであろう,と予言したときに,彼らの

誤りのおもな原因は,その後国民が到達すべき生産力の巨大な増大をみることがで

きなかったという,きわめて当然のものであった.1770年にこの国を完全に破滅さ

せたと思われる支出は,1816年にはその巨大な生産力を動員させるために必要なも

の以上にほとんど出るところはないであろう.」(1st ed., pp.501-502)

 この引用文から明らかになる,戦争中のイギリス経済の姿は次のようなも

のであろう.すなわち,イギリスが「世界の商業の大部分の支配力」を持っ

ていたということ,「かつて知られたことのないほど急速で成功した機械の使

用の進歩」がみられたということ,そしてヒュームやスミスの時代には予想

できなかったような「生産力の巨大な増大」がみられた,ということである.

そしてこのようなイギリス経済の拡大が「1770年にこの国を完全に破滅させ

たと思われる支出」を可能にし,長期にわたる戦争とその勝利とを可能にし

たのであった 17).

 したがってマルサスは,戦争中の経済発展は,ヒュームやスミスの時代ま

17) また同じ節の他の箇所では,マルサスは次のように言っている.「ほとんど戦争の全期間を通じて,大きな生産力と,大きな消費および需要の結合とによって,政府による資本の莫大な破壊は回復されてなお余りがあった.このことを疑うのは,1792年と 1813年とにおけるこの国の状態の比較に目を閉じることであろう.」(1st ed., p.493)

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マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

でのものとは別次元のものであり,後に産業革命と呼ばれるような産業構造

の大転換が起きていることを,かなり明確に認識していたのではないかと思

われるのである18).

1. 3 労働者の状態について

 それでは戦争期間中の労働者の状態については,マルサスはどのように考

えていたのであろうか.これまでの農業,商工業と貿易の状態についての説

明によると,戦争期間中これらの産業における労働需要が増大していったの

であるから,賃金が上昇したことが予想されるであろう.『原理』初版の第 4

章第 3節では,近年の人口の増大について次のように述べられている.

   「そしてイングランドおよびアイルランドにおける近年の大きな人口の増大は,一

部分は製造業の一時的な高賃金によって,一部分はジャガイモの使用の増大によっ

て,一部分は賃仕事(task-work)の増大と女子および子供の雇用の増大とによって,

一部分は家族への教区手当の増大によって,そして一部分はおそらく(もっとも,

私は,全国をとればきわめてわずかであると思うけれども)便宜品および奢侈品の

節約によって 19),より大きな分量の食物を獲得する労働者階級の能力によるもので

あった.」(1st ed., pp.260-261)

18) マルサスは,第 7章第 4節「富の継続的増大に対する一刺激と考えられる土地の肥沃度について」の中で,便宜品と奢侈品の生産に従事する人数が農業に従事する人数を上回っているとして,次のように言っている.「ヨーロッパの,そして実際世界の大土地所有国のうちで,イングランドは,1,2の例外を除いて,その耕作をもっとも押しすすめたものと考えられている.そして,その全土壌の自然的性質は肥沃度の比較の等級において決してそれほど高いものではないけれども,世界のいずれの他の農業国におけるよりもより小さな割合の人々が農業に従事し,そしてより大きな割合が便宜品および奢侈品の生産に従事し,または貨幣所得で生活している.異なった国について,都市に住んでいて,農業で雇われていない人々の異なった割合を挙げている,ジュスミルヒ(Susmilch)の計算によると,最高は 7対 3,すなわち地方に居住するのが 7人に対して,都市に居住するのが 3人である.ところが,イングランドにおいては,農業に従事する人の割合は,残りの人口に比べて,2対 3以下である.」(1st ed., pp.380-381)

19) 第 2版では,「そして一部分はおそらく(もっとも,私は,全国をとればきわめてわずかであると思うけれども)便宜品および奢侈品の節約による」という言葉は削除されたが,それ以外は同じである.Cf., 2nd ed., p.190.

(425) 41

第 60巻 第 4号

 これと同様なことは,後の第 5章第 3節の中でも,次のように言われている.

   「問題の場合 20)においては,労働の貨幣賃金は食料品価格の騰貴に比例して騰貴

しないと一般に考えられているけれども,しかも私は,一般に認められている労働

に対する需要と人口のすみやかな増大との両方から,一部分は教区補助とジャガイ

モの利用の拡大とにより,そして一部分は賃仕事と女子および子供の雇用の増大と

により,労働階級は平均して生活必需品に対するより大きな支配力を持つであろう,

と考えざるをえないのである.それゆえに,私は,1793年から 1813年までの利潤

率の増大は,労働者の家族に与えられる農業生産物の分量の減少によるよりは,同

じ数の家族によって得られる農業生産物の額の増大によって生じたものと,考えた

い.21)」(1st ed., pp.323-324)

 マルサスは,どちらの引用文においても,労働者の生活必需品の支配力,

すなわち穀物賃金あるいは実質賃金が上昇したと考えている.その理由とし

て第 4章第 3節からの引用文で挙げられているのは,1)「製造業の一時的な

高賃金」,2)「ジャガイモの使用の増大」,3)「賃仕事の増大と女子および子

供の雇用の増大」,4)「家族への教区手当の増大」,5)「便宜品および奢侈品

の節約」の 5つであった.ただし 5番目の項目については,「全国をとればき

わめてわずかである」として,重視されていなかったから,主要な要因は最

初の 4つということになる.それに対して,第 5章第 3節からの引用文で挙

げられているのは,その 4つの要因の内,2,3,4番目の要因であった.

 したがってこれらの引用文からすると,マルサスは,戦争期間中に労働者

の穀物賃金は増大していったと考えていたことになる.しかし,他の箇所の

議論によると,この賃金の上昇には地域間の格差があると考えられていたよ

20) ここで言う「問題の場合」とは,「労働および資本の両者の生産力の増大」が,「より貧弱な土地を耕作に引き入れるという結果を克服するのに十分な力を持っている」(1st ed., p.323)場合を指している.

21) この文章は,前後の文章と一緒に,第 2版では削除されることになる.Cf., 2nd ed., p.233.

42 (426)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

うである.なぜなら,第 4章第 5節「過去 5世紀間の穀物および労働の価格

に関する以上の概観から推論されるうる結論について」の中で,次のように

述べられていたからである.

   「もし,1814年以前の労働の価格について得られた最近の信頼できる記述によると,

1810年および 1811年における 37州の統計表(returns)を平均すると,日雇労働の

週賃金は 14シリング 6ペンスであり,―これは 1767年,1768年および 1770年の

賃金に比較して,同じ期間中の小麦価格の騰貴に等しい―他方で,イングランド

南部の多くの州および地区において,1810年および 1812年の賃金が,貧民の子弟を

税金で規則的に(regularly)扶養してゆくという有害な制度によって,12シリング,

10シリング,9シリング,そして 7シリング 6ペンスにまで不自然に押さえられて

いたことが知られているとするならば,もしこの制度がイングランドの大部分に普

及しなかったならば,労働の賃金は小麦価格に比例するよりもさらに高く騰貴した

であろうと,結論して正しいであろう.」(1st ed., p.288)

 この引用文の内容は,次のようなものであると思われる.1810年と 11年

のイギリスの労働者の平均賃金は,1767,68,70年の労働者の賃金と比べて

上昇しているが,その率は小麦価格の上昇率と等しかった.したがって,こ

の 2つの時期で,イギリス全体としての労働者の穀物賃金は同じであるとい

うことになる.しかしイングランド南部では,「貧民の子弟を税金で規則的

に扶養してゆくという有害な制度によって」,貨幣賃金が低く抑えられてい

た 22).もしこのような制度がなかったならば,イングランド南部の貨幣賃金

は上昇することになるから,イングランド全体の平均貨幣賃金も上昇するこ

とになるであろう.その結果,貨幣賃金の上昇率は穀物価格の上昇率を上回

ることになり,穀物賃金は上昇することになるというのである.

22) 先の賃金上昇についての議論とあわせて考えると,「教区手当」や「教区補助」は,穀物賃金を上昇させることになるが,「貧民の子弟を税金で規則的に扶養してゆくという有害な制度」は,穀物賃金を低下させることになると,マルサスは考えていたことになる.

(427) 43

第 60巻 第 4号

 そして,イングランド南部が平均賃金を下回っていたのであるから,それを

相殺するためには,平均賃金を上回る地域が存在しなければならないであろ

う.マルサスはその点について,上の引用文に続けて,次のように言っている.

   「そしてこの結論は,スコットランドおよびイングランド北部のある地方で起こっ

たことによって,さらに一層確証されている.これらの地方では,賃金の上昇は実

際に穀物の上昇よりもより大きかった,そして 1814年までの労働者の状態は,租

税―これは厳密な必需品に対する労働者の支配力にはほとんど影響をおよぼさな

かったけれども,その多くはたしかに労働者の便宜品および娯楽品の重い負担となっ

ていた―にもかかわらず,決定的に改善されたという点において,すべての記述

が一致している.」(1st ed., p.288)

 すなわちスコットランドおよびイングランドの北部においては,賃金の上

昇率は穀物価格の上昇率よりも大きかったから,穀物賃金は上昇しており,

労働者の状態は「決定的に改善」しているというのである23).

 したがって,マルサスの考えでは,戦争期間中に農業と製造業の生産が増

大し労働需要は増大していったのであるから,労働者の実質賃金は本来は上

昇するはずであった.しかし,「有害な制度」が存在していたイングランド南

部では賃金が平均より低かったのに対して,スコットランドやイングランド

北部では賃金が平均より高かったのである24).マルサスは,賃金には地域間

の格差が存在していたと考えていたようである.

23) 『人口論』第 5版では,その理由を「労働賃金であるべきもののかなりの部分を教区税から支払う」という慣行が「最も行われることが少なかった」(vol.1, p.373;訳,434ページ)からであると述べられている.

24) この地域の高い賃金が,「悪い制度」がないためなのか,労働需要の増加がイングランド南部に比べて特に大きかったためなのかについては,マルサスは述べていない.

44 (428)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

2 戦争終結時の経済状況について

 この節では,マルサスが戦争終結時 25)の経済状況について,どのように分

析していたかを検討したい.対象として取り上げるのは,『原理』初版第 3章

第 4節「地代を引き下げる傾向のある諸原因」,第 7章第 8節,および第 7章

第 10節における議論である.

 マルサスは第 3章第 4節の中で,「戦争終結時にわが国に起こった事態」(1st

ed., p.179)について,次のように言っている.

   「その時期の穀物価格の下落は,必然的に,耕作者が彼らの土地で同じ分量の労働を

同じ価格で用いることを不可能にさせた.それゆえに,多くの労働者は,不可避的に解

雇されたのである.そして土地は同じ数の人手がなくては同じように耕作されえなかっ

たので,最劣等地はもはや耕されず,多くの農業資本は破壊され,そして地代は一般的

に下落した.ところが土地の賃貸者または所有者のすべての購買力のこの大きな減退は,

当然に,ほかのすべての事業における一般的不振を引き起こした.」(1st ed., pp.179-180)

 このマルサスの説明によると,戦争終結時に起きた穀物価格の下落は,2

つの仕方で,農業に影響を与えたことになる.1つは,穀物価格が下落した

ことによって,すべての耕作地において,これまでと同じ労働者数を雇用す

ることができなくなったことである.その原因としては,貨幣賃金が穀物価

格の低下と同じ率では低下しなかったことが考えられる26).その場合には,

当然利潤率の低下を伴うことになるであろう.

25) マルサスは第 7章第 10節で「戦争の最後の 2年」(1st ed., p.493)に言及しているから,戦争終結時の経済状況としては,1814,5年が対象になるはずであるが,第 7章第 8節では「1815年の収穫から 1816年の収穫にいたる間」(1st ed., p.444)について分析しているので,1816年の収穫が終わるまでを,戦争終結時の期間に含めていたとも考えられる.

26) 中西氏は,マルサスによるナポレオン戦争後の不況の分析において,「貨幣賃金の下方硬直性を重要な構成要素」であると考えられている.中西泰之(1997)214ページ,を参照.なおマルサスの戦後不況の分析については,佐藤有史(2005)261ページ以下,も参照されたい.

(429) 45

第 60巻 第 4号

 そしてもう 1つは,穀物価格の低下により,生産費がその低下した価格を

上回るような劣等地は,耕作から排除されたことである.その結果,耕作か

ら排除された土地ではこれまで得られていた地代が得られず,国全体の地代

総額は減少することになり 27),そこで用いられていた資本も「破壊され」,そ

の土地で雇用されていた労働者も失業することになる.したがって,農業部

門においては,賃金,利潤,地代というすべての所得,先の引用文の言葉で

いうと,「すべての購買力」が減少することになる.そして,マルサスによる

と,このような減少は「ほかのすべての事業」,すなわち商工業や外国貿易の

「一般的不振」を引き起こすことになるというのである28).

 次に,第7章第8節の議論について,検討することにしたい.マルサスは「1815

年の収穫から 1816年の収穫にいたる間」(1st ed., p.444)の経済状況について,

次のように説明している.

   「ほとんど 3分の 1の額に達する原生産物の貨幣価値の下落のあったことが認めら

れている.しかし,もし農業者が,彼の生産物を以前彼がそれを販売した価格の 3

分の 2で販売したならば,彼は,彼が前年と同じ分量の労働を支配し,そして同じ

分量の資本を彼の農場に用いることがまったくできないであろうことは,明らかで

ある.そして,原生産物のこの先行する下落によって大きな程度に引き起こされた,

すべての製造業の生産物における貨幣価格の大きな下落が,後に起こったときには,

製造業者が以前と同じ数の労働者の労働を支配しえないであろうことは,同じく明

らかである.」(1st ed., p.445)

 1815,16年に穀物価格が下落し,その結果,農業者が「前年と同じ分量の

労働を支配し,そして同じ分量の資本を」用いることができなくなったとい

うことに関しては,第 3章第 4節と同じ認識である.そして,上の引用文に

27) 耕作が継続している土地においても,最劣等地と優等地との間の生産性の差が減少することによって,地代額は減少することになるであろう.

28) この点については,棚原正治(1980)72ページ,を参照.

46 (430)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

よると,そのような穀物価格の下落は,製造業の生産物の価格を下落させ 29),

製造業における雇用労働者数を減少させることになったというのである.し

たがって,農業部門と製造業部門の両者で,失業が増大していることになる.

そして第 7章第 8節の議論で特徴的なのは,農業と製造業が不振で,失業が

増大しているにもかかわらず,この時期,財が豊富に存在していたと,マル

サスが考えていたことである.上の引用文に続けて,次のように言われている.

   「潤沢な必需品のまっただ中において,社会のこれら 2つの重要な階級〔農業者と

製造業者〕は,実際にその雇用能力を減少させたであろうが,他方で,固定所得を

持つすべての人々は,労働雇用能力を増大させたであろうが,彼らの需要をそれに

比例して拡張する意志が増大する可能性はほとんどないであろう.そして一般的結

果は,よくある運輸の途絶から生じる生産物の片寄った分配(partial distribution)の

結果に似ている.少しの間は,同じ量のまたはより多量の穀物が生産されうるであ

ろう.しかし,分配は各部門において供給を需要に比例させるようなものではない

から,すべては交換価値において下落し,そして全国についてきわめて決定的な生

産の妨げが経験されるであろう.その結果,もしこれらの必需品が,適当な量の労

働を使用する能力および意志を同時に持っている者の手中にないならば,社会の労

働階級はこの豊かな必需品のまっただ中において解雇されるであろう,という結果

になるのである.」(1st ed., pp.445-446)

 この引用文に,「潤沢な必需品のまっただ中において」とか,「この豊かな

必需品のまっただ中において」という言葉が出てくることからわかるように,

マルサスの考えでは,この時期には豊富な財が市場には存在していたのであ

る.先に見たように,ナポレオン戦争期間中は農業と製造業とは拡大を続け

ていた.そして,1815年に穀物価格が下落するまで,それは続いていたので

29) その原因としては,第 3章第 4節で述べていた,「土地の賃貸者または所有者のすべての購買力のこの大きな減退」(1st ed., p.179)が,考えられていたのではないかと思われる.

(431) 47

第 60巻 第 4号

あるから,市場には豊かに財が存在していたことになる.そして,1815年の

穀物価格の下落は,「すべては交換価値において下落する」という,いわばデ

フレ状況を生み出し,すべての産業における資本を減少させ,失業者を生み

出すことになったのである.そのためマルサスは,当時の状況について,「1815

年の収穫から 1816年の収穫にいたる間に,わが国の労働の維持のための基金

が異常に潤沢であった」にもかかわらず,「一部分は以前と同じ分量の労働を

雇用する能力の欠如により,また一部分はその意志の欠如によって,多数の

人々が解雇された」(1st ed., pp.444-445)と言うのであった 30).

 そして,先の引用文によると,このような状況を打破する鍵は「固定所得

を持つすべての人々 31)」が握っていると,マルサスは考えていたようである.

というのは,固定所得を得ている人は,デフレ状況の下では,所得の実質的な

購買力は増大しているはずであり,また,これまでよりもより多くの商品を購

入したり,より多くの労働者を雇用することができるはずだからである.しか

し,現実にはそのようなことは起こらなかったので,1815,16年には失業が

発生することになったのである.そのためマルサスは,この時期の不況を,「分

配は各部門において供給を需要に比例させるようなもの」ではなかったとして,

「分配上の欠陥(a defective distribution)」(1st ed., p.445)として捉えるのである.

 最後に,第 7章第 10節における議論を検討したい.マルサスは,戦争の最

後の 2年間に起こった「不況(stagnation)」(1st ed., p.493)について,次のよう

に言っている.

   「たしかにそれは,ほぼ 3分の 1と想像されている,土地の原生産物の価値の異

30) 同様なことは,この節の後の箇所で,次のように言われている.1816年の初期には,「大きな供給が不足した需要に出会ったことによる,穀物やその他の商品の突然の豊富と低廉とが,国の所得の価値を著しく減少させたので,それはもはや同じ価格で同じ量の労働を支配することができなくなり,その結果,豊富のまっただ中において,数千また数千と解雇されることになったのである」(1st ed., p.455)と.

31)それでは具体的にはどのような人々なのかであるが,おそらく国債所有者のような人々を考えていたのではないかと思われる.

48 (432)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

常な下落で始まった.この下落が農業者の資本を,そしてさらにそれ以上に,地主

および農業者の両者の収入を,そして他の仕方で土地と関連のあるすべてのものの

収入を,減少させたとき,製造品および外国の生産物を購買する彼らの力は必然的

に大いに減少したのである.国内需要の不足は製造業者の倉庫を売れない財貨で満

たしたが,それはどんな危険を冒してもより多量に輸出するよう彼らを促した.し

かしこの過剰な輸出はすべての外国市場を供給過剰にし,そして商人が正当な収

益(returns)を得るのを妨げたが,一方では,突然かつ異常な通貨の収縮によって

加重された国内収入の減少によって,外国から得られる比較的乏しい収益でさえも

が,きわめて不十分な国内需要を見出したにすぎず,そして商工業者の利潤,した

がって支出は,これに比例して低くなった.こうした不都合な変化が地代および利

潤に起こっている一方で,戦争中に人口に与えられていた有力な刺激は,新しい労

働の供給を盛んに送り続け,そして,召集を解除された陸海軍兵士と,農業者およ

び商人の損失から生ずる需要の不足とに助長されて,一般的に労働の賃金を低減し,

そしてこの国を資本および収入の一般的減少の状態に置いたのである,…….」(1st

ed., pp.493-494)

 戦争の最後の 2年間に原生産物の価格が 3分の 1低下し,農業関係者の購

買力が減退したというところまでは,第 3章第 4節の議論と同じである.そ

して,この第 7章第 10節の議論では,その輸出に与える影響が重視されてい

るのである.すわなち,国内需要の減少による売れ残りを輸出によって解消

しようとして,過剰な輸出が行われた結果,外国市場を供給過剰にして,輸

出価格が低下することになり,「正当な収益」が得られなかったというのであ

る.そしてマルサスは,この「外国から得られる比較的乏しい収益」は,「き

わめて不十分な国内需要を見出したにすぎ」ないと述べている.

 ではこの「外国から得られる比較的乏しい収益」とは,何を意味している

のであろうか.もしそれが外国で商品を販売したことによって得られた貨幣

のことであるならば,それに対して「国内需要」があるかどうかを危惧する

(433) 49

第 60巻 第 4号

必要はないであろう.そうすると,ここで言う「収益」とは,輸出商品に対

する見返りとして輸入される商品 32)のことを指しているのではないかと思わ

れる33).そしてマルサスは,輸出価格の低下によって,それとの見返りに購

入できる外国商品の量が減少したのみならず,それを国内に持ってきたさい

に,国内の購買力が減少しているために,十分な市場を見出すことができず,

輸入された外国商品の価格が以前より低下することによって,商人はいわば

2重に損失を被ることになると,考えていたのではないかと思われる.したがっ

て,国内で過剰になった商品を輸出することは,何の救済策にもならず,商

工業者の利潤を低下させることになるだけであった.

 そしてマルサスによると,戦争中の人口に与えられた刺激の結果として人

口増加が続いている上に,戦争の終了によって兵士が除隊して新たに労働市

場に加わるので,「農業者および商人の損失から生ずる需要の不足」によって

生じた労働供給の過剰をさらに悪化させることになり,賃金が低下していく

ことになる.したがって,すべての産業における資本は減少し,賃金,利潤,

地代というすべての所得も減少していくことになるのであった.

 これまで『原理』初版第 3章第 4節および,第 7章第 8節と第 10節におけ

る,1814,15年の経済状況についてのマルサスの議論を検討してきた.そこ

で明らかになったように,当時必需品は潤沢にあったが,3分の 1に達する

32) なおマルサスは,他の箇所では,「収益」の具体例として,「コーヒー,藍(indigo),砂糖,茶,絹製品,タバコ,ブドウ酒,および綿花」(1st ed., p.407)を列挙している.

33) マルサスは 1827年に出版された『経済学における諸定義』の中で,リカードウの外国貿易論を批判して,次のように言っている.「もしも輸入外国商品の価値が,これを輸入するために送り出される諸商品に投じられた労働の分量によって計られることとなれば,その収益(the returns)が何であろうと,それらの価値が増加しえないことはまったく真実である.しかし,もしもその輸入外国商品の価値がいままで計られた方法で,すなわち貨幣なり,労働なり,その外国商品が国内にもち込まれたときに支配する多数の商品なりで計られるなら,関連した商人たちに莫大な利潤をもたらす有利な冒険の直接の

4 4 4

結果がこの国の価値額を増加させることとなるだろうことは,間違いないことである.出費(the outgoing)の価値と比較しての収益の価値は,この特別の取引においては通常よりも一層大きくなるであろう.」(Definitions, p.21;訳,33ページ)

   なお玉野井氏は,文章の意味から,「収益」を「帰港商品」,「出費」を「積出商品」と訳されている.したがって,玉野井氏も,この「収益」とは,輸出商品に対する見返りとして輸入される商品を指していると,解釈されているように思われる.

50 (434)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

穀物価格の下落をきっかけとして農業部門の不況が起こり,それが国内の購

買力を減少させ,輸出を含めた商工業部門も不況に陥り,すべての階級の所

得は減少し,深刻な不況が起きているのであった.

 ところで,マルサスによると,このような状況は,「貧しい状態から進歩的

運動(progressive movement)を再開」する契機もはらんでいたという.マルサ

スは,先に引用した第 3章第 4節の文章に続けて,次のように言っている.

   「その間に,耕作者の貧困と結びついた労働者の競争による労働の価格の下落,お

よび以前の地代を支払う能力の欠如と意志の欠如との両者による地代の下落は,次

第に,商品の価格,労働の賃金,および土地の地代を,いずれも以前よりは低かっ

たが,ほとんどそれらの以前の比例に回復させた.耕作を放棄された土地は,その

さい再び有利に耕作されるかもしれない.しかし,貨幣がより低い価値からより高

い価値へ進行するときには,生産物の減少,資本の減少,および地代の減少という

一時期が経過したことであろう.国は貧しい状態から進歩的運動を再開するであろ

う.」(1st ed., p.180)

 すなわち,穀物価格の下落をきっかけに始まった不況の進展は,「生産物の減少,

資本の減少,および地代の減少」をもたらしたが,その過程が一巡すると,絶対

的な水準は低いが,「商品の価格,労働の賃金,および土地の地代」は「以前の比例」

を回復し,耕作が放棄された土地で再び耕作が行われることになり 34),経済が

自立的な発展を始めるというのである.そしてマルサスは,この過程を「進歩的

運動」と呼ぶのであった.

 この「進歩的運動」については,第 7章第 8節においても,次のように言

34) ただしこの過程も,必ずしも楽なものではないとして,先の引用文に続けて,マルサスは次のように言っている.「そして,穀物価値が,税金が課せられている商品,外国産の商品,および農業者の資本と労働者の必需品と便宜品との一部分を構成するその他の商品よりも,より大きく下落するために,耕作の永続的な困難は,そのとき現実に耕作されている最悪の土壌の自然的肥沃度に比べて,大きいであろう.」(1st ed., p.180)

(435) 51

第 60巻 第 4号

われている.

   「〔労働者が数千また数千と解雇されたことは,〕労働の貨幣賃金の下落の,きわめ

て苦痛な,しかしほとんど避けがたい予備段階であり,それのみが,国の一般的な

所得で以前と同じ数の労働者を雇用することを可能にすることができ,富の増大に

対する著しい妨げの時期の後に,進歩的運動を再開することを可能にすることがで

きることは,明らかである.35)」(1st ed., p.455)

 すなわち,戦後の不況によって失業者が生まれ,貨幣賃金が低下すると,

減少した「一般的所得」でもっても雇用者を増大させることが可能になり,「進

歩的運動を再開すること」が可能になり,再び経済が拡大していくことにな

るというのである.

 したがって,戦争終結時の経済状況の分析から,マルサスは,穀物価格の下落

から深刻な不況になったと認識しているが,しかしそのような不況の進展の中で,

経済が上向きに転じる契機も生まれつつあることを指摘しているのであった.

 そして,現実のイギリス経済は,1816年初頭から穀物価格が上昇し始め,

また 1816年末には多くの消費財の価格が上昇し始めることによって,景気は

回復し始めるのである.しかしこのような状態も,1818年までしか続かず,

1819年からは再び不況の局面に入っていくのであった 36).したがって,『原理』

初版が出版された 1820年には,イギリス経済は不況のまっただ中にいたこと

になる.そしてマルサスは,なぜ初版が出版される時期になっても不況から

脱出できないのかを,検討するのであった.

3 戦争終了後の経済状況について

 この節では,第 7章第 10節を中心にして,『原理』初版が出版された頃の

35) この引用文は,本稿の脚注 30で引用した文章にすぐ続く文章である.36) この時期の経済状況の変化については,Thomas Tooke(1838)pp.23-30(藤塚知義訳,26-30ページ),渡会勝義(1989),を参照されたい.

52 (436)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

経済状況について,マルサスがどのように考えていたかを検討したい.

 マルサスはこの節の最初の箇所で,「資本が人口に比較して不足している(the

capital is deficient compared with the population)37)ということを認めることと,そ

れが,それに対する需要と,そしてそれによって生産される商品に対する需

要とに比較して,不足しているということを認めることとは,きわめて違っ

たことである」(1st ed., p.490)と主張する.そして,「わが国の現在の状態は

どちらに最も類似しているのか.たしかに後者である」(1st ed., p.493)として,

戦争中と戦争の最後の 2年間との経済状況について述べた後,戦争後の 4,5

年間の経済状況について,次のように言っている.

   「戦争後の 4,5年間は,国民生産物の分配の変化と,それによって引き起こされ

た消費および需要の不足のために,生産に対して決定的な妨げが与えられ,そして

人口は,その以前の刺激のために,単に労働に対する需要よりもよりすみやかに増

大しただけでなく,さらに現実の生産物よりもよりすみやかに増加した.しかもこ

の生産物は,人口に比較し,また過去に比較して決定的に不足であったけれども,

それに対する有効需要およびそれを購買すべき収入と比較すれば過剰である.労働

は安価であるけれども,その全部を使用する能力もなければ意志もない.なぜなら,

単に国の資本が労働者の数に比較して減少しただけでなく,国の収入が減少したた

めに,それらの労働者が生産する商品は,減少した資本にかなりの利潤を保証する

ほどには要求されていないからである.」(1st ed., pp.494-495)

 先に見たように,マルサスは,戦争終結時について,「潤沢な必需品のまっ

ただ中において」(1st ed., p.445)不況が発生したと考えていた.それに対して,

この戦後の 4,5年間については,「生産物は,人口に比較しまた過去に比較

して決定的に不足」していると考えているのであった.戦争中に急速に資本

37) この箇所を小林訳では,「人口が資本に比較して不足している」(小林訳,下,356ページ)と訳されている.また,吉田訳でも同様に訳されている.吉田訳,下,378ページを参照.

(437) 53

第 60巻 第 4号

が増大したために,戦争終了時にはまだその資本が残っていたので,「潤沢な

必需品」が生産されていたと思われる.しかし,戦争終結時の不況によって

資本が破壊されたために,資本が不足し,生産も不足するようになっている

というのである.しかし,それにもかかわらず,相変わらず生産物が「有効

需要およびそれを購買すべき収入と比較しては過剰」な状態が継続している

のであった.したがって,戦争終結時の不況と,戦後の 4,5年間の不況とで

は,状況が違ってきているのである.

 そして,「人口は,その以前の刺激のために,単に労働に対する需要よりも

よりすみやかに増大しただけでなく,さらに現実の生産物よりもよりすみや

かに増加した」ために,労働者の困窮は,戦争終結時に比べても,より深まっ

ていることが予想されるのである.戦争終結時には穀物価格の下落をきっか

けとして不況が始まったのであるが,それからすでに 4,5年が経過している

のに,なぜこの時期になっても,不況が継続することになったのであろうか.

その理由を,先の引用文では,「国民生産物の分配の変化と,それによって引

き起こされた消費および需要の不足」に求めているように思われる.それでは,

なぜ「国民生産物の分配の変化」が「消費および需要の不足」を引き起こし,

不況を継続させることになったのであろうか.

 マルサスは,当時の不況の原因が,戦争から平和への移行により,資本を

過剰な用途から不足している用途へ移転するために,時間がかかるからであ

るという主張に対して 38),「この移転は,戦争以来,今経過しているほどの

時間を必要としていると,私は信じることができない」し,過剰な資本を吸

収するような「資本不足の用途がどこにあるのか」(1st ed., p.499)と述べた後,

次のように述べている.

   「そして,もし問題の〔戦争から平和への〕移行が,何が起こったかを説明するの

38) これは当然,リカードウを念頭に置いているものと思われる.なお,リカードウの戦後不況に対する考えについては,羽鳥卓也(1963)210-220ページ,を参照.

54 (438)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

であれば,それは,資本移動の困難から起きる結果以外の,ある他の結果を生み出

していたはずである.私は,これは,消費および需要の総額の大きな減少であると

思う.取引経路(the channels of trade)の必要な変化は 1,2年で起こってくるであ

ろう.しかし,こうした戦争から平和への移行によって引き起こされる,消費と需

要の一般的減少は,かなり長い間続くであろう.還付される租税と,戦争中には税

収(revenue)としてきわめて多くが使用された,支出を超える個人の報酬(gains)

の超過とは,今はその一部分が,そしておそらく少なからぬ部分が,貯蓄されている.

…….この貯蓄はまったく自然でそして正当なものであり,そして租税廃止に反対

する正当な議論をなすものではない.しかしなおそれは,戦争以来の商品の供給に

比較して,それに対する需要の減少の原因を説明するのに役立つ.もし主な政府関

係者のあるものが,彼らが徴収した租税を,その現在の所有者よりも,労働と商品

に対して,特に前者に対して,より大きなそしてより確実な需要を作り出すように

支出したとするならば,そしてもしこの支出の違いがある期間続く性質のものであ

るならば,戦争から平和への移行から生じる影響が継続するのに驚くことはなかっ

たのである.」(1st ed., pp.499-500)

 この引用文によると,マルサスは当時の不況の原因を,戦争から平和への

移行に伴って,「消費および需要の総額の大きな減少」があったからだと主張

していた 39).そして,そのような減少が起きた原因としては,「還付される

租税と,戦争中には税収としてきわめて多くが使用された,支出を越える個

人の利得の超過とは,今はその一部分が,そしておそらく少なからぬ部分が,

貯蓄されている」ことを挙げている.そして,もし戦争終了後においても,

その貯蓄された部分が,政府関係者によって租税として徴収され支出されて

いたならば,「戦争から平和への移行から生じる影響が継続する」ことはなかっ

たと,すなわち現在まで不況が長期化することはなかったと,主張するので

39) 渡会氏はこの引用文から,「このようにマルサスは,戦後不況の原因を戦争の終結に伴う突然の貯蓄の増加,すなわち不生産的労働者の生産的労働者への転化に求めた」と述べられている.渡会勝義(1993)133ページ,を参照.

(439) 55

第 60巻 第 4号

あった 40).

 これと同様な考えは,第 10節の後の箇所でも,次のように言われている.

   「もし国が富裕で,大きな消費の刺激によってさらに一層呼び起こされるであろう

偉大な生産力を持っているのならば,国に課せられた重税をその収入から支払うこ

とが可能であり,しかも適当な蓄積の手段を見出しうるであろう.しかしもしこの

過程がある期間続き,そして人々の習慣がこの程度の公的な支出と私的な支出とに

適応したならば,戦争が終わって多額の租税がその納付者にただちに還付されると

きには,生産物と消費との正しい均衡がまったく破壊され,そして,事情に応じて

長いか短いかはあるが,きわめて大きな沈滞が生産的勤労のあらゆる部分に意識さ

れる一時期が続いて生じ,その普通の随伴物である一般的困窮をともなうであろう

ことを,疑うことはほとんど不可能である.租税の賦課によって引き起こされる害

悪は,それを廃止することによって相殺されることはきわめてまれである.我々は

絶えず次のことを覚えておかねばならない,すなわち,個人の支出する傾向は,怠

惰の愛好と,彼らの境遇を改善しそして家族を養うための貯蓄の願望とのうちに,

最も恐るべき対立物を持っていることと,そして,人類は彼らが生産しかつ消費す

る能力を持っているだけ常に生産しかつ消費するという仮定に基づくすべての理論

は,人間の性質と人間が一般に影響される動機とについての,知識の欠如に基礎を

置いていることとである.」(1st ed., pp.502-503)

 この引用文においても,「戦争が終わって多額の租税がその納付者にただち

に還付」されたことによって,「生産物と消費との正しい均衡がまったく破壊

され」たことが,当時の不況の原因として指摘されているのであった.そして,

個人に還付された税金が支出に回されることがない理由として,「怠惰の愛好」

40) なお,ホランダーは,この引用文について次のように言っている.戦争の終了にともなう「政府支出の中止による総需要の下落を強調し,新しい状況による退蔵の役割

4 4 4 4 4

を広く立証している.」Cf., Hollander(1997)p.609.したがって,ホランダーは,この引用文中における「貯蓄」は,投資されるのではなく退蔵されると考えていることになる.

56 (440)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

と「貯蓄の願望」とが指摘されている41).したがって,還付された租税は,「怠

惰の愛好」と「貯蓄の願望」とから支出されることはなく,その額だけ需要

を減少させることになり,生産過剰が引き起こされて,戦争後の 4,5年間に

亘って不況を継続させることになったというのである 42).

 それでは,戦争の終了によって,どれくらいの租税が国民から免除されること

になったのであろうか.マルサスは同じ節の他の箇所で,次のように言っている.

   「わが国の最も貧弱な土地の若干の耕作が放棄されて以来,平和がわが国の通商に

対する制限の多くを取り除き,そしてわが国の穀物法にもかかわらず,我々が多量

の穀物を輸入して以来,そして 1,700万ポンドの租税が人々から免除されて以来,我々

はその重圧にほとんど耐ええないほどの困窮を経験しているのである.」(1st ed.,

p.496)

 したがってマルサスは,戦争の終了によって,1,700万ポンドの租税が国民

に還付されたと考えていたことになる 43).ではこの額は,当時のイギリスの

経済状況を考えた場合,どれくらいの規模のものなのであろうか.マルサスは,

第 7章第 5節で機械の発明が外国貿易に与える影響を論じた箇所で,輸出額

と輸入額とについて,次のような数字を挙げている.

41) 「怠惰または安易の愛好」という「重要な人間性の原理」(1st ed., p.358)については,第 7章第 3節「富の増大に対する刺激と考えられる蓄積,あるいは資本に付け加えるための収入からの貯蓄について」で述べられていた.Cf.,1st ed., pp.358-359.

42) ホランダーはこのマルサスの文章を引用した後,それに付けられた脚注の中で,次のように言っている.「ここでは,しばしばそうであるように,言及された過剰貯蓄が(維持できない)投資と関係するのか,あるいは支出の流れからの漏れに関係するのかについて,ある曖昧さがある.」Cf., Hollander(1997)p.627, note 52.

   また渡会氏はこの引用文の前半を引用されて,「マルサスは,ナポレオン戦争後の不況の根本原因を戦時中の重税の突然の廃止による人々の可処分所得の増加から来る貯蓄(=投資)の増加によって引き起こされる『生産と消費の正しいバランス』の崩壊に求めている」と述べられている.渡会勝義(1989)24ページ,を参照.

43) 柳田氏はこの 1,700万ポンドの内訳について,「一八一六年の所得税(property tax)ならびに戦時麦芽税の廃止による約一六七〇万ポンドの減収」によるものとされている.柳田芳伸(1998)132ページ,を参照.

(441) 57

第 60巻 第 4号

   「1818年 1月 5日に終わる年度の記述で,それに機械が用いられている 3つの物品

―綿製品,羊毛製品およびハガネ製品などを含む金属製品―の輸出だけで,2,900

万ポンド以上と評価されているように思われる.そして同じ年度の最も主要な輸入

品目のうち,コーヒー,藍,砂糖,茶,絹製品,タバコ,ブドウ酒,および綿花は,

その価値においてすべて合わせて,3,000万ポンドのうち 1,800万ポンド以上になる

のを,我々は見出すのである.」(1st ed., p.407)

 そうすると,戦争の終了によって国民に還付された 1,700万ポンドの租税額は,

綿製品,羊毛製品および金属製品という主要な輸出品の合計額の 59%にあたり,

またコーヒー,藍,砂糖,茶,絹製品,タバコ,ブドウ酒,および綿花という

主要な輸入品目の合計額の 94%にあたるのである.そしてマルサスは,このよ

うな莫大な金額が,税金として人々から徴収されて政府によって戦費として支

出されないで,人々の手元に残り貯蓄されたことによって,「消費と需要の一般

的減少」が起きたことが,当時の不況の原因であると考えているのであった 44).

 また,第 7章第 9節では,国内需要の減少した要因として,戦争が終了した

ことによる,国債の減少が挙げられている.マルサスは,次のように言っている.

   「ところで,問題は,わが国が,疑いもなく持っている偉大な生産力の実状において,

ここで想像した場合 45)とやや類似していないかどうか,また,国債の利子で生活す

る人々のような一団の不生産的消費者 46)なしには,同じような刺激が生産に与えら

44) ただしマルサスは,課税によって需要が維持されることを無条件に認めていたのではない.第 7章第 9節「全生産物の交換価値を増大する手段と考えられる,不生産的消費者によって引き起こされる分配について」で,マルサスは次のように言っている.「しかし,課税はあらゆる方法で乱用されがちな刺激であり,そして私有財産を神聖なものと考えることは社会の一般的利益のために絶対に必要であるから,人は一般的福祉のために,富の違った分配をなす手段を政府に頼るのには極度に注意深くなければならない.」(1st ed., p.481)

45) 「ここで想像した場合」というのは,「豊かな生産物のより好都合な分配が行われるとするならば」(1st ed., p.482),「仮定された生産力は社会に莫大な利益をもたらすであろう」(1st ed., p.483)ということを指している.

46) 小林訳では,「不生産的消費者」は「不生産的労働者」(小林訳,下,349ページ)と訳されている.また,吉田訳でも同様に訳されている.吉田訳,下,372ページを参照.

58 (442)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

れ,また同じような生産力が動員されたであろうかどうか,ということである.わ

が国で今行われている現実の土地財産の分割のもとにおいては,国債所有者が受け

取りかつ支出する所得が,それが地主に回収されるよりも,多量の製造品に対する

需要にとってより好都合であり,そして社会の幸福と知力とを増大する傾向がはる

かにより多いことに,私はなんの疑いも感じないのである.47)」(1st ed., pp.483-484)

 マルサスは,地主が行う消費によってもたらされる需要について,第 9節

の他の箇所で,次のように言っている.すなわち,「ヨーロッパの大部分の国

で現実に行われている土地の分割の下においては,生産者の需要に加えられ

た地主の需要は,必ずしも,資本の使用における困難を妨げるのに十分とは

限らない」(1st ed., p.475)と.したがって,現在の土地の財産の分割を前提に

した場合,土地から得られる地代は,生産物に対する十分な需要を生み出す

には不十分だったのである.

 そして,先の引用文からすると,当時のイギリスの経済状態について,マル

サスが次のように考えていたのではないかと思われる.すなわち,戦争中には

国債が発行され,それに対する利子が「国債の利子で生活する人々のような一

団の不生産的消費者」に支払われることによって,地主から国債所有者への所

得の移転が行われ,彼らによって支出されていた 48).そして,この場合には,

それを地主が得ていた場合よりも,支出は増大することになったのである 49).

ところが,戦争が終了すると,国債額が減少したため,国債所有者への利子の

支払いが減少することになる.そのため,国民から徴収する税金の額も減少し,

地主から徴収される税金の額も減少するので,地主の手元に残る実質所得が増

加することになる.しかし,地主は不生産的消費者と同じだけの支出を行わな

47) この文章を含む前後のパラグラフは,第 2版では削除された.Cf., 2nd ed., p.327.48) したがって,マルサスは,国債の利子の支払いには,主として地主にかけられた税金があてられていたと考えていたことになる.

49) したがって平均消費性向は,不生産的消費者の方が地主よりも高いと想定されていることになる.

(443) 59

第 60巻 第 4号

いので,生産物に対する需要額は減少することになるのである 50).

 したがって,マルサスは,これまで見てきたように,『原理』初版の議論で

は,戦争が終わってすでに 4,5年が経過しているのに,なお不況が継続して

いる原因は,戦争が終了し,租税が国民に還付されたことと,国債の減少によっ

て利子の支払いが減少し,国債所有者から地主に購買力が移転されたことと

によって,「消費および需要の総額の大きな減少」がもたらされたことにある

と,考えていたのであった.

お わ り に

 これまで『原理』初版における現状分析について検討してきたが,そこか

ら明らかになったマルサスの分析の特色を箇条書き的に列挙すると,次のよ

うになるであろう.1,ナポレオン戦争中と,戦争の最後の 2年間については,

農業の変動が経済に対して大きな影響を持ったと考えられていた.2,戦争中

の農業と製造業とにおける技術進歩が強調されていた.3,戦争の最後の 2年

は,穀物価格の下落をきっかけとして,深刻な不況が引き起こされた.4,そ

のような不況は,しばらくすると「進歩的運動を再開」することを可能にす

るはずであったが,そのようにはならなかった.5,戦後の 4,5年について

の説明では,農業の変動は重視されていなかった.6,戦後の不況が継続した

原因としては,戦争の終了による課税額の減少(税金の減少と国債の減少とによ

る),その結果としての消費の減少が強調されていた.

 それでは,このような特色をどのように評価するのかが,次の問題になって

くるであろう.そのためには,当然『原理』初版出版以降の資料において,マ

ルサスがどのような経済分析を行っていたかを検討することが必要であろう.

50) ただしマルサスは,課税の場合と同様に,過大な国債の発行が常に好ましいと考えていたわけではなかった.マルサスは,本文で引用した文に続けて,次のように言っている.「しかしながら,私は過大な国債の害悪を決して感じないわけではない.多くの点において,それは有用な分配の手段ではあろうけれども,それは極めてやっかいでかつ極めて危険な手段であると認めないわけにいかない.」(1st ed., p.484)

60 (444)

マルサス『経済学原理』初版における現状分析について(横山照樹)

 また,さらに,このような初版における現状分析を評価するためには,マ

ルサスの経済理論の内容そのものを検討する必要もあるであろう.たとえば,

周知のように,マルサスは『原理』初版の第 1章第 2節で,「現代の経済学者

は誰一人として,貯蓄をもって単なる退蔵を意味するものとはなしえない」(1st

ed., p.32)と言っていたが,このような主張と,先に分析の特色としてあげた

6番目のものとは,どのような関連にあるのであろうか.

 これらの点を検討するのが,今後の筆者の課題である.

【参考文献】

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Malt hus, T. R., (1806) An Essay on the Principles of Population; or A View of its Past and

Present Effects on Human Happiness; With an Inquiry into our Prospects Respecting the

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Malt hus, T. R., (1817) An Essay on the Principles of Population; or A View of its Past and

Present Effects on Human Happiness; With an Inquiry into our Prospects Respecting the

Future Removal or Mitigation on the Evils which it Occasions, 5th ed. 引用は,Patricia

James編の Variorum Edition, Cambrige University Press, 1989, より行う.訳文につ

いては,第 5版は第 6版とほとんど同じなので,大淵寛,森岡仁,吉田忠雄,水森

朝夫訳『マルサス 人口の原理[第 6版]』中央大学出版部,1985年,より引用する.

引用ページの指示は,原書の巻数とページ,翻訳書のページを,(vol.1,p.373;訳,

(445) 61

第 60巻 第 4号

434ページのように記す.)

Malt hus, T. R., (1826) An Essay on the Principles of Population; or A View of its Past and

Present Effects on Human Happiness; With an Inquiry into our Prospects Respecting the

Future Removal or Mitigation on the Evils which it Occasions, 6th ed.

Malt hus, T. R., (1820) Principles of Political Economy Considered with a View to Their Practical

Application, 1st ed.(吉田秀夫訳『経済学原理』(上)(下),岩波文庫,1944,小林時

三郎訳『経済学原理』(上)(下),岩波文庫,1968,鈴木鴻一郎訳『デイヴィド・リカー

ドウ全集 第Ⅱ巻 マルサス経済学原理評注』雄松堂書店,1971.)引用ページの指示

は,Variorum Edition, Cambridge University Press, Vol.1, 1989, のページ数を引用文の

後に,(1st ed., p.13)のように記す.この第 1巻は,『原理』初版のリプリントになっ

ている.訳文については翻訳書を参照したが,必ずしもそれに従わなかった.なお

引用文中における傍点は,本文がイタリックの箇所である.以下同様.

Malt hus, T. R., (1827) Definitions in Political Economy.(玉野井芳郎訳『経済学における諸定義』

岩波文庫,1950.)引用は,The Works of Thomas Robert Malthus, Vol.8, William Pickering,

1986, より行う.引用ページの指示は,原書と翻訳書のページ数を(Definitions, p.21;

   訳,33ページ)のように記す.訳文については翻訳書を参照したが,必ずしもそれ

に従わなかった.

Malt hus, T. R., (1836) Principles of Political Economy Considered with a View to Their Practical

Application, 2nd ed.第 2版からの引用ページの指示は,The Works of Thomas Robert

Malthus, Vol.5 & 6, William Pickering, 1986,のページ数を(2nd ed., p.13)のように

記す.

Took e, Thomas, (1838) A History of Prices, and of the State of the Circulation, from 1793 to

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62 (446)

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渡会 勝義,(1989)「マルサスのナポレオン戦後不況の分析」『経済研究』(明治学院大学)

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横山照樹,(1998)『初期マルサス経済学の研究』有斐閣.

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(よこやま てるき・同志社大学経済学部)

(447) 63

第 60巻 第 4号

The Doshisha University Economic Review Vol.60 No.4

Abstract

Teruki YOKOYAMA, An Examination of the Analysis of Economic Conditions by

Malthus in the First Edition of his Principles of Political Economy

  The first edition of Malthus’ Principles of Political Economy was published

in 1820. In the Introduction of this book, he stated, “One of the specific objects

of the present work is to prepare the general rules of political economy for

practical application, by a frequent reference to experience, and by taking as

comprehensive a view as I can of all the causes that concur in the production of

particular phenomena” (Principles, 1st ed., p.21). Thus, for Malthus, to understand

the “experience” and “particular phenomena” was very important. In this paper,

I consider the analysis of economic conditions by Malthus in his book and explain

the features of his economic analysis.

64 (448)