顎顔面形態別にみた顎矯正手術前後の咽頭気道形態の変化と...

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1 日大歯学 , Nihon Univ Dent J, 93, 1-7, 2019 (受付:平成 30 年 12 月 10 日) 〒 101‒8310 東京都千代田区神田駿河台 1‒8‒13 緒 言 顎変形症患者への顎矯正手術は,不正咬合や咀嚼機能 の改善のために行われるが,上下顎骨の硬組織の変化に よって,舌,軟口蓋などの軟組織あるいは咽頭気道形態 に顕著な変化が現れる 1) 。咽頭気道形態の変化について は,顎矯正手術後の歯列・咬合の安定性に関連するため, 側面頭部 X 線規格写真,CT あるいは MRI 等を用いた 多くの報告がある 2-6) 。一方,生理学的な機能の変化に関 しては,Le Fort Ⅰ型骨切り術が鼻呼吸障害を生じる可 能性や通気度に変化を与えたという報告 7) があるが,顎 顔面形態別に術前後の鼻腔通気度を経時的に評価した報 告は文献渉猟をした範囲では皆無である。 そこで本研究では,顎変形症患者を対象とした顎矯正 手術前後における顎顔面形態および生理学的な機能の変 化を調べるために,側面頭部 X 線規格写真分析と鼻腔通 気度検査を行うことで検討した。 材料および方法 1. 研究対象 2012 年から 2015 年に日本大学歯学部附属歯科病院口 腔外科を受診し,顎矯正手術を行う術前の診査において, 鼻疾患の有無に関わらず鼻閉に関する自覚症状をもたな いと判断され,鼻腔通気度検査を受けた患者を対象とし た。これらのうち,骨格型Ⅱ級と診断された 20 症例(男 性 2 例,女性 18 例,平均年齢 28.3 ± 8.1 歳,平均肥満 度(body mass index:BMI)20.2 ±3.2kg/m 2 )ならびに 骨格型Ⅲ級と診断された 14 症例(男性 7 例,女性 7 例, 平均年齢28.3 ±10.1 歳,平均肥満度(body mass index: BMI)22.2 ±2.8 kg/m 2 )の,Le FortⅠ型骨切り術,下顎 は下顎枝矢状分割術(sagittal split ramus osteotomy, 以下SSRO)を行った。なお,本研究は日本大学歯学部 倫理委員会の承認を得ている(倫許2012 −12)。 2. 研究方法 顎矯正手術前に撮影した側方頭部X線規格写真(以下 顎顔面形態別にみた顎矯正手術前後の咽頭気道形態の変化と 鼻腔通気度との関連 加夏子 西久保 日本大学歯学部口腔外科学講座 要旨:本研究では,顎変形症患者を対象とした顎矯正手術前後における顎顔面形態および生理学的な機能の変化 を調べるために,側面頭部 X 線規格写真分析と鼻腔通気度検査を行うことで検討した。その結果,骨格型Ⅱ級症例 では,咽頭気道径を示すsuperior posterior airway space(SPAS),middle airway space(MAS),inferior airway space(IAS)はすべて有意に増加し,咽頭気道径の拡大が認められ,術後 6 か月よりも 1 年の方が拡大して いた。骨格型Ⅲ級症例においては,SPAS は有意に増加したが,MAS と IAS に有意な変化はなかった。SPAS は, 術後 6 か月よりも 1 年の方が拡大していた。骨格型Ⅱ級症例の鼻腔抵抗値について,術前の平均値は 0.41 ± 0.24 Pa/cm 3 /sec で,術後 6 か月では 0.31 ± 0.12 Pa/cm 3 /sec,術後 1 年では 0.27 ± 0.10 Pa/cm 3 /sec となり,鼻 腔通気度の改善が認められた。骨格型Ⅲ級症例においては,術前の平均値は 0.35 ± 0.29 Pa/cm 3 /sec で,術後 6 か 月では 0.24 ± 0.11 Pa/cm 3 /sec,術後 1 年では 0.19 ± 0.09 Pa/cm 3 /sec となり,鼻腔通気度の改善が認められた。 骨格型Ⅱ級およびⅢ級症例は共に上顎骨を前方移動し,SPAS も増加したため,咽頭鼻部の距離が増加し,鼻腔通 気度の改善に関与したことが示唆された。本研究の結果から,顎矯正手術を行う際には,咬合や顎運動の回復さら に顔貌の審美性などに配慮するのみならず,鼻腔の形態や機能についても十分配慮し,適正な顎骨移動や移動量の 決定をしていく必要があることが示された。また,鼻腔通気度を計測することによって,鼻腔通気性を客観的に示 す指標となることが示唆された。 キーワード:顎変形症,顎矯正手術,鼻腔通気度,咽頭気道

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日大歯学 ,NihonUnivDentJ,93,1-7,2019

(受付:平成 30 年 12 月 10 日)〒 101‒8310東京都千代田区神田駿河台 1‒8‒13

緒   言

顎変形症患者への顎矯正手術は,不正咬合や咀嚼機能の改善のために行われるが,上下顎骨の硬組織の変化によって,舌,軟口蓋などの軟組織あるいは咽頭気道形態に顕著な変化が現れる 1)。咽頭気道形態の変化については,顎矯正手術後の歯列・咬合の安定性に関連するため,側面頭部 X線規格写真,CT あるいはMRI 等を用いた多くの報告がある 2-6)。一方,生理学的な機能の変化に関しては,Le Fort Ⅰ型骨切り術が鼻呼吸障害を生じる可能性や通気度に変化を与えたという報告 7)があるが,顎顔面形態別に術前後の鼻腔通気度を経時的に評価した報告は文献渉猟をした範囲では皆無である。そこで本研究では,顎変形症患者を対象とした顎矯正手術前後における顎顔面形態および生理学的な機能の変化を調べるために,側面頭部 X線規格写真分析と鼻腔通気度検査を行うことで検討した。

材料および方法

1.研究対象2012 年から 2015 年に日本大学歯学部附属歯科病院口腔外科を受診し,顎矯正手術を行う術前の診査において,鼻疾患の有無に関わらず鼻閉に関する自覚症状をもたないと判断され,鼻腔通気度検査を受けた患者を対象とした。これらのうち,骨格型Ⅱ級と診断された 20 症例(男性 2 例,女性 18 例,平均年齢 28.3 ± 8.1 歳,平均肥満度(bodymass index:BMI)20.2 ± 3.2 kg/m2)ならびに骨格型Ⅲ級と診断された 14 症例(男性 7 例,女性 7 例,平均年齢 28.3 ± 10.1 歳,平均肥満度(bodymassindex:BMI)22.2 ± 2.8 kg/m2)の,LeFort Ⅰ型骨切り術,下顎は下顎枝矢状分割術(sagittal split ramus osteotomy,以下 SSRO)を行った。なお,本研究は日本大学歯学部倫理委員会の承認を得ている(倫許 2012 −12)。2.研究方法顎矯正手術前に撮影した側方頭部 X線規格写真(以下

顎顔面形態別にみた顎矯正手術前後の咽頭気道形態の変化と鼻腔通気度との関連

篠 塚 啓 二 栁 川 圭 一 青 木 淳 也 山 縣 加夏子正 岡   直 荻 澤 翔 平 植 木 皓 介 篠 崎 泰 久草 野 明 美 阿 崎 宏 昭 大 谷 紗 織 中 村 亮 太西久保 周 一 佐 藤 貴 子 本 田 雅 彦 清 水   治外 木 守 雄

日本大学歯学部口腔外科学講座

要旨:本研究では,顎変形症患者を対象とした顎矯正手術前後における顎顔面形態および生理学的な機能の変化を調べるために,側面頭部 X線規格写真分析と鼻腔通気度検査を行うことで検討した。その結果,骨格型Ⅱ級症例では,咽頭気道径を示す superior posterior airway space(SPAS),middle airway space(MAS),inferiorairway space(IAS)はすべて有意に増加し,咽頭気道径の拡大が認められ,術後 6 か月よりも 1 年の方が拡大していた。骨格型Ⅲ級症例においては,SPAS は有意に増加したが,MAS と IAS に有意な変化はなかった。SPAS は,術後 6 か月よりも 1 年の方が拡大していた。骨格型Ⅱ級症例の鼻腔抵抗値について,術前の平均値は 0.41 ±0.24 Pa/cm3/sec で,術後 6 か月では 0.31 ± 0.12 Pa/cm3/sec,術後 1 年では 0.27 ± 0.10 Pa/cm3/sec となり,鼻腔通気度の改善が認められた。骨格型Ⅲ級症例においては,術前の平均値は 0.35 ± 0.29 Pa/cm3/sec で,術後 6 か月では 0.24 ± 0.11 Pa/cm3/sec,術後 1 年では 0.19 ± 0.09 Pa/cm3/sec となり,鼻腔通気度の改善が認められた。骨格型Ⅱ級およびⅢ級症例は共に上顎骨を前方移動し,SPAS も増加したため,咽頭鼻部の距離が増加し,鼻腔通気度の改善に関与したことが示唆された。本研究の結果から,顎矯正手術を行う際には,咬合や顎運動の回復さらに顔貌の審美性などに配慮するのみならず,鼻腔の形態や機能についても十分配慮し,適正な顎骨移動や移動量の決定をしていく必要があることが示された。また,鼻腔通気度を計測することによって,鼻腔通気性を客観的に示す指標となることが示唆された。キーワード:顎変形症,顎矯正手術,鼻腔通気度,咽頭気道

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側方セファロ)を研究資料とし,各症例の骨格,軟口蓋および気道形態を計測した。術後 6 か月および 1 年においても同様に撮影し,計測を行った。また,鼻腔通気度計を使用し,鼻腔抵抗値を顎矯正手術前,術後 6 か月および 1 年後について測定を行った。側方セファロの撮影条件,顎顔面形態,上部気道形態の計測項目および鼻腔通気度の計測方法を以下に示す。1) 側方頭部 X線規格写真撮影条件撮影には X線高電圧装置(KXO-50 R,TOSHIBA)を使用し,撮影条件は管電圧 80 kVp,管電流 100 mA および照射時間 0.16 sec とした。撮影時の体位は座位で,フランクフルト平面と床面が平行になる姿勢とし,左右の外耳孔にイヤーロッドを挿入することで,頭部を固定した。撮影時は被験者に口唇は力をいれず閉鎖させ,臼歯部で軽く咬合するように指示した。中心 X線束がイヤーロッドの中心を通り,被写の正中矢状面に直角となるように位置づけた。撮影時の呼吸相は,一度吸気させた後に息を止めた時期とした。2) 骨格形態の計測(図 1,表 1)顎顔面形態の計測は Downs-Northwestern 法 8,9)に準じて行った。なお,計測項目は 1.SNA(°),2.SNB(°),3.ANB(°),4.facialaxis(以下 FA)(°)である。3) 気道形態の計測(図 1,表 1)計測は,Esaki ら 10)に準じて行った。計測項目は,1.superior posterior airway space(以

下 SPAS),2.middle airway space(以下MAS),3.inferior airway space(以下 IAS)を使用した。なお,同部の形態は頭位の影響を大きく受けることから,Anegawa ら 11)の補正式を用いて補正を行った。4) 鼻腔通気度検査の計測方法と条件鼻腔通気度は,日本光電社製鼻腔通気度計MRP-3100を使用し,鼻腔通気度測定法ガイドライン 12)に基づき,

図 1 側面頭部 X線写真の計測項目N:nasion,鼻根点,鼻骨前頭縫合の最前点;S:sella,蝶形骨トルコ鞍の中心点;Pt:pt point,翼口蓋窩外形線の後上方点と正円孔下縁との交点;ANS:anteriornasalspine,前鼻棘の最尖端点;PNS:posterior nasal spine,後鼻棘の最尖端点;Ba:basion,大後頭孔の最前縁が正中矢状面と交差する点で後頭骨基底部下縁の後端;A:pointA,上顎前歯歯槽骨最深点,前鼻棘と上顎中切歯歯槽突起最先端点との間の最深部点;B:point B,下顎前歯歯槽骨最深点,オトガイ最前出点(pogonion)と下顎中切歯歯槽突起最先端点との間の最深部点;P:palate point,軟口蓋外形線の最先端点;Go:gonion,下顎下縁平面と下顎枝後縁平面とのなす角の二等分線が下顎角外形線と交わる点;Gn:gnation,顔面平面(N―Pog)と下顎下縁平面とのなす角の二等分線がオトガイ骨縁と交わる点;Me:menton,下顎骨オトガイ部の正中断面像の最下方点;H:hyoidal,舌骨外形線の最上方点;1:SNA,上顎突出度;2:SNB,下顎突出度;3:ANB,上下顎突出度の差(下顎後退度);4:Fx,facial axis,N―Baと Pt―Gn がなす角度(顔面軸);5:SPAS,superior posterior airwayspace;6:MAS,middle airway space;7:IAS,inferiorairwayspace。

表 1 側面頭部 X線写真の計測項目

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咽頭気道形態の変化と鼻腔通気度との関連

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安静座位におけるアンテリオール法のノズル法による鼻腔抵抗値(Pa/cm3/sec)の測定を行った。その際,鼻腔粘膜腫脹度は精神的刺激,運動,体位によって容易に変化するため,測定前に座位にて 20 分間安静を保つとともに測定の変動を考慮して少なくとも 3 回測定を行い,値が安定していることを確認した。5) 解析方法骨格型Ⅱ級群とⅢ級群の術前(以下 T0)と術後 6 か月

(以下 T1)および術前と術後 1 年(以下 T2)の骨格形態の計測(角度計測 4 項目),咽頭気道形態計測(距離計測 3項目)および鼻腔抵抗値のそれぞの計測結果について,比較,検討を行った。また,側方セファロと鼻腔抵抗性の関連性についても検討した。変化の有意性の検定にはWilcoxon signed-rank test による検定を用いた(SPSSversion 24.0, International BusinessMachines Corp.,Armonk,NY,USA)。

結   果

1) 骨格型Ⅱ級群骨格型Ⅱ級群において,T0,T1 および T2 におけるSNA,SNB,ANB,FA,SPAS,MAS および IAS の計測値とそれぞれの計測値の T0 と T1 および T0 と T2 の統計学的検定結果を表 2 に示した。T0 から T1,ならびに T0 か ら T2 で は, 骨 格 形 態 を 示 す SNA,SNB,ANB,FA のすべての計測項目において有意差を認めた。また,気道形態を示す SPAS,MAS,IAS のすべての計測項目においても有意差を認め,気道径の拡大を認めた。鼻腔抵抗値について,T0 の平均値は 0.41 ± 0.24 Pa/cm3/sec で,T1 の平均値は 0.31 ± 0.12 Pa/cm3/sec,T2の平均値は 0.27 ± 0.10 Pa/cm3/sec であり,軽度鼻閉の状態からほぼ正常値へと減少しており,鼻腔通気度の改善が認められた(図 2)。また,T0 と T1 および T0 と T2の統計学的な検定を行った結果,T0 と T1 においては,

p=0.028,T0 と T2 においては,p=0.001 であり,いずれも有意差を認めたが,T2 でより高い有意差を認めた。2) 骨格型Ⅲ級群骨格型Ⅲ級群において,T0,T1 および T2 におけるSNA,SNB,ANB,FA,SPAS,MAS および IAS の計測値とそれぞれの計測値の T0 と T1 および T0 と T2 の統計学的検定結果を表 3 に示した。T0 から T1 の計測において,SNA,SNB,ANB に有意な変化を認めた。T0から T2 では,SNA,ANB に有意差を認めた。また,気道形態の変化においては,SPAS のみに有意差を認めた。鼻腔抵抗値について,T0 の平均値は 0.35 ± 0.29 Pa/cm3/sec で,T1 の平均値は 0.24 ± 0.11 Pa/cm3/sec,T2の平均値は 0.19 ± 0.09 Pa/cm3/sec であり,軽度の鼻閉の状態から正常値へと減少しており,鼻腔通気度の改善

表 2 骨格型Ⅱ級群における骨格形態および気道形態の計測値

図 2 骨格型Ⅱ級群における鼻腔通気度の変化箱ひげ図中の中央の線は中央値を示し,×は平均値を示す。また,箱の上端は第三 4 分位,下端は第一 4 分位を示す。

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が認められたが,T0 と T1 および T0 と T2 の間には統計学的有意差は認められなかったが,一定の傾向にあることが示された(図 3)。また,T0 から T1 と T0 から T2と比較し,T2 でより改善している傾向が認められた。

考   察

骨格型Ⅱ級を示す症例の特徴として,著しい上顎骨過成長による上顎前方位や下顎骨劣成長により下顎後方位を示すものが認められる。また,骨格型Ⅲ級を示す特徴として,著しい下顎前方位を示すものあるいは上顎後方位を示すものが認められる。これらに対し,上下顎を移

動する顎矯正手術が適応され,上顎に対しては Le FortⅠ型骨切り術,下顎に対しては SSRO が行われている。Le Fort Ⅰ型骨切り術は,鼻中隔・鼻腔側壁の骨切りとともに鼻腔底の剥離操作が伴われ,鼻腔の形態的および機能的な変化が予想される。SSRO は,下顎骨を前方または後方へ移動することで,咽頭の拡大や狭窄に影響を及ぼすという報告がある 13, 14)。これまでに,顎矯正手術が気道形態に及ぼす影響の報告 6, 15, 16)や上顎骨骨切り術が鼻腔形態や鼻腔通気度に及ぼす影響についての報告 7)

があるものの,顎顔面形態別に上下顎移動術が気道に及ぼす影響および鼻腔通気度の関連についての報告は皆無である。そこで本研究では,骨格型Ⅱ級およびⅢ級症例に対し,上下顎移動術を行い,術前術後の咽頭気道形態の変化および鼻腔通気度の生理学的評価を経時的に行った。本研究において,骨格型Ⅱ級症例では,上顎骨の前後的位置を示す SNA は有意に増加し,上顎骨の前方移動を認めた。また,下顎骨の前後的位置を示す SNB および FA は有意に増加し,下顎骨の前方移動を認めた。上顎骨と下顎骨の前後的位置関係を示す ANB は有意に減少し,上下顎の位置関係の改善が認められた。咽頭気道径を示す SPAS,MAS,IAS はすべて有意に増加し,咽頭気道径の拡大が認められた。これらのことから,上下顎を前方移動に伴って,咽頭気道が拡大することが分かった。また,咽頭気道径は術後 6 か月後と比較して術後 1 年後で拡大していた。骨格型Ⅲ級症例においては,上顎骨の前後的位置を示す SNA は有意に増加し,上顎骨の前方移動を認めた。また,下顎骨の前後的位置を示す SNB は術後 6 か月後

表 3 骨格型Ⅲ級群における骨格形態および気道形態の計測値

図 3 骨格型Ⅲ級群における鼻腔通気度の変化箱ひげ図中の中央の線は中央値を示し,×は平均値を示す。また,箱の上端は第三 4 分位,下端は第一 4 分位を示す。

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咽頭気道形態の変化と鼻腔通気度との関連

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に有意に増加し,下顎骨の前方移動を認めた。上顎骨と下顎骨の前後的位置関係を示す ANB は有意に増加し,上下顎の位置関係の改善が認められた。咽頭鼻部の気道径を示す SPAS は有意に増加し,術後 6 か月後と比較して術後 1 年後の方が拡大していた。MAS と IAS に有意な変化はなかった。咽頭気道径形態は上下顎形態,下顔面形態,歯列および咬合に密接に関連していることが知られており 1, 2),上下顎骨に対する顎矯正手術を行った場合の咽頭気道形態の変化についての検討が多くされている 3-6, 15, 16)。Mehra ら 1)は,上下顎骨の顎矯正手術において,下顎骨を前方移動させた場合では咽頭気道が拡大し,下顎骨を後方移動させた場合では咽頭気道が狭窄したと報告している。また,青木ら 17)は,上顎骨を前方移動させた際にPNS1(本研究での SPAS に類似した部位)に有意な咽頭気道径の増加を示し,下顎骨を後方移動させた際には,PSP1 および PTO1(本研究でのMAS および IAS に類似した部位)は有意な減少をしたと,東ら 13)は,外科的下顎骨前方移動において,PSP1 では有意ではないものの増加を示し,PTO1 については有意な増加を示したと報告している。本研究においても,Ⅱ級症例およびⅢ級症例ともに上顎骨を前方移動しており,SPAS が有意に増加していた。また,MAS および IAS については,有意な下顎骨の前方移動をしたⅡ級症例においてのみ有意な増加を認めた。これらのことより,顎矯正手術による咽頭気道形態の変化は,咽頭気道上部(SPAS)については,上顎骨の移動方向が影響を及ぼし,咽頭気道下部(MAS,IAS)については下顎骨の移動方向が影響を及ぼすことが考えられた。咽頭気道上部が増加した理由としては,Ⅱ級およびⅢ級ともに上顎骨を前方移動したことにより後鼻棘部が前方移動したことによると考えられた。また,咽頭気道下部が増加した理由として,下顎骨の前方移動によって固有口腔領域は大きくなり,舌根部の前方移動が生じたために咽頭気道が拡大したと考えられた。また,下顎前方移動に伴って舌根部から口蓋舌弓や口蓋舌筋によって繋がる軟口蓋最後方部も前方に移動した可能性も考えられる。これまでに,骨格型Ⅲ級に対して SSRO 単独を施行した場合,下顎骨後方移動に伴う咽頭の狭窄が問題とされてきた 18)。以上のように,気道に対する影響を考慮し,上顎骨の前方移動を行うことによって下顎骨の後方移動を避けることが可能となり,これが咽頭の狭窄を防止することにつながったことが示唆された。鼻腔通気度の測定法としては,アンテリオール法が標準とされており,これは左右の鼻腔通気度を別々に測定し,その測定値を計算式(Ohm’ s law for parallelresidence)に代入して総鼻腔抵抗を算出するものである 12)。右鼻腔の鼻腔抵抗を求めるには,右鼻腔の気流量,右鼻腔前方の圧および後方の圧が必要である。ノズル法

は,大小のノズルを前鼻孔に挿入して,鼻呼吸するだけで測定が可能であり,短時間で測定ができる。ノズルを前鼻孔に挿入することによって,鼻腔抵抗が変化することが危惧されるが,日本人は欧米人と比較して鼻幅が広いため,ノズルの影響を受けにくいとされている 19)。一方,マスク法は圧測定用のチューブ先端を粘着テープで固定する必要があるが,この固定に時間がかかることや測定中に脱落するなどの問題点がある。そのため,本邦ではノズル・アンテリオール法が基準検査法として推奨されている。本研究で採用したノズル・アンテリオール法は,上述したように鼻腔の気流量と圧を用いて算出するものである。日本人の正常成人の平均的両側鼻腔抵抗値の参考値は,およそ 0.25 ± 0.10 Pa/cm3/sec とされている。臼井ら 20)の両側鼻腔抵抗値の程度分類案によると,0.25 Pa/cm3/sec 未満を正常(完全に通気性良好),0.25 Pa/cm3/sec 以上をほぼ正常から軽度鼻閉(鼻閉,軽度の一側または両側の鼻閉,あるいは間欠的な症状のあるもの),0.50 Pa/cm3/sec 以上を中等度鼻閉(一側の頻回または高度な鼻閉,他側は充分または不充分な通気性を保っているもの),0.75 Pa/cm3/sec 以上を高度鼻閉(中等度から高度な鼻閉が両側にあるもの)とされており,これを参考にすることができる。本研究では,骨格型Ⅱ級症例における鼻腔抵抗値について,T0 の平均値は 0.41 ± 0.24 Pa/cm3/sec で,T1 の平均値は 0.31 ± 0.12 Pa/cm3/sec,T2 の平均値は 0.27 ±0.10 Pa/cm3/sec であり,軽度鼻閉の状態からほぼ正常値へと有意に減少しており,鼻腔通気度の改善がみられた。骨格型Ⅲ級症例における鼻腔抵抗値について,T0の平均値は 0.35 ± 0.29 Pa/cm3/sec で,T1 の平均値は0.24 ± 0.11 Pa/cm3/sec,T2 の平均値は 0.19 ± 0.09 Pa/cm3/sec であり,軽度鼻閉の状態から正常値へと減少する傾向を示し,鼻腔通気度の改善がみられた。これらの結果について,骨格型Ⅱ級およびⅢ級症例は共に上顎骨を前方移動しており,咽頭気道上部 SPAS が有意に増加している結果であったため,咽頭鼻部の距離が増加し,鼻腔通気度の改善に関与していることが示唆された。これまで,小児を対象とした研究において咽頭鼻部での気道の狭窄が鼻腔抵抗値と関連する可能性を示唆しているとの報告 21)があるが,これは本研究の結果と一致しているところから,成人においても同様のことが示されたものと考えられた。骨格型Ⅲ級において,有意差が無かった理由としては,術前から鼻腔抵抗値が正常の鼻閉の状態の症例が多く,症例数も少なかったためと考えられた。また,骨格型Ⅱ級においては,骨格型Ⅲ級と比較し,やや鼻腔抵抗値が高い結果を示していた。これは,骨格型Ⅱ級において,骨格型Ⅲ級と比較して咽頭気道径のわずかな狭窄が認められた結果と一致しており,鼻腔の通

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気性と顎骨形態が関連していることが示唆された。この結果は,神ら 22)の骨格型Ⅱ級において,鼻腔抵抗値が高かった報告と一致するものであった。骨格型Ⅱ級,Ⅲ級症例を治療する際に行われる LeFort Ⅰ型骨切り術において,咬合の改善を考慮すると,上顎を前上方へ移動せざるを得ない場合がある。上顎骨の上方への大きな移動は,鼻中隔彎曲の増大や下鼻甲介の鼻中隔・鼻底への接着のために鼻呼吸障害を生じる可能性があるとの報告がある 23)。本研究の結果からは,上顎骨を上方に移動させた場合の移動量の平均はⅡ級症例では平均 3.88 ± 1.85 mm,Ⅲ級症例では平均 2.04 ±1.37 mm および全体の平均値は 2.91 ± 1.90 mm であった。上方への移動量が最も大きかった症例は 10 mm であり,抵抗値が 0.22 Pa/cm3/sec から 0.24 Pa/cm3/secへのわずかな増加のみで,正常の範囲であった。先述した報告文献から考察すると,今回の症例の移動量は鼻腔障害を生じにくい範囲内だった可能性があるが,これに関しては,手術施行時に術前後で総鼻道の断面積が減少しないよう鼻中隔の切離,下鼻甲介の切除等を行うこと配慮をしているが 24, 25),これが鼻腔障害を生じなかった理由のひとつと考えられる。手術を行う際は,鼻呼吸障害を生じる可能性を念頭に置き,上顎骨切り術の移動方向および量は咬合や審美性のみならず鼻腔を考慮する必要があると考えられた。以上のように本研究の結果から,咽頭気道形態と鼻腔通気性の関連性が示され,顎矯正手術を施行する場合には,咬合や顎運動の回復さらに顔貌の審美性などに配慮するのみならず鼻腔の形態や機能についても十分配慮し,適正な顎骨移動や移動量の決定をしていく必要があることが示唆された。また,鼻腔通気度を計測することによって,鼻腔通気性を客観的に示す指標として有効であることが示された。

なお,本研究の一部は平成 28 年度日本大学歯学部上村安男・治子研究費(短期研究),平成 29 年度日本大学総合歯学研究所研究費(B)および平成 30 年度日本大学歯学部佐藤研究費の補助によってなされた。本論文に関して,開示すべき利益相反はない。

引用文献

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咽頭気道形態の変化と鼻腔通気度との関連

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