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DIVINE DISCOURSE バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の 学生時代 サティヤ・サイ出版協会 ISBN 978-4-916138-71-2 C0010

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DIVINE DISCOURSE バガヴァン シュリ

サティヤ サイ ババ様の

学生時代

サティヤ・サイ出版協会

ISBN 978-4-916138-71-2 C0010

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本書は、劇「ラージュ」(当時は「ラジュー」)上演にあたって編

まれた『バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の学生時代』(斉

藤道男編、サティヤ・サイ・オーガニゼーション制作 1997 年)に、

"Swami’s School Days ― Divine Discourse for Students" (斉藤道

男、比良佳代子、N・高木、アニタ・D編、比良竜虎発行 1997 年)

をもとにした若干の追加修正を加え、Publisher’s Note を後書きと

して付し、第二版としたものです。

“Bhagavan Sri Sathya Sai Baba Sama No GAKUSEI JIDAI” 2nd Edition Published by Sathya Sai Publications Japan

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バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の

蓮華の御足に捧げます。

1997年7月20日(日)

グルプールニマー祭

第一回サティヤ サイ世界青年大会

(1997年7月16~19日)記念

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本書をもとに学生時代のババを描いた日本のサイ ユース女

子による劇「ラージュ」の出演者らに、本番前、舞台袖で質問

をなさるババ(上)

開演前に客席で帰依者と語らうババ(下)

1997 年 7 月 15 日

プールナ チャンドラ講堂

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開演前にプログラムをご覧になるババ(上)

劇「ラージュ」の一場面(下)

1997 年 7 月 15 日

プールナ チャンドラ講堂

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上演後、出演者と記念撮影をなさるババ(下)

舞台から帰依者を祝福くださるババ(上)

1997 年 7 月 15 日

プールナ チャンドラ講堂

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もくじ

試験

8

転校

12 奉仕キャンプへの道のり

15 プシュパギリでの出来事

26

父の訪問

32

ラージュは歌を作る

35

カーン先生

46

代役

50

スワミは手本を示したかった

56

後書き

60

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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他の学生たちと共にあるとき、学生はどのように振る舞うべきでしょうか?

そして、学生が守らなければならない規則とは何でしょうか?

私自身の経験の中からいくつか例をあげてみたいと思います。私自身が学生であったこ

ろの話です。

試験 プ

ッタパルティは小さな村でした。このことはあなた方が良く知っていますね。この身

体は決してプッタパルティを離れることはなく、他の場所は見たこともありませんでした。

しかし、ブッカパトナムという所の学校にESLC(小学校卒業資格)のための授業があ

り、この身体は(毎日四キロほどの道のりを歩いて)その授業に通っていました。

当時始まったESLCと呼ばれる公的試験はペヌコンダで行われました。そのころ、プッ

タパルティからペヌコンダへは長い旅路を歩まねばならず、(村人たちにとっては)まるで

アメリカとかロシアへ行くような感覚の遠いところでした。そのような状況だったのです。

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もちろん、プッタパルティやブッカパトナムにバスはなく、道路さえありませんでした。

唯一、ペヌコンダまでは鉄道が来ていました。それは目を見張るものでした。村では多く

の人々が列車について奇妙な話をしていましたが、それはとても愉快なものでした。村人

たちは、レールの上を何か蛇のようなものが這は

って進むと話していました。そしてその蛇

は一つ目で、その一つ目が前で光っていると言っていました。列車についてこのような奇

妙な話がなされていました。

このような状況の中、私はプッタパルティから一人で旅立たなければなりませんでした。

するとこの身体の母親が、私の長旅について何かと心配しました。彼女は、甘いものを準

備したり、さまざまな食べ物を準備しました。当時は水筒や弁当箱がなかったので、これ

らすべてのものが、私の服に結わえ付けられました。それだけではありません。両親や親戚

しんせき

が皆、私が遠く旅するので泣いて心配し、ブッカパトナムまで一緒に牛車

ぎっしゃ

に乗ってついて

きました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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ブッカパトナムからペヌコンダまでは、八人の少年が一台の牛車で行くことになりまし

た。その八人に一人の先生が付き添いました。道路は通常の道路ではなく、上り坂や下り

坂がありました。そのたびに私たちは牛車を降りて歩かなければなりませんでした。そし

て再び牛車に乗るということを繰り返しました。まるで、一マイル進むために五マイル歩

いているようなものでした。牛車を乗り降りするよりも、歩くほうがずっと容易でした。

そして少年たちは皆幼く、私の身体も小さかったので、教師は牛車に子どもを乗せたり降

ろしたりということを何度も何度も繰り返さなければなりませんでした。

こんなふうにして、私たちは朝の五時に出発したのですが、ペヌコンダについたのは夜

の九時でした。そこは、便利さとか快適さとは無縁の所でした。宿泊施設がなかったので、

チョウルトリ(巡礼用の無料宿休所)に泊まらなければなりませんでした。チョウルトリ

は土地と小屋で、たいてい町の外は

れにありました。そこで私たちはそこに行き、自分たち

の運んできた食料を調理して食べました。私はよく料理をしたものでした。食料はどれも

家庭で作られたもので、チャトニ・パウダーやサンバル・パウダーも持たされていました。

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私たちはそこに三日間宿泊し、自分たちで食事をまかないながら、何とか試験を終えるこ

とができました。

これからお話しすることは、別に自慢するつもりで話すのではありません。実は、その

試験を受けた少年たちの中で、スワミ(ババ)だけが優等の成績で合格しました。他の少

年たちは不合格でした。

少年たちはとても幼く、このESLCの試験は第一回目のものでした。教師たちは大変厳

しく、少年たちがカンニングペーパーを持ち込んでいないかどうか調べるため、少年たち

のポケットを検査しました。何も持ち込むことは許されていませんでした。鉛筆や消しゴ

ム、試験用紙はすべて教師が用意しました。このことは幼い少年たちの心を動揺させまし

た。このため、彼らは実力を発揮できなかったのです。

町中の人々が、ラージュ(ババが幼いころに呼ばれていた名前)だけが特別試験に優等

の成績で合格したことを知りました。村人たちはお祝いのため、牛車にラージュを乗せて

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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村中を行進することを望みました。

転校 E

SLCに合格した後、ブッカパトナムには私が学べるそれより上のクラスはありませ

んでしたので、この身体の兄であるシェーシャマ・ラージュはこの身体を自分が嫁とその

家族とで住んでいる姑の

しゅうとめ

家に連れていきました。彼らはカマラープラムに住んでいました

が、私はそこでさらに勉強を続けることになりました。

カマラープラムというところは、タミルの町で、カダパの近く、数マイルのところにあ

りました。その町で私は中等学校の第三学年に入学を許可されました。しかし、私はまっ

たく勉強をすることができるような状況にはありませんでした。学業に精を出すことはで

きませんでした。そこでは深刻な水不足の問題に悩まされていました。そのため、私が毎

朝しなければならない

初の仕事は、大きな素焼の瓶か

に水をくんで何マイルもの距離(約

八キロ)を運ぶことでした。

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ババがカマラープラムの学校に通っていたときに住ん

でいたシェーシャマ・ラージュの姑の家

ババが通っていたカマラープラムの学校

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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このようにして、朝は水をくんで家に運ぶだけで過ぎてしまい、午前九時まで時間をと

られていました。私に与えられた時間はとても少なく、私のできることといえば、水を汲

んで、急いで朝食を済ませてから学校に行くことだけでした。当時はちゃんとした朝食と

いうものがありませんでした。ですから、前日に調理されたものの残りを、一晩そのまま

にしたり、水に浸つ

けたりしていました。前日の晩のご飯が塩水に浸け置かれており、翌朝、

その水に浸ひ

したご飯を食べなければなりませんでした。特別なおかずのようなものはあり

ません。前夜の残りのご飯に塩をかけて漬物

ピクル

を載せ、それを食べて学校に行きました。私

に許されていたのは、水に浸したご飯に塩と漬物を付け合せて食べ、学校に走っていくこ

とで、時間的余裕はまったくありませんでした。

学校には机がありますね。机の中に本をしまったり、ものを書いたりすることができま

す。当時は一つの机に三人の生徒が座りました。私は、机の真ん中に座り、その両

りょうわき

に、

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ラメーシュとスレーシュという名の少年が座っていました。そうして一年後には、クラス

でのどの試験でも、私と両脇の二人の少年が好成績を修め、優等を取るようになりました。

奉仕キャンプへの道のり

カダパとカマラープラムの間にプシュパギリという村がありました。そこでは毎年お祭

りが開かれていました。当時、教練の教師が、学校でスカウト運動と呼ばれる運動を始め

ました。その教師は、すべての少年が義務としてスカウト運動に参加しなければならない

と主張していました。

教練の教師は、皆がこのボーイスカウトの一団に加わるべきであり、次週までに自前で

カーキ色のニッカーボッカー(膝下

ひざした

まである半ズボン)とカーキ色のシャツ、そしてシャ

ツに付けるメダルを用意すべきだという指示書を出しました。そしてスカウト団員は皆、

そのプシュパギリでのお祭りに参加し、そこにやって来た村人たちに奉仕すること、とい

う指示を出しました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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私は当時、一パイサ(二・五銭)のコインさえも持っていませんでした。この身体の父

親は四家族を抱えており、あまり裕福ではありませんでした。それでも、私がこの学校に

来るとき二アナ(約三十銭)を渡してくれましたが、学校に入学してから六ヶ月過ぎ、私

はそのお金を使ってしまっていました。当時の農村では二アナは大金でした。とにかく、

私はお金をまったく持っていませんでした。

私は学級委員長であり、スカウトのメンバーたちのリーダーでした。そのため、教師た

ちは私が逃げられないように、スカウトグループに参加してプシュパギリに行くようにと

いう厳しい指令書を出しました。

このように私はお金をまったく持っていなかったので、どうしたらお金なしに行けるか

と、落ち着かずにいました。教練の教師は、私がスカウトグループに参加するよう厳しい

指令書を出していました。その当時、私はいつも履は

く一足のニッカーと一着のシャツしか

持っていませんでしたが、スカウトの先生は、カーキ色のニッカーとカーキ色のシャツに

するよう望んでいました。私がいつも身につけていた一着の服にしても、学校から帰ると

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すぐに私はそのニッカーとシャツを洗濯していました。そして、腰に白いタオルを巻いて、

服にアイロンをかけました。私は真鍮製

しんちゅうせい

の容器を用っていました。真鍮の容器の中に炭火

を入れて暖め、アイロンの代わりにしていたのです。蒸気で湿らし、重さをかけてしわが

無くなるようにしていました。そして私は、明日こそ、二着目のニッカーとシャツのセッ

トを買うお金の余裕が無いことを告げようと何度も考えました。

ずっと一足のニッカーと一着のシャツだけで過ごしてきた者にとって、追加でカーキ色

のニッカーやシャツを買う余裕があるでしょうか?

私が一組の服しか持っておらず、カー

キ色の服を買えないことを教師のところに行って話すことは、なかなかできませんでした。

なぜならそれは、ある意味で私の家族の名誉を傷つけることだったからです。

こうして、私はまったく困ってしまいました。教師たちは私に、絶対に行くよう厳しく

言いつけました。私自身も、これは奉仕をする良い機会なので何とかして行きたいと思い

ました。このような状況の中で、私はある計画を考えつきました。私がアシスタントとし

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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て指名した少年がいたので、彼に私の役目を引き継いでもらい、私は気分が優れないので

後から行くというものでした。これが私の計画でしたが、その少年は私の隣に座っていた

ラメーシュで、彼の父親は裕福でした。ラメーシュは私が何か問題があって一緒に行こう

としていないことに気づきました。ラメーシュは父親のところに行って言いました。

「お父さん、どうしてもカーキ色の半ズボンとシャツが欲しいんです。とても気に入った

んです。どうか、一組だけでなく、二組

誂あつら

えてください」

そして、当時のラメーシュは私と同じ身長の持ち主でした。

ラメーシュと同様に、他の少年たちも私が行かないようにしようとしていることを知り、

自分たちも行かないことを考え始めていました。少年たちからの催促は、日増しに強まり

ました。彼らは来てはこう言いました。

「ラージュ、もし君が来ないのなら、僕たちも行かない」

こんな具合でした。少年たちは、学校や家にやって来ては、私がスカウト運動に参加し

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ないなら自分たちも行かないと言いました。このように、私を取り巻く環境に圧力がかけ

られていきました。

その一方で、ラメーシュは、父親から予備の服を手に入れ、新聞紙に包んで次のような

置き手紙を残しました。

「僕はこの予備の制服を君のために置いておきます。君はこの服を受け取らなければなり

ません。もし君が受け取ってくれなければ、僕は死ぬでしょう。僕は自殺するでしょう」

このように書いて、ラメーシュは私が普段本を入れておく机の中に、服を置いていきま

した。

ラメーシュはまた、その手紙にこうも書きました。

「ラージュ、君は僕にとって兄弟にも等しい存在です。兄弟が受け取るように、君もこの

服を受け取らなければなりません」

それを見ると、私はすぐにその手紙を破り、次のような返事を書きました。

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「もし君が本当に友情を望むなら、このように物を贈って受け取らせようとするのは間

違っています。それは友情をだめにしてしまうでしょう。もし君が僕の兄弟になりたいの

なら、そして兄弟のような関係を続けたいのであれば、このような贈り物をすべきではあ

りません。贈ったり、受け取ったりしてはいけません。僕たちの間の純粋な関係を保つに

は、そのような贈り物を僕にしようなどとは考えないでください」

私がそのような手紙を書いたので、ラメーシュはどうすることもできずに、そのカーキ

色の制服を持って帰りました。

プシュパギリでのお祭りまで三日間しか残っていませんでした。少年たちがプシュパギ

リに行く準備ができるよう、学校は三日間お休みとなりました。

私は行くとは言っていましたが、行かないつもりでした。そのため、何とかして一緒に

行かなくても済む口実を見つけなければなりませんでした。もし、熱があると言えば、少

年たちは体温計を持ってきて、私に熱がないことがわかってしまうでしょう。ですから、

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ひどい腹痛で行けないということにするのが一番だと考えました。私は少年たちに、とて

もお腹が痛いので行くことはできないだろうと言いました。

少年たちは、列をなしてプシュパギリに向けて歩き出そうとしていました。教師たちも

皆いました。彼らは家にやって来て言いました。

「どうしたんですか? なぜラージュは来ないのですか?」

この身体の兄は言いました。

「行きません。ラージュはひどい腹痛で、参加できません」

彼らがやって来たのがわかったので、私はひどい腹痛があるふりをして、うめき声を上

げました。

そのとき、その場にメーブーブ・カーンという名の先生が家の中に入ってきました。私

は痛みが増したふりをして、いっそう大きなうめき声を上げました。

「ああ、ラージュは病気だ。ラージュの具合が良くなることが何よりだ。無理強

いしない

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ようにしよう」

メーブーブ・カーンはその場を去りました。他の教師も生徒たちも、皆いっしょに去っ

ていきました。

男子生徒たちは一人十二ルピーを出していました。十ルピーはバス代で、残りの二ルピー

は現地での小遣いでした。食事に関しては、個人でまかなうことになっていました。そう

いうことで、少年はめいめい十二ルピーを出しました。私には十二ルピーのお金はありま

せんでした。ですから、一行と一緒に行くことは問題外でした。私は後から歩いていくこ

とを決意していました。

一行が去ると、すぐに私の腹痛は消えてなくなりました。というより、もともとお腹は

まったく痛くなかったのです。痛みもなく、私は元気になりました。

さて、問題は、どうやってプシュパギリに行くかでした。私は何とかして行かなければ

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なりませんでした。私はあることを思いつきました。

私は自分が課程を修了して進級試験に合格したことを知っていました。私は、数学、歴

史、地理といったその学年の教科書一式を持っていました。どれも新品同様の状態でした。

私は教科書を使ったことも開いたこともなかったので、皆、新品同様だったのです。私は、

自分が修了した学級にハリジャン(カーストの

下層)の少年が入ってきたのを知ってい

ました。そこで彼のところに行って、教科書を買わないかと持ちかけました。私は彼に、

「教科書はこのように新品同様だけど、君は貧しい少年だから、半額の十二ルピーで譲り

たい」

と言いました。

しかし、彼にはそのお金もありませんでした。その少年は貧しく、半額でも払えそうに

なかったので、私は彼に言いました。

「気にしなくていい、五ルピーで全部持っていっていいよ。僕にはそれでじゅうぶんだ。

僕が欲しいのは自分が必要な五ルピーだけだ。それ以上はいらないよ」

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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私は五ルピーを受け取ると、教科書を渡しました。その少年は、わずか五ルピーで新品

の教科書を手にすることができ、とても嬉しそうでした。当時は、今あるような一ルピー

紙幣はありませんでした。そのため、彼は大量の硬貨を持ってきました。五ルピー分の大

量の硬貨を私は運ばなければなりませんでした。

このお金をどうやって(プシュパギリに)持っていったらよいでしょう?

服にポケット

はありません。唯一の方法は、私の破れたシャツを裂さ

き、その布切れで小銭を全部包んで

縛ることでした。私が布を結んで固く縛っているとき、布が破けてしまい、お金が全部床

に撒き散らされました。そのとき家にいた夫人(兄のシェーシャマ・ラージュの姑)がやっ

て来て、たくさんの硬貨が落ちているのを見つけました。彼女は、

「このお金はいったいどこから持ってきたの?

この家から盗もうとでもいうの?

この

家からお金を盗むなんて、よくもそんなことができたね」

と言いました。

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私は、自分の無実を証明しようと努力しました。私は教科書を買った少年を呼んできて、

彼が五ルピーをくれたことを説明してもらいました。いろいろと努力をしましたが、夫人

は信じませんでした。夫人は私を何度か打ぶ

ち、激怒して、私がこのお金を盗んだと言い、

さらに、罰として食事を与えませんと言いました。

もし、私が家の外にいて、家の中に入れないでいることに人々が気づけば、きっと私に

何が起こったのか尋ねることでしょう。どうして家の中に入らないのですか、というよう

に。そうすれば、町中に家の不名誉を広めることになります。私はそれを望みませんでし

た。そこで私は、急いで家を出ると、お祭りが開かれている場所まで九マイル(十四・五

キロ)の道のりを歩いていくことにしました。

その日は満月でした。とてもきれいな満月だったので、たくさんの人々がお祭りのため

にプシュパギリに行こうと歩いていました。私もまた歩いて行きましたが、満月の晩に歩

くことはとても快適でした。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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プシュパギリでの出来事

その夜、私はプシュパギリに到着しました。とても暑い夏の日であったことに加えて、

私は九マイルの距離を歩いてきたので喉の

が渇いていました。当時、飲み水を手に入れるの

は大変なことでした。人々が水を手に入れるための唯一の方法といえば、誰かが牛を洗っ

ているところに行くことでした。牛を洗うための小さな浴場があれば、そこに水が残って

いることもありました。ちょうど牛の洗い場のような所があり、そこに水がありました。

けれども、その水は汚く、とても飲めるようなものではありませんでした。しかし私は、

あまりに喉が渇いていたので、その汚い水を少し飲まなければなりませんでした。

私が不潔な水で渇きをいやしていたとき、(石造りの水溜めの)石の縁ふ

に一束のビー

ディーと一アナ(十五銭)の硬貨が置いたままになっているのに気づきました。ビーディー

というのは田舎の煙草の一種です。誰かがそれを置き忘れたのでした。私はそのビーディー

と一アナを手に取ると、近くに持ち主がいないかを探すため、辺あ

りを見回して尋ねました。

「これはあなたのものですか?

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「これはあなたのものですか?」

しかし誰も答えませんでした。誰のものでもないことは明らかでした。そこで私はまず

ビーディーを拾い、ちぎって砂の中に埋めてしまいました。それから、その一アナを四分

の一アナ硬貨四枚に両替してもらいました。

私には、その四枚の四分の一アナ硬貨しかありませんでした。私はそのお金で何日間か

を過ごさなければなりませんでした。そこで、まだ幼かったとはいえ、私はあまり良くな

いことをしてしまいました。私の人生において唯一してしまった良くないことです。

私は、四枚の四分の一アナ硬貨を持って、サイコロ遊びをする場所へ行ってしまったの

です。人々は、サイコロでお金を賭か

けたりしていました。私は、そのゲームをやってみま

した。ゲームを始めると、とても上手くいき、わずかの間に私は十二アナを手にしていま

した。十二アナを手にしたとき、私はこれ以上欲張ってはいけないと考えました。それで

私はゲームをするのをやめました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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私は(行き帰りを含めて)十日間滞在しなければならなかったので、一日一アナ使うと

して、食事代はじゅうぶんだと計算しました。そして残りの二アナで家に戻るとき果物や

花を買っていくことができると考えました。当時は大変物価が安く、一ボットゥの銅貨(四

分の一アナ硬貨)一枚で、大きなドーサを三枚食べることができました。カダパ(その地

方)のドーサには赤唐辛子が添えられていました。三枚の大きなドーサを食べれば、お腹

はいっぱいになりました。ドーサを三枚食べるとしても、ドーサ三枚にマサラ(じゃがい

も炒め)と唐辛子が付いて四分の一アナの計算でした。稼いだ十二アナのうち、手元には

十一と四分の三アナが残っていました。私はこれですべて上手くいくだろうと見積もりま

した。

ドーサを食べ終わり、私はその場を去りました。さて、そのたくさんの小銭をどのよう

に保管すれば安全でしょう?

どこにしまえば安全でしょう?

私はあるアイデアを思いつ

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きました。お金を小さな布に包んで縛ります。それから、砂の中にそれを埋め、砂を盛り

上げて

枕まくら

にしてしまうのです。私は砂の枕に頭を乗せて、これで安心だと考えました。長

い距離を歩いて疲れていたので、私はすぐに眠ってしまいました。

誰か、私がお金を布に包んで砂の中に隠していたことに気づいていた者がいました。私

が眠るや、彼はさっと近づいてきて、私の頭をそっとどけて、砂の中からお金を持っていっ

てしまいました。

私はどうすることもできませんでした。私は無一文で、そのため、食べる物もありませ

んでした。翌朝、私は、スカウト団のメンバーの少年たちが皆、カーキ色の制服を着てい

るのを見つけました。皆、巡礼者や見物客に奉仕するため、あちこちに配置されていまし

た。三日間、私は食事をとりませんでした。私はずっと食事なしでした。それでも私は、

ずっとスカウト運動に参加し、人々に奉仕していました。

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そのうち、スカウトに来ていたラメーシュが、私が三日間食事をとっていないことに勘

付きました。ラメーシュは、こっそりと誰にも気づかれないように私のところにやって来

て、そっと食べ物を持ってきてくれました。なぜなら、私がそのことを誰かに気づかれる

のを嫌がることを、彼はわかっていたからです。ラメーシュはドーサや他の食べ物を持っ

てきてくれ、私はそれで毎日をしのぐことができました。

プシュパギリでのお祭りは、当時はとても有名なものでした。何日間かが過ぎそのお祭

りも終わったので、私は家に戻らなければなりませんでした。私はシェーシャマ・ラージュ

とその妻の家族に何かおみやげを買っていこうと考えました。シェーシャマ・ラージュの

妻も家族でしたし、彼らは私におみやげは何かと尋ねるに違いなかったので、手ぶらで帰

るわけにはいかなかったのです。そこで私は、ラメーシュ少年に一アナ貸してもらえるよ

う頼みました。家に戻ったら必ず返すので、決して贈り物にしようなどとは考えないよう

にと言って、私は一アナを借りました。私はその一アナで果物と花を買ってプシュパギリ

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を後にし、家に帰りました。スカウトの少年たちはバスで家に帰りましたが、私はそっと

離れて歩いて帰りました。

父の訪問

私が家に戻ると、研修で家を離れていたシェーシャマ・ラージュが休暇で家に戻ってい

ました。

私がプシュパギリに八日間行っている間、家では誰も水をくんでくる者がいませんでし

た。そのため家には八日間水がなく大変な思いをしたので、家の夫人が私について良くな

いことをシェーシャマ・ラージュに話していました。私が戻ったとき、彼らは私を非常に

怒っていました。私がいなかったせいで誰も水を運んでこれる者がいなかったことに、我

慢ならなかったのです。

シェーシャマ・ラージュは座っていて、ノートに線を引くのに定規を使っていました。

その定規は硬い木でできた直径二〜三センチほどの円柱形の棒で、かつて人々がものを測

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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るときに使っていたものです。私が家に帰るや否や、彼は怒りで激昂

げっこう

し、手にしていた定

規で私の指を打ちました。彼が私の指を打ったとき、定規は七つに折れて床に落ちました。

(翌日、シューシャマ・ラージュの息子が死にました)

シューシャマ・ラージュの息子が死んだという電報が届いたとき、この身体の父親は買

い物をするためにブッカパトナムに来ていました。電報の知らせを知るとすぐに、彼は自

分に会いに来ていた人たちをプッタパルティに返して、カマラープラムに直行しました。

父親は来るとすぐに、私の手が腫れ上がっていることに気づきました。そして彼は、な

ぜ包帯を巻いているのか?

手はどうしたのか?

と聞きました。そのとき私は、嘘をつき

ました。手は別に大丈夫で、ちょっとお湯がかかったので布をあてているだけだと言いま

した。

この身体の父親はそれで納得しましたが、近所の人に息子の様子を聞こうと考えました。

家で死人が出たので、この身体の父親に話しかけるような人はいませんでした。しかし、

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彼は話をすることに慣れていたので、近所の人に話しかけると、いろいろな話を聞かされ

ました。何人かは次のように言いました。

「どうして息子さんをこんなところに置いておくんですか?

息子さんは一日中ひどい目

に遭っているんですよ。息子さんは村に連れ帰ってそばに置いておくべきです」

この身体の父親は、このようなことを言われたのです。父親の顔色が変わりました。彼

は大変に心を痛めました。真実を知らなければと思い、あることを考えつきました。

夜八時くらいになり暗くなったころ、彼は、

「ちょっと外に出てきたい」

と言いました。これは口実で、本当は村の外まで行って、真実を私の口から聞きたかった

のです。当時は街灯というものがありませんでしたので、兄のシェーシャマ・ラージュは

言いました。

「外は暗いし、お父さんは年を取っているので、手助けしないとな。おまえ、ランタンを

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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持って行って、案内しなさい」

そして、私はランタンを持っていきましたが、父親が家から離れた場所で私から真実を

聞き出そうとしていることはわかっていました。

「さあ、村の外まで来ました。ここで楽にしてください」

そう言うと、私は背を向けました。彼は言いました。

「いや違うんだ。おまえと話をしようと思ってな。いったい何があったんだ。手を見せて

みなさい。この手はいったいどうしたんだ。わしは毎日、おまえがひどい目に遭っている

と聞かされたぞ。おまえは毎日ぶたれているそうだな。どうしてこんな状態に耐えている

んだ。おまえさえよければ、一緒に村に帰ろう。わしらの名誉などどうでもいい。ここで

ひどい目に遭っているのなら、ここにいる必要などない。わしと一緒に村に戻ろう」

私は父親に、そんなことはありませんと話しました。

「もし僕たちがここで逃げ出したら、たくさんの人が何を言い出すかわかりません。そし

て兄さんの家族たちもひどい目に遭わされるでしょう。私たちはそんなことをすべきでは

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ありません。これらのことが忘れ去られるようになったら、僕も村に戻ります」

このように、私は言葉を和らげて話し、父親を安心させました。

次の日には、その家にはいられませんでした。彼は出ていかなければなりませんでした。

彼はお悔やみを述べてプッタパルティへと帰りました。プッタパルティへ帰る途中、彼は

私に、

「服はじゅうぶん持っているか?」

と尋ねました。

「私はたくさん服を持っています。もう服はいりません」

と私は答えました。その言葉を聞いて、父親は幸せな気持ちになりました。

ラージュは歌を作る

父親は、村に帰る前に店に立ち寄りました。店の主はコッテ・スッバンナと呼ばれてい

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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て、服地やいろいろなものを売っていました。父親は、コッテ・スッバンナに、

「もし私の息子が来て、新しい服地を求めたら何でも彼にやってくれ、料金はわしが払う」

と言って村へ帰りました。

このコッテ・スッバンナという人は、私が詩を作ることを知っており、よく学校の前で

待っていて、いろいろなことを私に頼みました。

「今度、店で新しい薬を置いたんだが、薬の宣伝になるような短い歌を作っておくれ。そ

うすればたくさん薬を売ることができる」

当時の宣伝には小さなプラカードを利用していました。プラカードには詩の一節が書か

れ、プラカードの端には棒がついていました。少年たちは、バッグ(肩や首から掛けた布

袋)にその棒を入れて抱え、宣伝の歌を歌いながら行進しました。これが当時の宣伝方法

でした。

新しく出た薬はバラ・バースカラというもので、私はそのコマーシャルソングを作りま

した。それは次のようなものでした。

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もしもお腹が痛いなら、お腹のどこかが悪いなら、

それならやっぱりこの薬、バラ・バースカラ、バラ・バースカラ

すぐに効くこと間違いなし、バラ・バースカラ

有名なドクター、ゴーパーラチャラン、この御方

おんかた

が作り出しました

コッテ・スッバンナの店にゆき、この薬を買いましょう

このような内容の歌詩を私が作り、少年たちがそれを歌いはじめると、薬はとてつもな

く売れるようになりました。

この歌は商人たちにも歌われるようになりました。その歌詩を作ったのが私だと知ると、

たくさんの商人が売れない商品を持ってきて、私に商品の説明をしては宣伝販売のための

歌を作るように頼みました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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私が歌を作って商人たちを助けていることは、兄のシェーシャマ・ラージュの知るとこ

ろとなりました。早速シェーシャマ・ラージュは私を呼びつけて、おまえの商売は繁盛し

ているようだが、今は休暇中なのだからここにいる理由はない、パッタパルティに帰りな

さいと、言いました。

その歌の流行は、そこだけにとどまりませんでした。私がプッタパルティに戻ると、プッ

タパルティでもその歌が歌われていました。

あなた方は『真善美』(ババの伝記)で読んだかもしれませんが、プッタパルティには、

カラナム(村の長お

)がいました。彼には二人の夫人がいました。一人目の夫人はスッバン

マという名で、もう一人はカマランマといいました。二人の妻以外にも別の女性がいて、

彼はとにかくあまり良くないことをしていました。

カラナムはとても裕福で金持ちでした。そして、外出してはお金を悪いことに使ってい

ました。そこで私は、たくさんの少年に歌を作って教えました。私自身は歌いませんでし

た。少年たちは、ブリンダーヴァンと呼ばれていたカラナムの家の前に座り込み、私が教

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えた歌を歌いました。

これは村で歌われていた歌なので、いくつかの言葉は村特有のものであり、村人にしか

わかりませんが、少年たちは次のように歌いました。

売春婦のいる宿に行ってはいけない

売春婦のために時間とお金を使ってはいけない

名誉ある人間はあなたには触らない

名誉ある人間は、あなたが近くに来るのも嫌がる

これはただの無駄遣い

あなたの友人はあなたを下履きで叩た

くでしょう

これはただの無駄遣い

(歌詞の訳)

このように少年たちは歌いました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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カラナムは左手に腕時計をしていました。当時、村で腕時計をしている人はほとんどい

ませんでした。彼は裕福だったので、腕時計をし、絹の服を着て、金持ちがするように歩

き回っていました。

私が少年たちに教えたいくつかの歌は、当時の状況をよく表していました。歌にはこの

ようなことが歌われていました。

近ごろの男女はどうしたことか?

男性は左手に革ひもを巻いていている

男性はひどく傲慢

ごうまん

になってしまった

女性も伝統的な

額ひたい

の飾り(クムクム)をやめてしまった

女性は奇妙な振舞をしている

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男性も奇妙な振舞をしている

いったい近ごろの男女に何が起こったのか?

まったくもって話すこともできないような格好をしている

近ごろの男女の服や装いは誇りをもって語れない

そして、詩の中で、私は次のような状況を描きました。その金持ち(カラナム)は鼻の

下にひげを蓄えていて、右と左に少しはねさせていました。これは当時、ヒットラーひげ

と呼ばれていました。このことを歌にしたところ、その金持ちは恥ずかしくなって、次の

日にひげを剃そ

りました。

こういったことが続いたので、ある日その金持ちはこの身体の父親のところにやってき

て、ラージュは少年を集め、歌を作っては歌わせて、わしを小馬鹿にしていると文句を言

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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いました。そして、注意しろと言いました。

憶おぼ

えておいて欲しいのですが、この身体の父親は、他の家族に対しては厳しくありまし

たが、私にだけは厳しくあたるようなことはありませんでした。彼は私にはとても優しく

寛大でした。彼はやって来て言いました。

「どうしておまえは村の他人についてとやかく言うんだ?

何で彼らの歌を作る必要があ

るんだ?」

しかし、私の答えはこうでした。

「歌っているのは他の少年たちです」

私に歌を作る能力があることは辺あ

りに広まりました。当時、インド独立運動は激しさを

増していました。もし人々が独立運動のために集会をすれば、英国の警察がやって来て、

集会をやめさせました。

あるとき、ブッカパトナムから議員が二人やって来ました。二人は私が良い歌を作ると

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いうことを聞いていて、私にこう言いました。

「現状について何でも自分で表現したいと思う歌を作ってくれないか。私たちはその歌を

ブッカパトナムで開かれる集会で使うことにする」

そして私は歌を作りました。

二人は、歌を作らせるだけでなく、私を集会に連れていきたいとも考えました。二人は

私を女性のように装わせ、サリーを着せました。それから小さな揺りかご

を作り、その中

にゴムでできた赤ん坊の人形を寝かせました。そして、二人はブッカパトナムへと私を連

れていきました。

私は舞台に立ち、赤ん坊に子守歌を歌って聞かせました。子守歌は次のようなものでし

た。

泣かないでおくれ、

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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もし泣いたりして笑うことができないのなら、

あなたを立派な市民、立派なバーラタ(インド)の息子とは呼べません

子守歌の詩は、赤ちゃんへの問いかけと答えからなるもので、次のようなものでした。

赤ちゃん、どうして泣いているの?

侵略者のヒトラーがロシアに侵入したからなの?

そして、ロシア人がどうすることもできないでいるからなの?

ロシア人たちがヒトラーに反撃できないでいるからなの?

泣かないで

必ず赤軍が反撃するときが来るわ

この国に統一がないから泣いているの?

泣かないで

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必ず私たちが一つになって、統一の理想を達成できるときが来るわ

子守歌は、なぜ赤ちゃんが泣いているかという問いかけに始まり、それに対する答えが

与えられるというものでした。そして赤ちゃんには、

「泣かないで、必ずうまくいく」

というように話しかけられました。

このように美しい子守歌を皆で歌い続けていました。そこには地元の警察が来ていまし

たが、その歌を聴いて歌に加わり始めました。手を叩き、歌を楽しみました。

英国の警察官も来ていましたが、彼らはテルグ語がわからなかったので、何か美しい歌

が続いているのを聞いて、一緒に手を叩いて加わり始めました。彼らはその歌の内容が何

かを知らなかったのです。そして、その集会はとてつもない成功を収めました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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集会がとてつもない成功を収めたので、人々がラージュの詩と歌についてあちこちで話

し始めました。あらゆる人が歌の美しさを誉め称えました。

このことは、兄のシェーシャマ・ラージュにも届きました。シェーシャマ・ラージュも

また、詩を書いたりしていましたが、ラージュの作った歌の人気が広まるにつれて、ある

種の嫉妬

しっと

のようなものが出ました。

(スワミはここで、この話はもうやめなければならないとおっしゃいました。)

カーン先生

私はもうプッタパルティにいられなくなりました。シェーシャマ・ラージュは私を遠く

に置いておくわけにはいかなかったので、自分が滞在していたウラヴァコンダの町に私を

連れていきました。

私がウラヴァコンダに行くと、ラクシュミーパティという名のとても善良で誠実な校長

先生がいました。また、メーブーブ・カーン先生も転任してきました。

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二人はとても良い教師でした。二人はスワミについて何も知らなかったのですが、私の

中の神聖さを見いだし、手を合わせてお辞儀(ナマスカール)をしました。年若い生徒た

ちは、なぜ教師が私にお辞儀をするのか不思議に思いました。

この学校には良い教師が集まっていましたが、これは主に彼らが前の生でなした善行の

おかげでした。

教師は私を学校の第四学年に編入させました。そのころから、私は他の少年たちとあま

り親密になることはありませんでした。私はよく彼らに、

「勝手に人の鉛筆を使ったり、もらったりしてはいけない」

と忠告しました。私は、それは盗みであり、正しいことではない、常に正しいことをしな

ければならないと、よく言ったものでした。そして他の少年たちに、善いことをすべきだ

と説教しました。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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この学校でも、机は三人掛けでした。私を中心にして、十歳から十一歳の少年が座りま

したが、彼らはずばぬけて良い少年になりました。

メーブーブ・カーンはとても良い先生でした。クラスに入って来て私を見つけると、授

業を始めようとはしませんでした。授業をせずに私の方を見、私を呼んでポンポンと体を叩た

いたり、私の耳や頬ほ

をなでたり、つまんだり、赤ん坊にするかのように、私を誉めそやし

ました。彼はまったく授業をしませんでした。それだけではなく、家でパコーラ(インド

の天ぷら)などの料理を作ると、布に包んでクラスに持ってきては、

「ラージュ来なさい」

と言って私にくれました。

ある日、私は言いました。

「ご自宅で先生は、肉や、私の食べないようなものを入れているかもしれません。ですか

ら、僕はこのパコーラには手を付けられません」

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すると彼は言いました。

「ラージュ、私の名誉に賭けて言うが、これは君のために用意したものであって、そのよ

うなものは絶対に使っていない。私はこれを君のために愛を込めて作ったんだ。どうか食

べてくれ」

そして私はそのパコーラを少し食べました。

少年たちは、私がメーブーブ・カーンの特別のお気に入りだと思い始めました。メーブー

ブ・カーンが教室に来るとすぐに、少年たちは、さあメーブーブ・カーンが来たぞ、先生

のところへ行け、と囃は

し立てました。私は先生が自分を気に入っていることを少年たちに

は言いませんでしたし、少年たちが自分を嫉妬していることも先生には言いませんでした。

二つは別にしておきました。少年たちは私に嫉妬を感じていました。それでもメーブーブ・

カーンは私のことが大変好きで、いつも私に何か食べ物を持ってきて、私と遊んでくれま

した。

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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代役 あ

なた方は、カダパ・ラーマ・スッバンマという名前を聞いたことがあるかもしれませ

ん。彼女は県の長になった初めての女性です。ラーマ・スッバンマはカダパ県の(教育)

委員長として、学校に来賓として招かれました。彼女は、創立記念日のお祝いに何か賞を

与えることを頼まれていました。

学校側は、当日、興行チケットを売ってお金を集めようとしていました。学校に新しい

校舎を建てるためでした。そのため、当時とても有名な踊り手だったリシェンドラマニを

招待し、彼女が公演をすると宣伝してチケットを売りました。しかし何かの理由でリシェ

ンドラマニは来れなくなってしまいました。校長先生のラクシュミーパティはとても困り

ました。すでにリシェンドラマニが来て公演すると発表してしまったからです。徴税官も

招待していましたし、県の委員長も招待していました。

「どうしたらいいんだろう、プログラムは大失敗だ」

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校長先生は非常に悩んでいました。そこで、私は校長先生のところに行って、

「心配しないでください。お話したいことがあります」

と言いました。校長はそれは何かと言い、私は、

「今晩、リシェンドラマニが演じるはずだったところを私がやりましょう」

と言いました。

リシェンドラマニは並外れた芸をしていました。まず頭の上にビンを載せ、ビンの口の

ところに皿を置きます。その上に灯心をたくさん置いて火を点つ

けます。そしてビンと皿と

火のついた灯心を頭の上に載せたまま踊るのです。そして床に落ちているマッチを口で拾

うのですが、低くかがんでも決して頭の上のビンや皿や灯心は落としませんでした。この

ようなことをリシェンドラマニは当時演じていました。

私は校長先生に言いました。

「もしリシェンドラマニが灯心に火を点け、皿とビンを頭の上に載せて、それを落とさず

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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に口で地面のマッチを拾うなら、私も同じことをしましょう。私は、マッチを口で拾う代

わりに、針をまつ毛で拾いましょう。私はそれをやってのけます。先生は、リシェンドラ

マニは来ました、リシェンドラマニはこの特別な芸を披露しますと、アナウンスするとよ

いでしょう」

校長先生は私の申し出を承諾しました。

村からサリーとビンと灯心と皿が運ばれてきました。私は女性のようにサリーを着せら

れました。支度は整い、村から持ってきた昔の厳い

つい車に乗せられて、私は村を出ました。

リシェンドラマニが来るというので、チケットはたくさん売れていました。

リシェンドラマニの入場が告げられると、観衆は、眠っていた人も起き出して、注目し

ました。私は鈴の音の鳴る足飾りを付けていましたが、それはよい音を奏でました。そし

て魅力的な伴奏を背に、私は舞台へと出ました。鈴の音がりんりんと鳴り、観衆の視線が

一斉に集まりました。

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先生がビンを持ってきて私の頭の上に置きました。そして別の先生がそのビンの上に皿

を置き、もう一人の先生が芯をもって来て火を点けました。どうしてこのようにしたかと

いうと、そうしなければ、観衆は、ビンはきっと頭にくっついているのだろうとか、ビン

と皿はくっついているに違いないと考えたからです。

それが終わるとダンスを切り抜け、それから、地面に置いたとても小さな針をまつ毛で

拾うことに成功しました。すべての芸を終えると、観衆は拍手喝采を送り、大声を上げて

誉め称えました。

すると、英国人のハースレイという名の徴税官が、踊りに大感激したので個人的にメダ

ルを贈りたいと、舞台に上がってきました。彼は舞台の上でリシェンドラマニにメダルを

ピンで留めようとしましたが、私は完全にリシェンドラマニになりきっていたので、

「触るのはいけません。私は女です。手の上に載せてください」

と言いました。舞台の陰には校長先生がいました。校長先生は徴税官を非常に恐れていま

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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した。徴税官が舞台の上にやってきて直接私にメダルを付けようとしたとき、私は、

「それは私たちの習慣として受けることができません。私に触って付けようとなさらない

でください」

と言いましたが、校長先生は舞台の陰から、

「これこれ、彼は徴税官なのだから、言うとおりにしなさい。断っちゃだめだ」

と言いました。また、この身体の父親も近くにいて、同じように、

「彼は徴税官なのだから、言うことを聞いて受けなさい、断ってはいかん」

と言いました。にもかかわらず私は、ただ、

「私に触れていただくわけにはいきません。私にメダルを下さるのなら、手に渡してくだ

さい」

と言いました。徴税官は、私を兄と思ってくださいと嘆願しました。私も徴税官に、どう

か私を妹と思ってくださいと懇願しました。すると徴税官は、では私はあなたに触れても

よろしいわけですね、と言いました。私に触れることは問題外です、と私は言いました。

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このようなやりとりが十分くらい続き、徴税官は私に触れることができずに、そのまま

メダルを手渡して席に戻りました。観客はそれを好よ

しとして拍手喝采しました。初日のダ

ンスはこうして終わりました。

次の日、賞の授与式がありました。県の委員長のラーマ・スッバンマが授与者となり、

女性に賞を与えました。皆が呼ばれ、それぞれが賞を得ました。ラーマ・スッバンマはリ

シェンドラマニにも賞を与えようと考えました。リシェンドラマニは学校の新校舎建設資

金を集めることに大いに貢献したからです。そこでラーマ・スッバンマは、サリーを手に

取り、昨日、新校舎建設資金を集めることに大いに貢献したリシェンドラマニに賞を与え

たいと思います、と皆の前で告げました。

ラーマ・スッバンマがリシェンドラマニの名前を呼ぶと、皆、その踊り子の少女が出て

くるところを見ようと注目しました。ところが、ニッカーボッカー(膝ひ

が隠れる長さのズ

ボン)が破れてしまって半ズボンになっている、というよりも、ほとんど短パンのように

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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なってしまったズボンを履いた少年がやって来たのです。私が舞台のところまで行くと、

警察官が私を押し出して言いました。

「リシェンドラマニが来るから道を空けなさい。どいていなさい」

すると校長先生が来て私の手を取り、舞台に上げました。そして、昨日のリシェンドラ

マニはこの少年が演じましたと告げました。ラーマ・スッバンマは大変喜び、私に賞を与

え、私を抱きかかえて持ち上げると、

「この少年は我が国に大変な栄誉をもたらしてくれました」

と言いました。彼女は私のことが大変気に入り、どこへ行ってもこの出来事のことを話し

ました。

スワミは手本を示したかった

このような長い物語がスワミによって語られたのは、スワミはいつも、学生時代でさえ、

手本となる生活を送ってきたということを示すためです。

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今回の化身、また、クリシュナとしての化身、そしてバララーマとしての化身でさえ、

化身たちは常に、自分の先生と一緒に手本となる行動をとりました。ラーマの時代にも、

学生としてのラーマの生活は模範的なものでした。それはどの化身もそうでした。皆さん

方(サティヤ・サイの学校の)学生も、それと同様に振る舞い、お金も時間も無駄にする

ことなく、常に良い思いと、良い習慣と、良い行動を育まなければなりません。そして、

生涯を通じて模範的な人生を生きなければなりません。

スワミは人生で多くの困難と問題に耐えてきました。皆さんはその困難について耳にす

ることすらできないでしょう。スワミにはそれらの困難に遭う原因はありませんでしたが、

スワミは手本を示したかったのです。チャパティが焼かれれば、スワミは六日間そのチャ

パティを食べました。スワミは山に行って燃料(

薪たきぎ

)を集め、それを売っていました。そ

うすれば自活できたからです。

近ごろでは、親が百ルピーを仕送りしてくると、そのお金を誤ったことに使う者たちが

います。それでは人生で成功を収めることはできないでしょう。親を困らせたり、親を苦

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バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババ様の 学生時代

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しめたりしてはなりません。自分の血液を蓄えておくように、親のお金も蓄えておくべき

です。体から血が流れれば、私たちは弱ります。それと同じように、お金の無駄使いはす

べきではありません。

私たちは、エゴと衝動と虚栄の奴隷になるべきではありません。自分の人生を破滅させ

るべきではなりません。いつも家族の名誉を守るべきです。家族の状況がどのようなもの

であれ、他人にはそれを知られないようにすべきです。これらはすべての学生の根本的な

義務です。

もし、神とのコンタクトを樹立させるなら、すべてはあなたに付加されるでしょう。今

日私たちが理解したことは、神とコンタクトをとることが、喜びと繁栄と幸福を得るため

の方法であるということです。

私たちは、神は人生の何よりも、この世の何よりも、偉大であり、神聖であるというこ

とを悟らなければなりません。

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この世のものはどれも花と同じです。神は軸である一本の糸であり、それがすべての花々

を一つにつなげることを可能にしているのです。糸という軸がなければ、決して花々を一

つにすることはできません。あらゆる類の幸せと喜びには神が存在しています。それが糸

であり、すべてのものを貫いているものです。糸がなければ、花はすべて散らばってしま

うでしょう。同様に、神と交流しなければ、私たちのあらゆる喜びと幸せは消散してしま

うでしょう。

神の恩寵に人生の基盤を置き、神を人生の支えにして生きる人、神に喜ばせるために生

きる人たちは、本当に幸運な人です。そのような人は、自ら存在を義とさせ、燃え立たせ

ます。

(了)

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60

後書き

元旦には八千万人の日本人が習わしとして初日の出を拝みます。私たちは、一九九七年

の元日をプラシャーンティ・ニラヤムで過ごした

も幸運な少数の日本人でした。日本に

いるときと同じように、私たちは昇る太陽の創造主であられるお方に新年の祈りを捧げ、

それから、神のインタビューに

与あずか

れますようにと熱心に祈願しました。しかし、すぐにバ

ガヴァンへの自分たちの愛は充分ではないことに気づき、それぞれ自室に戻ってさらに熱

心に祈り続けました。

万物の主はその祈りを聞き入れてくださり、一九九七年一月二日、木曜日、私たちは朝

のダルシャンの神聖な時間に、その年初の神の謁見

えっけん

賜たまわ

ることができました。以下はス

ワミが解決してくださった霊的な問いです。

比良

スワミ、七月の青年大会のために、私はサイの文献を用意しなければなりま

せん。

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後書き

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スワミ

イエス、イエス、青年はとても大切です。(You

th is very im

portant.

) 比良

しかし、スワミ、スワミが青年であられたときのことは、ほんの少ししか記

録がなく、ほとんど知られておりません。ですので、私は困っております。バ

ガヴァンに私を助けてくださいますよう懇願いたします。

スワミ

イエス! スワミの学生時代はスワミの人生のとても重要な部分です。

(Sw

ami’s sch

ool time is very im

portant part of S

wam

i’s life.

比良

はい、スワミ。

スワミ

スワミには青年としての三つの理想がありました。

両親を敬うこと。(R

espect for Parents.

先生方を敬うこと。(R

espect for Teachers.

年長者を敬うこと。(R

espect for Elders.

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これらは

も重要です。

比良

はい、スワミ。スワミの学生時代に関するババの御講話を見つけてみます。

(ここで話題が変わりインタビューは続行しました)

それからすぐに調査に取り掛かり、スワミの学生時代についての確かな情報はほんのわ

ずかしかないことが判明しました。しかしながら、私たちはついに二本の古い御講話のカ

セットテープ(一九八四年二月十九日および日付不明の御講話カセット)を見つけ出しま

した。その古いテープはよく聞こえず、質も劣化していました。そのため、私はそのテー

プを日本に持ち帰り、スタジオの補助と帰依者の方々の助力を得て、ようやくテープを起

こして冊子を作ることができました。

読者の皆様におかれましては、ご家族共々恩恵を賜りますよう、そして、すべての国の

帰依者が、両親と先生方と年長者を敬うようにというメッセージを即座に実践すると共に、

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後書き

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スワミの学生時代に関する新しい発見を分かち合うために、このメッセージをもとに歌の

歌詞を作ること、劇の脚本を書くこと、あるいは、ただできるだけ多くの人にこのメッセー

ジを伝えることを、祈願いたします。

ジェイ

サイ

ラム

(一九九七年七月)

比良

竜虎

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バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の

学生時代 サティヤ・サイ・ババ述

1997年(平成9年) 7月20日 初版発行

2011年(平成23年)9月 1日 第2版(PDF)発行

編・訳 斉藤道男 小栗知加子

発行 サティヤ サイ出版協会

〒153 東京都目黒区東山 1-30-8 TEL:03-5721-0468 FAX:03-5721-0459

ISBN 978-4-916138-71-2 C0010 ©2011 Sathya Sai Organization Japan ©2011 Sathya Sai Publications

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SCHOOL DAYS OF

BHAGAVAN SRI SATHYA SAI BABA