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1 見性院住職からの一言(その三、寺院視察を経ての中間報告) 昨年は北海道と東北と九州に一週間づつ滞在して寺院の見学をさせていただきまし た。また、京都、大阪、兵庫には常時、出掛けております。今年は一月にフランスに滞 在後、この一、二カ月間は北関東のお寺を精力的に視察させていただいております。ま た埼玉県内の霊園につきましては 30 カ所以上見て回りました。寺院の将来を予測すべ く徹底して現場を見ていますが、一言でいうなら斜陽産業、瓦解状態かもしれません。 地域差はありますがこの 10 年~20 年はほとんどのところで墓地は増加していなかった と思います。供養も減少の一途を辿っております。東京の谷中や浅草の寺院も割といつ もひっそりと静まり返っております。これからは改葬(墓じまい)を希望する人が急増 していくことは間違いありません。当院では問い合わせの多くは永代供養ですが、最近 頓(とみ)に多いのが墓じまいの相談です。兎に角、自身の元気な内に先祖のお墓を片 付けて永代供養にしてしまいたい。そして残された人生を有意義に過ごしたい。子供の 代にまで引き伸ばしたくないという声をよく聞きます。これが一つの終活なのかもしれ ません。また檀家制度と家族経営は早晩行き詰ると見ています。檀家制度から新信徒制 への移行の理由は家制度、コミュニティーの崩壊により全体主義から個別主義に時代が 変化してきたことがあります。地域重視から自分の生活や仕事、人生を優先できるよき 時代です。僧侶も医師も教師も自分で選ぶ時です。ですから私は昨年は自治会と神社を 退会しましたがすっきりしてよかったです。市報もインターネットで見られますから問 題は全くありせん。ゴミ収集車も週二回、決まった時間に必ず取りに来てくれるし、非 常に親切で何でも持って行ってくれます。わずかな料金ですし、背に腹はかえられませ ん。回覧の手間などないのもとても助かります。こうして一つ一つ体系を見直し、整理 をしていく作業がとても大切です。いざという時の保険という人もいますがいざという 時は先ず間違いなくないし、日頃から工夫努力をしている人を天は味方をします。(天 は自らを助くるものを助く)。今、お寺に対しての檀家離れ、神社の氏子離れが加速化 していると聞きます。私のように一歩先に離れてしまって、どうか見捨てないでくださ いと言わせた方が勝ちだと思いますがどうでしょうか。最近の流行語に「忖度(そんた く)」があります。私は今のお寺や宗教界にこそ「忖度」が必要な気がします。配慮、 遠慮は日本人の大切にしてきた美徳かと思います。「忖度政治」といいますが「忖度仏 教」を提唱させていただきます。私にとっての忖度仏教とは相手にとっての最善は何か を考えること。それがひいては両者、周囲に三方よしをもたらすことです。檀家制解禁 は確かに寺院淘汰の温床にはなりますが残すお寺、整理されていくお寺の線引きができ るため日本仏教界再生のためには避けては通れない施策かと思います。そろそろ一般社 会と同じ世間の荒波にもまれていくのも時代の趨勢です。これによって活性化する寺院 も多く出てくるし、何より本気になって宗教活動をしてみようという志の高い僧侶が続 出してくる筈(はず)です。

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見性院住職からの一言(その三、寺院視察を経ての中間報告)

昨年は北海道と東北と九州に一週間づつ滞在して寺院の見学をさせていただきまし

た。また、京都、大阪、兵庫には常時、出掛けております。今年は一月にフランスに滞

在後、この一、二カ月間は北関東のお寺を精力的に視察させていただいております。ま

た埼玉県内の霊園につきましては 30 カ所以上見て回りました。寺院の将来を予測すべ

く徹底して現場を見ていますが、一言でいうなら斜陽産業、瓦解状態かもしれません。

地域差はありますがこの 10 年~20 年はほとんどのところで墓地は増加していなかった

と思います。供養も減少の一途を辿っております。東京の谷中や浅草の寺院も割といつ

もひっそりと静まり返っております。これからは改葬(墓じまい)を希望する人が急増

していくことは間違いありません。当院では問い合わせの多くは永代供養ですが、最近

頓(とみ)に多いのが墓じまいの相談です。兎に角、自身の元気な内に先祖のお墓を片

付けて永代供養にしてしまいたい。そして残された人生を有意義に過ごしたい。子供の

代にまで引き伸ばしたくないという声をよく聞きます。これが一つの終活なのかもしれ

ません。また檀家制度と家族経営は早晩行き詰ると見ています。檀家制度から新信徒制

への移行の理由は家制度、コミュニティーの崩壊により全体主義から個別主義に時代が

変化してきたことがあります。地域重視から自分の生活や仕事、人生を優先できるよき

時代です。僧侶も医師も教師も自分で選ぶ時です。ですから私は昨年は自治会と神社を

退会しましたがすっきりしてよかったです。市報もインターネットで見られますから問

題は全くありせん。ゴミ収集車も週二回、決まった時間に必ず取りに来てくれるし、非

常に親切で何でも持って行ってくれます。わずかな料金ですし、背に腹はかえられませ

ん。回覧の手間などないのもとても助かります。こうして一つ一つ体系を見直し、整理

をしていく作業がとても大切です。いざという時の保険という人もいますがいざという

時は先ず間違いなくないし、日頃から工夫努力をしている人を天は味方をします。(天

は自らを助くるものを助く)。今、お寺に対しての檀家離れ、神社の氏子離れが加速化

していると聞きます。私のように一歩先に離れてしまって、どうか見捨てないでくださ

いと言わせた方が勝ちだと思いますがどうでしょうか。最近の流行語に「忖度(そんた

く)」があります。私は今のお寺や宗教界にこそ「忖度」が必要な気がします。配慮、

遠慮は日本人の大切にしてきた美徳かと思います。「忖度政治」といいますが「忖度仏

教」を提唱させていただきます。私にとっての忖度仏教とは相手にとっての最善は何か

を考えること。それがひいては両者、周囲に三方よしをもたらすことです。檀家制解禁

は確かに寺院淘汰の温床にはなりますが残すお寺、整理されていくお寺の線引きができ

るため日本仏教界再生のためには避けては通れない施策かと思います。そろそろ一般社

会と同じ世間の荒波にもまれていくのも時代の趨勢です。これによって活性化する寺院

も多く出てくるし、何より本気になって宗教活動をしてみようという志の高い僧侶が続

出してくる筈(はず)です。

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お寺はこれまでの観光や祈禱、葬儀、法事に変わるような何かを見い出さないといけ

ません。また、ここに来て傾向に変化が生じているのは、祈禱にせよ、葬儀、法事にせ

よ、どこのお寺に行こうかではなく誰にやってもらおうかが重要になりつつあります。

できるだけ法力のあるお坊さんを探そうとしている人はおります。

私の持論ではありますが、葬式仏教は日本の文化、在家者への戒名授与は今や慣習、

そしてお寺はもはや自営業。極論として遠ざけられてきましたが現代人にはそうとらえ

られているし、これを素直に認めた上で再生をはかるべきです。半僧半俗の在家的仏教

が日本仏教であると前提し、それから本来の本物の仏教を目指すことが今の仏教の在り

方かも知れません。

最近の檀信徒のほとんどは葬儀も法事も寄附も奉仕も先ずよくはやらないですから

却ってお寺主導、住職主導で何でもできると思います。後めたさがない分、やりやすく

なっていると私は思います。一周忌までしかやらない今の人たちに気をつかうことなん

て全くありません、ですから私はよそのお寺をやめて入信したい檀家の人たちを積極的

に受け入れていきたいと思います。意に添わない気が合わない人とは一線を画していく

つもりです。逆に私のことはいつでも見離してくださいと言いたい。先日、日経新聞の

記者から橋本さんにとっての終活とは何ですかと聞かれました。「私にとっての終活と

はいつ死んでも悔いはない、全力投球だけはしてきたと思える人生でありたい」と。で

すから私は平気で檀信徒に対して、自分の好きなお寺に行ってよし。お坊さんはどなた

を連れてきても一向に構いません。それはあなたの自由だし、あなたにその権利はあり

ますと主張しています。ですから私にも一定の権限と選択権を与えてくださいと申して

いるのです。今の時代でしたら極めて当たり前のことではないでしょうか。そうして一

定の成果が出た暁にはそれを認めていただくことはできないのでしょうかと申し上げ

たい。私の主張はそんなへそまがりなのでしょうか。どなたかお答えください。

今の見性院は将に全員野球でみんなが戦力、みんなが稼ぎ頭です。ですから楽しくて

仕方ないのが実情です。自分たちがしたいようにできるのですからこの上ありません。

一人一人は誰も無理に嫌なお付き合いなどせず、自分の仕事にまっしぐらです。生き残

り時代ですから当然のことをやっているだけなのですが、周囲には理解できないようで

す。

これからは仮に菩提寺があって檀家としての登録をしている人であってもインター

ネットや葬儀社への依頼、知人などを介してよそで葬儀や法事をしてしまう人達はかな

り増えてくると思います。ですからお寺の仕事は激減してくるはずです。お寺淘汰時代

の始まりです。いわゆる寺院消滅時代の到来です。吸収合併が行われて常態化してくる

でしょう。寺院戦国時代といってもよいと思います。一寺院一住職、一寺院一住職一副

住職は危険のような気がします。早期に筋肉質の財務基盤を整えていくことが先決です。

私がこれだけの改革を常時断行していても旧来の檀信徒は全く離れていかないのです

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から皆さんもどんどんやってください。信徒は急増の一途です。いつも面白いなあと思

います。今は白銀世界、万座温泉の定宿で執筆中です。運転手付きです。こうしたこと

を自分の都合でできるようになったのはやはり改革を断行している賜物です。ここでゆ

っくり英気を養い、作戦を練ってお寺に帰れば即実行です。明日は群馬県内の視察です。

そろそろ床に就きます。

今朝は気持ちよく目覚めることができました。寝ながら考えていたことは、友人のベ

ンチャー企業社⾧が病に伏せり仕事復帰が出来なくなってしまったことです。優秀で真

面目で人柄もよい方です。残念でなりません。私もよく母や支援者から健康第一といわ

れます。本当にそう思います。ですから最近は以前より頻繁に息抜きをすることにしま

した。人から何をいわれようが葬儀・法事などの仕事もかなり自分で選んで行うことに

しています。人との接触も気を付けております。(からまれないように)そのために逆

に住職の地位向上のためにはかなり役立っているようです。檀家制度に固執している住

職たちは身を滅ぼしていくのではないかと秘かに案じております。先程、役僧さんから

20 代の若い人の自死の引導法話の質問がラインに入りました。最近特に多く私も去年

数件ありました。あの世の未来に希望をつなぐ葬儀にすることしかないのかなと思いま

した。同時に戒名についての質問が別の人(在家)から入り何と答えていいやら朝から

困惑しています。戒名をつけるお坊さんにはそれなりの学識教養は当然ながら求められ

ます。欲を言えば達筆で法話が上手なことがよき条件です。

最近はそういう方にはめったにお目にかかれません。仏教系宗門大学を出て大本山や

専門僧堂に行ってもなかなか実力をつけている人はほとんどいません。大学も崩壊して

いるし、僧堂も多くは堕落です。私の将来の夢は仏教の知識教養、住職学、法式作法、

経営税務、人間学(古典)、書道、御詠歌、語学等すべてを学べる僧俗を越えたエリー

ト仏教塾(専修学院)を創設することがあります。

お坊さんや檀信徒を見ていて思うのは決断と実行力のなさかなあと感じます。自ら考

え、決断し自己責任をもって生きていくことの大切さを最近とみに思います。何かにつ

けて人に相談し、人に決めてもらう人はたいがい途中で挫折をし、最後は人のせいにし

て終わっていきます。私は常に自ら考え、あまりあれこれ人には相談せずくよくよもし

ません。一度決めたら最後、とことん最後まで貫き通すのが自分流です。ですからおか

げさまで未知の世界を切り開いていけているのだど思います。実践、実践を積み重ねて

かたちにしていくことは常に挑戦で苦労は半端ではありませんが一方では面白くてた

まりません。痛快な人生ほど奥深いものがあると信じます。「乳水の如く和合せよ」大

衆一如は修行道場でのはなし。あるいは法式や団体行動の時だけのことです。僧侶の世

界に欠けているのは切磋琢磨、自己研鑽です。さらには困っている人に手を差しのべて

いく慈悲心、弱い立場の人に味方をしていく正義感です。最後に一言「ペンは剣(けん)

よりも強し」。

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昨日は群馬県内の寺院を見学させていただきました。高崎、前橋地区のほんの一部の

お寺で珍しく新築後、または新築中のところがございました。但し、市街地も郊外も墓

地はこの 10 年~15 年の間で売れた気配のあるところはございませんでした。かなりの

割合で空き墓地が目立ってきたところも散見できました。永代供養墓の増加はこの 10

年~15 年の傾向ですから永代供養の登場は墓地販売不振の時期と重なっています。特

にこの 2~3 年で墓じまいが急増していますので更に墓地は売れなくなると思われます。

これは寺院経済を直撃するもので死活問題です。近年急増の永代供養や樹木葬墓地も盛

況なのはほんのほんの一部の寺院、霊園だけです。

先週、埼玉県北部の寺院を見学しましたが大同小異ですがまだ群馬県の方が自助努力

をしている印象はありました。また参考になるという点でも群馬の方が格上のようです。

今後、何らかのかたちで離合集散が進むのかなと思います。

過日も静岡の知り合いの方からメールをいただき、父親が亡くなったものの菩提寺には

依頼せず、知人のご住職に個人的にお頼みしたとのことでした。ご本人は墓地はそのま

まに父親の遺骨は他寺院で永代供養するとのことでした。曹洞宗王国、静岡でも檀家離

れは進んできているようです。さいたま市のご住職から先立ってお電話をいただき話さ

れていたことは一日葬の流れが止まらないとのことでした。法事の減少に伴い、塔婆の

立塔本数も各地で激減してるように思われます。寺院消滅時代は確実になってきている

ようです。寺族内において師弟、親子、夫婦関係の悪化も最近よく耳にします。今後は

寺檀、本末、教区組寺でも人間関係の悪化がさらに進むものと思われます。そう言う私

も一部旧檀家とは微妙な関係となりましたがこれがどうしてこの上なく快適です。兎に

角、仕事の邪魔をされなくなった意義は大きく、横やりを入れられないようにしていく

ことは重要です。明治・大正生まれの人たちから思えば今の人は何もしていないのと同

じです。谷間の世代と呼んでいますが、個人的には次の世代に期待をしています。早期

に抜本的な対策を講じたいものです。 【付録】 折々のことば

群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません。力を抜いて心を空

っぽにすることができなくなります。 堀文子

だから、ほめられそうになれば逃げると、日本画家は言う。「誰かと一緒にいて感じ

るさびしさ」や「感性の違う人と過ごすつらさ」は、独りぼっちよりしんどいもの。つ

ねにマニュアルなしの生き方を求め、70 を前にイタリアにアトリエを構え、さらに中

南米やヒマラヤを訪ね歩く。『99 歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』から。

(平成 30 年 2 月 24 日(土) 朝日新聞)