社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) - 兵庫教育大...

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135 社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) 一近藤和彦のpopular politicsの研究を手がかりに一 原田智仁` (平成3年9月26日受理) 1はじめに 近年の歴史学界における社会史研究の隆盛には目を見張るものがある。歴史教育も,こ うした社会史の動向に無関心ではいられない。だが,大江一道が指摘するように, 「社会 史が新しい歴史研究の対象としてとりあげっつある多くの問題,そして,それらを解明す るためにもちいている各種の方法,これらを歴史教育と結びつける仕事は,目下のところ ほとんど未開拓といってよい」1)のが現状である。 本研究は,大江氏の問題提起を受けて,中等歴史の授業構成を社会史研究の成果に基づ き再検討しようとするものである。すでに前稿において,阿部謹也の「ハーメルンの笛吹 き男」の研究を取り上げ,伝説を素材にヨーロッパ中世都市の社会構造や民衆の心性に迫 る授業計画書を作成した2)。それに続き本稿では,近藤和彦のpopular politicsに関 る研究を載り上げ,シャリヴァl)を素材として近世ヨ-ロッパの政治文化の実像に迫る授 業構成を考察する。それは基本的に高等学校世界史への投げ入れ教材を想定したものであ るが,現行のカリキ3.ラムとの関連で言えば, 「17-18世紀のヨ-ロッパ文化」の項目に 相当する。 研究の手順としては,まず歴史教育における「文化」の学習においてなぜ社会史が有効 なのか,とりわけ近藤氏において社会史研究と「文化」はどのようにとらえられているの かを考察する。次いで,近藤氏の社会史研究の方法論をpopular politicsの研究を通し て解明する。考察の対象として象り上げた主要文献は, 「シャリヴァリ・文化・ホゥガー ス」 ( 『思想』第740号, 1986年2月, 155-185頁,以下A論文と略称)と「モ コノミーとシャリヴァリ」 (柴田三千雄他編『民衆文化』岩波書店, 1990年, 17-44頁, 以下B論文と略称)の二論文である。そして,そこで明らかにした分析概念や探究法をも とにして, 「17-18世紀のヨーロッパ文化」に関する授業計画書を作成する。 2歴史教育における「文化」と社会史研究 (1)歴史教科書の中の「文化」 歴史教科書の中で, 「文化」 (文化史)はどのように記述されているだろうか。手始め に,現在のわが国の普通科高校で最もよく使用されているA社の世界史教科書から, 「17 -18世紀のヨーロッパ文化」の項目に着目してみる0 4ページ半の本文は四つの小見出し からなっているが,試みに「芸術と文学」という小見出しのもとに記述された,文化に関 する人名と事項を抽出すると,次のようになる3)0 人名 ル ーベ ンス, フ ア ン= ダイク, ベ ラ スケ ス, エル= グ レコ, ム .) リヨ, レンブラン ト, ワ ト~, バ ッハ, ヘ ンデル , コルネイユ, ラ シー ヌ, モ リエ ー ル, ミル トン, パ ンヤ ン, デフオー, スウイフ ト (16個 ) '兵庫教育大学第2部(社会系教育講座)

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社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ)

一近藤和彦のpopular politicsの研究を手がかりに一

原田智仁`

(平成3年9月26日受理)

1はじめに

近年の歴史学界における社会史研究の隆盛には目を見張るものがある。歴史教育も,こ

うした社会史の動向に無関心ではいられない。だが,大江一道が指摘するように, 「社会

史が新しい歴史研究の対象としてとりあげっつある多くの問題,そして,それらを解明す

るためにもちいている各種の方法,これらを歴史教育と結びつける仕事は,目下のところ

ほとんど未開拓といってよい」1)のが現状である。

本研究は,大江氏の問題提起を受けて,中等歴史の授業構成を社会史研究の成果に基づ

き再検討しようとするものである。すでに前稿において,阿部謹也の「ハーメルンの笛吹

き男」の研究を取り上げ,伝説を素材にヨーロッパ中世都市の社会構造や民衆の心性に迫

る授業計画書を作成した2)。それに続き本稿では,近藤和彦のpopular politicsに関す

る研究を載り上げ,シャリヴァl)を素材として近世ヨ-ロッパの政治文化の実像に迫る授

業構成を考察する。それは基本的に高等学校世界史への投げ入れ教材を想定したものであ

るが,現行のカリキ3.ラムとの関連で言えば, 「17-18世紀のヨ-ロッパ文化」の項目に

相当する。

研究の手順としては,まず歴史教育における「文化」の学習においてなぜ社会史が有効

なのか,とりわけ近藤氏において社会史研究と「文化」はどのようにとらえられているの

かを考察する。次いで,近藤氏の社会史研究の方法論をpopular politicsの研究を通し

て解明する。考察の対象として象り上げた主要文献は, 「シャリヴァリ・文化・ホゥガー

ス」 ( 『思想』第740号, 1986年2月, 155-185頁,以下A論文と略称)と「モラル・エ

コノミーとシャリヴァリ」 (柴田三千雄他編『民衆文化』岩波書店, 1990年, 17-44頁,

以下B論文と略称)の二論文である。そして,そこで明らかにした分析概念や探究法をも

とにして, 「17-18世紀のヨーロッパ文化」に関する授業計画書を作成する。

2歴史教育における「文化」と社会史研究

(1)歴史教科書の中の「文化」

歴史教科書の中で, 「文化」 (文化史)はどのように記述されているだろうか。手始め

に,現在のわが国の普通科高校で最もよく使用されているA社の世界史教科書から, 「17

-18世紀のヨーロッパ文化」の項目に着目してみる0 4ページ半の本文は四つの小見出し

からなっているが,試みに「芸術と文学」という小見出しのもとに記述された,文化に関

する人名と事項を抽出すると,次のようになる3)0

人名

ル ーベ ンス, フ アン= ダイク, ベラスケ ス, エル= グ レコ, ム .) リヨ, レンブ ラン

ト, ワ ト~, バ ッハ, ヘ ンデル, コルネイユ, ラシー ヌ, モ リエー ル, ミル トン,

パ ンヤ ン, デ フオー, スウイフ ト (16個 )

'兵庫教育大学第2部(社会系教育講座)

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!ヾ ロック式, ヴェルサイユ宮殿, ロココ式, サンスーシ宮殿, 古典主義, 学士院

事項 (アカデミー) , 「失楽園」, 「天路歴程」, ピューリタン文学, 「ロビンソン=

クルーソー」, 「ガリヴア- 旅行記」 (11個)

絵画から建築,音楽,文学まで,教師でも知らないような多数の人名と事項が盛り込ま

れている。だが,すべての教科書がこんなに詳しいわけではない。一例として, A社に尉

抗しつつ,内容をかなり精選しているB社の世界史教科書から,ほぼ該当する個所をその

まま抜き出してみよう(ただし傍線部は筆者による)4) 。

登場する人名(実線部) ,事項(波線部)はどちらも7個と少ないが, B社にあってA

杜にない人名・事項は一つもない。両者の違いは記述の詳しさだけである. A社の教科書

の記述は紹介できなかったが,内容・記述とも非常によく似ている。他社の教科書もまた

大差ないと言ってよい。では,これらの教科書に見られる「文化」 (文化史)記述の特徴

はどのようにとらえることができるだろうか。また,どこに問題があるのか。

第一に,着眼点がいずれも支配階層や中産市民層などのエリートの文化にあって,都市

の下層民や農民などの民衆文化が全く視野に入れられていないことである。しかも,エリー

トの文化にしても,いわば表層の扱いに留まり,その生活や意識にまで踏み込んだものに

なっていない。第二に,文化に関する代表的な人物や作品,思潮(主義)や様式の名を列

挙することに主眼が置かれ,文化の特色や時代背景の説明はごく簡単にしかなされていな

いことである。とりわけ思潮(主義)や様式の説明は, 「バロック様式-豪壮・華麗」 ,

「ロココ様式-繊細・優美」と言うように,きわめて常套的な形容句でなされている。こ

のような形式的な説明で,どこまで文化の実態を理解させることができるか,はなはだ疑

問である。

(2)社会史研究と「文化」

では,これらの問題にどのように対処したらよいのか。日本史教育の分野では,現行学

習指導要領で初めて生活文化の取扱いが明記され, 「衣食住,年中行事,冠婚葬祭,生産

用具」などが重視されるようになった5)。今後は,世界史教育においても,諸地域世界の

基層文化ないしは民衆文化を取り上げることが期待されてこよう。その場合,留意しなけ

ればならないのは,文化を一定の時代や社会との関わりの中で動態的にとらえることであ

る.さもないと,ただ従来の歴史的知識に民俗学や文化人類学の知識を付け加えるだけで

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社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) 137

終わってしまうであろう。また,文化をあまりにも容易に定型化しないことが重要である。

社会・政治の動きと切り離された思潮・芸術様式の羅列的提示や,定型化された形容句に

よる説明は避けねばならない。そのためには,まず子どもたちにとって具体的で,豊かな

イメージを描きうる事例を取り上げることが必要であるo次いで,その事例(文化)を通

して時代や社会を見通すことのできる理論を明らかにすることが求められよう。こうした

点を踏まえると,歴史的文脈に即して民衆文化の意味を読み解き,その理論化を目指した

E・Pトムスン(Edward P. Thompson)や近藤和彦らの社会史研究の意義がきわだっ

てくる。

一般に社会史と言うと,例えば子ども,女性,下層民,病気,死,家族生活など,従来

の伝統的史学が排除してきたテーマを対象とする新しい歴史学であると考えられがちであ

る。確かにそうした側面もないわけではないが,それをさして社会史の意義と断定するこ

とは早計である。福井憲彦によれば, 「重要なことは,対象そのものの新しさなのではな

くて,対象への問いの質であり,その問いを解いていく,技法を含めたプロセス」6)なの

である。では,近藤和彦ら社会史家は「文化」に対してどのような問いを立て,どのよう

にその問いを解こうとしているのであろうか。

近藤和彦は社会史の「とらわれのないまなざし,自由な企て」の意義を高く評価しなが

らも,昨今の我が国における社会史ブームについては「知的ファッションとしての社会史」

ととらえ,一定の距離をおこうとする。なぜなら,そこでは戦後歴史学が追求してきた天

下国家の問題が完全に欠落し,日常茶飯の事柄に埋没しているからである。確かに,ブー

ムに乗って次々に出版される社会史ものには,歴史拾遺物語的なおもしろさがある。しか

し,近藤氏の目指すのは単なるディレッタンティズムではない。むしろ, 「戦後歴史学の

(到達されざる)究極の課題」とも言うべき「大きな遠近法からする政治,文化ないし国

家」なのである7)。そこでは,天下国家から日常茶飯の事柄までをも射程に納めるような,

トータルな歴史像が問われてくる。近代イギリス史を専攻する近藤氏が, 18世紀を中心と

するpopular politicsすなわち「民衆における政治文化」を研究対象としたのも,こう

した点で首肯けよう。

文化の構図に関する近藤氏の見方には,トムスンとバーク( Peter Burke )の影響が

見られる。とくに,バークは近世のヨーロッパ文化を民衆文化とェ1)-ト文化に二分した

が,両者の境界は流動的で,相互に浸透しあうせめぎあいの関係としてとらえた8)。した

がって,近藤氏の対象とする「文化」も,単にエリート文化に対する民衆文化ではないし,

表層文化に対する基層文化でもない。むしろ, 「両世界およびその中間から成長する媒介

集団のせめぎあう関係」 , 「そうした複数のせめぎあいの織りなす情況- (中略) -にお

ける,文化の粘着性と流動性」9)が問題とされる。つまり,政治を文化としてとらえるだ

けでなく,文化における政治も分析の対象となってくる。これこそ,政治文化(political

culture)に他ならない。

近年,歴史学の分野で政治文化が論じられるようになった背景には,このように社会史

の影響により従来の狭い政治史・文化史に代わって新しい社会-政治史,社会-文化史が

台頭してきたことがあげられる。その意味で,歴史教育においても,文化史の内容と方法

を「政治文化の社会史」としてとらえ直すことは意義深いと言えるだろう。そして,その

とき問われてくるのは, 「文化」に対する問いの質と,探究の技法である。

3近藤和彦の社会史研究の方法論

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(1) popular politicsの分析概念

近藤和彦は, popular politicsの研究にあたり, 「(1)多様な民衆文化の特徴を,その

共通で国有の世界観に注目して考察し, (2)そのうちでも,とりわけ何か係争問題がおこっ

た(おこりそうな)場合の民衆的解決法として,制裁の儀礼を分析」10)しようとする(1)

の論点を象徴する概念が「モラル・エコノミー」 (moral economy )であり, (2)の場合

が「シャリヴァリ」 (charivari)である。この二つの概念をいわば分析の道具として,

近藤氏はpopular politicsにアプローチしていく。

<モラル・エコノミーの概念>

モラル・エコノミーとは, E・P・トムスンによって提起された方法概念である11)。直

訳すれば「道徳経済」とでもなるが,それでは民衆の固有の世界観を説明することはでき

ない。近藤氏は,語義的にも,またトムスンの用例からしても,むしろ「習俗にもとづく

世の中のなりたち・規範」12)ととらえるべきだとするoトムスンの研究によれば, 18世紀

イギリスの民衆騒動には,自然発生的な民衆の直接行動と何者かに意図的に操作された群

衆行動との二つの形態があった。前者の一般的事例が食糧蜂起であるOそれは単なる暴動

とは異なり,明確な目標と規律を持ち,民衆のコンセンサスに支えられて起こされた行動

であった。

興味深いのは,そうした食糧蜂起が民衆の絶対的飢餓に起因するものではなく,伝統的

な権利や慣習(モラル)が侵されることへの不満に由来するものであり,民衆は自らの行

為を正当視していたことである。つまり,人々の生活必需品としての食糧の価格をっりあ

げ,暴利をむさぼるのはモラルに反するというモラル・エコノミーの考えにしたがって民

衆は蜂起したのであり,その行為は正当性の観念に支えられていたのである。このように,

モラル・エコノミーとは, 「歴史的に伝承した規範ないし固有の文化をまもる世界像(の

主張)であり,それじたいに別の(優勢になりつつあった)文明-世界との対時が合意さ

れている」13)と言えるだろう。

<シャリヴァリの概念>

シャリヴァリとは,先のトムスンやN・Z・ディザィス(Natalie Zemon Davis)u),

R・ダーントン(Robert Darnton)15)らの研究でユ般に知られるようになったヨーロッ

パの民俗的現象であり,中世末から19世紀頃まで広く各地に認められた。それだけ多様性

に富みrough music , skimmington, Katzenmusicなど地域によりさまざまな用語で

表されたが,同時に定型化もされていた。すなわち, 「丸太棒,椅子,車,局,ロバなど

に人か人形を乗せて,これを大勢で引きまわして練り歩く。その間,楽器や台所用品,追

具などを打ち鳴らし,下品な喚声をあげ,騒がしい音響空間をっくる。同時にもの笑いの

寸劇を演じる。最後には,池や川にいって棒や車ごと人を水中に投げ込んだり,広場で人

形を絞首刑に処したり,焚火にくべたりする」16)という一連の行為であるO

では,これらの行為は一体何を意味するのだろうか。近藤氏によれば,それは「共同体

の規範t・'錠に違犯したか,しそうな者にむけられた集団的制裁の示威行為」であり, 「儀

礼のような様式,騒然たる音響をともなう」一種の街頭演劇であった17)。ここには,シャ

リヴァリにおける刑罰的要素と祝祭的要素の指摘がある。民衆にとって制裁-の参加は,

モラル・エコノミーにもとづく刑罰の執行であると同時に,儀礼的・様式的なばか騒ぎを

通して日常生活からの解放感に浸ることも意味していたのである。なお,この場合の制裁

(sanction)とは, 「(》一種の神聖みをおびた規範をまもるよう憩制し, ②遵犯した者を

懲罰し, ③こうした強制,懲罰をみんなで承認し,同調する」18)という三つの契機からなっ

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mnm

(2)シャリヴァリの図像分析の方法

このようなシャリヴァリ解釈の方法が,果たしてどこまで有効なのか。近藤氏は,ホゥ

ガース(William Hogarth ,1697-1764)の銅版画を素材にして,この問いに答えようと

する。なぜなら,ホゥガ-スの作品群は, 「はば王政復古(1660年)以後約100年間にわ

たるイギリスの文化の構図を示す最重要なジャンルの一つ」19)であり,そこにはシャリヴァ

リを含む民衆文化のあり様が能弁に表現されているからである。近藤氏が,先の分析概念

を用いてどのようにホゥガースの画を説明しているか,二つの例を取り上げ探ってみたい。

それはわれわれにとって,近藤氏の探究法をより明確に理解するだけでなく,シャリヴァ

リについての図像的なイメージを得る格好の機会ともなるであろう.

取り上げたのは,サミュエル・バトラ(Samuel Butler,1613-1680)の風刺物語『ヒュー

ディプラス』 1726年版の挿絵として制作された12枚組の図版のうち,第7枚目「ヒューディ

ブラス,スキミントンに遭遇』 (図1参照)と第11枚目「テンプル・バ-門にて尻肉を焼

く」 (図2参照)の二つである20)。近藤氏は,バトラの物語の内容はもちろんのこと,ホゥ

ガース自筆の文章やS ・ピ-ブス(Samuel Pepys, 1633-1703 )のEl記などを用いて,

図像を読み解いていく.なお,バトラの『ヒューディプラス』は三部からなり,第一部は

1662年に刊行された。 「共和制期のピューリタニズムを愚弄した内容」で, 「主人公は教

養人にして騎士たるサ・ヒューディプラス,その従者は仕立職人たるラルフオ。 - (中略)

-ともに黒い円筒型の帽子をかぶる,ピューリタン革命期の積極的分子」21)であった。ス

トーリーが判明している以上,問題はシャリヴァ1)的項象に対するホゥガースのまなざし

香,いかに歴史的かつ図像的に読み解くかにかかってくる。

<図1の図像分析>

図1について,近藤氏はまず全体の構図を三つの局面(モチーフ)に分析する。第一は,

画面の左奥から真申ないし右奥にむけて進むスキミントン(シャリヴァリをさす方言の一

つ)の練り行進,第二は,画面の左端に凝集する仕立屋夫婦の危機,そして第三は,こう

した二重のプロットをもっスキミントンの時空と,右手から登場した騎士ヒューディブラ

スとの対時である。次に,それぞれのモチーフの含意を明らかにするためにも,各モチー

フを構成する諸要素,とりわけ登場人物とその身振り,衣装,道具立て,舞台背景などを

把握することが必要になる。以下,近藤氏による解読を追跡してみよう。

第一のモチーフ,スキミントンの練り行進の中心をなすのは,一番左の馬上に背中合せ

に乗せられ,寸劇を演じる男と女(女装の男)である。この男女の間に何があったのか。

「女房がいつも夫をどやしつけているか,他の男と密通したかで,しかも,それが人々に

知れてしまった」㌶)のだ。その根拠となるのは,お玉じゃくし(炊事),紡ぎ棒(糸紡ぎ),

スカート,下着等,女性を象徴する道具立てと,寝とられ男の象徴としての角㌶)である。

つまり, 「柔弱な亭主には女の下着と寝とられ男の角がふさわしい」24)というのが,騒音

(角笛,バグパイプ,ラッパ,釜,鍋),喚声,臭気(汚物)の中で演じられるパフォー

マンスの意味なのである。しかも,スキミントンの標的にされた男が,ヒュ-ディプラス

と同じくピューリタンにして騎士であることは,中央に掲げられた騎士の剣・拍車・手袋

と黒い帽子で明らかである。

では,なぜ柔弱な亭主が制裁の対象になるのか。近藤氏による制裁の三つの契機からす

れば, 「男の権威と価値をまもるよう強制し,違犯者(の代後)にものまね演技をさせて

引きまわし,大笑いの懲罰をくわえ,みんなでもう一度共同体の価値・規範を承認し,同

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皿.二つの世界の対暗

く図1>ヒューディブラス、スキミントンに遭遇

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調しよう」25)というのである。そうした家父長的価値観こそ,この時代のモラル・エコノ

ミーであり,それにもとづく制裁の執行は正当性の信念によって裏づけられていた。制裁

は様式性によっていやまし,参加する人々の気持ちも「楽に」なったものと解される。

第二のモチーフ,仕立屋(ハサミの看板)夫婦の危機は,夫の頭上で寝とられ男の角の

ポーズをとる女房の左手が示している。女房の視線は,窓の下で立ち小便をする男(間男)

の視線と合っているが,まぬけな夫は何も気づいていない。この仕立屋も,やがてはスキ

ミントンの標的になっていくのであろう。そして,ここでも,従者ラルフオが仕立屋と同

職であることの暗示を見逃すわけにはいかない。

そして第三のモチーフでは, 「信仰と教養の小世界の代表」ヒュ-ディプラスとその従

者が,突然出くわした「異教的,異民族的」な民衆世界のパフォーマンスを制止しようと

して説教を始めるが,逆に民衆の噸弄にあい退散することになる。前景の角笛やバグパイ

プを吹く者,馬上で女性の下着をかざす者,汚物をすくって投げつける者,すべてが挑戦

的な態度を向けている。これに対し,ヒューディプラスは剣をっかむが,彼の腰から下が

るソーセージを取ろうとする子どもにはアカンベェをする余裕さえ見える。また右端の従

者ラルフオは,松明の火を馬の尻にあてられ,今にも落馬せんがごとき状態である。

ここに措かれているのは,第一に, 「独自の宇宙をなした民衆の伝統とェネルギー」で

あり,第二に,民衆と権力者・知識人(支配階層)との「論理・発想法のずれ,摩擦,両

者の間の交渉の困難さ」である26)。だが果たして,民衆とェリ-トは全く別世界にあって,

両者間に交渉は存在しなかったのだろうか。近藤氏はそのような文化対抗論に対しては,

単純な文化コンセンサス論同様に批判的である。なぜなら,シャリヴァリ的現象を注意深

く考察すれば, 「必ず文化的対抗とコンセンサスの両局面の交錯が認められるはず」27)だ

からである。そこで,その問題を解くためにも,図2の解説を検討してみよう。

<図2の図像分析>

さて,図2に描かれている情景は,時も所も特定されている。場所は, 「ロンドンのス

トランド街,ウェストミンスタからシティにはいる関門テンプル・バーの手前」, 「両テ

ンプル法学院に接し,大法官府小路(チャーンスリ・レイン)に通じる,イングランドの

司法の要衝」28)である。図の左遠景の関門上に,処刑された重罪人の首や四肢が掲げられ

ていることから,ここが法と権力の象徴であることが理解される。また,時は1660年2月

11日の夜, 「スコットランドから機をみて南下していた将軍マンクが,この日ロンドン市

当局者との会談によって,ウェストミンスタの共和主義残党議会を解散して『自由な議会』

を再建する意志を表明」 ,まさに「ピューリタン革命が崩壊し,王政復古へとむかう一つ

の画期となる夜」29)であった.この絵に措かれているのは,議会の解散を歓迎して街頭に

繰り出し,シャリヴァリを演じたロンドン民衆の姿である。

シャリヴァリの対象となったのは, theRump (尻肉,残りもの)と蔑称された共和主

義残党議会(1648-53, 1659-60)である。今や民衆の支持を失った共和主義者-ピューリ

タンを邦愉すべく,人々はブタやガチョウの尻肉をささげ, 「尻肉打倒」 (前景右側で棒

をかつぐ男の右手には, Down wth the Rumpと書いた紙が見える)と叫びながら行進

し,焚火で焼いて食べたのである。太い棒に乗せられ引き回されているのは,黒い円筒形

の帽子や服装からして,ピューリタン騎士(ヒューディプラス)の人形であることは疑い

ない。まもなく,中央の飲食店(看板の王公の顔から王党派の店であることがわかる)の

バルコニーで吊るし首にされた後,焚火にくべられるのだろう。人々はこうした街頭演劇

に参加することで,エネルギーと緊張感を解き放つとともに, 「自分たちの価値ないし方

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<図2>テンプル・パー門にて尻肉を焼く

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社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) 143

針を強制し,今や敗北の決した少数派を懲罰し,こうした大勢に同調する」30)のである。

では,なぜ民衆は「統治権力の象徴的な場で,権力的な図像を借景しながら」31)パフォー

マンスを演じたのだろうか。近藤氏によれば,それは民衆が権力に先立って大義を代執行

したのであり,ロンドン民衆の旺盛なェネルギーと政治性を見て取ることができると言う。

この場合の大義とは,ピューリタン革命を否定し,ステユアート朝と国教全を再生させる

ものであったが, 「統治権力はこうした民衆文化のレパートリを顧慮せずに統治すること

はできなかった」32)のである。実際に, 「将軍マンクおよび市当局は,これを規制するど

ころか,むしろこうした民衆の反応に勢いづけられて着々とスケジュールを進め,やがて

は同年五月の王政復古を準備」33)していった.つまり,日常生活では全くの別世界にあっ

たエリートと民衆も,何らかの係争が起こった時には接触せざるをえない。その場合,両

者の間には,例えば民衆のシャリヴァリに対するエリートの対処のように,伝統的に継承

された接触・交渉のルールないしシナリオがあったと言うのである。ここに,近藤氏が文

化の単純な二元論を排し,両文化間のせめぎあいを重視する理由がある。

4近藤和彦の研究方法論をふまえた歴史授業構成

(1)近藤氏の理論と授業構成の課題

近藤氏のpopular politicsに関する研究の基本的枠組みは,以上でほぼ明らかになっ

た。続いて,近藤氏の研究方法論をふまえた歴史の授業構成を検討したい。授業構成に当

たって課題となるのは,第一に教育内容の設定と教材(資料)の選択・構成であり,第二

に授業過程の構成である。なお,ここで言う教育内容とは,授業(単元)を通して子ども

に到達さすべき目標を,また教材とは,その目標を達成するための手段・材料を指す。

まず第一の課題から考察していく。最初に触れたとおり,主題は「17-18世紀のヨーロッ

パ文化」である。この主題に関していかなる教育内容と教材を選択・構成したらよいのか,

近藤氏の理論を再度命題の形で整理しながら考えてみたい。

①近世ヨーロッパには,民衆的,エリート的と名づけられる二つの文化が存在した

が,両者の境界は流動的で,相互浸透をともなうせめぎあいの関係にあった。

【二つの文化ないし民衆文化の構造】

②民衆の世界には,歴史的に伝承した規範ないし固有の文化をまもろうとする共通

の世界観があった。

【モラル・エコノミー】

③共同体的規範に違犯ないし敵対した者には,集団的制裁の儀礼として,騒然たる

音響をともなう示威行為がなされた。

【シャリヴァリの定義】

④シャリヴァリには,刑罰的要素と祝祭的要素の二つが認められた。

【シャリヴァリの二要素】

⑤シャリヴァリにおける制裁は,強制・懲罰・同調の三局面からなっていた。

【シャリヴァリにおける制裁の三局面】

⑧ホゥガースの版画はシャリヴァリの意味と構図を能弁に示している0

【シャリヴァリの図像分析】

①から⑥までの命題の提示は,近藤氏のB論文の記述の順序に従った。その論理は,

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いわば「マクロからミクロへ」あるいは「見えないものから見えるもの-」と展開して

いる。 ①や②はきわめて抽象性・一般性の高い命題であるのに対し, ③・④・⑤と次第

に具体性が増し, ⑥に至っては特殊な個別事象の記述となっている。他方, A論文の記

述では,ホゥガースの版画(本稿で取り上げた二つの画の他に,六つの画を分析してい

る)分析を中心に据えながら,シャリヴァリを含む民衆文化の意味を読み解く形をとっ

ている。つまり,個別事象を事例にして,文化の理論を明らかにしていくのである。 B

論文はど明確ではないものの,対比すれば「ミクロからマクロへ,見えるものから見え

ないものへ」の論理と言えるだろう。したがって, A論文からは民衆文化の具体的でイ

マジネーションに富む事例とその探究法を,またB論文からはその事例の意味を説明す

る理論を手にしうるのである。これを授業構成の課題との関連で考えれば,第一の課題

すなわち教育内容の設定と教材の選択・構成はB論文の論理に,また第二の課題である

授業過程の構成は, A論文の論理にそれぞれ学ぶことができると言えよう。

そこで,本授業計画では,主題に関わる教育内容に民衆文化としてのモラル・エコノ

ミーとシャリヴァリを,教材にホゥガースの版画(図1・2)をそれぞれ選択した.ま

た,授業過程はミクロからマクロへの論理に沿うべく,次のような問いの構造を設定し

た。この問いの流れは,近藤氏のA論文の論理を参考にして作成したものであり,授業

構成の第二の課題に応えるものである。

①この図から何がわかるか。 (シャリヴァリの現象的イメージを形成する問い)

a.この図にどんなものが描かれているか。 (描かれている事実を確定させる問い)

b.この図は何(主題)を措いたものか。 (シャリヴァリ的現象に着目させる問い)

②シャリヴァリとは一体何だろうか。 (シャリヴァリの意味をとらえさせる問い)

a.人々は何のため(目的)にシャリヴァリを行ったのか。 (シャリヴァリの定義,

二つの要素をとらえさせる問い)

b.シャリヴァリ(制裁)はどのように行われたか。 (シャリヴァリの三つの契機

をとらえさせる問い)

⑧人々はなぜ(原因)シャリヴァリを行ったのか。 (モラル・エコノミーを導く問い)

④民衆のシャリヴァリ行為に,支配階層はどう対処したか。 (二つの文化の構図をと

らえさせる問い)

次に,この問いの流れを授業過程に組み込んだ授業計画書のアウトラインを提示する。

(2) 「17-18世紀のヨーロッパ文化」の授業計画案

1.主題「17-18世紀のヨーロッパ文化」

2.目標17-18世紀のヨーロッパ民衆文化の構造を解明する。

<概念系統図>

=二言妄訂 上空三一」 シャリヴァリ

3.教材ホゥガ-スの版画(前掲の図1・2)のプリント

4.授業展開(2時間を配当)

定義

二つの要素

三つの契機

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社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) 145

教師の発問.指示 発問のねらい.指導上の留意点

【1】図1 「ヒユ. デイプラス, ス 【1】5分後に発表させる0 ここでは、生徒

キミントンに遭遇」のプリントを, の自由な発想と想像力にまかせたい0 ただ、

題名空白のまま生徒に配布した後, 図の中の様々な道具立てや人物の身なり. し

各自で絵に題をつけ, その解説をプ ぐさに着目した発言には注意しておく必要が

リントの下に書くよう指示する○

【2】絵の中にどんなもの (人や物)

ある0 最後に、この絵の作者と描かれた時代、

絵の題名を簡単に説明する○

【2】この絵の三つのモチI フを読み解くの

が描かれているか, すべて指摘しな に必要な人物と物をすべてあげさせる。 その

さい○とくに, ヒユーデイブラスと 際、描かれたものにはすべて意味があること

ほどの人物か当ててみよう0 を指摘し、事実確認の重要性を認識させるO .

【3】ヒユーデイプラスが遭遇した 【3】スキミントン (シャリヴアリ) の現象

スキミントンとはどれを指すのか0 形態を把握させる0 とくに馬上の男女とそれ

また, それにはどんな特徴が見られ を取り巻く人々の喧騒と祝祭的様式性 (仮装、

るか0 練り行進など) に着目させる。

【4】一体スキミントンとは何か○ 【4】スキミントンの意味 (スキミントンの

人々が掲げる道具立てを手がかりに 定義、刑罰的要素) 、制裁の三つの契機につ

考えて見よう。 いて図を用いて説明する○

【5】スキミントンに加わっている 【5】スキミントンの祝祭的要素とそれに参

人々の様子が楽しそうなのはなぜか0 加する民衆の解放感、浄化作用を理解させる0

【6】図の左端の仕立屋の夫婦は何 【6】夫は単純にスキミントンの行列を見て

をしているのか0 女性の左手の意味 笑っているが、実は女房の方には夫の知らな

するものは何だろうか0

【7】スキミントンの行列や仕立屋

い愛人がいて†この夫婦にも危機が迫ってい

ること、また従者も仕立屋であることで、辛

疎に風刺されていることを説明する0

【7】ピューリタン革命期の支配階層の厳格

夫婦と対照的に, ヒユーデイプラス な清教主義を思い起こさせる○次にバ トラの

の表情が硬く, 真剣そのものなのは 物語から、スキミントンに遭遇した時のヒユー

なぜだろうか0

【8】人々は, 一体なぜ (何を根拠

デイプラスの対応ぶりを紹介し、結局逆襲さ

れ退散したことを説明する0 また、スキミン

トンの対象にされている男も、ピユI リタン

騎士であることを指摘する0

【8】よく考えさせ、予想を出させた後で、

に) スキミントンを行ったのだろう モラル.エコノミーの概念を説明し、スキミ

か0 ントン以外の食糧蜂起などにおいても、民衆

(以上1時間目) がそれに従って行動したことを紹介するO

【9】図2 「テンプル.バー門にて 【9】この絵の場合、もはや題名を伏せる必

尻肉を焼く」のプリントを配布し, 要はない0 時と所がすでに特定されており、

それが図1 と同じ作者の版画で, や むしろ題名に示された場所を捜したり、 「尻

はりシャリヴアリを描いたものであ 肉」という奇妙な言葉の意味を探ったりする

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ることを説明し,よく鑑賞するよう

指示する。

【10】テンプル・バー門とはどれを

指すか。また,それは何をするとこ

ろだろうか。絵に描かれているもの

から判断してみよう。

【11】題名の「尻肉」とは何のこと

か。因みに,英語ではthe Rump

である。まず英和辞典で調べ,それ

からこの絵で考えてみよう。

【12】 「尻肉を焼く」というのは,

どんな意味だろうか。

【13】この絵では,制裁としてのシャ

リヴァリはどう展開しているか。

【14】なぜ民衆は残党議会に対して

シャリヴァリを行ったのか1660年

2月という時期から考えてみよう。

【15】なぜ民衆はテンプル・バー門

一帯でシャリヴァリを行ったのだろ

うか。支配者の側では,これにどう

対処したのであろうか。

(以上2時間目)

ことで、動機づけが深まることが期待される。

参考のために、当時のロンドン市街図を準備

したい。

【10】この絵では、門らしきものは左奥にし

かない。また、門の頂上に掲げられているの

が人間の首や四肢であることに着目させ、そ

こが司法権力の象徴であることに気づかせた

い。英和辞典などからその意味を探らせるの

もよい。

【11】 Rumpとは、背部、牛などの尻肉、残り

ものなどの他、共和主義残党議会をも指すこ

とを調べさせ、ピューリタン革命から共和制

期の議会の変遷とその特色について、想起さ

せる。

【12】残党議会の打倒と実際に食欲を満たす

ことの双方が合意されていることに気づかせ、

シャリヴァリの二つの要素について理解させ

る。

【13】ピュ-リタン騎士(ヒュ-ディブラス

と同じ)と覚しき人形を丸太に乗せて引き回

し、王党派の家の梁で絞首刑に処した後、火

にくべられることを読み解らせる.

【14】すでに敗北の決した残党議会への反発

を示威行為することで、王政復古と国教会の

再生を図ったこと、そこに民衆的正義(モラ

ル・エコノミー)があったことを理解させる。

【15】司法権力の象徴的な場所で行うことは、

民衆が支配階層になり代わって制裁を執行す

るという政治性を意味したことを説明する。

また支配側も民衆の動きに補完されたり、制

約されたりしながら統治していったことに気

づかせ、二つの文化の関係や構造を理解させ

'SB

5おわりに

中等段階の歴史教師にとって,教材研究とは一般に個別の歴史書(論文)を読むことを

意味する。すぐれた書物・論文に出会えたときの喜びは大きいOだが惜しむらくは,それ

を授業に活かす方法が十分に認識されていないため,個人的な教養を深めるだけで終わっ

てしまう場合が多いのである。

すぐれた歴史書には,必ず共通する条件が二つある。一つは,具体的で読者の想像力を

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社会史研究に基づく歴史授業構成(Ⅱ) 147

刺激するような事例を取り上げていること,二つ目は,明確な理論によって事例を分析・

説明していることである。新鮮な事例と鋭利な理論があって,初めて読む者の心をとらえ

ることができる。本研究が社会史に着目するのも,まさにその二点にある。

同様に,歴史の授業もすぐれた事例(教材)と理論(教育内容)を必要とする。社会史

研究の隆盛を,単なるファッションとしてとらえるのではなく,歴史教育の内容と方法を

深める手がかりとしたいものである。したがって本稿で示した授業計画は,個別の社会史

研究をもとに歴史授業を構成していく一つの方法を提示したものであり, 「17-18世紀の

ヨーロッパ文化」をとらえる普遍的な授業モデルを意図するものではない。

<注>

1)大江一道「社会史と歴史教育の課題」 ( 『歴史地理教育』 380号, 1985年3月p.48)

2)拙稿「社会史研究に基づく歴史授業構成(I)-阿部謹也氏の伝説研究の方法を手がかりに-」 (兵

庫教育大学校教育研究センター『学校教育学研究』第3巻, 1991年3月)

3)村川堅太郎他『詳説世界史(再訂版) 』山川出版社, 1990年,pp.190-191

4)中村英勝他『新選世界史』東京書籍, 1990年, pp.163-164

5)昭和53年版『高等学校学習指導要領』日本史の「内容の取扱い」 (4)を参照。

6)福井憲彦「社会史研究の現況」 (安田元久監修『歴史教育と歴史学』山川出版社1991年> p.220)

7)近藤和彦「社会史・戦後歴史学・わが営み」 ( 『社会運動史』第10号, 1985年5月)

8) Burke,Peter, 『ヨーロッパの民衆文化』中村賢二郎他訳,人文書院, 1988年

9)近藤和彦, B論文,pp.41-42

10)近藤和彦, B論文p.20

ll) Thompson,E.P., "The moral economy of the English croud in the 18th century,

Past and Present,No.50,1971.

12)近藤和彦, B論文p.23

13)近藤和彦, B論文p.24

14) Davis,N.Z., 『愚者の王国異端の都市』成瀬駒男他訳,平凡社, 1987年

15) Darnton,Robert, 『猫の大虐殺』海保貞夫他訳,岩波書店, 1986年

16) 17) 18)近藤和彦, B論文p.32

19)近藤和彦, A論文p.157

20)本稿掲載の二枚の図は,近藤和彦「ホゥガースの『ヒ.i-ディプラス』異版について」 (長谷川

博隆編『ヨーロッパ史における国家と中間権力と民衆に関する総合研究』研究成果報告書,名古

屋大学文学部, 1986年3月p.61, p.62)より転載し,説明を付加した。

21)近藤和彦, A論文p.157

22)近藤和彦, B論文p.33

23)中世フランスでも「角のついた夫」は「妻に浮気された夫」を, 「角をっける」は「夫(妻)が

秦(夫)に裏切られる」を意味したという。 (蔵持不三也「シャリヴァリの修辞学」国立民俗

博物館『研究報告』第27集, 1990年3月p.266 )

24)近藤和彦, A論文p.159

26)近藤和彦, B論文p.36

28) 29)近藤和彦, B論文p.38

32) 33)近藤和彦, A論文p.176

25)近藤和彦, B論文p.33

27)近藤和彦, A論文p.165

30) 31)近藤和彦, B論文p.40

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Construction of History Lesson based on the Method of Social History (II)

Tomohito Harada

The main purpose of this paper is to construct the history lesson based on the

method of " social history ". First, I examine the present situation of teaching

culture in history, and point out its problems. Secondly, I analyze the method of

social history through the works of Kazuhiko Kondo, and make clear the theory of

studying popular culture in early modern Europe. Thirdly, I make a lesson plan by

means of that theory for senior high scool students.

The characteristics of planned lesson " Popular Culture m Early Modern Europe

is as follows.

1. The main concepts of teaching contents are Moral Economy and Charivari

(Rough Music or Skimmington).

2. William Hogarth's graphic works are used as the teaching materials.

3. The teaching process is formed according; to Kazuhiko Kondo's logic in his works.