生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功 績 ·...

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生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功 誌名 誌名 農業および園芸 = Agriculture and horticulture ISSN ISSN 03695247 巻/号 巻/号 8812 掲載ページ 掲載ページ p. 1177-1193 発行年月 発行年月 2013年12月 農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター Tsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research Council Secretariat

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生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功績

誌名誌名 農業および園芸 = Agriculture and horticulture

ISSNISSN 03695247

巻/号巻/号 8812

掲載ページ掲載ページ p. 1177-1193

発行年月発行年月 2013年12月

農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センターTsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research CouncilSecretariat

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生活改良普及員の昭和 20-----30年代の栄養指導の意義と功績

荻原由紀*

(キーワード):生活改良普及員,日本型食生活,

玄米食運動,パン消費,生活改善

事業

1.はじめに

著者は普及指導員向け研修施設(農林水産省生活

技術研修館,現農林水産省農林水産研修所つくば

館)で普及指導員向けの研修を企画・運営する業務

を担当していた.その間,生活改良普及員(現在で

は農業改良普及員と一本化して普及指導員と呼ば

れる.)による昭和 20~30 年代の栄養指導が,後に

むしろ農民の健康状態をマイナス方向に転じさせ

たとする説を,受講者や外部訪問者からたびたび耳

にした.それらの多くは歴史的事実に反したり,科

学的根拠の乏しい言説であった.

一方,近年は国の補助政策により農産物直売所が

各地に開設され,普及指導員や農家自身が農産物の

販売促進業務を行う機会が増えた.また食育政策の

推進により,学校や自治体等の公的機闘が食の情報

を扱う機会も増えている.これらの取り組みは国民

の健康増進や国産農産物の消費拡大に貢献してい

るが,インターネットなどで流布している科学的根

拠の希薄な俗説の丸写しだったり,明らかに歴史的

事実に反しているものも見受けられる.中には,先

述の生活改良普及員批判と酷似した言説が取り上

げられることもある.

このような現象は,長期的には国産農産物の信頼

性を損なう危険をはらんでいると考えられる.そこ

で,本稿では文献や統計データに基づく検証によっ

てこれらの言説の誤解を指摘するとともに,その成

立した歴史的背景を明らかにして,農林省の事業と

して行われた生活改善事業およびこの事業に人生

を捧げた生活改良普及員への言われない偏見を払

拭したい.またそれは,よりよい今後の農産物 PR

や国産農産物消費拡大活動に役立つと考えている.

なお,本稿は業務担当を通じての個人的な見解を示

市農林水産省生産局穀物課(元 農林水産省農林水産研修所)(Yuki

Ogiw町 a)

したものである.

2 流布している生活改良普及員批判の言説と

用語の整理

著者が見聞した生活改良普及員批判の言説を整

理,要約すると,概ね次のような要素で構成されて

いた.

(1) 日米の政府も勧める「日本型食生活」は,

第二次世界大戦前(もしくは昭和 30年代ま

で.以下特記無い場合,年号は昭和で記す)

の食事(これらの説では伝統食,伝統的和

食などと呼んで、いる.)のことであり,具体

的には大量の米飯と味噌汁と漬け物を食べ

る粗食,あるいはこれに少量の野菜・魚の

おかずを加えた一汁二菜などである,との

説.

(2)生活習慣病の増加や食料自給率低下の原因

は,パンが国民に浸透したからである,と

の説.自給率低下については「パン食が米

飯食に取って変わったためJ,生活習慣病増

加については「パンを主食とするとおかず

に肉類や油脂を食べるため.Jと説明される.

(3)パンが浸透したのは, 日本を小麦市場とし

たい米国の民間団体「オレゴン小麦栽培者

連盟Jの思惑に便乗した日本政府が,栄養

学者の協力の下,学校給食や「キッチンカ一

事業J(後述)等の栄養指導を通じて「米食

低脳説(米飯は頭脳を悪くするとの説)Jを

広め,頭脳のために米を止めて代わりにパ

ンを食べよと指導したためである,との説.

(4)結果として, ["生活習慣病の増加や自給率低

下を招いたのは生活改良普及員と栄養士・

保健婦である」というのが批判の典型的パ

ターンである.

これらの言説は書籍 9.23.67).口承・インターネッ

ト等で全体または部分的に紹介されて流布し,高校

教科書副読本 20)や大手の教育指南書に掲載され教

0369-5247/13/¥500/1論文/JCOPY

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育界にも浸透した.また流布の過程で,オレゴン小

麦栽培者連盟のみならず連合軍最高司令部 (GHQ)

の関与も示唆するなど細部が変化している.

これら(1)~ (3)の言説は「小麦戦略説j の通

称で流布しているが,学術的に使われている高嶋が

54年に提唱した本来の小麦戦略説 70) とは似て非な

るものである.高嶋の唱えた小麦戦略説は次の特徴

を持つ.

(1) と (2)について:伝統的食事や粗食が身体

に良いとの発想は全く含まれない.肉類や

油脂が身体に悪いとの発想も含まれない.

(2) について:自給率低下の主因は,パンのみ

ならず麺など、多種多様な小麦製品・小麦料

理を米国の民間団体が宣伝したためである

とする.

(3)米国の民間団体の資金提供があったのは事

実だが,米食低脳説への関与をキッチン

カ一事業の責任者が否定していることを紹

介した.また, GHQの関与は示さなかった

そこで本稿では,高嶋が提唱した本来の小麦戦略

説と区別する目的で,いわゆる「小麦戦略説Jとし

て近年流行している俗説を「パン食危険説Jと呼ぶ.

fパン食危険説」は,パンなどの平凡な食事が危険

で和食こそが病気を防ぐのだと主張している点で,

フードファデ、イズムの一種である.フードファデイ

ズムとは,消費者の食と健康への関心に便乗し,特

定の食材の機能性や危険性を過大評価するもので

ある. 1"これを飲食すれば万病に権らない」などと

うたったり,日常的な食品や食事法こそが危険であ

ると思い込ませて不安を煽動するものが多い 69)

なお誤解無きために記すが,エピデンスに基づき

食品の機能性を語ること自体は,フードファデイズ

ムではない.例えば「ミカンの s-クリプトキサン

チンは骨粗懸症の予防に役立つ」というような機能

性の言説は,エピデンスがあるのでフードファデイ

ズムではない.しかし「ミカンさえ食べれば骨粗繋

症を防げる」という言説はフードファデイズムであ

る.

なお,ここで用語の統ーのため記す.

【洋食/和食/日本食]

洋食とは明治以降,海外の文化を参考に日本国内

で発明された日本独自の料理のことで, 1"フランス

料理」や「イタリア料理j とは異なり,本来は広義

の和食に包括される概念である.従って和食とは,

すき焼きやカステラ,肉じゃが,カレー,スパゲティ

ナポリタン等も含む幅広い概念であり,当然ながら

肉類も含まれる.

しかし,今日の食育の現場では,和食を「米飯+

味噌汁+少量の伝統的食材,特に魚・野菜類主体の

おかず.J,洋食を「非伝統的食材中心の食事.特に

肉,牛乳,パンやスパゲッティやハンバーガ一等の

欧米由来のカタカナ食品J,日本食を「肉じゃが・

すき焼き・お好み焼き・ラーメン・カレー等の明治

以降に誕生した庶民的料理と和食を合わせた概念」

と解釈するのが一般化しているため,本稿でも現場

の多くの関係者の理解のために,食育の現場と同じ

用法で「和食/洋食/日本食j の語句を用いる.

【栄養}

栄養学上,栄養とは「生体が物質を体外からとり

入れて利用し,成長,発育して生命を維持し,健全

な生活活動を営むことJ,栄養素とは「体内にも食

べ物にも存在するものJ13) と定義されている.つま

り「栄養」は物質(モノ)でなく現象(コト)なの

で,栄養のある食べ方とは労働強度,年齢性別,健

康状態等に基づき異なる食べ方である.

[米食低脳説(論)1 当時の文献によると,米食をすべて否定するもの

ではなく白米過食の危険性を指摘した説である.い

わば白米低脳説とでも言うべき中身であり,パン食

の勧めで、はなかった.従って,これからの文章では,

パンを勧める言説とは区別して論ずる.

[キッチンカー事業]

昭和 31~35 年 (36 年の説もある)に厚生省(当

時.以下省庁名や職名,事業名称は当時の物を使用)

管轄下の栄養士・保健婦と,農林省管轄下の生活改

良普及員が,米国オレゴン州の民間団体「オレゴン

小麦栽培者連盟」からの資金拠出を得て全国各地

(都市部は栄養士等,農村部は生活改良普及員が中

心.)で展開した料理教室. 36年以降は国庫補助予

算及び各地の地元住民の拠出や自治体の支援を得

て実施された.なお,一部の県では国事業と重複し

て 31~35 年間にも県独自の予算で自前のキッチン

カーを走らせたとされるが資料に乏しく,この論考

では国の事業に限定して論考する.

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3. rパン食危険説」の事実誤認について

1)時期的な不整合

欧州の食糧生産が回復し,豊作や朝鮮戦争終結

(昭和 28年)によって余剰小麦に悩み始めた米国

の関係者らは,朝鮮戦争特需で景気回復しつつある

日本市場の将来性に気付き,翌 29年の日米の協定

(MSA協定)を契機に売り込みを始め,学校給食

等を利用したとの高嶋の説は,国際小麦協定に基づ

く第 16回国際小麦理事会 (29年)報告書 32) と整合

する.一方,昭和 27年 4月サンフランシスコ講和

条約発効により GHQは解散しており,その関与は

時期的に整合しない.同様に, 27年以前の小麦援助

を米国が小麦余剰に苦しんだためとする説 9)も時期

的に整合しない.例えば 21年のララ物資はボラン

ティア 13団体の合同による援助物資であり,北米・

南米の日系人がその運営に尽力したとされている.

2) r 1'¥ンが米に取って代わったJという説は誤り

小麦の l人当たり供給純食量は昭和21年の量を l

とすると, 25年までの 4年間で1.8倍に急上昇後,

横ばいになり, 38年から 4年間再上昇し,その後は

現在までほぼ頭打ちである(図 1).学校給食やキッ

チンカ一事業等の栄養指導による消費者意識の変

化が小麦消費量増加の主因で、あれば,グラフは指導

開始以降に上昇を示すはずである.指導開始時期は,

「完全給食(主食,高IJ食,牛乳)Jの実施が都市部で

25年,全国拡大は 27年,学校給食法制化が 29年で

ある.キッチンカー指導は 31年である.グラフは

指導前に急噌しギザギザに変動し,その後 38年か

らの 4年間のみに急増しすぐ上昇が止まっており,

2.4

2.2

2.0

1 8

1.6

1.4

1.2

1.0

栄養指導が小麦消費量増加の主因でないことを示

している.

高嶋は 38年からの 4年間の小麦消費量急増の原

因を次のように指摘している すなわち,米国の民

間団体は昭和 30年代初頭に日本でパンを宣伝した

が,上質なパン小麦産地のカナダに市場を渡す結果

となってしまったそこで戦略を変更してパンのみ

ならず麺類なと守多様な小麦の用途を TV等でPRし,

その影響で消費量が急増した.また米国内の鉄道輸

送の改善も一因であると指摘している 70) その指摘

通り 30~37 年に米国産小麦輸入量は激減 ( 11 3→62

万 t) し,増加に転じたのは 38年以降である.つま

り, 38年からの小麦消費量急増は,パンのみならず

麺類などの消費増加と物流改善の影響と考えられ

るのである.実際に, 31~34 年はオレゴン小麦栽培

者連盟の後援で大規模な乾麺の宣伝が実施され,ま

た 35年はアメリカ小麦連合会協賛で全国十大都市

のデパートで麺類の PRが実施されている 51) 日本

政府の担当者も,米国産小麦輸入が増加したのは,

米国内での鉄道輸送費が引き下げられて中部大平

原の主産地から太平洋岸の輸出港まで計画的に運

べるようになったからと記録している 75) ただし麺

市場のうちうどんは,後にオーストラリア産 ASW

に市場を渡す結果となった.

パンの生産動向を図 2 に見ると,昭和 28~9 年に

爆発的に増加した後は, 30年代にはむしろパン離れ

が目立つ.昭和 28年は大凶作,29年は台風 12号の

襲来等もあり,農家が自家の飯米にも苦しむ事態と

なったため「節米対策」としてパン食が爆発的に普

及した 49) 29年始に,栄養学の第一人者である香

昭2125 29 33 37 41 45 49 日 57 61 半2 6 10 14 18

図l 国民 l人あたり小麦供給純食料の伸び(昭和 21年基準)2l ~35 年は農林大臣官房調査課編「食料需要に関する基礎統計J ,以降は食料需給表に基づく 2B.37)

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川綾が「米の不作と(米輸入に伴う)外貨節約の両

方の影響から,好き規正し、をこえて」パンを食べなけ

ればならない家庭が増えるだろうが,口当たりが悪

くて空腹になり不経済だから直ぐに米食回帰した

くなる,と指摘しており,グラフは指摘と整合して

いる 21) ほぽ同時期の国の消費者意識調査でも,パ

ンを食べる理由は「簡便さJI米の倹約」との回答

が栄養との回答よりも多く, (戦後の指導ではなく)

戦時中の代用食指導で食べ慣れたから受け入れら

れたと分析している 5)

パン消費量の伸縮は価格と明瞭な相関関係がある

ので食生活改善指導による影響は考えにくい.③

37~40 年の小麦消費量増加理由のうち,麺類(即席

ラーメン他)の寄与が 4害IJに及び,生パン(乾パン

と区別するための名称)の寄与は全体の半分以下.

④当時パン消費増を支えたのは主食ではなくおや

っとしての需要であり,特に農村で農作業の中休み

向けに売れた 60) 食糧庁統計も 37~40 年間の生産

量の伸び率は食ノξンより菓子パンの方が大きいと

指摘している 33) 食ノ司ン生産が増加したのは,②に

示されたように凶作か不況の期間である .48年以降

に食ノ号ン販売が伸びたのも,オイルショック不況で

スーパーが特売した影響とされている 52) さらに

別の専門家の研究会は 46年に次の 4点を指摘し

ている 60) ①20年代のパン食は米の代替だ‘ったた

め 30年の米豊作以降食パン離れが起こった.②食

kg 昭和35~40年の食パン生産量は34年を割るため、この時期の笠産増の原因は、米からパンへのトレードオフではなくおやつとしての

'12 薫子パン需要によるものとj量定され、ちょうど団塊の世代(昭和 22~24年生)の中高生時代にも重なる.

総生産量のピークは昭和56年の10.3kgで、平成21年lまピークより 1割減 ロ総生産量(1人あたり)

10 ヌヲヲ令 丈 三二~こごロその他のパン

8 自菓子パン

圃食パン

6 図学校給食パン

4

2

0

81:事127 30 33 36 39 42 45 48 51 54 57 60 63 3 6 9 12 15 1 B 21

図2 国民 l人あたりパン生産量の内訳(単位:kg)

注 1・生産量の積み上げグラフで廃棄分も含むので(家庭での手作りパンが全国的に流行した終戦直後を除けば)実際のパン消費量はこれより少ないとみられる.

注 2 昭和 34年以前と 39年のデータは総生産量のみ現存.内訳は不明.注 3: 1その他のパン」は総菜パンや調理パン等を指し, 1965年以降調査が開始された.注 4 二重線の枠は米の豊凶と因果関係が強いデータの解説.出典:①27~29 年のデータは 1 10 年史J (1973年,社団法人パン工業会, p.83)に掲載された「伝食糧庁」デー

②30~39 年は「パンについて J (r食料管理月報J 1966年7月号掲載,食品経済課, pp.42-44).

②34~38 年は「農林関連企業の現状と問題点 生パン製造業実態報告書 (1965年,農林省, pp.3, 71-76)

③35年~は「食料管理統計年報」食糧庁昭和 20~30 年代に国の発表した「パン生産量」は認によって計算法が異なっているが, 1"設林関連企業の現状と問題点J(前出)にて比較検討された結果 1食品経済課新方式」の信頼性が評価されたため,上記グラフもこの方式のデータを採用している.食糧庁は過去のデータを廃棄し食品経済課新方式で 27

年にさかのぼり修正すると「昭和 39年版食料管理統計年報J(1965年, p.323)で発表したが,27~29 年の 3年間のデータが国には現存していないため 110年史J(前出)掲載の「伝食糧庁」データを採用した 110年史Jの30年以降のデータが 「食糧管理月報J(前出)と合致し,信惣性が高いためである

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荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1181

56年以降食パン生産はむしろ漸減していた(図2).

以上より, r戦後の日本政府の栄養指導が主因で,

お米の代わりとしてパンを食べるようになった.J

との説は歴史的事実とそぐわない.一方,米消費の

低下は小麦の伸びが止まった 40年代以降も現在に

至るまで続いている.米消費が減少した主因は,副

食の消費増加による.これを石毛は「オカズ食いに

なった日本人j と表現している 17) 戦後は「洋食」

のみならず,焼き鳥・天ぷら・牛井などの「日本食」

や中華料理によって肉と油脂の消費が大幅に増大

した.昭和 30年代の主婦は油脂を摂取する目的で

中華料理を積極的に家庭に取り入れている耐と識

者が記録を残している.35年版国民生活白書に「最

近の中国風化の傾向で,外食におけるめん類の増加

と規をーにし,今後の日本人の食生活が,在来の和

風の食生活に洋風と中国風の傾向を加味して,新ら

しい日本的食形態を形成する方向を示しているJと

記されている 6) これらも併せて考察すると,油脂

や肉類の摂取量増加を「食の『欧米』化」と呼ぶ慣

習は,肉や油を使用する日本食や中華料理が,日本

人の食生活の中で重要な地位を占めるように変化

した実態を正確に反映していないと見られる.

3)圏内産小麦の減少は米との収益性の差が原因

昭和 25~40 年の聞に,小麦の政府買い入れ価格

(米を 100%とした比較値)が 64%→42%と低減す

ると,小麦作付け面積は 76万 ha→48万 ha,米は

301万ha→326万haと変化した 34,35) 農家は作柄が

安定し価格も高い米を選択した.田植え時期が早ま

り米麦二毛作が困難になった.一方,輸入小麦の方

が価格が安い上に味・色・食感・ロットのそろいな

どで麺等の加工適性が高く圧倒的競争力があり,輸

入が増加した 36) また,人口増加 (35年~現代で

約1.4倍)も輸入増加の要因として無視できない.

4)米対小麦の消費率からはパン食批判を導けない

家計調査データを基にして,一人あたりの米また

はパンの購買金額の経年変化を追って「米の購入金

額をパンが追い抜いたから,米がパンに置き換わっ

た」とする説がしばしば聞かれるが,これは家計調

査の特性を失念した誤解に基づく分析である.なぜ

なら,家計調査の「米」データには,弁当やコンビ

ニおにぎり等の中食・外食産業経由で消費される米

が計上されてない.その推定量は,日本経済新聞の

2013年 3月 25日記事によると年間 300万 t近くに

達する模様であり,一人あたりおよそ 23.6kgと推

定される.従って,家計調査から米とパンの購入金

額の経年変化を追うデータ分析は,米の炊飯場所が

家庭から外部に変わった部分を含むデータであり,

米消費そのものがパンに置き換わった証拠として

は採用できない.

また,米と小麦の消費量の比率を昭和 35年ごろ

と現在で単純比較し「米の比率が相対的に下落して

おり,主食が米からパンに置き換わった証拠.Jと

する統計分析もあるが,これも採用できない.なぜ

なら 35年ごろ以前は雑穀や芋を主食とする人が多

かったことや,小麦は非主食(菓子やおかず)とし

ての消費量が多いこと,パンは戦前から代用食や菓

子として各地に広まっていたが,ラーメン・鮫子・

即席麺は昭和 30年代以降全国に広まったこと,な

どが考慮されてないからである.平成 20年の一人 l

年あたり小麦供給純食料は 31kgだが,パン類に使

用される小麦粉量は 9.3kg,同じく麺類は 10.0kg

で,かっ麺のほぼ半量は中華麺,鮫子皮類,即席(イ

ンスタント)麺(含和風・洋風カップ麺)である(米

麦加工食品生産動向より算出).

4. 生活改良普及員らの粉食奨励は

時代の要請だった

1)当時の主食をとりまく情況と生活改善指導

戦前,都市部では白米が主食だ、ったが,農村では

貧困等のため, うどんやおやき等の伝統的粉食,

麦・芋・雑穀地域が多かった.戦時中には都市部で

は節米のために玄米や米以外の食品として粉食(パ

ン,麺,すいとん,お焼き等の幅広い食品を指す.

原料は小麦だけでなくデンプンや食品残澄も含

む.)が強制され,一方農村では配給制度により米

食が浸透した 44,45) このため戦後の国民は米をいっ

そう渇望し,官民の識者は,稲作生産量が伸びても

米のみではとうてい人口を扶養できないと予測し

た 38,76) 重要な米供給源だ、った植民地を失い,労働

力の青年男性は大勢戦死し,肥料等を輸入する経済

的余力も無く,大陸からの引き上げやベビーブーム,

凶作なども相まって,毎年大量に高価な外米を輸入

せざるを得ない情況で、あった.そこで,学童や消費

者に対しては米輸入を抑制し食料海外依存度を下

げるために粉食を指導した.

一方で,食糧増産には農家の健康改善が急務で

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あった.しかし当時の農家では,激しい肉体労働の

エネルギー源として大量の米ばかり食べて胃を壊

したり,米は塩蔵品(漬け物等)だけで食べても美

味しいため塩分過剰となる一方で,新鮮な野菜・油

脂・タンパク質等が不足し,健康を害しがちであっ

た.そこで,農家には裏作麦・乳・油等の味に親し

んで,それらの生産意欲を自然に高めてもらい,食

料自給体制を確立するために,あえて粉食を指導し

た.同時に,粉食なら副食(おかず)なしには食べ

づらいため,副食をとることによる健康効果も期待

していた 8,31) 当時, i米は塩を運ぶ車,小麦は油

と蛋白質を運ぶ車」と呼ばれていたことは合理的理

由に基づいていた 76) また当時余剰問題に農林省が

腐心していた甘藷デンプンの消費拡大も,粉食指導

によって解消されるだろうとの期待が込められて

いた,との指摘もある拙)特にパンは牛乳,卵,肉,

油脂等と結びつきゃすいことから,これら多様な食

品の生産振興・自給率向上を願った農林省では,粉

食の中で、も特lこ地粉ノfン(現在言うところの自給自

足・地産地消パン)の普及にカを入れた 49)

具体的には,農林省は 23,4年から都道府県の農

業部門職員である生活改良普及員(生改)を通じて,

野菜や家畜を自給・加工する手法を農家に指導した

このころ熊本の木ノ倉村の緒方タエ子生改は,家庭

の実態調査をした所,胃の悪い人が非常に多く,原

因が米の大量摂食であると知らされた.氏は肉体労

働の激しい夏の農繁期は米の不足する端境期と気

づき,裏作麦で、のパンの自給自足を勧めたところ,

農家からおいしくて人手が要らず農繁期が楽にな

ると歓迎された.農林省は氏の指導を称えて全国に

広めた 30,58) こうしたことや,農村でも雑貨庖(万

屋)や菓子庖でパン類が販売されたことを契機に全

国の農村に少しずつパンが広まりはじめた.

さらに 28~29年の米大凶作時に農林省と生改は,

被害県を対象にパンと麺の自給自足を指導し,米作

農家が米や輸入小麦を買う事態を防いだ 16,31) こう

して凶作を契機に地粉パンは農村に定着すること

となり,パンを仲介として栄養と自給自足の大切さ

に農家は目覚めた.

我が国の農村は伝統的には必ずしも,新鮮な野菜

や果物を自給自足してバラエティ豊かに食べてい

た訳では無かった.例えば大分県北海部郡の佐々木

タケ氏ら農家の生活改善グループは,新鮮な野菜や

自給自足の重要性をパンの指導に来た生活改良普

及員によって教えられ, トマト等有色野菜,果物,

カルシウム強化味噌,菜種油,畜産物等を自給自足

するようになり,今まで、当地になかった小松菜を植

えるまでに変化したと手記に記している 49) こうし

た,パン食を契機とした野菜のバラエティの増加,

緑黄色野菜・ミネラル類・タンパク質の摂取量拡大

は,佐々木氏のみならず全国各地,多数の女性の手

記が現存する.

昭和 27年に農林省は食糧増産 5カ年計画を発表

し,土地改良や耕種改善等に莫大な予算をかけて,

麦や畜産品を含む食糧完全自給体制を目指した.28

年 8月には「食生活改善推進協議会」を農畜水産の

各団体協会と主婦連,農林中金,日本学校給食会等

をメンバーに設立し,粉食の推奨に寄与した(なお,

この協議会と名称の酷似する団体が,厚生省側の

キッチンカー指導組織の下部にあるが別組織であ

る).農協も農村のパン普及に貢献・協力した.

28年は冷害となり,米輸入に 767億円,輸入米配

給差額に 232億円をかけた結果ω,国家経済は破綻

寸前となり,米輸入を安価な小麦輸入に振り返えて

経済余剰を副食導入に当てるべき等の,主食に関す

る論争が巻き起こった.そのような情況で専門家の

具体的意見は国民の注目を浴びなくなりへ農水省

の自給計画も大幅見直しを余儀なくされた 4) しか

し29年以降もパンを通じた多種多様な農産物の自

給率向上に農水省は取り組み,そのほかにも小麦作

増強やパン自給を勧める施策を打ち出して,小麦輸

入抑制と自給率向上に尽力した.また,パン自給が

米の生産拡大に貢献した事例もある.水田を所有し

ない農家にとって米は「買う物Jであったことから,

凶作が過ぎた30年以降でもパン自給指導は喜ばれ,

浮いた食費を水田購入資金に積み立てる農家も

あったと記録されている 49) 農協でも 30年以降も

パン普及をした所がある 43) こうしてパン自給指導

は小麦生産,野菜や味噌・畜産物生産,時に水田作

などの振興に波及していった.

しかし神武景気 (29 年 11 月 ~32 年 6 月)と 30

年秋の米豊作以降,国家経済破綻の危機感が薄れる

と,国家財政の観点からは,粉食を提案する意義は

次第に薄れていき,農家以外の一般国民に対する粉

食提案は減っていくこととなる.一方,わずかの塩

蔵品をおかずに憧れの「銀シャリ」こと白米を偏食

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1183 荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績

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思その他

明治12年 昭和355:手

ロ甘藷

(d雑穀

l"AI麦類

平成17年 白米

図 3 デンプン質の供給源となる食品の摂取量の変化明治時代のデータは 「国民食物混合割合」に基づく(出典は「雑穀の優劣感J25))。

昭和と平成のデータは,食料需給表の 1人・l年当たり供給純食料から算出 「その他」の内訳は,明治時代は不明.昭和と平成は馬鈴薯である.

する様式は全国に拡大し(図 3),タンパク質・脂質 ・

ビタミン不足がむしろ増加した.これにより政策の

焦点は輸入米対策よりむしろ栄養改善指導へと移

行した特に農村部や都市部貧困層は副食が少ない

ことから,厚生省(当時)の保健婦や生活改良普及

員の指導は副食知識と調理技術の伝達に注がれた.

当時の国の公表資料にも,主目的はパン普及で、はな

く栄養の改善であると明記されている 5)

2)キッチンカ一事業の目的

このような情況のもと,昭和31年にキッチンカ一

事業が開始された.当時の新聞はこの事業を,厚生

省が白米やパン等の過食によるビタミン不足対策

に,ビタミン強化米や七分づき米を以前から勧めて

おり,さらにビタミン損失を防ぐ調理法を指導する

こととなったと報じている 3) 指導対象は,当時お

かずの知識が不足していた農村や都市部の比較的

貧困な層であり ,実際,現存するレシヒ。には小鯵の

唐揚げや野菜の酢みそあえ,そうめんの胡麻味噌か

け以上67)豆腐の磯辺揚げ,糸切りだんご,カキメシ,

チャーハン以上43) などの米飯向けおかずや米料理,

和菓子などが掲載されている.つまり ,キッチン

カ一事業はおかずの指導事業だった.

ただし,先述の通り当時の日本人は,米を中心と

した食事では少量の塩蔵品で白米を大量に食する

傾向があり,副会:の消費量は限られたことから,面IJ

食を食べさせるために国はあえて粉食を勧めた 8)

しかしこのことについては,米輸入による国家経済

破綻の危機の不安が残っているため,来だ国は粉食

を推奨しており ,粉食それ自体はむしろ栄養上の不

足があるから副食を食べるのだとの意味で理解し

た人々も居た ω

この当時,キッチンカーの背後に米国の余剰農産

物の消費計画があるのではとの指摘を受けたアメ

リカ農務省のゲ、ルトルード ・ドリンカ一女史(日本

の厚生省関係者への指導を行っていた.)は「私は

そう思っていません」とコメントし,むしろ学校給

食で日本人はパンを過食 していると忠告していた

厚生省のスタンスと同様に,キッチンカ一事業実

行の中心であった財団法人日本食生活協会の機関

誌「日本食生活J'13)の紙面もまた,多種多様な食品

を食べることの大切さを説くコンセプトで,多士

済々に取材し世界各国の料理や多様な健康法や特

殊な個人的見解までをも,あまねく紹介する内容

だった.例えば米国式食事の不健康性や味の悪さ等

を指摘する記事や,反パン食運動の開祖である石塚

左玄氏(後述)を高く評価する記事なども掲載し,

パン食推進一辺倒で、はなかった麦飯の勧めや我が

国の郷土料理を再評価するエッセイなども掲載さ

れ,欧米を礼賛し模倣を勧める目的の機関誌でもな

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1184 農業および園芸第88巻第 12号 (2013年)

かった.32年 7月号と 8月号では新説として米食低

脳説を紹介したが,その内容はパン食推進で、はなく,

中華料理ないしビタミン強化米やパン,麺を利用し

てタンパク質やビタミン類の摂取を勧めるもので

あった.同じ 8月号には麦飯と味噌汁を勧めるエッ

セイも掲載されている.

その後,この雑誌でも米食低脳論をもとに粉食

(パンだけではない)を勧める短文も掲載されたが

このような事例はむしろ例外であった. 33年第 2

号 (2・3月合併号pp.30-32)掲載の座談会において

は,キッチンカーでは「全国に米以外の食を奨励j

しているのかとの質問に,副会長が「米は米で食っ

てよろししリと回答し rわれわれは外国のものを

買うためにやっているんじゃない.食べ物のアンバ

ランスをみんなに教えて,そしてわれわれは外国か

ら食糧を輸入しないで自給自足しよう(ママ)とい

うのが根本の目的ですJと解説している.同じ号で

は, rパンの毒」と称して脂肪の取りすぎを警戒す

る文章 (pp.70-77) も掲載している.

以上のように,キッチンカー指導の実際は,米食

のパンへの置き換えではなく,副食の増加を通じて

米食と粉食の両立を目指し多様な食のあり方を希

求した指導であったと考えるべきである.ただし,

l県だけであるが,県職員独自の判断で米食低脳論

を唱え,後に担当者本人が「幼稚な方法」だ、ったと

述懐した事例もあり,中央の指導の真意が関係者の

全員に 100%正確には伝わって無かった.ともあれ,

キッチンカー指導は上述の通り,多様な食のあり方

を呈示する事業であった.

また,佐藤 54)はこの事業を,日本側の担当者が

民間団体「オレゴン小麦栽培者連盟」の目的を知り

つつその拠出を逆に利用した「したたかなJ戦略と

評価している.日本側が活動を自主的に決定し,献

立の中に最低1品小麦を使った物があれば米国側が

口を挟むことはほとんど無かったため,パンで、はな

く副食指導に尽力できたからである.キッチンカー

事業の費用をこの民間団体から拠出させることに

成功した!日厚生省担当官の回顧録 48)にも rrバラン

スのとれた食事」ということを指導していきたいの

だということが我々の主張だ、った. (中略)小麦の

消費拡大を表向きには主張しませんよとはっきり

主張してきたj と記されており,佐藤氏の指摘と整

合する.

なお,オレゴン小麦栽培者連盟の拠出は厚生省側

を経由したが,アメリカ合衆国小麦連盟からも,少

なくとも昭和 35年以前から市場開拓普及宣伝費が

農林省管轄の「財団法人全国食生活改善協会J(32

年設立)を通して圏内の洋菓子等の技術講習会等に

援助されていたが 57),生改が関与したかどうかは不

明だった.この協会が一般向けに配布したパンフに

も,パンを食べるのは「国民経済安定のお手伝い」

のためであることが説明されており,かつ,パンだ

けでは身体に悪いからおかずを食べようと明記さ

れており 78),パン食が米食よりとりわけ優れている

かのような解説はどこにも見当たらなかった.しか

も,同じ頃に農林省は,生改を通じて農民に味噌等

の大豆加工品の消費拡大を訴えていた.これらはパ

ン食とは相容れないメニューで、あった.

5. r主食論争」と米食低脳説の発生の経韓

厚生省の 34年版「国民栄養の現状」のまえがき

は, rヨーロッパ・アメリカ諸国では栄養のバラン

スを失したために起る肥酔症,心臓疾患,脳卒中の

克服に意を用いている」と,欧米型食生活の模倣の

危険性を指摘し,更に同 35年版では当時 (36年)

流行していた「米食とパン食とどちらが良いか」と

いう論争について「米,パンという主食に拘泥せず

出来る限り多くの食品を摂取することが肝要」と,

論争が無意味なことを指摘した札40) また,次に述

べるように米食低脳説は,戦前から類似した説が流

布していた.以上の事実を重ね合わせると, r厚生

省と農林省がキッチンカ一事業を用いて,組織的に

米食低脳論やパンで頭が良くなるという説を広め

た」としづ説は,事実誤認と考えられる.

1)明治~戦前の主食論争

ではなぜ,厚生省と農林省の指導は国民に正確に

理解されなかったのか.明治期に欧米の優れた文物

を見た当時の日本人が,食事に魔法の様な力がある

のではと想像し,それが米食低脳論に引き継がれた,

とする推察は否定できない.しかし,欧米へのあこ

がれだけでは, r高IJ食を増やそう」という国の指導

が,主食を変えれば事足りると誤解されたのはなぜ

か,を説明できない.そこで古い文献を調査した結

果,明治期に軍部関係者が中心となって唱え,戦前

から戦時中に盛んに繰り広げられた「主食論争」が,

「主食を変えるべきだJとの世論形成の下地になっ

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荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1185

ていると推測された.

主食論争とは,白米の栄養不足をいかに解決すべ

きかという命題に対して,副食の増加ではなく,主

食の変化で対応しようとして繰り広げられた論争

であり,基本的には米か麦かの二元論である.明

治~戦前・戦中の昭和期の大衆にとってパンは菓子

か米不足時のやむなき代用品と見なされていたた

め 5,)8,21,26), r米か麦か」の論争は国民不在のイデオ

ロギー論争の一種に過ぎず,主食論争は民聞から

興った物ではなく,その成立過程には戦前の国策の

影響が大で、あった.さらに,米擁護派の場合は,次

第に「玄米か匹芽米か七分づき米か」に分かれ論争

が展開されるようになった.これらのうち陸軍関係

者が唱えた玄米食運動は,地方の一般大衆にまで熱

狂的に支持され,広まった.

こうした「主食を変えるべきだ」との発想を広く

一般国民にまで浸透させる最も強い原動力となっ

たのは玄米食運動であったと考えられる.このよう

な発想が,脳機能学者の林融慶応大学教授が昭和 31

年に唱えた白米排斥論(米をすべて否定する物では

ない) = r米食低脳論j と,同氏が 33年に唱えた

「パンを食べると頭が良くなる」説が広まる下地と

なったと見られる.以下その解説をする.

2) r主食論争」の経緯

明治 17年に実施された海軍軍医高木兼寛の実験

によって,主食の白米をパンや麦飯にすれば脚気が

防げることが海軍で証明されると,一部の学者が,

脚気は米の毒素が原因(中毒説)と唱えるなど未知

の不安が国民の問で生じた 68) この状況は農村男性

勧誘の際のキャッチフレーズとして「入隊すれば麦

飯の代わりに白米を食べられる」と掲げていた陸軍

にとって不利であった.陸軍の軍医でもあった森鴎

外等の陸軍関係者は細菌原因説(伝染病説)を支持

して米食を擁護した(しかし後の明治 38年日露戦

争での脚気死多発により,細菌原因説は間違いであ

ることが次第に知られるようになり,陸軍等も麦飯,

後に匹芽米または七分づき米などを食べさせるよ

うに変化している).一方ほぼ同時期の明治1O~20

年代に,パンは消化吸収などから健康食と評価され,

富裕層の出産時や病気の時に用いられるように

なった 26)

このような時代を背景に,陸軍の石塚左玄氏は明

治 27年に,パン等の洋風の食品は身体に悪いと唱

えて陸軍関係者や一部富裕層の支持を集め,支持者

の中には「食パン亡国論」としづ書籍を発行する者

も現れた.石塚氏は明治 40年には財閥等の強い支

持基盤層を基に,玄米食べればおかずは野菜などを

ほんの少量でよいと提唱する「食養会」を結成した.

例えばナトリウムを陽,カリウムを陰とするなど,

氏は西洋科学の用語や生理学の基礎知識を中国の

易学(陰陽説)と対応させ,陰陽のバランスこそが

健康に最も大切であると説いた 62)

西洋科学と易学の根幹思想が異なるために生じ

る様々な不都合に対しては,観念論での理論を付与

した.その理論の一つが「地元に昔から存在しない

食品を食べると病気になる(だからパン食などは身

体に悪し、). Jとし、う新しい理論であり,氏の死後の

大正 3年に西端学氏が広報誌「化学的食養雑誌J8

月号において,仏教用語の「身土不二(ふに)Jを

もじって「身土不三(ふじ)J理論と命名した.仏

教用語の身士不二は,仏身と仏土(真理が具現化し

た世界)の合ーを指す形而上的概念であり,時代が

下ると因果応報的な意味合いで用いられた言葉で

あるが,西端氏はこの仏教における身土不二を「平

均生存玉,六十年間の健康や疾病の状態を詳説せ

ずj と批判して,仏教の解釈を離れて,地元の伝統

食は身体に良く遠方の食品や非伝統的食品は身体

に悪いとし、う意味で解釈し直そうと呼びかけた 47)

このほか様々な理論を付与した結果,石塚氏の理

論は難解となり,知識層にも疑似科学であると看破

しにくいほどのレベルとなった.その街学的な魅力

は国威発揚を目指す世相とも相まって一部富裕層

に支持された.支持された理由としては,過ぎた美

食をして体調を崩し,粗食を時々取ることによって,

トータルとしての栄養ノミランスが取れて健康を回

復した者もいたため,食養会の理論までもが事実で

あると信じてしまったケースもあったと想像され

る.しかし氏は明治 42年に病死し,その後会員

内にも重篤な健康被害が頻発したため信奉者が離

れていき,活動は一端下火になった 46)

一方明治 44年にオリザニン(後のビタミン B))

が発見され,次第に脚気の原因が栄養不足であるら

しいことが一般に知られはじめた(脚気の原因はビ

タミン B)不足であることが実験で確定したのは大

正 14年である).一般国民の聞では,脚気の前駆症

状である眠気やだるさ(潜在的 B)欠乏症)までも

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1186 農業および園芸第 88巻第 12号 (2013年)

が「白米病」と理解されるようになった 64) I白米

病Jは流行語となったが,その対策としては副食で

ビタミンを補うか,主食を白米から他の食品に変え

る,のどちらかが考えられるところである.栄養学

的には副食が理想的であるが,当時は副食が高価

だ、ったことから,栄養学者内でも旺芽米か七分づき

かの論争が起こった.このような中,食養会やその

賛同者は,白米そのものが危険な食品であるとの考

え方から玄米を勧めた.

昭和初期の金融危機に端を発する恐慌は都市生

活者や農民を疲弊させた.この不安定な時代背景の

中,各種健康法のブームが始まると, I玄米食べれ

ばおかずがほとんど不要」と唱える玄米食運動は,

知識層や富裕層,特権階級のみならず多数の都市住

民の支持を集め始めた.農村でも,農家向け雑誌で

玄米食運動の危険性を解説する記事 ωが掲載され

るほどまでに流行した.

脚気の症状は,悪化すると意識がもうろうとする

などして知的活動が下がることから,谷崎潤一郎が

昭和初期を描いた小説「細雪」などでも,登場人物

が治療のために注射をするほど「白米病」の恐怖が

大衆に広まった.昭和 17年には,大阪市立衛生試

験所の下回吉入所長が,脚気気味だと流言飛語に惑

わされやすいので,諜報戦による民心の動乱に気を

つけよと雑誌附に寄稿するなど,ビタミンBl不足

の克服は重要な課題と考えられるようになった.

軍部では白米病対策として主食を米から玄米で

はなくパンに切り替えるべきであると唱える者も

登場し始めた.例えば昭和 15年,政府・軍・マス

コミ一丸で「節米(米の節約)運動」を実施した際

にも,婦人雑誌記事で糧友会理事等が,米は短命の

元なのでパンや麦飯等を食べようと訴え 61)ている.

同年 10月結成の大政翼賛会も米の代替にパン等を

勧めた田)

しかし石塚氏の影響を受けた各種玄米食運動,と

りわけ,楼津如一氏(後のマクロピオティックの創

始者)指導下の食養会L 大衆向け医学書で人気を

博していた二木謙三氏の運動が,米を神聖視し食糧

不足への不満を転嫁できる点等から再燃した.昭和

17年に東条英機首相の妻を介して東条内閣や大政

翼賛会幹部が二木氏の運動に魅了されると,政府は

同年 11月 24日に玄米食普及を閣議決定し,その後

玄米を食べれば戦争に勝つと新聞等で大きく報道

され,パンを優位とする論調はかき消えた 18,48刈)

こうした玄米食運動では読売新聞昭和 17年 10月22

日朝刊 4面などにおいて,主食を玄米に変更したら

「神経衰弱」等様々な病気が治ったとする主張が見

られ,隣組用に配給された読本 19)では,たいてい

の病気は白米が原因であり,玄米にすれば思想が堅

賓となり犯罪がなくなるという趣旨が述べられて

いた.こうして,白米が脳の働きに異常を来すとの

イメージが国民の聞に醸成され,後の米食低脳論の

流布の布石になったとみられる.

戦局が悪化して,洋上封鎖で植民地からの米が途

絶すると,政府は今度は食品残溢をお焼きやパンに

混ぜる「粉食Jの国策奨励を余儀なくされ,これが

敗戦後の深刻な食糧難の際に引き継がれた 76)

3)第二次世界大戦後の情況一「米食低脳説」と「パ

ンを食べると頭が良くなる説」の流布

大戦後,政府は,国家経済と食料自給率向上のた

めに粉食を食べて,健康のために副食を食べること

を勧めたが,主食論争の記憶と食材高騰により指導

には困難を伴った.多くの国民は栄養はさておき食

料不足ゆえに小麦を食べた.飛行機の残骸などを利

用したパン焼き器が大流行して,配給の小麦を利用

した家庭での手作りパンが盛んになった.年配者へ

の聞き取り調査でも, 20年代の一般消費者には,特

定の食材の効能をあれこれ問うような生活の余裕

はほとんど無かった,との事である.都会の富裕層

には 27年のジューサーブーム(米国のハウザー博

士が新鮮なドリンクを飲むと若返るという説を広

めた.)があったが,地方の一般大衆にも空腹が満

たされ食品の効能を取りざたする余裕が広まった

のは, 29年 11月以降の神武景気ごろと見られる.

このころから米自体に健康面での欠陥があるかの

ような世論が生じた(註 1).

「米食低脳」説と「パンを食べると頭が良くなるj

という説は,必ずしも対となってないため,分けて

整理して説明する.

①米食低脳説

米食低脳説は戦前からの「白米病J説の延長線で

あり,白米の害を唱え続けた玄米食運動と,先述の

「脚気は流言飛語の伝播の原因になる」との説から

見積もると,少なくとも戦時中にはすでに,一部の

層は白米の栄養不足が脳に作用すると考えはじめ,

杉教授の説(後述)でその考えをより強化されてい

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荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1187

たとみられる.しかし,事実上一般大衆に米食低脳

説が流行する契機となったのは,昭和 31年,林融

慶応大学教授の,白米食によるビタミン B1不足は

判断力の低下や喧嘩等を招き,重症化すると精神異

常を来す.先の大戦も白米過食が原因,とする記述

10) と考えるべきである.ほぼ同時期の雑誌「日本食

生活」昭和 32年 8月号 43)においても,この説は林

氏の学説であると指摘されているからである.氏は

条件反射の発見で高名なパブロフ直弟子の脳機能

学者として,かっ大衆的人気小説家・エッセイスト

としても多数の著作物があったことから,氏の発言

の社会的影響力は強かったとみられる.

林氏の説は白米病説によく似ていて決して目新

しいもので、はなかったが故,戦争批判の意図も相

まって世論に合致したと想像される.しかしこの時

点では林氏の主張の中に,パン食を勧める記述は含

まれない.

②「パンを食べると頭が良くなる」との説

著述家でかつパン業界人の安達巌氏の研究では,

この説は林教授が提唱したとされる 1) しかしこの

説を唱えた時期を文献調査すると, 33年の大衆向け

医学書 11)までしかさかのぼれない.著者が調べた

限りでは,東京教育大学の杉靖三郎教授が 30年以

降からこのような説を唱えていたが,一般大衆まで

には流布していなかったらしいことが分かつた.

いきさつはこうである.まず 20年代後半に,グ

ルタミン酸(r味の素Jの成分)を食べると脳の発

育が良くなるとの噂が林教授の説をもとに大流行

した.そこへ,禁明期の民放テレビ番組の医学

ニュース担当者(通称「テレビドクターJ) として

活躍しており,一般向けの生理学書を発刊していた

杉教授が, 30年に「頭をよくする食事」として,パ

ンや抵等は胃の中でグノレタミン酸に変わると発表

した 65,66) 特に 9月に発表した書籍 66)の方では,

白米の大食いもビタミン B 類が不足して頭が悪く

なる,特に独創力が不足する,とされているが,糠

の付いている米や豆腐・味噌などは勧めており,米

食自体を否定する内容ではない.主たる論調は,お

かずなしの白米と漬け物だけの食事では栄養が偏

るとして副食の重要性を説く内容で,洋食を勧める

内容でもない.氏の説は富裕層・知識層に影響力が

あっただろうと考えられるが,一般大衆向け雑誌に

までこの説が広まった形跡は,探した範囲では見当

たらなかった.

③両説の融合

パンで、頭が良くなる説と米食低脳説の2つの説が

林氏の著作の中で融合したのが 33年であり,この

時初めて,林氏はパン食を勧めるようになったと見

られる. 34年 10月には業界初の祭典「全国製ノfン

業者大会」が国内外の関係者二千余名を迎えて東京

で開催され,林氏はその大会で記念講演を行ってお

り5ペ氏のこうした積極的活動もあって, r米食低

脳説」と「パンで頭が良くなる」説は全国に広まっ

たと見られる.林氏の説を知った製粉メーカーコン

サノレタント大橋次郎氏らは, 35年 7月にビタミン強

化パン「頭脳パン」販売組織を結成し,宣伝に力を

入れた 24) 同年 10月に林教授が出版した「頭の良

くなる本J12) はベストセラーl 位 (10 月 16~22 日,

日販調べ)となり,パン食の勧めの「パイプル本」

となった.こうしてパンで、頭が良くなるとの説が一

般大衆にまで大流行したのが 36年頃 22)で、あった.

さらに, 40年に先述の安達氏が著書の中で脳機能

学者である林氏を栄養学者と誤って紹介した 1)こと

から,パンで頭が良くなるという俗説を『栄養学者

が』流布した,とする誤解が生じて現在に至ってい

ると見られる.

以上のようなパンを過大評価する世論に対し,厚

生大臣の諮問機関である栄養審議会は 34年7月に,

体力向上のため食料消費の数値目標(米を 1割弱減

らし,大豆や緑黄色野菜など多様な食品を少しずつ

増やし栄養ノ〈ランスを取る目標)を呈示したが, 3

日後の 28日朝日新聞の「天声人語Jは答申を f一

口にいうと,米食を減らして小麦の粉食をふやしj

と説明し,鯉の餌を例に米飯よりパンが良いと記す

など,栄養学者の唱える「栄養バランスJという概

念は理解されず,パンか米かの二元論に置き換わっ

てしまうのが,当時の社会水準であったと考えるべ

きである.

以上のように,昭和 20~30 年代は炭水化物の過

剰摂取による健康問題が栄養指導上最大の課題で

あり,栄養学の専門家は多様な副食物の摂取を勧め

たが,主食論争の記憶やこれを商業的に利用する動

きなどから正しい知識が伝わりにくかったといえ

る.炭水化物偏重が解消されたのは50年代である.

4)生活改善指導との関係と学校給食

では「米食低脳説」や「パンを食べると頭が良く

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1188 農業および園芸第 88巻第 12号 (2013年)

なる」説を広めた主体について,生改などであると

の誤解が生まれたのはなぜか.その理由として,粉

食推進の指導の際に政府はうどんやお焼きやデン

プン等も含む様々な食品を勧めたが,農林省では農

家にパンの地産地消で自給率向上を指導したこと

や,学校給食では物流上の理由から主食としてパン

とピスケットが供されたため,国民の目には粉食=

パンと映ってしまったと考えられた.

学校給食の開始にあたり, GHQの担当者は米飯

と味噌汁を希望したが,日本側は敗戦の混乱と凶作

のために物資の手当ができないことを理由に断っ

た.そこで GHQ側が米軍の食料の一時立て替え案

を呈示したが片柳食糧庁長官が反対し,最終的には

在北米・南米の日系人の協力による民間援助物資

(ララ物資)を使用することで合意が成立し,小麦

主体の給食になった 48) しかし,この時,米の入手

が可能だったとしても,当時は大規模炊飯器が導入

ができなかったり,食器にこびりついた米飯を効率

的に落とす技術(洗剤や道具)が存在しなかったた

め,米飯給食は困難であっただろうと考えられる.

敗戦後の混乱が収束した 20年代後半になっても国

家財政の理由から輸入米の給食への手当は困難で

あった.

パンは戦前から大規模化した企業があり,流通網

もあった.一方,麺類の供給体制は,昭和 20年代

は零細企業が多くて量産体制や流通ルート等が確

立してなかった.昭和 23年,厚生省の有邦太郎課

長に台湾出身の栄養食品開発者が,パンより東洋の

伝統である麺を推奨すべきではないかと質問した

逸話もあるほど,物流の課題は知られてなかった.

課長から物流上の理由を聞き,課題解決のために即

席麺の研究を勧められたこの人物こそ, 10年後にイ

ンスタントラーメンを発明し, 30年代後半に爆発的

ブームで小麦消費量増加に寄与した安藤百福氏で

ある 2)

6. r和食が一番身体に良い」という説について

1)生活習慣病増加の本当の原因

近年の生活習慣病増加の原因を,パン食が増加し

肉の過食を招いたためと断じ「おかずの少ない和食

が一番身体に良い」とする記述が頻繁に新聞・雑誌

に登場するようになったのはここ 10年のことであ

る.

しかし国では,健康のために和食を第一に推奨す

るような施策を現在とってない.例えば,厚労省と

農水省は共同で,科学的視点に基づいた「食事バラ

ンスガイド(通称コマの絵)Jの活用を勧めている.

このガイドでは,食事バランスを良くするためには

多種多様な野菜や牛乳,乳製品,果実,肉類など適

度な洋風の食材なども重要であることが視覚的に

理解できるようになっている.

生活習慣病の原因は,偏食・カロリーの取りす

ぎ・運動不足(自動車や機械化・ IT化・外遊びの減

少等)であり,炭水化物に偏った和食を食べて運動

しなければやはり肥満になる.東京大学の佐々木敏

らのグループが行った, 18~20 歳の女子学生 3760

人の肥満度と食事パターンの関係の研究によれば,

米・味噌汁・大豆製品が多い食事パターンを好む集

団は,肉・油脂類が多い集団と同じ程度肥満者の割

合が高かった.これに対して,おかずを沢山食べて

比較的主食類が少ない集団は,肥満者の出現割合が

低かった 50) 佐々木教授は r(昔の)日本人がいま

よりもやせていたのは,米以外の食べ物が少なく,

全体としてのエネルギー(カロリー)摂取量が

少なかったか,または,労働が厳しく,エネルギー

(カロリー)消費量が多かったためであり,米を食

べていたからと短絡的に見てはいけないというこ

とをこの研究結果は示している.Jとコメントして

いる 53)

ガン・脳血管障害・心臓病等の生活習慣病の死亡

者数が増えた最大の理由は,疫学的には乳幼児や若

者の死亡率が激減した結果,長寿化したためである

ことが明らかとなっている.我が国のガンの疫学研

究の第一人者である,国立がんセンター予防研究部

長・津金昌一郎氏の著書 73)や,我が国の栄養学の

第一人者であるお茶の水女子大教授山本茂氏他 77)

によると,公衆栄養学では昭和 60年の年齢構成を

基準にした「年齢調整死亡率jを用いるのが適正と

されており,これで比較すると,ガンは男性はここ

10年来,女性は昭和 35年以来一貫して減少し続け

ており,心疾患や脳血管疾患の死亡率は男女とも減

少している叫.こうしたことから両氏は著書の中で,

戦後の栄養改善は国民の健康に総論としてむしろ

プラスの方向に働いてきたことを記している.

また世界保健機構 (WHO)r健康の社会的要因J

委員会元委員長でロンドン大学公衆衛生学教授,マ

Page 14: 生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功 績 · 料理」や「イタリア料理jとは異なり,本来は広義 の和食に包括される概念である.従って和食とは,

荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1189

イケル・マーモット卿の論文 27)では, 1多くのコメ

ンテーターが,日本人の食生活の欧米化とそれに伴

う心臓病や肥満の増加を懸念している(中略)しか

し実際にはそれは起こってない.日本人の平均寿命

は年々向上している.Jとして,冷蔵庫普及による

食塩摂取量の低下が日本人の戦後の平均寿命向上

に影響しているとコメントしている.

なお,平成 17年に沖縄県福祉保健部健康増進課・

沖縄県衛生環境研究所の発表した論文 126ショッ

ク!沖縄県の平均寿命と死亡状況Jに関して,この

論文中では沖縄県男性の平均寿命が生活習慣病の

増加によって悪化したと指摘されており,原因は

ファストフードの食べ過ぎであるとの説が 2004年

頃から新聞・雑誌等で散見される(例:日経夕刊 2008

年 8 月 12 日第 12 面『長寿沖縄襲う 126 ショック J~) .

しかし,実際には沖縄県男性の平均寿命は伸びてお

り,長野をはじめとする他県の寿命が大幅に伸びて

相対的に沖縄のランキング、順位が下がったことが,

読者に「寿命が縮んだ」と誤解されたものである 55)

2) r日本型食生活」について

「大量のご飯+味噌汁+少量のおかず」の食事は,

高塩分やビタミン不足,低タンパク・低脂肪等の問

題があり,それらに起因する様々な病気(脚気・結

核・胃ガン・脳卒中等)が昭和 40年代ごろまでの

短命の原因だ、った 72) 昭和 55~60 年頃に「伝統的

な食生活のパターンに,肉類,牛乳・乳製品,鶏卵,

油脂,果物が豊富に加わって,多様性があり,かっ,

栄養バランスのとれた健康的で豊かな食生活」であ

る「日本型食生活J(表1)が成立した結果,栄養バ

ランスが取れて長寿化したと考えられている.

「日本型食生活」の語句の初出は, 68回衆院農林

水産委員会 24号(昭和 47年 06月 08日)であると

考えられる.ここでは,昭和 50年代に成立が予測

されていた新しい食生活パターンを指す意味だっ

た.昭和 55年農政審議会答申 180年代の農政の基

本方向」の中で初めてこの語句が公式使用された時

も,その具体的な内容は定まらなかった.そこで,

答申を受けた昭和 57年の農政審議会専門委員会報

告 ~180 年代農政の基本方向J の推進について』に

おいて「伝統的な食生活のパターンに,肉類,牛乳・

乳製品,鶏卵,油脂,果物が豊富に加わって,多様

性があり,かつ,栄養ノ〈ランスのとれた健康的で豊

かな食生活j と定義された 29)

答申と報告を受けた農水省は,栄養学等の専門家

集団「食生活懇談会Jに委託して,指針「私たちの

望ましい食生活一日本型食生活のあり方を求めて

一J(昭和 58年 3月)を策定して啓発と普及に努め

た 59,71) この指針の啓蒙目的で食生活懇談会メン

ノ〈ーが編纂した啓蒙書には,ステーキやパン食も日

本型食生活を構成するー要素であることが写真等

で紹介されている 59) パンを取り入れる事は,厚生

省所管の社団法人栄養改善普及会の作成したパン

フレット「栄養三色パターンによる日本型食生活」

(昭和 60年頃からの数年間に配布されたとみられ

る.)に,パンとお米が親しげに手をつなぐイラス

トで端的に解説する形で掲載されている.当時の農

水省所管の財団法人食生活情報サービスセンター

のパンフレット「新しい日本型食生活の手引き」で

も,栄養改善普及会の展開していた「パン朝食を取

り入れた献立」指導を推奨した.

なお, 1昭和 52(1977)年に米国の上院が提出し

た報告書「米国の食事目標J(通称「マクガパン報

告J) に和食が体に良いと書かれて以来,米国政府

は和食や日本型食生活を推奨している.Jという説

が家庭科や食育の教材などに掲載されている.しか

し,著者が調べた限り根拠を見つけられなかった.

表 1 1980年代の日本型食生活(左)と, 1950年代の千葉県農家の伝統的食事(右)

朝食 パン,牛乳,豆乳, リンゴ・キュウリ・バナナ・レ ご飯4膳,キャベツみそ汁 2杯,キュウリのぬかみ

タスのサラダ そ漬け

昼食 ご飯,里芋・厚揚げ・ニンジン・昆布巻きの含め煮, ご飯4膳,ニンジンとタマネギの泊妙め,漬け物

ほうれん草のおひたし,卵焼き,漬け物

間食 カスアフ,ヨーグルト,みかん ご飯 3膳,漬け物

夕食 ご飯,コーンスープ,鉄板焼き(ステーキ,タマネ ご飯4膳,小松菜のみそ汁,アジの干物,大根とキュ

ギ,シイタケ,エノキダケ,なす,ニンジン),いか ウリの酢の物

とキュウリのごまマヨネーズサラダ左は,神戸市 F家の日常食で,食生活懇談会メンバーによる本「日本型食生活のすすめJ59)で優秀事例の 1っとして紹介された.右は昭和 28年6月調査,千葉県農家生活改善連絡協議会結成 25周年記念誌資料「こだまJp.92より.

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1190 農業および園芸第88巻第 12号 (2013年)

当該報告書は脂質の取りすぎを警告しているもの

の,該当する記述は無く, 11日塩分 5g以下」を奨

励している 14,74) 日本人成人の 1日あたり塩分摂取

量は,厚生省調査によると昭和 50年で 13,5g,平成

21年でも男性 11.6gであり,これは日本の伝統的な

食事ではもちろん,現代的日本食でも実現が難しい

値である 1米国の食事目標Jは米国農務省・厚生

省が定期的に策定している「アメリカ人のための食

生活指針Jに引き継がれ, 2000年版では,健康に良

い食事パターンは多様に存在するとして,その一例

としてメキシコ料理が好きならトルティーヤなど

を食べれば良いとも述べている 42)

7.生活改良普及員の業績に正当な評価を

以上より, 1パン食危険説Jは様々な面で事実誤

認であることが分かつた.すなわち,戦後にパン食

が広まったのは,圏内の米生産が不足する一方で,

戦前から戦中の菓子・代用食・兵食等の用途で、パン

を食べ慣れていたからであり,栄養指導は主因では

なかった.小麦の消費量増加は食パンよりも中華麺

やうどんや菓子等の多種多様な小麦料理の影響で

あり,しかも,昭和 40年代初頭で増加が頭打ちに

なっていることや,食ノ4ン生産は56年がピークだ、っ

たことから,小麦ないし食パンが 57年以降の米消

費量減退の主因とは考えられない.

生改の粉食(パンだけではない)指導の目的は,

米不足による米輸入を抑制するために,麦を裏作し

て粉食を自給することと同時に,当時の農民の食事

が抱えた問題(大量の米と塩蔵品による塩分過多,

脂質・ビタミン・タンパク質の不足,胃痛等)の解

決のためであった,生改の自給自足パン等の指導を

通じて,農村女性はおかずの自給自足の重要性に目

覚め,栄養不足等が改善された.

昭和 30年代に生改がおかずの作り方を指導した

時に,キッチンカーは米国の民間団体(政府ではな

し、)から資金援助を受けていた.同時期に脳機能学

者の林教授が「白米」過食の危険性を指摘するため

に米食低脳説を唱え,後に「パンを食べると頭がよ

くなる」という説を唱えて流行した.米食が身体に

悪いという説は明治時代からすでに広まっており,

戦前戦中は貴重な米の節約の観点から軍部や政府

外郭団体等も白米が身体に悪いという説の流布に

荷担していた.これらが最近になって,生改のパン

の自給自足指導と混同されて,官頭に紹介した「パ

ン食危険説Jが成立したと考えられた.

国が勧めている「日本型食生活」とは肉類や乳製

品等も含む多種多様な食事スタイノレである.主食と

してのパン食に伴う肉類と油脂の消費過剰で、大勢

の国民の健康が損なわれているという俗説は,統計

データや様々な世界の一流の学者達の研究成果か

ら否定された.

「パン食危険説Jに基づく生改パッシングや,米

偏食による健康被害の報告を筆者は見聞し,注意喚

起が必要と考える.脂肪やタンパク質を過剰に摂取

している人が時々おかずを減らせば全体としてバ

ランスが取れて健康になるが,伝統的食材を主とす

るー汁二莱等の食事を続けた場合には,果物や乳製

品の摂取が減り,タンパク質不足やビタミン類等微

量栄養素不足と塩分過多に陥るからである.厚労省

と農水省も共同で科学的視点に基づいた「食事バラ

ンスガイド(通称コマの絵)Jの活用を勧めている

が,このガイドを見れば果実や乳製品等も食事ノ〈ラ

ンスの構成要素の一つであることがよく理解され

るであろう.生改の尽力は,農村でのこのような望

ましい「日本型食生活」が成立した主因の一つで

あったと著者は考察しており,この場を借りて,生

改の功績を称えたい.

8.正確な情報提供の重要性と今後の展望

一方,食品分野の研究者や行政担当者の中には少

数ではあるが「フードファデイズムは消費者の無知

から生じた一過性の流行に過ぎないから看過すべ

きだ.Jとの誤解もある.フードファデイズムを信

じた者の中には,偏食して栄養が偏った結果,別の

疾病に擢患したり,医療機関への受診が遅れる,投

薬・手術を拒否して治療が手遅れになる,等のケー

スも指摘されている.しかもフードファデイズムは,

商業主義や,農産物生産現場への消費者の不信感を

背景に生じており,そこへ道徳観や信仰等,多様な

文化的背景がからみ, 1食を通じた世直し」を期待

する市民運動や社会変革運動等を通して現代社会

に影響を与えている 7) 従って,関係者がフードファ

デイズムを看過するような態度はむしろ,農産物流

通現場の混乱のみならず社会全体の不安の拡大に

貢献するであろう.食品科学分野の研究者に求めら

れることは,消費者の社会不満,学者・生産流通者

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荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1191

への不信感こそがフードファデイズムの温床と

なっている事を自覚し,消費者の芦に耳を向けて,

もしも消費者の側に誤解があれば適切な情報を発

信することではないか.そう筆者は考える.

ただし,ここで一つ留意しなければならないこと

がある.生改らの自給自足の指導は科学的視点を農

家に広め「考える農家」を育成するところに力点が

あった.一方,東日本大震災と原発事故以降一部マ

スコミ等で「科学」とはあたかも人聞が倣慢からテ

クノロジーを濫用し,目に見えぬ物を即座に否定す

ることかのように紹介される傾向があり,一部の消

費者間で「科学」という言葉そのものへの拒否感や

懐疑的態度が流行している.パン食危険説を信じる

人々にその傾向が見受けられることを筆者は感じ

ている.

本来の「科学」とは自然を虚心坦懐に見つめて,

実験等を通じてユニバーサルな法則性を見つける

態度の事である.例えば,震災被害や放射性物質汚

染を克服し地域社会を再建しよう,と今も大勢の

人々が様々な技術を用いているが,それらもまた科

学の所産である.科学という言葉の正確な定義に基

づき科学的な思考の大切さを伝えなければ,消費者

との対話そのものが成立しづらい時代になってい

る.生改等の普及員や科学者は,普通の市民と同様

に,太古の昔や愛情や真心などの自に見えぬ世界を

信じ,家族や人類や地球の将来等に思いをはせて,

よりよい社会を希求し続けている存在である.この

ような認識を互いに共有しあうことが,対話に重要

ではないだろうか.

相互理解までの道のりは長く複雑で、あろうが,多

くの国民がメディアリテラシーを身につける姿勢

を持つことが大事であろうと考える.

一方,マスコミでは伝統的食材を推奨し,自給率

や農業の発展とつなげる言説が一時目立ったが,実

際には伝統的食材ばかりを賛美しでも自給率向上

や日本農業の発展にはつながらないことの事実確

認は重要である.豆腐や味噌の多くが輸入大豆に頼

り,蕎麦やこんにゃくなども輸入攻勢にさらされて

いる.一方,国産食材で作れる現代的な日本食や洋

風メニューも沢山ある.また,自給率は地産地消の

みならず輸出増加によっても改善する.日本の畜産

業や果樹産業,加工食品類は世界に誇る味と美しさ

において芸術的レベルにある.B級グ、ルメ等も含む

日本食は海外の関心も高い一方,俵物と呼ばれる各

種海産物は海外で高級「中華」料理に調理されて饗

せられることも多い.つまり和洋にこだわらず多種

多様な食材を生産し,圏内での消費を拡大したり輸

出する取り組みの方がむしろ重要である.地方公共

団体の HPや直売所等でも,伝統的食事を PRの目

玉とするのは 1つの方法だが,より多様な品目を対

象とする方が若者や遠方からの観光客にとっても

魅力的で,地域振興としてもより豊かで広がりのあ

る内容になると考える.

以上のように,食料自給率は和洋としづ観念論で

はなく具体的な食材自体で判断しなければならな

い.複眼的かっ客観的・合理的な施策の推進が長い

目で見れば結局国民にとって最大のメリットにつ

ながることから,農産物の PRに当たっては科学的

根拠に基づいた正確な情報を提供するべきである.

古来,食の役割として,喜びや多様な文化を仲間

と分かち合える側面は大きかった.食はおいしさ等

を通じて,家族の粋を再確認させ,友人や仲間との

心の交流等を培ってきた.また,我が国には古来よ

り焼畑ないし狩猟などを営む人々が,米以外の主食

や獣肉等を含む地方色豊かな多様な食文化をはぐ

くんでいた.さらに家庭別にも独特の調理や噌好が

形成されて連綿と伝えられていた.粗食や特定のメ

ニューのみを強いるフードファデイズムは,おいし

さ・笑顔・健康の希求等を困難にし, 1お袋の味」

である家庭内伝統料理の継承を困難にし,うどんや

ほうとう等の伝統的小麦料理や山間部の食肉文化,

沖縄料理・北海道名産品等の多様な地方文化を否定

して地域農業にブレーキをかける可能性がある.

天ぷらやすき焼きのみならず,古くは味噌や豆腐

も外来文化の影響で誕生したものであり,我が国は

古来から外来文化を独自の芸術的レベノレまで結晶

化させ,世界からも喝采を受けるような優れた文化

を有している.このような我が国の先人の知恵に学

ぶ自由な発想、や,地方の多種多様な食文化を尊重す

ることや,明るい食卓を通じた笑顔や家族の紳を確

認することなどが,これからの時代の健康的で豊か

な食生活の推進や地域農業の発展によりよい果実

を結ぶであることは明らかであろう.

生活改良普及員が日本型食生活の成立に尽力し

た結果として,各地で農業生産物の多様化が生じ,

伝統食の継承はもちろん新しい日本食や洋食の

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1192 農業および園芸第 88巻第 12号 (2013年)

様々なレパートリーが生み出され,朝市などの地産

地消を活発化させる礎が築かれたと同時に,他地域

へも誇れる 6次産業をリードしている.各地の道の

駅や直売所でこのような事実を目の当たりにして

きた筆者は,生活改良普及員の努力が築いた豊かで

健康的な食生活を,この場を借りて称えたい.

(註1):例えば 29年の黄変米問題がある他,東北

大の近藤正二教授の「白米を過食し副食物が少ない

地域では栄養ノ〈ランスが失われ短命Jとの研究が脚

光をあびていた時代を背景に,一部新聞で米自体が

危険で、あるかのように誤報された例(1栄養と料理j

昭和 30年第 21巻第 8号 p96) がある.また米

に「リゾレシチンj という猛毒が含まれるという説

( r日本食生活j 昭和 32年 7月号Jp58) も広まっ

ていた.

引用文献

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2)安藤百福「魔法のラーメン発明物語」日本経済新聞社,2002, pp.16-17, 72.

3)朝日新聞(東京) r豊作と栄養障害厚生省で対策J,1955, 1955年 11月 13日朝刊 11面 1段.

4)浅井良夫「経済自立 5ヶ年計画Jの成立 (3)J ~成城大学経済研究』泊1.148,2000, pp.53-61.

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8)萩原弘道「栄養改善のみちJ栄養改善法施行 10周年記

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9)速水健朗「ラーメンと愛国J,講談社, 20日, pp.32-41.

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12)林繰「頭のよくなる本」光文社, 1960.

13)細谷憲政「三訂人間栄養学」調理栄養教育公社, 2000,

p.2

14)細谷 隆「アメリカにおける食生活改善対策とその展

開J~食糧振興会叢書 世界の食生活アメリカ』社団

法人全国食糧振興会, 1982, pp.5-26.

15)藤巻良知・川島四郎「玄米菜食主義の是非を訊く舎」

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16)普及部のつどい実行委員会「普及部三十六年の歩みJ,1984, p.23.

17)石毛直道「食事の文明論」中公新書, 1982, pp.20-25.

18)石川寛子・江原絢子編著「近現代の食生活J(株)アイ・

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19)石野彦行「隣組用 玄米食指導讃本」帝園女史教育社,

1943, p.9, 38 20)実教出版株式会社「資料家庭科くらしをみつめる確か

な視点J,2005, p.81

21)香川 綾「パン食の日常イじJ~栄養と料理』第 20 巻第2号, 1954, pp.18-21

22)近藤とし子「おむすび育児」家の光協会, 1992, p.165. 23) 熊谷真菜 r~粉もん』庶民の食文化J 朝日新聞社, 2007 ,

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24)串間努「昭和 40年代思し、出鑑定団」ぶんか社, 1999,

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25)靖国昭子「雑穀の優劣感J~食の昭和文化史』おうふう, 1995, pp.39ー75.

26)松島栄一「パンを食べるようになったことJ~栄養と料理』第 22巻第 5号, 1956, pp.130ー133.

27)マイケル・マーモット「日本人の長寿についての再考J

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28)農林大臣官房調査課編「食料需要に関する基礎統計J,1976.

29)農林水産省食品流通局「平成 11年度生活関係専門技

術員専門研修資料「食生活に関する啓発・普及の取組

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30)農林水産省農業改良局普及部「普及だより第 15号 喜

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32)食糧庁「世界の小麦事情と国際小麦協定」食糧庁, 1955,

pp.3-18.

33)食糧庁監修,日本麦類研究会発行「小麦類三次加工業

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34)農林水産省統計情報部作物統計課「ポケット麦総合統

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35)農林水産省農蚕園芸局農産課「稲作関係資料J,1984,

p.20.

36)農林水産技術会議事務局「麦の高品質化を目指して」

『農林水産研究開発レポート~ No.l, 2001, pp.2-3.

37)農林省水産省「食料需給表J,1960-2009.

38)厚生省「栄養改善とその活動」厚生省公衆衛生局栄養

課編第一出版株式会社, 1956, p.74.

39)厚生省 昭和 34年版「国民栄養の現状J,1960,まえ

がき.

40)厚生省 昭和 35年版「国民栄養の現状J,1961, pp.26-27.

41)厚生労働省「都道府県別にみた死亡の状況 3. (1)

全国の三大死因による死亡の状況の年次推移Jhtゆ://

www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/other/05sibou/O

3.html#l, 2011年 12月 1日参照

42)独立行政法人国立健康・栄養研究所監修「アメリカ人

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43)財団法人日本食生活協会「日本食生活J1957,第 2

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pp.54-58 (麦飯の勧め),第 2巻第 7号 (8月号)pp.4-5 (粉食には副食が必要), pp.31-32 (米食低脳説と林

繰氏), pp.38-45 (ドリンカ一氏), pp.52-54 (麦飯と

味噌汁の勧め),第 2巻第 9号 (10月号)pp.4-5 (米食低脳説),第 2巻第 11号pp.24-38(キッチンカ一指

導の実際),そのほかは本文中に出典を記載.

44) 野本京子「戦時下の農村生活をめぐる動向J~戦後日本の食糧・農業・農村』第 l巻財団法人農林統計協会,

2003, pp.331-332.

45)野本京子「都市生活者の食生活・食糧問題J(同上),

pp.351-362

46)荻原由紀「フードファデイズムと和食至上主義J~日本リスク研究学会発表論文集~, 2007, pp.393-398.

Page 18: 生活改良普及員の昭和20〜30年代の栄養指導の意義と功 績 · 料理」や「イタリア料理jとは異なり,本来は広義 の和食に包括される概念である.従って和食とは,

荻原:生活改良普及員の昭和 20~30 年代の栄養指導の意義と功績 1193

47)荻原由紀「地産地消と生活改善J~生活研究』社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会 第 128号Vo1.39,

No.4, 2008, pp.8ー13.

48)大磯敏雄「混迷の中の飽食」医歯薬出版株式会社, 1980,

pp.87-92, 165-171, 202-206. 49)大分県農政部営農指導課「大分県農業改良普及史J1983

pp.305, pp.37 4-377, 389. 50) Ookubo. H et al. rThree major dietary pa仕ernsare all

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Japanese women aged 18-20 years.J Int J Obes 2008, 32 541-9.

51)大塚滋「主食が変わる」日本経済論評社, 1989,p.157. 52)折井英雅「パンの需給動向と噌好の移り変わり J~食

の科学~ No.72, 1983, pp.16-17. 53)佐々木敏「いま改めて『食育』の定義を問う J~農業

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54)佐藤寛「途上国ニッポンの知恵(第 13回)キッチ

ンカーJ~クロスロード~ 4月号, 2004, p.82.

55)佐藤達夫「食ベモノの道理」じゃこめってい出版, 2010,

pp.72-80.

56)瀬川清子「日本人の衣食住」河出書房, 1964, p.171.

57)製菓実験社「製菓製ノ号ンJ1959, 12月号p.161,1960,

7月号p.166.

58)生活改善グループ「生活改善グループのあゆみ第 8

回J,1960, pp.51-58. 59) (財)食料・農業政策研究センター他編「日本型食生

活のすすめ」日本放送出版協会, 1983.

60)財団法人食生活研究会「パンの消費動向と企業の対応J,1971, pp.l-11, 24, 36.

61)主婦之友社「節米料理と栄養パンの作方八十種J~主

婦之友~, 1940,二月号付録. p.13.

62)島菌進 k癒やす知>の系譜」吉川弘文堂, 2003,

pp.62-71.

63)下回吉人「戦争と栄養J~栄養と料理~ 1942,第 8巻

第 4号, pp.8-12.

64)杉靖三郎「だるさと栄養J~栄養と料理~,第 21 巻第7号, 1955, pp.l04ー106

65)杉靖三郎『栄養と料理』第 21巻第 2号, 1955,pp.l03-104

66)杉靖三郎「四十からの健康」 実業之日本社 1955,

pp.188-194

67) 鈴木猛夫 ~rアメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』藤原書庖, 2003.

68)高木和男「食と栄養学の社会史J丸善, 1978, pp.350-357,

pp.521-523, 529-533. 69)高橋久仁子「フードファデイズム」中央法規出版, 2007.

70)高嶋光雪「日本侵攻 アメリカ小麦戦略J,家の光協

会, 1979, pp.13, 112ー113,128ー144,155, 166

71)豊川裕之「食生活指針の比較検討」農文協, 1987, pp.

41-55

72) Tsugane, S., S. Sasazuki, M. Kobayashi and S. Sasaki "Salt

and salted food intake and subsequent risk of gas仕lC

cancer among middle-aged Japanese men and women"

British Journal ofCancer Vo1.90, 2004, pp.128-134. 73)津金昌一郎『なぜ「がん」になるのか,その予防学教

えます』西村書底, 2009.

74)アメリカ合衆国議会上院「米国の食事目標」食品産業

センター, 1980.

75)牛島洋「外国産小麦の銘柄と品質J~食糧管理月報』第 17巻 11号, 1965, pp.37-40

76)山路健「暗の食卓明の食卓」日本経済論評杜, 1987,

p.53, 76, 101. 77)山本茂他著「公衆栄養学第 3版」講談社, 2009, pp.2-3

78)財団法人全国食生活改善協会「あすの食生活はJ,1958,

p.28.