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京埋セ現地説明会資料 No.06-09
亀岡市
蔵垣内くらがいち
遺跡第4次・国分こくぶ
古墳群
平成18.8.19(土)
財団法人 京都府埋蔵文化財調査研究センター
蔵垣内遺跡第4次調査・国分古墳群 現地説明会資料
遺跡名称 蔵垣内遺跡・国分古墳群
所 在 地 亀岡市千歳町国分柳ヶ辻・相模・蔵垣内・薮ノ本・内垣内・正田ほか
調査主体 (財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
調査担当 調査第2課調査第1係長 小池 寛
次席総括調査員 伊野 近富
主 任 調 査 員 松井 忠春・引原 茂治・森島 康雄
専 門 調 査 員 黒坪 一樹・岡崎 研一
調 査 員 石崎 善久・筒井 崇史・村田 和弘・
松尾 史子
調査期間 平成18年4月10日~8月末日(予定)
調査面積 8,000㎡
1.はじめに
この調査は、国営農地再編整備事業「亀岡地区」に伴い、農林水産省近畿農政局の依頼
を受けて実施しました。
蔵垣内遺跡は、桂川(大堰川)左岸の段丘上に位置する遺跡で、南北1250m、東西1000m
以上の広大な範囲に広がっています。遺跡の北西部には丹波国分寺を含み、東部の山腹に
分布する国分古墳群とも一部で重複しています。
本事業に伴う蔵垣内遺跡の調査は、平成16年度から開始し、平成17年度には、古墳時代
前期の竪穴式住居跡群、飛鳥~奈良時代および平安時代後期~鎌倉時代の掘立柱建物跡群、
鎌倉~室町時代の国分寺子院群に関する遺構・遺物などが見つかりました。
今回の調査では、ほ場造成のために削られる部分(D1~10地区)と排水路造成のために
削られる部分の調査を進めていましたが、調査の過程で、一帯に横穴式石室をもつ古墳が
埋没していることが判明したため、京都府教育委員会の試掘調査を経て協議を行い、工事
によって破壊される古墳の調査も追加して行うことになりました。今回の説明会は、この
うちD1~D10区並びに追加で調査を行った古墳の調査成果を対象としています。
調査にあたっては、農林水産省近畿農政局・農林水産省近畿農政局亀岡農地整備事業建
設所・京都府教育委員会・亀岡市教育委員会・亀岡市経済部国営事業推進課などの関係機
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関および、土地所有者の方々、千歳町・馬路町の各自治会および地元の方々から、多くの
ご指導、ご協力を得ました。厚くお礼申し上げます。
2.調査の概要
D1・D4・D6・D9・D10地区とD8地区北側の水路部分で、横穴式石室をもつ古
墳を合計21基調査しました。国分1号墳の西側のD4地区に比較的規模の大きな古墳が分
布し、D1地区やD6地区には、規模の小さい古墳が密集しています。
D1地区のST28・29は、畑の造成によって石室の西側半分が破壊され、東側半分が残
っていました。ST28の石室内からは、須恵器蓋杯・壺、鉄刀、耳環、琥珀こ は く
棗玉なつめだま
などが
出土し、石室の入口付近では、円形に敷かれた礫の上で須恵器甕の破片がまとまって出土
しました。石室の前で、須恵器の甕を割る祭祀が行われたものと思われます。築造の時期
は6世紀後半で、7世紀中頃まで追葬が行われました。
D4地区のST66・80も畑の造成によって石室の西半分が破壊されていました。ST66
では、石室の東の石列が畑の畦の石垣として利用されていました。また、ST80では墳丘
の裾付近に列石をめぐらせており、残っている部分の形状から八角墳に復原できます。両
古墳とも、石室を破壊するにあたっては、石室の中央付近から西側にかけて大きな穴を掘
り、その中に破壊した石室の石材を落とし込むという方法がとられています。同じような
方法で破壊されている古墳には、D1地区ST36、D9地区ST1、No.80トレンチST
1などがあります。古墳が破壊された時期は、江戸時代です。
D6地区のST41は今回調査した石室の中で最も小さい横穴式石室をもつもので、全長
約2.7m、幅約0.7mを測ります。木棺を1基入れるとほとんど余地のない大きさで、当初
から追葬することを予定していなかったものと思われます。棺上に置かれた副葬品と考え
られる須恵器が出土しました。7世紀中頃に築造された古墳です。
D9地区のST1は、石室の中央部が奥壁よりも広がった胴張りの平面形をしています。
床面にはていねいに礫を敷き、須恵器や鉄刀などが出土しました。
D10地区のST1は、同一墳丘内に、横穴式石室と小形の竪穴系小石室が築造されてい
ます。
これらの古墳は6世紀後半~7世紀中頃にかけて築造され、一部では7世紀末頃まで追
葬が行われています。
このほか、D1・D2地区で、弥生時代後期の竪穴式住居跡、D6地区で平安時代の掘
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立柱建物跡2棟と耕作溝、D7地区で鎌倉~室町時代の墓や土坑・溝などが見つかってい
ます。
3.出 土 遺 物
今回の調査では、各古墳から須恵器・土師器などの土器、鉄刀・鉄鏃・馬具などの鉄器、
耳環など、多数の副葬品が出土しました。ここでは主なものを紹介します。
D4地区古墳ST66(第3図1~15) ST66出土土器の大半は石材を廃棄した土坑から
出土したものです。1・5・6は須恵器蓋、2~4・7は須恵器杯です。8は須恵器椀で
す。9~12は須恵器高杯で、杯部や脚部の形状が多様です。13は須恵器平瓶ですが、口縁
部しか出土していません。14は須恵器長頸壺です。15は土師器杯です。このほかにも須恵
器提瓶などが出土しています。これらの土器には、その特徴から6世紀後半~末頃の一群
と、7世紀中頃の一群とがあることがわかります。
D6地区古墳ST41(第3図16~24) ST41出土土器は、いずれも石室内から出土しま
した。16は須恵器蓋、17~22は須恵器杯、また、23・24は須恵器椀です。これらの土器は、
その特徴から7世紀中頃のものと考えられます。
D6地区古墳ST42(第3図25~30) ST42出土土器も石室内から出土したものです。
25・27は須恵器蓋、26は須恵器杯です。28は須恵器甕の口縁部の破片です。29は土師器杯
です。30は土師器皿の破片です。これらの土器も、その特徴から、ST41と同様に、7世
紀中頃のものと考えられます。
このほか、弥生時代の竪穴式住居跡から弥生土器、中世の遺構群からは瓦器・青磁・白
磁・土師器などが出土しています。
4.ま と め
① 横穴式石室をもつ古墳が新たに27基見つかり、そのうち21基を調査しました。これ
らの古墳は、6世紀後半~7世紀中頃にかけて築かれたものです。国分古墳群は国分
1号墳から東の山腹にかけて23基が知られていましたが、1号墳の周辺にも多数の古
墳が分布していることがわかりました。
② 今回の調査で確認した横穴式石室は、全長9.1m、玄室幅1.8mの規模をもつD4地
区ST80を頂点に、全長7.5m前後、玄室幅1.5m前後の規模をもつ一群、全長5m前
後、玄室幅1m前後の規模をもつ一群、そして、小形の竪穴系小石室の4群に分類で
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きます。
③ D4地区のST80は残存部分から復原すると、類例の少ない八角墳である可能性が
高いことがわかりました。この古墳群を造営した氏族の中でも有力な人物が葬られた
墓と考えられます。
④ D1地区では、ST28やST34などの中規模古墳の周囲にST27やST33などの比
較的規模の小さな古墳が築造されており、国分古墳群の中においても、いくつかの群
構成がみられることがわかりました。また、各古墳から出土する土器や鉄製品などの
副葬品の量についても、古墳の規模などと相関的な関係があるようです。
⑤ このような古墳の規模の違いや副葬品の違いは、古墳に葬られた被葬者の階層の違
いよるものと考えられます。今後、副葬品の質量の把握や各古墳の立地・石室の規
模・築造時期などを総合的に検討することによって、国分古墳群を築造した集団が、
どのように構成されていたかを考える手がかりとなります。このように今回の国分古
墳群の発掘調査の成果は、亀岡盆地に分布する他の群集墳が築造された歴史的な背景
を考えていくうえで、多くの資料を提供したといえます。
� 蔵垣内遺跡の南部では、昨年度の調査で飛鳥時代の竪穴式住居跡などが見つかって
います。これらの住居跡は北部で見つかった古墳と同時期のものがあり、この集落の
住人が北部の古墳に葬られたと思われます。集落域と墓域がセットで見つかったこと
から、当時の歴史的な景観を復原することが可能になりました。
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(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターの現地説明
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