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【漢検漢字文化研究奨励賞】佳作

伊藤博文をハクブンと呼ぶは「有職読み」にあらず

―人名史研究における術語の吟味―

明治大学大学院文学研究科史学専攻日本史学専修 

博士前期課程二年 

三浦 

直人

【目次】

論文要旨

キーワード

はじめに

 

一、幽霊語としての「有職読み」

 

二、本研究の目的

第一章 

誤用拡大の経緯

 

一、「有職読み」の原義と角田文衛

 

二、ウェブ社会の「教養」

第二章 

「有職読み」の語を不適切とする理由

 

一、類義語から見た場合

 

二、対義語から見た場合

第三章 

人名音読をめぐる誤解

 

一、人名音読は「偉人」への尊敬に基づくか

 

二、人名音読は「知識人」の嗜みか

 

三、人名音読は古来の「伝統」か

おわりに

註【論文要旨】

 

学術用語まがいの俗語に、「有職読み」なるものがある。伊藤博文をハクブンと呼ぶ

ごとく、本来名乗訓みにすべき名を、あえて音に読む慣習を指すとされる。この語は元

来、「故実読み」や「読み癖」と同義だったが、角田文衛『日本の女性名』の一節が誤

読されたことで、これを人名音読の意とする誤用が生じた。幽霊語定着の背景には、

ウィキペディアの存在が見え隠れする。

 

この語を人名音読の意で用いるのは、以下の理由から不適切である。まず、人名の領

域において「有職読み」の条件に適うのは、音読ではなくむしろ訓読(名乗訓み)であ

ること。加えて、近代の人名音読は、「有職読み」と対置される「ゐなかよみ」と親和

性が高いことである。

 

誤用定着により、(一)名を音に読まれる人物は「偉人」である、(二)他者の名を音

読するのは「知識人」の嗜みである、(三)人名音読は平安期以来の日本の「伝統」で

ある、といった先入見が強化された。しかし、明治から昭和戦前期にかけての同時代的

記述を見ると、これらはいずれも一面的理解であることが分かる。人名音読という現象

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を近現代史に位置付ける前段階として、誤用に由来する固定観念の払拭を目指す。

【キーワード】

 

有職読み、幽霊語、角田文衛、ウィキペディア、名乗訓み

はじめに

一、幽霊語としての「有職読み」

 

小野道風をトウフウと称するごとく、本来訓ずるべきファーストネームをあえて音に

読む奇妙な慣習がある。前近代においては、こうした慣習は貴人や学者の符牒に過ぎ

ず、音読が適用される名も、ごく僅かな例に留まっていた。ところが明治に入ると、「名

の字音読み」は目を見張るほどの量的拡大を見せ、昭和戦前期まで、一つの習俗として

確固たる位置を占めることになる一

。「名前の近代化」二を研究対象とする筆者は、かね

てよりこの現象に着目してきた。

 

ところでこの慣習は、しばしば「有職読み」三と呼ばれる。例えば『大辞泉』「有職読

み」項には、次のような語釈が示されている。

「中世の歌学で、歌人の名を音で読むこと。またはその読み方。藤原俊成(としな

り)を「しゅんぜい」、藤原定家(さだいえ)を「ていか」と読むなど。また、近

代にそれをまねて有名人の名を音読すること。伊藤博文(ひろぶみ)を「はくぶん」、

川端康成(やすなり)を「こうせい」と読むなど」四

 

荻生待也『日本人名関連用語大辞典』も、「有職読み」は「名の漢字を音で通し読む

こと」五だと定義しており、こうした用法は既に一定の市民権を得たかに見える。とこ

ろがこの語には、本来右記の用法は無かった。あるテキストの誤読が徐々に増幅し、誤

用が定着したのである。いわばこの語は誤認に端を発する新語六

、即ち「幽霊語」であ

り、当然その語義範囲も曖昧である。幽霊語(g

host w

ord

)とは、「辞書には載せてあ

るが、典拠が見つからず、かつ実際に使用された証拠もなく、現実に存在しないような

ことばや語形」を指す七

。「有職読み」は、少なくとも術語として適切とは言えまい。

とりわけ、近代の「名の字音読み」事例をこの語で括るのは、こうした習俗が行われた

当時の文脈を、全く無視したものと言わざるを得ない八

。本稿では、人名音読を考察す

る前段階として、「有職読み」の語の妥当性を検討する九

。なお、この誤用については

既に小谷野敦が指摘しているが一〇

、もとは氏自身、誤読の当事者であり、その言説に

は重大な事実誤認も見られる。

二、本研究の目的

 

現時点では、誤用の舞台は主に一般軽読書及びウェブ上だが、誤用の拡大過程におい

ては、学術論文よりもこうした媒体の影響力の方が大きい。近年では、「有職読み」の

語を原義通りに用いようとする研究者の方が、かえって語義に関する断りを入れねばな

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らぬような倒錯状態さえ生じている一一

。とはいえ筆者とて、言葉が時代とともに変化

していくことは重々承知しているつもりである。「正しい」日本語などという規範に拘

泥し、誤用を論う気は毛頭無い。それにも関わらず、あえてこうした問題を提起するの

は、この語が、人名音読という現象に対する誤ったイメージの拡大に、一役買っている

ためである。以下、「有職読み」誤用の瀰漫に伴い、増幅した固定観念を三つ提示しよう。

(一)名を音読されるのは、尊敬を集めた「偉人」だという謬見

(二)他者の名を音読することは「知識人」の嗜みだとする謬見

(三)人名音読が、平安期以来連綿と続く「伝統」であるとの謬見

 

こうした紋切り型のイメージは、近代の「名の字音読み」が有する歴史的意義を矮小

化するものである。「偉人」「知識人」「伝統」の強調により、本来人名音読と不可分だっ

たはずの、一般庶民の生活実感が抜け落ちてしまう。誤用による色眼鏡を、早急に取り

払わねばなるまい。

 

「有職読み」誤用拡大の経緯を追う意義は、単に人名史研究における術語の問題に留

まらない。誤読や誤用という現象そのものに関する、一つのモデルケースをも提示出来

るのではと思っている。高度情報化社会における知の在り方、とりわけ今年で一五周年

を迎えたウィキペディアとの付き合い方を探るヒントにも、なりうるかもしれない。と

は言うものの、そこに深入りすることは筆者の能力を超えるため、本稿では折に触れて

こうした課題に言及するに留める。

 

第一章では、「有職読み」の用例を丹念に追うことで、なぜこの語が人名音読と結び

付いたのか解明する。第二章では、「有職読み」が(特に明治以降における)「名の字音

読み」を示す語として不適切な理由を提示する。第三章では、誤用によって強化され

た、人名音読に対する誤ったイメージを取り上げ、その払拭を目指す。各章のアプロー

チを、それぞれ語史(第一章)、語義(第二章)、語感(第三章)というキーワードで整

理することも可能だろう。なお文中で扱うウェブサイトは、国立国会図書館デジタルコ

レクション(h

ttp://d

l.ndl.g

o.jp/

、以下D

C

)を含め、全て二〇一六年四月八日

終閲

覧。史料は旧字体を新字に改め、適宜句読点を補った。合字は展開した。傍線はいずれ

も引用者。

第一章 

誤用拡大の経緯

一、「有職読み」の原義と角田文衛

 

これまでの調査で見つかった、活字資料中の「有職読み」使用例は八八件に及ぶ。本

章ではこのうち、再掲・改版・引用等による重複を除く六二件一二

を、年代順に確認す

る。煩瑣ながら、誤読過程の解明という目的に照らして、ご容赦願いたい。管見の限り

古の用例は、一八九三年『史学普及雑誌』である一三

。「有職読みの事」と題する一文

を見よう。

「日本の歴史を読むに、官職などはなるべく有職読みに読むを宜しとす。有職読み

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とは神祇官、太政官をカンツカサ、オホヒマツリコトノツカサなど読む事也。され

ど之を一々かく読も間ぬるき話なれは、神祇官はジンギクワン、大 

政官はダイ

ジヤウクワン〔中略〕と読むべし」

 

一読して、ここには人名音読の意は含まれていないことが分かる。即ちこの語は本

来、「読み癖」「故実読み」「名目(読み)」と同義で、古式に則った特殊な読みを指す。

武田祐吉の一文は、その事実を端的に示す。

「殊に国文学は特殊の訓法のあるものがあり、これ等は先輩に就いて学ぶことに依

つて益することが多いであらう。いはゆる読み癖、又は故実読み、有職読みと称せ

られるのはこれである」一四

 

上皇との音通を避け、定考をコウジョウと読むケースなどは、典型例と言えよう一五

以上から明らかなように、「有職読み」は本来「名の字音読み」とは全く無関係だった。

敗戦まで八件の用例一六

も、全て「読み癖」の意である。戦後の国語審議会総会

(一九四七年九月二九日)では、安藤正次がこの語を用いた。文脈からは判然としない

が、「百姓よみ」との並列から考えて、これも「読み癖」と同義での使用だろう。

「わが国における字音と漢字との関係は、文字そのものとは遊離の状態におかれて

きたのではないかと思われます。漢・呉・唐・宋の音がならび行われ、慣用音とい

うものや、有職よみ、百姓よみなどが行われていたのも、こういう関係からでござ

いましょう」一七

 

七〇年代末までの一八例一八

にも、相変わらず語義変化は見られない。ではこの語は

いかにして、人名音読と結び付いたのか。転換点となったのは一九八〇年、角田文衛

『日本の女性名』の刊行である一九

。角田は、宮廷女性名を音読する「不都合な慣例」

(成子をセイシと読むなど)に触れた後、以下のように述べる。

「もっとも、歌学の世界などでは、特定の歌人は、音読みされた。俊頼、俊成、定

家などがそうである。こうした有職読みの典型は、新古今歌人・式子内親王の場合

である。当時、定家がサダイヘと訓まれたと同様に、式子内親王も、ノリコナイシ

ンノウと呼ばれたのであって、それらは歌人らが用いる符丁のような有職読みにす

ぎず、実際とは違っているのである」

 

ここでは「有職読み」が、明確に人名音読と結び付いている。小谷野はこの一文を、

氏が知る限りでの誤用の初例とした二〇

。このような証拠がある以上、「有職読み」を人

名音読の意とする用法が、角田に始まるという見立ては、まず覆せないように思われ

る。ところが、虚心坦懐に読み返すとこの一文は、人名音読自体を「有職読み」とは表

現しておらず、「有職読み」(=「読み癖」)として人名を音読する場合がある、と述べ

たに過ぎないことが分かる。その証拠に角田は同時期の著作で、「『後宮』は、有識訓み

ママ

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ではゴクであるが、椒庭、長秋、秋宮などの異称がある」二一

と述べている。表記は違え

ども、ここでは「後宮」をゴクと読む事例が、「有識訓み」として語られているのであ

る。更に別の著作では、人名音読を「読みくせ」と表現してもいる二二

。以上から、『日

本の女性名』の事例もまた、従来通り「読み癖」の意で用いられたことは明白だろう。

小谷野は、人名音読を意味する「有職読み」が、「角田以前に使われていたのか、角田

の発明なのか」二三

不明だとしたが、いずれも否である。

 

但し角田の表現が回りくどいのは確かで、以後これを典拠として、人名音読を「有職

読み」と称する例が出た。誤用過程を数直線に喩えれば、始点としての角田は、黒丸

(含む)ではなく白丸(含まない)である。高梨公之は翌八一年の著作二四

で、藤原家

隆がカリュウと呼ばれた逸話を引き、「この種の読み方は有職読みなどといわれる」と

した。小見出しには「有職読みという名の音読」とある。次の段落に『日本の女性名』

の引用があることから、高梨が角田の一文を誤読したのはほぼ疑いない。同様に佐川章

も、「古くは藤原定家をテイカ、吉田兼好をケンコウと読んでいるが、これは有職読み

といわれるもの」二五

と述べた。高梨・佐川の著作に接し、伝言ゲームよろしく誤読を継

承した例もあろう。

 

とはいえ、彼らが用法を誤ったのも無理はあるまい二六

。以前から人名音読に関心を

示していた高梨・佐川は、『日本の女性名』に「有職読み」なる見慣れない語を発見し

たとき、言葉の欠けていた場所が補填された喜びに、膝を打ったに違いない。そういう

意味では、彼らはむしろ善意の「被害者」でさえある。本稿の意図は、誤読の「主犯」

を詮索・指弾することにあるのではない。むしろ、不特定多数の読者が、気付かぬ間に

誤読を継承した事実に、着目したいのである。

 

恐らく他にも、適切な語の欠けた空白部分に、全く無縁の語や文字列が滑り込んだ例

はあろう。卑近な例で恐縮だが、洋犬を指す「カメ」や、『巨人の星』由来の「コンダ

ラ」などは、象徴的な例と言える二七

。やや皮肉めいた言い方をすれば、「有職読み」は

人名音読の意だと殊更に言い立てる「知識人」は、星飛雄馬のトレーニング器具を「コ

ンダラ」だと信じて疑わない童子と、構図上何ら異なるところがないのである。

 

無論、『日本の女性名』の読者全員が誤読したわけではない。むしろ管見の限り、

二〇〇五年までの誤用例はこの二例のみである。丸谷才一は、人名音読を「人名の有職

読み」二八

としており、一見二人と同じ過ちを犯したかに見えるが、他の著作では、角田

の主張をほぼそのまま引きながら、「有職読み」を「読み癖」と換言した二九

。つまり丸

谷は、角田の文意を忠実に捉えたことになる。ちなみに村山修一も、人名関連の文脈で

「有職読み」を用いたが、そこで紹介されたのは、天智0

天皇を、清音ではなく濁って読

む例である三〇

。『日本の女性名』出版後(二〇〇五年まで)も、大部分は原義を正確に

継承した三一

二、ウェブ社会の「教養」

 

誤用が必然化したのは二〇〇六年一月一八日、ウェブ上の無料百科事典ウィキペディ

ア三二

における、「有職読み」立項以後である三三

。この項目は、有職読みを人名音読とす

る誤った解説であり三四

、伝言ゲームの内容を真に受け立項されたものと思われる。以

後増補が重ねられ、他項目・他サイトにも瞬時に情報が拡散した三五

。情報の急激な増

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幅・拡散は、集合知の

大の利点であり、欠点でもある。今や「名の字音読み」を「有

職読み」と称することは、インターネット社会の「教養」と化している三六

 

ウィキペディア立項に影響されてか、二〇〇六年以降少なくとも九件の刊行物(一般

書四件、新聞記事一件、辞典類二件、学術論文二件)が用法を誤った三七

。二〇一五年

の深谷市教育委員会定例会における澤出晃越の発言中にも、誤用を確認しうる三八

 

但し、全員が「知的怠慢に誘われ」三九

、ウィキペディアを鵜呑みにしたわけではな

い。ウィキペディアの記述を書籍(『日本の女性名』)によって裏付けようとしたため

に、かえって陥穽にはまったケースもある四〇

。ウィキペディアを既有知識とする、『日

本の女性名』の「信念依存型誤読」四一

(誤った前提知識の介在による誤読)と言えよ

う。彼らは、ウィキペディアを「より信頼できる資料への入り口」四二

として用いる、と

いう慎重さを備えていたにも関わらず、誤読増幅に一役買ってしまった。

 

小谷野も自著で、人名音読を「有識読み」と表現したが四三

、出版後に過ちに気付

き、二〇一一年四月、ウィキペディアのノートページにて、「有職読み」は偽項目だと

指摘した。氏は以後二度に亘り、著書で「有職読み」誤用論を展開する。以下、小谷野

の主張を見てみよう。なお、傍線部の記述が誤りを含むことは、既に指摘した通りであ

る。「

人の名を音読みすることを、『有職読み』と言う、と『ウィキペディア』に書いて

あり、だがそんな言葉は辞書にはないぞ、というので数年前に議論になったことが

ある。角田文衛の『日本の女性名』などに、『有職読み』という語は出てくるのだが、

角田は元来日本史学者ではなく、考古学者である。辞書に載っているのは『故実読

み』で、丞相を『しょうじょう』と読むような故実にのっとった特殊な読み方のこ

とを言うので、人名音読みのことではない」四四

「国文学や国史学の人に訊いても、分からないというし、角田以前に使われていた

のか、角田の発明なのか、今もって分からない」四五

 

ところで、ウィキペディア情報がウェブ内に留まっている間は良いとしても、一旦こ

れが書籍に刻まれると、誤用拡大を抑えるのは困難を極める。言葉は活字化された時点

で、引用しうる知として「凍結され、化石化」四六

するためである。加えて「有職読み」

は、衒学趣味を満足させるに十分な「もっともらしさ」を備えている。人はしばしば、

正確さより「もっともらしさ」を選好する。小谷野の消火活動も虚しく、活字資料とい

う典拠を得た幽霊語は、燎原の火の如く勢力を増すことになった。

 

ウェブは誤読の増幅のみならず、新たな誤読の創出にも手を貸す。近年ウィキペディ

アでは、「有職読み=故実読み」という等式の誤読から、「故実読み」を人名音読の意と

する新俗解が生まれた四七

。当然この誤用も、ウェブを離れ活字の世界へと浸入し始め

た四八

 

とまれ、誤用が既に一定の市民権を得たことは紛れも無い事実である。こうした状況

下において、採りうる選択肢は二つある。一つは、この語を再定義の上、術語として採

用する道である。他方は、この用法の不適切性を実証し、俗称として斥ける道である。

いずれの道を進むにせよ、まずは「有職読み」と「名の字音読み」現象との親和性ある

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いは相反性を検討せねばなるまい。

第二章 「有職読み」の語を不適切とする理由

一、類義語から見た場合

 

ここまでの論証で、「有職読み」が人名音読とイコールではない

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0

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ことが判明した。し

かるに、この用法が誤用であるか否かは、実は行論上さほど大きな意味を持たない。重

要なのはむしろ、「有職読み」の語が、人名音読現象を指示するに相応しいか否かであ

る。そこで以下、「名の字音読み」を「有職読み」の一部

0

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0

と認めうるか考察する。本論

はこの点において、半ば「日本語警察」的、「誤用狩り」的な小谷野の態度と一線を画

す。本節では、「故実読み」「読み癖」などの類義語、次節では、「ゐなかよみ」「百姓読

み」という対義語との比較を手掛かりに、論を立てていきたい。

 

もっとも、角田や丸谷が示すように、前近代の人名音読は、「読み癖」「有職読み」の

範疇に含まれると断言して構わないだろう。前近代史料にも、これを「よみくせ」と表

現した例がある。『清水宗川聞書』には、「宣子内親王・式子内親王、惣して内親王は音

にてよむ作法よみくせ也。式子

―をのりことよむと云説有共、用す」四九

とある。

 

しかしこのことは、歌人名や内親王名の音読と、「有職読み」を等号で結んで良いと

いうことではない。あくまで、定コ

考ジョウや

神かん

祇つ

官かさ

の例と同じ意味において、「有職読み」の

語を用いて差し支えないということである。つまり両者の関係は、等号ではなく包含記

号によって示される。いずれにせよ「有職読み」は、前近代の人名音読とは比較的親和

性が高い。但し、前近代において「人名の有職読み」とされたのは、音読のみに限らな

い。むしろ音読以外が大半を占めたのである。

 

それではいかなる読みが、「人名の有職読み」の主流だったのか。ここで「有職読み」

「故実読み」の定義に立ち返ろう。山田俊雄によれば、「故実読み」とは「一般の字音・

字訓の慣用によって推理すると、かえって誤読となるような、伝統的な特殊なよみ方を

すること」五〇

である。遠藤邦基は、「その読み方を違えることは、その世界では無学の

者として嘲笑の対象とされた」五一

とする。

 

人名の読みのうち、「一般の字音・字訓の慣用によって推理すると、かえって誤読と

な」り、かつそれを知らなければ「嘲笑の対象と」なるような、「伝統的な特殊なよみ

方」とは何か。

―言うまでもなく、それは「名乗訓よ

み」である。実際、人名の「有職

読み」「読み癖」と言えば、通常名乗訓みの問題が取り上げられる。『安斎随筆』に「名

乗読ヨ

如クセ

」なる一文があるが、そこに紹介されているのは、なぜ純を「すみ」、茂を「も

ち」と訓ずるのかといった、「後世には解しがたき」名乗訓みの話題である五二

。『拾芥抄』

『二中歴』などの有職0

0

書にも、名乗訓みを紹介した箇所がある五三

。名の「有職読み」

とは元来、音読ではなく主として訓読を指したのである。この主張は一見、前近代の人

名音読を「有職読み」の範疇に含めた、先の論旨と矛盾するように思われる。しかしな

がらその批判は当たらない。前近代においては、名乗訓みも0

人名音読も0

、ともに「有職

読み」と認識された。というよりも、名乗訓みの知識を前提とし、両者を的確に読み分

けることこそが「読みくせ」と考えられたのだろう五四

。なお、鄭

ジョウ

玄ゲン

・煬ヨ

帝ダイ

といった漢

籍独特の読み方を、人名の「読み癖」とする場合もある五五

。分類から言えば、前近代

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の人名音読は、「有職読み」の一部たる「人名の有職読み」の、更に下位カテゴリーに

属した。

 

翻って明治以降はどうだろうか。実は近代に入り、名乗訓みは「有職読み」としての

側面をより色濃く有することになった。背景には、人名をめぐる新政府の諸政策があ

る。明治期以前の庶民は、×兵衛・×太郎といった通称系の名にしか接してこなかっ

た。ところが「名前の近代化」の結果、社会的な階層を問わず、名乗系の名が流行する

ことになる。

 

「今日、上は縉紳より下わ農夫牧童に至るまで、俗称を去て実名を用るの時〔中略〕

然りといへども、近俗一般通称を呼の風慣となれりしより、名乗を択ブの法方

ママ

を識るもの自然と減消し、殊に名乗の字訓わ常訓に異なるもの多くして、人々其読

難キを苦む」五六

 

近世においても名乗字引の類は流通していたにせよ、それまで「通称を呼の風慣」に

親しんできた庶民が、「読難キ」名乗訓みという異質なるものに正面から向き合わざる

を得なくなったのは、やはり明治以降のことであろう。肯定的に捉えれば、長く社会的

上位層に独占された名乗訓みの知識が、庶民に対して開かれたわけである。したがっ

て、仮に明治人に対し、ある人名を「有職読み」せよと指示すれば、彼らは字引と格闘

し、難解な名乗訓み・公家読みを捻り出したに違いない。前近代同様、名乗訓みは「人

名の有職読み」と認知されていたわけである。戦前の出版物によると、西園寺公望を

「きんもち」と訓ずるのは、「諸家各自の典故」による「通俗と異なる称呼」だとい

う五七

。これを「人名の有職読み」と言わずして何と言おう。近衛文麿を「あやまろ」

と訓ずる場合があるが、これを「公卿読み」五八

と表現した史料もある。

 

一方、前近代において「有職読み」の範疇に含まれていた人名音読は、維新を境に

「有職読み」から乖離していく。次節では、近代の人名音読が類縁を見出しうるのは、

「有職読み」よりも、むしろその対義語たる「ゐなかよみ」であることを立証する。

二、対義語から見た場合

 

山田の規定に即して考えれば、一般的な字音によって初見で読みうるものは「有職読

み」に該当しないことになる。ここで伊勢貞丈の「よみくせ」定義を参照したい。

「仮名草子をよむに、はべる(侍の字)とあるは、はんべるとよむべし〔中略〕是

らをよみくせと云ひて習ひなり。書きてあるまゝによむは、ゐなかよみなり」五九

 

ここでは「ゐなかよみ」が「よみくせ」と対置されているわけだが、名を「書きてあ

るまゝによむ」近代の人名音読は、まさにこの「ゐなかよみ」に他ならない。前近代の

「名の字音読み」と、近代のそれとの間に横たわる決定的な溝は、名乗訓みを知った上

で音読しているのか否かという問題である。前近代の有職家は、「いえたか」という名

乗訓みを心得た上で、あえて藤原家隆をカリュウと称した。音読が「有職読み」として

機能した所以であり、逆にカリュウという字音読みしか知らぬ者は、無学の誹りを受け

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ねばならなかった六〇

。他方近代においては、名を音に読む者は、往々にしてその名乗

訓みを把握していなかった。高島俊男は、戦後上田万年の名乗訓みに接し、「カズトシ

なんてのがどこから湧いて出てきたんだ」六一

と驚いたという。無論、名乗訓みを心得た

上での音読もあっただろうが、おおよその傾向としては、維新を境に人名音読は「有職

読み」から「ゐなかよみ」へと移行したのである。

 

このことは、明治以降の「名の字音読み」が、しばしば「百姓読み」六二

を含んだこと

からも察せられる。百姓読みの定義は多様だが、ここでは便宜上、知らぬ漢字を旁から

類推して読んだり、訓読みを音読みと勘違いして用いたりすることとしておこう。前者

として重野安繹、後者として臥雲辰致・横山喜之の例を挙げる。重野の名は正確に音読

すればアンエキとなり、実際にそう読んだ例が大半を占めるが、新聞や書籍にはアンタ

ク六三

・アンネイ六四

なる誤読ルビも散見される。また、臥雲辰致を「たっチ」と読む場

合、辰の訓「たつ」は音読みと混同されている六五

。横山の名は正しく音に読めばキシ

だが、「之」の音読を誤った「キノさん」の愛称で親しまれた六六

。「有職読み」が知識

によって読みを違えるのに対し、「百姓読み」は「無学」によって読みを違える。「百姓

読み」も、「ゐなかよみ」とは別の意味において、「有職読み」と対義の関係にある。「有

職読み」かつ「百姓読み」ということは定義上ありえない六七

 

誤解の無いよう注記しておくが、筆者は人名音読を「ゐなかよみ」乃至「百姓読み」

と呼称すべしと言っているのではない。これらの対義語と少なからぬ要素を共有するこ

の現象を、あえて「有職読み」と呼ぶ意義は奈辺に存するのかと問うているのである。

平安期の例を「有職読み」の一部と認めたとしても、近代以降の「名の字音読み」をそ

う呼ぶのは、歴史性の無視と言わねばなるまい。

第三章 

人名音読をめぐる誤解

一、人名音読は「偉人」への尊敬に基づくか

 

人名音読という現象に対し、誤った名札が割り当てられた弊害は、決して小さくな

い。幽霊語とて、繰り返し使用される中で、ある種の実定性を帯びてしまうためであ

る六八

。「有職」と無関係だったはずの習俗が、いつしか「有職」の鋳型に合わせ歪めら

れていく。本章では、誤用の蔓延によって強化された先入見を整理した上で、明治から

昭和戦前期にかけての同時代的認識を材料に、既存イメージの相対化を図りたい。

 

さて、一般的な辞典類で「有職」の語を引くと、①「その道にあかるい人。ものし

り。学者」、②「朝廷や武家の官職・典例に関する知識。また、それに詳しい人」、③

「すぐれた人。美人」とある六九

。「有職」という表現によって喚起されるイメージは大

略、A偉人(③と対応)、B知識人(①②)、C伝統(②)の三つに集約されるように思

われる。本稿冒頭で掲げた三つの誤解は、こうしたイメージとそれぞれ対応する。

 

(一)名を音読されるのは「偉人」だという謬見

 

(二)他者の名を音読するのは「知識人」の嗜みだという謬見

 

(三)人名の音読が、平安以来連綿と続く「伝統」であるとの謬見

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0 ―

 

本節ではまず(一)のイメージを払拭したい。人名音読に関する丸岡慎弥の説明は、

(一)の側面を全面的に打ち出したものと言える七〇

「有職読みとは、周囲の人々が慕い、尊敬することで呼ばれるようになる呼び名です。

有職読みをされていたというのは、当時から人々に慕われ尊敬されていたことを表

すのです」

「有職読みをされるということは当時、周囲の人々に認められ、その方の本名を呼

ぶのは失礼だと周囲の人々から考えられたということです」

 

なるほど丸岡の論に従えば、名を音に読まれるのは「周囲の人々が慕い、尊敬する」

ような「偉人」ということになる。しかし果たしてこの記述は、史実を踏まえている

か。揶揄や侮蔑の意を込め、名を音読する場合とてあったのではないか。以下に興味深

い史料を引こう。ユウレイと音読された森有礼の事例である。

「廃刀論を公議所に建議せし如き〔中略〕世人をして一驚を喫せしむると同時に輿

論紛々、百方君に向つて攻撃を加へしが〔中略〕甚しきわ之れを罵つて『明あ

六むつ

の有ゆ

礼れい

』と称するに至りしか、子爵わ更らに介意するなく断然持論を主張したりしわ〔後

略〕」七一

 

「明六の有礼」とは、明六社の森と、明け六つ時に現れる幽霊を掛け、森の西洋かぶ

れを揶揄したものである。中野目徹はこの言葉遊びを、「畏怖と揶揄の入り交った異

名」七二

と表現した。ここではユウレイという字音読みが、諷刺装置の一つとなってい

る七三

。こうした事例は明治以降にはしばしば見られる。例外として看過すべきもので

はない。

 

例えば、①「火の元(榎本)がぶよう(武揚)じん」、②「伊藤薄文(博文)」、③

「圧制の都も今日でみしま(三島)ひと思へば何の痛痒(通庸)もなし」、④「奥田偽

人(義人)」、⑤「機転(希典)利かない野ぎ(乃木)つねを七分小玉(児玉源太郎)で

打ち上げた」、⑥「(西園寺)公望にも筆の誤り」、⑦「口きかん(菊池寛)」、⑧「松田

不正久」、⑨「原不敬」、⑩「加藤不高明」、⑪「天(賀屋)興宣を空うするなかれ、時

に反例無きにしも非ず」、⑫「とほう(土方)もねい(寧)」、⑬「蓑田狂気(胸喜)」、

⑭「米機を撃つなら(東条)英機も撃て」、⑮「アホウキュウ(麻生久)」、戦後も含め

れば⑯「スイジョウベン(水上勉)」、⑰「藤原食く

達(弘達)」、⑱「細川流言(隆元)蜚

語(肥後)守」などがその好例である(一部表記を変更)七四

。「シンキロウ(森喜朗)」七五

「ブブキン(武部勤)」七六

といった揶揄はこうした流れを汲む。無論同種の言葉遊びに

は、「池田清貧(成彬)」などの「好意の綽名」七七

もあるが、こちらはむしろ例外と言え

る。「清貧」とて、額面通りの賛辞と受け取って良いかやや疑問である。

 

後述の通り、言葉遊びの形を採らず、音読自体が蔑称として機能した例もある。ちな

みに当該期には、「偉人」ではない一般大衆の名もしばしば音読された七八

。また、人口

に膾炙した名ではなく、初見の名を音読する場合も多かった七九

 

ここで留意せねばならないのは、名の「敬避」と、その名を有する本人への「尊敬」

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1 ―

とは区別して考えるべしということである。丸岡は「有職」の語感に引きずられ、両者

を混同している。右に列挙した揶揄の事例は、人名音読と敬意が、単純な形で結び付い

ているわけではないことを、我々に教えてくれる。度々卑近な例で恐縮だが、『ハリー・

ポッター』シリーズに登場するヴォルデモートを例に採ろう。彼を「例のあの人」と呼

ぶのは、名の「敬避」ではあっても、彼個人への「尊敬」からではあるまい。「敬避」

と「尊敬」は多くの点を共有しつつも、異なる原理と見做すべきである八〇

。無論人名

音読が、対象とする人物自身への「尊敬」として作用する場合もある。むしろこちらの

方が大半だが、それはあくまで、個人への「尊敬」と名の「敬避」が一致した場合

0

0

あって、一致しない場合0

0

も多々見られるのである。音読が無条件に「尊敬」と判断され

るわけではない。

「すべて、人名の、読み方の詳かならぬものは、当推量に読まむよりは、音読する

をよしとす。音読は、或る場合には、其の人を敬ふことにもなれば、差支なし」八一

 

逆に言えば、「或る場合には」敬うことにならないということである。ここではあく

まで、「当推量に読まむよりは」音読がまし

0

0

だと言っているのであって、「尊敬」という

点から見れば、名乗訓みを知っていることが

良とされたのは言うまでもない。ところ

で、あくまで人名音読を「偉人」と結び付けたい論者の中には、揶揄の事例を、日本語

学でいう「敬意逓減(漸減)の法則」に当てはめる向きもあろう。

「敬語といふものは、その語が登場して来てから暫らくの間は、語感も新鮮であり、

その語に伴つてゐる敬意も濃厚であるが〔中略〕次第に敬意が希薄になりて行くも

のであつて、かうした点を、国語学者は『敬意漸減の法則』として指摘してゐる」八二

 

人名音読が揶揄と結び付いたのも、音読の対象が次第に拡大したことで、この法則が

作用したためだとすることが出来そうではある。しかし実際には、こうした仮説は当た

らない八三

。以下の徳川慶喜の事例からも明らかなように、明治期における「名の字音

読み」は、「登場して来てから暫らくの間」に既に揶揄の表現として用いられていたか

らである。当初から揶揄と結び付いていたと言った方が適切かもしれない。幕末維新期

のドイツ公使ブラントは、慶喜が徳川宗家の家督を継いだ後、「反対勢力からはその名

の漢音に従って『ケイキ』と呼ばれた」八四

と回想している。遠藤幸威も、維新後に「蔑

称の意味で、ことさら『ケイキ』『ケイキ』と呼ん」八五

だ旧旗本らの姿を書き残している。

 

人名音読は「偉人」への「尊敬」に基づくという丸岡の主張が成り立つならば、同時

代人が森有礼・三島通庸・東条英機らに抱いた複雑な感情は、「尊敬」という皮相的な

語に置き換えられてしまうことになる。のみならず、音読された木戸孝允は「尊敬」さ

れていて、リュウセイと呼ばれることの少なかった西郷隆盛は「尊敬」されなかった、

という類の奇妙な解釈を導きかねない。

 

音読は全て「尊敬」に基づくという粗暴な描写は、一見、穂積陳重の研究成果八六

―日本には古来、実名直称を避ける習俗があった

―に依拠しているように見える

が、論理構造的にはむしろ、穂積によって否定された近世国学の主張

―本邦における

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2 ―

名は、元来全て美称であった

―に近い。穂積の説に則っているつもりで、実のところ

穂積以前の議論へと回帰しているに過ぎないのである。

二、人名音読は「知識人」の嗜みか

 

人名を音読することが知識人の嗜みであるかのような言説も、短絡的に過ぎる。佐川

は人名音読の解説内で、わざわざ「有職とは、その道にあかるい人、ものしり、すぐれ

た人という意味」八七

と付記している。小谷野は、「有識読み」(人名音読)を「歌人や有

識の世界のやり方だ。しかし現代においては歌人も有識もない」と解説しつつ、昨今で

も「学者の世界」ではこうした慣習が根付いているとする八八

 

こうした問題を分析するには、明治から昭和戦前期にかけて、他者の名を名乗訓みに

した者と音読した者とでは、どちらがより「有職」に通じていると判断されたかを想像

してみる必要がある。

 

同時代人の回顧を参照しよう八九

。元貴族院書記官の河野義克は、松平保男の名を

「やすお」と読んだところ、「そもそもこの方をモリという読み方が出て来ないのは〔中

略〕君は日本史を知らない」と窘められた。他方、同じく元貴族院書記官の近藤英明に

よれば、徳川家達は名乗訓みを「よく知っておいでになって、やっぱり正確にお読み

に」なったという。家達が「むずかしいの〔引用者注:名乗訓み〕を得意になって読ん

だ」とは、徳川宗敬の証言である。名乗訓みを心得ていた家達は、有職に通じていると

判断され(自身もそれを誇り)、通俗的な訓みに甘んじた河野は、有職を弁えていない

と判断されたのだろう。ここでは名乗訓みがまさに「有職読み」として話題になってお

り、第二章の論証と符合する。更に近藤は、「分からないときは音読みにしておけばい

いんだといわれました」とも語る。つまり、名乗訓みという「有職読み」に通じていな

い場合に、人名を音読したことになる。

 

斎藤茂吉は、「俊成をシユンゼイと読み、木下利玄をば、キノシタ・リゲンと読んで

毫も差支ないやうな習慣にしてしまふ方がいいと思ふ」と述べ、「故実読み、百姓読み

の限界をば、追々小さくするやうな一般の事情になる方が好いやうに私はおもふ」とも

記す九〇

。「故実読み」を知悉せずとも、あるいは「百姓読み」と冷笑されずとも、人名

を音に「読んで毫も差支ないやうな習慣」にすれば良いという提言にも読める。先に引

いた『史学普及雑誌』が、個々の語をいちいち「有職読み」にするのも「間ぬるき話」

であるから、神祇官を単にジンギカンと音読しても構わない、と記していたことにも通

じる。人名音読は「有職読み」ではなく、「有職読み」を乗り越える手段と認識された

のである。次の例は歴史上人物に関する記述だが、人名音読に対する、明治期の同時代

的認識が垣間見えて興味深い。

「人名氏名抔ヲ誤読シ、得能通言、十河一存、土方雄久、花房職之等訓ジ難キ者

ハ音読ニテ通リ過ス如キハ、啻ニ識者ノ笑トナル而己

ママ

ナラス、世上ニハ通用セ

ズ」九一

 

小谷野らの発言からは、名を音読するのが識者であるかのような印象を受けるが、戦

前とりわけ明治期においては、むしろ正反対の認識が根付いていた。名の音読は時に

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3 ―

「識者ノ笑ト」さえなった。井黒弥太郎も、榎本武揚について「学のない世間はブヨー

と親しんだ」九二

とする。

 

勿論、知識人が名を音読しなかったわけではあるまい。人名音読は有識者の嗜みだと

いう暗黙の了解の存在も、否定は出来ない。しかし、それが全てではないというところ

に、人名音読の歴史的意義がある。近代の人名音読は、知識人の嗜みという枠を超え、

無学0

0

な庶民の生活知としても実践された。だからこそ一つの習俗となりえたのである。

「有職読み」という表現は、人名音読という実践を庶民の手から奪い、知識人という限

られた階層に委ねてしまう九三

三、人名音読は古来の「伝統」か

 

再三強調してきたように、近代の「名の字音読み」は、前近代のそれとは異質の原理

に基づくものであった。ゆえに、人名音読が平安以来の日本の伝統であるかのような言

説にも、懐疑の目を向けねばならない。無論、「名の字音読み」が平安期にも行われた

ことは否定しえないが、日常的な習俗としての人名音読は、まさに近代の産物と言って

良い。その点、有職読みを「古語で、〈「名」、字音〉に同じ」九四

とした荻生は誤りも甚

だしい。人名音読のみならず、長く見積もっても三十数年の歴史しか持たない「有職読

み」の用法を「古語」と位置付け、強引に「伝統」化している。以下に示す大正期の家

庭用百科事典の一文は、既存の「伝統」言説と真っ向から衝突する。

「古く人を尊みて、其の名を音読することありき。俊成をしゆんぜい、定家をてい

か、行成をかうぜいなどいふこと、今日にまで残れり。されど名は正しく呼ぶべき

ものにて、猥りにこれを音読し、又字画を省くなどは、我が国風には非ずと知るべ

し」九五

 

当該項目執筆者は、「我が国風に非」ざるゆえ、名を音に読むのは陋習として斥けよ

と呼びかけた。名の音読が伝統だという認識は、ここからは微塵も看取しえない。もっ

とも、人名音読は伝統にあらずという表白も、それが伝統だという言説と同程度のイデ

オロギー性を備えるため、引用には慎重を期さねばなるまいが、ここでは、人名音読を

日本の伝統から外れた陋習と捉える見解が存在したことだけを、確認しておこう。近代

における「名の字音読み」の歴史的意義は、伝統らしきものと複雑に絡み合った非伝統

性にこそあるらしい。そもそも前近代の事例からも、人名音読が連続性より間歇性に

よって特徴付けられる慣習であることは明白である九六

。いずれにせよ、この問題は本

稿のみで解決しうるものではない。人名音読を「伝統」と表現しうるとすれば、それは

フォークロリズムの文脈においてであるが、これについても今後究明したい。

 

無論、右の三つの誤解は、「有職読み」の語を用いていない文献中にも散見される。

またこれらの固定観念が、逆に幽霊語を受容する土壌となった側面もあろう。そのた

め、この語のみを諸悪の根源のように見做すわけにはいかない。とはいえ、誤用が誤解

の拡大を助長したのは紛れも無い事実である。また筆者は、これら三つのイメージを完

全なる偽と解しているわけではない。どれも部分的には真であり、筆者が学ぶべき点も

多くある。現時点で筆者が強調しうるのは、「有職読み」という語では同時代的実感を

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4 ―

掬いきれない、という客観的事実のみである。

おわりに

 

「読み癖」と同義だったはずの「有職読み」は、角田文衛『日本の女性名』が誤読さ

れ、そこにウィキペディアが介在したことにより、「名の字音読み」の意で用いられ始

めた。定着から僅か十年程度の幽霊語である。名乗訓みの方が「有職読み」の条件を満

たしていること、近代の人名音読は「ゐなかよみ」の性質を多分に有していることなど

から、この語を用いるべきではないと考える。誤用の定着により、(一)名を音に読ま

れる人物は「偉人」である、(二)他者の名を音読するのは「知識人」の嗜みである、

(三)人名音読は平安以来の日本の「伝統」である、といった固定観念が強化された。

同時代的感覚からすれば、これらはいずれも一面的解釈である。「有職読み」は人名音

読の意にあらずという結論は、それ自体瑣末な知識であるかもしれない。しかし、やや

もすると「もっともらしさ」に飛び付きがちな我々にとって、本論で取り上げた事例は

一つの教訓ともなりうるのではなかろうか。

 

「有職読み」の語の是非は本来、人名音読自体の研究から切り離して論じられるべき

ものではない。本稿では、誤解の払拭に重きを置くあまり、やや文脈を脱した分かりに

くい記述に陥ってしまった。誤読・誤用の生起過程を世に問い、諸賢の批判と教示を仰

ぐ次第である。

(付記)

 

誤読をめぐる考察部分に関しては、明治大学図書館紀要編集部会の皆様に様々なご助

言をいただきました。ここに記して感謝の意を表します。

*初出:『文学研究論集』四五(明治大学大学院、二〇一六年九月)、二〇七―二二六頁。

【注】

人名音読についてはいずれ別稿を起こすつもりだが、差し当たり「第五六回日本史関

係卒業論文発表会要旨」(『地方史研究』三七五、二〇一五年六月)、九二頁掲載の拙文

を参照のこと。

「名前の近代化」の語は、森謙二「名前の近代化

―襲名から一人一名主義へ

―」(落

合恵美子編『徳川日本のライフコース』ミネルヴァ書房、二〇〇六年)による。

有職/有識、読み/訓み、ユウソク/ユウショクなど表記や読みの揺れもあるが、本

稿では全て同一の語と見做す。

デジタル大辞泉「有職読み」項(h

ttp://jap

anknow

ledg

e.com/

)。なお当該項目執筆者が、

中世・近代以外の人名音読(例えば佐藤信淵をシンエンと呼ぶ場合など)を「有職読み」

に含めなかった理由は不明。

荻生待也『日本人名関連用語大辞典』遊子館、二〇〇八年、一五五頁。

飛田良文は、外来語との関係から、明治期の新語を「新造語」「借用語」「転用語」の

三つに分類した(飛田『明治生まれの日本語』淡交社、二〇〇二年、一一頁)。この類

型を強引に新語一般に適用すれば、人名音読を意味する「有職読み」は、転用語の範

疇に含まれることになろう。

笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、二〇〇七年、六〇一頁。幽霊語の具体例として、「雪

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叩き」(紀田順一郎「存在しない語彙」(柳瀬尚紀編『辞書』作品社、一九九七年))、「顧盻」

(高橋忠彦、高橋久子「『顧眄』の異表記について」(『日本語と辞書』一二、二〇〇七

年五月))などが挙げられる。また前掲笹原は、幽霊語ならぬ「幽霊文字」の生起過

程を跡付けた。なお「生新しい」のように、かつて幽霊語と考えられた語が、用例の

発見により実体性を認められる場合もある(松井栄一『国語辞典にない言葉』南雲堂、

一九八三年、二二四―二二八頁)。

筆者は近代における人名音読を、前近代のそれとは原理を異にする別事例と解してい

る。無論、両者の間には一定の連続性が認められ、それ無しには近代の人名音読も成

立しえないが、共通項を前提にその差異を見極めることにこそ意義があると考える。

紙幅の関係上詳述出来ないが、明治以降の「名の字音読み」は、前近代から近代への

移行を考察する上で重要な知見をもたらしてくれる事例である。本稿でも、「有職読み」

と関連する限りにおいて、明治以降の人名音読の特質を紹介したい。なお、本稿では「前

近代の人名音読」を一括りに扱うが、当然平安期のそれと近世のそれとの間には質的

差異が見られる。こちらについても、いずれ別に論じたい。

本稿ではあえて、「有職読み」の語に対する代替案の提示は行わない。無論、筆者には

オルタナティブを世に問う準備があるが、近代の人名音読に関する実証結果を示さず

にその術語のみを提案しても、いたずらに新たな誤読を招くだけだと考えるためであ

る。

一〇

小谷野『頭の悪い日本語』新潮社、二〇一四年。同『俺の日本史』新潮社、二〇一五年。

もっとも一般書ということもあり、小谷野の主張は学術的な論証手続きを経ておらず、

印象論に留まる。例えば氏は後述の通り、この語が辞書に掲載されていないことを誤

用の論拠に挙げたが、こうした態度自体「節用禍・辞書禍」(山田俊雄「節用禍・辞書禍」

(前掲柳瀬編)参照)の一つの現れに他ならない。幽霊語が辞書に掲載される一方、存

在するはずの語が辞書から漏れるケースも往々にして見られるため、辞書における掲

載の有無のみで誤用の判断を下すことは出来ない。加えて氏は、自著での誤用に全く

言及せず、「有職読み」を「頭の悪い日本語」と断定しており、著しく公正性に欠ける。

本論は、小谷野の事実誤認を随時訂正しつつ、その直感を学術的に裏付けることを一

つの目的とする。

一一

佐藤浩一は「有職読み」の語を用いるに際し、「現代日本語の用法」としてはこの語は

人名音読の意だと断った上で、この語を従前通りに用いるという立場を表明した(佐

藤「仇兆鰲『杜詩詳註』の研究」要旨(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』五三輯二

分冊、二〇〇八年二月)、一三三頁)。

一二

同一著者による同一文脈での使用例も一件に統合した。いずれも発表年の古いものの

みを挙げた。

一三

「有職読みの事」(『史学普及雑誌』九、一八九三年五月)、一四頁(D

C

)。「有職読み」の

語が近世以前に見られたか否かは寡聞にして知らないが、極めて構造の近い語である

「故実読み」が、『大言海』にも収録の無い「かなり新らしい用語」だという山田俊雄

の指摘(山田「読み癖・故実読み序説」(『国文学 

解釈と鑑賞』二五(一〇)、一九六〇

年九月)、六八頁)に鑑みれば、この語も明治生まれの新語と推測出来よう。なお、山

田が「『故実よみ』とか『よみくせ』といふ称呼は、〔中略〕厳密な意味での術語では

ない」(山田俊雄「『故実よみ』『よみくせ』について」(『国文学 

解釈と鑑賞』一七(二)、

一九五二年二月)、一八頁)と語るように、「有職読み」も正用・誤用に関わらず、そ

もそも学術用語として云々すべき語ではないのかもしれない。しかし、誤用があたか

も専門語であるかのように流布している実状から考えれば、この語をあえて術語とし

て検討する意味も浮かび上がってこよう。

一四

武田祐吉『日本文学研究法』河出書房、一九三八年、五八頁。

一五

日本歴史地理学会『歴史地理』二二(二)、一九一三年八月、二〇九頁。

一六

「布遅古路毛」(本居豊穎校訂『本居春庭・大平・内遠全集』吉川半七、一九〇三年)、

一一二三頁。前掲『歴史地理』二二(二)。下橋敬長『幕末の宮廷』図書寮、一九二二

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― 3

6 ―

年、二二頁(D

C

)。黒岩万次郎編『玄堂雑纂』一九二九年、一一七頁(D

C

)。江馬務「御

即位式大嘗祭の沿革」(『風俗研究』九二、一九二八年一月)、二頁(D

C

)。神田喜一郎

「書名雑話」(『愛書』一、一九三三年六月)、九頁。出雲路通次郎『有職故実』岩波書店、

一九三三年、三八頁(D

C

)。前掲武田。

一七

文部省調査普及局国語課編『国語審議会の記録』、一九五二年、一一八頁(D

C

)。

一八

藤直幹「有職故実」(『世界歴史事典』一九、平凡社、一九五三年)、八一頁(D

C

)。岩

橋小弥太「名目雑抄」(金田一博士古稀記念論文集刊行会編『言語民俗論叢』三省堂出版、

一九五三年)、二二四頁(D

C

)。猪熊兼繁「有職」(『日本歴史大辞典』一八、河出書房

新社、一九五九年)、二八三頁。『図説俳句大歳時記 

春』角川書店、一九六四年、九五頁。

三宅武郎「音訓整理はなぜ必要か」(『言語生活』一四九、一九六四年二月)、三七頁。

鈴木敬三「平安 

鎌倉 

南北朝時代の拵」(本間順治ほか監修『日本刀全集六』徳間書

店、一九六六年)、四二頁。岡一男『古典の再評価』有精堂、一九六八年、八三頁。西

島宏「文字教育の問題点」(全国大学国語教育学会『国語科教育』一五、一九六八年三月)、

二五頁。猪熊「維新前の公家」(『明治維新のころ』朝日新聞社、一九六八年)、八〇頁

(DC

)。有吉佐和子『出雲の阿国 

上』中央公論社、一九六九年、四八頁。小林芳規「日

本語の歴史 

中世」(『国文学 

解釈と鑑賞』三四(一四)、一九六九年一二月)、六一

頁(D

C

)。橋本義彦「院評定制について」(『日本歴史』二六一、一九七〇年二月)、八頁。

北岡四良「伊勢方言意識」(『皇學館大學紀要』九、一九七一年一月)、二一七頁。来田

隆「抄物に於ける『清』『濁』注記について」(『国語学』八四、一九七一年三月)、五八頁。

折口博士記念古代研究所編『折口信夫全集ノート編』一二、中央公論社、一九七一年、

四八頁。瀧川政次郎『元号考証』永田書房、一九七四年、一九二頁。同「年号のよみ方・

つけ方について」(『歴史と地理』二四〇、一九七五年九月)、三六頁(D

C

)。同「序」(律

令研究会『訳註日本律令』四、東京堂出版、一九七六年)、一頁。

一九

以下、角田『日本の女性名 

上』教育社、一九八〇年、一七二―一七三頁より。

二〇

前掲小谷野二〇一五、七九頁。

二一

角田「後宮の歴史」(『国文学 

解釈と教材の研究』二五(一三)臨時号、一九八〇年

一〇月)、三六頁。

二二

角田「冷泉家の歴史」(冷泉為任監修『冷泉家の歴史』朝日新聞社、一九八一年)、二八頁。

二三

前掲小谷野二〇一五、七九頁。

二四

以下、高梨『名前のはなし』東京書籍、一九八一年、一七六―一七七頁。

二五

佐川『作家のペンネーム辞典』創拓社、一九九〇年、五八頁。なお、巻末参考文献には『日

本の女性名』『名前のはなし』のいずれも挙げられていないため、佐川が角田の文を直

接誤読したのか、高梨の誤読を継承したのかは不明。

二六

そもそも誤読や誤用という現象自体、一概に悪いとは言えない。平野啓一郎は、誤読

には「貧しい誤読」の他に「豊かな誤読」が存在すると指摘した(平野『本の読み方』

PH

P

研究所、二〇〇六年、六八頁)。氏によれば「文化というのは、伝播過程の『誤読力』

によって豊かになるものであり、これは本に関しても同じである」(同七〇頁)。誤用

についても、転用語という形で肯定的に捉えうる場合がある。しかし残念ながら、「有

職読み」に関しては第二、三章で述べる理由から、「貧しい誤読」と判断せざるを得ない。

二七

「カメ」については仁科邦男『犬たちの明治維新』草思社、二〇一四年、一六八―一七一頁。

また、『巨人の星』主題歌中の「思いこんだら試練の道を」という歌詞を「重いコンダラ」

と聞き違い、主人公がトレーニングに用いた「グラウンドならし用ローラー」の意と

誤認したエピソードがある(高島俊男「重いコンダラ」(『お言葉ですが…』文藝春秋、

一九九六年))。もっとも高島に言わせれば、これは「ほとんど天才的創造」(同八三頁)

である。「カメ」は外国語の聞き誤り、「コンダラ」はいわゆる「ぎなた読み」に端を

発するため、「有職読み」の場合とは一次的要因を異にする。三者の共通項は、①言葉

の欠けた場所に、関係の無い語・文字列が入り込んだ点、②誤解・誤用による新語が、

一定の「もっともらしさ」をもって流布した点にある。

 

以上、俗語の側面を強調して説明したが、あるいはここで、言語哲学における「指

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― 3

7 ―

示の変化」というアイディアを応用することも可能だろう。例えば、かつてアフリカ

大陸の一部を指示した固有名「マダガスカル」は、マルコ・ポーロの誤解を機に、ア

フリカ沖の大きな島を指す語に変化した。「指示の変化」については、藤川直也『名前

に何の意味があるのか』勁草書房、二〇一四年、二〇頁を参照のこと。

二八

丸谷『新々百人一首』新潮社、一九九九年、六四七頁。

二九

丸谷「しぶしぶ批判する」(『歴史の花かご 

下』吉川弘文館、一九九八年)、三四六頁。

同『丸谷才一の日本語相談』朝日新聞社、二〇〇二年、一五五頁。

三〇

村山修一『日本先覚者列伝』塙書房、二〇〇五年、一五頁。

三一

榊原邦彦『平安語彙論考』教育出版センター、一九八二年、一七二頁。阿波根朝松『琉

歌古語辞典』那覇出版社、一九八三年、五七頁。小松茂美「永井路子『この世をば』」(『歴

史と人物』一六二、一九八四年七月)、二三九頁。「故実読み」(フランク・B

・ギブニー

編『ブリタニカ国際大百科事典二小項目事典 

第二版』T

BS

ブリタニカ、一九八八

年、九八五頁)。瀧川訳註「典薬寮」(律令研究会『訳註日本律令』一〇、東京堂出版、

一九八九年)、三四九頁。小松「右兵衛尉平朝臣重康はいた」(古筆学研究所『水茎』六、

一九八九年三月)、三八頁。坪井清足「坂本先生と平城宮」(『坂本太郎著作集一〇付録』

吉川弘文館、一九八九年七月)、六頁。鈴木真弓「名目抄」(『国史大辞典』一三、吉川

弘文館、一九九二年、五三七頁)。「有職読み」(松村明編『大辞林 

第二版』三省堂、

一九九五年)、二六一七頁。『新辞林』三省堂、一九九九年、一九一五頁。曲亭馬琴編、

堀切実校注『増補俳諧歳時記栞草 

下』岩波書店、二〇〇〇年、一九六頁。前掲村山、

一五頁。

三二

ウィキペディアは「つきあいづらく、無視しづらい存在」(渡辺智暁「われわれはウィ

キペディアとどうつきあうべきか」(『情報の科学と技術』六一(二)、二〇一一年二

月)、六四頁)と表現される。山田晴通曰く、「今やアカデミズムの側にいる者にとって、

ウィキペディアは避けて通ることが難しい存在になっている」(山田「ウィキペディア

とアカデミズムの間」(『東京経済大学人文自然科学論集』一三一、二〇一一年一〇月)、

六一頁)

三三

ウィキペディア「有職読み」項、h

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BF

。ウェブ上の類似記述はウィキペディア立項以前にも見ら

れたが(例えば二〇〇五年二月一四日のh

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e.jp/q

a/q1218261.h

tml

)、ウィキペ

ディアの社会的影響力を重視し、他サイトの分析は割愛。なお本稿では、ウィキペディ

アの「履歴表示」を、誤読過程を示す史料と見做す。

三四

二〇〇九年一一月四日に典拠不十分、二〇一一年四月二九日に「独自研究」の疑いが

示され、同年一二月六日には、ごく僅かながら「有職読み」の原義も付記された。な

お余談だが、独自研究という語に関する以下の指摘は示唆に富む。「アカデミズムの世

界に身を置く研究者たちの多くが、日常的に取り組んでいる仕事は、ウィキペディア

の用語でいえば、『独自研究』に他ならない。アカデミズム側の研究者たちは〔中略〕ウィ

キペディアの言う『独自研究』の独創性、先取性を競っており、ウィキペディアとは

目指す方向が正反対になっている」(前掲山田晴通、六二頁)

三五

ウィキペディアでは「精度の低い情報でも一度は公開しなければ、チェックすらでき

ない」(山本まさき他『ウィキペディアで何が起こっているのか』九天社、二〇〇八年、

一〇四頁)ため、「

初に書かれた記述が、たとえ誤りでも事実として独り歩きしがち」

(ベンジャミン・サザーランド「地球を丸ごと百科事典に」(『ニューズウィーク日本版』

二一(三)、二〇〇六年一月)、四四頁)である。

三六

「有職読み=人名音読」という知識が「教養」と化したことを示す、象徴的な例を挙げ

よう。コナミのオンライン対戦クイズゲーム「クイズマジックアカデミー」シリーズ

では、「藤原佐理を『ふじわらのさり』というように、歌人などの名を音読みにして敬

意をあらわすことを何という?」(分野:文系学問。正答:有職読み)というクイズが

出題されているという(但し筆者は未見)。

三七

前掲荻生、二一〇頁。宝利尚一ほか「日本とイスラーム世界の出会い」(『北海学園大

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― 3

8 ―

学人文論集』三九、二〇〇八年三月)、一二二―一二三頁。吉田祐二『日銀 

円の王権』

学習研究社、二〇〇九年、一六四頁。読売新聞二〇一〇年九月九日西部夕刊七面(ヨ

ミダス歴史館、h

ttps://d

atabase.y

omiu

ri.co.jp/rek

ishik

an/

、読売新聞記事については、以

下同じ)。小谷野『名前とは何か 

なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』青土社、

二〇一一年、一〇〇頁。藤本灯「三巻本『色葉字類抄』名字部の研究」(『日本語学論

集』一〇、二〇一四年三月)、五頁。伊東ひとみ『キラキラネームの大研究』新潮社、

二〇一五年、九二頁。丸岡慎弥著、渡部昇一監修『日本の心は銅像にあった』育鵬

社、二〇一五年、一二六頁。前掲、デジタル大辞泉「有職読み」項(図書に準ずるも

のとする)。なお、一定の学術性を備えたウェブ上記事での誤用に、田村良平「政頼を

めぐって」(明星大学人文学部日本文化学科、h

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.ac.jp/n

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、二〇一五年一一月一五日)がある。また「レファレンス協同データ

ベース」の蒲郡市立図書館の事例(h

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、二〇一三年一月一三日登録)では、留保付

きでウィキペディア「有職読み」項を紹介している。一方原義に忠実な例は、佐藤『仇

兆鰲「杜詩詳註」の研究』早稲田大学博士論文、二〇〇七年二月、五〇頁及び前掲要旨。

岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館、二〇一〇年、三〇頁。阿部猛『日本史雑学大辞典』

同成社、二〇一三年、五〇〇頁。前掲小谷野二〇一四、二〇一五。前掲拙論要旨。

三八

「平成二七年深谷市教育委員会第二回定例会会議録」二〇一五年二月(h

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)。

三九

ピエール・アスリーヌほか著、佐々木勉訳『ウィキペディア革命』岩波書店、二〇〇八年、

一四頁。

四〇

大辞泉「有職読み」項の出典を小学館に問い合わせたところ、ソーシャルメディアカ

スタマーサービスの本坊氏並びに担当部署の方より、『日本の女性名』を元にした旨ご

回答いただいた(二〇一四年二月三日)。ただ、近代事例を含む大辞泉の記述は明らか

にウィキペディアによっており、角田はウィキペディアの裏付けとして持ち出された

に過ぎないと思われる。なお筆者の指摘を受けた小学館は、「【補説】『有職読み』の確

かな定義は見当たらない。人名以外の漢字語の慣用読みを有職読みということもある」

との加筆を検討中という。ちなみにウィキペディアの典拠に『日本の女性名』が加わ

るのは二〇一一年五月一〇日。

四一

工藤与志文「文章読解における『信念依存型誤読』の生起に及ぼすルール教示の効果」

(『教育心理学研究』四五(一)、一九九七年三月)

四二

前掲渡辺、六七頁。

四三

前掲小谷野二〇一一。前掲小谷野二〇一五には、「ところで七年ほど前、ウィキペディ

アで、こういう人名音読みを『有職読み』とすると立項されていて、私も信じていた

のだが」(七八頁)とある。ちなみに小谷野は、ウィキペディア立項以前にも人名音読

に関するエッセイを発表しているが(小谷野「人名音読み世代」(『軟弱者の言い分』

晶文社、二〇〇一年))、当然ながらここでは「有職読み」の語は用いられていない。

四四

前掲小谷野二〇一四、一四六頁。

四五

前掲小谷野二〇一五、七九頁。

四六

木村忠正「ウィキペディアと日本社会」(前掲アスリーヌ)、一三七頁。

四七

例えば「榎本武揚」項(h

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)は、二〇一三年一月七日、従来「有職読み」とあった箇所を「故

実読み」に変更。

四八

「榎本武揚〔中略〕幼名は釜次郎。名は『ぶよう』と故実読みされることもある」(「榎

本武揚のシベリア横断旅行」(『桜友会報』一〇六、二〇一五年五月)、七頁)。他に前掲

の深谷市教委会議録。

四九

近世和歌研究会『近世歌学集成 

上』明治書院、一九九七年、三九六頁。

五〇

山田俊雄「故実読み」(国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』五、吉川弘文館、

一九八五年)、七六八頁。

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― 3

9 ―

五一

遠藤邦基「故実読み」(佐藤喜代治ほか編『漢字百科大事典』明治書院、一九九六年)、

八四頁。

五二 故実叢書編集部『新訂増補故実叢書 

安斎随筆(第二)』明治図書出版、一九五三年、

九五頁。

五三

前田育徳会尊経閣文庫『拾芥抄(上中下)』八木書店、一九九八年、一〇三―一〇六頁(「人

名録」)。同『二中歴(二)』八木書店、一九九七年、一八八―一九三頁(「名字歴」)。

五四

春名好重『藤原佐理』吉川弘文館、一九六一年、三六頁。

五五

太田為三郎『和漢図書目録法』芸艸会、一九三二年、一三八頁(D

C

)。前掲山田俊雄、

一九六〇年、七一頁。

五六

青木輔清編『通俗名乗字解』同盟社、一八七五年、緒言(D

C

)。

五七

安藤徳器『西園寺公望』白揚社、一九三八年、一六〇頁。

五八

福岡醇祐『非常時局にたつ近衛公』東京閣、一九三七年、三二二頁(D

C

)。

五九

故実叢書編集部『新訂増補故実叢書 

安斎随筆(第一)』明治図書出版、一九五二年、

一九八―一九九頁。

六〇

橘成季著、永積安明、島田勇雄校注『日本古典文学大系八四 

古今著聞集』岩波書店、

一九六六年、四四〇―四四一頁。

六一

高島俊男『お言葉ですが…⑦漢字語源の筋ちがい』文藝春秋、二〇〇六年、二四六頁。

六二

もっともこの語は、杉本つとむの言うように、「このうえない差別用語」(杉本『読む

日本漢字百科』雄山閣、一九八六年、一五〇頁)であり、学術研究に適したものとは

言えない。但し本稿では「有職読み」との対照性を際立たせるため、あえてこの語を

用いることにする。

六三

読売新聞一八七八年六月二日朝刊三頁など。

六四

井原智仙『国会相撲輿論之腰投』正英館、一八九一年、五五頁(D

C

)。

六五

辰致には、「たっチ」「ときむね」「シンチ」「たつむね」「たつとも」などの呼び名があった。

村瀬正章は、「しかし

近まで現存していた辰致の末子臥雲紫朗氏はじめ〔中略〕みな

『たっち』と呼んでいた」(村瀬『臥雲辰致』吉川弘文館、一九六五年、一七―一八頁)

と述べる。

六六

村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮社、二〇〇九年、二七四―二七五頁。

六七

但し、「百姓読み」が「有職読み」化するケースもある。加納喜光のいわゆる「名目替え」(加

納『漢字の常識・非常識』講談社、一九八九年、九一頁)である。しかるにこの現象は、

世間が「『百姓読み』に痛痒を感じな」(同九〇頁)くなった場合に起こるのであるから、

辰致はともかく、重野や横山の例は該当しない。人名音読に「名目替え」の例がある

とすれば、それは現代出版業界における藤田宜永の例だろう。藤田の名は「正しく音

読すれば『ぎえい』だが、わざと間違えて『ふじたせんえい』と呼ぶと何となく業界っ

ぽくなる」(小駒勝美『漢字は日本語である』新潮社、二〇〇八年、七五頁)という。

六八

本来存在しないはずの語が実定化し、正確な対象理解を妨げた例に、美術史研究にお

ける「兵庫下髪」がある(清水玲子「高橋由一《花魁図》と兵庫下髪」(『近代画説』九、

二〇〇〇年一二月)、一一八―一二一頁)。

六九

新村出編『広辞苑』第六版、岩波書店、二〇〇八年、二八五九頁。

七〇

前掲丸岡、一二七、一六二頁。

七一

大華居士『森文部大臣遭難録』紅雪書院、一八八九年、二一―二二頁(D

C

)。

七二

中野目徹「明六社と『明六雑誌』」(山室信一・中野目徹校注『明六雑誌(上)』岩波書店、

一九九九年)、四四一頁。

七三

『木戸孝允日記』一八七五年七月一七日にある「森無礼」(妻木忠太『木戸孝允日記(第三)』

日本史籍協会、一九三三年、二一一頁)という表現も、有礼の字音読みを意識したもの。

七四

①『団団珍聞』一八八一年五月一四日(北根豊監修『複製版 

団団珍聞』七、本邦書籍、

一九八一年、三二三頁)。帽子屋の店先で、海外で評判の「特命全権帽子」を薦められ

た男が、「其様に毛がムシヤムシヤはねかへて居ては火の元がぶようじんでならぬワイ」

と洒落る。②「朝野新聞の成島柳北は、伊藤薄文と書いて、伊藤博文とは一字違いの別

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― 4

0 ―

人だと言いはった」(井黒弥太郎『追跡・黒田清隆夫人の死』北海道新聞社、一九八六年、

九八頁)③河野弥三『憲法五十年史』憲法五十年史刊行会、一九三八年、二五五頁。④『萬

朝報』一八九八年三月二三日二面(「萬朝報」刊行会編『萬朝報』二二、日本図書セン

ター、一九八五年)。⑤木村毅『大山・児玉・乃木』大日本雄弁会講談社、一九三九

年、九八頁(D

C

)。帝国聯隊史刊行会『歩兵第二聯隊史』一九一八年、一八一頁(D

C

等。演習で乃木軍を打ち負かした児玉軍が即興で歌った。⑥『団団珍聞』一八八一年

一二月一〇日(北根豊監修『複製版 

団団珍聞』八、本邦書籍、一九八一年、二二九

頁)。東洋自由新聞社社長を辞任した西園寺について、初めから「不自由」と書くつも

りだったのに誤って「自由」と書いたと皮肉った。⑦矢崎泰々『口きかん

―わが心

の菊池寛

―』飛鳥新社、二〇〇三年、七頁。⑧『滑稽新聞』一〇六号、一九〇六年

一月一日(赤瀬川原平、吉野孝雄編『滑稽新聞(複製版)』四、筑摩書房、一九八五年、

二五五頁)。⑨城北隠士『大正政界之裏面』大正書院、一九一六年、一六三頁。⑩満川

亀太郎『三国干渉以後(復刻版)』伝統と現代社、一九七七年、一二六頁。⑪宮村三郎

『評伝賀屋興宣』おりじん書房、一九七七年、二八二頁。賀屋に対する野次で、『太平記』

中の文句「天勾践を空しうする莫れ、時に范蠡無きにしも非ず」のパロディ。⑫竹内

洋『大学という病』中央公論新社、二〇〇一年、一六四頁。⑬竹内洋『丸山眞男の時代』

中央公論新社、二〇〇五年、六八頁。⑭「中野正剛が日比谷公会堂でおこなった東条

英機弾劾演説のビラ」(安岡章太郎『僕の昭和史』新潮社、二〇〇五年、二一二頁)⑮

前掲荻生、二二五頁。⑯水上勉「姓名のこと」(『図書』四五〇、一九八七年二月)、三頁。

⑰鶴蒔靖夫『裸の藤原弘達』IN

通信社、一九七〇年、一八頁。⑱牧田茂「新人物風土

記 

五」(『月刊自由民主』五(二五六)、一九七七年四月)、一七三頁(D

C

)。

七五

木村傳兵衛、谷川由布子ほか『新語・流行語大全 

1945

→2005

』自由国民社、二〇〇五年、

二七三頁。なお森自身は、蜃気楼との音通に言及しながらも、「昔から、世間に名が知

られ、親しまれている人物の名前は音読みされる」などとも語っているという(「政治

記者のみた政治家・森喜朗」(森喜朗『文相初体験』日本教育新聞社出版局、一九八五

年)、二六六頁)。また、元読売新聞記者でフリーライターの上村吉弘は、「有職読み」

の「由来」を語ることで、「森喜朗元首相を『モリキロウ』と読むのは敬称だった」(h

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、「政治山」、二〇一五年一一月五日)

と主張したが、論理の転倒である。ついでながら上村は、「有職読みは名前以外にも見

られます」(同サイト)とも記しており、ここでも論理が転倒している。当該記事は

Yah

oo!

ニュース(h

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ahoo.co.jp

/

)にも掲載。

七六

上杉隆「『日本一のイエスマン』武部勤の正体」(『文藝春秋』八四(五)、二〇〇六年四月)、

一八八頁。

七七

小泉信三『小泉信三全集』一五、文藝春秋、一九六七年、六七頁。

七八

前掲高島二〇〇六年、二四三頁。

七九

山下奉文の名を音読するのは、彼をよく知る者ではなく、その名に初めて接した者た

ちであった(沖修二『至誠通天・山下奉文』秋田書店、一九六八年、四二頁(D

C

))。

八〇

その意味で、穂積陳重が提唱した「実名敬0

避俗」概念(穂積『実名敬避俗研究』刀江書院、

一九二六年。傍点筆者)は誤解を招きやすい。いずれ稿を改めて論じたい。

八一

『国学院雑誌』一六(三)、一九一〇年三月、一〇頁。

八二

江湖山恒明「敬意の漸減と漸増」(『敬語法』三省堂、一九四三年)、一三八頁。同現

象に関しては、佐久間鼎「言語における水準転移」(『日本語の言語理論』厚生閣、

一九五九年)も参照されたし。

八三

そもそも敬意逓減が起こるとすれば、人名音読という現象全体ではなく、個別の名に

ついてのはずである。なお、平安から明治にかけて敬意逓減が起こったのではという

反駁に関しては、別に検証の機会を設けたい。

八四

M

・v

・ブラント著、原潔、永岡敦訳『ドイツ公使の見た明治維新』新人物往来社、

一九八七年、一〇五頁。もっともブラントによれば、家茂急逝は「私が日本を留守に

していた間」(同上)の事件であるから、「反対勢力」が慶喜の名を音読し始めた時期

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― 4

1 ―

に関しては疑問も残る。明治初年の印象を過去へ遡及したものか。

八五

遠藤幸威『聞き書き徳川慶喜残照』朝日新聞社、一九八二年、一二頁。

八六 前掲穂積。

八七 前掲佐川、五八頁。あるいは佐川はここで、人名音読は「すぐれた人」に適用される

と主張したかったのかもしれない。

八八

前掲小谷野二〇一一年、一〇〇頁。もっとも後述の通り、氏の現状分析はある程度的

を射ている。

八九

以下、尚友倶楽部『その頃を語る 

旧貴族院議員懐旧談集』一九九〇年、二〇〇―

二〇一頁より。

九〇

斎藤「明治大正短歌史概観余録」(『斎藤茂吉全集』二一、岩波書店、一九七三年)、

二四三―二四四頁。

九一

高畠藍泉『姓氏名乗歴史字引大全』万笈閣、一八七八年、序一頁(D

C

)。

九二

井黒『榎本武揚』新人物往来社、一九七五年、二八頁。

九三

現在「名の字音読み」が、あたかも知識人層特有のルールのごとく感じられるのは、戦

後この慣習が忘却されたことに起因しよう。人名音読が日常性を失うにつれ、従来自

然に人名を音読していた世代は、下の世代との連続性を持たない層として固定化した。

名を音に読むのは年配者、あるいはかつて人名音読という慣習があったことを(経験

ではなく教養として)知る「知識人」に限られ、「伝統」「知識人」のイメージが相対

的に高まった。人名音読が「伝統」「知識人」のイメージを喚起するという事実は、逆

説的に慣習の断絶性を物語る。その意味で、小谷野の「人名音読み世代」(前掲小谷野

二〇〇一年)という表現は示唆的である。なお「伝統」「知識人」を殊更に強調するのは、

後世の記述ばかりではない。同時代的にもしばしば見受けられる主張である。これに

ついては他日を期したい。

九四

前掲荻生、二一〇頁。

九五

『改訂増補 

日本家庭百科事彙(下)』冨山房出版、一九一二年(『日本世相語資料事典

(明治編第三巻)』日本図書センター、二〇〇七年所収)、一〇〇六頁。ちなみにこの記

述からは、幾重にも重なる誤解が看取出来るが、それを指摘することは本論の範囲を

越える。

九六

石原正明『年々随筆』は人名音読について、「定家、々

隆を限として、其後はたえて聞えず」

(日本随筆大成編輯部編『日本随筆大成(第一期 

二一巻)』吉川弘文館、一九九四年、

七八頁)と書き残す。