全国中学生 人権作文コンテスト...

全国中学生 の冊子 には ,音 , 各頁 (奇数頁 左下 , 偶数頁 右下 てい 専用の読み上げ装置で読み取る , いる , 音声 ができ この冊子には,音声コードが, 各頁 (奇数頁 左下,偶数頁 右下)に印 刷されています。 専用の読み上げ装置で読み取る と, 記録されている情報を, 音声で 聞くことができます。 35 35 H H H H H H u u u u m m m m m m a a a n n n n n R R R R R R i i i g g g g h h h h h h t t t t t s s s s 合会 合会 合会 人権作文コンテスト 入賞作文集

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Human Rights法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会

( 全国共通)

検 索インターネット人権相談

入賞作文集のデータは,法務省ホームページに掲載しています。

( 全国共通)みんなの人権110番ゼロゼロみんな の ひゃくとおばん

0570-003-110子どもの人権110番

ぜろぜろななのひゃくとおばん

 0120-007-110通話料無料全 国 共 通( )

「いじめ」や暴力行為等は人権侵害です。法務局・地方法務局では,

人権侵害による被害を受けた方を救済するための活動を行っています。

お気軽にご相談ください。

全国中学生

この冊子には,音声コードが, 各頁(奇数頁 左下, 偶数頁 右下)に印刷されています。専用の読み上げ装置で読み取ると,記録されている情報を,音声で聞くことができます。

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第35回第35回

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人権作文コンテスト入賞作文集

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第35回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次一般社団法人日本新聞協会事務局長

全国人権擁護委員連合会会長

(敬称略)

印 刷 平成28年1月26日発 行 平成28年2月4日発行者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会東京都千代田区霞が関一丁目1番1号電話 03(3580)4111 内線5875URL http://www.moj.go.jp/JINKEN/

本作文集の作品を, 印刷物やインターネット上に掲載する場合は,下記の連絡先までお知らせください。

詳しくは, 法務省ホームページ(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html)を御覧ください。

〈連絡先〉〒100‐8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号     法務省人権擁護局人権啓発課 TEL 03(3580)4111 内線5875

転載について

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又は [email protected] までお寄せください。

法務省人権擁護局長 岡 村 和 美内 田 博 文長 尾 篤 志橋 本   淳國 府 一 郎

日本放送協会解説委員室解説委員文部科学省初等中等教育局視学官

第35回全国中学生人権作文コンテスト中央大会表彰式(平成27年12月25日(金))

受賞者(前列中央3名)とその御家族(後列)

受賞者の皆さんと岩城法務大臣 落合審査委員長との懇談

 内閣総理大臣賞を受賞した仙台市立第一中学校3年の佐藤萌さん,法務大臣賞を受賞した浦安市立高洲中学校1年小林想さん,文部科学大臣賞を受賞した神山町神山中学校3年佐々木里菜さんの3人を法務省にお招きし,人権擁護局長から表彰状とトロフィーを贈呈しました。 受賞者の皆さんは,その後,岩城法務大臣を訪問するとともに,落合審査委員長との懇談も行いました。

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第三五回

全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文集

法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会

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入賞作文集 2

はしがき

法務省と全国人権擁護委員連合会は、人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環と

して、昭和五六年度から「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています。

本コンテストは、次代を担う中学生が、人権問題についての作文を書くことにより、人権尊重

の重要性、及び必要性についての理解を深めるとともに、豊かな人権感覚を身につけることを目

的として実施しているものです。

三五回目となった平成二七年度は、各都道府県単位(北海道については、札幌法務局及び函館、

旭川、釧路の各地方法務局単位)で実施された地方大会に、七、五八四校の中学校から過去最高

となる九七万三、八六五編にも及ぶ多数の作品が寄せられ、中央大会には、地方大会の審査を経

た代表作品一〇〇編が推薦されました。

この作文コンテストへの応募作品は、いずれも中学生らしい感性に富み、純粋な感覚で人権問

題をとらえたものばかりであり、応募された皆様の真しな姿勢には心を打たれるものがあります。

はしがき

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3 第35回全国中学生人権作文コンテスト

はしがき

この作文集をより多くの方々に御愛読いただき、人権尊重の輪が更に大きく広がることを願って

やみません。

おわりに、この作文コンテストの実施に当たり、多大な御尽力をいただいた全国各地の教育委

員会、及び中学校等関係各方面の皆様方に対し、心から感謝を申し上げます。

平成二八年二月

                    

法務省人権擁護局

    

 

全国人権擁護委員連合会

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入賞作文集 4

目  次

 【審査講評】

中央大会審査員長 

落おちあい合 

恵けいこ子

6

 【入賞作文】

内閣総理大臣賞

 「人として生きる」

宮城県・仙台市立第一中学校三年 

佐さとう藤 

萌もゆる 

10

法務大臣賞

 

ぼくの生きる道

千葉県・浦安市立高洲中学校一年 

小こばやし林 

想そう

14

文部科学大臣賞

 

大島青松園を訪れて

徳島県・神山町神山中学校三年 

佐さ

き々木 

里り

な菜

18

法務副大臣賞

 「知る」ということ 広島県・呉市立安浦中学校三年 

大おおやま山 

由ゆ

う宇

22

法務大臣政務官賞

 

患者の人権

静岡県・静岡県西遠女子学園中学校三年 

江え

ま間 

弓ゆみか華

26

目  次

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5 第35回全国中学生人権作文コンテスト

全国人権擁護委員連合会会長賞

 

文字の大切さ

徳島県・北島町立北島中学校一年 

橋はしもと本 

未みさき咲

30

一般社団法人日本新聞協会会長賞

 「生きる権利・死ぬ権利」

佐賀県・唐津市立浜玉中学校一年 

吉よしはら原 

直なお

34

日本放送協会会長賞

 

名前も知らない、あなたへ

福岡県・大野城市立大野中学校三年 

大おおつか塚 

奏かなで 

38

法務事務次官賞

 

ピアノを弾けないピアノの先生

埼玉県・日高市立高萩北中学校一年 

田たじま島 

光こうき貴

42

 「おじいさんの気持ち」

大阪府・履正社学園豊中中学校二年 

三みつい井 

仁じん

46

 

いじめを通して

兵庫県・多可町立中町中学校三年 

吉よしかわ川 

亜あ

み未

50

目  次

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入賞作文集 6

審査講評

「あなたの横を歩かせてください」

中央大会審査員長

 落おちあい合

 恵けいこ子

Don't 

walk 

behind 

me,

I 

may 

not 

lead.D

on't 

walk 

in 

frontof 

me,

I 

may 

not 

follow.

Just 

walk 

beside 

me,

And 

be 

my 

friend.

人権を考える時、必ず心に浮かぶのが前掲のフレーズです。

20数年前、少し長期にわたりアメリカ合衆国を取材して回ったことがありました。

審査講評

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7 第35回全国中学生人権作文コンテスト

それぞれの街でわたしが会ったのは、人権を侵害されたひとたち、「された側」の人たちでした。

人種による差別、障がいと呼ばれるものへの差別。虐待やさまざまな暴力による被害者など、深

い傷を負ったひとたちです。

そして、ある街のシェルターの壁に発見したのが、冒頭のフレーズです。

「わたしのうしろを歩かないでください。わたしはあなたを導くことはできないかもしれませ

ん。わたしの前を歩かないでください。わたしはあなたの後をついていかないかもしれません。

わたしの横を歩いてください。そして、ずっと友だちでいてください(なってください)」。この

言葉たちが、フランスの作家アルベール・カミユ(『異邦人』など)の言葉だと知ったのは後の

ことでした。そしてそれはいまでも人権を考えるとき、それ以前に人間関係を考える時、わたし

の心の鳴り響くメロデイになってくれています。

生きていくことは、並大抵のことではありません。人権というものと真っ直ぐに向き合った「あ

なた」であるなら、ご理解いただけるでしょう。多数派の論理に「従った」ほうが楽な時もあり

ます。何をして楽かは人それぞれですが。

反対に、勇ましく「ついてこい」と号令をかけるほうが楽なときもあるでしょう。けれど、カ

ミユはそのどちらをも拒否して、「W

alk 

beside m

e

」と呼びかけたのです。

作文を拝読しながら、わたしはカミユのこの言葉を思い出していました。わたし

の拙い講評など、どうでもいいのです。それぞれの作品をどうか、丁寧に深く読ん

でください。

審査講評

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入賞作文集 8

佐藤萌さんの『人として生きる』。祖母を通して知る曾祖父の生きた姿勢。その曾

祖父を敬愛した中国の人々のサポート。戦争という、「ひとがひとでなくなる」極限

においても尚、ひとが「ひとであり続ける」ことの豊かさと深さを考えさせられる

作品です。

小林想さんの『ぼくの生きる道』。拝読しながら、わたしは想さんといっしょに「波に乗って

立つ」体感を、今までとは違う海の音と風の感触を贈られました。この爽やかで軽やかな文体に

辿りつくまで、小林さんはどれほどの無念さを体験されてきたか。「僕らしく生きる」という素

敵な宣言が心に響きます。

佐々木里菜さんの『大島青松園を訪れて』。人としての自由も尊厳も奪われてきた人々。「そう

だ、私は誰かに伝えたかったのだ」という佐々木さんの切実な思いが結実した作品です。

大山由宇さんの『「知る」ということ』。合唱コンクールがきっかけとなって、より自分に引き

寄せることができた空襲や、ご家族の被曝。これからも歌を通して、そして言葉や文字を通して、

「伝え」続けてください。

江間弓華さんの『患者の人権』、吉原直さんの『生きる権利・死ぬ権利』。それぞれ別の方向か

ら「いのち」とその「最期」に独自の光を当てた優れた作品です。

文字を学ぶことから遠ざけられた人々との出会いを通して、識字のかけがえのなさを描いた橋

本未咲さんの『文字の大切さ』。文字をひとつ覚えるたびに彼女たちの顔に広がる笑顔。「花が開

く」って、そういうことなんだ、と実感。

審査講評

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9 第35回全国中学生人権作文コンテスト

大塚奏さんの『名前も知らない、あなたへ』。「目には目を、暴力には暴力で」が罷り通る時代

に、大塚さんはなんと素晴らしいことを学ばれたのでしょう。わたしも、大塚さんご一家を傷つ

けた「あなた」に伝えたいと思います。大塚さんが、「あなた」を見守っています、と。

田島光貴さんが通う音楽教室の「ピアノが弾けないピアノの先生」。「人が人を判断する基準は

何でしょう」という田島さんの問いに、わたしたち大人こそ、答えなければならないですね。

認知症の妻を丸ごと受け入れようとするご近所のおじいさんの姿を描いた三井仁さんの『おじ

いさんの気持ち』。わたしにも認知症の母がいました。いえ、母がいて、その母の「一部」が認

知症だったのです。母はまず彼女自身であり、わたしの母であり、認知症という症状はあとから

「追加」されたものなのですから。おじいさんにとって妻の症状もまた、そういうものなのでし

ょう。最後の2行、とても魅力的で心に迫ります。

『いじめを通して』の吉川亜未さん。「された側」の吉川さんからの、「あなたを救う人は必ず

どこかにいる」というメッセージは、いじめに苦しんでいるひとに必ず届くと思います。みんな

で届けましょう。

他にも印象的な作品は多々ありました。告白してしまえば、様々な作文の選考に関わっている

のですが、この作文コンテストほど順位を決めるのに抵抗があるものはありません。

それほど熱く心に響く作品が多いからです。

素晴らしい作品を、ありがとう!!

審査講評

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入賞作文集 10

入賞作文

内閣総理大臣賞

「人として生きる」

宮城県 仙台市立第一中学校 三年佐さ

とう藤

 萌もゆる

戦後七十年の節目となった今年の夏は、観測史上初の猛暑を記録して、全国の人々は暑さで苦

しめられた。七十年前の夏はどうだったのだろう。終戦を迎えた夏は、暑さだけではなく、深い

悲しみが人々の心身を苦しめたことだろう。戦争という悲劇から、基本的人権について考えてみ

ようと思う。

同居している八十九歳の祖母は、夏になると悲しい記憶を語り出す。進行性の認知症を患って

いて、新しい記憶はほとんど忘れてしまうが、七十年以上も前の出来事を、詳しく淡々と語るの

だ。話の一つ一つが悲しく、重く伝わって来る。そして悲しみと恐怖心が、私の中で年々大きく

なっているのを感じる。

祖母が生まれたのは、中国の満州、撫ぶじゅん順という場所で、曽祖父は満州鉄道に勤務して、外国人

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11 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

の労働者を受け入れ、派遣する部署の役職に就いていた。家族は役職者用の社宅に住み、生活環

境の整った恵まれた暮らしをしていた様だ。曽祖父は仕事でも中国やロシアなどの外国人と関わ

り、自宅にも身の周りの世話をする外国人を数名雇っていた。当時満州鉄道で働いていた外国人

の多くは、生活のために過酷な労働を強いられ、生活の格差は子供の目でも分かるほどだった。

そんな暮らしの中で、穏やかで誠実だった曽祖父は、地位や国籍に関わらず、たくさん有る物資

や食糧は、できるだけ分け合う努力をしていた。家に出入りしていた外国人とその家族達にも、

食糧や衣類、時には薬なども手配し、生活が向上するように、日々心がけていたそうだ。誰に対

しても平等に接して、平等に生きるチャンスを与えようと努力した父親が、祖母はとても誇らし

かったという。そして曽祖父のこの生き方が、終戦の時、祖母の大家族を救うことに繋がったの

だ。終

戦を迎え、曽祖父が役職に就いていたため、祖母達家族は引き揚げまでにかなりの時間が経

過していた。満州を出るまでの日々は、死を覚悟するほど悲惨な状況で、今でも祖母は全てを話

す心境にならない。今まで共に生き暮らした中国やロシアの人々が、敵国の人となって、家族を

苦しめていた。略奪や拉致、殺人、非道な事を目の当たりにして、戦争がこんなにも人々を変え

てしまうのかと、悲しみや恐怖を超えた複雑な感情になっていたという。しかしそ

の悲惨な状況の中、祖母の家族を救ってくれたのは、長年家で雇っていた中国人の

人達だった。食糧を集めてくれたり、危険な生活を陰ながらサポートして、日本に

戻れる様に支えてくれた。彼らにとっても命がけの手助けで、最後は、引き揚げ船

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入賞作文集 12

入賞作文

までの長い道のりを、一人も欠けることなく移動する手配をして、船に乗せてくれ

たのだ。曽祖父の生き方が、人の心を動かし、人として大切な心を育てていたのだ

と感じる。もし曽祖父が、日頃から差別的で有ったり、私腹だけを肥やしていたら、

支え、助けてくれる人も無く、今の私も存在しなかっただろう。

ここから、大戦中に起きた様々な人権侵害から、基本的人権の尊重がどれほど大切な権利なの

か、祖母は身をもって知っているのだ。そして祖母の話を聞く度に、曽祖父の生き方の様に、地

位や国籍に関係無く、どんな状況でも守るべきこと、それが人権の尊重ではないだろうかと私に

も理解できる。自分が人間らしく生きるためにも、まず身近な人々もそうで有る様に、日々の暮

らしの中でも心がけて生きていくことが大切だと思う。戦争という悲劇からは、何も生まれない。

しかし、祖母の体験談から、私は自然にたくさんの事を学んでいたと気付かされた。そして、辛

い思いをした祖母の事を、私が支えて守ってあげなければという気持ちが一層強くなった。

七十年前十九歳だった祖母には、明るく楽しい青春時代は無かった。その代わり、たくましく、

辛抱強く生きる力を身につけた。そして曽祖父の様に、自分に関わる人達に礼儀正しく、平等に

接して、できるだけ多くの人達が、人間らしく、自分らしく生きて行ける様に努力して来た。今

現在は病気も進行してしまい、昔の様なたくましさや強さは失くなってしまった。昼夜が逆転し

て、不思議な行動をしてしまったり、同じ話を何十回も繰り返したり、知らない人が見れば、壊

れてしまった老人にしか見えないと思う。私もはじめは慣れなくて、どう対応すればいいのか戸

惑い、見て見ぬふりをした事も有った。しかし、二十四時間介護している母の姿を見ているうち

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13 第35回全国中学生人権作文コンテスト

に、どう接したら良いのか、自分に出来る事は何かが分かってきた。どんどん壊れていく祖母の

人格や要望を受け止めてあげる事、そして最後まで人として尊重してあげる事が、家族の義務だ

と気付いた。一つ一つ失われていく祖母

の記憶から、少しでも悲しみが減る様に

願いながら、今日も同じ話に明るく返事

をしてあげよう。今日も優しい気持ち

で、手を引いてあげよう。そして祖母の

記憶に、私の笑顔をたくさん残してあげ

たいと思う。

入賞作文

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入賞作文集 14

入賞作文

法務大臣賞

ぼくの生きる道

千葉県 浦安市立高洲中学校一年小こ

ばやし林

 想そう

ぼくは障害者だ。なぜって?わからない。生まれつきそういうことになっていた。今は何とか

歩けるが、体のバランスを取るのがすごく難しいし、字が書けないという致命的なハンディキャ

ップを抱えている。

ぼくの一番古い記憶は保育園の時だ。当時三歳以上は同じ部屋で生活していて、その時に、ひ

とつ年上の子から「想ってなんですぐ転ぶの?枯れたチューリップみたい。」と笑いながら聞か

れたことがある。その時ぼくは、「分かんないよ、そんなの。」と答えた。本当の答えをあまり知

らなかったからである。

だけど、小学生ぐらいの時に(自分はこういう運命なんだ)と悟った。

運動会の時だ。練習でもうまくついていけなかったぼくは、本番でもダンスの移動を間違えて、

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15 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

大幅に皆より遅れてしまい、大恥をかいた。泣いたりはしなかったが、心の中で叫んだ。「全ては、

この不自由な体のせいだ、あーあ、こんな体いらないよ。」と。

こんな体をもっていて、大変でしょと言う人がいる。もちろん大変だ。例えばいじめ。これは、

障害者じゃない人にもあるかも知れないが、それとはわけが違う。障害者に対するいじめは、正

直言って「いじめ」ではなく、「差別」だからだ。

ぼくの体験談だが、ぼくは今年、住んでいる市主催のキャンプに参加した。その時の参加者の

中で、ぼくが最年長だった。だから、必然的に班長になってしまった。翌日、班員がうるさかっ

たので何回か注意したが、全く効果がない。先生が出る幕だとも思ったが、先生方はちょうど会

議中だった。仕方がなくぼくはかなり強く、「おい、静かにしろよ。」と言った。返ってきた言葉

は「ウルセーよ。障害者のくせに威張るな。」だった。ぼくにはかなりキツイが、こんなことは

日常茶飯事だ。

ここまでネガティブな話が続いたが、しかし、ぼくの人生が暗闇だけかといわれるとそうでは

ない。いい経験もしている。

ぼくは、小学六年生の時に、はじめてサーフィンを体験した。ボランティアのサーファーに教

えてもらう機会を得たのだ。

最初に、海の横の湖みたいなところで、SAPという棒を持ってボードに立つこ

とを練習して、慣れてきてから本格的に海に出た。周りにはたくさんのサポートし

てくれる人が居たので、安心だった。ボードに寝そべって波に乗るボディーボード

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入賞作文集 16

入賞作文

から始め、だいぶタイミングがつかめてきたところで、初めて立つことに挑戦し

た。・・・もちろん、失敗。波が押してくる中、ボードが傾かないように調整し、立

てるほど、ぼくは器用じゃない。何回も落ちて、溺れそうになって、這い上がって

辞めたくもなったが、コーチは諦めることを許さなかった。「障害に甘えるな、やれ

ば出来る。お前なら出来る。どうしてものところは手伝ってやるから。」と。でも、時間がたつ

ほど、ぼくの足は重くなる。体力の限界が近づいていた。ぼくは、コーチに後五回でやめさせて

くれとお願いしてしまった。その五回のうちの二回目、コーチが「いい波が来た、いけるぞ、想。」

と叫んだ。ぼくは、最後の力を振り絞り、今まで教えてもらった通りに立つ準備をした。全身の

力をひざと足に集中させて立つ。

・・・立った。生まれて初めてのスローモーションだった。すごいぞ!立った!このぼくが波

に乗ったんだ!・・・

あれ?と気づいた時には、板から落ち、水の中だった。海から出た時はもうフラフラだったが、

とても気分が良かった。波に乗っている時の風、海の音、すべてが爽快だった。そして、何より

も自分に自信がもてた。このぼくが、サーフィンが出来たんだ、最初は、何も出来なかったけど、

頑張れば出来るんだ。障害なんて関係ない、要は自分がやるか、やらないか、出来ないことなん

て何もない、もう何も怖くないぞ、とこの経験でそんな自信を得ることが出来た。これも教えて

くれたコーチやサポートの方達の支えがあったからだと思う。

ぼくは障害者だ。たくさん嫌な思いをしてきたし、大変な思いも常にしている。でも、おなじ

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17 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

くらい人から優しくされてきた。だから、何とか毎日元気に過ごせている。すべての人が相手を

思い、優しくしたり、むやみに人を傷つけることをしない社会になればいいと切に願う。そした

ら、どんな人もその人らしく生きることが

出来ると思う。

これからぼくは、周りの方への感謝を忘

れずに、不自由な体とうまく付き合い、少

しの手助けは必要だけれど、やれば出来る

という自信をもってやっていきたいと思

う。障害があろうがなかろうが、ぼくらし

く生きていく。時に少しブサイクだろうが、

それがぼくの生きる道だ。

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入賞作文集 18

入賞作文

文部科学大臣賞

大島青松園を訪れて

徳島県 神山町神山中学校 三年

佐さ

き々木 里り

な菜

「差別」という言葉を聞いたとき何を思いうかべるだろう。私はこのハンセン病問題の人権学

習を通して「差別」の本当の怖さを知った。

ハンセン病は感染力が弱く、非常にうつりにくい病気だ。しかし、人々のまちがった考えから

偏見や差別の対象にされ、ハンセン病患者の方の自由や権利は奪われていったのである。私は、

権威ある人の考え方や判断一つで「差別」が生まれ、このような苦しみが生まれるものなのかと、

ショックを受けた。

私たちは先日、ハンセン病患者の強制隔離が行われた場所の一つである、大島青松園を訪れた。

この島へは船でしか行くことが出来ず、差別の現実を物語っているように感じられた。

まず、私たちは県人会の方々との交流会に参加した。ここではハンセン病回復者の方々が強い

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19 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

差別があった中で実際に経験したこと、感じたことを話してくださった。その中で私の心にとま

ったのは「兄弟げんかがなつかしかった。」という、何気ない言葉だ。ハンセン病にかかると療

養所に強制隔離される。つまり家族と離れて生活することを強いられるのだ。家族とともに笑い

合うことも、机を囲んでご飯を食べることもできない。それは病気が治ってからもずっと続くの

だ。回復者の方々はどんな気持ちで一日一日を過ごしていたのだろうか。その気持ちを想像する

だけで胸が苦しくなった。

施設見学で私たちは「納骨堂」という場所を訪れた。この「納骨堂」の中にはハンセン病で島

に来て、亡くなってもいまだに故郷に帰ることのできない方々の骨つぼが並べられていた。他人

に名前の入った骨つぼを見られて、家族が差別に合わないようにという、思いやりから名前を書

かない骨つぼがいくつかあった。かけがえのない時間を奪われても、死と向き合っていても、な

お家族への配慮を忘れないハンセン病回復者の方の優しさに心が震えた。そして、差別というも

のは「つらく、悲しい」という言葉だけでは言い表せないものだということを実感した。

帰りのバスの中、目を閉じると、私たちの目を見て懸命に話してくれた回復者の方々の笑顔が

うかんだ。私の心はなぜかすっきりしなかった。まちがった考えが生んだ差別ではあるが、もっ

と早く解決する方法はなかったのだろうか。あの笑顔にこたえるために私たちがで

きることは何だろうか。

その日の夜、私は家族に大島青松園でのことを話した。父も母もハンセン病のこ

とは詳しく知らなかった。私はパンフレットを片手に夢中でしゃべっていた。強制

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入賞作文集 20

入賞作文

隔離のこと、できてしまった赤ちゃんが処分されていたこと、亡くなって灰になっ

ても故郷に帰れない人がいること・・・・・・

。私は自分の中の怒りを抑えることができ

なかった。両親はそんな私に驚きながら

「そんな辛いことが身近なところであったんやなあ。親の世代は知らん人も多いと思

うよ。いろんな人権問題があるけど、まずは真実を知ることからやな。勉強になったわ。」

と言ってくれた。

そうだ、私は誰かに伝えたかったのだ。大島青松園で私が感じた悲しみや怒り、そして触れる

ことのできた人間の強さや優しさを、誰かに伝えずにはいられなかった。人生のほとんどをこの

島で暮らした回復者の方々は、私たちの前では、生き生きと話をしてくださったが、歩くのがや

っとのようだった。高齢化していく回復者の方の心の叫びを伝えるのは私たちの使命なのだ。両

親とハンセン病差別について話し合えたことがとてもうれしかった。自己満足かもしれないが、

私の第一歩だ。そして、これから出会うであろう人権問題についても真剣に考え、正しい判断を

し、行動できるようにしたい。それこそが今回、大島を訪れた私たちの責任であり、長い間苦労

された回復者の皆さんにこたえる、唯一の道だと信じている。

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21 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

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入賞作文集 22

入賞作文

法務副大臣賞

「知る」ということ

広島県 呉市立安浦中学校 三年

大おおやま山

 由ゆ

う宇

この夏、私たち吹奏楽部は、中学校生活最後になるNHK合唱コンクールに出場する。私たち

の学校では、毎年恒例の曲を自由曲として選曲し、練習を重ねている。それが「呉ふるさと讃歌」

である。この曲の作曲に携われた前顧問のK先生が今日、私たちのために合唱指導に来て下さっ

た。K先生の指導はこれまでに何度も受け、刺激を受けてきているが、今日の先生の指導はこと

さら熱かった。普段はとても温和な先生がこんなにも激しく私たちに語られるからには、私たち

の合唱に大きく足りない何かがあるからだと感じた。先生が特に強調されたフレーズは「空襲に

怯えた戦の空を」の部分である。呉空襲の戦火の中、呉の人々がどんな気持ちで生き抜いてきた

のか、イメージして歌うことが必要だといわれる。正直、呉空襲についてほとんど知識のない私

たちにとっては難しいことだと感じた。先生の指導はさらに続き、「人間は本当におびえたり苦

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23 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

しかったりしたら、声は出ないし足もすくむ。そのことをあなた達は、歌声を通して、伝えなく

てはならない。」「男声パートは、戦の中で恐怖の中、戦った若き人達を。女声パートは、学業を

捨て、青春を捨て、兵器を作る工場で朝から晩まで働いた女生徒の気持ちを。」と。K先生の檄

は飛ぶものの、「これでよい。」とは言ってくださらなかった。そして、最後に静かに、こうおっ

しゃった。「合唱は、美しさだけでは成り立たない。たくさんの思いを聴く人に届けることで、

感動させなくてはならない。」と。

この日、家に帰ってから私は母に「呉空襲って、そんなに大変だったん?」と聞いた。母は祖

母に同じことを聞いていた。母はもちろん、祖母も聞いたことはあるもののあまり知らないよう

だった。私は、「呉空襲」にかかわる歌を歌い続けてきたにも関わらず、今までこのことについ

てあまり深く考えたこともなかったことについて、申し訳ないような気持ちになっていた。

このようなある日、新聞で「呉空襲」での被爆体験をもとに紙芝居が完成したという記事を目

にした。呉空襲を体験され、今日まで生きてこられた七十八歳の女性が語られたことを呉市在住

の絵本作家が紙芝居にしたという。私は、どうしても今、この紙芝居が見たくなった。毎日の部

活の合間をぬって、やっとこの紙芝居の原画展を訪ねた。ほんわかとかわいらしい紙芝居の原画

に想像していたより穏やかな温もりを感じ、少しほっとした。しかし、その中で一

枚の原画の前で足が止まった。それは、呉空襲の中でも最も被害が甚大であった七

月一日の空襲の一場面である。ぎゅうぎゅうづめの真っ暗な防空壕の中で、誰もが

押しつぶされて死んでいく地獄のような中で差し出された一人の手と、「もうだいじ

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入賞作文集 24

入賞作文

ょうぶじゃあ。しんぱいせんでええど。」という、やさしい言葉によって一人の小さ

な女の子の命が救われた場面である。戦争という異常な状態の中で誰もが自分の命

を守ることだけで精いっぱいだった時、そんな中でも人のためにやさしい言葉とあ

たたかい手で一人の女の子を救った人がいたのだ。人間として一番大事なものを奪

ってしまう悲惨で残虐な戦争の最中、大切な心をなくさずに生きていた人がいることを知り、私

は胸がいっぱいになった。原案を書かれた人も絵本作家さんも命をかけてこの事実を伝えようと、

紙芝居に思いを託されたのだと思う。私は、この人たちのおかげで、今回はじめて呉空襲の事実

に触れ、人の心の尊さを学ぶことができた。

被爆七十周年を迎えた今年、ヒロシマは節目の年だといわれている。私の曾祖父も原爆の犠牲

となり、三十六歳という若さで亡くなった。そして、その妻である曾祖母は被爆手帳を持ち、苦

労しながら三人の子供を育て、九十八歳を迎える。今は亡き祖父がいて、私の母がいて、今の私

がいて、命がつながれている。ヒロシマだけではなく、身近な都市呉市にも惨禍があったことを

あまりにも私たちは知らなかった。ヒロシマも呉も、ともに戦争による悲しい歴史を持ちながら

も必死に生き続け、命をつないできたのだ。

K先生があの時、私たちに託された深い思いを私は三年間かかってようやく受け止めることが

できたような気がしている。呉空襲を知らないから、うまく歌えないのではない。過去の事実を

知ろうとし、自分なりの思いを大切に持って、歌に魂をこめて後世に伝えるつもりで歌うことが、

大切なのだと。

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25 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

最後の合唱コンクールは明日。「母が生

まれた、父が生まれた。今はない祖父が祖

母が生まれた、私が生まれたこの街で私は

友と一緒に生きていこう」のフレーズを、

私は仲間と共に誇りをもって、心をこめて

歌う。そうすることが私にできるはじめの

一歩であり、この曲を歌わせていただく中

学生の使命であると感じている。

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入賞作文集 26

入賞作文

法務大臣政務官賞

患者の人権

静岡県 静岡県西遠女子学園中学校 三年

江え

ま間 弓ゆみか華

「病院は病気を治す所です。治療のために血液を使いたいのです…。」

私の兄や姉といっても通りそうな若い医師達が口にした言葉に、私は思わず息をのんだ。隣に

座っている母の体が、ぴんっと固くなった。

病院が病気を治す所だということは当たり前のことで、誰もが痛みから逃れたい、健康になり

たいと思って行く場所だということは幼稚園児でもわかっているだろう。だが、その時の私はそ

の言葉を受け入れることができず、まるで死刑宣告のように感じた。

「骨髄異形性症候群」。祖母はこの病気と二十数年間闘ってきた。赤血球、白血球、血小板とい

う血液細胞を作る工場である骨髄に何らかの理由で異常が起きたためにかかってしまう病気で、

原因は不明とされている。高齢者に多く見られ、重症化すると、急性骨髄性白血病へと移行する

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27 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

場合も多いという。祖母は長い間、病気が進行するのではないかという不安と闘いながら生きて

きた。決められた時間を守って薬を飲み、病院へ行き、体調によっては入院して輸血をしてもら

う、という生活を二十数年間ずっと続けてきたのだ。

私が物心ついた時には病気だったはずの祖母だが、どんな時も明るく、何もかもテキパキとこ

なし、生きることを謳歌しているという言葉がぴったりの女性で、姉と私はそんな祖母のことが

大好きだった。

その祖母が、体調の悪さを訴えたため病院へ連れていったところ、即入院となった。この時、

祖母も私たちも「病気を治すため」の病院へ向かっており、病院も受け入れてくれた。だが、後

になって母から聞いた話によると、救急外来の先生には、最悪の場合、余命三ヶ月と宣告されて

いたという。それでもまだ祖母にとっても私たちにとっても、病院は病気を治すところであり、

希望を持って過ごしていた。

しかし、入院から二ヶ月が過ぎても、病状は安定せず、歩いてレストルームまで行けていたの

が部屋の洗面台までも車いすを使うようになり、また明日ね、と振る手がみるみる白く、か細く

なっていくのが不安でたまらなくなって、毎日のように祖母に会いに行った。

祖母の担当は二十代前半の笑顔の素敵な女性と、優しく語りかけてくれる男性医

師で、専門的なことも分かりやすく説明してくれたため祖母も私たちも安心してい

られた。だが、輸血の回数が頻繁になり、輸血の単位が多くなってきても、数値が

上がらないどころか、すぐ下がってしまうということが続くようになってくると、先

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入賞作文集 28

入賞作文

生との面談の後、母はすぐに病室に戻らなくなった。どんなに優しく、どんなに分

かりやすく説明されても、行きつくところの話は、ひとつを示しているからだ。

「治る見込みのある患者さんに血液を使いたい。病院は病気を治す所なのです。」

原因不明で完治の見込みがない病気であることに加え、高齢であること、持病だ

けでなく、肺の機能まで弱ってきていること、そして、度重なる輸血や投薬でも状態が改善され

ないことなどから、祖母にこれ以上の治療は無意味であるばかりか、苦痛を与え続けるだけにな

る、それならば祖母は緩和ケアに治療の方向を変えた方が良い、そして祖母のために使っている

血液を、治るべき人たちのために使いたい。

「正論だよね。病院はそう考えるよね。」

と、つぶやく母に返す言葉が見つからず、面談の後は涙の跡をごまかして病室へ戻ることが続い

た。そ

れでも祖母は生きようとしていた。痛いことも苦しいことも、恥ずかしいことも、

「迷惑かけて申し訳ないけど、ばあばは、

まだ生きていたいだよ。がんばるでね。」

と言って毎日を過ごしていた。生きようと頑張っている祖母に緩和ケアの話をすることは、その

思いを断ち切ることになってしまう気がしてなかなか言い出せなかった。

医学的には死が目前であっても、生きたいと、生きようとしている患者に対しどこまで治療を

続け、どこで治療の線引きをするのかを決めることの難しさを目の当たりにし、私は人の命を預

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29 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

かる医療の厳しさを身をもって感じた。そして、

同時に避けられない医療の限界があることも。

健康で過ごせることは幸せなことだが、体や

心に何かしらの症状が出て、病院にかかる時、

もちろん病院では治すためにあらゆることをし

てくれるだろう。結果、快方に向かえば言うこ

とはないが、祖母のように生きたいと願っても

今の医療ではかなえられない場合、治療を続け

たいという患者の意思はどうなるのだろう。死

を目前にした(と医学的に扱われる)患者の人

権はどこまで守られるべきなのだろう。誰に剥

奪の権利があるのだろう…。

私は将来、新薬の研究開発の道に進みたい。

剥奪される人権を一つでもなくすために。

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入賞作文集 30

入賞作文

全国人権擁護委員連合会会長賞

文字の大切さ

徳島県 北島町立北島中学校 一年

橋はしもと本

 未みさき咲

私は六年生の時、識字学級に通っている人たちにお話を聞きに行きました。識字学級では、二

人ずつのグループに分かれ、文字を学習していました。私は二人のおばあさんから、お話を聞く

ことになりました。二人とも、部落差別を受けたと言っていました。一人のおばあさんは、家が

貧乏だったため小さいころから妹と弟の面倒を見ていました。両親は、工事現場で働いていて、

仕事が休みになる雨の日にしか学校に行くことができませんでした。そのため、ひらがなやかた

かな、漢字を覚えられなかったそうです。そのことで、学校では友達からいじめられて、学校に

は行きたくなくなったそうです。もう一人のおばあさんは、ふつうに学校に通っていました。し

かし、ある日友達に「どこに住んでいるの?」と聞かれ答えると、急にいやな顔をされて誰も近

づいてこなくなったそうです。そして次の日から、「きたない」「気持ち悪い」などひどい言葉を

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31 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

投げかけられたり、いすに押しピンを置かれるような嫌がらせをされて、とうとう学校に行けな

くなってしまいました。私は、生まれた場所、住んでいる所で人を見下し、差別することに腹が

たちました。文字の読み書きができないまま大人になったおばあさんたちは、生活の中でたくさ

んの苦労をします。病院に行っても、自分の住所、名前が書けない。バス停の時刻表を見てもど

こに行くか分からない。看板や道路標識が読めないなど、困ることが何度もあったそうです。そ

して、文字そのものが、おばあさんたちの子どものころに受けたいじめを思い出し、怖かったと

も言っていました。あたりまえに学校へ通うことができた私にとって、文字の読み書きができな

いことが、こんなにも生活することを難しくしているとは想像していませんでした。そして、私

がこれから挑戦しようとしている高校受験や、会社に就職する機会を持てなくなってしまうとい

うことにも気づきました。

 

おばあさんは、最初、識字学級に行くのは、はずかしいと思っていたそうです。理由は、おば

あさんにもなって文字が書けないことを笑われたり、からかわれたりするのではないかという不

安があったからです。しかし、自分の子どもや孫が文字を書けるのに、おばあさんとして情けな

く悔しいという思いが、おばあさんを識字学級へ行こうという気持ちにさせていきました。通い

始めてみると、みんな自分と同じつらい体験をしていたことが分かってきました。自

分の思いを打ち明けることで、ここにいる仲間たちと一緒に頑張ろうと、前向きな

気持ちになれたそうです。私は、識字学級を見学するまでは、悲しそうなおばあさ

んしか想像していませんでした。しかし、識字学級で学んでいるおばあさんたちは、

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入賞作文集 32

入賞作文

あんなにもつらい体験をしたにもかかわらず、仲間や先生たちと楽しそうに学びあ

い、ひとつの文字が書けるようになる度にこぼれてくる笑顔がとても印象的でした。

私は、文字を書けないことのつらさ、いじめられる側の苦しさ、文字を知ったこ

とがどれだけおばあさんたちの生きる支えになっているかを感じました。文字の読

み書きは、おばあさんたちにとって、生きることそのものだったのです。

私が、つい最近公園に行くと、ペンを持った高校生くらいの人が、遊具に何かを書いているの

を見ました。後で見に行くと「死ね」「うざい」「きえろ」と人の悪口が書かれていました。私は、

一瞬のうちに人を傷つけてしまうこの文字を見て、とても悲しくなってきました。何の苦労もな

く文字を学ぶことができたこの高校生は、文字の持つ重みを分かっていないのだと思います。

私たちの身のまわりにも、手紙やメールのやりとりの中でこの高校生と同じようなことはして

いないでしょうか?今、中高生たちの間で携帯電話のメールやサイトコミュニケーションアプリ

を通じて、友人の悪口を流したり、掲示板に他人を中傷する内容を書き込むことなどが社会問題

になっています。軽い気持ちや冗談のつもりで書いた文字が、相手を深くきずつけていませんか?

文字を軽く扱っていませんか?

おばあさんたちは、「一つでも文字が書けるようになることが、うれしくてたまらない」と言

っていました。何十年もの間、文字を学びたくても学べない。そのためにいろんな苦労やつらい

体験をしてきたおばあさんたちから生きる喜びを教えてもらいました。だからこそ、私は、文字

を大切に遣い、その文字でまわりの人を元気にしていくような人になりたいと、心から思うよう

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33 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

になりました。

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入賞作文集 34

入賞作文

一般社団法人日本新聞協会会長賞

「生きる権利・死ぬ権利」

佐賀県 唐津市立浜玉中学校 一年吉よ

しはら原

 直なお

「緩和ケア」

 

私はこの言葉を六年生の春に初めて耳にしました。完治が望めない患者に対して、一日でも長

く延命するよりも、その身体的な痛みや精神的な苦しみをできるだけ軽くすることを目的とした

看護のことです。

私の祖父は、一年前の六月、あじさいの花が咲きほこるころ息をひきとりました。病名は「末

期のすい臓ガン」で、おととしの十二月に告知を受け、半年間の闘病生活でした。祖父は病状が

進んでもなお、入院はせず、祖母と二人で自宅で花や野菜を育てたり、愛犬をかわいがったり、

長い間ずっと大切にしてきたものに囲まれながら穏やかに暮らしていました。私の祖母は、何年

も前から体が悪く一人では立って歩けません。祖父が亡くなるギリギリまで自宅にいたのは、そ

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35 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

んな祖母への気遣いもあったにちがいありません。

祖父の最期は、緩和ケアという場所でした。ガンになるずっと以前から、自分の最期は緩和ケ

アだと決めていたそうです。

祖父は入所してからわずか一週間で亡くなりました。入所した初日、病室へ持ちこんだアルバ

ムの中から、

「これが一番よか顔ばしとる。」

と遺影になる写真を自分で選び、初孫だった私に申し訳なさそうに、

「じいちゃんの葬式の最期のお別れの手紙ば読んでくれんね。」

と頼んできたのです。私はまだその時、祖父が亡くなるとは全然思ってもみなかったので、よく

理解できずにうなずくだけでした。

それから毎日、学校から帰ると欠かさず祖父の病室にかけつけました。祖父は、

「おう、よう来てくれたね。学校は楽しかね。」と言ってニコニコ笑っていました。私は、そんな

いつもと変わらない祖父の笑顔を見るのが好きでした。でもそれから、一日ごとに祖父の様子は

変わっていきました。モルヒネという強い痛み止めの薬を使っていた祖父は、次第に日にちや曜

日、場所、兄弟や家族、私たち孫のこともわからなくなりました。話もせず、ただ

ぼんやりと過ごす時間が増えました。その数日後、私が病室に入り、

「おじいちゃん。」

とゆっくり大きな声で呼びかけると、いつもの笑顔で手を差し出してくれました。や

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入賞作文集 36

入賞作文

っぱり私のことを覚えていてくれたんだと思うと、嬉しくもあり、でも胸が張りさ

けそうに悲しくもありました。それから三時間もたたないうちに、祖父は亡くなり

ました。冷たく固くなっていく祖父の体を祖母、母、おばさん、いとこたちとみん

なでさすりながら、祖父を見送りました。母やおばさんたちは泣きながら、でも途

中からは全員笑顔でした。痛く苦しい病気と闘っていた祖父がもう苦しまなくていいからだと安

心したからです。

祖父が選んだ「緩和ケア」という最期は、点滴や薬をほとんど使わず、心臓マッサージも人工

呼吸器も輸血も行わないという方針です。祖父が入院してからも、祖母だけはずっと一人でこの

方針に反対していました。病棟の先生、スタッフ、母、おばさんたちは祖母が納得するまで何度

も説明や話し合いを重ねたそうです。とにかく延命優先を希望する祖母に対して、母やおばさん

たちは、

「緩和ケアを最期の場所に選んだお父さんの意思を尊重してほしい。」

と必死になって繰り返し主張したそうです。

祖父が緩和ケアを望んだのには理由があります。以前ガンで亡くなった祖父の兄たちが最期ま

でずっと点滴の管やチューブにつながれていたり、意識も反応もないのにただベッドに横たわっ

ているのを目の当たりにしたからです。祖父は、自分の足が動く間は愛犬と散歩に出かけたり、

一輪車いっぱいに野菜を収穫したり、気力がある間は自分で運転して私の発表会に来てくれたり、

祖母の通院を手伝ったりしていました。入院してからも、絶対にトイレは自分の足で向かい、ナ

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37 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ースコールを自分では一度も押さず、とにかく我慢強く、自分よりも周りを優先する人でした。

そんな祖父だったからこそ、延命を望まなかったのだと思います。自分でできることは最期まで

自分の力でがんばりたいという祖父らしい姿です。

私は祖父の生き方から、人が人として生

きる意味を学びました。そして、人が人と

して死ぬ権利があることも学びました。人

が人としてとは、その人の望むことだと思

います。祖父のように自分の力でしっかり

生き抜くことや、死ぬ場所や死に方を自分

で選択し決定することが人権を尊重するこ

とにつながるはずです。祖父の意思を尊重

し、守ろうと力をつくしてくれた緩和ケア

の方々にも、私は感謝しています。私も私

らしく、精一杯毎日を生きて、祖父のよう

に自分の意思をしっかり持てる

人になりたいです。

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入賞作文集 38

入賞作文

日本放送協会会長賞

名前も知らない、あなたへ福

岡県 大野城市立大野中学校 三年

大おおつか塚

 奏かなで

今こうして、名前も知らないあなたへ手紙を書いています。あて先も分からない便りですが、

いつかあなたの目に留まることを願いながら、書き進めます。

昨年十二月五日の夜、自宅の電話が鳴りました。私たち家族が暮らす福岡県の隣、佐賀県の警

察署からでした。

「捕まえました」。その前の年の五月、私たちの家に侵入し、お金を盗んだあなたを逮捕したと

いう知らせでした。

家族でプロ野球観戦に出かけた、あの夜。マンションの外壁工事の足場を伝い、五階の留守宅

に侵入したあなたは、母が台所の引き出しに収めていた一万円札七枚と、小銭をまとめていた小

さな袋を持ち去りました。

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39 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

表情を失った母、厳しい口調で通報する父、慌ただしく動き回る警察の方々。日付が変わり、

ようやく少し落ち着いた頃、父と母が同時にまったく同じことを口にしました。

「金で済んで良かったな」「本当、お金だけで良かった」。この言葉の意味が、理解できますか。

中学一年の私と小学四年の弟。もしも、子どもたちだけで留守番をしている時に泥棒が入ってい

たら、驚いて叫び声を上げていたら、どうなっていたことか。両親は最悪の場面を想像したので

す。翌

日、家中の窓に二重、三重の補助鍵を取り付けました。外出前も帰宅後も、母は何度も何度

も鍵を点検するようになりました。子どもだけの留守番もできなくなりました。

よく聞いてください。あなたが盗んだのはお金だけではないのです。何より大切な子どもの安

全を脅かされ、金額では表せない恐怖を植え付けたのです。私と弟を守ることだけを考えてくれ

る両親の姿に、私は、あなたを絶対に許さないと、一時は心に刻みました。

一年七か月後のまさかの逮捕に、私と弟は興奮して、あなたの名前や年齢、住所などを次々と

父に尋ねました。でもなぜか、答えてくれません。納得できない私たちに、父は古い新聞記事を

見せながら、十数年前の自分の過ちを打ち明けてくれました。

当時、私たちが住んでいた町で、高齢の夫婦が三十代半ばの息子を殺すという事

件がありました。職を失い、トラブルを起こしてばかりの息子のために、夫婦はい

つも謝っていました。そんな日が六年も続きました。

ある夜、息子が近所の保育園を名指しして「園児を殺す」と予告しました。それ

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入賞作文集 40

入賞作文

を食い止めるため、父親は決断しました。翌朝、眠っている息子の頭を木のバット

が折れるまで殴り、スカーフで首を絞めました。動かなくなるまで足を押さえてい

たのは、母親でした。

裁判では、執行猶予の判決が言い渡されました。裁判長は「同じ苦しみを持つ家

庭の力になってほしい」と諭したそうです。

しばらく後、父がよちよち歩きの弟と散歩をしていると、向こうからその夫婦が寄り添うよう

に歩いてきました。一瞬、目が合いました。父は仕事の関係で二人の顔を知っていましたが、気

付かないふりをしました。すると、夫婦は腰を深く、深く折って、繰り返し頭を下げながら通り

過ぎていったのです。顔を伏せ、もう二度と目を合わせようとせず。

「あの時、お父さんは『事情を知っている者の目』をしてしまったんだろう。それがご夫婦に

伝わった。今でも申しわけない」と父は言いました。

私は、父が何も答えなかった理由に気づきました。社会に戻ってきたあなたと私たちが万が一

顔を合わせた時、「あの時の犯人だ」という表情をすることがないように。そのことで、懸命に

立ち直ろうとするあなたの心を傷つけたり、逆上したあなたが私たちに危害を加えたりすること

がないように、と。

今回の事件をきっかけに、償いについて考えました。償いとは、加害者が反省から更生へと踏

み出すことについて、被害者が許し、認めること。そして、加害者が二度と同じ過ちを繰り返さ

ないこと。この二つがそろって初めて、償いになる。これが、今の私なりの結論です。

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41 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

私たち家族は、あなたを許しています。償いの半分は終わりです。しかし、本当に苦しく、難

しいのはこれからです。再犯率という恐ろしく大きな数字がそれを証明しています。

あなたは今、どこで、何をしていますか。働くことで七万円を得ることの大変さ、働いて得た

七万円の重みを感じていますか。「あいつは泥棒だったんだ」という卑怯なささやきが、耳に入

ってくることはありませんか。それは、立

ち直ろうとするあなたの心をくじくでしょ

う。でも、耐えてください。それを言い訳

にして、逃げないでください。

私はあなたの名前も、顔も知りません。

それでも、あなたを見ています。償いを成

し遂げる日を待っています。逃げない、負

けないあなたであるよう、応援しています。

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入賞作文集 42

入賞作文

法務事務次官賞

ピアノを弾けないピアノの先生

埼玉県 日高市立高萩北中学校 一年

田たじま島

 光こうき貴

ぼくの通っている音楽教室の校長先生は車イスで生活しています。三十歳を過ぎた頃、原因不

明の病気を発症して以来、起き上がることもできない日が続き、何年もの間入院していましたが

治らず、自宅で療養することになったそうです。人がそばを通っただけで、全身に激痛が走ると

いう難病でした。

病気になる前の先生は、音大でピアノを教えていました。一日十二時間以上も、毎日生徒さん

とピアノにむかっていましたが、少しも苦に思ったことはなかったそうです。ピアノを弾くこと

しかなかった人生の中から突然病気にピアノを弾くことを奪われてしまった先生でしたが、なん

と、自宅でピアノ教室を始めてしまったのです!自分の病気を嘆くことより、「良かった。これ

で娘のそばに毎日いてあげられる。」と思ったそうです。ピアノを弾くことができない人がピア

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43 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ノ教室を始めるなんて普通の人には考えられません。最初の頃は、そうと知ると、話を聞きに来

た人達は皆、去って行ったそうですが、近所の子ども達が通うようになって評判になり、二十年

後には全国からたくさんの人が通う大きな音楽教室になっていました。

先生のすごい所は逆転の発想です。体が動かなくなったから、それまで忙しくてできなかった

研究を、家でじっくりする時間ができたと考え、絶対音感のプログラムを作り上げました。ほと

んど寝たきりの体ですごい気力です。できないことを嘆くことなく、見方を変えてチャンスにし

てしまう。努力は並大抵ではありません。

そんなすごい先生も、知らない人から見れば、車イスに乗った障がい者の老人です。道の端に

停まっている時に、じゃまだと言わんばかりに頭を叩いて通る心ない人がいるのだそうです。し

かも、一度や二度ではないというのです。この人達は、人の中身を想像することができない人な

のでしょう。ぼくは本当に驚き、なんとも言えない悔やしく悲しい気持ちになりました。ぼくが

今、ピアノを勉強しているのは、先生が認めてくれたおかげです。誰よりもできないことが多く、

他の人と一緒に同じことができないぼくでしたが、先生は皆の前で、ぼくの演奏を「花マル満点。」

と言ってくれました。それまでなぐさめられることはあっても、本当にほめられたことはなかっ

たのだと思います。ぼくに向けられた心からの言葉は、小さかったぼくにも良く分

かりました。先生が心から認めてくれたおかげで、ぼくはピアノが好きになりました。

あの日の先生の言葉で、ぼくの人生は変わったと思っています。

先生は物を大切にする(しすぎる?)人です。あなの開いたくつ下はていねいに

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入賞作文集 44

入賞作文

縫ってはく。形ある限り、何年も同じ服を大切に着る。先生のだんなさんも同じよ

うに物を大切にする人だそうです。ある日二人で、音楽教室のお金をおろしに銀行

へ行った帰り、後ろから来た男にいきなりお金の入った封筒を奪われてしまったこ

とがあったそうです。数百万円もの大金が入っていました。あわてて交番に届けに

行ったのですが、二人の身なりがあまりにも質素だったので、「そんな大金を持っていたはずが

ない。」と、おまわりさんに信じてもらえなかったそうです。

人が人を判断する基準は何でしょう。

見た目で判断していないでしょうか。

着ている服や家庭の環境、学歴、成績、人とうまく話せる人、人見知りな人、運動能力がすぐ

れている人、自信がある人、ない人、世の中にはいろいろな人がいます。そして一人一人違って

います。できることや持っている物が多い人は偉い人なのでしょうか?自分よりできないことが

多い人を、自分より「下の人間」と思っていないでしょうか。人の価値は持っている物だけでは

ないはずです。

校長先生は三年前の寒い冬の日、小さな風邪がもとで、突然亡くなってしまいました。先生が

毎月一話ずつ書いてくれた「教室通信」には、先生の考えていたことや身の回りで起きたこと、

先生が伝えたかった思いが書かれています。先生は亡くなってからも、いろいろなことを伝え、

励ましてくれます。文章の力はすごいです。直接話を聞いたかのように心に残り、いつでも先生

に会うことができるようです。

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45 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

ぼくは思います。

価値ある人は、

上を向く気持ちのある人

人の心を動かすことのできる人(感動)

人の心を暖かくする人

本当に大切なことを知っている人

自分と他人を大切に思うことができる人

ぼくの音楽教室の校長先生は、ピアノを

弾けないピアノの先生です。でも誰よりも

ピアノを弾くことの意味を教えてくれた最

高の先生です。

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入賞作文集 46

入賞作文

法務事務次官賞

「おじいさんの気持ち」

大阪府 履正社学園豊中中学校 二年三み

つい井

 仁じん

僕の町内は、お年寄りを見守る環境を整えようと努力している。常に声をかけたり、孤立しな

いように、集まって食事会やイベントを計画したりしているようだ。近所に住むお年寄り夫婦は

子どもがいなくて自分達でこまっていたので僕の母が後見人になってもう一年ぐらいお世話をし

ている。おばあさんは認知症が進んでいて、毎日出歩いてしまう。幸い遠くへは行かないので近

所の人で見守っている。母は後見人になってから毎日大変忙しくしている。本来、後見人は日々

の生活のお世話までしなくてもいいのだけれど近所で毎日目にすると放ってはおけないらしく、

洗たくやそうじ、時には買物もする。デイサービスにお願いできるそうだが、おじいさんが、知

らない人に何でもたのむのに抵抗があるらしい。夏休みで僕も少しは役に立つことはないかと、

おじいさんとおばあさんの家に行った。おばあさんは少し前に見たより、大分認知症が進んでい

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47 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

るのが見てとれた。僕は立ちすくむしかなかった。母がさっさと用事しているのがすごいなと思

った。

庭におじいさんがいたので、話しにいった。おじいさんは庭でトマトやナス、朝顔の種を植え

て育てていた。

「これは紫の花がさくんや。」

「ナスは一つだけ残してまた来年のために種をつくっとくんや。」

とにこにこして、説明してくれた。まだ少しちいさなナスと青いトマトを指さして、

「これ、あと少ししたら、とりにおいで。」

と言ってくれた。うれしくて2日後、また僕はおじいさんの家に行った。すると、じっと庭です

わっているおじいさんが何か様子がおかしい。

「おじいちゃん。」

と声をかけると、だまっている。おじいさんの見ている先に目をやると、トマトやナスや朝顔が

なくなっていた。

「あれ、何でなくなってんの。」

と聞いても、だまっていた。

すると、家からおばあさんが出てきた。ごみ袋をさげて出てきた。よく見ると、

トマトやナスや朝顔が根元から引き抜いて入れてあった。どうやらおばあさんはそ

れを雑草とまちがえたのか全部根元から引き抜いてしまったのだ。

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入賞作文集 48

入賞作文

「あっ、そんなんしたらあかんやん。」

と思わず言ったがおじいさんは

「ええんや。わしがしたんや。」

と言った。僕はだまってそのまま家にかえって母に話した。すると、やはり、引き

抜いたのはおばあさんらしい。今回だけでなく、何度もこんなことはあるが、その度におじいさ

んは、おばあさんをかばうそうだ。母が言うには、おじいさんはおばあさんを認知症だと思いた

くないらしい。おじいさんの中では、おばあさんは元気な時のままのおばあさんでいてほしい。

他の人から認知症と思われて、そのようにあつかわれたくないのだ。もっと認知症が進み施設に

入らないといけないようになったら、とそんな不安があるのだろう。

僕はどうすることもできない認知症の病気の現実と、おじいさんの気持ちを考えると胸がつま

る思いだった。

母は僕に「おばあさんを責めたり、おじいさんにその事で何も言ってはいけない。」と言った。

そっと見守るということのむずかしさを知った気がする。

僕はおじいさんが好きないちじくを買って持っていった。おじいさんは、にこにこして

「ありがとう」

と言って皮をむいておばあさんに食べさせていた。二人ともにこにこしていて先ほどのことを忘

れているようだった。

「また遊びにくるわ。」と言うと、

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49 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

「絶対来てや。」と二人が言った。

ごみ箱にすてられたトマトとナスと朝顔の苗が見えた。

僕はごみ箱にフタをして家にかえった。

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入賞作文集 50

入賞作文

法務事務次官賞

いじめを通して

兵庫県 多可町立中町中学校 三年

吉よしかわ川

 亜あ

み未

小学生の頃から中学生になってもある「いじめについてのアンケート」。あの時まではこのア

ンケートは意味のないものだと思っていた。いつも「いいえ」に丸をつけて回収されるその紙は、

私にとってただの紙切れだった。でも、私が小学五年生になった時、そのただの紙切れだと思っ

ていたアンケートは、私を救ってくれる唯一の命綱のように思えた。

クラス全員から無視された。聞こえるように悪口を言われ、楽しく話している子達は皆私の悪

口を言っているのだと思った。言われたことをしなければ暴力を振るうと脅された。全く関係の

ない責任を押し付けられた。いじめられていた頃はクラスメイト全員が敵に見えた。クラスに入

る瞬間のあの冷たい空気と視線は今でも鮮明に思い出せる。誰も口を利いてくれない訳でもなく、

ニュースやドラマの様なひどいものでもなかったが、まだ小学生の私にとってとても辛いものだ

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51 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

った。そして原因も分からないままずっと耐えていた。

そんなある日の「いじめについてのアンケート」。今まで全く必要だと思っていなかったその

紙切れの「はい」に初めて丸をつけ、私をいじめていた子達に見つからないように提出した。こ

れで全て終わる。すぐに学校が楽しくなる。まだ小学生だった私は単純にそう思っていた。

ニュースでたまに見かけるようになった子どもの「いじめ」による自殺。そのニュースを見る

たびに私は「自殺を防ぐ方法はなかったのかな」と思う。ニュースではまた男子中学生が命を落

としていた。彼は色々なことを一人で抱え、自ら命を絶った。しかし、彼はしっかりとSOSを

出していた。生きようと、今の状況から抜け出そうとしていたのに。どうして周りの人達は彼の

精一杯の叫びを受け止めてあげることができなかったのか。彼は毎日の日記でそれを訴えていた

らしい。救えるのは担任の先生だけだった。先生の行動次第で彼の未来が変わったかもしれない。

私の場合、「いじめについてのアンケート」の「はい」に丸をつけたことで、学校に気付いても

らえた。両親にもうちあけることができ、状況は変わっていった。両親が学校に出向いてくれた

り、他のクラスの友達が励ましてくれたり、学校中の先生達が私を守ってくれたり。その力を借

りることができたお陰で「いじめ」が辛く苦しい思い出から、自分自身が大きく成長したように

感じることができた。例えば、いじめにあったことで相手の気持ちをより深く考え

ることができるようになった。一度言った言葉はもう取り消すことはできない、そ

う思いながら相手にかける言葉の一言一言を大切に伝えようと思えるようになった。

しかし、今でも時々「今私の悪口を言っているんじゃないか。」など、急に怖くなる

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入賞作文集 52

入賞作文

ことがある。「いじめ」のことを完全に忘れたと思っていてもやはり傷は消えていな

いのだ。それは私だけでなく今までいじめられたことのある全ての人がそうなので

はないかと思う。

「いじめ」を乗り越えた時、人は大きく成長すると思う。でも「いじめ」は決して

許されない。いじめはなぜ起きてしまうのか。学校という小さな社会の中で自分と反りが合わな

い人や苦手な人がいるのは当然で、その人とうまく付き合っていくのは本当に難しいと思う。一

人ひとり個性があって自分の「普通」が相手の「変わっている」になっているかもしれない。自

分が全て正しいと思い込み考え方の違う相手を批評する。それが「いじめ」につながってくると

私は思う。一概に「いじめをなくす」と言ったって簡単になくなるものではない。だから今「い

じめ」をしている人はもちろん、ただ周りで見ている人やまだ幼い子ども達にも「いじめ」とい

うものの残酷さや醜さを知ってほしい。私一人の小さな力ではどうにもできないけど、まずは一

人ひとりがいじめる人にも、見ているだけの人にもならないこと。そして、一番大切なこと、そ

れはもしもあなたが心ない人達にいじめられたとしても絶対に命だけは捨ててはいけないという

こと。今の状況が辛いのならば逃げたらいい。しかし、自ら命を絶つような逃げ方だけはしては

いけない。「死」が怖くなくなるほど絶望に陥っているかもしれないが、あなたの命が消えたとき、

一番深く傷つくのは誰だろう。それは、あなたをいじめた人でも周りで見ていた人でも先生でも

なく、あなたの両親である。そのことは決して忘れてはいけない。あなたが一番大切にしている

人を、あなたを一番大切に思っている人を傷つけないでほしい。あなたを救う人は必ずどこかに

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53 第35回全国中学生人権作文コンテスト

入賞作文

いる。今、私はここにいる。私を救って

くれた人はもちろん、私を成長させてく

れたいじめっ子にも少し感謝している。

心ない行為で深く傷つけられた世界

中のすべての人々の傷が一日でも早く

癒えますように。いつかこの世界から

「いじめ」がなくなりますように。

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入賞作文集 54

問合せ先一覧

法務局・地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

金沢地方法務局人権擁護課 921-8505 金沢市新神田4丁目3番10号 金沢新神田合同庁舎 076-292-7804

富山地方法務局人権擁護課 930-0856 富山市牛島新町11番7号 富山合同庁舎 076-441-6376

大阪法務局人権擁護部 540-8544 大阪市中央区谷町2丁目1番17号大阪第2法務合同庁舎 06-6942-9492

京都地方法務局人権擁護課 602-8577 京都市上京区荒神口通河原町東入上生洲町197番地 075-231-0131

神戸地方法務局人権擁護課 650-0042 神戸市中央区波止場町1番1号神戸第2地方合同庁舎 078-392-1821

奈良地方法務局人権擁護課 630-8305 奈良市東紀寺町3丁目4番1号奈良第2法務総合庁舎 0742-23-5457

大津地方法務局人権擁護課 520-8516 大津市京町3丁目1番1号大津びわ湖合同庁舎 077-522-4673

和歌山地方法務局人権擁護課 640-8552 和歌山市二番丁2番地和歌山地方合同庁舎 073-422-5131

広島法務局人権擁護部 730-8536 広島市中区上八丁堀6番30号広島合同庁舎3号館 082-228-5790

山口地方法務局人権擁護課 753-8577 山口市中河原町6番16号山口地方合同庁舎2号館 083-922-2295

岡山地方法務局人権擁護課 700-8616 岡山市北区南方1丁目3番58号 086-224-5761

鳥取地方法務局人権擁護課 680-0011 鳥取市東町2丁目302番地鳥取第2地方合同庁舎 0857-22-2289

松江地方法務局人権擁護課 690-0886 松江市母衣町50番地松江法務合同庁舎 0852-32-4260

高松法務局人権擁護部 761-8077 高松市出作町585番地4 087-815-5311

徳島地方法務局人権擁護課 770-8512 徳島市徳島町城内6番地6徳島地方合同庁舎 088-622-4171

高知地方法務局人権擁護課 780-8509 高知市栄田町2丁目2番10号高知よさこい咲都合同庁舎 088-822-3331

松山地方法務局人権擁護課 790-8505 松山市宮田町188番地6松山地方合同庁舎 089-932-0888

福岡法務局人権擁護部 814-0005 福岡市早良区祖原14番15号福岡法務局西新出張所庁舎5階 092-832-4311

佐賀地方法務局人権擁護課 840-0041 佐賀市城内2丁目10番20号佐賀合同庁舎 0952-26-2148

長崎地方法務局人権擁護課 850-8507 長崎市万才町8番16号 長崎法務合同庁舎 095-826-8127

大分地方法務局人権擁護課 870-8513 大分市荷揚町7番5号大分法務総合庁舎 097-532-3368

熊本地方法務局人権擁護課 862-0971 熊本市中央区大江3丁目1番53号熊本第2合同庁舎 096-364-2145

鹿児島地方法務局人権擁護課 890-8518 鹿児島市鴨池新町1番2号 099-259-0684

宮崎地方法務局人権擁護課 880-8513 宮崎市別府町1番1号宮崎法務総合庁舎 0985-22-5124

那覇地方法務局人権擁護課 900-8544 那覇市樋川1丁目15番15号那覇第1地方合同庁舎 098-854-1215

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55 第35回全国中学生人権作文コンテスト

問合せ先一覧

法務局・地方法務局名 郵便番号 所  在  地 電  話

札幌法務局人権擁護部 060-0808 札幌市北区北8条西2丁目1番1札幌第1合同庁舎 011-709-2311

函館地方法務局人権擁護課 040-8533 函館市新川町25番18号函館地方合同庁舎 0138-23-9528

旭川地方法務局人権擁護課 078-8502 旭川市宮前1条3丁目3番15号旭川合同庁舎 0166-38-1114

釧路地方法務局人権擁護課 085-8522 釧路市幸町10丁目3番地釧路地方合同庁舎 0154-31-5014

仙台法務局人権擁護部 980-8601 仙台市青葉区春日町7番25号仙台第3法務総合庁舎 022-225-5739

福島地方法務局人権擁護課 960-0103 福島市本内字南長割1番地3 024-534-1994

山形地方法務局人権擁護課 990-0041 山形市緑町1丁目5番48号山形地方合同庁舎 023-625-1321

盛岡地方法務局人権擁護課 020-0045 盛岡市盛岡駅西通1丁目9番15号盛岡第2合同庁舎

019-624-9859

秋田地方法務局人権擁護課 010-0951 秋田市山王7丁目1番3号秋田合同庁舎

018-862-1443

青森地方法務局人権擁護課 030-8511 青森市長島1丁目3番5号青森第2合同庁舎 017-776-9024

東京法務局人権擁護部 102-8225 千代田区九段南1丁目1番15号九段第2合同庁舎 03-5213-1234

横浜地方法務局人権擁護課 231-8411 横浜市中区北仲通5丁目57番地横浜第2合同庁舎 045-641-7926

さいたま地方法務局人権擁護課 338-8513 さいたま市中央区下落合5丁目12番1号さいたま第2法務総合庁舎 048-859-3507

千葉地方法務局人権擁護課 260-8518 千葉市中央区中央港1丁目11番3号千葉地方合同庁舎 043-302-1319

水戸地方法務局人権擁護課 310-0011 水戸市三の丸1丁目1番42号駿優教育会館 029-227-9919

宇都宮地方法務局人権擁護課 320-8515 宇都宮市小幡2丁目1番11号宇都宮地方法務合同庁舎 028-623-0925

前橋地方法務局人権擁護課 371-8535 前橋市大手町2丁目3番1号前橋地方合同庁舎 027-221-4426

静岡地方法務局人権擁護課 420-8650 静岡市葵区追手町9番50号静岡地方合同庁舎 054-254-3555

甲府地方法務局人権擁護課 400-8520 甲府市丸の内1丁目1番18号甲府合同庁舎 055-252-7239

長野地方法務局人権擁護課 380-0846 長野市大字長野旭町1108番地長野第2合同庁舎 026-235-6634

新潟地方法務局人権擁護課 951-8504 新潟市中央区西大畑町5191番地新潟地方法務総合庁舎 025-222-1563

名古屋法務局人権擁護部 460-8513 名古屋市中区三の丸2丁目2番1号名古屋合同庁舎第1号館 052-952-8111

津地方法務局人権擁護課 514-8503 津市丸之内26番8号 津合同庁舎 059-228-4193岐阜地方法務局人権擁護課 500-8729 岐阜市金竜町5丁目13番地 岐阜合同庁舎 058-245-3181

福井地方法務局人権擁護課 910-8504 福井市春山1丁目1番54号福井春山合同庁舎 0776-22-4210

問合せ先一覧 (法務局・地方法務局)

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入賞作文集 56

世界人権宣言啓発書画「鳥」「自由と解放」を表わしたもの小木太法 書 オタビオ・ロス 画

(公財)人権擁護協力会提供

表紙について・・・パラリンピックの公式種目に認定されている障害者スポーツの「ボッチャ」を,森の仲間たちが楽しんでいる様子を描きました。

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第35回全国中学生人権作文コンテスト中央大会審査員

作  家(審査員長) 落 合 恵 子映画監督 山 田 洋 次一般社団法人日本新聞協会事務局長

全国人権擁護委員連合会会長

(敬称略)

印 刷 平成28年1月26日発 行 平成28年2月4日発行者 法務省人権擁護局

全国人権擁護委員連合会東京都千代田区霞が関一丁目1番1号電話 03(3580)4111 内線5875URL http://www.moj.go.jp/JINKEN/

本作文集の作品を, 印刷物やインターネット上に掲載する場合は,下記の連絡先までお知らせください。

詳しくは, 法務省ホームページ(http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken111.html)を御覧ください。

〈連絡先〉〒100‐8977 東京都千代田区霞が関一丁目1番1号     法務省人権擁護局人権啓発課 TEL 03(3580)4111 内線5875

転載について

感想をお聞かせください本作文集を読まれた感想等を下記の連絡先又は [email protected] までお寄せください。

法務省人権擁護局長 岡 村 和 美内 田 博 文長 尾 篤 志橋 本   淳國 府 一 郎

日本放送協会解説委員室解説委員文部科学省初等中等教育局視学官

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Human Rights法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会

人人人権権権イイイメメメーージジジキキキャャャラララクククタタターーー人 人 人 KKEEEN N N N まままもももるるる君・君・君・君・人 人 人 KKKEEEN N N あああゆゆゆみみみちちちゃゃゃんんん

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この冊子には,音声コードが, 各頁(奇数頁 左下, 偶数頁 右下)に印刷されています。専用の読み上げ装置で読み取ると,記録されている情報を,音声で聞くことができます。

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第35回第35回

人権作文コンテスト入賞作文集