鶴見とブラジル。soc.meijigakuin.ac.jp/sg/image/2018/12/%E3%83%95%E3%82...鶴見とブラジル。木曜4限...
Transcript of 鶴見とブラジル。soc.meijigakuin.ac.jp/sg/image/2018/12/%E3%83%95%E3%82...鶴見とブラジル。木曜4限...
鶴見とブラジル。
木曜4限 社会学基礎演習 矢作征男
12/6
Be _The_Naan・ 内田柊哉 ・ 佐藤愛夢・ 高橋遼 ・ 藤井悠芽
・ 吉成花音
Contents
1.概要
2.食文化
3.歴史
4.教育
5.ネットワーク
ブラジル
担当エスニシティ
人口:約2億930万人⁽¹⁾面積:851.2万㎢⁽¹⁾
1
日系ブラジル人 2
日本におけるブラジル人
日本全体で191,362 人⁽²⁾(2017年現在)
愛知や静岡に多く在留
約半数が永住者四分の一が定住者
3
鶴見におけるブラジル人
在留外国人は12,508人⁽²⁾
うち1,200人がブラジル人⁽²⁾
ブラジル人在留者数では横浜でトップ
4
鶴見地図
(Googleマップ 2018.12.04閲覧)
5
言語から見るエスニシティ
使われている言語
→日本語(漢字、ひらがな、ローマ字)、
英語、中国語、スペイン語、韓国語、
ポルトガル語
ほかにもタガログ語(フィリピン)、
朝鮮語など
6
食文化7
日系ブラジル人の食
沖縄にルーツを持った日系ブラジル人の二世、三世による料理店
沖縄料理やブラジル料理が盛ん
ブラジル料理→ハンバーガー、ピザ、パステル(揚げ物)
ソーキそばなどの沖縄料理とブラジル料理の折衷したようなメニュー 8
そのほかの地域出身の人の食
中華、韓国料理店
ラテン料理
9
実際に食べてみた
コシーニャ
・揚げ物料理
・1個450円
・中にツナ
・食感、味が独特
10
歴史 11
鶴見の図
鶴見
沖縄出身のオールドカマー
南米からのニューカマー
朝鮮半島出身者
12
ブラジル人が鶴見に移住した経緯(1)◎背景
明治末期~昭和初期 埋め立て進む
↓
造船・ガラス・製鉄・製油など
大企業の工場が進出
↓
労働力不足
→出稼ぎの受け入れ
13
ブラジル人が鶴見に移住した経緯(2)
1917年~ 川崎の富士紡績の女工として
沖縄から500~600名の出稼ぎ労働者が来る
↓ →鶴見に住むようになる
ブラジル、ハワイ、フィリピンなどへの移民政策
・経済的困難
・先駆移民からの呼び寄せ、徴兵忌避
1945年 地上戦→土地を追われた人 親戚や地縁を頼り
植民地から復員した人 鶴見へ 14
ブラジル人が鶴見に移住した経緯(3)
1990年 出入国管理および難民認定法の改正
→日系人にビザ
↓
ブラジル・ボリビア・ペルーなどから大量の出稼ぎ労働者が来日
↓ 沖縄出身南米人の2世・3世
鶴見へ
*2000年前後から非日系の南米人も移住するようになる
15
鶴見の図
鶴見
沖縄出身のオールドカマー
南米からのニューカマー
朝鮮半島出身者
16
教育
17
ブラジル学校
ブラジル学校ではブラジル本国の教育課程に基づいて教育を行う
実は神奈川県にはブラジル学校がない!
→エスコラ・アクアレラ・ブラジルという学校を見つけたが現在も運営されているのかは不明
関東には群馬県に3校、茨城、埼玉に1校ずつ
多いところでは愛知県に11校、静岡県に13校
18
学習支援
国際教室
横浜市日本語教室
学習支援サポーター
つるみ学習支援教室
日本語教室19
不就学児童の支援
放課後教室やフリースクールの運営
(ABCジャパンの運営による)
20
神奈川県の取り組み
日本語教室
神奈川県立国際言語文化アカデミア(無料)
公立高校の入学案内を様々な言語で(ポルトガル語もある)」
21
鶴見のネットワークーABCジャパンー
22
ABCジャパンとは
横浜市鶴見区在住のブラジル人によって2000年に設立された団体
ブラジル人に向けての生活相談や日本語教室、交流活動などを行っている
「多文化共生」「定住外国人の自立」「子どもの教育保障」を基本理念としている 23
多文化共生
多文化共生、多文化交流イベントやワークショップなども開催
ブラジルの伝統的武芸カポエラ教室
ブラジル人のネイティブスピーカーが大人の日本人向けに教えるポルトガル語教室
24
定住外国人の自立
日本人がブラジル人に日本語を教える日本語教室
電気工事士試験対策講座
年金やビザなどの情報提供、病院や行政窓口への同行支援
在留資格や交通ルールが改正されるタイミングでのオリエンテーション
25
子どもの教育保障
鶴見区の小中学校に転入学する子どもと保護者向けの学校生活についてのしおり
多言語による教育相談会
放課後教室や放課後居場所教室
高校・大学進学の相談26
まとめ
27
私たちのみる鶴見のエスニシティ
思ったよりも小さなエスニックタウン
教育サポート盛ん←ブラジル学校は必要なのかどうか
地域に適応し、うまく
はまったエスニックタウン28
注釈(1)外務省,2018「ブラジル連邦共和国」,(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/data.html#section1)2018.12.5 閲覧.
(2)総務省,2017「e-Stat」(https://www.e-stat.go.jp/stat-
search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00250012&tstat=00000
1018034&cycle=1&year=20170&month=24101212&tclass1=000001060399)2018.12.4閲覧.
写真18SG1035 内田柊哉 2018.11.22 撮影. 29
参考文献
安井大輔,2012,「多文化混合地域のマイノリティ:接触領域の食から見るエスニシティ」『ソシオロジ』57(2),pp.55-71.
安井大輔,2010,「コンタクト・ゾーンにおけるエスニックフード・ビジネス:横浜市鶴見区の沖縄・南米系飲食店・物産店から」『京都社会学年報』18,pp.41-66.
沖縄タイムスプラス,2016,「貧しさから世界に出稼ぎに出た沖縄の歴史:最初の移民は1899年、ハワイへ」(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/67640)2018.12.4閲覧.
岩本廣美,2006,「日本におけるブラジル人学校の展開と児童・生徒の就学状況 -群馬県邑楽郡大泉町の事例を中心に」(https://www.jstage.jst.go.jp/article/newgeo1952/54/3/54_3_33/_pdf)2018.12.3閲覧.
「ABCジャパン」(http://abcjapan.org/)2018.12.3閲覧.
30
BE _THE_NAAN
31
食文化担当
リーダー、歴史担当
概要、まとめ担当
教育担当
ネットワーク担当
ご清聴ありがとうございました!