日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國...

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追手門学院大学人間学部紀要 1995,創刊号, 125-158 日常的生活世界とファンタジー世界 一多元的リアリティ論とM.エンデ著 『はてしない物語』力ゝらの考察- 矢谷慈國 Everyday Life World and Phantasy World ;Theory ofMultipleRealitiesand M.Ende's ”UnendlicheGeschichte". Yoshikuni ΥΛTΛNI エンデの『はてしない物語』という作品は,さえない日常生活を送っている少年バ スチアンが,古本屋で盗み出した『はてしない物語』という本を読み進むうちに,本 の中に描かれているファンタージェンの世界そのものの中に移行してしまい,そこで さまざまな冒険を経験することによって,ほんとうに人を愛することのできる人間に 成長して再び日常生活の現実に帰ってくる,という[物語りの中の物語り]の形式を 仕組むことによって,二つの現実の特性と相互関係を活写している問題提起にみちた 作品である。 箪者が考えてきた多元的リアリティ論とU.P.論の観点からこの作品を検討し,「日 常の現実」と「ファンタジーの現実」の関係について考察する。それは,「経済成長の 強制」という「悪魔の環」に陥っている,近代社会を根底から問い直す新しい視角を 提示するものとなる。 キーワード:生活世界・多元的リアリティ・ユニバーサル・プロジェクション(U.P.) ・ファンタジー世界 -125-

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追手門学院大学人間学部紀要

1995,創刊号, 125-158

日常的生活世界とファンタジー世界

   一多元的リアリティ論とM.エンデ著

    『はてしない物語』力ゝらの考察-

          矢谷慈國

Everyday Life World and Phantasy World

  ;Theory of MultipleRealitiesand

  M.Ende's ”UnendlicheGeschichte".

Yoshikuni ΥΛTΛNI

要 約

 エンデの『はてしない物語』という作品は,さえない日常生活を送っている少年バ

スチアンが,古本屋で盗み出した『はてしない物語』という本を読み進むうちに,本

の中に描かれているファンタージェンの世界そのものの中に移行してしまい,そこで

さまざまな冒険を経験することによって,ほんとうに人を愛することのできる人間に

成長して再び日常生活の現実に帰ってくる,という[物語りの中の物語り]の形式を

仕組むことによって,二つの現実の特性と相互関係を活写している問題提起にみちた

作品である。

 箪者が考えてきた多元的リアリティ論とU.P.論の観点からこの作品を検討し,「日

常の現実」と「ファンタジーの現実」の関係について考察する。それは,「経済成長の

強制」という「悪魔の環」に陥っている,近代社会を根底から問い直す新しい視角を

提示するものとなる。

キーワード:生活世界・多元的リアリティ・ユニバーサル・プロジェクション(U.P.)

・ファンタジー世界

-125-

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追大人間学部紀要 創刊号

 この論文を書き始めて間もなく, M.エンデの死亡(1995年8月28日65才)力^報道された。

 人は生まれ,生き,やがて必ず死ぬることは,野の草,地の虫だちと何ら変らない「いのち」

の定めである。その死の早い遅いは相対的なことであり,その人の生涯の業績の評価も,時代

や社会が変われば相対的なものでしかない。その人の生涯が全く知られていない「無名の工人」

の作った一つの茶椀が,全宇宙を感じさせる力を持っていることもある。

 M.エンデは多作でかつ,同時代に世界的に評価された数少ない作家の一人だが,彼のメッ

セージをどう受けとめるかは読者の資質によって異なる。

 本稿では「日常生活の現実」と「ファンタジーの現実」の相互関係のおり方そのものをテー

マとした, M.エンデの作品『はてしない物語』をA.シュッツの理論を批判的に展開して作

りあげた筆者独自の「多元的リアリティ論,ユニバーサル・プロジェクション(U.P.)論の観

点から検討し, 21世紀に向かう我々地球市民が「近代社会」という約300年前から今日に至るま

で最も強力な人間社会のモデルとなってきた現象を根源的に克服する道を模索する手がかりと

したい。 M. エンデの作品はその上うな観点から見直すべき,人間と世界に関わる広く深い射

程をもっているのである。

 第一章では,シュッツの理論から出発して,筆者なりに考え抜いてきた多元的リアリティ論

とU.P.論を,図や表を列挙することで簡潔に提示する。

 第二章では,エンデの『はてしない物語』という作品の構造を以下の四点にわたって論ずる。

 I.では絵入り物語りとしてこの本の作り方そのものに表現されているエンデの仕掛けを検

討し,この本が読者に対して,「ファンタジー世界に行って,再び日常生活の世界へ帰ってくる

ことのできた主人公の少年バスチアン」と同じ「正しい道」をたどること,第二,第三のバス

チアンとなることをよびかける,魔法のお守り「アウリン」そのものであることを示す。

 皿においては,この物語りが「物語りの中の物語り」という,空想世界の錯図構造をなし

ていることを論じ,それが『はてしない物語』というタイトルとどう関わっているかを論述す

る。

 III.においては,シュッツの多元的リアリティ論の中で記述されている「日常生活の現実」

と,エンデの記述する「バスチアンの日常生活の現実」の特性を,認知的様式の六個の枠組に

従って記述し,考察を加える。

 IV.では,シュッツの「空想世界」とエンデの[ファンタージェン]をIIIと同様に対比しつ

つ記述し,筆者の「全体的自己(Total Self)]についての考えを提示する。

 第三章では,二つの世界の正しい関わりのおり方について,エンデと箪者の考え方を対比し

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矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。

第一傘 多元的リアリティとU.P.の理論

w.ジェイムスの多元的宇宙(Multiple Universe)についての考え1)を展開して多元的現実

 (MultipleRealities)の理論を作りあげたのはA.シュッツである。彼は「主体によって生き

られている経験の様式=認知式様式(cognitive style)」の六個の枠組にそれぞれ見出せる差異

という明確な基準を提示することによって,人間か経験する多元的なリアリティの種々相を,

相互に比較可能なそれぞれ独自な「限定された意味構造をもっだ現実の諸領域」として考察す

る道を開いた。

 第1図はシュッツの論述から筆者が整理した,多元的リアリティの類型比較表である。この

表ではA日常生活の世界, B空想の世界, c夢の世界, D科学的思考の世界の四個の現実しか

取りあげられていないが,別の所ではドン・キホーテの空想世界,音楽世界,ストレンジャー

の世界などについても個別に言及している。この表を横に拡大して,宗教的体験の世界,狂気

の世界,芸術の世界,遊びの世界,スポーツの世界,子供の世界,原初的U.P.を生きる未開社

会,異文化の世界,臨死体験の世界など,囚有な認知的様式をもっか他のあらゆる可能な多元

的リアリティの諸世界を体系的に比較し分析することができる。また空想の世界の下位領域と

して,童話の世界,小説の世界,演劇の世界,映画の世界,音楽の世界,舞踊の世界,絵画の

世界,彫刻の世界,書道の世界,演劇と音楽と舞踊を総合したオペラやミュージカルの世界,

コンピュータ・ゲームの世界,種々のスポーツの世界,囲碁や将棋やチェスやカードゲームの

世界等々の,他と比較しうる独自性と相互の関m匪を詳細に分析することが可能となる。

 さらに,認知式様式の六個の枠組の区分についても,シュッツが主に行為に関係づけて記述

した,目自発吐の特有な様式の中に一括しているものを,空間構造,身体構造などの独立した

枠組を立ててより詳細に検討してみることもできる。

 シュッツの多元的リアリティ論はフッサールが提起した生活世界論と代理現前(Ap-

presentation)と象徴の理論の創造的な展開でもあったのだが,その観点からすると,第2図,

第3図のような整理かできる。ここでの問題点は,生活世界の最広義,中範|用,最狭義の三つ

の範囲規定と,記号と象徴に区分して配当された,日常生活の現実と,その他の多元的リアリ

ティ,及び,我等関係それ自体,社会的集合体,組織された関係,先行者の世界,同時代人の

世界,後続者の世界(中範囲の生活世界=日常生活の現実)とが不整合を起しているというこ

とである。

 シュッツの多元的リアリティ論は,主体によって生きられた経験の様式という現象学的な意

識分析の観点から[人間によって経験される経験可能性の全体]をカバーしうる拡がりを持つ

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追大人間学部紀要 創刊号

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矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

最広義の生活世界

限定された意味世界

(多元的リアリティ)

空想の世界

夢の世界

科学の世界

芸術の世界

宗教の世界

その他

社会的世界の構造=中範囲の生活世界

先行者の世界

(Vorwelt)

象徴に|よる超越

象徴による

超越

共在者の世界

(Umwelt)

象徴 による

超 越

超越

後続者の世界

(Folgewelt)

超越

(最狭義の生活世界):

同時代人の世界

(Mitwelt)

我等関係それ自体、

社会的集合体、

制度化された関係

第2図 Schutzの生活世界の概念(その三つの範囲)

解釈者 代理現前する項 代理現前される項

-(最狭義の生活世界)

    ||  共在者の世界

    (Umwelt)

主観のここと今 しるし、指標、記号

象徴として用いられる項代理現前される

 意味となる項

超越剛しるし

(iVIark)意味

超越(2)  標示

(Indication)意味

超越(3)記号

(Sign)他者の思考

対面状況にお

ける他者

超越(4) 象徴

(Symbol) (象徴による超越によって成立つ意味世界)

我等関係それ自体、

社会的集合体、

組織化された関係

先行者の世界(Vorwelt)

同時代人の世界(Mitwelt)

後続者の世界(Folgewelt)

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(最広義の生活世界)-・トー-限定された意味世界(多元的リアリティ)

夢、空想、科学、芸術、宗教etcの世界

第3図 代理現前の三項構造と生活世界の概念

129 -

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                追大人間学部紀要 創刊号

もので,人間や社会を取り扱うあらゆるジャンルの学問や専門研究にとって指唆的な問題提起

であることは間違いない。しかし,彼がその比較的短い生涯に書き残した限りでの理論的達成

の範囲では,以下の諸問題が未解決のまゝであった。

 (1)日常生活の現実と他の超越的現実の間の移行や媒介のメカニズムに関してシュッツは,

意識の注意変容(現実のアクセントづけ)の理論のみで説明しており,移行時には,意識の様

式の飛躍かおり,それにはショックをともなうと規定しているのみである。そこでは一つの現

実がより深くリアルになっていくという「リアリティの深さの次元」の問題,逆にこれまでリ

アルだった経験が色あせた,リアリティを感じられないものにかわっていくという場合の,現

実経験や移行経験における,身体や気分と意識次元との関連の問題力l解明されていない。

 この日常生活の現実と多元的リアリティの間の移行と媒介メカニズムに関して筆者は,(1)。

……しながら(地)……する(図)というながら行動, (2).多元的リアリティの移行の時間表

的処理, (3).どんな超越的リアリティについても日常的現実の中で日常言語を使って語りあい

コミュニケートできるという,日常言語の媒介機能, (4).どんな超越的リアリティでも,近代

社会では貨幣でそれを専門家から買うことができるという,貨幣の無節操な媒介機能について

説明した。その上うな近代的な,多元的リアリティが機能的専門分業によって担われている社

会における諸現実間のルーティン化的移行を図示しかものが,第判図である。

科学の世界

固有の認知的様式を

もった、可能なその

他の生きられた経験

の諸世界

宗教的経験

の世界

死の世界R

異文化の世界

T=超越

R =ルーティン化

       第4図

夢の世界

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日常生活の現実

共在者の世界(Umwelt)

同時代人の世界(Mitwelt)

先行者の世界(Vorwelt)

後続者の世界(Folgewelt)

末開社会の世界,原初的

Universal Projection

の世界

空想の世界

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狂気の世界

芸術の世界

遊び・スポーツ

の世界

子供の世界

日常生活の現実にリアリティのアクセントを

おいた,多元的リアリティのルーティン化(近代社会)

-130-

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              矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

 (2)シュッツは「はっきりと目覚めた正常な成人」にとって自明とされている日常生活の現

実と多元的リアリティの関係を超歴史的,普遍的な観点から論じているのだが,日常生活の現

実も多元的リアリティのおりププも,時代や社会が異なれば相違するし,大人と子供においても

差異を示す。したがって,[日常生活]と[多元的リアリティ]の関係の問題をより経験的,具

体的に取り扱うためには,個体発生(子供一成人)と系統発生(未開社会一近代社会)の観点

を導入しなければならない。

 これらの問題点を筆者なりに解決するために作成した図表が,第5図,「多元的リアリティの

分化と統合〔系統発生(進化)と個体発生(社会化)〕と第6図(ブルカニロ博士の地理と歴史

     10)

の辞典(案)」である。これらの匯Iの個々の説明についてはそれぞれの論文の論述に譲るので参照

願いたい。

第二章 M。エンデ『はてしない物語』の構造

 I 絵入り物語りとしてのこの本の作り方そのものに表現されているエンデの仕掛け

 原著はドイツ語で書かれ1979年の出版であるが,筆者が最初に読んだのは訳本(上田真而子,

佐藤真理子訳,岩波書店, 1982年刊)であった。この翻訳は訳者たちが努力を傾注したよく出

来たものであるが,原本がもっている仕掛けをすべて翻訳できないのは,根本的な言語構造の

差異という制約があるので致し方のないことである。

 製本上の体裁は左から右への横書きのドイツ語文と右から左の行への縦書き日本語文の根本

的差異以外は,原著より訳本が約3 cm縦長であること,頁数が原著428,訳本589 (ただし,物

理的ぶ厚さは原著の方が約5mm厚い)というちがいにすぎない。それはまた装丁に用いてい

る,あかがね色の絹の布の仕上りの差異(訳本の方が色が深く布の理目も細い)くらいしか指

摘できない程,忠実な再現である。

 物語りの内容に入る前にこのような表面的な瓊事にこだわるのは,原著の製本や体裁やさし

絵画家ロスヴィタ・クヴァートフリータの作品の内容や,あかがね色と緑色の二通りの活字で,

主人公バスチアンの日常生活の現実とファンタージェンの物語り世界の現実を区別するやり方

の中に,エンデの「この物語」を製本の細部まで含めてメッセージとするという,並々ならぬ

思い入れと工夫を感ずるからである。一冊の本を作るにあたって,これ程,その内容は勿論の

こと,その外的な体裁にまで「凝って」いる著者と初めて出会った驚きと尊敬の念を,まず表

明するのが,「共感を持った読者」としての義務であろう。

 この節では,できるだけ内容にはわたらない,この本の製本上の工夫について述べるつもり

なのだが,実はこの本の外見そのものが内容に関わっている。なぜなら,冷い雨の降る11月の

土曜の朝,主人公バスチアン少年がコレアンダー氏の古書店で盗み出して,遅刻した学校の物

                    -131 -

Page 8: 日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國 …矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界 て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。第一傘

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Page 9: 日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國 …矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界 て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。第一傘

社会進化の軸

  (獲得)

来るべき

   社会

 機能分化

  近代社会

 層分化

古代中世社会

環節分化

 未開社会

10万年

200万年

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矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

新らしいユニバーサル・

プロジェクションの形成

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ホモサピエンスの出現       喪失

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の新たな統合

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リファインされたU.P.

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ブロジェクショ  原初的U.P.

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人間の視点から

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秩序の弁証法的包摂関係(案)

第6図 ブルカニロ博士の地理と歴史の辞典(案)

    宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より

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                 追大人間学部紀要 創刊号

置部屋でかくれて読み出しか,『はてしない物語』というこの本が,その体裁と内容そのまゝで,

彼自身が読み進むその物語の中で出現するからである。いわば本の中の本,物語りの中の物語

りというリアリティの錯図的構造を成立させる重要な使命を,この本自身の外見,装丁そのも

のが荷わされているからである。

 この本は,あかがね色の絹の装丁で,表紙には四角い枠の中に,二匹の黒と白の蛇がお互の

しっぼをかみ合っている縦長の楕円形の中に“Die unendliche Geschicte" (はてしない物語)

と書かれている本である。この蛇のマークは,物語りの中でファンターリエンの住人の主人公

アトレーユ少年と,現実世界の住人の主人公バスチアン少年がファンクージェンの世界の中で,

それぞれの圓険の旅を行う際に,「女王幼なごころの君」力ヽら与えられた魔法の御守りとなる金

のメダル「アウリン」に刻印されている紋章なのである。この本の読者は,このアウリンの紋

章のついた本を手にすることによって,ファンタージェンの世界に入り込み,そこでさまざま

な冒険を経験し,人を愛することのできる人間に成長して,再び日常生活の現実にもどって来

ることのできた主人公バスチアンのように,第二,第三のバスチアンとなることを,著者から

要請されていることになるのである。別のことばで言えば,エンデのこの本は,この物語りを

真摯に読む読者にアウリンのもつ力(人間の想像力と創造力)を与える本となるべく構想され

提示されているのである。

 次の頁の見開きと裏表紙の見開きは,あかがね色の一角獣と緑色の極楽鳥の絵が二色刷で小

さい格子の中に代る代るたくさん描かれている。この二つのフィギュアーは物語の内容とは直

接関係はない。しかしそれらが「ところでこの本の見開きの頁に描かれていた,たくさんの一一

角獣と極楽鳥たちは,お父さんの元にもどった後のバスチアンの人生にとってかけがえのない

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ものとなった。けれどもこれは別の物語。いつかまた別のときに話そう。」と言ってもよいよう

な絵である。

 中表紙には,著者名, Michael Ende(一行あかがね色活字),題名, Die unendliche Geschichte

 (三行緑色活字)AからZまでの挿し絵画家の名, Von A biz Z mit Buchstaben und Bildern

von Rostvitha Quadflieg (あかがね色活字二行),書店名, K. Thienemans Verlag Stuttgert

 (あかがね色活字二行)と印刷されている。

 全部で26章ある各章の表紙は,必ず見開きの右頁で1力ゝらXXVIまでのローマ数字と各章の

題名が緑色活字で印刷されている。各章の表紙をめくると,見開きで左頁に章毎のA力ゝらZま

でのアルファベットの飾り文字と,その章の内容を示すキャラクターや風景や建物の絵が描か

れ,右頁の冒頭には,本文が左頁のアルファベットの飾り文字で始る単語の残りのスペルが印

刷されて各章の本文が続く。イ列えば, I Fantasien in Not (ファンタージェンの危機)という

章の表紙をめくると,次の見開き左頁にAの飾り文字とその章に登場する,ファンタージェン

の危機を告げる使者たち,鬼の火,岩喰い男,夜魔,豆小人族の絵が描かれ,右頁の第一つづ

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Page 11: 日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國 …矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界 て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。第一傘

矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

りHe,右頁の頭文字と左頁の第一つづりを合せると章の第一単語Alle (すべての)となる。

 以上述べた,各章のローマ数字つき表題と,アルファベットの飾り文字つき挿し絵と,各章

の第一単語を表にすると第7図となる。この左頁の飾り文字と右頁冒頭の第一単語の残りのつ

づりの関係は,日本語訳の本では表現のしようがないことである。

 文字遊び,ことば遊びの精神は,回文やかけことば,なぞなぞや枕ことば,頭韻や脚韻など

の形で,分節した言語を持つ人類にとって創造性の一つの源泉である。エンデがこの本におい

て,アルファベットの26文字を各章の第一単語で用い,全体をAからZまでの数と同じ26章で

構成していることの中には,作者の言語観と物語り観が示されているのである。それは,「アル

ファベットの26文字が組み合せられると単語ができ,単語が組み合せられると文ができ,文が

いくつか集まると章ができ,章が集よって一つの物語りとなる」という,ことばの構造,物語

りの構造についてのエンデの考えを,製本の具体的な形の上で表現したものであるといえる。

有限な数の文字(音節)を組み合せると意味の単位としての単語となり,有限数の単語を有限

数の文法規則によって組み合せると無限の文を作ることができる。即ち無限の思想を表現する

ことができる。また,有限数のセンテレスを組み合せることによって一つの脈落のある物語り

が作られる。そしてそれはさらに限りない多くの文章,限りない多くの思想,限りない多くの

他の物語りへと続いていくことができ「はてしない物語」を作りうる。そのことは人類のみが

獲得した,分節言語を駆使する能力,象徴能力に固有の特性である。それをエンデは本の物理

的な構成そのものの中に表現しようとしているのである。

 人は自分自身のことばで,世界の中の一つ一つの現象をオリジナルに分節し,名づけ,それ

を文章にし,物語りにすることによって,本当の自分自身となることができる。人間と言語の

深い関わりはその上うな事態を含んでいるということについては,別稿で論じた,宮沢賢治の

  15)作品においても指摘できる。

 また,あかがね色の活字(バスチアンの日常生活の現実)と緑色の活字(ファンタージェン

の物語り世界)の使い分けは,本全体としては次のような経過をたどる。

 あかがね色の活字で第一章の直前まで続く導入部の冒頭は,古書店の内側から見たガラス戸

に二行に書かれた[古書店・カール・コンラート・コレアンダー]という文字の裏側から見た

文字の提示である。この象徴的な導人は,常に表側,表面,日常的な現実の側から物を見たり

考えたりする視点を,最初から逆転し,裏側から,非現実あるいはファンタジー世界から見る

という作者の視点を提示している。

 H月の冷い雨の降る朝,いじめつ子に追いかけられてコレアンダーさんの店に逃げ込んだ少

年バスチアンは氏の聞くままに,自分は最近ほを失ってから父と疎遠になっていること,スポ

ーツも勉強もまるでダメでみんなにいじめられていることなどを話す。コレアンダー氏が電話

に出るために席を外したすきに,他のことはダメだが本きちがいといえるほど物語り好きのバ

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Page 12: 日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國 …矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界 て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。第一傘

追大人間学部紀要 創刊号

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            矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

スチアンは,その魅力にたえられず『はてしない物語』というあかがね色の本を盗み出し,学

校に行くが,遅刻してしまう。遅れて教室に入るのもおっくうとなった少年は,だれも来ない

学校の物置部屋に入り込み,その『はてしない物語』を読み始める。ここまでは,最後のセン

テンスの中の本の題名をのぞいて,すべてあかがね色の活字で書かれている。(原著,pp。5-16,

訳pp。9 -25)

 I ファンタージェンの危機から, XII さすらい山の古老の終りまでの間は,物置部屋で本

を読んでいるバスチアンの日常的現実があかがね色で描かれ,少年が読み進む物語り,ファン

タージェンの危機を救うために選ばれて冒険の旅に出る草人族の少年アトレーユの物語りが緑

色活字で記述される。

 この,二色の活字で描き分けられる二つの世界は,交互に進行していくうちに,交流を始め

る。この交流の中で,虚無の拡大によって侵蝕されていくファンタージェンの危機を救うこと

のできるのは,女王幼なごころの君に新しい名前をさしあげることのできる人間の子供が,フ

ァンタージェンの世界にやってくることであり,その子供とはまさにこの本を読んでいる少年

バスチアンその人に他ならないということが次第に明らかにされてゆく。自分の容貌や能力に

自信のないバスチアンは,彼が思いついた女王の新しい名前(月の子)を叫びさえすればよい

のに,ためらい続け,フアンクージェンヘの移行がなかなかできない。そのために女王自身が,

さすらい山の古老をたずねて,バスチアンが古書店に逃げ込むところから始るこの物語りを,

何度でも初めから語り書き続けるという「はてしない」作業をさせることによって,バスチア

ンをよびよせようとする。ここまでの記述は,二色の活字が交互に用いられて二つの世界の交

流を描き分けている。(原著pp.17-190,訳pp.25-268)

 バスチアンがファンクージェンに移行した後XIII 夜の森ペレリンの章の始めから, XXVI

生命の水の章で,彼が現実世界にもどるまでの長い長いファンタージェンでの冒険の部分は全

部緑色活字で記述されている。(原著pp.191-419,訳pp.269-576)

 現実世界にもどったバスチアンが父親との信愛関係を新に作り出し,コレアンダー氏とファ

ンクージェンに行ってまたもどってくる経験についての対話をして,自分の経験の意味を確認

する終章まではあかがね色活字のみで書かれている。(原著pp。419-428,訳pp.576-589)

 このようにエンデは活字の色を使いわけることによって,日常的現実の世界とファンタジー

世界の区分と交流を美事に描き出す工夫をしているのである。

 II 物語りの錯図構造(物語りの中の物語り)

 エンデの『はてしない物語』という作品はシェイクスピアの『ハムレット』や井上ひさしの

 『珍訳聖書』などの劇中劇,セルバンテスの『ドン・キホーテ』のような小説中小説,上方落

語の『天狗裁き』のような夢中夢などの作品に見られる,多元的リアリティの錯図化が仕組ま

-137-

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                鶏大人間学部紀要 創刊号

れている物語りである。この作品の錯図構造は第8図のように表現できる。

 一番外の枠は,著者であるエンデと,その原著あるいは訳本を読江不特定多数の読者が属

している1979年以降の現代社会の現実である。この物語りはすでに世界中の23のことばに訳さ

れているので,その拡りは現代の地球社会の全体にまで及ぶ。またこの本が将来どのような年

月の延長にわたって読まれ続けるかを予想すると,この作品のもつ時間的視野は,そのテーマ

の重要性からして, 21世紀にはますます影響力をもつようになるだろうことは問違いがない。

このような空間と時間の拡がりにわたる地球社会の読者に向けて, 1979年にエンデは『はてし

ない物語』という作品を通して,「日常生活の現実」と「ファンタジー世界の現実」との問の正

しい相互関係のおり方という,人間にとって普遍的なテーマについてのメッセージを表明した

のである。これがこの作品全体(図1)が成立つ最も基本的な背景(地1)である。

 ドイツ語の原著から23の言語に訳された訳本はそれぞれの訳者の資質やその属する言語や文

化による変容をこうむっだ,図1(原著)の翻訳版(図1 -訳の1から23まで)である。

 Hiは,物理的存在としては,あかがね色の表紙をもった『はてしない物託jという書物で

あり,意味内容においては,その中に印刷されている挿絵や二色の活字で描き分けられている

物語りの全体である。このように設定された物語りの全体とい引11 =地2の中に錯図的に,

第8図 『はてしない物語』の錯図構造

主人公バスチアンの

  日常生活の現実

(あかがね色活字)

 出訪生活

図2 地3)

図n

主人公が物語を読むことによ

って移行するフアンタージェ

ンの世界

移行

還帰

(緑活字)

 フアンタージェン

図3

の中の冒険

図n 図n

図卜訳(地2 一訳)各国語に訳された訳本23のことば

図バ地2)『はてしない物語』という作品(原著)

地1 エンデと読者が生きる20世紀末の現代社会

エンデの

メッセージ不特定の

世界中の

読者

(矢谷を含む)

読者の読む

という体験

-138-

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             矢谷:叩常的生活世界とファンタジー世界

その中で主人公バスチアンが経験している日常生活の現実が図2として描かれ,バスチアンが

熱中して深く物語りを読むことによって,遂にその中に移行してしまうに至るファンターリエ

ンの世界は図3として位置づけられる構造になっている。

 物語りの中の少年バスチアンは古書店から『はてしない物語!という本を盗み出し,みんな

から隠れて学校の物置部屋の中でその本を読む。このバスチアン少年が生きている日常生活の

現実は,最近母親をなくして後,歯科技工師の父親とほとんど話ができなくなっており,でぶ

でX字脚でおく病な性格と,勉強もスポーツもからきしダメなことから,友達だけでなく先生

かちからもバカにされていると自ら思オつざるを得ない,さえない日常生活の現実である。

 この物語の中であかがね色活字で描かれている空間は,彼の家とコレアンダー氏の古書店と,

隠れ込んだ学校の物置部屋と授業か行われている下の教室の空間のみである。

 時間については, 11月の待降節の第一日曜の前日の上曜日の朝の登校途中の剛間から,学校

の近くの塔の時計が朝の9時から夜の12時を打つまでの,二色の活字で交互に描かれる,図2

と図3の交流の時間が第1の区切りである。夜の12時に,「月の子,今ゆきます」と叫んでバス

チアンが完全にファンターリエンの世界(回I 3 )に移行して,長い長い冒険を経験しか後,生

命の水を飲んで再び日常生活の現実にもどるまでの,緑色活字のみで描かれている時間は,日

常的現実の尺度では,実は土曜の夜の12時から日曜の朝の911寺までであった。学校の物置部屋

から家に帰り父との再会と和解を果し,数時間かかって経験したことを父に話し終ったのは目

曜日の夕闇がせまる頃であった。翌朝(月曜「|」父は仕事を休みバスチアンは学校を休んで,

その日を二こ人の特別な日とすることを約束し,その前に,古書店に行ってコレアンダー氏に二

時間以上も経験しかことを話し,日常生活の現実とファンタジー世界との正しい関係について

確認しあって店を出だのが月曜日の昼前ごろであった。

 つまり日常生活の現実の尺度でいうと,この物語は,上曜日の朝9時前ごろから月曜日の昼

前までの,わずか二昼夜余り(約51時間)のことのみが描かれていることになる。

 しかし上曜日の朝9時から夜12時まで物語りを読むという行為を通して関わり, 12時以降は

実際にその中に入り込んでしまったファンタージェンの現実(図3)の中で経験された時間と

空間は,日常生活の現実におけるそれとは全く質を異にしている。その差異についてはIIIとIV

の節で述べる。

 ここでもう一つ指摘しておきたいことは,物語の錯図構造は実は理論的には[はてしなく]

重ねられうることを,エンデがこの本の各所で指摘していることである。それはこの作品の11

力所で「けれどもこれは別の物語,いつかまた別のときにはなすことにしよう」と書かれてい

る部分である。

 これは第8図においては図nと小さく描かれているものである。一つの物語りには必ずその

物語り力l語られるのがふさオつしい文脈と展開かおるのだから,一つの物語りですべてのことを

-づ39-

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                追大人間学部紀要 創刊号

一度に語り尽すことはできない。一つの物語の中にさえ,他の多くの語るのに価する物語りの

種子(構成要素)が含まれており,それは多くの他の物語りへとつながっていく。したがって,

目下語りつつある物語りを語り終えるためには,それらの興味深い構成要素については「けれ

どもこれは別の物語,いつかまたはなすことにしよう」ということによって,それをいま語る

ことは禁欲しなければならない。およそ物語るという行為と言葉による表現自体が,多くの要

素を一度に語り尽すということを不可能とするような, polithetic(多段階的)な,一歩一歩展

開するしかない時間的,線型的な構造をもっているのである。と同時に,一つの物語りを語る

ことは,他の多くの物語りを可能性として含んでおり,決して完結することのない「はてしな

い物語」へとつながっていることをも示している。

 この言語表現の,一歩一歩,最初の単語から次の単語へ,前の文から後の文へと展開するし

かないpolitheticな構造に対して,空間的な図式的絵画的表現は, monothetic (単一視野の

もと)に,多くのものを一度に提示しうるという特性をもつ。

 例えば密教のマンダラの図は,人間の精神や肉体を含めたトータルな救済に関わる,考えう

る限りの多数の要素を象徴的な表現で同じ一つの図の中に同時に提示しているものである。こ

れは人間がmonotheticな空間的図式的表現と, politheticな時間的,線型的な言語や音楽によ

る表現という対極的な表現形式を持っていることを示している。

 この『はてしない物語』においては各章の冒頭にそえられている飾り文字と挿し絵が,その

章のpolitheticなことばによる表現に対して, monotheticな絵画による表現の部分を担ってい

る。二つの表現形式が組み合されているのである。

 表現におけるMonotheticとPolitheticの区分とその相互関係の問題は,人間の経験可能性

の全体を表現する表現形式や感受形式,伝達形式や解釈形式の問題に深くかかわり,別に一個

の論述を必要とするので,ここでは問題を指摘するのみに止めたい。

                   18) m 日常生活の現実-シュッツの規定とエンデの描くバスチアンの日常的現実

 AH,シュッツによれば日常生活の現実を特徴づける意識の緊張の様式は,はっきりと目覚

めていること(wide-awakenness)と生活への充全な注意(full attentiveness)である。した

がって日常生活の現実は,「常識的な態度の中で,はっきりと目覚めた正常な成人が単純に自明

として生きている現実」と定義される。この現実の中に生きている人間が世界に対してとる態

度は自然的態度(natural attitude)とよばれる。

  rはてしない物語』に描かれた,バスチアン少年の日常生活の現実を特徴づける意識の緊張

の様式は,彼が少年であって成人ではないという留保をつけるならば,ほぼ上記のシュッツの

規定にあてはまる。彼は彼の年令の少年が通常もつ「はっきりと目覚めていること」と「生活

への注意」という意識の緊張の様式をあかがね色の活字で描写されている部分では明確に示し

-140 -

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矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

ている。いじめつ子だちから逃げて,コレアンダー氏の古書屋に逃げ込むのも,氏が電話に出

ているすきに本を盗み出すのも,だれにも見つからない場所として学校の物置部屋を選択する

のも,そこで本を読む間に下の教室でどんな授業が行われているかを考えることも,途中で空

腹になってパンを食べたり,小使がしたくなって,だれにも見つがらぬように便所へ行くのも,

すべて「はっきりと目覚めて,生活への充全な注意を向ける」意識の緊張の様式を示している。

バスチアン少年も成人と同じような「自然的態度」を保持しているが,本を読み進むという行

為を通して,次第に彼の「日常生活の現実」と「ファンタージェンの現実」の間に交流が起る

のである。

 そしてこのような交流を経験する能力,筆者が「子供の体験様式の中に見られるU.P.」と名

づけた能力は,近代化した日常生活の合理的意識の様式のみに閉じ込められている「近代人の

大人」が喪失してしまっているものなのである。それを回復しうるのは理念的な意味での真の

 「子どもの心(幼なごころ)」なのである。

 Aに),特有なエポケー(判断中止)の形式は,外的世界とその中の諸対象物がこれまであり,

現にあるように存在し続けるということへの懐疑である。現に慣れ親しんでいるような世界の

実在性への信念が自明として持たれ,「そもそも世界や人間は実在するのか,なぜいかに実在す

るのか」といった疑問を持つこと,問題化することが判断中止されている。このような問は科

学や哲学や宗教や芸術がそれぞれの世界に特有なし方で問題化し,取り組んでいる。だが,日

常生活をスムーズに抜け目なく営むというプラグマチックな態度にとっては,そのような問題

にこだわって,稀少な時間とエネルギーを費すことは不要であるばかりでなく有害なことであ

る。また日常生活の世界は,常識的な知識を構成する特有な典型化の体系と妥当性の体系をも

っており,それらは日常言語の体系の中に最もよく表現されている。

 自らが属する現実について疑わないという日常生活の現実に特有のエポケーは,バスチアン

が物語りを読み進み,ファンタジー世界の現実との交流が始るにつれて,だんだん疑わしくな

    モンデンキンドるが,「月の子,いきます」と叫んでファンタージェンヘ移行する時点までは保持されている。

しかし彼のこの移行は,アトレーユの冒険のみでは果たされず,女王幼なごころの君の側での

最後の手段としての,さすらい山の古老を訪問するという行為を必要とする程困難なものであ

った。逆に言えばバスチアン少年の日常生活の現実への固執,懐疑のエポケーはそれ程強力で

あったことになる。ファンクージェンヘの移行が決定的になされた後においては,日常生活の

現実の秩序そのものがエポケーされ,ファンクージェンの現実にリアリティのアクセントが置

かれ,その現実が生きられることになる。

 A目 自発性(spontaneity)の形式は,外界に対して自分の身体活動でもって直接働きかけ

歯車をかませる(gear in to the world)行為(action)である。人間は世界の中に(in it),

世界に条件づけられて生きるしかないが,同時に前もって予想された企図(project)や主観的

-

1羽-

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                追大人同学部紀要 創刊号

に思われた意味にもとづいて,世界に対して(upon it)働きかけ,世界を変化させること,行

為することができる。さらに,なされた行為は現実世界の中で何らかの取消し不可能な結果を

生むから,行為には責任がともなうことになる。

 シュッツが自発性の形式について以上述べていることは,身体,行為,空間的構造の三項に

分けてより詳細な形で整理しておく方が有効である。

 日常的現実における身体は,夜になると眠らねばならず,食べたり飲んだりしないと維持で

きないし,飲食すれば必ず排泄行為をしなければならない。病気になったり,ヶガをしたり,

セックスをしたり,人前では衣服でおおわねばならない。そして最終的には必ず死に至るよう

な生身の身体である。その上うな身体をもって直接外界に働きかける行為は「はっきりと目見

めた」「生活への充全な注意」という意識の緊張の様式によって行われねばならない。

 日常生活の現実を構成する空間的構造は,近代社会においては,ニュートン物理学が仮定す

る無限に分割したり延長することが可能な等質三次元空間の観念の世俗化版であり,地動説の

観念,地球が球形であり太陽のまわりを公転し,その地球のまわりを月や人工衛生が周期運動

をしてまかっているといったことが常識化されている。しかし一一方では,太陽は東から昇り西

に落ちる(天動説)。自分の身体を中心に決定される上下,左右,前後はそれぞれユニ体にとって

の意味や価値を異にする(非等質的意味空間),などのより原初的な生きられた空間分節や空間

体験も常識的な自然的態度の中に取り込まれている。

 多元的リアリティを比較考察する上で,身体,行為,空間構造の問題はシュッツが自発|生の

形式という形で一括して取り扱った以上に,より精密に区分して分析することが必要でもあり,

有効でもある観点となる。

 演劇の現実にしろ,さまざまなジャンルの芸術表現の世界にしろ,種々のスポーツの現実に

しろ,宗教儀礼の現実にしろ,それぞれの現実が成立したり,実行されたりする空間形式や秩

序の確保が決定的な重要性をもっているからである。そのことは日常生活の現実の空間から,

劇場空間,野球場や競技場,教会や寺院や神域などとして区分されたり結界される形でのみ,

物理学的には等質であるはずの空間が,各々のリアリティに特有の生きられた空間,相互に異

質な意味空間へと変容させられることの中に観察される。

 バスチアンの日常生活の現実における身体,空間構造,行為に関しては以下のように特性づ

けることができる。少年はちびでデブでX字脚で,青白い顔色をした,さえない身体の持ち主

である。いじめつ子からだけでなく教師だちからもバカにされているような,スポーツという

行為やヶンカという行為においても,勉強というperformanceにおいても劣等であるような行

為者であった。それはファンク一一ジェンに移行してからの彼の身体や行為の上での大きな「変

身」と著しい対照をなす。

 また前述したように,あかがね色活字で記述されたバスチアンの日常的な現実における空間

-142 -

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             矢谷:目常的生活世界とファンタジー世界

は,家と古書店と学校と物置部屋の,ごく限られた,日常的三次元的空間範囲にとどまってい

る。彼が物置部屋でした最大の行為は,『はてしない物語』を熱中して読むという行為であった

が,その行為は空腹や尿意や寒さや暗さによって,しばしば中断された。

 しかしやがて彼の,物語の世界「ファンタージェンの現実」への関心は,単に物語りを読む

という段階をこえて深まってゆき,遂にそこへの「移行」が起る程の密度あるいは深度となる。

それは通常の「日常生活の現実にリアリティのアクセントをおいた多元的リアリティのルーテ

ィン化的経験」しかしない人間,「決してファンタージェンに行けない又顛」の日常化された読

むという行為とは質的に異なる深い体験である。

 A四[]常生活の現実を生きる人間がその中で経験する自己ぱOn Multiple Reality" にお

いては部分的な一側面における自己(partial Self)ではなく,全体的な自己(total Self)であ

るとされ,“The Structures of Life World≒こおいては,多様な役割の観念からする,社会的

に規定された個性(Me)と自由な行為主体としての自我(I)の二重性として規定されている。そ

して目常生活の現実以外の他の諸現実を生きる自己は,空想世界の自己も夢の中で経験される

自己も,科学的思考を行う自己も,それぞれの経験様式に特有な部分的自己(Me)にすぎないと

されている。

 ここでシュッツは自己経験のおり方に関して,全体的自己と部分的自己という等差づけを行

っていることになり,日常生活の現実が第一次的,基礎的現実であり,その他の諸現実は第二

次的,派生的現実であるという,現実間の階㈲的差異化を行っていることになる。

 しかし,禅の十牛図の第十人塵垂手や宮沢賢治の四次元芸術の構想の例におけるように,よ

り深く経験された真正の宗教的リアリティや芸術的リアリティにおいては,そこで実現され,

経験される自己の方が,日常生活の現実における自己よりもより真実のトータルな自己である

という逆転が起こりうる。それはリアリティ経験の「深さの次元」の問題に関わる。それは「宗

教や芸術の超越的現実にリアリティのアクセントをおいた日常生活の現実のルーティン化」の

次元である。

 エンデの『はてしない物語』が提示しているのは,このような「より深い真正な」ファンタ

ジー世界への移行と日常生活世界への再環帰であり,このような真正の移行と再環帰によって

のみ達成される人間の成長と日常生活の現実の変容のテーマなのである。

 バスチアン少年が日常的現実の中で経験している自己は,さえない身体的特徴と,スポーツ,

勉強能力しかもだない「いじめられっ子の」「コンプレックスをもっだ自己」でしかない。家族

関係においても,最近母をなくし,「父さんはボクのことなんかいないほうがよいと思っている」

と感じているような「ボク」である。コレアンダー氏の古書店から本を盗み出し,遅刻した学

校のクラスへ出席することも出来ず,だれにも見つからない物置部屋にかくれて『はてしない

物語』に読みふけるような,なさけない「ボク」である。

-!43-

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                追大人間学部紀要 創刊号

 このような自己規定はシュッツの言うようなTotal Self とはいえない。そしておそらく,

我々の多くの「日常生活の現実の中の自己」は真の自己としてのTotal Self とは言えないので

ある。これはシュッツの理論と大きく相違する点である。

 むしろ感受性の鋭い個体は「日常生活の現実の中の自己」を本来的なトータルな自己として

受け容れることができない。それは役割を強制されている自分,本来の自分とは思えない自分,

レッテルを他人からはられている自分,仮の自分であって,本来の自分でないと感じているよ

うな自分であることの方が多い。

 エンデがバスチアン少年の物語りとして,この物語りを語るとき,問題にしているのは,フ

ァンタージェンの世界に移行し環帰する前の,彼の日常生活の現実の中の自己は,彼本来の自

己ではなく「コンプレックスにとらわれ,人を愛することができなくなっている部分的な自己」

なのである。このことはバスチアンのみならず,すべての「近代的日常生活の現実を生きる老

若男女である我々自身についても」あてはまることである。我々は果して,近代的な日常生活

の中で「トータルな自己」として生き生きと生活していると言えるのだろうか。

 A(E) 日常生活の現実を特性づける社会性,他者との関わりのおり方は,相互伝達と社会的

相互行為が行われる相互主観的(inter-subjective)な世界を他者と共有していることと,自分

と同じような意識によって住まわれている身体をもっだ主体としての他者との,直接的及び間

接的な社会関係である。我々は日常生活の直接的なface to faceのわれわれ関係(Um-Welt

Werelation)の中においてのみ,本来的な相互コミュニケーションを行うことができ,私の内

的時回(持続)と他者のそれが一つの時間の中で同調する,生き生きとした現在(vivid present)

の中で本来的で直接的な社会関係をもつことができる。その他のあらゆる間接的な社会関係の

世界(Mitwelt, Vorwelt, Folgeweit)は,この第一次的な直接的社会関係に支えられてのみ成

立し,そこから派生した二次的な社会関係である。

 このシュッツの規定は重要である。近代社会が人と人との直接的な社会関係を,真のいま,

ここ,におけるトータルな出合いから疎外し,その関わりの豊かさや根源性をやせ細らせ,幾

重にも間接化し,抽象化してしまったことが問題なのである。それはエンデの近代批判,日常

生活の現実とファンタジー世界との正しい関係の喪失(U.P.の喪失),一方の世界での虚無の拡

大が,他方の世界での虚偽の拡大になりつつあるという危機の指摘と連なっているという問題

である。しかしこの方向での疎外論の展開をシュッツは行なっていない。

 バスチアン少年の日常生活の現実の中で持っている社会性,他者との関わりのおり方は,フ

ァンクージェンヘの移行とそこからの環帰という出来事の前後では明白に異なっている。

 移行する前のバスチアンは,父と話ができず,人を愛せず,友達や先生からいじめられ逃げ

てばかりいる,コンプレックスのかたまりの少年だった。コレアンダー氏との関係仏彼の本

を盗んだ負い目を第一の規定とするような関係でしかない。

-144-

Page 21: 日常的生活世界とファンタジー世界 矢谷慈國 …矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界 て,来るべき21世紀の世界への展望を提示したい。第一傘

             矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

 フアンタージエンヘの移行と現実への還帰を果した後のバスチアンは,父と和解し愛と信頼

の関係をEl復し,コレアンダー氏と日常の現実とファンタジーの現実との関係の正しいおりブブ

について,共通の見解を持ちうる程に成長した少年である。よりトータルな自己経験と他者経

験ができるようにまで成長した人間となっている。父とも,コレアンダー氏とも,自己の体験

を語りあい,それを了解してもらい,共通の見解をもちうるような真正のコミュニケーション

ができるような,真のここ,いま,我と汝の関係を達成している。そして,日常の現実とファ

ンタジーの現実をともに豊かにし,生かしうるような「向うに行って,ちゃんと帰って来るこ

とのできる人間どうしの社会関係,コミュニケーション関係」を作りあげている。

 A ㈲ 日常生活の現実の時間的視 野はシュッツによれば,生きられた内的持続の時間と世

界時間の出合いによって成立つ標準時間である。この標準時間という性格づけは,より詳細な

分析を必要とする。それは近代社会の我々が経験している標準時間と,近代以前の社会や異な

る文化の中で生きられ経験されている標準時間とは異なるからである。この問題は「社会的時

間の多様性」として別個の論述を必要とする。

 また近代社会に生きる我々の時間的視野に関しては,まず第一に,我々の日常生活の現実に

おける時間は,宇宙史的時間,地球史的生物進化史的時間の継起(約150億年)のあと,人類史

的社会進化史的時間は,先史時代を含めてもわずか数万年,記録された歴史的時間においては

わずか数千年に過ぎないことを確認しておかねばならない。。

 その上で,古代であれ近代社会を生きる我々であれ,人間は誕生から死に至る数十年から百

年に満たぬ自らの[生活史的時間]を生きている。この自らの生活史的時間の中で,我々が意

識的自覚的存在になるのは生後数年の後であり,それ以前は,乳幼児の自覚的明瞭意識以前の

趾にしかないし,我々の個体としての究極的な始りである自らの出生を記憶してはいない。こ

           29)こに「自覚の後至性の体験」の原理が確認されるべきである。自覚を持って以後の我々の人生

の時間については,自らの過去の記憶と,その意味づけと,未来への計画や企図とを,ここ,

いまの現在の意識的決定や選択によって結合しているような時間である。さらに自覚以前的,

前述語的な,過去把持(retention),未来予持(protention),現在の印象(impression)など

の時間体験が働いているような「生きられた時間の網状構造」力i経験されている。

 宇宙生成史的時間や地球生成史,生物進化史的時間の中に,人類史的時間を位置づけなけれ

ばならないし,人類史的時間の中に,その各々の段階に生きた,現に生きている,将来生きる

であろう人間主体の生活史的時間を位置づけねばならない。

 そのように位置づけられた個人の生活史的時間という持続にとっては,制度化された超越的

リアリティの時間は,より限定的であるという特徴をもつ。例えば演劇の時間は,開幕から閉

幕までの限定され,完結した時間として設定されることによって成立する。人生の時間よりも

一一145-

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                追大人間学部紀要 創刊号

ずっと短い, 2~3時間の始めと終りが明確であるような完結した時間,あるいは試合のラウ

ンドや回数の一定の時間として設定されることによって,一つの劇,一つのコンサート,一つ

のスポーツ試合,一つのゲーム,一つの宗教儀式が,物理学的には均質な時間の連続の中から,

あるいは一日,一週,一月,一年といった暦制と年中行事の制度によって分節された社会的時

間の連続の中から区分され,それと名づけられて成立する。

 個人の生活史的時間も,幼児期から老年期までとか,各段階の学校の年限とか,入社から停

年までの一定年数とかの形で分節されている。しかし,生活史的時間は,その中にどのような

分節を課そうとも,死ぬまで持続するのに対して,他の多元的リアリティの時間は一つの劇の

開幕から閉幕までのように,よ引限定された完結した時間として設定されざるを得ないのであ

る。

 一つの芝居が,一一組の男女の愛の事件を扱い,遂に二人は結ばれるというハッピーエンドで

幕が下りれば,芝居としては完結してしまう。しかし,生身の人生を生きる男女の生活は死ぬ

までは幕にならず,ハッピーエンドで結ばれた,という人生の区切りはあるにしても,その次

の瞬間から二人の日常生活の現実を継続しなければならない。即ち,人間の日常生活の現実の

持続,生活史的時間の持続は,他の超越的リアリティのような意味づけられた完結性を持たな

いのであり,その個体の死に至るまでその意味づけは末完結でオープンなままに持続するとい

う特性をもつのである。

 バスチアンの日常生活の現実の中での時間的秩序は,前述したように,土曜日の朝から月曜

日の昼前までの約51時間程である。しかもそれは「塔の時計が10時を打った」とか,「今印は待

降節の第一日曜日だ」とかいうように,明確な分節をもっか日常生活の時間である。

 しかし,バスチアンが熱中して読み,読み進む中で移行した「ファンタージェンの世界にお

ける時間」は「四次元的な時空連続体」と言ってもよいような時間秩序である。

 けれども,バスチアンはこのような物置世界への移行と日常的現実への還帰を経験した後に

も,彼の人生の生活史的時間を生さればならないことにおいては,幕カrドりて一つの劇が終っ

たあとも,主人公の人生の時間は持続していくという,同じ生活史的時間秩序のもとにあるこ

とになる。

 この日常の現実からファンタジーの現実への移行と,ファンタジー世界の中での数々の冒険

と,その後の日常生活の現実への再還帰の間に,バスチアンは人間としての成長を遂げており,

物語り世界の経験を経由して成長した人間として,その後の日常生活の時回を,それ以前とは

別のように生きるようになることが,まさにエンデの描きたかったことなのである。

                              32)

IV ファンタジー世界の現実-シュッツの記述とバスチアンの経験したファンタージエン

   の現実

-1祁-

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             矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

 BH シュッツによれば空想の世界における意識の緊張の様式は,日常生活における意識の

緊張からの撤退,緊張の減少によって特徴づけられる。空哲世界の現実にリアリティのアクセ

ントを置き続けることができるためには,一方では日常生活の現実における「はっきりと目覚

めて,生活に充全な注意を向ける」という意識の緊張の様式はさしひかえられ,撤退されなけ

ればならない。他方ではしかし,空想世界の現実に対して充全な注意が集中されなければなら

ない。物語りを読むことによって,劇を観ることによって,音楽に聴き入ることによって,各々

の空想世界の現実の秩序へとリアリティのアクセントを移行させ,次第に深くその現実が構成

されている秩序あるいは意味的世界へと意識の緊張の様式を同調させなければならない。

 バスチアンは[はてしない物語]を読み続けることによって,日常的現実への意識の緊張を

徐々に後退させてゆき,遂に物語の世界そのものの中に移行してしまうに至る。しかしそこに

至るプロセスの中では,時計の音や,空腹や尿意や父が心配しているのではないかという懸念

や部屋が暗くなって本が読みづらくなったので燭台にローソクをつけるなどの,日常的現実へ

の緊張や注意によって,ファンタージェンの現実への注意と意識の緊張はしばしば中断される。

その様子をエンデはあかがね色活字での記述と緑色活字での記述を交互に交代させることで美

事に描き分けている。

 エンデは物語りを読むという行為を通しての,日常の現実からファンタージェンの世界への

移行と還帰をこの物語りのテーマとしているが,通常の読書行為では,バスチアンが経験した

ような徹底的でトータルな身体も含めた現実そのものの移行は経験されることはない。それは

禅の十牛図や宮沢賢治の四次元芸術の構想や使徒行伝におけるパウロの回心の記述などにのみ

表現されている徹底的な移行である。

 しかしバスチアンが決定的にファンタージェンに移行した後においては,日常生活の現実へ

の注意や意識の緊張は,アウリンの力を一回使う度に次第に失われていく[記皿]という形で

しか残らない。そしてバスチアンの意識の緊張と注意のすべてはファンタージェンの世界で出

合う数々の経験や冒険に向けられるようになる。

 Bに)シュッツによれば空想世界の現実における特有のエポケーの様式は,日常生活の現実

における外的世界とその中の対象物の存在とその頑固な秩序がエポケーされ,空想世界の秩序

は,空想者の自由裁量によって可変的であることが特徴的である。

 バスチアンが経験したファンタージェンの世界の秩序は空想者(作者エンデ)の自由裁量に

よって決定されたものである。そして主人公バスチアンは彼自身が[名前をつけること]や[物

語りを作ること]によって現実の秩序が決定されるような世界を経験するのである。そこでは

日常生活の現実がもつ時間や空間の秩序,人物や存在者たちの秩序,美醜善悪の価値秩序など

はすべてエポケーされ独自のフアンクージェンの世界の秩序が作者によって設定されている。

 B目 シュッツの規定では空想世界の自発注の様式は,抵抗する頑固な外界に側きかけそれ

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                追大人同学部紀要 創刊号

を実用的に変えたり利用したりするというプラグマチックな動機から自由になっている,自由

に空想し,空想世界の現実を生きる主体がもつ自発陸である。と同時に空想が空想にとどまる

限り,それを日常生活の現実の中で実現しようとする意志を欠いているような,空想世界の中

でのみ妥当するような自発性である。シュッツは日常生活の中での行為には,取消し不可能な

結果がともなうから,行為には責任が問われること,日常生活の中で行われる,未来に対する

空想や計画や企図は,行為者によって日常の現実の中で実現すべきこととしての「思われた意

味」を構成することを述べている。その意味でシュッツは日常生活の現実の中で行われる空想

と空言世界の中での行為とを,はっきりと区分する立場に立っている。

 しかし古代人にとっては空を飛ぶことは空想にすぎなかったが,現代人にとっては日常生活

のありふれた現実となっていることや,中世の日本人にとって,身分をこえた結婚や職業選択

や住居の移動が,ほとんど例外的にしか可能でない空想でしかなかったことであっだのが,現

代人にとっては憲法に保障された基本的人権の内容となっているように,空位世界の現実と日

常生活の現実の関係は人類社会の進化段階や技術的達成の程度によって大幅に変化しうるもの

である。

 むしろ20世紀末の現代に生きる我々は「ブルカニロ博士の地理と歴史の辞典(案)」に示され

たような日日いU.P.の回復と新しいU.P。の形成による,三角形4-Bのような人間社会]のお

り方を,実現の意志をもっだ企図や計画として模索すべき時代に直面しているのである。

 それは,人間と自然,個人と社会,精神と身体を二元的に分割して取り扱うことによって成

立してきた西欧近代社会の枠組を克服して,それらの一体連続を実現することを原理とするよ

うな新しいU.P.にもとづく社会であり,機能的に分化された多元的リアリティのルーティン化

的統合ではなく,賢治の四次元芸術の構想が描くような丿新しいU.P.にもとべく多元的リアリ

ティのより高次で真正な統合」が実現されるような社会である。その上うな現実世界と空想世

界の関係を考える上でエンデのこの物語は多くの示唆を我々に与えてくれる。

 自発匪の様式の中に,身体,行為,空間構造を含めて考察する筆者の立場からは,バスチア

ン少年が経験したファンクージェンの世界は以下のように特徴づけられる。

 日常生活の現実の中ではバスチアンは,デブでX字脚でぶかっこうな身体をもつ少年であっ

た。しかしファンタージェンの世界でのバスチアンは「すらりとした驚くほどの美少年」であ

り,「誇り高く毅然とした姿勢,細面の気品にあふれた男らしい顔,東方の若い王子・のような姿」

に変身している。

 日常におけるバスチアンは勉強もスポーツもまるでダメでみんなからいじめられているみじ

めな行為者でしかなかったが,ファンクージェン世界では,名づけること,物語ることによっ

て現実を作り出すことができ,「色の砂漠の王のライオン,グラオグラーマン」を乗りこなした

り,「四人の勇士」を簡単に打ち負かすような英雄的な行為者である。

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             矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

 物語りに描かれている限りでのバスチアンの日常生活の空間は,家と古書店と学校と物置部

屋という限定された範囲でしがないが,ファンクージェン世界の空間は果しがなく,行為者の

意志によって方向や速度が決まり,怪物イグナムールのひと咬みで毒がまわって死ぬ一時間の

問にはファンタージェンのどこでも望む場所に行ける,というような,変幻自在の多彩かつ多

元的な空間である。

 エンデは,責任をともなう日常生活の現実における行為と,空想世界や舞台で演じられる行

為のちがい,及び芸術の中に含まれる治癒力について以下のように述べている。

  「あなたが街を歩いていて,向うの歩道でひとりの若者が女の人を殴っている所を見たとし

ます。と,その瞬間あなたは道徳的決断をせまられます。けれども芝居を見ていてオセロがデ

ズデモーナを殺すところを目にしてもそこに飛んでいく必要がないばかりかそれを楽しむこと

すらできる。その殺人をエンジョイするのです。つまりその瞬間あなたは完全に目常のモラル

の世界から脱けだして芸術の領域にはいりこんでいられます。芸術と日常とはまったく別のふ

たつの領域です。

 芸術とはつねに真,善,美を描きだしていなければならないとする考え……|よjEしくありま

せん。芸術はいつも醜いもの虚偽,悪を描いてきました。ゴヤの絵を思い出してください。あ

るいはミケランジェロ。ほんとうの芸術は耐えられないほどの悪や罪を描きます。悲劇の名作

なんかほんとうに耐えがたいものです。でもそれが舞台という魔術的な次元に移し加えられる

ことによって,ホメオパティー的方法(猛毒を何の毒にもならないほどにうすめて稀薄にした

ものを薬として使い,毒の潜在性を体に残すことにより逆に毒への対抗力を生ぜしめる)で観

客の中に逆方向の力を呼びさまします。観客をかえって健康にしてくれる力です。それが芸術

の秘密です。」

 このエンデの指摘は,責任をともなう日常生活の現実での行為と空想世界や舞合で演じられ

る行為(それが非道徳で醜い行為であっても)との根本的差異と,読者や観客に対してもつ芸

術の治癒力,人間をより人間らしくする力を説得力をもって説明している。

 しかし,エンデの『はてしない物語』という作品は,「いわば観客が舞台にとび上って舞台の

登場人物になり切ってしまい,その舞台で長々と演じたあと,そこからまた客席にもどる」と

いうように構成された芝居と同じ構造をもっているのである。

 B四 シュッツによれば,空想世界の自己経験の特有な様式は「自分が空想するどんな役割

でも自由に演ずることができる。しかしその役割は部分的自己(Me)でしかない。巨人にも小

人にもなれるが,それは意識によって住まわれた身体としての,生きた有機体の根源的規定の

範囲においてである」とされている。

 フアンタージェンにおけるバスチアンにはまさにこの規定があてはまる。彼はアウリンの力

によって,「美しくなりたい,力持になりたい,正真正銘の冒険に出あいたい,アトレーユに会

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                追大人間学部紀要 創刊号

いたい,武勇や物語り作者としての名声を博したい,賢明で知恵ある者になりたい,帝王にな

りたい」などの多くの望みをもち,それを実現していく。しかし作者エンデが主人公バスチア

ンに与えた役割は,アウリンに刻まれた文字「汝の欲することをなせ」の意味をほんとうに見

つけること,そのために数々の冒険をし,多くの苦難を経験する中で,「具体的な人間を愛する

ことができる」という「真の欲求,まことの意志」を獲得することであった。エンデがバスチ

アンに最終的に与えた役割は,物語り世界の中で自由に演じたいどんな役割でも演ずることが

できるという部分的自己(Me)ではなく,人を愛することのできる成長した全体的自己となる

ことであった。ここにこそこの物語のみならず優れた多くの作品の中の「自己経験」の様式の

独自性が見られるのであり,日常的現実は全体的自己,空言匪界は部分的自己(Me)というシ

ュッツのそれぞれの世界への自己経験の区分は,形式的,表面的な区分にとどまっているとい

うべきである。

 別の言い方をすると,近代化された日常生活の現実における自己経験の方が,社会的役割や

さまざまのコンプレックスによって制約された部分的自己(Me)なのであり,優れた物語りや

空想の世界は,その世界へと,真正の移行を果し,深くその世界を経験することができ,再び

日常生活の現実へと還帰することのできる読者を,より全体的な自己へと変容させる力を持っ

ているのである。

 このような,読者に全体的自己に目覚めさせる力を持った作品と,その作品を読む行為を通

して,日常的な非本来的自己のあり方に変化を受けるような読み方こそが,真正の「空想世界」

を成立させるのである。これはまさに先に引用した,エンデの述べる「芸術の治癒力」と通底

する。

 B(5) シュッツは空想世界における他者経験と社会性の様式を以下のように規定している。

 「空想世界は,弧立した個人においても(白日夢)共同の空想(子供のごっこ遊び)において

も成立する。そこでは社会関係そのものが空想の内容となることができ,空想する自己の社会

関係についての自由は,日常のそれと比べて極度に大きい。実在しない相手との空想的な相互

関係においては,その行為が私の空想に合致するだけでなく合致しない場合も含むほどである。

しかし空言世界で出合う他者は全体的人格としてではなく,典型化された部分的他者である。」

 この規定は『はてしない物語』に描かれているバスチアン(現実世界の少年)とファンター

ジェンの世界のさまざまな登場人物たち(女王幼ごころの君,アトレーユ,幸いの竜フッフー

ルなどなど)との関係によくあてはまる。これらすべての登場人物たちの特性や行動は,作者

の自由裁量によって作り出されたものであり,作者によって性格を附与されたものである限り

は,シュッツの言う意味での日常生活の現実を生きる全体的自己ではない。

 しかしシュッツが「実在しない相手との空想的な相互関係においては,その行為が私(空想

者)の空想と合致するだけでなく,合致しない場合も含むほどである」と述べている事態は。

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矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

優れた物語り作者と彼が作り出しか空想的登場人物との間にはしばしば起ることである。

 このような消息に筆者が気づいたのは「小説家はしばしば自分の作った虚構世界の人物が,

作者の意図をこえて一人歩きしはじめることを経験するということ,そしてそのような小説が

より本物の小説であること」を述べた遠藤周作氏のグハ午が最初であった。全く同様のことを宮

本輝氏も語っていたし,エンデ自身も次のように述べている。「私自身が作品中で解釈におちい

らないこと,それがじつはほんとうに困難なことでした。いけない,これでは説明になる,と

思われるところは捨てる,そういうふうに自分に禁じるのは,骨の折れることでした。なにし

ろ,すべてを知的に理解しよう,させようとする傾向は,現代の病いですからね。私はその傾

向を自身に厳禁し,私に見えてくる映像を追い,映像が動く方向に,虚心についていくだけに

しました。このやりかたを固く守らねばなりませんでした。すると映像がっれていった先で,

私自身ハッと驚く場面に出会うことがありました。」

 要するに,本当に優れた作品は「作者によって完全に作られ操作される虚構世界であって,

日常の現実とは別個の人工世界」という地位に止まらないのであり,作者の生きられた日常生

活と深い所で関わっており,それ故百パーセント作者の思い通りにならない,という日常生活

の現実の力を登場人物が作者の意図をこえて発揮しはじめるということも起るのである。この

ような,作者の意図をこえて動きはじめる登場人物が作り出し,作者は必死でその後を追いか

けるような作品,こそが真の創造的作品であり,作者の合理的計画や計算をこえた真の創造性

という神秘的な力が働いている作品,賢治のいう「無意識即からあふれ出る」作品なのである。

 第8図において箪者は,この『はてしない物語』力1成立する最も広く基本的な土合となる地

は,エンデという作者とその時空に拡がる広大な不特定の読者の属する現代社会であることを

示したが,実はあらゆる優れた作品が成立する「地」はまさに「作者と読者が共に生きている

現代社会」という地,さらには「人間の経験可能性の全体」を射程とするような地なのである。

そのような射程においては,近代の機能的に分化された日常と虚皆世界や芸術世界,宗教の世

界や他のあらゆる多元的リアリティの世界は「ともに人間によって生きられ経験される世界」

として,近代の設定した人工的境界をこえて交流しあうのである。それは賢治が「近代科学の

実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致において論じたい」と述べた時に,はっきりと

提示していた思考と感性の射程であり,賢治とは文化的,生活史的背景の異なるエンデが小さ

な差異をこえて基本的に一致できるであろう射程,自己を絶対化しないで「人間によって生き

られる経験可能性の全体」へと開かれていく思考と感性の射程なのである。

 B㈲ 空想世界の時間的視 野についてシュッツが述べていることは「時間の本来的な不可

逆性をのぞいて,日常的な標準時間の制約から自由である」ということである。

 前述したように,この物語で描かれているバスチアンの日常生活の時間は,あかがね色の活

字で記述された,まさに標準時間の土曜の朝から月曜の昼前までの51時間ほどである。しかし

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                追大人間学部紀要 創刊号

緑色活字で記述されたファンタージェンの世界の時間は,アトレーユの旅を描く前半において

も,バスチアンの経験を描く後半においても長い多くの事件を含んだ冒険に次ぐ冒険の日々で

ある。アトレーユが三つの神秘の門をくぐって,南のお告げ所ウユララのもとで過しか時間と,

それを待っていた隠者エンギウィツクの時間とはたった一晩と七日七晩のちがいを示してい

る。またバスチアンがアイウオーラおばさまの元で過した時間は,彼の愛され保護されたいと

いう自己が充分に充足され,自分の方から他人を愛したいというふうに人格的成長を遂げるに

至るまでに要する「主体によって生きられ経験される時間」であった。

 まさにそれらは,「時間の本来的な不可逆性をのぞいて,日常的な標準時間,あるいはニュー

トン特理学の等質絶対時間]の制約から自由であることが特徴的であるような自由自在の相対

性理論のいうような四次元的な時空間なのである。

第三章 日常生活の現実とファンタジー世界の正しい関わりのあり方

 シュッツは日常生活の現実から他の超越的現実(夢,空想,科学的思考の現実)への移行に

は,各々の現実に特有な象徴を媒介とした意識の緊張の様式のラジカルな変容,飛躍と,それ

に共なうショックが経験されると述べて39)。また,ある一つの現実が主体にとって現実とな

ることを「リアリティのアクセントづけ」とよんでぃる。さらにすべての超越的現実と対して

              パラマウントリアリティ            40)日常生活の現実がより基礎的で最高の現実である理由を以下の四点にわたって指摘している。

 aたとえ夢を見ていても身体が日常生活の外的世界に属していることによって,我々はそ

こから離れられないという身体の基礎づけ的性格(どんなに日常世界からかけ離れた夢を見て

いる間も,我々の現実的身体は日常生活の現実の中のペットの上にある)

 b.外的世界は我々の自由な行為の可能性の不可避の制約あるいは抵抗としての性格をもつ

こと(例えば暗くなると物語りの本が読めなくなるとか,空腹になると読書を中断して何か食

わねばおれなくなることなど)

 c外的世界は,我々の生きた身体の働きによって変化させることができ,我々の自由な行

為の可能性の展開の場,働きかけの向う対象世界としての性格をもつ(しかし,自由な行為は

行為主体が未だ実現していない未来の現実に対して,あらかじめ思われた意味・実現の意志を

もっかファンタジーや企図をもつことを必要とする)

 d.日常生活の現実の中でのみ他者と伝達しあうことができると共に,共通の包括的環境を

つくりあげることができるという,相互主観性の成立の究極的基盤であること。

 シュッツはこのように一方では日常生活の他の超越的現実に対する基礎づけ的性格を論じて

いる。しかし他方では,ある一つの超越的現実にリアリティのアクセントを置き,その中に生

きている主体にとっては,その現実こそがリアルなのであり,その現実の中の構成要素間の両

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             矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

立可能性と首尾一貫性が保持されているから,他の現実やその構成要素は非現実的と見なされ

ること,生きられた経験の様式=認知的様式の六個の枠組のすべてにわたって,他の現実とは

明確に区別される独自性,自律|生か経験されるので,異なる現実間を統合する統合原理や体系

的に変換する変換公式は存在しないと述べている。

 以上のようなシュッツの論理的に一貫しない論述は,筆者の立場からは第一章の各図で整理

したような修正を必要とするものであった。

 また筆者の考案しか,日常生活の現実と他の超越的現実の相互関係のおり方は以下の4点で

 42)ある。

 田 歩きながら(日常世界・地)歌をうたう(音楽世界・図)というような,ながら行動に

おける図地分節をともなった二つの現実の統合が日常的に成立っている。

 (2) El常生活の中で日常言語を使って昨夜聞いたコンサート(音楽世界)について論評した

り,コミュニケートしたりしうるという,日常言語による多元的リアリティの媒介機能。

 (3)学校の授業時間割やテレビの番組時間表のような形で,多元的なリアリティをスケジュ

ール的に分割したり組み合せたりできる。

 (4)近代的な機能的専門職業分業によって担われている多元的リアリティを専門家や専門機

関から,サービス商品として貨幣で自由に買い自由に消費享受するという,多元的リアリティ

                     43)の貨幣による購買と消費という原理による媒介。

 これらはいずれも「近代的な日常生活の現実にリアリティのアクセントを置いた,多元的リ

アリティの表層的ルーティン化的経験」として性格づけられる。それは一時的に日常とは異な

る,芸術や宗教,科学的思考やスポーツなどの超越的リアリティに移行し,それぞれの現実に

特有な経験の様式を享受したり消費したりした後,再び日常生活にたやすくもどってくる経験

である。それらには日常生活の現実にもどってきた後に何らの異化体験や人間的成長をもたら

さず,日常生活の現実に変化をもたらさないような,表層的でルーティン化的な移行でしかな

いのである。

 しかし,エンデがこの物語りの中で描くバスチアン少年の「移行」と「還帰」は第9図に示

すような意味づけと構造を示している。

 二つの世界での時間と空間,身体,行為,自己経験,他者経験の差異についてはすでに述べ

た。

 二つの世界の関係,それぞれの世界の住人の,その間の移行や環帰について,エンデはまず

人狼グモルクにアトレーユとの問答の中で次のように語らせている。グモルクとは人間の世界

の住人でもファンタージェンの住人でもない。自分の世界をもたない代わりに,いくつかの世

界をゆききできる「人間の世界じゃ人の姿をしているが人じゃない。ファンタージェンじゃこ

このものらしい姿(狼)になる」そういうものである。そしてグモルクは,「おれの仕えてるや

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誤った道

正しい道

      追大人間学部紀要 創行号

第9図 二つの世界の関わり,正しい道と誤った道

バスチアンの日常生活の現実 ファンタージェンの世界

時問:土曜の朝から印曜の昼前5]時間

空問:家,古書店,学校,物置部訳

自己経験:なさけないバスチアン

時問tフアンタージェンの,自由な空問丿四次元的時間,空間

変身したバスチアン

人間の世界での虚偽の増大一

人間世界での虚偽に生まれ変わる一

人間世界で虚偽を使って人間を支配しよ

うとしている人間

子どもの頭の中からファンタージェンを―

追い出そうとしている人間

ファンタージェンを滅亡させようとして-

いる人間(戦争,世界帝国,商品)

 (近代資本主義の原理)

①ファンタージェンに決して行けない大

 間

②ファンタージェンに行ったきりでもど一

 ってこない人間

③ファンタージェンに行ってもどってく-

 ることのできる人間の子供

(救いは人間界の側にある)

大を愛せるように成長して帰ってくる一

人間世界から虚偽が少なくなる_

こファンクージェンでの虚無の扮で大

一虚無にのみこまれたファンタージェンの

 生きものたち

-ファンタージェンに人間の子供がやって

 こなくなる。

-人狼グモルクを送ってァトレーュを殺そ

 うとする

-元帝王たちの都の住人

   女王幼ごころの君に新しい名前を

   さしあげるコ

さまざまな経験や冒険をする

と新しい名前によるファンタージェンの更

 新,栄え豊かになる

人間が見た,おぽえていない夢

忘れられた夢

-フアンタージェンの地下の絵の採堀坑に

 おさまる。全フアンクージェンは人問に

 よって忘れられた夢の基盤の上に成立つ

 ている

つら(人間世界の中の支配者)つてのがファンタージェンの滅亡をはかっているんだが,その

計画に危険が迫っているのに気づいた。一幼ごころの君が使者を派遣したのがわかったんだ

な。-そいつがどうやら人の子を一人,ファンタージェンに連れてくることに成功しそうな

ぐあいになってきたんだ。-それで,どうしても早いとこ,そいつを殺っちまわねばという

ことになった。-そこでファンタージェンのようすにくわしいおれがここへ送られたってわ

けよ」と述べているように,実は[ファンタージェンの滅亡を計画している人間の手下となっ

てアトレーユを殺そうとする刺客]であった。

 グモルクとは社会学的には一体何者なのかは,エンデの記述のみからは断定し難い。しかし

この物語の中では,アトレーユの冒険の最終部分で人間の世界とファンタージェンの世界の関

わりを述べる重要な役割を与えられているエンデの創造力の産物である。

 グモルクの語る二つの世界の関係は以下のようである。

 目下ファンクージェンに虚無が拡がっており,ファンタージェンの生きものがどんどん虚無

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             矢谷:出苓的生活世界とファンタジー世界

にのみ込まれて消失しつつある。虚無にのみ込まれたファンタージェンの住人たちは,人間の

世界では「虚偽」と「妄想」になる。「ところが人間というものを支配するのに虚偽くらい強い

ものはないから,虚偽を使って人間をあやつり支配する大間たちが存在する。彼らは虚偽を使

って,大にいりもしないものを買わせたり,知らないものを憎んだり,盲目的に信じ込んだり,

救いであるはずのものを疑ったりさせ,戦争をおっぱじめたり,世界帝国をつくったりする」。

彼らは「子どもの頭の中からファンタージェンをすっかりたたき出す」ことによって「ファン

タージェンの政亡をはかっている皿つまり幼なごころの君に新しい名前をさしあげようとファ

ンタージェンにやってくる人間が一人もいなく]しようとしている。それを聞いてアトレーユ

は「ファンクージェンに虚無が拡がれば拡がるほどそれだけ大阻世界の虚偽が犯濫し,そして

ほかならぬそのせいで,せめて一人でも大の子がさてはくれはしないかという望みが刻一刻う

すらいでゆく。これはもう『悪魔の環』なのであり,ファンタージェンばかりでなく人間の世

界も病んでいるのである」ことを知る。

 けれどもグモルクがアトレーユに語ったことは真理の半面でしかない。もう半面の真理を幼

ごころの君が以下のように述べている。

 「フアンタージェンと人間界の境を越える道は二つ。正しい道と誤った道とがあるのです。

ファンタージェンの生きものが恐しい方法でむりやり向こうに引きづられてゆくのは誤った

道。けれども大の子がわたくしたちの世界にやってくるのは,それは正しい道なのです。ここ

に来た人の子たちはみなこの国でしかできない経験をして,それまでとはちがう人間になって

もとの世界に帰ってゆきました。力叶しらはそなたたちのまことの姿を見たゆえに目を開かれ,

自分の世界や同胞もそれまでとちかっか目で見るようになりました。以前には平凡でつまらな

いものとばかり見えていたところに突然驚きを見,神秘を感じるようになりました。ですから

かれらはよろこんでファンタージェンにきていたのです。そのおかげでこちらの世界が豊かに

なり,栄えれば栄えるほど向うの世界でも虚偽は少くなり,よりよい世界になっていたのです。

今は両方の世界がたがいに破壊しあっていますが,それと同じように,たがいに癒しあうこと

もできるのですU「今はみな逆になってしまっていて,見える力を与えるものが目をくらまし,

新たなものを創造する力が滅亡への力となっているのです。救いは人間界の側にあります。一

人でもこちらに来てわたくしに新しい名前をくれればよいのですーその一人はやがて来るで

しょう。」

 その一人の人間の子供がバスチアンなのである。彼は大阻匪界から境界を越えてファンター

リエンに移行し,女王に月の子という新しい名前をさしあげ,ファンタージェンを滅亡から救

う。そのあと女王から授けられた「汝の欲することをなせ」と刻印された魔法のお守り,アウ

リンをもって,自らの真実の望みを発見するための長い長いフアンタージェンでの冒険の旅を

行い,遂に生命の水を飲んで,「大を愛することのできる成長した人間」となって再び人間世界

                    -155 -

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                追大人問学部紀要 創刊号

にもどってくるのである。

 ここでエンデが明確に述べていることは,真のファンタジー世界への移行と,そこでの深い

経験と,そこからの現実世界への還帰は,その大に人間的な成長をもたらし,その人の日常生

活を変革する力をもっているということ,その上うなおり方こそが二つの世界のかが才丿

しい道であり,両方の世界をともに健かなものとするのだということである。このエンデのメ

ッセージが提示している近代社会批判と,近代をこえる新しい社会のあり方を構想する上での

指唆の意義は大きい。

  「ファンタージェンでの虚無の拡大は人間世界での虚偽の増大を意味する」というエンデの

                          45)思想は,西欧に始る近代資本主義社会の「経済成長の強制」力1持つ問題点に対する鋭い批判を

内臓しているのである。

 筆者がU.P.論で述べた論旨と,エンデの思想は多くの共通項をもっている。社会進化の軸で

の獲得(gain)はU.P.の軸での喪失(loss)であり,近代社会がその固有の法財|生にしたがって,

人間と自然,個人と社会,精神と身体の二元分割を推進すればするほど,それらの一体連続を

経験するU.P.という経験,思考様式が喪失され,ブルカニロ図の三角形(4-1)のような社

会となる。その21世紀における近未来の像は,ますます進行する,大気,土壌,水,森林のす

べてにわたる地球生態系そのものの破壊,第三次の人口爆発,人類規模でのエネルギーと食糧

のうばいあい,南と北の不平等の拡大,人間以外の生き物たちが決して示すことのない,生活

の全面にわたる虚偽の拡大,ファンタジー能力と真の創造力の喪失,二元的分割の原理による

人工的合理的管理の貫徹による非人間化,人間の自由と主体性の喪失などの現象である。

 「真のファンタジー能力の回復と新しい創造のみが,人間の現実世界を健やかなものにする」

というエンデのメッセージに従えば,過去の人類が豊かに持っていたU.P.能力の回復と新しい

U.P,の創造のみが,「近代」という「悪魔の環」から脱却しうる道なのである。我々はもっと,

人類史上最大最悪の「近代という傲慢」力ゝら自らを解放し,障害者や少数民族や被差別民から,

子供から,生きものだちから,風や雲や山や土や川や海から学び直し,自らの「思惟,感得,

行動の様式」「日常生活の様式」「我々の文化」を根本から考え直し,変革すべき時代に直面し

ているのである。

                        注

1 )William James, The Principles of Psychology, Henry Holt & Co, 1890, vol. 2.ch. X X X !“The

  Perception of Reality."

2)Alfred Schutz, Collected Papers I .(以下c. p. Iと略記)"On Multiple Realities" pp. 207-259.

  “Symbol, Reality and Society," pp. 287-356, The Hague Nijhoff, 1962,, The Strucねnrcsof Life

  一-World,(以下S. L/Wと略記)Northwestern Univ. Press. 1973.

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              矢谷:日常的生活世界とファンタジー世界

3 )Schutz, "On Multiple Realitiesグ

4)矢谷慈國『生活世界と多元的リアリティ川背詐生協出版会, 1989.出下「拙著」と略記, pp. 36……37.

  がこの図の初出である。

5)Alfred Schiitz, Collect留Papers II.(以下C. p.IIと略記)The Hague Nijhoff, 1964.

6)拙著,「4. A. Schutzにおける生活世界概念の問題点-その多元的リアリティ論との関わりにつ

  いて一一一], pp. 97一士欧二つの図の初出はp. 104.

7)拙著,pp. 77~79, pp. 106-109, pp. 118-124.

8)拙著, p.!11力1初出。この表は最初は「生きた身体をもって他者と共に世界の中に生きる人間存在

  の経験可能性の全体のノエシス・ ノエマ複合としての生活世界」という題で,生活世界と多元的リ

  アリティの関係を示す超歴史的一般的表現であったが,むしろ近代社会の状況を表現するのに適切

  であることに気づいたので本稿第4図の表題に改めた。

㈲拙著, pp. 114…………-139,図の初出は,ppレ116―117.

10)矢谷慈國,「ユニバーサル・プロジェクションと宮沢賢治「『春と修置J I争』について」, r追手門学

  院大学文学部紀要』, 28号,!993, pp. 117~132.

11)Michael Elide, Die tine一ndlicheGes吊cI心, K. Thienemans Veiiae, 1979,訳書『はてしない物語』

  上日]真而子,佐藤真理子訳,岩波書店, 1992o

12)このフレーズは,エンデのこの本の11ヵ所に出てくる。

13)X XIII元帝王たちの都の中で,サイコロの六つの面にアルファベットが一文字ずつ印されているサ

  イコロをかきまぜてはじっと見つめる遊びを熱心にやる元帝王たちの姿を描いている。そこで博士

  ざるアーガックスの口を借りてエンデはこの考えを述べている。

14)象徴能力の人間にとっての意義については,矢谷慈國「宇宙,地球,人間」『追手門経済論集』第

  27巻卜号,!992, pp. 220-……224。

!5)拙著,「5……...1「わかる」ということの多層性について田」, pp. 170~177.拙稿,注10)

16)多元的リアリティの錯図化の考え方については,拙著, PP.65-69,参照。

17)MonotheticとPolitheticの区分については, Schuz. S. L. W. pp. 69-…-73.

18)Schutz, C. P工pp. 207-259及び本稿第1図AドトA㈲の記述参照。

19)注!O)の拙稿, ppバ22-123.

20)エポケー(判断中止,カッコ入れ,現象学的還元)は元来フッサールが,現象学的本質直観に至る

  ために非本質的な常識と丿司じような素朴実在論を示す科学的知識などの判断を中止する,無くし

  てしまうことはできないが,それについてはカッコに入れて本質直観から外す,認識方法の手続き

  として提示したものである。シュッツはフッサールのエポケー概念を拡大使用して,それぞれの多

  元的リアリティが成立つ(構成される)ためには,それぞれに囚有のエポケーが働いているという

  考えを提示している。このシュッツの試みは,多元的リアリティ論の展開にとって創造的なもので

  ある。

21)主体によって生きられている空間の分節については,拙著, pp. 162-192.

22)行為(action)行為結果(act)パーフォーマンスの区分についてシュッツは詳細に論じている,

  Schiitz, C. P. I, IIIRational Action within Common-Sence Experience, pp。27-33. Chossing

  among Projects of Action pp. 67-98.

22)エンデは,①ファンタージェンに決していけない人間,②ファンタージェンに行ったきりになって

  帰ってこれない人間,③ファンタージェンに行って再びこちらへ帰ってくることのできる人間の三

  種を区分している。筆者の観点からは,①は, a)ファンタジーに全く関心がなく物語りを全然読

  まないタイプの人間と, b)物語りは読むが,ルーティン化的にのみ読んで深く物語り世界に入り

  込む体験のできないタイプの人間に区分しうる。

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追大人間学部紀要 創刊号

23)拙著, pp. 110-114.

24)拙稿,注10)の文献及び,矢谷慈國「多元的リアリティの統合と宮沢賢治「農民芸術概論綱要」に

  ついて」,『追手門学院大学文学部紀要』30号, 1994, pp. 87-112,参照。

25)「ここ,いまでの自分と他者とのトータルな出合い」の本来性と,それが近代社会の中でゆがめら

  れ,疎外されている状況については「センシティビティ・トレーニング(S. T.)」について述べた,

  拙著, pp. 216一一220,参照。

26)マルティン・ブーバー『我と汝,対話』,植田重雄訳,岩波文庫, 1979,

27)拙著, p. 156,第2図,参照。

28)注14)の拙稿,及び,本稿第6図ブルカニロ博士の地理と歴史の辞典(案),参照。

29)蔵内数太『社会学』培風館, 1962, pp. 162-166.

30)注10)の拙稿, p. 130-131.

31)F ・カプラ『タオ自然学』コこ作社, 1977.

32)Schutz. C.P.I, pp. 207-259,及び本稿第1図, Bト)~B内の記述参照。

33)子安美和子『エンデと語る』朝El選書306, 1986, pp. 70-71. ( )内は同書の注より筆者が追記。

34)1965年,関西学院大学における遠藤周作氏の講演, 1990年4月4日,茨木市総合センターでの宮本

  輝氏の講演。

35)子安美和子,前掲書, pp. 65一一66.

36)日常的現実における他者との,ここ・いまにおける出合いは,大部分が常識的類型化に従って予測

  可能な形で行われるが,人間の現実の出合いには「事実は小説より奇なり」というような予期せぬ,

  意外な出来事も起り得る。それが現実の出合いのもつ力であり,単に著者の頭の中でこねあげたど

  んな奇なる話をも陵駕しうる力をもっている。

37) 宮沢賢治「農民芸術概論綱要」『校本 宮沢賢治全集』第12巻(上),筑摩,';房, pp. 9………-16.

38)このような射程を箪者が考えるようになっだのは,「生活世界論と多元的リアリティ論」に筆者な

  りに必死で取り組む過程においてであった。拙著pp. 110~114,参照。

39)Schutz, C. P. I. pp. 207-259.

40)Schutu. C. P. I. p.342.( )は筆者の追加。

41)Schutz. C. P. I. pp. 207-259.

42)拙著, pp. 70-80, pp. 87一一88,pp. 106-109, pp. 114-117.

43)拙著, p. 123。

44)子安美知子,前掲書対談の中でエンデが述べている近代社会批判とそれを克服する方向についての

  語り参照。

45)子安美知子,前掲書, pp. 75一一116.

46)拙著, pp. 98-101, pp. 153-154.注14)の拙稿,矢谷慈國「新しいユニバーサル・プロジェク

  ションの形成をめざして①②③④」『コンステラツィオーンJNo. 276-279, 1993年4月~7月号,

   「街角文化論④,人間のみなさんへ,あるいは新しいユニバーサル・プロジェクションの回復につ

  いて」,『コンステラツィオーンJ No. 274, 1993年2月号。

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1995年9月28日 受理