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一四件白同町時三日という表現が、全人間性を表すことについて~は、閉山・

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下書第一四章一五節の霊と理性の関係を由民

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Ezagmw関係と重ね合わせる考えは九zno-E

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且解書sg印片山-z=(一四七一川l

七二年に印刷)の第一コリント書第一回章一五a

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貯に見られる。二

国詩編講義においても、聖歌隊や修道土の歌い方がくりかえし批判されている。〉

4『〉N・50・戸-rpd司〉N・口0・

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は次のように言う。「詩編は祈りと神賛美、すなわち賛美歌の書以外の何であろう

lそれゆえ限りなくあわれa

E、われわれが何をどう祈ったらよいか分からないのを見て、われわれを助けてくださる

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・-こうしてこの

旧羽われに言葉も情意も備えてくださる」’占

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は次のよ.つに言,つ。「まずはじめに意志がなければ、断罪なしのメデイタチオはない。愛自身が自身をとおし

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rすることを教.える。しかし.νの意志はわれわれがわれわれの力に絶望するときキリストへの謙虚な信仰をと

午えられるよう願い求められるべきである。次のことによく留意しなさい。すべての愛している者にとって、

明る対象について、喜んで語り、歌い、捕え、作り、遊び、また喜んで聞くことが、~習債であり本性であるP

亥している者すなわちさいわいな人にとって、自分の愛する対象すなわち主の律法は常に口の・っちにあり、常

吉町り、もしできることなら、常に耳のうちにある。「というのは、神から出た者は)神の言葉を聞くからである」

込七節冗「あなたの義は、わたしの旅の宿で、歌われ・つるものとなった」(詩編一戸九編五四節〉とある」。

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混沌の自覚から表現へ

11

禅仏教における言葉・の捉え方の一側面ーー

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最近、「混沌」と寸カオス」を同じように混乱の意味で使用する傾向が一般的になりつつある

OJたとえその混乱の申

に一種の秩序を浮き彫りにする場合であーそれはあくまで、「調停沌」と「秩序」の対比と

Hいう発想を前提とLている白

つまり、それは「秩序対混乱」という枠組みの中で初めて意味を接つ)相対的概念に過ぎなわとみなされている。

4

しかし、古代中国思想や古代ギリシャ思想の文脈において、「混沌」と「カオス」は果してそのように理解されて

いたのだろうか。この言葉には、もっと深い意味が潜んでいるのではないだろうか。主に禅者の観京を参考にしなが

ら、この問題を検討してみたい。

そもそも「混沌」という言葉は、前近代の有職者の自にはv

どのように映ったのだろうか。J日本の近世に活躍した

臨済宗の僧侶、東嶺円慈(一七二一l

一七九二)は、混沌に対する興味深い解釈を残もているザ

eそこでまず、-去の資

料を分析することにより、混沌の多彩な背景を考えたい。次いで、東嶺の見地を出発点として川視野をその背景に

A

る原典、ないし周辺の思想へと広げていくことにしよう。なお、ここでは公案における言葉と経験、あるいは東嶺時

代の社会史については取り上げない。

「混沌」に関し・て、その定義を最初から限定してしまうと、含意の全体を理解する妨げとなっーてしまうのハで好まし

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ヘ耳あまり知られていない書名ばかりであるが、東嶺円慈にはかなり多くの著作が見られる♀

V7その中、

(寛政十二〉年に初めて刊行された『宗門無尽灯論』では、修行の過程を事細かく描いている

J・十章で構成されると

の著書は、経典に倣って序分・正宗分・流通分という三科を意識して作られたす)。その第十章の「流通」で、東嶺

は仏教以外の宗教に言及するかたわら、独自の混沌解釈を展開している。残念ながら今までの東嶺研究は守陸川堆雲

氏(一八八六l

一九六六)の論文を唯一の例外として、この面を軽視してきたρ

東嶺が取り上げている仏教以外の宗教には神道、儒教1道教があるが、特に神道に対して関心を示している。その

関心が学問的なものに留まらずJ実践にまで及んでいたという事実は、禅僧として希にみる例とLて際立っているι

したがって、彼の思想の中で神道の占める位置を考察することは、東嶺の思想を考える土で避けて通ることのできな

い、極めて重要な課題となる。

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川神道書籍の引用

11

/この問題を解明するためには、その第一歩として、

M東嶺の著書の重要箇所を吟味する必要があるが、その前に、

『宗一無尽灯論』の下巻に引用されている神道書籍について、簡単に紹介しておこう。

東嶺は『神宮極秘宝基本記』と『豊受皇大神御鎮座本紀』のニ書を利用しているが、一いずれも「神道五部書」と称

される書籍に含まれている。本来、この五部書は六十歳未満のλには拝読が許されなかったものであり、東嶺の時代

にも伊勢神道の秘書として尊重されていた。これはまた、東嶺の所属する唯一神道(

4

)の根本経典でもあった。

一八00

208

くないが、ある程度の共通理解を前提としなければ、論を進めるにも不便である。ここでは仮りに、・「中国古典から

来た擬態語で、本来、天地未分の状態を表わしている言葉である」という程度の説明にとどめておこうTv。

宗教と神話

東嶺円慈にみる「混沌」

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五部書の由来について、最近の研究では、十三世紀の末に起こった内宮と外宮の争いの時期に成立したと推定して

いる吉百五部書の権威に基づいて、伊勢外宮の神宮に代々仕えていた度会家の主張が力を持つようになるが?をその

運動の中心的人物の一人は、度会行忠三二三六i

一三Oぎで、少なくとも五部書のうちの一書を選述した可能性

が高いハ63t

ムハ、

のちに吉田兼倶(一回三五i

一五一一)が神道界の統一を図った時点で、この蕗書は改めて注目されるに至る。・つ

まり、伊勢神道(度会神道)の中から成立したこの五部書は、十六世紀に吉田神道(唯一神道)によって再興された

のである。さらに、江戸時代に入ってからはn

山崎閤斎〈一六一八!一六八二〉が唱える垂加神道でも、この文献は

5 混沌の自覚から表現へ

重要な役割を果たすようになる。

このように、東嶺の引用する神道文献は、異なる神道の流派でそれぞれに重用されるという複雑な背景を持ったも

のであるが、文献に関する予備知識はこれくらいにして、次に東嶺が引用するテキストの肝心な箇所守特に混沌に関

連する部分を見ることにしようすヨ

やまとひめ@みことみつえしろ

次に挙げる『神道極秘宝基本記』の一部は、垂仁天皇が娘の倭姫命(伊勢神宮の最初の御杖代とされている神

.明〉を通じて、天照大神よりの託宣を受けたという形で展開されている。

あめがしたみたまも@やすしずつかさどかみがみ

『神宮極秘宝基本記』に日く、「(中略)人は乃ち天下の神物なり。須らく静め誼めるを掌るベし。心は乃ち神明

aしわがたましい

の主たり。心神を傷むること莫れ。神乗は祈祷を以て先と為す。冥は加するに正直を以て本と為す官)。J其の本

やすしたがきょ

蓄に任せて、皆大道を得せしめていれば、天下和らぎ順い、日月精く明らかに、風雨時を以てむ、

4

国豊かに民安’

びとかく

しす)。故に神人(迎混沌の始を守り、仏法の息を扉せ。

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手:-rrMY刈

総て神代には、人の心札。冨.じて常なり、直にして正なり

ι絞拡の末何天下回。援の

MM熱戦内r其のぷゴ寸総仲町都じ

めらげさめらときうし怠

て、有無の異名を分かち、心走り使われて安き時有ること無し。心の蔵傷んで神散去る戸川神散くる則んば身喪う。

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っさいましめ

人は天地の露し誌を受けて、霊気の伽る所を貴ばず。神明の光胤を種ながら

1神明の禁令を信ぜず。故に生死長夜

陥Dtこをこのく巴さまよにしのかた由主宅とねんごろ怠しさと

の閣に沈み、相田山底‘国に吟い、誌に因りて皇天に代わり泰りて、西天真人(呂、苦心を以て詫え喰し、

ρ教えて善

このかたもとい

を修めせしめ(話、器に随いて法を授けてより以来、大神本居詰)に婦り、託宣を止め給う」(

M)。

以上の文章では、まず「人」「神」「心」のつながりを説明し、「祈祷」と「正直」

ρ大切さを強調しているρ

後の

たましい

部分で「おおよそ神とは心なり」と述べているように、東嶺は神と心を同じ本質として受砂止めていた川託宣の続

きでは、神明に教えられた基本的な態度をまもれば、世の中の調和が保たれるという。

か,、

次の「故に椴必混沌の始を守り、仏誌の息を扉せ」という神明の命令に注意したい。「神人」とは、ここでは主に

「神明に仕える人」の意味で使われている。ただし、その続きに登場する「混沌を守る」

yという表現をどのように理

解するかによって、全体の意味は左右される。ゐ

これを「提に背かない」という意味に受け取ることも考えられるが、それよりも「守る」という言葉は、「保持し

て失わない」または「大切にする」という意味に理解するのが妥当である。なぜならふ神道の文献であっても道教思

想を常記踏まえており、「守真」とか「守ごといった思想をその前提に置いているからである。

付言すれば、この「守る」には、日本語としての「まもる」という動詞の持つ「目を離さないでじっと見つめる」

210 宗教と神話

という意も加味されていると思われる。

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東嶺のテキストで使われている「扉」という字の訓読みについて人刊本には「カクセ」という命令形のふりがなが

付してある。同じ箇所を引用している山崎闇斎は、この字を「しりぞけよ」と、もっ・と反仏教的に読んでいた

sv。

東嶺の解釈が正しいとすれば、この語は神主に対して、伊勢神宮の境内で仏教用語を口にすることを禁止する神明の

託宣であって、仏教そのものを排斥しようとする言葉ではない。この解釈の方が、真言宗の彰響を受けブ両部神道の

思想を踏まえて成立した鎌倉時代の伊勢神道に近いと思われるSMO

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東嶺は次に話を黄金時代、さらに神代の後に起こった人聞の堕落に移している〔東嶺は中間の部分を省略している

ので、筆者はそこで段落を改めた)。ここで注意したいのは)入閣の堕落の過程について

1

『神宮極秘宝基本記』が

「心神は黒して、有無の異名を分かち」と一一うことである。これはあたかも-、仏教的な’「分別」の概念をほのめか

L

ているかのように見える。

さて、以上の引用に対して-東嶺がどのような解釈を試みたか一、次にこの点を見・ほう

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ああ瑳呼、其れ誠に是の如く、上古淳厚の世には、人心正直にして、其の根器に任せ

ZJh大道を得易LP稲川・入己記混

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沌の始を守る、何ぞ仏法の息を須いん。漸く末代に至りて、其の本心を失す。外に向かいて馳求して叫迷いて境

,ahH習

を逐うが故に、生死に流転し、悪道に沈吟す。是の時に当たりでは、如来微妙の教法に非ざる自は九~何ぞ能く生

5 混沌の自覚から表現へ

ここでは、まず、過去を理想化しているかのように、昔の人は優れた性質をもっていたため簡単に悟道できたこと、

そして神人が混沌の始から目をそらさない限り仏法は要らない、と述べている。ふかしナあとの世代になると九~妄想

に馳せられ、失ってしまった本心を求める哀れな衆生の姿が現われる。その段階から如来の教えが不可欠にな

Mった、

と東嶺は説く。ここで「本心」という術語が使用されていることも注目に値する117

、3じも

ω

内面の混沌も‘~目

以上の神道典籍と東嶺の解釈を適して、「混沌」は創世神話の一舶を表わすよりも川むしろ内面的な場面、心墳の

表現に重点が置かれていたことに気づくが、東嶺は「混沌」記ついて、さらに次のように述バてい迫。ごた

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さと

文日く、「神道は即ち混沌の堺を出でで、混沌の始に帰す。←三宝は則ち有無の見を破りい実桓の地を仏渇ハ刻一吋」内

此れは是れ神明最上の極旨なりι今天地未生、一念不生を指して〆以て混沌と為す。然るに担沌の堺を出でてグ

混沌の始に帰ると言うは、将た何の道理ぞ。今時往々一念不生の処に至る者は)実に以て得難し

ι宣に混沌の始

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手作

している。

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212

古ず

に帰する底有らんや。神人説きて些句法を守ると道うは、只だ名呂のみ。其の理を得るに非ず。

我が宗大心有る者、世縁を放捨し、瓦跨を休息すること、十年二十年すら、尚此の道に到の難

L?何に況んや身

塵労に鍾われ、心禅定に乏しくして、強いて此の法を守る者ならんや。誠に神乗の如き既に是の如きの幽致有り。

然るに仏法に於て容易の、むを生ずること、悲しまざるべけんや。大凡そ神とは心なり?心垢誠尽して、鏡の明了

〈にとこたち骨みζと

なるが如き、是れを神と謂う。是の故に神乗は鏡を以て表体と為す。心鏡本来清浄、常住寂然庁是れを国常立尊

と請う。i心鏡本来円明、物として現ぜざること無き、是れを天照大神と謂う詰)。

この段で、東嶺は混沌の「最上の極旨」に触れている。引用された『神宮極秘宝基本記』の部分で注目されるのは、

神道は終始「混沌」に貫かれているのに対して、仏教は諸法の本質を自覚させる教えであるとぞっバ珍しい対比がこ

こに見えることである。もっとも、全体としては、この部分の叙述は神道と仏道が同じ真実の両面であることそ示唆

宗教と神話n

これを受けた東嶺は疑問を投げかけて、「混沌にいったい何のことわり(理)があるのか」と反問し、次いで自答

する形で、「混沌」には宇宙開閣の意味(天地未生)と精神状態の意味(一念不生)の両義があるこ之を明らかにし

ている。

-

さらに東嶺は、その精神統一に達することが容易ではないこと、まして「混沌の始に帰する」と立ろまで進む修行

者はほとんどいない、と一一)一守つ。した・がって、神人がこの法〈混沌の教え)を守るという場合、たいていはそれが名目

(口先あるいは口実)だけで、混沌そのものを体得することではない、と釘を刺している。

ここで東嶺は、一応、禅宗(我が宗)の優越を自負しているが、同時に彼は長い歳月をかけた禅者でさえ司混沌の

道理を解明することは難しいと言い、神乗にもそのような見事な理論があるので、努力を惜しんマはならない川

JK仏

教徒の反省を促し、最後に神明の名号を心の観点から解説することで、この段落を締めくーァりている♂

亡、

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以上、東嶺の論旨は、混沌そコ念不生」の表現とするところまで進展してきたのであるが、

9

同じ著書の別の箇所

では、充実した参禅の功夫から得られる三昧を、次のように描いている。

V

〈一

がいがい

平生の心意識情、総に行われず、痴痴獄歎として、理尽き詞窮りて、参究底の心に和して、:一時

ζ打失して汗気

息亦た将に絶せんとす。是れ則ち大道現前の時なりハ初当

この心墳を公案三昧に限定せず、意識の変化の過程を表わす重要な示唆として読むこともできる

ι

ここには、二つ

の時点が指摘されていることに注意したい。一には、理屈や言葉が介在できなくなるほど集中が進み、一外からみれば

ぽうっとしているように見える段階であり、こには、枯木のような死人同然の状態から蘇る瞬間♂大道の体得が窺え

5 混沌の自覚から表現へ

るという段階である。

ただし、この出来事を「経験」と名付けることが妥当であるかどうかには疑問の余地がある。それは、、むしろベあ

らゆる経験がいったん止まる、という風に表現できる。この間題については、別に論じたことがあるので(忍グハ今子

これについては言及しない。ここでは、本論の主題である混沌との関連を考えねばならないア

cf

引を’一一三?っetpむ

こうした関連性をもっとも明らかに裏付ける資料として、東嶺の次の引用と解説を挙げることができる

ρ・

とよ砂

『豊受皇大神御鎮座本紀』宕)に日く、「広大の慈悲を発し

1

自在神力に於て何一一種々の形を現じ、種々の心行に随い

指おひるめむち

て、方便利益の為に、表わす所を名づけて大目霊貴と日いフ亦た天照神と日うPHJ万物の本体と為りで万品を度じ

たまう。」8)

当に知るべし神乗仏法、〆同一理体、但だ是れ見性の一法を出ざることを。若し能く自性を明らむるときんば、則.

ち先ず混沌の理に契う。重ねて性中に於て探旨を研究すれば、・漸く其の堺を出でて、ー混沌の始に掃す♂嵯呼タ一町一

箇の始の字、立す掠にして近傍し難しι神乗の学者、等閣の看を作すこと莫れ(包。

この文章における東嶺の趣旨は、神道と仏教の共通の一理を「見性」に位置付けるところにあるーさらに見性、す

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214 Il

なわち本性の自覚とは、混沌の道理に契うほかにならない、と東嶺は説く。

ここで「先ず」という言葉が使われていることに留意する必要があろう。東嶺の考えでは、最初の混沌の自覚は、

ただ禅用語の「理致」に該当するだけで、決して最終の目的ではない。というのは東嶺は”「向上旬レすなわち倍後の

修行を極めて重視するからであるι’

ここの「混沌」の解釈にも、二つの段階が現われている。一には「混沌の理に契う」という転換の契機であり、こ

にはそれを子細に練った上で、「混沌の始に帰す」という境地に至ることである。概して人は最初の契機で得た境地

に滞る傾向があるので、相当の努力を重ねないと「其の堺を出」るところまで進まない、eという示唆であるナここで

「堺」とは「混沌の理に契う」という境地を指している。一!

fe-一計三

e

東嶺によれば、「混沌の始に帰す」とは修行の究極を意味するから、「始」の字に・「正念相続」、すなわち修行の最

上の円熟という含みを込めていると見てよいであろう。この段の最後は、全体の(混沌の)修道に関して、神道家も

宗教と神話

そのような自覚の問題をなおざりにはできないことが力説されることで結ぼれているPJι・F

以上、東嶺の「混沌説」の骨子だけを見てきたのであるが、当然、「甲」れは東嶺の勝手な解釈ではないか」という

疑問が出てくる。そこで、同じような解釈の先例が確認できるかどうか、中国文献を主として仔調べrてみる乙とにし

中国思想の多様な背景

『荘子』に登場する有名な揮沌帝のお蔭で、「混沌」という言葉は、中国思想の至ると乙ろに現われている。同時に、

それだけ広い範囲に浸透してきた概念のゆえに、その受け止め方に様々な相違があったことも確かである。当然、、仏

教、儒教、道教は、そこにそれぞれの教理に合う側面を見いだしたり、独特な解釈を加えたりしていた

Jまた、-同じ

仏教の中にしても、その受け止め方は必ずしも一致しているわげではない。

ω

中国仏教にみえるニつの解釈

まず、中国仏教の文献に自を向けると~「混沌」という言葉に出会うことは誠多にない。

が強いため、使用を避けたことも考えられるが、どうもそれだけでは説明がつかない。この語には道教的な勾い

5 混沌の自覚から表現へ

たとえば『宝蔵論』では道教を思わせる表現が包み隠さず使われているしーやや時代を下って、天台宗の祖、智顕

(五三八l

五九七)の師、慧思(五一五1五七七)は、著作の随所に道教の術語を使用している83Fまた智額自身に

も道家との係わりを示す点が少なくないι仏教文献に「混沌」の語がほとんどみられないのは?おそらく経典に根拠

がないということが大きな理由だったのではなかろうか。

『宝蔵論』は道教的表現が露わであるだけでなく、「混沌一」という用語を使っている数少ない仏教文献の例である。

万物は無作、一切は無名。転じて天地に変ず。自在縦横に、恒抄の妙有(

8

、混沌として成るハg。

この文脈では、「混沌」は自在の妙有という高い境地と連なるものとして、捉えられている。ちなみに、僧肇(四

一四年没)の著作とされている『宝蔵論』は、僧肇の没後、五世紀前後に成立したと思われる仮託の書であるプ

γ

天台智顕の『摩詞止観』にも「混沌」’の語が見えるが、『摩詞止観』と『宝蔵論』ではお「混沌」の捉えかたに違い

がある。『摩詞止観』では、菩薩が衆生の無量の病相に応じて薬を授ける必要を説き、恥根性が薄弱である衆生には世

俗の薬を勧め、それぞれの薬が戒・定・慧をたすけると論じられる。それでも人が鈍くて出世間の意味が判らないと

いう場面が描かれたあと、智顛は次のように言う。

元古、混沌として未だ出世に宜しからず、辺表の根性は仏の興るを感ぜず。「我グ三聖を遣わして)彼の真丹を化

せしむ。礼儀前に開き大小乗の経は然して後信ずベし」と(君。

智顕の叙述からは、『宝蔵論』とは別の古代に対するイメージが浮び上がってくる。

明弘

215

つまり、~智顕にと万一ては、

h世

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翠翠雲尽 ‘

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の中が「混沌」としていた状態は下明らかに望ましくない。また、辺境の地域では、,人は仏教の興隆に気づくほど敏

がんえん

感ではなかったので、釈尊は老子、孔子、顔端(孔子の弟子、顔屈とも〉という一ニ聖を、先触れと

L

て中国に派遣し

たという記述は、仏教と儒教との関係を智額がどのように捉えていたかが窺われ、、興味深いで-さらに「礼儀」が仏教

の前に定着したという説は、儒教的な要素の重視を物語っている。

以上、『宝蔵論』と『摩前止観』に見られる二つの対照的な「混沌」の意味付けからすると、「混沌」には、-拘束さ

れない自由を意味する反面、真理をわきまえることができない暗さを指す側面もあるということが判明する。後者の

観点からは、今までとは異質の「混沌」、すなわち「迷い」を連想させるものが説かれることになるが、「混沌」ピが迷

いの意味を含んでいるとすれば、その輪郭をよりぽっきりさせる必要があろう。この両面は司日本に伝わった道教と

儒教の「混沌」解釈の違いにも関わる問題である?ψ

::

ω

危機としての混沌、

F~

「コントン」(中国語のVEロ向日ロロ)という音を表記するために、混沌、揮沌、渡沌、揮敦などの語が使われている。

大半の熟語は、「三水偏」が共通点となっている。この特徴から、水がさかんに流れる様子が思い浮かぶ。大きな山

川などが、勢いよく「混々」と流れるとき湧き出る水音が、「昆」の音声に込められているよ

f

うである

8vA逆に

「沌」には、その水が塞がっていて、開通しない意がある。音符の「屯(ちゅんどは、水が入り交じるというニュア

ンスを含むとともに、『易経』の第三一卦としての特殊な性格を表わしている。:

F11y

かん

「混沌」と「屯」の重要な接点は、水(故〉と雷(震)で構成される「屯」卦が、「芽ばえ、盈ちる、生みの困

難kgを象徴するところにみられる。混沌の両義性は、まさに「始原」の陽気と、「遅鈍」の陰気の総括の止に位置

付けられる。

宗教と神話II

も叫

ti

brJ1vif

ちなみに、洪水と雷雨は、多くの創世神話に見える大事な要素でもある。困難に満ちた誕生は、創世に限らず、人

閣の精神的な過程においても認められる。『易経』の詩的な観点によると、こうした転換が可能になる時点を「危機」

と呼ぶことができよう。

ここでいう内面的な「危機」は、危難の機会でもあるし、宇飛躍の機会でもある。鈴木大拙氏はこの転回を、「回心」

という静土系の言葉を借りて、次のように語っている。

仏教ではこれを回心と云う。知・情その何れから入るとしても、我々はこのニッチもサッチも行けない処に迷い

込む事がある。、文宗教そのものの段取りが多くその様に出来上がって居るのである。却ち大いに窮してその窮地

から忽然と脱出する、之がその回心の意味の内容である。所がこの回、むと云う事は必ず自己の内心から遊出する

ものでなくては駄目である、人聞はそうした経験によって初めて更生する事ができるのである。然しこれは何が

何でも自分でやらねば役に立つものではない。外部の人々は之を見兼ねて、何とか救ってやりたいと種々の方便

を講じてくれるが、いくら外部で種々の方便を講じても、結局は自分自身で大死一番やづた上できそしてひっく

5 混沌の自覚から表現へ

り返って来ぬ以上は駄目なことである(巴。

鈴木氏のいう「部出」はまさしく水が湧き出ることであり、新しい見解の誕生である。;しかし〉そのためには、小

さな我の死にきることが必要であると強調志れている。「大死一番」という表現は、『碧巌録』詰)以来、広く禅系の文

献に使われるようになったが、「大死」の後に再蘇の前提があることは言うまでもない♂また、「ひっくり返る」時節

「忽然」に起こるという叙述は、この類の混沌よりの脱出が

ー「

頓L

の出来事であるということを明らかにしてい

る。

217

禅とは異なった臨床の立場から、ユングは「カオス」の試練を、西洋錬金術の文脈で解釈している。興味深いこと

に、彼は思考の型を破ることに言及する中で、鈴木大拙の主張と軌を一つにしているようにみえる?昆

「教会の外には救いもない」ということは、制度というものが安全で歩きやすい道であり什この道ははっきり自に

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218

見ることのできる、ないしははっきりそれと判る目的地に向ってVるという事実、従って一歩外に出れば道も目

的地も見出しえないという事実にもとづくものである。このように道も目的地もない揮沌に迷い込むことが精神

と人格の革新にとって、それなくしては何一つ事威することのできない必須不可欠の条件であるとしても、それ

が精神に与える打撃の大きさを低く見積もってはならない(80

宗教と神話

次に中国禅の文献で「混沌」がどのように使われていたかを検討したい。禅文献には散発的に用例が見られるが、

ほとんど決まったパターンで、同類の問答が交わされることが特徴となっている。ただし、『祖堂集』の四つの用例

のうち、次の間答は少し特殊な性格を見せている。雲居道腐(八三五l

九O二)と道士との問答である。

L

ば・句おいっこた

進んで云く、和尚は三教に通じること莫しゃ。師云く、三教は且く致く。老君は什躍の時に生れりゃ。対えて云

いかんこた

く、混沌未だ分かれざる時に生れり。師臼く、混沌未だ分かれざる前の事は作座生。道士は対うること無し。師

便ち之を打つ(担。

中国禅の混沌

JI

雲居は実に巧みに相手を迷わせたと言えよう。すなわち、まず「老君」を取り上げて、神仙化された老子の誕生を

間い、「混沌未分」という抽象的な返事をさらに追求する。すなわち、

手がその創世の出来事を自分の目で確かめたかどうかを聞いていく。それ以前の風景を尋問することによって、相

つまり、ここで雲居は創世信仰を、外面的な一箇の論題から、相手の実存そのものにかかわる内面的な問題に引き

下ろしている。言わば、混沌が問題になるというよりも、その原風景を眺めた人が関われているのであり、混沌自体

を問題にするよりも、雪居は聞き手を彼自身の本来の面白に気付かせようとしているのである。

『担堂集』の残りの二つの用例や他の灯史あるいは語録でも、混沌に触れる箇所では、たいてい

ざる時は如何」というパターンで、形になる以前の主体を尋ねている(担。その点では東嶺の

「混沌未だ分かれ

「一念未生」に似てい

る。しかし、見性とのつながりを明言する文献は見当たらない。見性の主張は、神会(六八

Ol七六三)が六祖の説

として、新しく打ち出した思想であるが〈車、「見性」が禅の基本概念のようになったのは、おそらく宋以降の臨済禅

の中であり、それがそのまま日本に伝わり、今に至っている。

川見るという立場

先の東嶺の引用に使われている「守る」という表現と「見る」という行為は、密接に関わっている。

「見性」と解釈することに関連して、「見性」に対する唐代禅の理解を、もう少し具体的に取り上げたい。馬祖道ず

(七O九l

七八八)には、大珠慧海〈生没年不詳)という弟子がいた。大珠が著した『頓悟要門』は、見性の意を親

「混沌」

切に説く二つの問答を含めている。

ハ門間う、「禅師自ら生処を知るや。」

師日く、「未だ曾て死せず、何ぞ生を論ずることを用いん。生即ち是れ無生法なることを知らば、生法を離れて無

生有るを説くこと無し。」

日く、「見性せざる人も亦た此くの如きを得るや。」

5 混沌の自覚から表現へ

師日く、「自ら見性せざるも、是れ性無きにあらず。何を以ての故に。見即ち是れ性、性無くんば見ること能わず。

識即ち是れ性、故に識性と名づく。了即ち是れ性、喚んで了性と作す。能く万法を生ずるを、喚んで法性と作す、

亦た法身と名づく。」(む

いかん

ω

文た問う、「云何が見性するを得るや。」

師日く、「見即ち是れ性、性無くんば見ること能わず。」(串

219

見るものと見られるものという区別は妄想であるが、主体の性が元々なければ自覚は当然不可能である。叱妄想を起

こす原因は、また奥深い課題なので、その解説は佐々木容道氏に委ねておく菌汚

蜘一治会幹? ," ~ーー一一ー一~ご!?1777!???===±===二ヨ

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II

ω

狂気の解放

仏教は「方便」として迷悟を説くとともに、修行者の意識の根底をひっくり返す多くの手段を用いている。堅苦し

い教理を押し込むこともあれば、馬鹿に成りきることを説く場合もある。特に中国禅の中には、「伴狂」というスタ

イルを装う禅者が現われた。r

老荘思想を思わせるこの狂人のマネは、もしかしたら、混沌の無秩序の側面に一番近い類型であったかもしれない。

大満弘忍(六O一111六七四)は『修心要論』で、その様子を次のように述べている。

ただ破衣をつけ、粗食をくらい、了然として本真の心を守って、伴痴して語ることもよくせずんば、もっとも気

力を省いて功有り、これ大精進の人なりavo

ーーーーーーー圃E・E・-ー園・E・E・-園田園田ーーーーーーー竺竺竺竺竺竺竺竺竺竺-噌議抑

220 宗教と祢話

弘忍は、この生きざまを通じて、むだな気力を浪費せず、効果的な修行ができると述べている。破れた衣と組末な

食事のほかに、はっきりと「本真の心を守る」境界を維持しながら、阿呆を装った人のように、言葉も話せない(不

解語)振りをするという。しかし、その態度は相手をだます目的ではなく、常識を超えた行為を表わすと示唆してい

るのは『臨済録』である。普化という臨済の仲間が常にその振舞いをしていた。彼は以前より臨済院と名付けられた

場所にいて、やがて僧がその寺に集まってきた時から「伴狂として衆に混ず、聖凡測ること莫し」(ちという態様で

A

弟子の中に溶け込むようになった。普化が聖者だったのか、それとも凡人だったのかということはふ誰にも判らな

かったという。

一方では、合理主義を崇拝する傾向のある現代社会において、唐代禅の持つ秩序を破壊するような行為は魅力的な

ものとして映るであろう。この類の考えは、精神的な道においてさえ、どこまでも「自分」ですべてをコントロール

できるという偏執の解毒には効くかも知れない。しかし他方では、中国禅の文脈では、いささかも分別が生じない場

合のみ、「伴狂」は意味をもっという前提がある。弘忍の「本真の心」、換言すれば「無心」に根差した行為なしには、

5 混沌の自覚から表現へ

人形芝居にとどまるのである。それに対して狂気を(本当に)真似ることは、かえ

βて自心の正気を信じている人の

錯覚(顛倒)を明白にする逆説的な動作でもある。

日本において、風狂の僧とされる人ご休、遂翁、良覧など〉は何人か存在した。しかし、たとえば東嶺の弟子達

による『宗門無尽灯論』の践には、むしろ風狂を批判する文章が自に入る。「誤って放蕩を以て活脱と為し、語落と

ょう

為す。(中略)居るときは則ち僅臥し、行くときは則ち伴狂す。甚しき者は歌舞の門に入りふ錨酒の韓

avに至って、入

せ,Bうせ弔てん

製嵐撃顛して、以て向上の宗風と為す。苦なる哉、苦なる哉。」ハ坦

この肢では、ほしいままの放蕩と真の解脱または本当の落ち着き(轟落〉とを区別する必要があると主張してい

6。

そして「撃風製顛」、つまり風に任せて顛狂になびく様を、物にこだわらない態度、と間違えてはいけないと説いて

いる。ところで、「撃風製顛」という表現は『臨済録』では普化の行動を指していることも注意しておこう

av。f

東嶺の弟子の立場では、「伴狂」と戒律との関連が特に重視されているのであるが、江戸時代の倫理観に関して、

朱子学の厳しい要求が益々強まる一方、自由な風俗も共存していたことが、以上の文章に反映されているように思え

る。したがって、「混沌」も「無秩序」という狭義の意味で理解すると、以上のような狂気との連関がどうしても生

じてくる。日本禅の主流において、「狂気」の風潮がどの程度引き継がれているかということは別の大きな問題とな

る。しかし、これは本論からそれてしまうので、触れないでおく。

以上、いくつかの仏教側における混沌関連の例を見てきたのであるが、これに対して道家や儒家は、この概念をど

のように活用していたのであろうか。次にその概要を述べることにしよう。ぺ

FW3

仙川儒家の治と乱

我々が何気なく使っている「秩序」という言葉には、多くの近代的な概念が含まれている。

F

たとえばふ自然科学の

法則にしたがう物ゃ、安定を崩さない社会の状態のように、物事が自に見えない原理によってその蹴序を保っている

221

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宗教と神話

これに対して、中国の古人は、むしろ「治と乱」の区別を通じて世界を見ていたように思われる。ただし、当時の

文献では、必ずしも現代のような固定した区別があったわけではない。たとえば、「論語」でいう「乱臣」とは、す

の字が逆の意味で使われているおv。同じ逆説的な使用が、『春秋左氏伝』の一部にも

ぐれた補佐者を意味し、「乱」

222

と、我々は無意識的に信じている。

II

見られる(告。

しかし、他の場合は、「乱」は普通に「みだれ」の意を表し、暁舜のような聖人がそれをおさめる役割を果たした

と語られ、農耕社会の基盤を築いた暁と舜が死んでからは、聖人の道が再び衰え、天下は大いに乱れたという宕

v。

この一治一乱の盛衰を描く儒者の書の中で「混沌」に該当する言葉の用例は少ないが、『春秋左氏伝』の場合、「揮

敦」という語は才徳のない人物(不才子)を指しており、非行をする人の悪評が天下の民の聞に広がって、その行い

を「揮敦」と批判したことが語られている(担。

それは原始的な無秩序を代表する野獣、洪水、夷などを治めることによって、はじめて文明(中国)が成立すると

考えられていたためであろう。いずれにせよ、五倫から社会全体の階級に及ぶまで、治世に重点が置かれていること

は確かである。そして当時の中国社会を正すための模範が過去にあるということを強調している。政治が不安定にな

むかしうとどいてきしりぞおやす

ると、たとえば「昔者、高は、洪水を抑めて天下も平らぎ、周公は、夷秋を兼け猛獣を駆いてやりて百姓も寧んじ」

る(坦伝説を思い起こして教訓を求める。先聖の道を閑ることによって、反乱や邪説を治める思想が、「混沌」に関心

を示さないことは自明である。したがって、東嶺の積極的な「混沌を守る」姿勢は、この枠にはまりにくい。,

山W道士の太一

儒教の世界観と交わりながら、それに常に対立した道教の哲学と実践は、価値観の転覆を試み、一方では狙狂の野

性心にもどることを勧めてきた。道教にも、流派によって、あるいは時代の変遷に伴って、「混沌」の見方や解釈が

異なるという現象がみられる。しかし、そうした相違の詳細には入らないで、前漢時代に一貫している点を畳一守えば、

「混沌」の概念には、明らかに創世的側面と心理的側面の両方が備わっていた。

たとえば、宇宙の誕生と真人の特色を結び付ける代表的な著述が『准南子』に掲載されている。

天地に洞同し、混沌として撲たり、未だ造さずして物を成す、之を太一と謂う。同じく一に出で、為る所各々異

なり、烏有り魚有り獣有り、之を分物と謂う。方は類を以て別れ、物は群を以て分かれ、性命同じからず、宇皆有

かえ

に形し、隔たれて通ぜず、分かれて万物と為り、能く宗に反るもの莫し自主

あらゆるものが現われる以前を「太ごと名付けて、それを世の素朴な始まりとしていることが分かる。さらに太

一が天地を貫く(洞同)とともに、最初に混沌の未分の状態を保っていたという。そこから諸々の現象が分離し、

各々の存在の種類が生まれ、性と命ができた。その結果、源(宗)に帰ることがほとんど不可能になった。しかし、

5 混沌の自覚から表現へ

『准南子』は人間の中に、逆の道のりを辿って、「太ごとの一体性を失わない人がいる、と述べているl

古久向うるに太初には、人は無に生まれ、有に形す。形有れば物に制せらる。能く其の生まるる所に反り)未だ

形有らざるが若き、之を真人と謂う。真人は未だ始めより太一に分かれざる者なり(巴。

この聖人の描写は、はっきりと原点の「無形」の有り様を理想としている。形を否定するという主張は、一方では一

みだくらかが令

既成の身分、教義などを疑う態度を意味する。『荘子』には、そのありかたを端的に表わして

lu「滑れて疑き耀きはi

聖人の図る所なり」(巴とあり、決まった価値観を「混沌」という高炉の中で溶かすことを示唆している。絶えない

変化の中にあって、まだ光が発せられない世界の始めに定期的に帰るための修道は、後の道家の実践に盛んに応用さ’

れた(80

223

内丹と錬金術の発展は、現在まで続いており、その長い歴史に立ち入る余裕はないが、実践の面で注意一すべきこと

を一つだけ挙げたい。胎息などの結果として、体が柔らかくなって、万物と一つになった心墳を、「悦悔」または

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:ぷ議事革、ー

224

「混沌」と名付ける点であるavo

今日の台湾にも、「混沌の状態に至った中で道との合一を得る」と信

Cる道士がい

II

ると報告されている畠)。;

川日本伝来の混沌資料と東嶺の解釈

東嶺の著作に登場する「混沌」の考察をめぐって、この概念の豊富な含意を若干取り上げた。

R東嶺は、神道のテキ

ストに禅仏教の解釈を適応し、混沌を見性の別名とするが、これは神道の典籍に対する東嶺の独特な解釈のようであ

る。しかし、彼の着想の基になった資料は伊勢神道の「五部書」で、この文献に見られる思想は吉田兼倶等によ引って

再編成された。東嶺は特に吉田系統の神道を学び、同じ系統の主な著作に自を通したと思われる。

4その中で下『神道

大意』と呼ばれる多くの著作は、当然「見性」という街語を使わないが、混沌を人聞の本心に結び付けている(

gp

もっとも、神道とはいっても、たとえば度会神道はすでに鎌倉時代から、仏教の教義や術語を大量に吸収していた。

もともと神道には、道教の思想と儀式などが深く入り交じっている。記述に語られる天地開聞の神話は、その代表的

宗教と神話

な倒の一つである。

東嶺の解釈はまた、道教の典型的な混沌の位置付けを思わせる。道教の資料と吉田神道の資料が「混沌」

eという言

葉をきわめて近い意味で使用していることは確実である。このこつの思想の流れから、道教と吉田神道が別の接点を

持っていた可能性が考えられる。一

先の混沌の語義を考えた項で、『易経』に言及した。ところで、占街に欠かせないもう一つの文献には『五行大義』

がある。これは陪時代の粛吉の撰とされてい忍書で、唐と宋代に盛んに用いられたが、・後に大陸で紛失されたらしい。

しかし、日本に伝播され、元禄十二(一六九九)年に刊行された本が残っている。その時代以前に伝わったことを証

拠する多くのテキストの中で、例えば度会家行(一二五六

l

一三五一)(包の『類家神祇本源』には、その文が引用さ

れているav。

l

F

A

r

t

中国道教に関して言えば、『五行大義」の本文全体にわたって

る。十二支が説かれている箇所に、「混祖」を次ぎのように描写している。

子を困敦と名づく。困は混なり。敦は沌なり。陽気混沌として、万物牙即もするを言うなり

av。山

この「子」の解説では、万物が芽生える困難と陽気の成長が説かれ、その様子を「混沌」で特徴付けている。

ここで指摘したい点は日本の神道への影響における『五行大義』の位置、特にト部としてつとめていた吉田家にお

けるこの文献の活用である。中村嘩八氏によると、伊勢神道の「五部書」、あるいは吉田神道と『五行大義』の密接

な関係を疑う余地がないし、江戸時代におげる同書の需要は一層高まったav。この資料には、混沌思想の基盤をな

した重要な要素がみられると言えよう。

『准南子』を頻繁に引用も芝いることは際立ってい

比較に学べるもの

この小論の冒頭で、「混沌」と「カオス」を並べて、両者の混用に触れたが、・ここで両方の術語が同じことを示し

ているかどうかという問題を考えることにしたい。

dJS誹A

‘’

d

5 混沌の自覚から表現へ

西洋では、ほとんどの場合、何の疑いもなく中国の「混沌」を「カオス」と訳しているしブ逆に‘「カオ決」を日本

語に直す時に「混沌」と訳すことも、しばしば見られる。ところが既に一世紀以上昔、。・

1品。民hvmENというフラン

スの学者は、こうした機械的置き換えに不満を漏らしていた

avo

円古田〉mEN

氏は、主弼つ=ヱハl

こ四九)の『老子道徳経注』を取り上げ、その文脈では、~「混沌」を~「カオス」

と訳すのは不適切で、むしろ「不可知」の意味で使われていると指摘L

ている。この批判が当ウているかどうか九異

論もあるかもしれないが、こうした問題を考えるには、目ギリシャ語のカオスの意味についず九二一瞥し内ておく必要があ

225

ろう。

、 j

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226

カオスは、よくコスモスと対比される。しかし、それはアリストテレス以降の議論を踏まえた区別である。古代の

wZSQ80

は、膨大なひらき、深淵、そして特に物事ができる以前の暗い、広大な空閣を意味していた。同

ところが、これを「注ぐ、こぼす」の意味をもっwvSQ刷e

〉の派生語とみなしたととから竺’次第に誤った認識

が醸成されていった。そして、さらには「注ぐ」という語義から「はっきりしない要素の塊」の意になったようであ

る。ちなみに、ストア哲学では、この語を「液体」、特に「水」として受げ止めていた宙ヨ

池田知久氏が示しているように、アリストテレスは彼以前の哲学が提唱していた「すべては一一つである」!という考

え方を批割し、これには何の根拠もないとして駁論を展開した。アりストテレスの矛盾律を自然科学の基盤と認定す

るかぎり、これは確かに重要な転換点であったと思われる。この時点で、「アリストテレス的ヨーロッパと荘子的ア

ジアとは相互に反対の方向にむかつて歩みだすことになった」という仮説には興味深いものが怠るaz

混沌とカオスの概念の類似は、その原点においては、確かに著しい。異なるのは、両文明圏における後代の捉え方

である。ギリシャの文明圏では、本来の「深淵」のカオスから意味が簡略化されて、「はっきりしない」という意味

へ移行した。中国の場合は、最近の実地調査から推定できるかぎり、本来の「未分」の混沌の意味がまだ生きていて、

混沌との合一を得ることが、今もなお道士が行なう儀式の目的とされている。、

・同類の思想の痕跡が残っているのは、中固とギリシャのみではない。たとえば、ポHグネシアの宇宙創造神話にも九i

「始めには水と暗黒があるのみであ刀た。~至高神イオは思考と言葉の力によって水を分かち、天と陸地を創った」

tと語

られている。これに限らず、世界を見渡せば、\水と暗黒のような最初の状態を語る神話は、実に無数であろ・

30

イオの創世神話の場合、それを語る人は、これを遠い昔の宇宙根源の話としてではなく、

Jイオが最初に用いた詞を

繰返すことによって、創造を再生させることができるのであり、適当な儀礼を行なえば、暗黒を克服

L

、始原に帰れ

そうした儀礼は、病人を治療する時に有益とされているが、「万物が初めて現れた時にふたたび生きる

るという(斜)O

宗教と神話n

ことを可能にする〈始原への復帰〉は、古代的社会にとって第一義的重要性を有する経験である」とエりアデは言っ

ている〈同wz

神話と吾一守えば、『旧約聖書』の創世紀は、あまりにも有名であるにもかかわらず

1

未解決の問題をたくさん苧んで

いる。二つの日本語訳の最初の部分を比較してみると同解釈の違いが自につく。

(甲訳)初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり?神の霊が水の面を動いてい

たaz

やみ

(乙-訳)始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。暗黒が原始の海の表面にあり(神の’一霊風が大水の表

面に吹きまくっていたが(省略)(g、

このあと、「神が〈光あれよ〉と言われると、光が出来た」として、第一日の創世物語が続くのであるが、建ここで

特に注目したいのは九「はじめ」とは時間の意味に限らないことavと、…日本語では「混沌」と訳されている語の原語

へプライ語ではgvo当?

σvovoとなっていて、擬態語らしく、「空しくかっ無形」pという意味で使われて

である。

いる(鈎)。

5 混沌の自覚から表現へ

日本語版の訳者は、外来語の「カオス」を避けるために「混沌」を選んだものと思われるが-この点に関する限り、

日本で十九世紀にできた古い翻訳の方が原意に近い。漢文教育がまだ徹底していた明治維新直後の人は九「混沌」と

いう言葉の重みを実感したゆえに、誤用を免れたのかもしれない。当時の二つの翻訳は、ム次のまうになーっ

φている。ミ

陪ι

めつ

4

さむなくらわだお色てれい

(一八七八年版)元始に神天と地を創造れり然て地ハ形なく空Lかりき闇きハ調の面の上に在りしが神の霊水’・

おほ

面の上に掩ひ居たり、

p

ぺ々

惑に神天地を智也りたまへり

〈一八八三年版〉

かたちむなしゃみわだ指もてれいお信ひ

地は定形なく砿空くして黒闇調の面にあり神の霊水の面を覆

227

たりき缶)。

三百一刊丸、、

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川、ぜ一引

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F一一一一一一一~ーーでプ十一一一一一一一一一 川今 一一一一一七 一一一一週輔

崎明228

創世記が古代オリエントの世界観をも反映しているかぎり、その時間と空間、そして言葉の不思議な力に対する考

え方を継承したことは否定できないι;実際、。これは既に定説となっている(忍。これを承けたキリスト教の「ヨハン

ネスによる福音」では、さらに言葉(FO雪印)に重点をおいて、「初めに御言葉があった」(

g

で始まり、言葉を光と

暗閣の現われる前に持ち出しているところに特徴がある。

このような中国とギリシャ思想および他の思想の変遷を厳密に認めた上で、これらの術語を使い分け点ことが必要

であろう。たとえば、宗教学と自然科学との接点を求める場合には、「混沌」ではなく、「カオス」という用語を使う

のが適切であると思われる。「カオス」には、先に見たように、本源的深淵を意味する宗教的側面と、「コスモス」と

対比される相対的な側面があり、絶対を探求する宗教と相対を探求する科学との橋渡しとして使える用語だからであ

る。国際的な共通語として用いても)混乱が起こることもないであろうーこれに対

L

て、「混沌」は現代でも道教と

神道の伝統と密着しており、宗教的探求の本源の意味で使う人々が存在していることから、混沌とカオ庁内を混用する

のは適切ではない。

ω

一克始の言葉

世界創造と言葉(または音)との幹は、多くの伝統にみられる缶百先に見たポりネシアの神話ゃ、ユダヤ教、キ

リスト教の他に、道教の霊宝系には、この経典が元始天尊という神より授けられたものだ、と説かれる。そして、元

気から生成された書として、「混洞紅文」(混沌の洞窟の紅い文字)は特に尊重されてきた官)。叩

エリアデの解釈によると、「宇宙創造物語はあらゆる創造的状況が模範に仰ぐ型であって、人聞は世界創造という

創造神の祖型的行為、比類ない〈行為〉を、なんらかの形で反復するのである」(泥沼この「なんらかの形」が言語行

為に具体化する場合には、始原より発せられる言葉としての「特異性」を持つことになる。この論文の最初に挙げた

神明の託宣も、そのような権威をもっている。

宗教と神話n

以上に言及したさまざまな伝統の比較を通じて分かることは、一方では表面的な類似性を一示すとともに、他方では

相当多様な解釈の相違を見せていることである。我々は、しばしば、これらの比較において、一方の面にのみ気をと

られて、その両面性を正しく把握することができない。エリアデでさえ、「カオス」と「コスモス」という便利な区

別を、空間の概念に応用するために、この基準の普遍性と予盾するような資料の存在を軽視していたことが、最近、

指摘されている。

カオスとコスモス

日本の『常陸国風土記』に基づいた調査で、ロ058

石氏は、コスモスを社会の中心の秩序、カオスる

周辺の夷や暗麗とみる通説は、妥当ではないという(80

聖なる空間を縦の次元からみた場合六世界軸を表わす山の

シンボリズムなどを強調することになるが、これに対して、同氏は横の次元の大切さを実証している。氏の取り上げ

る神話には、人聞の領域と聖なる領域が同じレベルに接近していて、その境目が礼拝のための聖所であるという世界

観が現われている。

ちなみに、

言葉の位置i

むすびに代えて

' 、

2谷

5 混沌の自覚から表現へ

結局、比較で学べることは、類型の多さと同時に、それらから演縛された総括的な言明の持つ限界である。同じ中

国の文献でも、「混沌」の解釈が極端に分岐する例がみられることから、これを他の文明圏の概念に結び付けること

は、正確さという点で、多くの危険が伴うように思う。それを避けるために、心理学におもむいて、「まよう」「くる

しむ」「解放される」というような基本的な「経験」にいったん立ち戻る必要があろ’

Z

つまりこの類の「経験」は、言葉以前に体得または心得され、ー表現される途端にその普遍性を失ってしまう性質の

ものである。その過程を指す上回開照氏の定義、「自己が破られて世界が新しくなる、それが経験である」骨

vは、簡

229

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時吋マF ,. ""

230

潔かっ明快である。

これは特に宗教的「経験」に限定されることではなく、「常に破られて」いる主体は、また常にさまざまな「表現」

の形で反応を起こしている。その反応が「言葉」の闘を越えると、個別の自己になり、それぞれの独特な環境に染ま

宗教と神話

る。

これに対し、「常に破られ」ながら、常にその主体には目も面もなく、揮沌帝の卵のツラと同じようにすべすべし

ているとき、言い替えれば、言葉を発しながら、創造的破壊のプロセスを途絶えさせないような人こそ、まさに一「混

II

沌の始を守る」人と呼べるのではなかろうか。

経験と言葉に関して追加すべきことは、その移行の過程が双方向にはたらくことである。つまり、経験より結晶し

た言葉が、本入または他人を、さらに新しい経験(破壊)へ導く可能性を含んでいる。すなわち、経験の原因となる

言葉と、経験の結呆として生じた言葉が、同じ「言句」の形を取るのであり、そのはかない音声や文字の塊りには、

迷悟の鍵が潜んでいるともき守える。東嶺は、一言葉の持っこうした側面に対する警戒を呼び掛けてやまない。

但だ文字言句は解脱の根本、繋縛の根本なり。其の入に非らず、其の時に非らずんば、醍醐は変じて毒薬と炉り

ん(明同)。

注(1

)混沌の語義について、池田知久「中国思想における混沌」、『混沌』、東京大学出版会、一九九一年〈一一工ハ頁)と

92

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-Hug-℃Hy--Hg参照。

(2

)東嶺の著作目録を拙稿「東嶺の著作に関する諸問題(その一)」『禅学研究』七三号と

gogrgkFa・、『E志一さ吋

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5 混沌の自覚から表現へ

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(出版予定)に掲載した。怠〈叩gE3abnocr〈OHHO円目白吋O円。-・3Fmm

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(3)東嶺は他の著作では、しばしば三科を使っているが『宗門無尽灯論』の十章を三科に分りることについての記述はみられ

ない。しかし、第一章「(宗由)を序分として第十草(流通)を流通分とすると

A

そのこつの章の長さ九省そして残りの第二章

から第九章までの正宗分とのバランスが判りやすくなる。、

(4)東嶺がどの神道の系統に付属していたかに関する記録は残ってないが、『東嶺和尚年譜』における神道に関係する事項か

ら、吉田神道の系統あるいはそれを継承した古川神道だったことは察知できる。東嶺自身は『快馬級』の中で神道の分類に

触れている。三部神道として、斎元神道、霊宗神道と原本宗源神道(すなわち吉田神道)を挙げて、

44

特に斎元神道を次の次

うに説明している(原文のかたかなをひらがなに改めた)。

「凡そ神道には三の教有て、宗源、斎元、霊宗と云う。中にも斎一冗の神道は、専政家の道にて、五倫の道を明にせり。是れ

禁延に第一に行るる法式にて、大相国家の君臣の義を守り忠を尽すも、皆斎元の神道也。文神道に王道断道の二義あり。」『白

隠和尚全集』第七巻、二七三頁C

司、

(5

)神道五部書には、『御鎮座次第記』『御鎮座伝記』『御鎮座本紀』『宝基本記』『倭姫命世記』が含まれている。五部書の成立

に関する研究は多い。その中で、従来の久保田収氏の定説は最近、再検討されているーその結果、五部書の一番古い書籍と

みられる『宝基本記』の成立が健保二(一二一四)年ごろに遡るということが再び浮上して島きたv(平泉隆房氏「伊勢神道成

立の背景」、『皇学館命叢』一二、一三頁)。

(6)吋開E52

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却のO弘前i己Morn円叩仲間ooEO同巧白押印吋包ωEEoJ玄opcggszzoESお

20・N-℃-MN印・ノ

(7)この論文で引用した文献は、ほとんど漢文で書かれているので、読みやすいように、すべて読み下し文に直し、旧漢字を

新漢字体に改めた。かなづかいも新かなづかいに従っている。なお、原文を書き下しに改める際には九刊本に掲載されてい

るおくりがなに基づいて、ふりがなを付した。

P今ト~

〈8)原漢文は「神乗以祈祷為先。冥加以正直為本」となっている。ところが「乗」という字を「垂」に置き換えることによっ

しでいのり〈らきますますぐ

て、山崎関斎は『垂加社語』で、同じ文章を「神の垂は祈祷を以て先と為し、冥の加は正直を以て本と為す」と訓んでいる

よしかわこれたり

(日本思想体系、第三九巻、一二O頁)。その解釈は闇斎が師匠の吉川惟足(一六一六i

一六九四)から授けられた「蚤加」

231

Page 14: はじめ NO UN 弓 M - University of Hawaii...耳あまり知られていない書名ばかりであるが、東嶺円慈にはかなり多くの著作が見られる ヘ V7 その中、

司も

% 、二司.

叱内’司河C',.

勺明

5 混沌の自覚から表現へ233

豆沼郡?や

232

という霊社号の出典を明記する意味で書かれたものなので、吉川惟足の解釈に基づいていると思われる。そこから垂加神道

の「垂加」〈すなわち神が不思議な加護を垂らす)という発想に至ったようである。、その解釈に対する反論は当持すでに見ら

れた。たとえば吉見幸和(一六七一二

IPE--七六一)という菌学者一(詞宮〉は『神道五部書耕説』の中で?「神霊」という熟語の

根拠の無・8壱指擁して、五部蓄が偽書であると述べている〈『神道大辞典』、臨川書店復刻版、一回三二

i

一四三三頁参照)。

(9)「天下和脳、日月精明ι風雨以時、(:・:・〉国豊民安」という文章は、『無量寿経』巻下からの引用である(大正蔵丸第十二

巻、二七七頁下、一三j

一五行〉。異同は『無量寿経』の「清明」が「精明」となった違いであるグこの箇所は、後に「和順

の章」として、浄土真宗で重んじられてきた。神道五部書の借用は、作成した人の仏教教養を裏付ける重要な手掛かりとな

る。ところで、『無量寿経』自体も、道教と深いつながりを持っている経典として注目されている(福永光司『道教と日本文

化』、二三一i二四七頁参照〉。

(同)「神人」という語は、少なくとも二つの意味を含んでいるゆ『御鎮座本紀』の始めには?次の重要な箇所があるグ

天地初発之時。大海之中有一物浮。形如葦芽。其中神人化生。名号天街中主神。故号豊葦原中因。亦因以日豊受皇太神也。

(『続群書類従』第一輯1神祇部、巻第二一回O頁上。)〆

あ治@みなかぬし@かみ

これに拠ると、「神人」は最初の神、天御中主神にほかならない。他方では、「神人」というのは紳に仕える人、または神

宮を示している(『新選7古語辞典同小学館、「かみびと」の項、二七九頁下)。命、『

ECJ52

氏はこの箇訴を}〉580

問答。

旬oeFMMユ担割仲]ョと訳している(「前掲論文」同

yMNg。その語の後にくる命令形を考慮すると、確かに後者の意味の方が千こ

こでは重視されているようにみえる。

(日)寛政の刊本には、「真人」の側に「まっと」というふりがなが付してある。古語としては

1「まひLとあるいは「まふと」-

と読まれていた熟語であるが、この文脈では、明らかに釈迦牟尼の仏法を示唆している。『無量寿経』

Jでは、日仏が弥勤に語っ

て「吾汝等天人の類を哀れみ」&言っている(大正蔵、第一一一巻、二七七頁、一

OJ一一行)ア釈尊が皇天〈神〉の代わりに

人聞に法を授けたと述べている神道の典籍は、ここでも道教の影響を窺わせている。たとえば、六八六年に亡くなった天武

おきな@まひと

B,、。指

天皇に、「読真人」という誌が与えられたことは、神仙を指している〈福永光司『前掲書』、一時一

O頁11

(ロ)「苦心議喰、教令修善。随器(:

i

・どという所も、そのまま『無量寿経』巻下から引用されている(大正蔵、第十二巻、,

二七七頁下、一一行)。

(臼)寛政の刊本に従った。他の本はすべて「本底」を「本位」に作る(大正蔵、第八一巻、六

O二頁下旬一二行可ただし、『続

宗教と神話Il

群書類従』巻第三に収録されている『神宮極秘宝基本記』には「本居」となっている(六六頁土〉。大神が本居に周知るという

たかまが怯・』’

表現は、ここで天照が高天原に戻ることを示すと思われる。

(M)『宗門無尽灯論』第十章、大正蔵、第八一巻、六

O二頁中、二九行|下一二行。『神宮極秘宝基本記』は、『造伊勢二所太神

宮宝基本記』という題名で、『続群書類従』巻第三に収録され、ここの引用は六五頁下

l

六六頁土に該当しているが、中間一の

部分は省略されている。

(出)『掲復記』下、日本思想体系第三九巻、一OO頁。日本思想体系め注には「仏法の息」を神宮内の忌詞と解釈している

ιそ

たつひろちか

すれに対LてH,ECd『開Z

氏は、龍県近(一六二ハl

一占ハ九一ニ〉の『神国決疑編』を参考にし

1げ品川「扉」i恋「一かく、す」と読むペ日き

であると主張している。さらに「息をかくす」という表現には神道儀式の時に仏教の気配をまじえない定いう意味之べ仏教

を尊敬するという意味の商義が含まれていることを指摘している。ちなみに005

氏が『宝基本記』の一部を英訳した際に

(吋owcg一者釦EgH087阿世一門戸可。。ロ丘町

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ロZ2己申同研auMM片山口nogロロE42aqhH084U

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かりにした久保田収氏の『神道史の研究』(皇学館大学、一九七三年四七九

i

四八O頁)にはが仏教の影蝿曹を小さくしようrと

する傾向がある、と指摘している(吋ECdEF

「前掲論文」bMV-N包1N白色。

「屍息」の用例は『元亨釈書』巻十八の十六の「皇太神宮」という章にある。そこには、、伊勢神宮の様子を描川友

h「行人

息を殿め足丸蹴じて中に入る」と記されている(『国訳一切経』史伝部十九、一二三

O頁)。息を静かにして、音をたてないよ

うに歩くという態度は、まさに敬う者の行為である。ただし、

p『元亨釈書』の著者、蕗済宗の虎関師錬(一二七八

i

一三四六)

へいそ,、

は、この部分で「仏法」には言及していない。『大漢和辞典』も同じく「扉息」を「いきをとどめる、息をころして恐れつつ

しむ、扉気」と解釈し、『列子』等を引用L

ている(第六巻月一六O頁)。この説をさらに根拠づけるものは、『神宮極秘宝基

本記』の最後にみえる「凡そ紳を敬い仏を尊ぶ」という箇所である(続群書類従、巻第三、七十乙ニ頁上)。

(沼山)平泉隆房氏「前掲論文」一一一頁参照。

(口)『宗門無尽灯論』第十章、大正蔵、第八一巻、六

O二頁下、=ニ行l

一八行。。占、!入、・

(叩岬〉同じく『続群書類従』巻第三に収録されている(七十ノニ頁、下〉。東嶺のテキストの「実相の地を仏る」と『続群書類従』

の「実相の地を払う」との相違は重要である。’

F

(日)『宗門無尽灯論』第十章、大正蔵、

J第八一巻、六O二頁下、一八行|六O三頁上、三行。

(鈎)『宗門無尽灯論』第四章、大正蔵J

第八一巻、五八八頁上、四行i七行。

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J町

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混沌の自覚から表現へ5 235

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(幻)この題名を『神道大辞典』(一O五O頁上)では「とゆけこうたいじんぐうごちんざほんぎ」と読んでいるが、『宗門無尽

灯論』の刊本には「とよけ」のおくりがなが付いている。

(お)『豊受大神御鎮座本紀』、『続群書類従』第一輯、巻第二(四六頁、下)。

(別)『宗門無尽灯論』第十章、大正蔵、第八一巻、六O三頁上、三(十一行。

(お)『南毅思大禅師立誓願文』はその代表である。そこに、護訟のために長寿命を求め、「神丹」「外丹」「内丹」を修する、と

述べている箇所は興味深い(大正蔵、第四六巻、たとえば七九一頁下、三了一六行)。

ごうがし・

(お)「ごうじゃ」を「恒沙」と書く場合も多い。「恒河沙」の略。印度のガンジス河(

ctM包lEe)の砂が数えきれないこと

から、無数の意を表す。「妙有」は真空の有、究極の実体の意味で使われている。中村元『仏教語大辞典』四

O四頁、一三O

一頁参照。〆同

L:

(幻)『宝一蔵一論』広照空有品第一、大正蔵、第四五巻、一四五頁下、一

l

三行。僧議の道教に対する関心について、『高僧伝』は

毎(つねに)老荘を以て心要と為せり」と述べている(大正蔵、第五O巻、三六五頁上、一O行i

一一行)。

(お)『摩詞止観』巻第六下、大正蔵、第四六巻、七八頁下、五i七行。「我」で始まる文章は『濯頂経』に含まれている。大正

蔵、第二一巻、五一二頁中、四i

五行。関口真大校注の岩波文庫本では、巻下、五Ol五一頁。「震日一の三聖」については

『望月・仏教大辞典』第二巻、一五八Oi五八一頁参照。

L

(却)字源に関する学説は、一致していないようである。「混」については、「音符昆(一つに合わさる意↓群)とから成り、水

が一つに合わさるようにもつれあって流れる、ひいて〈まじる〉意を表わす」と説く小川環樹、西田太一郎、今赤塚忠氏編の

『魚川・新字源』(五八六頁、初版一九六八年)に対して、加藤常賢氏等の『角川・字源辞典』には円〈見

Vの音を表す意味は、

〈波〉(地下からむくむく噴出して回転する意)である」という説明がされている(三六八頁、初版一九七二年三『説文』の

「混は豊流なり。水より昆声なり。〈段注〉盛誌の流なり」によって、後者の説明に従った(諸橋轍次『大漢和辞典』巻七、

五二頁)。「混」が同音の「昏」などと関連している根拠に関してはの岡田〉

80

叶『前掲書』MM・日参照』「混沌」の擬態語の性格

ゃ、そのさまざま表記のしかたに関して、池田知久氏はいくつかの用例を取り上げている(「前掲論文」二ニ一ムハ頁)。しかし、

同氏がそれを「もやもや」や「ごちゃごちゃ」の意味で捉えていることには賛成できない(同五頁)。「混沌」の両義性を限

宗教と神話II

j'

定してしまうからである。

(初)本多済『易』上、中国古典選l、朝日新聞社、一九七八年、七八頁。

(む)鈴木大拙「宗教経験とは何か」、『鈴木大拙全集』第一回巻、岩波書店、一九六九年、

(幻)『碧巌録』四一刻の評、大正蔵、第四八巻、一七九頁上、一O行i

一一行。

(お)ユング『心理学と錬金術』、第一巻、人文書院、一九七六年、一

O九頁。和訳の原文にあるラテン語の表記を省略した。

(斜)『祖堂集』巻第八、都国聖山主編『禅学叢書』第四巻、中文出版、一九八四年、一五六頁(N・ロ∞、五i七行)。

(お)「混沌」の主な用例は次の文献に見られる。『祖堂集』問、一七八頁(一一了一五、一行)と三六二頁(五・九七、八行〉。『景

徳伝灯録』大正蔵、第五一巻、三八五頁中、二四行、三二八下二六行、三六回頁上、一七

i

一九行。『碧巌録』一一一則の評唱、リ

大正蔵、第四八巻、二ハ二頁、一六行。他に『古尊宿語録』『聯灯会要』『園悟語録』、大慧の恥『正法眼蔵』)『虚堂録』、『人天

眼目』などにも、それぞれ一っか二つの用例を確認できる。なお『宗鏡録』(大正蔵、第四八巻、六八五頁上、十四行)では

「混沌」ではなく「揮沌」となっている。『禅源諸詮集都序』では、大正蔵のテキストでは「混沌」となっているが(第四八

巻、四O四頁中、二行)、禅の語録九では「揮鈍」に作る(鎌田茂雄、禅の語録九、一二七

i

一八二頁)。「混沌氏」の用例は

『景徳伝灯録』大正蔵、第五一巻、ニ二八頁上、二六行にある。「混沌」が公案の対象となることは、『宗門葛藤集』の第十四

則「長生混沌」によって裏付けられる(梶谷宗忍氏本、法蔵館、一九八二年、三三頁)。

(お)柳田聖山『禅思想』、中央公論、一九七五年六六

i

六九頁参照。

(幻)『景徳伝灯録』巻六、大正蔵、第五一巻、二四七頁下、九

i

一二行。『禅の語録』六、二ニ八頁。

(お)『景徳伝灯録』巻二八、大正蔵、第五一巻、大珠の章(続き)、九四回三頁上、二

Ol二一行。『禅の語録』六、一八六頁参照。

(お)「妄想の一考察」、『禅学研究』第六二号、一九八二年、二六

l

四九頁。一

(ω)柳田聖山『前掲書』、一六九頁。『最上乗論』(『修心要論』の別名)大正蔵、第四八巻、三七八頁不、九

i

一一行。一なお、

大正蔵では、「本心の真を守る」を「本真の心を守る」に作る。『鈴木大拙全集』第二巻にみえる同テキストの敦短本には、

ただ「心を守る」となっている(三O八頁)。

(必)『臨済録』、大正蔵第四七巻、五O六頁下、一四l

一五行。柳田聖山訳注(大蔵出版、一九七二年)二七五頁、入矢義高訳

注(岩波文庫、一九八九年)二l三頁。

(必)大正蔵の〔姪]を刊本より改めた』『大漢和辞典』によると「描」は別字で、「たわむれる」などの意で使われている(第

一七i

一八頁。

!忌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・.J叫』t f づ:;:i<三川 i勺了: h; ;'.ia/J<'f/川河け市 • •• ;/?•川'へ... ' • ゲバ二 : ζJム;'" .に 二 • -一 ; ! 必勝穏輔-・E・-・E・-・E・-・E・-・E・-・E・-・E・-・E・-・E・-・・園田町圃圃圃・E・E・-ーーーーーーーー----------ーー一回-一一一一ーで プ •. ,..・t • 人 • . トバ斗 一一一二二一一ーー-一-一-一ー一一一一ー一副ー一ーーーーーーー--ーーー圃圃園自国自園田由圃圃園圃・・・・・圃園田.園田.園... 園田--・E・E

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236 宗教と神話II 5 混沌の自覚から表現へ237

三巻、七四三良〉。しかも、ここでは「揺溺緯」は遊女などがいる飲酒の店で、酒色に溺れることを指していると思われる。

(必)『宗門無尽灯論』行持論、大正蔵、第八一巻、六O四頁中、二七i

二八行と六O四頁下、三i

五行。一

(川明)大正蔵第四七巻、五O三頁中、一一行。柳田聖山訳注、二OOl二O一頁、入矢義高訳注、一五五頁。

(必)吉川・幸次郎『論語』上、泰伯第八、中国古典選三、朝日新聞社、一九七八年、ニ七八頁。

(必)『春秋左氏伝』、裏公二十八年(新釈漢文大系、明治書院、一九七四年、一一二八頁)と昭公二十四年(新釈漢文大系、一

五三五頁三この二つの用例にはいずれも「乱臣」という熟語が使われている。『春秋左氏伝』の最初の用例では『書経』、泰

蓄の文を引用している。なお、他の「乱」が使われている箇所には、すべて「乱れる」という意を持っている。

(幻)金谷治『孟子』上、勝文公篇第三、中国古典選八、朝日新聞社、一九七八年、二三

O頁。

(川崎)『春秋左氏伝』、文公十八年(新釈漢文大系、一五五七頁)。

(日明)金谷治『前掲室田』二三四頁。

(閃)楠山春樹『准高子』中、詮言訓、新釈漢文大系出、明治書院、七六三i

七六四頁のテキストに基づいたが、漢字とかなづ

かいを新字と新かなづかいに改めた。

A

(日)梅山春樹『前掲書』中、詮言訓、七六回頁。

(臼)福永光司『荘子』内篇、斉物論第二、中国古典選ロ、朝日新聞社、一九七八年、九三頁。

(回〉『老子変化経』という典籍は、おそらく紀元後の二世紀ごろに成立したと思われる。その中で

1老君が大元の時に混沌を眺

めたり、変化して人聞になると語られている。宙開5F-〉ロロ血肉・円、白色芝山口

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(出)福井康踊等監修『道教』、第一巻、平河出版、一九八三年ニO三頁。EnE色

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CE5円回一許可句

88

・54∞・の報告に基づいている。

(部)吉田神道における混沌の解釈を裏付ける資料として、吉田神社編『吉田叢書』には人聞の本心が一神より起きると説く次

·~,.,,~.:.,,», 岳ナ山

の文章がある。「比にいう心とは、主観的のものでなくて、天地陰陽不分、喜怒哀楽未発の混沌、即ち心の根源の状態を指す

のである」(第一巻、第一一編、内外書籍株式会社、一九三四年、九頁)。この解説は覧文八(一六六八)年に刊行された司神

道大意演義』の要約の一部である。同じ解釈が今日の吉田神社の由来などを解説する村山修一の『吉田神社と大元宮』にも

ある(吉田神社発行、一九八六年、四O頁)。

(町)度会家行の生没年に関して異同がある。ここでは『神道大辞典』の項の最後に記述されている「家行は正平六年に九十六

歳を以て間伐した」に従った(一四七二貰上)。

(回)中村理八、藤井友子『五代大義全釈』、明治書院、一九八六年、二一頁。この重要な資料の存在を指摘して下さった吉田神

社の禰宜、康瀬宏一氏に感謝の意を表したい。

(印)中村薄八『五行大義校注』、汲古書院、一九八四年、二ニ貰。中村埠八、藤井友子『五行大義全釈』、五七頁。

(印)中村環八、藤井友子『五行大義全釈』、二一11

二八頁。

(日)宕国〉開「開N-、吋叩HHmZBEg

-Fユ即日〉ロロ色叩白色ZZEbOGESE-H∞2・この資料にかんしての阿国〉問。。吋『前掲書』

U・8に

ょった。

(回)〉・回EFF吋・〉σ片品同品仏zautoロロ曲目円。のお口司門担ロ

mam--uRZLgnZHg・52・匂・由日N白・

(臼)池田知久「中国思想にける混沌」、一四頁。

(倒〉エリアデ『神話と現実』、ェりアデ著作集第七巻、セリカ書房、一九七四年、三八i

三九頁。

(町〉エリアデ『前掲書』、四二頁。

(前〉吉田泰「祭司文書における〈創造と混沌〉l創世記一章一節l

二節議解」、『明治学論叢』第四六九号、一頁。

(閉山)関根正雄『旧約聖書・創世記』、岩波書店、一九八九年、九頁。日

(ω叩)吉田泰「前掲論文」、一|五頁。

(ω)£三宮OCH同02Mg

仏〈o-a

・ 3円、。口問自

gukH-oE弓ohHZ関口伺-SFFg伺E

官・ロ叩毛色Eoロ(HUUH)・司・=gu。吉田泰氏は

「形いまだならずして、むなしい」という解説を論文の後半で加えている。「前掲論文」二O頁。

(叩)海老淳有道『日本の聖書・聖書和訳の歴史』、岩波書店、一九五六年、二五八頁。

(冗)この分野については、吉田泰「前掲論文」参照。

(η)共同訳聖書実行委員会『新約聖書l

共同訳・全注』、講談社、一九八一年、ニ七ニ頁。

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238

(ね)ヒンズー教のタントラの中で、最上の言葉(宮芯品口)が意識(

nSときらめく光(岳町EE三曲)と定義され、宇宙開闘の

過程と関連していることは興味深い】YPOOCH-〉za

・〈位。IJ言。。822aso

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J問。『宵υωczd「HU由0・匂-∞∞・

(叫)。岡田hFZO吋『前掲前』℃-N2・

(花)エリアデ『前掲書』、四O頁。

(花)UO認包20・。釦gahuHMN

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Hug-旬開ygi

g・『常陸国風土記』の現存する部分は、日本古典文学大系の第二巻などに収録されている。

〈π〉上回開照「禅における根源語」、『宗教体験とことば』、紀伊国屋、一九七八年、二八二頁。

(花)『宗門無尽灯論』東嶺の序、大正蔵、第八一巻、五八一頁下、二三

l

二五行。この嘗喰は、『碧巌録』第七四郎の著語〈大

正蔵、第四八巻、二O

一頁下、土二行)と『景徳伝灯録』第二八巻(大正蔵、第五一巻、四四回頁中、二六

i二七行)を踏

まえていると思われる。『大智度議』第六八巻では、訴が毒の効果を和らげる、と説かれている〈大正蔵、第二五巻、五三六

頁下、二六行〉。

宗教と神話n

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「宝積比較宗教

γι1111の様々な宗教思想文化に関する学術研究並びに研究一

一助成を目的として設立された宝積比較宗教文化研究所(川崎市麻生区向上一二七、喜一

一長福井三患により、その研究活動の一環として企画さ

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〈宝讃比較宗教・文化叢書 3}

経験と言葉ーその根源性と倫理性を求めてー

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郎光郎

=ま大明堂101 東京都千代田区神田小川町3-22振替 00100-2-,15270

電話 03-3291-2374 (代)

治井

鍛福森神

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fT 発平成7年 3 月 15 日

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@宝積比較宗教・文化研究所 1995ISBN 4-470ー20103--0 印蹴・科学図書/製本・岩佐製本