鈴鹿市考古博物館では,毎年市内遺跡の発掘調査の成果を...
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鈴鹿市考古博物館では,毎年市内遺跡の発掘調査の成果をいち早く皆さまにお知らせす
るため,速報展「発掘された鈴鹿」を開催しています。
2011 年は 8 遺跡(12 調査区)で発掘調査を行いました。発掘調査はその目的によって,
考古学の研究上必要とされる場合に行われる学術調査と,開発などの工事のために壊され
る場合に行われる緊急調査の 2 種類に分けられます。遺跡は現状のまま後世に残すのが望
ましいのですが,開発に伴いやむなく壊される場合も少なくありません。市内では 7 遺跡
が緊急調査によるものでした。
速報展では,出土した遺物とともに,発掘調査現場の様子や遺物の出土状況,遺構の詳
細などを写真パネルや図面で紹介いたします。
この機会に,郷土の貴重な文化遺産に触れ,その保護への取り組みについてご理解いた
だけましたら幸いです。
磐城山遺跡 竪穴住居 SH0428・29(南から)
平ひ ら た
田遺跡 第 22 ~ 24 次 平田本町一丁目・弓削一丁目
第 22 次作業風景
22次 11 月 18 日~ 2月 25 日 平田送水場改築に伴う緊急調査
23 次 4 月 12 日~ 4月 15 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
24 次 9 月 14 日~ 9月 27 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
第 22 次 SK22015 土器出土状況
第 22 次主要遺構平面図 S=1:1,000
トレンチ 1
トレンチ 2
-123780
-123790
-123800
-123810
-123820
-123830
-123840
-123850
-123860
49220 49230 49240 49250 49260 49270 49280 49290 49300 49310
1 区
2 区
3区
SD22001
SD22002
SX22003 SK22004
SX22005
SD22006
SD22007
SK22008
SK22009
SK22010
SD22011
SD22012
SH22013
SX22014SK22015
SX22016SD22017
SD22018
SX22019 SK22020SD22021
SD22022
SK22023
SX22024
SX22025
SD22026
SD22027
SD22028
SK22029
SK22030SX22031
SB22032
SB22033
SB22034
P94
平田遺跡第 22次遺構平面図(S=1:400)
0 40m20m
第 22 次 1 区作業風景(西から)
平田遺跡は,鈴鹿川右岸の河岸段丘上に位置します。これまでの調査で,方ほうけいしゅうこうぼ
形周溝墓,古墳時
代から平安時代頃の集落跡,道路状遺構,中世の建物跡などを確認しています。格式の高いとさ
れる四しめんひさしつき
面廂付掘立柱建物や道路跡の検出,円えんめんけん
面硯等の出土により,官か ん が
衙関連施設や有力豪族の居
宅が想定されています。『続日本後紀』には平安時代前期頃の当地に川かわまたのあがたのみやつこ
俣 県 造の一族が居住し
ていたとの記述があり,川俣氏との関係も考えられる遺跡です。
22 次調査では,溝及び竪穴住居,掘立柱建物,土ど こ う
坑,ピットなどを検出し,縄文土器,弥生土器,
土は じ き
師器,須す え き
恵器,山やまぢゃわん
茶碗,山皿などが出土しました。2 区北部のピット群からは比較的多くの縄
文土器が見つかり,縄文時代の遺構が存在した可能性も検討されています。23 次調査では,中世
の陶器や山茶碗・山皿などが出土し,24 次調査では方形周溝墓を検出しました。
第 22 次トレンチ 2西部(西から)
第 22 次調査区全景(北から)
磐ばんじょうざん
城山遺跡 第 3次- 2期,第 4次 木田町字上條
3次 -2 期 2月 1日~ 3月 31 日 農地改良工事に伴う緊急調査
4次 4 月 4 日~ 10 月 2 日 農地改良工事に伴う緊急調査
第 4次調査区全景(北西から)
磐城山遺跡は,鈴鹿川左岸の丘陵上に位置する弥生時代後期後半を主体とする遺跡です。この
遺跡が立地する高岡丘陵上には,青あおだに
谷遺跡,扇おぎぶる
広遺跡,中なかおやま
尾山遺跡,寺てらやま
山遺跡など弥生時代の遺
跡が多く所在します。
1 ~ 3 次調査において,弥生時代後期及び古墳時代後期の竪穴住居が 100 棟ほど確認されてい
ます。4 次調査でも竪穴住居 16 棟以上を確認しました。今回の 4 次調査で,弥生時代後期前半の
竪穴住居 2 棟が見つかり,この遺跡がこれまで考えられていたより 100 年ほど時期が古くなるこ
とがわかりました。そのほか遺構として,掘立柱建物,土坑,多数の溝と柱穴を検出しました。
遺物では,弥生土器,土師器,須恵器,灰かいゆうとうき
釉陶器,山茶碗,石器などが出土しました。
第 4 次 SH0455 土器出土状況 第 4次作業風景
第 4次 SD0427 土器出土状況
第 3 ・ 4 次調査区遺構平面図 S=1:300
X=-121,800
X=-121,810
X=-121,820
X=-121,830
Y=5,250Y=5,260Y=5,270
Y=5,280Y=5,290
SD22
SD32
SD33
SD25
SD27 SD36/38
SD30
SD35
SD31
SD45 SD29
SD45
SD29
SD34
SD39 SD49
SD51
SD54
SD92
SD63
SD64
SD67SD70
SD71
SD50
SD60
SD57
SD46
SD59
SD42 SD90
SD46
SD58
SD62SD52
SD89
SD88
SD82
SD81
SD76
SD75
SD74
SD73 SD77
SD26SD08
SD83SD117
SD120
SD82
SD96
SD108
SD114
SD99
SD102
SD95
SD101
SD119
SD105
SD106
SD116
SD107
SD122
SD129
SD121
SD123
SD124
SD125
SD131
SD127
SD128
SD142
SD143
SD144
SD110
SD111
SD132SD135
SD139
SD138
SD100
SD140
SD137
SD104
SD103
SH19
SH10/93
SH07/12
SH65
SH69SH72
SH47
SH44/56/61SH40/41
SH05
SH84
SH85
SH80
SH79
SH86/87
SH20 SH98
SH143
SH111
SH127/128
SH134
SH133
SH138/139
SB101SB102
磐城山遺跡第3・4次調査区遺構平面図(S=1/200)
0 100m
SX68
SX53
SX28 SK78
SK41
SK118
SK113
第 4次土器出土状況
SH03111 出土ナイフ形石器
10m0
須す か
賀遺跡 第 6次 須賀一丁目
10月 3日~ 12 月 22 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
Y=53720 Y=53730 Y=53740 Y=53750 Y=53760
X=-123360
X=-123350
X=-123370
X=-123380
X=-123390
X=-123400
X=-123410
0 10m
X=-123370
X=-123380
X=-123390
X=-123400
X=-123410
Y=53740
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SX09
SK05
SK07SK01
SK04
SK02
SK03
SK08
SX14
SX15
SX16SX19
SX21
SX10
SH11SK17
SK18
(SK20)
SX25SE26
SX30
SD27
SR33
SD37
SD29
SK35SK36
SB13
SB22
SD28
SD31
SD32
SA12
試掘トレンチ
SK38
SK40
SD39
SX41
SD48
SD42
SD43
SD47
下層包含層
SD27
SR33
上層包含層
SB49
≪第1検出面≫ ≪第2検出面≫
1区
2区2区
3区
・・・未完掘部分
図1 須賀遺跡第6次遺構平面図(S=1/300)
須賀遺跡は,鈴鹿川右岸に広がる段丘の最東端に位置する,弥生時代~中
世の複合遺跡です。平成 21 年に行われた 5次調査では,環かんごう
濠と考えられる大
溝から大量の弥生土器が出土しました。この環濠からは,県内最大の弥生時
代中期の壺も出土しています。
6 次調査では,竪穴住居,掘立柱建物,方形周溝墓,溝,自然流路,土坑
などを検出しました。2区においては,2面の検出面で調査を行いました。第
1検出面は古墳時代~中世,第2検出面は弥生時代以前の遺構です。弥生土器,
土師器,須恵器,緑りょくゆう
釉陶器,黒色土器,灰釉陶器,青せ い じ
磁,山茶碗などが出土
しています。
SX0621(北から)
方形周溝墓 SX0621(北東から)
SX0621 西辺土層(北から)
第 6次遺構平面図 S= 1:450
保ほ こ り
子里遺跡 第 6 次 国府町字井口
岡おかだじんじゃ
太神社遺跡 第 5・6 次 岡田一丁目
長ちょうじゃやしき
者屋敷遺跡(伊い せ こ く ふ
勢国府跡)第 29 次 広瀬町字中土居
門かどやま
山遺跡 第 2 次 平野町字門山
4 月 20 日~ 5 月 18 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
5 次 5 月 16 日~ 5 月 19 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
6 次 9 月 5 日~ 11 月 16 日 宅地造成事業に伴う緊急調査
6 月 6 日~ 6 月 9 日 託児所建設に伴う緊急調査
12 月 1 日~ 2 月 29 日 学術調査
門山遺跡は,鈴鹿川右岸の河岸段丘上に位置します。1 次調査で,遺
跡範囲内の古墳状の高まりが古墳ではなく,西に隣接する平野城跡に関
連する遺構である可能性が指摘されました。
今回の調査では,溝,土坑,柱穴などが確認され,弥生土器,土師器,
須恵器,青磁などが出土しています。
岡太神社遺跡は,鈴鹿川右岸の段丘上に位置する式内岡太神社
を中心とした遺跡です。過去の調査では,平安時代末~室町時代
の溝や土坑,井戸,道路遺構が見つかり,山茶碗などが出土して
います。
5・6 次調査では,溝,土坑,井戸などが確認され,土師器の
羽は が ま
釜や皿,山茶碗など中世の土器や陶器が出土しました。
保子里遺跡は,鈴鹿川右岸の中位段丘上に位置する縄文時代前期から
中世までの複合遺跡です。過去の調査で,縄文時代から古墳時代にか
けて 4つの盛行期が確認され,弥生時代は墓域,古墳時代は集落といっ
た時代ごとの特徴が指摘されています。また,保子里 1号墳から,金製
垂すいしょくつきみみかざり
飾付耳飾・環かんとうたちつかがしら
頭太刀把頭・銀ぎんぞうがんさやじり
象嵌鞘尻などが出土したことでも知ら
れています。
今回の調査では,12 基のピットを検出し,うち 1 基のピットから縄
文土器片が出土しましたが,性格を特定できる遺構の検出はありません
でした。縄文時代の遺物は過去の調査で多数出土し,それらとの対応が
考えられますが,小片であるため詳細は不明です。
長者屋敷遺跡は,これまでの発掘調査によって,奈良時代中頃の伊勢国府跡であることが確認され,矢やおろし
下地
区の政庁跡と南野・長塚地区の官衙群の計 3か所 73,940 ㎡が国の史跡に指定されています。現在も鈴鹿市考古
博物館によって毎年学術調査が行われています。近年,遺跡北辺の金かねやぶ
藪と呼ばれる長者伝説の残る森周辺の調
査がすすみ,伊勢国府との関連が指摘されています。
今回の調査区は金藪西隣にあたり,北辺の溝は確認できたものの,金藪を囲いにょう
繞する溝は確認できませんでした。
北東区全景(西から)
第 6 次A区東側全景(北から)
調査区南辺(東から)
この
地図
は国
土地
理院
発行
の2万
5千
分の
1地
形図
「鈴
鹿」「
亀山
」を
使用
した
もの
であ
る。
◆寺院・官衙シリーズ講演会◆
「古代寺院と地域社会-都と伊勢国-」
講 師:菱田哲郎さん (
京都府立大学文学部教授)
日 時:3月
25日(日)午後
2時から
「瓦で推理する三重のオモシロ古代」
講 師:竹内英昭さん (
三重県埋蔵文化財センター)
日 時:6月
17日(日)午後
2時から
◆調査担当者によるスライド説明会◆
「伊勢国府跡・磐城山遺跡・須賀遺跡」
5月
13日(日)午後
2時から
〒51
3-00
13
三重
県鈴
鹿市
国分
町22
4番
地
TEL
059-
374-
1994
FAX
059
-374
-098
6
磐城山遺跡
長者屋
敷遺跡
(伊勢国府跡)
門山遺跡
平田遺跡
伊勢国分寺跡
保子里遺跡
岡太神社遺跡
須賀
遺跡
口山遺跡
●発掘調査地位置図
(
1:75,000)