「サムライ」への階段【プロフィール】...

Post on 23-Mar-2020

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【プロフィール】1964年生まれ。新潟県柏崎市出身。1983年3月 柏崎高等学校卒業。1988年3月 駒沢大学卒業。 大学卒業後は外車ディーラーを経て、1998年に株式会社電通東日本に入社。アルビレックス新潟の広報担当として、プロモーション活動、クラブスポンサーサンクスデーの企画、J1 昇格・優勝パレードの企画等を担当し、プロスポーツを通じた地域の活性化を現場で体験する。2006年3月同社を退社。 同年7月株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティングを設立、代表取締役に就任。

プロ野球独立リーグ ルートインBCリーグ 代表株式会社ジャパン・ベースボール・マーケティング 代表取締役

 村山 哲二

染めず野球部を辞めて、転校を余儀なくされてしまいます。中途半端に野球を辞めてしまったことへの後悔もあり、自分を育ててくれた母親に相談した時、「もし、もう一度野球をやるなら、何が何でも野球をやり切りなさい」と言われたそうです。その母親の言葉に覚悟を決めて、2018年4月、高校卒業と同時に新潟球団に練習生として入団しました。現役選手を含めて、彼の身体能力は抜群でした。走力、筋力、持久力、殆どのデータで彼は他の現役選手よりも高い数値を出して、皆を驚かせました。しかし、選手登録をされたものの、彼はまだチーム最年少の18歳。抜群のスピードを活かし凄いファインプレーをするかと思えば、何でもないゴロをエラーする等、技術と心のバランスを保つことに苦労しているように見えました。2年目を迎えた春、成長を遂げようと懸命に努力を続ける彼を視察に来た横浜球団の進藤達哉スカウト(横浜が日本一になった時のスーパースター)が、呟きました。「彼の身体能力、スピードはこのリーグではずば抜けていてNPBでも1軍レベルです。今後、正しい努力を重ねることが

先日、横浜DeNAベイスターズの三原球団代表から興味深い話を聞きました。「村山さん、独立リーグからドラフト指名を受けて入団して来る選手は、ファンに大変人気があり、グッズもよく売れます。何故なら彼らには“ストーリー”があるのです。普通、NPB(巨人、阪神などの12球団)にドラフト指名される選手の殆どは、高校では甲子園で大活躍して、大学でも神宮で大活躍し、その年に注目を集めた有名校出身のスーパースターばかりです。しかし、独立リーグからドラフト指名されて入ってくる選手達の殆どが、一度何らかの理由で野球界のレールからこぼれ落ちた選手で、こうした厳しい環境から這い上がって来ていることを知ったファンが、特別な想いを持って応援してくれるのです」。私は三原代表の話を聞いて、昨年、新潟アルビレックスBCから横浜DeNAベイスターズにドラフト6位で指名を受けた、三条市出身の知野直人選手(20歳)の顔が頭に浮かびました。彼は、三条の中学校を卒業した後、福島の名門、聖光学院に野球で進学します。1年秋からベンチに入る程期待されていましたが、雰囲気に馴

第2回

「サムライ」への階段

(題字:村山哲二)

ホクギンMonthly 2019.10

ルートインBC(ベースボール・チャレンジ)リーグ の概要2007年に4球団でスタートした、プロ野球独立リーグ。滋賀、福井、石川、富山、長野、新潟、群馬、埼玉、栃木、福島、茨城の11県を舞台として、11球団で運営されている。ルートインBCリーグの設立目的は「野球を通じて地域社会を活性化させ、貢献する」。地域貢献活動を球団に義務づけており、地域の子供達のためのプロ野球を創る。

できれば、近い将来、サムライのユニフォームを着ることも夢ではない」と。6月、私は試合前に監督から許可を頂いて、彼と面談をしました。自らを追い込む厳しい練習と、周囲の期待に応えようと極度のストレスに苦しんでいる彼に、進藤スカウトが日本代表のポテンシャルを持っていると語ったこと、そして「NPBにドラフト指名を受けることが目標ではなく、NPBでレギュラーを掴み取り、サムライジャパンの選手として、日本中の野球少年が憧れる選手になることを目標にしなさい。この目標は、君しかできないし君なら出来る」そう伝えました。彼は、目をぱちくりさせながら私の話を聞いていましたが、その言葉が効いたかどうかは別にして、その5か月後に横浜に指名を受けました。その後、彼と食事をした時、「あの時の言葉で頑張ろうと思った」と言われた時は嬉しかった。私は、サムライのユニフォームを着て日本中の子供たちの憧れの存在になることが母親への恩返しだと伝え、彼を送り出しました。

2019年春、彼は2軍の公式戦に内野のレギュラーとして出場します。同期入団には、大学日本一になった4番もいる中で、開幕当初、彼は全く通用しませんでした。打率は彼の身長に届かず、映像を見ても、レベルの高い投手の変化球にクルクルバットが回りました。しかし、7月後半くらいから、徐々にですが、彼の成績に変化が現れます。決して多くはないものの、1試合に1本くらいヒットを記録するようになりました。打率も徐々に上がってきました。チームの中で、彼は彼にしかない武器を発揮し出していました。それは“努力する才能”です。2月のキャンプからずっと、彼は最初にグラウンドに来て、そして居残り練習に明け暮れていました。どんなに厳しい練習でもついて行ける体力と気力があります。先日、2軍の公式戦では、昨年、甲子園を沸かせた花巻東高校のスーパースター、日本ハムのドラフト1位、吉田輝星投手から特大の決勝ホームランを放ちました。来年の8月、エコスタ3連戦に凱旋した彼がショートで活躍することを期待せずにはいられません。

《おまけ》今年7月、事務所に三条の桃

が届きました。送り主の「知野直人」を見て驚きました。入団した頃はやんちゃ坊主

だった彼が、こんな気遣いが出来る程野球を通じて成長していること、そして桃があまりにも甘くて美味しかったことに感動して涙が出ました。

新潟アルビレックスBC当時の知野直人選手

ホクギンMonthly 2019.10