文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的...

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文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として― A Narrative Discourse System as Implementation of Literary Theories: As a Case of Constructive Narratology 秋元 泰介 ,小方 Taisuke Akimoto, Takashi Ogata 岩手県立大学大学院, 岩手県立大学 Graduate School of Iwate Prefectural University, Iwate Prefectural University [email protected] Abstract The framework of our Narrative Discourse System consists of three modules: narrative discourse techniques that implementation of Genettes semiotic theory of narrative discourse; and a narrator module and a narratee module that implementation of Jausss reception theory. In this approach (implementing literary theories), we aim to propose a constructive narratology. In this paper, we show the results of a generation experiment by the system, and we discuss its results from a perspective of constructive narratology. Keywords Narrative Generation System, Constructive Narratology, Narrative Discourse, Reception Theory. 1. まえがき 1.1 研究の背景と目的 物語生成システムの研究は,認知科学・人工知 能の中で 1960 年代頃から,主に人間の創造性研 究や文章理解・生成研究の一環として行われてき た.初期の研究ではスクリプト,物語文法等の理 論や,それらを用いた物語生成システムがいくつ か提案・開発されてきた.例えば TALE-SPIN[7] は,登場人物のゴール-プランに基づく行動とし ての事象列を生成する.BRUTUS[3]は,テーマ 構造や物語文法を取り入れた.近年はメディア技 術の高度化や AI の研究主題の広がりに伴い,ゲ ーム等の娯楽や教育支援等への応用を狙った研究 も現れ始め,再び活発化している.そんな中,物 語論との融合を図る研究も現れ始めている.物語 論では,「何を」語るかという側面とそれに対立す る「如何に」語るかという側面とを区別し,前者 を物語内容(story),後者を物語言説(discourse)呼ぶ.従来の物語生成システムの多くは物語内容 に着目しており,物語言説の特に時間順序や省略 等の構造的側面を明示的に扱う研究はこれまであ まり行われてこなかった. そこで本研究では,物語内容を入力として物語 言説を自動生成する物語言説システムの開発を目 標とする.物語言説は本来テクストそのものを指 すが,本研究ではさらに構造的側面と表現的側面 に分け,構造的側面に着目する.システムは,筆 者らが研究・開発を進めている物語生成システム [11][14][15]他)の一機構(物語言説機構)とし て位置付けられる.先行研究では,Genette の物 語言説論[4]をシステム化の観点から再整理し,物 語言説技法と物語戦略からなる物語言説機構の構 想を提案し[12][13],その後いくつかの部分的な システム開発を通して具体的な検討を行った [10][16][17]他). 今回提案するシステムは,先行研究を踏襲しな がら,新たに Jauss の受容理論[5]を取り入れた, 物語言説機構の最初の統合版である.Genette 物語言説論は「物語言説技法」として,Jauss 受容理論は「語り手」機構と「聴き手」機構の相 互作用による生成の制御機構として実装する.シ ステムの目的は主にふたつある.ひとつは,物語 言説の自動生成あるいはその結果を用いた創造活 動支援としての利用である.もうひとつは,物語 論・文学理論の実装による実験・検証を通した構 成的な物語研究の方法を提案することである.こ れまで,システムの実装・実験を通して様々な考 察を行って来た([1][2]他).本稿では,特に構成

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文学理論の実装としての物語言説システム

―構成的物語論の一事例として― A Narrative Discourse System as Implementation of Literary

Theories: As a Case of Constructive Narratology

秋元 泰介†,小方 孝‡

Taisuke Akimoto, Takashi Ogata

†岩手県立大学大学院,

‡岩手県立大学

Graduate School of Iwate Prefectural University, Iwate Prefectural University

[email protected]

Abstract

The framework of our Narrative Discourse System

consists of three modules: narrative discourse

techniques that implementation of Genette’s semiotic

theory of narrative discourse; and a narrator module

and a narratee module that implementation of Jauss’s

reception theory. In this approach (implementing

literary theories), we aim to propose a constructive

narratology. In this paper, we show the results of a

generation experiment by the system, and we discuss

its results from a perspective of constructive

narratology. Keywords ― Narrative Generation System,

Constructive Narratology, Narrative Discourse,

Reception Theory.

1. まえがき

1.1 研究の背景と目的

物語生成システムの研究は,認知科学・人工知

能の中で 1960 年代頃から,主に人間の創造性研

究や文章理解・生成研究の一環として行われてき

た.初期の研究ではスクリプト,物語文法等の理

論や,それらを用いた物語生成システムがいくつ

か提案・開発されてきた.例えば TALE-SPIN[7]

は,登場人物のゴール-プランに基づく行動とし

ての事象列を生成する.BRUTUS[3]は,テーマ

構造や物語文法を取り入れた.近年はメディア技

術の高度化や AI の研究主題の広がりに伴い,ゲ

ーム等の娯楽や教育支援等への応用を狙った研究

も現れ始め,再び活発化している.そんな中,物

語論との融合を図る研究も現れ始めている.物語

論では,「何を」語るかという側面とそれに対立す

る「如何に」語るかという側面とを区別し,前者

を物語内容(story),後者を物語言説(discourse)と

呼ぶ.従来の物語生成システムの多くは物語内容

に着目しており,物語言説の特に時間順序や省略

等の構造的側面を明示的に扱う研究はこれまであ

まり行われてこなかった.

そこで本研究では,物語内容を入力として物語

言説を自動生成する物語言説システムの開発を目

標とする.物語言説は本来テクストそのものを指

すが,本研究ではさらに構造的側面と表現的側面

に分け,構造的側面に着目する.システムは,筆

者らが研究・開発を進めている物語生成システム

([11][14][15]他)の一機構(物語言説機構)とし

て位置付けられる.先行研究では,Genette の物

語言説論[4]をシステム化の観点から再整理し,物

語言説技法と物語戦略からなる物語言説機構の構

想を提案し[12][13],その後いくつかの部分的な

システム開発を通して具体的な検討を行った

([10][16][17]他).

今回提案するシステムは,先行研究を踏襲しな

がら,新たに Jauss の受容理論[5]を取り入れた,

物語言説機構の最初の統合版である.Genette の

物語言説論は「物語言説技法」として,Jauss の

受容理論は「語り手」機構と「聴き手」機構の相

互作用による生成の制御機構として実装する.シ

ステムの目的は主にふたつある.ひとつは,物語

言説の自動生成あるいはその結果を用いた創造活

動支援としての利用である.もうひとつは,物語

論・文学理論の実装による実験・検証を通した構

成的な物語研究の方法を提案することである.こ

れまで,システムの実装・実験を通して様々な考

察を行って来た([1][2]他).本稿では,特に構成

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的物語論としての観点から新たな実験結果と考察

を示し,これまでの議論も含めて問題点や今後の

課題を整理する.

1.2 関連研究

物語言説を明示的に扱う生成システムの研究は

ふたつ挙げられる.[8]は,物語言説論[4]を援用し

て,ユーザのコマンドに応じて,語り方(事象を

語る時間順序の入れ替え等)を変化させる

Interactive Fiction システムの研究を行っている.

しかし,ここで実現されている言説処理は単純な

ものに留まる.例えば,時間順序の入れ替え処理

は事象列の単純な並び変え処理であり,[4]の時間

順序に関する細かな分類は生かされていない.本

研究では,[4]を包括的に再構成・拡張することで,

より多様な言説処理を実現した.また,[6]は物語

を扱う自然言語生成の枠組みの構築を目的とし,

[4]の「態」の検討を基に「語り」に関する情報(主

に入れ子構造の物語等)を表すフレームを提案し

ているがシステムは未実装である.本研究では,

態は取り込んでいないが,先行研究[12][16]では

これもシステム化を想定して整理しており,今後

これを導入する方法を検討する.

受容理論に関しては,[9]が受容理論を実証する

場として位置付けたハイパーテキスト小説を開発

している.これは自動生成システムではないが,

文学理論の実装による構成的アプローチという問

題意識の点では本研究と共通している.

1.3 本論文の構成

2 節ではシステムで導入した Genette の物語言

説論[4]と Jauss の受容理論[5]について述べる.3

節では物語言説システムの方法を述べ,4 節でそ

の実装について述べる.5 節では,システムの生

成実験の結果を示し,6 節ではこの結果を基に議

論する.最後に 7 節で全体のまとめを行う.

2. 取り入れた物語論・文学理論

2.1 Genette の物語言説論

フランスの文学理論家の Genette により提唱さ

れた物語言説論[4]は,小説のテクスト分析を基に

物語言説の体系的分類を提唱したものである.ま

ず,物語を「物語内容」,「物語言説」,「語り」と

いう 3 つの相に分ける.物語内容と物語言説は,

それぞれ語られる内容とテクストそのものを意味

し,語りは物語を生産する語りの行為を意味する.

そして物語言説を,物語言説における時間と物語

内容における時間との関係に関する「時間」,物語

言説における物語内容の再現に関する「变法」,そ

して語りと他のふたつの相との関係に関する「態」

という大きく 3 つの範疇に分類した.これらの範

疇はさらに細分される.時間,变法,態の下位分

類をそれぞれ表 1,表 2,表 3 に示す.

表 1 「時間」の下位分類

錯時法:物語内容の順序と物語言説のそれとの様々な形式の不整合後説法:物語内容の現時点に対して先行する事象を後に語る先説法:後から生じる事象をあらかじめ語る空時法:物語内容との時間的関係を持たない(日付も年代も持たない)事象を語る

不等時法:物語内容の持続(時間)と物語言説の長さ(行,頁単位)との関係休止法:物語言説の時間(TR)=n,物語内容の時間(TH)=0,ゆえに,TR∞>TH情景法:TR=TH要約法:TR<TH省略法:TR=0,TH=n,ゆえに,TR<∞TH

頻度:物語内容における事象の生起回数と物語言説においてそれを語る回数との関係単起法:一度(n度)生起したことを一度(n度)語る反復法:一度生起したことをn度語る括複法:n度生起したことを一度語る

表 2 「叙法」の下位分類

距離:物語内容の再現における模倣(ミメーシス)と純粋の物語(ディエゲーシス)との間の度合い焦点化:ある制限的な視点を選択すること(あるいはしないこと)による情報の制御の仕方焦点化ゼロ:全知の語り手による物語<言説>(語り手はどの作中人物が知っているよりも多くのことを語る)内的焦点化:視点を持った物語言説(語り手はある作中人物が知っていることしか語らない)外的焦点化:客観的もしくは行動主義的な物語言説(語り手はある作中人物が知っていることよりも少なくしか語らない)変調―黙説法:全体を支配する焦点化のコードにおいて原理的に要求されるよりも少ない情報しか与えない変調―冗説法:全体を支配する焦点化のコードにおいて原理的に要求されているよりも多くの情報を与える

表 3 「態」の下位分類

語りの時間:物語内容の時間に対する語りの時間の相対的位置後置的:過去形で語られた物語言説前置的:未来形で語られた物語言説同時的:現在形で語られた物語言説挿入的:語りの時間が物語内容の諸時点間に挿入された物語言説

語りの水準:第一の物語言説の作中人物により語られる第二の物語言説のように,語りによって隔てられる水準の差異(物語世界外/物語世界内/メタ物語世界)語りの人称:語り手を作中人物のひとりとするか,作中人物以外とするかの選択

等質物語世界:語り手が自分の語る物語内容の中に登場する異質物語世界:語り手が自分の語る物語内容の中に登場しない

以上の分類は,結果として表れる物語言説のタ

イプに相当する.[12][13]では,実装を想定して,

この分類を次のように精緻化した.結果として表

れる物語言説のタイプを構造的手法とし,さらに,

構造的手法が受け手にもたらす認知的効果(認知

的戦略)や,構造的手法を実現するための手続き

レベルの手法(形式的手法)に分ける.そして,

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時間と变法を「物語言説技法」(物語の構造変換技

法),態を物語言説技法の使用を制御するメタ的な

知識(物語戦略)へと拡張し,態の分類を基盤と

して,認知的戦略に相当する知識により制御を行

う構想を示した.

本研究ではこれを踏襲し,[4]による物語言説の

分類(構造的手法)を形式的手法レベルの処理と

して定義し,物語言説技法とする.態は取り入れ

ていないが,認知的戦略に相当する知識をパラメ

ータとしてシステムに取り込む.

2.2 Jauss の受容理論

受容理論とは,読者を文学作品の生産に積極的

に関わる存在として位置付けた読者中心の文学研

究である.Jauss は,読者を中心とする文学史の

理論を提唱した[5].これは,「期待の地平」とそ

れを逸脱した作品による地平の変化により説明さ

れる.期待の地平とは,ある時代の読者集団が持

つ特定のジャンルや様式に対する予備知識あるい

は一種のスキーマであり,読者の読書経験によっ

て形成される.読者は,新しい作品を読む時に期

待の地平が呼び起こされる.この時,期待を逸脱

するような作品が読者に受け容れられると,期待

の地平に変化が生じる.

本研究では,Jauss の理論を「語り手」と「聴

き手」の相互作用による物語言説生成の制御機構

として取り入れる.Jauss の抽象的な理論をその

ままシステム化することは困難であるため,次の

ように単純化する.Jauss の想定する読者は,集

合体としての読者であるが,本システムではこれ

をひとつの聴き手機構に対応させる.期待の地平

を単に期待と呼び,聴き手が持つ物語言説に対す

るスキーマとしてパラメータにより表現する.

3. システムの方法

物語言説システムは「物語言説技法」,「語り手」,

「聴き手」の大きく 3 つの機構から構成される(図

1).物語言説技法は,物語内容から物語言説への

構造変換技法とし,[4]の分類から 13 種類の技法

を用意する.語り手は「生成目標」を基に物語言

説技法を制御して物語内容から物語言説を生成す

る機構,聴き手は,「期待」を基に物語言説を「評

価」して,語り手にフィードバックする機構とす

る.生成目標とは,物語言説技法制御の指針であ

り,語り手は聴き手による評価に応じてこれを調

節する.期待は,聴き手が持つ物語言説に対する

スキーマに相当し,物語言説を受けることにより

強化される.生成目標と期待はいずれもパラメー

タとして表現する.

語り手(機構)

聴き手(機構)

物語言説技法

生成目標

期待

物語内容

物語言説

評価

繰り返し(サイクル)

図 1 物語言説システムの概要

生成の流れは次のようになる.まず,語り手は,

聴き手の評価を基に生成目標を期待に沿うように

調節し,物語言説技法を制御して物語言説を生成

する.一方の聴き手は,期待を基に物語言説を評

価する.この繰り返しにより聴き手の期待の強度

が徐々に強まり,ある時点で「飽き」が生じる.

すると,語り手は敢えて期待を逸脱するように生

成目標を変化させ,これにより生成された物語言

説を聴き手が受けると,新たな期待が形成される.

この一連の流れの繰り返しにより,生成される物

語言説が変化していく.以下,システムの各構成

要素の概要を述べる.

3.1 物語内容と物語言説

物語内容と物語言説は,図 2 に示すように,概

念表現として表された事象(event)列(物語言説は

描写(description)も含む)を,事象同士の結合関

係により階層化した木構造として表現する.これ

は,[11]が連接関係や物語文法を参考に考案した

物語木の考えに基づいている.物語内容の終端ノ

ード(事象)は生起時間順の並び,物語言説のそ

れ(事象・描写)は語る順の並びとなる.

図 2 物語内容と物語言説の木構造

事象は,動詞概念とそれに付随する深層格(表

4)からなる格フレームで表現する.描写は,対

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象要素名(人,物,場所)とその外面情報(「目が

大きい」のように文で表現)の対で表現する.

表 4 事象概念表現の深層格

type 種類 (action | happening)

ID 事象のID

time 発生時間(開始時点と終了時点)agent 主体counter-agent 客体object 対象物instrument 道具location 場所from 開始地点to 終着地点

結合関係には,物語内容の構造を表す内容関係

(物語言説でも使用)と,物語言説特有の構造を

表す言説関係がある.内容関係は,基本的に[11]

が定義した関係を用いるが,これとは別に新たな

関係を定義してもよい.言説関係は,システムで

使用する 13 種類の物語言説技法の構造変換を表

現するために必要な関係を 7 種類定義した.結合

関係の一覧を表 5 に示す.

表 5 結合関係

内容関係

原因‐結果:左右の子ノードが原因とその結果の関係加害‐解消:左右の子ノードが加害とその解消の関係目標‐計画:ある事象を目標とした事象列継起:一連の事象列反復_内容:類似した事象の連続(同一の行為等)※その他,ここに挙げたもの以外も可

言説関係

回想:左子ノードが「回想する」という事象,右子ノードがその内容現在‐過去:左子ノードの時点に対して右子ノードが過去の事象予言:左子ノードが「予言する」という事象,右子ノードがその内容現在‐未来:左子ノードの時点に対して右子ノードが未来の事象挿話:右子ノードが物語内容との時間的な連続性の不明な事象描写:右子ノードが描写反復_言説:同一の事象の反復

3.2 物語言説技法

物語言説技法は,[4]の時間と变法の下位分類か

ら,表 6 に示す 13 種類を取り入れる.各技法は,

表 7 に示す基礎的技法の組み合わせとして定義す

る.表 8 に各技法の変換手続きを示す.

表 6 取り入れる物語言説技法

外的後説法:物語内容の時間範囲外に位置する過去の事象を遡って語る.

補完的後説法_省略:物語内容中の過去の事象で,本来占める位置で

は欠落(省略)していた部分を遡って語る.

補完的後説法_黙説:物語内容中の過去の事象で,本来占める位置で

は欠落(黙説法)していた部分を遡って語る.

反復的後説法:物語内容中の過去の事象を遡って複数回反復して語る.外的先説法:物語内容の時間範囲外に位置する未来の事象を語る.補完的先説法_省略:物語言説において未来に位置する部分を先取りして語り,それが本来占める位置においては欠落(省略)して語られる.

補完的先説法_黙説:物語言説において未来に位置する部分を先取りして語り,それが本来占める位置においては欠落(黙説法)して語られる.

反復的先説法:物語言説において未来に位置する部分を先取りして語り,それが本来占める位置でも語られる.

空時法:物語内容との時間的な位置関係が特定できない事象を語る.休止法:物語言説において物語内容の時間進行を停止する(描写の挿入).

暗示的省略法:物語内容のある部分を省略して語り(時間進行が無限大の速度),かつ省略の存在自体も明示しない.

反復法:物語内容において一度生起した事象を,複数回反復して語る.黙説法:現在物語言説を語っている焦点化の範囲から,本来語られるべき情報を迂回し,原理的に要求されるよりも少ない情報しか示さない語り方.

表 7 基礎的技法

削除:物語木中のノードXを削除する.これにより子ノードをひとつしか持たない中間ノードが発生した場合その子ノードを繰り上げる.

結合:物語木中のノードXにノードYを任意の関係で結合.置換:物語木中のノードXをノードYと置き換える.複製:物語言説中のノードXを複製する.生成(大きく分けて以下の3種類):物語内容外の事象列:外的後説法,外的先説法,空時法で挿入する事象列(いずれも物語木)を,予め用意したDBから獲得.

描写:物語に含まれる要素(人,物,場所)の外面情報を格納したDBから要素Xの外面情報を獲得し「描写」ノードを生成.

回想/予言:各種後説法(先説法)の使用を明示するために,回想(予言)を行う事象を生成する.事象のagentと,counter-agentは,それを挿入する位置の直前の事象に含まれる人物から任意に決定される(agentは必須,counter-agentは無くてもよい).

表 8 各物語言説技法の手続き

外的後説法:(※回想の挿入)①任意の登場人物の外的過去Xを獲得.②Xを任意のノードYの後ろに,「現在-過去」(回想)関係で結合.補完的後説法_省略:(※回想の挿入)①任意のノードYよりも時間的に過去に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-過去」(回想)関係で結合.③Xに「暗示的省略法」を適用.補完的後説法_黙説:(※回想の挿入)①任意のノードYよりも時間的に過去に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-過去」(回想)関係で結合.③Xに「黙説法」を適用.反復的後説法:(※回想の挿入)①任意のノードYよりも時間的に過去に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-過去」(回想)関係で結合.外的先説法:(※予言の挿入)①任意のノードYよりも時間的に未来に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-未来」(予言)関係で結合.③Xに「暗示的省略法」を適用.補完的先説法_省略:(※予言の挿入)①任意のノードYよりも時間的に未来に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-未来」(予言)関係で結合.③Xに「暗示的省略法」を適用.補完的先説法_黙説:(※予言の挿入)①任意のノードYよりも時間的に未来に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-未来」(予言)関係で結合.③Xに「黙説法」を適用.反復的先説法:(※予言の挿入)①任意のノードYよりも時間的に未来に位置する任意のノードXを複製(X2).②Yの後ろにX2を「現在-未来」(予言)関係で結合.空時法:①物語内容との時間的な関係が特定できないノードXを獲得.②任意のノードYにXを「挿話」関係で結合.休止法:①任意の事象Yに含まれる全ての要素(人,物,場所)をキーとして,描写ノードXを生成.②YにXを「描写」関係で結合.暗示的省略法:①任意のノードXを削除.反復法:①任意のノードXをN個複製(現在は2個に限定).②複製したN個のノード全てを「反復_言説」関係で結合したノードX2を生成.③X2をXと置換.黙説法:①任意のノードXを複製(X2).②X2の中の,任意の事象Y(ひとつ以上の事象)を全て削除.③X2をXと置換.

3.3 生成目標と期待―物語言説パラメータ―

生成目標と期待の表現方法として,物語言説の

特徴を数値的に表す「物語言説パラメータ」を定

義する.今回は,[4]の各技法の概念や認知的戦略

に相当する記述([12]で整理)から考えられる 10 種

類のパラメータ(表 9)を用意する.各パラメー

タは小(1),中(2),大(3)の 3 段階で表す.

なお,期待には各パラメータの値に「重み」と「経

験値」というふたつの値(これについては 3.5 節

で説明する)を付与する.

3.4 語り手機構

語り手による物語言説技法の制御は,次の 3 段

階の処理からなる.

①生成目標の調節:「評価」を基に,生成目標中の

ひとつのパラメータ値を変化させる(あるいは変

化させない).具体的な方法は 3.5 節で説明する.

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表 9 物語言説パラメータ

説明性:物語内容に対する補足的な情報の量複雑性:物語言説の時間的な構造の複雑さサスペンス性:物語言説における物語内容の一時的な隠蔽による不安定感長さ:物語内容の長さに対する物語言説の長さ隠蔽性:物語内容をどの程度隠蔽するか描写性:描写の量反復性:物語言説における反復の量冗長性:物語言説の冗長さ暗示性:未来に起こる事象をほのめかす性質物語言説の時間的な自立性:物語言説が物語内容の時間との依存関係を絶ち,時間的に自立した性質

②使用する物語言説技法の決定:図 3 に示す技法

決定ルールによって,生成目標から使用する物語

言説技法のセットを決定する.ルールには,パラ

メータと物語言説技法の関係を基に,各パラメー

タ値に対応する技法が一意に定義されている.

((説明性(1 (nil))(2 (外的後説法))(3 (外的後説法外的先説法)))(複雑性(1 (nil))(2 (補完的後説法_黙説))(3 (補完的後説法_省略補完的先説法_黙説反復的後説法)))・・・以下省略・・・

図 3 技法決定ルール(一部)

③物語言説技法の適用:②で使用が決定された技

法をひとつずつ適用する.物語言説技法の適用順

序は,技法同士の干渉(例えば,休止法で挿入し

た「描写」を暗示的省略法で消す)をなるべく避

けるために省略の技法,反復の技法,時間順序変

換の技法,新たなノードを挿入する技法の順とす

る.技法を適用する際,その技法をどのように使

うかという制御情報を決定する必要がある.制御

情報は技法毎に異なり,対象ノード,ノードの挿

入位置,対象人物,操作的技法(回想,予言)の

有無の中のいくつかを必要とする.現在これらは

基本的にランダムで決定するが,対象ノードとノ

ードの挿入位置については,事象の時間的な前後

関係やノードの大きさに関する制約条件を設ける.

3.5 聴き手機構

聴き手は,物語言説を受けると,期待を基にそ

れを「評価」し,続いて「期待の更新」を行う.

これらの処理は,いずれも生成目標と期待それぞ

れの個々のパラメータ同士を比較することにより

行う.この時,生成目標と期待の対応するパラメ

ータ値が一致していることを期待に「沿う」と呼

び,逆に一致していないことを「逸脱」と呼ぶ.

まず,読書経験により期待が変化する仕組み(期

待の更新)について述べる.期待の個々のパラメ

ータには,「重み」と「経験値」というふたつの値

が付与される.経験値は期待(スキーマ)の強度

を表し,期待に沿った物語言説を受ける毎に上昇

する.重みはそのパラメータの評価への影響度を

表し,経験値と連動して変化する.期待の強度は,

ある程度までは物語言説の理解につながり,評価

に良い影響を与えるが,強まりすぎるとそれが「飽

き」に変わり,評価に悪影響を与えると考えられ

る.この考えに従い,経験値と重みを図 4 に示す

関係とする.ここで,重みが下降に転じる点を Xp

と呼ぶ.

図 4 経験値と重みの関係

そして,期待に沿った物語言説に飽きているこ

と(経験値>Xp)が,期待の逸脱を受け容れる条

件となり,この時に期待を逸脱した物語言説を受

けると,「新たな期待の形成」(期待のパラメータ

値自体が逸脱された値へと変化し,経験値も 1 に

初期化)が行われる.

次に評価の方法を説明する.まず,生成目標と

期待の個々のパラメータ同士を比較して,パラメ

ータ値の差の絶対値に重みを掛けた値(個別の点

数)を計算する(但し,期待の逸脱を受け容れた

時は特別に 100 点とする).そして,個別の点数

を基に「総合点」と「指摘」というふたつの情報

を返す.総合点は,評価の良さを表す点数であり,

個別の点数を全て合計したものである.一方の指

摘は,最も個別の点数の低いパラメータを語り手

に伝える情報である.指摘はパラメータ名と,そ

の問題点(生成目標が期待に対して「高い」,「低

い」,「飽きた」,「無(nil)」のいずれか)の組から

なる(例えば,「複雑性:飽きた」).

語り手は指摘を見て,「高い」の時は生成目標の

対応するパラメータ値に 1 を加え,「低い」であ

れば 1 減らす.「飽きた」の時は,乱数により期

Page 6: 文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的 …...文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として―

待の逸脱を行う.「無(nil)」の時は変化させない.

4. システムの実装

システムを Common Lisp で実装した.物語言

説技法,語り手,聴き手は関数として定義し,全

体で約 60 の関数から構成される.物語内容や物

語言説等の各種データはリスト形式で記述する.

物語内容のデータ形式を図 5(図 8 の物語内容の

冒頭部分)に,物語言説のデータ形式を図 6(表

12 の物語言説の冒頭部分)に例示する.いずれ

も”$”で始まる要素が結合関係を,”event”で始ま

るリストが事象概念を表している.物語言説では,

個々の事象概念に語る順の通し番号が付与される.

($反復_内容($原因-結果

($継起(event 焼く (4) (type action) (ID 1) (time (1 2)) (agent 猟師) (counter-agent nil)

(object 餅) (instrument 炉) (location 山小屋) (from nil) (to nil))(event 食べる (2) (type action) (ID 2) (time (2 3)) (agent 猟師) (counter-agent nil)

(object 餅) (instrument nil) (location 山小屋) (from nil) (to nil)))・・・以下省略・・・

図 5 物語内容のデータ形式例(一部)

($反復_内容($原因-結果

($継起($現在-過去

(1 (event 焼く (4) (type action) (ID 1) (time (1 2)) (agent 猟師) (counter-agent nil) (object 餅) (instrument 炉) (location 山小屋) (from nil) (to nil)))

($継起(2 (event 生まれる (1) (type action) (ID 101) (time (-100 -99)) (agent 猟師)

(counter-agent nil) (object nil) (instrument nil) (location 町) (from nil) (to nil)))・・・以下省略・・・

図 6 物語言説のデータ形式例(一部)

システム全体の処理手順を図 7 に示す.引数と

して物語内容(ファイル名),実行する生成サイク

ルの回数,Xpの 3 種類を与えて実行し,次にユー

ザが語り手及び聴き手とする人物を選択すること

で,生成目標と期待の初期値が設定される.選択

候補の人物は「人物 DB」に人物名及びその人物

の生成目標と期待の初期値をひとまとまりとして,

予めいくつか格納しておいたものの中から選択す

る.出力として,指定回数分の物語言説とその自

然言語文を表示する.自然言語文は,現在開発中

の文章生成システムにより自動生成される.

語り手と聴き手の初期設定

語り手:物語言説技法制御・適用

聴き手:評価計算

聴き手:期待更新

語り手:生成目標設定

Start

End

指定回数ループ

物語言説

物語内容

図 7 全体の処理手順

5. 生成実験

これまで,評価方法に着目して他の物語生成シ

ステムの評価方法の調査を行ったが,量的な評価

から質的な評価まで,様々な方法・基準が挙げら

れた[1].本研究でも,生成目標と実際の物語言説

との対応性や,聴き手による評価と人間による評

価との対応性の実験を試みてきた.

ここでは,物語言説の形式的な特徴に着目し,

生成サイクルによる物語言説の変化の仕方及び変

化の範囲を分析する.その基準として,「長さ」と

「時間構造の複雑さ」というふたつの特徴軸を定

義する.長さは文の数を単位とし,1 事象を 1 文,

描写の場合は描写の対象要素(人,物,場所)ひ

とつを 1 文と数える.時間構造の複雑さは点数で

表す.時間順序の入れ替え 1 箇所につき 1 点とし,

入れ子構造になっている部分は 1 段毎に 1 点上乗

せする.例えば,ある時点に過去の事象が挿入さ

れ,さらにその中で過去の事象が挿入されている

場合は合計 3 点となる.これらは,プログラムに

より物語言説の構造から自動計算する.

入力として与えた物語内容は,『遠野物語』[18]

の第二八話を簡略化して,手作業で作成した.図

8 にこれを文章で表現したものを示す.これを題

材に選んだ理由は,文章が簡潔で話の筋が分かり

やすいからである.その他,外的後説法,外的先

説法,空時法,休止法で使用する物語内容外の情

報も予め手作業で用意した.

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山から窺う。坊主が山小屋に入る。坊主が餅を見る。坊主が餅を食べる。猟師が餅を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山へ帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。坊主が山小屋に入る。坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山に逃げる。

図 8 入力の物語内容(文章)

Xpを 30 及び 50 とし,それぞれ 1000 サイクル

実行した.以下,実験結果を生成サイクルによる

物語言説の変化,生成された物語言説の例,生成

サイクルによる期待の変化の順に示す.

5.1 生成サイクルによる物語言説の変化

図 9 に Xp=30 の時,図 10 に Xp =50 の時の物語

言説の変化を示す.横軸はサイクル数を,縦軸は

両特徴の値を同軸上で表している.結果,長さが

12 から 53,時間構造の複雑さが 0 から 29 の範囲

Page 7: 文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的 …...文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として―

で,並行的に上下を続け,背反するような変化は

ほぼ見られない.Xpが小さい方が,両特徴が上下

する間隔(周期に相当)が狭い.

0

10

20

30

40

50

60

1 101 201 301 401 501 601 701 801 901

長さ(文)

時間構造の複雑さ(点)

サイクル数(回)

長さ

時間構造の複雑さ

図 9 Xpが 30の時の物語言説の変化

0

10

20

30

40

50

60

1 101 201 301 401 501 601 701 801 901

長さ(文)

時間構造の複雑さ(点)

サイクル数(回)

長さ

時間構造の複雑さ

図 10 Xpが 50の時の物語言説の変化

5.2 生成された物語言説の例

実験結果の中からいくつかの生成例を示す.な

お,ここでは読みやすさを考慮して,現在開発中

の文章生成システムにより,物語言説を自動で文

章化したものを示す.

まず,長さと時間構造の複雑さそれぞれの最大

値及び最小値を記録した物語言説を表 10 から表

13 に示す.表 10 と表 12 はいずれも多くの技法

が使用され,元の話の内容が捉えづらくなってい

る.反対に,表 11 と表 13 は,いずれも使用され

ている技法が尐なく,比較的元の話の構造が残さ

れている.

表 10 長さが最大の物語言説(文章)

猟師が餅を焼く。[猟師が回想する。猟師が生まれる。猟師が育つ。町は、家が立ち並んでいる。猟師は、腕が細く、目が大きい。]猟師が餅を食べる。[熊が町まで山より行く。熊が町人を襲う。町人が熊を殺す。][猟師が予言する。坊主が餅を食べる。[坊主が山小屋へ入る。坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山まで逃げる。]]坊主が山小屋へ入る。猟師

が餅を坊主に上げる。坊主が山小屋から山に帰る。猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。[猟師が予言する。坊主が餅を食べる。[坊主が山小屋へ入る。[坊主が予言する。坊主が山を走る。坊主が谷底へ落ちる。坊主の命を落とす。]坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。坊主が山小屋より山まで逃げる。]][猟師が回想する。猟師が餅を焼く。]坊主が山小屋へ入る。猟師が餅を坊主に上げる。

坊主が山小屋から山に帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。坊主が山小屋へ入る。[猟師が餅を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。]坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。[坊主が山小屋へ入る。[熊が町まで山より行く。熊が町人を襲う。町人が熊を殺す。]猟師が餅を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山に帰る。]坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山まで逃げる。

長さ:53文 / 時間構造の複雑さ:16点

表 11 長さが最小の物語言説(文章)

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山より窺う。坊主が山小屋へ入る。坊主が山小屋から山に帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。坊主が山小屋へ入る。坊主が石を食べる。坊主が石に驚く。[坊主が山小屋へ入る。]坊主が山小屋より山まで逃げる。

長さ:12文 / 時間構造の複雑さ:1点

表 12 時間構造の複雑さが最大の物語言説(文章)

猟師が餅を焼く。[猟師が生まれる。猟師が育つ。]猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山より窺う。坊主が山小屋に入る。猟師が餅を坊主に上げる。[猟師が坊主を回想する。猟師が餅を食べる。[猟師が予言する。[坊主が回想する。坊主が山小屋を山より窺う。[坊主が回想する。[猟師が予言する。[坊主が回想する。坊主が山小屋に入る。]]]坊主が山小屋に入る。[坊主が山小屋に入る。坊主が

餅を食べる。坊主が石を食べる。山小屋は、壁がところどころ傷んでいる。石は、白くて餅のようだ。坊主は、腕が太く、耳が大きい。山小屋は、壁がところどころ傷んでいる。石は、白くて餅のようだ。坊主は、腕が太く、耳が大きい。]]]]坊主が山小屋より山へ帰る。坊主が山小屋より山へ帰る。[熊が町へ山から行く。熊が町人を襲う。町人が熊を殺す。][坊主が回想する。坊主が山小屋を山より窺う。坊主が山小屋に入る。]猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。[坊主が石に驚く。]坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山に逃げる。

長さ:39文 / 時間構造の複雑さ:29点

表 13 時間構造の複雑さが最小の物語言説(文章)

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山より窺う。坊主が山小屋へ入る。坊主が餅を見る。坊主が餅を食べる。猟師が餅を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山に帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。坊主が山小屋へ入る。坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。山小屋は、壁がところどころ傷んでいる。石は、白くて餅のようだ。坊主は、腕が太く、耳が大きい。坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山まで逃げる。

長さ:20文 / 時間構造の複雑さ:0点

次に,生成結果の中から両特徴が中間的なもの

をふたつ取り上げて比較する.図 11 は,物語の

序盤(1 行目)で猟師が結末部分を予言する等,

猟師が坊主を懲らしめることを妄想している話と

して捉えられる.一方,図 12 は,図 11 と同程度

の長さと時間構造の複雑さであるが,話の内容と

してはちぐはぐな印象が強い.定義したふたつの

特徴が同程度でも質的には大きく異なるものが生

成されるのは,物語言説の制御情報の決定を戦略

的に行っていないことに起因すると考えられる.

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。[猟師が予言する。坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山まで逃げる。[坊主が回想する。猟師が餅を坊主に上げる。]]坊主が山小

屋を山より窺う。坊主が山小屋へ入る。坊主は、腕が太く、耳が大きい。坊主が餅を食べる。猟師が餅を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山に帰る。坊主は、腕が太く、耳が大きい。猟師が餅を焼く。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。[猟師が予言する。坊主が山小屋より山まで逃げる。][猟師が餅を焼く。[熊が町まで山より行く。熊が町人を襲う。町人が熊を殺す。]]

図 11 生成例 A(文章)

坊主が山小屋を山より窺う。坊主が山小屋へ入る。坊主は、腕が太く、耳が大きい。坊主が餅を見る。坊主が餅を食べる。[坊主が予言する。坊主が山小屋へ入る。坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。坊主が石を食べる。坊主が石に驚く。]猟師が餅

を坊主に上げる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山に帰る。猟師が餅を焼く。[坊主が山小屋へ入る。[坊主が予言する。坊主が山小屋へ入る。][熊が町まで山より行く。熊が町人を襲う。町人が熊を殺す。]]猟師が石を焼く。坊主が餅を食べる。[坊主が山小屋を山より窺う。]坊主が石を食べる。坊主が石を食べる。坊主が石に

驚く。山小屋は、壁がところどころ傷んでいる。石は、白くて餅のようだ。坊主は、腕が太く、耳が大きい。

図 12 生成例 B(文章)

5.3 期待の変化

図 9 及び図 10 に対応する期待の変化をそれぞ

れ図 13 と図 14 に示す.期待の 10 種類のパラメ

ータの値を積み上げグラフにより表しており,下

Page 8: 文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的 …...文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として―

から順に説明性,複雑性,サスペンス性,長さ,

隠蔽性,描写性,反復性,冗長性,暗示性,物語

言説の時間的な自立性の順である.

0

5

10

15

20

25

30

1 101 201 301 401 501 601 701 801 901

サイクル数(回)

図 13 Xpが 30の時の期待の変化

0

5

10

15

20

25

30

1 101 201 301 401 501 601 701 801 901

サイクル数(回)

図 14 Xpが 50の時の期待の変化

生成目標の変化を個々のパラメータに着目して

見ると,各パラメータの値が,周期的に乱数(期

待の逸脱)により変化している.Xpの設定による

違いは,この変化の周期として表れる.Xp=50 の

時は大体 90 から 100 サイクル前後,Xp=30 の時

は 50 から 60 サイクル前後の周期となる.これは,

重みが低下(飽き)して 1 になる時点に相当する.

なお,図 9 と図 10 に示した両特徴の変化がパ

ラメータの変化以上に小刻みに上下するのは,物

語言説技法の適用箇所や範囲が任意に決定される

ためである.また,パラメータの合計値(図 13,

図 14 のグラフの輪郭部)と長さ及び時間構造の

複雑さのグラフの形(図 9,図 10)が類似するの

は,パラメータの多くが両特徴に対して正の影響

を与えるためである.

6. 考察

6.1 文学理論の実装によるアプローチの意義

文学理論を物語生成システムとして実装するこ

とは,理論の実験・検証による構成的な文学研究

を可能にし,同時に,物語生成システムの側から

見ると物語・文学に関する高度な知識を取り入れ

ることが出来る点で有用である.

Genette の物語言説論[4]は,小説テクストに表

れる物語言説の分類に留まるが,これを[12]の考

えに基づき手続きレベルの処理まで具体化し,主

に 4 種類の基礎的な技法の組み合わせからなる木

構造の変換処理として再定義した.物語生成シス

テムの研究分野では,物語言説に関するシステム

はこれまであまり開発されていなかったが,本シ

ステムは[4]を取り入れることで多様な言説処理

を実現した.なお,未実装の技法もいくつかある

が,先行研究([10][16][17]他)ではそのいくつか

が実装されているため,今後これらを取り入れ発

展・拡張していく予定である.

Jauss の受容理論[5]も抽象的な概念であるが,

これを単純化して実装することで,いくつかの知

見が得られる.例えば,5.1 節で示した語り手と

聴き手の相互作用による物語言説の変化は,5.3

節で示したパラメータの変化に還元することが出

来る.このように,語り手(作者)と聴き手(読

者)の相互作用による文学作品の変化過程をシミ

ュレーション可能になる.また,システムは物語

言説を変化させながら大量の物語言説を自動生成

することが可能である.ユーザはこの生成結果の

引用,変形,合成等により物語作品の創造活動支

援に利用することが期待できる.

6.2 生成能力と制御性の向上に向けた実験

語り手と聴き手の相互作用によって生成制御を

行う現在の枠組みでは,生成の範囲と大局的な変

化のパターンが固定されてしまう.この枠組みの

中でのこの問題の検討と発展は今後の課題である

が,物語パラメータをユーザが直接設定すること

によって生成の範囲を拡大しまた制御すること自

体は可能である.以下に物語パラメータを意図的

に設定することで,長さと時間構造の複雑さを変

化させる例を示す.

まず,各物語言説技法と長さ及び時間構造の複

雑さとの関連を数値的に定義し,長さと時間構造

の複雑さをパラメータ(値に上限は設けない)と

して与えた時,それに応じて使用する物語言説技

法のセットを決定する機構を作成した.そして,

ふたつのパラメータを意図的に変化させながら生

成を行う機構を作成し,5 節と同様の実験により

Page 9: 文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的 …...文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として―

両特徴の変化を分析した.500 サイクル目までは

両パラメータを背反的に上下させ,それ以降長さ

のパラメータを徐々に大きくした場合の変化を図

15 に示す.物語パラメータの変化に応じて長さと

時間構造の複雑さが変化し,その範囲も拡張され

た.但し,時間構造の複雑さが大きい時,回想(予

言)による過去(未来)の挿入部分で回想(予言)

の内容が消失し,「回想(予言)する」という事象

だけが残るという問題が一部で発生した.

0

20

40

60

80

100

120

140

160

180

200

1 101 201 301 401 501 601 701 801 901サイクル数(回)

長さ(文)

複雑さ(点)

時間構造の複雑さ

長さ

図 15 意図的なパラメータ設定による値の推移

6.3 物語言説技法の使い方の制御

物語言説の使い方の大部分がランダムで決定さ

れるため,全体的に話の流れがちぐはぐなものが

生成される傾向が強い.また,同じパラメータか

らでも質的には大きく異なるものが生成される.

この制御方法のひとつとして,物語の木構造(結

合関係)に基づく制御が考えられる.例えば,図

16 は「原因-結果」関係の「原因」部分 2 箇所を

省略した例と,反対に「結果」部分 2 箇所を省略

した例を対比したものである.前者は坊主が石を

食べる部分が省略されているため,なぜ坊主が石

に驚いたのかという謎めいた印象を,後者は坊主

が驚いて逃げていく部分が省略されているため,

事件性の薄い印象を受ける.

「原因」部分を省略 「結果」部分を省略

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山から窺う。坊主が山小屋に入る。***猟師が餅を坊主に上

げる。坊主が餅を食べる。坊主が山小屋から山へ帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。***坊主が石に驚く。坊主が山小屋より山に逃げる。

猟師が餅を焼く。猟師が餅を食べる。坊主が山小屋を山から窺う。坊主が山小屋に入る。坊主が餅を見る。坊主が餅を食べる。***坊主が山小屋から山

へ帰る。猟師が餅を焼く。猟師が石を焼く。坊主が山小屋に入る。坊主が餅を食べる。坊主が石を食べる。***

***は省略されている部分

図 16 「原因」の省略と「結果」の省略

6.4 その他の問題点と今後の課題

その他の問題点と課題を以下に挙げる.

・ 物語言説に含まれる情報及び記述形式の確定.

・ 物語言説パラメータは直感的に定義している

ため,パラメータと実際の物語言説の対応の

妥当性について考察する必要がある.

・ 聴き手が実際は物語言説を読まずに,生成目

標と期待の比較により評価処理を行っている.

・ 先行研究の成果の導入(主に時間順序変換の

「操作的技法」[10][13],距離のシステム[17],

態の物語戦略としての位置付け[13][16]).

・ 統合物語生成システムに向けて,短期的には

物語内容機構,文章生成機構他との連結.

・ これまでシステムの質的な評価をいくつか試

みたが,まだ結論には至っていない.

7. むすび

Genetteの物語言説論[4]の実装としての物語言

説技法と,Jauss の受容理論[5]の実装としての語

り手と聴き手の相互作用による制御機構からなる

物語言説システムを紹介した.

このようなアプローチの利点は,物語論・文学

理論で得られた知見を生成システムに取り込むと

同時に,物語・文学研究に対しては,これまでの

評論的なアプローチとは異なる,実験・検証的な

発展が可能となる点である.本稿ではこのような

観点から議論した.以下にその概要をまとめる.

生成実験では,物語言説の形式的な特徴として

「長さ」と「時間構造の複雑さ」という 2 種類の

基準を定義し,単一の物語内容を入力として,

Xp=30 及び Xp=50 でそれぞれ 1000 サイクル実行

した時の特徴の変化を分析した.結果,両特徴が

一定の範囲内で並行的に上下するように変化を続

けた.Xpの違いは変化の周期として表れ,Xpが大

きい程周期が長くなる.

このような物語言説の変化は,期待(及び生成

目標)のパラメータ値の変化に還元され,これは

10 種類のパラメータがそれぞれ一定間隔(Xp は

この間隔に影響する)で乱数(期待の逸脱)によ

り変化するというものである.

生成能力及び制御性の向上に向けて,ユーザが

パラメータを直接指定して,物語言説を生成する

プログラムを作成した.このような生成の多様性

と制御性を,現在の語り手と聴き手による自動制

御の枠組みで実現することがひとつの課題である.

Page 10: 文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的 …...文学理論の実装としての物語言説システム ―構成的物語論の一事例として―

質的な特徴に関する本格的な検証は行っていな

いが,長さと時間構造の複雑さが同程度でも,質

的には異なる物語言説が生成された.質的特徴を

制御する方法のひとつとして,物語言説技法の使

い方を,事象同士の結合関係に着目して制御する

方法を考察した.

今後は,以上の実験と考察を通して得られた知

見や問題点,課題をシステムに反映させ,新たな

システムを開発する予定である.

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