讃岐ジオサイト(5) 雨滝山と火山 - Kagawa Uhasegawa/geositePDF/5.pdf3.雨滝山のジオサイト ⑥赤山古墳 推定全長44mの前方後円墳で、墳頂部には火山石(流紋
塚原1号窯跡・若宮1号墳 地元説明会資料 · 塚原1号窯跡・若宮1号墳...
Transcript of 塚原1号窯跡・若宮1号墳 地元説明会資料 · 塚原1号窯跡・若宮1号墳...
塚原1号窯跡・若宮1号墳 地元説明会資料
日時 2006 年 12 月 16 日 ( 土 ) 10 時 30 分~場所 塚原1号窯跡・若宮1号墳発掘調査現場主催 ( 財 ) 愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター ( http://www.maibun.com )支援 ( 有 ) 山武考古学研究所
N
Y=-4735
Y=-4735
Y=-4730
Y=-4730
Y=-4725
Y=-4725
Y=-4720
Y=-4720
Y=-4715
Y=-4715
Y=-4710
Y=-4710
Y=-4705
Y=-4705
Y=-4700
Y=-4700
Y=-4695
Y=-4695
Y=-4690
Y=-4690
Y=-4685
Y=-4685
Y=-4680
Y=-4680
X=-88695 X=-88695
X=-88690 X=-88690
X=-88685 X=-88685
X=-88680 X=-88680
X=-88675 X=-88675
X=-88670 X=-88670
X=-88665 X=-88665
X=-88660 X=-88660
X=-88655 X=-88655
X=-88650 X=-88650
X=-88645 X=-88645
X=-88640 X=-88640
X=-88635 X=-88635
X=-88630 X=-88630
X=-88625 X=-88625
X=-88620 X=-88620
X=-88615 X=-88615
X=-88610 X=-88610Y=-4740
Y=-4740
若宮1号墳
塚原1号窯跡
遺跡位置図 ( 1: 300 )
調査区全景 ( 南東より )
1
遺跡の位置 瀬戸市南東部の若宮町一丁目内に所在
します。ここは矢や だ が わ
田川 ( 赤あかづがわ
津川 ) が大きく南向から西向
に屈くっきょく
曲する、右うがんがわ
岸側の丘きゅうりょうじょう
陵上に位置します。標ひょうこう
高は約
140m。付近には、塚つかはら
原1号ごうふん
墳など、「塚つかはらこふんぐん
原古墳群」と
呼ばれる古こふんぐん
墳群の存在が知られており、若わかみや
宮1号ごうふん
墳はこ
の塚つかはらこふんぐん
原古墳群・高たかつかやまこふんぐん
塚山古墳群の北ほくたん
端あたりに位置します。
また、矢や だ が わ
田川を挟んだ南側の丘陵にも、広ひ ろ く て
久手1号ごうふん
墳な
どの古こふ ん
墳や、百ひゃくだいじかまあと
代寺窯跡・広ひ ろ く て
久手1号ごうかまあと
窯跡など、古こふ ん
墳・
窯ようぎょういせき
業遺跡が集中しています。
塚つかはら
原1号窯かまあと
跡・若わかみや
宮1号ごうふん
墳について
若宮1号墳
塚原1号窯跡
山口堰堤3号墳
0 50m(1/5,000)
塚原1号墳
塚原2号墳
塚原4号墳
塚原3号墳
高塚山3号墳 高塚山1号墳
高塚山2号墳
山口堰堤1号墳
山口堰堤2号墳
矢田川
調査の経緯 発はっくつちょうさ
掘調査は、国道 248 号線道どうろかいりょうこうじ
路改良工事に伴う事じぜん ち ょ う さ
前調査として、
名なごやとうぶきゅうりょうこうじじむしょけんせつか
古屋東部丘陵工事事務所建設課より愛あいちけんきょういくいいんかい
知県教育委員会を通じて、( 財 ) 愛あいちけんきょういく
知県教育・スポー
ツ振しんこうざいだん
興財団 愛あいちけんまいぞうぶんかざい
知県埋蔵文化財センターが委いたく
託を受けて実施しています。平成 18年9月から平
成 19 年2月までの予定で実施しており、この調査は、( 有 ) 山さんぶこうこがくけんきゅうじょ
武考古学研究所の支援を受け
て行っています。
調査の概要
若宮1号墳 調査前にすでに墳ふんきゅう
丘盛もり ど
土の大半が流出し、石せきしつ
室が露ろしゅつ
出していた状態でしたが、
調査の結果、横よこあなしきせきしつ
穴式石室については、玄げんしつ
室、羨せんどう
道、前ぜんていぶ
庭部までが確認されています。石室は
地じやま
山まで掘削した墓ぼこう
壙に、周囲に産さんしゅつ
出する花かこうがん
崗岩を壁かべ
に積んで造られています。
古墳に関わる出土遺物は、希きしょう
少ですが、周しゅうい
囲から6世せいきまつ
紀末から7世紀初しょとうごろ
頭頃の須す え き
恵器片 (
高たかつき
坏の脚きゃくぶ
部 ) が出土しています。
石室内からは、山やまぢゃわん
茶碗の碗わん
・小こざ ら
皿および古こ せ と
瀬戸片が出土しています。羨せんどうぶ
道部を中心として、
石せきざい
材が被ひねつ
熱しているほか、炭たんかぶつ
化物の広がりも確認できました。塚原1号窯跡の操そうぎょうじ
業時に、何か
の形で利用されていた可能性も考えられます。
2
古墳の各施設の名称
( 小幡早苗・近藤美紀 2001「横穴
式石室用語の定義」『東海の後期
古墳を考える』第8回東海考古学
フォーラム三河大会・三河古墳研究
会 )
石室の出土状態 ( 玄室側より )
石室の出土状態 ( 羨道側より )
3
塚原1号窯跡 今回の調査で、陶とう き
器を焼しょうせい
成した「窯ようたい
体」・整せい ち
地された「平へいたんめん
坦面」・「ロクロピ
ット」など作業を行った場所・失しっぱいひん
敗品などが廃はいき
棄されて堆たいせき
積した「灰はいばら
原」が見つかっています。
窯体は2基見つかっています。そのうちの一基 (001) の保存状況は良好で、焚たきぐち
口・燃ねんしょうしつ
焼室・
焼しょうせいしつ
成室・ダンパー・煙えんどうぶ
道部の残存が確認されています。特に、焼成室では、一部天井の残存が
確認できたのは特筆すべき点として挙げられます。また、ダンパーは棒に粘土を貼付けてつく
られた様子が確認されました。さらに、窯体のみならず、他の作さぎょうくうかん
業空間も調査することができ、
地山への切き
り込こ
みおよび盛もりど
土など、窯ようぎょうせいさん
業生産を進行するに伴って、周囲の地ちけいかいへん
形改変を行ってい
る様子が確認されています。
出土遺物は、「山やまぢゃわん
茶碗」とよばれる無むゆ う と う き
釉陶器と「古こ せ と
瀬戸」とよばれる施せゆ う と う き
釉陶器とがともに出
土しています。時代は鎌かまくらじだい
倉時代 (13世紀後半頃 )と考えられます。山茶碗には「碗わん
」・「小こざら
皿」・が、
古瀬戸には「卸おろしざら
皿」・「水すいちゅう
注」・「瓶へいし
子」・「四し じ こ
耳壺」などが見られ、「硯すずり
」も1点見つかっています。
また、古瀬戸でははじめてとなる、戯ぎ が
画が線せんこく
刻された四耳壷片が出土しています。
窯体
整地部分
整地部分
灰原
前庭部
塚原1号窯操業当時の復元図
整地部分
焼土の堆積
窯体
崩落
()
灰原
4
N
窯 体
窯 体
整地・盛土
焼土・窯壁などの堆積
整地・平坦面
整地・平坦面
粘土層の広がり
地形の凹み 地形の凹み
灰原(失敗品などの廃棄場所)
灰原(失敗品などの廃棄場所)
ロクロピット
ロクロピット
(001)
(010)
5
焼しょうせいしつ
成室の一部は天てんじょう
井が残存しています。
窯ようたい
体 (001) は、全ぜんちょう
長 11.1m、幅はば
は 1.9m で、
床ゆかめんけいしゃ
面傾斜は、焼しょうせいしつ
成室で 32 度、燃ねんしょうしつ
焼室で 22 度
を測はか
ります。燃焼室が焼成室同様に傾けいしゃ
斜してい
るのが、大きな特とくちょう
徴です。
床ゆかめん
面には、焼しょうだい
台の配はいれつ
列が残されています。これ
により、製せいひん
品の窯かまづ
詰めの様子を考えることがで
きます。
ダンパー部分には、壁かべぎわ
際近くに、炭たんか
化した木
の跡が見つかっています。木の棒ぼう
の周りに
粘ねんど
土を貼はりつ
付けていると考えられます。
焚口
分焔柱
焼成室
燃焼室
煙道部ダンパー
6
※表および裏表紙の測量データーについては、( 株 ) イビソクより提供を受けた。
まとめ 塚つかはら
原1号窯かまあと
跡は、遺いせきぜんたい
跡全体としては灰原を中心に繰り返し盗とうくつ
掘を受けていた
ものの、保ほぞんじようたい
存状態が良りょうこう
好で、天てんじょう
井の残った窯ようたい
体のみならず、周辺に展開する一連の作さぎょう
業
( 場ば
) も総そうごう
合して検けんとう
討し得る調ちょうさじれい
査事例となりました。また、若わかみや
宮1号ごうふん
墳は、塚つかはら
原古こふんぐん
墳群・
高たかつかやまこふんぐん
塚山古墳群の北ほくたん
端に位い ち
置するものとして、他ほか
の古こふ ん
墳との比ひかくけんとう
較検討する資しりょう
料が提てい じ
示できる
こととなりました。
7107437941192133413351467157615901600
後期旧石器時代
縄 文時 代
弥生時代
安土・桃山時代
原 始古 代中 世近世 時代古墳時代
飛鳥時代奈 良時 代平安時代鎌倉時代室 町 時 代江戸時代
社会の動き
採集・狩猟の生活
土器と弓矢の出現
稲作・金属器の伝来
女王卑弥呼邪馬台国を統治する
大和政権の出現
全国各地に前方後円墳など古墳が築かれる。
聖徳太子摂政となる
大化の改新
藤原京へ遷都
律令制度が整えられる
奈良に都が築かれる (
平城京遷都)
東大寺大仏建立の詔
京都に都が築かれる (
平安京遷都)
藤原氏の摂関政治
院政
武士が台頭 (
源氏・平氏)
源頼朝が鎌倉に幕府を開く
承久の乱
元寇 (
文永・弘安の役)
建武の新政
足利尊氏が京都に幕府を開く
南北朝の動乱 (
〜1392年)
応仁の乱 (
戦国時代はじまり)
東山文化 (
銀閣寺)
瀬戸古窯跡群で茶陶の生産がはじまる
織田信長が安土城を築城
豊臣秀吉が天下統一
関ヶ原の合戦で徳川家康が勝利
徳川家康が江戸に幕府を開く
尾張藩主徳川義直が美濃から陶工を瀬戸に召還し
瀬戸窯業の再興をはかる
北山文化 (
金閣寺)
593645694
焼き物の移り変わり
八王子遺跡
上品野遺跡
中洞窯跡
西松山峠窯跡
宇トゲ窯跡
瓶子窯跡
鶯窯跡
大坪西遺跡
吉野遺跡
縄文土器弥生土器土 師 器
須 恵 器緑釉陶器
灰釉陶器山 茶 碗瀬戸窯常滑窯美濃窯
国産磁器
凧山屋敷遺跡
若宮1号墳
塚原1号窯跡
惣作・鐘場遺跡
桑下東窯跡
長谷口遺跡
上品野蟹川遺跡
小田妻窯跡
瀬戸市域の愛知
埋文調査遺跡
巡間E窯跡
桑下城跡
川合D窯跡
万徳峠窯跡
7