à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U...

15
はじめに 人類学者アルジュン・アパデュライは,移動して脱領土化された人々や集団が創出する空間 を「ディアスポラの公共圏」と呼ぶ。それは想像力の作動によって生み出されるという(アパ デュライ 2004)。日本では1980年代後半のバブル景気における労働力不足を補うために外国 人労働者が導入されるようになった。当時,ブラジルでは経済の低迷と高インフレによる生活 苦があった。1990年に出入国管理及び難民認定法が改正され,日系3世までとその配偶者は就 労活動に制限のない定住者資格で入国できるようになった (1) 。そして,労働市場の需給バラ ンスによって北関東や東海地方を中心にブラジル人が急増し,集住地が生まれていった。 本稿は,在日ブラジル人が産み出したプロテスタント教会を宗教的な「ディアスポラの公共 圏」として位置付ける。在日ブラジル人に関する研究には,これまで膨大な量の蓄積がある。 しかし,彼らの宗教的側面に十分な関心が払われてきたとは言い難い (2) 。そこで本稿では, 彼らが日本で設立した代表的な二つのプロテスタント教会を取り上げ,それらを比較すること で宗教コミュニティが形成されるありようとその機能の一端を明らかにする。 本稿の構成は次の通りである。第1章は,1980年代以降ブラジルでみられるプロテスタント 教会の台頭を概説する。第2章は,デカセギ (3) として来日したブラジル人が相対的剥奪を経 験するのみならず,社会的排除の対象になる側面を整理する。第3章ではブラジル人が日本で 産み出した二つのプロテスタント教会の設立の経緯を想像力の作動とディアスポラの公共圏と いう観点から考察する。そして第4章で,それら二つの教会の機能について社会関係資本(結 研究ノート ディアスポラの公共圏としての 在日ブラジル系プロテスタント教会 〔要 旨〕 1990年以降,日本では日系ブラジル人を中心とする南米からの人々が増加し た。就労を目的に来日した人々が大半だが,なかには宗教活動を活発に行うようになっ ている人もいる。本稿は日本で展開する代表的な二つのブラジル系プロテスタント教会 を取り上げて,宗教コミュニティの生成と機能を分析する。カトリックの国とされてき たブラジルではプロテスタント教会が盛んで,在日ブラジル人のコミュニティでもその 傾向が伺える。日本で相対的剥奪と社会的排除に晒されるなか,信者らは独自に救いの 場を作り上げている。しかし,教会によって用いられる社会関係資本には違いがみられ, 同じブラジル系プロテスタントというエスニック・チャーチでも異なるタイプのディア スポラの公共圏が機能していることがわかる。 〔キーワード〕 ディアスポラの公共圏,在日ブラジル人,プロテスタント教会,社会関 係資本,社会的排除 1

Transcript of à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U...

Page 1: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

は じ め に

人類学者アルジュン・アパデュライは,移動して脱領土化された人々や集団が創出する空間を「ディアスポラの公共圏」と呼ぶ。それは想像力の作動によって生み出されるという(アパデュライ 2004)。日本では1980年代後半のバブル景気における労働力不足を補うために外国人労働者が導入されるようになった。当時,ブラジルでは経済の低迷と高インフレによる生活苦があった。1990年に出入国管理及び難民認定法が改正され,日系3世までとその配偶者は就労活動に制限のない定住者資格で入国できるようになった(1)。そして,労働市場の需給バランスによって北関東や東海地方を中心にブラジル人が急増し,集住地が生まれていった。本稿は,在日ブラジル人が産み出したプロテスタント教会を宗教的な「ディアスポラの公共圏」として位置付ける。在日ブラジル人に関する研究には,これまで膨大な量の蓄積がある。しかし,彼らの宗教的側面に十分な関心が払われてきたとは言い難い(2)。そこで本稿では,彼らが日本で設立した代表的な二つのプロテスタント教会を取り上げ,それらを比較することで宗教コミュニティが形成されるありようとその機能の一端を明らかにする。本稿の構成は次の通りである。第1章は,1980年代以降ブラジルでみられるプロテスタント教会の台頭を概説する。第2章は,デカセギ(3)として来日したブラジル人が相対的剥奪を経験するのみならず,社会的排除の対象になる側面を整理する。第3章ではブラジル人が日本で産み出した二つのプロテスタント教会の設立の経緯を想像力の作動とディアスポラの公共圏という観点から考察する。そして第4章で,それら二つの教会の機能について社会関係資本(結

研究ノート

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会

〔要 旨〕1990年以降,日本では日系ブラジル人を中心とする南米からの人々が増加した。就労を目的に来日した人々が大半だが,なかには宗教活動を活発に行うようになっている人もいる。本稿は日本で展開する代表的な二つのブラジル系プロテスタント教会を取り上げて,宗教コミュニティの生成と機能を分析する。カトリックの国とされてきたブラジルではプロテスタント教会が盛んで,在日ブラジル人のコミュニティでもその傾向が伺える。日本で相対的剥奪と社会的排除に晒されるなか,信者らは独自に救いの場を作り上げている。しかし,教会によって用いられる社会関係資本には違いがみられ,同じブラジル系プロテスタントというエスニック・チャーチでも異なるタイプのディアスポラの公共圏が機能していることがわかる。

〔キーワード〕 ディアスポラの公共圏,在日ブラジル人,プロテスタント教会,社会関係資本,社会的排除

山 田 政 信

1

Page 35 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 2: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

束型および橋渡し型)を視点に分析する。

1.ブラジルにおける宗教風土の変容と在日ブラジル人の宗教

ブラジルはカトリックの国だと言われてきた。確かに1824年憲法ではローマ・カトリックが国教として記されていた。1890年に政教分離を経験するも,カトリックは影響力を保ち続けた。しかし,1980年代以降急激な変化がみられる(4)。それは,カトリック人口の減少である(表1)。その最大の原因はプロテスタント人口の増加にある。その変動を導いているのは,ルター派やメソジスト派といった歴史的プロテスタント教会ではなく,20世紀初頭にアメリカ合衆国で始まったペンテコスタリズム(5)(以下,ペンテコステ派とも表記)の流れを汲む会派である。

しかしながら,2010年の段階でカトリック信者は人口の6割を超えており,プロテスタント信者は2割強であることから,ブラジルはカトリック国であり続けていることに変わりないという反論もあるだろう。そこで精査しなければならないのは実質的な信者の割合がどの程度かということである。熱心な信者(católico praticante)は,カトリック信者全体の3割程度だろうとする仮説がある(Follmann 1987)。この指摘を踏まえると,日曜の朝のミサに通ったり,聖者誓願するというような篤信家は2割を切ることになる。一方,プロテスタントでは信者としてのアイデンティティが強固であることが知られており,表の数値は実数に近いとみなしてよいだろう。つまり,実質的な人数でカトリックとプロテスタントは同等か,むしろ後者の人口が前者を少し上回っている可能性がある。同国におけるペンテコステ派の淵源はコングレガソン・クリスタン・ノ・ブラジル

(Congregação Cristã no Brasil,設立1910年)と ア セ ン ブ レ イ ア・デ・デ ウ ス(6)

(Assembléia de Deus,同1911年)にある。宗教社会学者ポール・フレストンはこれらを第1の波として位置づける(Freston 2001)。コングレガソンはアルゼンチンを経由してブラジル布教に訪れたイタリア人,アセンブレイアは二人のスウェーデン人が礎を築いた。いずれもアメリカ合衆国のプロテスタント教会の影響を受けている。第2の波は都市化が伸展した1950年代に訪れた。ブラジル・パラ・クリスト(Brasil para Cristo,同1956年)とデウス・エ・アモール(Deus é Amor,同1962年)がサンパウロ市で設立された。宗教社会学者リカルド・マリアノは,この頃からブラジル産のペンテコステ諸教会が展開するようになったとしている(Mariano 2008:69)。そして,1980年代頃から第3の波が訪れた。テレビの宣教番組や牧師の政界進出で宗教運動が可視化するだけでなく,後述する先行投資型の献金や悪魔祓いが社会的に注目されるようになった。代表的な教団には本稿で取り上げるユニバーサルキリ

1980年 1991年 2000年 2010年カトリック 89.0 83.3 73.6 64.6プロテスタント 6.6 9.0 15.4 22.2心霊主義 1.3 1.6 1.6 2.3その他の宗教 1.2 1.0 2.0 2.9無宗教・不明 1.9 5.1 7.4 8.0

(表1)ブラジルの宗教別人口比率 単位(%)

出典: Censo demográfico1980,1991,2000,2010, IBGE, Rio de Janeiro から作成

2 天理大学学報 第70巻第2号

Page 36 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 3: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

2000年 2010年カトリック 63.9 59.2プロテスタント 7.2 20.1心霊主義 1.6 3.1仏教 10.7 4.3

その他の宗教 6.1 1.9無宗教・不明 10.5 11.4

(表2)東洋人(2000年)とブラジルに帰国した日系人(2010年)の宗教別人口比率単位(%)

出典: Censo demográfico2000,2010, IBGE, Rio de Janeiro から作成なお,ブラジルに帰国した日系人にかんする数値は,ブラジル地理統計院のKaizo Beltrão 氏提供。

スト教会(Igreja Universal do Reino de Deus,同1977年)があり,ネオ・ペンテコステ派と呼ばれて先の二つの波の諸教会と区別される。ブラジル地理統計院による1980年から30年間の10年ごとのペンテコステ派信者の人口推移を見てみよう。すると,390万人(1980年),880万人(1991年),1,798万人(2000年),2,537万人(2010年)となっており,増加の勢いが見て取れる。プロテスタント信者に占めるペンテコステ派の割合は49.4%,66.7%,68.7%,60.0%と推移している(7)。ペンテコステ派は,21世紀に入ってから伸び率が下がっているとはいえ,依然としてプロテスタント教会の主流派であることに違いはない。ここでブラジルにおける日系人の宗教別人口比率を確認しよう(表2)(8)。2000年の数値を

見てみると,東洋人の大半を占める日系人のキリスト教信者の割合(7.2%)は,表1のブラジル全体の数値(15.4%)と比べるとかなり低い。しかし,ブラジルに帰国した人々(表2,2010年の数値)にはプロテスタント信者の割合が高い(20.1%)ことが注目される。この差は何によるのだろうか。一つには,そもそも日本に働きに来た人々にはプロテスタント信者が多かったのではないかという仮説である。しかし,筆者がこれまでいくつかの日本のブラジル系プロテスタント教会で調査した結果を踏まえると,信者の半数以上が日本で入信したという教会が多い。それゆえ,日本に滞在している間にプロテスタント教会に入信・改宗する日系人が多く,そのような人々が数値を上げていると推測できる。

2.在日ブラジル人の相対的剥奪と社会的排除

在日ブラジル人のプロテスタント教会の形成には,相対的剥奪と社会的排除の問題が大きくかかわっている。ここでは1990年代の動向を中心に議論を進める。実は,ブラジル人が急増する原因となった入管法の改正以前にもブラジルからデカセギに来る人たちがいた。その多くはブラジルに移住した日本人や日本国籍を保有するブラジル生まれの中高年層だった。祖国に帰って働く恥ずかしさを感じつつも,真面目に就労してブラジルに送金したりドルや円を持ち帰って,「成功者」とみなされる者が少なくなかった。そして,彼らはブラジルの日系社会で否定的に見なされていたデカセギという現象を肯定論に変えていった(森 1993:113)。入管法改正後は,ブラジル国籍を持つ20代から40代の人々の来日が目立つようになった。彼らの中には高学歴取得者である,医師,弁護士,教師などもおり,ブラジルならホワイトカラ

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 3

Page 37 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 4: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

ーの職種に就くことのできる青年層も珍しくなかった(森 1993:115)。一方,人類学者森幸一がいうように,明確な目的を持たずに日本にやってきて,貯蓄もせずに生活をエンジョイする若者もいた。単身者として来日した人々は家族を呼び寄せ,また最初から家族を帯同するケースもあった。彼らはブラジルで買えなかった電気製品や自動車を容易に手に入れ,消費社会を謳歌しながら滞日を長期化させていった。子供が産まれれば,なおさら定住化を促すことにもつながった(9)。一方,祖父母の祖国に来たはずなのに,「ガイジン」として扱われることにカルチャーショックを覚えた人は少なくなかった。多民族社会であるブラジルでは日系人が「ジャポネス(日本人の意味)」と呼ばれるのは当たり前で,「ニホンジン」というアイデンティティを獲得するのは当然のこととされる傾向が強い。また日系人であるだけで,「信頼のおける日本人(japonês garantido)」と呼ばれて高く評価されることもある。そのようにポジティブなアイデンティティを内面化していたからこそ,日本では「顔は日本人でありながら,日本語ができず,虐められることもある」肩身の狭さが強く感じられた(10)。また,先進国である日本に行けば夢のような暮らしが待っていると期待していた人は多く,実際に来てみると賑やかな都心から離れた田舎暮らしと就労の厳しさが待っていたことに辟易する人もいた(11)。自らの期待値に反して相対的な不遇を感じる状況を社会学では相対的剥奪(relative

deprivation)と呼ぶ(12)。在日ブラジル人は,理想と現実のギャップに苛まれ,あるいは差別の目に晒されることで,たとえブラジルにいた時より経済的に豊かになったとしてもより一層強い不満を感じることがある。このような「特有の憂鬱」(トクヴィル 2005:238)のみならず,ブラジルの家族への「サウダージ(saudade)」という,懐かしさから差し迫ってくる強い思いが,打ち消すことのできない寂しさとなって苦しむ人もいた。共稼ぎで働く夫婦の場合,勤務時間や場所が異なるために互いに顔を合わせることができず仲が疎遠になったり,愛人問題に悩むことがあった。彼らの生活を,政治思想家トクヴィルを引き合いにして述べるなら,「享楽は盛んであり,とりわけこれを好むものの数が限りなく増える。だが,他方,そこでは希望と欲求はなかなか実現せず,魂は一層揺れ動いて落ち着かず,心の悩みが激し」くなるものだったといえよう(トクヴィル 2005:239)。本稿で取り上げるブラジル系プロテスタント教会の信者には,教会活動を始めるようになった頃,このような問題を抱えていたと語る者が多い。以上のように個人が感じる相対的剥奪にかかわる問題のみならず,ホスト社会から社会的に排除されるという問題も在日ブラジル人のプロテスタント教会への入信を促した。デカセギの来日は,日本が正規から非正規へ雇用形態の代替が進み,非正規労働者が増加した時期に相当する。日本では1990年代の長期不況以降,雇用・社会保険・公的扶助という三つのセーフティネットから漏れ落ちる非正規労働者が目立つようになっており,彼らは社会的に排除される傾向が強かった(湯浅 2008:21)。在日ブラジル人の多くは,そうした人々と同様の社会的コンテキストに組み込まれた。彼らの多くは,本国のブローカーや旅行会社経由で来日し,日本の請負会社に雇用される労働者(間接雇用の労働者)だった。不安定で脆弱な雇用形態にあったのである。2009年4月1日から一年間に渡って行われたデカセギの帰国支援事業は,彼らを労働市場から経済的に排除するものだったといえる(13)。また,今日でも在日ブラジル人は政治参加の権利が与えられず,政治的次元において市民的権利を奪われている。社会活動家の湯浅誠は,セーフティネットから排除され貧困状態に至る背景に「五重の排

4 天理大学学報 第70巻第2号

Page 38 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 5: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

除」があると指摘する(湯浅 2008:60)。五重の排除とは,①教育課程,②企業福祉,③家族福祉,④公的福祉,⑤自分自身からの排除である。在日ブラジル人の場合をみてみよう(14)

(山田 2014a)。なお,これらの問題は今日ではかなり解消してきている。①外国籍の子供は,日本の公教育において教育を受ける義務がないために,在日ブラジル人の子供たちは非就学になる場合があった。②在日ブラジル人は低賃金・不安定雇用のうえに雇用保険や社会保険に加入できない(しない)ことがあった。③彼らは現在でも身近に頼れる家族や親戚を持っていないことがある。④外国人労働者が集住する市町村では通訳や翻訳物が作成されるようになったが,1990年代は不十分だったために日本語ができないと公的福祉から排除されることがあった。⑤このような四つの排除は自分を見失わせ,生きる価値や希望を見いだせなくすることがある。社会的排除に加えて,宗教的排除についても指摘しておきたい。在日ブラジル人が集住する地域のカトリック教会では,月に一回程度,ポルトガル語のミサが開かれる。しかし,そうした教会やミサの回数は限られており,信者の宗教的ニーズの充足度は地域によって偏りがある。よって宗教的渇望を満たしてくれる別の地域や宗教を求めることがあった。そこで,日本人のプロテスタント教会にもブラジル人信者が集まるようになった。しかし,それらの教会のなかにはブラジル人が日本人を上回るようになったケースも少なくなく,祈りのスタイルと言語の違いからブラジル人が独立を促されるか,自分たちで独立を希望して出ていくことになった。ブラジル系プロテスタント教会の多くはこのようにして誕生していったのである。

3.想像力の作動とブラジル系プロテスタント教会

1993年頃から,ブラジル人主体のエスニック・チャーチであるブラジル系プロテスタント教会が生み出されていった(15)。2008年のリーマンショックの直前には国内に350~400か所あったとみられる。ここで,ブラジル系プロテスタント教会の設立を想像力の作動という観点から論じよう。宗教集団は日常生活の論理から引き離され,特殊な能力を授かったカリスマ的個人が宗教的な想像力を働かせることによって産まれることが多い。しかし,ブラジル系プロテスタント教会の多くは,自らもデカセギとして来日した人々が日常生活の実践の中で想像力を展開することで誕生している。ここで述べる想像力を,デュルケム的な集合表象を産み出す社会変動の力学として理解することにしたい(アパデュライ 2004:27)。さて,政治学者ベネディクト・アンダーソンがいう「想像の共同体」は出版資本主義によって生み出された(アンダーソン 1997)。それは今や電子的な資本主義によって導かれる国民国家の水準を超えた集団になっている(アパデュライ 2004:28)。たとえば,メキシコと米国を跨ぐエスニック集団にみられるサイバースペースはその一例といえよう。人類学者山本匡史によれば,そこに現れるトランスナショナリズムが在米メキシコ移民にエスニック・アイデンティティを喚起しているという(山本 2008)。電子メディアの発展が,生まれた場所から別の場所に移動した人々の想像力を活性化させ,さらにメキシコに残された人々を米国に移動させる重要な要因になっているのである。もちろん,国際労働力移動は電子メディアや人々の想像力によってのみ生み出されるわけではない。経済学的枠組みに基づいたプル・プッシュ理論や世界システム論等も考慮すべきだろう。しかし,特定の地域から特定の地域への移民は,賃金格差のみによって引き起こされているわけでなく,社会的ネットワークの重要性も指摘されるところである(樋口 2008)。想像

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 5

Page 39 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 6: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

力は社会的ネットワークを生み出し,またネットワークによって他の地域に想像力の作動が伝えられる。そして,エスニック・アイデンティティを喚起する動因になることで,祖国を離れて脱領土化した人々に独自の集団を創出させる。本稿ではそのようにして生まれた空間をアパデュライに倣って「ディアスポラの公共圏」と呼ぶ(アパデュライ 2004:21)。日本におけるブラジル系プロテスタント教会はその好例と言えよう。本稿では二つの教会を取り上げる。ミッション・アポイオ教会とユニバーサルキリスト教会である(16)。前者は先述した第1の波の流れにある教会で,後者は第3の波に属している。ともに日本での教会数と信者数は同程度だとみられる。二つの教会は現代ブラジルのプロテスタント教会の代表的な教会としてみなすことができるが,組織形態や教説に違いがある。そこで,以下ではそれぞれの教会の日本での設立と教会組織形態について整理したうえで,それぞれの社会関係資本にはどのような類似性や相違点があるのか,そしてそれがどのような「ディアスポラの公共圏」を作り出しているのかを分析する。

3.1.ミッション・アポイオ教会ミッション・アポイオ教会(以下,MA教会)は,デカセギとして来日した二人の非日系ブ

ラジル人が1993年に設立した。創設者の一人である A氏は,ブラジルで牧師の経験がある。1991年に来日し,相対的剥奪と社会的排除に置かれた同胞が沢山いることに心を痛め,デカセギとして自らも同じ環境に置かれながらも宣教活動を開始した。当時発行されていた,在日ブラジル人向けのポルトガル語新聞『International Press』に宣教広告を出すと,救済を求める電話が国内の至る所からかかってくるようになった。そして,聖書の無料配布や戸別訪問を行うようになり,信者のネットワークが広がっていった。もう一人の B氏一家も1991年に来日した。仕事の合間に A氏の活動を手伝うようになり,手作りのフリーペーパーを作ってブラジル食料品店などで配るようになった。これがのちにカラー刷りの雑誌となり,信者はもちろん教会間のネットワークを拡大させた(17)。二人の指導を受けた人々は,自分のアパートでセル(18)と呼ばれるグループを作って自主的に集会を開き,1993年には,名古屋,広島,東近江,豊田に教会を誕生させるに至った。各教会は信者の献金で運営され,担当牧師が統括する。しかし,自主的なセルグループによる教会の拡大が試みられていることからもわかるように,MA教会の統制形態は集権的というよりも分権的である。一方,市民会館を借りて日本で設立された同教会のすべての信者が一堂に会するための大会を開いたり,後述するようにマーチ・フォー・ジーザスというイベントを名古屋市内で開催して,信者間の親睦を深めると同時に結束力を高めており,教会間の連携も図られている。現在,国内に20数か所の教会や集会拠点があるほか,ブラジルではデカセギを終えて帰国した人々や,A氏の活動に共鳴した本国の牧師らが20を超える教会を開いている。また,フィリピン,インドネシア,ペルー,ボリビアでも日本でのデカセギから帰った人たちがまさに想像力の作動によって教会を誕生させている。それらの教会は国民国家の枠組みを超えたディアスポラの公共圏をなしている。

3.2.ユニバーサルキリスト教会ブラジルの宗教風土に変容をもたらした要因にペンテコスタリズムの伸展があったことは冒頭で述べたとおりである。そこにユニバーサルキリスト教会(以下,IU教会)が与えた影響

6 天理大学学報 第70巻第2号

Page 40 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 7: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

は多大だった。同教会はリオデジャネイロ市で1977年に誕生し,設立後わずか20年余りで210万人余りの信者を獲得した。先述したように,ブラジルのプロテスタント教会の歴史における第3の波は,この教会によって引き起こされたと言っても過言ではない。今や南北アメリカ大陸のみならず,ヨーロッパ,アフリカ,オセアニア,アジアに拠点を持つグローバルな巨大組織である。ブラジルにおける同教会の発展要因については次の四点を指摘しておきたい。第1に,グローバリゼーションがもたらす経済的抑圧と貧困層の増大である。本稿の議論では,在日ブラジル人の社会的排除と相対的剥奪の問題に繋がる。第2に,カトリック教会がそうした人々の受け皿として十分に機能していないと捉える民衆がいることである。日本の文脈では,カトリック教会にポルトガル語が話せる神父が必ずしも常住しているわけではないということになるだろう。第3に,IU教会が民衆宗教であるアフロブラジリアン宗教の神々を悪魔と見立てて追い払うという教義の接合である。悪魔祓いは,日本の教会でも確認できる。第4に,マスメディアを活用した宣教である。日本では,1989年に同教会が買収したブラジルのテレビネットワーク・ヘコルジ(Record)がスカパー!で開局し,現在ではネット配信によって視聴できる。なお,IU教会は従来のペンテコステ派で強調されなかった繁栄の神学(19)と悪魔祓いの実践という特徴を持っている。このように,IU教会の展開は,個人経営的なMA教会と非常に異なっており組織的である。

1995年2月,群馬県大泉町に日本初の IU教会が設立された。最初の集会は初代監督牧師として来日した牧師夫婦(20)と後に牧師となる C氏夫婦を含む7人だった(21)。半年後には IU教会の開祖ともいえるエジール・マセド監督牧師が来日した(Furucho 2001:72)。そして,同年11月には神奈川県藤沢市に教会が,浜松市に集会場が開かれた。また,1997年には浜松市に物件を購入して宗教法人格を取得した(22)。2015年現在,国内の教会数は21か所で牧師は18名,そのうちデカセギから牧師になった者は10名で,それ以外はブラジルから派遣されている。日本に駐在する2名の監督牧師のうち1名はフィリピン宣教を終えて就任した。そのような一部の人を除けば,教会活動を構成するほとんどの人々はMA教会同様,デカセギとして来日した人々である。IU教会もディアスポラの公共圏であることは言うまでもない。

3.3.小括以上の議論は表3のように整理することができる。MA教会と IU教会は同じディアスポラの公共圏としてのブラジル系プロテスタント教会といえども,運営形態,信徒集団の活動基本単位,教会のネットワーク,教え,プロテスタント教会内での位置づけに違いがあることがわかる。そこで,次章では社会関係資本の視点からもう少し詳しく考察することにしよう。

MA教会 IU教会運営形態 信者主導・自立型 教団主導・統制型信徒集団の活動基本単位 セル(信者グループ) 教会教会のネットワーク 分権的 集権的プロテスタント教会での位置づけ ペンテコステ派 ネオ・ペンテコステ派

(表3)教会組織形態の違い

出典:筆者作成

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 7

Page 41 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 8: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

4.分析:社会関係資本を視点に

社会関係資本とは,「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる,信頼,規範,ネットワークといった社会組織の特徴」をいい,「資本の他の諸形態と同様に生産的で,それがなければ達成できないような一定の目標を実現しうる」ものである(パットナム 2001:206―207)。政治学者ロバート・パットナムが具体例に挙げるのは,社会的ネットワーク,互酬性,信頼,の三つである。本稿の分析対象である二つの教会もそれらの社会関係資本によって形成され,また逆にそれらを生んでいる。パットナムは,社会関係資本を結束型と橋渡し型に分ける。本稿の文脈に即して言えば,前者は教会内部の同質的な人々の結束力を強め,後者は教会外部の人々との橋渡しをする機能を担う。以下ではこれらの視点に基づいて二つの教会の共通する点と相違する点を分析する。

4.1.結束型社会関係資本①エスニシティ二つの教会に共通するのはエスニック・チャーチだということである。豊田市のMA教会には約400人の信者がいる。ブラジル人が約300名で,あとはスペイン語圏出身者である。日本人信者も数名いる。一方,名古屋市の IU教会には約60名の信者がいる(23)。こちらも信者の構成はMA教会と同様である。いずれの教会でも日本語による集会が開かれているものの,使用言語は主としてポルトガル語であり,エスニシティが結束型社会関係資本の土壌をなしていることがわかる。どちらの教会でも1週間のうち,ほぼ毎日何らかの集会が行われている。MA教会では,夫婦のための勉強会,聖書勉強会,ゴスペルの練習などがあり,信者宅では家庭集会も盛んである。IU教会には,繁栄の集会,解放の集会,神の子の集会,愛のセラピーなどがある(24)。エスニック集団は,ホスト社会のマイノリティであるという理由で内向きの指向を持ち,排他的なアイデンティティと等質な集団を強化する傾向がある(パットナム 2001:19―20)。MA教会の場合には,教会は一つの「家族」であると謳い,信者間に「兄弟姉妹」という意識を生んでいる。集会では信者同士で挨拶する(ハグし合う)時間も設けられ,彼らの間に社会的ネットワーク,互酬性,信頼性が醸成されやすいことが見て取れる。実際,普段から信者同士で行動することが多く,結束力は高いといえる。一方,IU教会では教会に集まった信者が互いに挨拶することは少なく,集会でもそのため

の時間は設けられていない。信者は結束型社会関係資本を連帯して作り出すことよりも,各人の個別な救済を求めて牧師を頼りに集まっているという印象を受ける。しかし,彼らの入信経路がエスニシティに支えられたネットワークにあることは明らかである。

②聖書による説教いずれも聖書に基づいて説教が行われるが,MA教会ではつながりや愛を強調することで信

者らを集団的に包括し,IU教会では繁栄の神学と悪魔祓いで個別的に教会につなぎとめる。繁栄の神学は,献金は繁栄をもたらすと説き,社会上昇を願うブラジルの低所得者層に受け入れられた。教会で行われる週に一度の繁栄の集会では,献金のおかげで起業できたと語る体験者のビデオが流され,信仰者のモデルケースとして紹介される。しかし,宗教社会学者ラファエル・ショウジは,こうしたモデルは帰国して起業したいと考える在日ブラジル人を納得させ

8 天理大学学報 第70巻第2号

Page 42 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 9: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

る可能性があるものの,滞在が長期化している人々には受容されにくいと分析する(Shoji2008:72―73)。なぜなら,日本での限定的なエスニック市場では起業が難しいし,一定程度の安定した生活ができるようになった人にはお金が全てではないと考えるようになる傾向もあるからだ。

4.2.橋渡し型社会関係資本①フリーペーパー先述したように,MA教会の発展要因の一つにフリーペーパーがあった。当初は A4コピーだったが後にカラー刷りの雑誌となった。これによってプロテスタント信者は会派にとらわれずに国内のブラジル系プロテスタント教会の場所を見つけたり,未信者のデカセギの人々が教会に通うようになったりしている。教会間の相互連携にも貢献しており,日本のブラジル系教会全体をひとつの宗教コミュニティにする役割も果たしている。また,職場を変わることで他府県に移動するデカセギの人々には,他の教会への移動を容易にしている。IU教会は,日本で活動を始めて間もないころからフリーペーパーをはじめビデオやカセットテープの無料配布を行ってきており,宣教費用にかなりの投資をしているとみられる。宣教開始の1年後には『Folha Universal Japão』という機関紙を月刊で発行し,そこには日本語のページも掲載されていた。近年では,『Shiawase』,『Revista Superação』,『Fatos emfoco』,というカラー刷りの雑誌が出版されている。ただし,これらの出版物は IU教会のみの宣教を促している点で他の教会への橋渡しの役割を果たしておらず,MA教会のそれと異なっている。

②イベントMA教会は他のブラジル系プロテスタント教会や同じペンテコステ派の,日本人,ペルー人,韓国人,フィリピン人の諸教会とともにマーチ・フォー・ジーザスというイベントを開催している。これはプロテスタント信者がイエスを讃えるための行進で,日本では1993年から数年間行われた後に中断していたものを,2009年から名古屋市栄公園で再開するようになったものである。2010年5月のマーチには,約3000人が参加した。そのうち日本人は200名程度だったように筆者には見受けられた。ペルー人やフィリピン人信者,そして韓国人牧師も参加しており,国際的な雰囲気を醸し出していた。朝10時に始まり,お昼過ぎに終了した。イベントを監修したのは B牧師で,若者の姿が目立ったのが印象的だった(25)。IU教会も同様の規模のイベントを行っている。筆者が視察したのは,2014年5月に行われ

た「イスラエルの清めの油」集会である。会場は JR浜松駅に隣接した浜松市アクトシティで,IU教会の中央教会が眼前にある。イベントホールには座席が4500席用意され,日本人とフィリピン人用の席もあり,同時通訳が行われた(26)。目算で約3000人の参加者があったとみられる。信者らは各教会からチャーターバスに乗って集結した。筆者は名古屋の教会のバスに乗車した。名古屋からは50名ほどの参加者があり,3台の大型バスで出発した。会場ホールにはステージが設けられ,筆者らが到着した時にはステージ中央のスクリーンに宣教番組が流されていた。午後2時にイベントがスタートした。教団のテレビ番組同様の救済体験を映し出す再現ドラマが流され,そこに登場した信者が壇上に呼び出された。本人による救済の証が披瀝された後,30名近くの牧師とみられる人々が登壇した。そして,会場に集まっ

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 9

Page 43 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 10: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

た人々への祈りが始まった。すると数か所から奇声が聞こえ始めた。「悪魔」に取り憑かれたとされる人たちが,牧師に引かれて壇上に上がり,悪魔祓いの祈りが始まった。教会の集会でよく見られる光景である。集会の最後には「清めの油」が入っているとされる小瓶が配布され,監督牧師による祝福の後,エジール・マセド監督牧師の著書『失うものは何もない』ポルトガル語版第2巻と日本語版第1巻の発売記念サイン会が行われた。

③マスメディアの活用MA教会はホームページを作成しているが,マスメディアでの広報活動は行っていない。一方,IU教会はホームページの活用はもちろんだが,教団が経営するブラジルのテレビ局が日本のスカパー!で開局し,ブラジルのニュースや娯楽番組のみならず教団の宣教番組を流している。近年,電波放送は終了したが,ネット配信で従来通り視聴できるようになっている。宣教番組は曜日によって時間帯が異なるとはいえ,ブラジル同様に早朝と深夜に流されている。IU教会は日本でまだ信者が十分いないと思われた宣教開始間もないころに,ビデオやカセットテープを希望する人々に無料で郵送していた。それらはブラジルで放送されているラジオとテレビの宣教番組を録音・録画したものだった。当時はまだブラジルのテレビ放送はなく,レンタルビデオを見る日系ブラジル人が多かった。また,日系のエスニック雑誌である『Alternativa』でも広告を出しており,ブラジル人の集住地で必ず見かけるブラジル食材店で容易に手にすることができる。このように,IU教会はマスメディアを積極的に活用している。

4.3.小括以上の議論を整理すると表4のようになる。MA教会と IU教会には,ホスト社会のマイノ

リティ(結束型)とイベントの開催(橋渡し型)という共通点がみられるが,それ以外には違いがみられる。

MA教会 IU教会a.結束型社会関係資本①エスニシティホスト社会のマイノリティ 高 高「家族」としての教会 高 低②聖書による説教つながりや愛の強調 高 低繁栄の神学、悪魔祓い - 高b.橋渡し型社会関係資本①フリーペーパー 高 低②イベント 高 高③マスメディア - 高

(表4)社会関係資本のありよう

出典:筆者作成

10 天理大学学報 第70巻第2号

Page 44 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 11: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

第3章の議論と合わせて考えると,MA教会はフリーペーパーとイベントという橋渡し型社会関係資本によって分権的なネットワークを形成し,説教でつながりや愛を強調することで小規模のセルというグループや教会を基本単位とした結束型社会関係資本を生んでいることがわかる。MA教会は,これによって結束型と橋渡し型の両方の社会関係資本をバランス良く高めているといえるだろう。経済力では IU教会よりはるかに小さいとみられるが,活動の規模が劣らないことに注目したい。経済力を背景に高い社会的プレゼンスを有する IU教会は,教団主導による信者統制を集権

的に行う組織形態を持っている。結束型社会関係資本は,エスニシティ以外では教説(繁栄の神学)と儀礼(悪魔祓い)をもとに産み出されるが,あくまでも信者‐教会という個別的な関係性においてであり,信者同士を結び付けることは難しい。また,在日ブラジル人にとって繁栄の神学という教説を受容する可能性が低くなることは論じたとおりである。とすれば日本における IU教会の社会関係資本で特筆すべきは,マスメディアの活用だということができる。

お わ り に

本稿で明らかになった知見は次の5つにまとめられる。①移動したブラジル人がホスト社会の日本で生み出すプロテスタント教会という宗教的空間は,カトリシズムが主流とされてきたブラジルの宗教風土の変容を写し出したものである。②本稿で取り上げた二つの宗教コミュニティは,ありふれた人々が日常生活の実践の中で宗教的想像(創造)力を働かせて産み出したエスニック・チャーチというディアスポラの公共圏である。③二つの教会の設立と運営を促す社会関係資本には,ホスト社会のマイノリティ(結束型)とイベントの活用(橋渡し型)という共通点があるが,その他の項目には違いがある(表4)。④それらの違いは,ブラジルのペンテコステ派の第1の波と第3の波の組織形態(表3)の違いを示唆している。説教で家族のつながりや愛を強調するMA教会は信者間の結束力を高める一方で,セルおよび教会の自立的な活動によって分権的なネットワークを形成する。それに対して,マスメディアを活用するIU教会は,信者同士のつながりは弱いものの教会主導の集権的なネットワークを形成する。⑤このように,同じブラジル系プロテスタントというエスニック・チャーチでも,異なるタイプのディアスポラの公共圏が形成されている。ブラジル人の外国人登録者数は2007年にピークの約32万人を記録した後,リーマンショック以降,東日本大震災の影響もあり,2015年末には17,3万人に減少した。ところが,2016年から増加がみられ,2017年には19,1万人になっている。ブラジルの有力紙『オ・エスタード・デ・サンパウロ』インターネット版(2018年5月21日付)は,在ブラジル日本領事館で発行された査証の件数は2014年から2016年で145%増加したと報じている。その背景には,より質の高い生活と安全をブラジル人が求めていることがあるという(27)。ディアスポラの公共圏の一つであるブラジル系プロテスタント教会は,流動的な人々が産み出す空間として規模の変動を伴いながら今後も存続していくだろう。今後は日本で生まれ育った信者子弟らが,どのような宗教コミュニティを作っていくのかが注目される。本稿では日本の事例を取り上げたが,北米やヨーロッパでも移動したブラジル人によってエスニックなプロテスタント教会が設立されている。筆者は,スペインとポルトガルの IU教会を視察して,そこがラテンアメリカとアフリカ出身の人々のマルチエスニックな教会になっていることを確認した。また,本稿の冒頭で言及したコングレガソンはスペインでもブラジル人のエスニック教会として機能しているのみならず,他のヨーロッパ諸国に移住したブラジル人

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 11

Page 45 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 12: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

らの交流を容易にする重要な役割を果たしていることがわかっている(山田 2017)。日本を含め,他の国々でもその存在が当たり前のようになったトランスナショナルな宗教集団とそこに参画する人々の動態は,多文化共生が問われる現代のグローバル社会とそこで展開するコミュニティのこれからを考えるための重要な視座を与えてくれると思われる。

【付記】本稿は,文部科学省科学研究費基盤研究(C)「日本産ブラジル系プロテスタント教会のト

ランスナショナルな宗教実践に関する研究」(研究代表者:山田政信,研究課題番号:23520090),および同「スペインにおけるブラジリアン・ディアスポラの宗教実践に関する実証研究」(研究代表者:山田政信,研究課題番号:16K02193)による研究成果の一部である。

注(1)2018年1月22日にも法務省は省令を改正し,一定の要件を満たす日系4世(18歳から30歳)

にも就労資格が与えられ,最長5年の在留が可能になった。(2) 日本で展開する在日ブラジル人の宗教活動にかかわる主だった研究は次の通りである。イシ

(1995),Shoji(2008),白波瀬・高橋(2012),樋口(1998),Matsue(2006),三木(2012),星野(2011),山田(2008,2010a,2010b,2011,2014a,2014b),渡辺(2001),渡辺ほか(1999)。

(3) 「デカセギ(decasségui)」はポルトガル語になっているため,本稿ではカタカナ表記とする。(4) ブラジルの宗教変容については,山田(1998)を参照。(5) ペンテコスタリズム(ペンテコステ運動)とは,ユダヤ教の祝祭日であるペンテコステの日

に聖霊が降りたという信仰を受け継いでおり,三位一体の一つである聖霊の働きによって癒しや祝福がもたらされると信じる運動である。

(6) 日本でも活動する米国系のアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の系列である。(7) 数値は表5をもとに筆者算定。

(8)2000年は東洋人全体の数値だが,日系人は東洋人のなかで人口比率が高いことから,ここでは便宜的に日系人の数値として用いている。また,2010年は日本に5年以上滞在して帰国した人々の数値をもとに算出されている。

(9) しかし,子供が学齢期を迎えるようになると,帰国を考える夫婦は少なくなかった。(10) 東海地方の自動車部品工場で働いていたある日系ブラジル人は,ラインがストップしたとき

コンピュータプログラムを自分で修正して日本人労働者に非常にびっくりされたことがあると筆者に語った。ブラジルでコンピューターエンジニアだったことを周囲に明かしていなかったからだが,それ以来彼を見る日本人の目つきが変わったという。彼もアイデンティティクライシスを感じていた一人であり,そのような在日ブラジル人のアイデンティティを論じたものにTsuda(2003)がある。ほかに,Linger(2001),Lesser(2003),Roth(2002)なども参照。

(表5)ブラジルにおけるプロテスタント信者の人口 (単位:万人)

1980 1991 2000 2010プロテスタント全体 789 1,319 2,618 4,228

ペンテコステ派 390 880 1,798 2,537出典:Censo demográfico, IBGE, Rio de Janeiro.1980年と1991年のペンテコステ派の人数はMariano(2008:69)。

12 天理大学学報 第70巻第2号

Page 46 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 13: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

(11) ある非日系ブラジル人女性は日本の生活がブラジルに比べてはるかに都会的だと想像していたが,最初のアパートのトイレが汲み取り式だったことにショックを覚えたという。

(12) 社会学者 S.スタウファーが不満を巡るパラドクスを説くキー概念として提示し,A.ド・トクヴィルを経て,R.K.マートンによって議論が整理され,以後,有用な概念として定着した(石田 2012)。

(13) 希望者本人に30万円,その扶養家族に20万円を支給し,当分の間(3年間),在留資格による再入国を認めないというものである。ブラジル人2万53人とペルー人903人がこの事業を利用し帰国した。

(14) 今日,これらの問題の多くは改善されてきたが,必ずしも十分ではない。(15) エスニック・ビジネスの誕生もこの頃である(梶田 2006:220)。(16) ミッション・アポイオ教会に関しては,山田(2011,2014a),ユニバーサルキリスト教会に

関しては,山田(2004,2005,2007)がある。特に,本稿3章および4章のミッション・アポイオ教会に関する記述は,山田(2014a)の該当箇所をもとにしている。

(17) なお,B氏は2018年4月にMA教会から離れ,独自に活動を始めた。彼と共に数人の信者が離脱したが,多くの信者はMA教会に留まっている。彼の独立が同教会にどのような影響を与えることになるのか注目する必要がある。

(18) セルとは細胞を意味する cellのことである。細胞のように増殖することが期待された呼称といえる。

(19) ルカによる福音書(6章38節)の「与えよ。さらば与えられん」を引用し,先行投資型の献金を促している。詳しくは,山田(2004)を参照。

(20) 牧師は日本での宣教について『東洋の征服』を出版している(Furucho 2001)。(21) 牧師 C氏へのインタビュー(2013年3月)。なお,信者数の推移については不明である。(22) 宗教法人格取得の要件の一つに自前の土地建物の所有(または長期の賃貸契約)が定められ

ている。管見では,唯一ブラジル系教会で法人格を所得しているのは IU教会のみである。(23) 筆者は2か所の IU教会で参与観察が許された。同教会の本部は静岡県の JR浜松駅前のビル

にあり,そこで行われる集会(2008年3月,2014年3月)には,それぞれ200名ほど集まっていた。

(24) http : //universaljp.org/agenda-semanal/(2016年1月21日アクセス)。名古屋教会では,日本語の集会が月に2度行われている。

(25) 注17で述べたように,B氏の独立によるMA教会の活動への影響はマーチ・フォー・ジーザスにもみられる。2018年のマーチは5月26日に行われたが,参加者人数が減少したようである。

(26) 日本人席に座っていたのは100人程度だった。(27) https : //brasil.estadao.com.br/noticias/geral,vistos-para-brasileiros-crescem-145-na-4-onda

-de-imigracao-para-o-japao,70002317068(2018年6月25日アクセス)

【参考文献】アパデュライ,アルジュン『さまよえる近代 グローバル化の文化研究』平凡社,2004年アンダーソン,ベネディクト『想像の共同体』白石隆,白石さや訳,NTT出版,2007年イシ,アンジェロ「日系ブラジル人出稼ぎ者と宗教」『共同研究 出稼ぎ日系ブラジル人』明石書

店,1995年石田 淳 「相対的剥奪の社会学」『人間科学研究』大阪経済大学人間科学部,2012年,84―96頁梶田孝道 『顔の見えない定住化』名古屋大学出版会,2006年白波瀬達也,高橋典史 「日本におけるカトリック教会とニューカマー」『日本に生きる移民たちの宗

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 13

Page 47 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 14: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

教生活』三木英・櫻井義秀編著,ミネルヴァ書房,2012年,55―86頁トクヴィル,アレクシス 『アメリカのデモクラシー』松本礼二訳,第2巻上,岩波書店,2005年パットナム,ロバート 『哲学する民主主義 :伝統と改革の市民的構造』河田潤一,NTT出版,2001年樋口直人 「在日ブラジル人と日系新宗教 :ニューカマー外国人と宗教」『一橋研究』23(1),1998

年,161―173頁「国際移民の組織的基盤―移住システム論の意義と課題」『ソシオロジ』47(2),2002年,55―71頁。

星野 壮 「不況時における教会資源の可能性―愛知県豊橋市の事例から」『大正大学大学院研究論集』第35号,2011年,118―112頁

三木 英 「近年における外国籍住民とその宗教」『宗務時報』114,文化庁宗務課,2012年,1―16頁森 幸一 「日本人の『出稼ぎ』を巡る状況の変化」『「出稼ぎ」現象に関するシンポジューム報告書』

二宮正人編,ブラジル日本文化協会,1993年,109―126頁山田政信 「ブラジルの宗教的風土―カトリシズムと新宗教の図式において」,『アメリカス研究』第3

号,天理大学アメリカス学会,1998年,103―118頁「ブラジルにおけるネオペンテコスタリズムの伸展」『宗教研究』第342号,日本宗教学会,2004年,71―92頁「ブラジルにおけるプロテスタント教会の社会的認知」『イベロアメリカ研究』51号,上智大学イベロアメリカ研究所,2005年,63―78頁「ブラジル・ユニバーサル教会の取り込み戦略 ―取り込まれたプロテスタント信者」『グローバル化とローカルの共振 ラテンアメリカのマルチチュード』人文書院,2007年,142―163頁「安住の地としてのプロテスタント教会 ―三重県・ベテル福音教会の事例」『アメリカス世界における移動とグローバリゼーション』,天理大学出版部,2008年,184―201頁「在日ブラジル人の宗教生活」『ラテンアメリカン・ディアスポラ』,中川文雄他編著,明石書店,2010a年,249―262頁「プロテスタント教会におけるデカセギと日本人の共感的世界」『移民研究年報』第16号,日本移民学会,2010b年,23―44頁「デカセギ・ブラジル人の宗教生活 ―エスニックネットワークの繋留点としてのブラジル系プロテスタント教会」『グローバル化の中で生きるとは ―日系ブラジル人のトランスナショナルは暮らし―』三田千代子編,上智大学出版,2011年,195―222頁「在日ブラジル人の宗教コミュニティ ―越境するプロテスタント教会」『創造するコミュニティ』晃洋書房,2014a年,61―87頁「第2章 中南米」『在留外国人の宗教事情に関する資料集 ―東アジア・南アメリカ編」文化庁文化部宗務課,2014b年,11―18頁「旅する文化を生きる人々:スペインのブラジル系プロテスタント教会」『現代宗教2017』国際宗教研究所,2017年,55―79頁

山本匡史 「サイバースペース上の民俗的シンボル―在米ゲレロ州民の「非―場所」的コミュニケーションをめぐる試論」『アメリカス世界における移動とグローバリゼーション』天理大学アメリカス学会編,2008年,150―183頁

湯浅 誠 『反貧困 ―「すべり台社会」からの脱出』岩波新書,2008年渡辺雅子 「在日日系ブラジル人信者への新宗教の対応 ―天理教と創価学会の比較」『明治学院大学

社会学部付属研究所年報』明治学院大学,2001年,21―36頁渡辺雅子・田島忠篤・石渡佳美,「創価学会在日ブラジル人メンバーの組織化と生活実態・信仰活動」

14 天理大学学報 第70巻第2号

Page 48 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ

Page 15: à µÙåw¬ Mq`ow O ÔÒå´ç%Óéµ»ïÄq · xa t ¨¶ ç´áï~ ÍÃáå x| `o d T=^ h B U Ñ Zb í ®Ã µÙåw¬ M¯qz {f x Ý þ w^ t lo \ Z^ qMO¢ Í

『明治学院論叢 社会学・社会福祉学研究』明治学院大学,1999年,41―114頁Follmann, José Ivo. “O ser católico : diferentes identidades religiosas”, Comunicações do ISER,

ano. 6, No. 26, 1987, pp. 17―25.Freston, Paul. Evangelicals and Politics in Asia, Africa and Latin America, Cambridge

University Press, 2001.

Furucho, Natal. A conquista do Oriente : uma missão de fé, Universal Produções, 2001.

Lesser, Jeffery (ed.). Searching For Home Abroad : Japanese Brazilians and Transnationalism,

Duke University Press, 2003

Linger, Daniel Touro. No One Home : Brazilian Selves Remade in Japan, Stanford University

Press, 2001

Matsue, Regina. Religious Activities among the Brazilian Diaspora in Japan : The Cases of the

Catholic Church, Sekai Kyuseikyo and Soka Gakkai, Ph.D. Dissertation to the

Graduate School of Humanities and Social Sciences of University of Tsukuba, 2006

Mariano, Ricardo. “Crescimento Pentecostal no Brasil : fatores internos”, Revista de Estudos da

Religião, dezembro, 2008, pp. 68-95

Roth, Joshua. Japanese Brazilian Migrants in Japan, Cornell University Press, 2002

Shoji, Rafael. “Religiões entre brasileiros no Japão : conversão ao pentecostalismo e a redefinição

étnica”, REVER, 8, 2008, pp.46-85

Tsuda, Takeyuki. Strangers in the Ethnic Homeland : Japanese Brazilian Return Migration in

Transnational Perspective, Columbia University Press, 2003

ディアスポラの公共圏としての在日ブラジル系プロテスタント教会 15

Page 49 /【K:】Server/ver7教内/248696天理大学学報 第250輯v7/語学・文学・人文・社会・自然編カンマ使用/本文(横)※リュウミンL・カ