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Hitotsubashi University Repository

Title シェイクスピアの心

Author(s) 富原, 芳彰

Citation 一橋論叢, 47(4): 375-391

Issue Date 1962-04-01

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/3370

Right

ギ信組週掴司

常山

シェイクスピアの心

「千万の心を持ったシェイクスピア」

(RB1spsgp

amEH84233〉という、

s-T・コールリァジの言

葉は、シ且イクスピアの作品を読み終った時のわれわれ

の心に残る印象をよく言いあらわしている。シェイクス

ピアは第二の自然を創造したなどということも言われ

る。たしかに、人間というものを、シ品イクスピアほど

多様の相において、また大きな振幅において捕えた作家

は古来稀であると言ってよいであろう。ハムレァト、マ

クペス、オセロ

1、リア、フォールスタフ、ロミオとジ

ュリエ

yト、シャイロック、イヤ

1ゴ

l、へンリl五世、

リチャ

IV三世、ロザリンド、機織りのポトム、ジュリ

アス・シ

1ザ1、アントニ

1とクレオパトラ、プロスペ

ロ1、オフィ

1リア、等々と、すぐに思い出す名前を思

い出すままに並べ、それらの人物と、それらの人物が登

A-1-4a量調適温明日ー河戸川い弘

i

揚する世界とを心の中にもう一度思い起してみるなら

ば、それだけでも、われわれは、そこに多種多様に、あ

るいは深くあるいは高く、ある時は軽やかにたのしく、

ある時は暗く深刻に、またある時は夢幻的にある時はき

わめて現実的に、豊かな色彩をもって展開するシェイク

スピアの世界が、ほとんどきわまりなく拡がって行く思

いを抱くであろう。ハムレ

y

トは、デンマークの宮殿を

訪れた旅役者たちに向って、芝居の目的は「いわば、自

然に向けて鏡をかかげること」

(28HHOE-SJdqRPFO

BぽB司CM

ニogZFuw口同・ロ・

813であると言っている

が、おそらくシ且イクスピア自身も、彼の作品を書く時、

そのような気持を持っていたであろう。ただ、シェイク

スピアがかかげた鏡は、いわば魔法の鏡であって、そこ

に映し出された自然は、変幻自在、千変万化の姿を示し

375

だ。「千万の心を持ったシ且イクスピヂ」という印象は、

たしかに正しい。

そういう印象の正しさを十分にみとめた上で、なおか

つわれわれは、「千万の心」を統一する一つの心を感知す

ることができる。この一つの心をわれわれが感知するこ

とができるからこそ、シェイクスピアは「千万の心」に

分裂してしまわずに、一つの世界としての統一を確保し

得るのであり、確保しているのである。「千万の心」を

一つにつなぎとめているこの心をわたくしはシェイクス

ピアの心と呼ぶ。言いかえれば、それはシェイクスピア

の精神の個性である。

循環論めくが、シェイクスピアの心の最大の特徴は、

融通無艇、自由に「千万の心」に変じ、万物に化し得た

ところにある。詩人キ1ツ

Qor口同

22・口出lH∞NCは、

「消極的にしていられる能力」

(EgmEgg宮古ロ

qJ

ということを言った。それはすべての有になりうる可能

性を秘めた無の境地と言ってもよいものであろう。自我

i

を固定し、限定された積極的自我を主張するのではな

く、無限定の自我が、時と所に応じて、カメレオンのよ

うに変貌し、太陽にも月にも海にも男にも女にもなれる

除AEF

能力が詩人にとってもっとも重要な能力であるとキ1ツ

は言った。そしてその時キ1ツは、誰よりもまずシェイ

クスピアを考えていたのである。

シェイクスピアの喜劇の一つに、『真夏の夜の夢』(与

bagss寄N

志向とuhbZ9S〉というのがある。アテネの公

爵シ

1シュ

1

スとアマゾンの女王ヒポリタとの婚礼の儀

がととのうに際して、アテネの若き男女四人のもワれた

恋がほぐれてしかるべく結ばれ、妖精の王オベロンとそ

の妃タイテイニアとの間のいさかいも解けて和解がで

き、機織職人ボトムをはじめとする町人たちが領主の婚

礼を祝して演ずる素人劇の上演をもって幕を閉じるとい

う、たのしい祝婚歌的性質をもった劇であるが、アテネ

郊外(実はイギリスの回閤)の夜の森を舞台として、夢幻

と現実とが交錯するふしぎな世界がそこに現出する。そ

れは、古典的ロマンスの世界と、夢幻的な妖精の世界と、

現実的土俗的な世界とが、揮然として融合し、調和して

いる世界である。シ品イクスピアの心は、『真夏の夜の

夢』を構成する三つの世界に自由に出入し、それらのお

のおのの意味を十分に生かしながら、なおかつそれらす

べてを統合して一づの調和のある世界を作り出し、常識 、,

d

37fJ

qhtJJ岨T

)平板性を突き破って展開する一つの自然の姿を啓一示レ

、いる。いわゆる自然科学が叙述し説明する自然の姿も

つの自然の姿であるにちがいない。しかし自然科学が

何日ら描き出す自然の姿が唯一の白然の姿ではない。人聞は自

u?

-b7 1

然科学とはちがった仕方で自然を認識することができる

し、また現に自然科学とはちがった仕方で自然の認識を

行ってもいるのである。詩は人聞がもっとも古くから持

ヲている自然認識の方法の一つである。

一体、自然

(EEB〉とは何であろうか。ハムレット

が言う「自然に向って鏡をかかげること」というのは、

言いかえれば、自然とは一体何であるかという質問を発

することである。ハムレァトのその言葉がシェイクスピ

アの創作の原理を代弁しているものとすれば(わたくし

は代弁していると思う)、シェイクスピアは根本におい

て常に右の質問を発していたと考えなければならない。

右のハムレァトの言葉に出て来るような意味において

シェイクスピアが「自然」と言う揚合にシェイクスピア

が意味するところの自然は、人間の外部にあって人聞を

取り囲んでいるというようなものではなく、人聞を含ん

で時間と空間町中に存在している何かである。それは

ハ寸百首

4P

噴射

11

?j1ir--JavtN同

4

「世界観」などと言う場合の「世界」とほぼ同巳もので

あると言ってよい。そのような意味での自然とは一体い

かなるものであろうか。と言うのは、人聞はそのような

自然の中に含まれ、その一部をなして存在している以

上、彼を含む自然全体が何であるかがわからないかぎり

は、人間とは何であるかがわからず、したがって、何で

あるべきかという規範も立たないからである。要する

に、シェイクスピアが自然とは何であるかを問う時、彼

の間いの核心にあるものは、人間とは何であるかという

聞いである。シェイクスピアは、もっとも深い意味にお

いてモラリストであった。

一五四篇のソネァトをはじめ、

いくつかの、普通の意味で言う詩の作品もある。しかし

わたくしはここでは一応それらの作品は除いて、いまは

彼の戯曲だけを考えている。文学作品においてはすべて

そうだとも言えるけれども、とくに戯曲においては、そ

の中の一切のことは人間の世界のこととして起る。しか

しシZ

イクスピアにおいては、人間の世界の出来事は、

単に人間の世界の出来事としてばかり起るのではなく、

人間の世界を中心に含んでそれよりももっと大きくひろ

シェイクスピアには、

377

が結晶凪弟、すなわち「自然」の中の出来事として起る。

シ晶イクスピアのドラマの世界は、狭く限定された人間

の世界ではなく、それを中心に含んでその周囲に連続し

てさらに大きくひろがる「自然」である。シェイクスピ

アの戯曲の中の人物は、そういう「白然」の中にあるも

のとして存在し、また行動する。シ品イクスピアの戯曲

の中の出来事は、そういう「自然」を舞台として起る出

w

来事である。

シェイクスピアの最晩年の作品の一つに『あらし』

q宮司

S官ろという戯曲がある。その中にエアリエル

という空霊

(ES包

qmt弘仲旬、〉と、キャリパンという怪

物が出て来る。エアリアルは天使と人間との中間物のよ

うな存在であり、キャリパンは人間と獣との中間物のよ

うな存在である。そして人間プロスベローはその両方を

彼の支配下においている。そればかりではない、彼は天

も地も彼の意志に従わせることができた。このことは、

シ品イクスピアのドラマの世界の及ぶ範囲を暗示する一

ウの明白な徴候として見ることができる。シ且イクスピ

アは天、地、人の一切を彼のドラマの中に登揚せしめる

ことができた。シェイクスピアのドラマ位、その・叩に

。1比EEF--Tlaw

F惨

天、地、人の一切が参加して来て作り上げるドラマであ

る。シェイクスピアの戯曲の非常に多くのものにおい

て、われわれはドラマが宇宙的規模において展開してい

ると感ずる。宇宙のドラマであると感ずる。

マクペスとその妻は、王位の纂奪を目的として、かれ

らの城の奥深く、深夜の閣の中で、正統の国王ダンカン

を斌殺した。人間の世界で秩序を破壊するこの行為が行

われたその夜、外界の天地もまた乱れた。マクベス夫妻

の犯行の行われた夜のあくる朝、そのことを知らずにダ

ンカン王を迎えに来た賞族の一人レノァクスはマクベス

に向って言う。

昨夜は実に荒れました。わたくしどもが宿をとって

おりましたところでは、煙突が風に吹き倒されまし

た。そして、人の話では、空中に悲歎の声が聞えたと

いうことです。断末魔の奇怪な叫び、そしてみじめな

世に新たに生み出されたはなはだしい騒乱と変事を予

言するおそろしい声が聞えたということです。閣の烏

〔註、ふくろうU

が一晩中わめきつづけました。大地が

おこりの熱にとりづかれて震えたという人もいます。

ハロ・正・

31まν

4 令

時吋

fLP

い11hahpfv

378.

-r引iM

‘や

官咽明

4d句、〆

ぞ、のつぎの場面(HH

・2)では、やはりスコアトランドの

貴族の一人ロスと一老人とがつぎの必うな会話を交わし

ている。

人生七十牛、その聞のことをわたしはよくお

ぼえています。その聞にわたしはおそろしい目にも遭

いましたし、ふしぎなことも見ております。しかし昨

夜のおそろしさにくらべれば、それらは物の数ではご

ざいません。

老人

ああ、御老人、見なさい、天も人間の所業に

乱れたか、その血なまぐさい舞台を陰欝に暗くしてい

る。時計では真昼だが、夜の閤がめぐり歩く灯火〔註、

太陽〕を掘殺している。夜の勢いが強いのか、それと

も昼が恥じているのか、生命の光が大地の面に接吻し

ているべき時に、暗黒の聞がそれを墓場の暗さに覆っ

ているのは。

老人自然の理に反することです、ちょうど昨晩行

われた所業と同じように。この前の火曜日に、天に沖

して昇りつめた鷹が、ねずみをとって食うふくろうの

爪にかかって殺されました。

それからダンカン王の馬が||奇怪きわまる

ロス

。ス

d

ことだが真実だ||美しい駿馬で、同類中の逸物であ

ったが、それが急に性粗暴となり、うまやを破って飛

び出し、人間と戦でもしようとするかのように、反抗

馬同士で食い合いをしたということですが。

そのとおりだ、この目で見ていたわたしも呆

老人

ロス

然とした。

マクペスが深夜の閣の中でひそかに犯した国王試殺の行

為であったが、その行為に伴って、人間の世界でのその

行為に対応するものが、天変となり地異となって、自然

の各所に、そして自然の全般を覆って、起っているので

・ある。し

かし、右に挙げた箇所をもう少しよく見ると、そし

て、『マクベス』という劇をはじめから考えてみると、マ

クペスの犯した行為に伴って、それに対応する天変地異

が自然の中に生じているという見方は、事態の一面観に

すぎないことがわかる。天に沖して舞っていた鷹がふく

ろうに捕えられて殺されるという自然の常態に反する事

件が起ったのは、「この前の火曜日」であったと老人は言

っている。「この前の火曜日」とは、マクベスによる犯

379

}橋論議、第四十七巻第四号 (.6)へ

行の行わ札た日よりも前のある日を指示している。ダン

カン王の馬がその性を変乙て狂暴になったのも、マクペ

スのダンカン殺害よりは先立って起っている。すなわ

ち、自然の中に、反自然的(自然があるべき正常な状態あ

るいは自然に内在する道理に反するという意味)な事態は、

マクペスの犯行が行われるより前にすでに生じていたの

である。そのことは、『マクベス』という劇をはじめから

考えることによって、さらに根本的に明らかになる。

マクベスをしてそもそもダンカン王を殺害してその王

位を奪おうという野心を起させる原因となったものは、

「大地の住人」のようには見えないが、なおかっそこに

おる」魔女、「水に泡があるように、大地にも泡があり」、

その大地の泡のごとくに生じて空中に消え去る魔女の出

現であった。自然の中にそういう魔女が出現したという

ことが、そもそも自然の中に異常な事態が発生したこと

を物語っている。魔女の出現は、自然が、その根、振にお

いて、みずからの正常な存在状態を乱す力を発生せしめ

たことをわれわれに告げるものである。自然の中に、み

ずからの正常な存在状態を乱すカがいずこからともなく

発現し、それはさながら悪気疏のように自然の中にひろ

町恥げih幌町AeL旬

除i

*

がったのである。錦旗を捧げて道賊を平定し、栄光に輝

いて凱旋するマクベスは、その途中、スコ

y

トランドの

荒野において魔女に出会った時、その悪気流に触れたの

である。魔女に出会う直前にマクペスが一一一口う「こんなに

よくてわるい日は見たことがない」

(hGopぽ白bapcH伊

色白山、

HVRZ

ロC仲

8・J

という言葉は、マクベスがその

悪気流の前線地帯の近くに来たことを示している。そし

て、マクベスがこの悪気流に触れた時(魔女の言葉を開い

た時)、その悪気流はマクベスの中に流入し、まずはじめ

にすクベスの小宇宙(日888mg)を乱し、彼はその揚で

一種の錯乱状態に陥った。それは連れのパンクォーをし

て、「ごらんなさい、われらの同僚の呆然たるさまを」

勺示。。]刷、宮司O

HMRE2621・J

と言わしめた状態で

あり、そしてマクベスの中に王位纂奪の「野心」が匪胎

したのはその時であった。そして以後、マクベスは魔女

の影響下に入り、魔女を信奉して行動する人間になる。

魔女の影響はマクベスを介してさらにマクベス夫人に伝

わり、彼女は自分の自然の性の転換を含めて、まったく

「反自然的」存在に化することをみずからの意志とする

人間になる。マクベス夫妻による国王試殺と王位纂奪と

.'380

φ

川血臨・H1

恰け勘可

r!

lや

4占

W

は、このような過程を経た後においてなされる。すなわ

ち、かれらの犯行は、その前後にわたって自然全体の中

に起った事態の一部を担うものであり、かれらは、天地

に起った事態に呼応する事態を人間の世界に起している

シ且イクスピアの心、

ものであると見られるべきである。『マクぺス』という

劇は、天、地、人の一切を含む宇宙のドラマが人間の世

界に集約されたものであると見られる一方、その人間の

世界のドラマはまたただちに宇宙のドラマに拡大すると

いう性質を持っている。シェイクスピアは、『マクペス』

にかぎらず、彼の作品のすべてにおいて、人間と人事と

を、常に、局限された人間の世界よりはさらに大きくひ

ろがる自然という場で捕えている。彼の作品の舞台は、

常に自然であり、すべてのものは自然の中におかれ、自

然という言葉で語られる。

『マクペス』という劇は、稲妻が先り雷鳴が轟く中に、

コ一人の魔女の登場をもってはじまるが、そこで魔女たち

はと可戸片山田彦三wmwHH

仏FCH仲間営可・ミ(吉は凶、凶は吉)と言

う。ここに魔女たちの正体は明示されている

023ぽ旬、

が民営β

つであり、

40丘、"がた同包叶ミであるということ

は、よ包て

w

をな同色吋どとし、

E

向。ロつをた向。三ョとする

( 7 )

1

'l!'

価値観を否定した価値観を表明するものに他ならない。

正を不正とし不正を正とし、美を醜とし醜を美とし、善

を悪とし悪を善とする価値観の表明である。すなわち、

正の世界に対する負の世界の価値観を表明するものであ

り、正の世界一を神の秩序の世界とするならば、魔女たち

が代表している世界は、神の秩序を逆転あるいは転覆し

た世界である。しかし、およそ秩序というものにとっ

て、その真の反対は、ある秩序の倒置ではなく、一切の

秩序を欠くこと、すなわち無秩序である。『マクぺス』

で魔女たちが代表している世界は、神の秩序の道転され

ている世界というよりは、むしろ無秩序の世界であると

考えるべきである。魔女たちの言うた匂骨片山田内OCHWB仏

内Oロご

mpぽ・3

という言葉は、ある秩序の逆転を言ってい

るというよりは、秩序の欠如、価値判断の基準の欠如を

言っていると見るべきものである。マクペスが魔女たち

に出会う直前に述べるた∞

op三

B仏

E吋釦仏

aHE2

8仲お

8・ミという一言葉は、マクペスが秩序の世界と無秩

序の世界との境界地帯に入って来たことを表現してい

る。やがてマクペスは無秩序の世界の力に捕えられ、無

秩序の世界の存在と化し、ダンカン王を殺害することに

.381

第四十七巻

主唖て、人間の世界に最大の無秩序を作り出し、みずか

ら作り出した無秩序の中で、神の秩序の中にいることに

よってのみ得られる栄光の一切を喪失し、まったく暗黒

狂暴な蛮力でしかないもの、すなわち悪魔になって滅ん

で行く。彼を滅ぼしたものは、ダンカン玉の長子マルカ

ムによって地上に代表される神の力であって、『マクペ

ス』という劇は、一人の人間の悲劇であると同時に、「神

の喜劇」をなしている。

以上、『マクぺス』について述べて来た中にあきらかに

あらわれて来る自然ないしは宇宙の秩序の観念は、シ畠

イクスピアの理解にとって基本的な重要性を持つもので

ある。シ且イクスピアの作品のすべての背後に、一つの

基本的な宇宙図がある。その宇宙図によれば、宇宙ない

し自然は、その中に含まれるすべてのもの、そしておの

おののものが、それの占めるべき位置を定められて、全

体で一つの位階的構成をなしているものであった。それ

は一つの秩序として存在するものであり、その秩序の原

因は、自然の創造主たる神の意志にあるとした。すなわ

ち、自然は神に由来する秩序の世界であり、その秩序は

位階的構成主訴すものとされた。自然の中に含まれるあ

E睦

F'zsfぜt

k

る被造物が、位階における上下を問わず、他の被造物の

位置を代って占める時、そこに無秩序が生じた。自然を

位階的秩序の世界と見るこのような自然観は、古代から

中世に承け継がれ、さらにキリスト教化された、自然、法

思想に基づくか、あるいはこれと裏腹の関係に立つもの

であった。たとえば、中世における自然法の最大の解説

者聖ト7

ス・アクイナス

(FSHOBhgkr宮山EPHNNご|

立〉は、彼の大著『神学大全』

(E3S93SNa念日)にお

いて、もっとも壮大に自然の位階的秩序を描き出した。

神によって創造された自然は、神の下に、位階的秩序

を形成して存在し、天使、人間、獣類、植物、鉱物とい

う五つの大範曙が、上記の順序を下降的順序としてその

中に存在している。天使は人間より優れ、人聞は獣類よ

り優れ、獣類は植物より、植物は鉱物より優れる。鉱物

はただ存在のみを持つが、植物は鉱物の持たない成長能

力を持っている。獣類は存在と、成長カと、さらに五官

の感覚能力を持っている。人聞は獣類の持っすべての能

力に加えて、理性を持っており、この一点において獣類

とは哉然と区別される。天使は人間よりさらに上の存在

で、純粋に理知の存在であるとされた。

382

• 〉

,~

k刷

ち通園唱司

シ且イクスピアの'U-

右の五つの大範曜の内部にもまた、位階順序がある。

たとえば、鉱物では金は銀にまさり、植物ではカシワは

ニレにまさり、獣類ではライオンが他のどの獣よりも上

位に立ち、人間では国王が臣下の上にあり、天使では大

天使が普通の天使より高位にある。すべての、そしてお

のおのの被造物はそれぞれに割り当てられた地位をかた

く守るべきであり、それより上でも下でも、とにかくお

のれの地位以外の地位を強引に占めることは、自然の秩

序に反し、従って自然の法に反し、結局は神に対する反

逆行為であるとされた。マクベスはもとよりそのような

反逆を行い、「反自然的」存在になったが、リアもまた、

みずからの怒意によって彼の王国の三分を企て、国王の

職務を他に移そうとしたことによって、マクペスとは進

だが、しかし同じように、自然の法に背いた。すなわち、

罪(包ろを犯した。

自然は、天使、人問、獣類、植物、鉱物という五大範

曙が五つの次元をなして、上下に位階的構造をなしてお

り、そのおのおのの次元においてまた同様の位階的構造

がくりかえされる。たとえば人間の国家(中世から近代初

期にかけてはしばしば2げO仏

ゆOHE仲0

3

と呼ばれた〉やその

有f

'liI

他の社会においても、やはり同様の位階的構造を持つこ

とがそれらのあるべき自然の姿であるとされ、人間の個

人についても、理性が最高位にあって、意志ゃ、熱情ゃ、

記憶や、その他の精神的能力を統べている状態にあるこ

とをもって、彼のあるべき自然の、したがって正常な、

状態であるとした。要するに、自然のどの一角を切り取

っても、そこには規模を異にしてではあっても、普遍的

一様性をもって、神の定めた自然の法ないしは秩序が存

在し、働いているのである。このことから容易に推測さ

れることであるが、シェイクスピアをはじめ、多くのエ

リザペス朝人は、自然の各部分にある位階的秩序の間に

密接な対応

(832HUOZ88)を見た。人間の世界の国

王は、天体の中で最高にしてもっとも輝やかしい存在で

ある太陽に、花の中でもっとも美しく品位が高いとされ・

たパラに、あるいは鳥類の中にあってはわしに、対応す

るものとされた。たとえば、シェイクスピアの史劇『リ

チャ

lド二世』において、リチャ

lド二世は、攻め寄せ

たポリングプルック(後のへンリ1四世〉の前一に、

ちょうど太陽が、火と燃える東の門から出て、西の

方へ光輝燦然として進もうとする時、邪震がその行く

3伺

第四十七巻

ヂに横わってその党りをくらませようとしているのを

見て、憤然として面を紅潮させたかのように

その姿をあらわしてプリントの城壁の上に立つ。しかも

その自は、「わしの自のように光って、畑々として君主の

威厳を放射している」

QHH-E)。同巳リチャ

1ド王は、

『へンリ

1四世・第一部』において、ホッパーによって

「あの美しい甘美なパラ」(よ

E仲担

2zzqggJ

と呼ばれてもいる。

自然の種々の次元や部分の位階的構造の対応は静的に

とどまらず、また動的でもある。すなわち、自然のある

次元、あるいはある部分に生じた秩序の乱れは、自然の

その他の次元あるいは部分にもまた、それに対応する秩

序の乱れを生み出すのである。ということは、結局、自

然のある部分に生じた秩序の乱れ、あるいは無秩序は、

自然全体、すなわち宇宙全体の秩序を破壊し、これを揮

沌たる無秩序状態に陥れるのである。さきに『マクベ

ス』について述べたところによって、このことの例証は

すでになされたものと考える。

ー橋論議

以上に述べて来たことの巧みな要約をわれわれはアメ

リカのシェイクスピア学者ハ

lディン・クレイグの著

ι 司

阿点

元-

i丹

ト""~

t

『魔法の鏡・文学におけるエリザペス朝的心性』(同2・

503紅一円宮同町苦言ミGas-a~同4FGN円

NON-rsg民一吉弘

384

含』いた曲、h百円

tBSωM)の中に見出すことができるので、こ

こにその該当箇所を引用しておく。

大略的に言うならば、秩序。

EO叶(正義吉田

tgある

いは自然法ロ主号包宮司も同義)というものが、宇宙体

系の基本的な統括的原理として考えられ、相似田山HEF

Z含または対応

g吋540E050ということが、この

原理が宇宙に働く媒介と考えられた。

秩序あるいは正義は、神の本性そのものの中にあ

る。全権能を持つということも神の本性の中にある。

神は調和的な宇宙全体の頭首であり支配者である。調

和とは各部分がそれぞれに割り当てられた場所におい

て適切妥当に機能を果すことを意味する。天の球層

師事由吋白血は、究極の至高天

34108から、すべての

中心である地球まで、順次下降的に配列されている。

四大吾即時

-gMggもまたそれらの秩序を持ワ。地が最

低である。もっとも重いのであるから当然のことであ

る。水はあきらかにその上であり、同じくあきらかに

空気は水の上である。火はさらにその上ということに

..

!恕4

免除

mmuぷ向jw-f

'鴨川

Jb

のアどスノ々ィ‘

t

エシ

ーふ掴咽司

官同

h

く11)

なる。宇宙の働きの中に見られる、首長があり恭順が

あるという原理は、もちろん、人聞社会に対する範例

とならなければならないものである。したがって、君

主制が統治の最良の形態であるということになり、す

べての人聞は人生における自分の位置に満足しなけれ

ばならないということになり、かくて、野心というも

のが、あらゆる熱情のうちでもっと危険なもの

iーも

っとも罪深き熱情の一つ!ーになる。同じくまた、父

親は一家の最高の長であり、妻子はこれに従順に従う

ものでなければならないということになる。同様の型

宮丘町自が人間個人の内部にも保たれなければならな

い。霊魂あるいは霊魂の形態には位づけがなされ、低

位のものは植物や動物の性質を分有し、最高位のも

の(秩序が維持されるためにはこれが支配的地位に立

たなければならないのだが)は天使あるいは純粋理知

85SEm窓口口叩の性質を分有する。あきらかに、天

使そのものも位階制の中に上下の位づけをされなけれ

ばならない。このように、種々の対応が、すなわち、

(権威と服従というこつの極の上に立。)整然たる秩

序の統括的原理のすべての・例証が、あまねく無数に行

“t

きわたり、宗教、自然科学、倫理学、政治学、心理学

1

1すなわち理論的説明

gt。EE巳芯ロの全領域にこ

れを求められるのである。対応という概念そのものが

統括の一原理としてそれ自身の権利において把握され

運用される。人聞は大宇宙

BgggmBの型にもとづい

て形成された小宇宙自由288Bとなる。(OHM-

ロlHN)

シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』は、言う

までもなく、トロイ戦争に取材した劇であるが、七年に

わたる攻囲にもかかわらずトロイが落城しないのは、ギ

リシア寧において王アガメムノンにある「統帥の主権が

閑却されているがゆえである」と言って、ギリシアの将

の一人ユリシ

1ズがその中で述べるつぎの言葉は、シェ

イクスピアの中において、右に解説した自然の秩序とそ

の対応の観念とをもっともあきらかに述べているもので

ある。(ユリシl

ズは、右に述べたような意味での「位階」を

あらわす語として、た仏叩曲目一吋白白

ww

という語を用いている。)

天界そのもの、諸々の惑星、宇宙の中心たるこの地

球、すべて位階を、席次を、位置を、規律を、進路を、

均衡を、時期を、方式を、職務を、慣例を、あらゆる

方面において遵守しております。それゆえにこそ、北

.385

一橋論議

~る日輸は、仰ぎ見る犬空の高きに他の諸星に

囲鰻せられて王座につき、その医カを具えた眼は、凶

悪なる遊星の不祥の相を矯正し、妨げを受けることな

く善悪一切のものに及ぶのであります。しかし諸惑星

にしてよこしまに入り混って訪僅し、秩序を失うに至

れば、悪疫の狸獄、異変の発現、反乱の勃発、海浪の

逆巻き、大地の揺らぎ、風の擾乱は、そもいかなるも

のがありましょうl

驚傍、変化、恐怖を生じて、諸

物の統一と和合せる安寧とを、乱しかっ破り、引き裂

きかっ根こそぎにして、まったくその安定を失わしめ

るでありましょう!:・:社会も、学校の般次も、都市

の組合も、遠隔の地よりする平和な交易も、長子権も、

生得権も、長上の、また、王冠、王街、月桂冠の特権

も、位階によるにあらざれば、いかでか正しき位置を

保ち得ましょう。万物相会するもただ背反あるのみで

あります。境を限られた海水は、その胸を岸辺よりも

高くもたげ、この堅き大地を一面水浸しにいたしま

す。強者は弱者を倣然として顕使し、無道の子は父親

を撃ち殺します。暴力は正義となります。いや、正邪

そのものが、その両者の果しない乳蝶の聞にこそ正義

宅., -幡宮町、

NVJfhw

は居を得ているものゆえ、その名を失い、かくして正

義もまた消誠し去ります。しかる時は、すべては暴力

に、暴力は意志に、意士山は食慾に帰してしまい、万人

の心に棲む射狼たる食慾は、かくて意志と暴力との二

重の支援を得て、かならずや万物を餌食となさずには

おかず、づいにはおのれみずからをも食いつくすであ

りましょう。:::かくのごとき揮沌が、位階窒息する

時、その窒息についであらわれますoQ-E・g-HN3

シェイクスピアの『じキ巳キ馬馴らし』(叶芯U1p喝さ喜

SGぬF38)という喜劇は、名代の惇婦カサリlナをめ

とった男ペトル

1キオが、彼女を世にも従順な妻にして

しまう過程を骨子とした劇である。右に述べて来た自然

の秩序の原理を家庭に適用するならば、夫は妻を支配

し、妻は夫に服従するのが自然の秩序であり、妻が夫に

反抗するのは、ちょうど臣下が君主に反抗するのと同じ

く、自然の秩序を乱すものであった。劇の終りの方で、

従前とは打って変ってしとやかで従順な妻となっている

カサリ1ナを見て、「これは何の前兆だろう」といぶかる

友人ホ

1テンシオに、ペトル

1キオは答えている。

平和の前兆さ。愛の、平穏な生活の、長敬すべき支

38fJ;

e

も咽

J

4

".

HS

配力の、正しい至上権の前兆さ。要するに、甘美にし

て幸福なありとあらゆるものの前兆さ。ハ〈・広・

8∞|

権威と服従という両極の上に立つ自然の秩序が乱れる

時、ユリシlズが述べているようなさまざまのわざわい

が生ずるとすれば、自然の秩序が保たれている時には、

ペトル1キオが述べているような「甘美にして幸福な」

事態がこの世のものとなるのである。

夫に反抗的態度をとりつづけるホ1テンシオの妻に向

ってカサリlナが言うつぎの言葉は、この劇の「モラル」

を要約している。

およしなさいなーそのこわい邪樫な顔の八の字を

お解きなさい。そんなする

Eい軽蔑のまなざしを射

て、あなたの主君であり、主であり、統治者である方

を傷づけようとはなさいますな。そんなことをなさる

と、霜が枯らした牧場のように、あなたの美しさが台

なしになります。:::あなたの御亭主はあなたの主

君、あなたの生命、あなたの守護者、あなたの頭、あ

なたの君王です。:::臣下が君主に負う義務、ちょう

どそれと同じものを女は自分の夫に負うているので

唱同

場F

女が強情で、怒りっぽくて、気むづか

ひねくれて、夫の正しい意志に従わないような

彼女は慈愛深い君主に対する邪悪不逗な謀反

人でなしの反逆者でなくて何でしょう。ひざまづ

いて平和を求めるべき時に戦いを聞き、奉仕し、愛し、

服従すべき時に支配や主権や統治権を得ょうとしたり

する女の愚かしさをわたくしは恥かしく思います。

(〈・比-Hω品同・〉

す。ですから、

しく、

時は、

人、カサリlナは、はじめ、自然の秩序に反し、これを乱し

ている存在であった。「反自然的」存在であった。もし

われわれがここに、すでに述べた自然における対応の原

理を適用すれば、それはやがて自然の他の部分や次元に

同様の反自然的事態を惹起せしめ、最終的には、自然全

体を無秩序の中にほうり込むはずのものである。ユリシ

1ズが一般的真理として述べ、『マクペス』の中にわれわ

れが一つの具体的な事態として経験するような天地人文

一切の乱れを呼ぶはずのものである。夫ペトル1キオに

対するカサリ1ナの不服従と反抗とは、自然の秩序を乱

し、自然の法に背くことにおいて、マクベスのダンカン

王に対する反逆と伺一の性質を有するものだからであ

~87

る。しかじ、そうなったならば、『じキじキ馬馴らし』は

もう一つの悲劇になってしまうであろう。『じゃじゃ馬

馴らし』において、シェイクスピアは反自然的事態の発

生を、いわば局部的疾患の段階で抑えて、これを治癒せ

しめている。『マクベス』においては、自然の全身が病

んだ。『じキじ牛馬馴らし』において強調されているの

は、自然の秩序を破壊しようとすることの愚かしさ、ば

からしさであり、『マクペス』において強調されているの

は、そのことの恐怖である。『じキじキ馬馴らし』と

『マクペス』という、シェイクスピアによる創作の時期

も、作の性質も、一見大きくかけ離れているかに見える

こうの作品ではあるが、その両者の聞には、それらをワ

なぐ脈絡がかよっている。

自然が位階的秩序をなし、すべての被造物は、その中

でそれぞれおのれに割り当てられた地位を守っているの

が自然の正常な状態であるというのが、シェイクスピア

にある基本的な自然観である。そのような自然観に立ワ

時、人間にとってもっとも重大な問題は、自然の位階的

‘秩序の中にあって人間とは全体として一体いかなる位置

を占めて存在しているのかという問題である。伝統的説

附l

{明によれば、人間とは、自然の中にあって、天使と獣類

との中間に位置するとされた。天使は地上の存在ではな

いから、地上にあっては、人聞がすべての被造物の中に

あって最高の位置を占めて存在しているごとになる。そ

して人間は、自然の創造主であるところの神から理性を

付与されていることによって、次位の獣類からは、哉然

たる一一線を画し、地上の被造物の中にあって際立った品

位と尊厳とを具えている。地上にあってはひとり人間の

みが神から理性を分与されており、その理性の能力によ

って、神意(神の理性)に参与し、神の摂理に盲目的に服

するばかりでなく、神の摂理を理解し、神の協力者とな

って神の道の実現に積極的に参加することができるとい

うのが、中世キリスト教が人々に教えたところであっ

た。たとえば、かの聖トマス・アクイナスは、『神学大

全』において、宇宙全体が神の理性によって統べられて

いることを論証した後、、

さで、すべての他のものの中にあって、理性的な被

造物はもっともすぐれた仕方で神の摂理に服する。す

なわち、それは自己および他者のために先見を有する

ことによって、摂理の分け前にあずかる。かくしてそ

388

'革

除市

浮時前

4‘

~

h

れは永久の理性の分け前にあずかり、そ札によ7

てそ

れ固有の行動と目的に向う自然の傾向を得る。。ーロ・

0・由H)

と述べている。ここに他の被造物から隔絶し、神のかた

わらに立った人間の姿があり、いわゆるキリスト教的ヒ

ューマニズムの宣言がある。ハムレ

yトもはじめ人間と

いうものをそのようなものと考えていた。

人間というものは何という造化の傑作だろうーそ

の理性の高貴さはどうだーその能力の限りなきこと

はどうだl

形において動きにおいて、何と整った驚

嘆すべきものであろう!振舞の天使に似ていること

はどうだ!理解力の神に似ていることはどうだI

宇宙の美!万物の霊長l

(同日吉NRLH・比-UHalNH)

ハムレ

yトは元来人聞をそういうものと考えていたので

ある。その彼が、彼の人間観を根底から覆され、「宇宙の

美」、「万物の霊長」と考えられていた人間を、一気に

「塵土の精」(よEmρ色巳gお居。。同

Eut)と見なけれ

ばならない人間観に突き落されたところに、ハムレ

yト

の悲劇の中枢的なるものがある。このような人間の転落

とともに、彼の前には同時に自然全体の悉皆堕落が起つ

、司

J

J昨

た。人間の転落は、神の秩序の崩壊を意味し、自然の荒

廃そのものを意味するものでなければならない。

大地というこの結構な組織は荒涼たる岬の岩のよう

に思われ、大気という、この世にも見事な天蓋、いい

かい、このすばらしい、頭上を蔽う勾陸、黄金の火を

飾った壮麗な大天井が、何のことはない、汚れた、病

毒に満ちた気体の擬集としかぼくには思われないの

だ。

QRa-wω51Hm)

ハムレァトをして彼の人間観を、したがって彼の自然

観を、このように百八十度逆転させる原因となったもの

は、肉親の母親によって彼に示された人間の獣性、いわ

ば獣にも劣る人間の獣性であった。ハムレ

yトの母親ガ

1トル

1ドは、夫の死後、おどろくべき「邪悪な早業」

をもって、亡き夫の弟との「破倫の寝尿」へ急いだ。亡

き夫とくらべれば日神ハイペリオンと半獣神サターほど

のちがいのある男の寝床へ急いだ。「理性の力を欠いた

獣でももう少しは長く悲しんだであろう」と思わせるほ

どにすばやく亡夫を忘れて、新しい男の胸へ走った。そ

のことを目撃した時、ハムレットの前に、自然の位階的

秩序の中に占める人間の輝やかしく、尊厳にみちた地位

389

ほ崩れ?位階的税序そのものが崩れ、自然は荒廃に帰し

た。

おお、神様、神様!何という退屈な、味気ない、

つまらぬ、無益なものに、この世のいとなみのすべて

が思われることだろうーばかばかしい!実にばか

ばかしい

I

それは雑草の生え放題、茂り放題にうち

まかせた庭だ。卑しくあさましい醜草どもがすっかり

それを占領している。〈H-P口N

ーミ)

このようにして、生きることに一切の歓楽を失い、深い

'絶望に投げ込まれ、しかも自殺の道を絶たれた人聞が、

ハムレ

yトである。

ハムレy

トは、いわば、母親の転落の中に人間の始祖

アダムとイプの転落を目撃したのである。ハムレ

yトに

色って、転落したのは、彼の母親ひとりだけではない。

人間全体が転落したのである。いや何よりもまず、堕落

した人間の本性は、ハムレ

y

ト自身の中に抜きがたく宿

っていることを知らされたのである。彼はオフィ

1リア

に「尼寺へ行け」と言う。

善徳をわれわれの古い台木に接木しでも、台木の・も

との気は抜け切れるものではない。::尼寺へ行きな

~,1

H44・v

さい。なぜ門ぼくと結婚して〕罪びとを生み育てたいの

だ。ぼく自身はかなり潔白なつもりだが、それでも母

がぽくなど生んでくれなかった方がよかったと思うよ

うないろいろのものでわが身を責めることができる。

ぽくは非常に倣慢で、復讐心が強く、野心家で、その

他呼べば応えてとんで来るいろいろの罪業を持ってい

る。一つ一つ考えにまとめ、想像力で形を与え、行い

に移す時間の余裕もないほどだ。ぼくのような人聞が

天地の聞を這いまわって一体何をしようというのか。

われわれは極悪人だ、誰も彼もだ。一人も信じてはい

けない。さ、さっさと尼寺へ行きたまえ。(口H-rHH唱

'" 他の被造物から哉然と区別され、神から理性を分与さ

れて天使に間近く位置を占めている人間という考えが虚

妄として消え、人聞はすべて、誰も彼も、抜きがたい罪

業にけがれた極悪のものであるならば、人間という存在

は地上から絶誠される方がよい。ハムレァトの絶望感

は、やがて『りア王』において、暗黒のあらしの荒野を

さまようリアの口から吐き出される人間呪岨の叫びに連

ハムレ

yトが肉身の母親に見た獣性

なる・・ものであった。

"

~,

、草

3卯

?例

h

から人間への幻滅に突き落されたように、リアは肉身の

二人の娘ゴネリルとリーガンが見せた獣性を体験して、

彼の呪岨を人類全体に拡げなければならなかった。リア

は、「自然」に向って、ゴネリルに不妊の性を植えつけ、

彼女の生殖の器官を枯渇せしめて、彼女からは子供が生

れないようにしてくれと願っただけではまだ足りなかっ

た。ゴネリルとリーガンこそは、虚偽の衣を脱いだ後の

かくれもない人間の本性の姿を見せているものだという

認識に陥ったリアは、

そして汝、天地をゆさぶるいかずちょ、この厚く円

い地球をべしキんこに打ちのめしてくれl

自然の鋳

型を叩き割り、恩知らずの人聞を作る一切の種子を流

してしまえ!(内

gqPRコロH

・ロ・品13

シェイクスピアの心

と叫んで、人類全体の絶滅を祈願するのである。

だがしかし、リアの人間観はもう一度修正された。獣

性の中へ何の区別もなく混入してしまったと思われた人

官,

M

間性は、やはりなお、獣性の中に混入することを拒否し

つづけた一つの核を、コ

lディ

1リアの中に保っていた

からである。人聞はやはり獣ではなく、人間以外のもの

ではないことを、コ

1ディ

lリアの存在が彼に確信せし

めたからである。自然の中に、人間という範曜はやはり

あったのである。

シェイクスピアは常に自然というものを舞台にして人

間を考えた。人間もまた自然の一部であった。一体自然

とは何であろうか。一体人間とは何であろうか。シェイ

クスピアは「自然に向けて鏡をかかげ、」そこにうつる

万華鏡の絵模様にも似て千変万化する自然の姿を人間の

世界を中心にして描いた。「千万の心を持った」シェイ

クスピアの心底では、人間とは何か、したがって自然と

は何かという問いが、たえずひとりごとのように問われ

ていたとわたくしは考える。

(一橋大学助教授)

391