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▶ターニングポイントは 2008 年◀ ――どうような経緯でギターを始めたのでしょう? クリコヴァ(以下 K) 私は芸術一家に生まれました。母 はチェリストで、父は写真家です。音楽をすることは人 形と遊ぶのと同じくらい自然なことでした。私はよく母 が出演するコンサートについていきました。4 歳と半年 になったころピアノを始め、その翌年ギターを手にしま した。そして、そこから事態は急変していったのです。 ロシア中でのコンクールやコンサート、そして初めての イタリア旅行。12 歳になるまでに音楽は完全に私の生活 の一部となっていました。 ――数多くの国際コンクールで優勝されていますね。 K とても光栄なことです。コンクールは私にたくさん の好機をもたらしてくれました。プロフェッショナルを めざす音楽家にとって、コンクールはとても重要なス テップだと思います。さまざまな作品にとても集中して 取り組むことができますし、高いテンションの下に演奏 する機会になりますし、世界中のギタリストと知り合う チャンスにもなります。ですが、機を見てコンクールに 参加することをやめ、自分自身の音楽と向き合い始める ことも重要なことです。 私にとっての「やめ時」は2008 年でした。その年私は、 主要な国際ギターコンクールで 5 回優勝しました。そし て、新たなステージへの扉が開かれたのだということが はっきりわかったのです。 ――コンクール参加者同士での交流はありましたか? K 私は世界中にギタリストの友人がいますが、彼らと の出会いの実に多くが、コンクールやフェスティバルで した。やはり素晴らしい雰囲気ですよ。まったく異なる 多くの国々から、同じようにクラシックギターに情熱を 注ぐ人々が出会うのですから。それだけでも充分に、若 いギタリストたちが外へ出て、いくつかのコンクールを 受ける意義があると思います。きっと生涯の友人ができ ることでしょう。 ▶ 3 枚の CD ◀ ――あなたの CD についてお聞かせください。 K 私が初めてソロの CD を録音したのは 22 歳のときで す。ちょうど大学を卒業したころモスクワで録音し、オ ランダでリリースしました。強く願えば望みは叶うもの ですね。とてもちょうど良い時期に録音することができ ました。今でもインターネットや、私のコンサートで手 に入ります。 ナクソスからリリースしたその次の CD は、アレッサ ンドリア国際ギターコンクールの優勝記念です。さらに 3 枚目は、アランブラ国際ギターコンクールで手にした 意外なボーナスでした。このコンクールは 2010 年から 優勝者に録音の権利を与えていますが、私は 2008 年の Gendai Guitar 51 表紙インタビュー イリーナ クリコヴァ イリーナ・クリコヴァ Irina Kulikova 1982 年ロシア・チェリャビンスク生まれ。 母の手 ほどきで音楽を始め、12 歳で国内外で演奏旅行 を行ない、14 歳でイギリスの専門誌「クラシカル ギター」に取り上げられる。モーツァルテウム音楽 院(オーストリア)、マーストリヒト音楽院(オダンダ) 卒業。アレッサンドリア国際、アランブラ国際など 世界の主要ギターコンクールで優勝を飾り、世界 各地で演奏活動を行なう。現在はオランダ在住。 HP:http://www.irinakulikova.com 世界各国で大活躍、次世代を担うロシアの若き天才女流ギタリスト An interview with Irina Kulikova インタビュー(メール)●編集部

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▶ターニングポイントは2008 年◀――どうような経緯でギターを始めたのでしょう?クリコヴァ(以下K) 私は芸術一家に生まれました。母はチェリストで、父は写真家です。音楽をすることは人形と遊ぶのと同じくらい自然なことでした。私はよく母が出演するコンサートについていきました。4歳と半年になったころピアノを始め、その翌年ギターを手にしました。そして、そこから事態は急変していったのです。ロシア中でのコンクールやコンサート、そして初めてのイタリア旅行。12 歳になるまでに音楽は完全に私の生活の一部となっていました。――数多くの国際コンクールで優勝されていますね。K とても光栄なことです。コンクールは私にたくさんの好機をもたらしてくれました。プロフェッショナルをめざす音楽家にとって、コンクールはとても重要なステップだと思います。さまざまな作品にとても集中して取り組むことができますし、高いテンションの下に演奏する機会になりますし、世界中のギタリストと知り合うチャンスにもなります。ですが、機を見てコンクールに参加することをやめ、自分自身の音楽と向き合い始めることも重要なことです。 私にとっての「やめ時」は 2008 年でした。その年私は、主要な国際ギターコンクールで 5回優勝しました。そして、新たなステージへの扉が開かれたのだということが

はっきりわかったのです。――コンクール参加者同士での交流はありましたか?K 私は世界中にギタリストの友人がいますが、彼らとの出会いの実に多くが、コンクールやフェスティバルでした。やはり素晴らしい雰囲気ですよ。まったく異なる多くの国々から、同じようにクラシックギターに情熱を注ぐ人々が出会うのですから。それだけでも充分に、若いギタリストたちが外へ出て、いくつかのコンクールを受ける意義があると思います。きっと生涯の友人ができることでしょう。

▶ 3枚のCD◀――あなたのCDについてお聞かせください。K 私が初めてソロの CDを録音したのは 22 歳のときです。ちょうど大学を卒業したころモスクワで録音し、オランダでリリースしました。強く願えば望みは叶うものですね。とてもちょうど良い時期に録音することができました。今でもインターネットや、私のコンサートで手に入ります。 ナクソスからリリースしたその次の CDは、アレッサンドリア国際ギターコンクールの優勝記念です。さらに3枚目は、アランブラ国際ギターコンクールで手にした意外なボーナスでした。このコンクールは 2010 年から優勝者に録音の権利を与えていますが、私は 2008 年の

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表紙インタビュー

イリーナ・クリコヴァ

イリーナ・クリコヴァ Irina Kulikova1982 年ロシア・チェリャビンスク生まれ。母の手ほどきで音楽を始め、12 歳で国内外で演奏旅行を行ない、14 歳でイギリスの専門誌「クラシカルギター」に取り上げられる。モーツァルテウム音楽院(オーストリア)、マーストリヒト音楽院(オダンダ)卒業。アレッサンドリア国際、アランブラ国際など世界の主要ギターコンクールで優勝を飾り、世界各地で演奏活動を行なう。現在はオランダ在住。HP:http://www.irinakulikova.com

世界各国で大活躍、次世代を担うロシアの若き天才女流ギタリスト

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インタビュー(メール)●編集部

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優勝者として最初に声をかけていただきました。本当に名誉なことです。そして私がアランブラ・コンクール主催者にナクソス・レーベルを紹介し、「ローリエイト(桂冠)シリーズ※」の新たな伝統に加わったのです。※世界の主要コンクールで優勝したギタリストが録音する「期待の新進演奏家」シリーズ。現在はGFA、タレガ、アレッサンドリア、アランブラの 4コンクールが対象。

――あなたはどの時代の作品も素晴らしく演奏しますが、好きな作曲家はいますか?K 録音したどの作曲家も私は大好きです。だからこそ選曲したのです。私は、自分が演奏する作品の作曲家にはいつも特別な想いを寄せています。作品に固有な何かを見つけられなければ、私は演奏することができません。なぜなら、私は自分の演奏に不誠実になることなんてできませんから。 特別好きな時代というのはありません。ある時代から別の時代へと行き来するのが好きです。それは私がクラシックギターを好きな理由の 1つでもあります。ギターはさまざまな時代、まったく違った世界へ連れて行ってくれるタイム・マシーンのようなものです。ソルの幻想曲を弾いているときには、ナポレオン時代の華やかなオペレッタを演じているように感じます。C=テデスコを弾いているときは、強烈なキャラクターとともに古いハリウッド映画を連想します。このような多様性は空想のシミュレーションのようです。 来年には、ナクソスで新たなレコーディングを予定しています。現代のロシア作曲家のロマンティックで愛らしいプログラムです。とりわけ、私が聴き馴染んできたメロディーに回帰するだけでなく、ロシアの作曲家が今日提起する、色鮮やかなスペクトルをお見せしたいと思います。私はこのプログラムで世界中周れることをとても誇りに思います。――ホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイの作品も取り上げていますが、直接会ったことはありますか?K はい。信じられないほど貴重なことです。初めて出会ったのは 11 歳のころで、ロシアのヴォロネジでした。ホセ・マリアは私が優勝したコンクールの審査員を務めていました。彼は講評で、私に特別な音楽的才能を感じると話してくれました。同じ週、彼のコンサートを聴きに行ったのですが、私はまたとない経験をすることができました。彼の演奏はとてつもなく深く、とても感激したのです。 翌年、私たちは同じ場所で再会することができました。栄誉あるコンサートに招待され、私は演奏するになったのです。また、ホセ・マリアは名工マヌエル・コントレラスのギターを貸してくれました。彼は年端もいかない少女に、彼女の能力を発揮すべく素晴らしい楽器を授けてくれたのです。彼のその行動は、私の音楽家として

の成長に多大な影響を及ぼしました。この新しい楽器とともに数え切れないほどの時間を過ごし、クラシックギターの本領を発揮するすべを身につけました。 14 歳のころ、イギリスのウェストディーンで彼と再び会うことができました。その後しばらく会う機会はなかったのですが、彼の佳作《カリフォルニア組曲》をレコーディングした後の 2011 年のはじめ、素晴らしい出来事が起きます。不意に、ずっと待ち望んでいた連絡をもらったのです。そして私は夫とともに 9月にスペインへ向かい、ホセ・マリアとの感動的な再会を果たすことができました。私の最新 CDを一緒に聴き、彼はとても喜んでくれ、私とデュオの演奏をしようと提案してくれたのです。ご想像に難くないと思いますが、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。何年もの間尊敬し続けてきた偉大な音楽家が、デュオとして「一緒に弾かないか?」と言ってくれたのです。そんなことが現実に起きました。私たちは協力して壮大なプログラムを組み、2013 年からツアーを始めます。

▶世界中で演奏旅行◀――本格的な活動を始めた 2008 年以降のことについてお聞かせください。K ここ 2年ほどで 30 ヵ国以上で演奏旅行をしました。ヨーロッパ各国、ロシア全土、アメリカ、カナダ、メキシコへ数回、そして昨年の10月には中国へも行きました。私はアジアに近い南ウラルのチェリャビンスクで生まれましたが、そこより東へ行ったのは初めてでした。 夢のような経験でした。最後にコンクールを受けた2008 年から現在までがとても短く感じます。素晴らしいホールで演奏し、素敵なフェスティバルに招待され、テレビやラジオに出演し、音楽を愛する気持ちを分かち合うさまざまな文化の熱心な人々に会うことができました。同時に、とても疲労もたまりました。ここ 2ヵ月ほどは、オランダの家で過ごしています。ロシア・レパートリーの CD制作やホセ・マリアとのデュオ、オーケストラとの共演など、近く予定されているいつくかの大きなプロジェクトに向けて準備をしています。それから、いくつもの新たな経験へ向けてまた走り出すことになるでしょう。――昨年の中国ツアーはどのような印象をお持ちですか?K 完全にこの国の虜になりました。このツアーは成都市でギターの先生を務めているXu Bao 氏と、アルタミラ・ギターで取締役を務めている、Hanson Yan 氏が企画してくれました。両氏ともに熱烈なクラシックギター愛好家です。広大な中国という地で彼らは多大な決定権を持っています。私はそれを実感することができ、また、アルタミラ・ギターがいかにグレードが高いのかを知り、

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このプロジェクトは絶対に成功するだろうと思いました。 このツアーはこれまでの音楽活動の中で重要なものの1つとなりました。どの街に行っても聴衆の反応は熱狂的で、主催者のもてなしは手厚く、何から何までお世話になりました。それだけでなく、食事、街並み、景観も素晴らしかったです。上海のオリエンタル・アーツ・ホールでの最終公演もとても感動的で、今ではすべてが心温まる素敵な想い出となりました。――これからアジアには来る予定はありますか?。K アルタミラ・ギターが 2013 年の 11 月に次のツアーを組んでくれました。加えて、成都と西安の大学に客員教授就任を働きかけていただいています。 自信を持って言えますが、これからの 10 年の間で、アジアの国々は国際的なクラシックギター音楽シーンにおいてますます重要な役割を果たすことになるでしょう。そして私は、私の音楽をそのような音楽シーンに貢献できるよう尽力したいと思っています。頭角を現わしているアジアの作曲家や演奏家がクラシック音楽に新たなレパートリーや解釈を生み出すであろうことにとても興味があります。――ロシアのギター界はどのような状況なのでしょう?K 驚くようなギター・フェスティバルがありますよ。毎年 3月に、モスクワのチャイコフスキー・ホールで開催されます。チャイコフスキー・ホールはロシアでもっとも重要なホールの 1つです。毎年大盛況で、その 1週間ホールは満席になります。私は昨年そのフェスティバルで演奏し、来年も招待されました。オーケストラと共演し、ホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイの〈エリアンナ協奏曲〉を演奏します。このイベントに参加すれば、ロシアでいかにクラシックギターが大きな存在かおわかりいただけると思います。このイベントは、年を重ねるごとに大きくなっていると思います。 それでもやはり、大半の人々はクラシックギターを民族音楽用の楽器だと思っています。私はクラシックギターをヴァイオリンやチェロ、ピアノなどと同様の水準に引き上げなければなりません。最高のオーケストラと共演し、ロシアの大学でベストな教育カリキュラムを手に入れるために。――教授活動はしていますか?K 演奏旅行であまりに多忙なため、残念ながら教えるための時間がありません。演奏旅行の際にマスタークラスを行なうことはあります。その中には才能豊かな生徒もいて、特別指導プログラムを課したこともありました。舞台での緊張状態に打ち勝つこと、コンクールや試験に向けてもっとも良い方法で準備することなど。彼らが成長し、何かを成し遂げるためにそれらはとても大切なことです。私は日本の学生たちがどのような状況にいるの

かにもとても興味があります。――楽器と弦は何を使っていますか?K オーストラリアの製作家のサイモン・マーティーを使っています。杉の楽器です。弦はサバレスです。最近、ホセ・マリアとのデュオのために、松のマヌエル・コントレラスも手に入れました。

▶ギターの良さはまだまだ伝わる◀――尊敬する音楽家はいますか?K さまざまな楽器の音楽家たちが、私にインスピレーションを与えてくれました。例えば、チェリストのヨー・ヨー・マやミッシャ・マイスキー、ピアニストのラン・ラン、ヴァイオリニストのワディム・レーピンが大好きです。このような第一線で活躍する音楽家は、ギタリストにもいますよね。アサド兄弟、ホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイ、デュオ・メリスなど。彼らは素敵な友人でもあり、傑出した音楽家でもあります。――普段はどのような音楽を聴きますか?K それは本当にそのときの気分、時間、読んでいるものや見ているもの次第ですね。凝り固まった聴き方はしません。バロック音楽、シンフォニー、ジャズ、ポップスなどなど。幅広く興味を持つことは、音楽に対する理解とともに、私の人生も深めるてくれるはずですから。――最後に、日本のギター愛好家へ一言お願いします。K 皆様に会える日が来ることを楽しみにしています。私たちはこのすばらしい楽器をもっと好きになっていくでしょう。クラシックギターの驚くべきポテンシャルに気づいていない人はまだまだたくさんいると思います。私たちは少しずつであっても、そのような人々の心を動かすことができます。音楽的に表現できるいかなる音、いかなるフレーズ、いかなる展開も心をこめて扱うことによって。感動したときの気持ちを、私たちは自分の体験を通して知っていますから。

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2008 年アランブラ国際ギターコンクール優勝記念盤(2010年録音)NAXOS 8.572717 ¥1,250(税込)

[収録曲]無伴奏チェロ組曲第1番(バッハ~クリコヴァ)、幻想曲第 7番Op.30(ソル)、ソナタ「ボッケリーニ賛歌」Op.77(C=テデスコ)、カリフォルニア組曲(ガジャルド・デル・レイ)、アランブラの想い出(タレガ)

2008 年アレッサンドリア国際ギターコンクール優勝記念盤(2009年録音)NAXOS 8.572390 ¥1,250(税込)

[収録曲]ソナタ第 3番(ポンセ)、スクリャービンの主題による変奏曲(タンスマン)、南のソナチネ(ポンセ)、ジャンゴラインハルトの主題による変奏曲(ブローウェル)、ギターのためのソナタ(ホセ)

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