音楽の技法1 - 福島大学附属図書館...由来する。ドイツ語では,Punkt gegen...

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嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 11 音楽の技法1 「厳格対位法、その音階と旋律」 嶋津 武仁 一)はじめに どんな芸術も,それが作られる時代や地域を超 え,あるいは多くの時代や地域に共通する要素と, そうした時代,地域に強く結び付けられ,あるい は支配される要素を持っていると思われる・それ らは時に一つの作品の中に混然と,時に互いに補 完しあって存在するといったものから,それら様々 な環境の中で行われる芸術作品の所属する様式や それを構成するシステム,さらに構成要素のあり 方などを規定する法則と言えるものの中にも見ら れるものと思われる。それらの中に音楽の「技法」 とか「語法」と呼ばれるものがある。 この小論では,教会旋法の音階と旋律について 扱っているが,いわゆる「旋律論」ではない。ポ リフォニーの歴史の中で展開する「対位法」の技 法について考え(注1)・更にその素材としての 「音階」と「旋律」に論旨は進んでいく。いわば, 「フラクタル理論」で示されている方法を論述の 展開に試みたと言っていいだろう。そして,それ らを関係付けている「もっとも深いところにある 根本的条件にまで遡る」 (注2)ことを試行して いる。 ある限られた時代と地方の,またその中でもひ とりの作曲家に代表されるあるモデルの,さらに その根源的「技法」を通じて,音楽の表現がもつ 特異性と非特異性,偏狭性と普遍性,地方性と一 般性などについて考察することも可能であろう・ そして,そこから,今日わが国に多様に紹介され ているポリフォニックな技術とその中で示されて いる様々な「限界」やいわゆる「規則」の根拠を 考え,より豊かな表現の「手続き」として見直し, 今日の我々の置かれている「特異な」環境におけ る表現のありうべき姿をも考えるものである。 これはある一つの時代の限られた技法の研究で あり,それが即,唯一最良の教育法の展開を意図 したものではないが,今までの理論書と言われる もののなかには,その理論の根拠が示されていな い「規則」の羅列によるものも少なくない。ここ ではそうした事例に対してもできる限りその根拠 を示しながら,なおその研究や学習の過程に存在 する疑問をも明確にすることを意図している・ 以上の考察を経て,今日の個々の作曲家がその 音楽的主張を形成する,いわゆる「音楽の語法」 (注3)の生成の適切なあり方を考え,それを今 日我々が陥ってしまった様々な疑問を解くキーを 発見する一助にしたいと考えるものである。 二)音楽の技法 く芸術の中における共通性と特異性> 表現芸術としての音楽について考えるとき,そ こに2つの論議の方向を設定することができる。 いかなる芸術にも共通した,いわば表現の形を越 えた側面と他の芸術と異なる音楽固有の特徴とで ある。 芸術がもつ表現の共通性を考えると,観察者の 側からは,ある優れた作品は他の存在のあり方と は異なる何かを,例えば,同一の作家自身による ものも含めて,他の存在から自らを区別するある 種の主張やファンタジーを感じることをあげるこ とができるだろうし,作者の立場では,自らの領 域の中で与えられた平面,空間,時間等の〈キャ ンバス〉の上に様々な,思惑とアイディア,意図, 或はそれらをも含んだ表現要素すべてをコントロー ルして,自らの世界を構築しているといったこと が考えられる。 一方,音楽と他の表現芸術を分ける様々な違い を挙げることは,そう困難な作業ではあるまい。 それが聴覚と時間の中で構成されること,その結 果極めて抽象性の高い表現様式であること,又, 時に(演奏者や演奏媒体,更には出版やコピーさ れた楽譜を通じた)間接的表現方法をとること等 が考えられる。 しかしそうしたジャンルなどの枠による固有の 性質を論議したところで,それが一般論や最大公 約数的に把握しようとする限り芸術の本質に達す

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  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 11

    音楽の技法1「厳格対位法、その音階と旋律」

    嶋津 武仁

    一)はじめに

     どんな芸術も,それが作られる時代や地域を超

    え,あるいは多くの時代や地域に共通する要素と,

    そうした時代,地域に強く結び付けられ,あるい

    は支配される要素を持っていると思われる・それ

    らは時に一つの作品の中に混然と,時に互いに補

    完しあって存在するといったものから,それら様々

    な環境の中で行われる芸術作品の所属する様式や

    それを構成するシステム,さらに構成要素のあり

    方などを規定する法則と言えるものの中にも見ら

    れるものと思われる。それらの中に音楽の「技法」

    とか「語法」と呼ばれるものがある。

     この小論では,教会旋法の音階と旋律について

    扱っているが,いわゆる「旋律論」ではない。ポ

    リフォニーの歴史の中で展開する「対位法」の技

    法について考え(注1)・更にその素材としての

    「音階」と「旋律」に論旨は進んでいく。いわば,

    「フラクタル理論」で示されている方法を論述の

    展開に試みたと言っていいだろう。そして,それ

    らを関係付けている「もっとも深いところにある

    根本的条件にまで遡る」 (注2)ことを試行して

    いる。

     ある限られた時代と地方の,またその中でもひ

    とりの作曲家に代表されるあるモデルの,さらに

    その根源的「技法」を通じて,音楽の表現がもつ

    特異性と非特異性,偏狭性と普遍性,地方性と一

    般性などについて考察することも可能であろう・

    そして,そこから,今日わが国に多様に紹介され

    ているポリフォニックな技術とその中で示されて

    いる様々な「限界」やいわゆる「規則」の根拠を

    考え,より豊かな表現の「手続き」として見直し,

    今日の我々の置かれている「特異な」環境におけ

    る表現のありうべき姿をも考えるものである。

     これはある一つの時代の限られた技法の研究で

    あり,それが即,唯一最良の教育法の展開を意図

    したものではないが,今までの理論書と言われる

    もののなかには,その理論の根拠が示されていな

    い「規則」の羅列によるものも少なくない。ここ

    ではそうした事例に対してもできる限りその根拠

    を示しながら,なおその研究や学習の過程に存在

    する疑問をも明確にすることを意図している・

     以上の考察を経て,今日の個々の作曲家がその

    音楽的主張を形成する,いわゆる「音楽の語法」

    (注3)の生成の適切なあり方を考え,それを今

    日我々が陥ってしまった様々な疑問を解くキーを

    発見する一助にしたいと考えるものである。

    二)音楽の技法

    く芸術の中における共通性と特異性>

     表現芸術としての音楽について考えるとき,そ

    こに2つの論議の方向を設定することができる。

    いかなる芸術にも共通した,いわば表現の形を越

    えた側面と他の芸術と異なる音楽固有の特徴とで

    ある。

     芸術がもつ表現の共通性を考えると,観察者の

    側からは,ある優れた作品は他の存在のあり方と

    は異なる何かを,例えば,同一の作家自身による

    ものも含めて,他の存在から自らを区別するある

    種の主張やファンタジーを感じることをあげるこ

    とができるだろうし,作者の立場では,自らの領

    域の中で与えられた平面,空間,時間等の〈キャ

    ンバス〉の上に様々な,思惑とアイディア,意図,

    或はそれらをも含んだ表現要素すべてをコントロー

    ルして,自らの世界を構築しているといったこと

    が考えられる。

     一方,音楽と他の表現芸術を分ける様々な違い

    を挙げることは,そう困難な作業ではあるまい。

    それが聴覚と時間の中で構成されること,その結

    果極めて抽象性の高い表現様式であること,又,

    時に(演奏者や演奏媒体,更には出版やコピーさ

    れた楽譜を通じた)間接的表現方法をとること等

    が考えられる。

     しかしそうしたジャンルなどの枠による固有の

    性質を論議したところで,それが一般論や最大公

    約数的に把握しようとする限り芸術の本質に達す

  • 12 福島大学教育学部論集第45号

    るのは困難なことのように思われる。芸術美は一

    般論として存在するのではなく,個人の中にのみ

    存在するのではないだろうか。その美は,必ずし

    も誰でもが認知するようなものではなく,時に作

    品に関わる当事者にのみ存在する世界の中にある

    ように思う。芸術はそれを制作するものにも,そ

    れを観察するものにも,その個人いわば当事者の

    ものであり,その人がもつ様々な要素のほとんど

    が,彼固有のものであり,その中でも特に,彼自

    身の知識,能力,芸術感覚,そして何よりも彼自

    身の持つ固有の感情が彼に対峙する作品のあり方

    を左右すると言ってもいいものであろう。

    〈技  法〉

     より伝統的,かつ一般的に音楽の表現技術を説

    明するのに「音楽技法」あるいは「作曲技法」と

    いう言葉がある。音楽の創作に用いられる技術に

    は,その時代や地域といった,その作品を生み出

    した環境における音楽のあり方などに対する考え

    方が反映されていることがあるように思われる。

     J.S.バッハはその最後の作品として「フーガ

    の技法」 (Die Kunst der Fuge)を残した。こ

    の場合の「技法」 (Die Kunst)は,殆ど「芸

    術」 (Die Kinste)と同義だと言っていいだろ

    う。今日の音楽の「語法」と言ってもいい徹底し

    た主張をも含んだ意味を持っているように思われ

    る。ここで「技法」は,素材の処理や構造に関わ

    る単なる「テクニック」を超え,音楽や創造活動

    に対する考え方をも含んでさえいるように思える。

    その言葉が示す一般的意味より,個性的な世界の

    表出とも言えるものであろう。突き詰められた

    「技法」はほとんど「語法」と区別が付かないだ

    ろう。

     「技法」をそうした生きた人間の行為として捉

    え,それが築き上げられた環境の様々な制約を読

    み取ることも可能であろう・そして結局はそうし

    た時々の環境が刻み込まれた「技法」や我々の音

    楽体験が我々自身の「語法」に組み込まれて来て

    いるのではないかと思われる。

     今,こうした「技法」の側面をクローズアップ

    して見てみることは,一方に於て我々が置かれて

    いる状況,環境の特異性をも理解することになる

    のではないだろうか。又,創作に関わって言うな

    らば,そうした視野を展開し,発展させることは,

    西洋と東洋の間で日本人として自らのオリジナリ

    1989-3

    ティーの世界の創造を求めていくものにとって,

    どちらの世界にも語りうる,より優れた説得力を

    持つ為の必要なプロセスであるとも言える。

    〈西洋との距離〉

     音楽固有の問題の一つとして,今日,我々日本

    人の音楽の状況について考えてみると,そこには

    明治期に強制的とも思える「西洋音楽」の導入以

    後とそれ以前の音楽との断絶的状況を見過ごす訳

    にはいかないであろう・いわば,日本の「西洋音

    楽」が,「日本の音楽」に教育上とって代わった

    と言うことができたのである。それによってもた

    らされた結果に対し,今後更に十分な検証が為さ

    れなければならないであろうし,我々にとっての

    西洋音楽の意味をも問い直されなければならない

    であろうが,私にとってもっとも重大と思える点

    は,そうした我々の「出発点」と西洋音楽のそれ

    との違いが引き起こした互いの音楽観の大きな隔

    たりであり,しかも今日においてもなお,その距

    離は縮まっているようには思えないことにある。

     近代国家の出発と共に,我が国が導入し,今日

    なお教育的にも考え方の面でも中心においている

    音楽は,それを生み出したヨーロッパから歴史的

    にも地理的にも,またその他のそれを包み込む諸々

    の環境からも遠く離れた東洋の片隅にある我々に

    とって,まだどこか異質な要素をもっているよう

    に思える。それを考える材料として,ここで更に

    その「技法」について考えてみよう。そのよい例

    として,根源的音楽への考え方が反映されてきた

    「対位法」に関して考察してみる。

    三)対位法の概観

    〈領  域〉

     対位法(Kontrapunkt)という言葉は,ラテ

    ン語のpunctus contra punctumという言葉に

    由来する。ドイツ語では,Punkt gegen pmkt

    (点対点),即ちNote gegen Note(音符対音符)

    を意味する。このことは,対位法がもつ最も本質

    的意味が,その言葉自身のなかに既に含まれてい

    ると言うことができる。いわば,音と音との関係

    についての諸々の試み全てが対位法の歴史を構成

    したとも言えるのである。しかしそうした側面は

    また,対位法の持つ領域を本質的に不明確で流動

    的なものにしている・そしてそれは,対位法に関

    し,今日においてなお様々な解釈がなされる原因

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 13

    の一つとなっているものと思われる。

     音楽が存在する次元は,縦軸と横軸の双方につ

    いて考えることができる。その中で対位法が主に

    対象となるのは後者である。そして,前者に関す

    る追求が和声学を形成したのである。言い替える

    と対位法は横に流れる雄律線のあり方を追求する

    とともに,同時に進行する各々の声部がその独立

    性を失わないようにする音楽技法であり,それが

    音楽の作品としてPolyphonie(多声音楽)とい

    うスタイルを確立する。それは,同時になる響き

    としての音の縦軸構造に自然倍音構造からひきだ

    された機能が加えられて形成された和声学と区別

    されうる。

     とは言え,対位法で扱われるのは複数の声部に

    よる技術ばかりではない。「声部の独立性」とは,

    まず各々の単一の旋律線をいかに描くかというこ

    とが重要な課題になる。旋律という表現の形はそ

    れだけでも音楽の中の独立した意味を持つ。そし

    て又,旋律と「言葉」との強い関連性も大きな意

    味をもっている。その「線」のあり方はその背後

    の社会で使われている「言葉」に多くを負ってい

    ることは言うまでもない。

     更に,複声の様式は様々な展開の可能性をもつ。

    それは結果として,様々な形式を生み出す・ミク

    ロな要素からマクロな構造ができあがっている・

     実際の音楽作品は各々の技術が個別に扱われる

    のではなく,様々な技術や語法が無数のレベルで

    組み合わされている。とりわけ,優れた作曲家の

    作品は既成の範囲を常に越えようとするものであ

    る。実際,対位的書法から和声的書法へは全く連

    続的関連性をもっているのである。しかし,それ

    が関連するいかなる側面もすべて,ヨーロッパの

    音楽のみならず芸術,文明に至る大きな流れの一

    場面を形成していることには変わりないだろう。

    〈特異性,地方性〉

     対位法は音楽のもつある種の本質を反映したも

    のであることを示しながら,そこでは語り尽くせ

    ない特異な世界をも反映している。それはヨーロッ

    パの言葉,生活,宗教,自然,その他諸々の環境

    の上に形成されてきたものであり,その意味にお

    いては,地方的性格をも多く持っていることが認

    識されなければならず,その原理を不偏なものと

    して,そのままそれが培われた世界と異なる地域

    に持ち込むことには無理があるように思われる。

    対位法に関して論述する場合,相異なる地域や時

    代など,各々の背後にある世界の違いを無視する

    ことはできない。先に述べたある種の混乱はそう

    した論述の根底が不統一で,各々の違いを踏まえ

    ていないことにもよるものと思われる。ここに最

    初から普遍的法則を設定することはできないので

    ある。同じヨーロッパでも地域による差異(例え

    ば,ドイツとフランスの違い,ドイツでも北と南

    の違い)は考慮されなければならない。その意味

    でも対位法は,地方的性格を強く持っているもの

    と考えることができる。またそれを導入する我が

    国の状況(その地方的性格)をも考慮しなければ

    ならない。その点,「和声学」はそうした手続き

    の上にかなりの変更と適用が為されて成功してき

    たように思われる。しかし同時にそれが表現の画

    一化をも引き起こしかねないことに注意しなけれ

    ばならないであろう。

    〈成立と纒過〉

     ヨーロッパの音楽の歴史の中で,音楽の技法が

    問われはじめた時,対位法の歴史が始まったと言

    える。最も明確な形で知られているのは,グレゴ

    リオ聖歌Gregorianischer Chora1であろう。それ

    は,ある限られた時代の創作ではなく,ほぼキリ

    スト教の成立以来の長い歴史の間に培われ,数世

    紀にわたってそれまでのヨーロッパ各地の(とり

    わけラテン教会の) 「教会音楽」の発掘や整理,

    あるいは統合で為されてきたものである。そうし

    た時代はまたr真にヨーロッパ文化を生じさせた」

    (注4)ヨーロッパの文化の形成期でもあった。

    教会音楽自身もそれまでのヨーロッパ音楽の継承

    の上に成立している。ほとんどその確かな記録を

    持たない時代のことを,そのほんの僅かに発見さ

    れたことを頼りに論じることは,あまり説得力を

    持つとは思われないが,最もよく知られているの

    は,ギリシャ音楽との共通性であろう。とりわけ

    そこからその「音階」は引き出されたと言われて

    いる。「音階」から「旋律」が生まれた。その最

    初期のものは独唱の単旋律音楽であり,今日「モ

    ノディ」Monodieと呼ばれている。対位法の重

    要な「領域」として「旋律」があることは,繰り

    返すまでもないことであろう。

     複数の声部を持つ楽句は同じ旋律を複数の歌手

    が歌う単旋律合唱或は簡単な伴奏を伴った歌曲と

    して「モノフォニー」Monophony (注5)と呼

  • 14 福島大学教育学部論集第45号

    ばれている。グレゴリア聖歌はこの形態にまで展

    開し,変遷を繰り返し,音楽の多声化とともに衰

    退していったといわれている。

     異なる声部を持つものとしては「ヘテロフォニー

    」Heterophonieが最も古い形と言われている。

    これは民族音楽などにも見られる形態であるが,

    最も原始的演奏形態でもあるといわれる。

     より複雑で技巧的な多声の声楽曲は「ポリフォ

    ニー」Polyphonie(多声音楽)と呼ばれ,これは

    器楽曲でより展開し,対位法的書法をもつ作品の

    別称にもなっている。「ポリフォニー」の中から

    主たる一旋律に対し,それを支える従たる声部を

    伴う「ホモフォニー」Homophonieの形態が生ま

    れる・今日,この二つの形態は対立して置かれる

    が,もともとは同じ根を持っているものと考える

    ことができよう。「和声学」は後者の形態の中で

    考えられるものではあるが,やはり「ポリフォニー

    」の多様な発展の途上に生まれてきたものであり,

    「ポリフォニー」の中でも「和声」は重要な要素

    となっていることからも説明されうるであろう。

     「ポリフォニー」の最も初期のものは一種の

    「誤り」と共通した効果に始まる(注6)。グレ

    ゴリア聖歌(コラール)の上または下に新しい別

    の声部が,8度,更に4度或は5度で平行して加

    えられた,いわゆる「平行オルガヌム」 (9-11

    世紀頃)である(注7)。「オルガヌム」による

    ものは様々なヴァリエーションを生み出す。その

    後,「ポリフォニー」は様々な音楽史上の形式

    (フォルム)をも生み出していく。

     上記のように「ポリフォニー」の技術はグレゴ

    リア聖歌を用いた様々な形態的或は形式的展開が

    その底辺になっている。当時の教会は学術的にも

    芸術的にもその土壌を提供していたのである。こ

    うした教会という限られた環境,すなわち一つの

    「地方」で行われていた音楽である「教会音楽」

    の中で対位法の技術は,大きな発展を遂げていく。

     しかしその一方,いわゆる「世俗音楽」からの

    影響や「世俗音楽」自身の中でも独自のフォルム

    をも生み出していく。それらは各々の国や風土に

    合わせて発展し,その地方的或は時代的特色を付

    加していく。そうした過程で「アルス・アンチィ

    カ」 (12-13世紀),「アルス・ノヴァ」 (14世

    紀)といった時代に,対位法の技法に一種,ヒュー

    マニスティックな表現が取り込まれていったので

    ある。

    1989-3

     この頃から,今日,対位法の学習で用いられる

    様々な制限や法則が見いだされていく。強拍と弱

    拍の概念,即ち小節の確立と協和,不協和音に関

    する対位法理論の確立等である(14世紀)。更に

    対位法書法は技法的に完成し,表現の豊かさを増

    し,歴史的に重要な作曲家を輩出することになる

    (15-16世紀)。この時期の作曲家として,デュ

    ファイGuilelmus Defay,オケゲム JohannesO-

    ckeghem,等いわゆる「ブルグンド楽派」や「フ

    ランドル楽派」あるいは「ネーデルランド楽派」

    と呼ばれる作曲家達がいる。文芸史上,「ルネッ

    サンス」と名付けられた芸術の中での大きなうね

    りの一つである。

     この頃の代表的理論家ティンクトリスJohanne-

    s Tinctorisの書“Liber de arte contrapuncti”

    で恐らく歴史上初めて「対位法」の技法について

    の詳しい紹介が見られる。その「規則」はその当

    時の音楽家の音楽観をかなり反映しているものと

    思われる(注8)。

     16世紀に入ると,声楽(ア・カペラ)による対

    位法の技法は最盛期を迎える。その最後の輝きの

    時期と言ってもいいだろう。その一方,和声的基

    盤はその音楽の成立に不可分なものとなる・もと

    もとホモフォニックな傾向はイギリスや北部ドイ

    ツの音楽に強いものであったが,それがカデンツ

    としてのまとまりをもって,新しいシンタックス

    を生むことになったと言える。デ・プレJosquin

    {les Prez,ラッススOrlandus Lassus,ヴィク

    トリアTomasLuisdeVictoria,そしてイタリ

    アのローマ・カトリック教会最大の作曲家と言わ

    れたパレストリーナGiovanni Pierluigi daPale-

    strina(1525頃一1594)等によって,各々の国民性

    を背景に豊かな個性を発揮した作品が数多く作ら

    れた・そして,教会旋法のなかで,可能な限りの

    発展が為されたのである。この時代の対位法の技

    法を狭義の「厳格対位法」と言うことができる。

     音楽が声楽から器楽に,その表現の中心を移動

    させるとともに,対位法の技法もまたその音楽に

    変化を生じることになったと思われる。すなわち,

    和声的傾向の強化とそれに伴う調性音楽の確立で

    ある。それまでの「教会旋法」が長・短両調の2

    つの「旋法」に集約,統合されていき,様々なス

    タイルの楽器から,更にその大編成化が行われ,

    その為の音楽が時代の作曲家によって創造されて

    いく。その中で,最も偉大な作曲家は,バッハ

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と養律」 15

    Johann Sebastian Bach(1685-1750)であろう。

    彼はまたドイツ・プロテスタント教会音楽の最大

    の作曲家でもあった。

     このバッハに先行する,あるいはそれまでの時

    代の音楽を理論的に整理し,対位法に新たに様々

    な定義と法則を与えたのがフックスJoham Josef

    Fuxのラテン語による著書“GradusadPama-

    ssum” i1725)であろう。今日いわゆる「厳格書

    法」der strenge Satzと呼ばれるものである。こ

    の書法はまた,16世紀のいわゆる「ア・カペラ様

    式」の音楽的基礎の上に建てられたものである

    (注9)。

     フックスの書物はドイツ語,イタリア語,フラ

    ンス語,英語と次々と訳され,より一般化しつつ

    あった新しいメディアである印刷を通じ,その理

    論が広められ,次の時代の作曲家に明確な指針を

    与えた。しかし同時に作曲家の個性は質を変え,

    音楽作品が地域性を失うことになる原因の一つに

    なったと思われる。対位法の技法上,最も終局的

    に発展した形式として,フーガの形式がある。そ

    の最終的音楽の完成とともに,音楽はポリフォニー

    からホモフォニーへとその表現スタイルの中心が

    移っていく。

     続く古典,ロマンの時代は対位法の技法は和声

    の技法の中に統合され,ドイツ語圏を中心に音楽

    の歴史が展開される。カデンツ(終止形)の強化

    に代表されるドイツ語的な音楽構文とその構造美,

    更に音楽における精神性が追求される。ソナタ形

    式とそれが発展した交響曲形式の中にその具現を

    見ることができるであろう。

     教会旋法が半音の変質によってその崩壊をもた

    らされたように,和声的技法の発展の過程で多用

    された半音階によって古典的和声の世界から離脱

    していったのではないかと思われる。その中で用

    いられた対位法の技法も半音階の多用が特徴とな

    る。しかし,ドイツ的表現世界からフランス,ロ

    シア,東欧諸国へ広がっていく西洋音楽の「領土」

    の拡大とともに,それまで辺境にあった音楽シス

    テムが西洋音楽の技法に組み込まれ,再び「旋法

    音楽」が表現の主要な舞台に登場する・しかしな

    がら,それはもはやあの16世紀までのポリフォニー

    のシステムでもなく,単に各々の地方で行われて

    いた原始的なものでもない。それは優れた作曲家

    達によって,彼らの「語法」として,独自の,そ

    して新鮮な主張となって現れたものである・反ワ

    グネリズムから成長した多くの近代の作曲家達は,

    その音楽のアイデンティティを再び「旋法音楽」

    の上に確立するようになっていくのである・

     その一方,西洋音楽の本流であったドイツを中

    心とするワグネリズムを受け継いだ作曲家達のあ

    る者は,その先輩が予感させた様に,半音進行の

    多用によって,調性を崩壊させ,いわゆる「無調

    音楽」へ展開していく。そして,新たな意味で音

    と音が創り出す関係を横軸にも縦軸にも発展させ

    た。その意味において,新しい「対位法」が試み

    られていくことになった。しかしより強力な主張

    は,「新ヴィーン楽派」と呼ばれる人々によって

    開拓された「12音音楽」の技法に見ることができ

    るであろう。「12音技法」はオクターブを構成す

    る12のすべての音に等しい価値を与えた。音が独

    立性を持ったと言っていいだろう。これは,「平

    等な音」によって構成される音のグループ「セ

    リー」による「旋律線」が問題となる点とその

    「セリー」によって形成された各々の声部の独立

    性が問われる点において,対位法技法が新たな可

    能性を拡大することでもあった。

     そして,再び音そのものへの帰趨は音楽がもつ

    第3及び第4のパラメータである「音色」と「強

    度」を「一義的」な意味に昇格させる。「トータ

    ル・セリエリズム」をそのような展開の結果とし

    て捉えることも可能であろう。こうして,対位法

    的(ポリフォニック)な指向は時代の要素と要求

    を加味しながらも,どの時代の音楽にも見られる

    ものであると言っていいだろう。

     そうした歴史の展開の過程の中から,いわゆる

    「パレストリーナ様式」と「厳格書法」そして,

    いわゆる「バッハ様式」との違いを見てみたい。

    〈パレストリーナと厳格書法〉

     「対位法の技法」の中で最も典型となるのはパ

    レストリーナとバッハの2っの様式となろう。もっ

    とも,これらのみを規範に他のすべての「技法」

    を論じることはできない。それは,ある面個人的

    な一つの「語法」にすぎないものであり,彼らと

    同じ時代の作曲家の技法であっても,彼らと異な

    る技法の上にその音楽を築いているのである。そ

    うした「個性」を含め,彼らの音楽が持つ意味は,

    様々な音楽の側面を我々に提供してくれる。

     「パレストリーナ様式」とはまさしく,作曲家

    パレストリーナがその多くの作品の中で示し,展

  • 16 福島大学教育学部論集第45号

    開した彼の技法の集積である。それはそれまでに

    獲得されたものばかりではなく,彼独自の音楽観

    や新たな試みをも含んだものであることが考えら

    れよう。しかしながら,作曲家として時代に与え

    た意味の大きさは,他の同時代及びそれ以降のポ

    リフォニックな手法を用いた作曲家達の個人的技

    法とは区別されるべきものであろう。彼のものは,

    個人的である以上にその後の作曲家及びポリフォ

    ニーの学習者にとって規範的でもあったのである。

     より正確には「ポリフォニーの厳格書法」とい

    うべきであるこの様式は,既述のようにフックス

    に由来する。その取り上げている技法の中心,あ

    るいはその具体例は,「パレストリーナ様式」か

    ら獲られた物である。しかし他のそれ以前及び以

    後の時代の様式を加え,それらの平均値から引き

    出された「様式」をも含んでいると言えよう。

    〈バッハの様式〉

     この「様式」は,バッハが生きた時代に用意さ

    れた創作技術を取り込んで出来ているに他ならな

    い。それはホモフォニックな土台の上に構築され

    たポリフォニックな技法であると言うことができ

    る。一方,十分に発展,展開されたポリフォニー

    の技法が,もはや戻り得ないと思われる「調性」

    世界の確立後に出現したことによる,様々な価値

    の変化をも内包していることである。

     「バッハの音楽は通奏低音Generalbaβがその

    基盤にあり,和声的根底の上に全ての音楽作品が

    形成されている・その学習は四声に始まって三声,

    二声,一声と展開していく」 (注10)と説明され

    るように,それは和声的土構造の保証さえあれば,

    およそそれまで不可能に思えた不協和的音程への

    跳躍がいとも簡単に成し遂げられるように思える

    し,それまでの「旋律」の枠を飛び越えて,新た

    な可能性を音楽の水平線方向へもたらしたのであ

    る。そうした音楽の能力は,まさしく十分に発達

    した器楽音楽の中で,示し得るものでもあったの

    である。それでこの技法を「器楽対位法」と呼ぶ

    こともある。

    四) 「教会艇法とその音階」

    く考察の対象〉

     「技法」がその最も単純な形を取るとき,それ

    は,ほとんど「素材」といってもいいだろう。そ

    うした西洋音楽を構成する「素材」の一つとして,

    1989-3

    また音楽表現のなかで芸術上最も根源的であり,

    かっ音楽が理論的発展をするうえで最も初期の

    「技法」として,教会旋法とそれによって構成さ

    れる対位的音楽「ポリフォニー」が挙げられる。

     対位法について論じる意義は,明治以来我々の

    音楽教育の中心に導入されたヨーロッパ音楽の原

    点について考え,もう一度それを問い直すことに

    もなるだろう。

     わが国に早くから導入された音楽の中心的技術

    は古典派の音楽にみられるもので,それは「和声

    学」として学問体系を確立してきたのに対し,そ

    れ以後と同様,恐らくそれ以上にそれ以前(18世

    紀以前)の様式的,技術的側面があまり顧みられ

    てきていないのではないかと思えるのである。

     一方,取り上げられてきた「対位法」の技術も

    又,長短の調性に支配されたわが国の音楽教育と

    無関係ではないだろう。フックスの技法を基にし

    て,ほとんどこの種の技法書が書かれてきたと言

    われる。しかし,実際にこの技法が紹介されてい

    るこの種の教育の為の参考資料の多くは,その正

    確さが欠けているように思われる。更に我々が現

    実の芸術作品として様々な作品に見る魅力的技法

    はそうした内容からはかなりの距離を感じさせて

    もいる様に思う。それは,より共通の技法,より

    一般性,非地方性(すなわち非ヨーロッパ性)の

    技法を展開することで,わが国の「実状」に合わ

    せてきた結果とも思えるものである。しかし,そ

    れが結果としてその技法の真の意味をぼかし,本

    来のあり方を歪めてはいないであろうか再考すべ

    きであろう。

     このような観点に立って,ここではより「地域

    性」を超えた「バッハ様式」を考慮しながら,主

    に「パレストリーナ様式」を含んだ「厳格書法」

    の実際について考察する。それは同時に理論教育

    上の種々の問題についても考えることになろう。

    ただ,それもある一つの可能性であり,単なる考

    察の対象であって,それによるマイナスの効果を

    無視するわけではなく,またそれ以外の方法の批

    判や無視を意味するものでもない。事実,教会旋

    法に基づく「パレストリーナ様式」の教育への導

    入に明確な異論も存在する。シェーンベルクはそ

    れを「アスクレピオスをより処に医学を教えるの

    と同じくらい愚かなこと」と明言している(注11)

    し,わが国におけるr対位法」教育の多くは調性

    に基づく技術に関していると言ってもいいだろう。

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 17

    ここでの考察は,ある一つの技法とその制限の中

    で,それがもつシステムの意味を考えることにある。

    〈教会叢法〉

     パレストリーナに代表される様式の時代の音階

    システムは,ギリシャ旋法を源にもつ「教会旋法」

    である。15世紀から16世紀のポリフォニー音楽は

    すべてこの旋法に基づいて作曲されている・

     ただ上述したように,ギリシャから発した流れ

    は,様々な地方と時代のスタイルを飲みこんで,

    変形し,そこから直接そのオリジナルの姿を想像

    することはできない。僅かに発見された石片の資

    料をもとにすべてを説明することはできないので

    ある・直接的には,「グレゴリオ聖歌」として整

    理,統合された旋律からこの「パレストリーナ様

    式」のシステムが出来ていると言うことができる。

     しかし,長い時の経過を経てもなお伝えられた

    ものの中に,そのオリジナルが作られた時代のこ

    とを読み取ろうとすることは,創造的世界に許さ

    れるファンタジックな楽しささえ感ずる。

     そんなものの中で我々が最も判断の根拠にでき

    る材料が,その「音階」であろう。実際それは我々

    が音楽を考える上で基本的でもあり,多くの暗示

    にも富んでいるように思える。

     古くから伝えられているドーリア,フリギア,

    リディァ,ミクソリディア(11世紀頃完成)と新

    しく付け加えられたイオニアとエオリア(16世紀

    半ば)と名付けられた6っの旋法(注12)は,以

    下の音によって構成される音階で表記することが

    できる。 (譜例1)

     このほかに各々の旋法の変格(変格旋法「プラ

    ガル」)があり,各々の名称の前に「ヒポ」(注13)

    がっく。これに対し,オリジナルの旋法を「正格

    旋法」と呼ぶ。

     しかし上記6っの旋法は,正格と変格を並べて,

    第一旋法(正格ドーリア),第2旋法(変格ドー

    リア),第3旋法(正格フリギア),第4旋法

    (変格フリギア)等と呼ばれることもある。とこ

    ろが,以上の呼び方も,わが国で訳され紹介され

    ている書物によりかなり不統一であり,不正確な

    ものも少なくないように思われる(注14)。また

    オリジナルの「ギリシャ旋法」が形成された時の

    意味を失いながら,その「形」だけが用いられた

    ことによる意味の変化や意味自体の喪失も考えら

    れよう。そうしたことが教会旋法による対位法を

    教育に取り入れることの支障のひとつになってい

    るようにさえ思える。それで,通常こうしたどち

    らかと言えば歴史や美学に関わることや直接創作

    技術に関わらないことは避けられてきた様に思う。

    そこでこうした(「正格」 「変格」の規定や旋法

    番号による)混乱と煩わしさを避けるため,単に

    各々の音階の始まる音の順に「レ(Re)の旋法」

    とか「ミ(Mi)の旋法」などという言い方も少

    なくない(注15)。

     各々の旋法は「終止音」 (Finalis)(注16)と

    「属音」 (Dominante又はDominans)(注17)

    を持ち,この2つの音が音楽を機能的に支配して

    いるのである。 「属音」は普通「正格」では「終

    止音」の5度上に置かれ,「変格」では,「終止

    音」の3度上に置かれるが,変化を受けやすい不

    安定な音である(h)に属音を置くことが避けら

    れ,その位置は変動する(注18)。

     「ヒポ」のつく,いわゆる「変格旋法」はその

    音階を各々の「正格」の4度下に始め,「正格」

    (譜例1)

    Oor i●輔i翼01▼di●

    Ph門“■ A●01i●

    L”i●Io“i●

  • 18 福島大学教育学部論集第45号

    より音域的に低い部分を用いていた。「教会旋法」

    が本来また,音域の違いをもその性質として持っ

    ていたことはその重要な側面であろう。しかし実

    際の「厳格書法」の技法では,その音域は広げら

    れて用いられる為に,6っの正格旋法が取り扱わ

    れることになる。

     ここで論ずる主な6っの(正格)旋法のための

    音階は,基本的には後の音楽で主流となる長音階

    のC-dur(ハ長調)の固有音(変化音,派生音を

    含まない)だけで構成され(注19),その開始音

    (終止音)が順にスライドしているだけで,一見

    それほどの大きな違いがないようにさえ見える。

    実際,鍵盤楽器の白鍵だけで行い得る表現の幅は,

    黒鍵を含んだ場合と比べるとその差は明白に思え

    る。しかし今日,教育の中心に置かれている長・

    短の24の謂によって訓練された耳にも,各々の6

    っの旋法の違いは異質でかっ新鮮さえ感じさせる

    ものであろう。それによって構成される繊細で微

    妙な音楽のもつ表現のあり方は,いわゆる調性と

    は異なるシステムの上に築かれているのである。

     譜例1の白い音符の列の中に書き込まれたこと

    を読み取ってみると,そこにある各々の音階がも

    つ違いが浮き出されてくる。そして,それらが各々

    他の音階と異なる性格を明確にしていく。ここで

    これら旋法について更に個々に検討してみる。

    【ドーリア】Doha

    (膳例2)

    Oor論下力衰豊

    ・”帥”・一一 @      ⊥

    認門岡髄串 Oo●i“■At●L●“to顧

     「譜例2」に示すように2つの同じ音程の組合せ

    を持つ,即ち「全音+半音+全音」から成る2つの

    4度の音階のグループ「テトラコルド」が全音を挟

    んで構成されている(ディスジャンクト)(注20)。

    この名称が与えられた「ギリシャ音階」と同様「教

    会旋法」の中心的音階である。左右対称で安定感を

    与える「テトラコルド」の形からも想像できる。

     第7音(c)は終止にあたっては半音上げられて

    (cis)導音となり,終止音へ「終止」する。ここに

    いわゆる「限定進行」が生まれ,一つの「機能」が

    与えられている。この導音への変化は,より強い終

    止感をもたらす為に引き起こされたのである。

    第6音(h)は時として半音下げられる(b)。

    1989-3

    半音の下行変質(変位)は終止音(主音)からの

    跳躍を可能にさせる(注21)ばかりだけではなく,

    起こりやすい「トリトン」(三全音)(後述)を

    避けるのにも使われ得る。またこの「変位」(フ

    ラット)が示す本来の意味も持つ。即ち,その後

    下行進行する。

     これら導音及び下行変位等に見られる,臨時に

    音高変化が加えられた音は「ムジカ・フィクタ」

    (あやまりの音)と呼ばれ,13世紀以後使われる

    ようになったと言われている(注22)。

    【フリギア】Phrygia

    (騰例3)

    P』r”i■

    〉」一」…

                 Oo■i鳴竜【to   Fi触1io

     この旋法の音階はやはり全音を挟んで(ディス

    ジャンクト),2っの等しいテトラコルド「半音

    +全音+全音」で構成されていると読むことがで

    きる。

     これは,「ギリシャ旋法」における中心的旋法

    の音階であったと伝えられている。この音階の特

    徴は,このテトラコルドの形に見られる下行性で

    ある。即ち下行に狭い音階がもたらす意味である。

    そうした結果,「ギリシャ」における音楽のあり

    方としての「下降性」が思い出される。そのオリ

    ジナルが歌われたであろうギリシャ時代の「悲劇U

    の旋律を想像させる,その音階のあり方である。

     この旋法の最も重要な特徴は,これが「下行導

    音」 (f)を持つ点であろう。 「導音」は上行に

    よるものが今日一般的であるが,これはその下行

    進行によって,十分終止感が引き出される点で,

    「導音」としての役割を果たしているだろう。

    「和声」では「フリギア終止」として引き継がれ

    ている。またこの旋法では一切の「変位音」を使

    用しない。その点でも,最も「完壁な」旋法と言

    えよう。更に興味ある点は,これは後に挙げる

    「イオニア旋法」 (調性の長調と一致)とお互い

    が丁度反行形にあたることである。

     この旋法で付け加えなければならないのは,そ

    の「属音」の位置であろう。それは本来の高さ

    (h)を避け,その上の(c)に置かれる。しか

    し,それはもはや「グレゴリア聖歌」の中で用い

    られるものを前提としない創作段階にあって,そ

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と董律」 19

    の位置の持つ意味はそれほど強いものでもないよ

    うに思われるし,たとえ(h)に置かれても,そ

    の不自然さも感じることが出来ないように思える。

    むしろその方が,少し便利に思えるし,形として

    よりすっきりする。全く単純に終止音(基音)の

    完全5度上にある音を「属音」とする理論書も少

    なくない(注23)。

    【リディア】Lydia

    (譜例4)

    しyd i● 下方童位

    i

    F圭“11i. Do■in亀【t●

     この旋法を読むには,2っの見方がある。即ち,

    その音階を前記2つの音階のように,単純に終止

    音(主音)からはじまるトリトンを成す4っの音

    によるグループと半音を挟んで属音に始まる「半

    音+全音+全音」から成るテトラコルドによるオ

    クターブの音階がまず考えられる。しかしここで

    「ドーリア」「フリギア」での方法を敷衍するこ

    とはできないだろう。少なくとも終止音から上行

    するテトラコルドは成立しないだろう。

     その一方,筆者はこれも2つの同一のテトラコ

    ルドから形成される可能性に着目する。つまり,

    「全音+全音+半音」による同一のテトラコルド

    を属音を中心に,2っのテトラコルドがそこで重

    なってできている(一種の「コンジャンクト」)

    と考えるものである。この旋法はその「変格」の

    形,即ち「正格」の属音(注24)から開始する音

    階で見た方がより明確な構造を示し得るように思

    える。その考えを反映すれば,この旋法の音階は

    むしろこう書いた方が理解しやすいように思える。

    き音程トリトンは,その第4音(h)を声部の進

    行の都合により,適宜「下行変位」させ(b)と

    して用いる。その結果,調性のF-durに←致する。

    その意味で,この連続するトリトンの使用はその

    加えられる変位に反して,そのオリジナルの形

    (変位を加えられない)で,巧みに行われる事が

    必要となる。

     フリギアの場合とは逆にこの旋法の音階は第7

    音と終止音は半音をなし,既に上行の「導音」を

    備えてはいるが,フリギア同様,「変位」されて

    いないので,終止音への「限定進行音」ではない。

    【ミクソリディア】Mixolydia

    (膳例6)

    闘i寵●17-t● 下力皇位

    (譜例5)

       ““■

      リレコ) ,        F∴.n,  ,●●i“●■t■

    皇赴は

    L”i・   一一一一一一=一、一・・一一・・ 一一’「:一”

    モ㌧」Lノ)

         1         齢.“・.的.    「玉触聴●

     とはいえ,この旋法の音階の特徴は,その終止

    音(主音)から第4度音まで連続する全音により

    形成される「増4度」である。この避けられるべ

    「i鴫1b90■t“●“t■ L“t t●“

     この旋法も2っのテトラコルドの重ね方の違い

    によって見方が変わる。終止音から上行するテト

    ラコルド「全音+全音+半音」と属音からはじま

    る「全音+半音+全音」と異なる2っのテトラコ

    ルドで一つの全音を挟んで(ディスジャンクト)

    できていると考えるものとは別に,2っの等しい

    テトラコルド「全音+半音+全音」が属音で一音

    共有(コンジャンクト)して音階が成り立ってい

    るとも考えられるものである。この場合「取り残

    された」終止音は「下行音階」であると考えれば,

    不目然さはなくなるだろう。

     第7音(f)は終止にあたっては半音上げられ

    て(fis)導音となり,終止音へ「終止」する。

    にもかかわらず,この旋法は終止感が出にくいよ

    うに思える。いわゆる「生硬」な性格を感ずる。

    旋法は各々背後にまた精神的意味が与えられてき

    た(注25)が,今日の我々がそれと等しい意味を

    感じ得るかは疑問である。

    【エオリア】Aeolia

    (譜例7)

    A■o i i■

    金 〆 ’』

    F主“↓1協 D■■iA■A:● L●i t t●“

  • 20 福島大学教育学部論集第45号

     この旋法と次の「イオニア旋法」は,16世紀半

    ばに作られたと言われている。いわば「人工的」

    な旋法であると言うことが出来る。しかし上記の

    他の4つの旋法に欠けた部分を補う意味でも,ま

    たその出現の必然性を認めることができよう。し

    かしながら皮肉なことに,あるいはその「人工性」

    故にか,すべての旋法はこの2っに集約,統合さ

    れ「調性音楽」に残されていく。

     この旋法も前記2っの旋法(「リディア」「ミ

    クソリディア」)同様の2つの考え方があり得る。

    そして,筆者は属音を中心に(コンジャンクト)

    「半音+全音+全音」のテトラコルドが連続した

    ものと考えたい。

     ここでは,終止に際し(9)が上行変位し,導

    音(gis)となる。またこれによって生じる第6

    音と7音聞の増2度を避けるために,更に第6音

    (f)が(fis)となる。その結果終止部では,

    「全音+全音+半音」となる。この変位によって

    終止感が高まるが,同時にそれら旋法のもつ特異

    性も失うことになろう。しかし,まさしくここに

    a-monの「旋律的短音階」が現出することになる。

    【イオニア】Ionia

    (譜例8)I on i亀

      合   一レー」〉  l   l        Oo噂in■nt●  Fi髄1i●

     これも全音のディスジャンクトを挟んで,「全

    音+全音+半音」の2っのテトラコルドで形成さ

    れると考えられる。

     この形は高い音域に密で,低い音域で粗となる

    ことで生ずる音響的安定感の縮図にも見える。そ

    の点で最も上行音階的だともいえる。しかし,そ

    の反面,今日の我々にとって耳慣れた,最も旋法

    性の弱い音階でもあろう。これはまさしく調性の

    中心となる長調Durの音階そのものである。

    〈音階のあり方〉

     もう1度繰り返すことになるが,ここでは,今

    日の習慣上,音階を上行の形で表しているが,時

    に下行で表現した方がより妥当と思えるように,

    「教会旋法」の中になお残されているいくつかの

    1989-3

    旋法の音階の「下行性」を読み取ることができる。

    Eの旋法と呼ばれる「フリギア」及びFの旋法で

    ある「リディア」がよい例であろう。

     更に,旋法の音階を2っの同一のテトラコルド

    の組合せとする根拠は,それが明確な形,いわば

    科学的な視点で,各々の旋法の違いを示し得るか

    らに他ならない。そこで,それらのある種,数学

    的(算数的と言った方がよいかもしれない)組合

    せを用いて,類別を試みたい。

     まず,テトラコルドの接続点の違いでは,以下

    の2通りの場合が考えられる。

     A終止音を中心に2っの等しいテトラコルド

    が連続したもの(上記では,全音を挟んでディス

    ジャンクト)

     B.属音を中心に2っの等しいテトラコルドが

    連続したもの

     次に,テトラコルドの中の,2っの全音と一つ

    の半音による組合せの可能性は,以下の3通りで

    ある:

     ①「全音+半音+全音」

     ②「半音+全音+全音」

     ③「全音+全音+半音」

     よって,これらの組合せは2×3=6(通り)

    となる。即ち「ドーリア」はA①,「フリギア」

    はA②,「リディア」はB③,「ミクソリディア」

    はB①,となり,新しい2っの旋法がこの残りの

    組合せとなることで,その出現の必然性を説明で

    きよう。即ち「エオリア」はB②であり,「イオ

    ニア」はA③となり,すべての組合せがそろう・

     この考え方は,少し単純過ぎるかも知れない。

    また,2っの同一のテトラコルドによる総合せを

    前提としなければ成り立たないし,これらが「下

    行音階」を前提としているところにも異論が生ず

    るものと思われる。しかしより論理的に思えるし,

    また一つの可能性でもあろう。

    五)旋律形成

     ポリフォニーの技法の最も重要な部分は,その

    単一声部のあり方を考えることである。この考察

    は音楽を根本的に捉え直すことでもある。

     音が連続すると,そこに2音の関係がまず生ず

    る。音から「音楽」に移行するその最初の過程で

    もある。音の進行には,「順次進行」,「跳躍進

    行」,「保留」がある。最後のものは正確には

    「進行」ではないと見なすこともできる。単一の

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 21

    音の持つ様々な性質は,ほとんどがいわゆる音の

    「絶対価値」として生ずるものであるが,音が連

    続することで出てくる音の「相対価値」について

    ここでは考えてみる。

    〈順次進行〉

     「音階」で示してきたように,各々の旋法の構

    成音は全く等しいと言える各々の旋法の繊細な特

    徴の違いを出すには,旋律線は基本的には順次進

    行形でなされることが必要となる。

     また無伴奏による声楽「ア・カペラ」が演奏形

    態上の対象となる為,よりスムースな音の流れと,

    声にとって無理のない旋律線が前提となる。その

    点からもより順次進行を基本に,そこに必要最低

    限の跳躍進行が音楽的に展開することが望ましく

    なる。

    〈跳躍進行〉

     跳躍は5度までは自由に用いられるが,6度は

    短6度が上行のみ可能であり,下行は避けられる

    べきである。この短6度と長6度の間に,それが

    理論付けられた時代の表現の限界が設定されてい

    る。テトラコルドが跳躍の一つの基準になってい

    るとも考えられる。短6度は本質的に5度の碕音

    として,即ち下行して完全5度に落ち着く音程で

    あることは,聴覚上説明がつくだろう。

     これ以上の音程も避けるべきであるが,オクター

    ブは,下の音に既に含まれる最も近い倍音の関係

    にあり,協和度も高く,殆ど同音高に近い意味を

    持つことから使用される。とりわけ,同音の反復

    を避ける為,あるいは同一音でありながら異なる

    音高の効果が必要な場合にはよい方法であるが,

    多用は避けるべきであるし,上行の方がその倍音

    関係からより優れた効果をもたらす。この点,器

    楽音楽における跳躍の使い方は遥かに融通がきく,

    例えばバッハによくある進行は,一方においてそ

    の器楽性が示され,他方,その背後の和声の介在

    を認めることが出来る。

    (譜例9)

    o ⇔

     またオクターブを超える,いわゆる「複音程」

    が避けられるべきであることは,この様式が声楽

    のためであることを考えれば,当然のことと言わ

    ねばならないだろう。

     増4度または減5度の三全音(トリトン)を形

    成する音程については,既に10世紀の理論家フク

    バルトHucbaldの書と言われる“Musica enchir

    ia-dis”においてその取扱いにかなりの制限が

    与えられている(注26)。とりわけ増4度は古来

    「悪魔の音程」と呼ばれ,声部の進行にあたり,

    嫌われ,避けられるべきものであった。その他の

    「増音程」も,半音進行(増1度)も含め,避け

    るべき事になっている。

     これら「避けるべき音程」の進行を遵守すること

    は旋法性の確保にとって,欠くべからざる進行の為

    の「制限」として生じたものと言っていいだろう。

     更に跳躍が連続することにも触れなければなら

    ないだろう。既に述べたように,跳躍によって支

    配される旋律は旋法性を失いやすい反面,効果的

    な連続は,印象さ,主張の強さを持ち得ると言っ

    ていいだろう。特に「属音」と「終止音」 (フィ

    ナリス)の間における跳躍の連続はよくみられる

    ところである。しかし跳躍した方向に更に跳躍を

    するのは,細心の注意を要する。

    〈音の長さ〉

     「パレストリーナ」の時代の音楽はその「リズ

    ム」の意味において,「バッハ」の時代と大きく

    違っている。前者はより多様な表現力が求められ,

    そこには音に与えられた価値観や感情,美学まで

    もが繊細にその音価に強く現れているとさえ思え

    る。一方,「バッハ」にもその「遺産」は受け継

    がれてはいるが,そのあり方は,明確に異なる・

    即ち,音楽は小節によってその拍節法が「保証さ

    れ」,規則的リズムが支配的になる。それが感情

    的高揚等と結び付き,表現はよりダイナミックに

    展開していく。

     「パレストリーナ」では,小節の感覚は音自身

    の中に隠された重さから引き出されたものである

    ことを体験できる。それは強拍と弱拍という最も

    単純化された「リズム」に明確に出ているのであ

    る。

     音が強さを持つということに関して,聴覚上,

    以下の様に言うことができよう:

     a)より長い音は短い音より強さを持つ

  • 22 福島大学教育学部論集第45号

     b)より高い音は低い音より強さをもつ

     c)アクセントなど人為的に強さが加えられる

      ものもある。

    ここでの「強さ」とは「エネルギーの強さ」と言

    い替えてもいいだろう。この中で,a)によって

    主にそのリズムの原則が構成される。こうした音

    の長さのもつ性質から,音の長さに関しある法則

    性を引き出すことができる。それは作品の中で,

    周到に組み込まれていくべきものであろう。例え

    ば,長い音を短い音で引っ張る(短い音の後に,

    長い音をタイで結ぶ)ことができないし,いわゆ

    る「角張った鋭いリズムは避けるべき」(注27)

    ことなどが言われる根拠もここにあると言えよう。

     次の旋律はその多様な変化をよく示した例であ

    ろう。

    (僧例10) (注28)

    O.hlo専tri■畠

    A轟     鴨  躰●一 Fレ●.●…    鴨馳一一一

    r玉 ・  . …                ■, ■

    A}● 稠● ・ r l-    ・    .     ●,

     長い間の教育によって固定された感覚には,こ

    うした動きは音楽的に「不安定さ」を与えるかも

    しれない・しかし,リズムに求めるr不安定さ」

    は「旋法」の表現による繊細さにも通じるように

    思える。また,2つの異なる高さの音によってあ

    る意味が生じるのは,長い音と短い音によって生

    じることに比べられる。いわば,ある世界の表現

    の中で共通する感覚や原理が他の要素にも展開し

    ている姿を認めることができるだろう・

    〈艇律線〉

     旋律もまた様々な段階をもつ。それは殆ど音程

    と言える2音の連続から,その更に長い連続的音

    高の変化,更に長さを持ったもの,とそのどのス

    テージでも,また音それ自身にとっても本質的な

    側面を思考することになる。

     音の進行において,順次進行は「肯定」であり,

    跳躍進行は「否定」と考えることができる。しか

    し,それを連続していく音の流れの中で捉えると,

    「否定」されたものは次の時点における「肯定」

    1989-3

    をより希求させる効果も生じさせる。つまり,否

    定された音,すなわち飛び越された音へ戻ろうと

    する,或はそれらの音を補完しようとする。

     また上行する音の連続は,エネルギーを必要と

    し,緊張を生ずる。一方,下行はその反対に弛緩

    を引き起こす(位置のエネルギー)。その際,跳

    躍が関わると更にその「緊張度」は高まる。

     よりまとまった旋律線のあり方においても,上

    記に支配しているのと同じ様な原則を見つけるこ

    とができる。同音程の繰り返し(ゼクエンッ),

    旋律としての独立性を持たないもの,例えば,

    「伴奏形」や「アルペジオ形」,意味を持たない

    「音階形」の連続など,創意の裏失と言ってもい

    いものであろう。

     又いわゆる「フレーズ」としての形に到ると,

    「息」の長さ,クライマックスの設定などに注意

    が払われることになろう。

    〈音程へ〉

     「音程」 (インターバル)は,音楽を縦軸に展

    開する出発点になる。それはやがて,「対位法」

    の技法の中で,華々しく展開していく,まさしく

    「ポリフォニック」な発展である・単旋律として

    音楽の「横軸」の中で支配していた様々な原理が

    また「縦軸」においても述べられることになろう。

    この事は,今後の「対位法」全体を対象とする考

    察に委ねたい。

    六)おわりに…  我々の言葉

     今,「対位法」という「技法」の中で,その

    「音階と旋律」に絞って,西洋音楽のほんの一こ

    まを,その時間的,空間的環境を加えながら,論

    述してみた。ここにはそれを用いた西洋の作家達

    の人間的側面は,考慮されていないし,彼らの示

    した特異点についても言及されてはいない。とり

    わけこれら「教会旋法の旋律」に付けられた「歌

    詞」としての「言葉」,更に用いられる世界の

    「言語」にまで,関係付けて考慮されなければど

    うしてもその不正確さ,不十分さの非は免れ得な

    いであろう。

     しかし,このように,ヨーロッパ音楽の原点の

    一側面について考えることで,もう一度我々の状

    況について問い直すことはできよう。そして彼ち

    と違う,我々の独自の「技法」とそれに裏付けさ

    れた「語法」のあり方を考える上で,示唆に満ち

  • 嶋津武仁:音楽の技法1一「厳格対位法、その音階と旋律」 23

    たいくつかのことにも思い当たるであろう。

     彼ら西洋音楽を担って来た芸術家が用いてきた

    「技法」はこの「対位法」における限られた側面

    のみに限らず,我々を包んで来た環境とは異なる

    様々な形態,内容の違いを,様々な表現のステー

    ジで示しているのである。

     更に「対位法」から,論議を「教会旋法」の

    「音階」という「素材」に限定することで,また

    そこに我々の世界にないものの見方,考え方をみ

    ることができるのではないか。より単純な姿に時

    としてより明解な本質を発見することは少なくな

    いだろう。無数の単純な要素が有機的に統合され

    て,ある主張を生むに至る表現様式が形成される

    ものと思う。

     表現のあり方の違いはまた,他領域のより広範

    な表現,更に社会,生活全般にさえ展開できる。

    そこにある差異に各々の環境とそこに生きる人間

    が反映されている・音楽にとっても大きな意味と

    なる「言語」はまさしくその結果であり,別な状

    況を説明する条件にもなろう・ 「素材」からr技

    法」に展開し,いわゆる「語法」という形で主張

    を持つにいたる音楽表現もまたそれが背後に持つ

    「言葉」の意味を失ったものでないことを忘れて

    はならないだろう。

               注

    1)「対位法」と「ポリフォニー」は混用してはならな

     いとする書もある(J.1.テホン「パレストリーナ様

     式による対位法』音楽の友社1971,p7)。ここでは

     「対位法」をその発展の過程も含めて説明している

     為,お互いが近い意味を生じているが,もとより

     「ポリフォニー」という言葉を使う時には,より広

     い意味を込めている。

    2)L.U.アーブラハム,C.ダールハウス「メロディの理論

     と実際』(杉橋,滝井訳,シンフォニア1985)p.39.

    3)この言葉は0.メシアン著『我が音楽語法』(1944)(平

     尾貴四男による邦訳がある)に始まるが,彼個人の特

     異な表現のあり方に留まることなく,創作の世界に関

     わる人々の主張のあり方を説明する言葉として,次に

     続く世代の一つの指針になったと言っていいだろう。

    4)K.Jeppesen“KONTRAPUNKT”,廿bersetzt

     von J.Schulz,VEB Breitkopf&H翫tel

     Leipzig,5.Auflage1978,p.44.

    5)これは,後に挙げる「ホモフォニー」と同意味にも

     使われている。ドイツなどのように,時に先の「モ

     ノディ」とも同意語として使われるが,それが使わ

     れる背景と使用される国によって異なる。

    6)「ヘテロフォニー」も同様の「誤り」によるものと

     も考えられる。

    7)今日でもこの種の「誤り」の効果は,教室の中で,

     或は巷のコーラスの中でも時折聞くことができる。

    8)K.Jeppesen前掲書pp.5.一8、

    9)B.ブラッ八一「作曲と演奏のための対位法』

     EinR止rung in den strengen Satz,Berlin

     1953 (田中邦彦訳,シンフォニア1988)p.7.

    10)D.Manicke “Der polyphone Satz”,Musik-

     verlag Hans Gerig Kdn1965,p.10.

    11)A.シェーンベルク『対位法入門』(スタイン編,山

     縣,鴫原訳,音楽の友社1978)p.3.

    12)この他にパレストリーナ様式では嫌われ,20世紀になつ

     てよく用いられた「ロクリア」という旋法もある。

    13)Hypo一とは「下」あるいはr下方へ」の意。

    14)特に,Ch.ケックラン「対位法』(清水脩訳,音楽

     の友社1968)の旋法名称は他と大きく異なる。

    15)N.ギャロン,M.ビッチュ著「対位法』(矢代秋雄訳,

     音楽の友社1965)ではこの名称のみを採用している。

    16)この言い方も「主音」とか「基音」「中心音」とい

     う訳などが用いられているが,その規定する意味も

     微妙に異なっている。

    17)J.S.v.ヴァスベルゲ「旋律理論』(東川清一訳,音

     楽の友社1976)pp.18,104、一105.

    18)J.Lテホン前掲書p.13.

    19)ここでは「c」を基本とする,即ちC-dur上の音

     から構成される各種の旋法の音階を示して,その場

     合の音名をドイツ語で示している。また,各々の音

     階は「移調」することができる。例えば,cを開始

     音(終止音)とする「Cドーリア」というように呼ぶ。

    20)『標準音楽辞典』「テトラコード」 (音楽の友社19

     66)P.74L

    21)後に挙げる「跳躍進行」にあるように,6度は短6

     度の上行のみ可能である。

    22)J.Lテホン前掲書pp.15.一16.

    23)諸井三郎『純粋対位法』(音楽の友社1955)p.6.

    24)既述のように「変格」では,終止音の3度上におか

     れる。

    25)吉崎清富『対位法の泉』(東京音楽書院1987)p.11.

    26)K.Jeppesen前掲書p.3.

    27)B.ブラッ八一前掲書pp.14.一15.

    28)K.Jeppesen前掲書p.65.

    (尚,著者名がカタカナの表記のものは翻訳本を指す)

  • 24 福島大学教育学部論集第45号 1989-3

        D皿THCHMK IN MUSIK lDer strenge Satz,seine Skala und Melodik

    Takehito Shimazu

    In dieser Abhandlung befasseich mich mit der Skala und Melodik im Kirchenton.Ich

    schreibe nicht nur五ber Melodik in der alten Zeit.Ich versuche,荘ber die Technik des

    Kontrapunktes nachzudenken,wie sie sich in der Geschichte der Polyphonie entwicke-

    lt hat.Skala und Melodie existieren dort als konkrete Materialien.Ich werde doch ni.

    cht nur diese begrenzte geschichtliche Epoche behan(ieln sondem mich auch Beso-

    nderheit und Allgemeinheit,Lokalisierung und Universalitat,(iie in der Technik des

    strengen Satzes im16.Jahrhun(iert schon vorhanden sin(i,widmen und die f丘r mich

    als japanischer Komponist heute von Bedeutung sein k6nnten.