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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title � : Author(s) �, Citation �, 36: 98-112 Issue date 2019-02-15 Type Departmental Bulletin Paper URL http://hdl.handle.net/2298/41786 Right

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熊本大学学術リポジトリ

Kumamoto University Repository System

Title 高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究 :

山田寒山・山田正平の篆刻作品の鑑賞を通して

Author(s) 神野, 雄二

Citation 熊本大学教育実践研究, 36: 98-112

Issue date 2019-02-15

Type Departmental Bulletin Paper

URL http://hdl.handle.net/2298/41786

Right

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熊本大学教育実践研究

熊本大学教育学部

第三十六号、九八

二、二〇

一九

高等学校芸術科書道における

鑑賞に関する基礎的研究

山田寒山

・山田正平

の笈刻作

の鑑賞を通

して

一一

山田寒山の蒙刻による鑑賞教材

山田寒

の笈

の鑑賞教材

としてど

のようなも

のが適切

か。

ここでは、

点取り上げ、釈

文と鑑賞例により、鑑賞教材例として提

示する。四

において、

同教材例を使用して、書道教育における鑑賞

の在り方を考えるべく、

アンケー

ト調査を実施す

る。

寸心

千古

(図

-)

はじめに

書道教育における鑑賞指導の在り方は、現今最も重要な課題

の一つとい

える。本研究は、高等学校芸術科書道における鑑賞に関する笈刻の鑑賞教材

を提示しての考察である。

高等学校芸術科書道における領域に、表現と鑑賞がある。表現

の能力とは、

書道の幅広い活動を通して適切に自己を主体的に表現していく力量のことで

ある。また、鑑賞

の能力とは、日常生活における書や古典等における書の美

を適切に感じ取る力量のことである。

『高等学校学習指導要領』「内容の取扱い」において、書道1では

「寡刻、

刻字等を扱うよう配慮するものとする」とし、書道Hでは

「笈刻を扱うもの

とし」と明記されており、蒙刻の重要性が窺われよう。

 ユ 

ここでは、

山田寒

(一八五六~

一九

一八)・山田正

(一八九九~

一九

   

 ヨ 

六二)

の蒙刻鑑賞

の教材を通して、

の鑑賞指導

の在り方

を探

るも

のである。

また、

『高等学校学習指導要領』

「第

二章

第七節

二款

各科目」

「第

一〇

一二」

における

「書道1~書道皿」

の目標

は、生

涯学習を視野

入れ

つつ、書

の伝統

と文化

に対する

一層

の理解を深める

ことを指摘

している。

そしてそ

の目標を達成するために、

これ

まで以上

に鑑賞

指導

の在

り方が問わ

れる

こととな

った。

田寒

・山田正平

の鑑賞

に関し

ては

「高芙蓉

・山

田寒

・山

田正平」

(『日本

の遊印』、

木耳社、

一九

八三年十月)

の山田寒

・山田正平

の事項を

   

加筆

・修正した。

・釈文

寸心、千万古

。文字は本来、空な

り。

寒山

の笈刻

は昔から

の正しい筆法を伝えており、

の作品は他

の人と違

た独特

の風格が

ある。寒山

の心には千年、万年

の昔から

の作風をそ

のまま伝

えている。文字

いうも

のは本来、どんな芸術性でも盛

りこめるも

のである。

寒山

の心には千

年、万年

の昔から

の作風をそ

のままに伝え

ている。

・鑑賞

天海禅師が

田寒山

の笈刻を述

べた偶

「鉄筆、宗

旨を伝う。寒山、独歩

の風あり」

とあ

る。

この偶を要約

してこの四字でまとめたも

のであると思わ

れる。

の印

は、

田寒山が新潟

の坂

口五峰

(一八五九~

一九

二三、政治家

・新

潟新聞社長

『北越詩話』を著

わす)

のため

に刻した印

である。側款に

「辛

丑秋日、寒

山」

とあり、寒山四十六歳

の時

の作であることがわ

かる。

山田寒

(一八

五六~

一九

一八)

は、名は潤子、

号は寒

山、名古屋

の人。

禅宗永

平寺派

の僧。十七、八歳頃、小曽根乾堂

(一八二八~

一八八五)を訪

ね、笈

刻に

つい

て問う。二十四歳

の時、福井端隠に入門

して芙蓉派

の笈刻を

学ぶ。

明治十

六年三重県にある最

明寺

の住持とな

ったが、

明治十九年に辞

て大阪に出る。

後、明治二十八年

に東京

に移り、芝

の瓢箪池

の附近

に住み、

居を芝仙堂

と名

づけた。元来寒

山は多芸多才で、詩

・書

・画

・笈刻

・陶芸す

べてをよく

した

。画は墨竹が有名

であり、詩は寒山詩

の遺響とも

いうべきも

のであり、書

は淡

々とした中

にも雅味があるも

のであ

る。また茎盧、蔵六、

蘭台、椿所

と丁未印社を結成す

るととも

に、富益斎

『印章備正』を刊行し、

中村不折等

と健

筆会を催した。寒

山はま

こと

に行動的

で幅広

い活躍をした人

112一

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った

那伽

犀那

(図

3)

水清濯縷

(図2)

・釈文

水清まば縷

を濯

う。

水が澄んだならば、

それで私の冠の紐を洗う。

・釈文

那伽犀那。

一切

の煩悩を

破却し

つくした十六人

の尊者を

「十六羅漢」と呼ぶ。そ

の第

十二番目に那伽

犀那尊者がいる。羅漢とは、阿羅漢

の略称

であり、小乗教に

おいては、最高

の悟りを得た者

のことを

いう。

神野 雄二

・鑑賞

これは

『楚辞』

「漁父」

にある言葉。

この文は、屈

原と老漁夫

との対話

形式をと

っており、屈原

の生き方を通して、人間本来

の生

き方

を考えさせる

のである。

ここでは、老漁夫

「世

の中

の人がみな濁

ってみだれ

ている

なら、あなたも泥

をかき立てればよいではな

いか」と

いう言葉

に対

して、屈

原が次

のように答

える。

「私は

こう

いう

ことを聞

いてい

る。髪

を洗

いたて

者は、必ず冠

の塵を弾

いてかぶり、

湯浴

みを

したばかり

の者

は、

必ず衣

の塵

を振うも

のであると。

これは清潔な者

一層身をけがす

まいと思う

のが人

である。どうして潔白な身を以て、

よごれた物を受け

ることが

できよう。

っそ湘水

の流れ

に身を投げて、江魚

の腹

に葬られても、

どうして真白

いわ

が身をも

って世俗

の塵埃を

こうむることが

できようか」

と。

それを聞

いて老

漁夫が次

のように歌

のである。

「槍浪

の水が澄

んだな

らば、

それで私

の冠

のひもを洗うことが

できよう。槍浪

の水が濁

ったならば、

それ

で私

の足を洗

ことが

できるだ

ろう」

と。

(星川清孝訳

『楚辞』

明治

書院、

二〇〇四年

月)さ

て、こ

の印

は、伊藤博文

の自用印であ

る。明治三十

三年

に寒

山が伊藤博

から印刻を依頼

された、九穎

の内

一穎

である。印材

は鶏

血材

である。寒

山は明治四十三年頃、伊藤博文と初対面

をしている。そ

れは、博文

の大磯

ある槍浪閣が落

成して詩会を開くという時

のことであり、

これ

を新聞

で知

た寒山が押しかけ対面

した

のである。

の後、

日本

へ持

ちさられた

という蘇

州寒山寺

の夜半鐘

を捜索したり、新梵鐘

を鋳造する時に、

博文

に檀徒総代

任を托しており、鐘

の銘文も撰してもら

っている。伊藤

博文と山田寒山と

交流は多く

の逸話を残

した。

・鑑賞

山田寒

の印

『羅漢印譜』がある。

これは山田正平

の実父木村竹香

編したも

のであ

『瓦礫放光』

『金

石結縁

の二冊からな

っている。前者

は、寒

山が明治

三十六年

の天長節

の日に島

田亮斎作

の十六羅漢陶像と布袋和

・観

世音菩薩

・文珠菩薩に刻した印影をおさめている。後者は、それに因

んで諸家

の題字

・詩

・書

・画

・印などを集

めたも

のである。

この

『羅漢印譜』

は、山田寒

山の傑作であるととも

に、木村竹香と山田寒

山という当時

一流

文化人が、

心あ

たたまる交わりをも

った証として、永久

に伝えられる

ことに

った。

さて、

山田寒

山は自分自身、芙蓉派をよくするも

のとして、高芙蓉以後

世として位置づ

ている。それ

は、高芙蓉

源惟良

小俣蟻庵

福井端隠

山田寒

山という

一つの系譜であ

る。寒山は呉昌碩

の刻風を慕

って明治三十年

渡清している。

の時、昌碩と親

しく交わり、益を受

けたよう

である。しか

し寒山自身が明

四十年十月

『東京

々新聞』

「百人

一話」

の中で

「呉昌

碩に入門

し、昌

の風を学んだが、芙蓉派を本領としている」と語

っている

ように、寒

山は芙蓉

の血脈をし

っかりと受け

ついだ、芙蓉以後

の代表的な印

人といえる。

釜中生塵

(図

4)

・釈文

釜中

に塵を生

ず。

かま

の中

には塵が積も

っている。

一111一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

・鑑賞

この印文は、貧乏な生活を

いう言葉

であ

り、寒山

の生

き方

のも

のをよく

表して

いる。彼

は、ど

のよう

に貧乏であ

っても、それを

苦にす

ることなく、

無位無官で生

涯を通

した。

この印は、寒

山が

日本新聞

の募集

に応

じたも

のであり、寒

山自身

による自

注と浜村蔵六

の評語がある。そ

の後、第

一回から第七回

まで当選

した印

一〇

七頼を編集して

『日本印叢』として出版され

ている。寒

の自注

に次

のよう

にいう。

「貧乏なわが家

には人は誰も

いなく、ただ私

一人である。

夜中に読

書する

のを休んで

一篇

の詩を作る。

二銭

の肴

と三銭

の酒、

独りで酒をくみ飲

のはわが家

の家

風。誰が

このことを知

っていようか」

と。

また、浜村蔵

六が

この印を評して

「あ

なた

の清貧は天

下に勇

名であり、万

里をとび歩くも得

るも

のはなく、困窮

してこの句を作

った

のであ

ろう。あな

たは、文章も言葉も非常

に巧みであり、詩

・書

・画

・蒙

・陶鋳等すべて生

まれ

ついて

の才能があ

る。能力は禅機

をぬけ

でており、智恵

は人間

とは思え

いくらいである。確かに現代

の奇人

である。

この印

はそ

のしるしといえる」

と述べ

ている。

これは実に堂

々とした、寒山

の性情

のよく現われた風

のあ

る印

である。

高芙蓉

の刻風をさらに強固

にしたようであ

り、寒山

の刻

の中

の傑作

一つ

に数えても

いいも

のだ

ろう。

恭賀新年

(図5)

・釈文

恭賀新年。

新年をうやうやしく祝う。

・鑑賞

これは大和古印

の楷書

の印である。

山田寒山は多種

の書体を印

に刻し

ている。蒙

・隷

・楷

・行

・草はもちろん

のこと、仮名

・梵字

などもある。ま

た、素材も鋳

印、木印、陶印など多

種にわた

っている。寒

山は風流を愛した

君子人であり、多く

の面白

エピ

ソード

を残

した人

であ

る。

次にその

一つを

挙げてみる。

寒山は戯れに趙

孟額

「八不刻」

に倣

って

「三刻三不

刻」

というも

のを選

んだことがあ

る。

「三刻」

とは、仁義

のある者は刻す、品格

のある者は刻す、

信用

のある者は

刻す、

「三不刻」

とは、たくわえ

のな

い者は刻さな

い、酒

ない者

は刻さな

い、銭

のない者

は刻さな

いと

いうも

のであ

る。

これなど寒

の朴訥とした

ユー

モアある

一面が窺える。徳富蘇峰

は大正十三年十

二月二十

八日

の国民新聞

「山

田寒山翁を懐

ふ」と題して

一文を書

いている。

「山田寒

山は、明治大正

の際

に於ける奇人であ

った。雅

にし

て雅ならず、

俗にして俗なら

ず、僧

の如く、仙

の如く、商佑

の如く、

山師

の如く、文人墨

の如く、

せん

つや

の如く、殆ど傍人をして端侃す

る能

はざらしめた」

と。

これは山田寒

山と

いう

一人

の人間をよくとらえている

一文

である。

山田正平の蒙刻による鑑賞教材

山田正平

の笈

の鑑賞教材

としてど

のようなも

のが適切

か。

ここでは、

点取り上げ、鑑

賞教材例として提

示する。四

において、

同教材例を使用して、

書道教育

におけ

る鑑賞

の在り方を考えるべく、

アンケート調査を実施する。

柳乗化以帰尽

(図6)

・釈文

柳か化

に乗

て以て尽くるに帰す。

万物

は変化

にしたが

って、最後

には死

にいたる。

・鑑賞

陶淵明

『帰

去来

の辞』

の最後

一句である。

「帰去来号」

で歌

い出され

る全文三百四十

字からなる

『帰去来

の辞』は、淵明

の代表的な名文である。

淵明はこ

の文を

賦し官を辞して田園

に帰り、酒と菊

とを愛

して

一生をおく

のであ

る。

山田正平

(一八九九~

一九六二)

は、

一止、

一止盧、幾含皿と号し、

一止は

「正」字を

二分

したも

のであ

る。若年

には、郡平、更生、更生居

など

と号し

た。新潟市古

に木村竹香

の二男

として生まれた。

正平は父竹香が印判業を

営み笈

刻に志

ていた関係で、

十五歳頃から笈刻を始

めている。

この印は、

正平十六歳

の時

に編まれた

『栴檀

二葉香印譜』所載

のも

のである。

この印譜

の封面に、

山田寒山が

『栴檀

二葉香印譜』と題しており、刊記

「大正三年

110一

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神野 雄二

冬至三

日題す。

正平君印

々」とある。

これ

には、正平自

用印

のほか多く

の姓

名印、遊印が押印

され

ており、中井敬所

(一八三

一~

一九〇九)

の模刻など

も含まれて

いる。

また、顧湘

の刊行した

『小

石山房印譜』

に所収

の印も模刻

してお

り、

の印は配字は違うも

のの、そ

の模刻

一つと思われ

る。

『栴檀

二葉香印譜』

は、

正平が蒙刻を始めてまもな

い頃

のも

のであるため、正平初

の印風を知

る上

で絶好

の資料となるも

のである。父木村竹香が中井敬所、

初代岡本椿所

(一八六二~

一九

一九)

に笈刻を学んだた

め、

正平

の同印譜

ある印は二人

の影響

によると思われるも

のが多

い。また、笈

刻はかなり

の水

の高さを示してはいるも

のの、まだ難点もあり、正平

模索

の時代

といえる

のである。

死為忠義鬼極天護皇基

(図7)

・釈文

死しては忠義

の鬼

と為り、極天皇基

を護ら

ん。

もし、

このまま死んでしまうならば、忠義

の鬼とな

って、

皇室

の礎をお護

り申

し上げる気持ちであ

る。

天地

の続く限り、

・鑑賞

これは藤田彪

(一八〇

六~

一八五五、東湖

と号す)が

文天祥

(一二三六~

一二八

二、南宋末

の忠臣)

の正気歌に和

して作

った

「文

天祥

の正気

の歌

に和

す、

井び

に序」

の最後

一句

であ

る。

正平

これを刻

し印譜と

した

のが

『正気印譜』

であ

る。

これは、正平が名を世

に示した最

の印譜

であり、

平十八歳

の時

のことである。印は総数

六七穎。方正平直

なゆるぎ

のな

い勤厳

なも

のである。

これ

には滑川澹如

(一八六八~

一九三六、笈

刻家)

の長

い序

文と寒山詩が付

され

ており、それを版木

に刻

した

のは正

平自身

であ

る。

この

序文

の中で澹如

は、正平は自分に書

を学

んだ

と興味ある

ことを述

べている。

さて、正気印には、初代岡本椿所

の風、

つまり明末

の何

震を首

とする笈刻

の流派である徽派

の趣

きや、山田寒

の風、

つまり芙蓉

の趣

きが随所

に見

える。

この印は日魯漁業

の前身、提商会主人

であ

った提清

六が

買いとり、

れが縁となり、後年、正平を中国

へ遊学

させてくれる

ことにな

った

のである。

正平

の印譜

には、生前

に作

られたも

のに

『栴檀

二葉香

印譜』

『正気印譜』

『羅漢印譜』

『八傭

印譜』

『正平陶磁印譜』などがあ

り、

没後

に、

正平

一周忌

の追善供養

とし

て作られた

『一止雇印存』がある。

随類得解

(図8)

・釈文

類に随

いて解

を得。

法に随

って理

を悟る。

・鑑賞

この印は

『羅漢印譜』に収められている。同印譜

の印材は、浅草橋の藤山

末吉

(印材卸業を営む。昭和五十八年没す)が蔵していたものである。正平

の養父山田寒山に羅漢印があるが、これは正平の羅漢印であり、これまで世

に知られていなか

ったものである。これは、十六羅漢陶像に正平が印文を刻

したものであり、漆塗の厨子に収められている。これには

『羅漢印譜』が

冊収められており、その刊記に

「大正丙寅四月八日、正平製」とある。

つま

り正平二十八歳の時刻された陶印であり

『八倦陶印』(一九二七年刊行、正

平二十九歳)とほぼ同時期のものである。羅漢印は、正平晩年のような格調

高い風韻はないものの、豪放雄偉な力強さがある。

さて、正平は二十

一歳と二十五歳の時二度中国に渡

っている。この時、呉

昌碩に画を、徐星州に笈刻を学んでいる。山田正平の印に

ついて語る時、正

平の印は呉昌碩の影響を多分にうけていると述べる人がいるが、これは正平

を理解する

一面であると思う。正平には

一個人の作家にのめり込んだ時期は

なく、むしろそれを極力避け、多くの人と交わる中で正平芸術を創り上げて

ったも

のと思う。呉昌碩、徐星州にしても同じであり、正平の出会いの中

で相当印象深い人であろうが、むしろ中国遊学は、多く

の自然風物や文物に

触れた事が、正平にとり益する所が大きか

ったのではないだろうか。この印

は、正平が中国から帰

って、まもない頃のものであり興味深いものである。

頂門上

一眼

(図

9)

・釈文

頂門

の上

一眼。

のいただ

にある

一眼

のこと。

109一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

・鑑賞

色界の天主である摩醗首羅天には三眼があり、その竪の

一眼をいう。これ

は常眼を超えて物を見ることのできる眼である。

この印は正平が画家の小川芋銭

(一八六八~

一九三八、画家)より依頼さ

れ刻したものであり、現在、茨城県牛久

の小川家に蔵されているものである。

山田家に正平が小川芋銭との交流を綴

った

「芋銭翁の想出」

(草稿)が残さ

れている。それによると、この印は昭和十

一・十二年頃、芋銭から依頼され

たものであり、そのお礼として芋銭の画

の代表作である

「渇波童子」を贈ら

れたことが述べられている。

正平と芋銭が初めて出会

ったのは、大正九年頃のことであり、その後ず

と芋銭が亡くなる昭和十三年まで交流は続いている。正平は昭和六年に

「寒

山寺正平笈刻会」を催しているが、その時

の推薦文を芋銭が書いている。正

平は芋銭に私淑し多くの事を学んだが、中でも芋銭から聴聞した

「何よりも

自分の感興に真実であれ」

「絵は七八分迄書道で行ける」とか、作者の態度

について述べた

「深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」などは深く感じる

所があ

ったようである。

「芋銭翁の想い出」によると、芋銭の自用印の中に芋銭が自分で図案した

印があることがわかる。これが、正平が芋銭を尊敬するようになるき

っかけ

である。また正平は、芋銭と富岡鉄斎とを近代を代表する二大画家として位

置づけている。小川芋銭は、正平にとりかけがえのない人であ

ったといえる。

天工人拙

(図10)

・釈文

に工

にして、

人に拙

し。

聖人と

いわれる人は、天地自然に対して事をする場合に

は正当

を得

て巧み

るが、

いざ

人と

いうも

のを相手

とす

る場合

は正当を

いて下手

であ

る。

(遠藤哲夫訳

『荘

子』

「雑篇」、明治書

院、

一九

六七年三

月)

・鑑賞

この印は、昭和二十四年に開かれた現代印人展に出品したも

のであり、正

平五十

一歳の時の作である。正平は自分で作成した履歴書

の覚え書きに

「河

井茎盧と山田寒山に笈刻を学んだ」と述べている。正平が私叔した印人にこ

の二人を挙げたことは、それなりの理由があると思われる。山田寒山は、正

平が蒙刻を本格的に始めるき

っかけを与えた人であり、後には、寒山の養子

として寒山寺に入

っている。河井茎盧は、正平を中国へつれてゆき呉昌碩に

あわせた人である。この当代き

っての二人の印人から正平は数知れぬ薫陶を

受けたであろうと思われる。さて、保多孝三は

「現代印人展評」において、

山田正平と河井茎盧の印を比較して次のようにいっている。正平の印を理解

する上において役立

つと思われるので引用しておく。

支持する層の広範囲にわたる作家がある。支持層はそう広くなくても、

支持

の程度の非常に深いも

のを持

つ作家がある。山田正平先生の如きは

後者に属するものであろう。河井先生の高度の叡智から構成される作品

は、理を以て追究すればある程度までこれを理解し得る普遍性を持

って

いる。ところが山田先生は、とぎすました

「理」というものよりも

っと

人間的な体臭を持

つ。ここに先生の作品の人間的な神秘がある。前者は

その合理性の故に万人がこれを認める。後者はその人間的な神秘性の故

に見る人の半ばは之を疑い、半ばは之に陶酔する。

河井茎盧

は、

正平

の印に対し、最初は正平

の印は玄

人離れし

て困る、と嘆

いていたよう

であるが、最後

には、相当

の評価を与

えていたようである。

忘牝牡騙黄

(図11)

・釈文

牝牡、騙黄を忘

る。

これは、『列子

「説符」

にある、

「牝牡騙黄」

の故事

によ

る。

「秦

の穆

が伯楽

の推薦

により、九方皐を

用いて馬を求めさせた所、黄色

の牝馬を得

と知らせてきた

ので、人に馬を

つれ

てこさせると、馬

は黒色

の牡馬であ

った。

こで、穆

公が

の色、牝牡

さえ弁別

できな

いも

のにどう

して馬

のよしあし

が、見分けられ

ようかとい

った所、伯楽が、

これこそが九方皐

のすぐれた点

であるとして、

馬を見分けるには、馬

の天機

(生気や素質)を観るべきで、

外面的

ことに

拘泥

すべ

きで

はな

い」

と述

べた

こと

による。

(小林

信明著

『列子』、

明治書

院、

一九六七年

五月)五

108一

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神野 雄二

・鑑賞

この印

に対

して、

山田正平自

身かなり

の自信を持

って

いたらしい。

「私が

い頃、

日展

に出した、

『忘牝牡驕黄』

の印、

ひそかに意

を得

たも

のと思

ていたが、別して世評

にのぼらず、先生

没後、新潟で山

(酒井議

三郎)さ

んに逢

って聞くに、当時非常

にほめて居

られ出典を示し

てなが

なが話された

由、

心下

るおも

いをした

のであ

った」

(「会津先生

と笈刻

」、

求龍

『渾斎秋

艸道人』

一九六八年十

一月)

この中

に出てきた先生とは、会津

一のこと

ある。

また、画家

の中

一政も

この印は正平印

の中

で最もす

ぐれたも

のであると

して、特に

「朧」

の字

の辺

の温かさがいいといわれたら

しい。

これ

に対し西

川寧氏は

「むしろ私

は冷たさを見ます。方寸

の世界

の厳粛

さです」

と述べ

いる。

(「山田正平遺作展」、『書品』第

一五五号、東洋書

道協会、

一九

六三年

一月)

正平

の印

の多く

は、印笈体を基本としているが、

この印は大笈体

の趣きが

あり、金文

へと遡ぼ

る自由さを感じさせる。

これは、正

平五十三歳

の時

の印

である。正平晩年

には、

このような印が多く

みられる。

「和して同ぜず」

「遊

雲魚」

「谷神死せず」

などがそう

である。

これ

は、

正平

が晩

年に到達した

つの世界であると思う。

倶会

一処

(図12)

・釈文

一処に会す。

仏も衆生も共

に浄

±に生

まれ会うと

いう意味

であり、

である。

『阿彌陀経』

一節

・鑑賞

この印

には、

「正平製、

乙未六月」と側款があ

り、

十七歳

の時

の作であ

る。寿山石、鳥鉦

によ

る。

て、

の印

に関

して正平自

一文を書

いている。

「開学祭

に出品した倶

一処

の朱文印、あれ

は四度目かに出来

た作

である。最

初は依頼者が取り

来し夜分、そ

の人を側ら

に置

いて

の作、少

し硬

い鶏血で、事、志

と違

った様

であ

ったが渡

して支舞

った。翌日思い直

して別の石で試

みた。朝

の空気が爽

やかなせいか、

前作

には勝る物が獲られた

ので速達

で送

って置

いた。そ

の翌

日か、学校

で生

徒を前

にながなが

と講釈しながら、

また同文を刻

って見せた

が効能書

き程

に薬はきかず、此頃

の梅雨模様

一般でいかにも醗陶し

い。帰宅

してから讐心

一番、

さら

に作

った

のが即ちあれである」

(「一点

一画」

『山田

正平先生笈刻講

ノート』

(東京学芸

大学

書道科同窓会硯心会編、昭和

三十

八年六月))

正平

の印

には、

いわゆる毛筆

で書

いた潤渇

の表現に近

いも

のがみられる。

この印でみ

てみ

るならば、

「倶」字

「会」字

に、

にじ

みの効果が

みられ、

また

「一」字

「処」字にかすれ

の効果がみられる。

これらは、印

の表現範

囲を広げ、変化

を与えたも

のとして評価

できるも

のと思う。また、印文と辺

縁と

の関係

は不離不即であり、絶妙

である。

「倶会

一処」

の印は正平

の墓

の墓碑銘として拡大模刻されて

いる。

なみに墓

地は東

京都

の多摩霊園

にあ

る。

養恰之福

(図13)

・釈文

養恰

の福。

身も心も安ら

に養う。

・鑑賞

これは、魏の時代の曹操の詩

「歩出夏門行」にある言葉である。これは、

曹操の遠征

の苦しみを歌

ったも

ので、烏桓討伐の時の体験により作られたも

のである。曹操は、この詩の終章で、人間の寿命に

ついて歌い、人間の寿命

は天の定めによるのではなく、身も心も養い努力していけば、不老長寿の道

が得られるという。(『曹操』竹田晃著、評論社、

一九七三年)この印は馬鉦

の寿山石で、正平五十八歳の時

の作である。

この印に

ついて殿村藍田氏は次

のように述べている。

「山田正平氏。軽妙

洒脱、刀法自在、布字の自由自然、気宇の雄大さ、総てに余裕を十二分に残

したこの作は、視る者をして氏の寡刻の魔術に引入れるに十分である。芙蓉

派を更に完成せしめたと思われるこの作は最も日本人らしい体臭を感ぜしめ

る誇るべき逸品であると信じる。…正平氏の作はこの筆力の散歩がも

っとも

大きく育

って居るのだ、それは散歩即ちこれが生活に迄成

って居る筆力の随

一107一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

筆家、それが正平氏だ」

(「笈刻めくら

へび」、『書品』第

七二号、

一九

五六年

九月)

田氏は

この作

に最も

日本人らしい体臭を感じると述

べているが、

これは

正平自身、常

に心がけ

ていたようである。松下英麿が正

の言葉を

「一止道

人追懐」

(『古酒』第

八冊、新樹社、

一九

六二年十月)

に載

せている。

「国は

亡びても芸術は残

るというと

いう

ことを、

このごろしみ

じみと感

じますね。

然し書

にしても、笈刻

にしても、中

の亜流

でしかない

日本

のも

のはどう

ょう。大死

一番大

いにやらなき

ゃ」

田寒山は、自

分自身を高芙蓉

の正統

を継ぐ者として位

置づ

けているが、

正平もまた寒

山を経

て、芙蓉

の正統

を継

ぐ印人とみてよ

いと思われ

る。

世短意常

(図14)

・釈文

世は短くして、意

は常

に多し。

の生涯は短

のに、思う

ことはあまり多

い。

陶淵明

「九日間居」

の詩

にこの

一句があ

る。

これは、陶淵

明が九月九

に菊

の花を酒に浮

かべて、酒を飲むという風習

にちなん

で、自

分も酒を飲も

うとしたが、菊

は庭

一面

に咲

いて

いるが、肝

心の酒が手

に入らない。そ

こで

空しさ

のあまり、菊

の花をたべながら胸中

の思

いを詩に

よんだも

のである。

・鑑賞

田正平

の印

の特質

一つに均衡美があ

るが、

これは

それを代表するも

である。それまで

の多く

の印は均整

で漢印

の方正平直な美

を追

ったも

のが多

ったが、正平は文字

の筆画を

一度壊

して再構成をして

いる。

つま

り、筆画

と筆画とを微妙にからま

せて、バラ

ンスをと

った緊張感

あるも

のである。

れは正平独自

のも

のであり、正平が画に志

していた

こと

と無関係

ではな

いと

思われる。同印は、正平

五十九歳

の時

の作

で、第

一三回

日展に出品

している。

人華落

(図15)

・釈文

人無く、華落

つ。

回りには誰も

人は

いなく静

かなたたずま

いであり、

ただ花が

一つ落ちてい

るだけであ

る、

いう実にも

のさび

しい光景をうた

った言葉

である。

・鑑賞

の印

は、昭

和三十七年

一月に、

日本美術院展に出品され

ている。同年

の八月に正平

は亡くな

っており、正平最晩年

の代表作

であ

り、正平

の絶作

いえるも

のである。

さて、

の印

を刻したことに興味ある

エピ

ソードがあ

る。それは正平

の次

女である山田梅

枝氏が

「買物

三題-

父の思

い出

・続」

(『書品』第

一四〇号、

一九六三年

五月

)として触れている。

散歩

にはよく骨董屋を

のぞ

いていたらしいが、

一昨年

の暮頃だ

ったろ

うか、

西荻

の方

の店で欠

け皿を見

つけ、何様とか由緒ある家から出た

という店

の主人

の説明に、書

つけ

てある

「無人花落」と

いう文句が気

に入り、持

ち合わせをはたいて買

ってきた。ボール箱

に綿をしき、皿が

平らにな

るよう

にならべて持

ち帰

った。幸

いになくな

ったと

ころもなく、

うちわ形

の皿

に復原した。眺

めていくうちに、

骨董屋

のうすぐら

い店

の方

では気が

つかなか

った

「無名」と

いう署名

に、

その驚きと喜びよ

うは、

はた

で見て

いる

のも

おかしいくら

いだ

った。

この皿を朝となく夜

となく、

ては寝床まで持

ちこん

では眺めていたが

「無人華落」という

印を

刻り、

これが最後

の展覧会出品とな

った。

「無人華落」

の印文

による印

は、布字

のまま刻す

ことなく残されたも

のが

一穎ある。

これ

を見ると、正平

は印面

に何も塗らないで、まず朱で仮に布字

をし、あ

たりを

つけ、改めてそ

の上

に墨

で布字をしたよう

である。すべて

筆で書

かれ

てお

り、実

に生き生

きとしたも

のである。

一筆

で書き、

一刀で刻

す。これ

は、正

の笈刻

の根本姿勢

であ

った

のであろう。

106一

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神野 雄二

高等学校芸術科書道

ト調査

による実態調査

「書道科教育法豆」受講生

へのアンケー

平成三〇年度における熊本大学書道受講者に対し、平成三十年十月、今後

の書道教育鑑賞

の在り方を考えるべく、アンケート調査を実施した。調査の

目的は、現在書道を受講する学生の書道に関する意識の在り方、また教育の

教科内容の開拓と教材開発という、より広い視点から、書道なかでも笈刻を

どのように認識しているか、その実態

の把握をめざすものである。

調査の対象者は、熊本大学に在籍する二

・三

・四年生

「書道科教育法H」

受講者五名

((A)~

(E))である。調査場所は熊本大学書道教室、調査時

間は三〇分である。

質問は、三の鑑賞教材例を提示し、大きく五項目に分けアンケートを課し

たので、それを基に、分析

・考察する。

いは次

の通りであ

る。

①④ ③ ②

高等学校芸術科書道における鑑賞指導について、今日的課題は何だと考

えるか、述べなさい。

高等学校芸術科書道における表現と鑑賞の関係について述べなさい。

蒙刻の鑑賞指導について、その課題と展望について述べなさい。

配布資料の山田寒山の作品を

一点取り上げて、鑑賞指導をする際におい

て注意することについて述べなさい。

配布資料

の山田正平の作品を

一点取り上げて、鑑賞指導する際において

注意することに

ついて述べなさい。

以下は、そ

の回答

であ

る。

(A

)

芸術科書道においては、それまでの中学校での書写教育と違

って多くの

古典や作品に触れ、また文化や歴史に

ついても詳しく学ぶ。その中で美

に対する感受性や自らの心の豊かさを養うにあた

って、作品を鑑賞する

力は非常に重要なものとな

ってくる。鑑賞指導については、この力を養

②③④

うために、生徒の興味関心に触れ、心を動かすような書の選択や、表現

の活動と有機的につながりそうな生徒自身との照らし合わせができ、か

つ交流し、見方が広がるような鑑賞の設定を工夫すべきだと考える。

表現と鑑賞は互いに高め合えるように指導していく必要がある。自分の

感情や個性を自由に表現するにも、やはり鑑賞によ

って他者の作品の追

体験を通して感情の豊かさが養われ、表現の幅の広がりに繋がると考え

られるからである。また、自分が表現するからこそ、鑑賞時に気づくこ

とがある。鑑賞でただ作品を受動的に見るのではなく、より豊かで深み

のある自己表現の土台となるよう、学びの過程を作

っていくべきだと考

える。

の鑑賞

指導

ついて大

切にした

いことは、蒙書体

は漢字

の五書体

で最も古

い書体であり、生徒

にもあまりなじみ

のな

い書体であること

から、

の字形

と変

ついてし

っかり押さえ

ることが大切

である。

「甲骨文

・金

・小寡」

では、

同じ笈書でも時代

や作品

によ

って趣が大

きく違う。

笈刻

(印)

の歴史も資料とあわせて視覚的

にそ

の流れをとら

えさせ、文

化と伝統に

ついて理解を深めさせたい。また、実際

に様

々な

笈書を使

って印を刻

ってみるという体験を通して、書体そ

のも

ののおも

しろさ、筆

で書く時と

の違

い、文字文化

ついて更な

る理解

へと繋げ

れると考え

る。

4

「釜中

に塵を生ず」、

の笈

の鑑賞指導

にあたり、重要視

したい

のは、

寒山

の生き方と

の繋が

りがあ

る。

「釜中生塵」と

いう言葉

のも

のが、各地

を点

々としなが

ら無位無冠で貧しい生活を送

ったとされる寒

の生活を

表して

いる。

しかし同時

に、そ

の貧しさや孤独を苦

にするこ

となく、寧

ろそれを自ら高

め、楽しみ、ど

こか崇高さを感じさせる。印

の中

に堂

々と大きく刻され

た字

や、線

のど

っしりとした太さ、丸みから

はそ

の力強

さや重

々しさ、堂

々としたも

のが伝

わる。貧し

い生活といえ

「苦

しい」

「ひもじい」

「不安」

「寒

々しさ」

「弱

〃しさ」などが生徒

の中

では連想されやす

いと考えられるが、寒

のこの生き方は新鮮な

のに映

るだろう。そ

の生

き方

や考え方

の力強さを本作品

の鑑賞から触

れさせた

い。

105一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

8

「類に随

いて解

を得」、

この蒙刻

の鑑賞指導

にあ

たり、

一印象

よる把握、

つまり生徒

の直感的把握

や直感的鑑賞を

大切にした

い。本作

品は線

の太さや丸

み、また字形

のやわら

かさ

に、目

ひくも

のがある。

こかあたたかみを感じさせる本作

品からは、他

の作

品と比べて生徒も

親しみやす

さを感

じられるだろう。

の点を活用し

て、初見

での鑑賞、

交流をさせることで、人

の感じ方

の違

いや作品を見

る面白

さ、知りた

いう探究

心をかきたてた

い。

そこから、山

田正平

の遊学

ついて、人

や事物、自然

の出会

いなどを伝

えることにより、更

に作

品を楽しませ

ことができると考える。

(B

)

①②③④

私が高校生だ

ったころ、鑑賞の経験をするために、文化祭で書道部が展

示した作品を見るという課題があ

った。それまでの授業で学んだ書家の

作品の臨書は見ていて面白か

ったが、知らない作品に

ついては鑑賞の観

点が分らなか

った。『学習指導要領』

「指導事項」にあるように、表

現効果や作品や作者の背景を知ることによ

って、書を鑑賞することが楽

しいと感じたり、書の美しさを味わ

ったりすることができるようになる

のだと考えられる。

表現と鑑賞は、両者ともに学ぶことによ

って、書を楽しんだり、探求し

たりする相乗効果をもたらすと考えている。臨書や創作など

の表現を通

して表現方法を学び、鑑賞する際に自分が学んだ表現効果を見

つけると、

作者との繋がりを感じて書が面白いと感じられるようになる。また、鑑

賞によ

って得た感じ方を、臨書や創作に生かすことができるようになる。

笈刻は、書体

の美しさを感じられるも

のと考える。また、朱などを

つけ

て印を捺すことによ

って作品として完成するため、作品が出来るまでの

過程を想像することも、蒙刻を鑑賞する際の楽しみ方

一つとして指導

すべきだと考える。

1

「寸

心千古」、

この蒙刻は、字

一画

一画が直

で、

誰が見ても美

いと感

じるも

のである。山田寒

山が禅宗永平寺派

の僧

という経歴を知

れ るる と

o、

この真

っすぐで伸びやかな線で表現されていることに納得させら

図15

「人無

く、華落

つ」、

実に寂し

い光景を詠う言葉を、生

き生

きと書

くことによ

って、言葉に力を与え

ているように感

じる。山

田正平

「無

人華落」

エピ

ソードを生徒

に伝え、感じ方を話し合わ

せる

ことによ

て、作品

のも

のの見方

や感

じ方が多様

に得られ

ると考える。

(C)

①②③

書道

のも

のが身近でない高校生

にと

って、書道

の鑑賞は難し

いと考え

ている。生

徒はそれぞれ、美的経験や能力によ

って

「作品から何を感

のか」

に気づ

いたり、

それを表現する言葉が出てきたりするかしない

かは、差が

生じる。また、書道

の作品を見て

「読

めな

い、よく分からな

い」

という

感想が多く聞こえる。だ

から

「文字」

としてとらえて作品

意味

を考え

のもよ

いが、まず

は、

「書」

「絵」

とし

て造形美

や空間

に目を向

ける

ことを促す

とよ

いと考えている。書を見る

「な

にか、

く分からな

いが、すごい」

と感

じる

のであれば、

なぜ

そう感じた

のかを

き出すた

め、文字

の大小、曲線、肥痩や、強弱、潤渇、濃淡など、視

点を増

やす

ことで鑑賞眼が養われると考える。

表現

と鑑賞

には相互的に

つなが

りがある。例えば、鑑賞をして

「この作

品は力強

いなあ、どうしてだ

ろう?濃

い墨でね

っとりとした線質にな

ていて、丸

みが少ない」

と考えたならば、表現

の際

「力強

い書が書

たい」

と思

う時

に、鑑賞

で見

つけたポイ

ントを活

かせる。また、臨書

あれば、

の作家

の表現

の疑似体験をすることとなり、そ

の人

の芸術観

に触れ

ることとなり、鑑賞

でも役

に立

つ。どちらにお

いても書道に関す

る美的経験

として必要であ

り、大切な

ことであると考える。

「笈刻」になじみがない生徒がほとんどだと思うので、まずは笈刻に

いてその歴史や内容を知ることが必要だと考える。朱文と白文でどのよ

うに印象が変るのか、蒙書や隷書、楷書やローマ字など、様

々な文字や

書体

の印を見て、どんな印象を受けるかなどを感じさせたい。また、実

104一

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に自分

の名前を笈刻し、作品を友

人同±

で鑑賞し

合うと、馴染みがな

った蒙

刻にも触れる

ことができ

「○○さん

の名前

を蒙

刻す

るとこうな

のか、

っこいいな」などと、

より身近

に感じな

がら鑑賞をする

こと

ができると考

える。

2

「水清

まば縷を濯う」、縦画や横画の間隔が均等

にな

っており、清

しくも整

然とした印象を受ける。

また、

その中

でも、

つの文字

の大き

さが全て違

ってお

り、整然とした中

にも自由さや面

白さが感

じられる点

に生徒に気づ

いてほし

い。

一〇

の意味を

考える面白さを生徒たち

には知

ってほしい。そ

のためには、

歴史を概説

して、背景を考えさせたりとい

った、指導

の工夫が

必要にな

てく

る。

4

「釜中

に塵を生ず」、

の作

品は、釜

・中

・塵

・生

と四文字

から成

るが、どれ

も高校生でも意味を想像しやすく、身近

に感じる

ことができ

る題材

であ

ので、鑑賞

用教材

に適して

いると考

える。生徒たち

の想像

力を

かきた

てやす

い教材を選択する

ことも、指導

にお

いては留意する点

だと考え

る。

神野 雄二

図10

「天に工にして人

に拙し」、画数が少な

い上

に朱文であ

ることから、

々しさは感

じられず、そうかとい

って軽

い印象も感

じられな

い。それ

は、おそらく、文字が随処に欠けていることで、墨

で書

いた時

の濃

い粘

着質なかすれ

を想像させるからだと思う。字

の形や

かす

の面白さ

に生

には気づいてほしい。

(D

)

①②③

々生徒

たちは、笈刻

に親しみが少

ないので、より多

の笈刻を生徒た

に見せることが

必要

にな

ってくると思う。それに

よる

「鑑賞」

の深ま

により、自

の感じた

ことを感

じたまま

に刻す

ことができるので、枠

にはめず

に自

由に表現させた

い。

表現

と鑑賞

は、

深い繋

がりがあると思う。

「書

に表

す」

という

こと、

まり表現することは書道だけでなく、日常生活におい

て様

々な場面で行

てきて

いる。字

にはそ

の時

の自

の感情がよく表れ

るということを、生

徒たちは身

をも

って実感して

いるだ

ろう。そ

のこと

を踏

まえた上

で鑑賞

を行うと、自ず

「これを書

いた時

の心情」などと

照らし合わ

せながら

鑑賞を行うことが

できる。

そもそも生徒たちにと

って笈刻というもの自体が馴染みのないものなの

で、何故このような印が使用されたのかなど、印の歴史に

ついてはじめ

に教えておくことが大切だと思う。また、た

った数文字に込められた語

9

「頂門

の上

一眼」、

まず、

一目見た時に

「知

ってる漢字がある!」

と分かる笈

である。やはり、書

に関心

のない者

にと

って自分と何

の関

係も

ない字

や読めない字があ

ると興味を無くしてしまう。そ

の点におい

てこ

の四文

字は、刻まれ方も分

かりやすく目を

ひきやす

いので、鑑賞

教材

に適

ていると言える。鑑賞

における指導

においては、

このような

最初期

の導

にも注意していきた

い。

(E)

①②

高等学校における書道の鑑賞指導は、表現の授業と併用して行う必要が

あるのではないだろうか。鑑賞指導をまず初めに行い、書の美しさや書

風、価値について学び、また書を創り上げた人物に

ついて、書に込めた

思いを学習した上で

「次は自分がや

ってみよう」「自分ならどう表現す

るか」という問いと共に表現活動に移ると、より目的意識のある授業を

展開することができると思う。

でも述

べた

ことと同じように、相互

に有効に作

用す

る関係

にしていく

ことが重要

であると感じる。書

の美しさ、楽しさは、まず名筆、名作を

見ることから始まると思うから

である。どちらかに偏

るのではなく、

時的

に行う

こと

によ

って、書を見る目、それを再現す

る技術が身に

つき、

分なりの価値観、自分なり

の表現

へと発展させることが

できると言え

る。

103一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

③④⑤

蒙刻の鑑賞指導では、笈刻独自

の点に

ついて注目させることが重要だと

思われる、蒙刻は、書とはまた異なり、刻字の立体的な表現方法、

つま

り工芸的要素を含んでいる。これらの点における美しさや面白さに着目

した鑑賞を行うことで、書とは異なる美意識や価値観を発見することが

できると思う。そして文字の組み合わせについても考え、より広い視野

で鑑賞できるよう、段階的な指導を行うことも有効だと言える。

4

「釜中

に塵

を生ず

」、

この笈刻作品を指導す

る上

で、書

体や詩

の意

味、寒

の生活

ついてまず学習を行う。

「なぜ寒

山はこ

の書体

を選ん

のか」、「なぜ

この詩

にした

のか」

という疑問を投げ

かけ、生徒

の思

いの考えを聴

き出す。そ

の後、資料等

で寒山自身

の生活、清貧な生き

ついて学習

した後、さらに鑑賞

を行う。私が注意す

る点

は、作品

表現と作者

を切り離す

こと、そしてまた繋げて

いく

ことであ

る。作品

背景を知

ることにより、見方

の変化

を感

じてもら

い、

の上

でより強く

感じる不動

の美意識を見出すようにした

い。加えて

「どうして印が所

欠け

ているのか」

「なぜ文字を刻す

"白文"

とした

のか」

という細か

にも注意

を向けさ

せた

い。

7

「死して忠

の鬼

と為り、極天皇基を護

らん」、

の笈

刻作品を取

り上げる上で、刻

した句

の意味と正平

の刻した年代

ついて注意した

い。

まず、こ

の蒙

刻は他

の作品よりも字数が多く、十

一字

刻され

ている。

の印に正平

の込めた思

い、文字

が多くあ

ることでど

のような美意識や面

白さが生

まれ

のかを鑑賞させていきた

い。そして

刻年代、

山田正平十

八歳

の時

の作

品であり、彼

のデ

ュー作

であると

いう点に着

目さ

せた

い。

晩年

の彼

の作

品等

と比較し、ど

のような点が目立

っているか、良さとし

てど

のような点が挙げられるかを問い、作品自体

の特徴

を発見さ

せて

きた

い。

今回実施した学生

への意識調査、実態把握は、さまざまな問題提起をして

いる。今回の考察で明らかにな

った点は次の通りである。この成果と展望を

って本章の結論としたい。

高等学校芸術科書道で、鑑賞に関する学習指導が求められている現況を

踏まえ、教員養成の書道の授業において、鑑賞指導の重要性を実感させ

②③④⑤⑥

るとともに、その指導の在り方を考えさせる事が大切である。

高等学校芸術科書道において、表現と鑑賞が相互に有機的に関連してい

ることを意識させる指導が大切であることを認識させる。

笈刻を鑑賞することにより、笈刻を通じて書の伝統と文化を理解させる

ことへと繋げていく事が重要である。

生涯教育、生涯学習の観点から、社会の在り方を見据え、将来を見通し

た鑑賞教育が、家庭教育

・学校教育

・社会教育との連関の中でなされな

ければならない。

国際化、高齢化、情報化など

の社会の進展変化に対応した鑑賞教育のビ

ョンを踏まえた上で、書道教育における鑑賞指導

の生涯学習体系の

環としてのビジ

ョンを早急に作成しなければならない。

生涯教育推進の視点に立

った、書道鑑賞教育の具体的なモデルプランの

提示がなされ、鑑賞活動の充実が図らなければならない。

おわりに

鑑賞教育

の研究は、漸進してきてはいるものの、更なる実践研究の成果と

蓄積が課題であろう。笈刻においても、鑑賞教材としてどのような内容のも

のを提示するかはその

一つといえる。単に作品を鑑賞するだけでなく、その

背景となる事跡や歴史なども考え合わせることが大切であろう。

蒙刻に関する文字資料を取り上げることは、書体理解、手書き文字文化

重要性を理解させる方法として最適であると言える。

それは、書道や笈刻の独自性等を考えることに繋がり、書道教育の教材開

発などの書

の基礎研究になりうる。また書道教育に関する新たな資料

・文献

を発掘していくことにも繋がる。更に書道の文化の発展に寄与することも可

能だろう。その意味からも、名所旧跡、地方の図書館、文書館、博物館など

の文化施設は、今後更にその存在意義は高ま

っていこう。

ここで高等学校芸術科書道における鑑賞教育の在り方を考えるための

一つ

の提案をしてみたい。教科書に、各都道府県の地域の郷土資料として笈刻や

笈書の文字による

「笈刻と笈書で見る郷土資料鑑賞

マップ」として作成し、

解説文を付す。熊本県でいえば、細川家歴代の書や印などは好ましいものと

言えよう。

これからはこれまでの狭い鑑賞指導に囚われることなく、鑑賞指導の現状

102一

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神野 雄二

の改善を期して、魅力に富んだ教材を創出する必要があるだろう。そして生

涯にわた

って文字文化を重視し、さらに文字文化を創造していくことが大切

であろう。

書道の鑑賞教育

の学習実践は、我が国の伝統的で豊かな言語文化を認識し、

また文字文化を尊重し、親しんでいく態度を育成することが重要である。今

まさに書道教育

一層の充実が求められており、特に次世代を担う青少年の

育成は急務といえる。

今後笈刻を素材として、それを書道教育に有効に活かすための教材開発を

っていきたい。そして、他の作家

の笈刻教材を用いた実践研究を進めてみ

たい。また、蒙刻の更なる調査を進めるとともに、各時代

・各地域の当該関

係の文献

・資料を集成し、組織的

・体系的

・学的に研究を深めることを課題

とする。それは、笈刻の鑑賞を

一例として、わが国の書道教育

の特色、また

書道の独自性等を考えることに繋がり、書道教育の教科内容の開拓と教材開

発などの書の基礎研究になりうるものと考えるからである。

本稿を執筆するにあたり、山田家には資料の閲覧の便を図

って頂くととも

に、懇切なご教示を賜

った。ここに記して、衷心より感謝申し上げる。

【注

(1

)

(2

)

(3)

山田寒山に

ついては

『日本蒙刻家

の研究-山田寒山

・正平を中心とし

てー』

(熊日出版、二〇

一七年三月)で詳細に論じた。

山田正平に

ついては

『日本笈刻家

の研究-山田寒山

・正平を中心とし

てー』

(熊日出版、二〇

一七年三月)で詳細に論じた。

筆者は、二〇

一五年三月

『書写書道教育論考』(創想舎)を刊行した。

同著で鑑賞に関わる論文は次の通りである。

・第

一章

山田正平における教育者的側面-東京学芸大学における

「寡書

・寡刻」の講義を通して

・第六章

「人間科学入門」における授業実践研究-書

の人間学

「現代

書の歴史と鑑賞」1

・第八章

高等学校芸術科書道における鑑賞指導に関する研究

展覧

会活動を通した授業実践1

・第

一〇章

高等学校芸術科書道における鑑賞に関する地域教材を使

用しての実践的研究

(4

)

=

『日本

の遊

印』

(「高芙蓉

・山田寒山

・山田正平」、

「日本寡刻小史」、木

耳社、

一九

八三年十月)

は、

日本

における代表的蒙刻家を取り上げ

て、

概述

・鑑

賞したも

のであ

る。

【主要参考文献】

・文部科学省

『高等学校学習指導要領解説』芸術編

(教育出版、二〇〇九年

一月)

『高等学校芸術科書道指導資料

・鑑賞編』(文部省、

一九八

一年六月)

『書写書道教育研究』創刊号~三

一号、(全国大学書写書道教育学会、

九八七~二〇

一七年三月)

・加藤達成監修

『書写書道教育史資料』

(東京法令出版株式会社、

一九八四

年)

・久米公著

『書写書道教育要説』

(萱原書房、

一九八九年

一月)

・富田富貴雄著

『史的観点に基づく書写教育

の研究』(大学教育出版、

一九

九六年六月)

・海後宗臣等編

『日本教科書大系

・近代編

第二七巻

(習字)』(講談社、

九七八年十二月)

・井上敏夫編

『国語教育史資料』「第二巻教科書史」

(東京法令出版株式会社、

一九八

一年四月)

『国語科教育学研究の成果と展望』

(全国大学国語教育学会編著、明治図

書、二〇〇二年六月)

『国語科教育学研究の成果と展望H』

(全国大学国語教育学会編著、学芸

図書、二〇

二二年三月)

『明解書写教育』

(全国大学書写書道教育学会編、萱原書房、二〇

一七年

四月)

『美術館における古美術鑑賞の実践』(出光美術館、二〇〇六年三月)

・下田章平

・齋木久美

「高等学校芸術科書道における鑑賞指導とその展開」

(『茨城大学教育実践研究』第三二号、二〇

一三年十

一月)

・萱のり子

「表現と鑑賞の架橋

書の実践を通しての鑑賞教育に関する考察

(『美術科研究』二二、大阪教育大学

・美術教育講座

・芸術講座、二〇〇五

年)

・鈴木慶子

・鶴谷和身

・和田圭壮

「書道の授業における鑑賞活動導入に関す

一101一

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

一試行-高等学校の

「仮名」単元を中心にー」(『長崎大学教育学部紀要

教科教育学』三三、

一九九九年六月)

・片山

智士

・大森

アユミ

「書道教育における鑑賞指導

の研究

自ら学び自

ら考える力の育成を目指してー」

(『福岡教育大学紀要』

(50)、福岡教育大

学、二〇〇

一年)

・加藤泰弘

「書教育の課題と展望-日本の書写・書道教育はどのような方向

に向かうのかー」

(『東アジア書教育論叢』第

一号、東京学芸大学書道教育

研究会、二〇

一一年十二月)

・青山浩之

「書写書道教育における今日的な課題-言語活動と書写1」(『書

写書道教育研究』第三十号、全国大学書写書道教育学会、二〇

一六年三月)

・田畑理恵

「鑑賞教育における批評の意味についての

一考察

美術教育と書

道教育の批評の意味の比較を通してー」

(『美術教育学研究』四八(1)、大

学美術教育学会、二〇

一六年)

・樋口咲子

「高等学校芸術科書道における

『和様の書およびその歴史』の授

業構想-書論による鑑賞の深化を目指した授業展開例1」

(『東アジア書教

育論叢』第四号、東京学芸大学書道教育研究会、二〇

一七年三月)

100一

=二

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図1~図

5

(山田寒山蒙刻)

図6~図15

(山田正平蒙刻)

図3

那伽犀那

神野 雄二

図1

寸心千古

図2

水清濯縷

帽 一哩肖

IIll匿:題

11一 哩1

  一   

朧難一

図4

釜中生塵

一99一

図5

恭賀新年

図6

柳乗化以帰尽

図7

死為忠義鬼極天護皇基

図8

随類得解

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高等学校芸術科書道における鑑賞に関する基礎的研究

15

無人華落

滝ゴー

倶会一処

図11

忘牝牡驕黄

一98一