1920...1920 年代アメリカ移民政策における企業経営者...

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〈研究動向〉 1920 年代アメリカ移民政策における 企業経営者 下斗米秀之 ―《論文要旨》 本稿の目的は,近年の経済史および労働経済学の研究動向を踏まえて, 1920 代のアメリカ移民政策の策定過程において企業経営者の役割に注目する重要性を指 摘することにある。アメリカ移民政策の歴史とは移民拡大的な時代と移民制限的な 時代の繰り返しであったが,その時々の経済状況は政策変更を促す主な要因となっ てきた。アメリカ産業の利害は移民政策に大きな影響力を及ぼしてきたものの,こ れまで経済史研究では 1920 年代にアメリカでは移民制限を受け入れる経済的環境 が整備されたとして,企業経営者に注目が集まることはほとんどなかった。とはい え,近年盛んになっている労働経済学における移民研究では,移民政策における重 要アクターとして企業にも注目している。そこで, 1920 年代の移民制限法をめぐ る企業と労働組合の経済的な対立に焦点をあて,彼らの主張の妥当性を経済史およ び労働経済学の成果から問い直す。本稿の分析を通じて,企業経営者が果たしてき た役割の解明がアメリカ移民政策を展望するうえで重要な研究課題であることを明 らかにする。 キーワード:アメリカ移民政策史,移民労働者.企業経営者,労働組合,移民制限 運勁 (65) 65

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〈研究動向〉

1920年代アメリカ移民政策における

企業経営者

—経済史および労働経済学の移民研究の動向から一―

下斗 米 秀 之

―《論文要旨》

本稿の目的は,近年の経済史および労働経済学の研究動向を踏まえて, 1920年

代のアメリカ移民政策の策定過程において企業経営者の役割に注目する重要性を指

摘することにある。アメリカ移民政策の歴史とは移民拡大的な時代と移民制限的な

時代の繰り返しであったが,その時々の経済状況は政策変更を促す主な要因となっ

てきた。アメリカ産業の利害は移民政策に大きな影響力を及ぼしてきたものの,こ

れまで経済史研究では 1920年代にアメリカでは移民制限を受け入れる経済的環境

が整備されたとして,企業経営者に注目が集まることはほとんどなかった。とはい

え,近年盛んになっている労働経済学における移民研究では,移民政策における重

要アクターとして企業にも注目している。そこで, 1920年代の移民制限法をめぐ

る企業と労働組合の経済的な対立に焦点をあて,彼らの主張の妥当性を経済史およ

び労働経済学の成果から問い直す。本稿の分析を通じて,企業経営者が果たしてき

た役割の解明がアメリカ移民政策を展望するうえで重要な研究課題であることを明

らかにする。

キーワード:アメリカ移民政策史,移民労働者.企業経営者,労働組合,移民制限

運勁

(65) 65

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政経論叢第87巷第 l• 2号

はじめに

アメリカが「移民の国」であり,移民の自由な流入が経済成長の源泉であ

ることを疑う者はほとんどいない。汽本も労働も自由に国境を越えた 19世

紀の国際移民の時代に.アメリカは世界妓大の移民受入国として 20世紀の

経済成長を準備した。しかし,そうしたアメリカでさえ,移民が常に歓迎さ

れてきたわけではない。他の国では例を見ないような規模で移民を受け入れ

続けたアメリカにおいても,反移民感情を勁貝して政府の移民政策を攻撃す

る反移民ポピュリズムは日常的に繰り返されてきた(I)。

例えば 20世紀に入り移民の社会経済的な影愕や同化の問題が本格的に現

れると. 1917年には識字率の低い束南欧出身の新移民の入国を制限する目

的で「識字テスト法」が, 1921年と 1924年には移民の出身地や移民個人の

資質に応じて入国者を選別する出身国別の移民割当法がそれぞれ成立した。

その後大恐慌や第二次大戦の影醤から 1930年代と 40年代の移民は減少し

たが,超大国となった戦後には移民受け入れの緩和に向かった。 1965年移

民法では出身国別割当制度を撤廃しただけでなく,人道主義的観点から「家

族再結合」の原理に基づきアメリカ市民の離散家族に,また産業界の労働需

要に応えて技能労働者にそれぞれ優先枠が設定された。

その結果, ヒスパニック系とアジア系移民が急増することになる。製造業

の哀退とサーピス業の発展という産業構造の変化は,低賃金労拗を担う中南

米からの移民を増大させた。その一方で,冷戦期の軍需を含めた諸産業の目

党ましい発展によって科学技術者や専門職従事者の需要も拡大し,これら経

営・専門職に従事するアジア出身の高技能労働者もアメリカ経済を牽引し

た(2)。こうして移民の間にも分極化の傾向が強くみられるようになった。

21世紀を迎え 9.11を皮切りに再び移民や難民に対する取り締まりが強化

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

させるようになった。今日のアメリカでみられる不法移民やヒスパニック移

民に向けられた排外主義(ネイティヴィズム)の高揚は. トランプ大統領が

不法移民対策として米墨国境間の障壁建設費用をメキシコ政府に要求すると

発言したことや相次ぐ白人至上主義団体の過激な行動から日本でもよく知ら

れるようになった。

このようにアメリカの移民政策の歴史とは,移民拡大的な時代と移民制限

的な時代の繰り返しである(3)。またその時々のアメリカの経済状況は.政策

変更を促す主な要因となってきた。景気後退期に移民制限を求める声が大き

くなるように,排外主義の興隆と経済情勢とは極めて密接な関係にある呪

例えば,かつてのアメリカ繁栄の象徴だった製造業や鉄鋼業で働くラスト・

ベルトの白人労働者の多くはトランプ支持者である。グローバル化の流れの

なかでミドルクラスから転落してしまった彼らは,移民に仕事を奪われたと

して, トランプ大統領の移民排斥の訴えに強く共感している。

その一方,移民排斥や移民制限を強化する動向に声を上げて異議を唱える

立場もある。不法移民を多く擁するサンフランシスコやニューヨーク,ボス

トンなどの型域都市はトランプ大統領に強い抵抗の姿勢を示している。また

アメリカ経済の成長に悪影響が及ぷとの懸念から巨大企業の経営者たちは,

有能な人材の確保に不透明な先行きを与えるトランプ政権の移民政策に対し

て,連名で異議を申し立てている (5)。

アメリカの歴史において.こうした移民労働者をめぐる意見対立も頻繁に

繰り返されてきた。例えば今日のヒスパニック移民への排外主義的感情は,

19世紀末から 1920年代にかけて東南欧移民やアジア系移民に対して向けら

れた。当時の移民もアメリカ社会への同化が疑われ,賃金や労働条件を引き

下げる脅威と見られたからである。その際,移民制限運動を主導する経済ア

クターとなったのは労働組合であった。その一方で.移民労働者の導入を前

提とした経営慣行や労務政策を展開していたアメリカ企業は,移民制限の強

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政経論叢第 87巻第 1• 2号

化に反対の立場をとってきた。移民政策の変更が企業の労働力供給に多大な

影響を及ぽしかねない大きな関心事だったからである。しかしこれまで研究

史は,省力的な技術革新や「科学的」な経営管理,そして南部黒人を含む農

村から都市への国内労働力移動,さらにはメキシコ移民や女性労働者が新た

に導入されたことによって「買い手」労働市場が創出され, 1920年代には

移民制限を受け入れる経済的環境が整備された,と説明してきた(6)。そのた

め移民政策の形成において企業経営者の果たした役割に注目が集まることは

なく,次第に移民制限問題から距離を置くようになったと指摘されてきた。

これに対して筆者は 1920年代のアメリカ移民制限政策に対する企業経営

者の具体的な対応やその影響力について検証し,彼らがアメリカ産業を利す

る移民政策を実現させるぺく積極的に議会や行政に働きかけたこと,その結

果成立した 1924年移民法は,それまで労働移動や労働不安に悩まされてき

た産業界が期待を寄せた移民労倒力の創出手段となったことを明らかにして

きた(7)0

それでは,アメリカ移民政策の歴史において企業経営者を積極的に位骰づ

ける意義や重要性とは何だろうか。本稿では,近年の移民に関する経済史や

労働経済学の研究動向を踏まえて,企業経営者の役割に注目する重要性を指

摘したい。具体的には, 1920年代の移民制限法をめぐる主に企業と労働組

合の経済的な対立に焦点をあて,彼らの主張の妥当性を経済史や労働経済学

の成果から問い直す。以下,第 1章では主にアメリカ経済史研究における移

民問題を整理しながら,移民がアメリカ経済発展の源泉であったこと,それ

ゆえ移民労拗者の導入を前提とした経営を行っていた企業経営者にとって移

民制限が大きな関心事であったことを明らかにする。第 2章ではアメリカ経

済成長に不可欠な存在であるにもかかわらず展開された移民制限運動におけ

る労働組合の主張や役割に注目し,彼らの主張の妥当性を問い直す。移民労

慟者の導入や規制をめぐる企業経営者と労働組合双方の立場を踏まえたうえ

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で,第3章では近年の移民経済学の研究動向から移民政策を検討する際に企

業経営者に注目が集まりつつあることを指摘する。最後に本稿の議論を総括

したうえで,移民政策史研究を前進させるために解決するべき課題を提示し

たしヽ。

1. アメリカ経済成長の源泉としての移民労働者

はじめにアメリカ経済史研究における移民労慟者の位置づけを明らかにし

ておきたい。日本のアメリカ経済史研究は,比較経済史(大塚史学)の系譜

を引く鈴木学派による研究を端緒としている。それらの主要な研究課題とは

アメリカ資本主義の形成と発展の究明に充てられ,資本主義の自主的展開,

順調な発展というアメリカ的特質が独占形成期にどのように継承・変容され

たのかを問うてきた(8)。そのなかで移民労働者は資本主義的な生産関係を作

り出すために必要な賃金労働者となったのであり,移民労働者こそが経済発

展の原動力であったといえる(9)。国内の農業地域から労働力が供給されたヨー

ロッパとは異なり,都市部の労働市場の底辺に参入してきた移民労働者が活

用されたことにアメリカ労働力形成の特徴があったのであるOO)o

アメリカでは,移民労働者が受入国の市民と同一の職種上・業種上の分布

を示すことはほとんどない。それは劣悪な労働条件であっても容易に削減す

ることのできない外国人労働者を必要とする職種が常に存在するからである。

アメリカの多くの産業で賃金の低い単純労拗者に対する飽くことなき需要が

あり,この需要が海外の貧しい人々を引き付けている。雇用者と潜在的移民

の両者に利益があり,両者に対する罰則が軽い限り,移民するインセンティ

プは残り続けることになる (II)。世界的な産業資本の拡大に伴う国際労働力

移動についての研究も,移民送出国の経済的困窮とアメリカの経済成長によ

る大量の不熟練労働者の雁用という労働力の需給関係によって移動メカニズ

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ムを説明してきた(12)。

こうして 19世紀の国際移民の時代に,アメリカは世界最大の移民受入国

となった。その理由として,高い労働力需要や生活水準など移民を惹きつけ

るアメリカ側のプル要因と経済不況や戦争など出身国側のプッシュ要因とが

重なったことがある (13)。とくに 19世紀後半からの工業化の進展は産業労働

力需要を大幅に増加させた。景気変動に応じて移民数が増減したことからみ

ても,移民の推移は経済的要因に強く規定されてきた (19)。移民数の変動が

アメリカの最気循環や失業率と高い相関を示すという点は特に重要であり,

この時期の移民労働力の性格を特徴付けている (15)。失業率の 1%の低下が 4

万9,000人の, GNPの 1%の上昇が 1万9,000人の,それぞれ入移民の増加

をもたらしたといわれ,このことは移民が産業発展によって生じる労働力不

足を埋め合わせてきたことを意味する (16)。その担い手となったのがイギリ

スやドイツ,アイルランドなど北西欧からの「旧移民」に代わって, 19世

紀末から急増したイタリアやポーランドなど束南欧からの「新移民」であっ

た。

例えば 1910年では,移民は全労働人口の 21%を占めている。とくに石炭・

製鉄・繊維・衣服・精肉などの産業分野では移民の割合が過半数を超えてお

り,現在も続く人種間の職業編成の原型をなした(17)。移民が従事したのは

農業や鉱業,鉄鋼業や建設業など,暑さや辛さのみならず,危険とも隣り合

わせの厳しい労働現場であった。英語のできない移民は,警告の標識や信号

が理解できず,事故にも遭いやすかった。移民労働者はこのような労慟環境

に身を置きながらも,大量生産型工場に適合的な半熟練・不熟練労働力屈を

形成し,任意に雇用・解雇しうる安全弁として巨大企業体制の成立と発展を

支えたのである。

とはいえ,経営者側にも移民を雇用するうえで問題がなかったわけではな

い。それは,多くの製造業の現場では,訓練を受けなくてもできる作業があっ

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たことから,移民が職場に不満があれば,あるいは他に好条件の職場があれ

ば,簡単に別の工場へ移ってしまうなど労働移動率が極めて高かったことで

ある。例えばペンシルベニア州西部の鉱山の現場監督は, 1,000人の従業貝

を常時確保するために,年間 5,000人を採用したという (18)。

このように前近代的な文化と慣習を維持する移民たちにとって当初,工場

労働の諸要求を受け入れることは難しかった。そこで移民の「アメリカ化」

を推し進めることによって労働移動率を減らすとともに企業帰属慈識の培養

を図る企業も現れた(19)。企業経営者にとって大量移民が安価な労働力の供

給源として歓迎すぺき現象であることは言うまでもないが,同時に移民の持

ち込むアナキズムや社会主義といったヨーロッパ的ラディカリズムの防止,

さらに前近代的な農業社会からやってきた大屈の新移民たちを,新たな産業

社会の諸規準に合致した効率的.画ー的労働者へと改造するという二重の課

題を達成する必要があったのである (20)。また一部の巨大企業は,職種別労

慟組合に包摂されない多数の半熟練・不熟練労働者に必要な技能・熟練を,

企業内技能養成機関によって教育訓練する雁用管理・労務管理政策を展開し

た(21)。アメリカ労働総同盟 (AmericanFederation of Labor :以下, AFL)

が移民ら未熟練労働者の組織化に消極的であったことも経営者側に有利に働

いた。経営者側は,オープン・ショップ運動による組合への強硬路線を通じ

て,また労働者を物心両面で組合から隔離し,従業貝代表制や会社組合など

の施策を通じて反組合活動を積極的に展開することができたからである (22)0

アメリカでは労働者間の人種的・エスニック的な敵対・対抗関係を巧みに操

作することで強力な組合の発展を抑えて高い生産性を維持してきた。企業経

営者らは,人事・労務管理やアメリカ化運動を通じて移民の組織化を未然に

防ぎ,彼らをアメリカ企業に適した近代的労働者へと転換していったのであ

る(23)。

よって移民労働者の導入を前提とした経営慣行や労務政策を展開していた

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企業経営者にとって移民制限は大きな関心事であったといえる。すでに

1920年代の企業はそれまでのように移民を使い捨て部品のように扱い,無

制限の流入を求めていたわけではない。当時の産業界は安価な移民労働者を

無尽蔵に流入させ,産業を発展させたいだけの自己中心的な考えだと世間か

ら批判をあびていたからである。第一次大戦以降の工業地帯における労働市

場の変化―ー戦後不況による移民流入の一時的な停止,黒人の北上やメキシ

コ移民の登用による労働力供給源の変化(24) —ーを受けて,多くの企業経営

者の移民労働者に対する態度にも変化が生じ始めていたのである。

とりわけ 1920年前後の戦後不況による一時的な失業率の増加の影響は大

きかった。 1921年移民法が成立する際,企業経営者らはそれまでのように

労働力不足を理由に移民制限への反対を強く主張することができなかったか

らである。移民制限それ自体を認める経営者も多く登場し,焦点は移民の選

別方法をめぐるものになった。 1924年移民法の制定過程において企業経営

者らは,利害や主張の異なる団体を巻き込む形で移民問題に取り組むことで,

産業界に対する批判をかわしつつ,不適切な移民を出国の段階で排除し,ァ

メリカ化しやすい移民を選別する,産業界を利する移民政策の実現を目指し

たのであった。その結果 1924年移民法は,それまで労働移動や労働不安に

悩まされてきた産業界が期待を寄せた移民労働力の創出手段となったのであ

る。

このように 1920年代の移民制限法の成立過程において,企業経営者たち

は移民問題に無関心であったわけでも無力であったわけでもなかった。この

ことは,労働力不足の解消を理由に企業経営者たちは移民制限問題から離脱

した,という従来の解釈に一定の修正が求められることを意味する。それと

同時に,企業にとって移民労働者とは単なる労働力ではなく,大量消費社会

における消費者として,将来のアメリカ市民としてアメリカ経済の発展に不

可欠な存在であるとの認識を強くもっていたことを示唆している。次章では,

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

企業経営者とは反対に移民制限巡動の先頭に立った労慟組合の主張から移民

問題を考察し,経営者側との主張の違いを浮き彫りにする。

2. 移民制限と労働組合—反移民的な主張の妥当性

アメリカ経済にとって移民が有用であるとの企業経営者の見方とは反対に,

19世紀後半以降のアメリカでは,大駄の移民労働者の流入を脅威と捉える

風潮が強まっていった。 19世紀末からの移民制限運動の激化によって 20世

紀初頭には移民制限諸法が成立した。なかでも 1924年移民法によってアメ

リカの国是ともいえる自由で開放的な移民政策が終焉したことは,ほぼ共通

の理解となっている。同法は数量的な制限を導入するにとどまらず,受け入

れる移民の出身地や地域,さらには移民個人の資質を選抜しようとするもの

であった。すなわち,第 1にヨーロッパからの移民には国別に移民数の上限

枠を設け,フィリピン等の米領を除くアジア移民を受け入れ禁止とする一方

で(25), メキシコ,カナダなど西半球からの移民を最的制限の対象外とす

る(26)など,地域に応じて異なる制限方式を採用した。同法は 1921年移民法

の国別移民割当の基準を 1910年国勢調査から 1890年のそれへと変更し,束

南欧系移民への割当を大幅に削減することで,移民制限時代への移行の画期

となった。また第 2に,割当枠の管理と移民査証を発行する権限を在外領事

に付与することで,入国時の移民審査に加えて移民送出国での審査を課すニ

重の入国管理体制を整備した。すなわち,在外アメリカ領事発行の査証に基

づく移民管理制度 (consularcontrol system)を採用し, 19世紀末から始

まった移民の質的管理を制度化したのである。

それでは新移民はなぜ規制対象となったのか。それは新移民の多くが英語

を話すことのできない単身の出稼ぎ労働者であったこと,宗教的にもカトリッ

クやユダヤ教など多様だったことから,アメリカ社会に同化しないとみられ

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たからである。加えて中国や日本などアジア移民の増加も,移民制限運動を盛

り上げることとなった。アメリカ人の賃金や労働条件を引き下げると主張した

労働組合,新移民を貧困や犯罪,政治的汚職の温床と考えた上流階級出身の

知識人らがこの移民制限運動を主導した。貧困問題や労働問題の解決を重視

する革新主義者たちも,社会改革の観点から移民制限を唱えるようになった。

移民に対する排外主義的感情の高揚は,新移民は旧移民より人種・民族的

資質が劣っているという「科学」を装った人種差別思想が学術的に正当化さ

れたことによって,いっそう勢いづいた。ここで 20世紀初頭におけるアメ

リカにおける反移民的な主張について,経済的な側面に絞って掘り下げて考

えてみたい。

「長い歴史のなかで,移民問題以上にアメリカの労働運動をより激しい闘

争に駆り立てた争点はほとんどなかった」(27)。労働経済学者プリッグスは,

移民労働者に対する労働組合の敵意をこのように表現した。旧労慟史学の代

表的論者コモンズもまた,移民制限法を成立させた要因として,束南欧系移

民の流入によるアメリカ人労働者の賃金や生活水準の低下,政治的・文化的

伝統に対する危機感を重視した(四)。そのうえで移民労働者がアメリカに持

ち込んだ伝統的労働習慣や文化に着目する野村は,旧移民労働者らが「労働

運動を妨げる無知で低劣な新移民の脅威」をもって移民制限に加担したこと

を強調する (29)。また富澤は,大量の移民が機械操作エとなり,移民を企業

内に囲い込むことで,組合員の移民労働者蔑視の態度が醸成され,最終的に

労働者の階級的連帯を蝕んだと指摘する。すなわち,労働時間の短縮によっ

て労働供給量を減らし,賃上げや失業問題の解決を図ろうとする組合にとっ

て,移民による機械操作の労働は企業の経営規律への服従にほかならず,彼

らを移民制限へと駆り立てたのである⑱)。技術革新や機械化の進展などの

経済構造の変化は,熟練労働者の仕事の多くを不熟練労働者に引き渡し,ア

メリカ基幹産業における労働の主役を熟練労働者から不熟練・半熟練労働者

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

へと移行させた。不熟練工程の合理化によって大量生産を行う製造ラインに

就く労働者とは.フォードのベルトコンベア一方式の流れ作業が示すように.

製造工程のごく一部にしか関わらない,製品に対する知識も欠くようなヨー

ロッパからの移民労働者であった(31)。

このように新移民の登場は.労働者階級の内部に摩擦を引き起こし,旧来

の熟練工の地位を不安定なものとした。ストライキによって賃上げを獲得し

ても新しい移民労働者の雇用によってそれが切り崩されるなど,職をめぐる

厳しい競争を背景に AFLによる強力な移民制限論を惹起した(32)。当初から

移民労働者に排他的な立場をとっていたわけではなかったが.スト破りとし

て企業の道具と化す移民労働者に対する反感が高まった結果. AFLは1890

年代以降識字テストによる移民制限を唱えるようになった。安価な移民労働

者の利用は経営者側のコストカット戦略にほかならず.労働者側の交渉力や

権限を損なうものであった。そのため AFLの移民制限への支持は.労働環

境の改善はもちろんのこと.反労働組合主義的な経営者に対する反撃材料と

いう側面も伴った(33)0

それでは労働組合が主張するように.移民は本当にアメリカ人労働者の賃

金を引き下げ.失業率を高めたのだろうか。移民が受入国生まれの労働者の

賃金に与える影響について.これまで様々な研究がなされてきた。近年の研

究成果によると,個々の実証的研究は分折対象となる時期や労働者グループ

が異なるものの,移民はアメリカ人労働者の賃金を引き下げる方法に働くが,

その影響は小さく.マイナスの効果も長くは続かないことで一致している。

これらの研究はアメリカ人労働者の雇用は移民によってほとんど影響を受け

ないことを示しており,アメリカ人が移民から受ける正味の経済便益はそれ

ほど大きくないとしてもプラスの値になるという四)。

また移民に職を奪われるという労働組合の主張も.ある社会経済における

職業機会が固定しているという誤った前提に立ったものである。実際には.

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政経論叢第87巻第 I• 2号

雁用数は人口の増加や生活程度の向上にともなう物資やサービス業務の需要

増加にしたがって増加する。移民は家族とともに消費者として需要を刺激す

るのであって,むしろ雇用機会の増加に役立ってきたともいえる (35)。移民

は,供給のみならず需要も生み出しているのであり,住宅や工場建設を促進

し.資本投入の高い伸びに大きく貢献してきた⑱)。

移民が失業を引き起こすという主張も,十分な裏付けのあるものではない。

例えば, 1870年から 1913年の 40年間でアメリカに来た移民は 3,000万人に

のぼるが,この間,アメリカの総人口は前年比で 2.1%という高い伸びを示

していた。しかし 1913年時点での失業率は 4.3%と低く,このことは移民流

入が大量失業を引き起こさなかったことを示している。 1890年から 1910年

までのアメリカの実質賃金の水準は上昇し続け,移民はアメリカ人労働者と

競争しないだけでなく.後者の経済的地位の向上を助けてきた。長期的にみ

るならば,不熟練労働者として産業労働力の底辺に入った新移民によって,

アメリカ人には不熟練工を監督する職種.事務的な仕事.いわゆるホワイト

カラー業務の需要が増加し,職業序列を上昇する機会が与えられたのである。

移民がアメリカの失業増加の要因ではなかったことは, 1929年の大恐慌と

大失業者の発生が大規模移民の終わった 10年後に起きたことからも明らか

である (37)。

以上のことからも労働組合による反移民的な主張の多くは支持しうるだけ

の十分な論拠を持ち合わせていないことがわかる。とはいえ,このことは移

民流入が経済的にマイナスの効果をもたないことを意味するわけではない。

国際的な移民政策の自由化は確かにアメリカに大きな富を生み出す。しかし

その富はすぺてのグループの人に等しく行き渡るわけではなく.短期的には

損失を被る者も出てくる (38)。その際,移民の増加によるアメリカ人労働者

の損失は簡単に人々に認識されるのに対して.移民の増加がない時に他のア

メリカ人労働者グループが被る損失は容易に察知することはできない。つま

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

り,移民の生み出す利益に比ぺて損失のほうが可視化しやすく認識しやすい

ことは,移民政策の自由化を実現させるうえで大きな障害となっているので

ある (39)0

また歴史的にみても「繁栄の 1920年代」と言われる「繁栄」を享受でき

たのが労働者層の中でも上層に位設する熟練労働者に限られていたという事

実も重要である。熟練度が高く替えの利かない労働とそうでない不熟練労働

者の間には賃金ピラミッドが作られ,アメリカの労働者階級には「2つの世

界」があった(40)。実は 1920年代の「繁栄」の裏では 100万人以上の失業者

が存在しており,大きな貧富の格差を伴っていた(41)。このように労働組合

員の中に好景気を実感することなく,移民と競合して不利な立場に立たされ

た労働者がいたとしてもま・たく不思議なことではない。

このように移民政策の転換は多くの点でアメリカ経済に影響を及ぼしてき

た。産業構造の変化に合わせて求められる人材の質やその数は変わったとし

ても,アメリカには移民労働者に対する高い甜要は変わらず存在する。とは

いえ,無制限な移民流入が常に労働市場に望ましい結果を生むわけではない

ことも明らかである。移民制限法が実施された後の 1930年代以降,アメリ

カ経済が本格的に成長段階を迎え,戦後パックス・アメリカーナとよばれる

覇権国家を作り上げた事実は,必ずしも自由放任政策が望ましくないことを

物語っている。移民労働者の流入によって損失を被る労働者に対する補償も

必要となる。近年,労働経済学の分野からアメリカ経済にとって望ましい移

民政策について多くの研究成果が提示されてきている。次章ではそれらの議

論から企業経営者に課せられている役割とその課題について検討する。

3.移民政策における企業経営者の役割

本章では,労働経済学の成果を利用して,移民政策論議を前進させるため

(77) 77

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政経論叢第87巻第 1・2号

に問うぺき論点を提示する。経済学が本格的に移民問題を取り入れるように

なったのは, 1980年頃であった。経済学の傍流であった移民研究は,移民

受け入れの問題が世論を二分するほど大きな政治課題に浮上するに従って,

労働経済学の世界でも中心的な研究対象となった。例えばバリー・チズウィッ

クは,アメリカに長く住んでいる移民の収入は移住したばかりの移民を大き

く上回るとして,移民の経済的同化(収入格差が大きく解消されること)の

進捗を示唆した(位)。

近年では,具体的な政策提言を述ぺる経済学者もいる。例えばヴェダーは

移民の選抜について,行政主導ではなく市場原理に任せるぺきと提案してい

る。アメリカ永住許可移民ビザを電子市場で売りに出して,需要と供給によっ

て価格や発給数を決定し,年間のビザ発給数を労働市場の状況に応じて変動

させる,というものである(心)。ヴェダーによれば,この市場に基づく移民

規制の長所とは,技能水準や生産性の高い人を優先的に入国させることがで

きるという点にある。すなわち,この「前払い制」的な移民政策のもとでは,

アメリカで高賃金の技術職を得られる可能性の高い人たちが移民ビザの恩恵

を受けることになる。この結果,移民主導の人的資本蓄積と起業とが活発に

なるほか,アメリカ企業も技能職労働者の雇用を確実に維持することが可能

となる, といった極端な議論もある a)。またゴードンは,移民制度改革と

してアメリカの大学を卒業した外国生まれ移民の永住を認めて頭脳流出を防

ぐこと,そしてカナダのポイント制にみられるように高技能の移民を奨励し,

アメリカの労働力の平均的な質を向上させるための仕組み作りを提示してい

る“5)。このように具体的な政策提言を行う経済学者は多くないにせよ,経

済学における移民研究は概ね移民,とくに高技能移民による受入国への経済

波及効果に肯定的な立場をとってきた(46)0

その一方で,これら「移民は経済的に良いものである」という通説に対し

て,「移民の利益を誇張し,・損失を矮小化するように証拠を積み上げてきた

78 (78)

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

のではないか」と批判するのが移民経済学の権威ボージャスである (41)。ポー

ジャスによれば,最近の移民は,かつてに比ぺて経済的同化が進んでおらず,

市場で需要のある技能や英語を習得するペースが遅くなっている。これは必

要とされる技能や知識が高度化されてきているのにもかかわらず,最近の移

民はアメリカ社会で通用する技術や能力を持ち合わせていないことを意味し

ている。調査の前提条件や操作するデータによって,移民がプラスなのかマ

イナスなのか結論が異なるというポージャスの指摘は,専門家の意見を無批

判に鵜呑みにすることへの警鐘となった⑱)。

移民受け入れによる社会への長期的・短期的な財政・社会保障への否定的

な影響を考慮する必要もある。たしかに,移民を労働投入としてみるならば,

経済的にはメリットが大きい。とはいえ,移民のもたらす経済的利益は,彼

らの利用する社会保障サービスに相殺される可能性も否定できず,長期的な

財政上の利益を推定するのが難しい。それゆえボージャスは,移民を単なる

労働力としてではなく,生身の人間として捉える必要性を訴えている (49)。

ボージャスは結局のところ,移民とは経済学的な観点からは「政府の富の

再分配政策の一種」であると結論づける。短期的には移民余剰による経済的

利益は社会保障サービスの財政負担によって相殺される。これまでの移民の

規模や技能水準を考えると移民の経済的影響力は,せいぜい差し引きで 0な

のだという。すなわち,移民の受け入れによって受入国の国民全体で享受で

きる経済的なメリットはほとんどないのである。その一方で,莫大な富が労

働者から企業に移転している。ポージャスによれば,移民受け入れにおける

勝者とは移民自身と移民を安い賃金で雇用できる企業であり,敗者は移民に

仕事を奪われる「特定の分野」の労働者である (50)0

国境管理が十分に機能していない不法移民対策についてもボージャスは,

書類不所持移民を雇う雇用主に対する罰則を強化し,企業に責任をもって従

業員を管理してもらうことを提案している。移民受け入れによる特定の職種

(79) 79

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の賃金下落に対しては,移民数を減らすことが最良の対応策ではない。輸入

増加の影響を受けた労働者に対して助成金を給付した 1974年の貿易調整支

援制度を参考に,移民に影響を受けた産業や地域で働く労働者を支援する同

様の制度を設けることも検討する必要がある。これまで農業を営む企業やサー

ビス企業は,低技能移民の屈用によって多大な利益を得てきた。これらの利

益を原資に,低技能のアメリカ人が移民との競争により受けた損失を補填し,

企業が彼らの再就職支援を行うことをポージャスは提案している (51)0

以上のように,労働経済学における移民研究にも様々な立場・考え方があ

る。とはいえこれら研究が示唆するのは,移民によって得られる経済的利益

を一部の受益者ーボージャスのいう企業や移民自身一ーが独占するのでは

なく,社会全体に還元するための仕組み作りが重要ということである。その

際に不法移民対策の観点からも.企業の果たすべき役割には大きな期待が寄

せられている。ヴェダーのいうように移民の選抜を市場原理に委ねるという

方向性に進むのであれば,企業が移民労働者を管理する必要性はますます高

まるだろう (52)。

終わりに

これまで見てきたように,アメリカ経済の発展において移民労働者は不可

欠の存在であったとの見方が強い。大量の不熟練・半熟練労働者はもちろん

のこと.外国から新技術を導入した高度技能労働者などの役割も看過するこ

とはできない。しかし.移民労働者の需要はその時々の経済状況に連勁する

形で変動する。また移民労働者に求められる技能や能力も時代とともに変遷

する。もはや移民受け入れの是非を問うだけの単純な二項対立は移民問題の

解決策になりそうにない。

ポージャスは.移民が労働市場にどのような影響を与えるかを証明する最

80 (80)

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

も信頼性のある証拠は,仮想経済のモデルを使った研究からは出てこない,

と指摘したR)。そうであるならば労働経済学の成果を利用しつつ経済史研

究がその役割を担う必要がある。より具体的には経営者や労働組合,そして

移民労拗者自身といったアクターそれぞれの果たしてきた役割について,歴

史研究の立場から丁寧に史実を掘り起こす作業が重要であろう。その際には

移民のアメリカ社会への同化や適応,社会統合の側面にも目を向ける必要が

ある。もっともポージャスら経済学者の主な関心は不法移民問題に揺れる今

日のアメリカ移民政策にあり.労働経済学の知見や研究成果を直ちに 1920

年代の議論に組み込むことにも慎重でならなければならない。しかし 19世

紀末以降の移民制限運動の高揚にもかかわらず移民制限法の成立が遅れた理

由の 1つに移民労働者統制における国家と経営者側との強い利害関係にあっ

たと言われるば)。また保守的な共和党政権に支えられた巨大企業が 1920年

代の経済発展の牽引力であり.産業の利害が国家政策の形成に大きな影響力

を持っていたことを考えても, 1920年代の移民政策の策定において果たし

た企業経営者の役割に注目する意義は小さくないように思われる。このよう

に移民政策の歴史において企業経営者が果たしてきた役割を解明することは,

今後の移民政策を展望するうえでも重要な研究課題となると考えられる。

{注)

(1) 谷によれば,アメリカは移民国家であるが故に一方では多数の,そして多様

な移民を受け入れるという歴史を持ち,他方では先に到達した移民とその子孫

が新しくやってくる移民に対して敵意を抱き,反移民のポピュリズムを繰り返

し生み出すという歴史を持っている。移民をめぐるアメリカの政治は,これら

2つの相反するベクトルの合力として展開されている。谷聖美「現代アメリカ

における移民受け入れ拡大政策とその反動―ーポピュリズム,理念,選挙—」

河原祐馬他編「移民と政治ーナショナル・ポピュリズムの国際比較」昭和堂,

2011年, 140-163頁。

(2) グローパル人材の移勁が益々盛んになった現実を反映して,国際労慟力移動

(81) 81

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に関する研究は,高度技能を持つ移民労働者にも注目している。代表的なもの

に, BarryR. Chiswick ed., High-skilled Immigration in a Global Labor

Market, Washington, D. C.: AEI Press, 2011 ;駒井洋監修・五十嵐泰正•明

石純一編『「グローバル人材」をめぐる政策と現実」明石書店, 2015年:小井

土彰宏編「移民受入の国際社会学一ー選別メカニズムの比較分折」名古屋大学

出版会, 2017年などが挙げられる。

(3) アメリカ移民政策に関する通史は,以下を参照。 WilliamS. Bernard ed~

American Immigration Policy: a Reappraisal, New York: Kennikat Press,

1969; Robert A. Divine, American Immigration Policy, 1924-1952, New York:

Da Capo Press, 1972; Edward P. Hutchinson, Legislative Histoか ofAmeri—

can Immigration Policy 1798-1965, Philadelphia: University of Pennsylva-

nia Press, 1981; Vernon M. Briggs, Jr~Immigration Policy and the American

Labor Force, Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1984; George

J. Borjas, Heaven's Door Immigration Policy and_ the American Economy,

Princeton: Princeton University Press, 1999;川原謙ー「アメリカ移民法」

有斐閣出版サーピス, 1990年: AristideZolberg, A Nation by Design, Massa-

chusetts: Harvard University Press, 2006;加藤洋子「「人の移動」のアメリ

カ史一ー移動規制から読み解く国家基盤の形成と変容」彩流社, 2014年など。

(4) ネイティヴィズムとは,外国人に対する強い謙悪感および排斥思想を指す。

代表的論者のハイアムはアメリカにおけるネイティヴィズムを①反カトリック

主義②反急進主義,③アングロサクソン主義の 3つの視角から分折している

が, 19世紀末の経済恐慌とそれに伴う社会不安, 1914年の経済不況による反

カトリック運動の拡大, 1920年後半の戦後不況による反移民感情の増幅など,

排外主義的感情の高まりと経済不況との密接な関係を重視している。 John

Higham, Strangers in the Land: Patterns of American Nativism, 1860-1925,

New Brunswick: Rutgers University Press, 2002, pp. 73, 183-6, 267.会田弘

継も「近現代的文脈におけるネイティヴィズムの源泉とは経済的苦境によるも

のだ」と指摘する。会田弘継「「トランプ現象」とラディカル・ボリティクス」

「青山地球社会共生論集」創刊号, 2016年, 85頁。

(5) "Top C.E.O.s Denounce Trump Immigration Policy as Threat to U.S.

Econoinyt New York Times, August 23, 2018.

(6) Henry B. Leonard, The Open Gates: The Protest Against the Movement to

Restrict European Immigration, 1896-1924, New York: Arno Press, 1980, pp.

262-264; Sanford M. Jacoby, Employing Bureaucracy: Managers, Unions, and

the Transformation of Work in American lndustか 1900-1945,New York:

82 (82)

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

Columbia University Press, 1985 [S. M.ジャコーピィ.荒又頂雄ほか訳

直用官僚制」北海道大学図書刊行会, 1989年. 208-209頁] :Michael C. LeMay, From Open Door to Dutch Door an Analysis of U.S. Immigration

Policy Since 1820, Westport: Praeger Publishers, 1987, pp. 78-83; John

Higham, Strangers in the Land: Patterns of American Nativism, 1860-1925,

New Brunswick: Rutgers University Press, 2002, pp. 316-318; David R.

Roediger and Elizabeth D. Esch, The Production of Difference: Race and the

Management of Labor in U.S. History, Oxford: Oxford University Press,

2012, pp. 173-180.

(7) 下斗米秀之「移民制限運動の拡大と企業・企業家団体の抵抗— 1924 年移

民法の成立過程を中心に」「アメリカ経済史研究」第 11号,アメリカ経済史学

会, 2012年;同「アメリカ 1924年移民法の制定における経営者団体の取り組

み一ー全国産業協議委貝会の「移民会議」 (1923年)の検討を通じて」「社会

経済史学」第 80号,社会経済史学会, 2014年;同「アメリカ企業経営者の請

願活勁と 1924年移民法成立一一連邦議会および労働省宛て請願書の分折を中

心に」「国際武器移転史」第5号,明治大学国際武器移転史研究所.などを参

照のこと。

(8) 須藤功「南北戦争後のアメリカ経済一ー南部再建からニューディールまで」

馬場哲・小野塚知二編「西洋経済史学」束京大学出版会, 2001年, 272頁。

(9) 森によれば.「世紀交替期の移民は,アメリカの独占形成の必須の条件だっ

たというだけでなく.独占資本主義の構造そのものに多くのアメリカ的特質を

付与した」。森呆「アメリカ独占資本形成期の移民労箇力」北海道大学「経済

学研究」第 18巷第 4号, 1969年, 150頁。岡田は移民の経済面にのみ芍目す

るのでなく,社会史研究の成果を視野に入れる必要性を強調している。なお日

本の経済史研究における移民問題についての研究動向は,以下を参照。岡田泰

男「移民とアメリカ経済史」社会経済史学会編「社会経済史学の課題と展望」

有斐閣. 1984年;庄司啓一「移民と労慟者」岡田泰男・須藤功編「アメリカ

経済史の新潮流」慶應義熟大学出版会. 2003年。

(10) ヨーロッパからの移民に焦点を限定するのではなく,アジアやアメリカの各

大陸からの移民労母力,国内の黒人と関連付けてはじめて.独占資本主義確立

期における労拗力の特殊な調達方法と労慟力の編成,それらの持つ移民を理解

出来ることとなる。多様な大址の移民の流入は人種・民族,そして職種別に分

断された労働市場を創出・展開させるのに不可欠な役割を演じ.独占形成期の

資本一貨労働関係に大きな影唇を与えてきた。大塚秀之「アメリカ独占沢本主

義確立期の労働市場」神戸市外国語大学研究所「研究年報」第 22号, 1984年,

(83) 83

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政経論叢第 87巻第 1• 2号

36頁。

(11) George J. Borjas, We Wanted Workers: Unraveling the Immigration Narra-

tive, New York: W.W. Norton & Co Inc, 2016[ジョージ・ポージャス,岩

本正明訳「移民の政治経済学」白水社, 2018年. 53頁].今日,アメリカに不

法移民の流入が続いている根本的な要因は受入国と送出国との間にある経済格

差(賃金格差)である。

(12) 国際労慟力移動に関する研究は,国民国家の枠組みを相対化する資本主義世

界経済や世界システムの枠組みの中で理論的枠組みが提示されてきた。森田桐

郎編「国際労働力移動」東京大学出版会, 1987年;森田桐郎編『国際労働移

助と外国人労働者」同文館, 1994年; SaskiaSassen, The Mobility of Labor

and Capital: A Study in International Investment and Labor Flow, Cam-

bridge: Cambridge University Press, 1988 [S.サッセン,森田桐郎ほか訳

「労働と資本の国際移動一世界都市と移民労働者」岩波書店, 1992年]など

を参照。

(13) 移民研究における「プッシュ・プル理論」は実際の人の移動を説明すること

や将来を予測することができないとして.多くの批判に晒されてきた。これか

らは,プッシュ・プル要因に加えて,人の移動をより大きな世界史的展開.世

界が中心と周縁に構造化されていく世界システムの力学として考える必要があ

る。ジェームス・ホリフィールド「現われ出る移民国家」伊豫谷登士翁編「移

動から場所を問う一一現代移民研究の課題」有信堂. 2007年, 57頁;カース

ルズ, ミラー「国際移民の時代」 29頁;貴堂嘉之「移民国家アメリカの歴史」

岩波新書, 2018年, 52-53頁。

(14) 野村達朗「アメリカ労働民衆の歴史一一働く人びとの物語」ミネルヴァ書房,

2013年, 49頁。とりわけ 1930年代までの移民は経済的要因に強く規定されて

いた。加藤洋子「移民・移民法と米国の盛衰」慶應義塾経済会「三田學會雑誌」

第92巻 1号. 1999年, 106頁

(15) 移民流入と景気循環との関係については以下を参照のこと。 HarryJerome,

Migration and Business Cycles, New York: National Bureau of Economic

Research, 1926.移民の流れそれ自体が常に国家間の賃金格差や失業率と連勁

しており,景気が後退し,失業率の高かった 1890年代のアメリカには移民流

入は激減し,最も少なくなった 1897年に下院で始めて移民制限の投票が行わ

れた。このように移民制限の推進力は労働力市場の状況に大きく影響された。

Ashley S. Timmer and Jerrrey G. Williamson, "Racism, Xenophobia or

Markets? The Political Economy of Immigration Policy Prior to the

Thirties," Working Paper 5867, National Bureau of Economic Research. Cam-

84 (84)

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

bridge, 1996, p. 5.

(16) Alejandro Portes and Robert L. Bach, Latin]oumey: Cuban and Mexican

Immigrants in the United States, Berkeley: University of California Press,

1985, pp. 32-34, 84.

(17) Briggs, Immigration Policy and the American Labor Force, pp. 40-42.

(18) Robert J. Gordon, The Rise and Fall of American Growth: The U.S. Stan-

dard of Living since the Civil War. Princeton: Princeton University Press,

2016[ロバート・ J・ゴードン,高遠裕子,山岡由美訳『アメリカ経済成長の

終焉上」日経BP社, 2018年, 442頁].

(19) 「アメリカ化」とは広義には女性や移民,黒人中産階級を対象とした愛国的

な国民文化運動であり,狭義には 19世紀末以降に大規模に流入した「新移民」

の文化的同化政策を指すが,このアメリカ化政策の最大の支持勢力こそが,移

民労慟者の規律化を求める新興の大屈生産産業の経営者であった。中野耕太郎

「20世紀アメリカ国民秩序の形成」名古屋大学出版会, 2015年, 5-6頁。労資

関係管理者による移民のアメリカ化について,さしあたり以下を参照。上野継

義「アメリカ石炭鉱業における移民労働者問題—渥青炭鉱業における採炭機

の導入と移民労働力の「質Jとの関連を中心にして」「中央大学大学院研究年

報」第 13号, 1984年;同「アメリカ大量生産現場における移民労働者の服用

と労低一移民フォアマンと民衆世界 1910-1916年」 rアメリカ史評論」第 18

号, 2000年。第一次世界大戦前後の産業界のアメリカ化運動については,以

下の文献も参照。 EdwardG. Hartmann, The Movement to Americanize the

Immigrant, New York: AMS Press, 1967.

(20) 古矢旬「アメリカニズム―-「普遍国家」のナショナリズム」束京大学出版

会, 2002年, 29頁。企業のアメリカ化施策は,フォード自動車会社やコロラ

ド・フュエル&アイアン社など一部の巨大企業では社内に英語学校を開設す

るなど,企業が主体となって労働者の私生活に介入していたことで知られる。

しかし上野によればこれらは例外的なケースであり,大半の大企業は移民の世

話をソーシャル・ワーカーやカソリック協会,訪問看護婦協会など企業外部の

専門戟団体にアウトソーシングしていた。上野継義「産業看護婦による移民の

アメリカ化—安全運勁と訪問看護運勁との協慟」平体由美・小野直子編「医

療化するアメリカー身体管理の 20世紀」彩流社. 2017年,第3章。

(21) 百田義治・堀龍二「ウェルフェア・キャピタリズムと戦後アメリカ労使関係

の特質」『詢沢大学経済学論集」第36巷第 1号, 2004年, 140頁。巨大企業の

労務管理に関する研究蓄積は膨大であるが,さしあたり平尾武久ら編「アメリ

カ大企業と労働者一1920年代労務管理史研究」北海道大学図書刊行会, 1998

(85) 85

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政経論叢第 87巻第 1・2号

年:井上昭ー・黒川博・堀龍二編「アメリカ企業経営史ー労務・労使関係的

視点を基軸として」税務経理協会. 2000年;榎一江,小野塚知二編「労務管

理の生成と終焉」日本経済評論社. 2014年などを参照。

(22) 労務政策の分類については多くの研究があり.例えば木下は「労使共同路線」.

「オープン・ショップ路線」.「人事管理路線」の 3類型に分類している。労務

政策の方法に違いはあるが経営主導・組合不在型の労使関係を築こうとする点

では.一致している。木下順 rァメリカ技能養成と労資関係―ーメカニックか

らマンパワ_へ」ミネルヴァ書房. 2000年。

(23) 第一次大戦前のアメリカ労務政策の基調は.移民労働者の豊富な供給を主た

る根拠に.「人間に職を適合させるというより職に人間を適応させる」という

傾向.および「労働者の好意と協力を育成するというより労働者を躯り立てる

ことによって生産性を増大させる」というものであった。すなわち移民の導入

によって熟練の解体をともなう内部請負制が崩壊し,新たな労働力編成が構築

されたのである。 SummerH. Slichter, "The Current Labor Policies of

American Industries," Quarterly Journal of Economics, Vol. 43, No. 3, 1929.

(24) 第一次大戦の勃発による東南欧系移民の激減は.「大移動 (GreatMigra-

tion)」と呼ばれる黒人の北上を促し北東部や中西部においても.黒人を含む

国内諸階層が新たな労働力供給源となっていたが. 1920年代の移民制限法に

よって彼らの北部定沿は決定的なものとなった。県川勝利「南北戦争後の南部

農業とアメリカ資本主義一ー第一次大戦以前における黒人労働力の移勁を中心

に」「土地制度史学」第 17巻第 2号, 1975年. 51頁。また工業の中心地シカ

ゴでは基幹産業部門において.メキシコ人が重要な役割を担っていた。大塚秀

之「1920年代シカゴにおけるメキシコ人労働者一ーポール・ S・テイラー研究

を中心に」神戸市外国語大学「研究年報」第20号. 1982年。

(25) 同法は帰化不能外国人の移民を禁止することによって.事実上日本人の移民

を禁止したことから,一般に排日移民法と呼ばれる。排日に関する最新の代表

的研究として,簑原俊洋 r排日移民法と日米関係」岩波書店, 2002年;同

「アメリカの排日運動と日米関係-「排日移民法」はなぜ成立したか」朝日新

聞出版, 2016年がある。

(26) 南北アメリカ諸国に外交政策の力点を置いた結果として,西半球諸国は

1924年移民法において移民割当の対象外とされ.以後メキシコ移民が急増す

ることとなった。 DonnaR Gabaccia, Foreign Relations: American Jmmigra-

tion in Global Perspective, Princeton: Princeton University Press, 2012[ダ

ナ •R ・ガバッチア,ー政(野村)史織訳「移民からみるアメリカ外交史」白

水社. 2015年].がある。

86 (86)

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

(27) プリッグスは,移民流入による国内労拗市場や労働組合への悪影響を強調す

るが.それに対して,アメリカ労働運動の歴史のなかで移民を支持する伝統を

軽視しているという批判がある。それらの研究は移民が労慟組合や賃金にほと

んど影唇を及ぼさず,ニューディール以降,組合の移民に対する態度が変化し

たことを強調する。いずれにしても. 1920年代の労働組合が移民制限を支持

し,それを強力に後押ししたという点において両者の見解は一致している。

Vernon M. Briggs, Jr., "American Unionism and U.S. Immigration Policy,"

Backgrounder, 2001, p. l; Brian Burgoon, Wade Jacoby, Janice Fine, and

Daniel Tichenor, "Immigration and the Transformation・of American Uni-

onism," International Migration Review, Vol. 44, No. 4, 2011, pp. 933-973.

(28) John R. Commons, History of Labour in the United States, Vol. 3, New

York: Macmillan, 1935, p. 23.

(29) 野村達朗「移民労働者の流入とアメリカ労拗運動ー 19世紀末・ 20世紀初

における」「愛知県立大学外国語学部紀要」第 2号. 1967年. 188頁;同『ア

メリカ労慟民衆の歴史」. 188-189頁。

(30) 富澤克美 rァメリカ労使関係の精神史一一階級道徳と経営プロフェッショナ

リズム」木鐸社, 2011年. 89-113頁。

(31) 当時の企業や社会が求めた労働者像を,残された図像(写真や絵)から検討

した研究に,山地秀俊「19世紀後半から 20世紀における労働者像の変遷」神

戸大学経済経営学会「国民経済雑誌」第 185巻第 4号, 2002年.がある。

(32) 萩原進「アメリカ資本主義と労資関係」戸塚秀夫・徳永直良編『現代労働問

題—労資関係の歴史的動態と構造」有斐閣, 1977 年, 132-133 頁。近年の労

働組合は組織率の低下からむしろ移民労働者を組織内に組み込む動きもあり.

必ずしも移民制限に批判的ではないとの指摘がある。中島醸「アメリカ移民制

度改革と労働組合—ーゲストワーカー・プログラムをめぐる対立(上) (下)」

「千葉商大紀要」第 53巻第 1号/2号. 2015年/2016年を参照。 AFLの移民制

限に関する最近の研究に.岡本雪乃「アメリカの労拗組合と識字テストー~移

民制限をめぐる労働組合の態度変容について」立命館大学政策科学会「政策科

学」第 25巻第 1号, 2017年がある。

(33) しかし AFLの一般組合員の大多数は識字テストに賛成していなかった。ま

た経済が回復した 1898年から 1905年にかけては移民問題から距離をとり.

AFLが再び識字テストの支持に回るのは景気後退が見られた 1906年である。

それ以来一貫して識字テストを支持するが.その理由は①景気後退の経験から

アメリカ経済は大駄移民を吸収できないと考えるようになったこと,②ディリ

ンガム委員会による勧告,そして③第一次世界大戦の影響である。 AlanT.

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政経論叢第 87巻第 1• 2号

Lane, "American Trade Unions, Mass Immigration and the Literacy Test

1900-1917," Labor History, Vol. 25, Issue 1, 1984, pp. 5-25.

(34) 移民がアメリカ人労働者に与える影響については,主に地域間比較と時系列

データを用いたアプローチがとられる。方法論とその問題点についての詳細は,

Benjamin Powell eds., The Economics of Immigration: Mar紐 BasedAp-

proaches, Social Science, and Public Policy, Oxford: Oxford University

Press, 2015[ベンジャミン・パウエル編,薮下史郎監訳「移民の経済学」束

洋経済新報社, 2016年, 20-28頁].

(35) 藤原守胤「アメリカの移民政策(三・完)」慶應義塾大学法学研究会 r法学

研究』第 26巻第4号, 1953年, 271頁。

(36) Robert J. Gordon, The Rise and Fall of American Growth: The U.S. Stan-

dard of Living since the Civil War, Princeton: Princeton University Press,

2016[ロパート・ J・ゴードン,高遠裕子,山岡由美訳「アメリカ経済成長の

終焉下」日経BP社, 2018年, 357-358頁].

(37) 藤原「アメリカの移民政策(三・完)」 272-273頁。

(38) アレクサンドル・パディア,ニコラス・カチャノスキー「雇用ピザ:国際比

較」パウエル編『移民の経済学」 153頁。

(39) リーソンとゴチェノアーによれば,移民政策の自由化によって損害を受ける

可能性のあるグループが自国内にいることを理由に.移民政策の自由化に躊躇

することは間違いであると断言する。しかし自分の利益を優先する政策立案者

は,移民の増加による長期的な便益を選挙運動において展開することが難しい

ため.直ちに移民政策が劇的に自由化に向かうことも難しいとの認識を示して

いる。ピーター• T・リーソン,ザッカリ・ゴチェノアー「国際労働移動の経

済効果」パウエル編「移民の経済学」 42-44頁。

(40) ゴードン「職場と家庭の労働環境」「アメリカ経済成長の終焉上」第8章。

(41) 中島醸「アメリカ国家像の再構成一ニューディール・リベラル派とロパー

ト・ワグナーの国家構想」勁草書房, 2014年. 39頁。

(42) Barry R. Chiswick, "The Effect of Americanization on the Earnings of

Foreign-Born Men," Journal of Political Economy, No. 86, 1978.

(43) 実施にあたっては.政治的・宗教的迫害による難民には別枠で入国枠を設置

することや文化的同化などの問題とは関係のない純枠に経済移民である「出稼

ぎ労働者」についても.帰国の約束を守らない者には多額の金銭的費用を課す

などの対策案が示されている。もっとも.この方法では貧しい移民に対する割

当が少なくなるなどの批判も多い。リチャード •K ・ヴェダー「穏当な移民改

革案」パウエル編 r移民の経済学」 179-192頁。

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1920年代アメリカ移民政策における企業経営者

(44) こうした提案の背栞には,技能磁労慟者用ピザ (H-1ビザ)の数鼠規制が

厳しい現行法への批判が含まれている。

(45) ゴードン rァメリカ経済成長の終焉 下」 503頁。

(46) パウエルによれば,移民政策についての経済学者の意見が異なる要因とは①

非経済的要因の影四に関する実証分折に関する不一致,②現実の実証分折の結

果を新たな政策に取り込む場合に,どのように反映させるべきかについての不

一致,③社会にとってどのような社会限生関数が適切かについての意見の不一

致,によるものである。ベンジャミン・パウエル「結論:代わりとなる政策的

視点」パウエル編「移民の経済学」 280頁; GuillaumeVandenbroucke and

Heting Zhu, "Mixing the Melting Pot: The Impact of Immigration on

Labor Markets," The Regional Economist, Federal Reserve Bank of St.

Louis, First Quarter 2017, pp. 4-5.

(47) 高技能移民がアメリカ人に大きな利益をもたらすのは,生産性にプラスの波

及効果を与えるときだけ,つまり高技能移民の卓越した能力がアメリカ人労母

者に影唇を与えたときだけであり,それほど判然とした波及効果が認められる

のか,と高技能移民の経済波及効果についても慎重さを求めている。ポージャ

ス「移民の政治経済学」 164-174頁。

(48) 「潜在的な社会的影唇を合算し,直接的な経済効果と比較したうえで,最終

的に移民の影唇がプラスなのかマイナスなのかは誰も分からない。既存研究は

潜在的な社会的影四のほんの一部しか研究対象としておらず,最終的な影響を

予測し,理解もできないまま大規模な移民や世界秩序を再編するような政策変

更(国境の開放など)を支持することは,時期尚早で無責任に思える」と指摘

する。ポージャス「移民の政治経済学」 43頁。

(49) 移民は新たな納税者として国民の高齢化による財政問題の解消に一役買うと

いう見方もある。しかし移民問題の解決が難しいのは,便益を受ける人も損失

を被る人も共に局地的であることである。例えば,高技能ビザはサンフランシ

スコやポストンなど限られた都市に集中する一方で,不法移民の半数近くは南

部の 4つの州に集中している。こうした事情は移民をめぐる様々な争点が全国

レベルで共有されにくく,合意をとりつけることが難しい状況を生んでいる。

ボージャス『移民の政治経済学」 57頁。

(50) ボージャス「移民の政治経済学」 224-225頁。

(51) ポージャス『移民の政治経済学」 216-218頁。

(52) とはいえ,今日でも低技能労働者用ピザ (H-2A)を得るための手続きが煩

わしいためにほとんどの企業は労働ビザを申請していないなどの問題を抱えて

いる。また高技能労拗者用ピザ (H-IB) も規制色が強く,既存の制度では企

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政経論叢第 87巷第 1・2号

業の直面する労傷力不足を肝決できていない。ビル・ゲイツは H-IBピザが一

人に与えられるたびにマイクロソフトで 4つの新しい雇用が生まれると証言し

た。ポージャスは同社が労拗ビザ制度で莫大な利益を得ているのであれば, H-

IAビザ l通の発行に対して数千ドルを寄付し,その資金を使ってハイテク産

業で被害を受けたアメリカ人労慟者に補償金を給付し,彼らの再訓練の場を提

供するぺきと提案している。ボージャス「移民の経済学」 218頁;バウエル編

「移民の経済学」 5,123-124頁。こうした労慟経済学の研究動向からも,現実

の経済状況に対応した労働ビザの打入を産業界が本腰を入れて取り組むことが

求められているように思われる。

(53) ポージャス r移民の政治経済学」 153頁。

(54) Kitty Calavita, "U.S. Immigration and Policy Responses: The Limits of

Legislation," in Wayne A. Cornelius, Philip L. Martin and James F.

Hollifield, Controlling Immigration: A Global Perspective, California: Stan-

ford University Press, 1994.

【附記]

本稿は日本アメリカ史学会第 15回 (2018年 9月23日)のシンポジウム B「「ヘ

イトの時代」に考える移民・難民のポリティクス」において報告の機会を得た。コ

メンテーターの村田勝幸先生をはじめ.数多くのR重なコメント・質問を頂きまし

た。記して謝意を表します。なお.本稿は科学研究衣補助金 (18Kl2828)による

成果の一部である。

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