研究開発テーマ「iPSを核とする細胞を用いた 医療産業の構 …1)...

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研究成果展開事業 -戦略的イノベーション創出推進プログラム- (S-イノベ) 研究開発テーマ「iPS を核とする細胞を用いた 医療産業の構築」 研究開発テーマ事後評価用資料 平成 27 年 10 月

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  • 研究成果展開事業

    -戦略的イノベーション創出推進プログラム-

    (S-イノベ)

    研究開発テーマ「iPS を核とする細胞を用いた

    医療産業の構築」

    研究開発テーマ事後評価用資料

    平成 27 年 10 月

  • 目次

    1.研究開発テーマ ............................................................. 1

    2.プログラムオフィサー(PO) ................................................. 1

    3.採択課題 ................................................................... 2

    4.研究開発テーマのねらい(目標) ............................................. 3

    5.研究課題の選考について ..................................................... 4

    6.アドバイザーの構成について ................................................. 6

    7.研究開発テーマのマネジメントについて ....................................... 7

    8.研究開発テーマとしての産業創出の核となる技術の確立に向けた状況 ............. 9

    (1)高橋班 ................................................................. 9

    (2)斎藤班 ................................................................ 12

    (3)谷口班 ................................................................ 14

    (4)紀ノ岡班 .............................................................. 19

    9.総合所見 .................................................................. 25

  • 1

    1.研究開発テーマ 「iPS を核とする細胞を用いた医療産業の構築」(平成 21 年度発足時)

    iPS細胞研究は2006年に京都大学 山中教授によって示された「遺伝子を導入

    するだけで分化細胞を多能性の細胞へとリプログラムできる」という画期的な発見をき

    っかけに、さまざまな医学分野に急速に拡大している医学領域全体を指す。ただ、この

    ような大きな変化が発見後わずか3年で世界中に広がっていることから、なかなか将来

    をしっかり見据えて、この発見がもたらす可能性を社会に還元しようとする取り組みが

    進んでいない。本事業は幸い、最長10年の研究開発期間が計画されていることから、

    最新のiPS細胞研究に基づきながら、この技術に期待が集まる再生医療や医薬品開発

    を支える新しい医療産業基盤の構築を目標としている。

    重要課題を段階的に実現していく中で、産業基盤を醸成することを目指す。具体的課

    題の最も重要なものは再生医療への応用である。わが国で開発されたiPS細胞技術を

    用いた世界初の臨床研究の実現が可能な競争力のある分野を選択し、この臨床研究から

    一般医療へと転換する中で、日本では不可能とされている再生医療を可能にする企業群

    を育成したいと考えている。安全なヒトiPS細胞由来移植細胞の作製、評価・検証、

    細胞移植手術などにかかわる技術・ツール・装置などの開発および細胞移植治療の臨床

    治験プロトコルの作成とそれに基づく臨床研究、そしてそれを支える産業の振興までを

    含む。具体的な治療対象としては、iPS細胞の最大の課題である発がんの懸念を少し

    でも軽減し、早期の臨床研究を実現するために、移植細胞の数が10の4乗個程度以下

    で済み、かつ移植細胞の安全性について1細胞レベルで評価可能な疾患を対象とする。

    細胞治療の一般化を目指すプロジェクトと並行して、iPS利用分野として期待が集ま

    る医薬品開発分野についてもプロジェクトを設定する。現在多くの製薬企業が使用して

    いる輸入ヒト細胞と同等以上の品質を有するiPS細胞由来ヒト細胞の作製、大量増殖、

    細胞機能の検証などにかかわる技術・ツール・装置などの開発およびiPS細胞由来ヒ

    ト細胞を用いたアッセイキットの開発やヒト化動物の開発までを含む。なかでも、いか

    にして正常細胞の大量培養を実現するかは最重要課題と考えている。

    本研究開発テーマが終了した時点で以下の事が実現する事を目指す。

    ・iPS細胞を用いる細胞移植医療を普及するための再生医療支援企業群が、新たな産

    業の中核企業としてビジネス展開している。

    ・多くの製薬企業でヒトiPS細胞由来機能細胞を用いた医薬品開発が行われており、

    ヒトiPS細胞由来機能細胞の供給を可能とする医薬品開発支援企業群が、新たな産

    業の中核企業としてビジネス展開している。 2.プログラムオフィサー(PO) 西川 伸一 (オール・アバウト・サイエンス・ジャパン 代表)

  • 2

    3.採択課題

    採択

    年度

    プロジェクト

    マネージャー

    中間・事後評価時

    所属・役職 研究課題

    平成

    21

    年度

    高橋 政代 先端医療振興財団

    先端医療センター研

    究所 視覚再生研究

    グループ グループ

    リーダー

    「細胞移植による網膜機能再生」

    世界初のiPS細胞技術による再生医学を実

    現する

    斎藤 幸一 住友化学株式会社

    生物環境科学研究所

    分子生物グループ

    グループマネージャ

    「遺伝子・細胞操作を駆使したヒトES/iPS細胞利用

    基盤技術の開発」

    有用な多能性幹細胞の調整、培養法の開発など

    を通して高橋班の臨床研究を支援する。

    谷口 英樹 横浜市立大学 大学

    院医学研究科 教授

    「iPS細胞由来ヒト肝幹細胞ライブラリーの構

    築によるファーマコセロミクス基盤技術開発 」

    将来の細胞バンクなどを展望してiPS細胞

    技術のスケールアップに道筋をつける

    紀ノ岡 正博 大阪大学 大学院工

    学研究科生命先端工

    学専攻 教授

    「網膜細胞移植医療に用いるヒトiPS細胞から

    移植細胞への分化誘導に係わる工程および品質管

    理技術の開発」

    細胞調整のための様々な工学的技術の開発

  • 3

    4.研究開発テーマのねらい(当初の目標およびステージ II 開始時の変更点) 戦略的イノベーション創出推進事業の目的は、アカデミアのシーズを我が国の産業の

    発展へとシームレスに導くために、産学のチームを形成し戦略的なプランの下、それを

    実現することである。10年という長期にわたってプロジェクトの継続が計画されてい

    ることから、常にイノベーションを生み出しながら、もう一方で常に具体的な成果を市

    場へと提供していくことが要求される大変困難なプロジェクトである。しかも、再生医

    学というまだよちよち歩きの分野に飛び込んできた、磨く前から神々しい光を放つiP

    S細胞を、臨床や産業の場へ運ぶために磨きなおすという作業は途方もなく困難である。

    実際、この分野のこれまでの研究は、臨床への可能性を語りながらも、結局基礎研究段

    階からなかなか抜け出すことが出来なかった。iPS細胞というそれ自体の理解のため

    にまだまだ研究が必要な対象であることを考えると、それも仕方ないことと理解されて

    いた。しかし、iPS細胞は生命科学領野の専門用語を超えて、再生医学領域の象徴と

    して、一般の方々の期待を集めている。むろんiPS細胞に寄せる一般の期待は、その

    意義を最も理解しやすい細胞治療への応用である。従ってiPS細胞の重要性を示すた

    めには、iPS細胞を利用する治療を誰もが受けられる医療として完成させることに明

    確なゴールを置いたプロジェクトが求められている。この認識から、本プロジェクトは

    最も実現に近いiPS細胞利用を促進し、それを核に産業医療に必要な課題を探りなが

    ら裾野を拡げる事を目標にしている。iPS細胞は再生医学にとどまらず、創薬や疾患

    メカニズムの解明など様々な医学医療分野にイノベーションをもたらすことが可能な

    技術である。しかし我が国では、その報告以来、拒絶反応のない細胞移植を実現する再

    生医学のブレイクスルーとして期待が最も大きい事は明らかであるから、このプロジェ

    クトの最も重要な目標を、iPS細胞の再生医療利用を阻む問題を解決し、first in man

    を実現し、iPS細胞が確かに再生医療に利用できる事を証明する事においた。実際、

    iPS細胞を利用する産業の裾野を広げるにも、その技術が実際に医療で利用できる事

    を示さない限り前進はない。

    計画時に想定したステージ第Ⅰ期終了時の到達点としては、

    1) iPS細胞を用いた細胞治療に必要な技術が開発され、臨床研究申請が可能になっ

    ている。

    2) 選んだ細胞治療についてそれを普及するための産業化を可能にする材料、技術が

    生まれている。

    3) 更に広い範囲で細胞治療を可能にするために克服すべき問題が明らかになり、その

    克服への開発着手の準備を行う。

    その後、iPSを用いた黄斑変性症の臨床研究のめどが立った時点で、高橋政代プロ

    ジェクトマネージャーが再生医学実現化ハイウェイプロジェクトに移行した。これに伴

    い、目標を「iPSから肝臓細胞を誘導する過程にかかるコストを100分の1以下に

    落とすために必要な技術開発」へと変えた。

  • 4

    5.研究課題の選考について iPS細胞の臨床応用が可能である事をまず示すという目的から、このプロジェクト

    の核には当然技術の開発だけではなく、臨床応用への明確な道筋を有する研究グループ

    を選ぶという方針で臨んだ。具体的には、国民・企業目線に立って何を科学者に望むか

    をリストし、困難であってもそれを可能にするためにチャレンジする参加者を求めるこ

    とにした。再生医療を受ける側の国民、またiPS細胞を利用する企業が何を最も望ん

    でいるかを調べたうえで、それをもう一度科学者目線へとまとめなおし、プログラムオ

    フィサー(PO)がどのような研究を望んでいるかを明確に示した。すなわち、iPS

    細胞由来細胞を使った再生医療の企業主体の臨床治験の実現と(国民目線)、iPS細

    胞由来細胞の大量培養技術の完成とそれを用いた毒性試験細胞パック(企業目線)の提

    供を実現すべき柱として明確に示し、そのためのプロジェクトを公募した。

    再生医療実現については困難も予想され、これほど要求の多いプロジェクトには応募

    がないのではないかと危惧したが、ふたを開けてみると再生医療へのチャレンジを提案

    しているプロジェクトが6題、iPS細胞の大量培養技術と毒性試験用細胞の提供にや

    はり6題、またこれらを側面からサポートするための技術開発プロジェクトに13題の

    応募があった。

    再生医学については、網膜細胞、心筋細胞、NKT細胞、軟骨細胞などをiPS細胞

    から誘導して臨床研究を行うという提案があった。それぞれ我が国のトップ研究者から

    の提案で、研究レベルでみると全て採択したいというのが正直な感想だった。しかし、

    助成額が限られていることから、あれもこれもというわけにはいかず、一件に絞らざる

    を得なかった。POを除く評価者全員(POは規定で最終投票に加わらない)が高橋・

    畠具グループの網膜細胞についてのプロジェクトを推した。それぞれが世界レベルの提

    案の中から高橋・畠グループの提案が選ばれた背景には、1)高橋PMが研究の傍ら臨

    床医として網膜色素変性症などの特殊外来を続けていること、2)臨床研究に至る基礎

    技術が完成していること、3)ステージⅠ/Ⅱから大規模治験まで対象疾患選択を含む

    詳細なプロトコルが示されていること、そして4)細胞の製品化に成功し、それを治療

    に提供してきた企業との共同提案であることが評価されたためといえる。実際、ステー

    ジ第Ⅰ期を終わり振り返ってみると、

    1) 計画されている臨床研究に必要な細胞シートは1mmx2mm ぐらいの極めて小さな

    サイズで、細胞数にして1−10万個と通常の研究で普通に扱われている細胞数

    で治療ができる。

    2) 移植する細胞は色素を発現しており、分化度や未熟細胞の混入を防ぐことが出来る。

    3) 移植した細胞シートの異常を単一細胞レベルで検出できる検査方法が確立して

    おり、異常がおこった場合でも早期診断が可能である。

    4) 腫瘍発生に至ったとしても、早期発見し、治療する方法が確立している。

    など予想通りfirst in manへの障害をほとんど解決するところまで至った。この結果、計

  • 5

    画通り第Ⅰ期終了時に臨床研究申請が可能なところまで研究が進展したと言える。

    次に毒性などのスクリーニングを目的とした大量細胞の培養・調整技術の開発につい

    ての応募は、基本的には肝細胞を誘導してスクリーニング用に提供するという提案が全

    てであった。実際には、ヒトiPS細胞自体の大量培養、肝細胞の誘導などはまだ研究

    段階であるため、どうしても研究に軸足を置いた提案が中心になっていた。この分野の

    トップの研究者の多くにプロジェクトを提案していただいたため、レベルは大変高い印

    象であった。結局、やはりほとんどの評価者が一致して谷口・安達グループの提案に投

    票したが、研究レベルの優劣というより事業化のための構想の説得力でこの差がついた

    といえる。実際、谷口・安達グループの提案では、iPS細胞と胎児肝幹細胞を細胞の

    ソースとして並行して利用することにより、最初から製品化と研究という矛盾する課題

    に回答を示した点で評価されたと考えている。

    上記の2本柱に必要な技術や材料の開発についても今回応募を受け付けた。実際、多

    くの技術系のグループがこの分野に応募していただき、やはり評価者のほぼ全員が一致

    して紀ノ岡・阿部のプロジェクトを採択した。技術系の研究者は実際にはiPS細胞の

    作製のような複雑な細胞培養過程についての経験がないため、どうしても自分の研究と

    技術の優位性を押し売りする傾向があるが、紀ノ岡・阿部のプロジェクトはプロジェク

    トで必要とする技術についてしっかりとした構想を練り上げていた点が評価された。特

    記すべきは、採択されなかったプロジェクトの中にも多くの技術が隠れていたことであ

    る。そのため、新たなメンバーを紀ノ岡班へ編入させる事も行った。採択された紀ノ岡・

    阿部班に限らず、実際に技術系提案には、機器開発に標準として使用する細胞などにつ

    いての知識は乏しいように思えた。このため、この部分を補う意味で、末盛・斎藤のプ

    ロジェクトも今回採択した。このプロジェクトで特記すべきは、ヒトES細胞、iPS

    細胞に遺伝子ノックアウトやノックインを行う高効率の技術を完成させている点で、こ

    れらの細胞はプロジェクト全体が利用する標準細胞として大きな価値を生むと思われ

    た。また、同じ技術を高橋・畠グループや谷口・安達グループのプロジェクトに利用す

    ることで研究の大幅なスピードアップが期待された。事実、斎藤PMのプロジェクトか

    ら高橋PMのプロジェクトが利用する新しい網膜色素上皮細胞作製法が生まれている。

    以上、S-イノベ各課題の中でも最も多い25題という応募が当プロジェクトに寄せら

    れた。これまで日本はともするとiPS細胞というブレイクスルーを達成しながら、そ

    の後の戦いで劣勢に立っているのではないか、という懸念があったがそれを払拭してく

    れたことは今回の最も大きな収穫であった。論文になっていなくても、まだまだ地道な

    研究が続けられ、また多くの有用な技術が集積していることを本当に実感した。

    一方現在山中iPSはノーベル賞に輝き、またともかくiPSを臨床へとスタートさ

    せた高橋プロジェクトは1例とはいえiPS由来もうまく移植手術を行い、すでに1年

    が経過するに至ったことを考えると、Show the flag!という方針で行った選考方針は間

    違っていなかったと思っている。とはいえ、結局1例の患者さんしか治療を受けられな

  • 6

    かったことも事実で、もっと早くからiPS治療のコストを意識したプロジェクトの建

    てかたもあったと思う。

    6.アドバイザーの構成について

    アドバイザー名 現在の所属

    (H27.3 終了時) 役職 任期

    秋元 浩 知的財産戦略ネット

    ワーク(株)

    代表取締

    役社長

    平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    牛島 俊和 国立がん研究センタ

    上席副所

    長エピゲ

    ノム解析

    分野長

    平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    片倉 健男 国立医薬品食品生成

    研究所遺伝子細胞医

    薬部

    客員研究

    平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    白橋 光臣 iPSアカデミアジャパ

    ン(株)

    ライセン

    ス部長

    平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    高橋 政代 独立行政法人理化学

    研究所 発生・再生科

    学総合研究センター

    網膜再生医療研究開

    発プロジェクト

    プロジェ

    クトリー

    ダー

    平成 24 年 4月~平成 27 年 3月

    西原 達郎 元アスビオファーマ

    (株)

    元顧問 平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    大和 雅之 東京女子医科大学先

    端生命医科学研究所

    教授 平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    渡邉 すみ子 東京大学医科学研究

    所 再生基礎医科学

    寄付研究部門

    特任教授 平成 21 年 6月~平成 27 年 3月

    秋元氏はiPS細胞関連の知財の利用の専門家。牛島氏はエピジェネティックスにつ

    いての日本の第一人者。片倉氏は再生医療に必要な材料の開発についての経験が豊富で、

    また細胞治療のレギュラトリーサイエンスについての造詣が深い。白橋氏は、iPS アカ

    デミアジャパンにおける知財の責任者で、高橋PMと山中教授の橋渡しを期待している。

  • 7

    西原氏は、ES 細胞を用いた大量培養については、日本で最も豊富な経験を持ち、また

    ES/iPS 細胞を企業として長年利用して来た経験を持つ。渡辺氏は、網膜細胞発生の日

    本の第一人者である。高橋政代氏は最初プロジェクトの中心メンバーであったが、再生

    医学実現化プロジェクトへと移行することになった。そのため、プロジェクトの一貫性

    を保つことと、実際の臨床例を目指す立場からのアドバイスを期待して、アドバイザー

    の就任を依頼した。

    7.研究開発テーマのマネジメントについて iPS細胞がマウスで報告されたのが 2006 年、ヒトでもiPS細胞の誘導が可能で

    ある事が示されたのが 2007 年である。それから3年で本プロジェクトはiPS細胞応

    用の促進を目指して発足したことになる。一般的な科学的発見とその応用の時間関係か

    ら考えると、iPS細胞がいかに前例のない発見であるとはいえ、あまりにも短期間で

    応用を目指した S-イノベがスタートした事になる。従って、iPS細胞を直接扱って

    来たメンバーと、従来の再生医療における経験を豊富に有しているメンバー同士の密接

    な協力関係を確立する事に注力した。例えば、高橋PMの課題グループ(以下「班」と

    いう)については実験室レベルでの技術は既に完成していると考え、日本初の再生医療

    製品を上市した J-TEC をパートナーとして招いて、iPS細胞樹立から網膜色素上皮細

    胞シートの作成に至る過程を、実際の応用過程に適用する手順書として仕上げるための

    支援をお願いした。これはイノベーションというにはほど遠いルーティン作業に見える

    かも知れないが、このパートナーシップのおかげで、実際 2012 年 first in man の臨床

    研究を申請出来るところまで進展している。同じように、斎藤班、谷口班は、細胞の商

    品化や培地の開発などの応用を目指すメンバーと、ES/iPS 細胞を直接利用するメンバ

    ーの両方が参加し協力し合う体制を最初から取る事が出来た。また、斎藤班は新しい網

    膜色素細胞誘導法の開発に成功し、期待した通り次世代の網膜再生医療技術を高橋班に

    提供することで、班を超えた連携を実現した。一方、紀ノ岡班は技術開発を目指すメン

    バーが大半で、間葉系の幹細胞の培養ぐらいは経験していても、iPS細胞や網膜細胞

    など複雑な処理が必要な細胞培養の経験のあるメンバーはほとんど皆無であった。その

    ため、ES 細胞培養のスペシャリスト古江—楠田に参加してもらい、技術を専門とするメ

    ンバーのiPS細胞理解促進を図った。以上がプロジェクト発足時の運営方針である。

    ステージⅠ(以下「第 I期」という)では、全体の進捗報告を1年に1回、アドバイザ

    ーも参加する全体会議で行った。アドバイザーとメンバーが全員集るためのスケジュー

    ル調整に苦労して、実際には2回開催する事が精一杯であった。勿論、各班の連携をは

    かる目的のためには、この回数では極めて不十分であった事は間違いがない。この問題

    を解決する目的で、各班の進捗管理と評価については PO が出来る限り各班会議に参加

    し(平均年3回ぐらい)、アドバイスと評価を行った。評価にあたっては担当の JST 技

  • 8

    術参事と相談しながら、最後は PO の責任と判断で行い、さらに、必要に応じて開発計

    画の見直しを行った。順調に計画が進んだ高橋、斎藤班については3年間見直しの必要

    は感じなかったが、例えば、谷口班では質量分析による細胞の品質評価法の開発部分の

    縮小など見直しをお願いした。

    既に述べたように、最初のステージでは、iPS細胞が再生医療に利用できるという

    first in man を示す事が最も重要な課題で、これが達成しないとiPS細胞利用の裾

    野を広げる事は出来ないと考えた。従って、第Ⅰ期は高橋班に資源やマネジメントを集

    中した。しかし、first in man が達成されると、網膜再生は一方で実際の臨床研究、

    臨床治験へと進み、他方では一般医療を目指しての技術開発へと進む。従って、first in

    man が実現したあともスムースにプロジェクトが次の段階に進めるよう、第Ⅰ期の間に

    iPS細胞の臨床応用や産業化にとって克服すべき課題をできるだけ明らかにし、第Ⅱ

    期からは first in man から一般診療や更なるiPS細胞利用拡大を目指して第Ⅰ期で

    明らかになった課題に集中して新しいイノベーションを目指した。第Ⅲ期には、新しく

    生まれたイノベーションを核にしてiPS細胞の医療分野を爆発的に拡げるという全

    体計画を念頭に各課題の指導を行った。

    第Ⅰ期は高橋班の課題支援に特に注力したため、最終的には課題間、特に高橋班、谷

    口班などの細胞を開発する班と、紀ノ岡班のように機器開発を行う班と連携がうまく進

    まなかった。連携の不足を少しでも補う目的で、PO 自身が各班の個別会議に出席して、

    当該分野の新しい研究成果などを、各班のメンバーに常にインプットした。さらに、ト

    ロントで開かれた国際幹細胞会議を利用して紀ノ岡班のメンバーと合宿を行い、学会で

    見聞きした情報について解説や議論を行うなど、技術分野の研究者が幹細胞研究のトレ

    ンドを熟知するよう尽力した。

    繰り返しになるが、高橋班は技術開発より、実際の臨床に向けたプロトコル作成の準

    備など、この分野の経験豊富な J-TEC との連携がうまく進むように指導を行った。加え

    て進捗管理のために知財に詳しい人材を配し、計画通りにプロジェクトが進むとともに、

    将来一般診療へと拡大する際に予想される問題を整理した。

    斎藤班については網膜再生のための新しい技術開発と網膜再生技術の産業利用を念

    頭に課題の指導を行った。幸いこの分野の基礎研究で世界をリードする笹井から技術移

    転が進み、予想以上の進捗が得られ、指導はほとんど必要なかった。

    谷口班については、班内の課題間の連携という面で最初から問題を感じており、谷口

    という肝細胞培養のトップエキスパートを中心にして各メンバーがその要望に応じつ

    つ研究が進むよう体制を変革するよう指導した。特に、質量分析システムによる細胞品

    質テストにあまりにも重点を置いていたので、これを縮小するよう一貫して指導した。

    また、企業パートナーである積水メディカルとの関係についても、表面的な共同研究か

    ら、谷口の研究から生まれる肝細胞を、企業の目で評価をする深い連携に発展するよう

    指導した。ヒト肝細胞移植ラットの作成などは本来の目的にそぐわないとこのプロジェ

  • 9

    クトから外すよう指導した。

    紀ノ岡班では、先ずiPS細胞培養に必要と考えられる、いわば裾野技術に関わる研

    究者を広く集めてスタートし、それを一つの技術の開発へと統合するという計画の下研

    究が行われた。ただ、3年では個別の技術が一つの大きな技術として統合されるという

    ところまでは達しなかった。また、ヒト ES 細胞培養の第一人者楠田−古江の参加を仰ぎ、

    各グループがiPS細胞そのものについて一定の経験を積めるよう指導した。最終段階

    で、ようやく高橋班との連携が進み、網膜色素上皮細胞自動培養装置のプロトタイプが

    完成した。さらに、この班で開発された培養網膜色素上皮細胞の評価技術も利用が始ま

    り、臨床での評価が始まった。

    以上、第Ⅰ期ではiPS細胞による網膜再生医療の実現に集中的に取り組むことで、

    iPS細胞という超弩級イノベーションが、更にイノベーションの連鎖を生むための準

    備を行った時期と言える。幸いこの目標は達成され、臨床研究自体は文部科学省の再生

    医療の実現化ハイウェイプロジェクトへと移行できた。従って、第Ⅱ期からは第Ⅰ期で

    明らかになった最も重要な課題についてそれぞれが連携というより完全に一体となっ

    て取り組む体制をとり、スタートした。

    II 期スタート前から谷口、紀ノ岡、斎藤全プロジェクトマネージャーが集まる機会

    を何度も設け、納得して全員が一致して当たれるもっとも重要なプロジェクトについて

    議論し、最終的に、iPS からヒト肝臓細胞を調整するコストを100分の1以下に下げ

    るための技術開発を目指すと決め、プロジェクトをスタートさせた。最初1年、各チー

    ムの垣根も取れ一体感を持って研究が始まったところで、文部科学省が再生医療実現化

    拠点ネットワークプログラムをスタートさせたため、結局メンバーのうち紀ノ岡のみが

    本 S-イノベに残った。紀ノ岡プロジェクトマネージャーが残った1年は責任としてプ

    ロジェクトの運営に関わった。

    8.研究開発テーマとしての産業創出の核となる技術の確立に向けた状況

    課題ごとの成果

    (1)高橋班

    S-イノベスタート時点で、霊長類 ES 細胞から網膜色素上皮細胞を分化誘導し、純化

    して網膜色素上皮細胞障害モデルラットに移植して機能させること、さらにヒトiPS

    細胞からも網膜色素上皮細胞を分化誘導することに成功していた。S-イノベでは人工膜

    を使わないで移植可能な細胞シートを開発し、すべての工程、試薬を臨床応用できるレ

    ベルのものに置き換え、SOP を作成して臨床研究準備が達成された。

    網膜色素上皮細胞のシート化技術が計画より 1年以上早期に実現したことから、計画

    よりも早いペースで順調に研究を遂行することができた。また計画を前倒しして移植用

  • 10

    デバイスの開発に着手、その成果を参画機関の共同出願として保護し、試作用ハンドピ

    ースを用いた動物移植実験を実施することができた。

    図1完成した網膜シート作成 SOP: 右図に示す iPS 細胞から網膜色素上皮を誘導する

    ための SOP は完成した。作成された色素細胞上皮シートは、免疫染色データから成熟し

    た機能的な細胞と結論できる。

    さらに、視細胞移植の材料となる視細胞の培養の大幅な進展(S−イノベの笹井らによる

    3D カルチャー、すなわち網膜全体の構造を試験管内で作成する技術の開発)に応じて、

    移植細胞機能検出の検討などを行うための研究準備に着手でき、当初計画していたより

    も順調に研究が進み、概ね予定通りの研究成果を得ることができた。

    以上のように、技術が早期に全て完成したので、班一丸となって実際の臨床研究へ向

    けた準備に入った。培養プロトコルのブラッシュアップ、CPC(細胞プロセッシングセ

    ンター)での細胞調整のための文書作成・施設運用等、アカデミアと企業の密接な連携

    により、J−TEC のノウハウをアカデミアの臨床研究現場の要請にすり合わせる作業が加

    速され成し遂げられた。

    日本にとどまらず世界初のiPS細胞を用いた網膜再生医療の準備が整い、この点で

    は完全に計画は達成された。これについては、本プロジェクトの中間評価委員会でも高

    く評価されている。また、更に効率の良い次世代培養法が開発され知財も確保できてい

    るため、数例の臨床研究を経た後、治験へと進む事で一般的な治療法として普及を目指

    す。ただ、臨床研究実施後、その後の治験を直接支援することは、助成の性格上 S-イ

    ノベでは困難である。従って、高橋班は臨床研究と治験を直接支援するための再生医療

    の実現化ハイウェイ事業へと移行させた。このように高橋班は S-イノベから離れるこ

    ととなったが、平成24年10月倫理委員会を経てヒト幹細胞移植委員会へ申請する予

    定を可能にしたのは、S-イノベの支援による事は間違いない。順調に進めば、first in man

    が平成25年早々には実現することとなり、iPS細胞の再生医療利用はスタートライン

    に立つ。

    では、first in man が成功することで、再生医療の大きな産業化の波は到来するの

    だろうか? 第1期終了時点ではまだiPS細胞を用いた網膜再生医療は臨床研究の

    段階で、次のハードルは一般診療として発展できるかである。このためには企業主体の

  • 11

    臨床治験へと進む必要がある。高橋班ではすでに治験も視野に入れて計画が進められて

    おり、臨床研究が成功すればそのまま治験へと拡大するよう準備が進んでいる。では再

    生医療自体はどれほど大きな産業へと発展できる可能性をもっているだろうか。長期的

    視野に立てば、変性疾患の根治は失われた細胞を置き換える以外に方法はない。事実、

    細胞が失われる慢性疾患は数が多く、現在の方法では治療が困難な病気が数多くある。

    例えば高橋班が対象として選んだ加齢黄斑変性症に限っても、久山町スタディによれば

    0.7%が罹患率であり、もしこれら全ての患者が再生医学の対象になるとすると、当然か

    なりの経済効果が予想できる。

    加えて、高橋班は加齢黄斑変性症治療に限らず、iPS細胞を用いる世界初の再生医

    療である点で、それに続く全てのiPS細胞の再生医療への応用にとっての first in

    man としての使命を有している。iPS細胞の可能性は認めるものの、安全性などまだ

    まだ臨床応用には早いという意見は今も多い。だからこそ、何重もの安全性が既に確保

    できている網膜治療をさきがけとしてiPS細胞が実際の臨床に安全に利用できるこ

    とを示す事の意義は大きい。この意味で、iPS細胞を生んだ我が国の悲願とも言うべ

    きiPS細胞の再生医学への利用を戦略的に支援した S-イノベの貢献は非常に大きな

    ものであると確信している。

    本プロジェクトについては、S-イノベの成果を基に、平成24年度から文部科学省

    「再生医療の実現化プロジェクト 再生医療の実現化ハイウェイ」に移行、研究を加速

    させた。

    細胞の製造方法・品質管理工程を確定、SOP化するとともに、試験物概要書、臨床

    研究実施計画書、患者説明文書等の書類を整備し、平成24年秋にはヒト幹細胞を用い

    る臨床研究に関する指針に則り研究機関(理化学研究所・先端医療センター)の倫理審

    査委員会に「自家iPS細胞由来網膜色素上皮シート移植に関する臨床研究」の実施計

    画を申請し、両機関の了承を得た上で、平成25年2月に厚生労働省厚生科学審議会科

    学技術部会への申請を行った。

    平成25年7月に厚生労働大臣の了承を得て翌月より臨床研究を開始し、同年11月

    に第一例目となる被験者の細胞の製造を開始。平成26年9月12日、iPS細胞由来

    網膜色素上皮細胞シートの患者への移植が実施され、世界に先駆けてiPS細胞の臨床

    応用が現実のものとなった。

    今後の方向性としては、CiRAのiPS細胞ストックを用いた他家移植へと展開し、

    本治療技術の普及医療化を促進する。

    iPS細胞由来網膜色素上皮研究に関する成果の事業化を目的に設立された理研認

    定ベンチャーである株式会社日本網膜研究所は、株式会社ヘリオスへと社名を変更し、

    平成27年6月には東証マザーズへの上場を果たしている。

  • 12

    (2)斎藤班

    斎藤班では次世代の網膜色素

    上皮細胞培養法開発とその事業

    化が主要な課題である。ヒト ES

    細胞材料の開発、網膜色素上皮細

    胞(RPE)等の眼組織細胞を安定

    供給するためには、分化・分離条

    件等の高度な最適化が必要とな

    るが、このためのツールとして網

    膜 前 駆 細 胞 マ ー カ ー Rx の

    Rx::GFP ノックインヒト ES 細胞

    を作製した。このマーカーを指標

    にセルソーターを用いた網膜前

    駆細胞の純化を試み、実際に純化

    が可能なことを示した(図2)。

    次に、笹井によって開発が進んでいた ES 細胞から立体網膜組織を高効率に分化誘導

    する技術(先述の3D カルチャー)を利用して、RPE を高効率に作製する方法を検討し

    た。その結果、作製した立体網膜組織を Wnt や ActivinA などが存在する条件で培養す

    ることにより、RPE を効率よく作製できた(図3)。これは次世代の網膜色素上皮細胞

    調整法として現在高橋班へ技術移転が進んでいる。効率から考えると、

    図2:FACS を用いた GFP 陽性網膜前駆細胞の純化

    図3 右図はiPS細胞

    から試験管内で作成

    した網膜立体組織。左

    図はこの立体組織か

    ら分離した網膜色素

    上皮細胞シート

  • 13

    これまでの方法のコストを大きく下げる効果があり、再生医療の普及に貢献すると期待

    される。第 I期終了時、この方法は高橋班に技術移転されつつある。次に、独自に開発

    した網膜組織の利用を再生医療以外に拡大する目的で、薬剤の光毒性試験への利用の可

    能性を探った。RPE は再生医療のみならず、医薬品等の化学物質の安全性、薬効研究に

    利用可能である。そこで、RPE を用いた光毒性評価に着目した。光毒性とは生体内に取

    り込まれた化学物質に光が当たることで増強されて発現する毒性であり、主要標的組織

    は眼及び皮膚である。光毒性試験は医薬品・化粧品開発において必須な試験であり、近

    年、欧州の農薬登録においても試験が必要となっている。したがって、今後、光毒性の

    検出は様々な化学物質の開発において重要になると思われる。同じロットの組織をコマ

    ーシャルに提供するためには、組織を凍結して輸送する必要がある。そこで先ず立体網

    膜組織を凍結保存する技術を(図4)開発し、誘導した立体網膜組織を凍結保存し、必

    要に応じて解凍し、RPE を作製する一連の基本技術を確立した。

    現在、培養細胞を用いた光毒性試験としてマウス線維芽細胞を用いた試験が OECD ガ

    イドライン試験として登録されている。しかし、この試験は偽陽性が多いため、偽陽性

    の少ない試験の開発が世界的に望まれている。本プロジェクトで開発した RPE の産業利

    用の一つとして、独自に RPE を用いた光毒性試験について検討し、従来の方法と比べた

    ときの優位性を確認しつつある。仏化粧品会社により開発された培養皮膚組織を用いた

    毒性検査システムは今や動物実験に代わる材料として世界中で使われるようになって

    おり、今回開発した網膜組織も我が国発の全く新しい毒性試験ツールとして産業化を計

    っていく必要がある。

    これらの経験から、ノックインヒト ES 細胞の重要性が培養法の開発に極めて有用で

    あることが明らかになった。そのため、ES/iPS 細胞維持培養法の開発を目的に Nanog

    ノックイン ES 細胞を樹立し、多能性幹細胞の培地条件、大量培養条件の検討に使い始

    図4 iPS 細胞から誘導した立体網膜組織を構造を保ったまま凍結するための

    条件設定を行い、至適条件を決定した。

  • 14

    めた。同様に、網膜色素上皮細胞誘導に使った培養条件を少し変えるだけで角膜上皮細

    胞の大量調整が可能であることも示すことがわかって来たので、角膜上皮細胞のマーカ

    ーである Cx12 ノックインヒト ES 細胞についても作製を行い、本細胞を用いて、角膜上

    皮細胞の分化誘導技術開発、誘導された角膜細胞の品質確認、保存や大量調製法などを

    検討し、網膜細胞と角膜細胞がセットになった標準毒性試験確立を目指している。

    以上、1)再生医療として高橋班のプロジェクトのための次世代技術を提供出来たこと、

    2)同じプラットフォームを光毒性試験へと展開させ、我が国発の標準化テストへの扉

    を開いたこと、3)将来のiPS細胞利用に向けたノックインツールの開発を行ったこ

    と。これらは今後iPS細胞-イノベーションから2次、3次のイノベーションの連鎖

    を引き起こすための鍵になると期待している。特に第Ⅱ期のプロジェクトにとってこの

    意味は大きい。

    ヒトRPEを用いた光毒性試験に関しては、公定法化された眼に対する in vitro 光

    毒性試験法が存在しない。そこで、本試験法の有用性を明らかにするため、数々の被験

    化合物の検証を行い試験系の評価を進めた。その結果、ヒトに対する眼光毒性の精緻な

    評価に有用であることが示唆された。また、学会発表等を通して、使用者である製薬会

    社等の意見などを聞き、プロトコルの改良を加え、現在研究結果の投稿準備中である。

    投稿後は論文の反響を見ながら試験の世界的な標準化に向けた取り組みを考慮したい。

    当班のもう一つのミッションであった未分化維持培養が可能な Xeno-free 培地をD

    Sファーマバイオメディカルで開発し、「S-medium」として製品化し販売中。本製品が

    ヒト多能性幹細胞の長期培養に使用できること、また、ヒトiPS細胞の樹立にも利用

    可能であることを確認した。

    (3)谷口班

    POとして谷口班に期待した事は、谷口が専門の肝臓をモデルにして肝細胞の大量培養

    系を確立し、パートナーの積水メディカルと共同で、創薬現場の薬効や毒性検査に提供

    できるようにする事であった。

    まず、ヒトiPS細胞の株間および由来する組織間における肝細胞系列への分化誘導

    条件の検討を行った。異なるヒト組織(皮膚・血液・肝細胞)から樹立した10種類以上の

    iPS細胞株の肝細胞への分化誘導効率を比較検討し、肝細胞系列への高い分化能を有

    するヒトiPS細胞株TkDA3-4を選別した。この細胞株を用いてヒトiPS細胞から肝

    細胞系列への分化誘導法を、既存の方法を元に改変し、TkDA3-4の分化誘導に適した

    Activin処理日数、成熟肝細胞の誘導におけるサイトカインの組み合わせ (HGF+OSM)

    を検討した新たな分化誘導プロトコルを完成させた。その結果、誘導した成熟肝細胞様

    細胞(MH-like)においてアミノ酸代謝酵素、糖代謝酵素、アンモニア代謝酵素の発現上

    昇が確認された。次に成熟肝細胞に特徴的なトランスポーターによる取り込み能および

  • 15

    排出能をindocyanine green(ICG)を用い検証した。未成熟肝臓系細胞(IH-like)、成熟

    肝細胞様細胞(MH-like)ともにICGの取り込み能を有する事が明らかとなった。一方、ICG

    排出能は成熟肝細胞様細胞(MH-like)のみが有していた。これらのことから、ヒトiP

    S細胞から成熟肝細胞が分化誘導されていることが明らかとなった。

    図5 E カドヘリンを利用した細胞分化度の自動判定システムの開発:E カドヘリン染色により

    細胞輪郭を明確化し、細胞の分化度を視覚的に判定するアルゴリズムを開発した。このシステ

    ムは、今後自動的に細胞のクオリティーを判別する方法へと発展できる。この方法で調べると、

    試験管内で分化させた肝細胞が未熟である事が明らかになった。

    しかしながら、より分化レベルが高いと考えられる立方上皮化した肝細胞の割合をE-

    カドヘリンを指標に検討したところ成熟肝細胞の割合は低く、薬剤評価の利用に耐え得

    る細胞の大量創出は困難であった(図5)。また、新しい質量分析法を用いた肝臓特異的

    蛋白の発現や、DNAアレー等の検討からも、成熟肝臓の分子マーカーを発現していると

    はいえ、発現量などを詳細に見ていくと、完全な成熟に至っていない事も明らかになっ

    た。このようにして開発した方法については、ヒト化動物の作成へと発展させ、動物内

    でヒト肝細胞を用いた薬剤検定が出来るかは今後の課題である。いずれにせよ、さらに、

    我々が今回利用した方法も含めて、平面培養系によって、大量のヒトiPS細胞由来肝

    細胞を得るには莫大なコストを要する事が明らかになった。

    以上の反省から、第Ⅰ期終盤に安価に大量の細胞を得ることのできる効率的な分化誘

    導法をこれまでとは異なる視点から検討した。第I期の研究で、クラレとの共同研究と

    して3次元培養に適した培養ディッシュを検討してきたが、この結果3次元化した細胞

  • 16

    集塊が肝細胞の成熟マーカーを発現している事を明らかにしていた。そこで、従来の平

    面培養系においては器官発生過程で生じる細胞間相互作用や立体的空間配置が欠如し

    ていることから、器官発生過程を精緻に再現することの可能な三次元培養系の開発が必

    須であると考えた。そこで、我々は器官発生で生じる複数の異なった未分化細胞による

    細胞間相互作用の再現というアプローチにより、iPS細胞を用いた3次元的なヒト臓

    器の再構築技術の開発を実施した。また3次元システムは、増殖因子等を組織内で調達

    し合える可能性がある系で、増殖因子を用いない安価な大量培養を実現するための重要

    な方向性である事は間違いない。

    図6 iPS 細胞を血管内皮細胞株、間葉系幹細胞株と混合培養する方法を開発し、成熟肝細胞が

    効率に誘導できる事を示した。この3次元培養法の開発により、第Ⅱ期の増殖因子の必要がな

    い培養方法の開発と言う大きなチャレンジが可能となった。

    基本的には第Ⅱ期で実施を計画していたプロジェクトであるが、一定の成果が出たの

    で、第Ⅰ期の成果としても報告した。生体内における肝発生過程においては、運命決定

    を終えた肝臓内胚葉細胞に対し、未分化血管内皮細胞および間葉系細胞との相互作用が

    立体的な肝芽形成に必須である。そこで、これらの肝発生初期プロセスの再現を目的と

    して、ヒトiPS細胞由来肝臓細胞とヒト血管内皮細胞およびヒト間葉系幹細胞との共

    培養系の開発を実施した。

    ヒトiPS細胞から分化誘導したヒト肝臓細胞に対し、ヒト臍帯静脈由来内皮細胞

    (human umbilical vein endothelial cell: HUVEC)ヒト間葉系幹細胞(human Mesenchymal

    Stem Cells; hMSCs)を加え、特殊条件下で共培養を実施したところ、ダイナミックな細

    胞の空間的再配置が誘導され自律的な組織化が生じることが明らかとなった(図6)。

    構造体の分化段階を理解する目的で定量PCRおよびマイクロアレイによる網羅的遺伝

    子発現解析を実施した。その結果、未分化マーカーであるNANOGやchemokine receptor

  • 17

    cxcr4の発現の減弱が確認されるとともに、アルブミンなど肝臓初期分化マーカーの発

    現が劇的に上昇することが示された。網羅的遺伝子発現解析の結果、28週齢のヒト胎児

    肝臓の前段階に相当する発生段階に相当するiPS細胞由来のヒト肝原基が創出され

    ていることが示唆された。

    さらに、免疫不全マウスへの移植実験を実施し、ヒトiPS細胞由来肝原基様構造体

    のさらなる分化誘導を試みた。移植片における細胞動態を生きたまま経時追跡するため、

    独自に確立してきたクラニアルウインドウ法による移植モデルを用いた。クラニアルウ

    インドウ法とは、免疫不全マウスの頭蓋骨を取り除いて作製した観察窓(クラニアルウ

    インドウ)下、脳表面上へ移植する方法で、ホストマウスの血流を有する長期間安定し

    た血管ネットワークの再構築が可能な技術である(Nature: 428, 138–139, 2004)。移

    植60日目には、ホストマウスの血清中にヒトアルブミンタンパク質の分泌が確認された。

    さらに、ヒト型代謝を検出可能な薬物であるケトプロフェンの代謝試験を実施したとこ

    ろ、ヒト特異的な薬物代謝産物が検出された。移植したヒトiPS細胞由来肝原基様構

    造体が成熟化したヒト肝組織において、メタボローム解析により肝臓特異的な多数の代

    謝物質が検出され、また、電子顕微鏡による解析により特徴的な微細構造を有すること

    が明らかとなった。このようにヒト血管構造を有する機能的なヒト肝臓組織に分化・成

    熟することのできるヒトiPS細胞由来肝原基様構造体を創出するための革新的な三

    次元培養系のプロトタイプを第Ⅰ期で完成させる事が出来た。

    多能性幹細胞の発見以降、様々な分化因子の組み合わせによって、様々な機能細胞の

    創出が試みられてきたが、充分な分化誘導は達成されていなかった。第I期で、新規三

    次元培養技術に必要な細胞校正を突き止める事が出来た事は、安価な大量培養系のため

    の一つのハードルをクリアーできたものと考えている。

    第Ⅱ期において、世界で初めてヒト iPS 細胞から血管構造を持つ機能的なヒト臓器

    を創り出すことに成功した。研究グループは、最終的に臓器を形成させるための第一段

    階として、まず臓器の原基(臓器の種)が胎内で形成される過程を模倣する新規の細胞

    培養操作技術を開発した。この特殊な培養方法により、試験管内においてヒトiPS 細胞

    から立体的な肝臓の原基(肝臓の種、肝芽)が自律的に誘導できること、さらにこのヒ

    ト肝臓の原基を生体内へ移植するとヒト血管網を持つ機能的な肝臓へと成長し、最終的

    に治療効果が発揮されることを明らかにした。(Nature,499:481-484,2013)

  • 18

    図7 発生初期プロセスの再現によるヒト臓器構成系を開発

    また、クラレ社より、本プロジェクトの成果を基に、マイクロ空間培養プレート<

    Elplasia>シリーズの新しいラインアップ「Elplasia RB 500」が製品化された。

    図8 Elplasia RB 500 6-well plateの概観および表面拡大写真

    S-イノベの成果を基に、平成25年度より再生医療実現拠点ネットワーク事業へ発

    展的に移行し、再生医療実現拠点ネットワークプログラム 疾患・組織別実用化研究拠

    点(拠点B)として研究開発課題名「iPS細胞を用いた代謝性臓器の創出技術開発拠

    点」に取り組んでいる。この研究の中で、ヒト肝芽を頭蓋内、腎被膜、腸間膜などの異

    所性部位に移植する手法を確立した(Nature Protocol, 9:396-409, 2014)。また、ヒト

    iPSC 肝芽作製の動作原理は、先行研究において示した肝臓のみならず、膵臓・腎臓・

    腸・肺などのような多様な器官を誘導する上でも有益な技術基盤であることを明らかに

  • 19

    した(Cell Stem Cell 16:556-565, 2015) (特願 2014-037341 : 自己組織化用細胞集合

    体の作製方法(2014/2/27))。

    再生医療実現拠点ネットワークプログラム 疾患・組織別実用化研究拠点(拠点B)

    では、この競争優位性の高いヒト肝臓創出のためのブレイクスルー技術を実用化技術に

    展開することを目標として、iPS細胞からヒト肝臓原基(肝芽)を、大量に、かつ、

    低コストで、均一性と安全性を担保して創出可能なヒト臓器の製造工程を産学連携体制

    で構築することを目的としている。さらに、本拠点においてGMP準拠工程により製造

    されたヒト肝芽を用いて、代謝性肝疾患に対する臨床的な治療効果の検証を、小児肝疾

    患の本邦における診療拠点である国立成育医療センターにおいて共同実施する。特に乳

    幼児の尿素サイクル異常症(Urea Cycle Disorders)を対象として、安全性評価および

    有効性を確認することを目的とした臨床研究の実施を目指し研究開発を推進している。

    (4)紀ノ岡班

    POとして紀ノ岡班には、網膜再生治療に

    必要な質の高い網膜色素上皮細胞安全性判

    別および培養の自動化のための技術開発を

    お願いした。以下に第Ⅰ期の成果を要約す

    る。 実際の臨床に必要な網膜色素上皮細

    胞シートは数ミリ平方と極めて小さい。従って、個別化ミニ培養と品質バリデーション

    のモデルを目指して開発を行った。プライマリーな目標として、網膜色素上皮細胞の成

    熟過程に対するチップ型培養装置(図7)の開発を目指した。直径2.5mmの培養チップ

    内での長期(培養期間> 35 day)かつ全細胞観察可能な培養システムを構築し,網膜色

    素上皮細胞の成熟工程(色素沈着)を実現した.本培養システムでは,培地の冷蔵・冷

    凍・解凍・混合機能を加えることで,少量の培地交換(50 mL)を可能とし,長期培養

    を可能とした.また,チップ内に付着する全細胞の90%以上の視野を動的(20 min)か

    図9 チップ型培養装置の開発:上図がチッ

    プ型培養装置の全体像。左上に実際の細胞培

    養を行うチップ。このチップにて、約 4 週間、

    細胞を成熟させる。その際、本装置にて、培

    地交換、細胞観察を自動的に実施する。特に、

    容器内の細胞のほぼすべてを観察(下図)、画

    像解析することで、細胞の成熟過程を評価す

    る。将来自己細胞を用いる網膜色素上皮培養

    の自動化のプロトタイプになり、本培養器の

    開発を通じて、網膜色素上皮細胞の製造に関

    する多くのノウハウを獲得できた。

  • 20

    つ長期(35 day)に観察可能とした.現在は,チップの改善を行うことで,より視野を

    広げた観察(99%以上)にてほぼすべての細胞観察を目指している.また、チップ上の全

    細胞を観察するための至適照明法を開発することで、鮮明な長期タイムラプス観察技術

    を構築することができた。

    本技術は,網膜色素上皮細胞にとどまらず、培養装置内の細胞観察における画質向上

    につながる汎用技術として期待される.

    網膜色素上皮細胞培養では、培養中に細胞の質を解析し、工程中に移植材の品質を評

    価することが重要となる。そこで開発したチップ型培養装置の完全自動化を目指し、細

    胞モニタリングの技術開発を行った。第一に、培養中の生きた細胞の動的挙動をモニタ

    ーして細胞の質の評価を行う系を開発した(培養チップ内の動的観察による細胞トラッ

    キング手法)。動的画像を取得することで、コンフルエント培養時における細胞トラッ

    キングを可能とし,各細胞の動的移動量ならびに細胞数を計測することができた.これ

    により、未成熟な異常細胞の出現を早期に検出できる事が期待できる。現状では,コン

    フルエント時に約80%の細胞をトラッキング,細胞数測定できた。本技術はこれまで不

    可能であった混み合ったコロニー(たとえば、iPS細胞コロニーや角化細胞コロニー)

    へ展開することで汎用性の高い技術として期待される.また、上述の培養チップ内で,

    非染色・非侵襲にてコンフルエント状態下での細胞数ならびに形状観察を行う技術を構

    築した(「コンフルエント時に細胞の状態を判定する広域成熟度判定システム」)。

    図10 自動培養装置と統合する画像、データ解析法の開発:iPS 細胞,網膜色素上皮細胞をモ

    デルとして、細胞の品質管理のための様々な画像解析システムを開発した。今回開発したもの

    はチップ型培養装置と統合するためのものであるが、今後他の培養装置と組み合わせられる汎

    用性を有している。

  • 21

    本技術では、容器全体での細胞密度、形状分布を定量的に評価できるだけではなく、位

    置的分布、容器内の空間的不均一性かつ質的不均一性を定量的評価でき、網膜色素上皮

    細胞の成熟過程をモニターして最終的分化度を評価できる。

    具体的には、種々の細胞の培養経過において、細胞特徴を表現する形状パラメータを

    無作為に取得した情報セットを用意し、パラメータの抽出、データ集計を行うことで、

    培養状況の推移を予測できるシステムを構築した。(動的画像パラメータを活用した細

    胞培養予測システムの構築)。本システムは、細胞製造における培養技師が日々細胞観

    察から感じるセンスを定量化しており、将来、自動培養、主導培養に関わらず工程管理

    ツールとして期待される。(図8に画像解析とチップ型培養装置の統合を示す)

    以上のように、第Ⅰ期において紀ノ岡班では画像解析を併用した小型長期培養装置の

    開発を実施し、高橋班もしくは細胞製造ユーザーにより活用されることとなった。

    第Ⅱ期は主にヒト iPS 細胞(hiPSC)の大量培養システムの構築に注力した。以下に成

    果を要約する。低コストでの大量調製を実現するために、①hiPSC 集塊を懸濁培養し高

    密度化による製造設備の省スペースを目指した「立体的に培養する」技術、②細胞濃度

    を高く保った状態でスケールアップを行うことで使用する新鮮培地の削減を目指した

    「細胞密度を保つ」技術、③老廃物の除去と消費成分の補充により、サイトカインなど

    の付加価値の高い培地成分の最小使用を目指した「培地を再利用する」技術、④簡略化

    された生産プロセスを実現するために培地中にて細胞集塊を適度に分割することで複

    雑な「継代操作を省く」技術、⑤未分化から逸脱した(分化した)細胞の発生を抑制す

    ることで最終的な未分化細胞の収率向上を目指した「未分化を維持する」技術の5つを

    主要な必要技術として掲げ、それぞれを構成する要素技術の開発を進めた(図9)。まず

    ①懸濁培養初期のアポトーシスによる細胞数減少を防止するため、Vボトムプレートや

    谷口班で作製されたマルチウェルディンプルプレートを用い、単分散状態の hiPSC を素

    早く集めて細胞間接着を回復させ、高い生存率で集塊形成を可能にした。②単一集塊の

    増殖挙動の解析を通じヒト iPS 細胞集塊の増殖に適した径と時間の境界条件の明確化

    した。③前述の境界条件による増殖低下を回避するために行う継代時のアポトーシスに

    よる細胞数の低下が問題となった。そこでボツリヌス菌由来の Hemagglutinin (HA)を

    添加することにより集塊を適度な大きさに分割する法を開発し、酵素処理を伴わない操

    作が可能であることを示した。④グルコースなどの低分子の栄養成分および乳酸等の老

    廃物を、安価な基礎培地を用いた透析により供給・除去し、かつサイトカインやアルブ

    ミンといった高価な高分子培地成分やオートクライン物質を温存する低コスト培養を

    実現した。⑤異なる株や培地において細胞集塊が懸濁培養のシェアストレスにより崩壊

    し増殖速度低下を招くことを見出し、シェアレスかつ合一を伴わない集塊培養法として

    培地交換機構を設けたマルチウェルディンプル培養皿を使った培養法を発案し、この容

    器に対応した自動培地交換装置を開発した。

  • 22

    図11 開発した新規培養プロセスと現状の比較:製造設備の省スペースを目指した「立体的に培養する」

    技術、細胞濃度を高く培地を削減した「細胞密度を保つ」技術、付加価値の高い培地成分の最小使用を目

    指した「培地を再利用する」技術、簡略化された生産プロセスを実現する「継代操作を省く」技術等に対

    して要素技術を開発した。

    平面培養を対象にHA 添加操作によるiPS未分化逸脱細胞除去可能な培養システムを

    構築した。逸脱細胞は E -カドヘリンによる細胞間接着の程度が未分化細胞間に比べ逸

    脱細胞間は低いため、侵入した HA により逸脱細胞間のみの細胞間接着崩壊が生じ、培

    養面からの逸脱細胞の選択的剥離が生じたものと考えられた。HA は細胞表面に結合し

    た後に、細胞内に取り込まれ分解されるという現象を見いだし、これを利用して細胞培

    養液を用いて簡便に未分化性の維持手法を開発することができた。

  • 23

    図12 HA を用いた未分化逸脱細胞の逸脱の除去による iPS 細胞の未分化維持:従来の逸脱細胞を含む

    コロニーの丁寧な除去操作を不要とし、「だれでも(熟練者であろうが素人であろうが、機械であろうが)」、

    「どれでも(種々の iPS 細胞株や種々企業が開発した培地)」、未分化維持培養を実現できる。

    上記の他、画像処理による細胞追跡システム、空間的粒径密度測定技術、培養データ

    処理手法等の開発をチーム一丸となって取り組み、多くの成果を挙げることができた。

    S-イノベ終了後の展開

    本 PJ で開発した要素技術群の展開は以下の通りである。

    ①大量培養技術など (研究機関:大阪大学)

    iPS 関連は AMED「再生医療の産業化へ向けた細胞製造・加工システムの開発」におい

    て開発を継続。到達細胞量 1010 以上を目標に、本物(細胞製造システム)へと仕上げる。

    細胞バンクにおける iPS 細胞の大量製造、バンク由来の iPSC を原料とした網膜色素上

    皮細胞の製造および肝細胞製造に対する基礎技術を構築する。また、ボツリヌス菌由来

    のヘマグルチニン添加による細胞集塊分割技術および平面培養時における未分化から

    の逸脱した細胞の除去については、同一 AMED プロジェクトにおいて研究開発を継続す

    るとともに、企業への技術移転交渉を開始した。さらに、網膜色素上皮関連技術は、ヘ

    リオスが大阪大学紀ノ岡研に対し、共同研究講座を開設し、技術移管を行うと同時に、

    特に、自動化技術については、AMED プロジェクトにて継続中である。

    ②培地分析、細胞集塊調製ユニット (研究機関:島津製作所、大阪大学)

    培養プロファイルの把握を目指した培地分析について、平成26年度より大阪大学に

    て島津共同研究講座を開設し、紀ノ岡研と共に分析成分の拡大をめざした分析メソッド

  • 24

    の開発や、培地分析を継続し、培養プロファイルの把握を可能とするバイオマーカーの

    探索を継続する。

    細胞集塊調製ユニットについては、阪大・紀ノ岡研究室、横市大・谷口研究室、クラ

    レ、島津製作所で共同研究を継続的に実施しており、AMED プロジェクト「再生医療の

    産業化へ向けた細胞製造・加工システムの開発」へ移行し、開発をさらに進めている。

    ③集塊調製ユニット (研究機関:マイクロニクス)

    培養装置の設計技術が評価され、平成26年度から大手製薬企業と共同研究を開始し、

    現在、自動培養システムの構築を目指している。

    ④細胞追跡システム/空間的粒径密度計測技術 (研究機関:大日本印刷)

    AMED プロジェクト「再生医療の産業化へ向けた細胞製造・加工システムの開発」へ

    移行し、開発をさらに進めている。

    ⑤培養データ処理手法 (研究機関:名古屋大学)

    画像評価技術力が評価され、AMED プロジェクト「再生医療の産業化へ向けた細胞製

    造・加工システムの開発」へ移行し、開発をさらに進めている。

    ⑥微小重力環境における未分化維持(研究機関:スペースバイオ、東京大学)

    平成24年度より A-Step でスペースバイオラボラトリーズおよび東京大学にて開発

    を継続し、平成26年度より阪大・紀ノ岡研とスペースバイオで共同研究を開始した。

    さらに、平成27年度より NASA との海外共同研究を開始した。

    ⑦細胞形状解析システム(研究機関:神奈川工科大、大阪大学)

    技術者のトレーニングツールおよび品質評価技術として、ヘリオスへの技術提供を前

    提に現在協議中である。

    ⑧細胞培養システム(研究機関:東京電機大)

    担当者の培養技術に対する技量が評価され、東洋製缶にて培養装置開発へ展開した。

    ⑨細胞培養システム(研究機関:東洋製罐)

    浮遊系細胞自動培養装置の事業化。

    ⑩未分化維持のための培地設計(研究機関:細胞科学研究所)

    平成26年1月に CELRENA medium を上市。

  • 25

    9.総合所見

    2009年、政策的重点項目として選ばれてはいても、かけ声だけが勇ましく具体性に欠

    け、よちよち歩きの状態であったiPS細胞の研究を、実際に臨床や産業に利用可能な

    技術とするという使命をうけて、S-イノベ・プロジェクトがスタートした。勿論、山中

    iPS細胞は21世紀を代表するイノベーションである。しかし、ここから医療や産業

    での第2、第3のイノベーションが生まれるためには、我が国の準備はあまりにも遅れ

    ていた。当時、山中博士が「10対1の戦い」と日本の層の薄さを憂うる声をあげたの

    もまさにこの認識による。iPS細胞産業化の研究は「ほとんどが助成金目当てだけの

    iPS細胞研究」と、マスメディアからの厳しい批判があがったのも同じ頃だ。このよ

    うな状況を考慮して、萌芽的技術開発を目指すための第一段階として、iPS細胞の医

    療応用は確かに実現するというproof of conceptを果たす事を第一の目標として第Ⅰ期

    をマネージした。従って、proof of conceptに偏りすぎたと言う第Ⅰ期に対するあらゆ

    る批判を受けるとすれば、POの方針が原因であると反省している。しかし成果について

    言えば最初に期待したiPS細胞が医療や産業に必ず利用されるテクノロジーである

    事を証明するという目標は達成できた。その結果、網膜再生医療は新しくスタートした

    再生医療の実現化ハイウェイプロジェクトにiPS細胞臨床応用の嚆矢として位置づ

    けられ、平成24年度に臨床研究の申請が行われるところまでに至っている。また、日

    本の唯一の再生医療製品を上市しているJ-TECが高橋班に参加する事により、iPS細

    胞から分化細胞までの複雑な過程をプロトコル化するためのノウハウが蓄積できた。実

    際この経験は、高橋班の網膜再生に続く他の再生医療プロジェクトにも活かされている。

    このように、J-TECの経験を通して再生医療の医療産業化のパスウェイが描かれるとき

    も近いのではと期待できる。

    ただ、網膜色素上皮細胞にとどまっていたのでは再生医療は拡大しない。網膜再生医

    療も、網膜色素上皮移植が有効な加齢黄斑変性症から、視細胞移植が必要な網膜色素変

    性症までiPS細胞による再生医療の拡大を心待ちにしている。このように、新しい技

    術が不断に臨床応用現場に供給されて初めて再生医療は拡大する。この期待に応えるべ

    く、第Ⅰ期で斎藤班は更に新しい網膜再生技術開発にチャレンジした。日本の多くの分

    化誘導プロジェクトでは、時間のかかるヒトES細胞のノックインといった本来積み重ね

    るべき努力を払わず、安易な戦略を選ぶ事が多い。しかし、独自の材料を開発し続けな

    い限り結果は競争力のない技術の開発で終わる。この反省から、斎藤班では網膜や角膜

    発生の重要な分子マーカーに標識遺伝子をノックインするという最もオーソドックス

    ではあるが時間のかかるツール開発を行った上でこの課題に挑んだ。その結果、ES細胞

    から網膜全細胞を立体培養で分化させる画期的な方法を開発した。この方法は、既に高

    橋班の網膜再生の次世代技術として既に導入が始まっている。勿論ノックインなど遺伝

    子改変をした細胞を再生医療に応用するのはまだハードルが高い。しかし、医療の産業

    利用という面では極めて有用なツールである事が本プロジェクトで明らかにできた。す

  • 26

    なわち、分子マーカーを指標として中間段階の細胞を純化する事で、高い純度の網膜細

    胞を大量調整できる。こうして出来た細胞を使うと、従来光毒性テストに使われていた

    細胞株よりも高い感度と特異性で薬剤の光毒性を検出できる事も明らかになって来て

    いる。これらの結果は、第Ⅰ期の研究から世界初の光毒性テストキットを提供する技術

    が完成した事を示し、同じ研究方向から再生医療と産業化の両方が同時に実現できる事

    を示す画期的な成果であると言える。現在化粧品業界では仏化粧品会社が開発した培養

    皮膚が世界中に提供され、皮膚毒性テストの国際標準となっている。同じように、斎藤

    班の光毒性テストキットをこのプロジェクトから生まれる国際標準にするべく更に努

    力を重ねたい。第Ⅰ期では、高橋班、斎藤班と比べると、谷口班、紀ノ岡班は世界をリ

    ードする成果を上げるというところまでは到達できなかった。しかし、第Ⅰ期で谷口班

    は肝細胞の誘導と品質評価に焦点を当てて研究を進める過程で、異なる細胞の混合立体

    培養が新しい培養の方向性になるのではと気づき成熟肝細胞を誘導できる立体培養プ

    ロトタイプを完成させた。紀ノ岡班は、ニーズさえ明確になれば、そのニーズを機器と

    して開発できる事をチップ上培養装置の開発で示した。網膜上皮細胞小片の培養は極め

    て特殊な用途であるため、この装置が普及するかどうかは不明であるが、工学と生命科

    学の対話さえうまく進めれば、iPS細胞のような困難な分野でも産業化に道が開かれ

    る事を示した。このように、S-イノベを設定した事の意義は大きいと考えている。その

    意味で、アドバイザーからは厳しい評価を受けたが、POとしては各班及第点以上の成

    果を上げたと考えている。

    その結果、第Ⅰ期の成果からスムースに生まれて来た第Ⅱ期の課題が培養コストの画

    期的削減を可能にする技術の開発であった。第Ⅱ期は、この課題に全く新しい発想で取

    り組むだけである。既に、これまで進められて来た方向とは全く逆の、増殖因子の必要

    ない培養法、化合物による細胞の純化、新陳代謝システムを実現する培養という基礎技

    術を完成させ,最初の目標であるiPS細胞の医療・産業利用拡大を実現するという目

    標をたて研究をスタートさせた。具体的には、培養コストの画期的削減を可能にする技

    術の開発を行う。すなわち、増殖因子を必要としない自立性細胞培養法、化合物を用い

    て目的細胞を純化する基礎技術を開発し、新陳代謝型の培養システムを完成することに

    より、当初の目標であるiPS細胞を用いた医療・産業への利用拡大の実現を目指した。

    文部科学省で新しく「再生医療実現化拠点ネットワークプログラム」が始まり、谷口、

    斎藤ともに新しいプロジェクトに移行した。そのためあとは紀ノ岡班のみで、すでにプ

    ロジェクト外に出た高橋、谷口、斎藤らとも連携しながら当初の計画を終えようと努力

    した。未分化ES細胞を除去する方法の開発など、見るべき技術は開発された。

    本テーマが決定した平成21年10月からの6年間で、再生医療のビジネス展開は進

    んだと思える。しかし、中核産業になるかどうかについては大きな壁が存在する。すな

    わち医療費が40兆円を超え、高額の薬剤や医療技術が目白押しという状況を迎えた今、

    これまでのようにイノベーティブな薬剤や技術がそのまま産業を牽引するという構造

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    を望めなくなっている。このような先進医療は、持続可能な医療システムとの関係で考

    え直す時期が来ていると思われる。