肺高血圧症治療ガイドライン - JCSCirculation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007 3...

44
1 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007 循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告) 肺高血圧症治療ガイドライン (2006 年改訂版) Guidelines for Treatment of Pulmonary Hypertension(JCS2006) 目  次 改訂にあたって…………………………………………………… 3 Ⅰ.総 論………………………………………………………… 3 Ⅰ- 1.肺高血圧症の定義 ………………………………… 3 Ⅰ- 2.肺高血圧症の臨床分類 …………………………… 4 Ⅰ- 3.肺高血圧症の症状,身体所見 …………………… 4 Ⅰ- 4.肺高血圧症の診断 ………………………………… 4 Ⅰ- 5.肺高血圧症の機能分類 …………………………… 7 Ⅰ- 6.肺高血圧症の病理 ………………………………… 7 Ⅱ.各 論………………………………………………………… 9 Ⅱ- 1.肺動脈性肺高血圧症 ……………………………… 9 A)特発性および家族性肺動脈性肺高血圧症 ……… 9 B)各種疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症 ……………16 B-1 膠原病性血管疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症 16 B-2 先天性心疾患に伴う肺高血圧症 ……………21 Ⅱ- 2.左心疾患に伴う肺高血圧症 ………………………24 Ⅱ- 3肺疾患および/または低酸素血症に伴う肺高血圧症26 A)慢性閉塞性肺疾患 …………………………………26 B)特発性間質性肺炎 …………………………………28 C)肺結核後遺症 ………………………………………29 D)睡眠時無呼吸症候群 ………………………………29 E)肺胞低換気症候群 …………………………………32 Ⅱ- 4慢性血栓性および/ または塞栓性疾患に伴う肺高 血圧症 ………………………………………………33 Ⅲ.肺高血圧症に関連する主な厚生労働省特定疾患…………36 (無断転載を禁ずる) 合同研究班参加学会:日本循環器学会,日本胸部外科学会,日本呼吸器学会,日本小児循環器学会,日本静脈学会, 日本心臓病学会,日本脈管学会,日本リウマチ学会,厚生労働省難治性疾患克服研究事業呼吸 不全調査研究班 班 長 野   三重県病院事業庁 班 員 久留米大学外科 藤田保健衛生大学心臓血管外科 東京女子医科大学心臓血管外科 千葉大学呼吸器内科 地   東邦大学医療センター大森病院小児科 愛知医科大学睡眠医療センター 岡山大学腫瘍・胸部外科 西 国立循環器病センター内科心臓血管内科 西 北海道大学第一内科 藤田保健衛生大学内科 自治医科大学附属さいたま医療センター循環器科 班 員 日本肺血管研究所 三重大学大学院循環器内科学 協力員 北海道社会保険病院心臓内科 三重大学大学院循環器内科学 久留米大学外科 国立循環器病センター内科心臓血管内科 篠 邉 龍二郎 愛知医科大学循環器内科 千葉大学呼吸器内科 北海道大学第一内科 三重大学大学院循環器内科学 東京女子医科大学循環器内科 KKR 札幌医療センター 北里研究所メディカルセンター病院 仁明会齋藤病院 東京大学心臓外科・呼吸器外科 東京女子医科大学(名誉教授) (構成員の所属は 2007 年9月現在) 外部評価委員

Transcript of 肺高血圧症治療ガイドライン - JCSCirculation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007 3...

  • 1Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005年度合同研究班報告)

    肺高血圧症治療ガイドライン(2006年改訂版)Guidelines for Treatment of Pulmonary Hypertension(JCS2006)

    目  次

    改訂にあたって…………………………………………………… 3Ⅰ.総 論………………………………………………………… 3  Ⅰ-1.肺高血圧症の定義 ………………………………… 3  Ⅰ-2.肺高血圧症の臨床分類 …………………………… 4  Ⅰ-3.肺高血圧症の症状,身体所見 …………………… 4  Ⅰ-4.肺高血圧症の診断 ………………………………… 4  Ⅰ-5.肺高血圧症の機能分類 …………………………… 7  Ⅰ-6.肺高血圧症の病理 ………………………………… 7Ⅱ.各 論………………………………………………………… 9  Ⅱ-1.肺動脈性肺高血圧症 ……………………………… 9    A)特発性および家族性肺動脈性肺高血圧症 ……… 9    B)各種疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症 ……………16

         B-1 膠原病性血管疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症 …16     B-2 先天性心疾患に伴う肺高血圧症 ……………21  Ⅱ-2.左心疾患に伴う肺高血圧症 ………………………24  Ⅱ-3. 肺疾患および/または低酸素血症に伴う肺高血圧症 …26    A)慢性閉塞性肺疾患 …………………………………26    B)特発性間質性肺炎 …………………………………28    C)肺結核後遺症 ………………………………………29    D)睡眠時無呼吸症候群 ………………………………29    E)肺胞低換気症候群 …………………………………32  Ⅱ-4. 慢性血栓性および /または塞栓性疾患に伴う肺高

    血圧症 ………………………………………………33Ⅲ.肺高血圧症に関連する主な厚生労働省特定疾患…………36

    (無断転載を禁ずる)

    合同研究班参加学会:日本循環器学会,日本胸部外科学会,日本呼吸器学会,日本小児循環器学会,日本静脈学会,           日本心臓病学会,日本脈管学会,日本リウマチ学会,厚生労働省難治性疾患克服研究事業呼吸

    不全調査研究班

    班 長 中 野   赳 三重県病院事業庁班 員 青 柳 成 明 久留米大学外科

    安 藤 太 三 藤田保健衛生大学心臓血管外科川 合 明 彦 東京女子医科大学心臓血管外科栗 山 喬 之 千葉大学呼吸器内科佐 地   勉 東邦大学医療センター大森病院小児科塩 見 利 明 愛知医科大学睡眠医療センター伊 達 洋 至 岡山大学腫瘍・胸部外科中 西 宣 文 国立循環器病センター内科心臓血管内科西 村 正 治 北海道大学第一内科深 谷 修 作 藤田保健衛生大学内科百 村 伸 一 自治医科大学附属さいたま医療センター循環器科

    班 員 八 巻 重 雄 日本肺血管研究所山 田 典 一 三重大学大学院循環器内科学

    協力員 石 丸 伸 司 北海道社会保険病院心臓内科太 田 覚 史 三重大学大学院循環器内科学岡 崎 悌 之 久留米大学外科京 谷 晋 吾 国立循環器病センター内科心臓血管内科篠 邉 龍二郎 愛知医科大学循環器内科田 邉 信 宏 千葉大学呼吸器内科辻 野 一 三 北海道大学第一内科中 村 真 潮 三重大学大学院循環器内科学松 田 直 樹 東京女子医科大学循環器内科

    川 上 義 和 KKR札幌医療センター近 藤 啓 文 北里研究所メディカルセンター病院白 土 邦 男 仁明会齋藤病院

    高 本 眞 一 東京大学心臓外科・呼吸器外科門 間 和 夫 東京女子医科大学(名誉教授)

    (構成員の所属は2007年9月現在)

    外部評価委員

  • 2 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    本ガイドラインで用いられる主な略語AASM American Academy of Sleep Medicine

    ACC American College of Cardiology

    ACCP American College of Chest Physician

    ACE angiotensin converting enzyme

    AcT acceleration time

    AHA American Heart Association

    AHI apnea hypopnea index

    AI apnea index

    ANP atrial natriuretic peptide

    APAH associated pulmonary arterial hypertension

    ASD atrial septal defect

    BNP brain natriuretic peptide

    cGMP cyclic guanosine monophosphate

    CHD congenital heart disease

    CO cardiac output

    COPD chronic obstructive pulmonary disease

    CPAP continuous positive airway pressure

    CSAHS central sleep apnea-hypopnea syndrome

    CSBS Cheyne-Stokes breathing syndrome

    CT computed tomography

    DIC disseminated intravascular coagulation

    DM dermatomyositis

    ECD endocardial cushion defect

    ECG electrocardiogram

    ECMO extracorporeal membrane oxygenation

    EEG electroencephalogram

    EMG electromyogram

    ET endothelin

    EOG electro-oculogram

    ET ejection time

    FDA Food & Drug AdministrationFEV forced expiratory volume

    FPAH familial pulmonary arterial hypertension

    HIV human immunodeficiency virus

    IIP idiopathic interstitial pneumonia

    INR international normalized ratio

    IPAH idiopathic pulmonary arterial hypertension

    IPF idiopathic pulmonary fibrosis

    IPVD index of pulmonary vascular disease

    JACC Journal of the American College of Cardiology

    MCTD mixed connective tissue disease

    MRI magnetic resonance image

    MVV maximal voluntary ventilation

    NO nitric oxide

    NPPV noninvasive positive pressure ventilation

    NYHA New York Heart Association

    OSAHS obstructive sleep apnea-hypopnea syndrome

    PAH pulmonary arterial hypertension

    PAHS primary alveolar hypoventilation syndrome

    PAP pulmonary arterial pressure

    PCH pulmonary capillary hemangiomatosis

    PCWP pulmonary capillary wedged pressure

    PDA patent ductus arteriosus

    PDE phosphodiesterase

    PGI2 prostaglandin I2, prostacyclinPM polymyositis

    PPH primary pulmonary hypertension

    PPHN persistent pulmonary hypertension of the

    newborn

    PSG polysomnography

    PTMC percutaneous transluminal mitral

    commissurotomy

    PVOD pulmonary veno-occlusive disease

    PVR pulmonary vascular resistance

    QOL quality of life

    Qp pulmonary blood flow

    Qs systemic blood flow

    RDI respiratory disturbance index

    REM rapid eye movement

    RERA respiratory effort-related arousal

    Rp pulmonary vascular resistance

    Rs systemic vascular resistance

    SHVS sleep hypoventilation syndrome

    SLE systemic lupus erythematosus

    SSc systemic sclerosis

    UARS upper airway resistance syndrome

    VC vital capacity

    VSD ventricular septal defect

    WHO World Health Organization

  • 3Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

     本ガイドライン初版は,平成11年4月に発足したガイドライン作成班により,平成11年度から平成12年度にかけて作成された.その後の肺高血圧症の治療をめぐる進歩は目覚しく,新たな治療法を取り入れて平成17年度に部分改訂を行なうことになった. 今回の主な改訂点として,肺高血圧症の臨床分類をベニス分類に改めたこと,エンドセリン受容体拮抗薬やホスホジエステラーゼ(PDE)5阻害薬といった新しい治療薬を加えたこと,エンドセリン受容体拮抗薬の適応取得やエポプロステノールの適応拡大を追加したことなどが挙げられる.さらに,今回の改訂版では慢性の肺高血圧症をきたす疾患を中心に取り上げることとし,急性かつ一過性の肺高血圧症をきたす急性肺血栓塞栓症については既に別のガイドラインが作成されているので今回のガイドラインからは削除した. また,厚生労働省難治性疾患克服研究事業呼吸不全調査研究班においても,肺高血圧症ガイドライン作成の検討が行われていたが,国内に肺高血圧症のガイドラインが複数存在するよりもひとつに統一するのが望ましいことにより,今回,ガイドライン改訂版の合同研究班参加学会へ「厚生労働省難治性疾患克服研究事業呼吸不全調査研究班」の名称を追加しガイドラインを統一した. 肺高血圧症の診断および治療は,本来,専門性の高い分野ではあるが,初版ガイドライン同様,一般医家も対象となる内容とした.また,依然として我が国におけるエビデンスが乏しいことより多くの部分で海外のデータを参考にしている点,現時点ではエビデンスは示されていなくとも高い効果が予想され将来期待される治療方法についてもそのことを断った上で記載した点は,初版と同様である.今後の研究結果に従い,将来は改訂を重ねる必要があることは言及するまでもない. ガイドラインにおいて,全症例に対する治療選択を画

    一的に簡素化できるものでもなく,このガイドラインはあくまで治療選択における指針に過ぎないことを常に念頭におき,症例ごとに,その年齢や合併症といった背景を考慮したうえで,治療を選択する必要性があることを明記しておく.また,原疾患やその重症度によっては,検査や治療が重篤な合併症を引き起こす可能性を有しており,十分な経験を有する専門医や設備の整った施設で行われるべきものもあり,注意を要する. それぞれの治療法について,AHA(American Heart Association)/ACC(American College of Cardiology)ガイドラインに従って,表1,表2のごとくに,「証拠のレベル」と「勧告の程度」を示した.今回,「証拠のレベル」,「勧告の程度」は,これまでの国内及び国外の既出の論文に基づいて執筆担当者が判断し,最終的には,班員及び外部評価委員の了承を得て決定したものである.

    表1 証拠のレベル

    Level A(高) 多数の患者を対象とする多くの無作為臨床試験によりデータが得られている.

    Level B(中) 少数の患者を対象とする限られた数の無作為試験,あるいは非無作為試験または観察的登録の綿密な分析からデータが得られている場合.

    Level C(低) 専門家の合意が勧告の主要な根拠となっている場合.

    表2 勧告の程度

    ClassⅠ 手技・治療が有用・有効であることについて証明されているか,あるいは見解が広く一致している.

    ClassⅡ 手技・治療の有用性・有効性に関するデータまたは見解が一致していない場合がある.

      ClassⅡa データ・見解から有用・有効である可能性が高い.

      ClassⅡb データ・見解により有用性・有効性がそれほど確立されていない.

    ClassⅢ 手技・治療が有用・有効ではなく,ときに有害となる可能性が証明されているか,あるいは有害との見解が広く一致している.

    改訂にあたって

    Ⅰ 総 論

    1 肺高血圧症の定義

     肺高血圧症とは,肺動脈圧の上昇を認める病態の総称

    であり,肺動脈圧上昇の原因は様々である(表3). 健常者では,安静臥位にて平均肺動脈圧は15 mmHgを超えず,加齢による上昇を考慮しても20 mmHg以上にはならない.従って,一般には,安静臥位での平均肺動脈圧が25 mmHgを超える場合,また,慢性閉塞性肺疾患(COPD),特発性間質性肺炎といった肺疾患,睡眠時無呼吸症候群,肺胞低換気症候群では平均肺動脈圧が20 mmHgを超える場合に,肺高血圧症と診断される.

  • 4 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    2 肺高血圧症の臨床分類

     2003年6月にイタリアのベニスで開催された第3回肺高血圧症国際シンポジウムで,これまでの肺高血圧症の臨床分類エビアン分類が改訂され,新しいベニス分類が提唱された(表3)1). ベニス分類では,肺動脈性肺高血症(pulmonary arterial hypertension:PAH)が従来の原発性肺高血圧症(primary pulmonary hypertension:PPH)と膠原病,先天性心疾患,門脈圧亢進症などの各種疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症(associated pulmonary arterial hypertension :APAH)の総称として採用された.そして従来のPPHは特発性肺動脈性肺高血圧症(idiopathic pulmonary arterial hypertension:IPAH)と家族性肺動脈性肺高血圧症(FPAH)と言う名称に変更された.その他にも,エビアン分類で肺静脈性肺高血圧症に分類されていた肺静脈 閉 塞 性 疾 患(pulmonary veno-occlusive disease:

    PVOD)や,肺血管を直接障害する疾患による肺高血圧症に分類されていた肺毛細血管腫症(pulmonary capillary hemangiomatosis:PCH)が,肺動脈性肺高血圧症のカテゴリーに加えられた.また,肺血管の圧迫による肺高血圧症が,サルコイドーシスなどとともに,その他の肺高血圧症のカテゴリーに分類された.

    3 肺高血圧症の症状,身体所見

     肺高血圧症の自覚症状としては,労作時呼吸困難,易疲労感,動悸,胸痛,失神,咳嗽などがみられる.いずれも軽度の肺高血圧では出現しにくく,症状が出現した時には,既に高度の肺高血圧が認められることが多い.また,高度肺高血圧症には労作時の突然死の危険性がある. 他覚的所見としては,低酸素血症に伴うチアノーゼ,頸静脈怒張,肝腫大,下腿浮腫,腹水などが挙げられる.COPD,間質性肺炎,先天性心疾患に伴う肺高血圧症ではばち状指趾がみられることがある.さらに,頸静脈拍動におけるa波の増高,頸動脈拍動における小脈,右室肥大に伴う傍胸骨拍動,三尖弁閉鎖不全症に伴う第Ⅳ肋間胸骨左縁での汎収縮期雑音(吸気時に増強しRivero-Carvallo徴候と呼ばれる),肺動脈弁閉鎖不全症に伴う第Ⅱ肋間胸骨左縁での拡張早期雑音(Graham Steell雑音),Ⅱ音肺動脈成分の亢進,収縮期早期のclick音,Ⅲ音,Ⅳ音を聴取することがある.

    4 肺高血圧症の診断

     本疾患では,明らかな症状発現時には既に高度の肺高血圧症に進展していることが多く,可逆的な変化に留まっている早期に診断するためには,症状や身体所見についての徹底した問診や診察が重要であることはいうまでもない.無症候性患者を捉えるためには,後述したような肺高血圧症発症の危険度が高い患者群に対しての非侵襲的検査方法によるスクリーニング検査が必要である.図1に示したように,症状所見から肺高血圧症が疑われる症例や,症状がなくとも肺高血圧症の高リスク症例に対しては,簡便で非侵襲的な検査方法から行って,肺高血圧の存在を確認するのが一般的である.表4に主な肺高血圧症の危険因子を挙げる. 表5に,肺高血圧症の診断に用いられる主な検査方法を列記するが,特に有用な非侵襲的検査法として心エコー法が使用される.WHOのPPH国際シンポジウムで高リスク症例に対する6ヶ月毎のドップラー心エコー法が

    表3 肺高血圧症の臨床分類

    1.肺動脈性肺高血圧症(PAH)1)特発性肺動脈性肺高血圧症(IPAH)2)家族性肺動脈性肺高血圧症(FPAH)3)各種疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症(APAH)

    a)膠原病性血管疾患,b)先天性短絡性疾患,c)門脈高血圧,d)エイズウイルス感染症,e)薬物と毒物,f)その他(甲状腺疾患,糖原病,ゴーシェ病,遺伝性出血性毛細血管拡張症,異常ヘモグロビン症,骨髄増殖性疾患,脾摘出)

    4) 有意の肺静脈および/または肺毛細血管閉塞を伴う肺動脈性肺高血圧症

    a)肺静脈閉塞性疾患(PVOD),b)肺毛細血管腫症(PCH)5)新生児持続性肺高血圧症

    2.左心性心疾患に伴う肺高血圧症1)左心の心房性あるいは心室性心疾患2)左心の弁膜症

    3.肺疾患および/または低酸素血症に伴う肺高血圧症1)慢性閉塞性肺疾患2)間質性肺疾患3)睡眠呼吸障害4)肺胞低換気障害5)肺結核後遺症6)高所における慢性暴露7)発育障害

    4.慢性血栓性および/または塞栓性疾患における肺高血圧症1)近位肺動脈の血栓塞栓性閉塞2)末梢肺動脈の血栓塞栓性閉塞3)非血栓性肺塞栓症(腫瘍,寄生虫,異物)

    5.その他の肺高血圧症サルコイドーシス,ヒスチオサイトーシスX,リンパ管腫症,肺血管の圧迫(リンパ節腫脹,腫瘍,線維性縦隔炎)

  • 5Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    推奨されている. 無症候性患者でスクリーニング検査が勧められているのは,特に肺高血圧症合併頻度が高く有効な治療法のある強皮症スペクトラム(SSc,CREST症候群,overlap症候群,混合性結合組織病(MCTD)などが含まれる.)と,IPAH/FPAHの家族である. 肺高血圧症の存在が確定した後に,原疾患が明らかな肺高血圧症ならば基本的には原疾患の治療も重要であり,図2のごとく肺高血圧症を来した原因を検索していくことになる.

    血液検査 正常なことも多いが,慢性的な低酸素血症を伴う場合には多血症や,右心不全によるうっ血肝に伴う肝機能異常が認められる場合がある.また,最近では,肺動脈圧上昇に伴い,ANP,BNP,尿酸値の上昇も報告されている.心電図検査 長期に継続する肺高血圧症に伴い,右室肥大に伴った心電図変化が現れる.胸部X線検査 両側中枢側肺動脈の拡張と末梢肺動脈の急峻な狭小化,右心房,右心室の拡張に伴う心拡大が認められることがある.特に大量の左右短絡を有する短絡性心疾患の場合には中枢側肺動脈の拡張は著しく瘤状になることもある.また,長期高度肺高血圧の継続例では肺動脈壁に石灰化が認められる場合もある.動脈血ガス分析 肺高血圧症をきたす基礎疾患によるが,一般に,低炭酸ガス血症を伴った低酸素血症を認めることが多い.し

    かし,COPDや肺胞低換気症候群による肺高血圧症では,高炭酸ガス血症を認める.

    表4 肺高血圧症の危険因子

    1.薬物,毒物1.1 確実

    AminorexFenfluramineDexfenfluramineToxic rapeseed oil

    1.2 可能性高いAmphetaminesL-tryptophan

    1.3 可能性ありMeta-amphetaminesコカイン抗癌薬

    1.4 可能性が否定できない抗うつ薬経口避妊薬女性ホルモン補充療法喫煙

    2.条件2.1 確実女性

    2.2 可能性あり妊娠体高血圧症

    2.3 可能性が否定できない肥満

    3.疾患3.1 確実

    HIV感染3.2 可能性高い門脈圧亢進/肝疾患膠原病先天性左右シャント性心疾患

    3.3 可能性あり甲状腺疾患血液疾患外科的脾臓摘出後の無脾症鎌状赤血球症βサラセミア慢性骨髄増殖性疾患

    まれな遺伝子あるいは代謝疾患1aグリコーゲン蓄積疾患(von Gierke病)Gaucher病遺伝性出血性毛細血管拡張症(Osler-Weber-Rendu病)

    スクリーニング検査

    精密検査

    診断確定

    無症状高リスク例症状,身体所見からの疑い例

    心電図,胸部X線,心エコー,血液ガス

    肺高血圧症疑い

    胸部CT,MRI,肺換気血流シンチグラム右心カテーテル検査,肺動脈造影

    図1 診断手順

    表5 肺高血圧症の診断に用いられる主な検査法

    血液検査心電図検査胸部X線検査動脈血ガス分析心エコー法胸部CT(コンピューター断層撮影法)検査胸部MRI(磁気共鳴映像法)検査肺機能検査肺シンチグラム右心カテーテル検査肺動脈造影肺生検

  • 6 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    心エコー法 非観血的に肺高血圧の有無を診断するのに有用である.Bモード断層法では形態の変化を観察し,肺高血圧症では右心室,右心房の拡張と肺高血圧が高度の場合には心室中隔の左室側への偏位が認められる.また,肺高血圧症例では肺動脈弁のE-Fスロープの減弱,a-dipの消失がみられる.心エコー・ドプラ法を用いた肺動脈圧の推定には幾つかの方法があるが,三尖弁逆流から簡易ベルヌーイ式を用いて推定する方法がもっとも一般的である(表6).右室流出路の血流のejection time,preejection time,acceleration timeあるいはそれらの比から推定す

    ることもできる.肺高血圧症例では,推定肺動脈収縮期圧>40~50 mmHgや肺動脈収縮期流速加速時間/右心室駆出時間(AcT/ET)<0.3などがみられる.また,右心不全を呈する症例では,肝静脈,下大静脈の拡張,呼吸性変動の減弱を認める.胸部CT(コンピューター断層撮影法)検査 右心房,右心室,肺動脈の拡張を認める.肺高血圧症をきたした原因を探る上でも使用され,肺病変の評価及び造影剤を使用することで肺動脈内血栓や肺動脈病変の評価が可能であるが,末梢肺動脈の病変の描出には限界がある.胸部MRI(磁気共鳴映像法)検査 右心房,右心室,肺動脈の拡張といった形態変化の評価に有用である.慢性的な肺高血圧症症例では右心室壁肥厚の評価にも使用可能である.肺機能検査 肺高血圧症をきたした原因疾患により異なり,IPAH/FPAHでは典型的には拡散障害を伴った軽度拘束性障害で,症例によっては残気量の増加と最大換気量の減少がみられる.また,COPDに伴う肺高血圧症では閉塞性換気障害が主体となる.肺シンチグラム 肺高血圧の程度の評価には使用できないが,肺高血圧症の原因検索に有用な場合がある.肺血流シンチグラム

    肺高血圧症確定

    胸部X線,胸部CT肺実質に所見あり

    肺疾患に伴う肺高血圧症

    動脈血ガス検査

    肺実質に所見なし高炭酸ガス血症あり

    肺胞低換気症候群に伴う肺高血圧症

    心エコー

    なし心疾患あり

    先天性心疾患,左心性心疾患に伴う肺高血圧症

    肺換気血流シンチグラム

    右心負荷所見以外の心疾患なし換気血流不均等あり

    肺塞栓症に伴う肺高血圧症

    膠原病の診断基準

    換気血流不均等なし満たす

    膠原病性肺高血圧症

    睡眠ポリグラフ検査

    満たさず無呼吸あり

    睡眠時無呼吸症候群に伴う肺高血圧症

    特発性あるいは家族性肺動脈性肺高血圧症

    なし

    図2 肺高血圧症の原因疾患の鑑別方法

    このフローチャートは,肺高血圧を来した原因疾患を鑑別する手順をできる限り簡略化して示しており,ここに示したような検査結果のみですべての症例の原因が確定するとは限らない.特に膠原病性肺高血圧症との鑑別では膠原病の診断が確定できない症例も多く存在しそういった症例では原発性肺高血圧症に準じて治療される.

    表6 心エコー・ドプラ法による肺動脈圧の評価

    三尖弁逆流速度   簡易ベルヌーイ式により右室収縮期圧を推定     RVSP = 4(VTR-P)2+RA     VTR-P : 最大三尖弁逆流速度,     RA : 右房圧(通常5 mmHgと仮定)肺動脈血流速度   Mid-systolic notch   PEP(pre-ejection period),AcT(acceleration time)   ET(ejection time)   PEP/ET,AcT/ET   簡易ベルヌーイ式により肺動脈拡張期圧を推定     PADP = 4(VPR-E)2+RVDPorRA     VPR-E : 拡張末期肺動脈血流速度     PADP : 肺動脈拡張期圧     RVDP : 右室拡張末期圧

  • 7Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    は血流障害部位の検出に用いられるが,肺実質障害部位でも血流欠損を生じ,胸部X線検査や胸部CT検査といったほかの画像や換気シンチグラムを併用する.肺塞栓症や血管炎といった肺血管が原因の場合には,他の画像で異常が認められず,血流障害部位のみが楔状血流欠損像として描出される.右心カテーテル検査 上記検査にて,肺高血圧の存在が確かなときには,血行動態を評価する上で施行される. もし安静時に右心カテーテル検査にて肺高血圧が認められない場合,肺血行動態を運動負荷中に測定することが勧められる.運動負荷にて肺高血圧が生じてくる患者に対しては,他の肺高血圧症患者と同様に扱う. [測定すべき項目]   右心房圧   右心室収縮期圧,拡張末期圧   肺動脈収縮期圧,拡張期圧,平均圧   肺毛細管楔入圧   全身および肺動脈酸素飽和度   心拍出量肺動脈造影 侵襲的検査法であり,他の診断方法の進歩に従って,その使用価値は相対的に低下しつつあるが,肺高血圧症をきたした原因の鑑別が困難な症例に対しては,肺血管の形態変化を観察するためのgold standardである. 但し,高度の肺高血圧を認める症例では,右室の予備能が乏しく,本検査に伴う致死的合併症の頻度も増加するため,必要な症例に限って,専門施設で十分注意して施行する必要がある. また,バルーンにより閉塞した肺動脈遠位部より手押しでゆっくりと少量の造影剤を注入するwedged pulmonary angiographyは,末梢の肺動脈の形態や病変を調べるのに有用である.肺生検 IPAH/FPAHの診断や肺高血圧症の重症度評価に用いられることがある.肺高血圧症の病理の項参照.

    5 肺高血圧症の機能分類

     現時点では,肺高血圧症の臨床症状に基づく重症度分類として,表7に示したNYHA心機能分類とWHO肺高血圧症機能分類の両者が用いられている.それぞれの分類で各重症度レベルの内容はほぼ同一であることより,本ガイドラインでは,肺高血圧症の機能分類として,NYHA心機能分類とWHO肺高血圧症機能分類を組み合

    わせてNYHA/WHO機能分類として用いることとした.

    6 肺高血圧症の病理

    1.肺動脈圧の上昇による肺高血圧1.1  IPAH/FPAH 閉塞性肺血管病変(先天性心疾患に詳述)2)が主体で発症と治療の違いから小児に多い若年型と大人に発症しやすい成人型に分けられる 3).しかしながら,これはあくまで病理組織学的な分類で若い人がすべて若年型で成人がすべて成人型であるとは限らない.若年型は原因不明の肺血管収縮のくり返しにより発症し,中膜の肥厚が先行するタイプで中膜の肥厚が高度になると血管攣縮により平滑筋細胞が壊死し血管炎を併発し中膜のフィブリノイド壊死 4)となる.その後閉塞性肺血管病変の完成像である叢状病変 5)に移行する.成人型は血管収縮はほとんどなく内膜病変が先行するタイプで初期には中膜の肥厚はほとんどみられず,内膜に線維性増殖がまず出現し,肺小動脈を閉塞し,最終的に叢状病変に移行する.

    1.2 APAH(a)膠原病 強皮症(SSc):間質の浮腫と引き続いての肺線維症によって肺胞壁は肥厚してくる.肺小動脈中膜の肥厚と,内膜の線維化による血管内腔の狭窄により肺高血圧症が進行してくる 6).さらに毛細血管やごく末梢の肺細小動脈閉塞により,肺血管抵抗は上昇してくるものの,叢状

    表7 肺高血圧症機能分類

    NYHA心機能分類Ⅰ度:通常の身体活動では無症状Ⅱ度:通常の身体活動で症状発現,身体活動がやや制限さ

    れるⅢ度:通常以下の身体活動で症状発現,身体活動が著しく

    制限されるⅣ度:どんな身体活動あるいは安静時でも症状発現

    WHO肺高血圧症機能分類Ⅰ度:身体活動に制限のない肺高血圧症患者

    普通の身体活動では呼吸困難や疲労,胸痛や失神など生じない.

    Ⅱ度:身体活動に軽度の制限のある肺高血圧症患者安静時には自覚症状がない.普通の身体活動で呼吸困難や疲労,胸痛や失神などが起こる.

    Ⅲ度:身体活動に著しい制限のある肺高血圧症患者安静時に自覚症状がない.普通以下の軽度の身体活動では呼吸困難や疲労,胸痛や失神などが起こる.

    Ⅳ度:どんな身体活動もすべて苦痛となる肺高血圧症患者これらの患者は右心不全の症状を表している.安静時にも呼吸困難および/または疲労がみられる.どんな身体活動でも自覚症状の増悪がある.

  • 8 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    病変など閉塞性肺血管病変の終末像を呈する事はほとんどない. 皮膚筋炎:SSCとほとんど同じ経過をたどるがそれほど高度の閉塞性肺血管病変をきたすことは少ない. 全身性エリテマトーデス:SLEの症例のなかには肺線維症に伴い肺血管病変として内膜のmyointimal cellの増殖や内膜の細胞線維性肥厚が起こり,ごくまれに壊死性血管炎から叢状病変に移行することがある 7).(b)先天性心疾患 心室中隔欠損症などでは肺血管に直接圧負荷がかかるため物理的な力によって血管障害を誘発し閉塞性肺血管病変 2)が出現する.肺小動脈中膜は圧負荷に対して適応できるように平滑筋細胞を肥厚させるので,肺動脈圧が上昇すれば中膜の肥厚も進行する.完全大血管転位症やダウン症を伴う先天性心疾患では圧負荷に対しても中膜は十分肥厚できず閉塞性肺血管病変が早期に発生してしまうので早期手術が望まれる 8),9).内膜病変は直径100μm付近の筋性肺動脈(いわゆる肺小動脈)に発生しやすく,内皮細胞の増殖が起こると続いて内膜の細胞性肥厚が出現する 10).内膜細胞はやがて内膜の線維性肥厚に移行する.内膜の線維性肥厚は通常血管内腔を同心円状に狭窄するように進行する 4).急激な進行により内腔が完全に閉塞し高い肺動脈圧を呈した場合,末梢の血管は内圧が減って中膜の肥厚が退縮する.この所見を絶対的手術不適応とよび根治手術は肺血流量が得られないので禁忌である 11).内膜の線維性肥厚が高度になると血管壁への酸素供給が断たれるためそこの中膜は壊死に陥る.血管内圧が高いため壊死化した部分の中膜は動脈瘤のように突出して叢状病変が形成されてくる.叢状病変は拡張した血管と内腔をもち,内腔にはいくつもの腔が小片によってしきられ,増殖した内皮細胞,平滑筋細胞,筋線維芽細胞,マクロファージなどを含有する.中膜のフィブリノイド壊死から移行することもある 12).叢状病変は拡張病変や肉芽腫様病変などとともに閉塞性肺血管病変の完成像とされている.閉塞性肺血管病変の完成像の特徴は一度閉塞した肺小動脈の内腔あるいは外膜の一層の組織を用いて,広く拡張した側副血行路を形成することである.これが完成した状態は血行動態的なEisenmenger症候群になぞらえて病理組織学的にEisenmenger肺とよんでいるが,手術は禁忌であり,手術をしなくとも長期生存が可能になる 13).こうした状態ではもともと血管でない一層の組織の中を血液が流れるため出血しやすくEisenmenger終末期での喀血の原因となる.抗凝固剤は肺出血との兼ね合いから慎重投与が望ましい.

     閉塞性肺血管病変の重症度については古来Heath-Edwards分類が使われてきたが 5),質的にしか重症度判定ができないので,肺生検による手術適応の決定に関しては数量的に適否の判定ができる index of pulmonary vascular disease(IPVD)が有用である 8).この方法は病理組織標本内のすべての肺小動脈に1から4点までのスコア(1点:内膜病変のないもの,2点:内膜に細胞性肥厚を伴うもの,3点:内膜に線維性肥厚を伴うもの,4点:内膜病変により中膜の壊死破壊を伴うもの,)をつけその相加平均をとるものである.絶対的手術不適応の症例でなければ疾患によって多少の差はあるものの2.1以下が肺高血圧症を伴う先天性心疾患の根治手術の適応とされている 11),14),15).絶対的手術不適応の症例やIPVDが高く根治手術不適応とされた症例でも側副血行路が完成しEisenmenger肺となれば長期生存は十分に可能であり,QOLもそれほど悪くはないのでいたずらに危険をおかして手術してはいけない. 心房中隔欠損症では閉塞性肺血管病変のほかに縦走平滑筋と弾性線維からなる筋弾性線維症と肺小動脈血栓症がみられる 16).どんなに高度の肺高血圧症を呈していても単独の筋弾性線維症または肺小動脈血栓症では術後経過は良く手術適応となる.閉塞性肺血管病変を合併した場合には側副血行路が完成していなければ手術適応である. 閉塞性肺血管病変の中膜の肥厚,内膜の細胞性肥厚,初期の内膜の線維性肥厚及び筋弾性線維症は可逆的病変であり術後退縮する可能性がある.一方,叢状病変など,より進行した閉塞性肺血管病変は不可逆的である 17).(c)その他に門脈圧亢進症や肝硬変,HIV感染や薬物による肺高血圧,新生児持続性肺高血圧,PVODなどによっても進行性肺血管病変が認められる.

    2.左心疾患による肺高血圧 僧帽弁狭窄症,閉鎖不全症などの後天性心疾患では肺静脈圧の上昇に起因する肺高血圧症により肺小動脈と肺静脈の中膜の肥厚が出現する.やがて肺小動脈,肺静脈の双方に内膜の線維性肥厚及び縦走平滑筋細胞の肥厚が起こってくる.まれに中膜の著しい肥厚が原因で血管炎から中膜のフィブリノイド壊死を生ずることはあるものの,肺血管を完全に閉塞し側副血行路を形成することはない.したがって,叢状病変や拡張病変など閉塞性肺血管病変の終末像をきたすことはまずない 4).このため高度の肺高血圧症を呈しても肺血管病変が原因で手術不適応とはならない 13).僧帽弁腱索断裂症の場合には突然肺高血圧症が発生するため正常の薄い肺小動脈中膜では高

  • 9Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    い血管内圧に適応できない.肺小動脈中膜の肥厚には2~3週間要するため内膜に縦走平滑筋細胞を急速に増殖させて血管壁の強化を計っている 13).心筋梗塞の心室中隔穿孔で突然肺高血圧症が発生する場合も同様で,初期にまず肺小動脈内膜に縦走平滑筋細胞の増殖がみられ,引き続いて中膜の肥厚がおこる.

    3.呼吸器疾患の低酸素血症による肺高血圧 COPD,睡眠時無呼吸症候群,肺胞低換気症候群など低酸素血症に起因する肺高血圧では通常肺動脈幹は大動脈より太く,肺小動脈中膜の肥厚は正常か軽度である.肺小動脈や細い肺静脈には低酸素血症からくる縦走平滑筋細胞の増殖が肺高血圧の程度に比例してみられる 18).また器質化した血栓に起因する偏在性の線維化が見られることがある.気管支拡張症では肺小動脈と気管支動脈との吻合による短絡がよく見られる.このため縦走平滑筋細胞の増殖や偏在性血栓の線維化がより高度に見られる.

    4.肺血栓塞栓症による肺高血圧 大量の血栓によって肺血栓塞栓症が急激に起こると時に高度の肺高血圧を伴うが70%以上の肺血管が閉塞すると生命の危険がある.慢性期には肺動脈内血栓の溶解に伴い肺動脈圧は低下する.主肺動脈などには大量の血栓が付着し,やがて器質化する場合がある.慢性化してくると時として器質化した塞栓が再疎通する.弾性動脈には新旧さまざまな血栓が認められるが,多くは徐々に線維成分に変化する.肺小動脈では肺塞栓の初期には線維芽細胞が内皮形成を伴った血栓の中に増えてくるが徐々に線維化してくる 4).肺小動脈の横断面には丘状に偏在した線維性肥厚や再疎通した中隔が認められる.血栓が器質化すると閉塞性肺血管病変の内膜の線維性肥厚と区別がつきにくくなる.

    5.肺血管の直接的な障害による肺高血圧 肺結核,サルコイドーシス,肺血管腫などにより2次的に肺高血圧をきたし,肺血管病変が発生することがある.

    Ⅱ 各 論

    1 肺動脈性肺高血圧症(PAH)

    A 特発性および家族性肺動脈性肺高血圧症(IPAH/FPAH)1.はじめに 本項は主にこれまで原発性肺高血圧症(PPH)として知られてきた疾患に対する治療ガイドラインについて解説する.ただ2003年に定められた肺高血圧症ベニス分類では,従来の孤発性PPHは特発性肺動脈性肺高血圧症(IPAH)に,家族性PPHは家族性肺動脈性肺高血圧症(FPAH)に名称を変更することが提唱された.そこで以後本稿では従来のPPHを意味する内容についてはIPAH/FPAHと記載することとする. IPAH/FPAHは従来,原因不明で放置すれば予後は極めて不良の,しかも有効な治療法が無い疾患として知られてきた.しかし近年本症の発症にかかわる新知見が相次いで報告され,加えて種々の作用機序を持つ治療薬が臨床応用可能となり,生体-死体肺移植も実施されつつある.そこで2003年のベニスにおける第3回肺高血圧症国際シンポジウムでは,これまで得られたエビデンスを基として,PAH治療ガイドラインが作成され(2004年ACCPガイドライン)19),さらに2007年6月には改訂版が公表された(2007年ACCPガイドライン)20).しかし本邦では十分な治療のエビデンスが無いため,独自のIPAH/FPAH治療ガイドラインを作成することは困難である.そこで本肺高血圧症治療ガイドラインは2007年ACCPガイドライン準じ,我が国に特有の知見や事情が存在する場合にはこれ追加して作成することとした.

    2.疫学,成因 疫学:海外の報告では,IPAH/FPAHの発症頻度は100万人に1~2人とされている 21).本邦の IPAH/FPAHの患者数については,厚労省が難治性疾患克服研究事業の一環として行っている原発性肺高血圧症:臨床調査個人票の集計結果を用いることが可能で,平成17年度の登録総数は853名であった.同年の本邦人口数でこれを補正すると,IPAH/FPAHの我が国での有病率は6.67人/100万人と算出される.

  • 10 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

     成因:IPAH/FPAHの発症機序は未だ明らかではないが,近年本症における遺伝子異常の検索が進み,海外ではFPAHの約50%に,IPAHの約20%にbone morpho-genetic protein receptor type 2 gene(BMPR2)の変異が存在することが報告されている 22),23).また,本来は遺

    伝性出血性毛細血管拡張症の原因遺伝子であるactivin receptor-like kinase 1 gene(ALK1) や 小 児 例 で は,endoglinの遺伝子異常が発見され,これらが本症発症の一因として認識されるようになってきた 24),25)

    表8 原発性肺高血圧症の診断の手引き

     原発性肺高血圧症は,本来,原因不明の肺高血圧症に対する臨床診断名である.その診断根拠としては,  ① 肺動脈性(又は前毛細管性)肺高血圧症及び/又は,これに基づく右室肥大の確認.  ② その肺高血圧が原発性であることの確認が必要である.〔肺動脈性肺高血圧及び/又は,これに基づく右室肥大を示唆する症状や所見〕(1)主要症状及び臨床所見  ① 息切れ  ② 疲れやすい感じ  ③ 労作時の胸骨後部痛(肺高血圧痛)  ④ 失神  ⑤ 胸骨左縁(又は肋骨弓下)の収縮期性拍動  ⑥ 肺高血圧症の存在を示唆する聴診所見    Ⅱ音の肺動脈成分の亢進,Ⅳ音の聴取,肺動脈弁弁口部の拡張期心雑音,三尖弁弁口部の収縮期心雑音(2)検査所見  ① 胸部X線写真で肺動脈本幹部の拡大,末梢肺血管陰影の細小化  ② 心電図検査で右室肥大所見  ③ 肺機能検査で正常か軽度の拘束性換気障害(動脈血O2飽和度はほぼ正常)  ④ 心エコー法にて右室肥大所見及び推定肺動脈圧の著明な上昇  ⑤ 腹部エコー法にて肝硬変及び門脈圧亢進所見なし  ⑥ 頸静脈波でa波の増大  ⑦ 肺血流スキャンにて区域性血流欠損なし(正常又は斑状の血流欠損像)  ⑧ 右心カテーテル検査で    (a)肺動脈圧の上昇(平均肺動脈圧で25 mmHg以上)    (b)肺動脈楔入圧(左心房圧)は正常(12 mmHg以下)〔原発性を推定するための手順〕 原発性肺高血圧症においては,ときに赤沈亢進・γグロブリン値の上昇・免疫反応の異常を認めることがあり,稀に関節炎・レイノー現象・脾腫などをみることもある. また,心肺の一次性又は先天性疾患が認められず,かつ肝硬変の存在も認められないもの.(3)除外すべき疾患 以下のような疾患は肺高血圧ひいては右室肥大,慢性肺性心を招来しうるので,これらを除外すること.  ①  気道および肺胞の空気通過を一次性に障害する疾患     慢性気管支炎・気管支喘息・肺気腫・各種の肺線維症ないし肺臓炎・肺肉芽腫症(サルコイドーシス・ベリリオーシス・

    ヒスチオサイトーシス・結核など)・膠原病・肺感染症・悪性腫瘍・肺胞微石症・先天性嚢胞性疾患・肺切除後・高度のハイポキシア(高山病・その他)・上気道の慢性閉塞性疾患

      ② 胸郭運動を一次性に障害する疾患     脊柱後側弯症・胸郭成形術後・胸膜ベンチ・慢性の神経筋疾患(ポリオなど)・肺胞低換気を伴う肥満症・特発性肺胞低

    換気症  ③ 肺血管床を一次性に障害する疾患     肺血栓症・肺塞栓症・膠原病・各種の動脈炎・住血吸虫症・鎌状細胞貧血・縦隔疾患による肺血管床の圧迫・肺静脈閉

    塞症(pulmonary veno-occlusive disease)  ④ 左心系を一次性に障害する疾患    各種弁膜症(ことに僧帽弁狭窄症)・左心不全  ⑤ 先天性心疾患    心房中隔欠損症・心室中隔欠損症・動脈管開存症・その他(4)診 断 以下の項目をすべて満たすこと.  ① 新規申請時    (a)(1)主要症状及び臨床所見の①~⑥の項目の3項目以上の所見を有すること.    (b)(2) 検査所見の⑦肺血流スキャン,及び⑧右心カテーテル検査の所見を有し,①~⑥の項目で3項目以上の条件を

    満たすこと.    (c)(3)除外すべき疾患のすべてを鑑別できること.  ② 更新時    (a)(1)主要症状及び臨床所見の①~⑥の項目の3項目以上の所見を有すること.    (b)(2)検査所見の④心エコーの所見を有し,①~③の項目で2項目以上の条件を満たすこと.    (c)(3)除外すべき疾患のすべてを鑑別できること.

  • 11Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    3.診断 IPAH/FPAHの診断は,1)肺高血圧の存在診断,2)肺高血圧を主徴とする疾患間における鑑別診断,3)治療方針決定のための重症度評価,の3種の要素から成り立っている.一般に受け入れられている IPAH/FPAHの診断のための肺高血圧の定義は,安静時の平均肺動脈圧(mPAP)≧25mmHgまたは運動時mPAP≧30mmHgで,肺動脈楔入圧≦12mmHgである 26).表8(臨床調査個人用における診断基準)には現在我が国で用いられている,厚労省難治性疾患克服研究事業で定められた本症の診断基準を示す. 肺高血圧の存在診断:病歴,主訴,身体所見,胸部単純X線写真,心電図などから肺高血圧の存在が疑われれば心エコー・ドプラ法を用いて肺高血圧の有無を検査する.本法は現在最も簡便に肺高血圧の存在を検出できる診断法である.病状・病態と肺動脈圧の半定量評価の結果からより精査が必要ならば,右心カテーテル法で肺循環動態諸量の直接計測を行い確定診断とする. 肺高血圧性疾患内の鑑別診断:胸部X線写真,呼吸機能検査(肺換気シンチグラムを含む),心エコー,必要ならばCT・MRIを用いて,肺高血圧の原因となる呼吸器疾患,心疾患の存在を診断する.ついで肺血流シンチグラムを行う.IPAH/FPAHの肺血流シンチグラムは,ほぼ正常かまたは肺野の一部に粗大な低潅流領域を示す所見,小斑状不均一分布(mottled patternと称される)を示す所見が特徴である.肺血流シンチグラムで多発性楔状欠損像を呈する症例は,多くは慢性肺血栓塞栓症に合併した肺高血圧例(血栓塞栓性肺高血圧症)である.肺動脈造影は,IPAH/FPAHの確定診断法としての意義は少なく,特に重症例では重篤な合併症の発症も報告され,特別な目的以外には検査適応とはならない.IPAH/FPAHと診断した症例については,病歴,身体所見,血液検査・免疫学的検査などから膠原病を,心エコー法で先天性心疾患を,腹部エコー検査等で門脈圧亢進症などのAPAHを再度鑑別し,IPAH/FPAHの確定診断を行う.IPAH/FPAHの確定目的での肺生検は,現在は特別な目的以外には実施されていない.第3回肺高血圧症国際シンポジウムの報告書では,IPAH/FPAHに関しては遺伝子診断も積極的に進めるべきとの勧告もなされている.

    4.予後,重症度評価 予後:未治療 IPAH/FPAHの予後は極めて不良で,成人例では発症後の平均生存期間は2.8年とされ 27),死因は突然死,右心不全,喀血が多い.小児の未治療 IPAH / FPAHの予後は成人に比しさらに不良で,平均生存期

    間が10ヶ月とされている 28). 重症度評価:IPAH/FPAHの治療方針を決定する際には,右心カテーテル検査による肺循環動態諸量の評価は極めて重要である.特に右房圧・肺動脈圧・肺血管抵抗値とともに混合静脈血酸素飽和度(SvO2)は治療方針を決定する際に有用である.しかし本検査は侵襲的検査であることから意味なく頻回に施行することは適切でない.運動負荷試験(6分間歩行試験)29),BNP30),血中尿酸値 31)などが,本症の重症度評価や治療効果判定,経過観察に有用であることが報告されている.

    5.治療 (表9) 我が国における IPAH/FPAH治療ガイドラインは,本来は本邦独自のエビデンスを基に作成することが理想である.しかし IPAH/FPAHは患者数が少なく,日本人のみを対象とした大規模臨床試験によるエビデンスを得ることは極めて困難である.欧米では2003年の第3回肺高血圧症国際シンポジウムにおいて,多くのエビデンスを基礎に本症治療の概要がまとめられ,2004年6月のJournal of the American College of Cardiology(JACC)誌 32),および同年7月にCHEST誌にACCP evidence-based clinical guideline として発表された 19).また2007年6月にはその後に得られたエビデンスにより修正が加えられた改訂版ガイドライン(Updated ACCP evidence-based clinical practice guideline,以後2007年ACCPガイドラインと略す)が公表された 20).即ち,2007年ACCPガイドラインは,現時点でのPAHに関するエビデンスを集約したものである.そこで,我が国の肺高血圧症治療ガイドラインも2007年ACCPガイドラインに準じ,しかし我が国に固有の処方可能な治療薬の差異などの事情を考慮して改変することが必要と思われる.尚,2007年ACCPガイドラインは2004年ACCPガイドラインの

    表9 IPAH/FPAHに対する治療

    ClassⅠ エポプロステノール (Level A) ボセンタン (Level A) 肺移植 (Level A) 在宅酸素療法 (Level C)ClassⅡa シルデナフィル(*) (Level A) 抗凝固療法 (Level B) Ca拮抗薬(*) (Level B) iloprost(*),treprostinil(*) (Level B) 一酸化窒素(NO)(*) (Level B)ClassⅡb ベラプロスト (Level B) 心房中隔裂開術 (Level B)

    * 2007年7月現在,本症に対し保険未承認の薬剤

  • 12 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    改訂版のため,内容は2004年版に比し簡略化されている.このため2007年度版には記載されていないが,治療に必要と思われる事項に関しては2004年版を引用し解説した. 図3に2007年ACCPガイドラインで推奨されたPAHの治療手順を示す.以下の解説において,治療の勧告程度は2007年ACCPガイドラインの内容を本ガイドライン表2に準拠したものに改変して記載した. IPAH/FPAHの確定診断と重症度評価が行われた後,ワルファリンを用いた抗凝固療法(禁忌でない場合,IPAH/FPAHに対して:ClassⅡa,APAH に対して:ClassⅡb,ただし専門家の意見のみ),利尿薬,酸素投与(ClassⅠ,ただし専門家の意見のみ)が行われる.ついで2007年ACCPガイドラインでは,治療方針確定の手順として急性肺血管反応性試験を行うことが推奨されている(IPAH/FPAHに対して:ClassⅠ,APAHに対して:ClassⅡb,ただし専門家の意見のみ).反応性(+)

    の症例についてはまず経口Ca拮抗薬が推奨される(IPAH/FPAHに対して:ClassⅡa,APAHに対して:ClassⅡa,ただし専門家の意見のみ).Ca拮抗薬治療開始後3ヶ月経過して,NYHAⅠ度またはNYHAⅡ度ならば本治療を続行する.Ca拮抗薬でNYHAⅠ~Ⅱ度を達成できない例は追加治療または治療薬の変更を考慮すべきである.2004年ACCPガイドラインでは血管反応性(-)例またはCa拮抗薬治療の無効例に対する治療薬として,ベラプロスト(経口),ボセンタン(経口),エポプロステノール(持続静注),treprostinil(持続皮下注,持続静注),iloprost(吸入)が採用されていた.2007年ACCPガイドラインでは,これにシルデナフィル(経口)が加わり,NYHAⅡ度例でシルデナフィル(ClassⅠ)などが,NYHAⅢ度例ではこれに加え,ボセンタン(ClassⅠ)かエポプロステノール(ClassⅠ)が適応とされ, NYHA Ⅳ度例も同様であるが,エポプロステノールの勧告度はClassⅠとボセンタンのClassⅡa

    General treatment measures : oral anticoagulants [Class a],diuretic, oxygen

    Symptomatic IPAH/FPAH

    Acute vasoreactivity testing [Class ]

    FC Ⅱ

    Sildenafil [Class ]Treprostinil SCTreprostinil IV

    Atrioseptostomyand/or

    Lung transplantation

    FC Ⅲ

    Bosentan [Class ]Sildenafil [Class ]

    Epoprostenol IV [Class ]Iloprost inh

    Treprostinil SCTreprostinil IV

    FC Ⅳ

    Epoprostenol IV [Class ]Bosentan [Class a]

    Iloprost inhSildenafil [Class b]

    Treprostinil SCTreprostinil IV

    (+)  (-)

    Oral CCB[Class a]

    No improvementor deterioration

    ContinueCCB

    SustainedResponse?

    Combination therapyProstanoid

    Bosentan Sildenafil

    ⅠⅠⅠ

    ⅠⅠ

    図3

    図は,IPAH/FPAHのみに限定した2007年ACCPガイドラインを示す.勧告の程度は原文を肺高血圧症治療ガイドラインで採用した勧告の程度(表2)に準じて改変した.本邦で入手困難な治療薬については省略した.

    PAH:肺動脈性肺高血圧症IPAH:特発性肺動脈性肺高血圧症FPAH:家族性肺動脈性肺高血圧症

    FC:機能分類,NYHA心機能分類とほぼ同じIV:静注SC:皮下注inh:吸入Oral CCB:経口カルシウム拮抗薬

  • 13Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    より優先度は高い.これらの内科治療に反応しない例は,2004年ACCPガイドラインでは心房中隔裂開術や肺移植の適応とされていたが,2007年ACCPガイドラインでは外科的治療法の前に,新たにプロスタノイド, ボセンタン,シルデナフィルの併用療法の概念が導入されている.2004年ACCPガイドラインでは採用されていたベラプロストは,2007年ACCPガイドラインでは削除されている. 図3の2007年ACCPガイドラインを利用する場合に幾つか留意すべき事項がある.まず2007年ACCPガイドライン作成の基礎となったエビデンスは IPAH/FPAHを対象とした検討から得られたものが主で,必ずしも膠原病,先天性心疾患,門脈圧亢進症などに合併するAPAHに対し,本ガイドラインを流用することが妥当とは限らない.最近では IPAH/FPAHと他のAPAH各疾患では,発症年齢や予後,肺血行動態に若干の相違が見られることが知られている.次に現時点では,我が国ではシルデナフィル,treprostinil,iloprostは未承認薬であり臨床応用は困難で,一方ベラプロストは国内臨床試験では有効性が示され治療薬として認められているため,本邦と欧米とでは使用可能な肺高血圧症治療薬に差異が存在する.さらに急性肺血管反応性試験についても,本試験は常に一定の危険性が存在し肺高血圧症の治療に精通した専門施設でのみ実施されることが強く推奨されているが,一方で本邦ではCa拮抗薬に反応する IPAH/FPAHの頻度は極めて少ない可能性が指摘されている.これらより,我が国では急性肺血管反応性試験を省略し,NYHAⅡ度~NYHAⅢのPAHに対しては,まず十分量のベラプロストまたはボセンタンを投与し,反応例に対しては同薬の継続を,非反応例およびNYHAⅣ度例ではエポプロステノール持続静注法が導入される場合が多い.種々の作用機序の治療薬の併用療法については,今後の課題となる.小児 IPAH/FPAHにおいても,ベラプロスト,エポプロステノール,ボセンタンが選択でき,今後シルデナフィルの臨床応用が期待されている.内科的治療法に反応しない例が心房中隔裂開術や肺移植の適応となる.

    1)抗凝固療法,酸素療法 PAH患者の肺血管には微小血栓が存在し,病態の形成と進展に肺動脈内の微小血栓が関与している可能性が示されている.IPAH/FPAH患者の生命予後に対するワルファリンの有効性の検討 33),34)から,IPAH/FPAH患者に対しては長期抗凝固療法の適応があるとされている.推奨される INRは1.5-2.5とされるがエビデンスはない.

    逆短絡を伴う先天性心疾患合併の肺高血圧症では奇異性塞栓症を考慮しワルファリンの適応とされるが,喀血の危険性も高くなる.門脈圧亢進症による肺高血圧症では食道静脈瘤による消化管出血に注意する.エポプロステノール持続静注法中のPAHでは,カテーテルの血栓症を予防する目的で抗凝固療法が行われる場合がある. 酸素療法は予後延命効果に関して十分なエビデンスは示されていない.しかし専門家の意見として,低酸素性肺血管攣縮による肺高血圧の軽減や自覚症状,運動耐容能の改善を目的として酸素療法(在宅酸素療法)が行われる場合が多い.酸素投与量はSpO2>90%を目標とする.

    2)急性肺血管拡張試験とCa拮抗薬 急性肺血管反応性試験は,基本的にはCa拮抗薬の有用性を探る試験であり,血管反応性があればCa拮抗薬で長期予後が期待できる 33),35).病状が不安定で重症右心不全を呈している IPAH/FPAH患者は,元来Ca拮抗薬の効果を期待することは困難で,急性肺血管反応性試験の実施自体も危険性が高いことに留意されたい.急性肺血管反応性試験には,NO吸入 36),エポプロステノール持続静注 37),アデノシン 38)などが用いられている.「平均肺動脈圧が10mmHg以上低下して40mmHg以下となり,心拍出量が不変または増加すること」が最近合意された肺血管反応(+)とする基準である 20). これまでの急性肺血管反応性試験において反応性(+)と判定された症例の比率は,Ca拮抗薬を試験薬とし平均肺動脈圧および肺血管抵抗が20%以上低下したものを有意と定義したRichらの報告では26.5% 33)であった.また近年のSitbonらの IPAH,557例についての検討では,NOまたは静注エポプロステノールを用い,Rich等の報告と同じ判定基準を用いた場合12.6%とされ,この内の約半数(対象の6.8%)がCa拮抗薬で1年以上臨床症状は安定していた 35).ただ急性肺血管反応試験の非反応例に対するCa拮抗薬治療は無効であり,逆に重篤な合併症が生じる場合があるので安易なCa拮抗薬の長期投与は慎むべきである.

    3)エポプロステノールおよびその類似体 Prostacyclinは1976年に発見されていた血管内皮で産生される生理活性物質で,強力な肺血管拡張作用と血小板凝集抑制作用を有し,さらに血管平滑筋増殖抑制作用を持つと考えられている 39).これまで IPAH/FPAHでは血中prostacyclinの減少と thromboxaneの増加が報告され 40),さらにはprostacyclin合成酵素の発現低下 41)も存

  • 14 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    在し,これが本症発症の一因である可能性が示唆されてきた.そこでprostacyclinの投与は本症の基本的な治療手段となり得る可能性が予測された.このprostacyclinを合成したものがエポプロステノールである.現在,IPAH/FPAHの治療薬として臨床応用されているエポプロステノール関連薬剤には,持続静注法で用いられるエポプロステノール,主として持続皮下注射で用いられるtreprostinil,吸入薬の iloprost,経口薬のベラプロストがある.エポプロステノール 現在,PAHに対する内科的治療法としては最も有効性が高い治療法である.エポプロステノールの IPAH/FPAHに対する臨床応用は1980年にすでに症例報告があるが 42),その後長期エポプロステノール持続投与で病態が改善した一例報告がなされ 43),幾つかの多施設共同の臨床試験で治療効果が確認されたため 44),45),1995年米国食品医薬品局(FDA)は IPAH/FPAHに対する初の治療薬としてエポプロステノールを認可した.1996年,多施設共同の大規模前向き無作為化試験で,運動耐容能の増加と肺血行動態,予後改善効果が証明され 46),本治療法の IPAH/FPAHに対する標準治療法としての位置づけが確定した.さらに1998年の急性肺血管拡張効果が見られない症例でもエポプロステノールの慢性投与により病状改善効果が認められるとの報告 47)は,本薬剤が血管拡張作用効果以外の作用機序を持つ可能性を示唆し注目されている.エポプロステノール持続静注法はFDAの認可からすでに10年が経過し,薬効については十分なエビデンスが蓄積されている.エポプロステノール持続静注法は膠原病に合併するPAHに対しても有効との報告がある 48).IPAH/FPAHを対象としたエポプロステノール持続静注法の長期予後は,1年目,2年目,3年目の生存率はそれぞれ87.8,76.3,62.8%(自然歴は58.9,46.3,35.4%)と報告されている 49).小児 IPAH/FPAHでの1,5,10年治療成功率は93%,86%,60%であり,他の治療法や移植を併用した生存率は97%,97%,78%である 50).また特にNYHAⅢ~Ⅳ度の重症 IPAH/FPAHに限定した検討でも,1年目,2年目,3年目,5年目の生存率はそれぞれ85,70,63%,55%と良好である.ただし治療開始時に右心不全の既往,NYHAⅣ度,6分間歩行(250m以下),肺血行動態では右房圧>12mmHg,PAPm>65mmHgは長期予後不良を示唆する所見であり,また治療開始3ヶ月後に右心不全 NYHA Ⅲ~Ⅳの持続,総肺血管抵抗値の低下が30%以下も予後不良のサインであり,肺移植の適応である 51). 2004年ACCPガイドラインでは,エポプロステノー

    ルの実際の運用に関しては以下の様に記載されている.即ち,エポプロステノールは1~2ng/kg/minの微量から開始し,副作用と容認性を考慮しつつ1~2ng/kg/minずつ徐々に増量する.通常,各々の患者に関しては,それ以上増加の必要性がない投与量が存在すると推定され,これは個人差は大きいが,20~40ng/kg/minの間に存在する場合が多い.重篤な副作用としては,投与量が過量の場合に体血圧低下が生じる.軽微な副作用に関しては,頭痛,発赤,最初の咀嚼時の下顎痛,下痢,斑状紅斑などが見られるが,通常は濃度依存性で減量により消失する.長期にわたり至適量以上投与している場合にはhyperdynamic high output cardiac failureが生じる可能性がある.急なエポプロステノールの投与停止は rebound から shock,突然死にいたる可能性があり行ってはならない.実際の治療では各症例に応じた維持量を設定が必要であるが,その決定には高度の専門性が要求されるので,本治療は肺高血圧症の治療に精通した施設で,熟練した内科医と看護師のもと行われるべきであることが強調されている.ベラプロスト ベラプロストは日本で開発され1995年より治療に用いられている最初の経口摂取可能なエポプロステノール類似体である.本邦では2つの後ろ向きの非無作為化試験の成績にて肺血行動態と予後の改善が報告され 52),53),比較的軽症の IPAH/FPAHでは広く処方されている.しかし海外における2つの無作為化二重盲験試験の結果では,6分間歩行による運動耐容能の短期改善効果は認められるが,肺血行動態や予後の改善は確認されていない54),55).このため残念ながらベラプロストは2007年ACCPガイドラインからは削除されている.ベラプロストは最大180μg/日(分3)まで処方可能である.treprostinil・iloprost treprostinilは持続皮下注射で,iloprostは吸入で用いられるエポプロステノール類似体で,前者は2002年5月に後者は2004年12月にそれぞれFDAから治療薬としての承認が得られている.しかし両者は本邦では現在未承認で治験も行われていないので,本薬剤の詳細は割愛する.

    4)エンドセリン受容体拮抗薬 エンドセリン(ET)は,1988年に本邦の真崎・柳沢らによって発見された強力で,持続的な血管収縮作用を有する物質である.ETにはET-1,ET-2,ET-3のイソペプチドが存在する.ET-1は広く体内に発現するが,肺組織での濃度が最も高く,強力な血管収縮作用と平滑筋

  • 15Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    の分裂促進作用を有する.PAHでは血漿中や肺組織でET-1の発現と産生が亢進し,その程度と肺高血圧の重症度とに相関が見られる.そこで,PAHの発症または病態の維持(血管緊張度の亢進と肺血管増殖など)にET-1が寄与している可能性があり,ETの作用を阻害するET受容体拮抗薬はPAHの治療薬として期待されている.ET受容体にはET-1に選択的なETA受容体と非選択的なETB受容体が存在し,ETAと ETB両者の受容体拮抗薬(ボセンタンなど)と,選択的ETA受容体拮抗薬(ambrisentan,sitaxsentanなど)が開発されている.ボセンタンは,2001年に機能分類Ⅳ度を除く重症PAHを対象とした多施設共同無作為化二重盲検試験が行われ,NYHA機能分類や運動耐容能の改善(6分間歩行),肺循環動態の改善が得られ,観察中に死亡例や移植例は発生せず,その有効性が確認された.また副作用として肝機能障害の増加が見られたが,投与量の減量で軽快し可逆的であったことが報告された 56).ついで2002年に第二の大規模二重盲検試験も行われ,16週間の観察期間で同様の結果が得られた 57).そこで本薬は,米国では肝機能検査を一月に一回行う条件で2001年11月に,英国・ドイツでも2002年に認可された.ボセンタンは,本邦でも2005年7月にPAH治療薬としての承認が得られ,臨床応用が開始されている.IPAH/FPAHに対するボセンタンの長期予後改善効果については,本薬を第1次選択薬とした場合の1年生存率,2年生存率はそれぞれ96%,89%との報告がある 58).またNYHA Ⅲ度の重症IPAHにボセンタン治療を行った成績でも1年生存率,2年生存率はそれぞれ87%,75%と,エポプロステノール治療群に比して遜色の無い治療成績が得られている 59).ボセンタンは成人では最大 250mg/日(分2)で用いられる.小児での用量設定が確立されていないが,体重10kg~40kgでは,1.5-3.1mg/kgx2回 /日の投与で,4か月後には心係数,平均肺動脈圧,肺血管抵抗の改善がみられている 60),61).

    5)Phosphodiesterase type 5阻害薬(PDE5阻害薬) シルデナフィルはPDE5阻害薬で,cGMPの分解を抑制する.cGMPは肺血管緊張度を低下させ増殖を制御する役割を担う重要な物質であることから,PDE5阻害薬は肺高血圧症治療薬としての可能性が検討されるようになった.そして2002年の少数例の検討ではあるが,シルデナフィルのPAH患者の肺血行動態を改善する急性効果が確認された 62).その後の無作為化プラセボ対照二重盲検試験の結果,肺循環動態の改善と6分間歩行の増加が得られ 63),シルデナフィルは米国では2005年6月,

    欧州でも同11月に治療薬として正式に承認されている.シルデナフィルは小児領域でも有効例の報告があり,1mg/kgから4mg/kg/日,分4で,6分間歩行距離の増加,肺血管抵抗と主肺動脈圧の低下が得られている 64),65).

    6)Combination治療 様々な作用機序の治療薬の出現に伴い,高血圧症や癌治療における治療法と同様コンビネーション治療の可能性についての関心が高まってきた.コンビネーション治療により薬効の相乗効果,相加効果が期待できる場合もあれば,投与量を減量し副作用が軽減させることができる可能性も期待できる.現在,PDE5阻害薬とエポプロステノールおよびその類似体との併用や,エポプロステノール持続静注法とボセンタンの併用治療の研究(BREATHE-2研究)も進んでいる 66).

    7)外科療法 心房中隔裂開術:卵円孔開存を合併する IPAH/FPAHは,非合併例より予後が良いことから,本手術法が発想された 67).心房中隔裂開術の手術死亡率は13%,30日生存率は82%とされるが,成績は報告によって一定していない.SpO2<80%の例,高度右心不全例は死亡率が高い.本法は他に採用し得る治療法が無いか,他の全てに治療に反応しない場合に限定すべきとされている68). 肺移植:あらゆる内科的治療に反応しないNYHAのⅢ~Ⅳ度の患者例が移植適応と考えられる68).欧米では,IPAH/FPAHは肺移植適応疾患の10%未満であるのに対して,日本では最も頻度が高いと予測されている 69).IPAH/FPAHに対する肺移植の5年生存率は通常50%未満で,他の疾患に対する肺移植よりも成績は劣るが,症例数の多い施設の成績は良好である 70).肺移植の術式には片肺移植,両肺移植,生体肺葉移植があるが,IPAH/FPAHに対しては両肺移植が標準術式となりつつある.生体肺葉移植も体格の小さいレシピエントには可能である 71).左室駆出率が35%以下に低下している IPAH/FPAH患者では,心肺移植が適応である可能性がある72).IPAH/FPAHに対する肺移植では,ワシントン大学が提唱したガイドラインが広く使用されてきたが(表10),近年,国際心肺移植学会も肺移植ガイドラインを発表している 73).本邦では肺移植を希望する IPAH/FPAH患者は,専門医によって エポプロステノールを含めた可能な限りの内科的治療を受け,その上で移植認定施設での適応検討,中央肺移植検討委員会で承認を受けた後,日本臓器移植ネットワークに登録される手順とな

  • 16 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    っている.

    8)特殊な状態小児に特有な肺高血圧症:新生児持続性肺高血圧症(Persistent Pulmonary Hypertension of the Newborn:PPHN) PPHNは,肺血管抵抗の著しい上昇,心房または動脈管のレベルの右左短絡,高度の低酸素血症が特徴である.しばしば,肺間質性疾患(胎便吸引症候群,肺炎,敗血症),肺低形成,胎内での周産期ストレス,低血糖,胎児仮死,肺血管適応不全に合併する.多くは一過性であるが,一部では致死的である.IPAH/FPAHの一部には既に出生後から肺病変が存在する例があり,必ずしも後天的でない可能性が存在する.病理学的には末梢細小動脈の異常な筋性化が特徴である.治療はNO吸入かエポプロステノール静注が必要となり,最近ではPDE5阻害薬も有効であることが示されている.しかし,PDE5阻害薬は新生児,乳児では網膜への影響が存在する可能性があり注意する.重症例ではECMOが必要である.最近の死亡率は<20%である 74). 妊娠:多くの IPAH/FPAH患者は妊娠可能年齢の女性であり,妊娠中に本症が発見される場合も多い.Eisenmenger症候群の妊娠死亡率は36%,IPAH/FPAH は30%,他のAPAHでは56%と報告され 75),避妊か早期の中絶が推奨される 76).しかしエポプロステノールの長期持続静注法やNO,Ca拮抗薬で出産に成功した報告もある. 門脈圧亢進症:慢性肝疾患で肺血管病変合併例には,肝肺症候群(hepatopulmonary syndrome)と門脈圧亢進症に合併する肺高血圧症(portopulmonary hypertension)があるがその発生機序は不明である.門脈圧亢進症は,初期には肺高血圧は存在するものの比較的高心拍出量状態にあるが,末期は IPAH/FPAHに類似した病態となりエポプロステノール持続静注法の適応となる 77). 以上2004年ACCPガイドライン,2007年ACCPガイドラインについて一部改編して解説した.ただ本疾患は,現在その疾患概念や治療法の変化が極めて大きく,また個々の病態も極めて多彩である.したがって本ガイドラ

    インを参考としつつも,教条的にガイドラインに準じるのでは無く,各症例の病態を正確に把握し適切な治療法の選択を行う努力を欠いてはならない.

    B 各種疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症(APAH)

    B-1)膠原病性血管疾患に伴う肺動脈性肺高血圧症

    1.要旨 膠原病には肺高血圧症がしばしば合併する.それには,他に誘因がみられない IPAH/FPAH様の肺高血圧症,肺血栓症や間質性肺炎などに続発しておこる肺高血圧症などに大別される. 膠原病合併肺高血圧症の病態改善のための治療は,内科的には血管拡張薬,強心薬,抗凝固薬などがある.これらの投与は,IPAH/FPAHあるいは,慢性血栓性および/または塞栓性疾患における肺高血圧症の治療指針に準じて行われる. しかしながら膠原病合併肺高血圧症に対して,ステロイド薬や免疫抑制薬の投与が有効であったとの報告も見られる.また,膠原病合併肺高血圧症は膠原病という基礎疾患を有しているため,肺高血圧症発症前より定期的に経過観察されていることもあり,肺動脈圧が比較的低く,肺高血圧症に由来する臨床症状・所見が出現する前に肺高血圧症が発見されることもある.短期間(1年間)の経過観察ではあるが,心エコーによる推定肺動脈収縮期圧40mmHg以下の患者では肺動脈圧の増悪はなく,肺高血圧症に由来する症状・所見も有さないことより,積極的な治療対象とすべきは,肺動脈収縮期圧40mmHg以上の肺高血圧症との報告がある.これらについては今後のさらなるエビデンスの集積が必要である.

    2.疫学,原因1)膠原病に合併する肺高血圧症の疫学 膠原病の肺高血圧症合併率についてはいくつかの報告がある(表11)が,施設や症例の収集条件の相違により差が見られる.代表的なデータとして,1998年度の「厚生省特定疾患皮膚・結合組織調査研究班混合性結合組織病分科会」での調査成績 78),2003年度の「厚生労働科学研究免疫アレルギー疾患予防・治療研究事業,全身性自己免疫疾患における難治性病態の診断と治療法に関する研究」での調査成績 79)を示す.前者は日常診療のなかで主治医が肺高血圧症を合併していると認識している患者に関する調査であり,後者はMCTDに合併する肺高血圧症のスクリーニングのための診断の手引き 80)

    表10 IPAH/FPAHに対する肺移植適応基準

    ワシントン大学 国際心肺移植学会

    NYHA機能分類 Ⅲ~Ⅳ Ⅲ~Ⅳ

    中心静脈圧 >10 mmHg >15 mmHg

    平均肺動脈圧 >50 mmHg >55 mmHg

    心 係 数 <2.5 L/min/m2 <2.0 L/min/m2

  • 17Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    肺高血圧症治療ガイドライン

    (MCTDにおける肺高血圧症の診断基準)(表12)に基づき,心エコー検査を原則的に施行することを前提とした調査(施行率35.9%)である.前者ではMCTD 7.0%,SSc 5.0%,全身性エリテマトーデス(SLE)1.7%,多発性筋炎・皮膚筋炎(PM/DM)0%,重複症候群5.4%に肺高血圧症の合併がみられた.後者ではMCTD 16.0%,SSc 11.4%,SLE 9.3%,PM/DM 1.5%に肺高血圧症の合併がみられた.いずれもMCTDやSScなど強皮症スペクトラムの疾患群で高率であった.後者では肺高血圧症合併40例中19例で肺高血圧症に由来する臨床症状・所見を認めず,心エコー検査を施行しなければ発見されなかったと思われる. 一般に肺高血圧症の予後は著しく不良である.また,予後良好と考えられていたMCTDの最大の死因が肺高血圧症であることも判明している.1997年度の「厚生省特定疾患皮膚・結合組織疾患調査研究班混合性結合組織病分科会」での調査 81)ではMCTDに合併する肺高血圧症を解析すると,予後が比較的良好な群と通常の肺高血圧症と同様予後不良な群に分けられることが判明し

    た.予後悪化因子として,分割表法では肺線維症,肺拡散能障害,労作時胸骨後痛,胸骨左縁収縮期雑音,疲れ易さ,筋逸脱酵素上昇があった.また,多変量解析では多発関節炎,肺高血圧症の確診例,筋逸脱酵素上昇,SSc関連の皮膚病変が抽出された.さらに,PM/DMの診断基準を満たす例の生命予後は不良であった.2)膠原病に合併する肺高血圧症の原因 膠原病合併肺高血圧症を発症機序の上から,①何らかの免疫異常に起因する血管炎が誘因として推測されるが,その他には明らかな誘因はなく,肺動脈末梢での内腔の狭窄,閉塞によるもので IPAH/FPAHと類似の病態と考えられるもの(膠原病に合併する肺高血圧症の主要病態),②抗リン脂質抗体症候群や高安動脈炎などによって肺動脈に慢性血栓塞栓症が生じ,その結果肺高血圧症が続発してくるもの(慢性マクロ肺血栓塞栓症およびIPAH/FPAHと鑑別不可能な慢性ミクロ肺血栓塞栓症がある.),③SScなどにしばしば合併する間質性肺炎(肺線維症)が肺血管床を減少させるような重度な場合にそれに続発してくるもの(実際には間質性病変が強くてもあまり肺動脈圧は上がらない),④高安動脈炎やSLEで報告のある肺動脈末梢の血管炎によるもの,に大別される.

    3.診断方法1)膠原病の診断 各種膠原病には,それぞれ分類基準が作成されているので,それを参考にして診断をすすめる.2)肺高血圧症の診断 膠原病の中でも,MCTDやSScなどの,いわゆる,強皮症スペクトラムの疾患や,SLEでは肺高血圧症を合併しやすい傾向がある.その肺高血圧症の診断のためには,労作時の息切れ,顔面や下肢の浮腫,Ⅱ音肺動脈成分の亢進などの自他覚症状の有無が重要である.それがない場合でも必要に応じて,胸部X線写真,心電図検査,心エコー検査などの肺高血圧症のスクリーニング検査を施

    表11 膠原病における肺高血圧症の出現率

    慶大内科 自治医大アレ・膠科

    福島医大第2内科

    MCTD班内PH合併率調査

    全身性自己免疫疾患班内PH合併率調査

    1984 1984 1995 1998 2003

    MCTD 5/35(14.3%) 1/8 (12.5%) 4/26(15.4%) 16/230(7.0%) 8/50(16.0%)

    SSc 6/83 (7.2%) 2/28 (7.1%) 1/17 (5.9%) 26/320(5.0%) 12/105(11.4%)

    SLE 5/314 (1.6%) 4/84 (4.3%) 4/64 (6.3%) 14/847(1.7%) 18/194 (9.3%)

    PM/DM - 0/10 (0%) 0/15 (0%) 0/154 (0%) 1/66 (1.5%)

    Overlap 15/43(34.0%) 5/17 (29.4%) - 2/37(5.4%) -

    RA - 0/78 (0%) 0/72 (0%) - -

    表12 MCTD肺高血圧症診断の手引き

    Ⅰ.臨床および検査所見  1.労作時の息切れ  2.胸骨左縁収縮期性拍動  3.第2肺動脈音の亢進  4. 胸部X線写真で肺動脈本幹部の拡大あるいは左第2

    弓突出  5.心電図所見上右室肥大あるいは右室負荷  6.心エコー所見上右室拡大あるいは右室負荷Ⅱ.肺動脈圧測定  1. 右心カテーテル検査で平均肺動脈圧が25 mmHg以

    上  2. 心エコー・ドプラ法による右心系の圧が右心カテー

    テルの平均肺動脈圧25 mmHg以上に相当診断: MCTDの診断基準を満たし,Ⅰの4項目以上が陽性,

    あるいはⅡのいずれかの項目が陽性の場合,肺高血圧症ありとする.Ⅰの3項目陽性の場合,肺高血圧症疑いとする.

    除外項目  1)先天性心疾患      2)後天性心疾患      3)換気障害肺性心

  • 18 Circulation Journal Vol. 71, Suppl. IV, 2007

    循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2005 年度合同研究班報告)

    行することが望まれる. WHO82)でも強皮症スペクトラムの疾患では無症状でも年1回の心エコー検査によるスクリーニングをすすめている.肺高血圧症が疑われる場合には,右心カテーテル検査による肺動脈圧,肺血管抵抗などの測定が必要である. 安静時の平均肺動脈圧が25 mmHg以上をもって肺高血圧症と診断する. 右心カテーテル検査の施行が事情によってできない場合を含めて,膠原病(特にMCTD)に合併する肺高血圧症のスクリーニングのための診断の手引き 80)(MCTDにおける肺高血圧症の診断基準)(表12)が提唱されている.3)肺高血圧症発症機序の鑑別 肺高血圧症発症機序が IPAH/FPAH様のものと,慢性肺血栓塞栓症や間質性肺炎(肺線維症)などに続発したものとを鑑別しておくことが治療上必要である.そのためには,肺換気血流シンチグラムでの多発性の血流欠損により慢性肺血栓塞栓症の合併,胸部X線写真や胸部CT所見などにより間質性肺炎(肺線維症)の合併の有無をみておくことが重要である.

    4.膠原病合併肺高血圧症の治療(表13) 膠原病合併肺高血圧症の治療は発症機序に基づき,IPAH/FPAH様の肺高血圧症,慢性肺血栓塞栓症に合併する肺高血圧症,間質性肺炎(肺線維症)に合併する肺高血圧症などと異なる.それら肺高血圧症の病態改善の治療はそれぞれ IPAH/FPAH(図3),慢性血栓性および/または塞栓性疾患における肺高血圧症,間質性肺疾患

    に伴う肺高血圧症に記述されている治療指針に準じておこなわれる.詳細はそれらの章を参照されたい. 膠原病では肺高血圧症以外の臓器病変に対してステロイド薬が投与され,活動性が強く難治性の場合にはステロイドパルス療法や免疫抑制薬の併用などがおこなわれる.また,膠原