認知症 の治療 とケア の最前線 ~アルツハイマー 病 …...認知症 の治療...

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認知症の治療とケアの最前線 ~アルツハイマー病と漢方薬 水上 勝義 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授 1 岡田先生,ご紹介ありがとうございました。筑波 大学水上です。本日はこのような機会えてく ださり,本当にありがとうございます。本日認知症治療とケアの最前線というテーマでおしたいといます。よろしくおいします。 認知症といってもいろいろな疾患がありますが, 現在日本ではアルツハイマー血管性認知症レビー小体型認知症3 つの病気三大認知症われています。ただ,それ以外にも本日発表 にあった脳外科疾患前頭側頭型認知症などのもあり,認知症原因多岐んでおります。 ただし,認知症原因多彩であっても,認知症 症状3 つに大別されます。1 つは記憶障害当識障害をはじめとする認知機能障害です。これは 従来中核症状われてきたものです。2 しては行動・心理症状。これはもともと周辺症状われていたものですが, 最近では BPSD Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)というをされます。そして 3 が,神経症状身体 症状です。 この 3 つの症状がいろいろな割合さって生活上支障,すなわち生活機能障害せば認知症診断されます。最近BPSD漢方薬のデータが蓄積されてきていますので, まずはこのからめて,認知機能障害身体症状についてしふれたいといます。 従来 BPSD,とくに攻撃性興奮幻覚妄想 などの症状し,抗精神病薬がしばしばいら れてきました。最近ではリスパダールやセロクエ ルのような非定型抗精神病薬いられるように なり,以前用いられていた定型抗精神病薬よりも 比較的安全治療可能となりました。それでも やはり錐体外路症状過鎮静などのリスクがあり, その結果として ADL 悪化などにつながることが あります。また 2005 には認知症患者さんにする抗精神病薬使用により死亡率上昇するこ とが指摘されました。その結果として,以前にも して抗精神病薬して慎重いることがめられています。このような経緯があり,抗精神 病薬わる代替治療薬可能性検討されるよ うになり,そのうちのつが漢方薬ということに なります。 BPSDする報告がある漢方薬には,抑肝散抑肝散加陳皮半夏釣藤散黄連解毒湯当帰芍 薬散補中益気湯酸棗仁湯などがあります。中益気湯酸棗仁湯少数例する症例報告みられます。補中益気湯食欲低下やだるさなど 気虚症状して使われるおです。それに よって食欲して体力回復させ,活動性げることが期待されます。酸棗仁湯漢方睡眠 という位置づけので,認知症不眠,あるい はせんする症例報告があります。抑肝散釣藤散黄連解毒湯当帰芍薬散については,あ 程度症例数研究報告があります。ところで, このほかにも漢方薬には,柴胡加竜骨牡蛎湯味帰脾湯など精神症状して適用があるがあ りますが,これらは認知症のない精神症状けでなく,認知症精神症状にも使えます。すな わち BPSDする特別ということはなく, 通常精神症状使われる漢方薬はいずれも BPSD 特別講演 Journal of Neurosurgery and Kampo Medicine 脳神経外科と漢方 2015 1 16 23 回日本脳神経外科漢方医学会 学術集会 2014 11 8 講演記録

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認知症の治療とケアの最前線~アルツハイマー病と漢方薬

水上 勝義筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授

1

岡田先生,ご紹介ありがとうございました。筑波大学の水上です。本日はこのような機会を与えてく

ださり,本当にありがとうございます。私,本日は

認知症の治療とケアの最前線というテーマでお話し

したいと思います。よろしくお願いします。

認知症といってもいろいろな疾患がありますが,

現在日本ではアルツハイマー病,血管性認知症,

レビー小体型認知症の 3 つの病気が三大認知症と

言われています。ただ,それ以外にも本日ご発表にあった脳外科疾患や前頭側頭型認知症などの病気もあり,認知症の原因は多岐に及んでおります。

ただし,認知症の原因は多彩であっても,認知症の症状は 3つに大別されます。1つは記憶障害,見当識障害をはじめとする認知機能障害です。これは

従来,中核症状と言われてきたものです。2つ目と

しては行動・心理症状。これはもともと周辺症状と言われていたものですが,最近では BPSD(Behavioraland Psychological Symptoms of Dementia)という言い方をされます。そして 3つ目が,神経症状や身体症状です。

この 3 つの症状がいろいろな割合で組み合わ

さって生活上の支障,すなわち生活機能の障害を

来せば認知症と診断されます。最近,BPSDに対す

る漢方薬のデータが蓄積されてきていますので,

まずはこの話から始めて,次に認知機能障害,最後に身体症状について少しふれたいと思います。

従来 BPSD,とくに攻撃性,興奮,幻覚,妄想などの症状に対し,抗精神病薬がしばしば用いら

れてきました。最近ではリスパダールやセロクエ

ルのような非定型抗精神病薬が用いられるように

なり,以前用いられていた定型抗精神病薬よりも

比較的安全に治療が可能となりました。それでも

やはり錐体外路症状や過鎮静などのリスクがあり,

その結果として ADL の悪化などにつながることが

あります。また 2005 年には認知症の患者さんに対する抗精神病薬の使用により死亡率が上昇するこ

とが指摘されました。その結果として,以前にも

増して抗精神病薬に対して慎重に用いることが求められています。このような経緯があり,抗精神病薬に代わる代替治療薬の可能性が検討されるよ

うになり,そのうちの一つが漢方薬ということに

なります。

BPSDに対する報告がある漢方薬には,抑肝散,

抑肝散加陳皮半夏,釣藤散,黄連解毒湯,当帰芍薬散,補中益気湯,酸棗仁湯などがあります。補中益気湯,酸棗仁湯は少数例に対する症例報告が

みられます。補中益気湯は食欲低下やだるさなど

気虚の症状に対して使われるお薬です。それに

よって食欲を増して体力を回復させ,活動性を上げることが期待されます。酸棗仁湯は漢方の睡眠薬という位置づけの薬で,認知症の不眠,あるい

はせん妄に関する症例報告があります。抑肝散,

釣藤散,黄連解毒湯,当帰芍薬散については,あ

る程度の症例数の研究報告があります。ところで,

このほかにも漢方薬には,柴胡加竜骨牡蛎湯や加味帰脾湯など精神症状に対して適用がある薬があ

りますが,これらは認知症のない方の精神症状だ

けでなく,認知症の精神症状にも使えます。すな

わち BPSDに対する特別な薬ということはなく,

通常精神症状に使われる漢方薬はいずれも BPSD

特 別 講 演Journal of Neurosurgery and Kampo Medicine

脳神経外科と漢方 2015;1:1–6

第23回日本脳神経外科漢方医学会 学術集会2014年11月8日(土)

【講演記録】

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水上 勝義

にも使える可能性があります。ただ,現在のとこ

ろデータとして報告されているのは,ここにあげ

た漢方薬ということです。

当帰芍薬散は婦人科系疾患や女性の症状に非常によく使われる薬ですが,基礎研究では,血流改善作用や抗アポトーシス作用が報告されており,

認知症に対する臨床研究も報告されています。九州地方で 80 例のアルツハイマー型認知症と血管性認知症に対するオープン試験が行われました。そ

の結果として睡眠障害,情緒障害に対して効果が

あるという結果が報告されています。

次に抑肝散についてお話します。抑肝散の BPSDに対する報告はかなり蓄積されてきています。も

ともと抑肝散は子どもの夜泣き,かんの虫の薬で

す。1984 年に原先生が初めて高齢者の情緒障害に

対する効果を検討しました。認知症を含む 48 例の

情緒障害を認める高齢者に対して抑肝散を投与し

著効 32 例,有効 11 例,やや有効 3 例,無効 2 例ときわめて高い有効率を報告しています。

西洋薬でこのようなデータを示すとかえって怪しまれるくらいの高い有効率です。ただ,後ほど

少しふれますが,この研究では漢方特有の証が影響した可能性があります。といいますのは,この

研究では,抑肝散が効きやすいと考えられる体質(証)の患者さんをエントリーさせています。そう

することで有効率がよくなる可能性を示唆した報告といえます。特に効果がみられた症状は不眠,

易怒性,興奮,せん妄です。これらは最近の抑肝散の報告で効果がみられる症状と一致しています。

次に 2005 年に東北大学で西洋医学的なコント

ロール試験が行われました。対象疾患はアルツハ

イマー型認知症,血管性認知症,混合型,それか

らレビー小体型認知症であり,メジャーな認知症がすべて含まれています。この試験では対象を抑肝散投与群 27 例とコントロール群 25 例に無作為に分けました。4 週間後,抑肝散群は BPSDが有意に改善しコントロール群は改善しなかったという

結果が出ています。同時に抑肝散群は ADL も改善したことが報告されています。漢方薬の場合はこ

のように BPSD以外の,ADL あるいは認知機能な

どにも効果がみられることがあり,その点は西洋

薬の報告とは少し違う印象です。

われわれは抑肝散の効果を関東地区 20 施設の共同で検討しました。A,B 群 2 群に無作為に分け,

A群は抑肝散を最初 4 週間服用し後半の 4 週間は

休薬し,B 群は抑肝散を最初休薬し後半の 4 週間服用していただきました。この結果,A群は,4 週間の服用によって BPSDが改善しました。興味深かったのは,服用をやめた後半 4 週間もリバウン

ドによる悪化がみられず,改善が持続していたこ

とです。ですから,抑肝散でカリウムが低下し,

すぐ中止しなければならない状況があれば,すぐ

中止しても BPSDがすぐに悪化することはないこ

とを示しています。後半の B 群は服用しなかった

前半 4 週間 BPSDに改善はみられず,後半 4 週間改善しました。

個々の症状をみると,A群は妄想,幻覚,興奮,

易刺激性,異常行動,B 群は興奮,うつ,不安,

易刺激性に改善がみられ,A群も B 群も興奮や易刺激性に効果を認めました。これは先ほどの 1984年の原先生の結果と一致しています。ただ,それ

以外にもかなり広範な症状に効果を認めたという

ことになります。

その後,抑肝散についてはさまざまな研究デザ

インの臨床試験が報告されています。抑肝散とス

ルピリドを併用した群とスルピリドだけを用いた

群について効果を検討した報告では,併用群の方が BPSDは有意に改善し,併用群はスルピリドの

使用量が減量できました。要するに抑肝散を投与することによって抗精神病薬を減らせる可能性を

示唆した報告ということになります。ドネペジル

(アリセプト)と抑肝散の併用効果を報告した論文では,ドネペジル単独群よりも抑肝散を併用した

群の方が BPSDの改善がみられたことが報告され

ています。以上の 4 報告をメタ解析した結果が

2013 年に報告されています。そこでは,NPI のトータルスコア,妄想,幻覚,興奮・攻撃性と

ADL に関して有意差な改善がみられます。ところ

で,これまでの抑肝散の報告では,MMSE でみた

認知機能に関しては改善も悪化もみられません。

要するに認知機能には抑肝散の影響はないという

ことが言えます。

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脳神経外科と漢方 2015;1

メタ解析で幻覚に対する効果に触れましたが,

2005 年に東北大学の岩崎先生らが『Journal ofClinical Psychiatry』にレビー小体型認知症の幻覚に対する効果を報告しています。ドネペジルを使用して改善がみられなかった 15 例のレビー小体型認知症の幻視,幻覚に対して抑肝散が著明な改善を示しています。その後 2012 年に 63 名のレビー

小体型認知症に対して多施設共同オープン試験が

行われました。その結果,妄想,幻覚,うつ,不安に対して有効だったことが示されています。

レビー小体型認知症は抗精神病薬に対する過敏性のため副作用がしばしばみられます。ときには

抗不安薬,抗うつ薬,L ドーパなどに対しても過敏性がみられることがあり,治療上非常に注意を

要する病気です。それにもかかわらず BPSDが一番多くみられる認知症疾患であり,治療に難渋す

ることが多かったのですが,ある程度効果が期待できる漢方薬の選択肢が増えたということはレ

ビー小体型認知症の診療にとって朗報と考えます。

岩崎らのデータでは 2 週間目ですでに介護負担感にも改善がみられています。このことから抑肝散の効果は早期に現れるといえます。この点につ

いては以前私が報告したデータからもみてとれま

す。先ほどの 20 施設の共同試験とは別に,連続自験例に対して抑肝散の効果を検討しました。その

結果,易怒性,攻撃性,不眠の改善が多くみられ

ました。私の検討では,BPSDに対して BEHAVE-ADという尺度を用いましたが,効果は 2 週間のう

ちにみられ,2 週間から 4 週間にかけても若干新た

な効果がみられますが,4 週間以降は新たな効果は

ほとんどみられない結果でした。このことから抑肝散は最初の 2 週間,あるいは長くても 4 週間み

て効果があるかどうか判断でき,もし 4 週間で効果がみられなければ,他の薬を検討したほうがよ

いと私は考えています。

同時にこの研究では腹直筋の張りについて検討しました。足を伸ばしてベッド上に寝ていただき,

へその横にある腹直筋に触れます。腹直筋は両方ありますから,左でも右でも触ったときに弾力性や緊張がある場合,抑肝散が効きやすい証です。

特に左に緊張があるときはより効果が得られやす

いようです。自験例でも腹直筋の張りがある場合,

効果がみられました。腹直筋の触診は効果予測に

有用ということになります。

実は最初にご紹介した原先生の研究は 90%を超える有効率を示しましたが,最初から腹直筋の張りのある方をエントリーしています。漢方ですか

ら証に注意を払うことで,ある程度の効果予測が

できたり薬剤を使い分けることが可能になると思います。

このように抑肝散の臨床報告はかなり多くなり,

アルツハイマー型認知症,血管性認知症,混合型,

レビー小体型認知症,前頭側頭型認知症などメ

ジャーな認知症の BPSDに対する効果が英文論文で報告されています。したがって鑑別診断が難し

いケースであっても,易怒性,興奮,幻覚などの

BPSDに対して,抑肝散を使ってみてよいのではな

いかと思います。

抑肝散の作用機序ですが,セロトニンとグルタ

ミン酸伝達系の調節効果が BPSDに対して最も大きく関与すると考えられています。この辺りの基礎的なデータもかなり蓄積されてきています。

もう一度腹証についてふれます。抑肝散の効果がみられる例では腹直筋の緊張,特に左に強いと

申し上げました。また柴胡という生薬が入ってい

る場合,胸脇苦満という証があると効くとされま

す。肋骨弓の下に手を添えて痛みや不快感を患者さんが自覚するかどうかを調べます。抑肝散にも

柴胡という生薬が入っているので,胸脇苦満を認める場合にも効くことが多いとされます。

原先生の研究対象の 96%に腹直筋の緊張を認め

ていますが,そのほかの例には臍傍悸を認めたと

記載されています。腹直筋の張りがない方で,へ

その左を触ったとき,ペコンとお腹がへこみ,大動脈の拍動が振れることがあります。これが臍傍悸です。これが触れる場合は抑肝散ではなく,抑肝散加陳皮半夏の効果が得られやすいといわれて

います。抑肝散加陳皮半夏とは抑肝散に陳皮と半夏という生薬が加わったお薬です。対象症状は抑肝散と同じですが,虚証,すなわち,より体力の

低下が目立つ患者さんに用いられる薬です。腹力が軟らかく,腹直筋の緊張を認めず,そしてへそ

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水上 勝義

の脇の大動脈の拍動がふれる場合,抑肝散加陳皮半夏の証です。原先生の研究では,臍傍悸を認め

た方には抑肝散加陳皮半夏を処方しておられます。

要するに証にあわせて抑肝散か抑肝散加陳皮半夏を使い分けると,効果の確率が上がる,それを示唆した論文といえます。原先生以外の抑肝散の

データはすべて西洋薬的な研究デザインで,腹証は考慮せず,エントリー基準に従って対象をエン

トリーし,1 日 7.5 g を一律に投薬し,対照群と差があるかどうかを調べた研究ですが,証という観点も考慮して治療にアプローチすると有効性がさ

らに上がるのでは,と考えております。

先ほど抑肝散の効果はセロトニン,グルタミン

酸という 2 つの系の調節作用によると申し上げま

したが,抑肝散加陳皮半夏はセロトニンとグルタ

ミン酸伝達系の調節作用に加えてアセチルコリン

伝達系の活性化作用があります。ということは認知機能に対する効果も期待されます。しかしなが

らこの点について多少言及した報告はあるのです

が,いまだ明らかではありません。

次に釣藤散についてお話しします。これはよく

頭痛に使われる薬です。虚証の方の薬で抑肝散よ

りもさらに副作用が少ない印象を持っています。

釣藤散については,139 名の血管性認知症を対象にした多施設共同二重盲検プラセボ対照比較試験という,非常にエビデンスレベルの高い報告があ

ります。この報告ではせん妄,不眠,幻覚・妄想に

効果が認められており,この点はかなり抑肝散と

類似しています。また血管性認知症以外に,レ

ビー小体型認知症の同様の症状に対しても効果が

みられる場合があります。釣藤散と抑肝散の共通生薬である釣藤鈎が効果に大きく関与していると

考えられます。基礎研究では,虚血後の遅延細胞死に対する防御効果や脳由来神経栄養因子

(BDNF)の増加効果など脳保護作用が報告されて

います。

次に黄連解毒湯です。この漢方薬は高血圧や皮膚掻痒症,胃炎,不眠症,ノイローゼなどさまざ

まな症状や病態に適応があります。釣藤散と同じ

く基礎研究では,脳血流改善作用が報告されてい

ますが,黄連解毒湯は実証の薬で,ここが釣藤散

と違います。釣藤散は虚証の薬ですから,実証の

方でも虚証の方でも中間証の方でもあまり副作用を気にせず用いることができますが,実証の薬は

虚証の方では副作用が現われやすくなるので,処方に際して注意が必要になります。かなり昔の,

20 年以上も前のデータですが,血管障害 148 例を

対象として,ホパンテン酸カルシウムと比較した

試験があり,不穏,興奮,抑うつ,不安,焦燥,

ADL,認知機能に対して黄連解毒湯の方が有効だったことが報告されています。

ここで自験例を紹介します。58 歳の脳出血後遺症の男性です。不機嫌で怒りっぽくなり家族に伴われ受診しました。初診時,血圧は 156 ⁄ 96 mmHgで,赤ら顔,実証タイプです。話をするとすぐ上気するタイプは黄連解毒湯が非常に効きやすいと

言われ,赤ら顔は黄連解毒湯を使うときの証の一つと言われています。胃の調子も悪く,近医で降圧剤の他に胃薬も投薬されていました。

黄連解毒湯を 5 g から開始し,2 週間後再診時に

は不機嫌,易怒性が改善し,自ら「気分がいい」と

言っておられました。その後,胃薬,降圧剤を減薬できました。黄連解毒湯は胃薬にもなるし降圧剤にもなるので,この例では 3 つの働きを発揮し

たのですが,この点も漢方薬の利点と考えられま

す。それから黄連解毒湯を 5 g から開始したと申し上げましたが,抑肝散も私は 7.5 g から開始する

ことは滅多になく,通常 5 g から開始します。2 週間みて副作用がない,症状も改善しないというこ

とであれば 7.5 g に増量します。少量から開始する

ことでさらに副作用の発現が減らせると思います。

また夜間の不穏行動など,夜間の症状だけであれ

ば夕食前,寝る前の 2 回投与か,寝る前 1 回投与でも効果がみられることが報告されています。以上述べてきた漢方薬の効果について Table 1 にま

とめます。

残りの時間で認知機能障害と身体症状に対する

漢方薬の効果についてお話します。認知機能改善効果が報告されている漢方薬として八味地黄丸が

あります。八味地黄丸はもともと漢方の抗老化薬という位置づけですが,アルツハイマー型や混合型を対象としたプラセボ対照比較試験で,八味地

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脳神経外科と漢方 2015;1

黄丸服用群は MMSE の得点が改善し,その後八味地黄丸をウォッシュアウトするとプラセボのレベ

ルと変わらなくなったことが報告されています。

八味地黄丸にはコリンアセチルトランスフェラー

ゼの活性作用が考えられており,アセチルコリン

伝達系の賦活作用が認知機能効果をもたらしたと

考えられます。

帰脾湯の認知機能に対する効果も報告されてい

ます。帰脾湯は貧血に対する薬ですが,3 ヵ月の

RCT で MMSE の得点を調べたところ,無治療群や牛車腎気丸群と比較して帰脾湯群だけ MMSE の

得点の改善を認めました。帰脾湯の構成生薬の一つである遠志にアセチルコリン伝達系賦活作用が

認められており,その効果が考えられます。遠志は加味帰脾湯や人参養栄湯にも含まれるので,こ

れらの薬も認知症の認知機能障害に対して効果が

ある可能性が考えられます。

八味地黄丸は下肢のしびれや頻尿などの症状に

用いられる薬です。また帰脾湯は貧血の薬ですが,

このような身体症状をもつ認知症の患者さんに用いることで,身体症状と同時に認知機能にもプラ

スの効果が得られる可能性があります。この点に

おいても認知症診療で漢方薬を活用することが有用と考えます。

身体症状についてさらに話を進めたいと思いま

す。半夏厚朴湯という薬があります。われわれ精神科では不安障害や,胸の内側に何か物が詰まっ

たような感じがするという訴え,いわゆるヒステ

リー球症状などに使います。この半夏厚朴湯が嚥下障害に対して有効というデータがいくつかあり

ます。特に認知症の誤嚥性肺炎のリスクを低減す

る,あるいは誤嚥性肺炎の既往がある高齢者の嚥下反射を改善するというデータが報告されていま

す。血管性認知症やレビー小体型認知症の患者さ

んは,ある程度進行してくると嚥下機能が低下し

やすく,誤嚥のリスクが高まります。半夏厚朴湯はこのような場合有用と考えられます。効果のメ

カニズムはまだはっきり分かっていませんが,基礎的研究からサブスタンス P の増加やドパミン系の賦活効果などが示され,嚥下障害改善効果と関連すると考察されています。

それから補剤についてお話しします。西洋医学の場合は症状を抑え込む治療が一般的ですが,漢方の場合は体内の免疫力や治癒力を高めるという

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抑肝散 釣藤散 黄連解毒湯 当帰芍薬散

認知症型アルツハイマー型レビー小体型血管性認知症前頭側頭型

血管性認知症 血管性認知症 アルツハイマー型血管性認知症

証中間から虚症

(さらに虚証では抑肝散加陳皮半夏)

虚証 実証 虚証

対象症状易怒性,興奮,うつ,不安,幻覚・妄想,睡眠障害,せん妄

幻覚・妄想,睡眠障害,せん妄

易怒性,不機嫌,うつ,不安

感情不安定,焦燥,睡眠障害

認知機能への影響 なし 改善の報告あり 改善の報告あり 改善の報告あり

ADL への影響 改善の報告あり 改善の報告あり 改善の報告あり 改善の報告あり

副作用 消化器症状低 K 血症 消化器症状 消化器症状

肝障害 消化器症状

Table 1

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水上 勝義

考え方があり,その代表的な方剤が補剤です。例えば食欲低下や倦怠感など気虚に対しては六君子湯や補中益気湯が使われますし,十全大補湯は気虚・血虚に対する代表的な補剤です。認知症高齢者の場合,ちょっとした体調の変化や薬の影響で食欲が落ち,その後急速に寝たきりになることも珍しくありません。このような経過に対して補剤を

活用していくことが非常に有用と考えます。

順天堂大学から,認知症高齢者の食欲不振に対し,六君子湯を投与したところ,食欲が順調に回復した結果が報告されております。補中益気湯は

六君子湯よりも多少抗うつ作用が強く,食欲がな

くて元気がない,活気がない高齢者に対し,補中益気湯が有効だったとする症例報告がいくつか報告されています。79 歳の男性自験例を紹介します。

77 歳頃から物忘れが出現し 78 歳で,スコップを

盗まれたと訴えるようになりました。日中の眠気,

倦怠感を訴え,臥床がちとなり,興味,関心も低下したため,近医でドネペジルが投薬されたが改善はみられず,初診しました。

初診時,記憶障害,見当識障害,易疲労感,倦怠感,自発性低下,関心の低下などが目立ちまし

た。一見うつにみえましたが,本人にたずねると

憂鬱さは否定しました。認知症の方で元気がなく

て物事に関心を示さなくても,ご本人に尋ねると

「特に具合は悪くない。気分もゆううつではない。

つらくない」と言う方がおられます。本人につらさ

の自覚がないのです。この患者さんがまさにそう

ですが,こういう場合はうつではなく,アパシー

です。もし西洋薬で治療する場合,アパシーであ

れば SSRI は効きません。逆にアパシーが悪化す

ることがあります。この方は食後の眠気を訴えて

いました。食後の眠気は気虚の一つの徴候です。

気虚で活気がないと考え,補中益気湯を処方しま

した。

補中益気湯を開始し,2 週間で興味,関心が回復し,日中起きている時間が長くなり,その後散歩も開始しました。夜間も良眠できるようになりま

した。午前中のだるさだけは残っていますが,畑仕事に対する意欲も戻ってきたとのことです。こ

のように補剤は食欲や活気がない方に対して有用と考えます。

最後に認知症患者に対する漢方治療の利点をま

とめます。まずは安全性です。最初に申し上げた

ように漢方薬には錐体外路症状や抗コリン作用の

副作用がみられません。逆にアセチルコリン賦活作用を有するものがあります。それから ADL や認知機能を低下させずむしろ改善効果がみられるも

のもあります。漢方薬によっては併用薬剤数を減らせること,また身体疾患の治療に用いる漢方薬で認知機能に対する効果が期待できることなども

利点として挙げられます。

そして釣藤散,黄連解毒湯,当帰芍薬散でみら

れるような脳神経保護作用です。抑肝散や釣藤散に共通する構成生薬である釣藤鈎には Aβの凝集抑制作用が認められます。

以上述べてきたように,認知症患高齢者に対し

て漢方薬はいくつもの利点があると言えます。今後漢方薬を活用していくことが認知症診療におい

て非常に有用と考えています。

本日のお話を終わります。ご清聴どうもありが

とうございました。

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