南太平洋の島々─サモアの社会と文化 · ・パラオ共和国(1994)...

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オセアニアの島 とう しょ 地域はミクロネシア, メラネシア,ポリネシアの三つの地域に 分かれている(図1)。それぞれの位置 は概して,次のように把握される:太平 洋の地図上に, ハワイ諸島,ニュージー ランド,ラパヌイ(イースター)島の3点 を頂点とする大三角形を作成する;の大三角形の一辺,ハワイ諸島とニュー ジーランドを結んだ線から赤道を引く; そして,大三角形の内部がポリネシア, 大三角形の外側かつ赤道の上部がミクロ ネシア,下部がメラネシアである。 三つの地域の違いはおもに人種的・文 化的・地理学的観点によるものだと説明されるが,そこ にはどのように東南アジアの島嶼地域から太平洋へ人類 が移動してきたのかというプロセスが深くかかわってい る。太平洋に最初に人類が進出したのは今から約6万〜 5万年前のことだといわれている。このとき,移動して きた集団はオーストラロイドとよばれる。彼らは土器を つくらない旧石器文化集団で,たいした技術をもってい なかったので,現代より海面が低く陸続きになっている ところを歩いたり,目視できる次の島までを簡単な筏 いかだ 移動したりした。次に移動してきた集団はオーストロネ シアとよばれる。彼らは紀元前1500年ごろに出現した新 三つに分かれる太平洋の島々 石器文化集団で,それ以前から居住していた旧石器文化 集団を避けるように速いスピードで南東へ拡散した。紀 元前900年前後に,フィジー諸島,サモア諸島,トンガ へ拡散した後,そこに1000年ほど停滞し,現代のポリネ シア文化の基礎を築いた。彼らは,紀元後300年ごろから, 再びマルキーズ諸島(フランス領ポリネシア)へ東進し, そこから,ハワイ諸島,ニュージーランド,ラパヌイ (イースター)島へと拡散していったと考えられている。 このような人類の移動・拡散の結果,太平洋で最も大 きな地域をしめるポリネシアは比較的,人種・言語・文 化の点で均質性が高いのに対し,後からオーストロネシ 表1 三つの地域とそれぞれに含まれる島々 ミクロネシア メラネシア ポリネシア ・マーシャル諸島共和国(1986) ・ミクロネシア連邦(1986) ・パラオ共和国(1994) ・ナウル共和国(1968) ・キリバス共和国(1979) 北マリアナ諸島 グアム島 ・パプアニューギニア独立国(1975) ・ソロモン諸島(1978) ・バヌアツ共和国(1980) ・フィジー共和国(1970) ニューカレドニア島 ・ツバル(1978) ・サモア独立国(1962) ・トンガ王国(1970) ・ニウエ(1974) 1) ハワイ諸島 トケラウ諸島 ウォリス諸島 アメリカ領サモア クック諸島 マルキーズ諸島(フランス領ポリネシア) ピトケアン島 ラパヌイ(イースター)島 凡例:・( )内の年号は独立した年を示す。 ・は依然として独立を果たしていない島を示す。 注1)ニウエは1974年に内政自治権を獲得し,ニュージーランドとの自由連合に移行した。そして,日本は2015年5月にニウエを国家として承認している。 図1 オセアニアの三つの島嶼地域 ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ° ニューカレドニア島 タヒチ島 フィジー諸島 サモア諸島 ラパヌイ島 (イースター) ニューギニア島 マリアナ諸島 ミクロネシア アメリカ合衆国 日本 トンガ王国 オーストラリア ニュージーランド 北回帰線 南回帰線 赤 道 マルキーズ諸島 ミクロネシア,メラネシア, ポリネシアの範囲 お茶の水女子大学文教育学部グローバル文化学環・助教 倉光ミナ子 知りたい! 世界の今 南太平洋の島々─サモアの社会と文化 7 地理・地図資料 2016年度2学期②号

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 オセアニアの島とう

嶼しょ

地域はミクロネシア,

メラネシア,ポリネシアの三つの地域に

分かれている(図1)。それぞれの位置

は概して,次のように把握される:太平

洋の地図上に,❶ハワイ諸島,ニュージー

ランド,ラパヌイ(イースター)島の3点

を頂点とする大三角形を作成する;❷こ

の大三角形の一辺,ハワイ諸島とニュー

ジーランドを結んだ線から赤道を引く;

そして,❸大三角形の内部がポリネシア,

大三角形の外側かつ赤道の上部がミクロ

ネシア,下部がメラネシアである。

 三つの地域の違いはおもに人種的・文

化的・地理学的観点によるものだと説明されるが,そこ

にはどのように東南アジアの島嶼地域から太平洋へ人類

が移動してきたのかというプロセスが深くかかわってい

る。太平洋に最初に人類が進出したのは今から約6万〜

5万年前のことだといわれている。このとき,移動して

きた集団はオーストラロイドとよばれる。彼らは土器を

つくらない旧石器文化集団で,たいした技術をもってい

なかったので,現代より海面が低く陸続きになっている

ところを歩いたり,目視できる次の島までを簡単な筏いかだ

移動したりした。次に移動してきた集団はオーストロネ

シアとよばれる。彼らは紀元前1500年ごろに出現した新

三つに分かれる太平洋の島々

石器文化集団で,それ以前から居住していた旧石器文化

集団を避けるように速いスピードで南東へ拡散した。紀

元前900年前後に,フィジー諸島,サモア諸島,トンガ

へ拡散した後,そこに1000年ほど停滞し,現代のポリネ

シア文化の基礎を築いた。彼らは,紀元後300年ごろから,

再びマルキーズ諸島(フランス領ポリネシア)へ東進し,

そこから,ハワイ諸島,ニュージーランド,ラパヌイ

(イースター)島へと拡散していったと考えられている。

 このような人類の移動・拡散の結果,太平洋で最も大

きな地域をしめるポリネシアは比較的,人種・言語・文

化の点で均質性が高いのに対し,後からオーストロネシ

表1 三つの地域とそれぞれに含まれる島々

ミクロネシア メラネシア ポリネシア

・マーシャル諸島共和国(1986)・ミクロネシア連邦(1986)・パラオ共和国(1994)・ナウル共和国(1968)・キリバス共和国(1979)*北マリアナ諸島*グアム島

・パプアニューギニア独立国(1975)・ソロモン諸島(1978)・バヌアツ共和国(1980)・フィジー共和国(1970)*ニューカレドニア島

・ツバル(1978)・サモア独立国(1962)・トンガ王国(1970)・ニウエ(1974)1)

*ハワイ諸島*トケラウ諸島*ウォリス諸島*アメリカ領サモア*クック諸島*マルキーズ諸島(フランス領ポリネシア)*ピトケアン島*ラパヌイ(イースター)島

凡例:・( )内の年号は独立した年を示す。 ・*は依然として独立を果たしていない島を示す。注1)ニウエは1974年に内政自治権を獲得し,ニュージーランドとの自由連合に移行した。そして,日本は2015年5月にニウエを国家として承認している。

図1 オセアニアの三つの島嶼地域

イン

° °

°

°

°

°

° °°

° ° °

ニューカレドニア島

タヒチ島フィジー諸島

サモア諸島

ラパヌイ島(イースター)

ニューギニア島

マリアナ諸島

ハワイ諸島

メラネシアミク ロ ネシア

ポ リ ネ シ ア

アメリカ合衆国日本

トンガ王国オーストラリア

ニュージーランド

北 回 帰 線日付変更線

南 回 帰 線

赤 道

マルキーズ諸島

ミクロネシア,メラネシア,ポリネシアの範囲

お茶の水女子大学文教育学部グローバル文化学環・助教 倉光ミナ子

知りたい! 世界の今

南太平洋の島々─サモアの社会と文化

7地理・地図資料◦2016年度2学期②号

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ア集団が移動してきたメラネシアではオーストラロイド

集団の文化と混合した文化がみられる。その一方で,ミ

クロネシアへのヒトの移動はかなり複雑であり,考古学

的にも不明な点が多いとされている。こうした拡散のプ

ロセスによって,太平洋の島々の基層文化はそれぞれの

島の自然条件に合わせて,発展してきたのである。

 16世紀以降,太平洋の島々はヨーロッパ人の来訪によ

り大きな変容を迫られる。輸送技術が発達するまで,こ

れらの島々は広大な太平洋を旅するうえでの食料や燃料

の給油地として必要不可欠であったために,つねに大国

の支配に翻弄されてきた。そして,その植民地の歴史は

現在にも色濃く息づいているのである。本稿では,こう

した太平洋の島の一つであるポリネシアのサモア諸島を

取り上げて,現代の島々の社会や文化について紹介した

い。

 サモア諸島はハワイ諸島から4,200km,ニュージーラ

ンドから2,900km,日本からは約8,000kmの距離にある。

現在,サモア諸島は二つに分割されている。19世紀末に,

サモア人の政治的な争いに乗じたイギリス,ドイツ,ア

メリカ合衆国はサモア諸島の覇権を争っていた。その後,

話し合いにより,1899年にサモア諸島の西側をドイツが,

東側をアメリカ合衆国が領有することになった。西側の

統治は,第一次世界大戦のドイツ敗北を機に,1920年,

ドイツからニュージーランドへ委任された。第二次世界

大戦後以降も引き続き,ニュージーランドの国連信託統

治領となったが,サモア人による独立運動が高まり,

1962年に「西サモア(Western Samoa)」として南太平

洋で初めて独立を達成した。

 現在,「西サモア」は「サモア独立国(Independent

State of Samoa)」とよばれ,東側は「アメリカ領サモ

ア(American Samoa)」としてアメリカ合衆国の一部

のままである。双方はもともと同じ民族と文化を有して

いたことから,いまだに親族間のつながりもあり,行き

来はさかんである。しかし,異なる植民地支配の影響は

二つに分割されているサモア諸島

いろいろなところで観察することができる。例えば,筆

者は2001年,ニューヨークの同時多発テロの2か月後に,

『サモアの思春期』を執筆したマーガレット=ミードが調

査を行ったというアメリカ領サモアの離島を訪問した。

島の村の雑貨店に買い物へ行ったとき,あるサモア人男

性から「お前たちはどこから来た。私はこの村の村長だ。

アメリカ市民として,この非常時に村に来たものについ

て把握しておく義務がある」とたずねられて驚いたこと

を覚えている。このように,現代では,アメリカ領サモ

ア人とサモア人の意識は異なっている。これ以外にも,

表2に示したように,生活のささやかなところで,それ

ぞれの植民地支配の影響を

見ることができるのである。

これ以降はサモア独立国

(サモア)のことを中心に

紹介する。

 サモアを歩いているとよく「ファアサモア(fa‘aSamoa)」

という言葉を耳にする。これは直訳すると「サモア・サ

モア人のやり方」だが,具体的にはサモアの独自の慣習・

「伝統」を意味する。ファアサモアの基盤は家族や共同

体の行動様式を支配する首長制度とよばれる社会システ

ムにある。その基本単位である親族グループは一つの村

の内に存在し,普通3世帯から10世帯(1世帯はおよそ

10〜20人)を含む3世代以上が同居する拡大家族から成

り立っている。それぞれの親族グループには代々伝えら

れる称号名をもつ首長,マタイ(matai)たちが存在する。

そして,マタイたちは一族の長として親族グループを経

営するリーダーシップを取っている。サモアでは称号名

の継承は世襲制ではなく,一族の尊敬と信頼にたるリー

ダーとして親族グループ総員の合意のもとで選ばれる。

マタイに選出されると,称号名就任式が行われ,それが

土地・称号裁判所に登録される。そして,その人は名前

ではなく,称号名でよばれるようになるのである。

伝統・慣習が息づく国

アメリカ領サモア

サモア独立国

アピア

日付変更線

国境

0 50㎞

図2 サモア諸島

表2 サモア独立国とアメリカ領サモアの違い

サモア独立国 アメリカ領サモア

宗主国 ドイツ→ニュージーランド アメリカ合衆国

英語 イギリス英語(例:centre)

アメリカ英語(例:center)

人気のあるスポーツ

ラクビークリケット

アメリカンフットボールバスケットボール

中等教育学校 college high school

図3 サモア独立国の国旗

8地理・地図資料◦2016年度2学期②号

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 サモアで暮らしたことがある人なら誰でも,彼らの日

常生活の中心に,依然として首長制度があることがわか

るだろう。例えば,新聞を読んでいると,ときどき「村

からの追放」という見出しが目に入ってくる。サモアの

村の自治権は強く,基本的にマタイたちが週に1度は開

く会合によって治められている。そこでは,村の中で起

こった喧嘩や問題が解決される。ときとして,マタイた

ちの決定に反する行動を取ったものはペナルティとして

罰金やモノを課せられたり,村から追放されたりする(追

放されると,首都にいる親族の家に身を寄せたりする)。

そして,選挙制度も首長制度の上に成り立っている。サ

モアでは,1991年に新選挙法が施行されるまで,選挙権

はマタイにしか認められていなかった。今でも,被選挙

権を得る(国会議員になる)ためには,まずマタイにな

らなければならないのである。首長制度では一族全体の

繁栄が最も大切であるとされる。サモア人は父方あるい

は母方の一族の一員となり,自分の年齢と性別に相当す

る権利と義務を有する。そして,自分自身の利益より,

一族に貢献するようにふるまうことが日常的に期待され

る。その期待が最も象徴的に現れるのが「ファアラベラ

ベ(fa‘alavelave)」のときである。ファアラベラベとは,

親族グループが結婚,初子の誕生,死,マタイの就任,

家屋の完成といった機会に,その姻戚関係にもとづいて

行う儀礼交換であり,それぞれの機会に当事者なる親族

グループと直接・間接に縁続きにあるいくつもの親族グ

ループがおのおのの縁をたどって相手の親族グループを

訪れ,対面関係において多大な財を交わす。ファアラベ

ラベは親族グループの名のもとで名誉をかけて行われ,

親族グループ間の勢力を誇示する場である。この「競覇

的」な性格は相手方に負けない質・量の財を送ることを

求めるので,各成員はマタイの指示に従って,ファアラ

ベラベのための交換財を収集し,貢献した度合いにした

がって己の名誉を得るのである1)。

 独立以降,サモアでは,貨幣経済の浸透に伴って,ファ

アラベラベの交換が拡大してきた。例えば,交換財の中

でも,豚やタロいもが中心であった「男財」は現金や缶

詰など現金を必要とする食料品になっている。このよう

な変容はある意味で後述するサモア人の海外移民を促進

する役目を果たしてきた。一方,「女財」では束のよう

に丸められた小さなゴザが数多く交換されてきた。これ

らの点を憂慮した現在の首相は2003年に新たな政策を発

表し,ファアラベラベの規模の縮小,および良質で大き

いゴザの生産とその利用をよびかけている。このように,

ファアラベラベの交換のありさまは少しずつ変化してい

るが,現代でも「ファアラベラベが起こった」といえば,

仕事や他の約束が反故にされても文句を言えないほど,

サモア人にとっては重要なことである。

 独特な首長制度が強く維持されているサモアであるが,

決してグローバル化から取り残されているわけではない。

とくに,第二次世界大戦後以降,サモア独立国からは旧

宗主国であったニュージーランド,そしてオーストラリ

アへ,アメリカ領サモアからはハワイ諸島,そしてアメ

リカ本土へと国際移動がさかんに行われるようになった。

現在,これらの国々で暮らすサモア人の人口は本国の人

口(190,372人: 2013年現在)より多いといわれている。

首長制度にもとづくサモア人の親族ネットワークは国境

を越えて展開しているため,サモア人であれば,おそら

く海外に家族や親せきがいないという人はほとんどいな

い。サモアの片田舎の村にいる老女でさえ,日常会話の

中で簡単に「明日は会えない。ちょっとオークランド

(ニュージーランド)へ行くから」という。インターネッ

トやSNSが発達した現代では,国境を越えた親族同士が

Facebookで近況を報告しあったり,Skypeで連絡を取

り合ったりと,以前より簡単にコミュニケーションを図

国際移動とともにある日常

写真1 葬式の儀礼交換で演説するマタイ(2014年)

写真2 ファアラベラベで交換される良質の巨大なゴザ(2001年)

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ることができるので,それらは間違いなく彼らの親族

ネットワークの維持に役だっている。

 2013年の国勢調査において,ニュージーランドではサ

モア人を含めた太平洋島嶼民はヨーロッパ系,マオリ系,

アジア系に次ぐ,4番目に大きなエスニックグループで

あった。その中でもサモア人は最も人口が多く,太平洋

島嶼民の48.7%を占めている。また,ニュージーランド

で暮らすサモア人の62.7%はニュージーランド生まれで

ある2)。ニュージーランドの北島の最大の都市,オーク

ランドには最も古く,最も規模の大きなサモア人コミュ

ニティが形成されている。1950年代後半から1970年代ま

では,サモア人のほとんどが労働移民であり,オークラ

ンド郊外の工場で単純労働者として働いていた。しかし,

現在のオークランドで出会うサモア人たちは実に多様で

ある。例えば,オークランド大学で働く40代の2世のサ

モア人女性がいれば,昨日,サモアからやってきたばか

りだというサモア人男性に出会うこともある。サモアも

含めたポリネシアの文化は多文化社会のオークランドの

日常を彩っている。毎年3月に行われ,2017年に42年目

となる,中高生たちによるマオリと太平洋の文化の祭典

「Polyfest」のように,オークランドではエスニック文

化を表現するさまざまな機会が設けられている。

 移民を通したサモアとニュージーランドの交流は増加

しており,それはサモアの日常にも影響を与えている。

例えば,サモアではドイツ統治時代より車の右側通行を

導入してきたが,2009年9月に左側通行へ変更した(サ

モア政府によると,これは1960年代以降世界初のことで

ある)。そのおもな理由は,サモア人がニュージーラン

ドやオーストラリアにいる家族から簡単に中古車を手に

入れることができるようにするためであった。それまで

は,アメリカ領サモアを通してアメリカ合衆国から左ハ

ンドル車が入ってきたが,あまり多くのサモア人がアメ

リカ本土に親族をもっていないので改められたのである。

また,サモアは長らく「世界で最後に日が沈む国」であっ

たが,2011年12月29日を境に,次の日を12月31日にして,

日付変更線の西側へ移動し,「世界で最初に日が昇る国」

へなった(図2)。これもニュージーランドやオースト

ラリアとの経済的なつながりが増加し,日付が異なる時

間的なロスを省くためであった。

 このような国境を越えたサモア人の移動から,意外な

ところでサモア人の子孫の活躍をみることもできる。日

本人になじみのあるところでは元大関の小錦がその一人

(彼の両親はアメリカ領サモアの出身)である。また,

アメリカ合衆国で「ザ・ロック(The Rock)」のリング

ネームで親しまれているレスラーのドウェイン=ジョン

ソン(Dwayne Johnson)もサモア人の血をひいている。

彼は1999年から俳優に転向したが,この冬には彼が声優

を務め,多くのサモア人が製作にかかわった,ポリネシ

アの伝説をモチーフにしたディズニープリンセス映画の

新作『モアナと伝説の海』が公開される予定(アメリカ

合衆国:2016年11月23日,日本:2017年3月16日)であ

る。

 サモア諸島の事例からもわかるように,太平洋にある

島の一つ一つは小さな規模のものが多いが,それぞれに

深い歴史,魅力的な社会や文化をもっている。現在では,

オセアニアの島嶼地域に関する入門書も次々と出版され

ている。皆さんには,書籍などを通じて,これらの島々

について親しみを感じていただければと思う。また,機

会があれば,ぜひ豊かな島世界を体験しに,太平洋の島々

へ出かけていただきたい。

おわりに─魅力的な島世界

■参考文献1) 山本 泰・山本真鳥(1996)『儀礼としての経済─サモア

社会の贈与・権力・セクシュアリティ』弘文堂.2) 「2013 Census QuickStats about culture and identity」

(http://www.stats.govt.nz/Census/2013-census/profile-and-summary-reports/quickstats-culture-identity/pacific-peoples.aspx)2016年9月5日参照.

◆オセアニア島嶼地域に関する入門書・山本真鳥編(2000)『オセアニア史』山川出版社.・ 印東道子編(2005)『ミクロネシアを知るための58章』明

石書店.・ 吉岡政徳・石森大知(2010)『南太平洋を知るための58章』

明石書店.・ 中山京子編(2012)『グアム・サイパン・マリアナ諸島を

知るための54章』明石書店.

写真3 「Polyfest」における高校生たちのサモアダンス(2009年)

10地理・地図資料◦2016年度2学期②号