生存論-生存から持続へ,...

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The discussion was presented at Survival Science Symposium organized by Tokyo U A&T COE on 23 June 2006. 生存科学シンポジウム

Transcript of 生存論-生存から持続へ,...

20050722 1 ℂ Masayuki Horio

「生存」概念への新たな角度からの注意喚起

全国各地域における努力は、「持続型社会づくり」という言葉では十分に表現されるものではないように思われた。それは、まさに「生存」への努力であった。

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いま、20世紀的スタイルの非持続性を克服し、自然エネルギーを機軸とし、廃棄物を出さない(言い換えれば廃棄物をすべて有効利用するような)持続的な物質・エネルギー代謝システムをどう構築するかが問題となっている。この代謝システムは、エネルギー供給、廃棄物処理、河川、道路・交通網、通信サービスなどからなるが、これらの、社会の維持管理に不可欠な社会規模の技術的システムを「公共的技術インフラ」と呼ぶことにする。公共的技術インフラには次のような生活の基本にかかわるものが含まれる。

○電力、エネルギー、水、穀物等供給システム

○交通、通信システム

○排水、廃棄物処理システム

○医療・介護システム

○住環境(住宅、公園等)システム

○災害対策・防災・防犯システム 20050722 3 ℂ Masayuki Horio

いま、公共的技術インフラの多くが20世紀後遺症に陥っている。自治体や外郭団体による事業の場合、非効率な事業運営、硬直化した住民不在の事業計画、住民自身の中における不協和音や住民自身の主体的な力の限界などが指摘できる。省庁の壁により、統一的に計画されてもよいゴミ処理と下水汚泥処理は、なかなか統合しそうにない。営利企業による公共的業務においても問題は山積している。エネルギー商品を売る電力会社にとっては、より多くのエネルギーを消費させることが課題となってしまう。また、オール電化マンションのように、現在の昼夜の電力価格配分から発生するメリットを切り札として、家庭の低レベルの熱需要をすべて電力でまかなうというエネルギー経済性の低い商品が拡販されることになる。さらに話を広げるならば、近代化と称して、川を三面コンクリート張りにし、暗渠にして土地を作り、くもの巣のように電線を張り、いたるところにガードレールを巡らし、看板を立て、安っぽい安易な人工物でうめつくしたあげくのわが国の都市・農村景観の個性のなさと醜さである。

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ℂ Masayuki Horio

どのようにしたら、これら20世紀後遺症からの脱却と、持続型なシステムの実現が可能となるだろうか。上記のシステムは、人類の作ってきた「社会」という人工システムの「情報―身体系」の中の「身体系」に相当し、「情報系」によって維持管理されているばかりでなく、その新陳代謝の方向も指示されている。公共的技術インフラの抱える問題に対し、地方分権、PFI、公民パートナーシップ、各種NPOの活動、地元学運動、インターネット環境の発展などが、回答の方向を指示していると考えられるが、それらがどのような役割を発揮できるかの基本的視座を、人類史的な視点をもつ「生存論」の中に位置づけることはできないものだろうか。

20050722 5 ℂ Masayuki Horio

「生存」なくして「持続」なし 『持続』は、有限な生命・その他組織体の、「世代を超えた継承」あるいは『生存』としてしか実現しえない。 これまで汎用されていることばとの関係 「生態恒常性」,「持続性」=マクロ、客観的。 『生存』=ミクロ、「主体」を想定。 現実的なイマジネーションを刺激。

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○数十億年の生存を果たしてきた 「生命」(「生存機械」*)

との対比で ○社会的な存在としての「技術システム」

とはなにかを考えてみる。

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持続型社会論を生存論として展開

方針 1.基礎事項の整理 システム、構造、メカニズム、自己組織化、自律的産出系 (オートポイエーシス)、情報など

2.生存機械にとっての「情報」の意味 個体レベルの「情報-身体系」が持つ意味、 種のレベルの「遺伝子系-表現系」が持つ意味

生命を生存機械ととらえる立場から、人間に至る進化過程の

情報論的解明

3.「占有、交換・経済、政治、協業、共生」等々の意味

多体系の中で発生する社会現象を情報ー身体系問題として見るとどうなるか

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4.情報系としての脳の進化とヒトの成立 文字言語と音声言語、貨幣、政治的権威・ 国家、コミュニティの成立、技術と人間の 一体性、人間の自由などを確認

5.技術とはなにか、どう維持され、 どう進化するか ヒトの身体の延長としての技術を考察

6.地域の生存へのアプローチ 地球環境時代の地域の生存に必要な、 地域の情報-身体系の進化と生存のための実践的な アプローチを提案

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生物

生存努力の範囲と情報システムの発展

技術、科学 人間社会

システム

・地球生態系-人間社会システムとしての生存

・地域社会・産業社会システムの生存

・双利共生

•環境を含む全体システム設計

•総合智

時間

•経験からの法則性の抽出と共有、

•技術への適用、分業と協業

•自然破壊

個体・種の生存

・個体間競争

・捕食

・種族間競争

・有性生殖

・遺伝子への「記憶」

・進化

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3.生存機械としての生命

3.1 システムと情報

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H.R. Maturana and F.J. Varela, Autopoiesis and Cognition; The Realization of the Living, Kluwer, Boston Studies in the Philosophy of Science, vol. 42 (1980), original publication in Chile:1972)

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考えの道筋

個体 環境

構造 機構、機能

構造的カップリング

自律的自己産出系

自己組織化

代謝

情報

生存

主体

多体問題

社会

技術

社会的技術システム

社会的技術システムの主体

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個体、およびシステムとしての個体

Maturana(1972) 「観測者としてわれわれが行う基本的な認識操作は区別という操作である。この操作によりわれわれはある存在を背景から明瞭に区別されるひとつの個体として特定し、個体とその背景をともにこの操作が付与する特性によって特徴づけ、それらが分離可能であることを明確にする。(著者訳)」

「個体」=そのように区別される任意の存在 個体の内部にはさらに別の基準で区別される個体=「下位の要素個体」が存在する

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○「個体」の例 石:一部をつかんで持ち上げたときに一緒に動くものの全体。 川:川を流れる水は常に同じではない。しかし、われわれはそれを川として区別する十分な理由を持つ。 川とは、水が流れている特定の空間部分という個体である。 ○個体の有限性 このように特定され区別された個体は本質的に「有限」の存在である。 ○環境 個体を取り除いた残りの領域を「その個体にとっての『環境』」と呼ぶことにしておく。環境は無限の広がりを持ちうる。

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構造、機構、機能

機能=ある個体が環境の中で行う運動の総体

構造=要素個体(ある個体の)相互の 空間的配置と相互の運動による空間的 関係性の総体

各要素はそれぞれの属性に基づく運動によって互い の状態に影響を及ぼしあう。

機構(メカニズム)=要素個体の相互の運動 から上位個体の機能発現までの動的な 因果関係の総体 20050722

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有限な存在である個体は環境の中でその属性に基づいて運動し、環境にも影響を及ぼし、また及ぼされる。川は蛇行して形を変えるし、川によって運ばれてきた水は地下水となってまた別の場所を潤したりもする。

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構造的カップリング

わたしたちの身体を構成する原子は入れ替わってもわたしたちは存在している。これを構造的カップリングという

ある個体がそれを取り巻く環境との間で要素個体の出し入れや取り込み(カップリング)を行うとき、その個体の個々の構成要素が変化しても元の構造が基本的に保存されるとき、これを「構造的カップリング」という。(以上、Maturana(1972)の用語を翻案。)

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川と構造的カップリング

川には水が流入し流出するが、川がそこにとどまっているため、川の構造も機能も変わらない。

人々は水を得たりその風景に目を楽しませたりしている。

そこには「要素個体である水」の「川」への連続的な「構造的カップリング」がある、ということになる。

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川には水が流入し流出するが、「川」の構造はそこに維持されている。機能も変わらない。

そこには「水」の「川」への連続的な「構造的カップリング」が行われている。

川とオートポイエーシス

水がなくなっても、雨が降れば、川は再生する。

川は、土地を削り、周りの地形を変形させる。

川には命があるようにみえる。

川は生命に類似のオートポイエティック系なのか?

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自律的自己産出系と代謝

構造的カップリングがその個体の固有の機能のひとつとして「能動的」に行われる場合、その個体を「自律的自己産出系」(autopoietic system)とよぶ。

また、その『能動的統括「者」』があればそれを「主体」と呼ぶ。

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自律的自己産出系

川と樹木との違い(1)

○川は断層など地形の構造に基づいてその個体性を維持し水の構造的カップリングを行っている。

○樹木が水を吸い放散する様は川の場合の構造的カップリングと大差のないように見える。

川も生命と同じ自律的自己産出系なのだろうか? 20050722

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自律的自己産出系

川と樹木との違い(2)

○樹木は種を作り、種は樹木を再生する。樹木の構造は、生殖という形で能動的に維持されている。

○川も地形を変え、三日月湖などの構造を再生する。しかし、増水への応答であり、能動的なものではない。

川は自律的自己産出系ではないといえそうだ。 20050722

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代謝

自律的自己産出系が環境との間で物質やエネルギーのやり取りを行い自己の構造を再生する過程を「代謝」と呼ぶことにする。代謝過程において、物質(材料物質、高エネルギー物質、栄養)は「摂取」され、疲労物質、低エネルギー物質などとして「排泄」される。

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自律的自己産出系の運動とそれを取り巻く環境の運動は互いに独立

環境は自己創生系の個体に好都合であるとは限らない。環境との間の物質エネルギーのやり取りは有限の個体にとってはつねに危険と隣り合わせのものであり、無限の富を持つディーラーとのギャンブルのように、有限の時間内に必ず失敗し、その代謝過程が破綻に陥ることをまぬがれない(ランダムウオーク理論におけるゼロまたは負の偏りを持つランダムウオーク;無限の資金を持つカジノを相手に行うゲームで破産する確率は1。これが個体の「死」である。

死に至るまでの生の期間、自己産出系はその維持のための運動を続ける=生存競争、正確には「生存闘争(struggle for existence)」

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「火傷や毒物などの生理的および化学的要因の過剰刺激や虚血、補体攻撃、溶解性ウイルス感染などによって起こる偶発的な病理的細胞死」である「ネクローシス」

「遺伝子によってプログラムされた細胞死」である「アポトーシス」(発生過程のある時期に特定領域の細胞

が死ぬ現象、古くなった細胞の除去、不要な器官の萎縮、自己成分に反応してしまう免疫担当細胞の排除、神経栄養因子の除去による神経細胞死、放射線やHIVウイルス感染による偶発的な細胞死など、「細胞のおかれている環境、状況や細胞間の相互作用などのさまざまな細胞情報によって制御されるかなり可変性を持った細胞死の過程」(田沼靖一、「アポトーシス」、東大

出版(1994)))がある。 20050722 26 ℂ Masayuki Horio

また、死んだ個体を構成する材料は、他の個体の栄養源になりうる。このような条件で、突然変異も考えると、死がプログラムされた系のほうがそうでないものよりもより多く増殖する、という人工生命のシミュレーションが行われている。

(大橋力;下原勝憲、「人工生命と進化するコンピュータ」、工業調査会Kブックス133(1998)第11章プログラムされた自己解体 参照)

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生存と情報

生存活動は、したがって、単なる平和的な物質やエネルギーの代謝にはならない。環境の中から、生存に都合のよいものを探し出し、摂取したり、都合の悪いものから避難したり、都合の悪いものを追いやったりすることが生存活動の中に入れられるシステムのほうがそれらを持たないシステムよりもより生存力があることは明らかである。こうして、淘汰が起こる。

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こうして、自律的自己産出系としての個体は、「情報活動」を行うことになる。

情報活動は「個体の生存」の範囲にとどまらない。

死を乗りこえるための個体の複製機能自体が情報機能である。

生命は、化学進化の延長上で、物質群の中においてDNA二重らせんによる遺伝情報の複製機能が形成されたことで、安定した継承性を築いた。遺伝子における突然変異と悠久の時間にわたる淘汰の中で、新しい環境への適応の機能を持った個体が形成され、遺伝子が獲得した情報を交換しあう形の「有性生殖」という複製システムがさらに生命の強さを高めてきた。

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いずれにしても、生存活動は情報活動のただなかにある。 「あらゆる情報は、基本的に生命体による認知や観察と結びついた「生命情報」なのである」 (西垣通、「基礎情報学 生命から社会へ」、NTT出版(2004)、p.11)

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情報の発生

このような、物質またはエネルギーに担われて輸送されるもののことを「情報」と呼ぶ。情報は、送り手と受け手との間に写像関係という取り決めがあってはじめて意味を持つ。

なお、写像関係は一対一である必要はなく、集合Aから集合Bへの対応であればよい。

情報の生成についての物理的なメカニズムは、「痕跡」であり「端緒」。一種のレプリカ(しかも対象物の部分だけについての)。

「犯人の足跡」のように、何らかの重要なものと濃厚な対応をもつ可能性のあるものである。端緒や痕跡と「本体」の間の写像は、観察や経験の時系列データの間の相関(われわれの思考においては「連想」)によって形成される。 20050722

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自己組織化 プリゴジンとスタンジェール(I. Prigogine/I.Stengers(1984); 伏見康治ら訳、「混沌からの秩序」、みすず(1987))の言うように、自然界にはいろいろな自己組織化現象があり、その卑近な例は、窓ガラスにできる霧滴の規則性であり、非生命系のものである。おそらく、非生命系の自己組織化現象の延長で、生命への化学進化も行われた。しかし、いったん生命が発生するや、生命の生存活動の中で、環境は部分的に改造され、生命個体に都合のよい形にされて生命側に取り込まれていく。生命個体同士も組織化される場合がある。ミトコンドリアの祖先、葉緑体の祖先が、真核生物の祖先と共生を始め、真核生物へと進化したという、共生進化説(Lin Margulies (1967))の描く進化過程も生命の自己組織化の一種である。さらに、生物界には自己組織化現象があふれている。アリの社会、アリの巣などは、ひとつの自己組織化の例といってよい。

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「自己組織化」 自律的自己産出系個体の構造を従来の個体の境界の外に延長すること その場合の延長を担う構造要素は、無機的なものであってもよいし、他種の自律的自己産出系個体、あるいは、当該個体と同種の個体であってもよい。いずれの場合にも、生成する系は有機的な構造体となる。

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自己組織化

「自己」というべき「主体(情報系)」が存在することである(④参照)。主体は、対応する「身体組織(代謝系)」からエネルギーを供給され、「意志と活力」(生気)を発動し、行動を構想し、身体組織を駆動する。身体組織は、代謝の「収支」を維持し(=代謝を行うことの収支決算が自己産出系にとってプラスである状態を維持し)、材料とエネルギーを供給し、状態の持続を図る。

主体は、身体組織のなかに存在する場合もあれば、外に存在することもありうる。遺伝子は主体にはならない。あくまでも情報であり、主体により種子などの中に残されたものと捉えるべきだろう。

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多体系構造の形成

複数個の個体が存在する場合に、その間の相互作用によって、生存活動は変容する。

並列的に生存活動をしているある一群の個体群が

他から何らかの指標で区別されるとき、その群を「社会」と呼ぶ。

社会においては、代謝に必要な材料の供給が十分

であるか否かにかかわらず、材料の「占有」をめぐって要素個体間の「闘争」が発生する。

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複数の個体は、個体間で情報交換を行うことができれば、「連携」して協業や分業を行い、代謝に必要な材料の獲得量をふやすことができるかもしれない。もちろん、自然な過程としては、当初は個体間闘争が行われ、その中から個体間情報交換が進み、連携に向かい、構造を形成していくといった経緯をたどるであろう。原核生物から真核生物への進化、単細胞生物から多細胞生物への進化、身体各器官の発達、などは生物種における多体系構造形成の歴史であるが、生物集団においても、植物間の競争や、植物と昆虫の共生、草食動物の群れ行動、アリやハチの社会など、多体系における構造形成の多様な例を見ることができる。

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多体系構造において、下位の個体が、安定して上位の個体の要素として存在し続けるためには、下位の個体の属性が全体構造に適応しやすく、またその運動法則が十分に受け入れられるような環境が実現されことが必要にして十分な条件となる。

それ以外の場合には、解体が起こらないよう、「内部的なストレス」を高めて締め付けを行うことが必要になる。多体系においては、完全に内部ストレスがなくなることは現実にはありえないはずである。つねに外界との間の緊張が内部にも影響を及ぼすであろうし、また、いろいろな「揺らぎ」や、部分ごとの「機能の劣化」などが内部的にも発生する。 20050722 37 ℂ Masayuki Horio

余剰、経済

各個体が占有する各種材料には、直接的な個体生存に必要な量以上の材料(「余剰」材料)が発生しうる。余剰材料が個体間で交換される場合、そのような交換は「経済」の始まりである。交換は、個体が集合し集中的に行うことによってより効率的に行われる。個体が集合する場所は「都市」であり、交換が行われる場所と時間が「市場」である。

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文明、文化

要素個体の凝集体としての「社会」が作り出す組織的な代謝のシステムを「文明」と呼ぶ

凝集体の中で共有される外界(環境)認識、自己認識、常套化している論理操作の態様、さらに、内部的・外部的ストレスから情報系を一時的に回避させるための「あそび」や「まつり」など、各種の情報活動の総合的な態様は、過去の遺物を含む周辺環境条件(「風土」)の違いにより、また要素個体の種の違いにより、それぞれの凝集体に固有のものとなっていく。これをその社会の「文化」という

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多体系構造の進化

多体系としての自己の創生、生存。

目、脳・・・の形成

社会における科学的認識プロセスシステムの構築

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ミラー(David Miller;Political Philosophy, Oxford U. Press(2003)、山岡龍一・森達也訳、「政治哲学」、岩波(2005))にならえば、そのシステムは、

①「本当の専門家だけが提供できる事実情報を必要とする判断が多いこと」から、単にみなの意見を聞けばよいということにはならないこと、

②人びとが現実にもつ‘選好’は広く分布しており、往々にして「いい加減な気持ちの多数派が」「熱心な少数派を凌駕する」ということが起こりやすい。また、代議制においては、議員は、「非常に高い程度の独立性を持ってい」て、有権者からの圧力よりもむしろ属する政党のほうからの直接的な圧力に弱い。

③「提起された法案がすべての個人やすべての集団を公正に取り扱っているかどうか」ということにかかわる「道徳原理」が貫けるのかがあやうい、という、三つの困難にさらされているという。

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ℂ Masayuki Horio

さらに、政府および官僚組織の中の縦割りの構造のなかで、大きな時代の変化や状況の変化についていけない、「予算のための予算、事業のための事業」化が起こりかねないことなど、持続型社会を具体的に実現しようとする場合には大きな問題が発生している。 世界的には、国民国家という一種の凝集体の間での無法な抗争を制御するメカニズムとして、国際組織が発達し、さらに、グローバルな市場が形成されつつある。しかし、佐伯康治氏が強調するように、産業革命の恩恵を受けえた人びとは地球上の57億のうちの9億人(16%)に過ぎず、富の占有にともなう大きなストレスを伴う構造が自己産出を続けているのが現状である(「物質文明を超えて」コロナ社、(2001))。そこでは、風土や宗教・信条の相違によって、なお多様な社会システムの態様があり、対立を助長する要素はなくなっていない。(価値観や風土を共有しているはずの家族という単位小社会においてすら、要素間の決定的な対立を制御しがたい場合が多い。)

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ℂ Masayuki Horio

3.2 意識と言語、コミュニティ、貨幣、そして「人間」の形成

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養老孟司氏は「唯脳論」(青土社、1989)

意識を、脳の構造と機能の関係における機能側の現象であるとし、意識の発生における生物学的必然性を理解するうえで、その外的な必然性だけでなく脳構造の進化における「内的必然性」(p.145)の重要性を主張。 とくに、人間の意識の流れにとって重要な「言語」について、視覚と聴覚が独立に発生し進化したにもかかわらず、また文字による視覚言語と音声による聴覚言語が、ある程度平行して処理することは可能であるにもかかわらず、「「言語という同じもの」として扱う。これこそがおかしなこと、すなわち言語の特徴でなくて、何であろうか」、「聴覚と視覚とは、いわば脳の都合で結合したのであり、その結合の延長線上に人の言語が成立しているはずである」(p.160-161)と主張する。

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氏は、「末梢を十分支配しない神経細胞は死ぬ」(p.135)という一般原則の下で、末梢がほとんど変化しないにもかかわらず、神経細胞の集合である脳が肥大していったことから、「脳はある意味では、自前で大きくなったわけで、」「神経細胞が脳の中でできるだけお互いどうしつながりあうことによって、お互いに「末梢」あるいは「支配域」を増やす。それによって、お互いを維持する。それを機能的に言うなら、互いに入力を入れあう。それによって互いの入力を増やす。」(p.140) 「脳の自前の、あるいは自慰的な活動に、神経細胞の維持が依存するようになったとき、意識が発生したと考えてはいけないであろうか。」(p.142)

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20050722 46 ℂ Masayuki Horio

養老孟司氏「唯脳論」(青土社、1989)

また、視覚は直感性であり、聴覚は「順次論を重ねていく性質」をもつ。「幾何学における証明とは、視覚が当然とすることを、聴覚-運動系に対して対応させることであろう」(p.198)という。こうして、氏の論をさらに延長すれば、脳のこのような進化による言語の発生や記号操作能力の成立とほぼときを同じくして、言語によって情報を交換し合う「コミュニティ」や価値の量についての抽象的なシンボルとしての「貨幣」が出現したものと考えられる。さらに、社会の中における「規範」や「リーダー」の成立も同時的ではなかったかと思われる。

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ヒトへの進化と脳

論理的な思考の発達に対する外的な条件としての、直立二足歩行、火食、道具の使用などの役割も軽視できない。

道具は、身体と対象の間に挟まれた媒介物。新たな道具を使う実践においては論理的な予測や発見が絶えず行われ、協業とともに、言語・論理能力の発達に寄与した。

このような認識能力と論理的思考能力、および、世代をこえた個体間のコミュニケーション能力によって、人間はこれまでの生物がとってきた環境への適応方法とはまったく異なる適応能力を獲得した。

これまでの生物は遺伝子形を変化させることによって身体(表現形)を変化させ、これによって環境条件の変化に適応してきた。

20050722 48 ℂ Masayuki Horio

人間と自由

人間もまた生物と同じような遺伝子レベルでの進化を行うが、その速度よりもはるかに速い速度で自分自身の行動・生活様式を変更する。そればかりでなく、人間は、環境の運動法則を明らかにすることによって、表面的な現象の連鎖からの予測以上に本質的な予測を行うことができ、危険を回避したり、有利な材料を確保したり、周囲の環境を組織化し、後に吟味する「技術」を発展させたりしてきた。

人間は、奴隷の地位に長く置かれたとしても、生物学的な進化または退化によって、奴隷の境遇に適応した種にされてしまう以前に、反乱や脱走などの方法で、その境遇から脱出することになる。風土や職業の差による経験の多様な相違を相互に交流することによって、知性は豊かになり、生存力を高めることができる。こうして、人間性の第一の原理がなぜ「自由」となりえたかを理解できる。

20050722 49 ℂ Masayuki Horio

ホーキンスとブレイクスリーによれば、ヒトの脳に固有の大脳新皮質の記憶の特徴は「①パターンのシーケンスの記憶、②パターンの自己連想的再生、③パターンの‘普遍の表現’(抽象化された表現)による記憶、④パターンの階層的記憶」である(「考える脳 考えるコンピュータ」、伊藤文英訳、ランダムハウス講談社(2005)(J. Hawkins/ S. Blakeslee, On intelligence how a new understanding of the brain will lead to the creation of truly intelligent machines)。ホーキンスらは「人間はあらゆる感覚について同時に、低レベルの予測を絶え間なくたてる。だが、それだけではない。(中略)予測は脳の単なる一つの働きではない。それは新皮質の「もっとも主要な機能」であり、知能の基盤なのだ」という。このような知性についての解明は、脳の解明という立場だけからでなく、未来型コンピュータやロボットの開発という立場から、大きな関心を呼んでいる。

20050722 50 ℂ Masayuki Horio

3.3 メカニズムとしての技術

①客観的な存在、②生産力の中にある構造的なもの、③その構造が発揮するメカニズム(特許等で説明され、科学的にも記述されうるもの)、という順で考え、「技術とは生産力のメカニズムである」(堀尾、'工学の本質と流動層の歴史'、化学工学会編、化学工学の進歩26「流動層」(1992)、pp.1‐16参照)

20050722 51 ℂ Masayuki Horio

技術的活動構想、設計、試作… dt =

•利便性

•危険性

•抑圧

/疎外

•自己家畜化

個人

•参加

どんな個人も何らかの形で技術的活動に参加できるはずである。

実在するシステムは、人々に利便性を提供するが、同時に、環境破壊や、疎外や、自己家畜化の危険性も提供している。

実在する技術システム

新しい技術技術的生産物

•技術は「技術的活動の積算」としての生産物

設計図、技術情報

技術的活動構想、設計、試作… dt =

•利便性

•危険性

•抑圧

/疎外

•自己家畜化

個人

•参加

どんな個人も何らかの形で技術的活動に参加できるはずである。

実在するシステムは、人々に利便性を提供するが、同時に、環境破壊や、疎外や、自己家畜化の危険性も提供している。

実在する技術システム

実在する技術システム

新しい技術技術的生産物

新しい技術技術的生産物

•技術は「技術的活動の積算」としての生産物

設計図、技術情報

20050722 52

ℂ Masayuki Horio

技術は物質に宿る生命のようなもの。 生命体の死に際し、肉体が存在していてももはや魂が存在しないのと同じように、生産システムが見かけ上存在していても生産力が存在しない状態がありうる。生産力の死は、実在していた技術の消失である。 そのような生命に類似の現象が起こる原因はきわめて単純である。もともと技術は人間の生命の「自己組織化」の延長として形成されているからなのだ。…この自己組織化に始まる文明の発展段階こそが、現在の技術と「自然」(自己組織化の中に含まれきっていない部分)との関係を規定しているのである。

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機械と生命の問題についての哲学的な議論の中で、しばしば、「機械は自己再生できないが、生命組織は再生能力(オートポイエシス)を持つ」ということがいわれてきた。しかし、人体のある損傷を受けた器官を考えてみればすぐにわかることであるが、それ自身が完全に自己再生能力を持つわけではない。脳、リンパ組織、その他のたくさんの組織の協働なしには再生は不可能である。技術それ自体についても、また、技術的製品についても、社会はそれらの再生を行う能力を持っている。再生能力のない社会では、一時的に存在しているかに見えた技術も消えてしまう。技術は社会の中での存在であり、社会の中に再生機能が存在して初めて特定の技術の持続的存在が保証されているのである。逆に言えば、技術の存在は、このような社会的な再生能力を含めたとき、際立ってくるともいえるだろう。』

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4.地球環境時代の地域の生存と地域の自律性の形成

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自然

人類の自己組織化の産物としての技術的システム

摂取

排出

社会-技術システム 人間

society

技術は自己組織化

自己組織化においては何が主体であるかが問題

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これまでの公共的システムには、その地域には不要なものやレディーメイドのものが押し付けられてきた。つまり、公共の技術システムは、自己組織化という視点で見るとき、きわめて不十分なレベルにある。また、構成要素が、所有権等をもつ意思のある要素であるため、技術的合理性を貫くには、共通の目標の設定が必要であった。従来は、共通の目標は、近代化であり、国の目標(電源確保、国際空港、基地等々)であった。

商品

企業:

良好な自己組織化

商品商品

公共的システム

企業:

良好な自己組織化企業:

良好な自己組織化

自治体:

中途半端な自己組織化

なお 技術的合理性不十分

商品

企業:

良好な自己組織化

商品商品

公共的システム

企業:

良好な自己組織化企業:

良好な自己組織化

自治体:

中途半端な自己組織化

なお 技術的合理性不十分

地域システム:中途半端な自己組織化

地域システム:中途半端な自己組織化

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整合性・持続性のある公共的共生技術システムへの自己組織化へ! (条件は整備されてきた)

専門家(科学/技術)

NPO的

組織

NPO的組織

NPO的

組織

NPO的組織

自治体自 治 体

NPO的

組織

専門家

NPO的

組織

協 働

公共的 技術的・地域的に合理的な公共システムC

大学

学校・生徒

企業

専門家集団

地域内外の人々による地域のための

人の環

専門家(科学/技術)

NPO的

組織

NPO的組織

NPO的

組織

NPO的組織

自治体自 治 体

NPO的

組織

専門家

NPO的

組織

協 働

公共的 技術的・地域的に合理的な公共システムC

大学

学校・生徒

企業

専門家集団

地域内外の人々による地域のための

人の環

専門家(科学/技術)

NPO的

組織

NPO的組織

NPO的

組織

NPO的組織

自治体自 治 体自治体自 治 体

NPO的

組織

専門家

NPO的

組織

協 働

公共的 技術的・地域的に合理的な公共システムC

大学

学校・生徒

企業

専門家集団

地域内外の人々による地域のための

人の環

技術システム計画のための

共通のプラットフォーム

データベース

LCA /

MFA

ツール

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①個々人の目を単位要素とする「社会的な複眼」を想定し、②それが総体として作り出す社会的な実像を「社会的な網膜」の上に結像することが必要になる(図2参照)。③観察と思考の基準やシナリオを作り出し、観察や判断を進める「社会的な脳」を構築することが必要になる。社会的な脳の思考過程は会議であるが、自らの器官に責任を持つ会議でなければひとごとに終わり問題解決への力にはならない。④地域には、地域の脳に密接に連動した、地域にふさわしい行動のための器官があるべきであろう。 いま問題になっているのは、持続型社会に向けた循環構造作りが、個々の生活

者の生活スタイルと地域の公共技術インフラの変革なしには進まないにもかかわらず、中央への人材、知識、資金の集中が進みすぎるため、地域においては、人口減少、人材不足、資金不足、文化や習俗の断絶などが起きていることである。この中には、ますます高度化する公共技術インフラや情報技術、マーケッティング技術等に対する知識や装備の不足も含まれる。

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人間の視線の動きをアイカメラで追うと、ものごとへの出会いのはじめだけ「サッカード(saccade)」と呼ばれるすばやい動きが行われて認識がすすむものの、後はほとんど無関心状態になる。だが、新しい考えが起こればまた周りを見る姿勢も変わる。自らの地域を見るためにも、新しいシナリオが必要なのである。

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本来、脳による判断は行動のためにある。行動と直結しない情報処理器官の情報処理能力は十分現実的にはなりえない。代議制の議会、一定期間の身分保障のある議員、執行部と分離された立法府、における判断は、時間的タイミングの点でも、問題の解明という点でも、常に厳格性を免れ、遅きに失し、かゆいところに手が回らないことが多い。

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⑤地域社会の脳が、今日的な問題に対して自ら納得のいく判断を行うためには、科学や技術の専門的知識にアクセスしアップデートする積極的な態度が必要である。当然、以上のような社会的課題に応えて、⑥専門家のほうも地域の生活者の課題をじかに把握し、彼らが専門的知識により容易にアクセスできるよう、地域との交流や情報発信を進める必要がある。地域における人材および知識の確保のためには、⑦Iターン・Uターンといわれる形での、地域外で経験を蓄積した人々の還流も必須である。これらの人々は、有性生殖における新たな外部遺伝子のような役割を果たすことになる。 20050722 63 ℂ Masayuki Horio

⑧県や国など上位の行政組織が地域に対して支援できることは多いはずである。また、公共事業を地域のレベルで運営できる小規模事業に分散化を図ることもありうるのではないだろうか。これらは、公的資金の使用に絡むため、その計画には、技術的合理性と公正さがともに貫かれるよう、行政と生活者の間の協働について、あらたな原則が必要になる。⑨議会はそのような規範をふくむ上記のすべての過程について社会的な合意を実現し、行政は、協働の原則の中でその実現をはかっていく必要がある。

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吉本哲郎氏が水俣の心の再生を提唱し「ないものねだりからあるものさがしへ」を謳う「地元学」とその「絵地図」による方法論はきわめて理にかなっていることがわかる(現代農業増刊2001、「地域から変わる日本 地元学とは何か」、農文協)。地元学調査では、地元の人とともに調査に携わる人々が、「あるものさがし」を行い、写真をとり、聞き込みを行ってまわる。そこでは、一本の木も、石も、なにげない植え込みも、物語や意味を持っている、という立場から、謎解きや発見(地元にとっては再発見)が行われていく。

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これまでの、文化人類学や民俗学調査が、専門家のプラットフォームの上で議論され、調査によって得られたものが専門家の世界に「持って帰られる」のと対照的に、地元学調査は、地元の言葉と映像で語られ、誰もが簡単にまた一緒に見ることのできる「作品」にまとめられ、地元に「残される」。それは、上記で検討した、地元という日常に対する新たな視角からの「サッカード」(アイカメラで調べた目線の動き)であり、地元が共有できる結像とシナリオである。

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生存科学とは

「生命現象から、技術開発、社会再生、にいたるあらゆる問題について、つねに、①主体(情報系)、②身体(代謝系)、③環境、という三つの契機をつないでものごとを解明し、生存の立場からアクションを設計し実践するという、独自の方法的スタイルを持つ知のプラットフォームである」

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