第1 回 パソコンで AM ラジオ放送を聴く (補足資料)...作って実感 電波のサイエンス 第 1 回 パソコンでAM ラジオ放送を聴く (補足資料)
第3回 放送時代の到来 ― 電話とラジオ - Gunma...
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マスコミ論(伊藤賢一) 2008/04/21
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第 3 回 放送時代の到来 ― 電話とラジオ
3-1) 電話の誕生
1876年 アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander
Graham Bell)による電話の発明
それ以前からさまざまな試み
→ 19世紀後半におきたメディア変容の一部
3-2) 放送メディアとしての電話
1880年代以降、電話は有線ラジオ的な娯楽メディア
として普及
1881年 パリ国際電気博覧会 → 「テアトロフォン」が
オペラ座や劇場での公演を中継
1890年、パリの電話会社が市内の劇場公演の実況中継を提供 図 3a ホテルのロビーでの劇場電話中継
1896年までには、イギリスでもロンドンの劇場娯楽の電話送信事業
・大都市では、大衆を相手にしたコイン式電話装置
・ミサ、礼拝、選挙キャンペーン、選挙速報も 19世紀末には電話によって中継された
3-3) 女性交換手の活躍と電話の変容
当初は、それまで電報の配達人だったような男性 → 失敗 → ほぼ全面的に「女性化」
・大量の安い労働力
・接客的な要素の重要性(女性の社会的役割に適した活動と見なされる)
・女性に期待された役割や期待と合致
→ 賃金は低くとも、上等な仕事、と受けとめられる
電話の変質
1890年代~1920年代、コミュニケーションの秘匿性を前提にした会話メディアに変わっていく
1. 電話網の統合 → 全国を一元的に統括するシステムの完成
2. 交換手たちの労働の標準化、声の規格化
3. 電話産業自身の方針転換(おしゃべりの誘発)
3-4) 無線メディアの胎動
1895年 グリエルモ・マルコーニ(Marchese Guglielmo Marconi)が、無線(モールス信号)を実用化
20世紀には音声の受送信も可能に
→ 当初はさまざまな試行錯誤。ラジオ放送というアイディアは、ほとんど見られない。
マスコミ論(伊藤賢一) 2008/04/21
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第一次対戦後、アマチュア無線家の出現
多くは 10代の若者 → 自作の無線装置、
さまざまな地域の人と交信
3-5) ラジオ放送の開始
1920年 10月、アメリカで最初のラジオ放送
(ペンシルバニア州の KDKA局)
10月に大統領選挙速報番組
・親会社(電気機器メーカー)の無線機の販売促進のための活動 図 3b 無線少年の出現
・単発の実験放送ではなく、定時放送を初めてスタート
・一部のアマチュア無線家ではなく、不特定多数の一般大衆を対象とした放送
1920年代~1930年代 大衆消費時代、ラジオは、家庭に最初に導入された情報技術
無線からラジオへの転回 → さまざまな政治経済的・社会文化的条件
3-6) ナチ宣伝の神話
ヒトラーとナチスが宣伝によってドイツを統合したと信じられて
いるが、これは自作自演の神話の可能性が大きい。
→ とりわけラジオの力によって何か特別なことが可能になったと
考えるのは誤り。
・ナチスの宣伝 → うまく組織化されておらず、資金不足
・権力掌握後も、ヒトラーは宣伝の絶対的威力を強調しつづけた
→ むしろ第三帝国内部に抵抗や不服従が存在したため、「宣伝の威力」
が必要とされた
・ゲッペルス宣伝大臣と宣伝省 → ドイツ政府内部で発言力を獲得するため
図 3c 全ドイツが国民受信機で
反ナチズムによる宣伝神話 総統が語るのを聞く
・ナチスに追われた政治家、当時のドイツ人
→ ナチ宣伝を強調して、自らの政治責任を免除
視覚的イメージの強調 ナチスの集会 → 「共同体のイメージ」を共有することが主眼
【参考文献】
佐藤卓己, 1992, 『大衆宣伝の神話 ― マルクスからヒトラーへのメディア史』, 弘文堂.
吉見俊哉, 1995, 『「声」の資本主義 ― 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』, 講談社選書メチエ.
吉見俊哉・水越伸, 1997, 『メディア論』, 放送大学教材
吉見俊哉・若林幹夫・水越伸, 1992, 『メディアとしての電話』, 弘文堂.