アメリカにおける国教樹立禁止条項に 関する違憲審 …...6 Agostini v. Felton...

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アメリカにおける国教樹立禁止条項に 関する違憲審査基準の展開 ! 問題の所在 " レモン・テストとその修正・再定式 初期のレモン・テスト 歴史的慣行 エンドースメント・テスト 強制テスト 中立性のアプローチ Agostini v. Felton 小括 # 十戒をめぐる2005年の2判決 McCreary County v. ACLU of Kentucky Van Orden v. Perry 裁判官の意見の分布 レモン・テストは? 判断の分岐点 2つの判決から読み取れること $ むすびにかえて ! 問題の所在 日本国憲法は,20条1項後段および同条3項で,政教分離を規定する。 憲法学説によると,この規定は「国家と宗教とを厳格に分離し,相互に干 1)芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法〔第4版〕』(岩波書店,2007年)152頁。 23

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アメリカにおける国教樹立禁止条項に

関する違憲審査基準の展開

榎 透

� 問題の所在

� レモン・テストとその修正・再定式

1 初期のレモン・テスト

2 歴史的慣行

3 エンドースメント・テスト

4 強制テスト

5 中立性のアプローチ

6 Agostini v. Felton

7 小括

� 十戒をめぐる2005年の2判決

1 McCreary County v. ACLU of Kentucky

2 Van Orden v. Perry

3 裁判官の意見の分布

4 レモン・テストは?

5 判断の分岐点

6 2つの判決から読み取れること

� むすびにかえて

� 問題の所在

日本国憲法は,20条1項後段および同条3項で,政教分離を規定する。

憲法学説によると,この規定は「国家と宗教とを厳格に分離し,相互に干

1)芦部信喜[高橋和之補訂]『憲法〔第4版〕』(岩波書店,2007年)152頁。

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渉しないことを主義とするアメリカ型」に属し,政教の厳格分離を定めた

ものと理解されている1)。このような規定が存在しても,現実にはしばし

ば,政教分離をめぐる問題2)が生じており,国家と宗教を分離する際にど

こで線を引くのか,また,どのような基準で線を引くのかについて,大き

な議論になることもある。

この線引きについては,周知のように,日本の裁判所は目的・効果基準

を使用してきた。最高裁判所は,津地鎮祭訴訟判決3)において,憲法20条

3項の禁止する宗教的活動とは,「およそ国及びその機関の活動で宗教と

のかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく,そのかかわり合

いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつ

て,当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,

助長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうものと解すべきであ

る」と説明する。この目的・効果基準によれば,国の行為の目的が宗教的

意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進または圧迫,干渉

になるような行為である場合に,国の行為は政教分離規定違反になる4)。

そして,この基準は,津地鎮祭訴訟判決以後も,政教分離をめぐる裁判で

使われてきた5)。

この目的・効果基準は,アメリカのレモン・テストを参照しているとい

2)例えば,内閣総理大臣の靖国神社公式参拝や,地方公共団体やその首長による神

社への公金支出などを想起されたい。

3)最大判1977年7月13日民集31巻4号533頁。

4)最高裁の示した目的・効果基準によって,国の行為が合憲と判断されるためには,

目的・効果のいずれか一方の要件を満たせばよいのか,あるいは両方の要件を満た

さなければいけないのかが,不明である。戸松秀典・長谷部恭男・横田耕一「<鼎

談>愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決をめぐって」ジュリスト1114号(1997年)11―

12頁を参照。

5)例えば,自衛官合祀拒否訴訟(最大判1988年6月1日民集42巻5号277頁),箕面

忠魂碑訴訟(最判1993年2月16日民集47巻3号1687頁),愛媛玉串料訴訟(最大判

1997年4月2日民集51巻4号1673頁)。

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われる。レモン・テストとは,アメリカの国教樹立禁止条項(修正第1条)

をめぐる裁判で使用されてきた審査基準である。日本の憲法学教科書では,

このテストについて次のようにいう。それは,問題となった国家の行為が,

�世俗目的をもつものかどうか,�その行為の主要な効果が,宗教を振興

しまたは抑圧するものかどうか,�その行為が,宗教との過度のかかわり

合いを促すものかどうかを問い,1つでもクリアーしなければ当該行為は

違憲になる,というものである。そして,このレモン・テストが厳格な基

準であるのに対して,日本の最高裁が採用した目的・効果基準は緩やかな

基準であることから,レモン・テストを模範とする目的・効果基準の厳格

化が主張される6)7)。

もっとも,このレモン・テストが実は問題である。たしかに,アメリカ

における政教分離の裁判は,レモン・テストによって審査されているとい

われることが多い。しかし,連邦最高裁判所は実際には,レモン・テスト

を修正して適用したり,そもそもレモン・テストを使わずに判断したりす

るなど,国教樹立禁止が問題となる事案を判断する方法は必ずしも明瞭で

ない8)。レモン・テストの実際は,日本の教科書等の記述とは異なるので

ある。このこと自体は日本でも各種の論文や判例研究で指摘されている。

しかし,国教樹立禁止規定の判断基準の展開について鳥瞰する論考9)が日

本では少ないこともあって,国教樹立禁止条項に関する審査基準について

6)芦部・前掲注1)152―153頁,同『憲法学�人権各論(1)〔増補版〕』(有斐閣,2000年)163,181―182頁。日本の学説の分布状況については,小泉洋一「政教分離」大

石眞・石川健治編『憲法の争点』(有斐閣,2008年)112―113頁を参照。なお,目的

・効果基準の廃棄を主張する近年の学説として,土屋清「政教分離訴訟における目

的効果基準の廃棄に向けて」早稲田法学80巻3号(2005年)281頁。

7)日本の憲法学が政教分離原則をめぐる議論を行う場面での,アメリカ法の参照・

摂取の仕方を批判的に検証するものとして,佐々木弘通「『厳格な政教分離』学説

の再構築に向けて(1)──アメリカ法の摂取の仕方についての批判的考察──」

成城法学62号(2000年)1頁を参照。

8)�および�を参照。

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 25

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はその概要が理解しにくい状況にあると思われる。

そこで本稿は,この状況を少しでも改善するために,アメリカ連邦最高

裁判所(連邦最高裁)が国教樹立禁止に関する裁判で,レモン・テストを

どのように扱ってきたのかを素描する(�)。その中でも,2005年に出さ

れた十戒をめぐる2つの判決については,少し詳細に検討を加える(�)。

この素描・検討を通して,レモン・テストをはじめ,アメリカの国教樹立

禁止条項に関する審査基準の概要を明らかにしたい。また,こうした検討

を行うことで,日本の目的・効果基準の現代的有効性と問題性を探究する

上で有用な素材が得られるように思われる。

なお,アメリカにおける国教樹立禁止条項の動向を分析するのであれば,

事案の性格を勘案しながら多数の判決を整理することが必要である。アメ

リカのケース・ブックでも,事案の類型によって記述するものは多い10)。

しかし,そのような分析の重要性を承知しているが,本稿は審査基準に焦

点を当てるため,類型別の考察は省略する。

� レモン・テストとその修正・再定式

1 初期のレモン・テスト

9)国教樹立禁止規定の判断基準の様相を鳥瞰できる邦語文献としては,諸根貞夫「ア

メリカにおける政教分離条項解釈の審査基準に関する覚書」元山健ほか『平和・生

命・宗教と立憲主義』(晃洋書房,2005年)159頁。同趣旨のアメリカの文献には,

Alembik, The Future of the Lemon Test : A Sweeter Alternative for Estab lishment

Clause Analysis, 40 Ga L. Rev. 1171(2006).本稿の執筆に当たっては多くの文献を

参照したが,この2つの論文は特に参照した。なお,神尾将紀「合衆国憲法修正第

1条にいう『国教樹立禁止』条項に関する司法審査基準のアリーナ──Lemonテ

スト,Endorsementテスト,Coercionテストの位相」早稲田法学80巻3号(2005

年)349頁も参照。

10)See, e.g., J. E. Nowak & R. D. Rotunda, Constitutional Law(7th ed. 2004); K. M.

Sullivan & G. Gunther, Constitutional Law(16th ed. 2007).

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国教樹立禁止条項に関する憲法適合性の基準を定式化したのは,私立学

校に対する公費助成を定めたロード・アイランド州法の憲法適合性が問わ

れた,Lemon v. Kurtzman11)である。連邦最高裁は,バーガー長官が法廷

意見を執筆し,この州法を違憲と判断した。この中で,問題の法律が国教

樹立禁止条項に適合するためには,3つの要件を満たすべきだとされた。

すなわち,「第1に,法律は世俗的な立法目的を有していなければならな

い。第2に,その主たるもしくは主要な効果が宗教を促進しあるいは抑圧

するものであってはならない。……第3に,法律は『政府の宗教との過度

の関わり合い』を促進してはならない」というものであった12)。そして,

法律や州の行為がいずれかの要件を満たさないときは,それは憲法違反と

される13)。これが,いわゆるレモン・テストであり,厳格な政教分離を志

向する分離主義と,宗教に対する一定の便宜供与を認めて緩やかな政教分

離を志向する考え方とを調整するテストといわれる。

このテストについては,日本でも多くの紹介・検討がなされてきた14)の

で,ここでは�で検討する2つの判決との関係で,「目的」について簡単

に記しておきたい。このテストの「目的」は,州が世俗目的を主張する場

合でも,単なる見せかけの目的ではなく,政府の実�

際�

の�

目的(あるいは真

性の目的)が宗教を促進しあるいは抑圧するか否かを審査する15)。公立学

校の各教室の壁に十戒を展示するように求めるケンタッキー州法が国教樹

立禁止条項に反するか否かが争われた Stone v. Graham16)で,連邦最高裁

11)403 U.S. 602(1971)

12)Id. at 612-13.

13)See Stone v. Graham, 449 U.S. 39, 40-41(1980).

14)芦部・前掲注6)165頁の注1にある文献を参照。

15)See, e.g., Wallace v. Jaffree, 472 U.S. 38, 56(1985); Edwards v. Aguillard, 482 U.S.

578, 586-87(1987); Santa Fe Independent School District v. Doe, 530 U.S. 290, 308

(2000).

16)449 U.S. 39(1980).

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 27

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はレモン・テストを適用し,その立法が公言された世俗目的の言明を含む

ものであっても,州法の顕著な目的は明らかに宗教的な性格であると判断

した。なお,「効果」および「関わり合い」については,6で触れる。

Lemon判決後にも,このテストを使った判決は存在する17)。しかし,

Lemon判決の2年後に出された,Hunt v. McNair18)で,パウエル裁判官は

レモン・テストは有用な指標にすぎないと指摘し19),国教樹立禁止をめぐ

る事件でレモン・テストが絶対的な基準でないことを述べていた。また連

邦最高裁は,2以後で素描するように,そもそもレモン・テストを適用し

ないで結論を出したり,Lemon判決で示されたテストを修正・変更した

審査基準を適用したりするなど,現在までこの初期レモン・テストを継続

して使用したわけではなかった。

2 歴史的慣行

国教樹立禁止条項をめぐる裁判では,歴史的慣行や伝統に依拠して結論

が出されることもあった。その代表例は,Marsh v. Chambers20)である。

この事件では,会期中に祈祷を行う聖職者を採用するというネブラスカ州

議会の慣行が,国教樹立禁止条項に抵触するか否かが争われた。連邦最高

裁は,そのような慣行がアメリカの立法府における長い歴史に基づくもの

であることから,レモン・テストを適用することなく,合憲と判断した。

また,Lynch v. Donnelly21)では,市が行うクリスマスの展示の中にキリス

ト降誕図が含まれており,そのような展示の憲法適合性が争われた。法廷

17)See, e.g., Tilton v. Richardson, 403 U.S. 672(1971).

18)413 U.S. 734(1973).

19)Id. at 741.

20)463 U.S. 783(1983)

21)465 U.S. 668(1984).この判決に関する邦語文献として,横田耕一「市によるク

リスマスの展示と政教分離の原則──Lynch v. Donnelly, 104 S.Ct. 1355(1984)」ジ

ュリスト846号(1985年)111頁。

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意見は,この展示が2世紀にわたりアメリカ国内で承認されてきた,休日

を祝い,休日の起源を描くものであることから,当該展示を合憲とした。

ここでは,レモン・テストは使用されているものの,それは「表面的」な

ものであって22),歴史や伝統に依拠した判決ともいえる。

歴史的慣行の重視という点では,「忠誠の誓い(the Pledge of Alle-

giance)」をめぐる,Elk Grove Unified School District v. Newdow23)に触れ

ておく必要があろう。この事件では,カリフォルニア州法の定めに従って,

毎朝,公立小学校において「忠誠の誓い」を復唱していたが,この中に存

在する「神のもとで」という文言が問題になった。連邦最高裁は,スティ

ーヴンズ裁判官が法廷意見を執筆し,この小学校に通う娘の父親(原告)

にはスタンディングがないとし,実体面での審理を行わなかった。しかし,

レーンクイスト首席裁判官の結果同意意見(オコナー裁判官が同調,トー

マス裁判官が意見の一部と結論に同調)は,国家の宗教的な歴史や性格の

公的承認は許容されるとして,「忠誠の誓い」はこれに該当し,宗教的行

為ではないと述べた24)。また,オコナー裁判官の結果同意意見も,ceremo-

nial deismといえるものは国教樹立禁止条項違反を免れるとして,本件「忠

誠の誓い」はこれに該当し違憲でないと判断した25)。両意見は,最高裁の

多数派を形成したものではないが,歴史という要素を重視したものといえ

る。

以上のような歴史や伝統という要素がレモン・テストとどのように関係

22)465 U.S. at 696(Brennan, J., dissenting).

23)542 U.S.1(2004).

24)Id. at 18-33(Rehnquist, C.J., concurring in the judgment).

25)Id. at 33-45(O’ Connor, J., concurring in the judgment).オコナーは,ceremonial de-

ismのカテゴリーに入るかどうかは,�歴史と遍在,�礼拝・祈祷の不存在,�特定宗教との関係の不存在,�最小限度の宗教的内容,という4つの要素を考慮することで判断すべきであると述べている。

26)参照,芦部信喜『宗教・人権・憲法学』(有斐閣,1999年)45―46頁。

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 29

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するかは,その判断が難しいところである26)。ただ,分離主義のように,

宗教に対する政府の中立性を厳格に解しないことは,間違いないであろ

う27)。ある論者によれば,この歴史的慣行のテストは,レモン・テストの

適用を避けるための手法として使われたが,歴史的な関係や背景がある場

合にのみレモン・テストの代用になりうるものといえる28)。

3 エンドースメント・テスト

エンドースメント・テストは,レモン・テストを補完するものとして29),

日本でもよく知られている30)。これは,Lynch v. Donnelly31)のオコナー裁

判官同意意見で提唱されたもので,政府行為の目的・効果について政府が

特定の宗教を「是認(endorsement)」または「否認(disapproval)」する

27)See e.g., Kuligowski, The Supreme Court’s Dilemma Respecting Establishment Clause

Jurisprudence, 38 Cumb. L. Rev. 245(2008).

28)Alembik, supra note 9), at 1180-81.

29)See Id. at 1183.このエンドースメント・テストがレモン・テストの厳格度を高め

るものかどうかは,議論のところである。この点については,神尾将紀「レモン・

テストないしエンドースメント・テストと目的効果基準の狭間で──アメリカ憲法

判例を参考にした政教分離原則をめぐる判例・学説の検証」大沢秀介・小山剛『東

アジアにおけるアメリカ憲法』(慶應義塾大学出版会,2006年)233―239頁を参照。

30)野坂泰司「公教育の宗教的中立性と信教の自由」立教法学37号(1992年)1頁,

諸根貞夫「『目的効果基準』再検討に向けた一考察──アメリカの議論に触れて」

高柳信一先生古稀記念『現代憲法の諸相』(専修大学出版局,1992年)73頁,浦部

法穂「政教分離と信教の自由」ジュリスト1022号(1993年)52頁,土屋英雄「アメ

リカにおける政教分離と“保証”テスト」芦部信喜先生古稀祝賀『現代立憲主義の

展開 上』(有斐閣,1993年)509頁,高畑英一郎「アメリカ連邦最高裁におけるエ

ンドースメント・テストの限定的受容」法学研究年報(日本大学大学院)25号(1995

年)1頁,同「エンドースメント・テストと愛媛玉串料訴訟最高裁判決」日本法学

66巻3号(2000年)789頁,安西文雄「平等保護および政教分離の領域における『メ

ッセージの害悪』」立教法学44号(1996年)81頁,福嶋敏明「政教分離と裁判官の

視点(1)──アメリカ合衆国におけるエンドースメント・テストをめぐる議論を

素材として」早稲田大学大学院法研論集101号(2002年)161頁。

31)465 U.S. 668(1984).

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かを審査するものである。

すなわち,オコナー裁判官によれば,国教樹立禁止条項は公権力が特定

宗教を支持することを禁止するが,エンドースメント・テストは,このよ

うな禁止の侵害は,政府が特定宗教を是認する裏書きをしたり,または否

認したりすることである。「是認(の裏書き)は,その宗教の信者でない

者に,政治的共同体の部外者であり,完全なメンバーではないというメッ

セージを送り,それと同時にその宗教の信者には,政治的共同体の部内者

であり,優遇されるメンバーであるというメッセージを送る」32)。それゆ

え,否認は,その反対のメッセージを送ることである。そして,エンドー

スメント・テストでは,「政府の現実の目的が宗教を是認するか否か」(目

的)と,「問題となっている法律・行為が実際に是認のメッセージを伝達

するか」(効果)を精査する33)。その結果,国の行為が特定の宗教を後押

しするようなメッセージを発する目的または効果をもつ場合には,当該行

為は憲法上許されない。このテストは,「国家の宗教的中立性の外観を重

視」し,その意味で「政府の行為の象徴的意味を重視する」点に,その特

徴があるとされる34)。

このテストは,Allegheny County v. Greater Pittsburgh ACLU35)の法廷意

見で採用された。この事件では,カウンティ裁判所における幼きキリスト

像などの展示とユダヤ教で使われるメノラーの設置が国教樹立禁止条項に

抵触するか否かが争われた。ブラックマン裁判官の法廷意見は,「政府に

よる宗教的象徴表現の使用は,宗教上の信念を是認する効果をもつ場合に

は違憲であり,その効果はその状況に左右される」という憲法上の原則を

確認した上で36),幼きキリスト像の展示とメノラー設置が,宗教的是認/否

32)Id. at 688(O’ Connor, J., concurring).

33)Id. at 690(O’ Connor, J., concurring).

34)芦部・前掲注6)174頁。

35)492 U.S. 573(1989).

36)Id. at 597.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 31

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認の効果を有するかどうかを審査し,前者を違憲,後者を合憲と判断した。

なお,エンドースメント・テストでの判断は,「合理的観察者(reasonable

observer)」の視点から行われる。この合理的観察者とは,当該法律の文

言,立法の過程,および法律の執行状況を知っている人である37)が,この

者の視点による審査の是非については議論がある。

4 強制テスト

Lee v. Weisman38)では,ロード・アイランド州の公立高校の卒業式にお

いて,聖職者が祈祷を行うことが国教樹立禁止条項に違反するかが争われ

た。この州では,教育委員会および教育長は,公立中学・高校の卒業式に

おける聖職者の祈祷を長年認めてきた。連邦最高裁は,ケネディ裁判官が

法廷意見を執筆し,宗教を支持し,もしくは宗教活動に参加するような政

府の強制の有無を審査する強制テストを適用し,本件祈祷を違憲と判断し

た。ケネディ裁判官は,「憲法は,最低限,政府が何人に対しても宗教ま

たは宗教的活動を支持し,あるいは宗教的活動に参加するよう強制しては

ならない……ことを保障している」と述べ39),本件における学校卒業式の

祈祷への州の関わりを肯定し,式に参加する生徒への強制40)を認めた。

ケネディ裁判官が Lee判決で適用した強制テストは,Allegheny判決の

37)Wallace v. Jaffree, 472 U.S. 38, 76(1985).

38)505 U.S. 577(1992).この判決に関する邦語文献として,藤田尚則「Lee v. Weisman,

__U.S.__, 112 S. Ct. 2649(1992)──公立学校の卒業式に際して,聖職者が in-

vocation及び benedictionを捧げることは,第1修正の国教禁止条項を侵害する」

[1993―2]アメリカ法298頁,長谷部恭男「公立学校卒業式での祈祷 Lee v. Weisman,

505 U.S. 577(1992)」憲法訴訟研究会・芦部信喜編『アメリカ憲法判例』(有斐

閣,1998年)162頁。

39)505 U.S. at 587.

40)ケネディは,公立学校での祈祷が間接的強制の危険を伴うことを指摘する。「学

区による高校卒業式の監督と統制のために,出席した生徒は,祈祷の間,集団とし

て起立しあるいは少なくとも敬意をもって沈黙するよう,仲間からもまた公的にも

圧力を受けた」。Id. at 593.

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ケネディ裁判官の一部結果同意・一部反対意見41)で,すでに登場していた。

この Lee判決では,このテストが法廷意見で適用されたことに意義があ

る。しかし,ブラックマン裁判官の同意意見(スティーヴンズ,オコナー

裁判官同調)は,国教樹立禁止条項の問題で強制の存在は不要で,Lemon

判決で示された解釈原理に従えば,市の政策は違憲であるという42)。また,

スーター裁判官の同意意見(スティーヴンズ,オコナー裁判官同調)も,

強制の存否を審理する必要はなく,卒業式における祈祷等は,憲法が禁ず

る,生徒に宗教への endorsementを伝達すると述べた43)。スカリア裁判官

の反対意見(レーンクイスト首席裁判官,ホワイト,トーマス裁判官同調)

は,卒業式における祈祷等は,アメリカの長年にわたる,かつ重要な伝統

を構成するものであるから合憲であるとした44)。このように見ると,Lee

判決で強制テストを支持する裁判官は,多数でないことがわかる。また,

ここでいう「強制」の理解についても差異があった。ケネディは,間接的

強制,心理的圧迫まで含むと理解するのに対し45),スカリアは,法の力お

よび刑罰の威嚇によるものに限定する46)。

この強制テストは,エンドースメント・テスト以上に,政府行為の力や

現実の効果を精査することから,レモン・テストの「効果」を鋭敏にした

41)Allegheny County v. Greater Pittsburgh ACLU, 492 U. S. 573, 655-79(1989)

(Kennedy, J., cocurring in the judgment in part dissenting in part).

42)505 U.S. at 599-609(Blackmun, J., concurring).

43)Id. at 609-31(Souter, J., concurring).

44)Id. at 631-46(Scalia, J., dissenting).

45)Id. at 593.なお,修正第1条は,国家が個人の思想の選択を強制することを禁止

すると捉え,その「強制」に注目した論考に,�永達哉「アメリカ判例に見る『強制』の法理──公立学校における国旗敬礼・祈祷儀式に関する判例を素材として─

─」比較社会文化研究16号(2004年)67頁がある。�永論文によれば,West Virginia

State Board of Education v. Barnette, 319 U.S. 624(1943)などで示されていた「強

制」禁止は,Lee判決の「強制」概念によって,その範囲が拡大したことになる。

46)505 U.S. at 640(Scalia, J., dissenting).

47)Alembik, supra note 9),at 1184.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 33

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ものと評されることもあるが47),強制テストが適用された裁判は必ずしも

多くない。その数少ない適用例である Santa Fe Independent School District

v. Doe48)では,テキサス州の公立高校における,アメリカンフットボール

の試合の開始前に牧師役の生徒が行う祈祷(生徒の無記名投票で実施を決

定)が国教樹立禁止条項に反するか否かが争われた。この事件で,連邦最

高裁は,スティーヴンズ裁判官が法廷意見を執筆し,エンドースメント・

テストともに,強制テストを適用して,当該祈祷を違憲と判断した。この

意見には,オコナー,ケネディ,スーター,ギンズバーグ,ブライアの各

裁判官が同調した。

5 中立性のアプローチ

国教樹立禁止条項の審査基準については,中立性のアプローチ,あるい

は中立性テストの存在が指摘されることもある49)。ユダヤ教の一派の信者

で構成される村を1つの学区とするニュー・ヨーク州法が国教樹立禁止条

項に違反すると判断された,Board of Education of Kiryas Joel v. Grumet50)

で,スーター裁判官が執筆した法廷意見は,宗教の自由条項と国教樹立禁

止条項の両者を尊重することは「州に対して宗教への『中立』を求めるよ

う強いることである」と述べて51),本件州法は政府の権限を中立的に行使

するものでないことを指摘する。また,州の援助を受けているヴァージニ

48)530 U.S. 290(2000).この判決に関する邦語文献として,高畑英一郎「判例研究

高校アメリカンフットボールの試合前における祈祷の合憲性──Santa Fe Inde-

pendent School District v. Doe, 120 S. Ct. 2266(2000)」日本法学67巻1号(2001年)

195頁。

49)中立性概念については,藤田尚則「分離主義の放棄と中立性理論──合衆国最高

裁判所における国教禁止条項の解釈をめぐって──」宗教法19号(2000年)239頁。

50)512U.S. 687(1994).この判決に関する邦語文献として,高畑英一郎「近年のア

メリカ政教分離判決の動向」法学研究年報(日本大学大学院)26号(1996年)47―

52頁。

51)Id. at 696.

34

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ア州立大学がキリスト教的観点を強調する雑誌を発行していた学生の補助

金申請を拒否したところ,その行為の憲法適合性が問われた,Rosenberger

v. University of Virginia52)で,ケネディ裁判官が執筆した法廷意見は,政府

のプログラムの国教樹立禁止条項違反が問われた場合に,宗教に対する中

立性がその判断の重要な要素である旨述べる。他にも,Mitchell v. Helms53)

や Zelman v. Simmons-Harris54)などでも,「中立性」が重要なポイントにな

ったとされる55)。

ある論者の指摘では,中立性のアプローチは,「中立」であればよいこ

とから,分離の要素を強調するレモン・テストの「関わり合い」要件を等

閑視するものだという56)。これは,国教樹立禁止の厳格度の緩和を意味す

る。もっとも,「中立」の意味それ自体が問われることになろう。

6 Agostini v. Felton57)

Agostini v. Feltonは,レモン・テストを修正したと評価される重要な判

52)515 U.S. 819(1995).この判決に関する邦語文献として,高畑・前掲注50)55―

61頁。

53)530 U.S. 793(2000).

54)536 U.S. 639(2002).

55)諸根・前掲注9)170―172頁。

56)Kilroy, A Lost Opportunity to Sweeten the Lemon of Establishment Clause Jurispru-

dence : An Analysis of Rosenberger v. Rector and Visitors of the University of Virginia,6

Cornell J. L. & Pub. Pol’y 701, 711(1997).

57)521 U.S. 203(1997).この判決に関する邦語文献として,佐々木弘通「Agostini

v. Felton,__U.S.__,117 S. Ct. 1997(1997)──連邦法に基づき連邦資金を用い

て,低所得家庭の成績不良の生徒に補習教育を提供するために,ニュー・ヨーク市

が作成・実施した,宗教学校内に公立学校教師を派遣する計画を,第1修正の公定

制条項(establishment clause)に違反すると判示した先例を変更し,同計画を合憲

とした事例」[1998―2]アメリカ法290頁。

また,この判決を含む,「過度の関わり合い」要件については,高畑英一郎「『過

度の関わり合い』基準の研究」日本法学73巻2号(2007年)387頁。

58)Alembik, supra note 9),at 1187.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 35

Page 14: アメリカにおける国教樹立禁止条項に 関する違憲審 …...6 Agostini v. Felton 7小括 十戒をめぐる2005年の2判決 1 McCreary County v. ACLU of Kentucky

決である58)。この事件では,補習授業をするために宗教学校へ公立学校の

教師を派遣する政府の計画が,国教樹立禁止条項に違反するか否かが争わ

れた。オコナー裁判官の法廷意見は,School District of Grand Rapids v.

Ball59)と Aguilar v. Felton60)を覆して,この計画を合憲と判断した。レモン

・テストとの関係では,オコナー裁判官は,「効果」要件を修正し,�政

府の援助が政府による宗教の教示を伴うか,�政府の財政援助が宗教に基

づいて受益者を限定しているか,�財政援助が政府と宗教の過度の関わり

合いを生むか,という3要素によって「効果」を精査するものとした。こ

のように彼女は,レモン・テストの「関わり合い」要件を独立の要件とし

て扱わず,政府の行為が宗教を促進したり抑圧したりするような効果の有

無を検討する際の一部として使用した61)。この意見には,レーンクィスト

首席裁判官,ケネディ,スカリア,トーマス各裁判官が加わった62)。

Zelman v. Simmons-Harris63)でも,Agostini判決が示した修正版レモン・

テストを適用した。この事件では,生徒に奨学支援金を支給し,学校を選

択させるバウチャー制度が国教樹立禁止条項に違反するか否かが争われた。

この制度に参加する私立学校の約8割が宗教系であり,バウチャーを支給

された者の96%が宗教系学校に在籍するので,この助成の使途が世俗的教

育に限定されないとも考えられた。レーンクイスト首席裁判官の法廷意見

59)473 U.S. 373(1985).

60)473 U.S. 402(1985).

61)521 U.S. at 233-34.

62)国教樹立禁止の問題では,スーター裁判官が反対意見を執筆し,これにスティー

ヴンズ裁判官とギンズバーグ裁判官が同調し,また一部にブライア裁判官が同調し

た。

63)536 U.S. 639(2002).この判決に関する邦語文献として,金原恭子「バウチャー

制と政教分離:Zelman v. Simmons-Harris,__U.S.__,122 S.Ct. 2460(2002)─

─公教育が危機に瀕している学区において宗教系私学を含む学校選択の機会を低所

得層にも与える為に,オハイオ州が策定した授業料補助制度(バウチャー制)は,

第1修正の国教条項(Establishment Clause)に違反しない」[2003―2]アメリカ

法329頁。

36

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は,Agostini判決が「目的」と「効果」の精査を行ったと指摘し,その上

で,本件計画の目的は,公立学校の貧しい生徒に対する教育的援助という

世俗目的であって,その効果は参加が自由かつ中立的で,大多数で宗教系

学校を通うために利用されたとしても重大なものではないと結論づけた。

Agostini判決と Zelman判決では,オコナー,ケネディ,スカリア,トー

マス各裁判官とレーンクィスト首席裁判官がグループを形成して,意見を

まとめていることから,両判決は保守派と中間派がその結論を主導したと

いえる64)。

このように,修正版レモン・テストは,「目的」と「効果」に限って審

査し,「効果」要件に修正を加えて,「関わり合い」を「効果」について判

断する1つの要素にした。これは,「レモン・テストによって示された伝

統や正当性といった諸利益を認め,裁判所はレモン・テストの使用を完全

になくそうとしたのではなく,より柔軟なバージョンとなったテストに付

随する諸問題を改善しようとした」ともいわれる65)。独立した3要件が,2

要件に変更されたことから,レモン・テストの厳格度は初期のものに比べ

て柔軟で緩やかになったといえよう。この点について,日本の学説は目的

・効果基準の厳格化を主張する際に,初期のレモン・テストにあるような

「関わり合い」要件を取り入れることを唱えていた。このことからすると,

日本の学説が厳格な目的・効果基準を構築するために,「関わり合い」要

件のないレモン・テストを参照するのは妥当とはいえまい66)。日本の学説

64)スティーヴンズ裁判官,スーター裁判官(スティーヴンズ,ギンズバーグ,ブラ

イア各裁判官が同調),ブライア裁判官(スティーヴンズ,スーター各裁判官が同

調)の各反対意見がある。

65)Alembik, supra note 9), at 1187. See Bunnow, Reinventing the Lemon : Agostini v.

Felton and the Changing Nature of Establishment Clause Jurisprudence, 1998 Wis. L.

Rev. 1133, 1172 -74.

66)この点は,佐々木弘通「アメリカ合衆国の政教分離判例における分離派・覚書─

─宗教学校助成の諸事件に見る──」東洋学術研究38巻2号(1999年)175―177頁

が指摘する。

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 37

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は Agostini判決をどのように評価するのであろうか。

7 小括

初期のレモン・テストは,一時期を除けば,そのままの形で連邦最高裁

によって使用されたことは,ほとんど無かった。レモン・テストが使われ

ているときでも,オコナー裁判官はエンドースメント・テスト,ケネディ

裁判官は強制テストというもう1つの選択肢を示し,それが多数意見で使

われることにもなった。そして,緩やかな政教分離を容認する,保守派や

中間派の裁判官によって,歴史的慣行を重視するアプローチや,中立性の

アプローチが使用され,さらには Agostini判決でレモン・テスト自体も

修正されるに至った。また,保守派の裁判官の中には,レモン・テストに

否定的な者も多く,スカリア裁判官はレモン・テストの放棄を明確に主張

している67)68)。

このように,初期のレモン・テストが護持され続けている状況にないこ

とは確認できた。アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する審査基準は,

レモン・テストに対する評価と併せて,多様である。次の�では,2005年

に出された判決を概観して,国教樹立禁止条項に関する審査基準について

67)Lamb’s Chapel v. Center Moriches Union Free School District, 508 U.S. 384(1993)

(Scalia, J., concurring in the judgment).この意見にはトーマス裁判官も加わった。

68)齋藤小百合「アメリカ憲法における『宗教の自由』の最近の動向と『政教分離』

原則にかんする法理の限界」宗教法18号(1999年)271頁以下を読むと,1990年代

の動向をよく理解できる。

69)545 U.S. 844(2005).この判決に関する邦語文献として,土屋英雄「『国旗忠誠の

誓い』事件のその後,そして『十戒』事件」自由と正義56巻11号(2005年)99頁,

山崎英壽「歴史主義と分離主義の対立?──アメリカ政教分離の新機軸」都留文科

大学研究紀要65集143頁(2007年),会沢恒「Van Orden v. Perry, 545 U.S. 677, 125 S.

Ct. 2854(2005); McCreary County, Ky. v. ACLU of Ky., 545 U.S. 844, 125 S. Ct. 2722

(2005)──十戒二題」[2007-2]アメリカ法289頁,栗田佳泰「裁判所内におけ

る『十戒』の展示とアメリカ合衆国憲法修正第一条」法政研究75巻1号(2008年)

133頁。

38

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の,比較的近年の動向を確認したい。

� 十戒をめぐる2005年の2判決

1 McCreary County v. ACLU of Kentucky69)

(1)事実の概要

1999年夏,ケンタッキー州の2つのカウンティ(McCreary, Pulaski)

の首長が,それぞれの庁舎に十戒の複製を掛けた(第1の展示)。ACLU

は同年11月,この展示が国教樹立禁止条項に抵触するとして,展示の

仮差止め命令等を求めて提訴した。これを承けて,カウンティの議会

は,十戒を the precedent legal codeとする決議を行った。これによっ

て,カウンティは十戒に加えて,それよりも小さな枠の中に8つの宗

教的要素のある他の文書を展示した(第2の展示)70)。連邦地方裁判

所は,2000年5月5日,ACLUの訴えを認める判決71)を出した。この

中で,連邦地裁はレモン・テストを用いて審査し,第1,第2の展示

ともに世俗目的をもたないと判断した72)。

両カウンティは,上訴をしたものの自発的にこれを取り下げ,その

後新たな展示を設置した(第3の展示)。この展示には,十戒を含む

9つの文書が同じ大きさの枠にはめられ,「アメリカにおける法と統

治の基礎の展示」という表題の下,各文書の歴史的・法的重要性につ

いて説明が加えられた。十戒の説明には,十戒は西洋の法思想とアメ

リカの形成に影響を及ぼし,アメリカにおいて独立宣言の道徳的背景

と法的伝統の基礎を与えたとあった。これを承けて ACLUは,裁判所

70)McCreary County, 545 U.S. at 851-54.

71)96 F. Supp. 2d 679(ED Ky. 2000).

72)McCreary County, 545 U.S. at 854-55.

73)Id. at 855-57.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 39

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に第3の展示の仮差止めを求めた73)。

連邦地方裁判所は,Stone判決74)に基づき,十戒の基本的価値を宣

言する目的を宗教的なものと解し,また展示物の教育目的性をも否定

し,差止めを認めた75)。控訴審の第6巡回区裁判所も,十戒が積極的

な宗教上のシンボルであることから,カウンティによる展示の目的を

宗教上のものと解し,さらに展示が1つの宗教に対して影響を強める

ものと解して,差止めを認める判決76)を下した77)。その後,連邦最高

裁は裁量上訴を認めた。

(2)スーター裁判官の法廷意見

(スティーヴンズ,オコナー,ギンズバーグ,ブライア裁判官同調)

A Lemon判決78)以来,政府の行為が「世俗的な立法目的」をもつ

かどうかに目を向けることは,この種の諸事例における一般的な要素

であった。我々の分析の基本は,「第1修正は,宗教相互の間,およ

び宗教と非宗教との間において政府の中立を命じる」という原則であ

る。政府が宗教を助長するという顕著で支配的な目的で行動した場合

に,それは宗教に対する中立性という国教樹立禁止条項の中心的価値

を侵害する。政府の目的を考慮しないのであれば,この種の中立性は

ありえない79)。

本件では,カウンティがまずレモン・テストの「目的」テストの放

棄を求めた。しかし,目的審査は制定法の解釈の主要なものであり,

政府目的は多くの憲法原理の欠かせない要素である。国教樹立禁止条

74)Stone v. Graham, 449 U.S.39(1980).

75)145 F. Supp. 2d 845(ED Ky. 2001).

76)354 F. 3d 438(2003).

77)McCreary County, 545 U.S. at 857-58.

78)Lemon v. Kurtzman, 403 U.S. 602(1971).

79)McCreary County, 545 U.S. at 859-61.

40

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項の分析において目的審査は,制定法のテクスト,立法の歴史,制定

法の実施に精通した「客観的観察者」の目を通して行われる80)。

レモン・テストは政府行為が世俗目的をもつことを要求するが,こ

の世俗目的とは,真の世俗目的であって,ごまかしのそれや,副次的

なものであってはならない。政府の主張が明らかにごまかしや副次的

な世俗目的であれば,結果としてそれは十分に世俗的なものではない。

また、それは政府の一連の行為における最新の行為からのみで推論さ

れるものでもない81)。

B Stone判決は,十戒展示の憲法適合性に関する最初の法的な基

準である。しかし,この判決は政府による十戒展示のすべての方法に

ついて憲法判断をしたものではないので,第3の展示へ至る過程を検

討する82)。

第1の展示は,政府がこうした明白な宗教的言明といえる文書だけ

を公衆の見るところに設置する努力を始めたとき,宗教目的は明白で

ある。また第2の展示も,宗教上の文書に焦点を当てたり,キリスト

をもって倫理の具体化を要求するカウンティの決議が存在したりする

ことから,政府目的は明白に許されないものである83)。

カウンティの主張によれば,第3の展示の目的は,我々の法と統治

のシステムの基礎に重要な役割を果たした文書について,市民を教育

することにある。しかし,その展示へ至る過程を見ると,その目的は

訴訟戦略上出されたものであって,合理的観察者がカウンティの説明

する展示目的を鵜呑みにすることはない。また,カウンティによる十

戒以外の展示物の選択や省略は,カウンティが宗教的中立性の具体化

80)Id. at 861-63.

81)Id. at 863-66.

82)Id. at 867-68.

83)Id. at 868-70.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 41

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を憲法上要求される裁判所の壁に,宗教上の文書を保持し続けるどん

な方法をも得ようと努めているのだと,合理的観察者に疑わせるもの

である。以上から,政府の目的が第3の展示で変わったといえない84)。

したがって,第3の展示は国教樹立禁止条項に違反する。

(3)オコナー裁判官の同意意見

当法廷が特定の十戒の展示について国教樹立禁止条項違反としてき

たことからいえば,本件十戒の展示は合理的観察者に明白な是認のメ

ッセージを与えるので,当該展示の隠れた目的は実際上の重要性をも

つ。多くのアメリカ人にとって十戒が自分の信条と一致することは事

実だが,我々は十戒の妥当性を受け入れないアメリカ人が修正第1条

の保護の外にあるという理論を受け入れることはできない。宗教条項

は結果として,全く宗教を信仰しない者と同様にすべての宗教の信者

をも保護する。問題の展示は国教樹立禁止条項に違反する85)。

(4)スカリア裁判官の反対意見

(レーンクイスト首席裁判官・トーマス裁判官同調。ケネディ裁判官が

BおよびCの部分に同調)

A ワシントン大統領が就任する際の宣誓で「神のご加護を」と加

えた事実や,第1回議会の会期が祈祷で始まったこと等は,起草者の

信ずるところ(道徳は社会の福祉に不可欠で,宗教の促進が道徳を育

てる最良の方法である)を反映したものであり,そのような場におけ

る宣誓や祈祷は現在も続く慣行である。だとすれば,最高裁が神の信

仰に対する政府の是認を原則として違憲と断じることは,信頼できな

い86)。歴史的慣行が示すことは,1人の創造者を認識することと国教

84)Id. at 870-74.

85)Id. at 883-85(O’ Connor, J., concurring).

42

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樹立との間に隔たりが存在することである。創造者の存在は,この国

の人々が広くもつ諸信仰にとって,許容できる認識である。しかも,

これらの諸信仰は,十戒が神からモーゼに与えられ,かつ有徳な生活

のための神からの掟だと信じている。十戒を公的に崇めることは,国

民に広く認識されていることから,それは政府が特定の宗教的観点を

是認したものと合理的に理解されえない87)。

B 法廷意見は,以下の2点でレモン・テストを修正する。第1に,

裁判所が目的審査を正当化するのは,目的それ自体としてではなく,

「客観的観察者」にとって政府行為の外観を確認する手段としてであ

る。このアプローチの下では,たとえ政府が実際の目的は宗教を助長

しないことを示せたとしても,客観的観察者が別に考える限り,それ

は憲法を侵害する。第2に,裁判所はレモン・テストの世俗目的に関

して,「支配的である」か否かという要素を付加した。しかし,これ

は先例の支持を見出せない。レモン・テストの「目的」は廃棄される

べきであり,法廷意見は事態をさらに悪化させる88)。

C 法廷意見のレモン・テストを受け入れたとしても,問題の展示

は合憲である。それは,建物内の他の展示と比べて特に目立つもので

はなかった。また,Foundations Displaysは,純粋に世俗目的を示す。

アメリカの法と統治の基礎に捧げられた展示で,他の世俗的に重要な

文書の側に十戒が現れたとき,そのコンテクストが伝えることは,十

戒が法システムの発展に対するほかにない貢献を示すために含まれる,

というものだ。十戒は公的な建物やモニュメントにしばしば展示され

てきた。このことが示すことは,十戒は法の支配の基礎で,統治制度

86)Id. at 887-89(Scalia, J., dissenting).

87)Id. at 894.

88)Id. at 900-02.

89)Id. at 903-08.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 43

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における宗教のもつ役割を示すシンボルであるという,世間一般の理

解である。このため,「客観的観察者」が十戒の展示を不合理だと認

識すると考えるのは,疑問である89)。

法廷意見は,第1・第2の展示ともに宗教上の目的があると判断し

たが,我々の生活における十戒(その展示)の歴史的役割を見れば,

当該意見の結論は疑わしい。また,法廷意見のいうように,第1・第

2の展示のもとになった決議が,カウンティの第3の展示に関する行

動の基礎にあると信じる理由はない90)。

2 Van Orden v. Perry91)

(1)事実の概要

1961年にテキサス州の愛国組織(the Fraternal Order of Eagles)が,

高さ6フィート,幅3フィートの,十戒のテキストを主な内容とする

モニュメントを寄贈した。このモニュメントは,Eaglesによってテキ

サス州議会議事堂と州最高裁判所の建物の間にある議事堂の庭に立て

られた。それは,「テキサス・アイデンティティを作った人物・理想

・出来事」を記念する,他の17のモニュメントと21の歴史的標識の中

にある。議事堂の庭をたびたび訪れ,問題のモニュメントに遭遇して

いた原告は,当該モニュメントの設置が国教樹立禁止条項を侵害する

旨の宣言と,その除去を要求する差止め命令を求めて提訴した。しか

し地方裁判所および第5巡回区控訴裁判所は,原告の主張を斥けた92)。

連邦最高裁は裁量上訴を認めた。

90)Id. at 908-12.

91)545 U.S. 677(2005).この判決に関する邦語文献は,前掲注69)を参照。

92)Van Orden, 545 U.S. at 681-83.地 裁 判 決 は NO. A-01-CA-833-H, 2002 U.S. Dist.

LEXIS 26709,第5巡回区控訴裁判所判決は351 F. 3d 173(5th Cir. 2003).

44

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(2)レーンクイスト首席裁判官の相対多数意見

(スカリア,ケネディ,トーマス裁判官同調)

州が議会議事堂の庭の上に立てた受動的なモニュメントを扱う本件

では,レモン・テストは有用でない。我々はモニュメントの特質や我

が国の歴史という点から分析を行う。少なくとも1789年から,政府が

アメリカ人の生活における宗教の役割を公的に承認してきたという間

断のない歴史がある。このことは先例にも反映されている。本件十戒

の展示はこの承認の典型である。十戒は,宗教的なものであるが,同

時に否定できない歴史的意味をもつ。単に宗教的内容をもち,または

教義と一致するメッセージを促進することは,国教樹立禁止条項と衝

突しない。もちろん宗教的なメッセージや象徴の展示には限界がある。

例えば,Stone判決は,すべての公立学校の教室に十戒の掲示を要求

した州法を違憲と判断した。教室という状況では,問題の州法は不適

切でかつ明白な宗教目的をもつからである。しかし,この判決の射程

は議会や議事堂のグラウンドにまで拡張されていない。州議会議事堂

のグラウンドに十戒のモニュメントを設置したことは,十戒を毎日,

小学校の児童に直面させた Stoneの事例よりも,はるかに受動的に十

戒を使用したものである。よって,本件十戒の展示が国教樹立禁止条

項を侵害したといえない93)。

(3)ブライア裁判官の結果同意意見

ブライアは,連邦最高裁がすべての事例において憲法上の判断の可

能な単一で機械的な公式を見出していないとした上で,次のように述

べた。本件は,当法廷のテストが使えない境界事例である。それゆえ

展示のコンテクストを見る必要がある。本件の場合,モニュメントの

93)Van Orden, 545 U.S. at 683-92.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 45

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設置された状況,民間の世俗団体によって寄贈・設置された経緯,そ

して設置における神聖さの欠如から,州による展示の意図は支配的な

道徳的メッセージであったことが示唆される。しかも設置から40年に

わたり誰も争っていないことから,そこを訪れる者は宗教的側面のあ

る文書を,より広く文化的伝統を反映した道徳的・歴史的なメッセー

ジの一部として考えてきたものと思われる。また本件は,学校に関す

る事例ではないので Stone判決や Lee判決94)と区別できるし,展示期

間の長さによりMcCreary判決とも区別できる。以上から,本件展示

が合憲だという結論に至る際に,国教樹立禁止条項に関するテストを

満たすと信じるが,テストの文字通りの適用にさほど依存しない。本

件展示が40年以上争われずに立っていた経験は,事実の問題として展

示は分裂を生じさせないであろうことを,我々が理解する助けになる。

これが境界事例では決定的である。反対の結論を下すことは,法が宗

教的憎悪を導き,それゆえ国教樹立禁止条項が避けることを求めた,

宗教に基づく分裂を生むことになろう95)。

(4)スーター裁判官の反対意見

(スティーブンズ,ギンズバーグ裁判官同調)

政府による明らかな宗教文書の展示は,基本的には国教樹立禁止条

項の要求する中立性原理と調和しない。十戒の掲示の合憲性を判断し

た唯一の事例である Stone判決からすれば,十戒は宗教文書であるこ

とが強調され,またそのメッセージやそれを選び出す目的は明らかに

宗教的である。本件モニュメントの合憲性は,テキサス州議会議事堂

の敷地に位置することや,その場所を通る者がその非宗教的目的を識

別できないことによってくずされる。さらに相対多数意見のように,

94)Lee v. Weisman, 505 U.S. 577(1992).

95)Van Orden, 545 U.S. at 698-705(Breyer, J., concurring in the judgment).

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Stone判決を学校の教室の事例に限定する理由はない。Stone判決は,

他の判決が学校の重要性ゆえに行った,教育の背景に関する議論をし

てこなかったのである。また本件モニュメントは,教室で十戒を掛け

るよりも受動的な使用であるとはいえない96)。

(5)その他の意見

Van Ordenでは,上で見た4つの意見の他にも複数の意見が執筆さ

れた。レーンクイスト首席裁判官の相対多数意見に参加した,スカリ

ア裁判官は別途,同意意見を執筆し,国教樹立禁止条項に関して,

McCreary判決の同裁判官反対意見における歴史的慣行を重視した解

釈を示す97)。同じく相対多数意見に同調したトーマス裁判官も自身の

同意意見を執筆した。彼によれば,裁判所は,国教樹立禁止条項の原

意を執行──実際の法的な強制を禁止──すべきであり(強制テスト

に触れる),当該条項の原意に基づけば,本件十戒の展示は合憲であ

ると述べた98)。

また,相対多数意見の結論に反対する立場からは,スーター裁判官

の反対意見に参加した,スティーヴンズ裁判官が反対意見を別途執筆

し,これにギンズバーグ裁判官が同調した。スティーヴンズの反対意

見は,相対多数意見が本件において広い意味での中立性原理を適用し,

また起草者の宗教的言明・宣言・行為などに依存しているが,裁判所

は起草者の考えたことではなく,憲法に記される諸原理(中立性原理)

によって審査を行うべきであると述べた。彼は,歴史を重視する見方

に対する批判を展開する99)。オコナー裁判官も反対意見を執筆し,ス

96)Id. at 737-47(Souter, J., dissenting).

97)Id. at 692(Scalia, J., concurring).

98)Id. at 692-98(Thomas, J., concurring).

99)Id. at 707-36(Stevens, J., dissenting).

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 47

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ーター裁判官反対意見とMcCreary判決における自身の同意意見に基

づき,本件相対多数意見の結論に反対する旨述べた100)。

3 裁判官の意見の分布

政教分離に関する審査基準については,連邦最高裁の裁判官の間で意見

が分かれているため,理解するのがなかなか困難である。こうした状況の

中で,2つの事案は,十戒の展示が修正第1条の国教樹立禁止条項に違反

するか否かを問われた。興味深いことに,McCreary判決では違憲,Van

Orden判決では合憲という結論が下され,その判断が分かれた。

これら2つの判決において,展示の合憲性に関する裁判官の意見の分布

は次のようになる。McCreary判決で違憲と判断した裁判官はスーター,

スティーヴンズ,オコナー,ギンズバーグ,ブライアであり,合憲と判断

した裁判官はレーンクイスト,スカリア,トーマス,ケネディであった。

Van Orden判決では,違憲と判断した裁判官はスーター,スティーヴンズ,

オコナー,ギンズバーグであり,合憲と判断した裁判官はレーンクイスト,

スカリア,トーマス,ケネディ,ブライアであった。このように,ブライ

ア裁判官だけが,2つの事案における十戒の展示を区別した。

十戒をめぐる2005年の2判決では,つぎのようなグループ構成になった。

1つのグループは,保守派で緩やかな分離を志向する,レーンクイスト,

スカリア,トーマスに,中間派のケネディが加わって形成された。歴史的

慣行を重視する姿勢を看取できる。そして,もう1つのグループは,リベ

ラル派で厳格な分離を志向する,スーター,スティーヴンズ,ギンズバー

グに,中間派のオコナーが加わって形成されたものである101)。リベラル派

100)Id. at 737(O’ Connor, J., dissenting).

101)See Mota, Competing Judicial Philosophies and Differing Outcomes : The US Su-

preme Court Allows and Disallows the Posting of the Ten Commandments on Public

Property in Van Orden v. Perry and McCreary County V. ACLU, 42 Willamette L. Rev.

99, 121-22(2006).

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のブライアは,McCreary判決では他のリベラル派裁判官と行動をともに

したが,Van Orden判決では単独で意見を執筆し,結論だけを見れば保守

派と行動をともにしたことになる。

4 レモン・テストは?

�で概観したように,レモン・テストは,結論を導出する上で何ら言及

されない場合もあれば,Lemon判決で定式化された形に修正を加えたも

のが適用される場合もある。このため,連邦最高裁の新たな判決がレモン

・テストをどのように扱うのかは,注目されていた。

McCreary判決がレモン・テストを適用したのか,適用したとすればど

のように適用したのか。この点についてアメリカのロー・レヴューには,

多数意見が「目的」をレモン・テストの一部として明確に考えていないと

指摘する見解102)や,「ある種の(より厳格な)レモン・テスト」が適用さ

れたと見る見解103)があり,必ずしも統一的な理解が確立されているわけで

はない。ただしMcCreary判決は,本件に適用されるべき基準を示し,そ

の上で基準を事案に当てはめていないので,必ずしもレモン・テストを正

面から適用していないといえる。しかし同判決は,カウンティの主張に対

して,レモン・テストの目的審査の意義を詳しく説明しており,現時点で

のレモン・テストの理解に大きな意味を与えるものである。

スーター裁判官の法廷意見に見られる議論の特徴は,政府の目的それ自

体ではなく,客観的観察者・合理的観察者が認識した政府目的のみに依存

して審査を行うことにある。レモン・テストの目的審査で,客観的観察者

の視点で目的を分析したことは,これまで無かった。客観的観察者の視点

で国教樹立禁止条項に関する事案の審査を行うものに,エンドースメント

102)Heller, Context is King : A Perception-Based Test for Evaluating Government Dis-

plays of the Ten Commandments, 51 Vill. L. Rev. 379, 405-06(2006).

103)Alembik, supra note 9), at 1200.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 49

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・テストがある。このエンドースメント・テストは効果に焦点を合わせた

ものだという理解があるが,これが妥当であるならば,スーター裁判官の

テストは目的に焦点を合わせたものであるので,両者は異なるものといえ

よう104)。しかし,スーター裁判官のいう「目的」要件と,エンドースメン

ト・テストとの関係については,それぞれが別のテストであるのか,それ

とも後者が前者に吸収されてしまったのかは,McCreary判決だけではわ

からない105)。彼の見解がエンドースメント・テストの要素を取り込むもの

であって,コンテクストをベースにしたテストへの修正と捉える見解も成

立しうるからである106)。

スーター裁判官のいうように,目的審査を客観的観察者の認識に依存す

る方法に変更した場合は,Lemon判決で定式化されたレモン・テストと

どのような差異があるのか。客観的観察者が目的審査を行う際に,文書,

立法の歴史,および法律の施行,あるいは同等の公的活動の中に現れた伝

統的な外部へのサインを考慮に入れる。ある論者は,これによって,従来

の純粋な目的部分を放棄し,実際の政府の目的を探求することから,政府

の意図について客観的認識者が認識するところの目的を探求することへ転

換したと評価する。これは,政府行為の動機というよりも,政府目的が公

衆に与える効果に着目するものとなる。それゆえ,レモン・テストは,従

104)The Supreme Court,2004 Term――Leading Cases, 119 Harv. L. Rev. 169, 264

(2005).

105)会沢・前掲注69)298頁。

106) ある論者によれば,政府が宗教を是認しないと合理的観察者が考える場合に,

政府は十戒を展示できる。そのためには,�合理的観察者の視点から,展示の地理的・物理的・文化的コンテクストが,不適当な宗教上の目的を示すかどうか,�そうでなければ,展示特有の歴史は合理的観察者の住むコミュニティであまりにもよ

く知られているという理由で,合理的観察者がその歴史を知り,政府は宗教を是認

するような誤った印象を与えると結論を下すかどうか,というを2つの部分からな

るテストをパスしなければならない。Heller, supra note 102), at 408.

107)The Supreme Court, supra note 104), at 262-63, 267-68.

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来のそれと異なり,結果として目的部分を効果部分の中に混ぜ込むものと

して107),「巧妙(subtly)だが弾力的な法理に作り直された」という108)。スー

ター裁判官の見解は,レモン・テストの修正だとすれば,新しいものであ

る。

十戒の展示をめぐる2つの判決は,レモン・テストの修正だけがクロー

ズ・アップされたわけではない。Van Orden判決のレーンクイスト首席相

対多数意見は,レモン・テストが受動的なモニュメントを扱う本件では有

用でないといい,歴史分析による判断を行う。歴史的慣行や伝統を重視す

るアプローチも,健在であることがわかる。またMcCreary判決ではスー

ター裁判官の法廷意見に加わったブライア裁判官は,Van Orden判決での

結果同意意見で,レモン・テストを適用できることを示唆しつつも,本件

を国教樹立禁止条項のそもそもの目的である社会的分裂の回避に関わる事

案であると解し,レモン・テストを適用せずに結論を導いた。さらに,Van

Orden判決における他の意見を見ると,中立性に依拠する見解や強制テス

トを挙げる見解もあることがわかる。

このように連邦最高裁の中に,レモン・テストの廃止を唱える裁判官や

同テストの適用に消極的な裁判官がいる状況では,国教樹立禁止条項が問

題となる事案において,どのような審査基準が今後適用されるかを予測す

ることは難しい。しかも,2つの判決の後,裁判官が3人も代わったため

(レーンクイスト長官→ロバーツ長官,オコナー→アリート,スーター→

ソトマイヨール),レモン・テストの将来は不透明である109)。そうであれ

ば,McCreary判決で登場した「レモン・テストの修正」が,今後の判決

の中でどのような実際的な意味をもつのかも不透明といえよう。

108)Id. at 258.

109)See e.g., D. J. Merritt & D.C. Merritt, The Future of Religious Pluralism : Justice

O’Connor and the Establishment Clause, 39 Ariz. St. L.J. 895(2007).

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 51

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5 判断の分岐点

十戒の展示を合憲とした判断と違憲とした判断との分岐点は,実際には

どこにあったのか。

(1)Stone判決の射程

第1の分岐点は,Stone判決の射程の理解である。この判決は,学

校の教室内になされた十戒の掲示が憲法の国教樹立禁止条項に違反す

るとした判決である。McCreary判決の法廷意見は,この Stone判決

の射程を学校というコンテクストに限定されないとして,Stone判決

が十戒を展示することの憲法適合性を判断する上で法的な基準になる

と理解する。

これに対して,McCreary判決におけるスカリア裁判官の反対意見

と Van Orden判決の相対多数意見は,Stone判決の射程は学校という

コンテクストに限定されるとして,議会や議事堂のグラウンドにまで

拡張されないと理解する。このように,Stone判決を本件の先例と理

解するかどうかは,いうまでもなく結論に大きな影響を与える。

(2)十戒の展示と歴史

第2の分岐点は,十戒の展示についての理解である。McCreary判

決の法廷意見は,政府が十戒のような明白に宗教的と認識される文書

のみを公衆の見える場所に設置する努力を始めたとき,政府の宗教目

的は明白なことから,問題の展示はカウンティが庁舎の壁に宗教上の

文書を保持し続ける努力をしていると疑わせるものと評価した。これ

は,十戒の性格とその展示方法に着目して,明確な宗教文書が憲法上

中立であるべき場所に展示されたことをもって,展示目的の宗教性を

肯定したものである。

これに対して,McCreary判決のスカリア裁判官反対意見は,アメ

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リカの法と統治の基礎に捧げられた展示において他の世俗的に重要な

文書のそばに十戒が現れたとき,そのコンテクストが伝えることは,

十戒が法システムの発展に対するほかにない貢献を示すために,十戒

がその展示に含まれるということである。十戒の展示は,宗教が私た

ちの国における法と統治の伝統になした貢献を認識することの表れと

考える。また Van Orden判決におけるレーンクイスト首席裁判官の

相対多数意見は,十戒の展示が単なる宗教目的ではなく,歴史的意味

も併せもつ場合は国教樹立禁止条項と衝突しないと考えている。

(3)ブライア裁判官の判断

第3の分岐点は,McCreary判決と Van Orden判決で結論を異にし

たブライア裁判官の見方である。ブライアは,社会的分裂の有無を重

視し,その判断を次のような点に依拠する。�テキサス州の十戒は,

テキサス州における生活の理想を示すために設計された38のモニュメ

ントの中の1つであり,その一方でケンタッキー州の十戒は,その展

示を助けるための試みとして置かれたものである。�テキサス州の十

戒は40年間もその場所にあり続けたが,その一方でケンタッキー州の

十戒の展示は近年始まったものである。ブライアはこのように両事案

を区別して,テキサス州の十戒は社会的分裂をまねかないが,その一

方でケンタッキー州の十戒は社会的分裂をまねくと評価し,十戒の宗

教性を判断した110)。もっとも,こうした理解には,良心の自由に対す

る危険や基準の不明確さといった問題が指摘されている111)。

110)Van Orden, 545 U.S. at 701-704(Breyer, J., concurring in the judgment)は,こ

のような線引きは可能だという。See Maier & Mull, Holy Moses : What Do We Do

With the Ten Commandments? , 57 Mercer L. Rev. 645, 670(2006); Mota, supra note

101), at 120.

111)The Supreme Court, supra note 104), at 253-258.

アメリカにおける国教樹立禁止条項に関する違憲審査基準の展開 53

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6 2つの判決から読み取れること

厳格な政教分離を主張する裁判官と,一定の便宜供与を容認し,緩やか

な政教分離を主張する裁判官との間には,なかなか埋めがたい溝がある。

それゆえ,連邦最高裁内部で裁判官どうしの多数派工作が必要になるだろ

う112)。具体的問題を処理するために有用かつ統一的な基準は,現状では,

なかなか形成されない。

もっとも,McCreary判決からは,レモン・テストが生きた基準である

ことを確認できる113)。しかし,同時に,このテストは国教樹立禁止条項に

関する事案で常に適用されるわけでもない。十戒の展示についていえば,

すべての展示が国教樹立禁止条項に違反するわけではないし,またレモン

・テストが使われるか否かは事案次第で決まる。

すなわち2005年の2判決からすれば,十戒の展示の憲法適合性はケース

・バイ・ケースのようにも見える114)。連邦最高裁は,十戒の展示の憲法適

合性を審査する上で,今のところ,「レモン・テスト」を使う場合と,宗

教的な展示の歴史・目的・コンテクストの組み合わせを精査する場合とい

う,選択肢をもつといえよう。十戒の展示が歴史的意味をもつ場合は国教

樹立禁止条項と衝突しない可能性があるので,裁判所はその展示が当該条

項に違反するかどうかを決定するために,展示に関わる歴史,目的,コン

112)山崎・前掲69)157―158頁を参照。

113)Silberlight, Thou Shall not Overlook Context : A Look at the Ten Commandments

under the Establishment Clause, 18 Widener L.J. 113, 147(2008).

114)Id. at 147.

115)Maier & Mull, supra note 110), at 669-71.なお,2つの判決の趣旨は,モニュメ

ントが世俗目的をもって長期間設置されたものと,同じく世俗目的をもって新しく

設置されたものとを区別し,後者の場合にはレモン・テストを使用する,という理

解もある。Mota, supra note 101), at 120-21.

116)なお,Van Orden判決でのレーンクィストの意見は,相対多数意見であって,

法廷意見ではない。相対多数意見のもつ先例拘束性の問題については,Weins, A

Problematic Plurality Precedent : Why the Supreme Court Should Leave Marks over

Van Orden v. Perry, 85 Neb. L. Rev. 830(2007)を参照。

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テクストを目を向けることになる115)116)。

� むすびにかえて

アメリカ連邦最高裁は現在,日本の憲法学教科書に記載されているレモ

ン・テストを,そのままの形で使用していない。Agostini判決は,初期の

レモン・テストを「目的」「効果」の2要件のテストに修正して厳格度を

緩和したが,この修正版のレモン・テストが現在生きた基準であるかどう

かも正確にいえば不明である。ただし,McCreary判決が出されたことで,

レモン・テスト自体は生きた基準であるといえよう。このような状況にあ

ることから,今アメリカで生きながらえるレモン・テストが,厳格な目的

・効果基準を模索する日本の憲法学の範たりうるものかどうかは慎重に検

討する必要があろう。

また,アメリカでは,エンドースメント・テスト,強制テストや歴史的

慣行を重視するアプローチなど,レモン・テストそれ自体とは異なる基準

が存在する。これらの基準は,アメリカでもテストの使える場面やレモン

・テストとの関係を問われている。そうだとすれば,日本でこれらの基準

を使う場合には,日本の政教分離裁判で使用できる基準か否か,使えると

すればそれはどのような場合か,また目的・効果基準とどのような関係に

なるか,といった問題が浮上するであろう。日本国憲法に政教分離規定が

置かれた意味を考えたときに,アメリカでの種々の基準が日本でも有用な

ものといえるのかを考える必要がある。考える際には,とりわけ,これら

の基準が政教分離の厳格度を緩和するものであることに留意すべきである。

(付記)本稿は,平成19年度専修大学研究助成「米国における政教分離規

定の判断基準の展開とその背景」の研究成果である。

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