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114. 黄色ブドウ球菌由来リポタイコ酸のワクチン利用に関する研究 橋本 雅仁 Key words:黄色ブドウ球菌,Staphylococcus aureus, リポタイコ酸,リポプロテイン,免疫 鹿児島大学 大学院理工学研究科 生体適合材料工学講座 黄色ブドウ球菌 (Staphylococcus aureus) は,ヒトの鼻腔や腸管に常在しうる細菌である.しかし,創傷部位などから容易 に感染が成立し,創傷感染症や,血管を通して移行して骨髄炎や心内膜炎など転移性感染症を発症することが知られている 1) .従来,黄色ブドウ球菌感染には,抗生物質の投与による治療が主に実施されていた.しかし近年,抗生物質耐性を持つメ チシリン耐性黄色ブドウ球菌 (MRSA) の感染症例が増加しており,治療が困難になってきている.特に院内感染では,易感 染性宿主に対する感染であるため重症化しやすく,集団感染も起こりうるため社会的にも問題となっている.そこで,このような ハイリスク患者に対する感染予防,治療のために免疫療法が必要となってきた.これまで黄色ブドウ球菌について,多くの病原 因子がワクチン開発に用いられてきており,たとえば α, β トキシントキソイドをワクチンとして用いたウシ乳腺炎の予防に成功して いる 2) .しかし,ヒトに対するワクチンは多くの開発例があるものの,十分な効力を持つものは未だ得られていない. リポタイコ酸は,黄色ブドウ球菌の細胞表層に分布する複合糖質であり,乾燥菌体重量の5〜10%を占める主要な成分で あり 3) ,ヒトには存在しない構造であることから抗原として働くことが知られている.このことは,リポタイコ酸がワクチンとして用い ることが可能なターゲットであることを示している.しかし,天然のリポタイコ酸は自然免疫を活性化し炎症を惹起することから, そのままでのワクチン利用は困難であると考えらる.これまで申請者らは,リポタイコ酸の活性中心の探索を目的として,黄色ブ ドウ球菌由来リポタイコ酸分子の化学合成や天然リポタイコ酸画分の精密な抽出分離を行ってきた.その結果,これまで報告さ れてきた自然免疫の活性化は,天然のリポタイコ酸画分に夾雑する微量のリポプロテインに由来することを示した 4) .さらに最 近,リポプロテインをノックアウトした株由来のリポタイコ酸は活性をほとんど持たないことも明らかにした 5) .これらのことは,リポ タイコ酸分子を安全なワクチンとして利用できる可能性を示唆している. 本研究では,リポタイコ酸画分中に含まれる自然免疫活性成分について検討するとともに,リポタイコ酸本体のワクチン抗原と しての性質を検討した. 1.細菌およびその抽出物 黄色ブドウ球菌は,Staphylococcus aureus SA113 野生株および同 Δlgt リポプロテインジアシルグリセロール転移酵素ノ ックアウト株 6) を用いた.リポタイコ酸画分はブタノール−水抽出後,オクチルセファロースカラムを用いた疎水性クロマトグラフ により精製した 5) .リポプロテイン画分は,ガラスビーズ破砕により得た細胞壁画分を,トリトン X-114 二相分離して得た 6) 2.遺伝子発現解析 黄色ブドウ球菌全 RNA は,TRIzol 法にて分離し,DNase 処理して得た.リポプロテイン遺伝子発現は,S. aureus NCTC 8325 株ゲノム配列から作成した特異プライマーを用いて,SYBR Green 法により Q-PCR で定量した.結果は,Gyrase の 発現を基準にして相対発現量で示した. 3.タンパク質の同定 リポプロテインは,SDS-PAGE により分離した後,in gel トリプシン消化法によりペプチドに消化し,タンデム質量分析を行 い同定した. 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008) 1

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114. 黄色ブドウ球菌由来リポタイコ酸のワクチン利用に関する研究

橋本 雅仁

Key words:黄色ブドウ球菌,Staphylococcus aureus,リポタイコ酸,リポプロテイン,免疫

鹿児島大学 大学院理工学研究科生体適合材料工学講座

緒 言

 黄色ブドウ球菌 (Staphylococcus aureus) は,ヒトの鼻腔や腸管に常在しうる細菌である.しかし,創傷部位などから容易に感染が成立し,創傷感染症や,血管を通して移行して骨髄炎や心内膜炎など転移性感染症を発症することが知られている1).従来,黄色ブドウ球菌感染には,抗生物質の投与による治療が主に実施されていた.しかし近年,抗生物質耐性を持つメチシリン耐性黄色ブドウ球菌 (MRSA) の感染症例が増加しており,治療が困難になってきている.特に院内感染では,易感染性宿主に対する感染であるため重症化しやすく,集団感染も起こりうるため社会的にも問題となっている.そこで,このようなハイリスク患者に対する感染予防,治療のために免疫療法が必要となってきた.これまで黄色ブドウ球菌について,多くの病原因子がワクチン開発に用いられてきており,たとえば α, β トキシントキソイドをワクチンとして用いたウシ乳腺炎の予防に成功している 2).しかし,ヒトに対するワクチンは多くの開発例があるものの,十分な効力を持つものは未だ得られていない. リポタイコ酸は,黄色ブドウ球菌の細胞表層に分布する複合糖質であり,乾燥菌体重量の5〜10%を占める主要な成分であり 3),ヒトには存在しない構造であることから抗原として働くことが知られている.このことは,リポタイコ酸がワクチンとして用いることが可能なターゲットであることを示している.しかし,天然のリポタイコ酸は自然免疫を活性化し炎症を惹起することから,そのままでのワクチン利用は困難であると考えらる.これまで申請者らは,リポタイコ酸の活性中心の探索を目的として,黄色ブドウ球菌由来リポタイコ酸分子の化学合成や天然リポタイコ酸画分の精密な抽出分離を行ってきた.その結果,これまで報告されてきた自然免疫の活性化は,天然のリポタイコ酸画分に夾雑する微量のリポプロテインに由来することを示した 4).さらに近,リポプロテインをノックアウトした株由来のリポタイコ酸は活性をほとんど持たないことも明らかにした 5).これらのことは,リポタイコ酸分子を安全なワクチンとして利用できる可能性を示唆している. 本研究では,リポタイコ酸画分中に含まれる自然免疫活性成分について検討するとともに,リポタイコ酸本体のワクチン抗原としての性質を検討した. 

方 法

1.細菌およびその抽出物 黄色ブドウ球菌は,Staphylococcus aureus SA113 野生株および同 Δlgt リポプロテインジアシルグリセロール転移酵素ノックアウト株 6) を用いた.リポタイコ酸画分はブタノール−水抽出後,オクチルセファロースカラムを用いた疎水性クロマトグラフにより精製した 5).リポプロテイン画分は,ガラスビーズ破砕により得た細胞壁画分を,トリトン X-114 二相分離して得た 6).2.遺伝子発現解析 黄色ブドウ球菌全RNAは,TRIzol 法にて分離し,DNase 処理して得た.リポプロテイン遺伝子発現は,S. aureus NCTC8325 株ゲノム配列から作成した特異プライマーを用いて,SYBR Green 法により Q-PCRで定量した.結果は,Gyrase の発現を基準にして相対発現量で示した.3.タンパク質の同定 リポプロテインは,SDS-PAGE により分離した後,in gel トリプシン消化法によりペプチドに消化し,タンデム質量分析を行い同定した.

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)

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4.生物活性アッセイ 自然免疫活性化能は,TLR2 (Toll-like-receptor 2) を強制発現した Ba/mTLR2 細胞を用い,NF-κB 活性化能を測定した 5).抗体産生能は,リポタイコ酸画分をコレラトキシンBサブユニットアジュバント (CT-B*: CT-B + 0.2% CT) と混合し,Balb/c マウスに一日おきに二週間経鼻免疫した後,一週間後に血液および鼻粘膜洗浄液を採取し,ELISA 法により抗リポタイコ酸抗体の IgG および IgA量を測定した 7). 

結果および考察

 これまでの検討 5) から,黄色ブドウ球菌のリポタイコ酸画分にリポプロテインが含まれていることが示唆されている.そこで,その同定を試みた.まずリポタイコ酸画分を SDS-PAGEで分離し,in-gel トリプシン消化法を用いてタンパク質の同定を試みたが,ペプチドは検出できなかった.これは,リポタイコ酸中のプロテイン含有量が微量であることが原因と考えられた. そこで,全菌体レベルでのリポプロテインの発現をまず検討することにした.黄色ブドウ球菌ゲノムは 50-60 のリポプロテインをコードしていることから,まずmRNA発現を検討した.黄色ブドウ球菌の増殖 (Fig. 1a) に合わせて4点でRNAをサンプリングし QPCR で定量したところ,10 程度の遺伝子がある程度の発現を示すことがわかった (Fig. 1b).  

 Fig. 1. Relative expression level of lipoprotein genes.

a) S. aureus were cultured in BHI broth. b) Relative expression levels were determined by Q-PCR.   ついで,プロテインレベルでの発現を in gel トリプシン消化を用いて検討した.今回分離したリポプロテイン画分は TLR2活性化能のみを持つことがわかった (Fig. 2a).また分子量ごとの活性を検討したところ 30 kDa 付近にその活性が濃縮されていることがわかった (Fig. 2b).そこで,バンドごとにプロテインを同定したところ 30 kDa 付近で 6 つのリポプロテインを同定できた (Fig. 3).これらの結果は,黄色ブドウ球菌が TLR2 活性化能を持つリポプロテインを有していることを示している.現時点ではこれらの活性リポプロテイン分子がリポタイコ酸画分に含まれている直接的な証拠は得られていない.しかし,黄色

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ブドウ球菌中にはリポプロテイン以外に TLR2 活性化能を持つ成分は含まれていないことから,これら分子の全部または一部がリポタイコ酸画分に含まれているものと考えている.今後,抗体等を用いてその存在を検討したい.  

 Fig. 2. Activity of Lipoprotein fraction.

a) NF-κB activation by total fraction. b) NF-κB activation by fractions separated by SDS-PAGE.  

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 Fig. 3. Lipoproteins expressed in S. aureus SA113.

Proteins were identified by in-gel tryptic digestion method.   つぎに,リポプロテインの有無による抗体産生能について検討した.免疫は CT-B* をアジュバントにして経鼻免疫で行った.野生株とリポプロテインを含まない Δlgt 株を用いたところ両者には有為な差はなかった (Fig. 4).現在のところ,アジュバントの種類,濃度,リポタイコ酸の濃度,免疫方法の 適化を行っていないためプレリミナリーな結果ではあるが,自然免疫を活性化しないリポタイコ酸画分でも免疫に使用できる可能性が示唆された.この結果は,安全な新規黄色ブドウ球菌ワクチンの開発につながる可能性を持つものであり,今後詳細な解析を継続したい. 

 Fig. 4. Level of anti-LTA antibody.

Levels of LTA antibody were measured by ELISA.   本研究の共同研究者は、鹿児島大学大学院理工学研究科ナノ構造先端材料工学専攻の隅田泰生教授および国立国際医療センター研究所感染症制御研究部の切替照雄部長である。

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文 献

1) Lowy, FD. :Staphylococcus aureus infections. N. Engl. J. Med. 339:520–532, 1998.2) Nordhaug ML, Nesse LL, Norcross NL, & Gudding R. :A field trial with an experimental vaccine

against Staphylococcus aureus mastitis in cattle. 1. Clinical parameters. J. Dairy Sci., 77:1267-1275,1994.

3) Fischer, W. :Bacterial phosphoglycolipids and lipoteichoic acid. In Kates, M., ed., Glycolipids,Phosphoglycolipids and Sulfoglycolipids, Plenum Press, New York, pp. 123-234, 1990.

4) Suda, Y. , H. Tochio, K. Kawano, H. Takada, T. Yoshida, S. Kotani, & S. Kusumoto. :Cytokine-inducing glycolipids in the lipoteichoic acid fraction from Enterococcus hirae ATCC 9790. FEMSImmunol. Med. Microbiol., 12: 97-112, 1995.

5) Hashimoto, M., K. Tawaratsumida, H. Kariya, A. Kiyohara, Y. Suda, F. Kirikae, T. Kirikae, & F.Gotz. :Not lipoteichoic acid but lipoproteins appear to be the dominant immunobiologically activecompounds in Staphylococcus aureus. J. Immunol., 177:3162-3169, 2006.

6) Stoll, H., J. Dengjel, C. Nerz, & F. Götz. 2005. :Staphylococcus aureus deficient in lipidation ofprelipoproteins is attenuated in growth and immune activation. Infect. Immun., 73: 2411-2423, 2005.

7) Yokoyama Y, & Harabuchi Y. :Intranasal immunization with lipoteichoic acid and cholera toxinevokes specific pharyngeal IgA and systemic IgG responses and inhibits streptococcal adherence topharyngeal epithelial cells in mice. Int. J. Pediatr. Otorhinolaryngol., 63:235-241, 2002.

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