現代におけるパブリックアートの研究 -...

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国際文化学部 研究旅行奨励制度 研究旅行要旨 (2016.11.30) 現代におけるパブリックアートの研究 ——韓国の壁画村の事例から—— 西南学院大学 国際文化学部国際文化学科 18AR085 井上 ひかり 本研究は、現代におけるパブリックアートとしての「韓国の壁画村」を対象としている。主な研 究内容は、①壁画村の歴史および変遷、②現状および課題、③それに対する取り組み、④壁画村の 持続可能性、⑤壁画村から見る「地域文化」および「地域観光」である。現地調査では壁画村をい くつか訪問し、住民や芸術家などに対するインタビューや、壁画村の創成に携わる関係者に対する 聞き取り調査をし、現地の図書館で文献調査を行い、先行文献や関連資料の収集も行った。 研究の結果、壁画村の歴史を体系的に明らかにし、大きな転換期に差しかかっている壁画村の現 状について把握することができた。また、壁画村が抱える課題やそれに対する取り組みについて も、現地調査での具体例を基に明確化した。さらに壁画村の持続可能性についても深く探求し、壁 画村という観点から「地域観光」や「地域文化」のあり方を吟味し、壁画村の展望についても、現 場の生の声をもとに明確化させることができた。

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国際文化学部 研究旅行奨励制度 研究旅行要旨 (2016.11.30)

現代におけるパブリックアートの研究

——韓国の壁画村の事例から—— 西南学院大学

国際文化学部国際文化学科 18AR085 井上 ひかり

本研究は、現代におけるパブリックアートとしての「韓国の壁画村」を対象としている。主な研

究内容は、①壁画村の歴史および変遷、②現状および課題、③それに対する取り組み、④壁画村の

持続可能性、⑤壁画村から見る「地域文化」および「地域観光」である。現地調査では壁画村をい

くつか訪問し、住民や芸術家などに対するインタビューや、壁画村の創成に携わる関係者に対する

聞き取り調査をし、現地の図書館で文献調査を行い、先行文献や関連資料の収集も行った。 研究の結果、壁画村の歴史を体系的に明らかにし、大きな転換期に差しかかっている壁画村の現

状について把握することができた。また、壁画村が抱える課題やそれに対する取り組みについて

も、現地調査での具体例を基に明確化した。さらに壁画村の持続可能性についても深く探求し、壁

画村という観点から「地域観光」や「地域文化」のあり方を吟味し、壁画村の展望についても、現

場の生の声をもとに明確化させることができた。

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国際文化学部 研究旅行奨励制度 報告書 (2016.11.30)

現代におけるパブリックアートの研究 ——韓国の壁画村の事例から——

西南学院大学 国際文化学部 国際文化学科

18AR085 井上 ひかり 序論 研究背景および目的 韓国には、居住地の壁や階段などに壁画を描き、アート作品などで装飾された「壁画村」(以下

必要がある場合を除いて「」は省略する)と呼ばれる集落が全国に点在しており、その数は 100 を

超える。日本ではこのような壁画村は見られないため、多くの日本人にとっては馴染みの無いもの

かもしれない。しかし、韓国の壁画村の中には国内外から多くの訪問客が訪れる場所もあり、「韓

国の観光地」として注目されている。外部から訪れた者にとって、色鮮やかに描かれた壁画村の風

景は「異空間」であると同時に、雑多で混沌とした「韓国らしさ」がそのまま表現されているよう

にも感じ取れる。 一般の集落が「壁画村」として生まれ変わることで、撤去寸前の集落に新たな風を吹き込み、地

域再生に成功した事例もあり、一定の効果は認められている。しかし、壁画村が持つのはそのよう

な観光地としての華やかな面ばかりではない。居住地をアートで装飾し、観光地として展示するこ

とに伴い生じる衝突や葛藤も少なくないのである。 本研究では「壁画村」という新たな切り口から韓国を見つめ、その歴史や変遷を明らかにし、現

状および問題点、それに対する取り組みについて具体例をもとに明確化し、持続可能性や展望につ

いて吟味することを目的とする。 研究内容および方法 本研究は韓国の壁画村を研究対象とし、主に 2000 年代後半から文化政策の一環として行われた

公共美術プロジェクトにおいて、「疎外地域の地域再生と地域住民の生活の質の向上」、「地域文化

の保存と保護」、「文化享受の機会提供」を目的として制作されたものに焦点を当てる。また、韓国

の壁画村がパブリックアートの一環として形成されてきた背景があることから、韓国のパブリック

アートについても目を向けながら、壁画村における体系的理解を試みる。

まず、本論の第1章では壁画村についての考察を深めるために、壁画村の概念と範囲について明

確にした上で、その歴史と現況について述べる。第2章では、壁画村についての客観的評価をする

ために、具体的な事例を基に壁画村の問題点を明らかにする。第3章から第4章にかけては、課題

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に対する対策や取り組みなどに目を向けながら、「持続可能性」について吟味した上で、「地域文

化」および「地域観光」という視点から壁画村の可能性と展望ついて探ることにする。

研究方法は文化人類学の方法論であるフィールドワークを用い、現地の壁画村を訪問して現状を

把握すると同時に、地域住民へのインタビューを通して現地の生の声に耳を傾けた。また、壁画村

の制作関係者や公的文化機関及び、公共美術事業を行う団体などの制作サイドへのインタビューも

行うことによって、多方面からより客観的に壁画村についての理解を深めた。

本論 第 1 章 壁画村の概念および歴史的背景 1.1

壁画村の概念 伝統的な壁画という意味の建築構造物の壁や天井を装飾する絵などの総称であるミュラル

(Mural)は、ラテン語のミュラリス(muralis:壁)から由来する言葉として壁画を意味する。壁画の種

類は、ウォールペインティング(a wall painting)、ストリートアート(street-art)、都市のファンタ

ジー(urban fantasy)、環境的コミュニケーション(environmental communication)、住民壁画

(community mural)、ビッグアート(big art)、スーパーグラフィック(super graphic)、少数民族壁

画(ethnic mural)、屋外壁画(outdoor wallpainting)、塗装された都市(die bemalte stadt)など様々

だ(조윤미 , 2011 , p7)。これらは主に「都市壁画」や「現代壁画」と通称され、その目的や手段

によって区分される。本研究ではパブリックアートとして壁画が描かれた疎外地域のことを「壁画

村」と位置づけることにする。

1.2

壁画村の歴史を見るにあたり

韓国の壁画村の歴史それ自体は約 10 年と、それほど長いものではない。しかし、研究を進める

にあたり、壁画村が形成されるようになった要因には、国内のみならず当時の世界の歴史的・政治

的背景が密接に関わっており、それは 20世紀前半にまで遡ることがわかった。なぜならば、壁画

村の形成は突発的に始まったものではなく、美術、経済、歴史、政治、社会、文化などの非常に多

元的で複雑に絡み合った時代のダイナミックな変化によって、ある意味必然的にもたらされたもの

であるからだ。短絡的に見ると、たった 10 年ほどしかない韓国の壁画村の歴史も、その起源や背

景を十分に理解するためには、当時の国内外の情勢やあらゆる要素を考慮した上で考察していく必

要がある。そこで、まず初めに壁画村に描かれている壁画の原型である「都市壁画」および「現代

壁画」の世界的起源を明らかにし、壁画村形成の最大の要因とも言える「パブリックアート」の登

場背景を述べ、それがどのように韓国に影響をもたらし、壁画村の形成へと発展していったのかを

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探求することにする。

1.3

現代壁画の登場 美術史における現代壁画の起源は、20世紀前半のメキシコやアメリカで、長期にわたる植民地支

配および経済恐慌で沈滞した社会の雰囲気を一新させるために行われた壁画運動にあり、その代表

例として 1920 年代のメキシコの壁画運動とアメリカのニューディール政策で作られた壁画を挙げ

ることができる(박선정 , 2011 , p14-15)。当時メキシコは 300 年にもわたるスペインからの植民地

支配の終焉を迎え、新たな民族主義的独立体制の構築を模索している最中であった。美術界では独

立後もなおスペインの画風が主流であったため、これに反対するメキシコの伝統芸術家たちは、メ

キシコの伝統的画風を表現する空間として、壁画に注目するようになった。メキシコ政府はそのよ

うな芸術活動を支援し、以後メキシコでの芸術再生は発展していった。一方 1930 年代のアメリカ

では、ルーズベルト大統領によりニューディール政策が行われ、その一環として文化消費を促すた

めの「文化ニューディール政策」も含まれていた。美術・芸術活動に対する政府の全面的なバック

アップにより、芸術家をはじめとる雇用の創出が行われた。

メキシコとアメリカでの壁画運動は現代壁画の出発点であり、以上の様な説明から現代壁画の登

場には、当時の歴史的・政治的要素が密接に関わっているということがわかる。その後、主要芸術

家たちが相次いで他界したことにより、この二大壁画運動は衰退をみせるが、これらは 1960 年代

にシカゴを始めとするアメリカでの地域社会壁画運動へと受け継がる。そして、1960 年代から出現

する「パブリックアート」の登場背景に直接的影響をもたらすこととなる。

1.4

パブリックアートの登場

「パブリックアート」という用語は、イギリスの John Willet(1917-2002)による著書『都市にお

ける美術(Art in a City)』(1967)のなかで、「展示場の中の美術」と「展示場の外の美術」とを徹

底的に区別した文脈によって初めて使用された。つまり、パブリックアートが意味するのは、制限

された場所で特定の人が楽しむ美術ではなく、公的な公共空間で一般の人々が共有することができ

る、公共性に基盤をおいた美術形態である。その概念は「建築における美術」、「公共空間での美

術」、「都市計画における美術」、「新しいジャンルのパブリックアート」の4段階により区分するこ

とができる(임혜인 , 2012 , p10)。

パブリックアートの第一歩である「建築における美術」は、1930 年代のアメリカのニューディー

ル政策における壁画運動の概念を基盤としている。政策的側面が強い初期のパブリックアートの概

念はその後ヨーロッパに拡散し、1951 年にはフランスの文部科学省の長官である Pierre-Olivier Lapie による「1% フォー・アーツ」法の発議へとつながった(임혜인 , 2012 , p19)。これは公共

建物の建築費の1%を美術装飾品の注文にあてるものであり、後に韓国でも導入されることとな

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る。アメリカでは 1963 年に「建築における美術プログラム」が制度化されるなど、1960 年代のパ

ブリックアートは公共建物を装飾する「1%フォー・アーツ」法による形式的なものであったと言

えるだろう。 1960 年代以後、パブリックアートの主体は政府から民間へと拡散し、その領域も「純粋美術」か

ら「暮らしの空間」へと変容していった。1967 年には、アメリカで「公共空間における美術プログ

ラム」が民間単位で進められるなど、1970 年代にかけてパブリックアートは政府から地域へと広ま

りを見せ、「公共空間での美術」という第二段階へと移行する。第三段階である「都市計画におけ

る美術」では、パブリックアートが「都市計画」の手段として活用されるようになり、文化・環境

的都市建設に大きく寄与するとともに、都市でのネットワークを強める役割としても機能した。

1980 年代後半に現れるパブリックアートの最終段階「新しいジャンルのパブリックアート」は、

美術によるコミュニケーションの拡大と文化共同体の形成を目的としている。これは、1960 年代の

アメリカの地域社会壁画運動に基づくものであり、政治的要素というより、共同体のアイデンティ

ティーを模索し、暮らしの質を向上させようという意図から成るものである。グローバリゼーショ

ンの流れに沿うように、パブリックアートの性質もまた多様化・複雑化し、結果よりも過程を重視

し、ハード面の重視からソフト面中心へと変化していった。

このように、現代壁画およびパブリックアートは、単に文化的・芸術的側面だけでは説明不可能

であり、むしろ植民地支配や民衆運動、文化政策や都市計画などの歴史的・政治的文脈のなかでそ

れらが形成され、発展してきたのだ。現代壁画が登場し、パブリックアートという新たな美術形態

の概念が形成される過程で、「アート」は単に芸術作品としてではなく、人々の暮らしや社会に密

着し、共同体におけるコミュニケーションに新たな可能性を与えてくれるものへと変容した。「現

代壁画」から始まったパブリックアートの歩みは今もまだ発展途中にあり、その可能性は無限大に

広がっている。

1.5

韓国における現代壁画とパブリックアートの変遷 1945 年の日本の敗戦により朝鮮半島は独立を果たし、1948 年に大韓民国が建国され、その後朝

鮮戦争や4.19 革命、5.18 民主化運動などが起こった激動の時代を迎える。1960 年代に急速な経

済開発と産業化・近代化により、拡張最優先の大規模な撤去作業による都市開発が行われた。この

ような大々的かつ急速に進められた再開発事業は、昔ながらの地域共同体を崩壊させ、同時に地域

独特の文化や風習もこれにより失われていった。以上で述べた西欧諸国での現代壁画およびそれに

伴うパブリックアートの波は、その変遷過程を圧縮したような形で独立後の韓国にも到来する。メ

キシコやアメリカで独立後にさまざまな民衆運動や政策など政府単位、市民単位で壁画運動や芸術

活動が推進されたように、独立後の韓国芸術活動におけるダイナミックな変化が見られるようにな

る。パブリックアートというあらたな美術形態も加わり、壁画は更なる発展の時代を迎える。これ

らの動向を吟味するために、まず現代壁画登場の歴史的背景を明らかにし、独立以後から壁画村形

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成への最大の要因である「Art in City」プロジェクト登場までのパブリックアートの変遷過程

を模索することにする。

韓国における現代壁画は、主に社会的性格が強く現れた「地域社会壁画」と、都市美化を目的と

した「環境壁画」のそれぞれ二つの軸により展開をみせる(양성모 , 2006 , p18)。現代壁画が登場

した当初は、社会的動機によって描かれた「地域社会壁画」が主流であったが、時代の流れととも

に次第に美化を目的とした「環境壁画」へと変化した。1980 年頃、国内の政治的問題により起こっ

た学生運動、および民衆美術系列の民衆作家による影響で「地域社会壁画」の製作が始まった。学

生運動は全国各地に広がりを見せ、学生街には至る所に壁画が描かれ、大々的な掛け絵の製作も行

われた。しかし、「反体制的」な性格が全面的に強調されていた当時の壁画は、政治的な抑圧によ

りその大半が消されてしまった。また、そのような激しい学生運動の背景には「386 世代」の存在

がある。彼らは 60 年代に生まれ、80 年代に大学に通い当時の学生運動の中核となり、90 年代にお

ける市民社会運動でその中心となった世代だ。彼らは韓国社会において非常に重要な世代であり、

その後の韓国社会の重要な性格の形成を左右した(韓国文化観光研究院関係者の話による)。「地域

社会壁画」は当時の政治的弾圧により姿を消してしまったが、当時の全国的な壁画運動がその後の

壁画の発展への基盤となったことは明確である。

そのように、批判をうけ弾圧された「地域社会壁画」とは正反対とも言える、もう一つの現代壁

画が、1980 年代半ばに現れる「環境壁画」である。1986 年の「アジア競技大会」、1988 年の「ソウ

ルオリンピック」などの国際大会開催に伴い、環境美化のための壁画が多く描かれるようになっ

た。このように「美化」の手段として活用された「環境壁画」は、「地域社会壁画」とは異なり非

常に肯定的反応が寄せられた(양성모 , 2006 , p19)。 韓国でパブリックアートの概念が制度として導入されたのは 1980 年代に突入してからだ。独立

後から 1970 年代にかけては、パブリックアートに関する法律は無く、「記念銅像」の美術形態が主

流であったことから、この時期は「記念彫刻の時代」とされている。代表例としては、「李舜臣銅

像」や「世宗大王像」などがあり、これらのような愛国烈士や偉人を称える記念彫刻や、戦争関連

の記念塔、セマウル運動と建設ブームによる竣工碑などの3つの類型がある。この時期は文化的・

歴史的意味合いをもったモニュメント形態のものが大部分を占めていた(이유림 , 2015 , p20)。

1980 年代は国内で初めてパブリックアートに関する制度が法制化された時期である。1982 年に

文化芸術振興法に「建築物における美術装飾」条項が新設された。これはかつてフランスで生まれ

た「1%フォー・アーツ」法を基にしており、大型の建物を建築する際に、建築費の1%を造形物設

置の費用へ充てるという内容のものであり、国内でのパブリックアートの制度的基盤となった

(임혜인 , 2012 , p23)。また、この時期には国際大会開催にともない「美化」が推進されたことか

ら、以前の「記念彫刻」に代わり「モダニズム彫刻」へと変化していった(임혜인 , 2012 , p25)。 1995 年に「建築物美術装飾制度」が勧奨条項から義務事項へと転換されたこにより、デパートや

新都市、再開発事業などでアート作品が爆発的に増えた。制度の義務化は、市民へ文化享受の機会

の増加や作家の創作機会の増加などの効果をもたらしたが、それと同時に作家の利益独占や脱税、

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美術品としての質的低下などの副作用をもたらし、90 年代後半にかけて美術装飾制度に対するその

ような否定的側面が顕著に現れるようになった(임혜인 , 2012 , p27)。このような「建築物美術装

飾制度」に対する批判的意見の登場は、それまでのパブリックアートのあり方を再度見つめ直すき

っかけとなり、パブリックアートの新たなパラダイムの模索が始まった。そこで、行政を基盤とし

てパブリックアートをより具体的かつ実践的に行おうという新たな取り組みである「Art in City」プロジェクトが登場する。このプロジェクトこそが、韓国における壁画村形成の最大要因なのであ

る(임혜인 , 2012 , p28)。 1.6

壁画村形成の変遷過程および類型 以上のような国内外における社会的・政治的・歴史的な様々な側面での時代の変化を経て、2000

年代になってようやく壁画村は姿を現す。壁画村が本格的に全国に広まりを見せたのは、政府や自

治体における「文芸振興基金」や「福券基金」のような制度的支援を背景としてパブリックアート

が進行した 2006 年からである。しかし、これはあくまでも制度的・行政的視点から見た場合であ

り、疎外地域に壁画を描いて環境改善を図る壁画村形成の動きは、それ以前も地域の芸術家や市民

によって行われていた。当時、全面撤去方式で行われた再開発事業に対する抗議運動の一環とし

て、芸術家や学生たちによる壁画運動が行われており、市民単位・地域単位ですでに壁画村形成に

つながる運動が活発化していたことは確かである。

それらの壁画活動の根底には、1980 年代に 386 世代の学生によって行われた壁画運動が影響して

いる。当時学生であった彼らは 2000 年代にかけて社会人となり、世の中を動かす立場となった。

都市へ働きに出てそのまま都市に残って働いている人もいれば、自分の地元に戻った人など様々だ

が、彼らは今も尚「変化」を夢見ている。その間急速な速さで産業化や経済開発、都市の再開発が

行われるなかで、地域文化が失われて活気がなくなり、沈滞し疎外されていくことに対して、常に

もどかしさややるせなさを感じている。386 世代のその様な思いは、民族・文化・芸術分野におけ

る連合会の結成や地域社会のための活動の原動力となり、「地元や地域のために何かできないか」

という葛藤のなかでのそのような活動が、芸術や文化を通した共同体の再生へとつながった(韓国

文化観光研究院関係者の話による)。

韓国での壁画は、このように政府によるパブリックデザインやパブリックアート事業によるもの

と、民間活動によるものの2つの流れによって展開を見せている。また、壁画村の造成要因は「国

家主導型」、「自治体主導型」、「民間団体主導型」、「住民主導型」の4つの類型に分類される

(조윤미 , 2011 , p10)。「国家主導型」の代表例としては「Art in City」、「マウル美術プロジェク

ト」などが挙げられる。「Art in City」は文化観光部とパブリックアート推進委員会によって施行

されたパブリックアート事業であり、31か所の疎外地域を対象として 2006 年から 2007 年までの2

年間、計 27 億ウォンの予算で進行された。この事業は「文化の分かち合い事業」、「快適で文化的

な環境で生活する権利」の実践、「住民参加に基づいたパブリックアート」の新たなモデルの創出

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などを目的とするものであった。この事業により7か所で壁画村が造成されたが、その大部分が疎

外地域の生活環境の改善のためのパブリックアートにとどまり、事後管理が行われず一時的なイベ

ントとしての事業として終結してしまった(조윤미 , 2011 , p10-11)。しかし、大々的かつ同時多

発的に行われたこの「Art in City」によって、他の自治体へ新たなパブリックアートの新たな形態

を発信するきっかけとなったことは確かであり、美術の社会的領域における可能性を拡張させよう

とした点で重要な事業であった(임혜인 , 2012 , p29)。 「Art in City」での問題点を補完した事業として、2009 年に「マウル美術プロジェクト」が始ま

った。これは文化体育観光部が主催し、マウル美術ブロジェクト推進委員会が主管する、「芸術ニ

ューディール政策」の一環として施行された事業である。芸術家の雇用創出目的で始まったという

点からも、「Art in City」とは方向性が大きく異なることがわかる。まさに 20 世紀前半にアメリ

カで行われた芸術ニューディール政策と類似した内容となっている。事業を始めた当初の目標は①

作家の雇用創出、②文化疎外地域の支援、③パブリックアートを通して地域を変化させること、④

地域に新たな就業および経済形態を生み出すことの4つであった。マウル美術プロジェクトでは必

ずしも壁画という手段にこだわらずに、その地域を美しく飾ることができるすべての手段を動員し

て、プロジェクトの公募を行った。しかし、当時はまだ世間にパブリックアートという概念が定着

しておらず、大部分の人たちは「パブリックアート=壁画」という認識であったため、壁画の創成

がプロジェクトの主要内容となってしまった(マウル美術プロジェクト事業関係者の話による)。事

業が開始された 2009 年から3年ほどの間に、壁画を手段とした多くのプロジェクトが進行され、

他の地域の自治体や地域団体もこれを真似し、あっという間に全国各地に壁画が描かれ、壁画村な

るものが出現した。壁画を始めとしたパブリックアートを手段とする地域再生事業の先駆けとし

て、この事業が韓国の「地域再生」や「まちづくり」に多くの影響を及ぼしたことは明らかだろ

う。今もこの事業は進化しつづけており、現在は「壁画」のつぎなる手段となる、より持続可能で

実用的なコンテンツの模索が行われている最中である。 「自治体主導型」では「ソウル都市ギャラリープロジェクト」がその代表的事例である。2007 年

にソウル特別市のデザイン総括本部が主催、パブリックアート推進委員会が主管として始まったこ

の事業は、都市自体が作品となり「創意都市」・「文化都市」になることを目指す、ソウル市の新た

な政策プログラムである。独自性のあるパブリックアートによってソウルらしい格好良さやストー

リーをつくり、市民の文化的享受と自負心・自尊心の形成を促し、市民だけでなくソウルを訪れた

人々にもソウルらしさを体験してもらうことが、このプログラムの主要目的であった。また、索漠

として画一的な都市環境をパブリックアートによって改善・補完し、「生産する都市」から「生活

する都市」へと転換させることも、この事業の重要な趣旨であった(조윤미 , 2011 , p16)。この

事業は壁画村というよりも、パブリックアート自体に重点をおいているという点で本研究での詳し

い現地調査は行っていないため、事業内容の詳細については省略することにする。

「民間団体主導型」の事例として「ソウル文化財団」や「公共美術プリズム」(以下プリズム)

などが挙げられる。これらの民間による壁画村を始めとしたパブリックアート事業は、国の運営に

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よる国家主導の事業に比べて予算は少ないものの、地域住民との距離の近さや、細部まで行き届い

た地域密着型の事業過程が評価されていると見られる。これらは、本研究での現地調査においてイ

ンタビューをした団体でもあり、実際にインタビューをするなかで、結果よりもその過程を重視

し、常に住民の声に耳を傾け、その生の声に最大限寄り添おうとする熱い姿勢を感じることができ

た。パブリックアート事業に携わるこのような民間企業は年々増加しているが、プリズムは 2003

年に創立されており、かなり早い段階からパブリックアートに注目をし、地域に目を向けていたこ

とがわかる。また、プリズムの「デザイン・文化・コミュニティー」の3つのキーワードからもわ

かるように、プリズムは芸術的側面のみだけではなく、地域共同体や地域文化に対してもはたらき

かけており、地域民が主体となって能動的にプロジェクトの中心となれるような環境づくりにも励

んでいる。現在ではパブリックアート業界では広く認知されている老舗の企業だが、創立当時は2

人というささやかなスタートであった。創立から 10 年以上経った今、「プリズム」は構成員も増

え、次の 10 年へ向けて様々な試行錯誤の努力を継続している。また、デザインのみならず設計や

建築など、専門分野がそれぞれ異なる構成員が集結しているため、多面的で実践性の高いアプロー

チを実現している(公共美術プリズム関係者の話による)。

「住民主導型」は、その地域に住む芸術家出身の住民によって壁画村が造成される場合をいう。

「芸術家参加型」、「住民参加型」などのより細部にわたる分類がなされることもある。「芸術家参

加型」の壁画村創成において重要なことは、芸術家が描きたいと思っている壁画と、住民が描いて

ほしい壁画とのギャップをどのように埋めていくかである。芸術家が自分の芸術表現のキャンパス

としてではなく、どれだけその地域の文化や風土について理解をし、地域に寄り添った作品を描く

ことができるかが左右する。また、「住民参加型」の壁画村創成は、壁画村の成功条件に欠かすこ

とのできない条件とされている。その地域のことについて一番に理解し熟知しているのは、行政で

も企業でもない、実際にその地に住んでいる住民だからである。外部から携わる企業や団体はあく

までも、主役ではなくサポートに過ぎない。最初の手助けやデザイン・運営などのヒントの提案は

したとしても、その後地域内での循環をつくっていくのは、他でもない住民たち自身なのである。

実際に、住民参加によってつくられた壁画村は成功することが多く、持続性も高いとされている。

このように、2006 年の「Art in City」プロジェクト以降、パブリックアートに対す視角および認

知の範囲が社会的に高まり拡大し、その後「マウル美術プロジェクト」に引き継がれながら、他の

自治体や団体・企業・地域住民などでも壁画で地域を美しく、元気にしようとする試みが連鎖し

た。全国的にその動きが広まった結果、現在では約 100 か所にも及ぶ壁画村が韓国各地に造成され

た。 1.7

壁画村の現況 現地調査で壁画関係者の方々の話を聞くまでは、壁画村は今もパブリックアートのコアな手段と

して韓国では今後も活発に創成されていくだろうという予想をしていた。しかし、実際にさまざま

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な機関の方の話を聞くと、所属を問わず全ての関係者が「もう壁画村の時代は終わった」と口を揃

えて発言した。この研究の意義を揺るがすような現実を目の当たりにし、当初は非常に困惑した。

しかし、よく考えてみればそれもそのはずだ。なぜならば、壁画村というものは郷土文化のように

長い時間をかけて伝承されてきたものではなく、以上で述べたような政治的・歴史的な様々な外的

要素から影響をうけながら形成されるようになった、パブリックアートの発展プロセスの中の一部

分に過ぎないからである。つまり、壁画村の創成はある種の「トレンド」であり、今はもうそのト

レンドは去ってしまったのだ。関係者の方々はその流れの最前線に立って、日々変わりつづける現

地の状況とそれを取り巻く環境の中で、よりよい地域づくりを模索している。

そもそもなぜ壁画村の創成がトレンドではなくなってしまったのか。そこに注目することが、今

後の韓国におけるパブリックアートの方向性や地域観光および地域再生のあり方における重要なヒ

ントが隠されている。壁画村を推進するどころか、批判的立場で壁画村を見つめる関係者も多い

が、その背景には芸術面・事業面における壁画村の様々な問題点がある。壁画村が盛んに創成され

始めてから約 10年の歳月が経った今、その副作用ともいえる多くの深刻な問題が浮き彫りになっ

てきている。そのような壁画村の現況と問題点についてより詳しく吟味するために、次の節では現

地調査を行った壁画村を中心に、具体的な壁画村の事例をいくつか挙げて説明することにする。

第 2 章 壁画村の事例および問題点 2.1

壁画村の事例①甘村文化村 釜山南西部の甘村洞に位置する甘村文化村は、2009 年の文化体育観光部が主催する「マウル美術

プロジェクト」によって形成された文化村である。国費の1億ウォンという予算によって芸術家と

村の住民によってさまざまな造形物が村のあちこちに造られ、色とりどりの芸術性あふれる壁画が

村を彩る。釜山のマチュピチュとして知られるこの場所は、多くの人が「壁画村」として認識して

いるが、正式には「文化村」という位置づけがされている。この文化村には 30 点を越える美術作

品が村の各所に設置されており、村全体が美術館のようにアートであふれている。壁画はそのアー

トの一部なのである。そのため、実際に足を運んでみても、目に留るのは壁画よりも造形物やギャ

ラリー、雑貨屋さんなどであった。さすが、年間 30 万人の訪問客を誇る観光地だけあって、当日

はあいにくの雨であったのにもかかわらず、国内外からの観光客で賑やかだった(장은진 , 2014 ,

p137)。なによりも印象的であったのは、文化村の案内センターの方や文化村でカフェや雑貨屋な

どの経営をしている人や、文化村の清掃をしている地域民の方など、観光客以外の人々の姿が多く

見えたことだ。これは、この甘村文化村の規模の大きさや、住民・地域民との連携と地域内での循

環が比較的うまく行われていること、そして、この場所が観光地として非常に成熟しているという

ことを証明しているように見えた。

当初予定していた住民の方へのインタビューは残念ながら行うことができなかった。これは他の

壁画村においても共通していることではあるが、一般的に居住地の壁や塀に壁画が描かれているに

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もかかわらず、なかなか住民に遭遇することがないのである。住民の生の声を聞くことができなか

ったのは非常に残念ではあったが、偶然出会った清掃スタッフの方と芸術家の方にお話を伺うこと

ができた。文化村のスタッフとして、長年ボランティアで清掃をされている年配の女性は、この村

が文化村として生まれ変わったことで、それまででは考えられなかったほどの数の人がここを訪れ

るようになったことや、海外からの観光客の多さに驚きを感じていることなどを語ってくださっ

た。また、版画家・イラストレーターとして活動されている芸術家のウィ・ギルホ氏は、この文化

村で創作活動をしており、彼が描いた絵やはがきが飾られているギャラリーは、文化村のなかでも

人気スポットで知られている。彼は、「この文化村は当初再生ではなく開発を望んでいたが、開発

側と住民側の間で費用面での問題が発生したため、再生事業への選択を余儀なくされた。」と語

り、一見計画的に形成されたように見えるこの文化村の背景にある当時の複雑な状況を教えてくれ

た。彼のように文化村で創作活動を行う芸術家は他にもおり、中には文化村へ移住した芸術家もい

る。 壁画村の事例②梨花壁画村 ソウルの鍾路区の梨花洞に位置する梨花壁画村は、「Art in City」の一環として造形された壁画

村であり、メディアを通して有名になったことから、ソウルの観光地としても広く知られている。

近くには繁華街もあり、交通の便も良く、夜景が美しいことで有名なナクサン公園へ向かう道とも

連絡していることから、多くの若者やカップル、海外からの観光客に親しまれている壁画村であ

る。現地調査で訪問した際も、楽しそうに写真を撮り合う日本人や中国人などの姿が目立った。 この集落が形成されたのは、主に日本による植民地支配の時代である。軽工業が盛んに行われた

1970 年〜1980 年代、この地域は 2000 余りの小規模の縫製工場が密集していた。しかし、軽工業か

ら重工業へと国家の基盤産業が転換したことで、この地域は衰退し、かつての活気は失われてしま

った(정하나 , 2014, p54)。このように疎外地域となってしまった梨花洞は、2006 年の「Art in City」において国からの選定を受け、「ナクサンプロジェクト」という名のもと、パブリックアー

ト事業が推進され、壁画村として生まれ変わった。住民参加が導入されたプロジェクトではあった

ものの、報告書によると約 70%の住民は参加しておらず、また、2009 年の事業終了以後に十分な

事後管理が行われていない状況が続いた(정하나 , 2014, p56)。

テレビドラマやバラエティ番組に登場したことによって、突如観光地としての道を歩むことにな

ったこの村は、壁画の創成から 10年が経った今、存続の危機に直面している。2016 年 4 月、この

壁画村でも人気のスポットであった、階段に描かれた花の壁画と金魚の壁画が、一部の住民によっ

て塗りつぶされるという壁画毀損事件が起きた。塗りつぶした住民を他の住民と作家が起訴し、多

くのメディアもこれを報道したことにより、壁画村が抱える問題が社会に表出することとなった。

壁画村が有名になり、観光客が増加する一方で、観光客の騒音やゴミ問題などは住民の不満を募ら

せた。今回の事件を起こした住民も、騒音が壁画を消した理由としている。このような悲しい事件

が起きた梨花壁画村を訪れるに際して、住民のほとんどがこのような騒音や観光客の増加によっ

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て、壁画に対する否定的な考えを持っているのではないかという予想をしていた。だが、実際に壁

画村で小さなスーパーを営むおばあさんにインタビューをすると、そのような観光客の増加に反対

している住民は少数派であることがわかった。また、彼女は一部の住民によって村を代表する壁画

が消されたことに対する憤りの念を吐露し、壁画の復元を切に希望していると明かしてくれた。 このように、同じ村の住民であっても、壁画村であり続けることに反対する人と歓迎する人で二

分化されていることがわかる。そして、反対する人々のほとんどは、観光地化による利益が還元さ

れずに、観光客の増加による生活の不便さだけを被った人々だ。一方、壁画村であり続けることに

賛成・歓迎する人々の大半は、村で飲食店や物販をする経営者や、なんらかの形で観光地化の恩恵

を受けている人々だ。壁画村が存続していくためには、ただ単に観光地化を進めるだけでなく、観

光地となることで生まれる利益が、村全体にまんべんなく循環するような構造を構築していくこと

が非常に重要なのである。 壁画村の事例③ヘングンドン(行宮洞)壁画村 京畿道のスウォン市のヘングンドン(行宮洞)にあるヘングンドン壁画村は、行政や自治体などの

外部主導ではなく、住民主導で創成された壁画村である。スウォン市には朝鮮時代の大規模な城郭

があり、1997 年にユネスコ世界文化遺産に登載されたのを機に、多くの観光客が足を運ぶようにな

った。城郭の復元や新都市開発が進む一方で、ヘングンドンは建物の大規模な撤去や人口流出など

にともない衰退していった。そのような状況下で、ヘングンドンを歴史・文化・芸術が共存する集

落にしようと、住民と地域に寄り添う芸術家によってはじまったのが、2010 年の「お隣さんと共感

する芸術プロジェクト —— ヘングンドンのひとびと」である。住民が主体となって地域再生が行わ

れていることや、国内外からの芸術家たちによる継続的な創作活動によって、そのプロセスや芸術

性の高さにおいて高い評価を得ている。

また、村のなかには芸術家たちの作品を展示するスペースや、カフェ、アートショップ、アーカ

イブの展示スペースなどが充実しており、訪問客がまた来たいと思えるような工夫がされていた。

決して規模が大きいわけではないが、壁画ひとつひとつに意味が込められており、様々な人の想い

が詰まったアート作品がちりばめられているヘングンドン壁画村は、持続可能な壁画村の先駆けで

あるといっても過言ではないだろう。

2.2

壁画村の現況および問題点 壁画村が盛んに形成された 2000 年代後半から約 10 年が経過しようとする今、地域再生やパブリ

ックアート事業の手段としての壁画村形成は過渡期を迎え、批判的意見も高まりつつある。一世を

風靡した壁画村ブームであったが、壁画村形成の問題が浮き彫りとなるなかで、今では壁画村形成

への消極的姿勢がとられている。それまでの事前研究の段階で把握していた壁画村形成における問

題点は、観光客の増加による騒音・ゴミの不法廃棄・落書き、類似性の高い壁画が多く製作されて

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いること、地域と関係性のない壁画が描かれている点、壁画村の持続可能性などであった。現地調

査でのインタビューで現場の生の声に耳を傾けることで、それらの問題点の本質的部分や、韓国の

壁画村が今どのような局面に立たされているのかなどが明確に見えてきた。

まず、壁画村における問題点について考察するためには、「壁画」そのものが持つ問題点、「パブ

リックアート事業」における問題点、壁画村が「観光地化」されることによる問題点など、問題の

本質的要因をそれぞれ分類し、区別して吟味する必要がある。壁画自体が抱える課題として、ペイ

ント塗装の強度・持続性の欠如が挙げられる。ペイント塗装の寿命は3〜4年とされており、各地

の壁画村では破損した壁画の補修が課題となっている。また、壁画を描くためには、土台となる壁

の状態を整備するところから始めなければならない。そして、一度描いた壁画は塗り替える以外に

カスタマイズの方法がない。また、各地で類似した壁画が製作されていることや、低クオリティな

壁画が多く見受けられる点についても、壁画の特性である「手軽さ」が要因の一つとして考えられ

るだろう。

事業の進行段階における問題については、壁画の保護・保存・補修などの事後管理が十分に行わ

れていないことや、地域やプロジェクトによって投資額に大きな違いがあることなどが挙げられる

が、壁画村の形成が住民の自発的な意志によって始まったのか、あるいは、住民の意志や必要とは

関係なく、外的要因によって始まったのかによって、その後の状況も二極化することがわかった。

前者の場合は、住民が中心となって進行するため、壁画村として発展して行く過程でどのような弊

害が起き得るのかまで、きちんと把握した上で事業に望むため、トラブルや衝突も少ない。しか

し、後者の場合は外部からやってきた者が主導となって進行するため、観光地化されることで生じ

る否定的部分についての説明が十分に行われない状態で事業が開始される場合が多い。トラブルが

生じるのは大部分が後者の場合である(韓国文化観光研究院関係者の話による)。

また、芸術家と住民との文化的水準のギャップも、事業の企画段階で衝突を引き起こす大きな要

因となる。疎外地域の住民のなかには一度も美術館へ行ったことがない人もおり、そのような文化

享受の機会が少なかった人々は、花や人物などの具象的な絵を選好するのに対し、芸術家たちはよ

り斬新で洗練された抽象的美術を選好する傾向がある。また、これまで壁画製作を主に担ってきた

視覚芸術家は、自分の芸術を貫こうとする古典的な考えに固執して、主催者側との衝突を引き起こ

す場合が少なくない。壁画村の創成が事業的性格を強めるなかで、住民や公務員たちはその流れに

順応する一方、芸術家たちはその時代の変化に適応できず、パブリックアート事業から疎外されて

いる状況だ(ソウル文化財団関係者の話による)。壁画製作の中心がこれまでは創作者である「芸術

家」であったのに対し、現在では事業者であり住民の意志を汲み取ることができる「デザイナー」

や「事業家」へと変換している。 壁画村の観光地化が要因となって発生する問題としては、事前に把握していた騒音やゴミの不法

廃棄や落書きに加え、いくつかの重要な課題があることが現地調査によって判明した。同じ住民で

あっても、観光業を営む住民と、観光業に無関係でそれまでと変わりない生活を送る住民とに二分

化される。それにより、観光地化による利益は住民らに均等に分配されることが困難となり、結果

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的に観光業と無関係で観光地化による経済的な恩恵を受けない住民たちは、騒音や落書きなどのマ

イナスな被害のみを被ることになるのだ。このように、商業行為を行う特定の人だけが利益を受け

たり、観光地化によって「居住地」が「産業地」化することで、元々その地に住んでいた住民が出

て行くケースもある。 また、観光地化によって収容可能な水準を遥かに上回る多くの観光客が一挙に押し掛けることに

よって、住民らはその急速な変化に適応することができない。国内外から訪れる訪問客は、壁画村

を生活空間やパブリックアートとしてではなく、非日常的な空間として訪れるため、興味本意で身

勝手にドアを開けて侵入したり、落書きをしたり、屋根によじ上ったり、夜中に大声で叫んだりな

どの自己中心的な迷惑行為をする。住民の生活を尊重し配慮しようとしない、そのような非道徳的

な行動は村の住民らに不快感と部外者に対する拒絶心を引き起こす原因となる。 そして、このような観光地化による問題をより深刻化・加速化させているのが「SNS」である。

現在では壁画村だけにとどまらず、全ての場所の消費において SNS が非常に重要な役割を担って

いる。特に壁画のような視角的コンテンツは容易に SNS に投稿することができるため、人々の関

心を集める触発剤としての効果が大きいのだ。それまではテレビや雑誌などのメディアが中心とな

っていたため、ある程度のコントロールが可能であったが、インターネットの普及にともなう

SNS での急速な情報の拡散により、人々の動きや流れを把握・制御することが非常に困難になっ

ているのが現状である(韓国文化観光研究院関係者の話による)。 現地調査での壁画村訪問や関係者への聞き取りにより、目に見える表面的な問題だけでなく、そ

の深層部分にある様々な問題にまで目を向けることができた。これらの問題を踏まえて、次の節で

はそれらの問題に対する改善策と壁画村の持続可能性について考察する。

第 3 章 改善策および持続可能性について 3.1

問題に対する改善策および取り組み 壁画村に関する様々な課題があることは以上で述べた通りである。しかし、今回の現地調査でわ

かったことは問題や課題だけではない。それらを改善するためのあらゆる対策がとられているとい

うことだ。まず、壁画そのもの強度の問題については、壁に直接ペイント塗装をするという従来の

やり方を見直し、取り外し可能であり設置・管理もしやすい「タイル」を代用したり、他のオブジ

ェを付着させたりなど、新たな取り組みが行われている。事後管理についても、パブリックアート

として登録をすれば国の予算で管理できるようなシステムも導入されている。 パブリックアート事業の進行段階での取り組みとしては、壁画の「日没制」がある。これは住民

によって壁画が毀損されるなどのトラブルを防ぐために、壁画に寿命を定め、一定期間が過ぎれば

その作品を撤去することができるという制度である。仮に5年という期間を定めた場合、5年間は

必ず展示しておく必要があり、毀損や撤去などは禁じられるが、それ以降の保存の可否は状況によ

って決定することができるという具合である。住民、行政、自治体、芸術家らそれぞれの合意のも

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と、期間を延長するのか、または取り壊すのかを決定するため、作品を巡るトラブルを防ぎ、事業

を円滑に進行することができるのだ(マウル美術プロジェクト関係者の話による)。

また、観光地化における住民の二極化を防ぐためには、地域内で利益をまんべんなく循環させる

ことが必要であり、先駆的な取り組みとして、組合による地域の特産物販売や、シャトルバスの運

営などが挙げられる。企画段階から住民が参加し、地域全体で利益が循環する構造を構築すること

が大事なのである。訪問客のマナーにおいても、国内だけでなく海外からの観光客への注意喚起を

促すために、韓国語や英語だけでなく、日本語や中国語などの言語で描かれた注意書きや標識が必

要だろう。

3.2

壁画村の持続可能性について 現在、観光分野だけでなく開発や発展など様々な領域において重用視されているのが、「持続可

能性」である。本研究の現地調査における最大の収穫と言っても過言ではないほど、現地での生の

声を聞くことで、訪問以前では考えもつかなかった新たな気づきと発見があった。まず、「壁画村

の持続可能性」と一言で言っても様々な要素があり、大きく分けて「環境的持続可能性」、「経済的

持続可能性」、「社会・文化的持続可能性」の3つに分類することができる。環境面においては、時

間が経過してもアート作品が当初の品質を維持することができるかという部分によって判断し、経

済面では、地域の経済的水準を指標にして判断することができる。社会・文化的面では、その地域

の性質や文化、地域住民の暮らしが持続されるのかという点において判断することができるだろう

(韓国文化観光研究院関係者の話による)。 「壁画」そのものの持続可能性について、事前調査の段階では、一つのアート作品が破損される

ことなく永久的に保存されることが、持続可能な壁画としてあるべき姿だと考えていた。しかし、

現地での聞き取り調査をするなかで、必ずしもそうではないということに気づかされた。もちろ

ん、その地域を象徴する作品や、事業におけるその地域のテーマやスタンスは継続される必要があ

るが、時間の経過や変化に合わせて作品も変化していくことが、むしろ持続可能性の向上につなが

るのだ。特定の作家による特定の作品が永続的に展示されていなければならない理由はない。創作

活動が継続して行われ、変化と進化を繰り返しながら、美術や文化が共存する空間を維持していく

ことが、持続可能な壁画村への第一歩なのかもしれない。 実際に現地調査で訪れた「ヘングンドン壁画村」では、訪問時にまさに壁画が取り壊されている

最中であった。一部の住民の勝手な判断によって壁画が破壊される最中、困惑しながらも割れた壁

画の破片を広い集める一人の女性がいた。彼女はこの壁画村を造った芸術家のイ・ユンスクさんだ

った。彼女もまた、壁画村の持続可能性について「このように壁画が破壊されてしまうことは残念

なことではあるが、残すべき物は残し、消えていくものは消えていく。そしてまた新たに描かれ、

古いものと新しいものが共存し、常に壁画の創成が繰り返されて行くことが、真の持続可能性なの

ではないか。」と語った。そして、消えていったものや破壊されたものも全て、「なぜ消えたのか、

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なぜ破壊されたのか」をきちんと記録し、残していくこともまた重要なプロセスなのである。この

ように、現地調査によって壁画村が真の意味で持続しつづけるためには、不変であることよりもむ

しろ変化し続けていくことが一つの鍵となることがわかった。「消されたから」「壊されたから」と

いって完全に価値が失われるわけではない。その空間に新たな形でアートが受け継がれ、地域民と

のコミュニケーションを十分にとることで、次のステージへと歴史が刻まれていくのである。

第 4 章 壁画村から見る地域文化と地域観光 壁画村の創成が、近代化・産業化の急速な発展の過程で取り残されてきた「地域の文化」や「暮

らしの価値」を再確認させてくれる大きな契機となったのは確かである。壁画は、「失われてきた

もの」や「記憶し、記録しなければならない文化や人々の思い」を鮮明に映し出す重要な美術形態

なのである。壁画村として生まれ変わることで自らの地域文化を再認識し、外部からの訪問者もま

た、各地域の特色や文化を知ることができる。生活の場を「観光地化」することや、アートを地域

再生や観光地化の「道具」として利用することへの問題など、議論されるべき課題は多く残る。し

かし、地域文化や地域の暮らしに目を向け、変動する時代のなかで、その空間に何かを残そうとす

る懸命な姿勢は評価されるに値する。文化や歴史が常に変容していくように、壁画もまた塗り替え

られ、時代の雨風に打たれながら変化し続けるのである。 また、地域文化および地域観光を別の側面から見ることもできる。それまで見向きもされなかっ

た地域に壁画が描かれることによって、「壁画」によってその地域に価値が見いだされると思われ

る傾向があるが、実はそうではない。何も描かずともその地域ごとにはありのままの魅力があるに

もかかわらず、地域住民および外部の人々はその魅力に気づかないのだ。そのような地域が「壁画

村」として装飾されることで人々の関心が集まり、観光地として注目され、その地域に価値が見い

だされるようになるのだ。実際に訪問客が多い人気の壁画村は、繁華街や有名な観光地が近くに位

置している、あるいは景色が美しく自然に囲まれているなど、すでに観光資源が豊富で立地条件に

恵まれているケースがほとんどである(ソウルデザイン財団関係者の話による)。 このように、その地域を魅力的に見せるために新たに装飾するのではなく、潜在的な地域の魅力

をいかに見い出し、資源として活用し発信するのかが地域観光において重要であることがわかる。

そのためには、その地域のことを最も熟知している「地域住民」の主観的視点と、地域住民が気づ

かないその地域の魅力を見いだし、事業のプロセスや魅力発信の支援・バックアップをする行政や

自治体、民間団体など「第三者」の客観的視点の両方が必要であると考える。地域再生や観光地化

の過程で起きる様々な葛藤や衝突は、疎外地域が文化地域・観光地として生まれ変わり、発展して

いくためには避けては通れない道だ。韓国の壁画村は今、ワンステップ先のより成熟した文化地

域・観光地へと成長する過程での過渡期を迎えている。そのような状況を切り抜けるための「答

え」はどこにも存在しないが、唯一あるとすれば、それは「住民との密な対話」である。きめ細や

かなコミュニケーションの積み重ねおよび、少しずつであっても住民が主役となって地域を活性化

させることが一番の近道なのである。

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韓国社会はあらゆる側面における急速な発展と変化を経験し、その間限られた時間の中で成果を

あげることが求められてきた。これはパブリックアートにおいても同様であり、今まではアート作

品の製作や設置などのハードウェアの部分に焦点が当てられてきたが、現在は壁画などの装飾を超

えた「コミュニティーデザイン」や「イベントプログラム」などのソフトウェアの部分が重要視さ

れるようになり、「芸術家中心」から「住民中心」へ、「製作中心」から「管理中心」へと変化して

いる。最近では「壁画」に代わる新たな形態として「パフォーマンス」や「コミュニティプログラ

ム」、「空き家プロジェクト」など様々な分野での試みがなされている(韓国文化観光研究院関係者

の話による)。壁画自体の機能にも変化があり、以前は「美化的手段」であったのに対し、現在は

「CPTED(防犯環境設計)」のような要素とも融合を見せながら、社会問題の具体的解決への手段と

しても期待されている。 このように、「壁画」を含む韓国のパブリックアートは単に装飾し美化する役割を超越し、その

空間の性質を変容させ、新たな意味を付与するものへと変化している。それにともないパブリック

アートの領域もまた拡大しており、その目的もまた具体化・多様化しているのが現状である。急速

な発展を経験した韓国のパブリックアートは、現在より緩やかで長期的な成長を目指し、必要に応

じて縮小させていく「ダウンサイジング」へと次なる一歩を踏み出している。

結論

研究の要約 韓国の壁画村の創成が政策事業として展開され一般化されたのは 21世紀になってからである

が、その起源を遡ると、20 世紀前半の独立後のメキシコやアメリカでの壁画運動や文化政策などの

当時の国外情勢に大きな影響を受けていたことがわかった。また、パブリックアートの拡散ととも

に、韓国国内でも学生運動や社会運動の一環としての壁画運動を含む芸術活動がすでにおこなわれ

ていたことも明らかになった。そのような国内外でのパブリックアートの高揚や壁画運動に加え、

20 世紀後半になると、それまでの産業化で疎外されてきた地域文化に目が向けられるようになり、

加えて国際大会の開催も重なったことから、「韓国らしさ」や「美的景観」などが重要視されるよ

うになった。2000 年代に「Art in City」に代表されるようなパブリックアート事業が政策の一環

として推進され、壁画村創成の本格化が始まった。それに倣って他の自治体や民間団体なども地域

再生の手段として壁画製作をした結果、全国各地に「壁画村」が見られるようになった。 壁画村の創成は地域文化を再認識させ、地域再生や地域観光の新たな可能性として、地域集落に

新たな気づきと再生の機会を与え、生活環境の改善や文化享受の機会を増やすなどの一定の成果が

あったのは明らかだ。しかし、近年壁画村における様々な問題が深刻化しており、韓国の壁画村は

過渡期を迎えている。同時にそれに対処する取り組みが行われていることも確かであり、真の持続

可能な地域形成に向かって試行錯誤がされている過程である。また、近年では「壁画」という手法

から「コミュニティーデザイン」や「コミュニティプログラム」などの、ソフト面でのパブリック

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アート活動が盛んになっており、その中心も芸術家から住民へと変化している。地域住民が主体と

なって、行政や自治体などの第三者間での密なコミュニケーションを継続させることが、より成熟

した地域コミュニティの形成において必要不可欠なのである。

研究の問題点および限界 「壁画村」という研究対象は、「学生運動・社会運動」、「パブリックアート」、「都市再生・地域

再生」、「観光地化」など非常に広範囲に及ぶため、より様々な角度から壁画村を見る必要がある。

本研究では具体的にどのような視点で壁画村を調査するのかについて決めていなかったため、研究

の方向性や歴史分析に膨大な時間を要し、研究の趣旨が不透明になってしまった。また、壁画村創

成の歴史面の比重が大きくなり、報告書全体のバランスが偏っている点や、現地調査において地域

住民への聞き取り調査が十分に行うことができなかった点なども反省点として挙げられる。現地調

査では天候不良や予期せぬアクシデントなどにより、訪問を予定していた「トンピラン壁画村」や

「ソンミサン村」へ訪問できなかったが、これは今後の課題としておきたい。 「壁画村」と一言で言っても、以上で述べたように広範囲におよび、行政によって造られたの

か、もしくは住民が主導となって形成されたのか、などによって発生する問題や課題は異なる。各

地に存在する壁画村を全て調査し、体系化・一般化し、より信憑性のある研究にしていくために

は、更に専門的な知識を修得しなければならない。どのような軸で壁画村を見るのかをより明確化

させ、先行研究についても十分な調査をする必要があると考える。 以上のような問題点・反省点はあるが、日本ではまだ注目されていない「韓国の壁画村」を、現

地調査を基に文書として記録することができたのは、有意義なことであると考える。外国人という

外部者であるからこそ気づくことができる面や、海外からの新たな視点から「壁画村」を見つめる

ことも、国外からの多くの訪問客が訪れる壁画村の研究にとって必要である。また、日本でも「地

域観光」や「まちづくり」が重要度を増す中、海外の観光事業や「まちづくり」に目を向けること

が、新たな視点とヒントを得るための手がかりとなることは間違いない。 大きな転換期を迎えている壁画村がこれからどのように変化していくのか、そして韓国のパブリ

ックアート活動の発展を海外からの視点で凝視し、調査を続けていきたい。最終的には、日本の

「まちづくり」や海外の地域再生事業などとも比較をしながら、より具体的で信憑性の高い研究を

目指したい。

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参考文献表 1.単行本

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Lim Hye-in , 「文化疎外階層のためのパブリックアートに対する価値の研究 —— マウル美術プロジェクトを中心に」, 韓国教員大学校大学院修士学位論文 ,

2012 , pp . 10.)

임혜인 , “문화 소외 계층을 위한 공공미술에 대한 가치연구 —— 마을미술프로젝트를

중심으로” , 「한국교원대학교 대학원 석사학위논문」, 2012 , pp . 16-31. ( =

Lim Hye-in , 「文化疎外階層のためのパブリックアートに対する価値の研究 —— マウル美術プロジェクトを中心に」, 韓国教員大学校大学院修士学位論文 , 2012 , pp . 16-31.)

양성모 , “공공미술에 있어 현대벽화의 기능과 발전 방안에 관한 연구” ,「강원대학교

대학원 석사학위논문」, 2006 , pp . 18-19 . ( = Yang Seong-mo , 「パブリッ

クアートにおける現代壁画の機能と発展策に関する研究」 , 江原大学校大学院修士

学位論文 , 2006 , pp . 18-19.)

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이유림 , “공공미술 프로젝트를 활용한 지역문화 활성화 방안 연구 —— 벽화마을을

중심으로” ,「한신대학교 대학원 석사학위논문」, 2015 , pp . 20. ( = Lee Yu-rim , 「パブリックアートプロジェクトを活用した地域文化活性化策に関する研究 —— 壁画村を中心に」 , 韓神大学校大学院修士学位論文 , 2015 , pp . 20.)

조윤미 , "국내 벽화마을만들기의 성공요건 분석", 「경원대학교 대학원 석사학위논문」,

2011, pp. 10-11. ( = Cho Yun-mi , 「国内における壁画村づくりの成功要件の

分析」 , 暻園大学校大学院修士学位論文 , 2011 , pp . 10-11.)

조윤미 , "국내 벽화마을만들기의 성공요건 분석", 「경원대학교 대학원 석사학위논문」,

2011, pp. 16. ( = Cho Yun-mi , 「国内における壁画村づくりの成功要件の分

析」 , 暻園大学校大学院修士学位論文 , 2011 , pp . 16.)

정하나 , “벽화마을 사업이 거주민의 지역 생활만족도에 미치는 영향에 관한 연구 ——

종로구 이화동 벽화마을을 중심으로” ,「서울시립대학교 대학원

석사학위논문」, 2014 , pp . 54-56. ( = Jeong Ha-na , 「壁画村事業が居住民

の地域生活満足度に及ぼす影響に関する研究 —— 鍾路区梨花洞壁画村を中心

に」 , ソウル市立大学校大学院修士学位論文 , 2014 , pp . 54-56.)

(補足)

本報告書は韓国における現地調査で得られたインタビュー結果を数多く使用しており、聞き取り調

査の記録は以下の通りである。調査に快く協力してくださったすべての方々に深く感謝申し上げた

い。

【聞き取り調査の記録】

・甘村文化村の案内センター職員への聞き取り(実施日 : 2016年9月2日、於 : 釜山広域市)

・甘村文化村のボランティア清掃員への聞き取り(実施日 : 2016年9月2日、於 : 釜山広域市)

・甘村文化村で芸術活動をするウィ・ギルホ氏への聞き取り(実施日 : 2016年9月2日、於 : 釜

山広域市)

・甘村文化村でウィ・ギルホ氏のギャラリーを運営するアートマネージャーへの聞き取り(実施

日 : 2016年9月2日、於 : 釜山広域市)

・ソウルデザイン財団関係者への聞き取り(実施日 : 2016年9月5日、於 : ソウル特別市)

・韓国文化観光研究院関係者への聞き取り(実施日 : 2016年9月5日、於 : ソウル特別市)

・韓国の壁画村を専門に研究する博士課程の女性への聞き取り(実施日 : 2016年9月5日、於 :

ソウル特別市)

・韓国文化観光研究院関係者への聞き取り(実施日 : 2016年9月6日、於 : ソウル特別市)

・ソウル文化財団関係者への聞き取り(実施日 : 2016年9月6日、於 : ソウル特別市)

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・ボランティアで韓国の宮廷ガイドをする女性への聞き取り(実施日 : 2016年9月6日、於 : ソ

ウル特別市)

・マウル美術プロジェクト関係者への聞き取り(実施日 : 2016年9月7日、於 : ソウル特別市)

・梨花壁画村に住むスーパーの経営者への聞き取り(実施日 : 2016 年 9 月 7 日、於 : ソウル特

別市)

・ヘングンドン(行宮洞)壁画村を造った芸術家のイ・ユンスク氏への聞き取り(実施日 : 2016 年

9 月 8 日、於 : スウォン市)

・公共美術プリズム関係者への聞き取り(実施日 : 2016 年 9月 9 日、於 : ソウル特別市)