良い「仕事」は「私事」の充実から夫婦で協力し、何とか仕事と私事を両立させた。しか...

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産業技術総合研究所(産総研)に入所し、間もなく15 年。産総研には、仕事と私事のバランスを取りやすい 職場環境が整えられている。筆者には3人の子供がい るが、さまざまな支援制度と理解ある共同研究者・ス タッフに支えていただき、なんとか今日まで研究を続 けてこられたことに感謝している。一方で、反省して いる点もあり、教訓として活かしていただければと思い、 本誌面にて紹介する。 筆者が学位取得と同時期に結婚した際、恩師より「夫 婦たるもの一緒に暮らすべき」という趣旨のお言葉を いただいた。夫は転勤の多い会社勤めで当時は三重に 住み、筆者は関東で研究者としての道を歩み始めよう としていた。将来同居できる展望もなかったため、恩 師の言葉を素直には受け取ることができず、内心で(今 はネットも携帯電話もある。新時代の夫婦の形でやっ ていくぞ!)と強がっていた。実際のところ、子供を 授かるまでは別居生活に何の問題もなかった。むしろ、 パーマネント試験に向けてプレッシャーのかかってい た筆者には、好きなだけ研究に専念できる環境は好都 合であった。 結婚4年目、夫が東京に転勤し、つくばでの同居生 活が始まった。第 1 子、第 2 子を授かり、大変ながらも 夫婦で協力し、何とか仕事と私事を両立させた。しか し、第3子の出産直前に夫が再び地方に転勤したため、 筆者は出産後、単身で乳幼児3人(出産時0歳、1歳、4 歳)の育児を担うことになった。夫は新任地で多忙で あったが、金曜の夜に高速道路を飛ばしてつくばに帰 り、日曜の夜中に単身赴任先に戻るという生活を続け た。当時は筆者も夫も、困難な状況も努力と根性で乗 り越えるべき(乗り越えられる)と信じ、無我夢中で 頑張った。ところが、同時期に義母の介護と震災が重 なったこともあり、産休を終えて職場に復帰した直後 に、まず筆者が過労により体調を崩してしまった。産 休中の遅れを少しでも取り戻したい焦りと、自身の体 力に対する過信から、健康管理をおろそかにし、半徹 夜で原稿を仕上げた翌日のことであった。結果として 数週間の自宅療養が必要になり、復帰早々、周囲に多 大な心配・迷惑をかけただけでなく、服薬のため授乳 もできなくなり、仕事と私事の両立どころか、どちら も満足に役目を果たせなくなった。幸い自宅療養を経 て職場に復帰できたものの、しばらくして、今度は夫 が病に倒れ、緊急手術を受ける事態に。 個人の努力はもちろん大切であるが、心身の健康を 保つことはそれ以上に大切である。若いときには慣れっ この徹夜や無茶も、加齢に加えて育児等のストレス下 で体力が衰えているときでは、大事に至ることがある。 近年、職場の子育て支援制度はますます充実し、周囲 の理解も得られやすい環境になっている。筆者の誤り は、私事が大変な状況下、仕事の比重を下げるべきと きに、以前と同様に維持しようと無理をした点にある。 以前の自分や周囲の研究者と比較し、無理をしてでも 研究アクティビティを下げたくない、との気持ちが勝っ てしまった。 良い「仕事」のためには、心身の健康を含め「私事」 の安定・充実が必須である。筆者自身の反省を踏まえ、 若い読者にお伝えしたいことは、私事で困難に直面し ても、心身の健康を第一に考え(しっかり食べて寝る)、 一人で頑張りすぎない(人に任せられることは任せる、 周りに相談する)、仕事と私事のバランスを適切にコン トロールする、ということである。そのうえで、周囲 への感謝の気持ちを忘れずに、必要とされる人材でい られるよう努力を続けることが重要である。 夫は退院後、会社のご配慮で東京勤務に戻り、図ら ずも現在、恩師の言葉どおり家族揃っての生活を送っ ている。夫の病気で失ったものは大きいが、一方で、 困難な別居生活から解放され、夫婦でともに育児にあ たれることは何よりもありがたい。ネットやスマホで 便利になった今でも、出産・育児期は、やはり家族一 緒に暮らすことが望ましい。女性の社会進出が進み、 以前の筆者のように、単身で子育てにあたらざるを得 ないケースは今後増えていくと思われる。筆者らのよ うに体を壊すことなく、誰もが無理なく仕事と私事を 両立していけるよう、従来型の働き方の見直し(おも に男性側)、在宅勤務等を含めた多様な働き方の許容、 家庭状況に配慮した任用・人材配置・人事交流、保育・ 介護サービスの充実等、多方面からのさらなる支援強 化にも期待したい。 578 ©2016 The Society of Polymer Science, Japan 高分子 65 巻 10 月号 (2016 年) 先輩からのメッセージ 仕事と私事Messages: “Work and Life” 良い「仕事」は「私事」の充実から 大矢根綾子 産業技術総合研究所 ナノ材料研究部門 [305-8565]つくば市東1-1-1中央第5 主任研究員,博士(工学). 専門は生体材料学. [email protected] staff.aist.go.jp/a-oyane/

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産業技術総合研究所(産総研)に入所し、間もなく15年。産総研には、仕事と私事のバランスを取りやすい職場環境が整えられている。筆者には3人の子供がいるが、さまざまな支援制度と理解ある共同研究者・スタッフに支えていただき、なんとか今日まで研究を続けてこられたことに感謝している。一方で、反省している点もあり、教訓として活かしていただければと思い、本誌面にて紹介する。

筆者が学位取得と同時期に結婚した際、恩師より「夫婦たるもの一緒に暮らすべき」という趣旨のお言葉をいただいた。夫は転勤の多い会社勤めで当時は三重に住み、筆者は関東で研究者としての道を歩み始めようとしていた。将来同居できる展望もなかったため、恩師の言葉を素直には受け取ることができず、内心で(今はネットも携帯電話もある。新時代の夫婦の形でやっていくぞ!)と強がっていた。実際のところ、子供を授かるまでは別居生活に何の問題もなかった。むしろ、パーマネント試験に向けてプレッシャーのかかっていた筆者には、好きなだけ研究に専念できる環境は好都合であった。

結婚4年目、夫が東京に転勤し、つくばでの同居生活が始まった。第1子、第2子を授かり、大変ながらも夫婦で協力し、何とか仕事と私事を両立させた。しかし、第3子の出産直前に夫が再び地方に転勤したため、筆者は出産後、単身で乳幼児3人(出産時0歳、1歳、4歳)の育児を担うことになった。夫は新任地で多忙であったが、金曜の夜に高速道路を飛ばしてつくばに帰り、日曜の夜中に単身赴任先に戻るという生活を続けた。当時は筆者も夫も、困難な状況も努力と根性で乗り越えるべき(乗り越えられる)と信じ、無我夢中で頑張った。ところが、同時期に義母の介護と震災が重なったこともあり、産休を終えて職場に復帰した直後に、まず筆者が過労により体調を崩してしまった。産休中の遅れを少しでも取り戻したい焦りと、自身の体力に対する過信から、健康管理をおろそかにし、半徹夜で原稿を仕上げた翌日のことであった。結果として数週間の自宅療養が必要になり、復帰早々、周囲に多大な心配・迷惑をかけただけでなく、服薬のため授乳もできなくなり、仕事と私事の両立どころか、どちら

も満足に役目を果たせなくなった。幸い自宅療養を経て職場に復帰できたものの、しばらくして、今度は夫が病に倒れ、緊急手術を受ける事態に。

個人の努力はもちろん大切であるが、心身の健康を保つことはそれ以上に大切である。若いときには慣れっこの徹夜や無茶も、加齢に加えて育児等のストレス下で体力が衰えているときでは、大事に至ることがある。近年、職場の子育て支援制度はますます充実し、周囲の理解も得られやすい環境になっている。筆者の誤りは、私事が大変な状況下、仕事の比重を下げるべきときに、以前と同様に維持しようと無理をした点にある。以前の自分や周囲の研究者と比較し、無理をしてでも研究アクティビティを下げたくない、との気持ちが勝ってしまった。

良い「仕事」のためには、心身の健康を含め「私事」の安定・充実が必須である。筆者自身の反省を踏まえ、若い読者にお伝えしたいことは、私事で困難に直面しても、心身の健康を第一に考え(しっかり食べて寝る)、一人で頑張りすぎない(人に任せられることは任せる、周りに相談する)、仕事と私事のバランスを適切にコントロールする、ということである。そのうえで、周囲への感謝の気持ちを忘れずに、必要とされる人材でいられるよう努力を続けることが重要である。

夫は退院後、会社のご配慮で東京勤務に戻り、図らずも現在、恩師の言葉どおり家族揃っての生活を送っている。夫の病気で失ったものは大きいが、一方で、困難な別居生活から解放され、夫婦でともに育児にあたれることは何よりもありがたい。ネットやスマホで便利になった今でも、出産・育児期は、やはり家族一緒に暮らすことが望ましい。女性の社会進出が進み、以前の筆者のように、単身で子育てにあたらざるを得ないケースは今後増えていくと思われる。筆者らのように体を壊すことなく、誰もが無理なく仕事と私事を両立していけるよう、従来型の働き方の見直し(おもに男性側)、在宅勤務等を含めた多様な働き方の許容、家庭状況に配慮した任用・人材配置・人事交流、保育・介護サービスの充実等、多方面からのさらなる支援強化にも期待したい。

578 ©2016 The Society of Polymer Science, Japan 高分子 65巻 10月号 (2016年)

先輩からのメッセージ ―仕事と私事―Messages: “Work and Life”

良い「仕事」は「私事」の充実から

大矢根綾子産業技術総合研究所 ナノ材料研究部門

[305-8565]つくば市東1-1-1中央第5主任研究員,博士(工学).専門は生体材料学.[email protected]/a-oyane/