自分の気持ちや要求を言葉で表現するために · 2015-05-19 ·...

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自分の気持ちや要求を言葉で表現するために ~遊びの場面における教師とのやり取りを通して~ 幼稚部 うさぎ組 教諭 冨谷俊輔 Ⅰ.本児の実態 K児は,年長児で幼稚部での生活が3年目になる。身長は6歳の平均より9㎝も高く,体つきも しっかりしている。登校後の朝の荷物整理や着替えは,教師が言葉を掛けると,一人で取り組むこ とができる。排せつも一人でできるようになってきており,身辺のことはおおむね自立している。 トランポリンやブランコなど,大きく体を動かすことができる遊具で遊ぶことが好きである。お んぶをしてほしいときや一緒にトランポリンで跳んでほしいときには,特定の教師に「おんぶ。」「と らんぽりん。」など単語を発したり,遊びたいところまで特定の教師の手を引いて行ったりして要 求を伝えるようになってきた。しかし,他の教師や友達に関心を示したり,関わって遊んだりする ことは少なく,一人でトランポリンをしたり,絵本を読んだりして過ごすことが多い。 好きな遊びをしていて,「おしまい」と告げられたり,次の活動へ促されたりするなど,自分の 思い通りにならないときや,思いとは違うことを求められると,歯を食いしばって教師に爪を立て たり,大声で泣いたりして,気持ちを表現することがある。また,外に出たいと思ったときには, 誰にも何も告げずに,自分で鍵を開けて一人で外に出ることがある。保護者から,家庭でも玄関の 鍵を開けて一人で外に出てしまうことがあり,事故や事件に遭うかもしれないという心配があるの で,外に行きたいときに伝えてくれるようになってほしいという願いが聞かれた。また,友達が使 っている遊具を使いたいと思ったときには,突然奪い取ろうとする様子も見られた。 昨年度実施した PEP-3の検査(H24 年9月)では,コミュニケーション領域よりも,運動領域が 得意であることが分かった。また,コミュニケーション領域の中でも,表出言語に比べ理解言語が 低いという結果であった。下位項目も合わせて分析した結果,K児は,大人が身振りや言葉で要求 を伝えても,求められていることを理解するのが難しいため応じることができなかったり,言葉は 出ているが,気持ちをうまく伝えることができず,言葉よりも先に行動が出てしまったりすること が考えられた。 Ⅱ.本児とって必要な表現する力とその理由 年度当初,指導の目標を設定する際,「嫌なときには爪を立てずに『いや』 って教えてほしい。」「外に行きたいときには,一人で行かずに,教えてほ しい。」など,「この行動をなくしたい。」という思いから,「いやだ,した くない,など,嫌なときには自分の気持ちを言葉にして伝える」,「行動に 移す前に,教師に要求を伝える」という2点を目標に挙げていた。しかし, 大切にしなくてはならないのは,行動としてあらわれてくる表面的なことで はなく,K児が人と関わっていく中で,自分の気持ちや要求を伝えようと思 えることが大切であると考えるようになった。一人で遊ぶことの多いK児は,誰かに自分の気持ち 写真1 教師とくすぐり遊 びを楽しむ K 児

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自分の気持ちや要求を言葉で表現するために

~遊びの場面における教師とのやり取りを通して~

幼稚部 うさぎ組 教諭 冨谷俊輔

Ⅰ.本児の実態

K児は,年長児で幼稚部での生活が3年目になる。身長は6歳の平均より9㎝も高く,体つきも

しっかりしている。登校後の朝の荷物整理や着替えは,教師が言葉を掛けると,一人で取り組むこ

とができる。排せつも一人でできるようになってきており,身辺のことはおおむね自立している。

トランポリンやブランコなど,大きく体を動かすことができる遊具で遊ぶことが好きである。お

んぶをしてほしいときや一緒にトランポリンで跳んでほしいときには,特定の教師に「おんぶ。」「と

らんぽりん。」など単語を発したり,遊びたいところまで特定の教師の手を引いて行ったりして要

求を伝えるようになってきた。しかし,他の教師や友達に関心を示したり,関わって遊んだりする

ことは少なく,一人でトランポリンをしたり,絵本を読んだりして過ごすことが多い。

好きな遊びをしていて,「おしまい」と告げられたり,次の活動へ促されたりするなど,自分の

思い通りにならないときや,思いとは違うことを求められると,歯を食いしばって教師に爪を立て

たり,大声で泣いたりして,気持ちを表現することがある。また,外に出たいと思ったときには,

誰にも何も告げずに,自分で鍵を開けて一人で外に出ることがある。保護者から,家庭でも玄関の

鍵を開けて一人で外に出てしまうことがあり,事故や事件に遭うかもしれないという心配があるの

で,外に行きたいときに伝えてくれるようになってほしいという願いが聞かれた。また,友達が使

っている遊具を使いたいと思ったときには,突然奪い取ろうとする様子も見られた。

昨年度実施した PEP-3の検査(H24年9月)では,コミュニケーション領域よりも,運動領域が

得意であることが分かった。また,コミュニケーション領域の中でも,表出言語に比べ理解言語が

低いという結果であった。下位項目も合わせて分析した結果,K児は,大人が身振りや言葉で要求

を伝えても,求められていることを理解するのが難しいため応じることができなかったり,言葉は

出ているが,気持ちをうまく伝えることができず,言葉よりも先に行動が出てしまったりすること

が考えられた。

Ⅱ.本児とって必要な表現する力とその理由

年度当初,指導の目標を設定する際,「嫌なときには爪を立てずに『いや』

って教えてほしい。」「外に行きたいときには,一人で行かずに,教えてほ

しい。」など,「この行動をなくしたい。」という思いから,「いやだ,した

くない,など,嫌なときには自分の気持ちを言葉にして伝える」,「行動に

移す前に,教師に要求を伝える」という2点を目標に挙げていた。しかし,

大切にしなくてはならないのは,行動としてあらわれてくる表面的なことで

はなく,K児が人と関わっていく中で,自分の気持ちや要求を伝えようと思

えることが大切であると考えるようになった。一人で遊ぶことの多いK児は,誰かに自分の気持ち

写真1 教師とくすぐり遊

びを楽しむ K児

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や要求を表現し,伝える場面が少ない。また,表出できる言葉や,理解できる言葉も少なく,何を

どのように伝えたらよいのか分からないことが,問題として挙げられる。このような実態から,K

児の表現する力を育んでいく上で大切なことは,自分の気持ちや要求を伝えたいと思えるような人

間関係を作ること,理解できる言葉や表出できる言葉を増やしていくことであると考えた。その上

で,表現する力の目標として,以下の2点を考えた。

目標

①教師や友達と関わりながら,一緒に遊ぶ。

②自分の気持ちや要求を言葉で伝える。

Ⅲ.指導実践

子どもの様子 教師の手立て 子どもの変容 教師の思考

【周囲の大人や友達に

関心を示さない。】

・K児が一人でトラン

ポリンを跳んだり,

絵本を見たりしてい

るなど,周囲の教師

や友達に関心を示す

ことはほとんどなか

った。

(4月)

・毎朝K児と目線を合わせ

ながら,「おはよう」と挨

拶をし,ハイタッチをす

るようにした。

・そばに行き,同じ活動を

したり,活動を見守った

りし,いつも近くにいる

存在になろうと努めるこ

とにした。(4月)

・一緒に遊んでほしいと思った

ら,K児から手を引いて誘っ

てくれるようになった。

(5月)

・いつも気にしてく

れる存在,近くに

いる存在として,

K児に認識しても

らえてきたのでは

ないか。

・次に,意識して近付いて

いったりはせず,少し離

れたところからK児が遊

んでいる様子を見守るよ

うにした。K児がこちら

に視線を向けたときに

は,その場から言葉を掛

けたり,近寄って行った

りした。(5月)

・その結果,遠くにいても担任

を捜して手を引いて遊びに

誘ってくれたり,抱っこやお

んぶといった身体接触を求

めてきたりするようになっ

た。(5月)

・K児が苦手な集団での活動の

ときには教師の膝の上に座

ったり,不安なときには,教

師に抱きついたりする姿が

見られた。(6月)

・周囲の友達に関心を示す

ことができるよう,「○○

君~しているね。」など言

葉を掛けたり,移動する

際に,友達と手をつない

だり,K児が先頭を歩い

たりし,友達に注意が向

くよう言葉を掛けるよう

にした。(9月)

・友達が遊んでいる iPadをそ

ばで眺めたり,友達が給食の

準備をしているのを見て,自

分からエプロンを着て給食

の準備をしたりするように

なった。(11 月)

・その場にいない友達の名前を

呼ぶことがあった。(11月)

・教師とのやり取り

を通じて,自分と

教師,という存在

に気が付き,さら

に,友達の存在や

様子にも注意が向

くようになったの

ではないか。

写真2 一人,バルーン

で遊ぶ K児

写真3 集まりの時に

教師の膝に座る K児

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子どもの様子 教師の手立て 子どもの変容 教師の思考

【質問の意図が分から

ない,または答え方

が分からない。】

・質問をしても,同じ

ように質問を繰り返

し,答えることがで

きなかった。

(4月)

・絵を見て状況を表してい

る言葉を選択肢の中から

選ぶ課題を行うことにし

た。(5月)

・個別の課題学習の時間に,

絵本を読んだり,絵や写

真を見たりする中で,「何

をしている?」「~してい

るのはだれ?」などの,

やり取りを行うことにし

た。質問に答えられない

ときには教師が答えた

り,文字で示したりする

ことにした。(6月)

・「何をしているの?」という

質問に対して,「はしって

る。」と答えたり,「誰と行っ

たの?」という質問に「ママ」

と答えたり,質問に対して適

切にこたえられるようにな

ってきた。(10月)

・絵を見て言葉を選ぶ課題も,

初めのうちは目に付いた選

択肢を選び,間違うことが多

かったが,自分で選び直した

り,自信がないときには選ぶ

直前で手を止めて,教師の表

情をうかがったりする姿が

見られた。(11月)

・「何」「だれ」とい

った質問で何が問

われているのか理

解できるようにな

ったり,言葉と言

葉の意味が結びつ

いたりしてきたの

ではないか。

・間をもって自分で

考えたり,試行錯

誤したりする様子

が見られるように

なった。

【「いやだ」ということ

が言葉で伝えられ

ず,行動で気持ちを

表現する。】

・トランポリンで遊ん

でいたK児。私が「個

別の勉強始まるか

ら,おしまいね。行

こう。」と言うと,K

児はトランポリンか

ら降りてきて,私の

腕をつかみ,歯を食

いしばりながら爪を

立てきた。(4月)

・いやなときは「いや」と

いえばいいことを伝える

ことにした。

(4月)

・「する」「しない」という

選択肢を設けて,K児に

問いかけるようにした。

「しない」と言った時に

は,無理にそれ以上誘う

ことはせず,一緒に遊ぶ

ことにした。(5月)

・スケジュールを示し,い

つK児の好きなことがで

きるのか視覚的に示すこ

とにした。

(10月)

・「する,しない」の質問に対

し,K児は「しない。」とは

っきりと答えるようになっ

た。しかし,課題をやろうと

いう気になったときには何

も言わず,教室へ走っていく

姿が増えてきた。(5月)

・K 児が「ぴたごら,DVD」と言

って「ピタゴラスイッチの

DVDが見たい」という要求を

伝えてきた。見せることもで

きたが,私の要望も聞いてほ

しいと思い,「今はお勉強の

時間だから,ごめんね,今は

見られないんだ。」と伝える

と,K児は「いやー」と大き

な声で言い,泣き出した。そ

して私の手を取り,歯を食い

しばりながら爪を立てる仕

草をするが,手には力を入れ

ておらず,泣くことと表情

で,つらい気持ちを伝えてき

た。(10月)

・言葉と言葉の意味

が一致してきてお

り,爪を立てると

いう行為ではな

く,言葉で気持ち

を伝え,気持ちを

切り替えようとす

るようになった。

・課題に向かうよう

になったのは,ぬ

り絵や工作などK

児が好きな課題を

取り入れたからか

もしれないし,私

と「一緒に課題を

やりたい。」と思っ

たのではないか。

または,トランポ

リンに飽きたのか

もしれないし,周

囲に誰もいなくな

り,みんなが課題

に取り組んでいる

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子どもの様子 教師の手立て 子どもの変容 教師の思考

・スケジュールの中で DVDや

iPadで遊べないことを伝え

ると「ざんねん。」と言った。

(11月)

ことに気が付い

たのではないか。

【「いやだ」ということ

が言葉で伝えられ

ず,行動で気持ちを

表現する。】

・シーツブランコで遊

んでいると,友達の

A児もシーツブラン

コをやってほしいと

やって来た。K児に

「Aちゃんもシーツ

ブランコしたいんだ

って。」と私が伝えて

もシーツブランコか

ら動こうとしない。

私が「じゃあ,もう

一回やったら交代

ね。」と言葉と手振り

を交えて伝えた。そ

の一回をやり終えた

後,私が再び「交

代!Kちゃんどけ

て。」というとK児は

爪を立てて「嫌だ」

と伝えてきた。(6

月)

・友達がシーツブランコを

終えると「Kちゃんの番

だよ。」と言葉を掛け,今

はできなくても,待って

いれば自分の番が来るこ

とを伝えた。(6月)

・教師二人で交代するとい

うことをロールプレイで

示したり,ブロックを使

って,順番を示したりし

た。

・個別の課題学習ではK児

の好きな iPadや粘土を用

いて,先生の番,K児の

番,というように順番や

交代のあるやり取りを重

ねるようにした。(6月)

・教師が「交代!」と伝えると

すっと立ち上がり,シーツブ

ランコから離れていく様子

や,教師が「まだだよ,待っ

てて。」と伝えるとシーツブ

ランコから離れていく姿が

見られるようになった。

(6月)

・待ったり交代したりできるよ

うになり,友達と遊具や玩具

を介して遊ぶことができる

ようになった。(10 月)

・「待つ」「交代」な

どの言葉の意味が

理解できてきたの

ではないか。

・今できなくても後

でできる,という

安心感が,気持ち

の余裕につながっ

ているのではない

か。

・「待つ」「交代」な

どができるように

なり,友達と関わ

って遊ぶ場面がで

きるようになった

のではないか。

【すぐに行動に移して

しまい,行動を制止

され,不安定にな

る。】

・「なかよし広場」で遊

びたいと思うと,鍵

を開けて,外へ出て

しまい,教師から「今

はダメ。」「勝手に開

けちゃダメ。」など,

・要求があるときには「○

○先生,~して」と言う

ように言葉や,教師二人

で実際にやり取をして見

せたりして,伝えるよう

にした。(4月)

・要求が出たときには,で

きるだけ時間を割いて、

要求に応じるようにし

た。(4月)

・私を見つけて走ってきて,私

の手を引いて扉のところま

で行き,「あけて。」と言うこ

とが増えてきた。(6月)

・K児が外への出入口にベンチ

を持って来て,ベンチに登

り,鍵を開けて外に出ようと

していた。しかし,手を鍵に

掛けた状態で止まり,こちら

の様子を窺っていた。私が

・「伝えればやりたい

ことができる」と

いうことが分かっ

てきたのではない

か。

・「この人に伝えれば

大丈夫」という,

信頼関係ができて

きたのではない

か。

写真4 シーツブランコから

離れられない K児(中央)

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Ⅳ.結果と考察

今回の指導の結果として,爪を立てて思いを表現する,言葉よりも先に行動してしまう,といっ

た姿は減り,言葉で要求や意思を伝えてくることが増えた。それは,一年を通して大切にしてきた,

「この人に伝えたい,と思えるような人間関係を作っていく」ことと,「理解できたり表出したり

できる言葉を増やしていく」ということが,有効だったと考える。また,周囲の教師や友達の存在

に気付き,関心をもち始めたことも,表現する機会や伝えたいという思いを膨らませたと考える。

K児と過ごす時間を大事にし,時には時間を掛けてじっくりと関わる,K児の行動や姿から,気持

ちを想像し,言葉にして伝えていく,日々の遊びの中や個別の課題学習で言葉のやり取りをしなが

ら言葉の意味を伝えていく,といったことを大切にしてきた。そのことが「この人に伝えたい」と

いう思いを育んだり,理解できたり表出したりする言葉を増やしていった。さらに,「この人に伝

えたい」「この人なら受け止めてくれる」という思いが育ってきたところで,伝えるための言葉や

方法を伝えることで,より表現する力が増していったと考える。そして,「伝わった」という喜び

が,次への意欲や,更なる表現する力の向上へとつながっていったのではないか。

また,周囲の教師や友達に関心が向くようになったことも,表現する力が伸びた大きな要因だと

考える。教師や友達に関心が向くことで,教師や友達と,場や遊具を共有して遊ぶようになった。

そして,複数の人と関わることで,言葉でやり取りをする機会も増えた。このことがK児の表現す

る力や人との関わる力を成長させたと考える。

Ⅴ.今後の課題

現在,K児の「これがしたい・したくない」という思いや,「どうすれば要求がかなうのか」と

考える力は,着実に育っているように感じる。

しかし,理解できる言葉や表出することのできる言葉は増えてきているものの,くすぐり遊びの

中で「やめて」もしくは「くすぐったい」と言うべきところを「いたい」と表現するなど,場面や

状況と言葉が合致していないことがある。また,成長するに従ってK児の認知も上がり,K児が感

じることや思うこと,やりたいことやしてほしいことが増えてくることが考えられる。その気持ち

を伝えるための言葉や伝え方を身に付けていくことが必要となる。

まずは身近な大人と信頼関係を築き,徐々に自分の気持ちを安心して伝えることのできる人を増

やしてほしい。そして,人と関わり,やり取りを重ねていく中で,伝えるための言葉や方法を身に

付けたりできるようになってほしい。今後K児が多くの教師や友達と関わっていく中で,様々な経

験をし,自分の気持ちや要求を周囲の人に伝えられるよう,一緒に遊ぶ時間を大切にしながら,K

児が感じたことを共有したり,想像したりしながら,言葉を掛けていくとともに,表現する手段を

伝えていきたい。

子どもの様子 教師の手立て 子どもの変容 教師の思考

制止をされ泣くこと

があった。(4月)

「Kちゃん,お外行きたいん

だね。待ってて,開けてあげ

るから。」と言うとベンチか

ら降りて,私が来るのを待つ

姿が見られた。(9月)

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自分から進んで表現する力を広げるために

~興味や関心,好きなことを通して~

小学部 2年1組 教諭 山本 建

Ⅰ.本児の実態

対象児は小学部2年生の男子児童である。小学部入学当初は,姿勢が前かがみで視線を下に向け

たまま歩いていたり,自分の手のひらや近くの物(壁や手すりなど)を見続けていたりする様子

が多く見られた。また,自分から周りに要求を出したり,関わろうとしたりする場面は少なかっ

た。その後,1年生から2年生にかけて,日々の活動を通して少しずつ姿勢が真っすぐ伸びるよ

うになり,視線も前方や左右に向くことが増えてきている。

本児は日常使う簡単な言葉掛けを聞いて,活動の準備をしたり,活動場所への移動をしたりす

ることができる。興味や関心のあることが決まっていて,毎回同じおもちゃで遊び続けたり,同

じDVDを見続けたりしていることが多い。

DVDの音(キャラクターの声)に合わせて,声を出す(大きく叫んだり,うなったりするこ

ともある)ことがあるが,それ以外では相手に向けて声を出したり,言葉を話したりすることは

ない。学級の友達とコミュニケーションをとろうとする様子は見られないが,教師に近づいて手

を引いたり,物を持ってきたりすることがある。また,近くの大人の手を引いてくることがある

が,はっきりとした要求がわかりにくかったり,大人の方が先に本人の要求を予想して対応して

しまったりする場合がある。

Ⅱ.本児にとって必要な表現する力とその理由

1.本児にとって必要な表現する力

1)自分の要求や援助してほしいことを実物を示すことや身振り等によって相手に伝えること

ができる。

2)好きなことや興味あることを広げて,思いや考えをいろいろな形で表現する。

2.理由

1)特定の場面であるが,教師に近づいて,手を引いたり,物を渡したりしてくる場面がある

ので,相手に伝える手段として使えるようになっていくのではないか。伝える手段が定着

することによって,他の要求や援助を同じように伝えようとする場面も増えてくるのでは

ないか。本児は言葉を使って要求や援助してほしいことを表現するのはまだ難しい段階な

ので,身近な物(具体物,絵,写真)を使って伝えられるようにしていきたい。また,自

分の体への意識が高まり,腕,手,指の動きが広がることで,身振りなどを使って要求や

援助してほしいことを伝えたり,内容に合わせて使い分けたりできるようになるのではな

いかと考えた。

2)本児が何かに興味・関心を向け,そこに自分の思いや考えを働かせて手を加えていくこと

も本児の表現の一つである。遊ぶ対象が限られ,DVDを見るなど受け身の活動が多い本

児の場合には,自分から働きかける対象を見付けること,好きなことや興味あることを増

やしていくことが大切であると考えた。そのために,本児が好む素材や動きを取り入れた

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活動を設定していき,それらに取り組む意欲を高めていく中で,表現の方法や幅を広げて

いくことができるのではないかと考えた。

Ⅲ.指導実践

1.指導内容・方法

1)要求・援助に関して

・日常生活や学習活動,遊びの中で,本児にとって要求や援助が必要となる場面を設定する。

・学習活動(朝の運動,体育,音楽)の中で本児の身体表現を促す内容を設定する。

・本児が伝える動作をしてほしいタイミングで,教師が近くに立ったり,視界に入ったりし

ながら,実物を示したり,身振りをしたりするように促す。

2)興味・関心があることに関して

・本人が好む素材や動作,意欲的に取り組んだり,楽しんだりしている場面を観察し,その

内容や発展させた内容を学習活動に取り入れる。

2.指導の経過

<着替え>

衣服の前後を間違えて着てしまうことが多く,その都度,教師が教えたり,着直しを指示した

り,本児から教師の方に近付くように促したりすると,衣服を教師のところに持ってきて前後を

教えてもらおうとするようになった。(4月)

本児が自分で衣服の前後を確認して着ることができるように,裾の部分に印となるボタンを付

けたものを使用したところ,衣服を持ってボタンを見付けて摘めるようになった。しかし,まだ

はっきり前後を意識していなかったようで,衣服を摘んだまま教師のところに持ってくることが

多かった。(9月)

本児が衣服の裾のボタンを摘んだタイミングで,教師が両腕を上げて頭に被る動作を見せる指

導を行ったところ,本児も同じ動きをして衣服を着ることができ,その後も自分から行えるよう

になった。(10月)

<朝の係活動>

朝の係活動で,ホワイトボードに1日のスケジュールを貼り付ける活動を行った。スケジュー

ルの順番や内容は曜日によって異なることが分からない様子があった。(4月)

教師が本児の近くで貼り付ける順番を教えたり,カードの文字を読み上げたりしながら本児に

貼り付けるように指導を行った。1~2週間ほど取り組むと,曜日によってスケジュールが異な

ってもカードを貼り付けられるようになった。また,使用することが少ない活動のカード(「け

んしん」,「ちょうり」,「こうりゅうがくしゅう」など)があると,教師の所まで持ってきて

,貼り付ける順番を教えてもらおうとするなど,一人で係活動をしていて分からなくなった時に

教師に近付いて伝えようとするようになった。(6月)

<朝の運動>

裏山グランドや学校グランド近くのスロープで徒競争を行ったところ,当初は歩いていること

が多かったが,本児の近くで動作を見せながら,号令を掛けるタイミングで手をたたくように促

したり,走り方を意識するように声を掛けたり,本児のペースに合わせて教師が一緒に走ったり

したことで,自分から意欲的に走ったり,笑顔で楽しんだりする様子が見られた。(写真1,2)

雨天時に,リラクゼーションルームを暗くして,スクリーンに映ったビデオを見ながら体を動

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かす活動を行ったところ,始めた当初は暗い部屋でテレビやスクリーンに映った映像を見ると嫌

がって泣いたり,教師の手を引いてその場から離れようとしたりすることが多かった。(4月)

教師がビデオの音声をまねしたり,一緒に手をつないだまま少しずつ体を動かすように促した

りすると,自分の席から離れずにスクリーンに注目し,映像に合わせて自分から体を動かしたり

,音声に合わせて笑顔で声を出したりして楽しめるようになった。

(写真3,4)

写真1 写真2 写真3 写真4

<図画工作>

図画工作の時間は,自分から作品を作ろうとしたり,道具を使おうとしたりすることが少なく

,顔を伏せたり,他を向いていたりする様子があった。

個別の課題学習でシール貼りを行ったところ,意欲的に取り組むことができていたので,図画

工作でも,いろいろな形や素材のシールを工作の土台になる材料に貼り付ける活動を行った。本

児はシールをじっと見つめたり,どんどん貼り続けたり,自分から気に入った貼り方や順番通り

並べて貼ったりする様子が見られた。手元のシールがなくなると教師に近付いたり,手を伸ばし

たりして要求してくることもあった。(写真5)

マジックや色鉛筆で線を引く課題学習も集中して行う様子があったので,ぬらした紙に水性の

色マジックを塗って,にじみ絵を作る活動を行ったところ,にじむ様子に気付きながら,紙の上

から下に向かって,いろいろな色で横に線を何本も引いていくことを続け,紙を変えても繰り返

して描こうとすることがあった。始めは自分の使いたい色で塗っていたが,教師が勧めた色を受

け入れて使うこともできるようになった。(写真6)

「ぶんぶんごま」「風車」「色セロファンのこま」などの工作活動を行った時,始めはうつむ

いたり,工作を見せようとして近付いてくる教師の腕を押さえたりして,出来上がった物で遊ぼ

うとする様子は見られなかった。その後,教師が本児の近くで視界に入るようにして工作を回し

て見せると,興味をもって目を向け,もう一度回すように教師の手を取って伝えたり,作品に手

を伸ばしたりすることができた。(写真7,8)

写真5 写真6 写真7 写真8

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<音楽>

授業中は,教師を見ているだけだったり,その場にいて周囲を見ているだけだったりすること

が多かった(4月)

教師が「アブラハムのうた」に合わせて手や足を動かした

り,楽器の音に合わせて手をたたく,片足で跳ねる,両足で

跳ねるなどの動きをしたりする様子を見せたり,本児の肘や

膝の裏に触れながら動きを促したりしたところ,少しずつ自

分から教師に合わせて手や足を動かすようになった。(6月)

同じように指導を行ったことで「あたまかたひざポン」や

「いとまきのうた」などの手遊び歌でも,手で体の部位を

押さえる動作が見られるようになった。(写真9) 写真9

<体育>

サーキットの器具に合わせて,乗る,くぐる,またぐなどの動きはできたが,教師の模範を見

て体を動かしたり,活動を楽しんだりする様子は少なかった。

他の児童の模範や体の動きの絵(めくり)を見ながらストレッチを行ったり,両手にうちわを

持っていろいろな動きをするダンスに取り組んだりしたところ,両手を上に挙げたり,体を前に

曲げたり,片足を上げたりする様子が見られるようになった。

また,大玉を転がしてゴールに入れる活動を行ったところ,自分から手を挙げて取り組もうと

したり,両腕を交互に前後させて大玉を押したり,終わった後に笑顔で席に戻ってきたりする様

子が見られた。(写真10,11)

写真10 写真11

Ⅳ.結果と考察

1.要求・援助に関して

着替えでは,前後が分からないときや一人で着るのが難しい服のときに,教師に持ってくる

ことができた。1日のスケジュールを貼る活動では,順番が分からないカードを教師に持って

きて教えてもらおうとすることができた。図画工作のシール貼りでは,手元のシールがなくな

ったり,新しいシールが近くにあることに気付いたりすると,教師に手を伸ばして要求するこ

とができた。このような様子から,本児にとって要求や援助が必要と思われる場面やタイミン

グで,教師が近くで動作を促す,促しながら本児からの行動を待つなどの指導を行ったことで

ことで,実物を使ったり,動いたりして要求や援助を求めることができるようになったと思わ

れる。また,本児が要求や援助を求める様子は,指導した場面以外(遊びや給食など)でも見

られるようになったので,実物を教師のところまで持ってきたり,教師に手を伸ばしたりする

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ことが本児に分かりやすく,要求や援助を求める手段として定着してきたのではと考える。た

だし,「手伝ってもらわないとできないこと」と「自分でできること」を本児が自分で判断す

るのはまだ難しい段階であったり,活動によっては,要求や援助が得られてできるうちに,自

分一人でできるようになる(要求や援助が必要でなくなる)場合もあったりしたので,これか

らも本児の変容に合わせて継続的に要求や援助の場面や方法を検討していく必要があると考

える。これまでの学習場面を通して,決まった場面ではあるが,教師の動きを少しずつ模倣し

ようとしたり,模倣を楽しんでいたりする様子が出てきている。今後,自分の体の動きに目を

向けたり,自分の行動を意識したり,振り返ったりできるようになってくると,要求や援助の

仕方が変わってくるのではないかと考える。

2.興味・関心に関して

図画工作で取り組んだシール貼りやにじみ絵,音楽の「アブラハムのうた」,体育のダンス

や大玉転がしなど,本人が興味をもって意欲的に取り組む活動の中だと,本児が自分からいろ

いろな表現をしようとする姿や,教師に対する要求や関わりが見られることが多かった。活動

や自分の動きを理解したり,活動したときの楽しい感覚を味わったりしたことで,本児がもう

一度繰り返そうとしたり,自分が好む表現に気付いたり,教師に手伝ってもらうことで表現し

たいことが広がったりしたことが,それらの行動につながったのではないかと考える。また,

活動に興味をもって取り組む中で,他の場面でも表現が広がったり,教師に伝えようとしたり

する場面が見られた。体の動きに少しずつ広がりがでてきたことで,見えることや分かること

が増え,場面が変わっても同じように意識を向けることができるようになってきたのではない

かと考える。

Ⅴ.今後の課題

要求や援助を求める手段を獲得するための指導だけでなく,いろいろな活動を経験して,いろい

ろな表現(物作り,表情,動作など)を増やしていくことで,自分から考えて発信する意欲を高め

ることが重要ではないかと考える。本児がどんなことに興味や関心があって,自分から取り組みた

いと思うのか観察し,本児を引き付ける形や色,素材,動きなどを探求していくと同時に,現在興

味をもって取り組んでいることを基にしていろいろな形に発展させていきたい。(例:シール貼り

から様々な素材のコラージュへ発展させるなど)上記の指導内容・方法で取り組んだ当初と現在を

比べて,本児が周囲に伝える表現や体を使った表現,興味・関心があることに対する表現の様子が

変わり,広がってきているが,獲得した表現方法の定着を図ると同時に,固定化しすぎることなく

発達段階に合わせて発展していくための指導が必要であると考える。

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自分の経験したこと感じたことを表現する力を高める学習

~写真を用いた絵日記の指導を通じて~

小学部 6年1組 教諭 室田 義久

Ⅰ.本児の実態

小学部6年生の男児 F 児は,話し言葉をコミュニケーションの主な手段としている。F 児は,肌

のかゆみ等といった生理的な不快感を抱きやすく,身近な教師に「肩かいてください。」等と要求

することが多い。また,「肩車がいい。」「わっしょい(胴上げ)してください。」などと要求するこ

とも多い。このように,要求を伝えてくることは非常に多いが,F 児が,自分の経験したことや感

じたことを表現して,相手に伝える様子はほとんど見られなかった。

F 児は,注意を集中することが難しい面があり,授業中,教師の指示に注意を向けていなかった

り,課題に取り組み続けられなかったりすることが多い。また,自分の好きな物や興味がある物を

目にすると,すぐに手に取ろうと席を離れたり,列から飛び出したりすることも多い。

上記のように,注意を集中することの難しさに加えて,F 児には,情緒が不安定になることが多

く見られる。その要因が,「肩かいてください。」等という F 児の発言から,生理的な不快感である

と推測できることもあるが,F 児の発言や行動からは,F 児の考えを推測できないことも数多くあ

った。例えば,6年生の1学期当初は,F 児が「ログハウス。」と突然言って,泣く日が続いたこ

とがあった。私が「ログハウスがどうしたの?」「ログハウスに行ったの?」などと問い掛けたが,

F 児は「ログハウス。」と言い,泣き続けた。私は,F 児が実際にどこかのログハウスに行ったの

かどうか等,F 児の考えを理解することができなかった。また,F 児が,廊下にある「6年1組」

の札の「6」の部分を爪で削って消そうとして,私に止められ,情緒が不安定になる日が続いたこ

ともあった。後日,F 児が,学年が上がったことへの不安を抱いていたことが推察されたが,F 児

の「6」の部分を消す行動から,その推察には,私はなかなか至ることができなかった。

Ⅱ.本児にとって必要な表現する力とその理由

F 児は,要求を伝えることが多いが,その内容と表現の仕方は限られており,自分の経験したこ

とや感じたことを表現して,相手に伝えることはほとんどなかった。それは,F 児が,様々な生活

経験を積みながらも,生理的な不快感を抱きやすく,また,気が散りやすいことなどから,コミュ

ニケーションを通して,生活経験を整理して記憶したり,思い出したり,言語化したりすることが

十分にできなかったためではないかと考えた。上記の「ログハウス」等といった F 児の発言は,自

分の経験したことや感じたことなどを適切に振り返ったり,言葉にしたりすることの F 児の難しさ,

苦しさを表していると考えた。F 児が,生活経験を整理して記憶したり,言語化したりすることが

より行えるようになることで,生活経験を生かしたり,自分の思いや考えを相手に伝えたりするこ

とができ,気持ちや情緒を安定させることができると考えた。

F 児は,平仮名と片仮名の読み書きをすることができ,絵を描くことが好きで,相応の描写力も

もっている。そこで,F 児の経験したことや感じたことを振り返り,整理して文章にしたり,絵を

描いたりして,記録に残すことのできる絵日記という学習課題を,F 児が集中をしやすい1対1の

担任である私との学習場面(20 分間の個別の課題学習)で継続して行うこととした。

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Ⅲ.指導実践

1.個別の課題学習時における絵日記の指導について

F 児の気持ちが揺れ動く行事や校外学習などを絵日記の題材として主に選んだ。行事等で撮

った写真(L 版)の中から,F 児が写っていたり,状況が分かりやすかったりする物を数枚選

び,時系列に沿って F 児に提示した。写真を提示しながら,F 児と言葉を交わして,絵日記の

用紙(A4サイズ。マス目は 63 字の物と 80 字の物の2種類)に,話したことを基に文章を書

くように指導した。また,文章を書き終えたあと,色鉛筆やクレヨンを使って,写真を見なが

ら絵を描き,絵を描き終えたあとに絵について会話をするようにした。

2.指導実践の経過

1)1学期について

絵日記の指導の当初は,やり取りが成立しないことが多くあった。「次に何をしたかな?」

「他に何を書こう?」などという質問に対して,F 児が答えに困る様子が見られた。また,

「〇〇はどうだった?」「どんな気持ちだった?」といった考えや気持ちを問う質問に対し

て,F 児は「こうだった。」「こんな気持ちだった。」などと応じていた。質問に答えられな

い,文章を書けないという不満を F 児が募らせるためか,用紙を破るという行為に至った場

面が多くあった。また,絵がうまく描けない不満から,用紙を破る場面も多く見られた。そ

のような場面で,F 児が自分の気持ちを立て直すことは難しかった。絵日記の指導の当初で

ある5月の春の遠足を題材にした場面を表1に記した。

表1 質問に答えられない,文章が書けない不満を募らせた場面

私は,6年生の児童が大仏の前で座っている写真を見せて,「何をしたかな?」と F 児に尋ねた。F

児は「大仏を見ました。」と答えた。私が「ぼくは……」と書き出すように促すと,F 児は「ぼくは

だいぶつをみました。」と書いた。私は,大仏の大きさについて F 児に言葉にしてほしいという意図

で,「大仏はどうだった?」と尋ねた。F 児は「こうだった。」と答えた。私が「大きかった? 小さ

かった?」と聞き直すと,F 児は「大きかった。」と答え,「だいぶつはおおきかったです。」と書い

た。私は,大仏を見た F 児の感動を引き出したいと思い,「大仏は大きかったね。大きい大仏を見て,

どう思った?」と尋ねた。F 児は「こう思った。」と言った。私が「大仏を見に行って,楽しかった?

楽しくなかった?」と聞き直すと,F 児は「楽しかった。」と答え,「たのしかったです。」と書いた。

私が,「他に何を書こう?」と聞くと,F 児は用紙を破った。私が「書けなくてイライラしたの?」

と聞くと,F 児は「はい。」と答えた。私が,大仏の胎内で撮った写真を見せて,「大仏の中に入った

よね。」と言うと,F 児は「お腹の中に入りました。」と言った。文章を書き終えた F 児は,用紙に自

分の姿を描き始めたが,途中で用紙を破いた。その後,F 児は,破いた用紙をセロハンテープで自分

から直し始めた。

上記の出来事があった数日後,日を改めて,同じ題材で絵日記に取り組み,F 児は絵日記

を完成させた(写真1)。このようにして完成させた絵日記を,F 児は,自分から「ラミネ

ートする。」と言い,ラミネートをした物を教室の掲示板に貼り,うれしそうに眺めていた。

6月下旬,掲示板に貼ってあった絵日記を通じて,F 児が自分の意思を私に伝えることが

あった。F 児が,掲示板に貼ってあった絵日記の1つ(宿泊学習の事前学習としてテントを

張ったことを題材にした物)を自分から外し,ゴミ箱に捨てることがあった。その絵日記は,

F 児が「書く。」と私に訴えながらも,用紙を破いて,その後,気持ちを立て直すことがで

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きず,文章を私が書き,絵を F 児が描いて完成させた物であ

った。私が「捨てるの? やめて。」と言葉を掛けると,F 児

は「だめ。これ,捨てる。」と応じた。私は,F 児の発言から,

これはぼくが書いた物ではないから,捨てたいという F 児の

意思を明確に感じとることができ,「分かった。じゃあ,これ

は外そう。」と応じた。

F 児はその日の個別の課題学習の時間に,自分から「絵日

記をかく。お風呂をかく。」と伝えてきた。宿泊学習で銭湯に

行く事前学習として寄宿舎での入浴の学習を1週間前に行っ

ていて,F 児の「お風呂」はそのことを指していた。入浴し

ているところは写真で撮らなかったため,浴室のみを撮った

写真をタブレット端末で F 児に提示した。F 児は,自発的に

発言をできるようになっていたが,「温かいお風呂に入って,

どうだった?」という質問には,直接答えることができなかった(表2)。

表2 自発的な発言は増えたが,「どうだった?」という質問には直接答えられなかった場面

F 児は自分から「ぼくはおふろにはいりました。」と書き始めた。私は「いいね。次は?」と尋ね

た。F 児は「銭湯に入りました。」と答えた。寄宿舎での入浴の学習は,宿泊学習で銭湯に行く事前

学習であると児童に説明しており,F 児が,寄宿舎での入浴と銭湯に行くことを関連付けて理解して

いることは明らかであった。私は,更に自発的な発言が出ると思い,もう1度,「いいね。次は?」

と続けた。F 児は「お湯は温かい。」と答えた。私は,F 児の感じたことを更に聞き出せるのではない

かと思い,「いいね。温かいお風呂に入って,どうだった?」と尋ねた。F 児は「こうだった。」と言

った。私が「気持ちよかった?」と聞き直すと,F 児は「気持ちよかった。」と答えた。

2)2学期について

1学期の後半に続き,F 児が絵日記をしたいと伝えてく

ることが多くなった。F 児の「かきたい」という気持ちが

強く表れた出来事として,次のようなことがあった。

9月の中旬,F 児は自立課題(1人で取り組む課題)でプ

リント学習に取り組んでいた。F 児は,プリントの裏に,絵

日記の用紙を模して,原稿のマス目を描き出した。F 児はマ

ス目を描き終わると,7月に行った宿泊学習の夕食を題材に

して,文章を書き始めた。F 児は,宿泊学習の夕食で食べた

物を「うどん」「みそしる」などと書き連ね,最後に,「おい

しかったです。」と感想も書いた。私が色鉛筆を F 児に渡す

と,F 児は絵を描いた。F 児の描いた絵について,私が「こ

れは何?」と尋ねると,F 児は「うどん」「わかめ」と,自

分の食べた物を正確に答えた(写真2)。

F 児の意欲は続き,別の日に,また,プリントの裏に原稿のマス目を描くことがあった。

このときは,私が,個別の課題学習で絵日記に取り組もうと F 児に促した。そのときの指

導場面で,F 児が私の意図をくみ取りながら絵日記に取り組む姿が見られた(表3)。

写真1 春の遠足

写真2 自分でマス目を描いた物

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表3 私の意図をくみ取りながら絵日記に取り組んだ場面

私が「何のことで書きたいの?」と尋ねると,F 児は,その日の朝,運動会の全校練習で,「おし

えてティラノサウルス」の曲で踊ったことを指し,「ティラノサウルス」と答えた。その日の朝の出

来事で,写真は準備できていない状況であった。F 児が「ティラノサウルスのダンスをやりました。

おどりました。」と書いたあと,私が「いいね。それで?」と言うと,F 児は「楽しかったです。面

白かったです。」と答えた。F 児は文章を書いたあと,いつものように自分の姿の絵を描いた。その

あと,F 児は少し間を置き,「ティラノサウルス,先生,描く。」と,運動会で登場するティラノサウ

ルスの模型を私に描いてほしいと要求した。写真がなくて自分ではティラノサウルスを描くことが難

しい,私に頼もうという F 児の考えが伝わった。それでも,私は,絵も F 児に描いてもらいたいとい

う思いをもち,その場にあったタブレット端末を活用しようと判断した。ふだん,タブレット端末を

持つと,自分の好きな動画をずっと見て,なかなかやめられない F 児ではあったが,私はこのとき,

自分の意図を F 児が読み取ってくれると信じ,「調べてごらん。」と言って,タブレット端末を F 児に

渡した。F 児は自分で「ティラノサウルス」と文字を入力し,画像を見て,ティラノサウルスの絵を

描いた。

11 月は,修学旅行を題材にして,絵日記の学習に取り組んだ。修学旅行翌週の月曜日の朝,

F 児は教室に入ると,学級通信をすぐに見に行った。修学旅行を取り上げた学級通信をまだ

私は掲示していなかった。F 児は,突然,学級通信を破り,「〇〇(修学旅行で行った温泉

テーマパークの名称)がいい。」と言って,泣いた。私が「〇〇の学級通信はすぐに作るよ。」

と伝えると,F 児は「はい。〇〇がいい。」と答えた。その後,その温泉テーマパークを題

材にして絵日記の学習に取り組んだ際,F 児が自分の経験を踏まえて,感想を述べたと思わ

れる場面が見られた(表4)。

表4 自分の経験を踏まえて,感想を述べたと思われる場面

私が,F 児がジェットバスに入っている写真を提示して,「F 児くんは何をしたの?」と尋ねると,

F 児は「泡でじゃばじゃばした。」と答えた。F 児は「ぼくは〇〇であわでじゃばじゃばしました。」

と書いた。私は別の写真を提示して,「これは?」と聞いた。F 児は「△△風呂に入りました。」と答

えた。私が「△△風呂はどうだった?」と聞くと,F 児は「気持ちよかった。」と答えた。私は次に

ウォータースライダーの写真を提示して,「これはどうだった?」と F 児に尋ねた。F 児は「滑り台

を頑張った。楽しかった。」と答えた。実は,F 児は,修学旅行の1か月半前に同じ温泉テーマパー

クに家族で行っており,そのときは,ウォータースライダーを滑らなかったそうである。F 児の「滑

り台を頑張った。楽しかった。」という発言には,家族で温泉テーマパークに行った経験を踏まえて,

「初めは怖かったけれど,頑張って滑ったら,楽しかった。」という思いがあることが私に伝わった。

私が「頑張って滑ったら,楽しかったの?」と聞くと,F 児は「はい。」と答えた。

修学旅行の1週間後,F 児は休み時間に,自分から「12 月に修学旅行に行く。」と私に伝

えてきた。修学旅行のことを絵日記にまとめていく中で,また行きたいという気持ちをもち,

その気持ちを私に伝えたと推察された。

12 月になると,F 児が,絵日記をファイルから出して,読み返す姿が見られるようになっ

た。また,修学旅行が終わってから2学期の終業式に掛けて,F 児は「2014 年だめ。」「中

学校に行きたくない。」と頻繁に言うようになった。修学旅行という F 児にとって大きな出

来事が終わり,卒業,進学がより意識されるようになり,その不安を表現したい,身近な教

師に伝えたいという思いを抱くようになったと思われた。

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Ⅳ.結果と考察

本研究では,F 児が自分の経験したことや感じたことを表現して,相手に伝える力を高めるこ

とにより,気持ちや情緒の安定を図ることを目的として,写真を用いた絵日記の指導を継続的に

行ってきた。

当初は,春の遠足を題材にした場面で見られるように,私と F 児とのやり取りが成立しないこ

とが多く,F 児が自発的に発言したり,文章を書いたりすることはほとんど見られなかった。特

に,F 児の感じたことを表現させることは難しく,「どうだった?」という問い掛けに対して,F

児は「こうだった。」と言うばかりであった。私は,F 児が答えに困ったときは,写真を提示し

て具体的な言葉を掛けたり(表1より,大仏の胎内の写真を提示して,「大仏の中に入ったよね。」),

選択肢を提示した質問(表1より,「大きかった? 小さかった?」)やより直接的な質問(表1

より,「楽しかった?」)で聞き直したりしてきた。絵日記の指導を始めてから約1か月後,入浴

の学習を題材にしたときには,「銭湯に行きました。」等に見られるように,F 児は自発的な発言

を行えるようになった。また,2学期に運動会の予行を題材にしたときには,「楽しかったです。

面白かったです。」といった感想を自分から述べ,私の意図を汲み取って,絵日記に取り組むこ

ともできた。さらに,11 月に修学旅行を題材にしたときは,様々な温泉に入った感想を気持ちよ

かったと答える中で,ウォータースライダーに限り,「頑張った。楽しかった。」と,過去の経験

を踏まえた上で,特別に意義付けたと推察される感情を表す発言を自分から行っていた。このよ

うな F 児の変容から,絵日記の指導を継続的に行ったことで,F 児が,自分の経験したことや感

じたことを表現する力を高めることができたと言えよう。また,指導の中で,写真を用いたこと

は,気が散りやすく,出来事を整理して振り返ることに課題のある F 児にとって,絵日記の題材

(話題)に集中したり,時系列に沿って出来事を振り返ったりする上で,非常に有効な手掛かり

であったと考える。さらに,始めに「どうだった?」という質問を F 児に投げ掛けたあと,より

具体的あるいは直接的な質問をするといった働き掛けを繰り返すことで,F 児は,自分の感じた

ことをより自発的に表現することができるようになったと考える。

2学期の後半になると,F 児が絵日記を読み返す姿が度々見られるようになった。F 児のその

姿から,絵日記という自分の生活経験の記録を読み返すことで,自分のこれまでの生活経験を再

整理して,振り返ることができ,そのことで自分の気持ちや情緒が安定することを,F 児自身が

徐々に気付き始めているものと推察された。また,同時期に,F 児は,修学旅行にまた行きたい

という思いや,中学生になることへの不安な気持ちを,自分から私に伝えてくることがあった。

このことも,絵日記を通じて自分の経験したことや感じたことをより表現できるようになった F

児が,自分の気持ちや情緒を安定させるために,自分の考えを相手に伝えるという方法があり,

それが有効であることに,気付き始めたためではないかと考えられた。

Ⅴ.今後の課題

絵日記の指導により,F児の気持ちや情緒の安定を図ることができたと結論付けることは難しく,

今後,絵日記の指導を継続して行い,F 児の変容を更に追っていく必要がある。また,本研究では,

絵日記の題材として行事や校外学習を取り上げ,F 児と私との個別の課題学習での学習場面を中心

に分析を行ったが,今後は,行事や校外学習,あるいは他の授業で,教師がどのような言葉を F 児

に掛けたか,F 児がどのような言葉を発したか(言語化するように指導したか)も分析の対象とし,

絵日記の指導場面における F 児の表現との関連性を分析し,指導をする必要がある。

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人に伝わる楽しさを通して,「伝える力」を育てる

~寄宿舎生活四年目の子どもの指導を振り返って~

寄宿舎指導員 小菅夏美

I .本児の実態

本児は,小学部1年生の男児である。幼稚部3歳児から寄宿舎で生活を始め,現在,3年 11か

月がたった。

幼稚部3歳では,体が小さく,体幹も安定しないため,トランポリンや低い

段差で転んだり,椅子から転がり落ちたりしていた。また,歩く力が弱かった

ため,散歩ではベビーカーを使用していた。そのため,日常生活動作には多く

の支援と安全面への配慮が必要であった。コミュニケーション面では,おなか

がすいたときに「あっぷん。」と言葉で伝えたり,欲しい物の場所へ指導員を連

れて行き,クレーン動作で要求したりすることができた。TVで流れているせり

ふや CMのフレーズ,好きな電車のアナウンスなどを覚えて,一人で繰り返し話 写真1 年少児様子

していることが多かった。また,一つのことに集中して取り組めず,気になる物を見付けると気が

移りやすかった。保護者の後追いも見られず,保護者や指導員等は寂しい気持ちであった。

幼稚部4歳になり,活動への参加を促されたときに,「行かない。」や「やらない。」と拒否を伝

えることが増えた。トイレへ行くように促したときでも拒否することがあり,生活に支障があると

きもあった。平仮名が読めるようになり,活動への拒否や抵抗が強いときは,文字で書き伝えると

活動を受け入れやすくなった。また,遊具や人への興味が広がっていき,動作の模倣ができるよう

になったり,保護者への後追いをしたり,別れ際に泣いたりする様子が見られる

ようになった。

幼稚部5歳の終わり頃には,指導員や教師と関わりたい気持ちが強くなり,

知っている言葉を使い,自分の気持ちややりたいことを本児から話し掛けるこ

とが増えた。同時に,特定の友達への関心が高まり始めた。しかし,相手へ話

し掛ける言葉の表現が,状況に合っていないことが多かった。例えば,本児が 写真2 今年度,

チョコレートが食べたいときに,「(チョコレート)どうぞ。」と相手に言ってほ クリスマス会の様子

しいことを本児が言うため,相手に伝わりにくかった。そして,相手が応じられないとき,状況に

合わない言葉を何度も繰り返したが,なかなか伝わらなかった。

Ⅱ.本児にとって必要な表現する力とその理由

本年度,小学生になり,自分から身近な大人に関わることが更に増えてきている。また,特定の

年上の友達とは,一緒に登校したい様子や好きなプラレールで一緒に遊ぶような関わりが見られる

ようになった。そこで,本児が人に関わりたいという意欲が高まってきているこの時期に,相手に

伝わる言葉や状況に合った言葉で表現ができるようになることで,人との関わりを広げられるよう

になるのではないかと考えた。

このような理由から,本児にとって必要な表現する力は,「状況に合った言葉で要求したり,話

し掛けたりすることができる。」と考えた。

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Ⅲ.指導実践

【1学期の指導】

1.指導内容・方法

毎日,登校と下校時,寄宿舎玄関と教室出入口で,「行ってきます。」,「おはようございます。」,

「さようなら。」,「ただいま。」の挨拶を以下の方法で指導することを,教室担任と共通理解した。

1) 状況と言葉が違うときには,適切な言葉を伝え,本児が復唱するようにした。

2) 本児の挨拶や話し掛ける言葉の間違いが予測できる場合には,事前に適切な方法を伝える。

2.指導経過と結果

1) 指導員や教師に自分から挨拶をすることが増えたが,間違えることが多かった。状況に

合った挨拶の言葉を伝えても,言い直すことに応じない様子があった。また,この頃幼稚

部教師に,卒業し他校へ入学した友達のことを尋ねるようになった。その関わり中で「(○

○くん)いませ~ん。」,「(○○ちゃんは)卒業しました。」など,教師から楽しい口調で

返してもらうことを楽しむようになり,指導員にも同じやり取りを求めるようになった。

そこで,本児が状況に合った挨拶を言い直した後に,指導員が楽しい口調で返すと,うれ

しそうな様子が見られ,言い直すことへの抵抗が減っていった。

2) 挨拶をするときに,状況にあった挨拶の言葉を伝えると,言うことができた。

3.1学期の指導のまとめと本児の変容

人とのやり取りを楽しむ姿が更に増え,楽しい口調で返されることによって,言葉の言い直

しへの抵抗が減っていったが,本児から状況に合った挨拶ができたことはまれであり,言葉を

訂正するだけの指導では難しいと感じた。

9月に学校全体で行われた事例検討会で,他の教職員と討議した。その中で,本児が“自分

が使う言葉と相手が使う言葉”を理解するのが難しいのは,自分と相手の関係が分かっていな

い可能性もあることに気が付いた。また,キャッチボールを通し,自分と相手のやり取りを目

で見て,その関係を身体で感じることができるのではないかという意見をもらい,寄宿舎での

遊びの時間に取り入れることにした。

【2学期の指導】

1学期の反省から,引き続き,毎日繰り返し指導が行えるよう,以下のように指導方法・内容

を変更することにした。

1.指導内容・方法

1)引き続き,登校と下校時,「行ってきます。」,「おはようございます。」

「さようなら。」,「ただいま。」の挨拶について指導するが,そばに付

いている指導員は,本児の横で本児の行う挨拶のモデルとなるよう,

一緒に挨拶し,寄宿舎で迎える指導員は,舎室入り口で待機して出迎え 図1 挨拶

て,声を掛けるようにする。(図1)

2) 寄宿舎では,毎日,朝食・おやつ・夕食と3回の食事場面があり,また,本児は食事に意

欲が高いことから,食事の号令を当番として取り入れる。友達が本児の挨拶に合わせるだけ

ではなく,本児が友達の号令にも合わせられるよう,日ごとに当番を替える。号令を掛ける

際,本児が友達に意識を向けられるように,指導員が「○君を見て。」等,言葉を掛ける。

3) 学級では,毎日の出来事を教師が聞き取り,日記にしている。その日記や連絡帳をその日

のうちに,指導員で回覧し,学級での出来事を共有し,寄宿舎での会話や質問に取り入れる。

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寄宿舎での日々の様子や行事の様子を口頭や連絡帳で,学級の教師に伝え,本児の姿を共有

する。

2.指導経過・結果

1)9月,夏休みに舎室改修が行われ,パーティションで仕切られて,

個人のスペースが作られた。遊ぶスペースと個人のスペースが明確に

なった場所で,「ただいま。」や「行ってきます。」など言いながら,行

き来を楽しむ遊びが始まった。(図2) 図2 言葉遊び

10月頃、そばに付いている指導員が本児の横で,迎える指導員に「ただいま。」と言うと,

本児がまねをして,「ただいま。」と言うことができた。11月頃になり,そばに付いている指

導員が先に挨拶しなくても,本児から「ただいま。」と言うことが増えたが,まだ,間違え

ることも多かった。12月になると,そばに付いている指導員が先に挨拶しなくても,「ただ

いま。」と言うことができるようになった。

また,10月頃は,迎える指導員が,先に「お帰り。」と言うと,本児も「お帰り。」と返し

てしまっていたが,11 月頃には,「ただいま。」と返すことが増え,12 月には,ほぼ確実に

「ただいま。」と言うことができるようになった。本児が,状況に合った言葉が言えたとき

には,指導員が楽しい口調で「おかえり~。」と返すと,とてもうれしそうな表情を見せて

いた。

12月下旬頃には,下校時に教室から出てくる際に,教室へ迎えに行った指導員へ「た

だいま。」,教師に「さようなら。」と自然に言えるようになった。

本児と同じ挨拶をする人と迎える人の役割を明確に分けたことで,“自分と相手の挨拶の

言葉の違い”が本児には分かりやすかったと思われる。

2)当番の活動を始めてから2週間は,日ごとに当番を決めたために,本児の機会が少なく,

号令の言葉や何を行うのかが分かりにくかった。そのため,毎日,朝食は友達,おやつと夕

食の2回は本児が号令を掛けることに変更した。

寄宿舎では一学期まで,食事の席に着いたらすぐに食べ始めていたが,当番の活動を始め

てから,全員がそろうまで待つことになり,本児に早く食べたい気持ちや戸惑いが見られた。

しかし,回数を重ねるごとに,「手をあわせてください。」と言った後,少し間を空けてから

「いただきます。」と言ったり,ゆっくり言葉を言ったりするようになった。指導員が「○

君を見て。」と言うと,少し友達を見てから号令を掛けたり,少しずつではあるが,自分か

ら友達を見たりすることも出てきた。徐々に,全員が集まるのを待てるようになり,指導員

の合図に合わせ,自然に挨拶ができるようになったり,当番の回数が多くなったことで“自

分の仕事”ということが分かり,指導員へ「当番(やる)。」と伝え,早く席に着き,意欲的

に当番を行うようになった。また,友達の当番のときには,一緒に号令を掛けてしまうこと

も多いが,少しずつ,友達の号令を待つことも増えてきた。

3) 下校後,本児から「買い物,行った。」と学校であった出来事を伝えてくることがあり,

「どこに行ったの?」や「いつ食べるの?」と尋ねると,答えることができた。ある日の下

校後,唇に黒い物が付いていたので,「何を食べたの?」と尋ねると,「焼き芋。」と答える

ことができ,その後,連絡帳の情報から,他の質問へつなげていくことができた。また,宿

泊学習の後には,日記から情報を得ていたので,「何が楽しかった?」や「夕食は何を食べ

た?」,「誰と寝たの?」など,たくさん質問していくと,楽しそうに答えていた。

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その頃,食事の前などに,「手を洗った?」と尋ねると,とぼけた様子で「洗ってないね~。」

と言い,手を洗いに行ったり,また,別の日に「洗濯畳み,終わった?」と尋ねると,「終わ

ってないね~。」と言い,笑いながら畳みに行ったりするようになった。

3.2学期のまとめ

挨拶は,本児と同じ挨拶をする人と迎える人の役割や指導の場所を明確にしたこと,学級と連

携を行ったことで,約4か月で間違うことがなくなった。また,当番活動は,回数を重ね4か月

位でタイミングを合わせて挨拶ができるようなった。

このような指導をする中で,人との関わりが更に増えたことで,本児の言葉の裏側にある思い

や考えを表情や様子から指導員がより感じ取りやすくなり,本児に言葉を返していくことができ

るようになったことに気が付いた。例えば,寄宿舎に見学者が来たと

きに,本児が「お客さん,たくさん来たね。」と言ったので,指導員が「

よい子にしなきゃ。」と言うと,正座をした。その姿から,よく見られ

たいのだなと感じられた。

このようなことから,本児の言葉とその言葉にある思いを整理でき

るのではないかと思い,全寄宿舎指導員で集約し,以下のように推察

した。(表1~3) 写真3 寄宿舎での本児の

言動を集約した付箋

表1 好きなT指導員との関わり

表2 他の指導員と関わり

状況 本児が伝えた言葉,行動 言葉の裏側にある思い

廊下で指導員を見つける。 「A先生待って。」と言い,追い掛ける。 会いたかった

前日のことを伝える。 「昨日,○スーパーとリラクに行きました。○クリスマス(DVD)見たよ。」

楽しいことを伝えたい

自由な時間 「抱っこしてください。」 甘えたい

活動やお手伝いを頑張った。 指導員へ「ぎゅ。」と伝え,抱っこを求める。 褒めてほしい

注意され泣いたとき, 1学期は,すぐに立ち直る 2学期は,抱っこ求め,指導員が状況を説明した後,抱っこに応じると落ち着く。

慰めてもらい たい。

難しいのゲームやおもちゃが見つからない 「先生も一緒。」と言う。 助けてほしい

自分のおやつを指導員へあげる。 「ありがとう。」と言われることを喜ぶ。 喜んでほしい

表3 Kくんとの関わり

状況 本児が伝えた言葉,行動 言葉の裏側にある思い

状況 本児が伝えた言葉,行動 言葉の裏側にある思い

DVD の視聴時,T指導員がメモする。 「T先生,お絵かき終わり。一緒に見る。」

一緒に○○したい

DVD の視聴時,T指導員がその場から少し離れる。

手を引きTVの前へ連れて行き,「T先生,見て。」

「眠くなっちゃった。」と言い横になる。T指導員が「おやすみ。」と言う。

「2人で寝る。」

本児が「T先生,お願いします。」と言う。T指導員が「何が?」と返す。

「T先生,今日お泊まり,よろしくお願いします。」

一緒に○○できて,うれしい

お手伝いや活動を頑張った。 その後,「がんばりました。ぎゅ。」 褒めてほしい

学校の時間に廊下ですれ違い,「こんにちは。」と言った。

その後,口をパクパク「元気でね。」,「またね。」,「さようなら。」と言った。

また,会いたい

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以前は,H君が遊ぶ iPadに手を出し、嫌がられていた。11月頃

「見せて。」と言葉を掛けるようになり,仲良く交代して遊ぶことが増えた。

一緒に○○したい 写真4 Kくんとの

関わり

互いに好きなプラレールを通して,一緒に遊ぶことが増えた。

怒ったり,自己主張したりする姿が出てきた。

舎室のHくんの個人スペースで一緒に遊ぶ。

本児が,「ありがとうございました。」と言いながらHくんの部屋を出る。Hくんが「また,どうぞ。」と返すと,うれしそうな表情を見せる。

以上のように,「友達と一緒に~したい。」,「先生に~してほしい。」というような思いが育って

きており,何とかしてその気持ちを指導員や教師に伝えようとしていると推察でき,そのような力

が付いたことで,さらに,いろいろ人と関わりたい気持ちが広がったのではないかと思う。

Ⅳ.結果と考察

挨拶は,言葉を訂正するだけの指導よりも,指導員が本児と同じ挨拶をする人と迎える人の役割

を分けたり,場面を固定したりすることが本児には分かりやすかったようである。また,当番の活

動をする中で,“自分と相手”とは違う挨拶があることが少しずつ分かるようになり,状況にあっ

た挨拶ができるようになった。また,本児の場合は,面白い口調で返したり,教えられていること

を,本児が遊びにして繰り返しやったりすることで,身に付きやすいことが分かった。

しかし,まだ,他の場面では,人へ物を渡すときに「ありがとう。」と言ったり,欲しい物を指

導員へ要求するときに「どうぞ。」と言ったりするので,引き続き指導が必要である。2学期の始

めくらいから,人との関わりが増え,簡単な言葉ではあるが,本児が思いを伝えたり,話し掛けた

りするようになり,言葉の裏側にある思いが表情や様子で指導員が受け取りやすくなり,本児の思

いや考えを受け止め,言葉を返すことができるようになった。本児の思いや考えを踏まえた言葉の

やりとりをする中で,本児から話し掛けることが増えてきた。このことから,自分が見たことや寄

宿舎・学校・家庭で楽しかったこと,行った場所などを,自分の知っている言葉でもっと指導員に

伝えたいと思うようになったのではないかと感じる。また,「ぎゅー。」と言って指導員に関わりを

求めたり,「ざんね~ん。」や「いませ~ん。」など,言葉のやりとりを楽しんだりすることも増え

て,人と関わることが楽しいのだと感じられる様子が見られるようになった。

4年間の指導を振り返って大切だと思うのは,伝える対象となる「人」の存在である。寄宿舎の

中で,大好きな指導員ができ,気持ちを受け入れてもらったことで,関わりを楽しむようになり,

他の指導員へも関わりを求めることが増えたり,ふざけたり,年齢が近く兄弟姉妹のように関わる

ことができる友達と「一緒に遊びたい。」,「一緒に登校したい。」などの気持ち

が増したと考えられる。また,学級での友達や教師との関わりや言葉の学習,

家庭でのお出掛けや保護者との関わりなど,いろいろな人との関わりによって,

人を好きになったことで,挨拶の言葉の訂正を受け入れたり,状況に合った挨 写真5 友達や指

拶を言えるようになったりしたのではないかと考える。 導員と関わる様子

Ⅴ.今後の課題

本児は,人と関わったり,楽しい雰囲気の中で関わったりすることが増えてきたことにより,思

いや考えをいろいろな人に伝えるようになってきた。いろいろな人に思いや考えを伝えるようにな

ってきた今,それらを表現できる適切な言葉を指導していくことで,更にいろいろな人に気持ちを

伝えられるようになり,もっと,“状況に合った言葉で要求したり,話し掛けたりすることができ

る”ようになるのではないかと考える。