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装幀 野中耕一

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Page 3: 三国志を読む.indb 1 2012/01/18 18:53:45aoyamalife.co.jp/images/tachiyomi/sangokushiyo.pdf5 はじめに 正史三国志は、後漢末に端を発し、魏は曹操、蜀は劉備、

3

 

はじめに

……………………………………………

5

…………………………………………………

8

第1章 

三顧の礼

…………………………………

41

第2章 

孔明初動

…………………………………

53

第3章 

逃避行

……………………………………

61

第4章 

劉孫同盟

…………………………………

67

第5章 

赤壁の戦い

………………………………

90

第6章 

義の男・関羽

……………………………

115

第7章 

周瑜 

矢傷を負う

………………………

121

第8章 

劉備の婚儀

………………………………

136

第9章 

龐統討死

…………………………………

162

第10章 

成都 

開城

………………………………

172

第11章 

関羽の貫禄

………………………………

182

第12章 

曹操、漢中を平定

………………………

189

第13章 

魏王曹操

…………………………………

193

第14章 

驕兵の計

…………………………………

198

第15章 

定軍山の戦い

……………………………

204

第16章 

漢中王への道

……………………………

212

第17章 

孫権の懊悩

………………………………

220

第18章 

関羽、策を謬る

…………………………

223

第19章 

禅譲と称帝

………………………………

246

第20章 

東征

………………………………………

261

第21章 

夷陵の戦い

………………………………

270

第22章 

任にん

子し

………………………………………

288

第23章 

江陵の戦い

………………………………

292

第24章 

劉備の死

…………………………………

300

第25章 

悲願

………………………………………

305

第26章 

復交

………………………………………

311

第27章 

敗走

………………………………………

321

第28章 

南征

………………………………………

326

第29章 

擒縱

………………………………………

336

第30章 

饅頭

………………………………………

362

目 次

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Page 4: 三国志を読む.indb 1 2012/01/18 18:53:45aoyamalife.co.jp/images/tachiyomi/sangokushiyo.pdf5 はじめに 正史三国志は、後漢末に端を発し、魏は曹操、蜀は劉備、

4

第31章 

出師の表

…………………………………

364

第32章 

意見対立

…………………………………

374

第33章 

姜維降る

…………………………………

382

第34章 

祁山攻防

…………………………………

391

第35章 

孟達謀叛

…………………………………

401

第36章 

街亭の戦い

………………………………

409

第37章 

泣いて馬謖を斬る

………………………

419

第38章 

石亭の戦い

………………………………

425

第39章 

陳倉の戦い

………………………………

432

第40章 

蜀・呉盟約

………………………………

441

第41章 

八卦陣

……………………………………

454

第42章 

佞臣

………………………………………

462

第43章 

さらば五丈原

……………………………

476

参考文献

……………………………………………

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Page 5: 三国志を読む.indb 1 2012/01/18 18:53:45aoyamalife.co.jp/images/tachiyomi/sangokushiyo.pdf5 はじめに 正史三国志は、後漢末に端を発し、魏は曹操、蜀は劉備、

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はじめに

正史三国志は、後漢末に端を発し、魏は曹操、蜀は劉備、

呉は孫堅の時代から、呉の末帝孫皓が西晋に降った天紀4年

(280)までの間に、展開された三国の有為転変を、西晋の

史家陳寿(232~297)が、魏書、蜀書、呉書の別に編年

体に綴った史書である。

本稿は陳寿の没後、約1100余年を経た明初の小説家羅貫

中(1330~1400年頃、生没年不詳)が、陳寿の正史を

雛型に書き上げた長編の歴史小説「三国志演義」に基づき、両

書を比較対応させたものである。

従って正史とは異なり、演義にはストーリーを面白くするた

めの虚構(説3分、すなわち7分実、3分虚)が見られるはい

うまでもない。正史と演義の基本的な相違は、正史は魏をもっ

て正統とみなし、演義は蜀をもってするところにある。それは、

演義が「桃園の結義」から「三顧の礼」を経て、「天下三分の計」

へと物語を盛り上げんと試みるところに発する。

岩波本「完訳三国志」(演義)は、巻初に『たぎりながるる

長江の東に下く

る水の上、うたかたに浮かびて消ゆる英雄のかず。

世に栄えしも敗れしも頭をめぐらせば空しくなりぬ。青山は昔

のままに、いくたびすぎし夕日の紅』(原文・滾滾長江東逝水、

浪花淘尽英雄。是非成敗転頭空、青山依旧在、幾度夕陽紅)と

の詞の一節を載せている。(注)浪花は砕けて白い花のように

見える波のこと。

そこには「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き人もつひには減びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」と、琵

琶を奏で語られる「平家物語」同様に、そこはかとなき哀感が

滲み出ている。おそらく聴く人、詠ずる者一様の感懐ではある

まいか。

三国志演義は、講釈師の「且聴下之分解」、すなわち『次回

の解き明しをお聞きあれ』のかたちをとり、全編120回にわ

たって、三国の英雄・豪傑談を聞かせる。そこに流れるは哄笑、

感涙、憤激、嘆息など、人間の持つ激情の巧みな誘発である。

「演義」文頭にいわく、『天下の大勢、分かれて久しくなれば

必ず合し、合して久しなれば必ずまた分かる』(原文・天下大勢、

分久必合、合久必分)と、天下三分を示唆する。そして文尾は、「こ

れより三国は晋の皇帝司馬炎に帰属し、一統の基となった。こ

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れが天下の大勢、合して久しくなれば必ず分かれ、分かれて久

しくなれば合する理である」(原文・自此三国帰于晋帝司馬炎、

為一統之基矣。此所謂天下大勢、合久必分、分久必合者也)と、

天下の統一で結章している。

さて「三国志演義」の邦訳は、江戸元禄時代に刊行された、

湖南文山の『通俗三国志』(底本・嘉靖本)が初出とされる。

昭和時代になると、嘉靖本(16世紀前半)に代わって、「毛宗

崗本」(17世紀後半)を底本とする『三国志演義』の全訳が見

られるようになった。『三国志』(全10冊)、小川環樹・金田純

一郎共訳、岩波文庫、1953~1973年、『三国志演義』

(上下)、立間祥介訳、平凡社、1968年などである。その後、

新版や改定版の刊行が相次ぎ、三国志ブームの趣きを呈した。

本書は、底本を岩波本「完訳三国志」(全8冊、小川、金田共訳、

岩波文庫、1988年)とした。同書が本邦のいわば嚆矢的存

在に当たり、かつ一般書店において入手が容易であったためで

ある。

関連書として、立間本「三国志演義」(改定新版、全4冊、

立間祥介訳、2006年、徳間文庫)、井波本「三国志演義」(全

7冊、井波律子訳、2003年、ちくま文庫)を参考とした。

なお逐語訳ではないが、吉川本「三国志」(全5冊、新装本、

吉川英治訳、2008年、講談社文庫)に、興溢れる叙述が見

られるので、該当部分を援用した。

検証対照本として、演義原文は中国文「三国演義」(羅貫中

原作)、人民文学出版社、1993年、新華書店、北京を、ま

た「正史三国志」(陳寿原作)は、全8冊(魏書4冊、蜀書1冊、

呉書3冊)、訳者・今鷹真・井波律子・小南一郎、ちくま学芸文庫、

2004~2005年を用いた。

また「演義」、「正史」記述の典拠を明確にするため、各段落

前の文末に、「演義」は『第何回何頁』、「正史」は『何書何頁』

と明記した。

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三国志を読む

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三国志を読む

序 章

物語の始まり、三人の義兄弟誕生

古代中国は「夏」「商(殷)」「周」という王朝が続き、春秋時代、

戦国時代を経て「秦」が全国を制覇、その後「劉」氏が「漢」

王朝を成立させ、「前(西)漢」・「後(東)漢」へと、四百年

余繫がっていくが、後漢第十一代霊れ

帝てい

の末期、中平元年(西

暦一八四年)「黄こ

うきん巾

の乱」が起こった。

黄巾の乱とは、張角という人物があるとき不思議な老人から

書物を伝授され、呪

まじな

い師となり、群衆を集めてその長となった

が、この勢いなら天下を取れると思い、黄色い布の頭巾を仲間

の目印とし、黄色い旗を立てて仲間を増やしながら各地を略奪

して暴れまわった。その人数も五十万人ほどに膨ふ

れ上がり、各

地の官軍は黄巾賊が現れただけで恐れをなして逃げる始末で

あった。そこで政府(朝廷)は黄巾賊討伐のために、盧ろ

しょく植

、皇こ

甫ほ

嵩すう

、朱

しゅしゅん

儁ら三名の大将を任命して当たらせるようにした。し

かし各地の太守は黄巾賊に対抗できる軍事力不足に悩んでいた。

各地の太守たちの中の一人、幽

ゆうしゅう

州(河北省涿た

郡ぐん

)の太守

劉りゅうえん

焉が自己指揮下の軍勢だけでは防備ができないので、各地

で義勇兵を募集した。涿た

県けん

(河北省)に立てられた義勇軍募集

の立札の前で、一人の男が溜息をついた。劉備・は玄徳(涿郡

涿県出身)である。それを後ろで見ていた顔中ひげの男がいた。

張飛・字は翼徳(涿郡出身)が、劉備に向かって言った。「大

の男が何の溜息か」と。劉備は言う「黄巾賊が暴れているのに

俺にこれを抑える力がないのを悔んでいるのだ」。すると張飛

が言った。「おおそうか。若者を集めて軍隊をもてばいいでは

ないか。俺に些か資金があるので若者を集めることができる。

二人でやろうじゃないか」。

二人は酒屋に入って杯を酌み交わしていると、そこへ背の高

い、長い顎ひげの男が入って来て、「酒をくれ。義勇軍に応募

しに行くので急ぐのだ。早く持ってきてくれ」と言った。これ

ぞ関羽・字は雲長(河東郡解県・山東省出身)である。劉備と

張飛はこの男を自分たちの席に呼んで一緒に酒を飲んだ。互い

に自己紹介し、出身地を明かした。

そして翌日、張飛の家に行き桃園の木の下で、「死ぬときは

一緒」として、義兄弟の契りを交わし、劉備が長兄、関羽が次

兄、張飛が末弟となった。即日、三人は三百人の若者を集め、

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序 章

杯をあげて気勢をあげた。翌日、皆が集まったが、馬も武器も

なかった。

そこへ折よく通りかかった商人がいた。中

ちゅうざん

山の大商人張世平

と甥の蘇そ

双そう

だが、黄巾賊の略奪に遭うため目的地の北には行け

ないし、途中黄巾賊に襲撃されるので帰るのも不可能となり

困っていた。そこで劉備らの願いを聞き入れ、馬五十頭のほか、

金銀五百両、鉄一千斤、織布百反などをくれながら、黄巾賊退

治をくれぐれもとお願いした。鉄は、劉備は剣、関羽は大薙刀

(青竜刀)、そして張飛は鉾ほ

と、それぞれが作り、その他の兵器

も作って兵士にゆき渡らせ、衣装も整えた。

こうして三百人の部下を引き連れて、幽州の太守劉り

ゅうえん

焉のも

とへ出て行った。劉焉は大いに喜び、同姓ということで劉備を

義理の甥として、歓待した。

 初手柄と悪徳役人

三日後、黄巾賊五万人が涿県に押し寄せた。劉備と関羽、張

飛は五百の兵でこれに立ち向かい、関羽が黄巾賊の大将を打ち

取り、張飛も副将を打ち取った。黄巾賊は散々な目にあって逃

げた。翌日は青州(山東省)に加勢に行き、劉備が伏兵の戦術

を使って黄巾賊を大いに打ち破った。三人が北へ引き返そうと

して二日ほど行くと、黄巾賊の大軍が官軍を追っかけていた。

これに対し横合いから攻め込み、大混乱を起こさせて逃走させ

た。官軍の大将は董と

卓たく

だった。彼は劉備が無冠の者だと知る

と恩賞を与えなかった。劉備は部下共々董卓のもとを離れ、

朱しゅしゅん

儁を訪ね、十万の黄巾賊と戦った。この戦いで首領の弟二

人も亡ぼされ、黄巾賊の乱は終結した。しかし朱儁の推薦があ

るのに朝廷からの恩賞はなかった。

三人は不満でたまらない。ある日道で出会った旧知の郎中張

均に、恩賞の不公平を訴えると、張郎中が天子に宦か

んがん官

十じゅう

常じょう

侍じ

たちの非道腐敗を奏上した。十常侍たちは、彼を、自分らを

誹謗しているとして天子に讒ざ

んげん言

し、張郎中を追放し毒殺した。

しかし十常侍らも恩賞を与えるべき者を放って置くことに気が

引けて、取り敢えずということで、劉備を中山府安喜県(河北

省定県)の尉(治安官)に任じた。

劉備が県の尉となって四ヵ月が過ぎる頃、黄巾の乱で功名を

立てたとして、役人に取り立てられた者を審査し、嘘偽りで職

にありついた者を見つけて免官にするため、勅使の督と

くゆう郵

(監察

官)が、安喜県にやって来た。その役人は甚だ高慢ちきで、あ

からさまに賄賂を要求し、贅沢な待遇を要求した。これに対し、

劉備は県の財政が乏しいということで賄賂には応じなかった。

翌日、督郵は怒って下役人を一人捕まえて無理やりに劉備に対

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三国志を読む

する訴状を書かせ、それを朝廷に送ろうとしていた。書かされ

る下役人はそれを拒否したが、督郵が鞭む

で叩いたりしているの

で、役所の門前には大勢の村民が集まって、止めてくれるよう

嘆たんがん願

して、騒いでいた。

そこへ、たまたま張飛が酒に酔って驢ろ

ば馬に跨って通りかかっ

た。何事ならんと村民に聞くと、督郵が嫌がる役人に、劉備に

罪を着せるための訴状を書かせようとしているとのこと。それ

を聞くと張飛は目玉をむいて怒り、役所の中へ走り込み、勅使

督郵の首根っこを掴つ

んで役所の外へ引きずり出した。門の脇の

柱に括り付け、柳の枝で容赦なく打ちつけた。督郵は泣き喚わ

ながら許しを乞うたが、張飛は騙されないぞと打ち続けた。役

所の奥にいた劉備は何を騒いでいるかと出て見ると、張飛が役

人を叩いているところだった。

張飛を止めて訳を聞いた劉備は、どっちみち「尉」などとい

う官職などに未練などないので、尉の印綬を督郵の首に掛けて、

安喜県を出て行った。督郵は吏員に助けられ、ただちに定州太

守に報告、張飛を始めとした劉備の追討、逮捕を命じてもらっ

た。劉備ら三人は代州に逃げ、刺し

しりゅうかい

史劉恢に身を寄せた。劉恢は

劉備が漢王朝の一族だと知ると、三人を家にかくまった。

十常侍の横暴・劉備の任官

さて、宮中では主導権を握った宦官の十常侍は相談し合いな

がら、黄巾賊討伐で功労があって褒

ほうしょう

賞を受けた将兵に対して金

や絹を出せと要求し、言うことを聞かない者を罪に陥れた。黄

巾賊を討伐した大将皇こ

甫ほ

嵩すう

と朱

しゅしゅん

儁は要求に応じないので、霊

帝に上奏して罷免し、逆に何の功績もない一人を車し

き騎将軍とし、

ほかに十三人を列侯に封じた。このため民衆の恨みと嘆きは日

に日に大きくなり、長ち

ょうさ沙

や魚ぎ

陽よう

では反乱がおこった。朝廷に対

しては上奏文が頻々と寄せられ、緊急事態を知らせようとした

が、十常侍が全部握りつぶして霊帝には知らせなかった。

こんなある日、霊帝が奥庭で宦官の十常侍らと酒宴を開いて

いた時、諫か

ぎ議大だ

ふ夫の

劉りゅう

陶とう

が入って来て大泣きし、霊帝の質

問に対して「天下の危機が目前に迫っておりますのに、陛下は

なおも宦官どもと酒を飲んでいらっしゃるのですか」。霊帝「国

家は安泰だ。何の危機があるというのか」。劉陶「いたるとこ

ろで盗賊が蜂起し、州や郡を侵略しております。この禍

わざわいは

べて十常侍が官位を売り、民衆に害を与え、帝を欺いたために

起こったものです。朝廷に正義の士は居なくなりました。禍は

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