防府のバレーボールの歩み~防府のバレーボールの始まり~...

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表紙写真:2018 10 月 FIVBバレーボール世界選手権 セルビア女子チームと防府市応援団(中央写真) ホストタウン推進事業マスコットキャラクター「セルビー」(左下写真) 目次 ・戦後、1950年代 ・1960年代、1970年代 ・1980年代、1990年代 ・2000年以降 ・防府のバレーボールに関する 近年の主な成績 防府市ホストタウン推進事業実行委員会 2019.3.31 防府のバレーボールの歩み Photo:FIVB

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Page 1: 防府のバレーボールの歩み~防府のバレーボールの始まり~ 戦後・1950年代 防府市バレーボール 戦後まもなくして防府市バレーボール協会が設立され、初代

表紙写真:2018年 10月 FIVBバレーボール世界選手権 セルビア女子チームと防府市応援団(中央写真)

ホストタウン推進事業マスコットキャラクター「セルビー」(左下写真)

目次

・戦後、1950年代

・1960年代、1970年代

・1980年代、1990年代

・2000年以降

・防府のバレーボールに関する

近年の主な成績

防府市ホストタウン推進事業実行委員会 2019.3.31

防府のバレーボールの歩み

Photo:FIVB

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~防府のバレーボールの始まり~

戦後・1950年代

戦後まもなくして防府市バレーボール協会が設立され、初代

会長に桑原虎次郎が就任した。時を同じくして、防府中学(現:

防府高校)で体育教師としてバレーボールの他、柔道や相撲も

指導していた久保田廸夫は同校バレーボール部の監督となり、

指導に打ち込んでいた。

戦時中、軍に従事していた久保田廸夫には、長崎重芳という

部下がいた。長崎は戦前最高のバレーボーラーと言われ、戦後

も現役を続けながら指導者としても活躍し、バレーボール協会

の要職を務めるなど多方面に顔の利く人物だった。

長崎が広島出身という縁もあり、桑原虎次郎、久保田廸夫が

舵を取り、広島の祟徳高校バレーボール部とそのOBを含めた

メンバーと、防府高校バレーボール部とそのOBを中心とする

“防府市連合チーム”の交流試合が実現した。1年目は広島で、

翌年は防府で試合を行った。

祟徳高校は1947年に稲葉正文を監督に迎え、創部3年目

の1950年には国民体育大会に出場し、1957年の全日本

高校バレーボール選手権では優勝を果たすなど、瞬く間に全国

の常連校として知られる高校となった。この交流試合には森山

輝久や猫田勝敏らが出場し、大いにその力を見せ付けた。彼ら

の活躍に続き、西本哲雄ら、祟徳高校から全日本代表が次々と

輩出されていった。

他方、防府市側にも、正山悦子や河村稔夫、徳富斌など、後

に実業団や全日本で活躍する選手が出場していた。とはいえ、

総合的に双方の力の差が大きかったこともあり、この交流試合

は2年で終わりを迎えてしまう。しかし、桑原虎次郎や久保田

道夫などの努力により、こうした経験が積めたことは防府にバ

レーボールが根付くきっかけとなり、今後の防府のバレーボー

ルを語る上では外せない出来事となった。

・桑原虎次郎(くわはらとらじろう)

防府市バレーボール

協会初代会長。協会の

立ち上げに尽力された。

医師としても活躍さ

れ、防府市内一周駅伝

競走大会の担当医とし

ての経歴も持つ。

・久保田廸夫(くぼたみちお)

防府中学(現:防府

高校)の体育教師。戦

時中の長崎重芳との出

会いもあり、戦後にバ

レーボール部の顧問と

なると、祟徳高校との

交流試合を実現するなど、防府にバレー

ボール文化を根付かせた人物といえる。

・長崎重芳(ながさきしげよし)

広島県出身のバレーボール選手。元全

日本選手であり、全日本の監督、バレー

ボール協会の理事等の要職も歴任。

選手時代には、猛スパイクを打つこと

から、名前をもじり“重砲”と呼ばれた。

日本バレーの父とも呼ばれる。

戦時中、久保田道夫の部下だった縁か

ら、防府高校と祟徳高校との交流試合の

実現に多大な貢献をした人物といえる。

・稲葉正文(いなばまさふみ)

祟徳高校バレーボール部の監督。同部

を全国大会常連高へ押し上げた。森山輝

久、猫田勝敏や西本哲雄らを指導、育成。

同部監督退任後は、専売広島の総監督

も歴任された。

・森山輝久(もりやまてるひさ)

・猫田勝敏(ねこたかつとし)

・西本哲雄(にしもとてつお)

祟徳高校出身のバレーボール選手。元

全日本であり、オリンピックに出場、メ

ダルの獲得に貢献している。

【左から、森山、猫田、西本】

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~防府市出身選手の全国での活躍~

1960年代・1970年代

高校時代に力をつけた河村稔夫は高校卒業後、大学を経て、

八幡製鐵に入社し、同社バレーボール部(現:堺ブレイザーズ)

へ入部した。このバレーボール部は実業団チームの強豪チーム

として知られ、1950年代中頃までは全国大会優勝等華々し

い結果を残していたが、河村が入部する頃にはその勢いを失い

つつあった。しかし、河村が入部をしたその年、「全日本都市対

抗バレーボール大会」に出場するとチームは優勝、その後の香

港遠征でも7戦7勝と勢いを取り戻した。河村は入部後にすぐ

に頭角を現すと、チームのエースへと成長し、「全日本実業団選

手権」、「全日本総合選手権大会」、「国民体育大会」4大大会の

全ての優勝を経験した。その後は主将としてもチームを牽引し、

その活躍が認められ全日本にもたびたび選出された。ここでも

主将を任され、1964年の東京五輪への出場も期待されたが、

1961年、これに向けた強化合宿終了後、自チームの練習中

に大怪我を負ったことで出場は叶わず、選手生活にもピリオド

を打つことになった。

河村稔夫と7歳違いの徳富斌は彼と入れ替わるように八幡製

鐵に入社、同社バレーボール部へ入部すると、まもなく全日本

へ選出された。徳富も防府市出身であり、河村の意思を継ぐか

たちで東京五輪への出場を果たす。日本男子バレーボール初の

銅メダル獲得に貢献した。

また、防府市出身の奥嶋桂子(現姓:河村)は、三田尻女子

高校(現:誠英高校)を卒業後、1976年に鐘紡バレーボー

ル部に入部した。3年後の1979年にはエースとしてリーグ

優勝に貢献し、日本リーグベスト6を獲得した。翌年にはモス

クワ五輪出場メンバーに選出されたが、東西冷戦に端を発する

西側諸国のボイコットにより、五輪出場は幻となった。

【河村稔夫の力強いスパイク】

・河村稔夫(かわむらとしお)

高校卒業後、大学を経て、八幡製鐵バ

レーボール部に入部すると、チームのエ

ース、主将として同部の黄金時代を築い

た。

全日本にも選出され、ここでも主将を

務めるが、怪我により、東京五輪への出

場は叶わなかった。

・徳富斌(とくとみたけし)

河村稔夫と入れ替わるかたちで全日本

に選出され、東京五輪では銅メダル獲得

に貢献した。

・奥嶋桂子(おくしまけいこ/現姓:河村)

三田尻女子高校を卒業後、鐘紡バレー

ボール部に入部し、新人ながら「若鷹賞」

を獲得した。その後もエースとして活躍

し、リーグ優勝にも貢献した。

モスクワ五輪メンバーにも選出され

たが、ボイコットのため出場はならなか

った。

“褒めて伸ばす育成”で三田尻女子高校を全国大会3冠へ

導いた河村充監督。兄は元全日本の河村稔夫。

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~中学生・高校生・実業団の全国大会における活躍~

1980年代・1990年代

1979年の全国高等学校総合体育大会で三田尻女子高校が

3位になると、1988年の全国高等学校バレーボール選抜優

勝大会3位、1991年の全国高等学校総合体育大会3位、1

996年の国民体育大会準優勝(※混成チームだが多くは三田

尻女子高校の選手であった。)、1998年の全国高等学校総合

体育大会3位と結果を残す。毎年のように全国出場を果たし、

そこで勝ち上がることで、防府のバレーボール文化を全国に広

め、発信した時期といえる。

後にダイエーで活躍する小川亜矢子や、日本代表に選出され

る先野久美子や宝来麻紀子はこの時期を代表する三田尻女子高

校出身選手である。

先野は小学校からバレーボールを初め、高校では主にミドル

ブロッカーとして活躍、高い打点からのスパイクを武器として

活躍した。高校卒業後はダイエーに入社、スパイク賞、ベスト

6を受賞。久光製薬に所属先を変更後も、最高殊勲選手賞をは

じめ各種賞を受賞し、チームの優勝に貢献。日本代表としても

2007年のワールドグランプリに出場した。

宝来は1996年の国民体育大会準優勝メンバーの一人で、

卒業後は日立ベルフィーユに入団。2001年にJTマーヴェ

ラスに移籍。竹下佳江らと共に2年連続の国内カップ戦準優勝

の原動力となった。この活躍により全日本代表にもたびたび選

出され、世界選手権やワールドカップなどの数多くの国際大会

に出場した。

また、この時期は、1982年の全日本中学校バレーボール

選手権大会において桑山中学校(男子)が全国3位になり、翌

年の同大会においては準優勝。また1993年の全国中学校体

育大会において右田中学校(女子)が全国3位の成績を残した。

実業団においては、1986年に日本たばこ防府が日本産業人

9人制バレーボール男女全国優勝大会で優勝を果たすなど、高

校以外の年代でも全国での活躍が見られた。

【産業人9人制バレー全国大会で日本たばこ防府の初優勝を祝福する当時の新聞記事】

・先野久美子(さきのくみこ/現姓:大山)

下関市出身、三田尻女子高校出身のバ

レーボール選手。高校卒業後は、ダイエ

ーに進み、スパイク賞、ベスト6を受賞。

その後進んだ久光製薬ではリーグ優勝

を経験。個人としても最高殊勲選手賞の

獲得など、数々の賞を受賞している。全

日本にも選出され活躍した。

・宝来麻紀子(ほうらいまきこ/現姓:前田)

宇部市出身、三田尻女子高校出身のバ

レーボール選手。高校在学中に国体準優

勝を経験。卒業後は日立ベルフィーユに

入団。その後JTマーヴェラスに移籍す

ると、チームのVリーグ昇格や国内カッ

プ戦準優勝に貢献した。その後、全日本

にも選出され、数々の国際大会に出場し

た。

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~防府から全国へ~

2000年以降

2000年、河村充監督率いる三田尻女子高校は全国高等学

校総合体育大会で初優勝を飾ると、それから翌年にかけて全国

4冠を達成し、瞬く間に強豪校として全国に知れ渡るようにな

った。

その中心メンバーが白丸寿美、高木理江、河村聖子、栗原恵

らであった。特にエース栗原の活躍は顕著で、在学中に全日本

に選出され、卒業後はNECレッドロケッツに入団。その後パ

イオニアレッドウィングスや海外移籍も経験した。Vリーグで

は最高殊勲選手賞をはじめ、数々の賞を受賞した。全日本では、

世界選手権やワールドカップなど多くの国際大会に出場、特に

エースとして国民の期待を背負って出場したアテネ五輪と北京

五輪では5位入賞に大きく貢献した。

栗原の卒業後も、後に全日本に選出される井野亜季子や、岡

山シーガルズなどで活躍をした泉夏子、2017年のワールド

グランプリに出場した奥村麻依など多くのバレーボール選手を

輩出し続けている。新監督に田渕正美監督が就任した後も、2

008年と2011年の国民体育大会の優勝をはじめ、201

3年の全日本バレーボール高等学校選手権大会で準優勝、20

15年全国高等学校総合体育大会で3位となり、2017年の

全国高等学校総合体育大会では準優勝と結果を残している。

男子のバレーボールについても、有吉健二監督率いる高川学

園高等学校が2017年、2018年と2年連続で日本バレー

ボール高等学校選手権大会3位の好成績を収めた。2018年

の同大会は誠英高校も3位であったことから、この大会では男

女ともに全国3位という快挙を成し遂げた。

また、現在サントリーサンバーズで活躍中の藤中謙也は大道

中学校出身で、2008年の全国都道府県対抗中学バレーボー

ル大会に出場・準優勝した際の主力メンバーであった。藤中は

2016年国内リーグの最優秀新人賞を受賞した選手であり、

今後の活躍が楽しみである。

小川亜矢子 高木理江 河村聖子 栗原 恵 井野亜季子 泉 夏子 奥村麻依 藤中謙也

三田尻女子高校の

高校バレー三冠を称える

高川学園高校が

全日本高校バレーで

全国3位

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○防府のバレーボールに関する近年の主な成績

1971年(昭和46年) 全国家庭婦人バレーボール大会 (女子・松﨑チーム) 優勝

1973年(昭和48年) 全国家庭婦人バレーボール大会 (女子・華陽クラブ) 優勝

1975年(昭和50年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (男子・防府高校) ベスト8

全国高等学校総合体育大会 (男子・防府高校) ベスト8

全日本9人制バレーボール総合選手権大会 (男子・防府クラブ) 優勝

1976年(昭和51年) 全日本9人制バレーボール総合選手権大会 (男子・防府クラブ) 準優勝

1979年(昭和54年) 全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 3位

1982年(昭和57年) 全日本中学校バレーボール選手権大会 (男子・桑山) 3位

1983年(昭和58年) 全日本中学校バレーボール選手権大会 (男子・桑山) 準優勝

1986年(昭和61年) 産業人9人制バレー全国大会 (男子・日本たばこ防府) 優勝

1988年(昭和63年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・三田尻) 3位

1991年(平成 3年) 全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 3位

1993年(平成 5年) 全国中学校体育大会 (女子・右田) 3位

1996年(平成 8年) 国民体育大会 (女子・山口県) 準優勝

(※混成チームだが、多くは三田尻女子高校の選手)

1998年(平成10年) 全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 3位

2000年(平成12年) 全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 優勝

国民体育大会 (女子・三田尻) 優勝

2001年(平成13年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・三田尻) 優勝

全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 優勝

4連覇

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2002年(平成14年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・三田尻) 準優勝

全国高等学校総合体育大会 (女子・三田尻) 3位

国民体育大会 (女子・三田尻) 準優勝

全国都道府県対抗中学バレーボール大会 (女子・山口県) 準優勝

(※右田中学校より2人選出)

2004年(平成16年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・誠英) 3位

国民体育大会 (女子・誠英) 準優勝

2005年(平成17年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・誠英) 3位

国民体育大会 (女子・誠英) 4位

2006年(平成18年) 国民体育大会 (女子・誠英) 準優勝

2007年(平成19年) 全国家庭婦人バレーボール大会 (女子・牟礼いそじクラブ) 準優勝

2008年(平成20年) 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会 (女子・誠英) 3位

国民体育大会 (女子・誠英) 優勝

全国都道府県対抗中学バレーボール大会 (男子・山口県) 準優勝

※大道中学校より3人、牟礼中学校より2人、桑山中学校より1人選出

大道中学校には藤中謙也選手在籍

日本スポーツマスターズ大会 (男子・防府クラブ) 3位

全国社会人9人制バレーボール優勝大会 (女子・SESSIONS) 準優勝

全日本バレーボール小学生大会 (女子・玉祖) 準優勝

2009年(平成21年) 日本スポーツマスターズ大会 (男子・防府クラブ) 3位

2010年(平成22年) 全日本6人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (女子・きらら山口ファイティングスターズ) 優勝

(※誠英高校OB選手で結成)

2011年(平成23年) 国民体育大会 (女子・誠英) 優勝

全日本中学校バレーボール選手権大会 (男子・高川) 3位

全日本9人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (男子・西京倶楽部) 優勝

全日本バレーボール小学生大会 (女子・玉祖) ベスト8

2012年(平成24年) 国民体育大会 (女子・誠英) 準優勝

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2013年(平成25年) 全日本バレーボール高等学校選手権大会 (女子・誠英) 準優勝

日本スポーツマスターズ大会 (男子・防府クラブ) 3位

全日本9人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (男子・西京倶楽部) 3位

全日本バレーボール小学生大会 (女子・中関JSC) 3位

2015年(平成27年) 全国高等学校総合体育大会 (女子・誠英) 3位

国民体育大会 (女子・誠英) 4位

日本スポーツマスターズ大会 (男子・防府クラブ) 準優勝

全日本中学校バレーボール選手権大会 (男子・高川) ベスト8

2016年(平成28年) 国民体育大会 (女子・誠英) 3位

全国スポーツ少年団バレーボール交流大会 (男子・華城ハヤブサ) 準優勝

2017年(平成29年) 全日本バレーボール高等学校選手権大会 (男子・高川) 3位

全国高等学校総合体育大会 (女子・誠英) 準優勝

全日本9人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (男子・西京倶楽部) 3位

全日本9人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (女子・SESSIONS) 3位

2018年(平成30年) 全日本バレーボール高等学校選手権大会 (男子・高川) 3位

全日本バレーボール高等学校選手権大会 (女子・誠英) 3位

全日本9人制バレーボールクラブカップ選手権大会 (男子・西京倶楽部) 優勝

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初 版:2018年 2月 19日

第二版:2019年 3月 31日

上記写真:2017年 7月 FIVBバレーボールワールドグランプリ仙台大会 セルビア女子チームと防府市応援団

防府市は、セルビアバレーボール協会と2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向

けてホストタウンに関する協定を結び、様々な交流活動をしています。

日本で開催された2018年女子世界選手権では、ソルトアリーナ防府でセルビア代表チームの事前

合宿の受け入れを行いました。大会に向けてしっかり調整をしていただくとともに、合宿中には、バレ

ーボール教室やメキシコ代表との練習試合も行い、世界レベルのプレーを近で見ることが出来ました。

その後、防府で合宿を行ったセルビアチームは、大会を次々と勝ち進み、見事初優勝を成し遂げまし

た。

2019年は、ワールドカップの事前合宿誘致等を実施し、翌年2020年は、東京オリンピック・

パラリンピック競技大会のキャンプ地として、セルビア共和国バレーボールチームをおもてなしいたし

ます。

-防府市ホストタウン推進事業実行委員会-

Photo:FIVB

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防府市スポーツセンター体育館 ソルトアリーナ防府

所在地 山口県防府市大字浜方174番地の1

電話番号 (0835)27-2000

<合宿予定地の防府市スポーツセンター体育館 ソルトアリーナ防府 外観>

<合宿予定地の防府市スポーツセンター体育館 ソルトアリーナ防府 メインアリーナ>