DNAで知る日本列島集団の起源DNAで知る日本列島集団の起源 ―...

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【平成26年11月08日 北見会場:北見芸術文化ホール】 篠 田 謙 一 氏  国立科学博物館 人類研究部長 1955年、静岡県生まれ。 京都大学理学部卒業。博士(医学)。産業医科大学助手、佐賀医科大学助教授 を経て、現在、国立科学博物館人類研究部長。 専門は DNA 人類学。 日本やその周辺地域で発掘調査を行い、古人骨に残るDNAを分析して、日 本人の起源と成立に関する研究を行っている。また南米アンデス地域での発掘 調査を通じて、文化の変容と集団の遺伝的な変化の関係についての解析を進め ている。 【著 書】 ・『日本人になった祖先たち-DNAから解明するその多元的構造』(NHKブッ クス、2007) ・『最新版 日本人の起源-最初の日本人から邪馬台国の謎まで-』(ニュート ンプレス、2009) ・「DNAが語る「日本人への旅」の複眼的視点」(『科学』80巻4号、2010) ・Population history of the Moquegua valley, far south coast of Peru. In. Human Variation in the Americans (Southern Illinois University Press) 1

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DNAで知る日本列島集団の起源

アイヌ・本土日本・琉球人の成立

【平成26年11月08日 北見会場:北見芸術文化ホール】

篠 田 謙 一 氏  国立科学博物館 人類研究部長

1955年、静岡県生まれ。 京都大学理学部卒業。博士(医学)。産業医科大学助手、佐賀医科大学助教授を経て、現在、国立科学博物館人類研究部長。 専門はDNA人類学。 日本やその周辺地域で発掘調査を行い、古人骨に残るDNAを分析して、日本人の起源と成立に関する研究を行っている。また南米アンデス地域での発掘調査を通じて、文化の変容と集団の遺伝的な変化の関係についての解析を進めている。

【著 書】・『日本人になった祖先たち- DNA から解明するその多元的構造』(NHK ブッ

クス、2007)・『最新版 日本人の起源-最初の日本人から邪馬台国の謎まで-』(ニュート

ンプレス、2009)・「DNA が語る「日本人への旅」の複眼的視点」(『科学』80巻4号、2010)・Population history of the Moquegua valley, far south coast of Peru. In.

Human Variation in the Americans (Southern Illinois University Press)

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

はじめに

ご紹介いただきました、国立科学博物館の篠田です。本日は『DNA で知る日本列島集団の

起源』という、ちょっと硬い内容のお話をさせていただきますが、なるべくわかりやすいよ

うにお話したいと思いますので、1時間程ご付き合いください。

まず日本列島に住んでいる私たちは、一般的にはアイヌの人たち、本土日本と言われてい

る本州、九州、四国の人たち、それから南西諸島、沖縄の人たちが見た目も少し異なっていま

すし、違う集団として認識されています。こういう集団がどのようにできあがってきたのか

ということを考えているのが私たちの学問です。今日もそのお話をさせていただきます。

ただ日本人の成り立ちというのをどこからお話するかというのは、いろいろ悩むところが

ありまして、一番古いところはおそらく700万年前ぐらいの話からになります。700万年前に

アフリカで私たち人類につながるグループと、ゴリラやチンパンジーにつながっていくグ

ループが分かれます。そこから先はいわゆる人類の辿った道ということになります。ですか

ら私たち人類の歴史は700万年あると考えることがあります。本の中には「人類の歴史は20万

年だ」と書いてあるものもあります。それは私たち現代人、ホモ・サピエンスと呼びますけ

ども「賢い人」という意味なんですね。このホモ・サピエンスが生まれたのが20万年前だか

らです。ですから、今、世界に住んでいる人類の歴史は20万年間です。でも人類につながるゴ

リラやチンパンジーと分れた一番古いところは700万年前ということになるのです。今日は

700万年間を1時間でお話することになりますから、非常に駆け足になってしまいます。ご容

赦下さい。

人類進化の概略

最初にこの図を見てくだ

さい。

700万年前の人類がアフ

リカで誕生します。初期猿

人と呼ばれる連中です。そ

れから500万年間の間、実

は人類はアフリカだけに住

んでいます。最初の人類と

いうのは、今の私たちとは

姿形が異なっていまして、

ゴリラやチンパンジーと見

た目は余り変わりません。

どこが人類だって気もしないでもないですけど、こういう姿形の人類の祖先が次々にアフリ

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

カで生まれてくることになります。それで200万年前くらいになりますと、少し私たちに近い

連中がでてきます。これを「原人」という名前で呼びます。この原人がアフリカから飛び出す

ことになります。名前を聞かれたことがあるかもしれませんが、例えば「北京原人」であると

か「ジャワ原人」であるとかが、初めてアフリカをでていくわけですね。その後、紆余曲折を

経て20万年前になって、今の私たち、ホモ・サピエンスが生まれてくるわけです。少し前ま

でこの世界に広がっていった原人がそれぞれの地域で、今の私たちになっていったというふ

うに考えていました。ですから、例えば、北京原人が進化して、私たちアジアの人間になる、

ジャワ原人がオーストラリアの人たちになる、というふうに考えていたわけですね。

ところが発掘が進んでいきますと、どうもそうではないということがわかってきます。こ

の図はヨーロッパ、中東、アフリカ、東南アジア、オーストラリア、東アジアで、ホモ・サピ

エンスの化石がいつ頃から

出てきているのかというこ

とを表したものです。

実は一番古いホモ・サピ

エンスの化石は20万年前の

化石がアフリカで出てまい

ります。それから中近東で

も10万年前ぐらいの化石は

出ていますけども、他の地

域、例えばアジアであると

かヨーロッパではせいぜい

4万年から5万年前にしか化

石が出てきません。古いところがないんですね。もしも原人が世界に広がって行ってそれぞ

れの地域で変わっていったとしたら、世界のどの地域でも20万年前のホモ・サピエンスが出

てきてもいいはずなんですけど、これがないということがわかってきます。

一体これは何が起こっているんだろう、ということになります。実は中近東では、10万年

くらい前の古い時代にホモ・サピエンスがいますけども、その後ネアンデルタール人と呼ば

れる人たちが出てきて、その後にまた4万年ぐらい前になると、ホモ・サピエンスが出てくる、

ちょっと変わった出現をするということがわかりました。この謎が実はこの20年間くらいか

けた DNA の研究によってわかるようになってきました。

それではその謎についてどう考えているかお話しましょう。

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

DNAで人類の進化を知る

これは人間の細胞です。

理科の教科書で見たことが

あると思いますが、こうい

う細胞が人間の身体の中

で30兆ぐらい集まって、人

間一人の身体を作ってい

ます。真ん中に「核」とい

うところがあります。周り

は細胞質、細胞質のなかに

は細胞内小器官というさま

ざまな器官があります。真

ん中の核に私たちの身体を

作っている設計図である DNA が入っています。もう一つ、実は細胞内小器官にも DNA が

あって、それをもっているのはミトコンドリアといいます。ミトコンドリアは身体のなかで

エネルギーを作るという非常に重要なはたらきをしていますけども、もともとはどうも別の

生物だったらしく、ここに核とは別の DNA が入っています。核の方の DNA は両親からも

らいますが、ミトコンドリアの DNA は母から子どもに伝わっていきます。ミトコンドリア

DNA は小さいものですから、これまで人類の進化や拡散については、もっぱらこの DNA を

使って研究されてきました。ですから今日はミトコンドリアの DNA のお話をいたします。

DNA を調べると人類は

どこで生まれたとか、ある

いはどのように広がって

いったのかということが分

かるという説明を最初にい

たします。最近は DNA を

採るのは非常に簡単です。

この写真は私の知り合いか

ら DNA を採っているとこ

ろですけども、こういう歯

ブラシみたいな道具を使っ

て、頬の内側の粘膜を上下

に2、3回かきとってもらいます。こんな感じでかきとるだけでその人の DNA 全部調べるこ

とができるのです。

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

ミトコンドリアDNAのデータの解析法

実験操作をしますとこういうグラフが出力されてきて、その人の DNA の特定の部分がどう

いう配列になっているか、ということを知ることができます。DNA というのは G、A、T、C の

4つの塩基と呼ばれる化学

物質のつながりになりま

す。これは私自身のミトコ

ンドリア DNA の一部です。

こうやってグラフに書いて

やって、下にどういう順に

並んでいるのかという結果

が出てきます。ただこれで

は自分の DNA の配列がわ

かったというだけですね。

一人分の DNA がわかっ

ても、人類の起源がわかる

ということはありません。次に何をするかというと、今度はこれを比較します。他人と比較

すると DNA がどこで生まれたということがわかるので、そのために比較の対象を何人か選

んで比べます。今日はテレビ番組の取材で私の研究室に来られた漫才の方と私を比較した例

をお話します。

この上の図で、一番上の行が私の DNA で、二番目の列が太田さんという方、三番目が田中

さんという方です。ポチで書いてあるところがありますけども、これは全部同じだという意味

です。そうすると一番上の

段を見ていただくと、この

一番上の段は3人とも DNA

の配列が全く同じだったと

いうことがわかります。二

段目を見ていきましょう。

そうすると、ここで実は太

田さんだけが C に変わっ

ている。右側は私だけが A

に変わっています。何箇所

かでそれぞれの DNA の配

列が違ってくるということ

がわかりますね。何故違っているかというと、これは突然変異が起きているからなのです。

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

ミトコンドリア DNA は母から子どもに伝わっていきます。母親から子ども、子どもから

そのまた子ども、と伝っていく間にどこかで突然変異という間違いを起こします。あるとこ

ろでこの間違いが起こると、その間違った DNA 配列がそのままその子孫に繋がっていきま

すから、それぞれの母親の、母親の、母親とつながる系統の中で、ちょっとずつ違った DNA

が生まれてくるということになります。太田さんと田中さんと私の母方の先祖が、それぞれ

どこかで突然変異を起こしたので違ってきた、ということになります。ミトコンドリア DNA

は、全部で16,500ほどの G、A、T、C のつながりですけども、私と太田さんは全部で45箇所

違っていました。田中さんと私で44箇所、太田さん田中さんは37箇所違っていました。下の

左の図です。そうするとこの違っているという情報を基に「系統樹」と呼ばれる、いわば家系

図を描くことができるのです。それがこの下の右の図になりますけども、私が実は他の二人

からちょっと離れているので、この枝は長くなります。これが何を意味しているかというと、

太田さんの母方をずっと辿っていくと、あるところで田中さんの母方と一緒になる。私の母

親の祖先をもっとずっと辿らないと、その二人の系統とは一緒にならないということを表し

ています。つまり母方が近いか遠いかということを、これを調べることによってわかる、と

いうことになります。それではこれを世界中の人で調べてやります。何がわかるでしょうか。

ミトコンドリアDNAから知る人類の起源と拡散

世界中から3,000人くら

いのミトコンドリア DNA

を調べて、近いもの同士を

くっつけていったのがこの

図になります。

世界中の人の母方の家系

図ということになります。

一人一人の個人はそれぞれ

の枝の先端に位置します。

それぞれの非常に小さな丸

は個人を表しています。こ

の小さな丸をずっと辿って

いくと、どの先端でも一番のおおもと、左端の上の黒い点にくるということがおわかりかと

思います。これが世界中のすべての人の共通の母親だった人の DNA になります。

私たちそれぞれはみんなその子孫だということになります。それぞれの個人が色別に分か

れているのは意味がありまして、少し小さいですが、「L0」から「L3」で示した左上の部分は、

アフリカ人を示しています。このアフリカ人の「L3」と書いてあるところから、大きく2本の

枝が出て行って、M と N という2つの枝になりますけども、この M の方に出ている枝の先に

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いるのはアジア人です。それからNの枝から出てNとRの右側に出るWやU,HVといった

枝の先にいるのがヨーロッパ人、それ以外はアジア人です。その図を見ていると、人類はど

こで生まれたかわかりますね。全世界の共通祖先に直接つながる枝は全てアフリカ人です。

つまり人類はアフリカで生まれたということになるのです。

そしてある時、そのアフリカから出て行った人がいて、一方ではアジアにもっぱら行った

グループ、もう一方ではアジアとヨーロッパに向かったグループがいるからこういう絵に

なっているということがわかります。ですから世界中の人の DNA を調べると、人類がどこ

で生まれてどのように広がったのかが分かります。また突然変異はどれくらいの間隔で起こ

るのかがわかっていますので、いつ頃世界のどの地域に進出していったのかというのがある

程度検討がつくのです。

ここから人類は20万年前にアフリカで生まれて、6万年程前に世界に飛び出していったと

いうことがわかりました。今アフリカ以外の世界中には約60億人の人が住んでいるわけです

けども、この60億人はおそらくこの「L-3」というところから出てきた1,000~5,000人くらいの

人々たちの子孫だと言われています。一つだけ名前を覚えてほしいですけども、この系統図

の先端のひとつひとつを見ていくと非常に話が細かくなりますので、ある程度、1万年とか2

万年ぐらい時間を遡ると、母親が一緒になる人たちをひとつのグループに分けて考えます。

それを「ハプログループ」という名前で呼びます。例えばこれ「L-3」というハプログループ、

例えば他のところには D のハプログループとか色んなグループがあるのですが、こういうグ

ループ同士の系統関係を調べて、それぞれが今どこに住んでいるのかということを分析しな

がら、世界にどのように人が展開していったのかということを明らかにするというのが私た

ちの研究なのです。

そのことと考古学的な証

拠と一緒に合わせて今は、

人類はこの図で示されるよ

うな展開をしたと考えてい

ます。

おそらく20万年前にアフ

リカで生まれた人類は、10

万年間くらいアフリカだけ

に住んでいるんですね。あ

る時、アフリカを飛び出し

て行って世界に広がってい

きます。ですから、アフリ

カ以外の地域では6万年よりも古いホモ・サピエンスの化石は出てこないのです。オースト

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ラリアには47,000年くらい前、日本列島には4万年くらい前に入ってきます。新大陸、南北ア

メリカ大陸にヒトが入るのは15,000年くらい前で、ほどなくして南米先端まで辿り着いてい

るということになります。南太平洋の地域、ハワイだとかニュージーランドだとか、イース

ター島というそういうところにはなかなか人類が入れなくて、最終的にこういった島に人類

が到達するのは今から1,000年くらい前の話になります。これが「人類の初期拡散」と言われ

ている大きな移動の流れなのです。

この中で一番重要なことは、私たちはアフリカで20万年前に生まれて10万年間以上アフ

リカにいたので、アフリカを飛び出していったのは、今の私たちと何ら能力の変わらない人

たちだということなのです。脳の大きさも一緒ですし、おそらく言葉をしゃべる能力も一緒

ですし、ものの感じ方もまったく一緒だったと、そういう人たちがアフリカから飛び出して

行って、6万年間かけて世界の隅々で、今につながるさまざまな文化というものを作っていっ

たわけです。

この人たちが私たちと同じ能力を持っているということを認識することはすごく重要なこ

とだと思います。今、世界にあるさまざまな文明、文化というのは、みんな同じ能力を持った

人が作っているということが、非常に重要なんですね。

アフリカを出た人類の能力は今の私たちと同じ

私自身の経験を少しお話

します。私は世界のあちこち

で発掘をしていますけども、

この2枚の写真にある人骨

はほぼ同じ時代のものです。

今からだいたい3,800年か

ら4,000年くらい前の人たち

ですけども、左側はベトナム

の北部で発掘したときに出

てきた人骨です。4歳くらい

の子どもの骨と女性の骨で

すけども、この二人が寄り添

うように発掘されました。おそらく何かの病で亡くなったと思いますけど、そういう人たちが一緒

に埋葬されているわけです。4,000年前のベトナムの人たちですから、もちろん私たちはこの人た

ちの名前も風習もわかりません。しかしこれを見ると、この時、この人たちを埋葬した人の気持ち

というのがわかりますよね。どういうことを考えてこの人たちを埋葬したのかということも、おそ

らく私たちが今この写真を見て考える通りのことを当時の人も考えたと思います。それは我々が

同じ人間だからなんです。同じものの考え方をして、同じ能力を持った人間だからわかるのです。

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右側は北海道の室蘭のそばの入江貝塚というところから出てきた4,000年くらい前の18歳

くらいの女性の人骨です。こちらは一見してわかるように手足が非常に細いですね。この人

はおそらく小児麻痺を罹患していただろうと言われています。寝たきりになっているもので

すから、運動ができなくて、このように手足の骨が細くなっているわけです。残念なことに

18歳くらいで亡くなってしまうわけですけども、こういう人物の骨が発掘されたことによっ

て、私たちは当時の人がどのような社会を持っていたのかということを知ることができま

す。一般的には4,000年も前の人ですから、食うか食われるかみたいな非常に厳しい環境で生

きていただろうと思いがちです。このように全く寝たきりで何もできない人というのは、そ

の社会にとっては邪魔者のはずですよね。ところがそういう人も18歳くらいになるまでは生

きていたわけです。おそらく罹患したのは12歳、13歳くらいでしょうから、5~6年間は誰か

のケアによってこの人は生き長らえることができたということになります。私たちの社会

は、おそらくこのように社会に直接役に立たない、貢献できない人であっても、同じ仲間と

して保護していく、ケアしていくという気持ちをずっと昔から持っていたということがこの

骨を見てわかるのです。

私たちの祖先が世界に広がったとき

人類は6万年前にアフリカから出て行ったあと世界に広がっていくわけですが、その時の

知能だとか体力は全然変わらなかったのですが、大きく違っていたのは実は地形です。人類

がアフリカを出て世界に広がっていった時期というのは、実は氷河期にあたっていまして、

氷河期の地形というのは今とずいぶん違います。

この図は日本付近の2万

年前の氷河期の海岸線です

けども、このように中国大

陸がずっと張り出してい

て、日本との間がくっつき

そうになっています。朝鮮

半島はなくなって完全に中

国の一部になります。対馬

海峡は若干あいていて、津

軽海峡も残っていますか

ら、日本海は太平洋とつな

がっています。北海道は完

全に樺太と一体化して、樺太は先で大陸につながっていますので、北海道はユーラシア大陸

から突き出た半島の一部になっていたということになります。北海道半島と本州島とそれか

ら沖縄とが島としてあって、こういう時代に人類は世界に広がっていきました。

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

もう一つ、このアフリカから飛び出て行った人類が世界に広がっていったときに、世界に

は別の人類が住んでいたということがわかっています。つまり私たちよりもっと前にアフリ

カを出て世界中に広がっていった、例えばジャワ原人の子孫であるとか、ネアンデルタール

人といった人類がこの時代、世界に住んでいたわけですが、つい最近までは私たちはそれ以

外の人類を滅ぼしながら、世界中に広がっていったというふうに考えていました。しかし今

から数年前、ネアンデルタール人の DNA が完全に解読されて、驚いたことに私たちがネア

ンデルタール人から DNA をもらっていたということがわかりました。私たちは人によって

違いますけども、だいたい2%くらいネアンデルタール人の DNA を受け継いでいるという

ことがわかっています。私たちは2%ネアンデルタール人なのです。もちろんこの会場にい

らっしゃる皆さんも、若干ですがネアンデルタール人の DNA を持っているのです。

これは、人類は世界に広がっていく間に、ネアンデルタール人と混血して子孫を残して

いった証拠だと考えられています。最近では、ネアンデルタール人以外のデニソワ人と呼ば

れる人類とも混血したことが分かっています。デニソワ人とは東南アジアで混血したらし

く、オーストラリアやパプアニューギニアの人たちがデニソワ人の DNA を持っているこ

ともわかっています。ですから人類が世界に広がっていったシナリオというのは、若干複雑

になってきました。完全にはわかっていませんが、私たちは世界に広がっていく途中で、私

たち以外の人類、最終的には3万年前にみんな滅んでしまいますけども、そういう人たちの

DNA も受け継ぎながら世界に広がっていったようなのです。

日本人の起源を知るということ

さて、今度は日本人の起源についてお話したいと思います。

日本人というのはどこから来たか。これは多くの人の関心を引きつけるテーマなので、「日

本人はどこから来たのか」というタイトルの本がたくさんあります。でも今の話を聞いてい

ただいたらわかるように、実はこの問題には答えが出ています。私たちはアフリカから来ま

した。ただ、日本人はアフリカから来ました、中国人もアフリカから来ました、ベトナム人も

アフリカから来ました、みんなアフリカです、というともう何かこれで話が終わってしまう

ので、もう少し違う話をします。どういうことを考えるかというと、それはみんなアフリカ

から来たのだけど、当然やって来方には色々な順番もあるし、それからどこを通ってきたか

という違いもあるはずです。日本列島におそらく何回も、何回も人が入ってきたのだと思い

ますけども、その人たちが一体いつの時代に、どこから、どの経路を使って、どのくらいの人

数で入ってきたのかということを克明に明らかにしていくということが日本人の起源を知る

鍵になるということになるのです。

日本人の起源を知るためには、実はその日本列島に渡る直前のところまでのことも知らな

ければいけませんから、当然中国大陸にどうやって人が来たのかってことを知らなくてはい

けません。中国大陸には東南アジアから人が入ってきますから、東南アジアにどうやってき

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たのか。東南アジアに来た人はインドから来るのですから、インドからどうやってきたのか。

さらにインドにはアフリカからどうやって渡ったのか、ということをどんどんどんどん調べ

ていく。するとこれは日本人の起源を調べているのではなくて、世界中の人間の動きを調べ

ていることになります。それが全部わかると日本人の起源もわかったという話になります。

これまでは日本人の起源の話と人類の進化や拡散の話って別々に考えていましたけども、こ

れは同じ話です。全部がつながっていて、世界史も日本史もない世界になっているのが今の

DNA 研究を元にした起源論だということになります。

次にこれまで日本人起源についてどう考えていたのか説明しましょう。

日本列島に人が入ってくるのが4万年前、15,000年前に土器を作りはじめます。その時代か

ら後のことを縄文時代といいますけども、この最初の時代は旧石器時代という名前で呼ばれ

ています。正確に言うと「後期旧石器時代」ですね。縄文時代が15,000年前に始まりまして約

12,000年間続きます。下の図は時間を物理的な長さに一致させて書いてあります。実は私たち

の先祖が日本列島に入って来る最初の旧石器時代がものすごく長い。縄文時代もかなり長く

て、弥生時代、3,000年前から始まる1,000年間ですけども、それはちょっと長くて、弥生時代か

ら後、いわゆる私たちが歴史の授業で習うとこというのは、ほんの少ししかないということ

がおわかりかと思います。普通は最後のところだけを一生懸命勉強して日本人の成り立ちを

考えますけども、私たち人類学者はもう少し古いところからものを考えることにしています。

ただ残念なことに、この非常に長い旧石器時代、人間の進化を考えるために重要な人骨

がほとんど出てまいりません。顔がわかっているのは写真左の1体だけです。今から2万年

前の沖縄から出てきてい

る人骨、これしかありませ

ん。縄文時代も古い方の時

代、5,000年よりも古いもの

で、顔かたちの分かるもの

は20体くらいしかありませ

ん。ただ縄文時代も3,000~

4,000年くらい前になります

とたくさんの人骨が発掘さ

れていて、数千体レベルの

骨がありますので、この辺

からようやく日本人の起源

というのが骨の研究からわかるようになります。ですから、だいたい縄文時代の後の方から弥

生時代にかけてくらいが日本列島の歴史を考える一番、最初の時代だということになります。

見ていただくとわかるように縄文人と弥生人、ずいぶん顔・形が違っていることがわかります。

これまで人類学者が調べた結果、簡単に言うと、日本人というのは時代によって姿・形に

違いがあるということがわかっています。縄文人と弥生人は違います。それから現代人を比

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

べると、形質に地域差があります。最初にお話ししたように本土日本と沖縄、北海道、これ

はアイヌの人たちですけども、それぞれの集団には見た目だいぶ違いがあるということがわ

かっています。この歴史的な違い、それから今、地域にある違いが何でできたのかというこ

とを考えることが、日本人の起源を考えることということになります。

日本人の特徴

この写真は縄文と弥生の女性の骨

です。もう見て頂ければすぐわかる

ように、全然顔つきが違います、っ

てよく人類学者は言いますけども、

これ見て違いがわかる人はそんなた

くさんはいないと思います。よく見

て頂くと、眼球が入っている穴、眼

窩と言いますけども、縄文人は四角

いです。弥生人は割と丸いですね。

前面から見ているのでわからないで

すけど、この鼻の一番真ん中のとこ

ろ、眉間ですね、縄文人は引っ込み

ます。弥生人はのっぺらとして平た

くなります。歯は弥生人が大きくて

縄文人が小さいという、そういう特

徴があります。復元像で見ると、こ

んな感じ。どっちも日本にいそうだ

なというイメージではあります。

こういう違いが生まれる原因をど

のように説明しているのかという

と、この図のような話になります。

図の左側にある日本列島では、縄

文時代にいわゆる濃い顔をした縄文

人が列島全体に住んでいました、と

いうお話です。それに対して弥生時

代、今から3,000年くらい前になりま

すと、中国大陸・朝鮮半島から水田

稲作と金属器、言ってしまえば最新

の工業と農業の技術を持った人たち

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が北部九州地域に入ってきます。それを渡来系の弥生人と言います。中央の図ですね。こう

いう顔をした人たちだと。弥生人って言うのは後で入ってきた人で、骨の格好が違っている

という話になりますけども、この人たちが在来の縄文人と混血しながらある程度弥生人が広

がっていく、という説明になります。

それから、北海道ではだいたい5世紀から10世紀ですが、まさにこの北見の地域がそこに

あたるわけですけども、オホーツク海沿岸に大陸沿海州の方からオホーツク文化というのを

持った人が入ってまいりました。ただ彼らは忽然と10世紀から11世紀にかけて消えてしまい

ます。有名なところでは網走市のモヨロ遺跡なんかがありますけども、そういうものを残しな

がら消えてしまって、影響としてはあまり大きくなかっただろうというふうに考えています。

歴史時代を通じてこの大陸から来た人たちの遺伝子がだんだん在来の縄文人との間で混

ざっていきまして、本土の日本人というのが出来上がっていくと。ところが北海道は稲作が

浸透しませんので、渡来系の弥生人が入ってこなかったせいもあって、まあ一部にオホーツ

クの人たちが入ってきましたが、あまり影響はなかっただろうというふうに考えていて、も

ともとの縄文人の影響が強く残る。

それから沖縄には本格的に農業が入ってくるのは今から1,000年くらい前で、本州とは1,000

年間くらいの違いがありますから、沖縄の方もどちらかと言うとその縄文の影響を残した人

が住んでいるということになります。それで北海道と沖縄というのは縄文人の子孫ですか

ら、良く似ていますよ、というような説明がされます。本州の真ん中のところは、混血した人

たちが住んでいるので、こういう日本列島全体が二重の構造になっているという、これを「二

重構造説」と言います。

遺伝子で調べた研究もご

紹介します。この図は核の

DNA を調べたものですけ

ども、日本全国から7,000人

くらいの人をとってきまし

て、7,000人の一人一人につ

いて14万か所の遺伝子の違

いを調べて、それをプロッ

トしました。

そうすると北京の中国人

も含めた比較の中で、日本

人が2つに分かれていると

いうことが分かりました。日本人の DNA を見ると2つの集団に分かれるという話になりま

す。これは誰だろうというと、結論は非常に簡単でして、日本人 B って書いた方は沖縄の人

たちです。それから本土の人たちが別のグループを作っているということがわかりまして、

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平成26年度普及啓発講演会 北見会場篠田謙一 氏「DNAで知る日本列島集団の起源」

少なくとも沖縄の人というのは本土日本と DNA が結構違うということが示されているので

す。日本列島全体見ても遺伝的には均一ではなくて、本土と沖縄は違っているという研究が

あるということで、これも二重構造を表している一つの例だろうということになります。

ミトコンドリアDNAから見た日本人

次に私がやっているミトコンドリア DNA を使って日本人の起源を考えるとどうなるかと

いうお話をします。

私たち日本人は、さっきお話したミトコンドリア DNA ハプログループのどんな種類を

持っているかというと、人口比1%超えているものでも20種類以上あります。20種類くらいの

ハプログループで日本人全体が出来上がっていると思って下さい。それぞれのハプログルー

プがアジアの中でどういう

地域を中心として分布して

いるのかを示したのがこの

図になっていまして、地理

的には大きく4つのグルー

プに分けることができま

す。もっぱら東南アジアに

中心があるもの、例えばこ

の「F」というハプログルー

プですけど、東南アジアに

行くと人口の4割くらいの

人がこれを持っています。

この東南アジアに非常に多いタイプも日本人にあります。それからこの大陸の真ん中のあた

りに、非常にたくさんいるのも日本人に入っています。それからあんまり多くありませんが、

この沿海州の人たちがもっぱら持っているタイプも日本人にあるのです。

それから不思議なことに、ほぼ日本列島にしかないというタイプが2つあります。あとで

これちょっと問題になるので名前を覚えておいてください。それは「M7a」と「N9b」という

ハプログループですけども、これは朝鮮半島とか沿海州では少し出てきますけども、日本人

ほどたくさんはいません。このように日本人の持つハプログループはおおざっぱに4つのグ

ループに分けることができるのです。私たちが持っている DNA がこのようにアジアの広い

地域に住む人たちと共有されていることを考えても、日本人の成り立ちって相当に複雑だと

いうことが見えてきます。

それぞれのハプログループの頻度を表したのがこの図です。私たちの日本人のうちの3人

に1人はこの「D4」のタイプを持っているということがわかっています。ここにいらっしゃ

る皆さんのうちの3人に1人は「D4」のタイプをお持ちのはずです。お母さんと息子さんだと

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一緒になります。「D4」は

最近さらに細かく分けら

れていて、いくつかのタイ

プが、あわせて10種類くら

いあります。次に多いのは

「B4」で、これは約1割。残

りはみんなもう5%~7%く

らいでバラバラです。ここ

から日本人の持つハプログ

ループは相当複雑な成り立

ちをしているということが

わかります。

日本人の起源を考える

それではこの「D4」とい

うハプログループは一体ど

こにいるんだろう、という

のが次のお話になります。

それを示したのがこの図で

す。

「D4」が人口比で25%を

超えている集団というの

は、大陸の中央部に集中し

ているということがわかり

ます。もちろん日本人もそ

うなんですが、朝鮮半島の

人あるいは中国大陸でも上海よりも北のあたりの山東半島とかそういうところに多いです。

それから沖縄も比較的多いことがわかっています。南に行けばこのタイプは段々減ってまい

りまして、東南アジアではもう数%しかいない。西へいっても、どんどん減っていって20%

を切るような数字となります。

これは母から子どもに伝わっていく DNA ですが、集団で見てもかなりの部分がこういう

地域で共有されているということになるわけです。この「D4」以外のものについて見てみま

しょう。

これは中国の北の方から、朝鮮半島、本土日本、沖縄と、それから沖縄に距離的に近い台湾

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の先住民のハプログループ

頻度を比較したものです。

上 の3つ の 集 団 は「D4」

以外のハプログループの

比率も比較的よく似てい

ます。日本列島にしかない

「M7a」は、沖縄に非常にた

くさんいます。朝鮮半島に

は少しいて、日本にはいる

けども中国には全くいない

ということがわかります。

面白いのは沖縄に距離的に

非常に近い台湾の先住民は、沖縄の人とは全く違う DNA の組成をしていることです。沖縄

と台湾の間の遺伝的な関係はほとんどないのではないか、と私たちは考えています。

今度は本州の中で見てみましょう。

東北から東京、東海、九

州という形で地域ごとにこ

のミトコンドリア DNA の

ハプログループの比率を見

ていきます。そうするとど

こでも似たような感じで

す。「D4」が圧倒的に多く、

あとがバラバラという感じ

ですね。そう違わないよう

に見えます。ただ実は明確

に地理的な違いがあるタイ

プが2つあります。その2つ

がほとんど日本にしか見られない「M7a」と「N9b」というタイプで、沖縄と北海道のアイヌ

の方には多いですけども、本州の中央で減っているという特徴を持ちます。「N9b」は全体に

占める割合はあまり多くはありませんが、それにしても同じような傾向を持つということで

す。これは先ほど言ったように日本列島固有のタイプですから、日本以外ではほとんど見ら

れないですけども、そういうタイプが日本列島でも南と北に多くて真ん中に少ないという特

徴を持っているということになります。

これは何を意味しているかというと、先ほど日本列島の集団というのが、もともといた縄

文人の社会に、大陸から弥生人が入ってきて混血してできたというお話をしましたが、そう

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いう説に比較的うまく当てはまっているということなのです。日本列島の中央部には大陸か

ら来た人たちがたくさん住んでいるので、このもともといたタイプは相対的に比率を下げて

いる。それに対してあまり大陸から来た人たちの影響がなかった沖縄と北海道では、割とそ

れがたくさん残っていると考えるとこの分布は説明がつきますので、二重構造説というのは

それなりに正しいのではないかということがわかります。

古代人のDNA

本当にそうかどうかは、

そ の 縄 文 人 や 弥 生 人 の

DNA を調べてみればいい

ということで、実際に調べ

てみました。

左の写真は、北部九州の

渡来系弥生人の人たちのお

墓です。甕棺という大きな

カメに埋葬されるので人骨

が残ります。大きな素焼き

の甕を作ってですね、それ

を棺桶に使っているわけで

す。この甕、片方だけでだいたい70kg くらいありますので、合わせると150kg くらいあると

んでもないものを作っていると思います。そういうもので埋葬されているのです。日本の土

壌の大部分は酸性ですか

ら、地面に埋葬された人骨

は時間がたてば溶けて無く

なってしまいます。しかし

こういうところに埋まって

いると人骨が残ります。右

上は北海道礼文島の縄文人

です。貝塚に埋められます

ので、比較的人骨の残りが

いい。右下は茨城県の取手

から出てきた縄文の貝塚で

すけども、非常にたくさん

の人骨がまとめて埋められているところです。

こういう人骨から DNA を採って、先ほどのミトコンドリア DNA のハプログループを決

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めていくわけです。その結果を示しているのがこのグラフです。

ここから弥生人はたくさん「D4」を持っていることがわかります。「D4」は縄文人からほと

んど出てまいりません。現代日本人のグラフは真ん中のものですから、これを見ても、縄文

と弥生が混血していって今の私たちが出来上がったという考え方はある程度当たっているの

ではないかというふうに思われます。現代日本人にはほとんど出てこない、数%しかないよ

うなタイプがいっぱい出てくるというのが縄文の特徴です。

少し違う話をします。説

明が難しいのですが、私た

ちの持っているミトコンド

リア DNA を調べると、実

は私たちがいつ頃人口を増

やしたのかということが計

算することができます。そ

れを表したのがこのグラフ

です。

理屈は面倒なので結果だ

けお話しますと、6万年前

から現代まで、徐々に人口

が増えていきます。日本列島に4万年前に最初に人が入ってきましたから、このあたりから先

が日本人の話になります。グラフを見ると、今から5,000年くらい前に一挙に人口が増えたと

いうのがわかると思います。

ところが遺跡を調べる

と、この図にあるように全

く逆になるのです。

縄文時代の人口を調べて

いくと、その時の縄文人は

1万年前には全国に2万人く

らいしかいません。それが

5,000年くらい前になって、

だいたい26万人くらいにな

ります。そしてその後減っ

て い き ま す。5,000年 前 が

ターニングポイントになっ

ていますけど、この後に気候が悪くなります。それでどんどん人口が減っていって縄文時代

の一番末期には全国で8万人ぐらいになってしまいます。それが、渡来系弥生人が来ることに

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よって、弥生時代の末期には60万人くらいになるのです。グラフは、本当は5000年前から増

えなきゃいけないはずですね。私たちのミトコンドリア DNA はその時期の人口増加を示し

ているのに、日本列島に住んでいる人というのは減っている、逆になります。

これ何故逆になるかという説明は一つでして、5,000年前に私たち多くの日本人の持ってい

る DNA を伝えた人というのは、日本列島にいなかったということです。おわかりでしょう

か?私たち今生きている人たちの DNA を調べると、5,000年前に増えたということがわかっ

たわけですけども、遺跡を見ると5,000年前から減るわけですから、話は逆になるのですが、

それは私たちに DNA を伝えている人が日本にいなかったと考えれば、理由としては説明が

つきます。

それでは私たちはどこにいたのかということになります。5,000年前の大陸を見てみましょ

う。そうすると非常に面白いことに5,500年前くらいから、実際はもう少し古い時代から始ま

りますけども、中国・揚子江の中流域で本格的な稲作が始まります。そうするとこのあたり

の人たちは農業を始めますから、どんどん人口が増えていったのだと思います。それで更に

周辺に人口を増やしていって、周りの集団を巻き込んでいきながら最終的に3,000年くらい前

になって、きっと大陸の方が狭くなったのだと思いますけども、「一丁、向こう行ってやれ」

というわけでこの対馬海峡を渡ってきた人がいたのではないか、と。このように考えると、

どうも揚子江の中流域あたりが多くの日本人が持っている例えば「D4」の故郷ではないかな

という見通しがついてくるわけです。

これまた面白いのは、日本では3,000年前に弥生時代が始まるわけですけども、この3,000年

前というのは、ベトナムの北のあたりでも文化がガラッと変わってきます。それまでは石器

時代でしたが、その頃から青銅器時代に変わっていきます。それはおそらく揚子江中流域で

人口を増やした連中が、アジア全体に影響を与えただろうというふうに考えると説明がつく

ように感じます。ですから、稲作農業を始めた人たちが5,000年前にいたということは、2,000

年かけて日本列島に大きな影響を与えて、それがやがて今の私たちにつながっていくという

ことがこのシナリオとして見えてくるというお話になります。

日本列島集団のDNAの違い

この二重構造説、日本人の成り立ちをうまく説明できていると思えますが、実はここに

一つ落とし穴があります。二重構造説では本土日本と沖縄・アイヌの人たちを比べたとき

に、沖縄とアイヌが似ているということを言っているわけですけども、実はミトコンドリア

DNA を見ると、アイヌの人たちと沖縄の人はほとんど似ていません。このグラフを見てく

ださい。

先ほど言った「M7a」は確かに双方にありますけども、アイヌ民族の方々はそれ以外の「G」

であるとか「Y」というタイプを非常にたくさん持っている。「Y」に至っては沖縄ではもう

皆無です。それから本土日本でもほとんどない、0.3%くらいしかいない非常に珍しいタイプ

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を、アイヌの方たちはいっ

ぱい持っているということ

がわかっています。

二重構造説がいうような

沖縄とアイヌの共通性と

いうのはミトコンドリア

DNA のハプログループの

比較からは見えてこないの

です。この「G」や「Y」はど

こにいるんだろう。調べて

みるとそれはもう一目瞭然

でして、アイヌの方が持っ

ている「G」や「Y」はこの

地図にある集団と共有され

ているということがわかり

ます。カムチャッカ半島や

樺太や沿海州といったとこ

ろの先住民の人たちが持っ

ているものと同じ DNA を

たくさん持っているという

ことになります。先程言っ

たように北海道というの

は、旧石器時代は大陸から

突き出た半島の一部だった

わけですから、おそらくこういった地域と人の交流があっただろうということが想像されま

す。単純に本州とは同じではないのです。

DNAで見た北海道の集団の歴史

次に北海道の集団の変遷の歴史をみてみましょう。北海道では縄文時代の後、弥生時代が

始まりませんので、文化的には続縄文文化になって擦文文化へと続き、13世紀くらいからア

イヌの時代が来ると考えられています。そして先ほど言ったこの北見などの地域に特徴的な

オホーツク文化が間に挟まっています。

この北海道のさまざまな地域から出土した、江戸時代のアイヌの人たちや縄文時代の人た

ちの DNA を分析するという研究を数年間かけてやっております。その結果を示したのがこ

のグラフになります。

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一番右は今のアイヌの人

たち、平取町二風谷のアイ

ヌの方50人ぐらいのデータ

です。一地点のデータです

のでアイヌの人たち全体を

代表しているかどうか評価

は難しいですが、とりあえ

ず今公表されている現代の

アイヌの人たちのデータは

これだけです。江戸時代の

アイヌの人たちの DNA も

だいたいわかってきまし

た。右から2番目になります。そう大きく違いはないですけども、「Y」や「N9b」というタイプ

が非常にたくさんいるということがわかります。

次に一番左にある縄文時代のグラフを見てみましょう。非常に面白いことに縄文時代には

「Y」のタイプがありません。私たちは縄文人についてはこれまで全部で50数体しか調べてい

ませんが、今のところ出てきていません。これを一体誰が持っているんだろうと不思議だっ

たのですが、答えがわかりました。この左から2番目の人たちだったのです。モヨロ貝塚か

ら出てきたオホーツク文化の人たちのDNA分析が行われたのですが、彼らがまさにこの「Y」

を非常にたくさん持っているということがわかりました。これは北海道にもともとあった縄

文時代から続く、樺太や沿海州から古い時代に入った人たちの DNA だと思いますけども、

こういうハプログループにオホーツク文化が栄えた時代に大陸からの影響があって、その2

つが混合しながら今のアイヌの人たちにつながっていくということが見えてくるというお話

になります。

一方で、こういう話をするときに必ず注意しておかなければいけないのは、13世紀に成立

したアイヌ民族は北海道の先住民族ではないのではないかと言われる方がでてくることで

す。しかし DNA で分かったのはそういう話ではありません。「民族」というものの考え方と

遺伝子の構成には関係がありません。遺伝子というのは、たとえば中国には漢民族の人たち

がいらっしゃいますけども、あの人たちは中では地域によって DNA がずいぶん違っていま

す。北の方、南の方、海の方、山の方でかなり構成に違いがあります。ですから同じ民族でも

内部に異なる遺伝子構成を持ったグループがある場合もあります。全体として均質な遺伝子

を持つ民族もいないことはないですけど、両者は関係ありません。

集団の遺伝子の構成というのは色んな要因で変わります。例えば誰か入ってくる、このオ

ホーツク文化人の流入もその例ですね、あるいは結婚する相手が住む地域が大きく変わって

しまったということでもずいぶん変わりますし、病気が流行してたくさんの人が一度に亡く

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なると一時的に人口が減少しますから、その時に DNA の種類は少なくなります。遺伝子の

構成の変化というのは過去にその地域でどういう歴史があったということを知るための手が

かりなのです。こういう人の動きというのは世界のあらゆる地域であって、文化というのが

その地域の中から生まれてくるという認識を持つということが非常に重要だと思います。

遺伝的な構成が変わってしまったから民族がいなくなった、ということを言う人たちがい

ますけども、それは明らかに間違いです。そもそもの考え方が間違っているのです。地域集

団というのは様々な人が出入りをしながら、またあるいはある事情で人口を増やしたり少

なくしたりしながら、その地域で存続していって、そこで生き続けていった人たちの中に独

特の文化というものが生まれてきて、民族ができあがるということになるのです。遺伝子の

構成が変わってしまったから別の民族だと考えるのは間違いです。もしそうなら本土の人間

も、本土の縄文人と渡来系の弥生人が合体して出来上がっているわけですから、そういう意

味では、そもそも先住の日本人なんか今はいないという話になるのです。どんな地域でも必

ず人々というのは動いていて、その中で民族集団が形成されているということを頭に入れて

おいていただければと思います。

DNAで知る琉球列島集団の歴史

さてそれでは、南に転じ

て沖縄を考えてみましょ

う。沖縄は少し難しいで

す。というのは、沖縄は琉

球弧と言われる非常に広い

地域から成り立っていると

ころだからです。大きく分

けると、今は鹿児島県にな

りますけども、奄美それか

ら沖縄本島、更に先島とい

う大きく3つのグループに

分かれています。地理的に

は沖縄本島と奄美は1つと考えた方が良いかもしれません。ただ先島との間にはかなり大き

な地理的ギャップがありますので、ここに境界があるということになります。実際に縄文時

代まで遡りますと、この沖縄本島と奄美は貝塚文化という九州の縄文文化圏に入っています

けども、先島はフィリピンであるとか台湾であるとか、そういうところの文化と非常に良く

似ているということがわかっています。そこを分けて考える必要があります。

琉球の歴史というのは、旧石器時代を除けば、一番古いところで先島の先史時代と本土の

縄文に対応する貝塚時代があります。ここも稲作の導入が本土より遅れて弥生時代が来ま

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せんので、平安期までは貝塚時代が続きます。平安時代以降ぐらいになりますとグスクの時

代、世界遺産にもなっているあの大きな城を作る時代ですね、この時代が来ます。そして薩

摩の侵攻を経て近世琉球ができあがり、清と薩摩の二重支配を受けながら明治維新直後に琉

球処分という形で廃藩置県が行われ、本土の日本に編入されていくという歴史を持ちます。

この沖縄の歴史の中で何が一番重要かというと、人類学として2つのポイントがあります。ひ

とつは何と言っても最初に沖縄に来た人たち、旧石器の人骨が出てくるのは沖縄だけですか

ら、そういう人たちがそもそもどこから来たのかという由来が大きな問題としてあります。

もうひとつはグスクの時代になると、沖縄はどっと人口を増やすことがわかっています。本

格的な農業が沖縄に入る時代ですので、農業することに伴って人口が増えていくわけですけ

ども、この農業を始めた人たちというのがそもそも誰だということが問題になります。この

グスクの初期の時代、人口を増やしていった人たち、本格的な農耕民は一体誰だろうという

ことが分かっていません。在地の沖縄の人たちが農業という技術を本土日本から学んで人口

を増やしたのか、あるいは本土から農民がたくさん入ってきて、沖縄の集団として現在につ

ながっているのかというのが問題になります。ですからこのあたりを解くために DNA の分

析をしていますけども、残念ながら、沖縄の場合は骨の中に DNA があまり残っていません。

湿度と温度が高い地域なので DNA が保存するのには厳しい環境なのです。ですから、のと

ころあまりたくさんの DNA が分析されているわけではありません。

この図にはこれでわかったことを書き込んであります。

これは現代の沖縄の人

たちが持っているミトコ

ンドリア DNA のハプログ

ループです。現代の沖縄の

人で多いのは、本土日本と

同じ「D4」それから「M7a」

次に「B4」が多くて、その

次に「A」と続きます。こう

いう現代に人に多いタイプ

は、グスクの時代の少し前

の遺跡からすべて出てく

ることがわかっています。

つまりグスク時代直前くらいには、既に現代の沖縄につながるような DNA のタイプという

のは揃っていたということが最近の研究でわかってきたのです。ですからおそらく沖縄の場

合は、もともと非常に古い時代から住んでいる人たちというのがいるわけですね。旧石器時

代、人骨を残していた人たちがいるわけですけども、そういう人たちがもしかすると「M7a」

を持っていて、それ以外にも台湾なんかにあるようなタイプも少しずつ入ってきていて、沖

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縄の先史時代の人々というのは形作られていて、その後は弥生時代と平安時代の間のくらい

の時代に、本土の方から少しずつ人が入ってきて、彼らが最終的には本格的な農耕を始めて、

一挙に人口を増やしていったというのが今、私が考えているシナリオです。ですから、もと

もと沖縄にいたであろう旧石器人のグループ、これは南から入ってきたのだと思いますが、

その人たちと南のグループとの交流、それに加えて九州から来たようなグループの影響が

あって、今に続く人たちがいるというお話になるのではないかというふうに考えています。

日本人はどこから来たか

先にお話ししたように日本列島集団の成立のシナリオとしては二重構造説が提唱されてい

ます。縄文時代に均質な縄文人がいて、そこに大陸から弥生人が入ってきて、歴史時代を通

じてこの2つが混血するので、中央に本土日本人、それからその影響を受けなかった北海道と

沖縄の集団というものに分かれていったというふうに日本人の成り立ちというのを説明しま

した。これはある意味非常に美しい説明の仕方です。でもこれは一体誰がどこから見た説明

なのかということを考えてみましょう。この学説で日本列島集団の成立を統一的に理解でき

るわけですから、それなりに科学の理論としてはすっきりとはしていますけども、視点が実

は一つしかないということに気がつきます。これは真ん中と周辺という見方をしている日本

人の構成の考え方です。つまり、これは東京から、日本の中心から見るとこういうふうに見

えるという説明なのです。この学説では、説明を縄文時代に、均一な縄文人がいたというと

ころから始めています。しかし先ほどからお話しているように、実はこの前に旧石器時代と

いう非常に長い時代が日本列島にはあります。

この旧石器時代にどのよ

うに人が入ってきたかとい

うのは、この図のように、

一応3つくらいのルートが

考えられているわけです。

ひとつは南の方の島から

入ってきた、それからもう

ひとつは朝鮮半島を経由す

るようなルート、これは後

の時代に弥生人がまさにこ

のルートを通ってくるわけ

ですけども、非常に古い時

代だってやはりここから人が入ってくる人が一番多かったでしょう。それから北海道の方か

ら入ってくる、そういうルート。これはちょっと旧石器でも新しい時代になりますけども、

こういう古い3~4万年の時代、あるいは2万年くらい前の時代に列島には人が入ってきてい

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るわけです。

そうだとすれば、日本人の成り立ちはこの3つから考える必要があるのではないかという

ふうに思います。南から入ってきた人たちが一体どうなっただろう。朝鮮半島を経由した人

たちはどうなっただろう。北から入った人はどうだろう、という形で、最初のスタートのと

ころで、均質な縄文人というふうに考えるよりは、旧石器時代にまで遡って考える必要があ

るのではないかなというふうに思います。

日本列島全体を見てみましょう。大陸から付かず離れず南北に3,000km くらいべったりと

くっついているのが、私たちの住んでいる日本列島です。この日本列島に何万年も住んでい

る人たちが、どのように成立したのかということを考えるときに、列島は1つと私たちは認識

していますけども、歴史的に見れば2つの国家が成立していたことがありました。本土の大和

朝廷とそれに続く政権、それから琉球王朝。それから民族としては、国家を作りませんでし

たけども北海道のアイヌ民族、本土の大和民族、そして南西諸島の沖縄の人たちということ

で3つの民族が存在している。その中で日本人の成立を理解しようと思った時には真ん中か

ら見て中央に人が入って、周辺にはその影響が及ばなかったという単純な見方をするのでは

なくて、この3つの地域が近隣の様々な地域とのつながりをもちながら、それぞれに独自の歴

史を持つ集団を構成し、それがやがて今ある私たちの日本列島集団として成立していったと

いうふうに考えるということが重要だろうと思います。

もっと言えば、ここでは単純に3つにしましたけども、例えば北海道だって更に詳しい成立

史を語るためにはもっと分ける必要があるのかもしれません。本土日本もさらに細かい地域

に分ける必要があるかもしれないということを念頭に置きながら考えていけば、それぞれの

地域集団の成り立ちの歴史が今の全体を作っていくという考え方につながるわけです。そう

いうふうに考えた方が実際の日本列島集団というものを理解しやすいのではないか。おそら

く DNA を更に詳細に分析していくと、こういう歴史がさらにはっきりと見えてくるのでは

ないかというのが私の結論です。どうもご清聴ありがとうございました。

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平成26年度 普及啓発講演会報告集

発行年月 2015年3月

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