大阪狭山市内遺跡群...
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平成27年(2015年)₃月
大阪狭山市教育委員会
大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書24
大阪狭山市文化財報告書44
大阪狭山市文化財報告書44
大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書24
平成27年(2015年)3月
大阪狭山市教育委員会
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序 文
大阪狭山市内には、市のシンボルである狭山池をはじめとして、須恵器を焼く窯が数多く分布する陶邑窯跡群、中高野街道や西高野街道などの古道、狭山藩主である北条氏が居を構えた狭山藩陣屋跡など、多くの遺跡が存在します。 現代に生きる私たちが、これらの遺跡を歴史遺産としてその価値を認め、次世代に継承していくことが必要です。大阪狭山市では、文化財の指定や顕彰にかかる業務を行うとともに、埋蔵文化財の発掘調査を継続して行い、その情報を記録保存してまいりました。 本書は、平成26年度に実施した発掘調査の概要を記録したものです。 調査にあたりましては、建築主の皆様、並びに地域住民の皆様から多大なご協力を賜りました。ここに深く感謝の意を表しますとともに、今後とも本市文化財保護行政に対するご理解とご支援のほどを、よろしくお願い申し上げます。
平成27年3月25日
大阪狭山市教育委員会
教育長 小 林 光 明
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例 言
1. 本報告書は、平成26年度国庫補助事業として、大阪狭山市が実施した埋蔵文化財緊急発掘調査の概要報告である。
2.本書に収録した調査は以下の通りである。 1.狭山藩陣屋跡 13-06区、14-01区、14-02区、14-03区 2.池尻城跡 14-01区、14-02区、14-03区(現状確認のみ実施)、14-05区 3.狭山神社遺跡 14-01区 4.陶邑窯跡群 13-02区 5.試掘調査 141224区3.発掘調査は、大阪狭山市教育委員会事務局教育部歴史文化グループ東影友美、同グループ 大川健が担当した。4.発掘調査及び内業整理については、下記の方々のご協力を得た。 若宮美佐、橋本和美、西井定仁5. 本書の執筆は、1(14-01区、14-03区)、2(14-01区、14-02区)、5を大川が、その他を東影が行った。編集は東影が行った。
本 文 目 次 (頁)
序 文 大阪狭山市教育委員会教育長 小林 光明例 言はじめに……………………………………………………………………………………………… 11.狭山藩陣屋跡…………………………………………………………………………………… 7 13-06区 ………………………………………………………………………………… 8 14-01区 ………………………………………………………………………………… 8 14-02区 ………………………………………………………………………………… 11 14-03区 ………………………………………………………………………………… 122.池尻城跡 ………………………………………………………………………………… 13 14-01区 ………………………………………………………………………………… 14 14-02区 ………………………………………………………………………………… 15 14-03区 ………………………………………………………………………………… 16 14-05区 ………………………………………………………………………………… 183.狭山神社遺跡 ………………………………………………………………………………… 204.陶邑窯跡群 ………………………………………………………………………………… 215.試掘調査 ………………………………………………………………………………… 22報告書抄録
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は じ め に
大阪狭山市は大阪府南部に位置し、旧国では河内国に属する。市域南部で、1960 年代後半にニュータウン開発が行われ、これを機に人口が急増した。1980 年代以降は小規模な宅地開発が続き、現在までほぼ同じ規模で推移している。市内における埋蔵文化財の調査は、1980年代までに新築された住宅の建替えに伴う調査が主流であるが、埋蔵文化財包蔵地外での宅地開発も増加しつつあり、近年は新たな遺跡も発見されている。 地理的環境大阪狭山市の地形環境は、泉北丘陵と羽曳野丘陵に挟まれ、市域のほぼ中央に旧天野川(西除川)が形成した沖積低地がある。この沖積低地は、市域の南北を貫く狭山池主谷が形成されている。この谷には旧天野川(西除川)や三津屋川など北下する川が流れ、これらの川の水を塞き止める形で狭山池が形成されている。沖積低地の東西には低位段丘と中位段丘が形成され、さらにその外側には高位段丘と丘陵が南北に連なる。市域の東西に形成された段丘面は、南から北へ緩やかに傾斜し、市域の中では最も広い平坦面となっている。
歴史的環境旧石器時代については寺ヶ池遺跡で有舌尖頭器、東野地区、池之原地区、ひつ池でナイフ形石器が採集されている。縄文時代については、寺ヶ池遺跡、東村遺跡、大鳥池遺跡、へど池、狭山池、ひつ池、上明池、池之原地区で石鏃など石器が採集されている。弥生時代については、茱萸木遺跡で高地性集落が確認されたと記録が残っているが、詳細は不明である。古墳時代前期では、旧天野川流域の沖積地に立地する池尻遺跡で発掘調査が行われており、溝、土坑、焼土坑など住居跡となる可能性がある遺構とともに庄内式と布留式の土器が出土しており、集落が成立していたことを示している。古墳時代中期以降、泉北丘陵を中心に須恵器生産が開始し、陶邑窯跡群が形成された。6世紀前半では市域西部の陶器山丘陵及びその北方の高位段丘に集中して須恵器窯が造営され、陶器山 252 号窯(山本1号窯)や陶器山 15 号窯は発掘調査が実施されている。6世紀後半では、須恵器窯の造営は東方の中位段丘に拡大し、太満池北窯、太満池南窯、狭山池2号窯、狭山池3号窯、池尻新池南窯、今熊1号窯、ひつ池東窯がある。7世紀代に入ると、須恵器窯の数は減少するが、狭山池主谷周辺の中位段丘で、東池尻1号窯、狭山池4号窯、狭山池5号窯、ひつ池西窯などが確認されている。7世紀前半には、旧天野川と三津屋川の流れを塞き止めてダム式の溜池である狭山池が造られた。この狭山池の北堤の直下からは下層東樋が検出され、樋管材は年輪年代測定法よって西暦 616 年に伐採されたことが判明した。このことから、狭山池の築造年代は、同年以降の非常に限定された時間幅の中に求められることとなった。その後、7世紀後半から8世紀初頭には、旧天野川右岸の中位段丘上に東野廃寺が建立されるが、市域における集落の動向は不明である。奈良時代から平安時代は、狭山池について、僧行基による改修(天平3年・731)、天平宝字
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第1図 大阪狭山市域の地形分類
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狭山新宿遺跡
庄司庵遺跡
東野中遺跡
茱萸木遺跡
池尻城跡
半田北遺跡狭山池
茱萸木北遺跡
新池遺跡
半田遺跡
狭山神社遺跡
東村遺跡
半田城跡
東池尻遺跡
東野廃寺
東野遺跡
寺ヶ池遺跡
西山遺跡
池尻遺跡狐塚古墳
金蔵寺跡
大鳥池遺跡
陶邑窯跡群
狭山藩陣屋跡
中高野街道
西高野街道
第2図 大阪狭山市埋蔵文化財包蔵地分布図(S=1/30000)
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の改修(天平宝字6年・762)、僧勤操による改修(弘仁 10 年・819)の記録が残っている。この他、東野廃寺は、瓦等の出土遺物から7世紀中頃以降の創建と考えられる。鎌倉時代以降に関しては、僧重源による狭山池改修の記録が残っている。発掘調査では「重源狭山池改修碑」の出土によって、改修は建仁2年(1202)に行われたことが明らかとなった。12 世紀から 13 世紀にかけては、池尻遺跡で水田跡や屋敷跡の遺構を検出し、集落の存在が確認できる。南北朝の動乱期には、狭山池の北西に池尻城が築かれ、13 世紀から 15 世紀の建物跡が確認されている。慶長 13 年(1608)に狭山池は、豊臣秀頼の後見役で摂河泉国奉行の片桐且元が奉行となって改修され、西樋、中樋、東樋を新設し、西除・東除の造改修、北堤の嵩上げなどが行われた。元和2年(1616)には、小田原北条氏の子孫の北条氏信(狭山藩2代藩主)が狭山池北東で陣屋の構築を始め、明治維新まで 12 代続く狭山藩が開かれた。寛永 14 年(1637)に上屋敷の北半分、寛永 20 年(1643)には上屋敷の南半分と惣構・土手などが完成した。延宝5年(1677)には下屋敷の構築が開始され、宝永6年(1709)に完成した。上屋敷については、発掘調査により、天明2年(1782)の大火災で形成された焼土層や灰層を境にして、大火災以前の下層遺構面と大火災後から幕末までの上層遺構面の存在が判明している。
参考文献
上野正和 1992「狭山の考古学研究と私」『さやま誌大阪狭山市文化財紀要』創刊号
大阪狭山市教育委員会 1988『山本1号窯発掘調査概要報告書』
1991『太満池南窯・北窯発掘調査報告書』
1992『池尻新池南窯発掘調査報告書-陶邑窯跡群の調査-』
1993『ひつ池西窯-陶邑窯跡群の調査-』
2002『平成 14 年度狭山藩陣屋跡発掘調査報告書Ⅰ』
2004『狭山池5号窯・狭山藩陣屋跡』
大阪府立狭山池博物館 2010『大阪府立狭山池博物館常設展示案内』
勝部明生 1988「狭山の石器」『大阪狭山市要』
日下雅義 1980『歴史時代の地形環境』古今書院
大阪府教育委員会 1987『池尻城跡発掘調査概要』
狭山池調査事務所 1998『狭山池 埋蔵文化財編』
調査に至る経過 本年度は、個人住宅の建て替え等に伴う発掘調査と、遺跡外の試掘調査を行った。発掘調査については、小規模な開発が多く、過去の造成によって遺構面が残っていない調査地が多くを占めた。しかし、狭山藩陣屋跡や池尻城跡等の遺跡では、遺物が出土するなど一定の成果が得られた。池尻城跡と、池尻遺跡にまたがって行われた開発工事については、開発に先立って既存建物の解体及び抜根・伐採工事の際に新規の窯跡が発見され、現状確認を実施した。この窯跡については、別途本調査を実施したが、現状確認においても多くの遺物を採集した。
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第1表 平成 26年発掘調査一覧表(平成 26年1月~ 12 月)番号 遺跡名 位置 調査期間 規模㎡ 用途 概要
1 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山2-1053-3 H26.1.6 172.98 個人住宅 本報告書に収録(狭山藩陣屋跡 13-06 区)
2 中高野街道 大阪狭山市半田1-650-3、652-3 H26.1.8 863.77 店舗 5.0 × 2.0 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 1.1 mま
で掘削したが盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
3 陶邑窯跡群 大阪狭山市茱萸木4-378-5 H26.1.10 84 個人住宅 本報告書に収録(陶邑窯跡群 13-02 区)
4 茱萸木北遺跡
大阪狭山市茱萸木6-1046-1 の一部 H26.1.10 134.37 分譲住宅 4.0 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.3 mま
で掘削したが盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
5 庄司庵遺跡 大阪狭山市東池尻4-1032-2、他5筆 H26.2.4 1979.43 宅地造成
分譲住宅2.6 ~ 3.2 × 0.8 mのトレンチを 2ヵ所設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。盛土以下で地山である黄褐色砂質土を確認。遺構・遺物等はなし。
6 陶邑窯跡群 大阪狭山市茱萸木4-239 の一部 H26.3.20 364.7 共同住宅
2.5 × 0.9 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 1.1 mまで掘削。盛土以下で、耕作土である暗灰色粘質土、灰色砂質土、その下で灰褐色粘質土の地山を確認した。遺構・遺物等はなし。
7 池尻遺跡大阪狭山市池尻中3-649-8 の一部、666-1、667-1 の一部
H26.3.25 1057.93 宅地造成分譲住宅
7.0 ~ 9.8 × 0.6 mのトレンチを2ヶ所設定し、重機にて地表下 0.7 mまで掘削。現代耕作土以下で、河川堆積層の黄褐色砂質土を確認し、素掘溝と考えられる溝 2条とピット 1基を検出。遺物は現代耕作土から磁器・土師器・須恵器が出土。
8 陶邑窯跡群 大阪狭山市池之原2-1197-5 H26.4.14 201.17 個人住宅 1.2 × 0.7 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.4 mま
で掘削したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等なし。
9 陶邑窯跡群大阪狭山市池之原 4-61-1 の一部、61-2
H26.4.18 252.30 個人住宅 1.5 × 1.5 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.4 mまで掘削したが、盛土におさまり、遺構・遺物等はなし。
10 東池尻遺跡中高野街道
大阪狭山市東池尻2-1182-1 の一部、里道、水路
H26.5.8 2314.02 宅地造成2.8 × 0.8 mと 3.2 × 0.8 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。現代耕作土以下で黄褐色粘質土と浅黄色粘土の地山を確認。地山上で近代以降の溝を検出。遺物はなし。
11 半田北遺跡大阪狭山市狭山1-808、804 の各一部、水路
H26.5.19 1865.46 宅地造成擁壁工事中に立会い、重機にて擁壁設置部分を地表下 0.5 mまで掘削する状況を確認したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
12 陶邑窯跡群大阪狭山市池之原2-1015-1、他 11筆
H26.6.6 2830.02 店舗3.0 × 2.8 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.9 mまで掘削。現代耕作土以下で黄褐色砂礫混砂質土の地山を確認。遺構・遺物等はなし。
13 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山3-2579-4、他 3筆 H26.6.6 229.72 車庫
3.9 × 0.7 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.9 mまで掘削する状況を確認したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
14 池尻遺跡 大阪狭山市池尻中3-667-1 の一部 H26.6.9 151.79 農業用
倉庫2.5 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.9 mまで掘削する状況を確認したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
15 池尻城跡 大阪狭山市池尻中1-518-2、-3 H26.6.17 206.11 個人住宅 本報告書に収録(池尻城跡 14-01 区)
16 池尻城跡 大阪狭山市池尻自由丘 3-188 の一部 H26.6.26 493.62 共同住宅
3.2 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。盛土以下で風化礫を含む灰褐色砂質土の地山を確認。遺物・遺構等はなし。
17 池尻城跡 大阪狭山市池尻自由丘 3-188 の一部 H26.6.26 496.48 共同住宅
3.2 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。盛土以下で風化礫を含む灰褐色砂質土の地山を確認。遺物・遺構等はなし。
18 中高野街道半田北遺跡
大阪狭山市半田6-1143-1 の一部 H26.7.3 650.37 共同住宅 1.9 × 0.5 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.35 mま
で掘削したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
19 大鳥池遺跡大阪狭山市東野中1-1504-68、1504-6
H26.7.14 153.03 個人住宅地盤改良に伴う掘削工事中に立会い、重機にて地表下 2.0 mまで柱状に掘削する状況を観察し、盛土以下で、地山のと考えられる岩盤層を確認。遺構・遺物等はなし。
20 池尻城跡 大阪狭山市池尻中1-215-4 の一部 H26.7.14 294.44 個人住宅 本報告書に収録(池尻城跡 14-02 区)
21 茱萸木北遺跡
大阪狭山市茱萸木6-1046-5 H26.7.14 140.71 個人住宅
建物基礎設置工事中に立会い、重機にて地表下 0.4 mまで掘削する状況を確認したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
22 半田遺跡大阪狭山市半田3-469、471-1、1710、1711-1、地先水路
H26.7.25 2620.4 介護施設3.6 × 0.9 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.8 mまで掘削。盛土以下で、灰褐色粘質土と、風化礫を含む灰黄褐色粘質土の地山を確認。遺物・遺構等はなし。
23 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山3-2451-3 H26.8.11 111.59 個人住宅 本報告書に収録(狭山藩陣屋跡 14-01 区)
24 陶邑窯跡群 大阪狭山市今熊1-2-2 H26.9.1 103.45 個人住宅
既存の建物解体及び建物基礎設置工事に伴う掘削工事中に立会い、重機にて地表下 0.6 mまで掘削する状況を観察したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
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第2表 平成 26年試掘調査一覧表(平成 26年1月~ 12 月)
番号 遺跡名 位置 調査期間 規模㎡ 用途 概要
25 中高野街道 大阪狭山市東野中3-721-1 H26.9.8 118.98 個人住宅 1.0 × 0.5 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.4 mま
で掘削したが、盛土におさまり、遺構・遺物等はなし。
26茱萸木北遺跡
中高野街道大阪狭山市茱萸木6-807 H26.9.19 305.86 分譲住宅
7.2 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。盛土以下で、明黄褐色粘質土の地山を確認。遺物・遺構等はなし。
27 狭山神社遺跡
大阪狭山市半田1-224-100 H26.9.24 58.93 個人住宅 本報告書に収録(狭山神社遺跡 14-01 区)
28 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山2-2394-1 H26.10.10 59.39 個人住宅 本報告書に収録(狭山藩陣屋跡 14-02 区)
29 池尻城跡大阪狭山市池尻中3-654-1、他7筆、地先、里道、水路敷
H26.11.4 2447.56 宅地造成3.2 ~ 3.4 × 0.6 mのトレンチを 3カ所設定し、重機にて地表下 0.6 ~ 1.1 mまで掘削。盛土以下で河川堆積層と考えられる灰黄色砂質土を確認。遺物は少量の土師器が出土。遺構はなし。
30 半田遺跡 大阪狭山市茱萸木4-372-1 の一部 H26.11.4 855.51 店舗
2.5 × 0.9 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 1.3 mまで掘削した。盛土以下で、暗灰色粘質土を確認。遺構・遺物等はなし。
31 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山3-2556-7 H26.11.14 65.84 個人住宅
2.5 × 2.6 × 1.0 mのL字型のトレンチを設定し、重機にて地表下 0.5 mまで掘削したが、盛土におさまり、遺構・遺物等はなし。
32 池尻城跡池尻遺跡
大阪狭山市池尻中3-521-2、他4筆
H26.11.26~
H26.12.124358.85 宅地造成
本発掘調査を実施。開発に先立つ解体及び抜根伐採工事の際に発見した窯跡周辺に2箇所の調査区(計 46.3㎡)を設定し、地表下 0.6 mまで掘削した。窯体の一部を確認し、須恵器片が出土。
33 池尻城跡大阪狭山市池尻中3-521-2、552-5 の各一部
H26.12.15~
H26.12.16781.97 抜根
伐採 本報告書に収録(池尻城跡 14-05 区)
34 狭山藩陣屋跡
大阪狭山市狭山3-2409-7、-12 H26.12.18 133.03 個人住宅 本報告書に収録(狭山藩陣屋跡 14-03 区)
35 池尻城跡大阪狭山市池尻自由丘 3-235-2 の一部、235-5
H26.12.18 266.14 医院 0.6 × 0.6 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.4 mまで掘削したが、盛土におさまり、遺構・遺物等はなし。
36 茱萸木北遺跡
大阪狭山市茱萸木6-981 H26.12.22 468.56 共同住宅
地盤改良工事中に立会い、重機にて地表下 1.8 mまで掘削した。盛土以下で明黄褐色粘質土の地山を確認。遺構・遺物等はなし。
番号 遺跡名 位置 調査期間 規模㎡ 用途 概要
1 遺跡外 大阪狭山市東野西1-915-9 外 H26.3.19 6242.07 宅地造成
3.0 × 1.3 ~ 1.5 mのトレンチを 2カ所設定し、重機にて地表下 0.5 mまで掘削。現代の耕作土以下で地山の黄褐色砂質土を確認。遺構・遺物等はなし。
2 遺跡外大阪狭山市狭山2-906-1、他5筆、地先、里道、水路敷
H26.3.25 2594.35 宅地造成分譲住宅
3.2 ~ 5.5 × 0.6 mのトレンチを 3ヶ所設定し、重機にて地表下 0.8 mまで掘削。盛土以下で、黄褐色砂質土の地山を確認。遺構・遺物等はなし。
3 遺跡外 大阪狭山市大野東79 番他 H26.6.2 20453.4 宅地造成
4.0 × 1.0 m、3.5 × 0.8 m、3.8 × 0.8 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.5 ~ 1.3 mまで掘削したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
4 遺跡外 大阪狭山市半田2-313-3、他3筆 H26.8.18 1740.11 事務所
1.5 × 1.0 mのトレンチを 2ヶ所設定し、重機にて地表下 1.3mまで掘削。盛土以下で黄褐色砂質土の地山と、褐色砂礫の河川堆積層を確認。遺構・遺物等はなし。
5 遺跡外 大阪狭山市狭山2-961-2 H26.9.9 638.82 長屋住宅
3.0 × 1.4 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.5 mまで掘削。盛土以下で暗灰黄色砂質土以下で地山の明黄褐色砂質土を確認。遺構・遺物等はなし。
6 遺跡外 大阪狭山市東茱萸木 2-1868-1 H26.11.4 662.48 介護施設
2.5 × 0.7 m、3.0 × 0.7 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削したが、盛土内におさまり、遺構・遺物等はなし。
7 遺跡外 大阪狭山市半田2-290-3、他5筆 H26.11.19 2357.14 宅地造成
3.0 × 1.0 m、2.5 × 1.0 mのトレンチを設定し、重機にて地表下 0.6 mまで掘削。耕作土以下で、褐灰色粘質土と、ごく少量の土器片を含む灰白色粘質土を確認。遺構・遺物等はなし。
8 遺跡外大阪狭山市半田5-157、181、181-1
H26.12.24 998.78 長屋住宅 本報告書に収録(141224 区)
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1.狭山藩陣屋跡
狭山藩陣屋跡は、市域東部の中位段丘上西端に位置し、段丘の西側は旧天野川流域に形成された沖積低地となっている。狭山藩陣屋跡は、狭山池東側から北東側にかけての中位段丘上に南北に伸びるように立地しており、中央部では下高野街道とその東側に中高野街道が通る。中高野街道は、狭山藩陣屋の中央部東側に沿うように一部屈曲し、狭山池北堤から伸びる下高野街道と合流して再び南下し河内長野へと続く。中高野街道が屈曲する地点から東側は狭山新宿、西側は並松地区とよばれ、狭山池の樋役人や狭山藩と関わった商人・職人たちが居住する地区となっていた。また、陣屋跡の西側斜面地には、須恵器窯も点在している。 狭山藩陣屋は、小田原北条氏の子孫である北条氏信が元和2年(1616)に構築を開始し、寛永20年(1643)に上屋敷が完成、下屋敷は延宝5年(1677)に構築開始、宝永6年(1709)に完成した。今年度行った調査では、個人住宅建設に伴う発掘調査が多く、全容が把握できるものは少ないが、『狭山藩陣屋上屋敷図』及び『狭山藩陣屋下屋敷図』に記載されている地形の様相が確認できた。このほか、大阪府教育委員会が実施した府道拡幅工事に伴う発掘調査では、上屋敷北部の家老職の屋敷跡がみつかっている。現在、遺跡内は宅地化が進み、当時の景観はほとんど残っていないが、個人住宅の建設等の小規模な発掘調査は増加しており、これらの調査によって陣屋の様相は徐々に明らかになりつつある。参考文献
大阪府教育委員会 2015『狭山藩陣屋跡Ⅱ』
第3図 狭山藩陣屋跡調査地周辺図(S=1/ 2500)
狭山藩陣屋跡
中高野街道
狭山新宿遺跡
14-01区
14-02区
13-06区
14-03区
― 7 ―
13-06 区個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は狭山藩陣屋跡の西部に位置し、『狭山藩陣屋
下屋敷図』にある「御殿」北側の「ヤブ」付近にあたる。 今回の調査では、申請地内に東西方向のトレンチを2箇所設定した。南側の1トレンチ(長さ 2.9 m、幅 0.8 m)では、現地表下 0.4 mまで掘削し、現代の盛土とそれ以下で砂礫が混じる明黄褐色粘質土の地山を確認した。北側の2トレンチ(長さ 4.0 m、幅 0.8 m)では、現地表下 0.8mまで掘削し、現代の盛土とそれ以下で黄褐色砂質土、一部で砂礫が混じる明黄褐色粘質土の地山を確認した。黄褐色砂質土については、磁器などの遺物、炭化物とごく少量の焼土が混じることから、整地土の可能性が高い。これ以上の掘削については工事に影響が出る可能性があるため行わず、遺構の有無を確認後、調査を終了した。遺構は確認できなかった。遺物は、2トレンチの黄褐色砂質土層から磁器(1・2・3)、陶器(5・6)、土師器(7・
8)が出土した。磁器皿(3)は、内面見込みに「伊藤博」、「戦争」、「外人」等の文字が見えることから明治時代以降のものと比定できる。陶器(5・6)は、注ぎ口を欠くが土瓶と推定できる。外面には鉄釉の草花文が描かれる。これらの遺物は、18 世紀から 19 世紀ごろのものと考えられる。
14-01 区個人住宅建設に伴う発掘調査である。調査地は、狭山藩陣屋跡の中央部に位置する。『狭山
藩陣屋上屋敷図』にある「元練兵場」付近にあたり、調査地南方を通る下高野街道に面した「並松地区」に隣接する。調査地西側では、平成 25 年度の宅地造成に伴う発掘調査で、近現代の遺構と近世遺物包含層を検出している。今回の調査は、建物建設予定地内に、東西約 4.6 m、南北約 0.6 m、深さ 0.6 mのトレンチ
を設定した。層序は、現代の盛土以下で、地山を埋戻したと考えられるにぶい黄色粘質土と、一部で近代以降の整地層と考えられる暗灰黄色粘質土を確認した。トレンチ西部では、調査地北西側に向かって深くなる落込み状の遺構を確認した。この遺構の埋土は、上層からにぶい黄橙色砂質土、褐灰色粘質土、暗灰黄色砂質土、炭化物と遺物を多量に含む黒色砂質土、オリーブ褐色砂質土を確認し、近世から近代の遺物が出土した。この遺構は、近代の遺物も出土していることから、以前の造成の際に、南東から北東方向へ低くなる地形を平らにするための盛土及び整地が行われたと考えられる。このほか、トレンチ東部では、南北方向の溝を1条検出し、近世以降の瓦片が出土した。遺物は、トレンチ西側の落ち込み状遺構埋土から多数出土し、このうち土師器(1)、丸瓦
(2)、磁器(3)を図化した。土師器(1)は、平らな底部に直立する胴部がつく筒型を呈する。磁器碗(3)については、内面見込みにコンニャク印判の花形の文様が施される。これらの遺物は、18 世紀のものと考えられる。
― 8 ―
(1:40)0 2m
GL
GL
(1:4)0 10cm
N
(1:250)0 10m
第4図 狭山藩陣屋跡 13-06 区トレンチ位置図(S=1/ 250)
1トレンチ
道路
1 現代盛土2 2.5Y5/3黄褐色砂質土(少量炭化物、遺物含む)3 2.5Y6/6明黄褐色粘質土(風化礫含む)(地山)
2トレンチ南壁
W1トレンチ北壁
E
W E
1
1
32
3
第5図 狭山藩陣屋跡 13-06 区トレンチ断面図(S=1/ 40)
第6図 狭山藩陣屋跡 13-06 区出土遺物
1
2 3
4
5
6
7 8
2トレンチ
― 9 ―
(1:200)0 10m
N
(1:40)0 2m
81.5m
N
(1:4)0 10cm
第7図 狭山藩陣屋跡 14-01 区トレンチ位置図(S=1/ 200)
トレンチ 市道
第8図 狭山藩陣屋跡 14-01 区トレンチ平面・断面図(S=1/ 40)
近代整地層 1 現代盛土
2 2.5Y6/2 にぶい黄色粘質土 (地山埋め戻し土 )
3 2.5Y5/2 暗灰黄色粘質土
地山 4 2.5Y5/2 暗灰黄色粘質土 (風化礫含む )
WE
落込み1
溝2
1
3 3
4
5678
9
210
落込み1埋土 5 10YR6/3 にぶい黄橙色砂質土
6 10YR6/1 褐灰色粘質土
7 2.5Y5/2 暗灰黄色砂質土
8 5Y2/1 黒色砂質土 (細礫、遺物含む )
9 2.5Y5/4 オリーブ褐色砂質土
溝2埋土 10 2.5Y5/1 黄灰色砂質土
3
2
1
第9図 狭山藩陣屋跡 14-01 区出土遺物
― 10 ―
14-02 区個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は狭山藩陣屋跡中央部に位置する。『狭山藩陣
屋上屋敷図』にある「元練兵場」の南側で、調査地北側を通る下高野街道に面した「並松地区」とよばれる地区にあたる。調査地西側では、平成 25 年度の発掘調査で、東除川北岸と考えられる落ち込みを検出している。 今回の調査では、建物建設予定地内に、東西約 1.4 m、南北約 2.7 m、深さ 0.4 ~ 0.7 mのトレンチを設定した。層序は、現代の盛土以下で、上層から薄い炭化物層を含むにぶい黄褐色砂質土、暗灰黄色砂質土、黄灰色砂質土、地山と考えられる粘土ブロック及び風化礫を含む明黄褐色粘質土を確認した。トレンチの南半では、南側に向かって落ち込む遺構(落込み状遺構)を検出した。遺構はトレンチ外へ広がり、工事の都合上、トレンチの範囲を広げることができなかったため、その全形、深さともに不明である。埋土は、暗灰黄色砂質土に、炭化物と、5~ 30㎝大の円形の礫のほか、レンガ等近代の遺物が多量に含まれた。このことから、近代以降に遺構は埋め立てられたと推測できる。この遺構は、以前の発掘調査で確認した東除川の北岸と推定する落ち込みと類似していることから、この遺構も同様である可能性が高い。遺物は、黄灰色砂質土から土師器(1)が出土した。土師器(1)は皿である。ナデ調整が
施されている。小片のため詳細は不明であるが、近世のものと推定できる。
N
(1:40)0 2m
81.0m
81.0m
(1:4)0 10cm(1:250)0 10m
N
第 10 図 狭山藩陣屋跡 14-02 区トレンチ位置図
(S=1/ 200)
トレンチ
第 11 図 狭山藩陣屋跡 14-02 区トレンチ平面・断面図(S=1/ 40)
1 現代盛土
2 10YR5/4 にぶい黄褐色砂質土に
2.5Y3/1 黒色砂質土入る
3 2.5Y5/2 暗灰黄色砂質土
4 2.5Y6/1 黄灰色砂質土
5 2.5Y6/6 明黄褐色粘質土
( 風化礫含む )( 地山 )
6 10YR6/2 灰黄橙色砂質土
7 2.5Y5/2 暗灰黄色砂質土
8 2.5Y4/2 暗灰黄色砂質土 (円礫、
炭化物、近代遺物含む )
(落込み状遺構埋土 )
SN
落込み状遺構
1
3 4
5
6
7
2
市道
東除川
1
324
5
8
第 12 図 狭山藩陣屋跡 14-02 区
出土遺物
1
EW
― 11 ―
14-03 区個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は狭山藩陣屋跡中央に位置し、『狭山藩陣屋上
屋敷図』にある「元練兵場」付近にあたる。調査地は、平成 25 年度の発掘調査で、近代以降に建てられた製鉄関連工場の製鉄炉を検出した地点の北東部にあたり、近世遺物包含層を確認した箇所にも近接する。 今回の調査は、調査地内南部に、東西約 1.5 m、南北約 1.5 mのトレンチを設定した。現地表から深さ約 0.6 mまで掘削を行い、現代の盛土以下で、細粒砂と粗粒砂を含む明黄褐色粘質土を確認した。明黄褐色粘質土は、近代以降に建てられた製鉄関連工場による撹乱と推測できる。遺構、遺物は確認できなった。
80.5m
N
(1:400)0 20m
(1:40)0 2m
第 14 図 狭山藩陣屋跡 14-03 区
トレンチ南西断面図(S=1/ 40)
S
1
2
トレンチ
第 13 図 狭山藩陣屋跡 14-03 区
トレンチ位置図(S=1/ 400)
道路
N
1 現代盛土
2 10YR7/6 明黄褐色粘質土
― 12 ―
2.池尻城跡
池尻城跡は、市域西部、狭山池西北方の中位段丘上に位置する。この城跡は、東側の中位段丘崖、西側の開析谷、南側の狭山池北堤に囲まれた、東西約 300 m、南北約 500 mの範囲に広がる。また、池尻城跡内では、遺跡北側中央から狭山池北堤北西部にかけて下高野街道が通り、遺跡東側の斜面及び中位段丘崖に須恵器窯も点在している。 池尻城跡は、南北朝時代に、「高木遠盛軍忠状案」、「和田助氏軍忠状」などの史料の中で、池尻周辺が戦場となっていたことが記録されている。1930 年代に、本市名誉市民である末永雅雄博士が当時の記録、地形、地名など様々な視点から検討を行った研究をはじめ、遺物分布調査及び開発に伴う発掘調査によって、南北朝時代の城郭と推測される遺構、遺物が確認されている。現在、遺跡内は宅地化が進み、当時の景観はほとんど残っていないが、既往の調査成果と合わせ、池尻城跡周辺で行われている小規模な開発に伴う発掘調査によって、その様相が解明されつつある。
池尻遺跡
池尻城跡
14-01区
14-02区
第 15 図 池尻城跡調査地周辺図(S=1/ 2500)
14-03区
14-05区
― 13 ―
14-01 区個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は池尻城跡北東部に位置する。調査地西側では
平成 20 年度に発掘調査を実施し、近世後半以降の土坑、ピットを検出し、台付灯明皿、磁器等、近世後期の遺物が出土している。今回の調査は基礎設置箇所に、東西方向のトレンチを2ヵ所設定し、実施した。調査地北部
に設定した1トレンチ(3.0 m× 0.7 m)では現地表から約 0.4 mの深さまで掘削を行った。層序は、上層から盛土、黒褐色砂質土、にぶい黄褐色粘質土を確認した。2トレンチ(3.0m×0.7m)では現地表から約0.4mの深さまで掘削を行った。層序は、上層から盛土、にぶい黄褐色砂質土、にぶい黄褐色粘質土を確認した。黒褐色砂質土層からは土師器細片、瓦が出土した。また、にぶい黄褐色粘質土層は、土師器細片、瓦等の少量の遺物が含まれる。また、一部ブロック状に堆積しているため、整地土層と推測できる。遺物は、そのほとんどが細片であったため、平瓦(1)と土師器(2)の2点のみ図化した。
平瓦片(1)は1トレンチの黒褐色砂質土層から出土した。凹面、凸面ともにナデ調整である。土師器(2)は2トレンチのにぶい黄褐色粘質土層から出土した羽釜片である。2点とも中世のものと推定できる。
N
(1:40)0 2m
GL
GL
(1:4)0 10cm
(1:400)0 10m
第 16 図 池尻城跡 14-01 区トレンチ
位置図(S=1/ 300)
1トレンチ
市道
第 17 図 池尻城跡 14-01 区トレンチ断面図(S=1/ 40)
1 現代盛土
2 10YR5/4 にぶい黄褐色砂質土
3 2.5Y3/2 黒褐色砂質土 (遺物含む )
4 10YR5/3 にぶい黄褐色粘質土
(遺物含む )
WE
13
4
2
2トレンチ
WE
1トレンチ南壁
2トレンチ南壁
14
2
1
第 18 図 池尻城跡 14-01 区出土遺物
― 14 ―
14-02 区個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は池尻城跡北部に位置する。
今回の調査は、建物建築予定地内に東西方向のトレンチを設定して実施した。トレンチは東西約 3.6 m、南北約 0.7 mで、現地表から約 0.4 mの深さまで掘削を行った。現代の盛土以下で、5~20cmの礫を含む明黄褐色粘質土の地山を確認した。遺構は、地山面で径約1.4m、深さ約0.3mの土坑を検出した。遺物は確認できなかった。
M.N
GL
(1:200)0 10m
M.N
(1:40)0 2m
通路
第 20 図 池尻城跡 14-02 区トレンチ平面・断面図(S=1/ 40)
1 現代盛土
2 10YR7/6 明黄褐色粘質土 (細礫・風化礫含む )( 地山 )
3 7.5YR6/6 褐色粘質土 (土坑1埋土 )
4 10YR7/6 明黄褐色粘質土 (土坑1埋土 )
W E
1
342
トレンチ
通路
土坑1
2
第 19 図 池尻城跡 14-02 区トレンチ位置図(S=1/ 40)
トレンチ北壁
― 15 ―
14-03 区 開発に先立って行われた、建物解体工事及び抜根時に新規に発見された須恵器窯の現状確認である。須恵器窯が発見された箇所は、池尻城跡北東部にあたり、狭山池北西に広がる河岸段丘斜面に位置する。 須恵器窯は、建物(擁壁)解体及び抜根、伐採工事の際に発見した。窯は、南西―北東方向で、重機移動のための斜面掘削により、窯焚口部方向に当る斜面下方を削平された状況で確認した。また、須恵器窯が確認された箇所の北東方向に、掘削した土が移動して盛土されており、この盛土から多量の窯壁片及び須恵器片を確認、採集した。 遺物は、盛土及び掘削を受けた窯体付近で採集したものであり、原位置を保つものはないが、いずれも窯体埋土と推測できる灰や、窯壁片が混じる土を伴う状態で発見した。1は、高杯片である。もっとも須恵器窯に近い地点で発見した。脚部は3方向に方形の透孔をもつ。杯部外面に透孔を穿孔した際についた沈線状の工具痕が確認できる。この他、図化した遺物はいずれも盛土から採集したもので、2~6は杯蓋、7~ 12 は杯身である。4は天井部外面に甕小片が融着する。7は、底面に直線状のヘラ記号をもつ。これらの須恵器は、いずれも6世紀中頃(TK10 型式)と考えられる。 開発業者によると、解体及び抜根、伐採工事時は開発の計画段階であったため、埋蔵文化財発掘の届出を提出できなかったとのことである。そのため、解体及び抜根、伐採工事時は窯跡の確認のみを実施した。その後、開発業者より埋蔵文化財発掘の届出の提出を受けて、平成26 年 11 月から 12 月にかけて本発掘調査を実施した。この発掘調査については、今後報告予定である。
(1:1250)0 50m
N
抜根・伐採工事に伴って掘削をうけた箇所
窯跡
第 21 図 池尻城跡 14-03 区窯跡周辺地図(S=1/ 12500)
― 16 ―
1
3
2
4
5
6
第22図 池尻城跡14-03区出土遺物
窯体付近採集 : 1
窯体付近排出土:2~12
(1:3)0 10cm
7
9
8
10
11
12
― 17 ―
14-05 区 抜根・伐採に伴う発掘調査である。調査地は、池尻城跡北東部にあたる。調査地周辺は多数の発掘調査を実施している。平成6年度の調査地北側の調査では、現代の整地層が厚く堆積する状況を確認した。平成5年度と平成 25 年度の調査地西側の調査では、現代の盛土以下で黄褐色砂質土の地山を確認した。また、調査地南方では、大阪府教育委員会が昭和 60 年に実施した発掘調査で、池尻城居館跡がみつかっている。
(1:100)0 5m
M.N
M.N
(1:1000)0 20m
府道富田林狭山線
第 23 図 池尻城跡 14-05 区
トレンチ位置図
(S=1/ 1000)
1トレンチ
2トレンチ
第 24 図 池尻城跡 14-05 区地形測量図(S=1/ 100)
市道西池尻2
2
号線
地形測量範囲
トレンチ
75.0m
76.0m
77.0m
78.0m
― 18 ―
今回の調査では、申請地北半の高まり上に2ヶ所のトレンチを設定した。申請地南半については、以前の建物を建設した際の設置と思われる深さ約 2.2 m以上の浄化槽があり、撹乱を大きく受けていることが予想できたため、トレンチの設定、掘削は行わなかった。いずれのトレンチも東西約 5.0 m、南北約 1.5 mの範囲を掘削した。表土を除去後、高まりを構成している盛土の上面において遺構の有無の確認を行ったが、遺構は確認できなかった。つづいて、土層の堆積状況を確認するため、盛土をたちわって土層の観察を行った。層序は、表土以下で砂礫を多く含む灰黄褐色砂質土、粘土ブロックを含む明黄褐色砂質土、灰黄色砂質土と、それ以下でにぶい赤褐色粘質土の地山を確認した。遺物は確認できなかった。
(1:50)0 2m
E
NSW
77.0m
77.0m
E
NSW
0
1
3
5
0
2
2
2’
00
3
4
4
5
1
3
2
4
5
3
2
4
5
6
第 25 図 池尻城跡 14-05 区トレンチ断面図(S=1/ 50)
2トレンチ南壁・西壁
1トレンチ南壁・西壁
0 現代盛土
1 7.5YR5/3 にぶい褐色砂質土
2 10YR6/2 灰黄褐色砂質土 (10cm 大礫含む )
2’10YR6/2 灰黄褐色砂質土 (10cm 大礫多く含む )
3 10YR6/2 灰黄褐色砂質土
4 10YR6/6 明黄褐色砂質土に N7/ 灰白色粘質土ブロック混じる
5 2.5Y6/2 灰黄色砂質土
6 5YR5/4 にぶい赤褐色粘質土 (地山 )
― 19 ―
3.狭山神社遺跡14-01区 個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は狭山神社遺跡南東部に位置する。調査地北側では、狭山神社の宮山において、昭和63年度に測量調査、平成元年度、平成3年度に発掘調査を実施し、狭山神社と半田城跡に関連する土塁などの遺構と遺物を確認している。調査地東側の金剛駅西側では、土塁状の遺構を検出し、近接する半田城跡の東端と推測できる。 今回の調査では、建物建設予定地内に、東西約2.5m、南北約0.7m、深さ0.4mのトレンチを設定して行った。層序は、現代の盛土以下で、灰褐色粘土ブロック及び5~10㎝大の礫を含む明黄褐色粘質土層を確認した。明黄褐色粘質土層は、硬く、遺物も含まれないことから地山と考えられる。周辺の地形について、明治時代に作成された地形図と比較して大きな変化はみられないことから、近代以降の住宅地の造成など開発工事後も、旧地形は保たれ、大きな変化はないものと考えられる。遺構、遺物は確認できなかった。
1 現代盛土
2 10YR6/6 明黄褐色粘質土 (礫多く含む )
1
2
第 26 図 狭山神社遺跡調査地周辺図
(S=1/ 2500)
狭山神社遺跡
14-01区
半田3号窯(SY10)
第 27 図 狭山神社遺跡 14-01 区トレンチ
位置図(S=1/ 200)
トレンチ
第 28 図 狭山神社遺跡 14-01 区トレンチ北壁断面図(S=1/ 20)
WE
(1:200)0 10m
N
(1:20)0 1m
GL
― 20 ―
4.陶邑窯跡群13-02区 個人住宅建築に伴う発掘調査である。調査地は陶邑窯跡群にあたり、西山1号窯から南東約20mの地点に位置する。 今回の調査は、建物基礎設置予定地内に南北2.5m、東西0.6m、深さ0.7mのトレンチを設定して行った。現代の盛土以下で、地山を埋め戻したと思われる明黄褐色粘質土を確認した。遺構、遺物は確認できなかった。
第 29 図 陶邑窯跡群調査地周辺図
(S=1/ 2500)
第 30 図 陶邑窯跡群 13-02 区トレンチ位置図
(S=1/ 200)
トレンチ
第 31 図 陶邑窯跡群 13-02 区トレンチ西壁断面図(S=1/ 20)
N S
西山1号窯(MT314)
西山2号窯(MT315)
13-02区
陶邑窯跡群
新池遺跡
西高野街道
1
2
1 現代盛土
2 現代盛土に10YR6/6明黄褐色粘質土(地山)ブロック混じる
(1:200)0 10m
N
(1:20)0 1m
GL
― 21 ―
5.試掘調査試掘調査 141224 区 長屋住宅建築に伴う遺跡外の試掘調査である。調査地は狭山神社遺跡の西側、半田遺跡の東側にあたる。 今回の調査は、調査地内南部の建物建築予定地内に3ヶ所のトレンチを設定して行った。東側の1トレンチでは、東西 0.6m、南北 2.3m の範囲を深さ約 1.0m まで掘削し、現代の盛土及び近現代耕作土以下で、緑灰色粘質土、暗灰黄色砂質土を確認した。中央の2トレンチでは、東西 0.6m、南北 2.1mの範囲を深さ約 1.6mまで掘削し、現代の盛土及び近現代耕作土以下で、暗灰黄色粘質土、灰色粘土、緑灰色粘質土、暗灰黄色砂質土を確認した。西側の3トレンチでは、東西 0.6m、南北 2.2mの範囲を深さ約 1.1mまで掘削し、現代の盛土及び近現代耕作土以下で、暗灰黄色粘質土と、暗灰黄色砂質土、灰色粘質土を確認した。各トレンチで確認した近現代耕作土以下の層の一部では湧水も認められ、水成堆積層と推定できる。調査地は西除川の東岸に近接していることから、西除川の氾濫原であったと推定できる。遺構、遺物は確認できなかった。
81.1m
N
(1:800)0 20m
(1:50)0 2m
81.1m
81.1m
第 33 図 試掘調査 141224 区
トレンチ位置図(S=1/ 600)
S
1トレンチ
N
第 32 図 試掘調査地周辺図(S=1/ 3000)
第 34 図 試掘調査 141224 区トレンチ断面図(S=1/ 50)
市道
2トレンチ
3トレンチ
1 現代盛土 (公園造成土 )2 N4/灰色粘質土 (近現代耕作土)3 5Y4/1灰色粘質土 (近現代耕作土)4 2.5Y5/2暗灰黄色粘質土
5
1
3
4
4
3
4
7
6
7
1
7
6
2
1
1トレンチ東壁
8
S N
SN
2トレンチ東壁
3トレンチ西壁
5 5Y4/1灰色粘土6 7.5GY7/4緑灰色粘質土 (鉄分含む)7 2.5Y5/2暗灰黄色砂質土 (湧水あり)8 5Y5/1灰色粘質土
― 22 ―
図 版
図版1
狭山藩陣屋跡
13―06区
13-06区調査地全景(北西から)
13-06区1トレンチ(東から)
13-06区2トレンチ(東から)
図版2
狭山藩陣屋跡
14―01区
14-01区調査地全景(南から)
14-01区トレンチ西側(北から)
14-01区トレンチ東側(北から)
図版3
狭山藩陣屋跡
14―02区
14-02区調査地全景(東から)
14-02区トレンチ(北から)
14-02区トレンチ(東から)
図版4
狭山藩陣屋跡
14―03区
14-03区調査地全景(東から)
14-03区トレンチ(南西から)
図版5
池尻城跡
14―01区
14-01区調査地全景(北から)
14-01区1トレンチ(西から)
14-01区2トレンチ(西から)
図版6
池尻城跡
14―02区
14-02区調査地全景(南西から)
14-02区トレンチ(西から)
14-02区トレンチ中央土坑(南から)
図版7
池尻城跡
14―03区
14-03区調査地全景(東から)
14-03区窯跡断面(南東から)
図版8
池尻城跡
14―05区
14-05区調査地近景(北東から)
14-05区1トレンチ遺構検出状況(東から)
14-05区1トレンチ遺構検出状況(東から)
図版9
池尻城跡
14―05区
14-05区1トレンチ断面(北東から)
14-05区2トレンチ断面(北東から)
図版10
狭山神社遺跡
14―01区
・
陶邑窯跡群
13―02区
14-01区調査地全景(北西から)
14-01区トレンチ(東から)
13-02区調査地全景(南西から)
図版11
陶邑窯跡群
13―02区
・
遺跡外
13-02区トレンチ(西から)
20141224区調査地全景(北西から)
図版12
遺跡外
20141224区1トレンチ(東から)
20141224区2トレンチ(西から)
20141224区3トレンチ(東から)
図版13
狭山藩陣屋跡13―06区・14―01区出土遺物
5
2
1
3
2
1
3
6
図版14
狭山藩陣屋跡14―02区・池尻城跡14―01区出土遺物
1
2
1
図版15
池尻城跡14―03区出土遺物
1
7
11
4
3
2
5
10
9
8
報 告 書 抄 録
ふりがな おおさかさやましないいせきぐんはっくつちょうさほうこくしょ 24
書名 大阪狭山市内遺跡群発掘調査報告書 24
副書名
シリーズ名 大阪狭山市文化財報告書
シリーズ番号 44
編著者名 東影友美、大川 健
編集機関 大阪狭山市教育委員会
所在地 〒 589-8501 大阪府大阪狭山市1丁目 2384 番地の1 ℡ 072 - 366 - 0011
発行年月日 平成 27 年 3 月 25 日
収録遺跡 所在地コード 遺跡
番号 調査区北緯 東経 調査
面積 調査期間 調査原因市町村 °′″ °′″
狭山藩陣屋跡 大阪狭山市狭山 27231 -
13 - 06 34°50′44″ 135°55′31″ 172.9 平成26年1月6日 個人住宅
14 - 01 34°50′49″ 135°55′54″ 111.5 平成26年8月11日 個人住宅
14 - 02 34°50′50″ 135°55′48″ 59.3 平成25年7月9日 個人住宅
池尻城跡 大阪狭山市池尻中 27231 -
14 - 01 34°51′18″ 135°55′05″ 206.1 平成26年6月17日 個人住宅
14 - 02 34°51′15″ 135°54′89″ 294.4 平成26年7月14日 個人住宅
14 - 03 34°51′06″ 135°55′03″ 4358.8 平成26年4月16日 抜根伐採
14 - 05 34°51′12″ 135°54′94″ 781.9 平成26年12月15日~平成26年12月16日
抜根伐採
狭山神社遺跡 大阪狭山市半田 27231 - 14 - 01 34°49′23″ 135°55′74″ 58.93 平成26年4月16日 個人住宅
陶邑窯跡群 大阪狭山市茱 木 27231 - 13 - 02 34°49′47″ 135°55′44″ 998.7 平成25年12月5日 個人住宅
収録遺跡 種別 主な時代 主な遺構 主な遺物 特記事項
狭山藩陣屋跡 城館跡 近世 溝等 磁器、瓦等
池尻城跡 城館跡 中世 土坑、須恵器窯 須恵器、土師器、磁器、瓦等
狭山神社遺跡 集落跡 中世~近世 - -
陶邑窯跡群 生産遺跡 古墳 - -
大阪狭山市文化財報告書44
大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書 24
発 行 日 平成 27 年(2015 年) 3 月 25 日
編集・発行 大阪狭山市教育委員会 大阪府大阪狭山市狭山一丁目 2384 番地の1
印 刷 橋本印刷株式会社 奈良県葛城市竹内 365 番地 1