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C E N T E R F O R G L O C A L S T U D I E S S E I J O U N I V E R S I T Y 成城大学民俗学研究所 グローカル研究センター

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CENTER FOR GLOCAL STUDIESSEIJO UNIVERSITY

グローカリゼーションと

越境

Center for Glocal StudiesInstitute of Folklore StudiesSeijo University

Office:6-1-20, Seijo, Setagaya-ku, Tokyo, 157-8511, JAPAN.E-mail: [email protected]: http://www.seijo.ac.jp/glocal

グローカル

研究叢書

グローカリゼーションと越境

上杉富之編

上杉富之編

成城大学

成城大学民俗学研究所

グローカル研究センター

ISBN 978-4-904605-14-1 C3039

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グローカリゼーションと越境

上杉富之編

成城大学民俗学研究所

グローカル研究センター

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目 次

序 論 グローカリゼーションと越境 上杉富之 3

――グローカル研究で読み解く社会と文化――

第 1章 国境を超える「家族」 工藤正子 21

――パキスタン人男性と日本人女性の国際結婚の

事例から――

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 長坂 格 49

――子ども期に移住した人びとの国際比較研究に向けて

の覚書――

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 上杉富之 85

――韓国と日本におけるユネスコ無形文化遺産

登録運動――

あとがき 114

執筆者一覧 118

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序論

グローカリゼーションと越境

―グローカル研究で読み解く社会と文化―

上杉富之

人、モノ、情報やカネが世界中を大規模かつ迅速に移動し、世界が地球規

模で緊密かつ強力に結び付くようになってすでに久しい。こうしたグローバ

リゼーションの時代にあって、私たちの社会や文化は、今、急激かつ根本的

に変化しつつある。本書は、今日の変動・変容しつつある社会や文化の実態

を、「グローカリゼーション」(グローカル化)と「越境」(トランスナショ

ナリズム)をキーワードにして可視化ないし対象化し、より良い未来社会の

構築に向けてその意味や意義を検討することを目指した研究プロジェクトの

成果の一部を刊行するものである(1)。

以下、まず、本書のキーワードとなっているグローカリゼーションと越境

について、その現象ないし過程の今日性や意味内容を確認する。そして、そ

うした今日的な社会・文化的現象を可視化ないし対象化し、理論的かつ実証

的に研究するために構想した新たな研究領域、「グローカル研究」について

その概要を述べる。その上で本書を構成する 3編の論考を紹介し、グローカ

ル研究のなかでの意義を明らかにする。

1.グローカリゼーション

(1)グローバリゼーション

現代の社会や文化を読み解くもっとも重要な言葉ないし概念の一つがグ

序論 グローカリゼーションと越境 3

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ローバリゼーション(グローバル化)であることに異論はあるまい。そのこ

とは、例えば、1997 年に初版を刊行して以来版を重ねている大部の社会学

の教科書が『社会学―グローバル社会学入門―』と銘打たれていることから

もうかがえよう(2)。

グローバリゼーションをごく簡単に定義するならば、「政治や経済、社会、

文化等のさまざまな点で、世界があたかも一つの場になる過程ないし現象」

ということができよう(Abercrombie, Hill and Turner 2006: 167参照)。1960

年代以降、特に 1980年代以降の交通・輸送手段や情報伝達技術の急速な発

展・発達に伴い、世界各国、各地域の経済や政治、社会、文化等は互いに密

接に結びつけられ、地球全体があたかも「一つの村」(global village)と化

している(マクルーハン 1986[1962],1987[1964]参照)。

しかしながら、グローバリゼーションの評価をめぐっては、研究者やマス

メディア、一般の人々の見方が大きく�つに分かれている。Macionis and

Plummer(2008)に従って、ここでは、グローバリゼーションの否定的見

方を「グローバリゼーションの均質化論」(globalisation as homogenization。

以下、「均質化論」と略述)、肯定的見方を「グローバリゼーションの多様化

論」(globalisation as diversification。以下、「多様化論」と略述)と呼んで

おこう。

均質化論によると、グローバリゼーションとは、欧米や日本のような先進

諸国の文化が非欧米発展途上国の文化を圧倒し、場合によっては消滅させ、

世界中の文化を均質化(平準化)する現象であるという。従って、グローバ

リゼーションは欧米先進諸国が非欧米諸国を文化的に従属させる文化的帝国

主義に他ならず、世界は西洋の近代化をモデルとしてただ一つの近代化を成

し遂げつつある(成し遂げるべき)とみなす(次頁の表を参照)。世界の均

質化ないし平準化に反対する立場から見ると、グローバリゼーションとは実

際のところ世界でもっとも強大な国アメリカが世界に自国の文化や価値観、

制度を押しつける「アメリカ化」(Americanization)に他ならず、それゆ

え、アメリカを象徴するファストフード店、マクドナルドに因んで「マクド

ナルド化」(MacDonaldization)とも言われる。

一方、多様化論によると、グローバリゼーションとは欧米や日本のような

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先進諸国の文化が非欧米発展途上国の文化を必ずしも消滅させることを意味

せず、むしろ融合して新たな雑種文化を生成する、多様化の現象ないし過程

であるとみなす。従って、グローバリゼーションは、場合によっては、非欧

米諸国が独自の文化(圏)を持った小惑星(小宇宙)となる契機をもたらす

ものと考える。言葉を換えて言うならば、世界は西洋をモデルとするただ一

つの近代化の道をたどらず、小惑星ごとの複数の近代化を成し遂げつつある

(成し遂げていく)ものとみなす。

実際のグローバリゼーションの議論はもちろんこれほど単純なものではな

い。しかしながら、グローバリゼーションの議論はおおむね以上の�つの議

論のバリエーションとみなすことができるであろう。筆者はこの種の議論の

立て方には、少なくとも以下の二つの点で大きな問題があると思っている。

序論 グローカリゼーションと越境 5

文化的相互浸透

cultural interpenetration

(文化的)クレオール化/横断

creolisation/crossover

文化的支配/被支配

cultural hegemony

文化的独立

cultural independence

文化的同調

cultural synchronisation

文化的従属

cultural dependence

文化的小惑星化

cultural planetisation

地球規模の人間界の意識

global ecumene

文化的帝国主義

cultural imperialism

多様化としてのグローバリゼーション

globalization as diversification

世界規模の文明の意識

world civilisation

均質化としてのグローバリゼーション

globalization as homogenisation

(出典:Macionis and Plummer 2008: 847-848)

表� グローバリゼーションの「均質化論」と「多様化論」

複数の近代化

modernizations

地球規模の「ごたまぜ」

global m?lange

単一の近代化

modernisation

混淆、雑種化

synthesis, hybridisation

西洋化

westernisation

自律(独立)

autonomy

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一つには、いずれの場合でも、グローバリゼーションに賛成か反対か、グ

ローバリゼーションを受容するか排除するかなどというような二者択一的な

議論に陥っているということである。均質化論者は、グローバリゼーション

によって世界各国・各地域の固有の文化が圧倒されて破壊・消滅し、世界中

のすべての社会や文化が欧米先進諸国のそれと同質になってしまうと言い募

り、グローバリゼーションの拡大・浸透をこのまま野放しにしてよいのかと

問いかける。大多数の人はもちろん「否」と答えるであろう。一方、多様化

論者は、世界各国、各地域の固有の文化は簡単には圧倒されず、ましてや破

壊・消滅することはなく、むしろ外部の刺激を受けて雑種文化を生み出して

多様化するのであるから、グローバリゼーションをむしろ歓迎すべきもので

はないかと問いかける。このように問いかけられれば、大多数の人はもちろ

ん「是」と答えるであろう。

この種の議論はいずれも暗黙の前提を共有しているように思われる。それ

は、私たちが主体的にグローバリゼーションを受容したり拒否したりするこ

とが可能で、それによってグローバリゼーションの拡大や浸透を抑制した

り、あるいは、グローバリゼーションが拡大・浸透する以前の時代に戻すこ

とも可能であるということである。しかしながら、言うまでもないことであ

るが、私たちにとってグローバリゼーションはもはや受容や拒否できる対象

ではなく、既存の「現実」である。私たちはグローバリゼーションの恩恵も

日々享受しており、今さらそれ以前の時代に戻ることなど考えられない。

従って、私たちが取り組むべきことは、グローバリゼーションの拡大や浸透

を当たり前のこととして受け入れつつ、グローバリゼーションの利点や欠点

をいかに良い方向にコントロールするかを考えることである。

二つ目の問題は、グローバリゼーションの「中心」(起点)と「周縁」(終

点・到達点)が互いに独立しており、グローバリゼーションは「中心」から

「周縁」に一方的に影響が及ぶ現象ないし過程であるとみなしていることで

ある。グローバリゼーションの概念自体には、グローバリゼーションの「中

心」と「周縁」というような空間的配置やそれが含意する「力」関係の差異

は盛り込まれていない。しかしながら、グローバリゼーションがしばしば

「アメリカ化」や「マクドナルド化」と同一視されることからもわかるよう

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に、グローバリゼーションの概念ないし現象・過程には明らかにグローバリ

ゼーションの起点としての「中心」と終点としての「周縁」の間の区別があ

る。加えて、「中心」と「周縁」という概念には、両者の間に「力」の不均

衡があることも含意されている。

グローバリゼーションをめぐる議論のなかで暗黙の前提とされている上述

の二つの点を明示化し、その問題に取り組むために導入された言葉ないし概

念こそがグローカリゼーションであった。

(2)グローカリゼーション

The Oxford Dictionary of New Words(1991)によると、グローカリゼー

ション(glocalization)という言葉は、世界市場に乗り出していった日本企

業が 1980年代初めに使い始めた業界用語に起源を持つという。当時、世界

市場に進出していった日本企業は、販売先国や地域ごとのローカル(現地)

のニーズに合わせて製品やサービスを加工・修正するという「現地化」戦略

を取って大成功を収めていた。こうした販売戦略は、グローバル市場をター

ゲットにしつつも(globalization)ローカルごとのニーズに合わせる

(localization)という意味で、global localizationと言われていたという。こ

の複合語がほどなくして一つの言葉に短縮され、1980 年代の終わりから

1990年代初めには glocalization(グローカリゼーション)という和製英語に

置き換えられたという(3)。

日本企業が使っていたグローカリゼーションという業界用語に着目し、グ

ローバリゼーション概念を補完する学術用語としてグローカリゼーション概

念を 1990年代の初めに学界に導入したのが、イギリスの社会学者、ローラ

ンド・ロバートソン(Roland Robertson)であった(Robertson 1992,1995

参照)。ロバートソンは、グローカリゼーションという新しい用語を学界に

導入することによって、グローバリゼーションがローカリゼーションと常に

同時に起こる現象ないし過程であることを明らかにした。

ロバートソンはまた、ローカリゼーションが固有の空間と固有の歴史を

持った場で進行することから、同一のグローバリゼーションの波をこうむっ

たとしてもそれぞれのローカルな場に応じて異なったグローバリゼーション

序論 グローカリゼーションと越境 7

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の「効果」が発現することも明らかにした。このことは、欧米先進諸国を起

点とする西洋流の近代化の波を周縁の国や地域が受けたとしても、そこでは

ローカルな文脈に合わせてさまざまなタイプの近代化が進行することを示唆

するものであった。それゆえ、ロバートソンら(Featherstone, Lash and

Robertson (eds.) 1995)は、グローバリゼーションに伴う世界各地の近代化

の実態や理論を論じた論文集に、単数の近代性(modernity)ではなく、複

数の近代性(modernities)というタイトルをわざわざ付けている(4)。この

種の考え方は、グローバリゼーションの議論の文脈では、グローバリゼー

ションの多様化論の系譜に連なるものと言えよう。

ロバートソンによる導入以降、グローカリゼーション概念は徐々に普及、

定着し、例えば、The Penguin Dictionary of Sociology (5th ed.)(2006)では

以下のように定義されている(5)。

〈グローカリゼーション〉

世界(グローバル)市場向けの製品に、販売先国ごとのローカルな好みに

合わせて改良を加えるという販売戦略に因む用語。社会学では、ローカル

な文化とグローバルな文化が相互に影響を及ぼし合う現象のことを言う。

また、ローカルな文化がグローバル化し、グローバルな文化がローカル化

する過程を意味する。

The Penguin Dictionary of Sociology (5th ed.), 2006: 170

2.グローカル研究の構想

(1)グローカリゼーション概念の再定義

グローバリゼーション概念を補完ないし補足するために導入された概念が

グローカリゼーションであったが、両概念には払拭できない二つの問題点が

「暗黙の前提」として残っているように思われる。すなわち、「影響・作用の

一方向性」の問題と「力の不均衡」の問題である。

「影響・作用の一方向性」の問題というのは、グローバリゼーションとグ

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ローカリゼーションのいずれの概念においても、影響や作用の「起点」(中

心)と「終点」(周縁)が想定されており、もっぱら欧米や日本等の先進諸

国(大都市)の起点(中心)が非欧米の発展途上国(村落)の終点(周縁)

に影響や作用を及ぼすとみなされているということである。グローバリゼー

ションやグローカリゼーション概念には、欧米や日本等の先進諸国の大都市

で経済や政治、社会、文化等の変革(イノベーション)が起こり、そこを起

点として変革の波が拡大し、非欧米諸国の大都市等を経由して地方都市や村

落部へと浸透していくというシナリオが織り込まれている。

時として、「中継地」を経ず、欧米や日本の大都市から直接辺境地帯の村

々にまでグローバル化の波が達することもあろう。あるいはまた、辺境地帯

を「起点」として欧米や日本等の先進諸国へグローバリゼーションやグロー

カリゼーションの波が広がることもあろう。しかし、この種の現象が時とし

て「逆グローバリゼーション」(reverse globalization)と呼ばれていること

からもわかるように、「正しい」(通常の)グローバリゼーション(及びグ

ローカリゼーション)はあくまでも欧米や日本等の先進諸国を起点として、

非欧米諸国の終点へと拡大するものとみなされている。グローバリゼーショ

ンやグローカリゼーション概念には、政治や経済分野のみならず社会や文化

の分野の影響・作用についても、欧米先進諸国の「起点」(中心)から非欧

米諸国の「終点」(周縁)への不可逆的な流れ(一方向性)が暗黙の前提と

して織り込まれていると言えよう。

他方、「力の不均衡」の問題というのは、グローバリゼーションによって

欧米や日本等の先進諸国の社会制度や文化要素等が非欧米の発展途上国に流

入・浸透して多大な影響を及ぼし、時として破壊や消滅さえ招きかねないと

いうことである。このことは上記の「影響・作用の一方向性」と密接に関連

しており、これまで、「中心」と「周縁」の間の力の不均衡として論じられ

てきた。

グローカリゼーション概念の導入は、グローバリゼーションとともにロー

カリゼーションにも焦点を当て、両者が不即不離の関係を保ちつつ同時に進

行することを明らかにしたという点で今日の社会・文化研究に多大な貢献を

したのは間違いない。しかしながら、グローカリゼーション概念の導入後

序論 グローカリゼーションと越境 9

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も、ローカル(周縁)がグローバル(中心)に対してつねに「受動的」かつ

「劣位」として位置づけられることには変わりはない。言うまでもないこと

であるが、周縁は必ずしも劣位にあるとは限らない。優位とまでは言わない

までも、周縁と中心との間の優劣関係が崩れ、均衡が発現したり逆転したり

することさえある。しかしながら、これまでのグローカリゼーション概念で

は中心が優位、周縁が劣位というような力の不均衡が不動の前提として残さ

れたままである。

以上のような問題意識から、筆者は、グローカリゼーション概念を以下の

ように再定義することを提唱している。

グローカリゼーションとは、グローバリゼーションとローカリゼーショ

ンが同時に、しかも相互に影響を及ぼしながら進行する現象ないし過程

である。

以上のように再定義することにより、グローバリゼーション概念に基づい

たがためにグローカリゼーション概念に内包されたままとなっている「影

響・作用の一方向性」と「力の不均衡」の問題をある程度は解消することが

できると考える。例えば、これまで「逆グローバリゼーション」と言われて

きたような現象・過程をそれ自体として正当に対象化し、評価することがで

きるようになるものと期待される。

また、グローバリゼーションとローカリゼーションが相互に影響を及ぼし

ながら進行すると定義することにより、両者の間の「力の不均衡」を意識し

つつも、そうした「力の不均衡」に均衡をもたらしたり、場合によっては逆

転したりするような現象や過程にも目配りすることができるようになるであ

ろう。

(2)グローカル研究

再定義したグローカリゼーションをキーワードとして、グローバリゼー

ションとローカリゼーションをめぐる社会的、文化的現象や過程に実証的か

つ理論的に取り組むものとして新たに構想した研究分野が、以下に述べる

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「グローカル研究」(glocal studies)である。

①定義

グローバリゼーションとローカリゼーショが同時に、しかも相互に影響

を及ぼしつつ進行する過程ないし現象をグローカリゼーションと定義

し、グローカリゼーションの実態や効果・影響を実証的かつ理論的に明

らかにする研究を「グローカル研究」と呼ぶ。

②目的

グローカル研究を通して、今まで見過ごされてきた今日的な問題や課題

をローカル(地域や地方)な視点から「対象化」(objectify)ないし可

視化するとともに、著しく均衡の崩れた「中心」(欧米社会)と「周縁」

(非欧米社会)の間の関係をローカルな立場から「対称化」

(symmetrize)することを目指す。

③意義

グローバリゼーションとローカリゼーションが同時に、しかも相互に影

響を及ぼしながら進行するグローカリゼーションの実態を明らかにし、

ローカルな視点や立場を強調しつつ、より柔軟な社会と文化のあり方を

構想・提示することを可能とする。

3.越境

グローカル研究を実施するに当たっては、現代のさまざまな社会的・文化

的過程ないし現象が対象となるであろう。例えば、グローカリゼーションと

して進行する社会接触や共同体の再編などが重要なトピックとして考えられ

る(6)。その中でもとりわけ重要と思われるのが、人や文化の「越境」に関

するグローカル研究である。

経済のみならず政治や社会、文化等のあらゆる分野におけるグローバリ

ゼーションがもはや疑いのない事実となり、それに対する関心が最高潮に達

した 1980年代の終わりから 1990年代の初めに、人の大規模な移動、すなわ

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ち移民に関して、これまでとはまったく異なった新たな事態が生じているこ

とが明らかとなった。「越境」(トランスナショナリズム)である。

1990年代までの移民研究では、移民、特に出稼ぎ移民労働者たちは最終

的には出身国に戻る(帰還)か、あるいは移民先国に帰化して定住するもの

と考えられていた。ところが、1990 年前後から、出身国に戻らず、かと

いって移民先国に帰化もしないような移民たちが急に目立ち始めた。こうし

た移民たちは、1980年代に急速に発達した簡便かつ時として安価な輸送・

交通手段を使い、移民受入国と出身国の間を、国境を越えて、長期にわたっ

て頻繁に行き来するようになった。また、当初は電話、後にはインターネッ

ト等の情報伝達技術を使い、移民たちはあたかも母国にいるのと同じよう

に、時としてそれ以上に頻繁に、出身国に留まる家族や友人、知人と連絡を

取り合うようになった。

その結果、こうした移民たちは出身国と移民先国の二つの国の言葉を自在

に操る等、複数の文化を同時に持つようになった。また、出身国の国籍(市

民権)を保持したままで移民先国の永住権を取得し(永住権保持者)、場合

によっては二つ以上の国の国籍(市民権)を同時に持つなど(重国籍)、複

数の国に合法的に帰属するようにさえなっている(7)。

1990年代の初め、こうした新たな移民のあり方は、国(nation)を越えて

いる(trans-)という意味で、トランスナショナル(transnational)と表現さ

れるようになった。そして、状態や現象を意味する接尾辞 -ismが付加さ

れ、トランスナショナリズム(transnationalism)という新たな言葉で概念

化された(8)。その後、トランスナショナリズム概念は移民問題のみならず、

さまざまな社会的、文化的現象を説明する用語としても使用されるに至って

いる。

トランスナショナリズム(transnationalism)及びトランスナショナル

(transnational)という言葉は通常「越境」と訳されている。本書でも、トラ

ンスナショナリズムの訳語として、すでに定着していると思われる越境とい

う言葉を用いる。しかしながら、トランスナショナリズムに越境の訳語を充

てる場合には以下の点に注意が必要である。

日本語の越境は、「境界、特に、国境を不法に越えること」(『大辞林』第

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3 版、2006 年)ないし「境界線や国境などを越えること」(『広辞苑』第 6

版、2008 年)を意味する。すなわち、越境とは境界を越えるという動作を

意味し、恒常的な状態を意味してはいない。

従って、越境という訳語を使うと、まず第一点として、トランスナショナ

リズムやトランスナショナルという言葉が明示する、国境を越えた移動に関

する概念であるという点が不明瞭となる。トランスナショナリズムやトラン

スナショナルという用語は、本来のグローバリゼーションに伴って注目され

るようになった、国境を越えた移動に関する用語として用いるべきであろ

う。

第二に、越境という訳語は境界を越えるという「動作」を意味し、トラン

スナショナリズムやトランスナショナルという言葉が本来持っていた、境界

を越えた結果として越境している「状態」となっているということを意味し

ない点が挙げられる。越境という訳語を使用することにより、問題関心の焦

点が本来のものと微妙にずれていることに留意しなければならない。

第三点として、第二点とも関連するのであるが、越境という訳語が、トラ

ンスナショナリズムやトランスナショナルという語が含意する、越境の結果

として複数の国に同時に帰属するという状態や様態を表わしていないことに

も留意する必要がある。

以上のごとく、「越境」という訳語は、原語のトランスナショナリズムな

いしトランスナショナルという言葉・概念が対象化・焦点化するいくつかの

重要な点を不鮮明にしてしまっている。しかしながら、その点を十分に認識

するならば、越境という訳語を使い、越境現象や越境過程の実証的、理論的

研究に取り組むことは、1990 年代以降にますます明確となりつつあるグ

ローバリゼーションとローカリゼーションが同時かつ相互に影響を及ぼしな

がら進行する現象ないし過程の研究、すなわちグローカル研究のもっとも有

望な研究となるであろう。

序論 グローカリゼーションと越境 13

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4.本書の構成

グローカリゼーションと越境をキーワードとして編んだ本書は、工藤論文

と長坂論文、上杉論文の三編の論文から構成されている。工藤論文と長坂論

文はともに人の越境に関するものであり、一方、上杉論文は文化の越境に関

するものである。

工藤論文は、経済のグローバル化に伴って国境を越えて移動・移住する労

働者(移民労働者)が形成する家族に焦点を当て、グローバルレベルとロー

カルレベル(移住先国及び出身国など)の政治や社会、文化的諸条件等を考

慮しつつ、移民労働者たちが家族(関係)をどのように変容させ、再構築し

ているのかを明らかにしている。具体的には、日本にやってきたパキスタン

人男性移民労働者たちの家族形成やその後の生活戦略を紹介し、近年増えつ

つある、複数の国に家族メンバーが分散して住む「トランスナショナル家

族」に注目する。

工藤によると、日本にやってきたパキスタン移民労働者の一部は、日本人

女性と結婚して家族を形成するに当たり、帰化して日本国内に留まることも

せず、かと言って妻子を連れてパキスタンへ帰還することもしない。日本人

の妻と子をニュージーランドやアラブ首長国連邦等の第三国に住まわせ、本

人は日本(及び当該第三国)を生活拠点としつつ、日本と妻子の住む第三

国、それに出身国であるパキスタンの間を頻繁に行き来しながら生活すると

いう。

家族メンバーが国境を越えて複数の国に分散居住し、それら複数の国の間

を日常的に往来しながら生活するこの種の家族を、工藤は、従来報告されて

いた本国(出身国)への帰還や移住先国への定住とはまったく異なるもので

あるとし、「トランスナショナルな家族」と呼ぶ。そして、こうしたトラン

スナショナルな家族の形成は、出身国や移住先国のローカルな政治、経済、

社会、文化的な状況に制約されつつも、グローバル化した世界の状況に適合

した移民たちの生活戦略の結果であるとする。本書の共通テーマ、グローカ

リゼーションに即して言うならば、工藤の報告するトランスナショナルな家

14

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族は、グローバルレベルとローカルレベルの政治、経済、社会、文化的ニー

ズをすり合わせて(接合して)形成した、「グローカルな家族」ということ

もできよう。

長坂論文も、経済のグローバル化に伴って他国に職を求めて移住したフィ

リピン人移民労働者の「トランスナショナルな家族」を扱っている。しか

し、長坂の関心は、トランスナショナルな家族(メンバー)が移住先国と出

身国であるフィリピンの間を頻繁に往来するというような意味での越境実践

(越境行動)ではない。長坂の関心は、トランスナショナルな家族の中で生

きるという意味での越境実践(越境意識)、特に「移動する子どもたち」の

移住経験にある。

フィリピンは移民労働者の送出国として世界的に有名であり、それゆえ移

民研究が盛んである。しかしながら、「移動する子どもたち」に焦点を当て

た研究はこれまでほとんどなかったという。本論文で、長坂はこれまで等閑

視されてきた移動する子どもたちに焦点を当て、子どもたちの自己意識(ア

イデンティティ)の形成や変容、社会的ネットワークの構築・再構築に関す

る研究が必要であることを述べる。そして、そうした研究で取り上げるべき

課題を予備的に検討する。

長坂は、「移動する子どもたち」に焦点を当てた研究を行うためには、

もっぱら移民の世代論で使用されてきた「第 1.5 世代移住者」(移民第 1.5

世代)という用語を再概念化(再定義)することを提唱する。周知のよう

に、移民研究では、移民当事者は移民第 1世代、移住先国で生まれた子は移

民第 2世代と呼ばれる。これに対し、親の出身国で生まれた後、親(移民第

1世代)に移民先国に呼び寄せられる子どもたちは、現地生まれの子どもで

ある移民第 2世代とは区別して、移民第 1.5 世代(第 1.5 世代移民ないし移

住者)と呼ばれる。長坂は、これまでただ単に世代概念としてのみ使われて

きた移民第 1.5 世代という概念を、子どもたちが出身国社会から移民先国社

会へ移動、移行するプロセスに焦点を合わせるための用語として再定義する

ことを提唱する。そうすることによって、グローバル化した世界を移動する

子どもたちが複数の国にまたがるトランスナショナルな社会(家族)の中

で、出身国と移民先国のローカルな状況に合わせて自己意識や社会的ネット

序論 グローカリゼーションと越境 15

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ワークを構築、再構築している実態を明らかにすることが可能であると述べ

る。

以上の二編の論文がグローバル化に伴う人の移動の問題を扱っているのに

対し、上杉論文は、グローバル化に伴って越境する文化を取り上げる。

韓国と日本には、素潜りでサザエやウニ、テングサ、ワカメなどを漁獲す

る女性潜水漁師、海女がいる。2000年代の半ば、韓国と日本で、海女の潜

水漁技術や海女漁をめぐる儀礼や信仰、生活文化等を独自の「海女文化」と

みなし、両国が協力してユネスコの無形文化遺産へ登録しようとする運動が

始まった。上杉はこの運動の成立と展開過程をたどり、この運動がグローバ

ルレベルの二つの出来事、サッカーのワールドカップの日韓共同開催とユネ

スコの無形文化遺産条約の成立への韓国と日本のローカルな対応であったと

分析する。そして、この運動の展開が、グローバリゼーションの「中心」が

「周縁」に影響を及ぼす事例としてばかりでなく、逆に、「周縁」が「中心」

に影響を及ぼす事例とみなし得ることを明らかにする。と言うのは、この運

動は、ユネスコの文化政策の根底に根強く残る文化観、すなわち「ある特定

の民族や国・地域がその民族や国・地域に固有の一つの文化を持つ」という

「�対�対応」の文化観に変更ないし修正を迫るものであるからである。

以上、本書を貫く二つのキーワード、「グローカリゼーション」と「越境」

の概要について簡単に説明するとともに、グローカリゼーション概念を核と

して構想した「グローカル研究」について述べた。また、本書を構成する三

編の論考の概略を述べるとともに、グローカル研究の観点から、各論考の意

味や意義について述べてきた。

本書の執筆者全員が必ずしもグローカリゼーションという言葉ないし概念

を使っているわけではないし、グローカル研究の観点から人や文化に関する

越境現象ないし過程を記述、解釈しているわけでもない。しかしながら、い

ずれの論考も、経済や政治、社会、文化のグローバリゼーションに伴って国

境を越えて移動し、複数の国にまたがっているような家族や社会関係、文化

に焦点を当て、それらの構築や再構築、再定義を、グローバリゼーションと

ローカリゼーションが同時に、しかも相互に影響を及ぼしながら進行する現

16

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象ないし過程として対象化し、理論化しようとしている点では一致してい

る。また、今日の流動化し、越境して複数化、多層化、多元化した社会的、

文化的現象や過程を可視化し対象化するためには、これまでのグローバリ

ゼーションの議論とは異なった新たな理論や方法論が必要であると考えてい

る点でも一致している。グローカリゼーションと越境に焦点を当てた本書

が、従来の閉塞したグローバリゼーション研究に一石を投じ、新たな研究の

端緒を開く一助になれば幸いである。

( 1 )本書は、成城大学民俗学研究所を研究拠点とする文部科学省戦略的研究基盤形成支

援事業、「グローカル化時代に再編する日本の社会・文化に関する地域・領域横断的

研究」(研究代表・松崎憲三教授、2008 年度〜2010年度)の中の研究プロジェクト、

「グローカル化に伴う越境の実態調査と理論構築」の研究成果の一環として刊行され

るものである(本書の「あとがき」参照)。

( 2 )和文タイトルは筆者の仮訳。原書は Macionis and Plummer, 2008, Sociology: A

Global Introduction。1997 年の初版以来すでに 4版を重ねている。

( 3 )glocal ないし globalization の語源等については、S. Tulloch (comp.)The Oxford

Dictionary of New Words, p. 134 を参照。なお、主要な英語文献での初出は、

glocalizeが Fortune誌の 1989 年 8月 28 日号、glocalizationが Advertising Age誌の

1990年 1月 8 日号であるという。

( 4 )Robertsonらは、世界にただ一つの(単数の)西洋流の modernityしか存在しない

のではなく、地域や地方ごとに異なった複数の modernitiesが存在するものと考え

ている。

( 5 )The Cambridge Dictionary of Sociology(2006)や A Dictionary of Sociology(3rd ed.

Revised, 2009)もほぼ同様の定義をしている。

( 6)このような観点から、成城大学グローカル研究センターを拠点として平成 23

(2011)年度から開始する「グローカル研究プロジェクト」(「社会的・文化的な複数

性に基づく未来社会の構築に向けたグローカル研究拠点の形成」)では、グローカル

研究の基礎理論の他、「社会接触」、「コミュニティ再編」、「経済社会動態」、「文化表

象」、及び「歴史認識」等の研究トピックに取り組む予定である。

( 7 )出身国の国籍(市民権)を保持したまま移民先国で永住権を取得するなどして居住

す る 人 々 は デ ニ ズ ン(denizen)と 呼 ば れ、自 国 民(citizen)と 外 国 人

(non-citizen)の間に位置付けられている。近年、永住権を保持するデニズンが急増

序論 グローカリゼーションと越境 17

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するとともに、参政権の付与など、デニズンの権利が拡大されつつある。また、複

数の国の国籍(市民権)を同時に持つ重国籍(dual/multiple nationality/citizenship)

を「容認」する国が増加し、すでに世界の半数以上の国で重国籍の取得が可能と

なっているという(Faist 2007: 1)。

( 8 )トランスナショナリズムは元来、「トランスナショナルな+状態」(transnational+

-ism)を意味する。この場合の接尾辞-ismは主義や主張ではなく、状態を意味す

る。従って、トランスナショナリズムは、時として誤解されているように、ある国

のナショナリズム(nationalism)が国境を越えて広がっている(trans-)という意

味ではない。また、文化や価値観などが国境を越えて広がっている状態

(transnationalな状態)を望ましいものとして希求するような主義や主張を意味する

ものでもない(上杉 2004参照)。

参照文献

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2006, The Penguin Dictionary of Sociology (5th ed.). London: Penguin Books.

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(McLuhan, Marshall, 1962, The Gutenberg Galaxy: The Making of Typographic

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1987,『メディア論―人間の拡張の諸相―』(栗原裕・河本仲聖訳)みすず書房

(McLuhan, Marshall, 1964, Understanding Media: The Extensions of Man,

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2006,『大辞林』(第 3版)、三省堂。

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1992, Globalization: Social Theory and Global Culture, Sage Publications(抄訳 R. ロ

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京大学出版会、1997).

18

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1995, Glocalization: Time-Space and Homogeneity-Heterogeneity. In Featherstone, M.,

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2006, The Cambridge Dictionary of Sociology, Oxford: Oxford University Press.

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2009a,「グローカル研究の構想―社会的・文化的な対称性の回復に向けて―」上杉富

之・及川祥平(編)『グローカル研究の可能性―社会的・文化的な対称性の回復

に向けて―』(シンポジウム報告書)成城大学民俗学研究所グローカル研究セン

ター,14-26 頁。

2009b,「『グローカル研究』の構築に向けて−共振するグローバリゼーションとローカ

リゼーションの再対象化」『日本常民文化紀要』第 27輯,(43)-(75)頁。

序論 グローカリゼーションと越境 19

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第 2章

フィリピンからの第 1.5 世代移住者

――子ども期に移住した人々の国際比較研究へ向けての覚書――

長坂 格

はじめに

1970年代以降、フィリピン共和国は、世界でも有数の移住者の送出国と

なってきた。海外フィリピン人委員会(Commission on Filipinos Overseas。

以下、CFOと略述)の推計値によれば、2008 年末の時点で、人口の約 9%

に相当する約 819万人の「フィリピン人」がフィリピン国外に居住している

とされる[CFO 2010]。

1970年代からほぼ拡大し続けてきたフィリピンからの国際移住における

近年の注目すべき動向として、移住先の家族再結合制度によって親に呼び寄

せられたり、あるいは親と共に国外へと移住した子どもたちが増大している

こと、さらにそれら子どもたちの移住先が多様化してきたことが挙げられ

る。CFO による移民資格を保持する出国者の統計によれば、1981 年から

2009 年の間に、34万人以上の 14歳以下のフィリピン人が国外に移住してお

り、その年別人数は 2000 年代半ば以降、増加傾向を見せている[CFO

2010]。また、1980年代以降のフィリピン人の移住先の著しい多様化と、そ

れら移住先国での家族呼び寄せの権利を保障する制度の整備は[近藤

2004]、移住者の子どもたちの移住先の多様化をも促してきたと推測される。

1970年代以降に生活の向上・安定化を模索してフィリピンから海外へと

移動した人々の子どもたちについては、社会学・文化人類学分野において、

近年、実証研究が徐々に蓄積されつつある。しかしこれらの研究のほとんど

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 49

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は、出身地に「残された子どもたち」(children left behind)を対象とする

か、あるいは移住先で定住する「移民の子どもたち」(children of immi-

grants)を対象とするものであり、上述した「移動する子どもたち」

(children in migration)の移住経験に焦点が当てられることは、これまでほ

ぼ皆無であった。

以上のようなフィリピンからの移住現象の展開と研究状況を踏まえ、筆者

らは、子ども期に異なる国へと移住した人々の比較研究をおこなうために、

2009 年に「フィリピンからの第 1.5 世代移住者」についての共同研究を開

始した。本研究における第 1.5 世代移住者とは、おおよそ中等教育までの就

学年齢において親の移住先へと移住した人々を指す。この共同研究の目的

は、異なる国における第 1.5 世代移住者たちの移住経験をインタビューを中

心とした質的調査にもとづいて記述し、併せてそれを、フィリピンにおける

彼らの多様な生活経験と、異なる移住先の政治経済的・社会的諸条件との関

わりで比較考察していくことである。具体的な調査研究課題を挙げれば、

フィリピンにルーツを持つ第 1.5 世代移住者たちが、異なる国(アメリカ、

カナダ、オーストラリア、日本、イタリア、フランス、イギリス)へと移住

していくなかで、いかなる生活上の課題に直面し、そしてそのなかでいかに

彼らがよりよい生への模索(1)を行ってきたのかを、特に彼らの自己意識(2)

や社会関係のネットワークの構築・再構築に着目することで、比較検討して

いこうとするものである。

このような目的のもとで比較研究をすすめる本研究は、フィリピンから子

ども期に移住した人々についての最初期の実証的研究となるだけでなく、近

年の「移動する子ども」、あるいは「トランスナショナルな家族のなかの子

ども」を対象とした、子どものエージェンシーに着目する研究群に対しても

実証的理論的意義を持ちうると考えられる。それら研究の多くでは、従来の

受動的な子どもイメージを批判して、様々な制約のなかでの子どもの創造

性・主体性に焦点を当てる近年の子ども研究の視点が援用される[e. g.

Prout and James 1997]。その上で、「大人を中心に置いた移住研究」におい

ては軽視されてきた、子どもたちが社会的アクターとして主体的に移住に関

わっていくプロセスや、子ども自身によって把握される移住経験に焦点を当

50

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てる必要性が指摘されてきた[Dreby 2007:1050-1051;Knörr and Nunes

2005:15;Olwig 1999:267;Orellana et al. 2001:573]。

子ども期に移住を経験した人々によるよりよい生への模索のあり方を比較

考察しようとする本研究は、これら移動する子どもに関する近年の研究に対

して、まずは、子ども期に移住した人々自身の移住経験理解や移住への主体

的関わりに関する具体的事例を提供することができるだろう。同時に、第一

に一つの国にルーツを持ちながらも異なる国へと移住した移住者の子どもた

ちの移住経験の比較研究を行うことを通して、第二に「第 1.5 世代移住者」

という用語を採用し、さらにその用語をこれまでの移住研究とはやや異なっ

た形で用いていくことを通して、それらの研究に方法論的・理論的に貢献し

ていくことも目指している。

第一の点については、これまでアメリカを中心に多数行われてきた、移民

の子どもたちの同化・統合過程に関する社会学的比較研究のほとんどは、一

国内に居住する移民の子どもたちの出身国および出身階層別の比較であった

[e. g. Rumbaut and Portes 2001;Levitt andWaters 2002、cf. 志水・清水

2001]。それに対して本研究では、同じ国にルーツを持つが、異なる移住先

国で生活する第 1.5 世代移住者たちの移住経験を国際的に比較検討するとい

う、従来の研究とは異なる形での比較を行う。そうすることで本研究は、移

動する子どもたちの研究における方法論的議論を活発化させたいと考えてい

る(3)。

第二の点については、本研究では、第 1.5 世代移住者という用語を、従来

の移民研究のように、単に移住時年齢によって定義される第 1世代と第 2世

代の狭間に位置する世代カテゴリーとして用いるだけでなく、出身地社会か

ら移住先社会への移動のプロセスを焦点化する発見的装置として再概念化す

る。そうすることによって、移住先社会における生活経験の考察に力点が置

かれがちであったこれまでの移動する子どもたちの研究群に対して、出身地

社会の文脈をも踏まえた、彼らの移住経験の微細な差異を捉えうる考察の必

要性を提示していくことを試みる。

本稿では、以上のようなフィリピンにルーツを持つ第 1.5 世代移住者につ

いての研究の課題と意義を、関連研究のレビューと統計資料にもとづき論じ

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 51

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ていく。まず次節では、本研究が採用する第 1.5 世代概念の定義とその用語

に込められた理論的・方法論的狙いを、先行研究に触れながら述べる。2節

では、フィリピンからの移住者の子どもたちの生育・教育環境の多様性を把

握するために、1960年代後半以降のフィリピンからの海外移住の歴史を概

観する。次いで 3節では、フィリピンからの移住者の子どもたちについての

先行研究として、「残された子どもたち」と「移民の子どもたち」に関する

研究を取り上げ、第 1.5 世代移住者研究の課題のいくつかを提示する。

このように、本稿は、筆者らの現在進行中の共同調査に関する論点の整

理、ないしは課題の提示に留まるものである。しかし、子ども期に移住した

人々を、自らの移動を「解釈する主体」[Silvey and Lawson 1999:126]と

して捉え、その生のあり方を記述分析していこうとする実証研究がほとんど

なされてきていない状況においては、こうした論点や課題の提示も一定の意

義を持つものと思われる。

1 第 1.5 世代移住者概念の定義と用法

本節では、本研究が第 1.5 世代移住者という用語をいかに使用していくか

を説明する。ついては第 1.5 世代移住者という用語を用いた先行研究をレ

ビューしつつ、本研究での定義、用法、留意点を順に述べていくことにす

る。

一般に、国際移民研究における第 1世代移住者とは、国外での出生・社会

化を経て、大人となった段階で移住してきた人々を指す。それに対して第 2

世代移住者とは、少なくとも一方の国外出身の親を持つが、親たちの移住先

国で生まれ、社会化された人々を指す。ここで問題となるのは、このカテゴ

リー化に当てはまらない、国外で生まれたが、子ども期に親の移住先国に移

住してきた人々をどう扱うかという点である。

アメリカの移民研究では、これら国外で生まれたが子ども期に移住してき

た人々を、「事実上の第 2 世代」として第 2 世代のカテゴリーに含むことが

しばしばなされてきた[Rumbaut 2004:1165]。1965 年のアメリカ移民法

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改正以降の新移民の子どもたちであるいわゆる「新第 2 世代」(the new

second generation)の同化過程に関する研究においても、国外で生まれ、

子ども期に移住してきた人々を新第 2 世代の中に含めて考察することが多

かった[Levitt and Waters 2002:12;Myers et al. 2009:208-9]。

しかし、それらの研究において、移住時の年齢を基準として子ども期に移

住してきた人々を第 1.5 世代と呼び、第 2世代および第 1世代から区別する

こともある[Zhou 1997b:65]。そうした区別ないしはカテゴリー化がなさ

れる背景には、出身地である程度社会化された後に移住してきた人々と、幼

少期ないしは子ども期に移住してきた人々とでは、言語習得のペースや教育

や社会経済的地位の達成の程度、生活様式の移住先社会への同化のあり方な

どに違いが見られるという認識がある。例えば、最も早い時期にそうしたカ

テゴリー化を行ったランボートは、アメリカへの難民の子どもたちについて

論じるなかで、国外で出生しアメリカで教育を受けた人々を第 1.5 世代と呼

ぶことを提唱した。そうしたカテゴリー化が必要となる理由として彼が挙げ

ているのは、大人と子どもとでは移住先社会への適応のペースが異なるとい

う点、さらに第 1.5 世代と呼びうる人々は、①子ども期から大人期への移行

と、②一つの社会文化的環境から別の社会文化的環境への移行とを、同時に

乗り切ることが求められるため、それぞれ片方の移行のみが課される第 1世

代と第 2 世代からは区別されるべきであるという点である[Rumbaut

1991:61]。

このランボートの提唱に呼応する形で、1990年代以降、第 1 世代とも、

第 2世代ともいえない、いわばそれらの狭間に位置する人々を、移住時の年

齢で区切って第 1.5 世代としてカテゴリー化する動きがでてきた。しかし、

第 1.5 世代の定義に用いられる移住時年齢は、必ずしも一致しているわけで

はない。アメリカにおける新第 2世代の同化過程を統計的に検証する研究に

おいては、そうしたカテゴリー化がなされる場合、6歳から 12歳までに移

住してきた人々を第 1.5 世代と呼び、13歳以上で移住してきた人々を第 1

世代とみなすことが一般的である[Zhou 1997b:65]。他方で、例えばイス

ラエルのロシア系の第 1.5 世代の統合過程についての研究では、思春期のお

およその始まりである 11歳から、ロシア、イスラエルでの高校卒業および

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 53

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入隊の年齢である 18 歳までに移住してきた人々を指すとされている

[Remennick 2003]。また、ニュージーランドのアジア系の 1.5 世代の移住

経験と生活戦略を論じた研究では、6歳から 18歳というより広い移住時年

齢の範囲で第 1.5 世代が定義されている[Bartley and Spoonley 2008]。さ

らに、第 1.25 世代や第 1.75 世代という概念の導入など、移住時の年齢の違

いによって生じる移住経験の相違を重視して、カテゴリーのさらなる細分化

を提唱する立場もある[Rumbaut 2004、cf. Alitolppa-Niitamo 2002]。

こうした様々な研究における第 1.5 世代という用語の使用は、その定義に

多様性が見られるものの、移住時年齢の違いが移住経験に差異をもたらすと

いう認識が、徐々に広がりを見せていることを示しているともいえる。しか

し、こうした移住時の年齢による移住者の子どものカテゴリー化に対して

は、すでにいくつかの批判がなされている。

まず、移動する子どもたちを一律に特定の移住時年齢でカテゴリー化する

ことに対する批判がある。マイヤーズらは、アメリカ在住のメキシコ系住民

の事例に即して、様々な社会経済的達成指標と移住時年齢との関係を見るこ

とで、ランボートらによる、移住時に 6歳以上 12歳以下という第 1.5 世代

の定義の妥当性を統計的に検証した。その結果、移住時年齢は言語(英語)

習得において決定的であるが、最終教育歴においてはさほど関係せず、さら

に他の経済達成の指標においてはより影響が薄いなど、それら指標と移住時

年齢との相関の程度・有無は違いを見せること、また、何歳で区分するのが

最も適切かという移住時年齢区分の位置も、どの指標を取り上げるかによっ

て異なってくることなどが見出された。その上で、移住者のすべての社会経

済的達成の違いを説明するための、単一の移住時年齢による第 1.5 世代のカ

テゴリー化は避けるべきであると指摘した[Myers et al. 2009]。

また、移民研究における世代概念の中心性を再考する必要があるという指

摘もある。例えばウォーターズらは、1965 年以降のアメリカへの新移民に

ついては、常に新規の移住者たちが次々と到着する状況が今後も続くとみら

れるなかで、「いかなる時点においてもそれぞれの世代はコーホートの混合

であり、それぞれのコーホートは世代の混合である」[Waters and Jiménez

2005:121]と指摘して、世代概念とコーホート概念との併用を提唱する。

54

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また、レビットらは、トランスナショナルな社会的場で育つ子どもたちが増

大するなかで、一方向的・段階的な世代概念を用いることは、共にトランス

ナショナルな紐帯のなかで進行している移住者である子どもと非移住者であ

る子どもの社会化を、完全に分離されたものとして捉えることにつながりか

ねないと述べる[Levitt and Jaworsky 2007:133-134]。

本研究では、これらの批判も踏まえつつ、第 1.5 世代概念を、ある程度の

移住時年齢を想定して定義した上で、さらにこの概念の発見的な価値を強調

して用いるという立場をとる。本研究におけるフィリピンからの第 1.5 世代

移住者を改めて定義すれば、子ども期の一時期を、少なくともいずれか一方

の親の出身地であるフィリピンで過ごした後、フィリピンあるいは移住先社

会における初等・中等教育の就学年齢に大まかに相当する年齢で、親の移住

先へと移住した人々である。

この定義の第一の特徴は、子どもたちの出身国(出生国)が、少なくとも

いずれか一方の親の出身国であるフィリピン以外であることを想定している

ことである。後に触れるように、イタリアの第 1.5 世代たちの一部は、イタ

リアで出生し、イタリアで数か月から数年を過ごしたのちに、親たちの出身

地に送り戻され、そこで子ども期を過ごすという経験をしている。上の定義

において子どもたちの出身地に言及していないのは、トランスナショナルな

人の移動が増大する現代世界において決して例外的ともいえない、子ども期

にそのような一方向的ではない移動を経験する人々の存在を念頭に置いてい

るためである。

この定義の第二の特徴は、年齢による厳密な定義づけをするわけではない

が、比較研究を遂行していくにあたって、おおまかな移住時年齢を想定して

いることである。ここで年齢を厳密に定義していないのは、上記した、単一

の移住時年齢による第 1.5 世代のカテゴリー化への批判があることを踏まえ

ている。ただし特に本研究においては、異なる国・地域に移住する人々を一

律の年齢区分で区切ることが、移住先社会の文脈を軽視することにつながり

うること、また、少数の質的調査の事例に基づき、いわば「仮説策出的」

[谷 1996:22]に移動した子どもたちの移住経験を文脈に即して考察してい

くという本研究の調査研究の方向性に、対象となる人々のカテゴリーを、先

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 55

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験的に厳密な形で定義することはなじまないと思われたことも付け加えてお

きたい。

とはいえこの定義では、初等・中等教育の就学年齢に大まかに相当する年

齢において移住するという形で、ある程度の移住時年齢の区分を設定してい

る。それは、本研究が、彼らが「出身地社会」における生活経験の記憶を

持っていることを重視するとともに、彼らが移住先においても引き続き社会

化のプロセスにあること、とりわけ学校教育を受けることで、親世代である

第 1世代とは異なった形で移住先社会と接触することを重視することによる

[cf. Bartley and Spoonley 2008:67]。移住先社会における学校は、しばし

ば、移住者の子どもたちにとっての、移住先での新しい文化との最初の体系

的接触の場とされてきた[Suárez-Orozco and Suárez-Orozco 2001:3]。

本研究では、移住先で学校教育を受けるかどうかによって生じる親世代と彼

らの移住経験の相違と、少なくとも二つの国において社会化、特に学校教育

を経験するという彼らの移住経験の特性を重視して、移住時年齢の緩やかな

限定を行っている(4)。

ただし、本研究において、このように移住時の年齢によって対象となる人

々を大まかに限定することは、あくまで記述分析のための出発点である。こ

の概念を採用するにあたってここで強調しておきたいことは、この概念が果

たしうる、人々が子ども期に一つの文脈から別の文脈へと移動していくプロ

セスを焦点化する発見的装置としての役割である。すでに述べたように、ア

メリカの新第二世代を対象として行われてきた、移民の子どもたちの移住先

社会への適応様式に関する社会学的研究においても、第 1.5 世代という概念

は用いられてきた。しかしそれらの研究において、第 1.5 世代移住者が「出

身地社会」において多様な生活経験を有していること、さらにそうした「出

身地社会」における生活経験が彼らの移住後の社会関係や自己意識の構築・

再構築に影響を及ぼしうることに注意が向けられることはほとんどなかった

と言える。そのことは、それらの研究が、第 2世代と第 1.5 世代をしばしば

同一視してきたことによく示されている。

それに対して本研究では、第 1.5 世代という概念を用いることで、それら

対象となる人々が、少なくとも二つの国・地域で社会化されてきたことを意

56

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識化・焦点化させたいと考えている。すなわち、本研究では、移住以前と以

後の子どもたちの生活経験を多かれ少なかれ規定し、制約し、方向づける言

説と実践の多層性および複数性を、意識化・焦点化することを促していく概

念として「第 1.5 世代」という概念を位置づけている。それは、そうした概

念化を行うことによって、「移住先社会」だけでなく、移住以前の生活の場

であった彼らの「出身地社会」における多様な生活経験をも視野に収めなが

ら、複数の多層的に構成される諸言説と諸実践の絡まり合いのなかでの人々

による社会関係の構築・再構築および自己形成を記述分析していくという、

本研究の調査研究の方向性がより明確となり、強調されると考えたからであ

る。このように第 1.5 世代という概念を再構築することによって、「出身地

社会」における彼らの生活経験の多様性も加味しながら、第 1.5 世代移住者

たちの移住経験を微細な差異に留意しつつ把握することを志向するのが、本

研究の基本的立場であり、特徴であるといえる。

以上のように第 1.5 世代移住者概念の使用に関する本研究の立場を示した

上で、ここでさらに、この用語を使用する際の留意点を述べておきたい。パ

クは、アメリカにおける韓国系移民の間で、その定義にばらつきはあるもの

の、第 1世代とも第 2世代とも違うと意識される、本研究でいう第 1.5 世代

に相当するカテゴリーが用いられていることを報告している[Park 1999、

cf. Danico 2004]。この事例にみられるような、人々の間における何らかの

形での世代カテゴリーの形成、さらにそこへの同一化・非同一化は、本研究

においても重要な調査課題の一つとなりうる。例えば、ある移住先において

は、第 1.5 世代概念に類似するカテゴリーが人々の間で用いられ、別の移住

先においてはそうではないという状況があるならば、そうしたカテゴリーの

形成の背景の比較は、本研究にとって興味深い主題となるだろう。しかし、

上で定義した分析概念としての第 1.5 世代移住者概念は、そうした人々の間

で用いられるカテゴリーからは区別されていること、したがって人々の間で

の世代に関連するカテゴリー化の有無や様態、さらにはそこへの人々の同一

化・非同一化の諸相は、あくまで異なる移住先において実証的に検討される

べき調査課題であることを、ここでは確認しておきたい。

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 57

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2 海外移住の歴史のなかの第 1.5 世代移住者

(1)フィリピンからの海外移住の歴史

図 1 は、海外フィリピン人委員会(CFO)が把握している、永住を前提

とした資格での移住である「移民」(emigrants)のうち、移住時の年齢が

14歳以下および 15歳以上 19歳以下であった人々の数の推移を示している。

この統計によれば、1981 年から 2009 年の 29 年間で、移住時の年齢 14歳以

下の人々が年平均約 11,800人、合計約 34万人、15歳以上 19歳以下の人々

が年平均約 6,000人、合計約 17万人が移民している[CFO 2010]。図 1 か

らは、期間全体を通して増減はあるものの、2000年代半ば以降にその数が

増加していることがわかる。以下では、まず、これらの子どもたちを含む

フィリピン人移住者の子どもたちが、いつ頃からどの国にどのような形で移

住したのか、あるいはしなかったのかを大まかに把握するために、1960年

代後半以降のフィリピンからの海外移住の展開を簡単に説明する。

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図1 移住時年齢別移民数(19歳以下のみ、1981年~2009)

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1910年代から盛んにおこなわれたハワイ、カリフォルニアへの労働移住

が 1934 年のタイディング・マクダフィー法の成立によってほぼ終息して以

来、フィリピンからの海外移住はまったく目立つものではなかった。しか

し、1960年代以降、海外移住は急激に増加していく。1960年代後半以降の

フィリピンからの海外移住の展開は、①移住先での永住を前提とする資格で

の移民と、②数年間の契約など比較的短期間の就労を目的とする資格での移

住、の 2つに大別して説明することができる。

最初の永住を前提とする資格での移民が拡大した最も重要な契機は、1965

年の米国の移民法改正であった。この移民法改正は、当時の不平等な出身国

割り当て制を廃止し、さらにアメリカ市民の家族・近親者がいる者、医師・

看護師・技術者等特殊技能を持つ者に対して、合法的なアメリカへの移民の

道を開いた。この改正以降、アメリカ市民に近親者がいる、あるいは高い技

能を有する多数のフィリピン人がアメリカへと移民していった。また、1960

年代から 1970年代にかけては、アメリカと共に「古典的移民国」[カースル

ズ・ミラー 1996:5-7]と分類されるオーストラリアとカナダにおいても、

類似した移民受け入れ政策の転換があった。それ以降、フィリピンからこれ

らの国へも、家族再結合を通じた、あるいは技能保有者・専門職による移民

が拡大していった。

CFO が把握する 1981 年から 2009 年までの移民数を見ると、29 年間で

169万人が移民としてフィリピンから出国している。同じ期間の移民先国別

人数を見ると、最大の移民先であるアメリカに、年平均約 3万 9千人、合計

約 112万人が移住しており、アメリカへの移民は移民者数全体の 67%を占

める。同じ期間におけるアメリカ以外の他の主要移民先国を順に挙げれば、

約 26万人のカナダ、約 11万人の日本とオーストラリア、1万人強のイタリ

ア、ニュージーランド、ドイツがある。このうち、カナダ、日本、イタリア

への移民数は、1990年代以降ないしは 2000年代以降に増加している。こう

したアメリカ以外の国への移民数の増加によって、アメリカへの移民数が全

体に占める比率は、1981 年の 82%から 2009 年の 51%へと低下した。アメ

リカが主要な移民先であることに変化はないものの、フィリピンからの移民

先は多様化傾向にあるといえる[CFO 2010]。

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 59

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また、これらの移民数を押し上げている要因の一つに、国際結婚を契機と

した海外への移民の増加がある。CFOの統計(5)では、1989 年から 2009 年

までの 21 年間に約 37万人が国際結婚を理由に出国しており、その 90%以

上が女性であった。CFOが把握している、同期間にフィリピン人と国際結

婚をした配偶者の国籍の上位 3 カ国は、アメリカ(42%)、日本(29%)、

オーストラリア(8%)である[CFO 2010]。ちなみに古典的移民国ではな

い日本への、上記の永住を前提とした資格での移民数のほとんどは、国際結

婚を通じて移住した人々である。

2番目の比較的短期間の就労を目的とする移住は、通常 2 年から 3 年程度

の契約期間で就労する、いわゆる海外契約労働者(Overseas Contract

Workers)の移住とほぼ重なるものである。当初は海外船員が中心であった

海外契約労働者であるが、石油危機以降の中東諸国での建設労働者需要の拡

大によって 1970年代半ばから急増した。こうした中、当時のマルコス政権

は、主として失業者を減少させるための「一時的な解決策」として 1974 年

に海外への労働者の送り出しを推進する政策を採用した。しかしその後、労

働者送り出し政策は国家の開発政策の重要な構成要素として位置づけられ、

いくつかの重要な変化を含みながらも、現在に至るまでフィリピン政府に

よって保持されている。

こうした労働者送り出し政策の展開を一つの重要な背景として、多数の

フィリピン人が契約労働者として海外で就労するようになった。1975 年に

は 4万人を下回っていた契約労働者数は、1990年代に入ると約 70万人に達

し、2009 年は 140万以上となっている[NSO 1997;POEA 2009]。それら

契約労働者たちの移住先は、1970年代は「オイルブーム」で労働力需要が

急増した中東諸国が中心であったが、1980年代半ば以降は経済成長を達成

した東アジア諸国にも広がりを見せた。さらに 1990年代以降はヨーロッパ

への労働移住も増加し、移住先国のさらなる多様化が進展した。また、1980

年代半ば以降、多数のフィリピン人女性が国外で家事労働者として就労する

ようになり、特に 1990年代以降は海外移住の女性化が指摘される[小ヶ谷

2003、Go 1998]。

さて、2つの流れに分けて概観してきたフィリピンからの海外移住の展開

60

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は、世界の様々な国で、多数のフィリピン出身者が異なる滞在資格で居住す

る状況を生み出した。表 1 は、CFOが公表している海外在住フィリピン人

の移住先国別人口の推計から、移住者人口が多い国(10万人以上)とそれ

以外で本研究が対象とする国(フランス)を取り出したものである。全体と

しては、約 819万人のフィリピン人が世界各地で生活しており、そのうち

390万人が雇用契約を伴わない永住移民、363万人が雇用契約を伴う短期的

移住者、65万人が非正規移住者に分類されている。地域別でみれば、アメ

リカ大陸等が 350万人以上で最大であり、西アジア、東アジアがそれに続

く。国別では、アメリカの 280万人が際立って大きく、以下、サウジアラビ

アの 109万人、カナダの 61万人、アラブ首長国連邦の 57万人、オーストラ

リアとマレーシア、日本、カタールが 25万人前後で続く。

また、それぞれの国における移住者類型の比率は大きく異なる。表 1 に挙

げられている国は、ほとんどが永住移民に分類されるアメリカ、カナダ、

オーストラリアといった古典的移民国、ほとんどが短期的移住者に分類され

る中東諸国および香港、その中間で両者がそれほど大きくは偏らない日本、

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 61

表1 海外在住フィリピン人推計値(2008年12月)

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シンガポール、イタリア、イギリス、そして非正規が最大となるマレーシ

ア、フランスとに大別することができる。

(2)移住史のなかの第 1.5 世代移住者

以上みてきた 1960年代半ば以降のフィリピンからの海外移住の歴史と、

主要な移住者類型から見た移住先の類別は、どの国にどのような形で移住し

た人々の子どもたちが、どこでどのような法的地位でだれと居住する傾向が

あるのかを、大まかに把握するのに役立つ。まず、古典的移民国であり、い

ずれも本研究が調査を実施している国であるアメリカ、カナダ、オーストラ

リアへと永住移民として移住した人々の子どもたちは、年齢などの条件を満

たせば、家族単位で移住するか、離別期間を経て家族再結合を通して移住す

る。これらの国への移住者の子どもたちは、親の移住先に、永住権・市民権

の獲得を前提とした移民として同行または再結合することが一般的である。

他方で海外契約労働者として中東諸国、香港、シンガポールなどに移住し

た人々は、基本的には単身での移住となる。これらの人々の子どもたちは、

フィリピンに残る片方の親、近親者、あるいは雇用されたケアギバーのもと

に残されることが一般的である。ただし、これらの国に海外契約労働者とし

て移住していた親が、古典的移民国であるアメリカやカナダへと再移住し、

その子どもが、家族再結合を通して親の移住先に合流するという事例も少な

くない。

移民と短期的移住者が大きく偏らない国については、その国へのフィリピ

ンからの移住の歴史、移住先における法的地位、移住先国の家族再結合制

度、さらには時期の違いによって、移住者の子どもたちがどこで生活するか

が異なってくる傾向が大きい。そこでこの点を簡単に見るために、本研究が

調査を実施する国であるイタリアと日本を取り上げる。

イタリアは、1980年代以来、フィリピン人の主要な移住先として浮上し

た。移住者の大半は家事労働者として就労している。第一世代の多くが、非

正規就労の後、政府の合法化措置を経て居住許可を取得している。イタリア

では 1986年以来、細かい内容の変化はあるものの、居住許可取得者が、原

則的に 18歳未満の子どもと配偶者を呼び寄せることができるようになって

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いる。しかし、この家族再結合制度があったからといって、居住許可取得者

たちが、18歳未満の子どもをすぐに呼び寄せたわけではなかった。1986年

以降に配偶者の呼び寄せはある程度進展したが、家事労働者として就労する

夫婦の多くは、雇用機会と就労時間を確保するために、1990年代までは出

身地に子どもを残す、あるいは戻すことを選択していた[長坂 2009、

Parreñas 2001]。

例えば筆者のルソン島北西部のイロコス地方の調査村においては、1990

年代までは、イタリアで就労する人々の子どもは、故郷の親族によって養育

されることが一般的であった。当時イタリアで生まれた子どもたちは、たい

ていの場合、数ヶ月から数年のうちに親の出身地に送り返されていた。それ

ら故郷に残された、あるいは戻された移住者の子どもたちは、フィリピンに

そのままとどまり続けるか、あるいはある程度成長してからの家族呼び寄せ

やイタリア在住フィリピン人との結婚などを通してイタリアへと移住してい

た。フィリピンの小学校を卒業するくらいの年齢でイタリアへと呼び寄せる

事例が増加し始めたのは、2000年代からであった。このように時期による

違いはあるものの、イタリアにおいては、一般的に居住許可取得者ないしは

居住証明書(Carta di Soggiorno)取得者による家族呼び寄せという形で、

18歳未満の子どもの移住がおこなわれてきた。

日本の場合、フィリピンからの移住者で、子どもを呼び寄せる資格を持つ

人々のほとんどは、日本人と結婚または再婚したフィリピン出身女性であ

る。CFOの統計では、1989 年からの 21 年間で、10万 8千人の日本人と結

婚したフィリピン人が出国しているが[CFO 2010]、その圧倒的多数が女

性である。こうした移住史を背景として、フィリピンから日本への子どもの

移住は、日本人と結婚または再婚したフィリピン出身女性による、彼女たち

の「連れ子」の呼び寄せであることが多い[Takahata in press]。母親の婚

姻関係が継続している事例では、母親が就労のために日本へ移住した後の母

親との離別期間と、本人が呼び寄せられて移住した後の母親の結婚相手を含

む新たな家族への合流というプロセスが見られるという特徴がある。

以上ごく簡単にみてきた、親の移住先および移住形態の違いによる子ども

の生活拠点および移住形態の違いは、子どもたちの移住経験ないしは非移住

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 63

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経験が、フィリピンからその国への移住の歴史と、移住先国の移民政策に

よって大きく左右されることを示している。つまり、フィリピンから、いつ

頃、どのような人々がいかなる形でその国の社会・経済に編入されたのかと

いう点と、移住先国がどのような人々をいかなる形で移住者として受け入

れ、いかなる形で誰に家族再結合を認めているのかという点は、相互に作用

しあいながら移住者の子どもたちの生育・教育環境の形成に多大な影響を及

ぼしてきたといえる。本研究が関心を寄せる、子ども期に移住した人々によ

るよりよい生への模索は、こうした構造的制約のなかでの生の模索として考

察される必要がある。

3 フィリピンからの移住者の子どもたち

冒頭で述べたように、1970年代以降にフィリピンから海外へと移住した

人々の子どもたちについての実証的研究は、「残された子どもたち」と「移

民の子どもたち」に集中してきた。以下では、本研究の関心と交差するそれ

ら先行研究の知見を取り上げることで、第 1.5 世代移住者の調査研究課題の

いくつかを提示する。

(1)残された子どもたち

すでに述べたように、フィリピンから海外契約労働者として移住した人々

の子どもたちは、移住者である親の出身地に残されることが一般的である。

上で取り上げた統計では、2009 年の時点で 363万人が海外において一時的

な在住資格で就労していた。これら大量の短期的移住者によって出身地に

「残された子どもたち」の生育・教育環境は、1980年代以降、現代フィリピ

ンにおける「社会問題」として注目を集めるようになった。例えば、1989

年の以下の雑誌記事はフィリピンにおけるそうした問題意識をよく示してい

る。

1987 年と 1988 年で、53万人のフィリピン人労働者が中東に派遣され、

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7万人近くが香港に行き、2万 6000人がシンガポールで職を得た。もし

この 3つ国マ マ

への労働者が平均 2 人の子どもを持つとすると、1988 年だけ

で 120万人のサウジキッズがいることになる!(中略)外国に行きお金

をため、子どもと家族に衣食住を提供する必要があることは理解でき

る。政府が厳しい財政運営のなかで貴重なドルを獲得する必要性も同様

である。しかし、おそらく私たちは、今、しばらく立ち止まってこの富

の対価は何か(家族あるいは国家にとって)ということを考えるべき時

にきているのではないか(6)。

ここで示されているような「富の対価」は何かという問題意識は、海外移

住が多くの家族に経済的上昇を可能にした一方で、その社会的コストとして

移住者の子どもたちの生育・教育環境の悪化を招いているという現状認識を

生み出していく。一例を挙げれば、1995 年の新聞記事は、「子どもたちの情

緒的なダメージと家族関係の崩壊は、予期せぬ、そして数値化できない、簡

単な解決方法が見いだせない海外移住のコストである」と述べ、違法薬物に

走る子どもや早期に妊娠・結婚する子どもの例を挙げている(7)。

フィリピンにおける「残された子どもたち」についての初期の研究は、こ

のような海外移住による子どもの生育・教育環境の悪化という現状認識を、

量的調査によって検証することに主眼が置かれていた。例えば、最初期に行

われた、クルスによる中部ルソン地方の高校・大学に所属している生徒、保

護者、教員を対象とした調査票調査は以下のような知見を導き出した。すな

わち、①教員による学業成績や授業態度、積極性などの評価では、移住者の

子どもたちは、非移住者の子どもたちよりやや高いか同程度であること、②

母親の海外移住を望まないという意見に賛同する子どもたちは、親の移住状

況に拘わらず高いこと、③子どもたちの間では、親が海外移住することの経

済的利点が強く意識されているが、親の移住による学業成績への不利益は意

識されていないこと、などである[Cruz 1987]。

このような、親の海外移住によって子どもの教育・生育環境が悪化すると

いう認識を修正するような調査結果は、その後の量的調査においても見られ

る。それらの調査からは、親の海外移住が、子どもの学業成績、健康状態、

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 65

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情緒的安定性に否定的な影響を及ぼしているとはいえないこと[Battistella

and Conaco 1998]、さらに近年では、移住者の子どもの学業成績、情緒的

状態が相対的に良好であることが報告されている[Asis 2006;ECMI et al.

2004]。そしてそれらの研究は、そうした調査結果の説明要因として、親の

不在を補完する、たいていは同居するか近隣に居住する近親者からの子ども

への様々な形でのサポートの存在を指摘する。ただし、母親が移住者の場

合、子どもの学業成績や情緒的安定性は、父親や両親が移住者の場合よりも

低い傾向があるという指摘や[Battistella and Conaco 1998;ECMI et al.

2004]、移住者の子どもたちが母親の移住に対する否定的な意見を示すこと

が多いという指摘[Asis 2006;ECMI et al. 2004]など、クルスの調査同

様、母親役割の重要性に関する知見も出されている。

これらの量的調査と並行して、質的調査に基づいた「残された子どもた

ち」に関する研究もおこなわれてきた。代表的なものとして、パレニャスに

よる、2002 年から 2004 年までのビサヤ地方でのインタビューと調査票調査

に基づいた研究を挙げておきたい[Parreñas 2005]。この著作は、国際移

住の拡大に伴うトランスナショナルな母親役割の遂行が伝統的なジェンダー

規範の再生産に寄与していることを、子ども達の視点から描き出したもので

あるが、そこには「残された子どもたち」に関する記述分析が多数含まれて

いる。関連する主な知見としては、①カトリック教会、法律、雑誌、教育現

場、メディアなどにおいて、トランスナショナルな世帯は家族のあるべき姿

から外れている、また母親は子どもを置いて働きに行くべきではないといっ

た意見が表明されることが多いこと、②父親が移住者の場合、残された母親

は親族からのサポートが相対的に少なく、父親役割までを含めて育児を行う

ことになること、③他方で母親が移住者の場合、近親者や年長の姉妹、家事

労働者が残された父親を家事面で支え、母親が電話などを通して物理的距離

を超えて育児の責任を維持することが多いこと、④以上のプロセスにおいて

伝統的なジェンダー規範を基盤とする母親役割が維持されるため、母親が移

住者の場合、子どもは父親が移住者の場合よりも、より「放っておかれてい

る」という感情を抱きがちであること、などがある。

これらの研究には、移住経験の微細な差異にこだわる本研究の立場からみ

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ると、親の出身階層や出身地地域の違いによる、学校・学業に対する態度や

家族観の偏差がほとんど考慮されていないという点において、さらに考察さ

れるべきと思われるところがある。ただその点を留保すれば、これら「残さ

れた子どもたち」に関する先行研究は、フィリピンからの第 1.5 世代移住者

の調査研究にとって多くの手がかりを提供してくれるといえる。なぜなら

ば、第 1.5 世代移住者のなかには、親の移住先へと移住する以前に、親に

よって出身地に「残された」経験を持つ者が少なくないからである。これ

は、前節で取り上げた日本やイタリアなど新興の移住者受け入れ国への移住

者の子どもたちだけでなく、古典的移民国であるアメリカ、カナダ、オース

トラリアへの移住者の子どもたちにも当てはまる場合があると考えられ

る(8)。それらの事例では、子どもたちは、一定期間の親からの離別を経験

した上で、移住先で親と合流することになる。そうしたプロセスは、親と子

それぞれに関係の複雑な調整を要求する可能性があり[Fresnoza-Flot

2010;Suàrez-Orozco and Suàrez-Orozco 2001:69]、その点は本研究の重

要な主題となるだろう。ただ、ここでは「残された子どもたち」の先行研究

の知見から、第 1.5 世代の移住前の状況に関していくつかの注目すべき点を

挙げておこう。

まず、彼らの多くが親から離れている期間、出身地に残る親族の手厚いサ

ポートを得ているという多数の指摘がなされていることがある。こうした指

摘については、出身階層や地域社会の文脈に即したさらなる考察が求められ

るところではある。ただその点をひとまず置けば、これらの指摘は、彼らの

そうした濃密な親族のネットワークのなかでの生活経験が、移住後の彼らの

社会関係構築や、自己形成にどのような影響を与えるのかという調査課題を

提起しているように思われる。例えば、彼らのこうした生活経験のなかでの

社会関係資本および文化的スキルの蓄積は、移住先社会における彼らのネッ

トワーク構築のための資源となるのかならないのか、あるいはそうした生活

経験が移住先社会における主流社会の家族観などとの対比のなかで相対化さ

れることを通して、何らかの自己形成に結びつくことはあるのか、などの問

いが考えられるだろう。同様に、これらの研究における母親役割の重要性に

ついての多くの指摘は、その重要性の偏差を考慮に入れる必要があるにして

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 67

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も、彼らが誰によって「残された」のかにも着目して、彼らの「出身地社

会」での生活経験による影響を見ていく必要性を示唆しているといえる。

また、パレニャスが指摘するメディアや法律、教科書における、「正しく

ない種類の家族」としてのトランスナショナルな世帯批判言説や、母親によ

る海外移住自体を批判する言説との関連での子どもの感情の分析も、本研究

に調査および考察の手がかりを与えてくれるだろう。上で述べたことと重な

るが、本研究の立場からすれば、そこでの分析に対しては、いわゆる近代欧

米ミドルクラスの家族観に合致するようにもみえるこれら批判的言説と対象

となる人々の態度や実践様式の「距離」の違いにより敏感になる必要性や

[cf.McKay 2007]、言説自体の複数性により配慮する必要性も感じられる。

しかし、パレニャスによって提示された批判的言説に関する資料の数々は、

本節の冒頭で取り上げられた新聞・雑誌記事とともに、現代フィリピンにお

いて、海外移住者の子どもたちが、どのような形であれ、少なくとも語られ

る存在であることを示唆しているといえる(9)。

こうした海外移住者の子どもたちについての語りは、地域社会のレベルで

もよく聞かれる。例えばアシスは、1990年代初頭の複数の村落でのインタ

ビュー調査にもとづき、村落において、移住者の子どもたちが、しつけが十

分でなく、学業を終える意思が弱く消費行動が過度に派手であると、非移住

者である大人たちによって語られる傾向にあると述べている[Asis 1995:

340、cf. Nagasaka 1998:87]。ただし、フィリピンにおいては、親の移住

形態・移住先によって、移住者の子どもたちについての表現や評価の仕方が

異なってくることも考慮に入れるべきであろう。旧宗主国アメリカへの移民

の子どもと、香港、イタリアで家事労働者として就労している移住者の子ど

も、また日本での就労を経て国際結婚をした移住者の子どもたちは、現代

フィリピン社会におけるそれらの国々への移住者についての異なるイメージ

や語りを考慮すれば[cf. Aguilar 2004:96;Suzuki 2002:115]、年代を同

じくしても、恐らくは常に同じようには語られたり、扱われたりするわけで

はないと考えられる。しかし、こうしたコミュニティレベルでの言説も含

め、第 1.5 世代移住者となる人々が、「出身地」において、海外移住者の子

どもとして、あるいは特定の国への移住者の子どもとしていかに語られ、そ

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していかに扱われてきたのかという点は、重層する複数の言説のなかでの第

1.5 世代移住者によるネットワーク形成および自己形成に着目する本研究に

とって、きわめて重要な主題となりうるだろう。

(2)移民の子どもたち

次に、フィリピンからの「移民の子どもたち」についての先行研究のうち

でも、本研究の主題と密接に関連すると思われる、アメリカ、特にアメリカ

西海岸におけるフィリピン系移民の子どもたちの同化プロセスに関する研究

を取り上げ、本研究のいくつかの課題を取り出してみたい。ここで特にアメ

リカにおけるフィリピン系移民の子どもたちの研究に注目するのは、アメリ

カがフィリピン出身者の最大の移民先であり、かつ移民の歴史も相対的に長

いこともあり、移民の子どもたちについての研究蓄積が比較的進展している

と考えられることによる(10)。

近年のアメリカの「移民の子どもたち」についての研究において中心的な

主題となってきたのは、1965 年の移民法改正以降にアメリカに移住してき

た新移民の子どもたち、すなわち本研究でいう第 1.5 世代を含む新第 2世代

が、いかにアメリカ社会に適応していくのかということであった。この新第

2世代の適応の様式を明解に説明してみせたのが、ポルテスらの「分断的同

化理論」(Segmented Assimilation Theory)であった。この理論化の背景に

あるのは、20世紀初頭までのヨーロッパ系移民の事例に基づいて構築され

た、移民の子どもたちが徐々に固有の文化的特質を失い、アメリカ社会の中

核に向かって一方向的・直線的に同化していくという同化理論が、非白人系

が中心である新第 2 世代には適用できないという認識である。すなわち、

「砂時計型」へと再編されつつある経済構造と人種的に序列化された社会へ

の適応を余儀なくされるそれら新第 2世代については、彼らが同化していく

複数の経路およびセクターを想定した上で、彼らがアメリカ社会のどのセク

ターに同化されていくのかを問うことが必要であるという。

こうした認識のもと、彼らは、主としてフロリダとカリフォルニアにおけ

る大規模な調査(CILS:The Children of Immigrants Longitudinal Study,

1992。「移民の子どもに関する長期調査」)にもとづき、新第 2世代のアメリ

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 69

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カ社会への適応に関して以下の三つの経路を指摘する。それらは、①ミドル

クラスへの文化的同化と経済的統合という上昇移動、②底辺層への文化的同

化と経済的統合という下降移動、③ミドルクラスへの経済的統合と移民のコ

ミュニティの価値と連帯の保持の併存、である。親世代の社会経済的地位、

家族構造、移民コミュニティの連帯の程度といった移民コミュニティ内部の

要因と、アメリカ社会における人種差別と経済機会および居住の分断という

構造的要因が相互に作用するなかで、新第 2世代が異なる経路を歩み、その

ことが彼らに異なる社会経済的・文化的帰結をもたらすというのが、この理

論の中心的主張である[Portes and Zhou 1993;Portes et al. 2005;Zhou

1997a]。

この分断的同化理論およびそのベースとなった CILS調査では、フィリピ

ン系の新第 2 世代の多くは、社会経済的地位の達成において相対的に成功

し、生活様式も同化傾向にあるなど、経済的統合および文化的同化が進展す

るという第一の経路を歩んでいると見ることができる。この背景には、1965

年以降のフィリピン系のアメリカへの移民である彼らの親世代に、大学で教

育を受けた、英語運用能力がきわめて高いミドルクラスが多数含まれていた

ことがある[Wolf 2002、cf. 関 2009]。

しかし、そのような経済的統合および文化的同化の進展傾向と同時に、

フィリピン系移民の子どもたちの間では、相対的に自尊の感情が低い、抑鬱

傾向が高いという傾向もある。また、親世代よりも人種差別を経験している

と回答する比率が高いことも指摘される(11)。エスピリトらは、理論的な観

点からすると逆説的にもみえるこうした調査結果が生じている状況を踏ま

え、英語をうまく話すことや家を所有することなどの経済的統合や同化を示

す指標は、同化を実際に経験する人々にとっての同化プロセスの「意味」を

解明するものではないこと、そして同化プロセスはより複雑で矛盾に満ちた

ものであることを認識すべきであると指摘した[Espiritu and Wolf 2001]。

ウォルフは、そうした問題意識から、フィリピン系の間でミドルクラスへ

の経済的統合と同化が見られる一方で、多くの若者の間で絶望感や疎外感が

見られることに着目し、特にフィリピン系の家族関係における葛藤を取り上

げた。カリフォルニアにおける高校と大学における調査にもとづき、フィリ

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ピン系の親子間では、「家族」の緊密性がフィリピン人意識の中心となって

いること、しかしそうした「家族」の中心性は、親子間で異なる形でイメー

ジされており、時に親からの高い要求に対応できないという子どもたち、特

に娘たちの間でストレスや疎外感を生じさせること、さらにそうしたストレ

スや疎外感は家族内の問題を家族外にしゃべらないという家族イデオロギー

によって増幅されうることを示した。そして、同化過程における矛盾に注目

する必要性とともに、それがジェンダー化されている側面を考慮する必要性

を指摘した[Wolf 2002]。

エスピリトもフィリピン系のなかでの「家族」の中心性とそれがジェン

ダー化されている様相に注目する。カリフォルニアのサンディエゴでの調査

に基づき、エスピリトは、フィリピン系の人々が「家族の緊密性」をフィリ

ピン人の特徴として強調すること、また親たちは息子と娘では育て方が異な

るべきであると考えており、娘の行動により強い制限を加えることを指摘し

た。そして、第 1世代の人々が、彼らの生活において常に強力な他者として

立ち現れる「白人系」アメリカ人との対比で、「フィリピン人の家族」およ

び「フィリピン人女性」のイメージを構築し、さらにそうしたイメージのも

とで娘の身体と行動を監視することは、主流社会への自らの道徳面での優位

性の主張として捉えられると論じた。その上でそうした優位性の主張は、彼

らが移民前後に直面してきた、植民地支配の歴史とも関わる経済的、政治

的、社会的従属の文脈のなかに位置づけられるべきものであると述べる

[Espiritu 2001]。

これらアメリカ西海岸のフィリピン系の新第 2世代に関する研究は、本研

究の問題関心からみれば、第 2世代と第 1.5 世代を同一視する傾向があり、

第 1.5 世代移住者の出身地社会での生活経験や、そうした生活経験によって

影響されうる彼らの間での移住経験の微細な差異を必ずしも十分にすくい

取っていないといえる。例えば、第 1.5 世代移住者による家族イメージの構

築や人種差別の経験は、出身地社会の多様な生活経験との関連で、さらに考

察される余地があると思われる[cf. Suàrez-Orozco and Suàrez-Orozco

2001:68、83]。また、アメリカ西海岸とハワイに歴史的に多数の非熟練移

住者を送り出してきた農村地域(イロコス地方)で調査をおこなっていた筆

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 71

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者からみると、そうした非熟練移民たちの移住経験が、これらの研究におい

ては過少評価されているようにもみえる[cf. Liu et al. 1991]。

ただしそうした点を留保すれば、分断的同化理論における経済構造の再編

や人種差別という構造的文脈の重視という視点は本研究においても採用され

るべきであろう。また、フィリピン系新第 2 世代の分析において強調され

た、表層的な同化や経済的統合プロセスにおける複雑な感情のありようとそ

こでの矛盾への着目、また、そうしたプロセスがジェンダー化されたもので

あること、およびフィリピン系移住者による移住経験理解に植民地支配の歴

史が複雑に関わっていることへの注意(12)という観点も、本研究において、

調査地の状況に応じてではあるが、十分に活かされうるものである。

また、上記した研究が指摘するような、「家族の緊密性」がフィリピン人

であることの中心に位置づけられる状況があるかどうかは、それぞれの調査

地の移住条件や出身地社会の生活経験によって異なってくると思われる。し

かしウォルフが指摘する、親子が共に、「家族の緊密性」をエスニシティの

核として重視しているように見える状況においても、親子間で「家族」に対

する異なるイメージが形成されうるという点は、本研究にとっても、調査地

の状況によっては注意を払うべき点となるだろう。

次に、アメリカへの移民の子どもたちの研究において、本研究の主題と直

接関わる、カリフォルニアで調査を行った木下が「同年代異生地間対立」

[木下 2009:144]と呼ぶ現象がしばしば報告されていることにも触れてお

きたい。1965 年の移民法改正以降のアメリカへの移民は、各エスニック集

団において継続的に新規の移民が流入するという特徴を持つ。そこから、同

じ国にルーツを持つが、出生地が異なる人々が、アメリカの学校や地域社会

で出会うという状況が生まれる。そこでしばしば生じるのは、アメリカで生

まれた第 2世代からの、本研究でいう第 1.5 世代に対する差別的なまなざし

と実践である。

第 1.5 世代たちは、アメリカにおいてアメリカに到着したばかりの移民に

対する侮蔑的な表現である FOB(Fresh Off the Boat)という表現で呼ばれ

ることがある[cf. Zhou and Xiong 2005:1149]。そこでは、彼らの英語の

「フィリピン訛り」が第 2 世代と第 1.5 世代とを区分する基準として用いら

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Page 47: CENTER FOR GLOCAL STUDIES グ 研 SEIJO …...CENTER FOR GLOCAL STUDIES SEIJO UNIVERSITY グ ロ ー カ リ ゼ ー シ ョ ン と 越 境 Center for Glocal Studies Institute of

れる[木下 2009:146]。例えばエスピリトは、高校時代の 1976年にアメリ

カにきた男性による、彼の英語の「訛り」が、高校で出会ったアメリカ生ま

れのフィリピン系に彼らの両親の英語を想起させ、彼ら自身の一部でありな

がらも彼らが嫌悪するイメージを醸し出したがゆえに、彼らから FOBとし

て差別を受けたという語りを提示している。その男性は、そうした差別が

あったために、高校ではフィリピン系の友人があまりできなかったという

[Espiritu 2003:183]。また、木下も、いとこによる「フィリピンからきた

から英語がしゃべれません」という紹介に差別を感じたと述べる、フィリピ

ン生まれでアメリカに移住した女性の語りを紹介している[木下 2009:

149]。

木下は、こうした英語の「訛り」を中心的な基準とした同世代異生地間対

立の背景として、アメリカによるフィリピンの植民地支配を正当化する機能

を果たした、フィリピン人が植民地化されるべき「劣った」人々であるとい

う表象を第 2世代が受容していること、そしてこの「フィリピン訛り」が第

2世代のフィリピン系の間で否定的なフィリピンを象徴するものとして捉え

られていることを指摘している。彼らがそうしたフィリピンの否定的表象を

受容する要因として考えられるのは、特にミドルクラスのフィリピン系のあ

いだでは、親たちが子どものアメリカ社会での上昇を望むために子ども達か

ら自分たちの母語や文化を遠ざける傾向が強いという状況において、第 2世

代が「フィリピンに関する情報の多くを、アメリカにおける教育とマス・メ

ディアに専ら依存してきたこと」[木下 2009:147]があるという。さらに、

第 2世代自身もアメリカの主流社会から完全に受け入れられてないという意

識を持つなかで、第 2世代のあいだでは、自らのエスニシティを否定する傾

向が強いという要因も挙げられる。他方で、こうした第 2世代からの差別的

なまなざしと実践は、英語が公用語であるフィリピン社会において、英語力

に自信を持つミドルクラス出身のフィリピン系第 1.5 世代にとっては、激し

い怒りを生じさせることになるとも指摘される[木下 2009:145-150]。

1節の最後で指摘したことと重なるが、本研究において、移民規模や移民

の歴史の長さ、さらには国民国家形成のあり方も異なる国々に暮らす人々の

間で、第 1.5 世代と第 2世代が区別されているかどうか、その区別が人々の

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 73

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社会生活においてどの程度の重要性を持っているのか、さらに区別されてい

るとすればそれがどのような基準でいかに区別されているのかは、あくまで

実証的に追求されるべき問題である。しかし、こうしたアメリカ移民の子ど

もたちの研究における、第 2 世代による、英語の「訛り」を基準とした第

1.5 世代に相当する人々に対する否定的表象と排除、そしてそうした実践に

対する当事者の激しい憤りについての資料は、このような第 1.5 世代移住者

の表象が、たとえその境界があいまいなものであっても、彼らの社会関係の

あり方や自己意識に強い影響力を持ちうることを示唆しており、その点は本

研究でも意識しておくべきであろう。

また、アメリカのフィリピン系移民の子どもたちのあいだでの異生地間対

立が、出身地社会と移住先社会において歴史的に形成されたフィリピン系移

民のミドルクラス的な価値観と関わっているという指摘は、第 1.5 世代の家

族的背景や移住後の生活経験の違いによって、こうした対立がどのように受

け止められるかに差異が生じうることを示唆しているように思える。さら

に、フィリピンが移住先においていかに表象されてきたかということが、人

々のあいだでの第 1.5 世代移住者表象に影響を与えているという指摘は、植

民地支配の歴史や現代世界における政治的・経済的序列化、さらには特定の

移住先国とフィリピンとの関係のあり方のなかに、そうした表象を位置づけ

ていくことが不可欠であることを示している。したがって、人々の生活世界

におけるそうした異生地間対立の重要性が確認される場合、「出身地社会」

の彼らの生活経験、移住先社会への移住史とフィリピン出身者の編入様式

を、その多様性を踏まえながら押さえた上で、さらに多重な権力関係のなか

で形成されるフィリピンないしはフィリピン人表象との関わりで、彼らの語

りや行為を考察していくことが求められると言える。

おわりに

以上、本稿では、フィリピンからの第 1.5 世代移住者による生の模索のプ

ロセスを、彼らの社会関係や自己の構築・再構築に着目して比較検討してい

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くという共同研究を遂行していくにあたっての、基本的研究視点と課題のい

くつかを、関連する先行研究やフィリピンからの海外移住の歴史を検討する

ことで提示してきた。

第 1.5 世代概念について論じた箇所で述べたように、本研究では、第 1.5

世代という用語を、移住時年齢で緩やかに定義しつつも、それらの人々が、

少なくとも二つの国・地域社会で社会化されてきたことを意識化・焦点化さ

せるための発見的な概念として用いている。そのように第 1.5 世代移住者概

念を再構築することで、第 1.5 世代移住者たちの移住経験を、そこに見られ

る微細な差異に留意しつつ把握していくことが、従来の移住者の子どもたち

に関する多くの研究と異なる本研究の特徴であるといえる。そうした立場か

ら見た場合、本稿の後半部分で検討したフィリピンにおける「残された子ど

もたち」およびフィリピンからの「移民の子どもたち」に関する先行研究に

は、本文中でも指摘したように、フィリピンにおける第 1.5 世代移住者の生

活経験の多様性や、そうした多様な生活経験によって生じうる第 1.5 世代の

移住経験の微細な差異が考慮されていないことなど、考察が不十分と思われ

るところが少なくない。本稿においてそれらの先行研究の検討から取り出し

た、第 1.5 世代移住者研究を行うに際してのいくつかの課題や論点も、その

ような本研究の立場からの批判を踏まえた上で取り組まれる必要があるとい

うことができる。

最後に、1節で取り上げた、レビットらによる、現代の移住研究において

世代概念を中心的に用いることへの批判という点に関して付言して、本稿を

閉じることにしたい[Levitt and Jaworsky 2007:133]。彼らの批判は、第

1世代と第 2世代、そして非移住者の経験に明確な境界を設けるような世代

の概念化は、人、モノ、情報の行き来が飛躍的に増大し、人々の草の根レベ

ルのトランスナショナルな紐帯がきわめて緊密なものとなっている状況にお

いては適切ではないというものである。というのも、そうした世代概念の使

用は、トランスナショナルな社会的な場において、関連を持ちながら進行す

るそれら子どもたちの社会化のプロセスを、独立したものとして切り離して

考えることにつながりうるからである。

再三述べてきたように、本研究において、第 1.5 世代という用語は、世代

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 75

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カテゴリーであると同時に、人々が少なくとも二つの国、地域社会における

社会化を経験することを意識化させるための発見的概念として中心的な位置

を占めている。しかし、レビットらの指摘を踏まえれば、現代のフィリピン

からの第 1.5 世代移住者の社会化が、共に、トランスナショナルな紐帯の影

響にある、相互関係を持つ二つ(以上)の地域社会における社会化でありう

ることに留意する必要があるといえるだろう。もとより、本稿で紹介した

「残された子どもたち」や「移民の子どもたち」に関する研究は、第 1.5 世

代移住者の多くが、実体的あるいは象徴的なトランスナショナルな紐帯の影

響を色濃く受けながら社会化されてきたことを示してきた[e. g. 長坂 2009、

Espiritu 2003;Parreñas 2005]。さらに、筆者が調査を実施するイタリア

の例では、子どもたち自身が、親の移住先と出身地とを行き来しつつ、学齢

期を過ごすことも必ずしも例外的とはいえない。その点を踏まえれば、第

1.5 世代の人々が移住以前と以後に社会化されてきた社会環境を相互に連関

したものとして捉えた上で、しかしそれぞれが置かれた社会環境の個別性も

加味しながら、彼らの移住経験を考察していくという調査研究の方向性が浮

上するだろう。

( 1 )「生」という概念については、「『生』とは生命であり、生活であり、また人生として

語られる」が、「それらのすべてを包含する実践の総体」[田辺 2008:3]とする田

辺の議論を参照した。田辺は、タイにおける HIV感染者やエイズ患者の自助グルー

プを対象として、グローバル化する世界で新たな保健医療システムが構築されてい

くなかで、人々が他者との相互関係において、いかに新たな生の意味を探求してき

たかを論じている。

( 2 )自己形成、または自己意識の構築・再構築という概念は、ムーアによる複数の主体

の位置についての以下のような議論に多くを負っている。「・・・人類学は、自己の理

論というより主体の理論を必要とすることを議論したい。なぜならば、それが、主

体性の複数的構成とそのプロセスにおける主体のエージェンシーに焦点を当てるこ

とを可能にするからである。この枠組みにおいては、単一の主体は一人の個人と同

じではありえない。個人は複数のものとして構成される主体であり、言説や社会的

実践の範囲のなかで複数の主体の位置を有する。これらの主体の位置のいくつかは、

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矛盾し、競合するものであるだろうし、個人は、単一の位置を通してというよりは、

いくつかの互いに矛盾することもある位置を通して自己の意識を構築する。」

[Moore 2007:17]

( 3 )ただし、実際に、ある地域において生活する第 1.5 世代移住者たちの調査事例を扱

う際には、移住先国内部での移民政策ないしは統合政策の多様性に注意を払うこと

は不可欠であろう[佐久間 2006:139-40、Castles 2004:870]。また、同じ国に

ルーツを持つ第 1.5 世代移住者の間での、出身階層や出身地域の違いによる多様性

を踏まえることは本研究の前提である。しかしそれらの留保をつけながらも、本研

究では、それぞれの調査地のフィリピン系第 1.5 世代移住者の移住経験を比較して

いくことで、それぞれの移住先国自体の、さらには移住先国とフィリピンとの関係

の特徴のいくつかを抽出することも試みたいと考えている。

( 4 )ただし、ここで筆者は、移住先で学校教育を経験せずに親の移住先に移住した人々

の移住経験と、第 1 世代の移住経験が同じであると主張しているわけではない。出

身地で海外移住者の子どもとして社会化された上で、彼らの親の移住先へと移住し

た彼らの移住経験は、彼らの親世代の移住経験とは差異化されうると考えられる。

( 5 )この数字は、結婚の他に、若干の婚約と事実婚を含む[佐竹・ダアノイ 2006:43]。

( 6)“How farest the Saudi Kids?” Sunday Globe Magazine, March 19, 1989.

( 7 )“OCWsʼ Children: Bearing the Burden of Separation.” Manila Times, September 30,

1995.

( 8 )例えば、フィリピンからカナダへの移民では、カナダ政府によるリブイン・ケアギ

バー・プログラム(LCP:Live-In Caregiver Program)で移住することが少なくな

い。そうした場合、移住者たちは、時に別の移住地からカナダへと移動して、定め

られた期間のケアギバーとしての就労を経た上で永住権申請・家族再結合へとすす

むことになり[Barber 2000]、子どもたちにとっては、家族再結合以前に、少なく

とも一方の親から離別する期間が生じることになる。また、筆者の農村調査からは、

アメリカへの家族再結合の場合でも、少なくともいずれか一方の親との離別期間が

生じることが少なくないことが予想される。

( 9 )逆に、クルスが見出した、フィリピンの地域社会に少なからず存在する、親は海外

移住者ではないが、実親と共住していない子どもたちについては[Cruz 1987]、驚

くほど語られることが少ない。

(10)ただし、もちろん、ここで指摘される第 1.5 世代研究にとっての課題や論点は、あ

くまでアメリカという国に移住した人々の子どもの研究から導き出されたものであ

ることには、十分に留意すべきである。さらに、アメリカ国内のフィリピン系移民

の多様性にも留意する必要がある[Liu et al. 1991]。

(11)また、フィリピン系の新第 2 世代については、親世代の社会経済的地位の高さや英

語力の高さが、大学卒業率の高さにあまり結びついていないという指摘もある

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 77

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[Zhou and Xiong 2005]。

(12)日本への結婚を通じた移住女性たちの事例を題材に、この問題を論じたものとして

は、鈴木[2009]がある。

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付記

本稿は、科学研究費補助金・基盤研究 B「移民第 1.5 世代の子ども達の適応過程に関す

る国際比較研究――フィリピン系移民の事例」(課題番号 21402032、研究代表者:長坂

格)の成果の一部である。また、3節の(1)については、科学研究費補助金・基盤研究

B「東南アジアにおける出稼ぎが農村の子どもの生育・教育環境に与える影響に関する研

究」(課題番号 19401006、研究代表者:吉野晃東京学芸大学教授)の成果も利用させて頂

いた。1節で引用した文献については、鈴木伸枝氏から、2節の統計資料に関しては原め

ぐみ氏から多くのご教示を頂いた。関恒樹氏と鈴木伸枝氏からは草稿段階で、また共同研

究者の方々からはアイディアの段階でコメントを頂いた。また、本稿の一部は、「第 2回

国際フィリピン研究会議アジア地区日本大会」(2010年 11月、つくば市)で発表し、参

加者から多数のコメントを頂いた。記してここに感謝申し上げます。

第 2章 フィリピンからの第 1.5 世代移住者 83

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第 3章

グローカル化としての「海女文化」の創造

――韓国と日本におけるユネスコ無形文化遺産登録運動――(1)

上杉 富之

はじめに

本小論は、2000年代初めに徐々に明確となってきた、日本と韓国におけ

る「海女文化」を共同ないし連携してユネスコの無形文化遺産に登録しよう

とする運動を取り上げ、運動の成立と展開の過程を報告するとともに、グ

ローカリゼーション(グローカル化)の観点からその運動の社会的・文化的

な意味と意義を検討するものである。

日本と韓国には、世界的に見ても珍しい、素潜りでサザエやアワビ等の貝

類やワカメやテングサ等の海藻類の採取を生業とする女性の潜水漁師、海女

が存在する。2000年代の初め、こうした海女の潜水漁法やそれにかかわる

儀礼、信仰、生活文化等の総体を日本と韓国の関係者が共同でユネスコ

(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録しようとす

る運動が始まり、近年、運動の輪が少しずつ拡大してきている。この運動の

中で、それまであまり注目されていなかった海女の潜水漁やそれをめぐる儀

礼、信仰、生活文化の総体が海女固有の文化、「海女文化」と規定され、以

降、日本と韓国で「海女文化」が組織的かつ体系的に「創造」ないし「再発

見」されつつある。

本小論では、以上のような「海女文化」の創造、再発見とユネスコ無形文

化遺産への登録運動を、ユネスコの文化政策(無形文化遺産登録制度)とい

うグローバルな制度と日本と韓国におけるローカルな文化運動の相互作用、

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 85

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すなわちグローカル化の観点から捉え、その意味ないし意義を検討する(2)。

以下、まず、海女文化の創造ないし再発見の最大の契機となった、グロー

バルな場におけるユネスコの文化政策、特に無形文化遺産保護条約について

述べる。次に、この条約の採択に呼応して開始された韓国(済州島)と日本

(志摩・鳥羽地方)における海女文化の創造ないし再発見の過程と、韓日

(日韓)共同のユネスコ無形文化遺産への登録運動の成立と展開について述

べる。その際、海女文化の創造ないし再発見が、韓国の済州島と日本の志

摩・鳥羽地方というローカルな場とローカルな場の国境を越えた直接的な結

び付きと相互の働き掛けによる相乗効果によって進行しているという点に特

に注目する。そして、最後に、日韓両国の関係者が共同・連携して創り上げ

つつある海女文化が、期せずして、ユネスコがグローバルな場で展開してい

る文化政策の根幹や文化概念の根底、すなわち特定の民族や国家が特定の文

化と一対一の対応関係にあるとする近代以降に特有の社会観・文化観の再考

ないし再編を迫るものであることを明らかにする(3)。

1 グローバルな文脈―ユネスコの世界遺産条約と無形文化遺産保護条約

日本と韓国における「海女文化」の創造をめぐる運動のことについて述べ

る前に、その背景とでも言うべきユネスコの世界遺産条約と無形文化遺産保

護条約について、簡単に確認をしておきたい。

周知のように、ユネスコは世界的な規模で教育や科学、文化に関わる諸問

題に取り組む国際連合の唯一の機関である。ユネスコは、人類が共有すべき

世界的に見て特に価値を有する自然や文化を保護・保存する目的で、1972

年に「世界遺産条約」(「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」

Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural

Heritage)を採択した(1975 年に発効)。以来、「顕著な普遍的価値」を有

する自然遺産及び文化遺産を人類全体のための「世界遺産」として登録し、

世界的な規模で文化・自然遺産の保護・保存を行っている。世界遺産は、顕

著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、景観を持つ地域から成る自然

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遺産と、歴史・芸術・学術上顕著な普遍的な価値を有する記念碑(モニュメ

ント)や建造物群などから成る文化遺産、自然遺産と文化遺産の両方の要件

を満たしている複合遺産から構成される。

自然遺産としてはアフリカ・ケニアのキリマンジャロ国立公園やアメリカ

合衆国のグランドキャニオンが、文化遺産としては中国の万里の長城やエジ

プトのピラミッド(4)が、複合遺産としてはグアテマラ北東部のマヤ文明の

都市遺跡などがある。日本では、1993 年 12月に奈良市の法隆寺地域の仏教

建造物と姫路市の姫路城の 2つの物件が文化遺産として登録され、また、鹿

児島県の屋久島が自然遺産として登録されている。一方、韓国では、1995 年

に慶州市の石窟庵と仏国寺等が文化遺産として登録されている。4年ほど前

の 2007 年 6月には、海女が活躍する島として有名な済州島の火山島と溶岩

洞窟も自然遺産として登録された。

ユネスコの世界遺産登録制度は、人類が共有する貴重な自然や文化遺産の

保護・保存にとって大きな意義を持つものとしてきわめて高く評価されてい

る。とは言え、まったく問題がないというわけではない。例えば、世界遺産

への登録物件数が圧倒的にヨーロッパに偏っていることなどが指摘されてい

る。

登録物件数の地域的な偏りにはさまざまな要因が考えられるが、その一つ

に、遺産登録の基準がヨーロッパの「石の文化」(石造りの建造物等を中心

とする文化)に基づいている点が指摘されている。登録基準が「石の文化」

に偏っているという意味は、世界遺産に登録されているヨーロッパの古代モ

ニュメンや遺跡群がほとんどすべて石造りであるということである。

世界遺産へ登録するためにもっとも重要であるとされる要件は、当該物件

が「顕著な普遍的価値」を有すことである。そして、その正統性が認められ

るためには、物件の真正性(authenticity)と完全性(integrity)が求めら

れる。ここでいう真正性とは、当該物件の形状や材料などが元の状態を保っ

ているという意味であり、復元した物件の場合には、完全に元の状態に修復

されている場合にのみ例外的に真正性が認められる。そのため、石造建築の

多い欧米の古代モニュメントや遺跡群が認められる一方で、腐食や虫害に弱

く、修復を繰り返さざるを得ない韓国や日本、熱帯アジア等の「木の文化」

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 87

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(木造の建造物等を中心とする文化)では真正性が認められにくく、従って、

世界遺産登録に不利になっていた。

世界遺産登録物件がヨーロッパに偏っているという不備については、1994

年に採択された「世界遺産条約のグローバル・ストラテジー」(「世界遺産一

覧表における不均衡の是正及び代表性・信頼性の確保のためのグローバル・

ストラテジー」(The Global Strategy for a Balanced, Representative and

CredibleWorld Heritage List)によっていくぶんかの改善が図られている。

グローバル・ストラテジーにおいては、アジアやアフリカなどの「木の文

化」や「土の文化」(日干し煉瓦等の土を用いた建造物等を中心とする文化)

も世界遺産として登録し、保護する方針が示された。

しかしながら、世界遺産登録物件数が欧米に偏っているより根本的な原因

は、実は、世界遺産が自然遺産であれ文化遺産であれ、すべて有形遺産(形

のあるもの)に限定されていることにあった。そこで、グローバル・ストラ

テジーでは、口頭・口承で伝えられてきた無形文化遺産等を世界遺産として

登録・保護する基本方針も明記されていた。

この方針を具体化するために、ユネスコは、2003 年、伝統的な音楽、舞

踊、演劇、風俗習慣、工芸技術など、無形の文化遺産の保護・保存を目的と

した「無形文化遺産保護条約」(Convention for the Safeguarding of the

Intangible Cultural Heritage)を採択し(2006年発効)、一昨年の 2009 年か

ら無形文化遺産リストへの登録を開始した。

以上に述べたようなユネスコの自然や文化の多様性の保護・保存戦略の変

更に対応し、日本や韓国でも世界遺産や無形文化遺産への登録が積極的に進

められている。日本では、2009 年の無形文化遺産への登録開始時に早くも

能楽や人形浄瑠璃、歌舞伎の 3 つの物件が登録された(5)。韓国でも、朝鮮

時代の国家儀礼である宗廟儀礼とその音楽や伝統芸能であるパンソリの詠

唱、海の安全や豊漁を祈る済州島の海女の儀礼である済州チルモリ堂燃燈

クッなどがこれまでに無形文化遺産として登録されてきた。

ユネスコの世界遺産条約や無形文化遺産保護条約を通した人類共有の遺産

の保護・保存戦略・政策は、以上のごとく、時代時代の文化の意味付けや政

治、経済的状況等に応じて徐々に修正されてきている。しかしながら、明確

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な境界ないしアイデンティティを持った一つの民族ないし国民が固有の一つ

の文化を保有しているとするユネスコの文化観は基本的には変わっていない

ように思われる。対象が無形文化遺産にまで拡大されたとは言え、ユネスコ

の無形文化遺産リストへの登録手続きは従来通り各国政府を通して行われね

ばならないという点にそのことが象徴されていると言えよう。

一つの民族や国民と一つの社会や文化が一対一の対応関係にあるとするユ

ネスコの社会観や文化観は、近代的な国民国家の枠組みで構築されたもので

ある。しかしながら、グローバル化が進み人やモノ、情報などが大規模かつ

迅速に移動をする今日の社会では、こうしたいわゆる「本質主義的」な社会

観や文化観では目の前で展開する社会現象や文化現象を理解することは到底

できなくなりつつある。ユネスコがいまだに引きずっている、こうした本質

主義的な文化や社会の理解の仕方こそが、以下で検討する、日韓の海女文化

をユネスコの無形文化遺産へ登録する運動で問い直されている根本的な問題

である(6)。

2 ローカルな文脈―韓国と日本における海女文化の「創造」と無形文化

遺産登録運動

海女の潜水漁法やそれにまつわる各種の儀礼、さらには、海女として潜水

漁に携わる女性たちの相互扶助組織や合議制等の生活文化は、当然のことで

はあるが、海女の歴史と同じくらい古い時代から韓国・済州島の海女の中に

根付いていたものと思われる(cf. Gwon 2006)。しかしながら、それらを一

括して一つの体系を成す「海女文化」と見なすことは、少なくとも、2000

年以前にはほとんどなかったという(7)。このことは、「海女文化」という言

い方や概念自体が、2000年以降、比較的最近になって創り出されたのでは

ないかということを推測させる。あるいは、「海女文化」という言葉ないし

概念が創り出される前から海女漁をめぐる社会制度や儀礼、口頭伝承等が存

在していたということを考えると、海女文化は新たに「創造」されたという

よりも「再発見」されたと言った方が良いのかも知れない。

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 89

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済州島で「海女文化」の創造ないし再発見が体系的に進められるように

なったのは、実は、相互に無関係の 3 つの契機ないし出来事がたまたま重

なったことによる。第一の契機とは、2000年代の初め、済州島にある国立

の総合大学、済州大学の人類学者や民俗学者が自発的に海女研究を始めたこ

とである。第二の契機とは、2002 年に日韓共同で開催した世界的規模のス

ポーツの祭典、サッカー・ワールドカップ大会の試合の一つが済州島で開催

されたことである。そして、第三の契機とは、2003 年にユネスコの無形文

化遺産保護条約が採択されたことである。互いに独立して進行していたロー

カルレベルの出来事とグローバルレベルの出来事がたまたま同時期に進行し

たがゆえに相互に関連付けられ、影響を及ぼし合い、当初は想定もしていな

かったような結果を導くことになる。以下、その間の経緯を順に述べてい

く。

(�)韓国における「海女文化」の再発見と研究の開始

後にユネスコの無形文化遺産登録運動に発展する海女の文化につていの関

心は、まず韓国で高まる。韓国側で海女文化に関する集中的かつ体系的な調

査研究が開始されたのは、2001 年のことであった。この年、済州大学の社

会学者コ・チャンフン教授(Prof. Koh Cahng-Hoon)や人類学者のユ・

チョリン教授(Prof. Yoo Chul-Inn)を中心に、海女の社会と文化を包括

的・学際的に調査研究しようという野心的な研究プロジェクト、「海洋文明

史から見る済州海女の価値」(The Jeju Haenyeoʼs Value in Terms of the

History of Marine Civilization)が開始された。この研究プロジェクトには、

後に済州海女博物館に設立メンバーとして参加し、そのまま同博物館に研究

員として勤めることになるチャ・ヘギョン博士(Dr. Choa Hekyung)も参

加していた。

コ教授とユ教授らが開始した海女研究プロジェクトは、海洋文明史学的観

点から海女の社会や文化を包括的に調査研究し、「海女学」(haenyo studies)

を打ち立てようとするきわめて野心的なものであった。彼らは、海女に関す

る研究プロジェクトを進める中で、かなり早い時期から、海女の潜水漁法や

それをめぐる儀礼、信仰、生活体系が海女固有のものであることを認め、そ

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れらを「海女の文化遺産」(haenyeo's cultural heritage)ないし「海女の文

化」((haenyeo's culture)という包括的な言葉ないし概念を使って呼び始め

たという。

以後、この海女研究プロジェクトは、海女の文化遺産ないし海女の文化の

実態を明らかにする調査研究を引き続き精力的に進めるとともに、それを通

して、同時に、海女の文化遺産ないし海女の文化の「中身」を徐々に「創

造」ないし「再発見」していくことになった。なお、このプロジェクトの研

究成果は、最終的に、大部の論文集、『済州海女と日本の海女』(The Jeju

Haenyeo and the Japanese Ama。韓国語)として 2006年に刊行されている。

(�)無形文化遺産登録運動の開始

一方、海女研究プロジェクト開始の翌 2002 年、5月 31 日から 6月 30日

にかけて、国際サッカー連盟(FIFA)の第 17回ワールドカップ大会が日

本と韓国の共催で開催されることとなった。そして、ワールドカップ大会の

一連のゲームの一つが、6月 15 日に済州島で開催された。

韓日共同(8)のワールドカップ大会の開催、特に済州島での試合開催とい

う記念すべきイベントに花を添えるため、韓国済州道の大会組織委員会は開

催地である済州島に相応しい文化行事を開催すべく企画を公募した。この公

募に、済州大学の海女研究プロジェクトのメンバーたちが海女に関する国際

シンポジウムを開催する企画を立てて応募し、採択された。採択に当たり決

め手となったのは、海女が今回ワールドカップ大会を共催する韓国と日本の

�つの国のみに存在し、しかも済州島が海女の居住、活動の中心であったこ

とであった。また、海女は平和の島、済州島のシンボルともみなされていた

ことから、スポーツの祭典、サッカー・ワールドカップ大会開催を祝う記念

行事にもっとも相応しいとも考えられたからであった(cf. Yun 2007)。

かくして、済州島でのワールドカップ開催に先立つ 2002 年 6月 9 日〜11

日に、世界の海女研究者を済州市に招き、「海女の価値とその文化遺産」

(Values ofWomen Divers and Their Cultural Heritage)と題する第 1回国際

海女シンポジウムが開催された。

このシンポジウムでは、海女の潜水漁そのものの他、海女による持続的な

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 91

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水産資源の利用や海女漁をめぐる信仰、儀礼、さらには生活文化など、海女

に関する多種多様のテーマ・トピックが取り上げられた。シンポジウム発表

の基調は、友好ムードを盛り上げる目的があったからなのか、海女及び海女

文化が、「平和の島」、「女性の島」(女性の地位が高い島)である済州島を象

徴しているということを強調するものであった。

このシンポジウムをユネスコの無形文化遺産登録運動の起点として眺めて

みると、特筆すべきことが二つある。一つには、シンポジウムや個別発表の

タイトルの一部としてではあるが、初めて「海女の文化遺産」(women

diversʼ cultural heritage)という言い回しや考え方が、マスメディア等を通

して対外的に周知されたことである。それまでは、「海女文化」という言い

回しは、一部の海女研究者内部の中でだけ通用していたにすぎない。国際海

女シンポジウムの開催を契機として、海女をめぐる「文化遺産」や「文化

財」(cultural assets)という言い回しが徐々に広まり、以後、「海女文化」

(haenyeo culture)という言い方や考え方が一般の人のあいだにも定着して

いったのである。

その結果、海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録するという発想が、

このシンポジウムの開催を通して芽生えることとなった。シンポジウムのタ

イトルの一部が「海女の文化遺産」(their[haenyeoʼs]cultural heritage)

であったことから、シンポジウム参加者の一人、デーヴィッド・プラス・イ

リノイ大学名誉教授(Prof. Emeritus David Plath)が、シンポジウム最終日

の総合討論の場において、条約の採択が間近となっていたユネスコの無形文

化遺産へ「海女文化」を登録することを考えてみてはどうかと提案したとい

う(9)。この提案は満場一致で採択された。以来、シンポジウムの主催者で

ある韓国側関係者が中心となって、海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登

録する可能性を探り始めることになった。

翌 2003 年 10月、ユネスコで無形文化遺産保護条約が採択された。これを

受け、済州大学の海女研究者たち関係者はさっそく韓国文化観光部(日本の

文部科学省に相当。2008 年 2月より文化体育観光部に改称)文化財庁に、

海女文化の無形文化遺産登録の可能性を打診したという。しかしながら、こ

の提案はあえなく拒否された。その理由は、一つには、海女文化が遺産登録

92

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の要件となる「マスターピース」(傑出した文物)としては認められないと

いうことにあった。加えて、他の登録要件である、当該文化(海女文化)に

関する研究の蓄積がなく、また、当事者(海女)の共感(支持)が得られて

いないことも理由として挙げられたという。

(?)済州海女博物館の設立

政府関係者の否定的な対応に直面し、済州大学の研究者らを中心とする関

係者は、海女文化を性急にユネスコの無形文化遺産に登録する要求をいった

んは取り下げた。そして、登録への前段階として、無形文化遺産への登録要

件となっている海女文化の研究実績を蓄積することとした。

その一環として、海女文化を海洋文明史の中に位置付けるという名目で、

政府海洋水産部(日本の農林水産省水産庁や国土交通省海上保安庁に相

当)(10)から財政的支援を得て、組織的な海女文化研究を開始した。その結

果、2005 年には、海女に関する情報収集や調査研究の拠点として世界初の

海女の調査研究、展示に特化した博物館、済州海女博物館(以下、「海女博

物館」と略記)の設立・開館に漕ぎつけた。海女博物館の設立・開館は、後

述するように、海女文化の創造ないし再発見、そしてまた、海女文化をユネ

スコの無形文化遺産へ登録する運動の展開の中できわめて大きな意味を持つ

ものであった。

新設の海女博物館では、2006年の 6月 7 日〜8 日、海女博物館の開館を記

念して、「済州海女―抗日運動、文化遺産、海洋文明―」と題する国際シン

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 93

図 1 韓国済州島の海女博物館外観

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ポジウムが開催された(11)。このシンポジウムでは、海女の潜水漁や信仰、

儀礼、生活に関するこれまでの研究成果が報告・検討された他、海女の潜水

漁や海洋資源の持続的利用に関する民俗知識が一つのまとまった体系、すな

わち海女文化を成していることが提示された。また、海女文化のユネスコ無

形文化遺産への登録に向けてさらに運動を展開することも改めて確認され

た(12)(表�参照)。

翌 2007 年 6月には、韓国で、海女文化を無形文化遺産へ登録する運動に

弾みをつける歴史的なニュースが発表された。済州島の火山島と溶岩洞窟が

韓国初の世界自然遺産に登録されたのである(13)。このニュースの興奮が冷

めやらない中、2007 年 10月 25 日〜26日には、海女博物館において第 2回

済州海女国際学術シンポジウムが開催された。このシンポジウムは、海女文

化の創造・再発見や無形文化遺産への登録運動という観点から見ると、二つ

の点で注目に値するものであった。

一つには、このシンポジウムで初めて、海女文化をユネスコの無形文化遺

産に登録するという明確な目標が定められ、それに向けた具体的な作業工程

が示されたことである。そしてもう一つは、海女文化をユネスコの無形文化

遺産へ登録するに当たり、韓国と日本が共同で登録運動を進めてはどうかと

いう案が初めて公の場で示された点である。と言うのも、日本は世界で数少

ない海女文化を共有する国であり、また、済州島の海女たちが頻繁に海女漁

の出稼ぎに行っていたことからすでにある程度の「関係」を築いていたから

94

済州島の海女と日本の海女の無形(文化)遺産2008 年 6 月 20-21 日第 3回

持続的開発及び海女の漁と文化遺産の保護2007 年 10月 25-26日第 2回

済州島の海女―抗日運動、文化遺産と海洋文明―2006年 6 月@-A日第 1回

テーマ開催年月日

表� 済州海女博物館で開催された海女シンポジウム一覧

海女文化伝承をめぐる諸問題と可能性2010年 10月 11 日第 5回

海女の無形文化遺産―ユネスコの代表リストと保護

の方法―

2009 年 6 月A-B日第 4回

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である。

以下では、日本側関係者に対する韓国側関係者の働きかけについて見てい

くこととする。

(C)日本側関係者への働きかけ

2007 年の第 2回海女シンポジウムには、日本側の代表として、三重県鳥

羽市にある海の博物館の石原義剛館長が招待されていた。そして、シンポジ

ウムの総合討論の場で、韓国側関係者から石原館長に対して、韓国と日本が

共同で海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録してはどうかとの提案がな

されたという(14)。

石原館長によると、石原館長は韓国側のこの呼び掛けに理解を示して賛同

はしたものの、当初はかなり困惑したとのことである。と言うのも、日本側

(石原館長)は海女文化がユネスコの無形文化遺産へ登録するに値するなど

ということをそもそも考えたことがなかったからであった。海女の潜水漁や

それにまつわる儀礼や信仰が独自のものであるという認識はあったが、そう

かと言って、「海女文化」として無形文化財や無形文化遺産とみなしうると

は思っていなかったというのである。加えて、韓国では海女が済州島という

一つの場所に集中して住み、今でも活発に漁撈活動に従事しているのに対

し、日本では、海女が鳥羽・志摩地方に多いのは確かだが、その他の地方に

も分散して住んでおり、しかも互いにまったく交流がないので、日本の海女

を一つにまとめることは無理ではないかと考えたからだという。とは言え、

第 2回海女シンポジウム以降、海女文化の創造ないし再発見をめぐる日韓の

関係者の交流、協力関係は徐々に広まり、かつ強くなっていった。

翌 2008 年 6月 20日〜21 日には、第 3回韓日海女国際学術シンポジウム、

「済州海女と日本海女の無形(文化)遺産」(Intangible Heritages of Jeju

Haenyeo and Japanese Ama) が済州島の海女博物館で開催された。その前日

には、済州島の海女の祭典として、全島から多数の海女が参加して海女フェ

スティバルが開催された(図 2,表 2参照)(15)。3 日間にわたって開催され

たこのフェスティバルとシンポジウムには、日本から海の博物館の石原館長

が参加するとともに、鳥羽の海女 2人が日本人海女として初めて参加し、韓

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 95

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国の関係者や海女と交流を深めた。シンポジウムの最終日には、日韓の海女

の友好の印として、また、海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録するに

当たって日韓が協力、連携することの証として、日本側の海の博物館から韓

国側の海女博物館に対して、志摩地方の海女道具一式が寄贈された(16)。

第 3回海女シンポジウムについて特筆すべきことは、一つには、韓国と日

96

図 2 第 2回海女フェスティバル(2008年開催)

海女フェスティバル2007 年 6 月 9-10日第 1回

海女のクッ儀礼挙行2006年 6 月@-A日

海女フェスィバル2002 年 5 月 30 日

-6月 6日

行事名開催年月日

2002 年の第 17回サッカー・ワー

ルドカップ大会開催記念行事

その他

表� 海女フェスティバル開催一覧

鳥インフルエンザ流行のため中止2009 年

海女博物館開館記念行事

海女フェスティバル2010年 10月 9-10日第 3回

海女フェスティバル2008 年D月 10-11 日第 2回

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本で共同で海女文化をユネスコ無形文化遺産へ登録するということが関係者

の間の「内輪話」の枠を越え、海女フェスティバルやシンポジウムの場、あ

るいはマスメディアを通して広く一般の人々に対して公式に表明されたとい

うことである。もう一つは、当初は韓国の関係者のみであったが、今や日本

側関係者も海女の潜水漁や儀礼、信仰、生活文化等の総体を「海女文化」と

して認め、海女文化の組織的研究を開始する決意を表明したということであ

る。その意味では、第 3回海女シンポジウムでの韓国側関係者の要請ないし

呼び掛けに呼応して、日本側関係者が日本の海女文化を創造ないし再発見し

始めたと言ってよい。

(E)韓国における海女文化の「創造」

海女文化の調査研究機関としての海女博物館では、開館以来、済州海女に

関する調査研究を積極的に進め、その成果を博物館や民間の出版社から順次

刊行している。最近刊行された、タイトルが英語表記されているものだけを

見ても、『海の母―済州海女―』(Mother of the Sea: The Jeju Haenyeo。韓国

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 97

図 3 『済州海女史料集』(2009年刊)

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語、英語。2007 年刊)や『済州海女の生業と文化遺産』(The Work and

Cultural Asset of Jeju Women Sea Divers。韓国語。2009 年刊)、『済州海女の

歌謡』(Songs among Jeju Haenyeo。韓国語。2009 年刊)、『済州海女史料集』

(The History Source Book of Jeju-Haenyeo。韓国語。2010年刊)などが挙げ

られる(図 3参照)。

海女博物館では、すでに述べたように、海女に関する国際シンポジウム等

の各種研究会を企画・開催するとともに海女フェスティバルを毎年開催して

いる。そして海女に関するさまざまな調査研究を企画・実施して、その成果

を韓国語のみならず英語等でも刊行している。これらすべての活動を通し、

海女博物館は積極的かつ継続的に海女文化の「内容」を創造し、再発見し続

けていると言えよう。

(D)日本における海女文化の「創造」

第 3回海女シンポジウムが終わってほどない 2008 年 7月半ば、海の博物

館館長にして三重大学の客員教授でもある石原義剛氏は、三重大学の社会学

や日本史分野の研究者らとともに三重大学を拠点として「海女研究会」を立

ち上げた。

2008 年 7月 18 日に開催された海女研究会の第 1回研究会では、発起人の

一人として、石原館長が研究会設立の趣旨や目的等について講演をした。石

原館長は、「志摩の海女と済州島の海女―海女を世界遺産に!―」と題した

講演で、海女文化をユネスコの無形文化遺産に登録しようという呼び掛けを

海女研究者のみならず一般の聴衆やマスメディアに向けて行った。これが、

海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録しようという日本で初めての公式

の呼び掛けであった。

講演で石原館長は、韓国では済州島の海女の潜水漁や儀礼、信仰等の海女

文化を無形文化財として積極的に評価し、ユネスコの無形文化遺産に登録し

ようとする動きがあることをまず紹介した。その上で、日本にも海女と海女

文化が存在することから、韓国側関係者から日本側関係者に韓日共同で海女

文化をユネスコの無形文化遺産へ登録しようという呼びかけがあったことを

述べ、韓国側の呼びかけに応じて日本側でも運動を展開しようと提案するも

98

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のであった。

石原館長は同講演で、海女漁や信仰、儀礼、生活等の総体を一つの文化、

すなわち「海女文化」として言及したが、これが、日本で海女文化という言

葉を本来の意味で積極的に使った最初の例であったと思われる(17)。確かに、

日本でも、海女の漁法や儀礼、口頭伝承に関する調査研究がかなり蓄積され

てきた。しかしながら、それらは海女の潜水技術や海女漁にまつわる儀礼や

信仰であって、それが一つの総体を成す無形文化財ないし無形文化遺産とい

う意味での「文化」として規定されることはなかった。その意味では、海の

博物館館長兼三重大学客員教授の石原義剛氏を中心とした海女研究会の発足

こそが、日本における海女文化の創造ないし再発見の発端であったと言えよ

う。

2008 年 7月に発足した海女研究会はその後も活発に研究活動を継続し、

2011 年 2月 7 日には第 15回の研究会を開催するまでになっている(表 3参

照)。言うまでもないことであるが、海女研究会の発足及びその後の研究活

動は、日本側における海女文化の組織的な創造ないし再発見に他ならない。

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 99

菅原洋一(三重大学附属図書館研究開発室)

(全員参加の打合せ)10月 6日第 2回

石原義剛(海の博物館館長/三重大学客員教授)

2008 年 7月18日第 1回

演者開催日

「志摩の海女と済州島の海女―海女を世界遺産に!―」

演題

表� 海女研究会開催記録

「鳥羽市菅島における海女シンポジウム」

「海女研究の可能性―歴史分野から―」

「韓国における海女研究と海女世界遺産推進状況」

「海女研究および海女研究会について」

武笠俊一(三重大学人文学部)

塚本 明(三重大学人文学部)

「九州の海女の里、鐘崎・岩屋を訪ねて」

川口祐二(エッセイスト/三重大学客員教授)

12月15日第 3回

「三重県における海女漁業の現状とアワビ類の漁獲状況について」

松田浩一・阿部文彦(三重県水産研究所)

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100

「海女さんの資源管理」原田泰志(三重大学大学院生物資源学研究科)

8月30日第 12回

「京都府丹後半島袖志での調査」「宮城県石巻市長渡浜長渡の海女調査」

川口祐二(エッセイスト/三重大学客員教授)

4月26日第 10回

「全国“海女”存在調査の事前調査結果(途中)」「熊野(紀伊長島〜磯崎)の済州海女」

石原義剛(海の博物館)

「近年の韓国済州島の海女調査報告書について」

菅原洋一(三重大学附属図書館研究開発室)

6月21日第 11回

「伊勢新聞に見る明治・大正期の海女 附・観光海女の歴史(序)」

塚本 明(三重大学人文学部)

「海女の衰退を潜水科学、ジェンダーの視点より実証的に研究し、再生の道を提案する―第�報―」

山本茂紀(愛知大学)・山本和子(愛知大学)

12月 7 日第 8回

「潜水漁の漁業管理」原田泰志(三重大学大学院生物資源学研究科)

2010年 2月 1 日第 9回

「壱岐の海女」川口祐二(エッセイスト/三重大学客員教授)

「海女をどう残すのか?」常 清秀(三重大学大学院生物資源学研究科)

「近代志摩海女の出稼ぎについて」

塚本 明(三重大学人文学部)6月15日第 6回

「利尻島におけるテングサ漁について」

会田理人(北海道開拓記念館)

「南房総のアマ」武笠俊一(三重大学人文学部)8月24日第 7回

「南房総のアマ―房州ちくら漁協の現況―」

川又俊則(鈴鹿短期大学)

「志摩の海女 三人のはなし」川口祐二(エッセイスト/三重大学客員教授)

4月20日第 5回

「海女研究会における調査研究資料の蓄積について」

菅原洋一(三重大学附属図書館研究開発室)

「志摩市和具の海女聞取調査について」「志摩市越賀区有文書の調査について」

塚本 明(三重大学人文学部)

「大正期、三重における海女調査報告書」

石原佳樹(三重県史編さんグループ)

2009 年 2月 9 日第 4回

「海女の出稼ぎ」吉村利男(三重県史編さんグループ/三重大学客員教授)

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海女研究会がもっぱら学術的な意味での海女文化の創造ないし再発見を

行っているのに対し、石原義剛氏が館長を務める海の博物館では、済州海女

博物館と協力して海女に関する特別展示を開催したり(図 4参照)、海女の

写真集を編集・刊行するなどしており(図 5参照)、より一般的な意味での

海女文化の創造に積極的に取り組んでいる。

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 101

図 4 済州島海女特別展のポスター(2009年)      

図 5 『目で見る鳥羽・志摩の海女』(2009年刊)     

(出典:海女研究会 HP「開催記録」)

10月 4 日第 13回

「ライフヒストリーからみるアマの一日、一年、一生―南房総市白浜町白浜の調査から―」

門口実代(三重県生活・文化部新博物館整備推進室)

12月 6日第 14回

「屋久島の世界遺産登録の全市とその影響」

寺田喜朗(鈴鹿短期大学)

「北海の孤島でただひとり潜く(ママ)日本最北の海女―石山ヨネ子さんを訪ねて―」

川口祐二(エッセイスト、三重大学客員教授)

「海女漁業における新規参入者獲得条件の抽出」

大藪晴奈(三重大学生物資源学部常研究室)

2011 年 2月 7 日第 15回

「済州特別自治道の海女文化保存と伝承に関する条例」

菅原洋一(三重大学附属図書館研究開発室)

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(@)韓国と日本における無形文化遺産登録運動の展開

一方、2009 年の 6月 8 日〜9 日、済州島・海女博物館では第 4回国際学術

海女シンポジウム(「海女と無形文化遺産―ユネスコ代表リストと保全手段

―」(International Cultural Heritages of Haenyo: UNESCO Representative

List and Safeguarding Measures))が開催され、登録運動の具体的スケ

ジュールが検討される等、韓国側での登録運動がさらに具体化された。

日本側でも、2009 年 10月 3 日に鳥羽市で第 1回の海女フォーラム・鳥羽

大会(会場:海の博物館)が開催され、海の博物館館長、石原義剛氏が「海

女文化の無形世界遺産登録を目指して」と題する講演を行った(表 4参照)。

また、同じ日に同じ会場(海の博物館)で、海女フォーラムと抱き合わせ

で、第 1回海女サミット、「日本列島“海女さん”大集合」も開催された。海

女サミットでは、これまで互いに連絡を取り合うこともなかった日本各地

(岩手県久慈市、石川県輪島市、千葉県白浜町、福井県三国町、徳島県美波

町、福岡県宗像市、長崎県壱岐市、熊本県天草市、三重県志摩市、三重県鳥

102

第 2回海女サミット「日本列島“海女さん”

大集合」

・2010年 9月 25 日、志摩市文化会館にて

開催

第 2回海女フォーラム 志摩大会 「産業

としての海女」

・2010 年 9 月 4 日、鳥羽市・海の博物に

て開催

・前川行幸(三重大学生物資源学研究科教

授):「海女さんの海の森」

・原田泰志(三重大学生物資源学研究科教

授):「海女さんの資源管理」

・常清秀(三重大学生物資源学研究科准教

授):「海女さんによる販売への取り組み」

第 1回海女サミット「日本列島“海女さん”

大集合」

・2009 年 10月 3 日、鳥羽市・海の博物館

にて開催

第 1回海女フォーラム 鳥羽大会

・2009 年 10月 3 日、鳥羽市・海の博物館

にて開催

・石原義剛(海の博物館館長/三重大学客

員教授):「海女文化の無形世界遺産登録

を目指して」

海女サミット海女フォーラム

表� 日本側で開催した「海女フォーラム」と「海女サミット」

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羽市等)の海女が初めて一堂に会し、交流を深めた。このフォーラムには韓

国済州島の海女も招待されており、日本と韓国の海女や関係者が、日韓共同

で海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録することを宣言した。

海女フォーラムや海女サミット自体は海の博物館が企画し、鳥羽市が主催

したものであった(18)。しかしながら、総務省や国土交通省、観光庁、三重

県、関係各市の商工会や観光協会等が後援団体として名を連ねており、これ

らの行事の開催を通して、官民一体となって海女文化をユネスコの無形文化

遺産に登録する機運を盛り上げていった。

翌 2010年 9月 4 日には、海の博物館主催の第 2回海女サミットに先立ち、

三重大学(生物資源学研究科)が中心となって文化フォーラム、「産業とし

ての海女」が開催された。そこでは、「海女さんの資源管理」や「海女さん

による販売への取り組み」について報告がなされ、生業活動(漁業)の面か

ら海女の活動が検討された。

そのすぐ後、9 月 25 日には、志摩市の主催で「第 2 回海女サミット

―2010志摩大会―」が開催された。この海女サミットにも、日本全国(千

葉県白浜町、静岡県下田市、福井県三国町、大分県臼杵市、福岡県宗像市、

佐賀県玄海町、長崎県壱岐市、三重県鳥羽市、三重県志摩市)、さらには韓

国済州島から多数の海女さんたちが集まり交流を深めるとともに、日韓共同

で海女文化をユネスコの無形文化遺産へ登録する運動をさらに進めることが

宣言された。

以上、韓国と日本における「海女文化」の創造・再発見と、海女文化をユ

ネスコの世界無形文化遺産に登録する運動の成立及び発展の経過の概略を見

てきた。韓国済州島で 2000年代初めに始まったきわめてローカルかつミク

ロな海女文化の創造ないし再発見の動きは、サッカーのワールドカップ大会

の開催やユネスコの無形文化遺条約の採択という世界規模のグローバルな動

きと偶然に一致ないし共振して徐々に大きくなり、やがては国境を越えて日

本の鳥羽・志摩地方にまで達し、2000年代後半以降は韓国のみならず日本

を巻き込んだ大きな文化運動へと展開していったのである。

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 103

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� ローカルからグローバルへ―「近代的」文化概念への挑戦

以下では、韓国と日本における海女文化の創造・再発見とユネスコの無形

文化遺産登録運動の成立と展開の相互作用の意味ないし意義を、世界規模の

社会・文化の再編ないし再構築に注目するという観点から検討してみたい。

日本と韓国における海女文化の創造ないし再発見と、海女文化のユネスコ

の無形文化遺産への登録に向けた運動は、まずもってグローバルレベルのユ

ネスコの文化政策である無形文化遺産条約に対する、日本(三重県志摩・鳥

羽地方)と韓国(済州島)のローカルレベルでの「対応」(適応)であると

みなすことができよう。こうしたグローバル化へのローカルレベルでの対応

は、世界の至る所で起こっている現象である。従って、韓国や日本の個々の

文脈で見る限りはごく普通の現象であって、取り立てて問題にするほどのこ

とはないように思える。

しかしながら、海女文化を日韓共同でユネスコの無形文化遺産へ登録しよ

うとする運動については、特筆すべき点がいくつかある。それは、この運動

が、ユネスコのグローバルな文化戦略・政策に反応して、韓国の済州島とい

うローカルな場と、日本の鳥羽や志摩地方というこれまたきわめてローカル

な場が、国境を越えて直接結びつくトランスローカルないしトランスナショ

ナルな現象であるという点である。そしてまた、ローカルな場や人が他の

ローカルな場や人と直接結びついた結果、当初想定されてもいなかったよう

な新たな社会や文化のあり方を、ローカルな場からグローバルな場に「逆発

信」しているという点である。こうした、海女文化の無形文化遺産登録運動

をめぐるグローカルな特徴について、以下、特に三つの点から検討してみた

い。

(�)「分散型文化」ないし「ネットワーク型文化」

ユネスコの世界文化遺産の登録基準では、特定の文化が特定の地域や国、

民族と結びついて当該国民や民族のアイデンティティの核を成すというよう

な、近代的な意味での文化概念が基本的に踏襲されているように思われる。

104

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もちろん、世界遺産委員会でも、一つの文化が必ずしも特定の国や民族だけ

に結び付くものではないことは認識している。

そこで、例えば、文化遺産、特に産業遺産が必ずしも一つの国や遺跡の中

に収まらず複数の国にまたがったり地理的に近接していない複数の遺産から

構成されている場合もあることに鑑み、世界遺産委員会は、1994 年以来、

特定の歴史的・文化的グループに含まれるが広範囲に分散する複数の歴史的

遺産を一つの遺産群として登録する「連携登録」(シリアル・ノミネーショ

ン serial nomination)(19)を推奨している。文化遺産ではないが、連携登録の

具体例としては、ハンガリーとスロバキアの国境をまたいで 700以上の洞窟

で構成されるアグテレック・カルストとスロバキア・カルストの洞窟群

(Caves of Aggtelek and Slovak Karst)などがある。あるいはまた、国境を

超えるものではないが、海の博物館の石原館長も登録に関わったという、日

本の「紀伊山地の霊場と参詣道」も連携登録の手法で世界遺産へ登録されて

いる。

しかしながら、純然たる文化をめぐる遺産とでも言うべき無形文化遺産に

関しては、これまで、複数の国にまたがって登録されたものはほとんどな

い。それは、無形文化遺産が、地理的に比較的狭い範囲に限定された特定の

国や民族集団の芸能(民族音楽・ダンス・劇など)や伝承、社会的慣習、儀

式、祭礼、伝統工芸技術などに強く結びつけて考えられているためだと思わ

れる。このことは、すでに述べたように、これまでの文化の概念が基本的に

特定の民族や国(国民国家)を単位とし考えられていたことと深く関係して

いる。

これに対し、日本と韓国が国境を越えて海女文化の共有を主張し、しかも

海女文化を日韓共同の下で無形文化遺産へ登録しようとしているという事態

は、特定の文化が特定の地域や国、民族の境界を越えて分散し(分散型文

化)、ネットワーク状に結び付いている(ネットワーク型文化)というきわ

めて今日的な社会・文化状況の承認を求めることを意味する。言葉を換えて

言うならば、韓国と日本が民族や国境を越えた一つの文化、海女文化の共有

を主張し、さらに海女文化を無形文化遺産に登録するということは、従来の

文化の概念、すなわち特定の文化と特定の民族や国家が対応するという意味

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 105

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での文化概念の再編ないし再構築を迫り、促す可能性を孕むものだと考え

る。将来的には、「分散型文化」や「ネットワーク型文化」としての文化の

在り方を考える必要性を示唆するものである。

(�)「生きた文化」あるいは「生きた伝統」

ユネスコの世界遺産登録の要件である、不変性の概念に基づく真正性の考

え方に対しては、これまで長い間にわたって疑問や異議が提出されてきた。

不変=真正という考え方の淵源は、世界遺産条約が「ヴェニス憲章」(「記念

建造物および遺跡の保全と修復のための国際憲章」International Charter for

the Conservation and Restoration of Monuments and Sites。1964 年採択)の

考え方を踏襲しているためだと言われている。ヴェニス憲章で明示された文

化遺産を評価するもっとも重要な基準の一つは真正性(authenticity)であ

り、それは本来の姿を変えないギリシア、ローマ時代の石造建築物等の「石

の文化」に象徴される。しかしながら、当然のことではあるが、世界には

「石の文化」の他に、腐食や火災等で本来の姿が変わらざるを得ない「木の

文化」や「土の文化」、あるいはさらに「無形の文化」が存在する。

世界遺産への登録要件である、「石の文化」に代表されるような「真正性」

の考え方の不備を是正し、また、世界遺産の地域的分布の不均衡を是正する

ため、1994 年、世界遺産委員会は「世界遺産条約のグローバル・ストラテ

ジー」(「世界遺産一覧表における不均衡の是正及び代表性・信頼性の確保の

ためのグローバルストラテジー」The Global Strategy for a Balanced,

Representative and Credible World Heritage List)を採択したことはすでに

述べた。世界遺産条約のグローバル・ストラテジーの採択を通して、世界遺

産の地域的分布の不均衡を是正し、また、遺産の内容の多様化を図ったと言

われている。

その後、無形文化遺産保護条約が 2003 年に採択され 2006年から発効した

が、無形文化遺産に関しては、世界遺産条約のグローバル・ストラテジーの

中で強調された「生きた文化」(living culture)や「生きた伝統」(living

tradition)を掬いあげるという理念が必ずしも生かされているとは思えな

い。すでに紹介したが、韓国と日本でこれまでに無形文化遺産として登録さ

106

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れたのは、韓国では宋廟先祖のための儀礼及び祭礼音楽やパンソリの詠唱な

どであり、日本では人形浄瑠璃文楽や歌舞伎などである。これらの物件はそ

れぞれの国の伝統や文化には違いないが洗練されたものであって、必ずしも

日々の生活にかかわる「生きた」(living)文化や伝統とは言えない。

一方、海女文化は、水中メガネやウェットスーツなど、時代時代の新たな

テクノロジーを適宜取り込んで変化しつつある文字通り「生きた文化」であ

り、「生きた遺産」(living heritage)である。従って、海女文化を無形文化

遺産へ登録するということは、ユネスコのグローバル・ストラテジーの理念

を無形文化遺産についても具体化することになると言える。そしてまた、グ

ローバル・ストラテジー導入以前の、不変という意味での真正性に基づいた

古いタイプの文化概念に最終的な変更をもたらすことにもなるであろう。

(?)文化の意味

ユネスコの世界無形文化遺産の登録分野には口頭伝承や芸能、祭礼・儀

礼、伝統工芸技術などが挙げられている。登録分野の項目を見る限りは、私

たちはごく普通の芸能や儀礼をイメージするのではないだろうか。しかしな

がら、これまで実際に無形文化遺産として登録された物件はおおむね完成度

が高く洗練され、優美で普遍的な価値を持つと見なされているものばかりで

ある。先に挙げた韓国と日本の無形文化遺産について見るならば、宋廟先祖

のための儀礼やパンソリ、人形浄瑠璃や文楽などは必ずしも豪華絢爛とは言

えないが、儀礼・芸能としてはきわめて洗練されていると言ってよいだろ

う。

登録済みの物件が完成度が高く、洗練された優美なものに限定されている

のは、無形文化遺産の登録が、有形文化遺産の登録基準に準じて行われてい

るからだと思われる。有形の世界遺産に登録されるべき物件は、今に至るま

で、顕著な普遍的価値を持つマスターピース(傑出した文物)でなければな

らないとされている。無形文化遺産については、有形の世界遺産の登録要件

を必ずしも満たす必要はない。しかしながら、これまで無形文化遺産として

登録された物件はおおむね洗練された優美なものであって、無形文化遺産へ

の登録も世界遺産の登録基準と同様、ないしそれに準ずる芸術性が暗黙の登

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 107

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録要件になっているのではないかと思われる。

海女文化は必ずしも洗練されておらず、優美でもない。従って、「顕著で

普遍的な価値を持つマスターピース」というこれまでの暗黙の無形文化遺産

の登録要件に照らし合わせると、海女文化は登録に値しないことになる。

これに対し、世界遺産委員会は、先に紹介した 1994 年の世界遺産条約の

グローバル・ストラテジーの採択に際し、世界遺産をただ単に「モノ」とし

て扱うのではなく、その遺産を有する人びとのアイデンティティや尊厳等の

文化的な表現にもかかわるものとして扱うべきであるとしている。また、

2003 年に採択された無形文化遺産保護条約でも、無形文化遺産を、その遺

産を有する社会ないし集団がアイデンティティを確立・保持し、文化の多様

性や人類の創造性を尊重するためのものであると規定している。

韓国と日本の海女は、海女文化の創造ないし再発見を通して自らの生業や

生活を見つめ直し、徐々に海女としての誇りを取り戻しているように思われ

る。韓国と日本で開催された海女シンポジウムや海女フォーラム、海女サ

ミットには、韓国や日本各地の海女が集合して交流を深めるとともに、自ら

の意見や要望を外部者に対しても積極的に述べるようになってきている。

従って、海女文化を無形文化遺産に登録するという試みは、ユネスコが世

界遺産条約のグローバル・ストラテジーと無形文化遺産保護条約で明記した

文化の意味の拡大解釈、すなわち当該文化を保有する当事者の誇りやアイデ

ンティティ、尊厳と結び付けた文化の概念を追認し、実体化するという極め

て重要な意義を持つものであるとも言えよう。

おわりに

国境を越えた、日本と韓国の共同・協力による海女文化の創造ないし再発

見とユネスコの無形文化遺産への登録運動は、グローバル化の観点に立つな

らば、ユネスコの世界遺産条約や無形文化遺産保護条約というグローバルな

文化政策・戦略に対応したありきたりのローカルな現象ないし運動に過ぎな

い。

108

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しかしながら、本小論で示したように、グローバル化とローカル化はつね

に同時に進行し、しかも相互に影響を及ぼしながら進行するというグローカ

ル研究の観点から検討すると、こうしたごく普通の現象や運動が近代的な社

会観や文化観の根底を揺るがすものとして立ち現われてきた。すなわち、日

本と韓国のローカルレベルの海女文化の創造ないし再発見と海女文化のユネ

スコ無形文化遺産への登録運動が、グローバルレベルのユネスコの文化政策

に見え隠れする本質主義的な文化観や社会観を揺るがし、さらには、暗黙の

前提とされている民族や国家と文化の一対一対応に基づく近代以降の文化観

や社会観の再編ないし再構築を迫っていることを見て取ることができた。

要するに、今日の錯綜した社会、文化的諸現象ないし諸状況を的確かつ効

果的に記述、分析するためには、グローバル化とローカル化が同時に、しか

も相互に影響を及ぼしながら進行するというグローカル化の観点を導入した

研究、すなわちグローカル研究が必要不可欠だということである。グローカ

ル研究を通して初めて、われわれはグローバル化とローカル化のダイナミズ

ムや実相に迫ることができると言えよう。

( 1 )本小論は、主に、筆者がこれまでに行った 2回の研究発表、「『グローカル研究』と

しての越境、接合、中間系の諸問題―ユネスコ無形文化遺産と日韓の『海女文化』

の客体化・登録運動を例として―」(2010年 3月 8 日、成城大学グローカル研究セ

ンター「越境プロジェクト」主催公開ワークショップでの発表)と、「近代的『文

化』概念への挑戦―日韓の『海女文化』の創出とユネスコ無形文化遺産への登録運

動―」(2010年 5月 15 日、成城大学グローカル研究センターの主催公開シンポジウ

ム「共振する世界の対象化に向けて―グローカル研究の理論と実践―」での発表。

上杉 2011 に再録)、及び「韓国と日本における『海女文化』の創造・再発見とユ

ネスコ無形文化遺産登運動」(2010年 10月 11 日、韓国済州海女博物館主催第 5回

国際海女シンポジウム「海女文化の伝承保存への課題と展望」での発表。上杉

2010)を基に、加筆・修正を加えたものである。それぞれの発表において建設的な

意見やコメントを下さった皆さんに、この場を借りて改めて御礼申し上げる。

( 2 )グローカル化(glocalization)の概念の詳細については、拙稿(上杉 2009)及び本

書の「序章」等を参照していただきたい。

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 109

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( 3 )「一対一対応に基づく文化概念や社会概念」については、本小論の最後で検討を加え

る。ここでは、さしあたり、「一つの民族や国民は一つの文化や社会を有している、

ないしは有すべきであるとする考え方」を指すものとしておく。

( 4 )エジプトのピラミッドは、正式には、「メンフィスとその墓地遺跡―ギザからダハ

シュールまでのピラミッド地帯」として登録されている。

( 5 )能楽や人形浄瑠璃等の物件は、無形文化遺産リストへの登録開始前の 2008 年に、ユ

ネスコが実施していた「傑作宣言」(「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣

言」)の対象リストにいったん登録され、その後、それが無形文化遺産の対象リスト

に統合される形で無形文化遺産として登録された。このため、能楽等の無形文化遺

産リストへの登録は公式には 2008 年とされている(文化庁 HP「無形文化遺産」参

照)。

( 6)この種の「本質主義的」な社会や文化の理解の仕方は、ユネスコのみならず世界の

さまざまな民族の社会や文化の比較研究を標榜する文化・社会人類学分野にも根強

く残っている。本質主義的な社会や文化観の克服は、今日の人文・社会科学が抱え

ているもっとも大きな課題の一つということができよう。

( 7 )以下、本小論で述べる韓国側の海女文化ユネスコ無形文化遺産登録運動の生成と展

開については、主に、済州大学のコ・チャンフン教授(Prof. Koh Cahng-Hoon)と

ユ・チョリン教授(Prof. Yoo Chul-Inn)、済州海女博物館のチャ・ヘギョン博士

(Dr. Choa Hekyung)へのインタビューに基づく。

( 8 )韓国側の視点や立場、あるいは韓国側のリーダーシップを強調する場合には、「日

韓」ではなく、「韓日」というように韓国の国名を前に置いた表記をする。

( 9 )ユ教授談。

(10)2008 年 2月以降、国土海洋部及び農林水産食品部に組織替えした。

(11)済州海女は日本植民地時代に抗日運動の端緒を開いたことでも知られ、済州海女博

物館は単に漁業者としての海女の文化を調査研究するのみならず、抗日運動の記憶

を後世に伝える役割をも担っている。

(12)特に、済州大学、ユ・チョリン教授の「済州島の海女―海女の無形文化遺産と持続

的開発―」(Jeju Haenyeo [Women Divers]: Their Intangible Cultural Heritage and

Sustainable Development)と題する講演(Yoo 2006)に、そのことが明示されてい

た。

(13)さらに 2009 年 11月には、海女文化の中核を成すとも言える、海の平和と大漁を願

う巫俗儀礼(民俗芸能)、済州チルモリ堂燃燈クッ(チルモリダン・ヨンドン・

クッ)が、海女文化に先駆けて無形文化遺産として登録された。

(14)石原館長へのインタビュー。韓国側からの海女文化を韓日共同でユネスコ無形文化

遺産へ登録しようという呼び掛けに対する日本側の「反応」については、主に、石

原館長へのインタビューに基づく。

110

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(15)海女フェスティバルは、2007 年以降、鳥インフルエンザ流行のために中止された

2009 年を除き、毎年 6月ないし 10月に開催されている。

(16)筆者は 2010年 3月末に済州海女博物館を訪問したが、寄贈された志摩の海女道具一

式が館内に展示されていた。

(17)講演の案内チラシのなかに、「海女文化」という言葉が明記されている。

(18)第 1回海女フォーラムは鳥羽市の主催であったが、以降は、当初の計画に基づき、

鳥羽市と志摩市が交互に開催している。

(19)serial nominationにはまだ定訳がない。カタカナ書きのままでは意味が読み取りに

くいことから、本小論では、試みに「連携登録」と訳しておく。

参照文献

<図書文献>

上杉富之

2009,「『グローカル研究』の構築に向けて―共振するグローバリゼーションとローカリ

ゼーションの再対象化―」『日本常民文化紀要』第 27輯,43-75頁。

2010,「韓国と日本における『海女文化』の創造・再発見とユネスコ無形文化遺産登録

運動―グローカリゼーションの観点から―」『The 5th International Symposium

on Haenyeo 発表要旨集』2010年 10月 11 日,韓国済州博物館主催第 5回国際海

女シンポジウム「海女文化の伝承保存への課題と展望」,32-43頁。

2011 「近代的『文化』概念への挑戦―日韓の『海女文化』の創出とユネスコ無形文化

遺産への登録運動―」 上杉富之・及川祥平(編)『共振する世界の対象化に向

けて―グローカル研究の理論と実践―』成城大学民俗学研究所グローカル研究セ

ンター,92-102頁。

海の博物館(編)

2009,『目で見る鳥羽・志摩の海女』海の博物館。

Gwon, Gwi-Sook

2006, Changing Labor Processes of Womenʼs Work: The Heanyo of Jeju Island, Korean

Studies 29: 114-136.

Yoo Chul-In

2006, Jeju Haenyeo [Women Divers]: Their Intangible Cultural Heritage and

Sustainable Development, 『済州海女―抗日運動,文化遺産,海洋文明―』(済

州海女博物館開館記念国際学術会議発表要旨集),17-28頁。

Yun, Kyoim

2007, Performing the Sacred: Political Economy and Shamanic Ritual on the Cheju

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 111

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Island, South Korea, Ph.D. Dissertation submitted to Indiana University (UMI

Microfilm 3278198).

좌혜경・권미선

2009a, 『濟州海女史料集』(The History Source Book of Jeju-Haenyeo), 제주특별자치도

해녀박물관(チャ・ヘギョン/クォン・ミソン,『濟州海女史料集』,濟州特別自

治道海女博物館,2009 年)

좌혜경・권미선

2009b, 『제주 해녀의 생업과 문화』(The Work and Cultural Asset of Jeju Women Sea

Divers),제주특별자치도 해녀박물관(チャ・ヘギョン/クォン・ミソン,『濟

州海女の生業と文化遺産』,濟州特別自治道海女博物館,2009 年)

좌혜경 외

2006,『제주해녀와 일본의 아마』(The Jeju Haenyeo and the Japanese Ama,),민속원

(チャ・ヘギョン他,『濟州海女と日本の海女』,民俗苑,2006年)

해녀박물관

2007,『바당의 어멍 제주해녀』(Mother of the Sea: The Jeju Haenyeo),제주콤(濟州特

別自治道海女博物館,『海の母――濟州海女――』,チェジュコム,2007 年)

<簡易製本発表要旨集> ※刊行年順。和文ないし英文の原文タイトルで表示。

Values of Women Divers and Their Cultural Heritage

2002,2002 年 6月 9-11 日開催,第 1回世界潜女学術会議発表要旨集(韓国語、英語、

日本語),会場:済州グランドホテル,済州学会主管。

『済州海女―抗日運動,文化遺産,海洋文明―』(Jeju Haenyeo: Anti-Japanes Movement,

Cultural Heritage and Ocean Civilization)

2006,2006年 6月 7 日,済州海女博物館開館記念国際学術会議発表要旨集(韓国語,

英語、日本語),会場:済州海女博物館,済州海女抗日運動記念事業委員会主催,

世界島学会主管。

『済州海女と日本海女の無形遺産』(Intangible Heritages of Jeju Haenyeo and Japanese

Ama)

2008,2008 年 6月 20-21 日開催,第 3回韓・日海女国際学術シンポジウム発表要旨集

(韓国語,英語,日本語),会場:済州 KALホテル,海女博物館主催、済州学会

主管。

『해녀문화 전승보존의 과제와 전망』(『海女文化の伝承保存への課題と展望』)

2010,2010年 10月 11 日開催,第 5回国際海女シンポジウム発表要旨集(韓国語,英

語,日本語),会場:済州グランドホテル,海女博物館主催,済州学会主管。

112

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<インターネット上のウェブサイト>

文化庁 HP「無形文化遺産」

URL:http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/bunka_isan.html(2011 年 2月 20日閲

覧)。

「海女研究会」HP「開催記録」

URL.http://www. lib.mie-u.ac. jp/r_and_d/research/amaken/record.html(2011 年 1 月

29 日閲覧)

第 3章 グローカル化としての「海女文化」の創造 113

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あとがき

本書は、成城大学民俗学研究所グローカル研究センターを拠点として、

2008 年度〜2010年度の 3 年間にわたって実施した文部科学省戦略的研究基

盤形成支援事業、「グローカル化時代に再編する日本の社会・文化に関する

地域・領域横断的研究」(研究代表者・松崎憲三成城大学教授/民俗学研究

所長)の中の 4 つの研究プロジェクトのうちの一つ、「グローカル化に伴う

越境の実態調査と理論構築」研究グループ(プロジェクトリーダー:上杉富

之成城大学教授/グローカル研究センター長)の成果報告書として刊行する

ものである。

「グローカル化に伴う越境の実態調査と理論構築」研究グループは、「序

章」で述べたように、グローバル化とローカル化が同時かつ相互に影響を及

ぼし合いながら進行するグローカル化の現象が、人やモノ、情報等が国や地

域の境界を越えて大規模かつ迅速に反復移動し、その結果としてある人やモ

ノ、情報が複数の国や地域に所属、帰属するような状態ないし現象、すなわ

ち「越境」状態ないし現象(transnationalism)の中でもっとも顕著に見ら

れるであろうとの観点から、メンバー各自が特に関心を持っているテーマ・

トピックに即しながら実証的かつ理論的に研究を進めることを心がけた。そ

の結果、メンバーそれぞれが多大な成果を挙げたが、残念ながら、諸般の事

情から本書にご寄稿いただけなかった方もいる。そこで、以下、「グローカ

ル化に伴う越境の実態調査と理論構築」研究グループのメンバー構成を記す

とともに、研究活動の一部として開催した研究会の開催記録を残しておく。

・研究代表 上杉富之(成城大学教授/グローカル研究センター長)

・研究メンバー(50音順)

茨城 透(鳥取大学准教授)

工藤正子(東京大学助教。2009年 4月より京都女子大学准教授)

細谷広美(神戸大学教授。2010年 4月より成蹊大学教授)

松川祐子(成城大学准教授)

114

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なお、以下の「研究会の開催記録」にあるように、2010年 3月 8 日に開

催した第 3回研究会では、長坂格広島大学准教授をゲストスピーカーとして

招いた。そのときの発表原稿を基に加筆修正していただいた論考も、本書に

収録されている。

第 1回研究会(2008 年 11月�日開催)

�.上杉富之「『グローカル研究』及び『越境プロジェクト』」の概要

�.茨城 透「フランス語圏アフリカ移民に見る越境戦略」

?.細谷広美「南米ペルー移民に見る越境戦略」

C.工藤正子「南アジア・パキスタン人の国際結婚を通した越境実践」

E.松川祐子「アジア系アメリカ人の文学作品に見る越境」

第 2回研究会(2009 年 3月 9 日、公開シンポジウム「グローカル研究の

可能性―社会的・文化的な対称性の回復に向けて―」に各

メンバーが参加する形で開催)

*上記シンポジウムの詳細については、上杉富之・及川祥平(編)『グ

ローカル研究の可能性―社会的・文化的な対称性の回復に向けて―』

(成城大学民俗学研究所グローカル研究センター、2009 年)を参照の

こと。

第 3回研究会(2010年 3月 8 日、グローカル研究センター主催の「越境

プロジェクト」公開ワークショップとして開催)

<研究発表>

�.上杉富之

「『グローカル研究』」としての越境・接合・中間系の諸問題」

�.細谷広美

「人権のグローバル化とシティズンシップの射程―ペルーの真実和

解委員会と先住民―」

?.工藤正子

「ムスリム女性の越境と居場所の構築―日本と英国のパキスタン系

あとがき 115

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コミュニティの事例から―」

C.松川祐子

「日系アメリカ人女性作家と時空の越境―Kimiko Hahnと Patricia

Chaoの場合―」

<ゲストスピーカー>

E.長坂 格

「越境フィリピン人コミュニティの現在―トランスナショナリズム

の人類学―」

<コメント>

茨城 透

「グローカル化に伴う越境の実態調査と理論構築」研究グループは、「グ

ローカル化」と「越境」をキーワードに、グローバル化とローカル化が同時

に、しかも相互に影響しつつ進行する今日の社会や文化の状態ないし現象を

実証的かつ理論的に検討することを当初の目的として研究を開始した。本書

をご覧いただければわかるように、その目的はある程度達成されていると自

負する。「グローカル研究」の視点を強調することで、「越境」の現実により

即した実証的な資料を提示し得たのではないかと考える。理論的にも、各執

筆者が、個別の事例に基づいた、説得力のある「限定的な理論」を提示し得

ていると思う。

しかしながら、そうした個別の事例を越えた、より包括的な新たな理論を

構築し得たのかと問われると、編者として、いささか心許ないところもあ

る。編者の力不足に対して忌憚のないご批判をいただくのはもとより覚悟し

ているが、読者諸賢には、新たな研究分野を開拓しようとする私どもの試み

を今しばらく温かく見守っていただければ幸いである。

最後に、本書の刊行が遅れたことについて、編者として、関係者各位にお

詫び申し上げます。特に、早々と論考をお寄せいただいたばかりか、迅速か

つ厳密に校正を終えていただいたお二人の執筆者(工藤正子氏と長坂格氏)

には、心よりお詫び申し上げます。予期せぬ諸般の事情が重なったとは言

え、遅延の責はひとえに編者が負うべきであり、弁解の余地もありません。

116

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怠惰な編者が何とか本書を刊行し得たのは、本書の基となった研究プロ

ジェクト(「グローカル化に伴う越境の実態調査と理論構築」)の大本の研究

プロジェクト、「グローカル化時代に再編する日本の社会・文化に関する地

域・領域横断的研究」を牽引していただいた成城大学民俗学研究所の松崎憲

三所長、編者とともに本研究プロジェクトを推進して下さった研究メンバー

の皆さん、グローカル研究センターの煩瑣な事務作業を一手に引き受けて下

さった山本和博氏、そしてまた、直接間接にお世話をいただいた多数の方々

のご支援とご協力があったればこそです。記して、すべての関係者の方々に

篤く御礼申し上げます。

あとがき 117

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執筆者一覧(執筆順)

上杉富之(うえすぎ・とみゆき) 編者/序章/第 3章

1956年生まれ

現在、成城大学文芸学部教授、成城大学民俗学研究所グローカル研究セン

ターセンター長

工藤正子(くどう・まさこ) 第 1章

1963 年生まれ

現在、京都女子大学准教授

長坂 格(ながさか・いたる) 第 2章

1969 年生まれ

現在、広島大学准教授

118

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グローカル研究叢書 4

グローカリゼーションと越境

2011 年 3月 20日発行

[編 者] 上 杉 富 之

[発 行] 成城大学民俗学研究所グローカル研究センター

〒 157-8511 東京都世田谷区成城 6-1-20

TEL :03-3482-1497

FAX:03-3482-1497

URL :http://www.seijo.ac.jp/glocal

[印 刷] 三鈴印刷株式会社

〒 101-0051 東京都千代田区神田神保町 2-32-1

TEL:03-5276-0811(代表)

ISBN 978-4-904605-14-1 C3039 表紙デザイン:小島孝夫

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CENTER FOR GLOCAL STUDIESSEIJO UNIVERSITY

グローカリゼーションと

越境

Center for Glocal StudiesInstitute of Folklore StudiesSeijo University

Office:6-1-20, Seijo, Setagaya-ku, Tokyo, 157-8511, JAPAN.E-mail: [email protected]: http://www.seijo.ac.jp/glocal

グローカル

研究叢書

グローカリゼーションと越境

上杉富之編

上杉富之編

成城大学

成城大学民俗学研究所

グローカル研究センター

ISBN 978-4-904605-14-1 C3039