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856 総特集:身体とデッサン 01 CB003 身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノの『愛 の体位』と カルロ・スカルパおよびアルヴァロ・シザの モーディ 」| フランチェスコ・ダルコ 02 CB006 身体はどのように建築に現出するか具体化の建築術 ダリボル・ヴェセリー ジュリオ・ロマーノ 07 CB024 『愛の体位』のスキャンダルと成功の略史 ベッテ・タルヴァッキア カルロ・スカルパとアルヴァロ・シザ 13 CB048 身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノ、カルロ・スカルパ、アルヴァロ・シザ フランチェスコ・ダルコ 19 CB063 カルロ・スカルパ尺度と視覚、身体と尺度、カジュラーホーと自画像 20 CB086 アルヴァロ・シザ 人物像の残 エコー 響、馬、邂逅、自画像 21 CASABELLA JAPAN トーク 動き始めた時代から II 藤井博巳 24 CASABELLA JAPAN 2015年度 総目次 監修者として思うこと 小巻哲 * CBCASABELLA本誌の参照頁 CASABELLA JAPAN 856号 3,500円+税

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Page 1: Þ Ã - CASABELLA JAPAN856 総特集:身体とデッサン 01 CB003 身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノの『愛 Þ Ã の体位』と カルロ・スカルパおよびアルヴァロ・シザの®方

856総特集:身体とデッサン─01|CB003 身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノの『愛

モ ー デ ィ

の体位』とカルロ・スカルパおよびアルヴァロ・シザの「方

モーディ

法」|フランチェスコ・ダルコ02|CB006 身体はどのように建築に現出するか/具体化の建築術|ダリボル・ヴェセリー

ジュリオ・ロマーノ 07|CB024 『愛の体位』のスキャンダルと成功の略史|ベッテ・タルヴァッキア

カルロ・スカルパとアルヴァロ・シザ 13|CB048 身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノ、カルロ・スカルパ、アルヴァロ・シザ|フランチェスコ・ダルコ 19|CB063 カルロ・スカルパ|尺度と視覚、身体と尺度、カジュラーホーと自画像 20|CB086 アルヴァロ・シザ|人物像の残

エ コ ー

響、馬、邂逅、自画像

21 CASABELLA JAPAN トーク

動き始めた時代から II|藤井博巳

─ 24 CASABELLA JAPAN 2015年度 総目次 監修者として思うこと|小巻哲

* CBはCASABELLA本誌の参照頁

CASABELLA JAPAN 856号 3,500円+税

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01

表現し描く方法、身体に付された機能と多様な意味とは

何だったのかを看取できるはずだ。

 ヴェセリーとは別の論調を使って、『16の体位』別名

『De omnibus Veneris Schematibus(ヴィーナスのすべて

の姿態)』を取り上げた論考の著者ベッテ・タルヴァッキア

は、デモクリトスの目で一連の猥褻な版画を考察する。こ

れはマルカントニオ・ライモンディがジュリオ・ロマーノの素

描をもとに1524年に制作した銅版画連作で、ピエトロ・

アレティーノのおかげで今日まで『イ・モーディ(愛の体位)』と

して知られている。『愛の体位』、および1810年にバルト

ロメオ・ピネッリが翻刻した銅版画連作『ジュリオ・ロマー

ノが創作したプリアポスの学校』に代表されるその受容

の証、さらに続いて載せたカルロ・スカルパとアルヴァロ・シ

ザのデッサンをよく観察し、セネカが書いた通り「人類全

般のためにも、それを嘆くより笑う者のほうが役立ってい

る」ことを踏まえて考察することが推奨される。マンフレー

ド・タフーリも、それが適切と考えたに違いない。タフーリ

の代表的な著作のうち、ジュリオ・ロマーノを取り上げた

1989年の論文の中で彼は問いかけた(Manfredo Tafuri,

“Eros e Spiritualismo, Giulio Romano: linguaggio, mentalità,

committenti(エロスと唯心論、ジュリオ・ロマーノ:言語、心性、注文主),” Giulio

Romano, Electa, Milano 1989, pp.15-64)。ジュリオが『愛の体

位』に描いた、困難な体位をとるのに没頭する人物たち

の「重 し々さ」と彼らを包む古典風の雰囲気は、「主題と表

現の食い違い」を表すわけではないのではないか。また、

古代の知識を自分の芸術と名声の基盤にしていた芸術

家の作品としてそれらを観るわれわれも、こう自問する義

務はないのではないか。「おそらく、性交のヴァリエーショ

ンをかくも真剣な4 4 4

やり方で表現することを、自嘲の一形態

とみなすべきではないのではないか?」。

 まったく同様に、タフーリが最も称賛する芸術家のひと

り、ジュリオ・ロマーノを論じた論文の随所で『愛の体位』に

言及する際に持ちだした修辞学的な問いが、現在も有益

と受け取られるようわれわれは願っている。本誌は笑顔

でめくるのがよいと思われるが、すでにキリスト登場の2世

紀前に、クリシッポスが「善は楽しい、楽しいものは高貴で

ある、高貴なものは美しい」と考えていたことを忘れてはな

らない。それこそ、カルロ・スカルパの膨大なスケッチが明

白に求めてくるものであり、アルヴァロ・シザのデッサンが暗

に示唆するものと思われる─本誌に掲載した彼らのス

ケッチは、それぞれまったく異なっているのだが。

身体とデッサン:ジュリオ・ロマーノの『愛モ ー デ ィ

の体位』と

カルロ・スカルパおよびアルヴァロ・シザの「方モーディ

法」

フランチェスコ・ダルコ参照|本誌pp.3-5

[デモクリトスか、ヘラクレイトスか]

それゆえわれわれは方向を換えて、人々が一般にもっ

ている悪徳は、すべて憎むべきものではなく、むしろ笑う

べきものと見るがよい。ヘラクレイトスよりもむしろデモクリ

トスを真似るがよいのだ─ヘラクレイトスは公衆のな

かに進んで行くたびに泣いたが、デモクリトスは笑った

からである。前者には人間のしていることがすべて哀

れに見えたが、後者には愚かに見えたのだ。それゆえ

われわれも万事を軽く見、楽な気持で堪えねばならぬ。

生をあざ笑うほうが、それを悲しむよりも人間にふさわし

い。更に、人類全般のためにも、それを嘆くより笑う者の

ほうが役立っていることを付言しなければならぬ。ルキウス・アンナエウス・セネカ『心の平静について』XV, 2, 3.

[邦訳書:茂手木元蔵訳、1980 /大西英文訳、岩波書店、2010]

15世紀の末にミラノのガスパーレ・ヴィスコンティ邸にブラ

マンテが描いたフレスコ壁画の断片には、ヘラクレイトス

の泣き顔とデモクリトスの笑い顔によって、セネカが言及

した哲学的な対照性が図像化されている。この作品が

与えるものが、本特集号に収めた論考を読む上で誘いと

してではなく助言として受け止められることをわれわれは

願っている。本号では論文とともに多くのデッサンを掲載

した。有名なものもあるが、特に本誌の後半部に載せた

ものの大半は未刊行のデッサンである。

 冒頭から読者はデモクリトス、プラトン、アリストテレスへ

の言及に出会うだろう。険しい道を辿りながら、ダリボル・

ヴェセリー(1932-2015)はウィトルウィウスからフランチェ

スコ・ディ・ジョルジョ、アルベルティ、チェザリアーノへと、われ

われを導いていく。この道程を進むうちに、身体(ミクロコ

スモス)と宇宙(メガロコスモス)を関係づけるアリストテレス

的概念から、中世の「mundus minor exemplum est ̶

maiores mundi ordine(小世界は規範であり、大世界は秩序で

ある)」の定式による再提示を経て、いかにルネサンス期に

ウィトルウィウスを介して西洋の近代的建築思想の基礎

の定義へと至ったかが理解できるだろう。また、この過程

において身体が果たした決定的な役割、身体を想像し

 ただし当然ながら、タフーリが語り、今回タルヴァッキア

が論述したアイロニーだけが、本特集号を読み解く際に

用いるべき唯一の鍵ではない。

 ヴェセリーが追求した長い道のりを辿り直してみよう。

4世紀から6世紀にかけてカエサレアのプロコピウスと偽

ディオニュシオスを通じて、身体の限界は「美」と神のみの

ものである「完全なる美」の違いを説明すると見なされ

ていた。人文主義時代以降、この差異は曖昧になり、身

体は美の源泉に変わった。建築のクオリティそのものも身

体的な性質を帯び、フィラレーテに「円柱は小人と巨人で

ある」と言わしめた。物理的自然の魂(concretum corpori

spiritum)を考察したゼノンに倣って、身体の中心は霊魂

の在処であると言われた。それゆえ、身体から調和の尺

度と比例が生まれ、数がそれらを構成するヴォキャブラ

リーになった。建築設計は、それを変化させて成長した。

ルネサンス期のいくつかの建築設計が示すように、建築

家は設計を通して、定形のないものや計測しにくいものの

中に、曖昧な物質性に隠された身体の尺度を導入した。

そして建築家は、アルベルティからパッラーディオに至るま

で、自分たちの仕事は世界の隠された調和を明らかにす

ることと考えた。尺度と比例から秩序が生まれる。すなわ

ち、「基準を伴う」宇コスモス

宙が「物事の正しい配置であり、それ

が世界の秩序になった」とアナンダ・K・クマラスワミは説

明する。そこから建築的装飾(Kosmopoiesis)という意味が、

「よって『秩序』の名称」が派生し、空間を満たす装飾が

生まれて─クマラスワミはさらに続けて─「それに必

要なものを揃え、供給し、準備した」。

身 体とデッサン

ドナート・ブラマンテ:ヘラクレイトスとデモクリトス、1486-87

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07

-Figs.8, 9:ロバート・フラッド『大小両宇宙誌、形而上学、物理学、

歴史の技術について』、フランクフルト、1617|扉絵、大宇宙の図

-Fig.10:チェーザレ・チェザリアーノ『ルキウス・ウィトルウィウス・ポリ

オの建築十書について、ラテン語から俗語訳、挿図つき』、コモ、

1521|徳人を描いたペルシアのポルティコ、c.VII r.

-Fig.11:ジョヴァンニ・パオロ・ロマッツォ『絵画神殿のイデア』、パオ

ロ・ゴッタルド・ポンティオ、ミラノ、1590|扉絵

-Fig.12:フランチェスコ・ディ・ジョルジョ|レオナルドの書き込みのあ

る紙の上部に描かれた円柱、柱頭、付け柱|フィレンツェ、ラウレン

ティアーナ図書館、codice Ashburnham 361 , f.13v|複製と細部

-Fig.13:フランチェスコ・ディ・ジョルジョ『市民建築・軍事建築論』

(codice T)|トリノ、王立図書館、codice Saluzziano, f.15r

-Fig.14:フランチェスコ・ディ・ジョルジョ|ティヴォリのハドリアヌス別

荘、ペルージャのサンタンジェロ教会、人物像のある柱頭|フィレ

ンツェ、ウッフィーツィ美術館、U335 Ar

-Fig.15:黄道帯を伴う人体解剖図|『ベリー公のいとも豪華なる

時祷書』、ランブール兄弟による細密画入り写本、c.1412|シャン

ティイ、コンデ美術館

-Fig.16:H・クローク『小宇宙誌。人体の描写』、ジャガード、ロンド

ン、1615|扉絵

-Fig.17:フランチェスコ・ディ・ジョルジョ|ある教会の立面図の尺

度としての若者の身体|フィレンツェ、ラウレンティアーナ図書館、

codice Ashburnham 361 , f.38 v

-Fig.24:アルブレヒト・デューラー『人体均衡論四書』、ヒエロニム

ス・アンドレアエ、ニュルンベルク、1528

[パラッツォ・テについて]

古代への 変メタモルフォース

身と古代ローマの住ドムス

宅への観念的参照

が(パラッツォ・テの)玄関口で明々白々になる。このスキー

ムはサンガッロ兄弟やラファエロと共有したウィトルウィ

ウス的アトリウムの一解釈に対応している。玄ウェスティブルム

関の間を

横切る構成的な軸線は、透視図法的望遠鏡の筒と中

庭やダヴィデのロッジア、さらに庭園につながる1本の通

路と重なっている。

デッサンのおかげで、ジュリオ・ロマーノはパラッツォ・テの

建築を造形し、細かなディテールにも装飾的意匠を強

調した。100枚以上の自筆デッサンにはフレスコ壁画と

ストゥッコ装飾の構想が描かれている。ラファエロと違

い、ジュリオは 着インヴェンツィオーネ

想 のみならず、デッサンによる推敲

のほとんどを手中に収めた。褐色インクのペンは、パラッ

ツォ・テに関するデッサンで好んで使われた道具だ。より

洗練度の高いデッサンには水彩も登場する。ジュリオ・

ロマーノの高度な素描技術には特別な創造的豊穣性

が反映されているが、彼のデッサンは多くの場合、異な

る方向性の実験というよりも、構想の漸進的な焦点化を

描き出している。アメデオ・ベッルッツィ

『ジュリオ・ロマーノ:パラッツォ・テのアモルとプシケ』、2006年[Figs.A, B, 1, 24]

『愛の体位』のスキャンダルと成功の略史

ベッテ・タルヴァッキア参照|本誌pp.24-40

クロッカスの金色の男根が 春の風の中で屹立してい

る ここには死んだ神々はいない 春の祭典の行進が

あるのみだ おおジュリオ・ロマーノよ 汝の魂が住むに

ふさわしい世界エズラ・パウンド「性交(Coitus)」『ペルソナ』、1926年

冒頭に載せた詩句は、挑発的にも『Coitus(性交)』と題さ

身 体とデッサン─ジュリオ・ロマーノ

Fig.24:ジュリオ・ロマーノ|オリンピアを誘惑するユピテル、1525 -35|パラッツォ・テ、プシケの間|この絵はプルタルコスの『アレクサンドロス大王伝』から着想された。ユピテルがオリンピアの上に覆い被さる一方、この光景を扉から覗くマケドニア王フィリップの目を黒鷲が雷電で潰している

Fig.1:ジュリオ・ロマーノ| 2人の恋人たち、1523 -24

Fig.B:同、プシケの間

Fig.A:ジュリオ・ロマーノ|パラッツォ・テ、マントヴァ、1525-35

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21

動き始めた時代から II 藤井博巳

聞き手=小巻哲

前回(CBJ853号)のインタビューでは、藤井博巳氏が1960

年代から現在にかけて建築家としていかに海外と関

わってこられたかを、経歴書的に語っていただいた。本

号では、特にヨーロッパで経験し日本で思考し続けてきた

コンセプトについて聞かせていただく。それは後に藤井

氏が自身の建築を説明した文章において、「古典主義建

築が持っている均衡、調和、安定性、さらには統合性と

いった原理からの脱出あるいはそれらへのアンチ(反)と

いった意図から生まれてきた……」と述べていたことに

由来する[注1]。まさに古典主義建築の宝庫たるヨーロッ

パから発現したモダニズムが曲がり角を迎えていた時代

に、氏は建築の思考を開始したのである。それは今なお

揺れ動いているモダニズム─死に絶えたと私は考え

ていない─を再考するヒントになろうかと思っている。

現在の建築を考えるための方法論のひとつとして一読

いただければ幸いである。[小巻哲/CBJ監修者]

アンガージュ(参加)とエージェント(代理人)

藤井─日本に帰ってから建築の設計をする際に、古典

主義建築に対するアンチな姿勢が大きかったような気が

します。どう捉えるかによっても違うのでしょうが、古典主義

をいわゆる作家主義というか、ひとつの価値観を創りあげ

ていく表現に向かう建築の作り方だとすると、近代という

のは個人や自由などといった人間の主体を重視するよう

なかたちで出てきたのだと思います。つまり、ひとつのイズ

ムや価値を中心にした作り方ではなく、個人個人の価値

観・嗜好性・感性などを重視することが近代の大きな流れ

だと私は思っていました。

 そうした考え方に関連するような活動をしていた一人

が、アンジェロ・マンジャロッティでした。私がミラノの事務

所にいた当時、マンジャロッティは「アノニマス/無名性の

建築」ということを自身で明言していました。彼のデザイ

ンへの入口としては、家具やインテリアの組み立てです。

住宅も同様で、日本の木造建築のシステムに対して非常

に興味を持っていました。各エレメントを全て部品化して、

それらを現場で組み立てていくことを彼は仕事として

やっていた。ある意味でそれは、利用する市民たちの建

築や家具を作ることへの参加/アンガージュをプロデュー

スしようという意識が強かったのではないかという気がす

るんです。[Figs.1 -2]

 またこうした意識は、ピーター・スミッソンには関係ない

ように見えますが……。スミッソンというと、都市と関係

が強くイメージされてしまう。しかし、私は建築について

も、彼は興味ある考えを持っていた建築家であると思っ

ています。スミッソンは、1949年のコンペに勝って、ハンス

タントンの中学校を建てました(1954)。その当時、恐らく、

これを見た人は驚いたことだと思います。イリノイ工科大

学でミースが実現した建築と外観が似ているという以上

に同じだったからです。このことは、影響とか模倣とかを

考える以上に、そこに何かの意図を考えざるを得なかっ

た。確かにあったと私は思います……。これについては

『Architecturel Design』誌上で発表した数々の論文か

ら、そのことが伺えると思います。彼にとっては、外観のデ

ザインよりは、建築の内部で、そこで仕事をしたり、生活す

る人たちの行為が重要で、それをつくり出す外観、ここで

は境界をつくり出すことが可能なフレーム状の外観があ

ればそれでよかった。ですから、ミースでも、ル・コルビュジ

エでもよかったんです。スミッソンは、特にチャールズ・イー

ムズの家への評価が高く、以前からハウスとホームの違

いについてはいろいろと言っていたと思います。このこと

については、日本ではあまり語られることがないのですが

……。[Fig.3]

 彼が『AD』誌に書いたカーテンレールについての文章

を読むと、ハンスタントンの中学校の建築と意図がつな

がっているのが分かると思います。彼にとってカーテン

レールはデザインされたボックスに綺麗に形式的に収まっ

ている必要がない。それよりは人が具体的に、ただ機能

的にだけではなく、それと同化できる、身体化されたフォー

ムをもったカーテンレールが要求されるわけです。実際に

は、ハンスタントンの中学校でも、洗面所には給水管は

あっても排水管がない。排水管にする費用、それの使用

上のトラブルを考えると、排水を側溝にして、それとアイデ

ンティファイされたフォームをデザインする─こうした考

えは、古くからイギリス人の内にある伝統的なものだと思

いますが。また、1956年にロンドンで開かれた「未来住

宅」展にもそのことが感じられると思います。生活に使わ

れてきた歴史的な事物の断片─例えば時計の歯車

C A S A B E L L A J A P A N トーク

Fig.1:マンジャロッティ|マルチアゼーニ(カゼルタ)の工場の中心施設、3スパン分の模型

Fig.3:A+P・スミッソン|ハンスタントン中学校、洗面所

Fig.4:同、外観

から始まって食器、家具や道具等の断片が、これが住宅、

つまりホームなのだと言わんばかりに並べられてある。そ

こで私が感じられたことは、彼が作家として、ダイレクトに

自分の造形や表現を押し出すのではなくて、自分の能力

を媒介にして「エージェント/代理人たらん」という強い意

識があったということです。そのように彼は建築に関わっ

ていたのではないかと思う。建築にエージェント的な意識

で関わるという意味では、マンジャロッティとスミッソンには

共通するところがある。ただしマンジャロッティは、より現実

的で具体的な建設─組立工法など─に関わること

によって、それをやってきたが、どちらかというとスミッソン

は人間の意識の問題を中心に考えてきた。彼は人間のア

イデンティティやイメージを持って参加していくという建築

の作り方を考えていたのではないかと思います。1982年

の『AD』誌の特集号では、「シフト」というテーマを掲げて

います。そのシフトとは、自分の作家能力のすべてをエー

ジェントとしての能力にシフトしていくということです。そうし

た概念の仕組みを試みたのではないかという気もしま

す。建築への関わり方を、エージェント的な姿勢で考えた

Fig.2:同、骨組を組み立てているところ

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