超低体温循環停止法の問題点とその対策jspccs.jp/wp-content/uploads/j1404_531.pdf ·...

3
日本小児循環器学会雑誌 14巻4号 531~533頁(1998年) <li】ditorial Comment> 超低体温循環停止法の問題点とその対策 千葉県こども病院・心臓血管外科藤原直 本号に掲載された椎名らの論文では総肺静脈還流異常症の術後中期遠隔成績と単純超低体温法自体の遠隔 期予後の2つ問題を提起している.総肺静脈還流異常症の手術早期成績は近年画期的に向上し,当院でも21例 中LSVCに垂直静脈がっながっていた特殊な1例以外の早期死亡例はなく,術後に腹膜灌流を要した症例も なかった.この点では問題は少なくなり,焦点は遠隔期の肺静脈狭窄や不整脈などの合併症に移っている.椎 名らの論文でも2例に術後の肺静脈狭窄が認められているが,他の施設でもある程度の頻度で出現しており, 未解決の問題も多い.また,治療を要する不整脈はなかったと記載されているが,電気生理学的検査による洞 結節機能の評価などさらに詳細な検討が必要と考えられる. 手術早期成績の向上に寄与した手術の補助手段については施設による差異が大きく,心拍動下かcardio- plegiaによる心停止下か,循環停止を行うか体外循環のみか,大きく分かれいる.循環停止法については,臨 床応用されて以来多くの研究がなされ,手術成績の向上に多大な貢献があったことは周知の通りである.近年 は循環停止の脳に与える影響についての研究が盛んになっており,新しい検査法や指標による検索がなされ, 興味深い知見も得られている.trascranial Doppler sonography, near-infrare 酸素飽和度測定法,S-100タンパク測定法などによる臨床的研究が挙げられる.Greeleyら1)はtrascrani pler sonographyや脳代謝の面から275例の新生児・乳児例のreviewを行い,多くの患者では2 血流量や代謝は正常に復するが,脳血流量の低下に伴って脳酸素代謝が改善しない患者も見られると述べてい る.体外循環による冷却の時間が脳代謝の抑制に直接関連し,循環停止より低流量体外循環の方が回復を改善 し,氷による脳局所冷却も有効であったと報告している.Jonassenら2)はtrascranial Dopple 用いて36例を循環停止群,低流量灌流群,中等度低体温群に分け解析を行った.循環停止群では67%に体外循 環後に脳血管抵抗の高い状態がみられ,低流量灌流群では44%で,中等度低体温群では全く認められなかった と報告している.さらに,加温前のcold flow reperfusionが有効であったと付け加えている.脳の 度の変化をnear-infrared spectroscopyにより分析した報告3)では,循環停止中の酸素飽和 62%にのぼり,酸素飽和度のhalf・lifeは加齢と共に長くなると述べ,神経学的異常を来した症例では他の例に 比べ人工心肺による冷却中の酸素飽和度の上昇が有為に少なかったと報告している.Kernら4)は頚動脈酸素飽 和度を測定し,低体温に至る冷却法の違いによる差を検討している.熱交換器への水温を4-5℃のまま冷却 する群と18℃から始め徐々に12℃まで下げていく群の2群を比較し,冷却時間に有意の差を認め,頚静脈酸素 飽和度も急速冷却群が平均98%で,緩徐冷却群は平均86.2%と有意に低値であったと報告している.頚動静脈 酸素飽和度の差も急速冷却群平均0.3%,緩徐冷却群平均10.8%と急速冷却群の方が効率良く脳の冷却が行わ れている事が示されている.脳の構造的障害を反映すると言われる血清中S-100タンパク濃度を測定した研究 では,Lidbergら5)が循環停止例で有意に高く,新生児で循環停止を受けた例では5時間後も高値を示していた と報告している.これらの報告の多くは循環停止法が周術期に脳に与える悪影響を定量的に示したものと考え られる. 一方,遠隔期については,椎名らの論文では脳波や脳CTには異常がなかったと良好な結果が記載されてい るが,Millerら6)はMRIによる検討を行い,26-180か月時に検査を行った23例中実に17例(74% 認められたと述べている.さらに45分以上の循環停止を行った例では9例中7例に異常所見が認められ,45分 以下あるいは循環停止を行わなかった例に比し有意に頻度が高く,うち6例には神経学的異常所見が認められ たと報告している.また,神経学的検査や精神発達の面から循環停止の影響を検討した報告もみられている. Boston小児病院では完全大血管転位症171例を対象とした大がかりな一連の研究が行われており,循環停止群 と低流量灌流群とを比較している.術後急性期の検討7)では,循環停止群の方がclinical seizureの発生頻 Presented by Medical*Online

Transcript of 超低体温循環停止法の問題点とその対策jspccs.jp/wp-content/uploads/j1404_531.pdf ·...

Page 1: 超低体温循環停止法の問題点とその対策jspccs.jp/wp-content/uploads/j1404_531.pdf · 高度希釈(ヘマトクリット5%)での循環停止法の正当性を述べている.これに対し,Jonas1°)は論評を掲載し,

日本小児循環器学会雑誌 14巻4号 531~533頁(1998年)

<li】ditorial Comment>

超低体温循環停止法の問題点とその対策

千葉県こども病院・心臓血管外科藤原直

 本号に掲載された椎名らの論文では総肺静脈還流異常症の術後中期遠隔成績と単純超低体温法自体の遠隔

期予後の2つ問題を提起している.総肺静脈還流異常症の手術早期成績は近年画期的に向上し,当院でも21例

中LSVCに垂直静脈がっながっていた特殊な1例以外の早期死亡例はなく,術後に腹膜灌流を要した症例も

なかった.この点では問題は少なくなり,焦点は遠隔期の肺静脈狭窄や不整脈などの合併症に移っている.椎

名らの論文でも2例に術後の肺静脈狭窄が認められているが,他の施設でもある程度の頻度で出現しており,

未解決の問題も多い.また,治療を要する不整脈はなかったと記載されているが,電気生理学的検査による洞

結節機能の評価などさらに詳細な検討が必要と考えられる.

 手術早期成績の向上に寄与した手術の補助手段については施設による差異が大きく,心拍動下かcardio-

plegiaによる心停止下か,循環停止を行うか体外循環のみか,大きく分かれいる.循環停止法については,臨

床応用されて以来多くの研究がなされ,手術成績の向上に多大な貢献があったことは周知の通りである.近年

は循環停止の脳に与える影響についての研究が盛んになっており,新しい検査法や指標による検索がなされ,

興味深い知見も得られている.trascranial Doppler sonography, near-infrared spectroscopy,頚静脈球部

酸素飽和度測定法,S-100タンパク測定法などによる臨床的研究が挙げられる.Greeleyら1)はtrascranial Dop-

pler sonographyや脳代謝の面から275例の新生児・乳児例のreviewを行い,多くの患者では24時間以内に脳

血流量や代謝は正常に復するが,脳血流量の低下に伴って脳酸素代謝が改善しない患者も見られると述べてい

る.体外循環による冷却の時間が脳代謝の抑制に直接関連し,循環停止より低流量体外循環の方が回復を改善

し,氷による脳局所冷却も有効であったと報告している.Jonassenら2)はtrascranial Doppler sonographyを

用いて36例を循環停止群,低流量灌流群,中等度低体温群に分け解析を行った.循環停止群では67%に体外循

環後に脳血管抵抗の高い状態がみられ,低流量灌流群では44%で,中等度低体温群では全く認められなかった

と報告している.さらに,加温前のcold flow reperfusionが有効であったと付け加えている.脳の酸素飽和

度の変化をnear-infrared spectroscopyにより分析した報告3)では,循環停止中の酸素飽和度の減少は平均

62%にのぼり,酸素飽和度のhalf・lifeは加齢と共に長くなると述べ,神経学的異常を来した症例では他の例に

比べ人工心肺による冷却中の酸素飽和度の上昇が有為に少なかったと報告している.Kernら4)は頚動脈酸素飽

和度を測定し,低体温に至る冷却法の違いによる差を検討している.熱交換器への水温を4-5℃のまま冷却

する群と18℃から始め徐々に12℃まで下げていく群の2群を比較し,冷却時間に有意の差を認め,頚静脈酸素

飽和度も急速冷却群が平均98%で,緩徐冷却群は平均86.2%と有意に低値であったと報告している.頚動静脈

酸素飽和度の差も急速冷却群平均0.3%,緩徐冷却群平均10.8%と急速冷却群の方が効率良く脳の冷却が行わ

れている事が示されている.脳の構造的障害を反映すると言われる血清中S-100タンパク濃度を測定した研究

では,Lidbergら5)が循環停止例で有意に高く,新生児で循環停止を受けた例では5時間後も高値を示していた

と報告している.これらの報告の多くは循環停止法が周術期に脳に与える悪影響を定量的に示したものと考え

られる.

 一方,遠隔期については,椎名らの論文では脳波や脳CTには異常がなかったと良好な結果が記載されてい

るが,Millerら6)はMRIによる検討を行い,26-180か月時に検査を行った23例中実に17例(74%)に異常が

認められたと述べている.さらに45分以上の循環停止を行った例では9例中7例に異常所見が認められ,45分

以下あるいは循環停止を行わなかった例に比し有意に頻度が高く,うち6例には神経学的異常所見が認められ

たと報告している.また,神経学的検査や精神発達の面から循環停止の影響を検討した報告もみられている.

Boston小児病院では完全大血管転位症171例を対象とした大がかりな一連の研究が行われており,循環停止群

と低流量灌流群とを比較している.術後急性期の検討7)では,循環停止群の方がclinical seizureの発生頻度が

Presented by Medical*Online

Page 2: 超低体温循環停止法の問題点とその対策jspccs.jp/wp-content/uploads/j1404_531.pdf · 高度希釈(ヘマトクリット5%)での循環停止法の正当性を述べている.これに対し,Jonas1°)は論評を掲載し,

532-(40) 日小循誌 14(4),1998

高く,脳波の連続モニターでのictal activityが出現し易く,脳波の再出現までの時間が長くなり,脳のCKア

イソザイムであるBB-CKが高値を示したと報告されている.術後1年の検討8}では, Bayley sclaleの

psychomoter development indexを測定し,循環停止群の方が低値を示し,循環停止時間の長さと逆相関し,

周術期に脳波にてseizure activityが認められた例ではより低い値を示したと述べている. mental develop-

ment indexやMRIでの異常所見では両群で有意の差は無かったと報告している. Ekeら9)は同じindexを用

い,心臓移植時の循環停止例について検討を行い,psychomoter development indexは平均91で, mental

development indexは平均88であったと記述している.冷却速度や循環停止時間とに有意の関係はみられず,

高度希釈(ヘマトクリット5%)での循環停止法の正当性を述べている.これに対し,Jonas1°)は論評を掲載し,

反論を行っている.Hδvels-GUrichら11)はイ氏流量灌流を併用した循環停止にて行った動脈スイッチ手術77例を

対象に,Kaufman assessment battery for childrenなどを用いて認識や運動の発達を検討した.神経学的障

害は9.1%に見られ,normal populationに比して高い頻度で認められ, motorfunction, vocabulary, acquired

abilityなどがnormal populationに比して劣っていたと報告している.椎名らの行っている単純低体温法は,

体外循環を使用しない方法で,上記の多くの循環停止法とは異なる方法である.体外循環の悪影響を受けない

優れた方法であるが,技術的に困難なため一部の施設しか行われていない.このため,その遠隔成績などは貴

重な研究となるため,精神発達の点でもより定量的な検討を期待したい.

 これらの遠隔期の脳への影響をできるだけ少なくするための臨床的あるいは実験的研究も多く行われてい

る12).pH strategy,至適ヘマトクリット,心筋保護液に準じた脳保護液を用いた“cerebroplegia”13)など,

より脳障害を残さない循環停止法の追求がなされている.しかしながら,我々14)を含め本邦では現在のところ

できるだけ循環停止を行わない方針の施設が多く,欧米の施設とは一線を画しているように感じられる.長期

的に見ていずれの方向が脳障害を克服する近道かは時の経過を待つしかないが,患児の生活の質的向上や社会

的貢献のうえで最も重要な課題であることは確かである.

                        文  献

1)Greely WJ, Kern FH, Meliones JN, Ungerleider RM:Effect of deep hypothermia and circu]atory arrest on

  cerebra]blood flow and metabolism. Ann Thorac Surg 1993;56:1464-1466

2)Jonassen AE, Quaegebeur JM, Young WL:Cerebral blood flow velocity in pediatric patients is reduced after

  cardiopulmonary bypass with profound hypothermia. J Thorac Cardiovasc Surg l 995;110:934 943

3)Kurth CD, Steven JM, Nicolson SC:Cerebral oxygenation during pediatric cardiac surgery using deep

  hypothermic circulatory arrest. Arlesthesiology 1995;82:74-82

4)Kern FH, Ungerleider RM, Schulman SR, Meliones JN, Schell RM, Baldwin B, Hickey PR, Newman MF,

  Jonas RA, Greeley WJ:Comparing two strategies of cardiopulmonary bypass cooling on jugular venous

  oxygen saturation in neonates and infants. Ann thorac Surg 1995;6011198-1202

5)Lindberg L, Olsson AK, Anderson K, Jdgi P:Serum S-100 protein levels after cardiac operations:Apossible

  new marker for postperfusion cerebral injury. J Thorac Cardiovasc Surg l998;116:281 285

6)Miller G, Manourian AC, Tesman JR, Baylen BG、 Myers JL:Long-term MRI changes in brain after pediatric

  open heart surgery. J Child Neurol l994;9:390-397

7)Newberger JW, Jonas RA, Wernovsky G, Wypij D, Hicky PR, Kuban KCk, Farrell DM, Holmes GL, Helmers

  SL, Constantinu J, Carrazana E, Barlow JK, Walsh AZ, Lucius KC、 Share JC, Wessel DL, Hanley FL, Mayer

  JE, Castaneda AR, Ware JH:A comparison of the perioperative neurologic effects of hypothermic circula-

  tory arrest versus low-flow cardiopulmonary bypass in infant heart surgery. N EngI J Medユ993;329:1057

  -1064

8)Bellinger DC, Jonas RA, Rappaport LA, Wypij D, Wernovsky G, Kuban KCk, Barnes PD, Holmes GL, Hicky

  PR, Stand RD, Walsh AZ, Helmers SL, Constantinu J, Carrazana E, Mayer JE, Hanley FL, Castaneda AR,

  Ware JH, Newberger JW:Developmental and neurologic status of children after heart surgery with

  hypothermic circulatory arrest or low-flow cardiopulmonary bypass. N Engl J Med]995;332:549555

9)Eke CC, Gundry SR, Baum MF, Chinnock RE, Razzouk AJ, Bailey LL:Neurologic sequelae of deep

  hypothermic circulatory arrest in cardiac transplantation、 Ann Thorac Surg 1996;61:783 788

10)Jonas RA:Deep hypotherlnic circulatory arrest:Aneed for caution. Ann Thorac Surg 1996;61:779-780

11)H6vels-GUrich HH, Seghays MC, Dtibritz S, Messmer BJ, Bernuth GV:Cognitive and motor development in

Presented by Medical*Online

Page 3: 超低体温循環停止法の問題点とその対策jspccs.jp/wp-content/uploads/j1404_531.pdf · 高度希釈(ヘマトクリット5%)での循環停止法の正当性を述べている.これに対し,Jonas1°)は論評を掲載し,

平成10年7月1日                                        533 (41)

   preschool and schoo1-aged children after neonatal arterial switch operation. J Thorac Cardiovasc Surg 1997;

   114:578-585

12)Jonas RA:Neurological protection during cardiopulmonary bypass/deep hypothermia. Pediatr Cardiol

   1998;19:321-330

13)Aoki M, Jonas RA, Nomura F, Stromski ME, Tsuji MK, Hicky PA, Holtman D:Effects of cerebroplegic

   solutions during hypothermic circulatory arrest and short-term recovery. J Thorac Cardiovasc Surg 1994;

   108:291-301

14)横山晋也,松尾浩三,藤原 直,地引利昭,岡嶋良知,青墳裕之:完全循環停止・心停止を行わない左心低形成症候

   群に対するNorwood一期手術の1例.日胸外会誌 1997;45:1562-1567

Presented by Medical*Online